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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............岩島第二小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

岩下菅原神社をあとにして、向かった先は.............旧・吾妻町立 岩島第二小学校。


岩島第二小学校も詳しい沿革は分かりません。

開校したのは明治34年。
平成11年に岩島第一小学校と統合して新たに岩島小学校が誕生して、
岩島第二小学校は廃校となりました。



こちらが、かつての正門跡。

      20190822岩島第二小学校01

残念ながら、門柱は在りません。
しかしながら、びいすけ の背後に見える校舎は、
木造校舎ではありませんか!!



こちらが、その木造校舎。

      20190822岩島第二小学校02



校舎の前に、重機やら資材が置かれているのが気になります。

      20190822岩島第二小学校03


      20190822岩島第二小学校04



ひょっとして、解体されてしまうのか?

      20190822岩島第二小学校05

作業服を着たオジさんに聞いてみたら
一時的に資材を置かせて貰っているだけで
解体するとかの予定は無いそうです。

ホッとひと安心。


今まで、多くの廃校を訪ねてきましたが
やはり、木造校舎を目の当たりにするとテンションは違います。

      20190822岩島第二小学校06



正直言ってかなり、テンションが上がります。

      20190822岩島第二小学校07

ですから、先人のブログを拝見して訪ねてみたら
そこに在るはずの木造が解体されて無くなっていると
テンションは思い切り下がります。


いずれ、この岩島第二小学校の校舎も解体されてしまうのでしょうか?



敷地内を散策してみましょう。

      20190822岩島第二小学校08


      20190822岩島第二小学校09



校舎の前には校歌の碑。

      20190822岩島第二小学校10


残念ながら、廃校記念碑や学校跡碑、二宮像もありませんでした。



敷地内の一角に建つ説明板。

      20190822岩島第二小学校11

岩島第二小学校の敷地には『おまき桜』と言う桜があるらしい。

エドヒガンザクラの古木で例年4月中旬ごろに満開になるそうです。
このおまき桜は推定樹齢250年、樹高22m、根元回り約6m。
東吾妻町の天然記念物に指定されているそうです。

この地域は古くから麻づくりが盛んで、
桜が咲く頃に種を蒔くと立派な麻が育つことから
『おまき桜』と呼ばれてきたそうです。


こちらが、『おまき桜』。

      20190822岩島第二小学校12



遊具も残されていない校庭。
その校庭の一角は、ゲートボール場。

      20190822岩島第二小学校13

なぜか、そのゲートボール場の片隅に置かれたローラーが
学校跡を思い切り連想させる岩島第二小学校でした...............。



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2019/09/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩島第一小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

東吾妻町の廃校ツアーは、まだまだ続きます。
2年前にこの辺りを車で走った時に見かけた廃校。
国道145線沿いにいきなり現れた廃校でした。
事前に下調べもしてなかったし、先を急いでいたから
その時は素通りしてしまいましたが、今回は一応下調べ済み。

向かった先は...............旧・吾妻町立岩島第一小学校。


下調べはしたものの、岩島第一小学校の詳しい沿革は分かりませんでした。

何人かのblogで紹介されていましたが
明治41年開校、平成11年に岩島第二小学校と統合して
閉校となったことしか分かりません。


廃校から既に20年。
おそらく、この辺りにかつての正門が在ったのでしょう。

      20190822岩島第一小学校01



廃校後、一時期は八ッ場ダムの工事関係の事務所として使われていたようです。

      20190822岩島第一小学校02



木造モルタル造りの二階建校舎。

      20190822岩島第一小学校03


      20190822岩島第一小学校04


      20190822岩島第一小学校05

首都圏周辺の学校に比べてもコンパクトな校舎。
元々の児童数の違いなんでしょう。


校舎前のブロンズ像。

      20190822岩島第一小学校06

『 かしこく たくましく 』校訓でしょうか?



校舎側面から。

      20190822岩島第一小学校07



校庭側に回ってみましょう。

      20190822岩島第一小学校08



雑草に覆われた校庭。

      20190822岩島第一小学校09



校舎の前の木々は校舎を覆うように伸び
独特な雰囲気を出している。

      20190822岩島第一小学校10


      20190822岩島第一小学校11



その雑草の上で、ゴロ〜んと横になり
背中をスリスリする びいすけ 。

      20190822岩島第一小学校12


      20190822岩島第一小学校13


よっぽど気持ちが良いのだろうか?





校庭には記念碑等もなく、
唯一残っているのは、古タイヤの遊具。

      20190822岩島第一小学校14


      20190822岩島第一小学校15



廃校記念碑、二宮像、ブランコ等の遊具類
廃校で見かける多くの遺構が全く無いけれど
ここは、紛れもなく小学校でした................。






2019/09/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校須賀尾分校(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

大柏木教場をあとにして、向かった先は.................旧・吾妻町立 坂上小学校須賀尾教場


須賀尾教場は、

明治7年     須賀尾小学校が開校する。
明治23年    坂上尋常小学校須賀尾分教場なる。
明治26年    再び独立して、菅生尋常小学校となる。
明治42年    坂上高等尋常小学校西分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校西分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立須賀尾小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立須賀尾小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校須賀尾教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


須賀尾教場も情報はなく、事前に須賀尾地区の公民館等にアタリをつけ
訪れたのが、須賀尾公民館。

これまたズバリ的中。


こちらが、須賀尾教場の正門跡。

      20190822須賀尾分校01


コンクリート製の門柱。

      20190822須賀尾分校02



その門柱には須賀尾小学校時代の表札が残っている。

      20190822須賀尾分校03







敷地奥の一段高い場所に建つ公民館。

      20190822須賀尾分校06



往時の校舎ではなく、建て替えられたものでしょう。

      20190822須賀尾分校07



公民館前には『須賀尾小学校跡』の碑。

      20190822須賀尾分校08


裏面には簡略ながら沿革も刻まれています。

      20190822須賀尾分校09


坂上小学校の分教場はほぼ同じような沿革を歩んできたようですね。




『須賀尾小学校跡』の碑よりも、敷地内の匂いが気になる びいすけ 。

      20190822須賀尾分校10



校庭。

      20190822須賀尾分校04


      20190822須賀尾分校05



校庭に残る遊具類。

      20190822須賀尾分校11


      20190822須賀尾分校12


      20190822須賀尾分校13


      20190822須賀尾分校14



匂い嗅ぎから、もっちゃん の傍らへと進む びいすけ 。

      20190822須賀尾分校15


何だかんだと言いながらも、もっちゃん が大好きな びいすけ でした。
2019/09/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大柏木教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。



大戸関所跡をあとにして、向かった先は...............吾妻町立坂上小学校大柏木教場


大柏木教場は、

明治7年     大柏木小学校が開校する。
明治20年    大柏木尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校大柏木分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校北分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校北分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立大柏木小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立大柏木小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校大柏木教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


これまた、他の教場とほぼ同じ同じような沿革。
しかしながら、これらの教場の譲歩はほとんど無く
いつものように、ヤフーマップやGoogleマップで
大字である大柏木と言う集落の公民館や集会所にアタリをつけます。
あとは、現地に行って、違ってもいたら聞きまくる。
そんな形で、今回は大柏木集落の中にある
大柏木公民館にアタリをつけて向かいます。

今回は意外に的中率が高く、大柏木公民館が教場跡でした。



かつての教場に至る石畳。

      20190822大柏木分校01


こちらが正門跡。

      20190822大柏木分校02



残念ながら門柱は無いけれど、それらしき雰囲気はある。

      20190822大柏木分校03


校庭跡。

      20190822大柏木分校04


山あいの小さな学校だったようで、敷地はそんなに広くは無い。

      20190822大柏木分校05


      20190822大柏木分校06


敷地のフェンス周りの木々が学校跡っぽい雰囲気を醸し出しています。

      20190822大柏木分校07


      20190822大柏木分校08



昭和49年に廃校。
今から45年前の事だから、校舎は既に解体され
新しく公民館が建てられました。

      20190822大柏木分校09



何故か、公民館のテラスにパイプ椅子。

      20190822大柏木分校10

学校跡を意識しているのか?(笑)


校庭には遊具も残っていなかったけれど
唯一、学校跡を確認させてくれたのが、こちらの碑。

      20190822大柏木分校11


裏面には、沿革も記されています。

      20190822大柏木分校12


そんな事は御構いなしに、フェンス沿いに匂い嗅ぎの徘徊をする びいすけ 。

      20190822大柏木分校13


その傍らには、ローラー。

      20190822大柏木分校14

紛れもなく学校跡でした。




2019/09/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大戸教場 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

密岩神社をあとにして、向かった先は.........吾妻町立坂上小学校大戸教場


大戸教場の沿革については不明です。
ただ、明治期にこの辺りが大戸村と称していた事から
明治初期に開設されたと思われます。
そもそも、この地区には、本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村があり
それぞれの向かってに小学校が在ったようです。
明治22年に本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村が合併し
坂上村が誕生しました。やがて、各校は坂上尋常小学校の分教場となったようです。
そして、昭和30年に坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、
改めて新しい原町が発足、翌年の昭和31年に原町が吾妻町と名称を変えました。
その際に、各校が独立します。
その際に、坂上小学校大戸分教場は吾妻町と大戸小学校と改称しますが
昭和47年に坂上小学校に統合され、大戸教場となります。
そして、他の教場と同じように昭和49年に本校に統合されて廃校になりました。

とまあ、こんな沿革だったようです。


数年前にまで、木造の校舎が残っていたようですが
現在は、解体されてしまいました。
廃校後、婦人服の服飾メーカーの縫製工場として利用されていたようですが
そちらも撤退されてしまい、地域の公民館として再利用していたようです。
いくつかのブログでも木造校舎が紹介されていたので
楽しみにしていたのですが、残念です。

( こんな感じの校舎だったようです。 憧憬の刻


こちらが正門跡。

      20190822大戸小学校01


正門の門柱はコンクリート製。

      20190822大戸小学校02


      20190822大戸小学校03



左右いずれの門柱にも、往時の表札が残っていました。

      20190822大戸小学校04


      20190822大戸小学校05



数年前までは、木造の校舎が残っていましたが
今は、解体されて何も無い。

      20190822大戸小学校06


      20190822大戸小学校07


      20190822大戸小学校08



正門脇の立派な桜が、学校跡を彷彿させてくれます。

      20190822大戸小学校09

この桜が地元では、ちょっぴり有名らしい。


校舎が解体されてしまったから、学校遺構が殆ど無い。
一時期、民間の縫製工場として利用されていたからか?
遊具類もないし、一連の学校関連の記念碑の類いもない。


唯一の学校遺構?

      20190822大戸小学校10

敷地の一部が、ゲートボール場として利用されているのでしょう、



フェンス沿いに匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20190822大戸小学校11

まるで、ドッグランの時の行動。



雨も一瞬、上がったようなのでカッパを脱がしてみます。

      20190822大戸小学校13



この日初めて履いた赤いゴムの靴。

      20190822大戸小学校12

よっぽど気に入ったのか?
いつもと雰囲気が違う。


そして、軽快に校庭(跡)を走り回る びいすけ 。

      20190822大戸小学校14



最近は、ドッグランに行かないし(行っても走らないし.........)
走る姿にはご無沙汰だった びいすけ 。

      20190822大戸小学校15


この日は、いつもと違う。

      20190822大戸小学校16


      20190822大戸小学校17



何たって、跳んでるし!!

      20190822大戸小学校18

びいすけ 10歳の激走です。



楽しそうな顔してるし。

      20190822大戸小学校19

いやぁ、久々のびいすけ の力走姿。


違った意味で、この大戸教場の事は忘れることがなくなりそうです。




2019/09/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit