父さんの都内散歩・御朱印巡り.................十二社熊野神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
新宿副都心街路を歩き、向かった先は.............十二社熊野神社。
十二社熊野神社は、新宿区西新宿二丁目に鎮座する神社です。
中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって
応永年間(1394年 -〜1428年)に創建されたものと伝えられています。
鈴木九郎は、代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、
現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、
人々から「中野長者」と呼ばれていたそうです。
熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされ、
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれていたそうです。
明治時代に入り、熊野神社と改称されました。
御祭神は、櫛御気野大神・伊邪那美大神。
新宿中央公園に隣接する十二社熊野神社。
こちらが、社号標。

神社社頭。

大鳥居。

手水舎。

そして、こちらが拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿正面の提灯。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。

拝殿左には鳥居。

拝殿右、新宿中央公園側の参道口に建つ社号標。

参道口には、門。

境内社。



本殿脇に飾られていた奉納酒。

熊野神社らしく、八咫烏。
こちらは、神楽殿。

御輿殿。

授与所。

御朱印は、こちらで授与出来ます。
こちらが、御朱印。

7月1日から7月31日まで期間限定ですが
『夏詣』の御朱印も拝受されるそうです。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
新宿副都心街路を歩き、向かった先は.............十二社熊野神社。
十二社熊野神社は、新宿区西新宿二丁目に鎮座する神社です。
中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって
応永年間(1394年 -〜1428年)に創建されたものと伝えられています。
鈴木九郎は、代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、
現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、
人々から「中野長者」と呼ばれていたそうです。
熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされ、
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれていたそうです。
明治時代に入り、熊野神社と改称されました。
御祭神は、櫛御気野大神・伊邪那美大神。
新宿中央公園に隣接する十二社熊野神社。
こちらが、社号標。

神社社頭。

大鳥居。

手水舎。

そして、こちらが拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿正面の提灯。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。

拝殿左には鳥居。

拝殿右、新宿中央公園側の参道口に建つ社号標。

参道口には、門。

境内社。



本殿脇に飾られていた奉納酒。

熊野神社らしく、八咫烏。
こちらは、神楽殿。

御輿殿。

授与所。

御朱印は、こちらで授与出来ます。
こちらが、御朱印。

7月1日から7月31日まで期間限定ですが
『夏詣』の御朱印も拝受されるそうです。
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2019/07/28 Sun. 00:00 |
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父さんの都内散歩・関東の道100選.................新宿副都心街路 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内の新宿区に出かけました。
新宿と言えば、西新宿の高層ビル群。
いやゆる新宿副都心って言うやつです。
その昔、まだ都庁も移転していませんでしたが
新宿住友ビルや安田生命ビルを見て、その高さに驚いたモノでした。
そんな新宿副都心に日本の道100選に選ばれた道路が在ります。
その名もズバリ!.................日本の道100選 新宿副都心街路 です。
日本の道100選は、道の日の制定を記念して、
1986年度および1987年度に、建設省と「道の日」実行委員会により制定された、
日本の特色ある優れた道路です。
100選と言いながら、実際には104の道路が選定されています。
選定された道路には、その証しとして建設省から交付された顕彰プレートが飾られています。
その『顕彰プレート』を探すのも意外に楽しいモノです。
JR新宿駅西口から新宿中央公園へと伸びる『新宿副都心街路』。

この先がJR新宿駅。
この先が新宿中央公園。

新宿駅から地下街を抜け、都庁方面へと向かい道と言った方が分かりやすいでしょうか?
都市計画街路として整備され、将来の発展を見込んで余裕ある幅員をとり、
幅40mの四号街路と一二号街路を幹線として幅30mの街路が碁盤の目のように走っています。
進行方向左側の歩道。
住友ビル前辺りに建つ『日本の道100選』の記念碑。

碑には、顕彰プレートが埋めこまれています。



顕彰プレートによれば..........
『 都市計画街路として、将来の発展を見込んだ余裕ある幅員、
地上・地下二階式の駅前広場、立体交差する街路など特色あふれるものであり、
大ビジネス街となった同地域の超高層ビル群と道路によって構成される景観は、
首都東京の新しい顔になっている 』 と記されています。
確かに、もう数十年前。
高校生の時に、この歩道を初めて歩いた時
建ち並ぶ超高層ビル群を眺め、最たる都会を認識したのが
この新宿副都心でした。



今では、超高層ビルは新宿以外に六本木や池袋にも建ち並び
東京では珍しくなくなってしまったけど
やっぱり、僕らの世代にとって、新宿って言うのは特別な街。
そして、新宿西口はいつまでも副都心です。
この日は、都内の新宿区に出かけました。
新宿と言えば、西新宿の高層ビル群。
いやゆる新宿副都心って言うやつです。
その昔、まだ都庁も移転していませんでしたが
新宿住友ビルや安田生命ビルを見て、その高さに驚いたモノでした。
そんな新宿副都心に日本の道100選に選ばれた道路が在ります。
その名もズバリ!.................日本の道100選 新宿副都心街路 です。
日本の道100選は、道の日の制定を記念して、
1986年度および1987年度に、建設省と「道の日」実行委員会により制定された、
日本の特色ある優れた道路です。
100選と言いながら、実際には104の道路が選定されています。
選定された道路には、その証しとして建設省から交付された顕彰プレートが飾られています。
その『顕彰プレート』を探すのも意外に楽しいモノです。
JR新宿駅西口から新宿中央公園へと伸びる『新宿副都心街路』。

この先がJR新宿駅。
この先が新宿中央公園。

新宿駅から地下街を抜け、都庁方面へと向かい道と言った方が分かりやすいでしょうか?
都市計画街路として整備され、将来の発展を見込んで余裕ある幅員をとり、
幅40mの四号街路と一二号街路を幹線として幅30mの街路が碁盤の目のように走っています。
進行方向左側の歩道。
住友ビル前辺りに建つ『日本の道100選』の記念碑。

碑には、顕彰プレートが埋めこまれています。



顕彰プレートによれば..........
『 都市計画街路として、将来の発展を見込んだ余裕ある幅員、
地上・地下二階式の駅前広場、立体交差する街路など特色あふれるものであり、
大ビジネス街となった同地域の超高層ビル群と道路によって構成される景観は、
首都東京の新しい顔になっている 』 と記されています。
確かに、もう数十年前。
高校生の時に、この歩道を初めて歩いた時
建ち並ぶ超高層ビル群を眺め、最たる都会を認識したのが
この新宿副都心でした。



今では、超高層ビルは新宿以外に六本木や池袋にも建ち並び
東京では珍しくなくなってしまったけど
やっぱり、僕らの世代にとって、新宿って言うのは特別な街。
そして、新宿西口はいつまでも副都心です。
2019/07/27 Sat. 15:00 |
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父さんの都内散歩・七福神巡り.................成子天神社七福神 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内の新宿区に出かけました。
新宿区の御朱印巡りと称し、訪れた成子天神社。
この成子天神社には、境内に七福神の像が置かれていて
1社で七福神全てがお詣り出来ると言う便利(?)の良さ。
七福神好きとしては、放って置くことは出来ません。
成子天神社の社号標。

社殿へと続く参道を進みます。
手水舎。

神門。

そして、拝殿。

肝心の七福神の像は、参道から境内へと点在してしています。
それでは、順にお詣りしていきましょう。
布袋尊。

布袋尊は、弥勒菩薩の化身と言われ、
いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、
信仰の厚い人に与えられたと言われています。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚いとされています。
寿老人。

寿老人は星の化身で、にこやかな微笑みを称え、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、
鹿を従えた姿が一般的に知られています。
団扇は難を払い、桃は長寿の証しで、鹿もまた長寿の象徴てされています。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。
福禄寿。

福禄寿は、幸福の『福』、身分をあらわす『禄』、
寿命を表わす『寿』の三文字からなり、中国、道教の長寿神です。
南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、
人々の信仰を集めたと言われる仙人です。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶを持ち、年齢は千歳と言われています。
長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、
招徳人望の神様として信仰されています。
弁財天。

弁財天は、七福神の中で、唯一の女神です。
元々はインド河(水)の神でしたが、やがて音楽の神、言語の神となり、
日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収されて、弁財天と呼ばれるようになり、
財宝を授けてくださる神へとなったとされています。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。
毘沙門天。

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、
七福神の中で、唯一の武将の姿をしています。
右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけています。
七福神では、融通招福の神として信仰されています。
大黒天。

大黒天は、大自在天の化身とも言われ、大国主命と神仏習合したものです。
一度仏となりましたが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたとされています。
大地を掌握する神様(農業)でもあり、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が一般によく知られています。
財宝、福徳開運の神様として信仰されています。
恵比寿天。

七福神の中で唯一の日本の神様とされています。
イザナミノミコト、イザナギノミコトの二神の第三子と言われ、
満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、
信仰の始まりと伝えられています。
左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持った漁業の神ですが、
特に商売繁昌の神様としても信仰が厚いとされています。
これで、成子天神社の七福神も全て参拝することご出来ました。
噂によれば(って言うか、授与所の巫女さんの話では)、
今年の正月の七福神の時期に、期間限定ですが
成子七福神の御朱印が拝受されたらしいです。
来年は、ぜひ御朱印を拝受したいものです。
この日は、都内の新宿区に出かけました。
新宿区の御朱印巡りと称し、訪れた成子天神社。
この成子天神社には、境内に七福神の像が置かれていて
1社で七福神全てがお詣り出来ると言う便利(?)の良さ。
七福神好きとしては、放って置くことは出来ません。
成子天神社の社号標。

社殿へと続く参道を進みます。
手水舎。

神門。

そして、拝殿。

肝心の七福神の像は、参道から境内へと点在してしています。
それでは、順にお詣りしていきましょう。
布袋尊。

布袋尊は、弥勒菩薩の化身と言われ、
いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、
信仰の厚い人に与えられたと言われています。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚いとされています。
寿老人。

寿老人は星の化身で、にこやかな微笑みを称え、
手には巻物を括り付けた杖、そして団扇や桃などを持ち、
鹿を従えた姿が一般的に知られています。
団扇は難を払い、桃は長寿の証しで、鹿もまた長寿の象徴てされています。
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。
福禄寿。

福禄寿は、幸福の『福』、身分をあらわす『禄』、
寿命を表わす『寿』の三文字からなり、中国、道教の長寿神です。
南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、
人々の信仰を集めたと言われる仙人です。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶを持ち、年齢は千歳と言われています。
長寿、幸福の徳を持ち、鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖を持ち、
招徳人望の神様として信仰されています。
弁財天。

弁財天は、七福神の中で、唯一の女神です。
元々はインド河(水)の神でしたが、やがて音楽の神、言語の神となり、
日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収されて、弁財天と呼ばれるようになり、
財宝を授けてくださる神へとなったとされています。
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。
毘沙門天。

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」といい、
七福神の中で、唯一の武将の姿をしています。
右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけています。
七福神では、融通招福の神として信仰されています。
大黒天。

大黒天は、大自在天の化身とも言われ、大国主命と神仏習合したものです。
一度仏となりましたが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたとされています。
大地を掌握する神様(農業)でもあり、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が一般によく知られています。
財宝、福徳開運の神様として信仰されています。
恵比寿天。

七福神の中で唯一の日本の神様とされています。
イザナミノミコト、イザナギノミコトの二神の第三子と言われ、
満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられ捨てられてしまい、
やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀れれたのが、
信仰の始まりと伝えられています。
左手に鯛を抱え、右手に釣竿を持った漁業の神ですが、
特に商売繁昌の神様としても信仰が厚いとされています。
これで、成子天神社の七福神も全て参拝することご出来ました。
噂によれば(って言うか、授与所の巫女さんの話では)、
今年の正月の七福神の時期に、期間限定ですが
成子七福神の御朱印が拝受されたらしいです。
来年は、ぜひ御朱印を拝受したいものです。
2019/07/27 Sat. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................成子天神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
鎧神社をあとにして、向かった先は.............成子天神社。
成子天神社は、新宿区西新宿に鎮座する神社です。
創建は平安時代前期の延喜3年(903年)とされています。
当時、柏木鳴子の地に大神宮が祀られていました。
菅原道真の訃報を受けた家臣の佐伯斎宮は、これを嘆き、
生前菅公が彫った自像を持ち帰り、神社の基礎を定め奉斎したとされています。
江戸時代に入り寛文元年(1661年)、それまで鎮座していた柏木村から
鳴子村が分村するにあたり、鳴子村の鎮守として現在地に遷座しました。
明治維新後は北野神社と称しましたが、明治27年に成子神社と改称し、
昭和3年に現社号の成子天神社に改称しました。
御祭神は、菅原道真公。
社号標。

参道に建つ由緒書き。

参道の朱の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

随身門(?)

随身門だと思うのだけれど、門には随身像ではなく
風神・雷神の像。


神社で風神像・雷神像を見たのは初めてです。
ちょっとした、新しい発見。
随身門の先には拝殿。

参道の撫で牛。

拝殿前の狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


こちらは、本殿裏手の参道口。

裏参道になるのでしょうか?
裏参道口(?)には色々と注意書き。

この成子天神社も びいすけ はNGですね。
境内社・大神宮。

境内社・大鳥神社。

境内社・成子稲荷神社。

境内社・水神宮。

境内社・浅間神社。

そして、こちらは富士塚。

成子天神社の富士塚は、新宿区内一の大きさを誇る富士塚。

せっかくだから、登ってみました、、

富士塚から眺める社殿。

再び、境内に戻ります。
こちらは、御輿庫。

神楽殿。

御神木。


三柱鳥居で囲まれた井戸。

参道に置かれていた鬼瓦。

同じく、参道に置かれていた神額。

こちらが授与所。

御朱印は、こちらで対応されています。
御朱印は2種類。
こちらが、御朱印帳に墨書きして頂いた御朱印。

そして、こちらが
書き置き版ですが、見開きサイズの御朱印。

さすがに1000円は、ちょっと高いでしょ?と思ったのは
ひょっとして、私だけ.................?
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
鎧神社をあとにして、向かった先は.............成子天神社。
成子天神社は、新宿区西新宿に鎮座する神社です。
創建は平安時代前期の延喜3年(903年)とされています。
当時、柏木鳴子の地に大神宮が祀られていました。
菅原道真の訃報を受けた家臣の佐伯斎宮は、これを嘆き、
生前菅公が彫った自像を持ち帰り、神社の基礎を定め奉斎したとされています。
江戸時代に入り寛文元年(1661年)、それまで鎮座していた柏木村から
鳴子村が分村するにあたり、鳴子村の鎮守として現在地に遷座しました。
明治維新後は北野神社と称しましたが、明治27年に成子神社と改称し、
昭和3年に現社号の成子天神社に改称しました。
御祭神は、菅原道真公。
社号標。

参道に建つ由緒書き。

参道の朱の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

随身門(?)

随身門だと思うのだけれど、門には随身像ではなく
風神・雷神の像。


神社で風神像・雷神像を見たのは初めてです。
ちょっとした、新しい発見。
随身門の先には拝殿。

参道の撫で牛。

拝殿前の狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


こちらは、本殿裏手の参道口。

裏参道になるのでしょうか?
裏参道口(?)には色々と注意書き。

この成子天神社も びいすけ はNGですね。
境内社・大神宮。

境内社・大鳥神社。

境内社・成子稲荷神社。

境内社・水神宮。

境内社・浅間神社。

そして、こちらは富士塚。

成子天神社の富士塚は、新宿区内一の大きさを誇る富士塚。

せっかくだから、登ってみました、、

富士塚から眺める社殿。

再び、境内に戻ります。
こちらは、御輿庫。

神楽殿。

御神木。


三柱鳥居で囲まれた井戸。

参道に置かれていた鬼瓦。

同じく、参道に置かれていた神額。

こちらが授与所。

御朱印は、こちらで対応されています。
御朱印は2種類。
こちらが、御朱印帳に墨書きして頂いた御朱印。

そして、こちらが
書き置き版ですが、見開きサイズの御朱印。

さすがに1000円は、ちょっと高いでしょ?と思ったのは
ひょっとして、私だけ.................?
2019/07/26 Fri. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................鎧神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
皆中稲荷神社をあとにして、向かった先は.............鎧神社。
鎧神社は、新宿区北新宿に鎮座する神社です。
醍醐天皇の御代(897~930)、貞崇僧都が行基作と伝えられる薬師如来像を
この地に安置し薬師堂(後の円照寺、当社元別当寺)を建立した際、
鬼門鎮護のため当社が創建されたとされています。
またそれ以前より当地に伝わる伝説として、
日本武尊が東征の際、甲冑六具をこの地に蔵めたというものがあり、
これが社号の由来されているそうです。
また、別な説として天慶3年(940年)、藤原秀郷により討たれた平将門の鎧が
この地に埋められたという説もあり、江戸時代までは鎧大明神と称され、
旧・柏木村の鎮守社として村人の崇敬を受けてきたそうです。
御祭神は、日本武命・大己貴命・少彦名命・平将門公。
こちらが、社号標。

神社社頭。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居脇、玉垣前に建つ由緒書き。

参道。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿正面に飾られた提灯。

拝殿前の狛犬。


そして、こちらが本殿。

本殿脇の参道口。

裏参道になるんでしょうか?
裏参道口(?)の社号標。

裏参道口(?)の狛犬。


境内社・天神社。


同じく境内社・稲荷神社、三峯神社.子の権現の合祀祠。

こちらは、神楽殿。

御輿庫。

こちらが、授与所。

御朱印は、こちらで対応していただけます。
この日は、宮司さんが不在で書き置き対応。

こちらが、鎧神社の御朱印。

書き置き版でも全然問題ありません。
ありがたく、拝受させていただきました。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
皆中稲荷神社をあとにして、向かった先は.............鎧神社。
鎧神社は、新宿区北新宿に鎮座する神社です。
醍醐天皇の御代(897~930)、貞崇僧都が行基作と伝えられる薬師如来像を
この地に安置し薬師堂(後の円照寺、当社元別当寺)を建立した際、
鬼門鎮護のため当社が創建されたとされています。
またそれ以前より当地に伝わる伝説として、
日本武尊が東征の際、甲冑六具をこの地に蔵めたというものがあり、
これが社号の由来されているそうです。
また、別な説として天慶3年(940年)、藤原秀郷により討たれた平将門の鎧が
この地に埋められたという説もあり、江戸時代までは鎧大明神と称され、
旧・柏木村の鎮守社として村人の崇敬を受けてきたそうです。
御祭神は、日本武命・大己貴命・少彦名命・平将門公。
こちらが、社号標。

神社社頭。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居脇、玉垣前に建つ由緒書き。

参道。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿正面に飾られた提灯。

拝殿前の狛犬。


そして、こちらが本殿。

本殿脇の参道口。

裏参道になるんでしょうか?
裏参道口(?)の社号標。

裏参道口(?)の狛犬。


境内社・天神社。


同じく境内社・稲荷神社、三峯神社.子の権現の合祀祠。

こちらは、神楽殿。

御輿庫。

こちらが、授与所。

御朱印は、こちらで対応していただけます。
この日は、宮司さんが不在で書き置き対応。

こちらが、鎧神社の御朱印。

書き置き版でも全然問題ありません。
ありがたく、拝受させていただきました。
2019/07/26 Fri. 00:00 |
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父さんの都内散歩.................皆中稲荷神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
夫婦木神社をあとにして、向かった先は.............皆中稲荷神社。
皆中稲荷神社は、新宿区百人町に鎮座する神社です。
天文2年(1533年)稲荷之大神を奉斎したのが創建とされています。
寛永年間、徳川幕府が鉄砲組百人隊を現在の新宿区百人町に駐屯させた頃より
皆中稲荷と称されたと伝えられています。
鉄砲組与力の一人が射撃の技術向上に思い悩んでいたある日の晩、
稲荷大明神が夢枕に立ち射撃を伝授したそうです。
翌朝、不可解なまま当社を参拝し、大矢場にて射撃を行ったところ
百発百中の結果を残しました。
これを見た他の旗本達が競って霊符を受け射撃をしたところ、
ことごとく的に命中したと伝わり、その霊験が評判となりました。
その後『当たる』ものに利益があると人気を集め、
現在は『賭けごとの神』として信仰を集めているそうです。
御祭神は、宇迦之御魂神。
こちらが社号標。

神社社頭。

手水舎。

さすが、『賭け事の神様』。
土曜日と言う事もあってか、参拝者も多い。
参道の狛犬。


社殿は参道からだと左向き。
社殿前の鳥居。

こちらが拝殿。

別アングルからの拝殿。

社殿前に飾られた提灯。

拝殿前の狛犬。


こちらは神楽殿。

境内の百度石。

こちらが授与所。

御守りが人気あるのか?
それなりに列が出来ています。
数年前のブログ等を見る限り、御朱印も対応されていたようですが
授与所には『御朱印はしていません』と貼紙が...............
御朱印を求めに来た2人連れのご婦人が貼紙を見て
『え〜っ! 御朱印ないの?』って言っていたけど
まさに、同じ感覚。
残念だなぁ............
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
夫婦木神社をあとにして、向かった先は.............皆中稲荷神社。
皆中稲荷神社は、新宿区百人町に鎮座する神社です。
天文2年(1533年)稲荷之大神を奉斎したのが創建とされています。
寛永年間、徳川幕府が鉄砲組百人隊を現在の新宿区百人町に駐屯させた頃より
皆中稲荷と称されたと伝えられています。
鉄砲組与力の一人が射撃の技術向上に思い悩んでいたある日の晩、
稲荷大明神が夢枕に立ち射撃を伝授したそうです。
翌朝、不可解なまま当社を参拝し、大矢場にて射撃を行ったところ
百発百中の結果を残しました。
これを見た他の旗本達が競って霊符を受け射撃をしたところ、
ことごとく的に命中したと伝わり、その霊験が評判となりました。
その後『当たる』ものに利益があると人気を集め、
現在は『賭けごとの神』として信仰を集めているそうです。
御祭神は、宇迦之御魂神。
こちらが社号標。

神社社頭。

手水舎。

さすが、『賭け事の神様』。
土曜日と言う事もあってか、参拝者も多い。
参道の狛犬。


社殿は参道からだと左向き。
社殿前の鳥居。

こちらが拝殿。

別アングルからの拝殿。

社殿前に飾られた提灯。

拝殿前の狛犬。


こちらは神楽殿。

境内の百度石。

こちらが授与所。

御守りが人気あるのか?
それなりに列が出来ています。
数年前のブログ等を見る限り、御朱印も対応されていたようですが
授与所には『御朱印はしていません』と貼紙が...............
御朱印を求めに来た2人連れのご婦人が貼紙を見て
『え〜っ! 御朱印ないの?』って言っていたけど
まさに、同じ感覚。
残念だなぁ............
2019/07/25 Thu. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................夫婦木神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
稲荷鬼王神社をあとにして、向かった先は.............夫婦木神社。
夫婦木神社は、新宿区西大久保に鎮座する神社です。
創建時期等、詳細な由緒は不明ですが、江戸築城の際に太田道潅によって祀られ、
江戸時代初めに紀州藩の邸内に遷座されたと伝わっているそうです。
昭和40年(1965年)、淡路島の伊弉諾神宮より御分霊を勧請し、
縁結び・結婚・子宝・安産祈願などの御利益があるとされています。
御祭神は、伊邪那岐大神・伊邪那美大神。
こちらが、神社社頭。

思っていた以上に小振りと言うか、コンパクトな神社。

まるでアパートの2階にに上がっていくような感じで
社殿へと上がって行きます。

ちょうど、若い夫婦が子宝祈願でしょうか?
拝殿で祈願されていたので、下に降りて待機しています。
神職さん一人で対応されているようで、階下の授与所には誰もいません。
若い夫婦が帰った後に社殿で声を掛けると
弾性一人でお詣りに来るのは珍しいと言われました。

せっかくだからと、社殿に向かって参拝していると
神職さんが軽くお祓いをして下さりました。
こちらは、境内社。

そして、こちらが授与所。

御朱印は、こちらで拝受いたしました。
こちらが、その御朱印。

書き置きの御朱印に日付を入れて、
御朱印帳に丁寧に貼り付けて頂きました。
ありがとうございました。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
稲荷鬼王神社をあとにして、向かった先は.............夫婦木神社。
夫婦木神社は、新宿区西大久保に鎮座する神社です。
創建時期等、詳細な由緒は不明ですが、江戸築城の際に太田道潅によって祀られ、
江戸時代初めに紀州藩の邸内に遷座されたと伝わっているそうです。
昭和40年(1965年)、淡路島の伊弉諾神宮より御分霊を勧請し、
縁結び・結婚・子宝・安産祈願などの御利益があるとされています。
御祭神は、伊邪那岐大神・伊邪那美大神。
こちらが、神社社頭。

思っていた以上に小振りと言うか、コンパクトな神社。

まるでアパートの2階にに上がっていくような感じで
社殿へと上がって行きます。

ちょうど、若い夫婦が子宝祈願でしょうか?
拝殿で祈願されていたので、下に降りて待機しています。
神職さん一人で対応されているようで、階下の授与所には誰もいません。
若い夫婦が帰った後に社殿で声を掛けると
弾性一人でお詣りに来るのは珍しいと言われました。

せっかくだからと、社殿に向かって参拝していると
神職さんが軽くお祓いをして下さりました。
こちらは、境内社。

そして、こちらが授与所。

御朱印は、こちらで拝受いたしました。
こちらが、その御朱印。

書き置きの御朱印に日付を入れて、
御朱印帳に丁寧に貼り付けて頂きました。
ありがとうございました。
2019/07/25 Thu. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り................稲荷鬼王神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
抜弁天 厳島神社をあとにして、向かった先は.............稲荷鬼王社。
稲荷鬼王神社は、新宿区歌舞伎町二丁目に鎮座する神社です。
世界に誇るアジア一番の歓楽街である新宿歌舞伎町。
その歌舞伎町に鎮座する神社です。
歌舞伎町に神社があること自体、ちょっぴり驚きです。
ましてや、歌舞伎町二丁目ともなれば、余計に驚きです。
天保2年(1831年)、大久保村の氏神であった稲荷神と、
熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、
稲荷鬼王神社となったそうです。
御祭神は、宇迦之御魂神、
月夜見命・大物主命・天手力男命。
神社脇から。
玉垣に並ぶ提灯。

フェンスがちょっぴり邪魔だけど.............社号標。

神社社頭。
鳥居前。

狛犬?
それとも神使いの狐?

犬のようにも見えるし、狐のようにも見える。
う〜む、微妙(笑)。

参道。

そして、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿脇には由緒書き。

こちらは、どう見たって狛犬。
拝殿前に鎮座しています。


境内社・三島神社。

この三島神社は恵比寿神として、新宿山ノ手七福神の一つに数えられる。

毎年10月19・20日の大祭「恵比寿祭」では、
境内にべったら漬を売る露天などが並び賑わうそうです。
恵比寿神社の提灯も飾られています。

鳥居の神額にも『恵比寿神社』。

でも、正式には『三島神社』らしい。
三島神社の手水鉢。

こちらが社殿。

社号標になるのか?

こちらにも『恵比寿神社』と刻まれています。
不思議?
本当に三島神社なのかなぁ?
こちらが、稲荷鬼王神社の御朱印。

新宿山ノ手七福神の恵比寿神の御朱印もあるそうですが
七福神専用の御朱印帳が丁度その前の抜弁天 厳島神社の御朱印で
書き終えてしまったので、半紙(書き置き)でお願いしたら
御朱印帳か専用の色紙にしか書かないと言われ、今回は諦めました。
まあ、いつか新宿山ノ手七福神巡りもチャレンジするつもりなので
その時にでも拝受する事にいたしましょう。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
抜弁天 厳島神社をあとにして、向かった先は.............稲荷鬼王社。
稲荷鬼王神社は、新宿区歌舞伎町二丁目に鎮座する神社です。
世界に誇るアジア一番の歓楽街である新宿歌舞伎町。
その歌舞伎町に鎮座する神社です。
歌舞伎町に神社があること自体、ちょっぴり驚きです。
ましてや、歌舞伎町二丁目ともなれば、余計に驚きです。
天保2年(1831年)、大久保村の氏神であった稲荷神と、
熊野から勧請されていた鬼王権現を合祀し、
稲荷鬼王神社となったそうです。
御祭神は、宇迦之御魂神、
月夜見命・大物主命・天手力男命。
神社脇から。
玉垣に並ぶ提灯。

フェンスがちょっぴり邪魔だけど.............社号標。

神社社頭。
鳥居前。

狛犬?
それとも神使いの狐?

犬のようにも見えるし、狐のようにも見える。
う〜む、微妙(笑)。

参道。

そして、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿脇には由緒書き。

こちらは、どう見たって狛犬。
拝殿前に鎮座しています。


境内社・三島神社。

この三島神社は恵比寿神として、新宿山ノ手七福神の一つに数えられる。

毎年10月19・20日の大祭「恵比寿祭」では、
境内にべったら漬を売る露天などが並び賑わうそうです。
恵比寿神社の提灯も飾られています。

鳥居の神額にも『恵比寿神社』。

でも、正式には『三島神社』らしい。
三島神社の手水鉢。

こちらが社殿。

社号標になるのか?

こちらにも『恵比寿神社』と刻まれています。
不思議?
本当に三島神社なのかなぁ?
こちらが、稲荷鬼王神社の御朱印。

新宿山ノ手七福神の恵比寿神の御朱印もあるそうですが
七福神専用の御朱印帳が丁度その前の抜弁天 厳島神社の御朱印で
書き終えてしまったので、半紙(書き置き)でお願いしたら
御朱印帳か専用の色紙にしか書かないと言われ、今回は諦めました。
まあ、いつか新宿山ノ手七福神巡りもチャレンジするつもりなので
その時にでも拝受する事にいたしましょう。
2019/07/24 Wed. 15:00 |
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父さんの都内散歩・七福神巡り................抜弁天 厳島神社《新宿山の手七福神 弁財天》 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
西向天神社をあとにして、向かった先は.............抜弁天 厳島神社。
抜弁天 厳島神社は、新宿区余丁町に鎮座する神社です。
通称、抜弁天と称し新宿山ノ手七福神の弁財天を祀る神社として知られています。
応徳3年(1086年)、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で
奥州平定に向かう途中この場所に宿営したそうです。
この場所はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、
この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先にある安芸に鎮座する厳島神社に
その戦勝を祈願したそうです。
奥州平定を成し遂げた義家は、その帰途、戦勝のお礼のために
この地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられています。
この義家の奥州平定の戦勝のお礼の神社建立の話は
都内の神社の由緒では良く耳にする話です。
一体、義家は幾つの神社を建立したのでしょう?
義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、
境内参道が南北に通り抜けできることから『抜弁天』とも呼ばれ、
江戸の六弁天に数えられるそうです。
因みに、徳川綱吉による生類憐れみの令により
付近に野犬のための2万5千坪の犬小屋が設置されていたそうです。
御祭神は、市杵島姫命。
実は、西向天神社の社務所の方から教えてもらって、
こちらの御朱印と新宿山ノ手七福神の事を知りました。
西向天神社からも近いと言われ、立ち寄ってみることにしました。
『抜弁天』と言う名は何度か耳にした事があるから
それなりに大きな神社だと思ってしまったけど............
交差点(三叉路)の角にある、こじんまりとした神社でした。

神社社頭。

鳥居脇の由緒書きと言うか、説明板。

こちらは、手水舎。

定番の龍の吐出口。

境内はコンパクトですが、社殿もコンパクト。


別アングルから。

三叉路の反対側にも鳥居が建つ。

その鳥居の脇には社務所。

こちらのしゃむしは普段は無人。
正月期間の七福神詣りの際に開いているそうです。
こちらが、新宿山ノ手七福神 弁財天の御朱印。

本務社の西向天神社にて拝受いたしました。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
西向天神社をあとにして、向かった先は.............抜弁天 厳島神社。
抜弁天 厳島神社は、新宿区余丁町に鎮座する神社です。
通称、抜弁天と称し新宿山ノ手七福神の弁財天を祀る神社として知られています。
応徳3年(1086年)、鎮守府将軍・源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083~1087)で
奥州平定に向かう途中この場所に宿営したそうです。
この場所はこの地域で最も高い場所であり、かつては富士山もよく見えたようで、
この時、義家も遠く富士山を望み、さらにその先にある安芸に鎮座する厳島神社に
その戦勝を祈願したそうです。
奥州平定を成し遂げた義家は、その帰途、戦勝のお礼のために
この地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられています。
この義家の奥州平定の戦勝のお礼の神社建立の話は
都内の神社の由緒では良く耳にする話です。
一体、義家は幾つの神社を建立したのでしょう?
義家がこの地に立ち寄り祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、
境内参道が南北に通り抜けできることから『抜弁天』とも呼ばれ、
江戸の六弁天に数えられるそうです。
因みに、徳川綱吉による生類憐れみの令により
付近に野犬のための2万5千坪の犬小屋が設置されていたそうです。
御祭神は、市杵島姫命。
実は、西向天神社の社務所の方から教えてもらって、
こちらの御朱印と新宿山ノ手七福神の事を知りました。
西向天神社からも近いと言われ、立ち寄ってみることにしました。
『抜弁天』と言う名は何度か耳にした事があるから
それなりに大きな神社だと思ってしまったけど............
交差点(三叉路)の角にある、こじんまりとした神社でした。

神社社頭。

鳥居脇の由緒書きと言うか、説明板。

こちらは、手水舎。

定番の龍の吐出口。

境内はコンパクトですが、社殿もコンパクト。


別アングルから。

三叉路の反対側にも鳥居が建つ。

その鳥居の脇には社務所。

こちらのしゃむしは普段は無人。
正月期間の七福神詣りの際に開いているそうです。
こちらが、新宿山ノ手七福神 弁財天の御朱印。

本務社の西向天神社にて拝受いたしました。
2019/07/24 Wed. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り................西向天神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
花園神社をあとにして、向かった先は.............西向天神社。
西向天神社は、新宿区新宿六丁目に鎮座する神社です。
安貞2年(1228年)に栂尾明恵上人が創建したと伝えられ、
菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したもので
社殿が西方(京都)を向いていたため西向天神と呼ばれたそうです。
古くから東大久保村の鎮守社であり、
かつては大久保天満宮と言われていたそうです。
御祭神は、菅原道真公。
花園神社から、さほど離れてはいなく、明治通りを超えたちょっと先、
花園神社から十分に徒歩圏内の距離です。
こちらが、社号標。

神社社頭の一の鳥居。

一の鳥居手前の提灯。

一の鳥居背後の狛犬。


石段を上がった先に二の鳥居。

鳥居脇には手水舎。

そして、正面には拝殿。


拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿前の狛犬。


こちらは、拝殿前の天水桶。

社殿右側の参道口。

社殿が西向きと言う事だから、北参道になるんでしょうか?
境内の神楽殿。

社殿の左手には不動明王の石像。

神仏習合の名残りでしょうか?
百度石。

社務所前の石碑。

こちらが社務所。

御朱印は、こちらで授与出来ます。
そして、こちらが西向天神社の御朱印。

兼務社である抜弁天厳島神社の御朱印(新宿山ノ手七福神 弁財天)も
こちらで頂けます。
西向天神社は、東都七天神の一つ。
『東都七天神』は江戸後期の絵師、十返舎一九の書作の中に登場する江戸の天神社・天満宮7社。
すべて東京23区内にあり、実は秘かに全ての参拝を試みていました。
五條天神社(台東区)
平河天満宮(千代田区)
湯島天満宮(文京区)
関屋天満宮(足立区)(氷川神社境内社)
牛天神北野神社(文京区)
亀戸天神社(江東区)
と参拝し、本日 西向天神社(新宿)も参拝し
これで、東都七天神も全て参拝することが出来ました。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
びいすけ父さんの都内散歩。
新宿区の御朱印拝受の神社巡りです。
花園神社をあとにして、向かった先は.............西向天神社。
西向天神社は、新宿区新宿六丁目に鎮座する神社です。
安貞2年(1228年)に栂尾明恵上人が創建したと伝えられ、
菅原道真を祀った京都の北野天満宮を勧請したもので
社殿が西方(京都)を向いていたため西向天神と呼ばれたそうです。
古くから東大久保村の鎮守社であり、
かつては大久保天満宮と言われていたそうです。
御祭神は、菅原道真公。
花園神社から、さほど離れてはいなく、明治通りを超えたちょっと先、
花園神社から十分に徒歩圏内の距離です。
こちらが、社号標。

神社社頭の一の鳥居。

一の鳥居手前の提灯。

一の鳥居背後の狛犬。


石段を上がった先に二の鳥居。

鳥居脇には手水舎。

そして、正面には拝殿。


拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


拝殿前の狛犬。


こちらは、拝殿前の天水桶。

社殿右側の参道口。

社殿が西向きと言う事だから、北参道になるんでしょうか?
境内の神楽殿。

社殿の左手には不動明王の石像。

神仏習合の名残りでしょうか?
百度石。

社務所前の石碑。

こちらが社務所。

御朱印は、こちらで授与出来ます。
そして、こちらが西向天神社の御朱印。

兼務社である抜弁天厳島神社の御朱印(新宿山ノ手七福神 弁財天)も
こちらで頂けます。
西向天神社は、東都七天神の一つ。
『東都七天神』は江戸後期の絵師、十返舎一九の書作の中に登場する江戸の天神社・天満宮7社。
すべて東京23区内にあり、実は秘かに全ての参拝を試みていました。
五條天神社(台東区)
平河天満宮(千代田区)
湯島天満宮(文京区)
関屋天満宮(足立区)(氷川神社境内社)
牛天神北野神社(文京区)
亀戸天神社(江東区)
と参拝し、本日 西向天神社(新宿)も参拝し
これで、東都七天神も全て参拝することが出来ました。
2019/07/23 Tue. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り................花園神社 (2019年6月1日)(東京都新宿区)
6月1日
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
新宿区の神社巡り。
御朱印拝受の参拝です。
JRの新宿区駅で山手線を降り、向かった先は............花園神社。
花園神社は、新宿区新宿5丁目に鎮座する神社です。
創建時期等は不明ですが、徳川家康が江戸に入った1590年には既に存在しており、
大和国吉野山よりの勧請と伝えられています。
その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祀られるようになったとされています。
倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る神社です。
社地は、徳川御三家筆頭・尾張藩下屋敷庭の一部で、
多くの花が咲き誇る美しい花園の跡であったとされ、
これが由来となり花園稲荷神社と称されたそうです。
また、江戸時代には別称も多く、三光院稲荷や
地名に因んだ四谷追分稲荷、または単に稲荷神社等とも呼ばれていたようです。
昭和3年に新宿4丁目に鎮座していた雷電稲荷神社を合祀し、
昭和40年に現在のコンクリート造の社殿が再造営され、
その際に末社・大鳥神社を本殿に合祀して、社号を「花園神社」に改称しました。
靖国通り側の参道口の社号標。
西参道になるんでしょうか?

靖国通り側の社頭になります。

鳥居に掲げられた神額。

参道に建つ由緒書き。

狛犬。


こちらの狛犬は『唐獅子』と呼ばれ、
文政4年(1821年)に名工・村田整珉により鋳造された銅の唐獅子で、
新宿区の有形文化財として登録されているそうです。

こちらの参道は両脇がビル。
そのため、陽射しが遮られ、昼間でも暗い。
西参道(?)の二の鳥居。

そして、三の鳥居。

こちらが、明治通り側の参道口の社号標。

社殿の正面にあたるから、表参道になるんでしょうか?
表参道(?)社頭。

赤い大鳥居。
新宿区内で一番大きな鳥居らしい。
神社社頭の掲示板。

例の『定』が記されています。
大鳥居手前には狛犬。


参道左手には、手水舎。

手水舎の対面(参道右側)には神楽殿。

そして、正面には拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた3枚の扁額。
真ん中に『花園神社』。

向かって右には、『大鳥神社』。

向かって左には『雷電神社』。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の天水桶。

こちらは、本殿裏手の参道口。
裏参道になるんでしょうか?

鳥居脇の狛犬。


境内社・威徳稲荷神社


建ち並ぶ赤い小さな鳥居が稲荷神社らしさを感じます。
境内社・雷電稲荷神社。

納め大明神。

古くなった神札及び神符を納める場所です。
こちらは、御輿庫。

こちらは、宝物殿。

こちらが授与所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
朝の9時半。
今朝から3人目の御朱印のようです。

そして、頂いた御朱印がこちら。

『大鳥神社』を合祀したから酉の市でも有名な花園神社。
酉の市の日には、酉の市限定の御朱印も拝受されるそうだから
酉の市の御朱印を拝受したいものです。
この日は、都内・新宿区へ出かけました。
新宿区の神社巡り。
御朱印拝受の参拝です。
JRの新宿区駅で山手線を降り、向かった先は............花園神社。
花園神社は、新宿区新宿5丁目に鎮座する神社です。
創建時期等は不明ですが、徳川家康が江戸に入った1590年には既に存在しており、
大和国吉野山よりの勧請と伝えられています。
その後、当地に内藤新宿が開かれるとその鎮守として祀られるようになったとされています。
倉稲魂命(花園神社)・日本武尊(大鳥神社)・受持神(雷電神社)の3柱の神を祀る神社です。
社地は、徳川御三家筆頭・尾張藩下屋敷庭の一部で、
多くの花が咲き誇る美しい花園の跡であったとされ、
これが由来となり花園稲荷神社と称されたそうです。
また、江戸時代には別称も多く、三光院稲荷や
地名に因んだ四谷追分稲荷、または単に稲荷神社等とも呼ばれていたようです。
昭和3年に新宿4丁目に鎮座していた雷電稲荷神社を合祀し、
昭和40年に現在のコンクリート造の社殿が再造営され、
その際に末社・大鳥神社を本殿に合祀して、社号を「花園神社」に改称しました。
靖国通り側の参道口の社号標。
西参道になるんでしょうか?

靖国通り側の社頭になります。

鳥居に掲げられた神額。

参道に建つ由緒書き。

狛犬。


こちらの狛犬は『唐獅子』と呼ばれ、
文政4年(1821年)に名工・村田整珉により鋳造された銅の唐獅子で、
新宿区の有形文化財として登録されているそうです。

こちらの参道は両脇がビル。
そのため、陽射しが遮られ、昼間でも暗い。
西参道(?)の二の鳥居。

そして、三の鳥居。

こちらが、明治通り側の参道口の社号標。

社殿の正面にあたるから、表参道になるんでしょうか?
表参道(?)社頭。

赤い大鳥居。
新宿区内で一番大きな鳥居らしい。
神社社頭の掲示板。

例の『定』が記されています。
大鳥居手前には狛犬。


参道左手には、手水舎。

手水舎の対面(参道右側)には神楽殿。

そして、正面には拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた3枚の扁額。
真ん中に『花園神社』。

向かって右には、『大鳥神社』。

向かって左には『雷電神社』。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の天水桶。

こちらは、本殿裏手の参道口。
裏参道になるんでしょうか?

鳥居脇の狛犬。


境内社・威徳稲荷神社


建ち並ぶ赤い小さな鳥居が稲荷神社らしさを感じます。
境内社・雷電稲荷神社。

納め大明神。

古くなった神札及び神符を納める場所です。
こちらは、御輿庫。

こちらは、宝物殿。

こちらが授与所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
朝の9時半。
今朝から3人目の御朱印のようです。

そして、頂いた御朱印がこちら。

『大鳥神社』を合祀したから酉の市でも有名な花園神社。
酉の市の日には、酉の市限定の御朱印も拝受されるそうだから
酉の市の御朱印を拝受したいものです。
2019/07/23 Tue. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.............新宿諏訪神社 (2019年3月24日)(東京都新宿区)
3月24日
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
その後、早稲田から西早稲田へと足を伸ばします。
御朱印拝受の神社巡りは、まだまだ続きます。
穴八幡宮をあとにして、向かった先は..................新宿諏訪神社。
新宿諏訪神社は、東京都新宿区高田馬場に鎮座する神社です。
創建は弘仁年間(810~820年)とされ、
小野篁が大国主命・事代主命を祭祀したと伝わります。
当初は、松原街道に接していたことから松原神社と称されていたそうです。
永承年間(1046~1053年)に源頼義・義家父子が前九年の役の折、
当社に戦勝を祈願し、乱平定後に武器を奉納したとされています。
また、文治5年(1189年)には、源頼朝が藤原泰衡討伐の際に戦勝祈願し、
凱陣の後に社殿を造営し、境内に頼義・義家父子を祀って白旗社と称したそうです。
江戸時代に入ると、尾張藩初代藩主で徳川家康の九男である徳川義直が
信濃国の諏訪神を勧請・合祀し、諏訪神社と改称したとされています。
明治15年、明治天皇が行幸し神酒と鴨の奉納がありました。
これにより、社殿に菊の御紋がつけられるようになったそうです。
御祭神は、大国主命・事代主命・武御名方命
この日も、かなり歩いているから既に疲労困憊。
諏訪神社の看板を見つけた時はホッとしました。

社号標。

神社社頭の一の鳥居。

一の鳥居に掲げられた神額。

由緒書き。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

二の鳥居とその奥には拝殿。

二の鳥居の前には狛犬。


二の鳥居。

二の鳥居の背後にも、もう一対の狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。
菊の御紋が輝きます。



向拝にも菊の御紋。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿正面に飾られた提灯。

境内社。


神楽殿。

宝物殿。

御輿庫。

こちらは、『寒神三柱の塔』


社殿が一際際立つ、諏訪神社。


御神木。


こちらが、社務所。

その一角が授与所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
そして、こちらが御朱印。

人気のある神社なのか?
御朱印の順番待ちに5〜6人並んでいる。
10分ほど待って拝受出来ました。
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
その後、早稲田から西早稲田へと足を伸ばします。
御朱印拝受の神社巡りは、まだまだ続きます。
穴八幡宮をあとにして、向かった先は..................新宿諏訪神社。
新宿諏訪神社は、東京都新宿区高田馬場に鎮座する神社です。
創建は弘仁年間(810~820年)とされ、
小野篁が大国主命・事代主命を祭祀したと伝わります。
当初は、松原街道に接していたことから松原神社と称されていたそうです。
永承年間(1046~1053年)に源頼義・義家父子が前九年の役の折、
当社に戦勝を祈願し、乱平定後に武器を奉納したとされています。
また、文治5年(1189年)には、源頼朝が藤原泰衡討伐の際に戦勝祈願し、
凱陣の後に社殿を造営し、境内に頼義・義家父子を祀って白旗社と称したそうです。
江戸時代に入ると、尾張藩初代藩主で徳川家康の九男である徳川義直が
信濃国の諏訪神を勧請・合祀し、諏訪神社と改称したとされています。
明治15年、明治天皇が行幸し神酒と鴨の奉納がありました。
これにより、社殿に菊の御紋がつけられるようになったそうです。
御祭神は、大国主命・事代主命・武御名方命
この日も、かなり歩いているから既に疲労困憊。
諏訪神社の看板を見つけた時はホッとしました。

社号標。

神社社頭の一の鳥居。

一の鳥居に掲げられた神額。

由緒書き。

手水舎。

定番の龍の吐出口。

二の鳥居とその奥には拝殿。

二の鳥居の前には狛犬。


二の鳥居。

二の鳥居の背後にも、もう一対の狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。
菊の御紋が輝きます。



向拝にも菊の御紋。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿正面に飾られた提灯。

境内社。


神楽殿。

宝物殿。

御輿庫。

こちらは、『寒神三柱の塔』


社殿が一際際立つ、諏訪神社。


御神木。


こちらが、社務所。

その一角が授与所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
そして、こちらが御朱印。

人気のある神社なのか?
御朱印の順番待ちに5〜6人並んでいる。
10分ほど待って拝受出来ました。
2019/06/02 Sun. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.............穴八幡宮 (2019年3月24日)(東京都新宿区)
3月24日
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
その後、早稲田方面へと足を伸ばします。
御朱印拝受の神社巡りは、まだまだ続きます。
高田氷川神社をあとにして、向かった先は..................穴八幡宮。
穴八幡宮は、東京都新宿区早稲田に鎮座する神社です。
社伝によれば、康平5年(1062年)源義家が奥州からの凱旋の途中、
この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのが始まりとされ、
寛永13年(1636年)、ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としたそうです。
寛永18年(1641年)、宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると
横穴が見つかり、その中から金銅の御神像が現れたそうです。
掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになったそうです。
3代将軍・徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護としたそうです。
江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名ですが
商売繁盛や出世、開運に御利益があるとされているそうです。
御祭神は、応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
神社社頭。
朱色が鮮やかな一の鳥居。

鳥居の背後の斜面には流鏑馬の像。

8代将軍徳川吉宗が、世嗣の疱瘡平癒祈願のために
流鏑馬を奉納したことから流鏑馬でも有名な神社のようです。

二の鳥居。

台地に鎮座する穴八幡宮。
石段を上がって進みます。
その台地(丘)は、前方後円墳とも言われているようです。
神武天皇遥拝所。

遥か南西の先、奈良県の橿原神宮の方向へ遥拝することが出来ます。
隨神門(光寮門)

随身門に掲げられた扁額。

矢大臣と左大臣


鼓楼

手水舎。

手水舎に隣接する布袋尊。
こちらの境内、または、近隣の七福神かと思いきや、違ってました。

こちらは、布袋尊の手水鉢でした。


新宿区の文化財に指定されています。
ただし、こちらはそのレプリカらしい。
本物はしっかりと保管されているようです。
こちらか、拝殿。

拝殿正面。




拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿前の狛犬。


拝殿前の天水桶。

本殿右側の参道口。

こちらには仮囲い(?)のようなフェンスに由緒書き。


その参道口の桜も春の到来を告げ始めています。


今年の東京は、3日前の3月21日に開花宣言しました。
こちらは、西早稲田駅方面へと続く都道側の参道口。

境内の御輿庫。



御朱印は、拝殿内左側にある社務所にて拝受出来ます。
こちらが、穴八幡宮の御朱印。

社号ではなく『一陽来復』と書かれています。
『冬が終わり春が来る、悪いことが続いた後で幸運に向かう』と言う意味で
毎年、冬至から節分の期間は『一陽来復御守』の頒布期間となり、
その期間は御朱印は授与されないそうです。
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
その後、早稲田方面へと足を伸ばします。
御朱印拝受の神社巡りは、まだまだ続きます。
高田氷川神社をあとにして、向かった先は..................穴八幡宮。
穴八幡宮は、東京都新宿区早稲田に鎮座する神社です。
社伝によれば、康平5年(1062年)源義家が奥州からの凱旋の途中、
この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのが始まりとされ、
寛永13年(1636年)、ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神としたそうです。
寛永18年(1641年)、宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると
横穴が見つかり、その中から金銅の御神像が現れたそうです。
掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになったそうです。
3代将軍・徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護としたそうです。
江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名ですが
商売繁盛や出世、開運に御利益があるとされているそうです。
御祭神は、応神天皇
仲哀天皇
神功皇后
神社社頭。
朱色が鮮やかな一の鳥居。

鳥居の背後の斜面には流鏑馬の像。

8代将軍徳川吉宗が、世嗣の疱瘡平癒祈願のために
流鏑馬を奉納したことから流鏑馬でも有名な神社のようです。

二の鳥居。

台地に鎮座する穴八幡宮。
石段を上がって進みます。
その台地(丘)は、前方後円墳とも言われているようです。
神武天皇遥拝所。

遥か南西の先、奈良県の橿原神宮の方向へ遥拝することが出来ます。
隨神門(光寮門)

随身門に掲げられた扁額。

矢大臣と左大臣


鼓楼

手水舎。

手水舎に隣接する布袋尊。
こちらの境内、または、近隣の七福神かと思いきや、違ってました。

こちらは、布袋尊の手水鉢でした。


新宿区の文化財に指定されています。
ただし、こちらはそのレプリカらしい。
本物はしっかりと保管されているようです。
こちらか、拝殿。

拝殿正面。




拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿前の狛犬。


拝殿前の天水桶。

本殿右側の参道口。

こちらには仮囲い(?)のようなフェンスに由緒書き。


その参道口の桜も春の到来を告げ始めています。


今年の東京は、3日前の3月21日に開花宣言しました。
こちらは、西早稲田駅方面へと続く都道側の参道口。

境内の御輿庫。



御朱印は、拝殿内左側にある社務所にて拝受出来ます。
こちらが、穴八幡宮の御朱印。

社号ではなく『一陽来復』と書かれています。
『冬が終わり春が来る、悪いことが続いた後で幸運に向かう』と言う意味で
毎年、冬至から節分の期間は『一陽来復御守』の頒布期間となり、
その期間は御朱印は授与されないそうです。
2019/06/01 Sat. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.............下落合氷川神社 (2019年3月24日)(東京都新宿区)
3月24日
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
御朱印拝受の神社巡りです。
東山稲荷神社をあとにして、向かった先は..................下落合氷川神社。
下落合氷川神社は、東京都新宿区下落合に鎮座する神社です。
第5代天皇・孝昭天皇の時代(紀元前5世紀)の創建とされ、(それ以前との説もあるようです)
江戸時代には旧・下落合村の鎮守で、氷川明神社と言われていたそうです。
その頃、高田氷川神社の祭神が素盞嗚命一座で『男体の宮』と称されていて、
氷川明神社の祭神が妻にあたる奇稲田姫命一座であったので『女体の宮』と称され、
二つ合わせて、『夫婦の宮』と称されていたそうです。
御祭神は、素盞嗚命
奇稲田姫命
大己貴命
表参道口に建つ社号標。

鳥居の前には神橋。

表参道口の鳥居。

手水舎。

境内に建つ由緒書き。

こちらが、拝殿。


拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


境内社。

三峰社、天祖社、稲荷社、諏訪社、浅間社の5社の合殿です。
こちらは、本殿右側の参道口。

こちらは、本殿左側の参道口二建つ社号標。

新目白通りに面しているから、立派な鳥居も建っています。

境内の記念碑。


神楽殿。

こちらは、社務所。

御朱印は社務所にて拝受出来ますが
書置き版の対応となっています。

いえいえ、書置き版でも構いません。
頂いた御朱印は大事に扱わせていただきます。
この日は、都内・豊島区並びに新宿区の散歩。
山手線の目白駅から下落合方面へと足を伸ばし
御朱印拝受の神社巡りです。
東山稲荷神社をあとにして、向かった先は..................下落合氷川神社。
下落合氷川神社は、東京都新宿区下落合に鎮座する神社です。
第5代天皇・孝昭天皇の時代(紀元前5世紀)の創建とされ、(それ以前との説もあるようです)
江戸時代には旧・下落合村の鎮守で、氷川明神社と言われていたそうです。
その頃、高田氷川神社の祭神が素盞嗚命一座で『男体の宮』と称されていて、
氷川明神社の祭神が妻にあたる奇稲田姫命一座であったので『女体の宮』と称され、
二つ合わせて、『夫婦の宮』と称されていたそうです。
御祭神は、素盞嗚命
奇稲田姫命
大己貴命
表参道口に建つ社号標。

鳥居の前には神橋。

表参道口の鳥居。

手水舎。

境内に建つ由緒書き。

こちらが、拝殿。


拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


境内社。

三峰社、天祖社、稲荷社、諏訪社、浅間社の5社の合殿です。
こちらは、本殿右側の参道口。

こちらは、本殿左側の参道口二建つ社号標。

新目白通りに面しているから、立派な鳥居も建っています。

境内の記念碑。


神楽殿。

こちらは、社務所。

御朱印は社務所にて拝受出来ますが
書置き版の対応となっています。

いえいえ、書置き版でも構いません。
頂いた御朱印は大事に扱わせていただきます。
2019/05/31 Fri. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り............. 東山稲荷神社 (2019年3月24日)(東京都新宿区)
3月24日
この日は、都内・豊島区の散歩。
豊島区の巣鴨から舞台を目白に移動し
目白駅から新宿区の下落合方面へと移動しながら
御朱印拝受の神社巡りをいたします。
目白豊坂稲荷神社をあとにして、向かった先は..................東山稲荷神社。
東山稲荷神社は、東京都新宿区下落合に鎮座する神社です。
高田馬場に近いこの辺りに来ると、豊島区と新宿区の境界近く。
いつのまにか、新宿区に入っていました。
東山稲荷神社は、延長5年(927年)武蔵介として赴任した清和源氏の祖・源経基が、
京都稲荷山より勧請・創建したとされています。
東山稲荷の神から受けた御神託によって、平将門の謀反を察知し
朝廷に報告した功が認められ、天皇より源姓を賜った経基は、
源氏一族の守護神として崇敬したとの伝承があるそうです。
藤の大木があったことから『藤稲荷神社』『富士稲荷神社』『東山藤稲荷神社』と称され、
武家のみならず、庶民の崇敬も厚かったそうです。
御祭神は、宇迦之御魂大神
大宮能売大神
佐田彦大神
おとめ坂の上り口近く、マンションの敷地内に建つ社号標。

その脇には、由緒書き。

えっ! まさか.........
マンションの中に神社がある?

なんて、思っていたら、その先の路地奥に鳥居が見えました。

どうやら、以前はこのマンションの辺りまでが
東山稲荷神社の境内地だったようですね。
一の鳥居。

一の鳥居の先は石段。
石段途中には、由緒書き。

石段を上った先に二の鳥居。

二の鳥居の脇には神使いの狐。


参道の手水鉢。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


こちらが、本殿。

板碑も多く並びます。

こちらが社務所。

こちらは、普段は神職の方が常駐されない神社。
そして、こちらが東山稲荷神社の御朱印。

本務社の下落合氷川神社にて拝受いたしました。
東山稲荷神社の背後は新宿区立のおとめ山公園。
自然が残り、綺麗な水辺もあり、
夏には蛍も確認出来るらしい。(本当なの?)
近隣の方も犬を連れて散歩に来ている姿を見て見かけました。
ちょっぴり、この近くに住んでいる人を羨ましく思ったりして..................
この日は、都内・豊島区の散歩。
豊島区の巣鴨から舞台を目白に移動し
目白駅から新宿区の下落合方面へと移動しながら
御朱印拝受の神社巡りをいたします。
目白豊坂稲荷神社をあとにして、向かった先は..................東山稲荷神社。
東山稲荷神社は、東京都新宿区下落合に鎮座する神社です。
高田馬場に近いこの辺りに来ると、豊島区と新宿区の境界近く。
いつのまにか、新宿区に入っていました。
東山稲荷神社は、延長5年(927年)武蔵介として赴任した清和源氏の祖・源経基が、
京都稲荷山より勧請・創建したとされています。
東山稲荷の神から受けた御神託によって、平将門の謀反を察知し
朝廷に報告した功が認められ、天皇より源姓を賜った経基は、
源氏一族の守護神として崇敬したとの伝承があるそうです。
藤の大木があったことから『藤稲荷神社』『富士稲荷神社』『東山藤稲荷神社』と称され、
武家のみならず、庶民の崇敬も厚かったそうです。
御祭神は、宇迦之御魂大神
大宮能売大神
佐田彦大神
おとめ坂の上り口近く、マンションの敷地内に建つ社号標。

その脇には、由緒書き。

えっ! まさか.........
マンションの中に神社がある?

なんて、思っていたら、その先の路地奥に鳥居が見えました。

どうやら、以前はこのマンションの辺りまでが
東山稲荷神社の境内地だったようですね。
一の鳥居。

一の鳥居の先は石段。
石段途中には、由緒書き。

石段を上った先に二の鳥居。

二の鳥居の脇には神使いの狐。


参道の手水鉢。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


こちらが、本殿。

板碑も多く並びます。

こちらが社務所。

こちらは、普段は神職の方が常駐されない神社。
そして、こちらが東山稲荷神社の御朱印。

本務社の下落合氷川神社にて拝受いたしました。
東山稲荷神社の背後は新宿区立のおとめ山公園。
自然が残り、綺麗な水辺もあり、
夏には蛍も確認出来るらしい。(本当なの?)
近隣の方も犬を連れて散歩に来ている姿を見て見かけました。
ちょっぴり、この近くに住んでいる人を羨ましく思ったりして..................
2019/05/31 Fri. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................天神町北野神社 (2019年2月22日)(東京都新
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
赤城神社で御朱印を頂いている時に、禰宜さんと話をしていたら
近くの兼務社の御朱印も拝受出来ると聞き、
急遽、参拝に出向いた先は...........天神町北野神社。
天神町北野神社は、東京都新宿区天神町に鎮座する神社です。
創建年代は詳らかではありませんが、往古より天神町の天神と崇敬せられ、
天神町の名称もこの神社の鎮座あるため名付けられたとされています。
御祭神は、菅原道真公。
社号標。

神社社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた扁額。

二の鳥居。

手水舎。

お約束とも言える定番の龍の吐出口。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


境内社・豊玉稲荷神社。

境内の筆塚。

神輿庫。

こちらが社務所。

普段は無人の神社のようです。
こちらが、天神町北野神社の御朱印。

本務社の赤城神社に戻り、赤城神社の社務所にて拝受しました。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
赤城神社で御朱印を頂いている時に、禰宜さんと話をしていたら
近くの兼務社の御朱印も拝受出来ると聞き、
急遽、参拝に出向いた先は...........天神町北野神社。
天神町北野神社は、東京都新宿区天神町に鎮座する神社です。
創建年代は詳らかではありませんが、往古より天神町の天神と崇敬せられ、
天神町の名称もこの神社の鎮座あるため名付けられたとされています。
御祭神は、菅原道真公。
社号標。

神社社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた扁額。

二の鳥居。

手水舎。

お約束とも言える定番の龍の吐出口。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


境内社・豊玉稲荷神社。

境内の筆塚。

神輿庫。

こちらが社務所。

普段は無人の神社のようです。
こちらが、天神町北野神社の御朱印。

本務社の赤城神社に戻り、赤城神社の社務所にて拝受しました。
2019/04/14 Sun. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................赤城神社 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷から始まった都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
筑土八幡神社をあとにして、向かった先は............赤城神社。
赤城神社は、東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社です。
明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた神社で
その創建は古く、鎌倉時代の正安2年(1300年)に
上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、
牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わります。
文安元年(1444年)には、大般若経が奉納され、
寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座されました。
その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移され、
江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。
御祭神は、岩筒雄命(いわつつおのみこと)。
相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀ります。
社号標。

社号標には、旧・社号である赤城大明神となっています。
社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居の足部分には、境内に併設されたカフェの案内。

手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿正面に飾られた提灯。

時期的なモノなのか?

拝殿には雛人形も飾らせている。
別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


こちらは、境内社。
蛍雪天神。

祭神は菅原大神。
戦災で焼失した北野神社を、旺文社の寄付により再興したものです。
蛍雪天神の名は『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願するそうです。
社殿正面。

社殿正面に掲げられた扁額。

同じく、社殿正面に飾られた提灯。

こちらも境内社・出世稲荷神社。

社殿は相殿となり、
右から『八耳神社』・『出世稲荷神社』・『東照宮(葵神社)』となっています。

各々の由緒が記された説明板。

神仏習合の名残り。
敷地の一部には観音像。

隣接すると言うか、敷地内にあるマンション。

実は、赤城神社再生プロジェクトと称して、平成21年(2009年)から22年にかけて、
老朽化した社殿全体を建て替える工事が行われました。
神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園し、
その跡地を再開発するにあたり、建築コストを神社側で全て賄うのは難しい状況にあったため
三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借りて、
神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設し、
建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというものでした。
そして地代や賃貸による収入を神社の運営に充てるとともに、
借地権の期限が来たら、マンションを解体し神社の杜に戻す予定だと言うことです。
1階にあるカフェも実はそのプロジェクトの賜物。
こちらが、そのカフェ。

社務所もマンションの1階エリアとなる。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も手に入れました。


こちらが、赤城神社の御朱印。

こちらが、蛍雪天神の御朱印。

初穂料は、今日初めての都内価格の500円。
都内から御朱印の初穂料の相場が上がって来ているんだよなぁ。
まあ、これも時代の流れでしょうねぇ。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷から始まった都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
筑土八幡神社をあとにして、向かった先は............赤城神社。
赤城神社は、東京都新宿区赤城元町に鎮座する神社です。
明治維新までは赤城大明神や赤城明神社と呼ばれた神社で
その創建は古く、鎌倉時代の正安2年(1300年)に
上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、
牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わります。
文安元年(1444年)には、大般若経が奉納され、
寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に遷座されました。
その後、弘治元年(1555年)、大胡宮内少輔により現在地に移され、
江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。
御祭神は、岩筒雄命(いわつつおのみこと)。
相殿として赤城姫命(あかぎひめのみこと)を祀ります。
社号標。

社号標には、旧・社号である赤城大明神となっています。
社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居の足部分には、境内に併設されたカフェの案内。

手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

拝殿正面に飾られた提灯。

時期的なモノなのか?

拝殿には雛人形も飾らせている。
別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


こちらは、境内社。
蛍雪天神。

祭神は菅原大神。
戦災で焼失した北野神社を、旺文社の寄付により再興したものです。
蛍雪天神の名は『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願するそうです。
社殿正面。

社殿正面に掲げられた扁額。

同じく、社殿正面に飾られた提灯。

こちらも境内社・出世稲荷神社。

社殿は相殿となり、
右から『八耳神社』・『出世稲荷神社』・『東照宮(葵神社)』となっています。

各々の由緒が記された説明板。

神仏習合の名残り。
敷地の一部には観音像。

隣接すると言うか、敷地内にあるマンション。

実は、赤城神社再生プロジェクトと称して、平成21年(2009年)から22年にかけて、
老朽化した社殿全体を建て替える工事が行われました。
神社境内に隣接していた幼稚園(私立赤城幼稚園)は少子化などの理由により閉園し、
その跡地を再開発するにあたり、建築コストを神社側で全て賄うのは難しい状況にあったため
三井不動産レジデンシャルが約70年の定期借地権を設定して神社から土地を借りて、
神社の建て替えとともに敷地内に分譲マンションを建設し、
建物内にホールやギャラリーなどの施設を併設するというものでした。
そして地代や賃貸による収入を神社の運営に充てるとともに、
借地権の期限が来たら、マンションを解体し神社の杜に戻す予定だと言うことです。
1階にあるカフェも実はそのプロジェクトの賜物。
こちらが、そのカフェ。

社務所もマンションの1階エリアとなる。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も手に入れました。


こちらが、赤城神社の御朱印。

こちらが、蛍雪天神の御朱印。

初穂料は、今日初めての都内価格の500円。
都内から御朱印の初穂料の相場が上がって来ているんだよなぁ。
まあ、これも時代の流れでしょうねぇ。
2019/04/13 Sat. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................筑土八幡神社 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
神楽坂若宮八幡神社をあとにして、向かった先は............筑土八幡神社。
筑土八幡神社は、東京都新宿区筑土八幡町に鎮座する神社です。
嵯峨天皇の時代(809年〜823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に
八幡神がお告げに現れ、それにより祀ったのが始まりであるとされています。
その後、850年前後に円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を建て、
伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという事です。
文明年間(1469年〜1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、
この地の鎮守としたそうです。
元和2年(1616年)に、江戸城田安門付近にあった田安明神が
筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社と称しました。
しかし、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦災で全焼してしまいます。
その後、津久戸明神社は千代田区九段北に遷座し、築土神社と改称したそうです。
御祭神は、応神天皇
神功皇后
仲哀天皇
こちらが、社号標。

社頭の鳥居。

一の鳥居になるのか?
しかし、石段の途中にも鳥居がある。

石段途中に建てられた由緒書き。

こちらが、二の鳥居(?)

石造りの鳥居。
説明板はないけれど、新宿区登録有形文化財らしい。
新宿区内最古の鳥居となり、享保11年(1726年)に
常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されたモノだと言うことです。
その鳥居に掲げられた神額。

手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


拝殿前の天水桶。

境内社の宮比神社。

下宮比町一番地にあった旗本屋敷の邸内社が
明治40年にこの地に遷されたもの。
庚申塔。

寛文4年(1664年)造立された物です。
太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現され
極めて珍しいとされ、新宿区の有形民俗文化財に指定されています。
神楽殿。

奉納御神酒。

神輿庫。

御神木。



御朱印は、社務所にて拝受しました。

こちらが、その御朱印。

書き置き対応ですが、初穂料は頂いていないと断られました。
流石に申し訳ないので、賽銭箱に相場の金額を納めさせて貰いました。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市ヶ谷から神楽坂まて歩き、さらに先を進みます。
神楽坂若宮八幡神社をあとにして、向かった先は............筑土八幡神社。
筑土八幡神社は、東京都新宿区筑土八幡町に鎮座する神社です。
嵯峨天皇の時代(809年〜823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に
八幡神がお告げに現れ、それにより祀ったのが始まりであるとされています。
その後、850年前後に円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を建て、
伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという事です。
文明年間(1469年〜1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、
この地の鎮守としたそうです。
元和2年(1616年)に、江戸城田安門付近にあった田安明神が
筑土八幡神社の隣に遷座し、津久戸明神社と称しました。
しかし、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦災で全焼してしまいます。
その後、津久戸明神社は千代田区九段北に遷座し、築土神社と改称したそうです。
御祭神は、応神天皇
神功皇后
仲哀天皇
こちらが、社号標。

社頭の鳥居。

一の鳥居になるのか?
しかし、石段の途中にも鳥居がある。

石段途中に建てられた由緒書き。

こちらが、二の鳥居(?)

石造りの鳥居。
説明板はないけれど、新宿区登録有形文化財らしい。
新宿区内最古の鳥居となり、享保11年(1726年)に
常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されたモノだと言うことです。
その鳥居に掲げられた神額。

手水舎。

こちらが、拝殿。

拝殿正面。


拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

拝殿前の狛犬。


拝殿前の天水桶。

境内社の宮比神社。

下宮比町一番地にあった旗本屋敷の邸内社が
明治40年にこの地に遷されたもの。
庚申塔。

寛文4年(1664年)造立された物です。
太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔。
三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現され
極めて珍しいとされ、新宿区の有形民俗文化財に指定されています。
神楽殿。

奉納御神酒。

神輿庫。

御神木。



御朱印は、社務所にて拝受しました。

こちらが、その御朱印。

書き置き対応ですが、初穂料は頂いていないと断られました。
流石に申し訳ないので、賽銭箱に相場の金額を納めさせて貰いました。
2019/04/13 Sat. 00:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................神楽坂若宮八幡神社 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市谷亀岡八幡宮をあとにして、向かった先は............神楽坂若宮八幡神社。
神楽坂若宮八幡神社は、東京都新宿区若宮町に鎮座する神社です。
文治5年(1189年)奥州・藤原泰衝の征伐に向かった源頼朝が、
当地で下馬し宿願しました。
その後、藤原泰衝を討ち奥州を平定した頼朝は鎌倉に戻った後、
ここに鎌倉・鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりとされています。
当初は若宮(仁徳天皇)を祀っていましたが、
後に八幡神(応神天皇)が祀られるようになったとされ、
一時衰退しましたが、文明年間(1469年~1487年)に
太田道灌が築城した江戸城鎮護のため再興したそうです。
御祭は、仁徳天皇・応神天皇。
外堀通り沿いに面する庚嶺坂(ゆれいざか)。

江戸初期、この坂あたりに多くの梅の木が あったため、
2代将軍秀忠が中国の梅の名所 の名をとったと伝えられています。
この坂を上った先に神楽坂若宮八幡神社は鎮座しています。
ゆっくりと坂を上っていくと、右手方向に鳥居が見えてきました。

マンションの隣に鎮座する神楽坂若宮八幡神社。

社号標。

社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた扁額。

社頭に来掲げられた由緒書き。

手水舎。

狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

境内社。

隣接するマンションの1階が社務所。


御朱印は、こちらで拝受出来ます。
こちらが、御朱印。

流れるような書体。
やはり字の上手い人、毛筆の達筆な字人が羨ましいですね。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
市ヶ谷からの都内散歩は続きます。
市谷亀岡八幡宮をあとにして、向かった先は............神楽坂若宮八幡神社。
神楽坂若宮八幡神社は、東京都新宿区若宮町に鎮座する神社です。
文治5年(1189年)奥州・藤原泰衝の征伐に向かった源頼朝が、
当地で下馬し宿願しました。
その後、藤原泰衝を討ち奥州を平定した頼朝は鎌倉に戻った後、
ここに鎌倉・鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりとされています。
当初は若宮(仁徳天皇)を祀っていましたが、
後に八幡神(応神天皇)が祀られるようになったとされ、
一時衰退しましたが、文明年間(1469年~1487年)に
太田道灌が築城した江戸城鎮護のため再興したそうです。
御祭は、仁徳天皇・応神天皇。
外堀通り沿いに面する庚嶺坂(ゆれいざか)。

江戸初期、この坂あたりに多くの梅の木が あったため、
2代将軍秀忠が中国の梅の名所 の名をとったと伝えられています。
この坂を上った先に神楽坂若宮八幡神社は鎮座しています。
ゆっくりと坂を上っていくと、右手方向に鳥居が見えてきました。

マンションの隣に鎮座する神楽坂若宮八幡神社。

社号標。

社頭の鳥居。

鳥居に掲げられた扁額。

社頭に来掲げられた由緒書き。

手水舎。

狛犬。


こちらが、拝殿。

拝殿正面。

拝殿正面に掲げられた扁額。

別アングルからの拝殿。

そして、こちらが本殿。

境内社。

隣接するマンションの1階が社務所。


御朱印は、こちらで拝受出来ます。
こちらが、御朱印。

流れるような書体。
やはり字の上手い人、毛筆の達筆な字人が羨ましいですね。
2019/04/12 Fri. 15:00 |
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父さんの都内散歩・御朱印巡り.................市谷亀岡八幡宮 (2019年2月22日)(東京都新宿区)
2月22日
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
御茶ノ水から、黄色い電車に乗って市ヶ谷下車。
向かった先は.................市谷亀岡八幡宮。
市谷亀岡八幡宮は、東京都新宿区市谷八幡町に鎮座する神社です。
文明11年(1479年)、太田道灌が江戸城築城の際に
西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりとされています。
鶴岡八幡宮の「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称したとされています。
創建当時は、市谷御門の中に鎮座していましたが
その後、戦火にさらされ荒廃していきました。
江戸時代に入り、寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に
現在地に遷座し、三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、再興されました。
御祭神は、誉田別命(応神天皇)
気長足姫尊
与登比売神。
境内社である茶ノ木稲荷神社の御祭神は、稲荷大神。
外堀通り沿いに鎮座する市谷亀岡八幡宮。
(実際は、外堀通りより少し奥まっていますが.........)

この提灯が無ければ、この奥に神社があるとは気付かない。

神社社頭の社号標。

石段の先が境内。

石段途中の鳥居。

この鳥居は、新宿区の指定文化財らしい。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居前には、狛犬がお出迎え。


手水舎。

境内では、もう一組の狛犬がお出迎え。


こちらが、拝殿。


拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが拝殿。

拝殿正面に飾られた提灯。

摂社『茶の木稲荷神社』。

神使いの狐。

茶の木稲荷神社の社殿は立派。

単独の神社と言ってもひけをとらない。
茶の木稲荷神社の拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


そして、本殿。


境内社の金刀比羅宮。

同じく境内社・出世稲荷大神。


境内の力石。


花物語と題されたモニュメント。

板碑。

2月も中旬ともなれば、春の到来を感じさせる暖かな陽射し。

境内の梅の花もチラホラと咲き始めている。

御神木。


こちらが、社務所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も頂くことが出来ました。

こちらが、その御朱印。
市谷亀岡八幡神社の御朱印。

境内社・茶の木稲荷神社の御朱印。

書き手によって違ってくるのか?
ネットで見かけた御朱印と違って社号が墨書きされていない。
まあ、これも味のある御朱印と言うことでしょう。
この日の午前中は健康診断の再検査。
再検査が終わったあとは、都内散歩と洒落込みます。
御朱印拝受の散歩といたしましょう。
御茶ノ水から、黄色い電車に乗って市ヶ谷下車。
向かった先は.................市谷亀岡八幡宮。
市谷亀岡八幡宮は、東京都新宿区市谷八幡町に鎮座する神社です。
文明11年(1479年)、太田道灌が江戸城築城の際に
西方の守護神として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりとされています。
鶴岡八幡宮の「鶴岡」に対して亀岡八幡宮と称したとされています。
創建当時は、市谷御門の中に鎮座していましたが
その後、戦火にさらされ荒廃していきました。
江戸時代に入り、寛永13年頃(1636年頃)に江戸城の外堀が出来たのを機に
現在地に遷座し、三代将軍・徳川家光や桂昌院などの信仰を得て、再興されました。
御祭神は、誉田別命(応神天皇)
気長足姫尊
与登比売神。
境内社である茶ノ木稲荷神社の御祭神は、稲荷大神。
外堀通り沿いに鎮座する市谷亀岡八幡宮。
(実際は、外堀通りより少し奥まっていますが.........)

この提灯が無ければ、この奥に神社があるとは気付かない。

神社社頭の社号標。

石段の先が境内。

石段途中の鳥居。

この鳥居は、新宿区の指定文化財らしい。

鳥居に掲げられた神額。

鳥居前には、狛犬がお出迎え。


手水舎。

境内では、もう一組の狛犬がお出迎え。


こちらが、拝殿。


拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


そして、こちらが拝殿。

拝殿正面に飾られた提灯。

摂社『茶の木稲荷神社』。

神使いの狐。

茶の木稲荷神社の社殿は立派。

単独の神社と言ってもひけをとらない。
茶の木稲荷神社の拝殿正面。

別アングルからの拝殿。


そして、本殿。


境内社の金刀比羅宮。

同じく境内社・出世稲荷大神。


境内の力石。


花物語と題されたモニュメント。

板碑。

2月も中旬ともなれば、春の到来を感じさせる暖かな陽射し。

境内の梅の花もチラホラと咲き始めている。

御神木。


こちらが、社務所。

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
無事、御朱印も頂くことが出来ました。

こちらが、その御朱印。
市谷亀岡八幡神社の御朱印。

境内社・茶の木稲荷神社の御朱印。

書き手によって違ってくるのか?
ネットで見かけた御朱印と違って社号が墨書きされていない。
まあ、これも味のある御朱印と言うことでしょう。
2019/04/12 Fri. 00:00 |
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