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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...........................千町小学校萩原分校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。


今年の春(平成31年)に廃校になった、いすみ市立千町小学校。
その千町小学校には、かつて分校がありました。

昭和39年に廃校となった分校、
旧・夷隅町立 千町小学校萩原分校 を探し、訪ねてみました。


萩原分校は、


明治7年     荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
        萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀小学校と萩原小学校に分離する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                         須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校萩原分校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校萩原分校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)


と、このような沿革となっています。



沿革は分かっているものの、分校の場所はよく分からない。
いつもように、分校名の『萩原』を頼りに
萩原集落の公民館、集会所に当たりを付けて向かいます。
向かった先は、『萩原区農村公園』


こちらが、萩原区農村公園。

      20190711萩原分校01

隣家の御老人に話を伺うと、この場所がかつての萩原分校でした。
確かに、分校跡らしい雰囲気は感じられる。


ただし、この建物は廃校後建てられたものらしい。

      20190711萩原分校02


敷地内に入ってみます。
往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。

      20190711萩原分校03


      20190711萩原分校05


      20190711萩原分校06




敷地の一角には遊具が置かれているけれど
とても昭和30年代の遺構にはみえない。

      20190711萩原分校04



農村公園として整備された時に設置されたのでしょう。

      20190711萩原分校07


      20190711萩原分校08



残念なことに記念碑の類い、二宮像、忠魂碑等
学校跡を彷彿させる物は残っていない。



この井戸は、分校時から使われていたものでしょう。

      20190711萩原分校09



お約束とも言える消防倉庫。

      20190711萩原分校10


小さな分校跡には、消防倉庫が敷地内に建っていることが多い。
まぁ、ひとつのpsたーんですが、
そのパターンに見事にハマっていた萩原分校。

辿り着けて良かった.......................




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2019/08/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................旧・千町小学校跡 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市は、平成17年に夷隅町、岬町、大原町が合併して誕生しました。
そのいすみ市で、今年の3月(平成31年)に千町小学校が廃校になりました。

実は、その千町小学校関連で3つの廃校がいすみ市には存在します。
今回、その3つの廃校を巡ります。

最初に訪れたのは................旧・夷隅町立 旧・千町小学校跡


千町小学校は、

明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年    荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年   三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年   新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年   夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年   夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と言う沿革となっていますが、今回訪れたのは、旧・千町小学校跡。
沿革で言う所の昭和47年に移転するまで校地とされていた所です。

数年前に、いすみ市に来た時、偶然この校地の前を通ったのですが
『千町保育園前』と言う交差点にいかにも学校跡地っぽい場所がありました。
後ほど調べたら、どうやら千町小学校の跡地のようでした。

そのうちに行こう! と思いながら、ズルズルと月日が経ってしまいました。



こちらが、千町小学校跡。

      20190711旧・千町小学校01

如何にも学校跡っぽいですね。


正門に至るスロープ。

      20190711旧・千町小学校02

これまた、学校っぽい。


以前調べた時は、『つどいの家』と言う施設だったような気がしましたが
近年、『いすみ市土着菌完熟堆肥センター』になったようです。

      20190711旧・千町小学校03



こちらが正門跡。

      20190711旧・千町小学校04



門柱の表札。

      20190711旧・千町小学校05

『つどいの家』としても利用されているようですね。



実は、小学校が移転後、敷地は千町保育園として利用されていたよですが
保育園もいつしか閉園となり、『つどいの家』として利用されたようです。

この建物は、保育になった時に建てられたもので
千町小学校の校舎ではないそうです。

      20190711旧・千町小学校06


      20190711旧・千町小学校07


昭和の時代、特に40年〜50年代。
鉄筋校舎が普及する前の学校の校舎に見えるんだけどねぇ。

      20190711旧・千町小学校08


      20190711旧・千町小学校09


残念ながら、学校遺構は全く残っていない。

      20190711旧・千町小学校10


保育園として再利用されていた割には遊具類も残っていない。


ここから数百m離れた場所に千町小学校が在るから、
この場所が千町小学校だった事も憶えている人も少なくなっているんだろうなぁ。








2019/08/30 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit