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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

広の台城址   (2015年6月28日)(千葉県成田市) 

6月28日 公休日


北辺田小学校をあとにして、向かった先は...............広の台城址


広の台城は、別名『北羽鳥城』とも呼び、
成田市北羽鳥の香取神社に対峙する台地が城址になります。
千葉氏の一族でこの辺りに居住した羽鳥新介の居城であったとされているようですが
真偽の程は、定かではないようです。


こちらが、広の台城の縄張り図

広の台城縄張り図

( 余胡くんのお城のページ よりお借りしました )



北羽鳥の香取神社の一の鳥居近くに案内板が建っています。

      20150628広の台城址01



民家の間を抜けるように登城路があります。

      20150628広の台城址02



こちらが、二郭の虎口。

      20150628広の台城址05




虎口の先は、二郭となります。

      20150628広の台城址03


二郭は完全な畑。
二郭としての遺構らしきモノも残されていない。

      20150628広の台城址04




二郭から主郭へと足を進めようとしましたが
完全な雑草の藪の先には竹の藪。

さすがに、進軍する勇気はなく
べつな登城路を探すべく、台地をぐるっと回ってみます。



台地先端部を台地下から眺めてみます。
ちょうど竹藪にみえる辺りが、主郭先端部になります。

      20150628広の台城址06


さらに、ぐるっと回り、国道408号の旧道から眺める広の台城址。

この台地の森の中が主郭になりますが、上がって行けそうな道はありません。

      20150628広の台城址07



長沼方面から台地に上がる坂道があり、
これが登城坂と呼ばれているそうです。

登城坂を上がって行くと、台地に上がる石段が見えました。

      20150628広の台城址08


民家の脇をすり抜け、石段を上がって行きます。

      20150628広の台城址09



石段を上がった先は、やっぱり二郭。

正面に見える竹藪の向こうが主郭なんですけどね...............

      20150628広の台城址11



二郭から眺める風景。

      20150628広の台城址10

かつては近くに長沼があり、眼下は谷津となって天然の要害となっていたようです。


      
せっかく、香取神社の前に案内板が、あるのだから
主郭にとは言わないから、二郭の片隅にでも
城址の説明看板でも建ててくれていたら嬉しいんだけど...............。






香取神社の一の鳥居近くから眺める広の台城址。

この森が主郭になるんだけどなぁ...............。

      20150628広の台城址12



せっかくだから立ち寄ることにした香取神社。

こちらが、香取神社の一の鳥居。

      20150628広の台城址13



そして二の鳥居。さらに奥に見えるは拝殿。

      20150628広の台城址14


成田市の城址、城館もまだまだいっぱい在るみたいだから
少しづつ制覇、攻城して行くことにしよう...............。






2015/07/14 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

外小代公園  (2015年6月28日)(千葉県成田市) 

6月28日 公休日

この日は、成田市&栄町に出かけました。


正蔵院をあとにして、向かった先は...............外小代公園


外小代公園は、成田市の北西部の成田ニュータウンの中にあります。
北総鉄道の成田湯川駅からも近く、運動場やテニスコート、中央広場、
遊戯施設などがある幅広い機能をもった公園です。
園内西側には9基の古墳もあります。
春には桜が咲き揃い、お花見スポットとしても賑わっているそうです。


こちらが、公園入口。

      20150628外小代公園18


看板はあるものの(かなり年季が入ってます)
公園案内図がない。

      20150628外小代公園19



事前の情報が殆ど無いから、行き当たりバッタリで
公園内を散策いたしましょう。
ロングリードで びいすけ の気の向くまま歩かせてみましょう。

      20150628外小代公園02

いつもと違った匂いがするから、 びいすけ には新鮮に感じるのでしょうか?
匂い嗅ぎに余念がありません。


そして、気になる匂いがあれば..............................

当然、マーキング!

      20150628外小代公園01



無料の駐車場のすぐ横がちょっとした台地になっています。

台地の上に上がってみます。

      20150628外小代公園09


      20150628外小代公園10


      20150628外小代公園11





台地上部には、土壇が多い。
何だろう?と思っていたら、古墳群でした。

      20150628外小代公園12


      20150628外小代公園13



古墳の上から遠くを見れば、印旛沼が見えました。

      20150628外小代公園16


      20150628外小代公園17



引き続き公園内の散策は続きます。

      20150628外小代公園14



草の匂いと言うか、遊歩道の匂いを確認しながら
ゆっくりと一歩、また一歩と移動します。

      20150628外小代公園15

近隣に住む方々の散歩コースになっているのか?
確かにワンちゃんを連れて散歩に来ている人は多い。



こちらが、中央広場。

      20150628外小代公園20



石段を軽快に上がって行く びいすけ 。

      20150628外小代公園21



ちょっとした木立を抜けると...............

      20150628外小代公園22



ちょっとしたステージにもなりそうな空間。

      20150628外小代公園23

ここが中央広場の中心なんですね。


中央広場のさらに上に行けば、グランドがあります。

ちょっとした芝生広場って感じです。

      20150628外小代公園03

当然、匂いチェックに余念のない びいすけ 。


いきなり、芝生の上を転げ回ります。

      20150628外小代公園04


『ウゲッ! ウゲッ!』っと奇声を発する びいすけ 。

      20150628外小代公園05


よっぽど匂いが気になって背中に擦り付けているのでしょうか?

      20150628外小代公園06



そして、ムクッと起き出して、伏せのポーズ。

      20150628外小代公園24


何かのタイミングを計っていたのか?
いきなりのダッシュ。

      20150628外小代公園25


10mのロングリードでは思い切り引っ張られます。

      20150628外小代公園29

半径10mの弧を描いて走っていたかと思えば、
いきなりのストップ。


そして、再び芝生にゴロ〜ん。

      20150628外小代公園26


      20150628外小代公園27



そして、また起き上がっては何かに備えて待機?

      20150628外小代公園28


どうやら、外小代公園の芝生を びいすけ なりに楽しんでいるようです。

ドッグランに連れて行ってもあんまり走らないくせに
気に入った芝生(広場)のある公園では、テンションが高くなるようです。




日曜日の朝8時過ぎ。
散歩に来る人は居ない訳じゃないけれど
かと言って、そんなにいっぱい来るような公園でも無さそう。


      20150628外小代公園07


      20150628外小代公園08



雲が多いから、晴れ間が覗いていたかと思えば
すぐさま雲に覆われたりと、この日はおかしな天気。
雨は降らないとは思うけれど、最近の天気は何があってもおかしくない。
(この日の数日前に、佐倉市が記録的=観測史上最大の1時間当たりの降雨量がありました。)

雨が降る(?)前に、今日の目的地に急ぎましょう。






2015/07/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........第十番小学西大須賀校跡  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

西大須賀城址から、車を停めている昌福寺まで
県道を歩いていました。

偶然、妙見神社を発見しましたが
その前にも偶然の発見をしました。

いきなり、目の前に現れた石柱。

      20150108 第十番小学西大須賀校跡02

第十番小学西大須賀校跡 と刻まれています。


えっ!
いきなり学校跡地の碑が目の前に現れるとは
正直、驚きです。


裏面を確認します。

      20150108 第十番小学西大須賀校跡01


明治8年に昌福寺の境内に開校されたようです。
そして、明治12年にこの地に校舎を建てて移設したようです。

その後の沿革については記載されていないので
ちょっぴり調べてみました。

ネットでそのままでは情報が得られず、
近隣にあった(平成26年廃校)滑河小学校を調べていたら
その沿革が分かりました。
( 滑河小学校の記事はこちら


明治8年に昌福寺の境内にて開校した第十番小学西大須賀校が
幾多の変遷を経て、成田市立滑河小学校となり
平成26年に廃校となったのです。


Wikipediaの滑河小学校の沿革によれば

明治8年西大須賀村昌福寺内に第18番小学西大須賀学校として設立。
明治20年 村立西大須賀尋常小学校に名称変更。
明治22年滑川、西大須賀、大菅、猿山の4ヶ村を合併し滑河町誕生。
明治23年 町立西大須賀尋常小学校に名称変更。
明治41年 西大須賀尋常小学校と猿山尋常小学校が統合、
滑河尋常小学校設立。

即ち、明治41年までは、この地に小学校があったことになります。



碑の建っている場所は駐車場です。

      20150108 第十番小学西大須賀校跡03


      20150108 第十番小学西大須賀校跡04



しかし、この一画は成田警察署滑川駐在所の敷地。

      20150108 第十番小学西大須賀校跡05

即ち、旧校地は駐在所に変貌していたと言うことです。


確かに、江戸時代から寺子屋としてお寺や神社で
子供達に教えてきた経緯がらあるから
明治5年の学制が定められた時には、
多くの寺院や神社の境内に学校が設立されてきました。

昌福寺の境内に学校が開校したのも知らなかったが
それが、後の滑河小学校になっていたとは
さらなる驚きでした。

偶然見つけた、学校跡地の碑。
そこは、最近廃校になった小学校の前身の跡地でもありました。



2015/02/07 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

西大須賀城址  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は、成田市(旧・下総町)の『しもふさ七福神』巡りを行う傍ら、
旧・下総町域の城址巡りを行っていました。

『しもふさ七福神』の昌福寺の駐車場に車を置いて
徒歩圏内の城址へと向かいました。

向かった先は..............西大須賀城址


西大須賀城は、
大須賀城(松子城)の西北方向の守りを固めるために築かれた城であったと推測されます。
成田市大室の円通寺に残る記録によれば、大須賀氏の臣、西大須賀宮内という者がいて、
彼が城主だったのではないかと言う説もありますが、
築城時期等を含め、詳しい事はよくわかっていません。



こちらが、西大須賀城の縄張り図。

      西大須賀城址縄張り図

              ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )



県道63号線からちょっと奥に入った耀窟神社がある台地が
西大須賀城址になります。

県道からちょっと奥まった位置にある鳥居をくぐって、
西大須賀城址の攻城開始です。

      20150108 西大須賀城址01



いきなり、急な石段。

      20150108 西大須賀城址02



しかも、長い。

      20150108 西大須賀城址03



さらに石段は続きます。

      20150108 西大須賀城址04


石段を上りきった所から、今来た石段を振り返って見ます。

それなりに深い切り通しになっています。

      20150108 西大須賀城址05



こちらが虎口にあたるのか?

この先は、耀窟神社。

      20150108 西大須賀城址06




こちらが、耀窟神社の本殿。

      20150108 西大須賀城址07



本殿背後から、利根川方面への視界は開けています。

      20150108 西大須賀城址08



本殿下の腰曲輪。

鬱蒼と竹が生い茂り、画面では分かりづらいけれど削平地。

      20150108 西大須賀城址09


幅は6mほど。

竹が無ければ、こんな感じ。
これなら腰曲輪っぽい。

      20150108 西大須賀城址11


腰曲輪から下へ降りていく道(?)がありますが
行かないほうが正解。

      20150108 西大須賀城址10

そのまま下っていくと、民家の庭に出るか?
それとも倉庫の裏に出るか?の選択肢。
いずれもちょっぴり(2m近い)段差があって大変です。

      

西大須賀城址遠景。

      20150108 西大須賀城址12



県道を車を停めた昌福寺までトボトボと歩いて行きます。


ふと、気になる横道を発見。

      20150108 西大須賀城址18


西大須賀城址のある台地へと繋がっているようです。

そして、その先には何やら祠があります。

      20150108 西大須賀城址17


狭い石段を上ってみると、何とそこには妙見社がありました。

      20150108 西大須賀城址13


      20150108 西大須賀城址14

って言うことは、千葉氏関連の城郭と言うことになります。



一気にテンションがヒートアップ。

      20150108 西大須賀城址15

西大須賀城址についても、情報は少なく
ネットで色々検索しても中々情報は得られません。

ましてや、こちらの妙見神社(妙見社)に至っては
殆んど触れられていない。

勝手に師と仰ぐ余胡さんのHPにも記載されていない妙見神社を発見して
何か、宝物を探し当てたような気分。

ただ、一つ気になるのは
妙見神社(妙見社)は千葉氏関連の城郭において
城の守り神として鬼門となる北東に祀られることが定説です。
しかし、西大須賀城址との位置関係をみると北東ではなく、
むしろ南西になるような気がするんだけど.............。



妙見社の脇に建っている小さな祠。

苔の生え具合いが何とも言えない。

      20150108 西大須賀城址16

残念なのは、書かれて(彫られて)いる文字が判読できない。
何の祠なのか? 正体不明です。


しかし、車を停めている昌福寺への足取りは軽くなりました...........。




     


      


2015/02/06 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神⑦  《 昌福寺 寿老人  》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。

『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。



昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
この日は『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

ここまでに6福神を巡り、『しもふさ七福神』も残すは一つ。

菊水山城址をあとにして、向かった先は 
成田市西大須賀にある 『しもふさ七福神』   昌福寺(寿老人)


寿老人は、星の化身で、不老不死の霊薬を持つと言われ、
長寿延命、富貴長寿の神として信仰されています。



県道63号線沿いにある昌福寺。

『しもふさ七福神』の看板も県道沿いに建っています。
裏を返せば、この看板が昌福寺の目印と言うことになります。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺01



こちらが、昌福寺の山門。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺02



昌福寺は昔より健康と長寿の神様として人々から広く崇敬されているそうです。
昌福寺は、浄土宗で本太蓮社良扇上人が開山されました。
本堂には、十間四面の総欅造りの天井に極彩色の百花の絵
、内陣欄間に龍などの彫刻を施してるそうす。




山門奥には、本堂。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺07


この昌福寺、敷地内に保育園があり(月かげ保育園)、
ちょうど、園児が境内で遊んでいました。

園児の邪魔にならないように参拝。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺08



こちらは、本堂に掲げられた扁額。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺09




境内の片隅に鎮座している『しもふさ七福神』の寿老人。

      20150108しもふさ七福神 昌福寺03


      20150108しもふさ七福神 昌福寺05


      20150108しもふさ七福神 昌福寺04


      20150108しもふさ七福神 昌福寺06



これで、『しもふさ七福神』全て制覇。

今年も健康で、そして びいすけ に長寿を。
さらには、多いなる幸と福が舞い落ちてくることを期待しています。

(欲張り過ぎかなぁ?)(笑)




2015/02/06 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

菊水山城址  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は、成田市(旧・下総町)に出かけていました。

『しもふさ七福神』巡りの傍ら、城址巡りも行ってきました。

龍正院をあとにあいて向かった先は................菊水山城址



菊水山城は、別名を滑川城とも呼ばれ、
南北朝時代に南朝側の城として築かれた城らしいと言うことです。
詳細は明らかにされていませんが、戦国末期、織田左京大夫政治の居城とされ、
「常総軍記」等の軍書に登場する滑川の城が、この菊水山城とされています。


残念ながら、この菊水山城址は平成元年頃に城址のあった山ごと土砂取りのために
山ごと破壊されてしまったらしい。

龍正院の裏山にあった菊水山城址は、廃校となってしまった滑川小学校と
県道を挟んだ反対側にあったようです。
元々、墓地があったようですが、県道造成時にも墓地の一部が移転されたようです。


ご覧のように、城址のあった山(台地)は殆どなくなっています。

      20150108 菊水山城址02



今はただ雑草が生い茂る削平地となっています。

      20150108 菊水山城址01


      20150108 菊水山城址03
 


わずかに残る城址の面影。
県道脇のかつての登城路(?)

      20150108 菊水山城址04



行けるところまで行ってみましょう。

      20150108 菊水山城址05


登城路の左側に台地の一部が残っていますが
斜面のために上がれない。

柳営院の墓地の一部の脇を進みます。

      20150108 菊水山城址07




しばらく行くと、行き止まり。

この先から台地がすっかり無くなっています。

      20150108 菊水山城址07

この先から二郭、そして主郭へと続く台地があったようです。
しかし、現在はフェンスの先には何もありません。

時代の流れとはいえ、台地がそっくりなくなり
城郭遺構が全く壊滅してしまった菊水山城址。
20数年前の出来事ですが、残念ですね..........。







2015/02/05 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神⑥  《 龍正院 毘沙門天 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。

『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。



昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
この日は『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

ここまでで都合5福神わ巡ったことになり、残りは2福神。
眞城院をあとにして、向かった先は 
成田市滑川にある 『しもふさ七福神』   龍正院(毘沙門天)

毘沙門天は、仏教四天王の一人で、
七福神中唯一武将の姿をしており融通招福の神として信仰されています。



こちらが、龍正院の寺号標

      20150108しもふさ七福神 龍正院01


龍正院は、坂東札所観音第28番目の霊場として知られています。
ご本尊は、十一面観世音菩薩で、脇侍として不動明王と毘沙門天が祀れています。
仁王門は国指定重要文化財。本堂、鰐口などは県指定文化財です。


こちらは龍正院の由緒書き。

      20150108しもふさ七福神 龍正院02



びいすけ の背後にあるのが、国指定重要文化財の仁王門。

      20150108しもふさ七福神 龍正院03


何やら、仁王門の前に人が集まっています。

      20150108しもふさ七福神 龍正院05


住職さんも不安気に見ているのか?

      20150108しもふさ七福神 龍正院04

どうやら、注連縄を取り替えているようです。

あれ?
注連縄って年末の12月28日までに取り替えるんじゃなかったっけ?



取材に来ていた成田市の広報の方の話では
ここ龍正院では古来より毎年1月8日に注連縄を取り替えるらしい。



賑々しい現場を尻目に本来の目的である
七福神巡りをしちゃいましょう。
      

見慣れた『しもふさ七福神』の看板。

      20150108しもふさ七福神 龍正院06



そして、こちらが『しもふさ七福神』の毘沙門天。

      20150108しもふさ七福神 龍正院07


      20150108しもふさ七福神 龍正院08


      20150108しもふさ七福神 龍正院09




毘沙門天の隣には、道祖神が祀られています。

      20150108しもふさ七福神 龍正院10



こちらが、龍正院の本堂。

      20150108しもふさ七福神 龍正院11


こちらは、千葉県の指定文化財らしいが
旧・下総町時代の説明看板だから、文字がカスれて読み辛い。

      20150108しもふさ七福神 龍正院12



本堂と びいすけ 。

      20150108しもふさ七福神 龍正院13




県道沿いに建ち並ぶ、宝筐印塔群。

      20150108しもふさ七福神 龍正院15


      20150108しもふさ七福神 龍正院14


こちらは、成田市の指定文化財らしい。
      
      20150108しもふさ七福神 龍正院16




そうこうしている内に、
仁王門の注連縄は無事取り替えられたようです。

      20150108しもふさ七福神 龍正院17



見事な注連縄です。

      20150108しもふさ七福神 龍正院18



これで『しもふさ七福神』の6福神を巡ったことになります。
残すはあと一つ。
この勢いで制覇しちゃいましょう。



2015/02/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

下総利根宝船公園  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市(旧・下総町)へ出かけてきました。

『しもふさ七福神』巡りと数ヶ所の城址巡りの合間に立ち寄ったのは

     下総利根宝船公園


下総利根宝船公園は下総地区北部の田園地帯にあり、利根川と隣接している公園です。
芝生広場を横断する園路は、千葉県から太平洋に流れ出る利根川をイメージし、
利根川に架かる主な橋の名前を表示しています。
芝生広場中央には成田市を飛び石で型どり、下総地区のしもふさ七福神巡りにちなみ、
七福神をモチーフとしたモニュメントを配置しています。

芝生広場東側には、宝船をイメージした展望台があり、
利根川、筑波山、条件の良い日には富士山まで望むことができます。
また、展望台にはすべり台もあり子供も楽しむことができます。

              ( 成田市HP より抜粋 )


駐車場の端っこにある公園案内図。

      20150108 下総利根宝船公園01



でも、案内図が必要な広さのある公園じゃない。

      20150108 下総利根宝船公園02



旧・下総町は『しもふさ七福神』で町の活性化を図ろうとしたようです。
この公園にも『しもふさ七福神』の案内図がありました。

      20150108 下総利根宝船公園03


確かに公園の名前からして、七福神に関連ありそうな感じはしますが........


名称に因んだ宝船が見えます。

      20150108 下総利根宝船公園04



この公園の面白いところは、芝生の中に展開する遊歩道。
アスファルトの小径ですが、川の流れに見立てているようです。

      20150108 下総利根宝船公園31


遊歩道の所々にこんな標柱が建っています。

こちらは江戸川。

      20150108 下総利根宝船公園05


利根運河。

      20150108 下総利根宝船公園06


野田市関宿

      20150108 下総利根宝船公園07


鬼怒川。

      20150108 下総利根宝船公園08


利根川。

      20150108 下総利根宝船公園09

どうやら、この公園の名前の通り、野田市関宿からの利根川流域を表現しているようです。


手賀沼...........?

      20150108 下総利根宝船公園10

確かに、利根川流域である。



小貝川........?

      20150108 下総利根宝船公園11

茨城県の取手あたりになるのかな.....?



印旛沼

この辺りは聞きなれた地元。
何となく親近感を感じちゃいます。

      20150108 下総利根宝船公園12


ご存知、成田市。

      20150108 下総利根宝船公園17

やっぱり、この公園のお膝元だから登場しないとね。



横利根川って.........?

      20150108 下総利根宝船公園19

知らなかったなぁ。



常陸利根川?

      20150108 下総利根宝船公園20

これまた、知らなかった。



利根川の終点、銚子市。

      20150108 下総利根宝船公園22



そして、太平洋。

      20150108 下総利根宝船公園21


利根川流域の繋がりが、何となくわかったような気がします。



公園中央には、七福神のモニュメント

      20150108 下総利根宝船公園13



左から、弁財天、大黒天、恵比寿。

      20150108 下総利根宝船公園14



同じく、福禄寿、布袋尊。

      20150108 下総利根宝船公園15



同じく、毘沙門天、寿老人。

      20150108 下総利根宝船公園16

要は、この公園に七福神が集まっています。




そして、その七福神が乗って宝を運んでくる宝船。

      20150108 下総利根宝船公園18


近寄って見ると、かなりデカい。

      20150108 下総利根宝船公園27


裏に回ってみると、意外や意外。
階段があって展望台になっています

      20150108 下総利根宝船公園23


上ってみると、こんな感じ。

      20150108 下総利根宝船公園26



利根川の展望が広がります。

      20150108 下総利根宝船公園25



宝船のお宝ならぬ、 びいすけ にとってのお宝のオヤツにしましょう。

      20150108 下総利根宝船公園28


      20150108 下総利根宝船公園29


      20150108 下総利根宝船公園30



さぁ、英気を養ったことだし、『しもふさ七福神』巡りを続けましょう....................




2015/02/04 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神⑤  《 眞城院 弁財天 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市 

1月8日 公休日

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。

『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。



昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
この日は『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

大和田城址をあとにして、向かった先は 
成田市高岡にある 『しもふさ七福神』   眞城院(弁財天)


弁財天は、七福神中、唯一の女神であり、
知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があると言われています。



こちらが眞城院の寺号標

      20150108しもふさ七福神 眞城院01


眞城院は、高岡山瑞泉寺眞城院。天台宗のお寺です。
本尊は阿弥陀如来 特に善女人の信者が多く、弁財天御宝前に護摩供を修し、
開運延命、家内安全、商売繁盛、諸願成就を祈願しています。
5月には弁財天が祀られているお堂の周りに藤の花が美しく咲くそうです。




眞城院の参道。
びいすけ の背後に見えるのが山門。

      20150108しもふさ七福神 眞城院02



こちらが山門。

      20150108しもふさ七福神 眞城院03



そして、本堂。

      20150108しもふさ七福神 眞城院04


境内をぐるっと回って、七福神を探しましたが見つかりません。
墓地の奥にも目を凝らしましたが見つかりません。


何のことはない。
国道356号線を挟んだ反対側に眞城院の弁天堂があり
そちらに七福神はありました。

この辺り(旧・下総町高岡)は高岡陣屋がらあった場所。
その陣屋の名残りである堀跡が弁天堂の脇にありました。

      20150108しもふさ七福神 眞城院05


      20150108しもふさ七福神 眞城院11



こちらが、『しもふさ七福神』の看板。

      20150108しもふさ七福神 眞城院06

七福神のいずれも、こんな形で案内されているようだから
分かりやすくて良い。


こちらが、『しもふさ七福神』の弁財天。

      20150108しもふさ七福神 眞城院07


      20150108しもふさ七福神 眞城院09


      20150108しもふさ七福神 眞城院08


      20150108しもふさ七福神 眞城院10



これで『しもふさ七福神』の内、5福神を見て回ったことになります。
残すは2福神。
頑張りましょう!

って言ってもモデルコースは滑川駅から徒歩にて、
全行程約17km。
もっとも車での移動だから、楽って言えば楽なんですけどね........(笑)。




   



2015/02/03 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大和田城址  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は『しもふさ七福神』巡りの傍ら、
成田市の城郭巡りもしてきました。


『しもふさ七福神』の楽満寺をあとにして
向かった先は.................大和田城址


成田市大和田(旧・下総町大和田)にある龍安寺の背後の山が大和田城址と言うことです。


大和田城の築城時期等の詳細は明らかではありませんが
大和田氏の先祖は鎌倉幕府執権の北条氏であったとされています。
北条時頼の子である北条時宗の弟宗頼が、下総国大和田に所領をもらい、
この地に土着して大和田氏を名乗るようになったと言われています。


こちらが、大和田城の縄張り図。

      大和田城址縄張り図


                 ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました。)



こちらが龍安寺。

寺号標の前でパチリ☆。

      20150108大和田城址15



そして、山門前でパチリ☆。

      20150108大和田城址11


山門前で写真を撮っていたら、龍安寺の奥さんが出て来られてきたので
少しお話をさせていただきました。

大和田城の事を尋ねたら、以前にも何人かが同じような事を言っていたけど
『何もない竹藪だよ』と言われました。
確かに、余胡さんのHPにも同じような事が書かれていました。
裏山(竹藪)に入る事への許可をいただき、攻城開始です。


こちらが、登城口。

      20150108大和田城址01


そして、すぐに三方を囲まれた枡形にぶつかります。

      20150108大和田城址02



枡形の脇の斜面を竹を避けながら、よじ登ります。

      20150108大和田城址03



斜面を上がりきって、そらに進めば、やがて主郭。

こちらは、主郭の土塁。

      20150108大和田城址04



主郭も一面竹だらけの竹藪。

      20150108大和田城址05


      20150108大和田城址06

仕方ないので、主郭から二郭へと移動します。

主郭と二郭を隔てる堀切。

      20150108大和田城址07


この堀切。
以外に深い。

      20150108大和田城址08



竹があって、深さ、大きさが画像では上手く伝わらないようです。

      20150108大和田城址09


     
びいすけ の背後の堀切が竪堀のようになっています。

      20150108大和田城址13

怖る怖る、堀切を下って行きます。

      
20150108大和田城址12


     
堀切を下りきった登城路の入口。

      20150108大和田城址14

龍安寺の方には何も無いと言われていましたが
枡形はあるし、土塁も一部残っている。
そして見事な堀切も残っている。

竹藪化が激しい大和田城址ですが、筍取りの導線は綺麗に伐採されていて
本堂裏からは、堀切へも容易に辿り着ける。


探索を終え、本堂脇から眺める大和田城址。

      20150108大和田城址10


龍安寺の方には何も無いと言われていましたが
枡形はあるし、土塁も一部残っている。
そして見事な堀切も残っている。

竹藪化が激しい大和田城址ですが、筍取りの導線は綺麗に伐採されていて
本堂裏からは、堀切へも容易に辿り着ける。

そして、何よりも普通の人が何も無いと言う場所で
城郭遺構をはっきりと認識できた自分自身の城郭マニア度(?)に
ちょっぴり鼻が高くなったりして............(笑)。


2015/02/02 Mon. 03:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神④  《 楽満寺 恵比寿 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。

『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。



昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
この日は『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

常福寺をあとにして、向かった先は 
成田市中里にある 『しもふさ七福神』   楽満寺(恵比寿)



恵比寿は、七福神唯一の日本の神様で、
漁業・商売繁盛の神として信仰されています。



こちらが、楽満寺の入口。

      20150108しもふさ七福神楽満寺01

楽満寺は、臨在宗(妙心寺派)のお寺。
本尊は安産子育の如意輪観世音菩薩。春日作。
源頼朝、実朝の母堂の守り本尊といわれています。



こちらにも、常福寺にあったような説明看板が建っていました。

      20150108しもふさ七福神楽満寺02



そして、その横には『しもふさ七福神』の看板。

      20150108しもふさ七福神楽満寺03



そして、こちらが『しもふさ七福神』 恵比寿。

      20150108しもふさ七福神楽満寺04


      20150108しもふさ七福神楽満寺05


      20150108しもふさ七福神楽満寺06




七福神の先には、楽満寺の仁王門。

      20150108しもふさ七福神楽満寺07




仁王門脇の鐘楼

      20150108しもふさ七福神楽満寺08



そして、こちらが本堂。

      20150108しもふさ七福神楽満寺09



本道に掲げられた扁額

      20150108しもふさ七福神楽満寺10




ネットで、この楽満時のことを調べていたら
どうやら、この楽満寺は子宝に授かる寺らしい。

「子供が欲しいのでお茶碗を貸して」と言うと、
母親になる人(なった人)が飲んだ茶碗を貸してくれるそうです。
その茶碗で毎日お茶を飲むと授かるそうです。

要は、このお寺で子宝を授かるよう祈願をしてもらうと
茶碗を貸してくれるらしい。
その茶碗で毎日お茶を飲むと、子宝に授かるらしい。

そして子宝に授かったら茶碗を返しに行くわけですが
その時に新しい茶碗を一緒に収めるらしい。
その収めた茶碗を次なる祈願者に貸し出すといったシステムのようです。

なかなかユニークなお寺と言っていいのだろうか?

世の中知らなかったことも多いようです...................




2015/02/01 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

名木城址  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

個人的な連休初日。

この日は『しもふさ七福神』巡りの傍ら、
成田市の城郭巡りもしてきました。


『しもふさ七福神』の常福寺から徒歩圏内にある
名木城址 へ立ち寄ってみました。



名木城は、築城時期等は定かではありませんが、
伝承によれば、城主は芝山弾正という者で、
天文21年(1551年)、久留間丹波守という者と戦って敗れ、
この地で死亡したと言うことです。
しかし、これらについての詳細は不明であり
一説によれば、神崎城、あるいは大須賀城の支城であった可能性もあるようです。



こちらが、名木城の縄張り図

      名木城址縄張り図

            ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )



常福寺前の細い道を南西に行けば、
やがて緩やかな下りとなり、八津を挟んだ対面に
地元では「城山」と呼ばれる台地があり、そちらが名木城址と言う事で
車で向かったら、いきなり圏央道の造成工事。


谷津を埋め、道路を建設中。

      20150108名木城址01


縄張り図の雰囲気とかなり違うため、詳しい場所がわからず
同じ道を何度も車で徘徊していました。

日向ぼっこをしていた地元の御老人に「城山」の場所を教えていただき、
何とか辿り着けました。

こちらが、登城路。
まさに、ギリギリの所を圏央道が走ることになります。

      20150108名木城址02



ちょうど、ブルドーザーの裏手の茂みの中にある祠。

      20150108名木城址03

余胡さんの縄張り図にも、この祠は記載されています。



登城路も工事用の重機で広げられ、
往事の面影はかなり薄れてしまっているようです。

      20150108名木城址04



こちらが、城内。
この辺りまで、工事用の車が入ってきたようで
轍の跡もくっきりと残っています。

      20150108名木城址05


虎口になるのか?
主郭下の帯曲輪手前の土塁。

      20150108名木城址06


かなり埋もれているが、帯曲輪の空堀。

      20150108名木城址07



こちらは、帯曲輪。

      20150108名木城址08



主郭に上がる道(主郭虎口)を探して、帯曲輪をぐるっと歩きます。

      20150108名木城址09



結局、帯曲輪から主郭へと続く導線を見つけられず、
主郭は断念することに..........

      20150108名木城址10



いっその事、 びいすけ を担いで、斜面を登っちゃおうか?とも考えましたが
今日はまだまだいっぱい巡る予定なので無理は禁物。

おとなしく撤退することにしました。


城山そのものが削り取られるような事や、城址が破壊されることは免れましたが
圏央道の工事現場に隣接し、ギリギリ残ったと言う感が強い。


城山(名木城址)が辛うじて残った事を
良し!とすることにしよう.............。



2015/02/01 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神③  《 常福寺  大黒天 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

この日は成田市のしもふさ七福神巡りをしてきました。

しもふさ七福神は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が“しもふさ七福神”の御縁日です。


『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。


昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
『しもふさ七福神』の一つでした。

年が明けて2015年。
『しもふさ七福神』の残り6福神を巡ることにいたしました。

成田ゆめ牧場をあとにして、向かった先は 『しもふさ七福神』
成田市名木にある 『しもふさ七福神』 常福寺 (大黒天)


大黒天は大地を掌握する神様と言われ、
財宝・福徳海運の神として信仰されています。


こちらが、常福寺。

門前にある説明看板。

      20150108しもふさ七福神 常福寺01

常福寺は、成田山新勝寺と同じ真言宗智山派の寺院です。
中興の宥ばん上人が、寛永三年身の丈六尺程の青銅の不動尊を鋳造し
お堂を造り安置しました。
尚、同上人は、成田山新勝寺の中興の祖とも言われています。




仁王門前には、『しもふさ七福神』の看板もあります。

      20150108しもふさ七福神 常福寺02



こちらが、常福寺仁王門。

      20150108しもふさ七福神 常福寺03



こちらが、鐘楼。

      20150108しもふさ七福神 常福寺04



仁王門をくぐれば、正面は本堂。

      20150108しもふさ七福神 常福寺05



こちらが、本堂。

      20150108しもふさ七福神 常福寺06



本堂手前に鎮座する、『しもふさ七福神』の大黒天。

      20150108しもふさ七福神 常福寺07


      20150108しもふさ七福神 常福寺08


      20150108しもふさ七福神 常福寺09




本堂に掲げられた扁額。

      20150108しもふさ七福神 常福寺10



山号は南城山

      20150108しもふさ七福神 常福寺11



本堂裏手の土塁。

      20150108しもふさ七福神 常福寺12



そして、やはり本堂裏手の空堀。

      20150108しもふさ七福神 常福寺13



山号が南城山と言うだけあって、
遠い昔に、この辺りに城館があったのかもしれない。

そんなことを考えながらも、これで『しもふさ七福神』巡りの3福神完了。
残すは、4福神。
先を急ぎましょう。



2015/01/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神②  《 成田ゆめ牧場 福禄寿 》  (2015年1月8日)(千葉県成田市) 

1月8日 公休日

個人的な連休初日。

この日は成田市の『しもふさ七福神』巡りをしてきました。

『しもふさ七福神』は、千葉県の旧下・総町域(現・成田市域)に点在する6つの寺と
1つの牧場を七福神の札所に定めたもので、
旧・下総町が地域活性化事業の一環として、昭和61年に誕生しました。
7柱の神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が『しもふさ七福神』の御縁日です。


『しもふさ七福神』は

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。


昨年末に、訪助崎城址へ訪れた際に車を停めるために立ち寄った乗願寺が
しもふさ七福神の一つでした。

年が明けて2015年。
しもふさ七福神の残り6福神を巡ることにいたしました。


本日最初に立ち寄った 『しもふさ七福神』 は
成田市名木にある  成田ゆめ牧場 (福禄寿)


福禄寿は、長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神として信仰されています。



こちらが、成田ゆめ牧場。

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場08


成田ゆめ牧場は、秋葉牧場の百周年を記念して、
1987年(昭和62年)に開場されました。
約9万坪の広々とした自然の中で動物達とのふれあいが楽しめるそうです。


しかし、朝の9時前に到着したため、まだオープンしていません。

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場09


駐車場もガラガラ。

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場07



JR滑河駅から無料の送迎バスがあり
その無料バスの駐車場(乗降場)の片隅に『しもふさ七福神』はありました。

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場01


      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場06



こちらが、『しもふさ七福神』の看板

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場02



そして、七福神の福禄寿。

      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場03


      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場04


      20150108しもふさ七福神 成田ゆめ牧場05



成田ゆめ牧場にはドッグランもあるから
本当は中に入りたかったんだけど
12月、1月、2月の平日の営業時間は10:00~16:00

オープンまで、まだ1時間もある。
そして、しもふさ七福神巡りは始まったばかり.............

残念な形になるけれど、次なる七福神を目指しましょう..........

2015/01/31 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

助崎城址  (2014年12月24日)(千葉県成田市) 

12月24日 公休日

この日は、成田市城址巡りをしていました。


乗願寺の駐車場に車を停め、向かった先は.................. 助崎城址


助崎城は千葉六党の1つであった大須賀氏の城であります
大須賀氏は千葉常胤の四男・四郎胤信を祖とし、
「千葉六党」のひとつとして大きな勢力を持っていました。
大須賀氏は松子城を本拠にした松子大須賀氏を宗家として助崎の地にも城を築き、
その地の名をとり、助崎大須賀氏と名乗ったようです。
松子城、助崎城のいずれも築城時期は不明ですが、
助崎大須賀氏は本佐倉城の千葉氏に仕えていました。
天正十八年(1590年)、秀吉の小田原攻めの際、
北条方についていた助崎城は豊臣秀吉の軍勢に攻められて落城した。
その際に、城主の姫は薙刀を振るって戦ったと伝わっています。




こちらが、助崎城の縄張り図。

      助崎城縄張り図

              ( 余胡くんのHP よりお借りしました )



乗願寺がある辺りが、助崎城の大手にあたるようです。
大手側より主郭に向け、進軍開始です。


乗願寺から南に程なく歩けば、小さな十字路。
左に曲がれば、助崎城址の三郭へと下って行きます。

十字路の片隅にある土壇。
櫓台の跡のようです。

      20141224助崎城址01





三郭の登城路。三郭は鍛冶作とも呼ばれ、
大須賀宗朝の子、鍛冶作宮内少輔朝満から名付けられたようです。

      0141224助崎城址02


      0141224助崎城址03


登城路の脇にあった湧水。
おそらく当時も井戸として使われていたと思われます。
この辺りは家臣団の居館推定地であったと思われます。

      0141224助崎城址04


肝心の三郭は畑となり、虎口にあたる入り口にはちょっとした門があり
中に入るのには抵抗があって断念。
虎口の背後には櫓台のような高台があり、
そちらには土塁が残されているとのことですが
中に入れず、残念です。





こちらが、二郭の虎口。

      0141224助崎城址05



二郭はすっかり畑と改変され、ぱっと見る限り遺構らしきものは見当たらない。

      0141224助崎城址06


      0141224助崎城址07



二郭西側の腰曲輪。

      0141224助崎城址08



せっかくだから、腰曲輪に降りてみました。

      0141224助崎城址09


      0141224助崎城址10



こちらは、二郭先端の空堀........

      0141224助崎城址11

だと思っていたら、かつての村道跡らしい。


でも、空堀に見えるんだけどなぁ............

      0141224助崎城址12


      0141224助崎城址13





いよいよ本丸である主郭へと向かいます。

主郭への登城路入口に建つ標柱。

      0141224助崎城址14


      0141224助崎城址15



ここから先が、助崎城址の見所。
二重空堀が主郭への進入を妨げていたようです。


二重空堀の一つ目。

      0141224助崎城址16



そして、二重空堀の二つ目。

      0141224助崎城址17


いずれもそれなりの規模で、守備の要となっていたのでしょう。

      0141224助崎城址18




空堀の先には、虎口。

       0141224助崎城址28


      0141224助崎城址19




主郭は、配水設備と杉林。

      0141224助崎城址20


      0141224助崎城址21






そして、主郭先端の木の陰に鎮座する妙見像。

      0141224助崎城址23



実は、この妙見像が一番見たかった。

      0141224助崎城址24

この妙見像を見て、助崎城址訪城の目的の80%は達成したようなモノです。




こちらが、主郭南側の虎口。
おそらく、搦手口でしょう。

      0141224助崎城址25



搦手口の虎口の土塁。

      0141224助崎城址22



そして、虎口のすぐ下には腰曲輪。

      0141224助崎城址26


      0141224助崎城址27



冬の陽は短い。
2日前の12月22日が冬至。
と言うことは、この日もほぼ一年で一番陽の時間が短い辺りにある。

陽もちょっぴり傾きだして、西陽がきつくなってきた。

本当は、助崎城の城門が移築されていると伝わる円通寺にも立ち寄りたかったのだが
それは、またいずれかの時にでも...........。

暗くなる前に帰ることにしよう。




      
2015/01/19 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

しもふさ七福神①  《 乗願寺 布袋尊 》  (2014年12月24日)(千葉県成田市)  

12月24日 公休日

幡谷城址をあとにして、向かった先は..................
助崎城址のはずだったのが、辿り着いたのは何故か乗願寺


と言うのも、ネットの情報によれば............

助崎城址の城域は、乗願寺のある台地あたりから始まり、
乗願寺に車を停めて、三郭、そして二郭、最後に主郭と
じっくりと巡った方が良いと言うことなので
乗願寺に車を停めに行きました。
着いたら、何とこんな↓看板を見つけてしまいました。

      20141224しもふさ七福神乗願寺06

いゃあ〜、七福神巡りも好きなモノですから
素通りは出来ません。

って言う事で急遽、七福神巡りとなりました。
(と言ってもここ1ヶ所だけですけど......)


しもふさ七福神は、
地域活性化事業の一環として昭和61年に誕生しました。
今でこそ、この辺りは成田市でありますが、
平成18年3月迄は千葉県香取郡下総町でありました。

この下総七福神(当初は漢字表記だったのがいつの間にか平仮名表記になった)は、
7つの神様をお参りすることで7つの幸福が授かるといわれています。
毎月7日が“しもふさ七福神”の御縁日と言うことです。

しもふさ七福神

昌福寺(寿老人)
龍正院(毘沙門天)
眞城院(弁財天)
乗願寺(布袋尊)
成田ゆめ牧場(福禄寿)
常福寺(大黒天)
楽満寺(恵比寿)

と言うような構成になっています。

その中の一つ、乗願寺の布袋尊をお詣りいたしましょう。


乗願寺は、時宗のお寺です。
赤城の子守唄で有名な国定忠治の子分“板割り浅太郎”ゆかりの寺として知られています。
本堂内にも子供を背負った布袋尊があり、子育て、安産のご利益があるそうです。


そして、布袋尊は弥勒菩薩の化身といわれ、
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰されています。



こちらが、乗願寺の参道。

      20141224しもふさ七福神乗願寺07



この日は、かなり西陽が強く、思いきり逆光状態。

      20141224しもふさ七福神乗願寺08




こちらが山門。

      20141224しもふさ七福神乗願寺04


かなりの逆光です。

      20141224しもふさ七福神乗願寺05



そして、本堂。

      20141224しもふさ七福神乗願寺03

ちょうど読経しているようで、中からお経が聞こえてきます。





本堂脇に、探していた七福神発見。

      20141224しもふさ七福神乗願寺01



布袋尊と御対面。

      20141224しもふさ七福神乗願寺02



これが、しもふさ七福神の布袋尊。

      20141224しもふさ七福神乗願寺09


七福神には色々あって、本堂内に秘仏として特定日にしか公開しないモノもある。
でも、こんな感じで境内にひっそりと(大々的な場合もありますが)祀られているのを
探しながら訪ね行く七福神巡りが好きです。
境内ならワンコ連れでもギリギリ可能な事が多いし、
何かオリエンテーリングをしているみたいで、地図やリストを片手に
訪ね歩くって言うのも面白い。

さすがに全行程17.5kmの距離を歩いて回るって言うのは無理だけど
しもふさ七福神。
いずれ制覇することにいたしましょう!







2015/01/18 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

幡谷城址  (2014年12月24日)(千葉県成田市) 

12月24日 公休日  

この日は、成田市城址巡りをしていました。


成毛城址をあとにして、向かった先は.................. 幡谷城址



幡谷城は、松子城、助崎城の両城主であった大須賀胤秀の子である
幡谷民部胤盛の居城であったと言われています。
助崎城の支城として、助崎城の防衛ラインを担い構築されたものと考えられているようです。

大須賀氏の本城であった助崎城の西方約2kmの位置にあります。



とは言いながらも、この幡谷城址も辿り着くのに苦労しました。

成田市幡谷にある香取神社の近く。
香取神社の坂を下った十字路に城址の目印となる標柱があるというネットの情報を信じ込み、
その十字路を探すために同じ道を何度も走り、
香取神社周辺を走り回っていました。

何のことはない。
香取神社脇の坂を下り切ったT字路の正面に標柱はありました。

      20141224幡谷城址01

確かに草で見にくいと言う条件はあるけれど
30分近く、この辺りを車で徘徊していました。


      20141224幡谷城址02



この道をまっすぐに行けば、幡谷城址。

      20141224幡谷城址03



いかにも山城に向かうって言う感じがします。

      20141224幡谷城址08



以前は未舗装の道だったらしいけれど
現在は舗装されていますが、かなり荒れている道。

      20141224幡谷城址04



主郭へと続くこの道には道沿いに土塁が残っています。

      20141224幡谷城址0


      20141224幡谷城址07


この道を城址の標柱のある場所から300mほど歩けば主郭。

こちらが主郭。
現在は、完全な畑となり、遺構は全く残されていない。

      20141224幡谷城址05


一応、ぐるっと一回りしてみたけれど、
やっぱり、これといった見所もない。

      20141224幡谷城址06

畑仕事をしているお婆さんが『怪しい?』って顔をしていたので
撤収することにいたしました。

別に怪しい事をしているわけじゃ無いんだけどね。
まあ、普段は農家の人しか来ない場所だから
『あれっ?!』って思ったんでしょう。



標柱近くの空き地に車を停めていたので戻ります。


幡谷城址の遠景。

      20141224幡谷城址09



さあ、西陽が射し込む時間帯になってきた。
このあと、もう1城訪問する予定だから先を急ぎましょう...................。



2015/01/18 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

成毛城址  (2014年12月24日)(千葉県成田市) 

12月24日 公休日

この日は、成田市城址巡りをしていました。


三峯砦跡をあとにして、向かった先は.................. 成毛城址



成毛城は、東和泉城の北東約700m、三峯山砦の北約600mの距離に位置し、
助崎城主大須賀胤信の子、成毛八郎左右衛門尉範胤によって築かれたと言われています。
大須賀氏の一族である成毛氏がこの地に居し,成毛氏を名乗ったとされています。、


こちらが、成毛城の縄張り図

      成毛城縄張り図

            (  余胡くんのホームページ  よりお借りしました  )



この成毛城址にたどり着くのに苦労しました。
と言うのも、目印になるのが隣接する成毛市民の森。
この成毛市民の森がナビに出てこない。

実は以前もすぐ近くまで来たのですが
結局、分からず終いで引き返したという苦い思いがあります。


こちらが成毛市民の森。

      20141224成毛城址00

今回はこちらが目的ではないので、駐車場のみお借りします。


とは言いながらも、市民の森が登城路となっています。


では、成毛城の攻略開始です

      20141224成毛城址02


      20141224成毛城址03



この階段を上れば、成毛城はすぐそこ。

      20141224成毛城址04


この竹藪の奥が城域となります。

      20141224成毛城址05



先ずは、竹藪を行ける所まで行ってみましょう。
余胡さんの縄張り図によれば、こちらは帯曲輪。
台地下部まで帯曲輪は続いているはず。

      20141224成毛城址06



竹藪の奥には土壇。
物見台か何かの役割をしていたのでしょう。

      20141224成毛城址07



土壇の上の びいすけ 。

      20141224成毛城址08



物見台と言うよりは櫓台と言ったほうが適切かもしれない。

      20141224成毛城址09




帯曲輪下の削平地。
これは、後年に整地されたものでしょう。

      20141224成毛城址12


帯曲輪を下っていくと、やがて民家の庭先に出てしまいます。
犬に吠えられ、慌ててUターン。

今度は帯曲輪に向かって上っていきます。

帯曲輪手前の切通し。

      20141224成毛城址10


この辺りは、城址の雰囲気が出ています。

      20141224成毛城址11




こちらが、主郭。

      20141224成毛城址13


明らかに削平地であるけれど、長い年月で荒れ始めている。
鬱蒼と竹が茂り、この先は竹藪状態。

この先は止むやく断念。

      20141224成毛城址14


      20141224成毛城址15



主郭裏の切通し。

      20141224成毛城址16



こちらも、いい雰囲気を出しています。

      20141224成毛城址17


 
      20141224成毛城祉18


      20141224成毛城址19


びいすけ の視線の先には何かあるのか?

      20141224成毛城址20


ガサガサと何かが動いた音。

ノラ猫か?
はたまた、野ウサギか?

まさか、熊なんか居る訳ないし............。

ちょっぴり、不気味な感じがするので
早々に撤収。

さて、次なる城址を目指しますか..................!?





2015/01/17 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三峯山砦跡  (2014年12月24日)(千葉県成田市) 

12月24日 公休日

この日は、成田市城址巡りをしていました。


米野城址をあとにして、向かった先は.................. 三峯山砦跡



三峯山砦は、東和泉城から200mほどの距離にある舌状台地の先端部に
主郭と二郭をもつ、東和泉城の出城と考えられていますが、
城郭について詳しい伝承等は残されていないようです。



こちらが、三峯山砦の縄張り図。

      三峯山砦縄張り図

            ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました。)




三峯山砦跡の遠景。

      20141224三峯山砦跡12



こちらが、東和泉城址遠景。

      20141224三峯山砦跡01


この距離は約200m。



鳥居が見えます。
これが三峯神社。

      20141224三峯山砦跡08



三峯神社が登城路になります。

      20141224三峯山砦跡02



以前は急な斜面の登り道で危なかったらしいが、
現在は足場パイプでガードされ、上りやすくなっています。

      20141224三峯山砦跡03



とは言いながらも、かなりの急な上り。

      20141224三峯山砦跡04



上り切った所に祠が祀られています。
これが、三峯神社のようです。

      20141224三峯山砦跡05



祠の奥が削平地。
主郭にあたるようですが、現在は藪状態。

      20141224三峯山砦跡06



かなり広い平坦地で、この先には土塁があり、
さらには、二郭に繋がっているようですが
とても、この藪の中に進軍して行く勇気はありません。

      20141224三峯山砦跡07




ここは潔く引き返し、台地沿いに台地東部へと移動します。

土取りなのか?
台地東部に明らかに新たな道(?)が出来ています。

      20141224三峯山砦跡11

試しに上がってみます。


おそらく、この辺りが主郭のはず。

      20141224三峯山砦跡10

しかしながら、こちらからも主郭へはアプローチ出来そうもありません。

結局、台地東部からも進軍出来ず、再び下ることになります。


遥か先に見える台地が成毛城址。

      20141224三峯山砦跡09

直線距離にして、600mほどと言ったところでしょうか。



結局、三峯山砦跡では遺構らしきモノに遭遇出来ませんでした。

こうなりゃ、成毛城址に期待いたしましょう..................。





2015/01/17 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

米野城址  (2014年12月24日)(千葉県成田市) 

12月24日 公休日

この日は成田市城址巡りに出かけました。


最初に訪れたのは   米野城址

赤坂公園から歩いて5分程。
赤坂公園の駐車場をお借りして散歩感覚で米野城址を目指します。

米野城址は、成田ニュータウンの赤坂公園のすぐ裏手に位置し、
台地上にある居館の跡です。
城館についての詳細は不明ですが、台地先端にある圓應寺が主郭跡と推定され
圓應寺の境内には土塁が取り巻いています。



台地下部を歩き、圓應寺のある台地先端に到着。

この先が圓應寺。

      20141224米野城址01


圓應寺に向け、登城路を上がります。

      20141224米野城址02



一瞬、虎口のように見えるけれど............

      20141224米野城址03



本来の虎口は、こちらのようです。

      20141224米野城址04


      20141224米野城址05



虎口の土塁。

      20141224米野城址06



圓應寺の境内をぐるっと土塁が取り囲みます。

      20141224米野城址07


      20141224米野城址08


      20141224米野城址09



こちらが、圓應寺の本殿。

      20141224米野城址10

圓應寺は成田山の末社の筆頭だと言われています。
また、本尊の聖観音菩薩像は千葉貞胤の守り本尊であったと言われています。

となると、千葉氏所縁の城郭となるのだろうか?



本堂の扁額。

      20141224米野城址15

山号は『米野山』。


でも左から読むと............山野米。
なんか変。(笑)



本殿裏の郭跡。

      20141224米野城址11


完全な竹藪と化していて、行く手を阻む。

      20141224米野城址12

仕方ないので、この先は断念。



本堂裏手の土塁。

      20141224米野城址13

このように、本堂と境内が完全に方形な土塁で囲まれています。



境内の片隅のイチョウの樹。

      20141224米野城址14

悲しいかな、枝は切り取られてしまい
その大きさは中途半端になってしまっている。



圓應寺山門の位置にあたる土塁。


おそらく、主郭正面側の虎口跡でしょう。

      20141224米野城址16



参道脇の大イチョウの樹。

      20141224米野城址17

とにかく、デカい。

12月下旬だと言うのに、まだ黄色いイチョウの葉が艶やかです。
ピークに色づいていた時期は圧巻だったのだろう。

      20141224米野城址18



城郭遺構が確認できるのは、この圓應寺周辺のみ。
郭そのものは広いのだが、一帯は宅地化され民家が連なっている。

まぁ、成田ニュータウンの一画でもあるから致し方ないこと。
それよりも、先程見た大イチョウ。
来年は黄一色の世界を見に来ることにしよう..................。



2015/01/16 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit