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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

丸ポストを探して...............静岡・伊豆編② (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。

伊豆半島にある伊豆市は平成16年に
修善寺町、土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町の4町が合併して誕生した市です。

そんな伊豆市内には3基の現役の丸ポストが置かれています。
( 2015年9月30日現在 )
その内の1基は昨年の秋にこの目で確認出来ました。
( そのときの記事は こちら )。

今回、伊豆市に訪れたので、残りの2基も探して見ました。



最初の1基は、旧・土肥町。
土肥新聞販売店前の丸ポスト。


      20150930丸ポスト伊豆01


      20150930丸ポスト伊02


      20150930丸ポスト伊03


      20150930丸ポスト伊04




そして、最後の1基。
旧・修善寺町の修禅寺山門前の丸ポスト。

      20150930丸ポスト伊05


      20150930丸ポスト伊06


      20150930丸ポスト伊07


      20150930丸ポスト伊08



これで伊豆市の丸ポスト、全3基を制覇。


静岡県内には235基の丸ポストが現存されているとされています(2015年9月30日現在)。

これまでに

駿東郡小山町      1基
御殿場市        1基
沼津市          7基 
伊東市 ①        15基
裾野市           2基
三島市          1基
伊東市②        10基
東伊豆町        3基
伊豆市①        1基
河津町①         1基
伊豆の国市       16基

そして本日、伊豆市の2基を制覇して合計60基となりました。

とりあえず静岡県内には235基の丸ポストがあるようですから
残すは175基。
完全制覇を目指したいところですが、
まだまだ先は長いようです.......。



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2015/10/17 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........土肥南小学校 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。

恋人岬をあとにして、向かった先は...............伊豆市立土肥南小学校


土肥南小学校は

昭和53年      土肥町立八木沢小学校と土肥町立小下田小学校が統合して
            新たに土肥町立土肥南小学校として開校。
平成16年      土肥町、修善寺町、天城湯ヶ島町、中伊豆町が合併して伊豆市が発足。
            伊豆市立土肥南小学校と改称する。
平成22年      土肥小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。



車を停めたコンビニの駐車場から見る土肥南小学校。

      20150930土肥南小学校20

まさか、この時点では気がつきませんでした。




正門前に来て、びっくり!!

何と解体工事中。

      20150930土肥南小学校01



解体工事期間 平成27年7月1日〜9月30日まで...............

って、今日までじゃん!

      20150930土肥南小学校02



校舎は解体され、重機が忙しくコンクリートの瓦礫を掘り起こしていました。

      20150930土肥南小学校03


3ヶ月前に訪れていたら、校舎は残っていたんでしょう。
ちょっぴり残念。

工事中で中には入れそうもないから
正門前で写真を撮って帰ることに...............

      20150930土肥南小学校04


ちょうどお昼休みになり、現場監督さんに
『廃校の記念碑みたいなモノはありましたか?』と尋ねたら
「プレハブの現場事務所の裏に石碑があるよ」と教えて貰い、
邪魔にならないことを条件に、廃校の記念碑を見学させて貰うことにしました。


こちらが、その記念碑。

      20150930土肥南小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20150930土肥南小学校07


沿革によれば、旧・土肥町立の八木沢小学校と小下田小学校が
合併して出来た小学校らしい。
と言うことは八木沢小学校と小下田小学校は廃校になる。
今回は、この後の予定も詰まっていて時間がないけど
いつかその2校も探し当てて訪ねてみたい。

      20150930土肥南小学校08



記念碑の脇には、こんなモノが...............

      20150930土肥南小学校09

ツリーハウス?
小学校の敷地にこんなモノが?

子供たちが遊んでいたのだろうか?


そして、ツリーハウスの近くには、こんなオブジェ。


      20150930土肥南小学校13

おそらく、キリンだと思うんだけど...............
卒業記念か何かで子供たちが造ったモノでしょうか?





校庭の隅に残っている遊具。

      20150930土肥南小学校10

すぐ側が解体工事エリア。
遊具類もそれなりに解体・撤去されてしまったんでしょう。



唯一残っている建物の体育館。

      20150930土肥南小学校05



体育館だけが残っていると言うことは
地域のスポーツ施設として、このまま使用されていくのだろうか?

      20150930土肥南小学校14



重機のタイヤ跡でグランドはかなり荒れている。

      20150930土肥南小学校15


      20150930土肥南小学校16




解体工事も終焉と言えども、とても今日までで完了しそうもなさそうです。

      20150930土肥南小学校17

唸るような音をたてて、解体工事は進んでいます。


校門の門柱は撤去され、地面に置かれています。

      20150930土肥南小学校18



おそらく、この辺りに門柱が建っていたのでしょう。

      20150930土肥南小学校19


   

小学校の裏手はかつての寺院跡。

      20150930土肥南小学校12


      20150930土肥南小学校11


実は、土肥南小学校を建てるにあたり、廃寺になる予定の寺院が
子供たちの将来のためにと、旧・土肥町に寺院の敷地の一部を譲ったと言うことです。


お寺がなくなって小学校になり、
その小学校もなくなって、校舎もなくなった。
さて、この場所は次は何になるのだろうか...............?



     






     
2015/10/14 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸山城址 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。


旅人岬をあとにして、向かった先は...............丸山城址


丸山城は築城時期等は不明ですが、
小田原北条氏に属した西伊豆の豪族・富永氏の居城とされています。
そもそも富永氏の本城は同じ土肥地区の高谷城と考えられていて、
丸山城はその支城とされています。
しかしながら、入り江を抱き込む水軍基地と船着場を有していることから
西伊豆の北条水軍の拠点というレベルではかなりの重要性を持った城でありました。
特に武田勝頼や豊臣秀吉など駿河湾の西からやって来る諸勢力と対峙した北条氏にとって、
丸山城は重要な海上拠点の一つとなっていました。
天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、豊臣水軍の襲来を受け、
一族の富永山随(康景弟・政範)が同城を守ったが、落城したと言われています。


こちらが丸山城の縄張り図

      丸山城縄張り図

      ( 余湖さんの お城のページ  よりお借りいたしました  )



丸山城は丸山スポーツ公園脇の台地に在り、本城と出城に分かれていて
ちょうどR136で分断されるような形になっています。

丸山スポーツ公園の駐車場に車を置かせてもらって攻城開始です。


駐車場の隅にひっそりと建つ城址案内板。

      20150930丸山城址01


縄張り図も記載されています。

      20150930丸山城址02

こちらの縄張り図では、『出城』『本城』『詰めの城』と3つの郭群が連なって
丸山城は構成されているようです。


説明板によれば、丸山スポーツ公園のテニスコートやグランドのある場所は、
かつては海。北条水軍の要、船溜まり場だったらしい。

      20150930丸山城址40



こちらが出城。

      20150930丸山城址03


そして、こちらが本城。

      20150930丸山城址04



まずは、出城から攻めてみましょう。

      20150930丸山城址05



こちらが、出城への登城路。

      20150930丸山城址06


何やら、ガサガサと地面から音がする。
よ〜く見ると、カニでした。
海が近いって言えば近いけど、
でもちょっと離れているんだけどなぁ。

      20150930丸山城址07



主郭に向かう登城路。
虎口近くには、こんな石積みがあります。

      20150930丸山城址08



こちらが主郭虎口。

      20150930丸山城址09



主郭はこんな感じで削平地。

      20150930丸山城址10



こんな説明看板も建っています。

      20150930丸山城址11


      20150930丸山城址12



説明看板の横に建っている城址碑(標柱)。

      20150930丸山城址13


      20150930丸山城址14



こちらは、搦め手口の虎口。

      20150930丸山城址15



その虎口の土塁。

      20150930丸山城址17


そして土塁の脇に鎮座する社。

      20150930丸山城址16



出城の主郭から眺める相模湾。

      20150930丸山城址18


出城から下山。
本城へと向かいます。

      20150930丸山城址19



こちらが本城への登城路。
やはり、こちらもハイキングコースになっています。

      20150930丸山城址20


狭いハイキングコースとなっている登城路の脇には幾つもの段郭。
そして石積みがあります。

      20150930丸山城址21


こちらの段郭は椎茸の栽培をしているようです。

      20150930丸山城址22


こちらの段郭は人の手も入らず、かなり荒れています。

      20150930丸山城址23



無造作に置かれたものなのか?
はたまた、倒れてしまったものなのか?
出城に比べると本城には石積みが多い。

      20150930丸山城址24





こちらが、本城の主郭。

      20150930丸山城址25



こちらの主郭は完全に耕作地と化しています。

      20150930丸山城址26


      20150930丸山城址27



この先に人が通った形跡はありますが
さすがに、この藪状態の中へ進んで行く勇気はありません。

      20150930丸山城址28



主郭の石積み。

      20150930丸山城址29



主郭から詰めの城へは、ハイキングコースを歩きます。
ハイキングコースだけあって、主郭近くに四阿があります。

      20150930丸山城址34


四阿の前にあるパンフレット入れ

      20150930丸山城址35



残念ながら、中身は空っぽ。

      20150930丸山城址36



四阿の前にも、丸山城址の説明看板。

      20150930丸山城址33


四阿から眺める主郭。

      20150930丸山城址32



四阿の裏手にある おこり石 。

この石を踏んだりゆすったりすると悪いことが起きる、
という言い伝えがあるそうです。

      20150930丸山城址31


      20150930丸山城址30



四阿の更に先から眺める相模湾。

      20150930丸山城址37


詰めの城は、もうすぐそこ。


こちらが詰めの城。

      20150930丸山城址38



広い削平地。
今や果樹園となっているようです。

      20150930丸山城址39


出城、本城、詰めの城と3つの郭群が連なっている丸山城址。
丸いのは出城だけで、本城と詰めの城はかなり縦長になっています。

この日は天気が良かったから、汗もいっぱいかきました。
今夜のビールが美味いぞ!っと思いながら
次なる場所を目指すべく、台地を下りて行くのでありました...............。









     
2015/10/12 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

旅人岬 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。


富永氏館跡をあとにして、向かった先は...............旅人岬


旅人岬は直木賞作家・笹倉明氏の作品に由来する夕日の美しい岬です。
断崖の上に位置する階段状のテラスから駿河湾を一望でき
運が良ければ対岸の清水、静岡を眺めることもできるらしい。
水平線に沈む夕日の美しさは筆舌に尽くしがたいほどの最高のパノラマだそうです。


元々、旅人岬の存在さえ知りませんでした。
偶然と言うべきか、たまたま県道17号の路肩(空き地)に車を停めていて
戸田方面へUターンする場所を探していたら、目に入ったのがこの看板。


      20150930旅人岬03

まあ、何ともお洒落な名称。
当初の予定には無かったけれど、立ち寄ることにいたしました。

      20150930旅人岬01



芝生でご機嫌な(?)びいすけ 。

      20150930旅人岬02



さすが景勝地。
駐車場からでも景色が良いのがわかります。

      20150930旅人岬04



この階段を上れば展望台。

      20150930旅人岬05


旅人岬の名の由来となった小説『旅人岬』の碑。

      20150930旅人岬06



夕陽の名所らしく、夕陽の季節ごとの時間帯と方向が案内されてます。

      20150930旅人岬07



そして、展望台の真ん中には男女を象った「家族」と名のつくブロンズ像があります。

      20150930旅人岬08



1998年春に土肥町(当時)が岬から180度以上のパノラマが拡がり、
海越しの夕日を臨む絶好のポイントとなっているところから
恋人岬にあやかって町の新しい名所にしようと、旅人岬と名づけられたそうです。

その時に展望台も整備されたのでしょう。
20年近く経っていますが、
綺麗に維持管理されている所は好感が持てます。

      20150930旅人岬09


      20150930旅人岬10


      20150930旅人岬12


      20150930旅人岬13


この岬と言うか、台地が視界を遮るから
富士山は残念ながら眺めることは出来ないようです。

      20150930旅人岬11


展望台からちょっと離れた場所ですが
磯場に降りていける階段があるようです。

      20150930旅人岬14


      20150930旅人岬15

せっかくだから、磯場にも降りてみましょう。


磯場に降りる階段から見た旅人岬。

      20150930旅人岬16



ゴツゴツとした大きな岩がある磯場。

      20150930旅人岬17


滑りやすいから、転ばないように気をつけましょう。

      20150930旅人岬18



陽射しも暖かいと言うか、むしろ暑い。
海からの潮風が心地良い。

      20150930旅人岬19


      20150930旅人岬20


      20150930旅人岬21


本当は夕陽が沈む時間帯に来れれば最高なんだけど
こればっかりは仕方ない。
いつか、夕陽を観に来ることにしよう。

思いがけなく見つけた景勝地。
ちょっぴり得した気分です。



2015/10/11 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高谷城址 (2015年9月30日)(静岡県伊豆市) 

9月30日 公休日

9月30日〜10月2日まで個人的な3連休。
この3連休を利用して2泊3日で伊豆へ出かけました。


東名高速を沼津ICで降り、R1〜R135と国道をひた走り
土肥の町(現在は伊豆市土肥町)にやって来ました。
向かった先は...............高谷城址


高谷城は
築城時期は不明ですが、南北朝時代に伊豆の豪族であった富永備前守という武士が、
土肥に築いた水軍の城が高谷城といわれています。
富永備前守の子孫も代々土肥に住み、やがて勢力を伸ばしていきます。
しかし、延徳3年(1491)小田原北条家の始祖である、伊勢新九郎盛時(北条早雲)が伊豆に侵攻すると
富永三郎左衛門尉政直は、いち早く呼応して挙兵し以後北条家臣となって活躍します。
北条水軍の幹部として各地の合戦に出陣し、江戸城の城代や栗橋城の城代に任ぜられています。
政直の子・政辰も、関東各地の合戦で活躍しましたが、
安房の里見氏との戦いである永禄7年(1564)の下総・国府台の合戦で戦死してしまいます。

政辰の子・政家は山城守と称し、北条家五家老に列せられ、
西伊豆の井田、戸田、小土肥、土肥、八木沢、小下田、宇久須の七ヶ村のほか、
相模、武蔵、上総などに領地を持つ北条家の重臣でした。
そのため政家は、小田原や江戸に在住することが多かったそうです。
城下には居館があり(富永氏館)、また水軍の船溜りが附設されていたとされています。
支城である丸山城を築き、北条水軍の要として土肥地区に勢力を覇した富永氏でしたが
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に小田原北条家と運命を共にして没落してしまいます。
当主の富永政家は、慶長12年(1607)死亡。その子・直則は徳川氏に従い
関ヶ原の戦いにも従軍して、後に徳川家旗本として家名を残したとされています。




こちらが高谷城の縄張り図

      高谷城縄張り図

      ( 余胡さんの お城のページ よりお借りしました )



高谷城址は土肥地区の北部、土肥小学校裏山附近から東に海に向かった台地一帯とされ
南麓にある諏訪神社の脇から登城するようになっているようです。

こちらご諏訪神社。

      20150930高谷城址01


      20150930高谷城址02



こちらが神社脇の登城路。

      20150930高谷城址03


いざ、参らん!
高谷城の攻略開始です。

      20150930高谷城址04


とにかく、山城だからひたすら登るだけ。 余胡さんの縄張り図だけが頼りです。

      20150930高谷城址05


      20150930高谷城址06



如何にも!って感じの登城路。
明らかに人の手による道で、とても自然のモノではない。

      20150930高谷城址07



この先が主郭虎口になるのか?

      20150930高谷城址08



主郭虎口と思われる箇所。

      20150930高谷城址09


この先は藪。
ちょっぴり躊躇して...............
でもやっぱり、この先は諦めます。

      20150930高谷城址10



こちらが主郭。

      20150930高谷城址11

やっぱり藪。
当然、潔く先への進軍は諦めます。



尾根伝いに西に移動すると、主郭と二郭を隔てる大堀切。

      20150930高谷城址12



とにかく、先に道はないので大堀切に降りてみます。

      20150930高谷城址13


この時点でどうやら道に迷ったようで...............
(って言うか、そもそも主郭から二郭、三郭へと移動する道がない)

二郭へと直上、頑張って登って行きます。

こちらが二郭。

      20150930高谷城址14



尾根伝いに歩くように二郭奥へと進軍すれば、やがて竹藪。

      20150930高谷城址15


竹藪は多少管理されていたようで、わずかに間引きの伐採の跡があり、
人が通った形跡もある。
何とか竹藪を抜け(台地を下り)、ハイキングコースに降りることが出来ました。

ハイキングコースから振り返る、今降って来た竹藪。

      20150930高谷城址16


二郭と三郭を隔てるようにハイキングコースがあり
ハイキングコースは戸田方面へと続いているようです。


ハイキングコースから眺める三郭。

      20150930高谷城址17

雑草が生い茂っている中、段郭が確認出来ます。


主郭から二郭と徘徊のごとく道に迷い山を下るのに
ちょっぴり苦労して汗ダクダク。頭は蜘蛛の巣だらけ。
さすがに三郭へとチャレンジする元気はありませんでした。

1日は始まったばかり。
この後の予定も詰まっている。
ここは体力温存とばかりに一気に台地を下りて行きます。


高谷城址遠景。

      20150930高谷城址18



台地東端に鎮座する弁天神社。

      20150930高谷城址19


この神社の裏手にあるのが出城と言われているようです。

      20150930高谷城址20

余胡さんの縄張り図では三郭に記載せれています
先ほど断念した段郭に当たるようです。


とにかく城域は広い。
道に迷いながら額に汗を浮かべ
頭には蜘蛛の巣をくっつけて..............
チョッピ悪戦苦闘した攻城でした。





2015/10/10 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit