あいかわの景勝10選 《 工業団地といちょう並木 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............工業団地といちょう並木
いよいよ、『 あいかわの景勝10選 』も最後の1ヶ所になりました。
130社を超える工場や研究所が整然と立ち並ぶ内陸工業団地。
そこを碁盤目状に走る街路にはイチョウ並木が続き、
秋には色鮮やかな黄色に染まる木々が道行く人たちの目を楽しませてくれるそうです。
首都に隣接する神奈川県は大消費地を背後に控え、
古くから工業立地の進展が目覚しく各地で農地が侵食され、
都市計画上、農政上に問題が生じ、また公害発生等、
土地利用に関して各種の混乱が生じてしまいました。
この工場乱立による弊害を防止し、土地利用の効率化を図るため、
神奈川県内陸部における工場適地として、旧陸軍相模飛行場跡地が選ばれました。
神奈川県企業庁により昭和36年から用地買収や造成工事が開始され、
昭和38年から分譲が始まり、一部企業の進出が決定しました。
ピーク時には150社を超える企業が進出していましたが
現在(平成29年4月)は、138社が企業活動を行なっているそうです。
そう言えば、かなり昔に、仕事で何度か来た事があったなぁ。
その内陸工業団地の中心部。
牧野フライス製作所の近くに『 あいかわの景勝10選 』の碑は建っています。
飛行場の滑走路跡なんでしょうか?
まっすぐに伸びる直線路。
その道路脇には見事ないちょう並木。
交差する道路にもいちょう並木。
青信号のタイミングで横断歩道で一枚パチリ☆。
残念なのは、まだ紅葉の時期ではないこと。
紅葉の時期ならば、一直線に黄金色の木々と
舞い散る葉で、黄金色の絨毯が見れそうです。
そんな時期に、もう一度来てみたいなぁ。
早足で巡った、『 あいかわの景勝10選 』ですが
これにて完結となりました...............。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............工業団地といちょう並木
いよいよ、『 あいかわの景勝10選 』も最後の1ヶ所になりました。
130社を超える工場や研究所が整然と立ち並ぶ内陸工業団地。
そこを碁盤目状に走る街路にはイチョウ並木が続き、
秋には色鮮やかな黄色に染まる木々が道行く人たちの目を楽しませてくれるそうです。
首都に隣接する神奈川県は大消費地を背後に控え、
古くから工業立地の進展が目覚しく各地で農地が侵食され、
都市計画上、農政上に問題が生じ、また公害発生等、
土地利用に関して各種の混乱が生じてしまいました。
この工場乱立による弊害を防止し、土地利用の効率化を図るため、
神奈川県内陸部における工場適地として、旧陸軍相模飛行場跡地が選ばれました。
神奈川県企業庁により昭和36年から用地買収や造成工事が開始され、
昭和38年から分譲が始まり、一部企業の進出が決定しました。
ピーク時には150社を超える企業が進出していましたが
現在(平成29年4月)は、138社が企業活動を行なっているそうです。
そう言えば、かなり昔に、仕事で何度か来た事があったなぁ。
その内陸工業団地の中心部。
牧野フライス製作所の近くに『 あいかわの景勝10選 』の碑は建っています。
飛行場の滑走路跡なんでしょうか?
まっすぐに伸びる直線路。
その道路脇には見事ないちょう並木。
交差する道路にもいちょう並木。
青信号のタイミングで横断歩道で一枚パチリ☆。
残念なのは、まだ紅葉の時期ではないこと。
紅葉の時期ならば、一直線に黄金色の木々と
舞い散る葉で、黄金色の絨毯が見れそうです。
そんな時期に、もう一度来てみたいなぁ。
早足で巡った、『 あいかわの景勝10選 』ですが
これにて完結となりました...............。
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2017/06/16 Fri. 13:00 |
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八菅山憩いの森 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町にある『 あいかわの景勝10選 』巡りのついでに
立ち寄った先は...............八菅山憩いの森
八菅神社の拝殿(覆殿)の裏手には、こんな案内板。
どうやら、八菅神社の背後の森が『八菅山憩いの森』のようです。
ここまで来て素通りは出来ません。
展望台広場があって、展望台もあるらしい。
これは、ちょっぴり足を伸ばさなきゃ!
いきなり、こんな塚が目の前に現れます。
八菅神社は、明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地であり、
八菅神社の鎮座する八菅山には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、
そしてそれを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていました。
そんな経緯があったから、八菅山には色々な塚が多く残っているようです。
八菅山の尾根沿いにハイキングコースがあり、森の木立を眺めながらハイキングが出来ます。
ただし、こんな看板も建ってて、注意は必要です。
でも、本当に野生の猿がいるのかなぁ?
ハイキングコースを匂いを嗅ぎながら闊歩する びいすけ 。
しばらく歩くと、こんな看板。
八菅神社関連の祠の跡らしい。
さらに先に進むと、梵天塚。
これまた、八菅山修道関連の跡。
さらに先、展望台脇にも別な塚。
これまた、八菅山修道関連の塚。
確かに五十余の院・坊が在ったのが計り知れる。
木立を抜け、急に視界が拓けて来たあたりが展望台広場。
こんな展望台も設けられています。
せっかく苦労して、ここまで歩いて来たんだから
展望台に上がりましょう。
愛川町や相模原市方面に拓けているようです。
もうちょっと雲が無ければ、かなりの眺望になるんだけど...............。
何組かの家族連れともすれ違ったけれど
半日くらいの予定で、お弁当を持ってハイキングと洒落込むのも良いかも?
八菅神社までの約300段の石段と、八菅山の尾根沿いのハイキングコースを歩いて来たから
しっかりと水分補給もいたしましょう。
さてさて、一息着いたことだし
駐車場まで戻りましょう。
『 あいかわの景勝10選 』巡りに戻りましょう。
個人的な連休2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町にある『 あいかわの景勝10選 』巡りのついでに
立ち寄った先は...............八菅山憩いの森
八菅神社の拝殿(覆殿)の裏手には、こんな案内板。
どうやら、八菅神社の背後の森が『八菅山憩いの森』のようです。
ここまで来て素通りは出来ません。
展望台広場があって、展望台もあるらしい。
これは、ちょっぴり足を伸ばさなきゃ!
いきなり、こんな塚が目の前に現れます。
八菅神社は、明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地であり、
八菅神社の鎮座する八菅山には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、
そしてそれを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていました。
そんな経緯があったから、八菅山には色々な塚が多く残っているようです。
八菅山の尾根沿いにハイキングコースがあり、森の木立を眺めながらハイキングが出来ます。
ただし、こんな看板も建ってて、注意は必要です。
でも、本当に野生の猿がいるのかなぁ?
ハイキングコースを匂いを嗅ぎながら闊歩する びいすけ 。
しばらく歩くと、こんな看板。
八菅神社関連の祠の跡らしい。
さらに先に進むと、梵天塚。
これまた、八菅山修道関連の跡。
さらに先、展望台脇にも別な塚。
これまた、八菅山修道関連の塚。
確かに五十余の院・坊が在ったのが計り知れる。
木立を抜け、急に視界が拓けて来たあたりが展望台広場。
こんな展望台も設けられています。
せっかく苦労して、ここまで歩いて来たんだから
展望台に上がりましょう。
愛川町や相模原市方面に拓けているようです。
もうちょっと雲が無ければ、かなりの眺望になるんだけど...............。
何組かの家族連れともすれ違ったけれど
半日くらいの予定で、お弁当を持ってハイキングと洒落込むのも良いかも?
八菅神社までの約300段の石段と、八菅山の尾根沿いのハイキングコースを歩いて来たから
しっかりと水分補給もいたしましょう。
さてさて、一息着いたことだし
駐車場まで戻りましょう。
『 あいかわの景勝10選 』巡りに戻りましょう。
2017/06/16 Fri. 00:00 |
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かながわの景勝50選 《 八菅山と八菅神社 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町が制定した『あいかわの景勝10選』を目的に訪れましたが、
あいかわの景勝10選の『 八菅山と八菅神社 』は、
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。
県を代表する景勝地ならば、
市区町村の公認の景勝地であることは間違いない。
こちらが、八菅神社の鳥居。
『八菅神社』と書いて、『はすげじんじゃ』と読むらしい。
古くから、「修験の山」として信仰を集めた八菅山には、
奈良時代から伝えられてきたとされる修験者たちの荒行があり、
毎年春に、『例大祭・火渡り儀式』と称し、護摩木を燃やした上を山伏姿の男性が歩き、
最後には観客も火渡りをする事が出来るそうです。
奈良時代から続く無病息災を祈る伝統行事とされているそうです。
八菅神社の拝殿へは、約300段の石段を上ります。
石段前の緩やかな上り坂。
そして、急勾配の石段。
石段の上り口の右側に建つ、『かながわの景勝50選』の碑。
この石段の周りにはシダジイの古木が多い。
『かながわの美林 50選』に選ばれた地でもあるようです。
神奈川県って県下の景勝地や公園、橋、美林と〇〇50選とか
〇〇百選って言うのが好きみたい。
まあ、それにどっぷりと引き込まれているんだけどね...............(笑)
確かに、石段沿いには雰囲気のあるシダジイの巨木が多い。
シダジイを眺めながら石段を上りますが
びいすけ は、はひたすら前へ前へと上って行きます。
約300段の石段は正直キツかったぁ。
拝殿の賽銭箱に九曜紋が描かれていましたが、
八菅神社の手水舎にも九曜紋。
別名八菅の七社権現とも呼ばれている八菅神社。
日本武尊など七神が祭神として祭られていて、明治維新の神仏分離令が出るまで、
大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であったそうです。
修験道は、天台密教を信奉し宗験宗とも言い、
山岳地帯で苦行をして悟りを会得するものとされています。
八菅神社は、修験道三派のうち聖護院流で、行者は京都の本山や奈良県熊野地方にこもって、
身を清めたと伝えられています。
そんなことを知ると、この拝殿(覆殿)も違って見えてくる。
紛れもなく、此処は厳かであり、神聖な場所なんだと
改めて認識するのでありました...............。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町が制定した『あいかわの景勝10選』を目的に訪れましたが、
あいかわの景勝10選の『 八菅山と八菅神社 』は、
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。
県を代表する景勝地ならば、
市区町村の公認の景勝地であることは間違いない。
こちらが、八菅神社の鳥居。
『八菅神社』と書いて、『はすげじんじゃ』と読むらしい。
古くから、「修験の山」として信仰を集めた八菅山には、
奈良時代から伝えられてきたとされる修験者たちの荒行があり、
毎年春に、『例大祭・火渡り儀式』と称し、護摩木を燃やした上を山伏姿の男性が歩き、
最後には観客も火渡りをする事が出来るそうです。
奈良時代から続く無病息災を祈る伝統行事とされているそうです。
八菅神社の拝殿へは、約300段の石段を上ります。
石段前の緩やかな上り坂。
そして、急勾配の石段。
石段の上り口の右側に建つ、『かながわの景勝50選』の碑。
この石段の周りにはシダジイの古木が多い。
『かながわの美林 50選』に選ばれた地でもあるようです。
神奈川県って県下の景勝地や公園、橋、美林と〇〇50選とか
〇〇百選って言うのが好きみたい。
まあ、それにどっぷりと引き込まれているんだけどね...............(笑)
確かに、石段沿いには雰囲気のあるシダジイの巨木が多い。
シダジイを眺めながら石段を上りますが
びいすけ は、はひたすら前へ前へと上って行きます。
約300段の石段は正直キツかったぁ。
拝殿の賽銭箱に九曜紋が描かれていましたが、
八菅神社の手水舎にも九曜紋。
別名八菅の七社権現とも呼ばれている八菅神社。
日本武尊など七神が祭神として祭られていて、明治維新の神仏分離令が出るまで、
大山阿夫利神社、日向薬師とともに関東での山岳修験の道場であったそうです。
修験道は、天台密教を信奉し宗験宗とも言い、
山岳地帯で苦行をして悟りを会得するものとされています。
八菅神社は、修験道三派のうち聖護院流で、行者は京都の本山や奈良県熊野地方にこもって、
身を清めたと伝えられています。
そんなことを知ると、この拝殿(覆殿)も違って見えてくる。
紛れもなく、此処は厳かであり、神聖な場所なんだと
改めて認識するのでありました...............。
2017/06/15 Thu. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 八菅山と八菅神社 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............八菅山と八菅神社
八菅神社は、明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地でした。
八菅神社の鎮座する八菅山には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、
そしてそれを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていました。
八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、
山容が蛇の横わたるに似ているところから、『蛇形山』と名付けたと言われています。
また、大宝三年(703年)修験道の開祖役の小角が入峰し修法を行ったとき、
忽然として、池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、
和銅二年(709年)には僧行基が入山して、ご神体及び本地仏を彫刻し、
伽藍を建立して勅願所としたと言われています。
しかし、明治期の神仏分離令により、光勝寺は廃寺となり、
七社権現は八菅神社と改称して今日に至っています。
この神社を中心にスダジイを代表とする 2.5haに及ぶ社叢林(県指定天然記念物)があり、境内のクロガネモチの巨樹(町指定天然記念物)は高さ 20m、目通り2.3m、樹齢 250年という。
こちらが、八菅神社。
鳥居の両脇には、二つの句碑が建っています。
向かって左側が芭蕉の句碑。
蓬莱にきかばや伊勢の初便
そして反対側には、五柏園丈水の句碑。
遠近乃笠も八菅や順乃峯
鳥居をくぐれば、八菅神社の説明板。
その脇には、八菅山の説明板。
鳥居の先にある 梵鐘。
梵鐘は、愛川町の指定文化財のようです。
境内の緩やかな上り坂の途中には、大ケヤキ。
このケヤキは、愛川町の『ふるさとの木』に指定されています。
愛川町には、このように『ふるさとの木』と称する巨木が18本あるそうです。
八菅神社の最大のウリ(?)
約300段の急な石段。
石段の上り口の左側に、御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。
反対側には『かながわの景勝50選』の碑もありますが
そちらは、いずれかの機会にでも。
さぁ、頑張って石段を上りましょう。
シダジイの木々を眺めながら石段を上ります。
正直、この300段の石段はきつかったぁ。
石段を上りきると、目の前にはクロガネモチの木。
こちらも、愛川町の『ふるさとの木』の1本になります。
拝殿から一段下がった削平地。
この削平地は、かつての『八菅山修験道旧跡』。
最後の石段、約20段ほどを上れば
八菅神社の拝殿に到着します。
賽銭箱に九曜紋。
この八菅神社の神紋は九曜紋のようです。
『九曜紋』と言えば『千葉氏』を連想してしまいますが、
ここは千葉氏の勢力下であった北総の地ではなく、
小田原北条家の勢力下であった地。
まさか、千葉氏には関連ないよなぁ...............?
扁額の文字はカスれて読めません。
約300段の石段を頑張って上ってきたから
休憩を兼ねて、ご褒美のオヤツをあげましょう。
ささみチップスをガン見する びいすけ 。
当然、コマンドは『 待て! 』。
『 良し! 』の合図で、喰らいつく びいすけ 。
父さんの指まで食べないでね。
この八菅神社、そして八菅神社のある八菅山。
『 あいかわの景勝10選 』の地でもあるけれど
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。
そちらについては、また明日にでも...............。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............八菅山と八菅神社
八菅神社は、明治維新までは神仏混淆の信仰に支えられてきた聖地でした。
八菅神社の鎮座する八菅山には七社権現と別当・光勝寺の伽藍、
そしてそれを維持する五十余の院・坊があって相模の国峰として盛えていました。
八菅山縁起によると日本武尊が東征のおりにこの山を望み見て、
山容が蛇の横わたるに似ているところから、『蛇形山』と名付けたと言われています。
また、大宝三年(703年)修験道の開祖役の小角が入峰し修法を行ったとき、
忽然として、池中に八本の菅が生えたことから八菅山の名が起こり、
和銅二年(709年)には僧行基が入山して、ご神体及び本地仏を彫刻し、
伽藍を建立して勅願所としたと言われています。
しかし、明治期の神仏分離令により、光勝寺は廃寺となり、
七社権現は八菅神社と改称して今日に至っています。
この神社を中心にスダジイを代表とする 2.5haに及ぶ社叢林(県指定天然記念物)があり、境内のクロガネモチの巨樹(町指定天然記念物)は高さ 20m、目通り2.3m、樹齢 250年という。
こちらが、八菅神社。
鳥居の両脇には、二つの句碑が建っています。
向かって左側が芭蕉の句碑。
蓬莱にきかばや伊勢の初便
そして反対側には、五柏園丈水の句碑。
遠近乃笠も八菅や順乃峯
鳥居をくぐれば、八菅神社の説明板。
その脇には、八菅山の説明板。
鳥居の先にある 梵鐘。
梵鐘は、愛川町の指定文化財のようです。
境内の緩やかな上り坂の途中には、大ケヤキ。
このケヤキは、愛川町の『ふるさとの木』に指定されています。
愛川町には、このように『ふるさとの木』と称する巨木が18本あるそうです。
八菅神社の最大のウリ(?)
約300段の急な石段。
石段の上り口の左側に、御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。
反対側には『かながわの景勝50選』の碑もありますが
そちらは、いずれかの機会にでも。
さぁ、頑張って石段を上りましょう。
シダジイの木々を眺めながら石段を上ります。
正直、この300段の石段はきつかったぁ。
石段を上りきると、目の前にはクロガネモチの木。
こちらも、愛川町の『ふるさとの木』の1本になります。
拝殿から一段下がった削平地。
この削平地は、かつての『八菅山修験道旧跡』。
最後の石段、約20段ほどを上れば
八菅神社の拝殿に到着します。
賽銭箱に九曜紋。
この八菅神社の神紋は九曜紋のようです。
『九曜紋』と言えば『千葉氏』を連想してしまいますが、
ここは千葉氏の勢力下であった北総の地ではなく、
小田原北条家の勢力下であった地。
まさか、千葉氏には関連ないよなぁ...............?
扁額の文字はカスれて読めません。
約300段の石段を頑張って上ってきたから
休憩を兼ねて、ご褒美のオヤツをあげましょう。
ささみチップスをガン見する びいすけ 。
当然、コマンドは『 待て! 』。
『 良し! 』の合図で、喰らいつく びいすけ 。
父さんの指まで食べないでね。
この八菅神社、そして八菅神社のある八菅山。
『 あいかわの景勝10選 』の地でもあるけれど
『 かながわの景勝50選 』の地でもあります。
そちらについては、また明日にでも...............。
2017/06/14 Wed. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 山十邸と中津往還 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............山十邸と中津往還
山十邸はこの地方の豪農だった熊坂家の住居として、
明治初期に熊坂半兵衛の代に建てられたものだと言うことです。
ちなみに『山十』は屋号であり、愛川町はその建物と庭園を修復して保存し、
『古民家山十邸』として一般に無料で公開しています。
こちらが山十邸。
門の脇には、愛川町教育委員会が建てた碑(石柱)。
愛川町って、史跡に対してはかなり力を入れている。
こういう姿勢って好きだなあ。
山十邸の碑の隣には、国指定の登録文化財の碑。
ちなみに、愛川町の国指定の登録有形文化財は、
この『山十邸』と『平山橋』の2ヶ所と言うことです。
塀には、利用案内も貼られ、しっかりと管理されています。
とにかく、入館料が無料と言うのが好意的。
結構、こう言った古民家って、施設維持費と称して
200〜300円の入館料を取るっていうパターンが多いんだよなぁ。
さて、肝心の『あいかわの景勝10選』の碑は、
門の近く、地域のコミュニティバスのバス停脇に在りました。
駐車場も3台停められる無料駐車場があるんですが
この日は、駐車場にカラーコーンが置かれ、入れない。
そして、山十邸にはネクタイ族が多い。
どうやら、この日の午後。
この山十邸でイベントがあるようです。
愛川町主催の若手音楽演奏家によるクラシックのコンサートがあるようです。
定員100名。入場料無料。
うむ、素晴らしい。
さすが、愛川町。
先ほどのネクタイ族は、愛川町の関係者だったんですね。
元々、 びいすけ は中に入れないから
門の前で待機。
関係者の方の了承をいただき、設営の邪魔にならないように
ささっさぁ〜と中を見学します。
古民家山十邸。
庭には四阿があったりして...............
この日は、イベントの関係でバタバタしていたけれど
平日なら訪れる人も少ないだろうから、古民家好きなら穴場かも知れない。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............山十邸と中津往還
山十邸はこの地方の豪農だった熊坂家の住居として、
明治初期に熊坂半兵衛の代に建てられたものだと言うことです。
ちなみに『山十』は屋号であり、愛川町はその建物と庭園を修復して保存し、
『古民家山十邸』として一般に無料で公開しています。
こちらが山十邸。
門の脇には、愛川町教育委員会が建てた碑(石柱)。
愛川町って、史跡に対してはかなり力を入れている。
こういう姿勢って好きだなあ。
山十邸の碑の隣には、国指定の登録文化財の碑。
ちなみに、愛川町の国指定の登録有形文化財は、
この『山十邸』と『平山橋』の2ヶ所と言うことです。
塀には、利用案内も貼られ、しっかりと管理されています。
とにかく、入館料が無料と言うのが好意的。
結構、こう言った古民家って、施設維持費と称して
200〜300円の入館料を取るっていうパターンが多いんだよなぁ。
さて、肝心の『あいかわの景勝10選』の碑は、
門の近く、地域のコミュニティバスのバス停脇に在りました。
駐車場も3台停められる無料駐車場があるんですが
この日は、駐車場にカラーコーンが置かれ、入れない。
そして、山十邸にはネクタイ族が多い。
どうやら、この日の午後。
この山十邸でイベントがあるようです。
愛川町主催の若手音楽演奏家によるクラシックのコンサートがあるようです。
定員100名。入場料無料。
うむ、素晴らしい。
さすが、愛川町。
先ほどのネクタイ族は、愛川町の関係者だったんですね。
元々、 びいすけ は中に入れないから
門の前で待機。
関係者の方の了承をいただき、設営の邪魔にならないように
ささっさぁ〜と中を見学します。
古民家山十邸。
庭には四阿があったりして...............
この日は、イベントの関係でバタバタしていたけれど
平日なら訪れる人も少ないだろうから、古民家好きなら穴場かも知れない。
2017/06/13 Tue. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 箕輪耕地の遠望 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............箕輪耕地の遠望
中津川がもたらした豊かな箕輪地区の耕地。
坂の上の台地から望む田園の広がりは愛川町随一の規模を誇ります。
秋になれば鏡を敷き詰めたような水田から、黄金色の波が揺れる実りの田まで、
心和む風景を楽しむことができるそうです。
角田地区の原箕輪公民館近くの路肩に
あいかわの景勝10選の碑は、ひっそりと建っていました。
碑の脇の狭い道を進むと、いきなり展望が拓けてきます。
これが、箕輪耕地の遠望。
眼下に広がり水田。
まさに耕地。
展望を眺めながら歩いてみましょう。
びいすけ は、展望を眺めるよりは匂い嗅ぎに夢中。
せっかくだから、この眺望をバックに一枚、パチリ☆。
視界が拓けているのは100mほどの距離。
まさに、ピンポイントの場所。
アングルを変えてさらに一枚。パチリ☆。
さらに一枚。とシャッターを押す指に力が入ります。
今のこの時期は田植えも終わって、これから稲が成長して行く。
田植え前の、田んぼに水を張った状態の時なら
確かに鏡面の水田が広がるだろうし、
秋の稲穂が頭を垂らす時期になれば、
黄金色の絨毯が広がっているだろう。
そんな時期に、また訪れてみたいなぁ...............
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
向かった先は..............箕輪耕地の遠望
中津川がもたらした豊かな箕輪地区の耕地。
坂の上の台地から望む田園の広がりは愛川町随一の規模を誇ります。
秋になれば鏡を敷き詰めたような水田から、黄金色の波が揺れる実りの田まで、
心和む風景を楽しむことができるそうです。
角田地区の原箕輪公民館近くの路肩に
あいかわの景勝10選の碑は、ひっそりと建っていました。
碑の脇の狭い道を進むと、いきなり展望が拓けてきます。
これが、箕輪耕地の遠望。
眼下に広がり水田。
まさに耕地。
展望を眺めながら歩いてみましょう。
びいすけ は、展望を眺めるよりは匂い嗅ぎに夢中。
せっかくだから、この眺望をバックに一枚、パチリ☆。
視界が拓けているのは100mほどの距離。
まさに、ピンポイントの場所。
アングルを変えてさらに一枚。パチリ☆。
さらに一枚。とシャッターを押す指に力が入ります。
今のこの時期は田植えも終わって、これから稲が成長して行く。
田植え前の、田んぼに水を張った状態の時なら
確かに鏡面の水田が広がるだろうし、
秋の稲穂が頭を垂らす時期になれば、
黄金色の絨毯が広がっているだろう。
そんな時期に、また訪れてみたいなぁ...............
2017/06/12 Mon. 00:00 |
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廃校を訪ねて...............番外編 角田学校跡 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休2日目。
この日は、『あいかわの景勝10選』目的で神奈川県の愛川町に出かけました。
景勝地巡りの合間に立ち寄ったのは...............角田学校跡
角田学校は、
明治6年 角田八幡神社に隣接する福泉寺の建物を校舎として開校し、
養成館第1支校としたのが始まりです。
明治27年 高峰小学校として統合され、廃校となりました。
たまたま、愛川町のことをネットで色々調べていたら
愛川町の角田地区に明治時代の廃校があることが分かり
訪れてみることにしました。
角田八幡神社の隣にある小さなお寺、福泉寺。
その境内の一画に、『角田学校跡』の碑があります。
碑の側面には簡単な沿革。
高峰小学校のHPの沿革によれば
明治6年に角田村に開校した養成館第一支校(角田学校)と
三増村に開校した養成館第二支校(三増学校)が在りました。
明治21年に角田村と三増村が合併して高峰村が出来ました。
明治27年に角田学校と三増学校を統合して、
高峰村の中心部に高峰小学校を設立したそうです。
(角田学校と共に廃校となった三増学校については こちら )
こちらは、本堂のように見えるから校舎ではないでしょう。
もっとも明治27年の事だから、
この本堂が明治27年以前のモノには見えない。
かろうじて、福泉寺と読める。
本堂の脇のこの辺り?
はたまた現在、墓地となっているこの辺りに
かつての学舎が建っていたのだろうか?
いずれも、遠い遠い昔の出来事。
しかし、愛川町の歴史や文化財に対する取り組みには、
他の市町村にも見習ってもらいたい!と、ついつい思ってしまう。
歴代の町長考え方なのか?
はたまた、教育委員会の考え方なのか?
はたまた、地域の住民の地元愛の表れなのか?
まだまだ、愛川町には『日向学校跡』『半原小学校発祥の地』の碑があるらしい。
詳しい場所はわからないけれど、いつか訪れてみたいものです。
個人的な連休2日目。
この日は、『あいかわの景勝10選』目的で神奈川県の愛川町に出かけました。
景勝地巡りの合間に立ち寄ったのは...............角田学校跡
角田学校は、
明治6年 角田八幡神社に隣接する福泉寺の建物を校舎として開校し、
養成館第1支校としたのが始まりです。
明治27年 高峰小学校として統合され、廃校となりました。
たまたま、愛川町のことをネットで色々調べていたら
愛川町の角田地区に明治時代の廃校があることが分かり
訪れてみることにしました。
角田八幡神社の隣にある小さなお寺、福泉寺。
その境内の一画に、『角田学校跡』の碑があります。
碑の側面には簡単な沿革。
高峰小学校のHPの沿革によれば
明治6年に角田村に開校した養成館第一支校(角田学校)と
三増村に開校した養成館第二支校(三増学校)が在りました。
明治21年に角田村と三増村が合併して高峰村が出来ました。
明治27年に角田学校と三増学校を統合して、
高峰村の中心部に高峰小学校を設立したそうです。
(角田学校と共に廃校となった三増学校については こちら )
こちらは、本堂のように見えるから校舎ではないでしょう。
もっとも明治27年の事だから、
この本堂が明治27年以前のモノには見えない。
かろうじて、福泉寺と読める。
本堂の脇のこの辺り?
はたまた現在、墓地となっているこの辺りに
かつての学舎が建っていたのだろうか?
いずれも、遠い遠い昔の出来事。
しかし、愛川町の歴史や文化財に対する取り組みには、
他の市町村にも見習ってもらいたい!と、ついつい思ってしまう。
歴代の町長考え方なのか?
はたまた、教育委員会の考え方なのか?
はたまた、地域の住民の地元愛の表れなのか?
まだまだ、愛川町には『日向学校跡』『半原小学校発祥の地』の碑があるらしい。
詳しい場所はわからないけれど、いつか訪れてみたいものです。
2017/06/11 Sun. 15:00 |
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鉄の橋百選 《 平山橋 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
『あいかわの景勝10選』と言う景勝地巡りが目的ですが、
『勝楽寺の山門と杉木立』から次なる景勝10選に向かう途中、
こんな案内板が目に入りました。
すぐさま、路肩に車を停めて、案内板(説明板)をじっくりと読みます。
じっくりと読んでみると...............
鉄の橋百選 と記されている。
そもそも、『鉄(はがね)の橋百選』とは、明治初年から第2次大戦までに架けられた橋のうち、
現存する著名な橋100を選びその写真,架設地点の詳細な地図とデータを織り込みながら、
橋の特徴や時代背景などを13人の専門家が分担執筆した土木学会編集の書籍に記載された橋のことです。
『かながわの橋 百選』なら知っていたけれど
『鉄の橋 百選』は知らなかった。
そのまま素通りしても良かったけれど、
『〇〇百選』って言う言葉の響きに弱い。
とりあえず、どんなモノか?
見てみることにいたしましょう。
平山橋は1926年(昭和元年)に完成した3連の鋼製トラス橋です。
鋼製橋だから鉄の橋百選に選ばれたのか?
元々は1913年(大正2年)に左岸側(北側)1/3を鋼製トラス橋、残りを木橋として開通しました。
1926年(昭和元年)には木橋部分を架け替え、3連の鋼製トラス橋として完成しました。
北側って事は、こちら側なんでしょう。
当初は木製だったんですね。
以前は車両も通行していましたが、100mほど下流に新しい橋が架けられ、
現在は歩行者専用の橋となっているようです。
欄干には、こんなプレートも飾られています。
『かながわの橋 百選』にも選ばれているんですね。
せっかくだから、鉄の橋 平山橋を渡ってみましょう。
鉄の橋と言っても、路面は舗石。
軽快に橋の上を闊歩する びいすけ 。
ちょうど真ん中辺り。
下を流れるのは中津川。
橋を渡り終え、対岸に着くと、こんな立派な説明板。
この『平山橋』は、国の登録有形文化財として指定されているようです。
立派な碑(?)も橋の袂に建てられています。
平山橋から眺める経ケ岳。
この平山橋から田代運動公園は近い。
どうせなら、この平山橋の袂に『あいかわの景勝10選』の
『経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並』の碑を建てれば良かったのに。
中津川のプレートの前です一枚、パチリ☆。
そう言えば、橋やトンネルのプレートを盗む不心得者も多いけど
そう言うのって辞めてもらいたいモノです。
しかしながら、『鉄の橋 百選』、『かながわの橋 百選』
これまた食指が伸びそうなモノを見つけてしまったなぁ(笑)。
個人的な連休2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
『あいかわの景勝10選』と言う景勝地巡りが目的ですが、
『勝楽寺の山門と杉木立』から次なる景勝10選に向かう途中、
こんな案内板が目に入りました。
すぐさま、路肩に車を停めて、案内板(説明板)をじっくりと読みます。
じっくりと読んでみると...............
鉄の橋百選 と記されている。
そもそも、『鉄(はがね)の橋百選』とは、明治初年から第2次大戦までに架けられた橋のうち、
現存する著名な橋100を選びその写真,架設地点の詳細な地図とデータを織り込みながら、
橋の特徴や時代背景などを13人の専門家が分担執筆した土木学会編集の書籍に記載された橋のことです。
『かながわの橋 百選』なら知っていたけれど
『鉄の橋 百選』は知らなかった。
そのまま素通りしても良かったけれど、
『〇〇百選』って言う言葉の響きに弱い。
とりあえず、どんなモノか?
見てみることにいたしましょう。
平山橋は1926年(昭和元年)に完成した3連の鋼製トラス橋です。
鋼製橋だから鉄の橋百選に選ばれたのか?
元々は1913年(大正2年)に左岸側(北側)1/3を鋼製トラス橋、残りを木橋として開通しました。
1926年(昭和元年)には木橋部分を架け替え、3連の鋼製トラス橋として完成しました。
北側って事は、こちら側なんでしょう。
当初は木製だったんですね。
以前は車両も通行していましたが、100mほど下流に新しい橋が架けられ、
現在は歩行者専用の橋となっているようです。
欄干には、こんなプレートも飾られています。
『かながわの橋 百選』にも選ばれているんですね。
せっかくだから、鉄の橋 平山橋を渡ってみましょう。
鉄の橋と言っても、路面は舗石。
軽快に橋の上を闊歩する びいすけ 。
ちょうど真ん中辺り。
下を流れるのは中津川。
橋を渡り終え、対岸に着くと、こんな立派な説明板。
この『平山橋』は、国の登録有形文化財として指定されているようです。
立派な碑(?)も橋の袂に建てられています。
平山橋から眺める経ケ岳。
この平山橋から田代運動公園は近い。
どうせなら、この平山橋の袂に『あいかわの景勝10選』の
『経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並』の碑を建てれば良かったのに。
中津川のプレートの前です一枚、パチリ☆。
そう言えば、橋やトンネルのプレートを盗む不心得者も多いけど
そう言うのって辞めてもらいたいモノです。
しかしながら、『鉄の橋 百選』、『かながわの橋 百選』
これまた食指が伸びそうなモノを見つけてしまったなぁ(笑)。
2017/06/11 Sun. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 勝楽寺の山門と杉木立 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並』をあとにして、向かったの先は..............勝楽寺の山門と杉木立
こちらが勝楽寺。
本来、寺の入り口にある門を山門と呼ぶから
こちらが山門になるとは思うのだが
景勝地に選ばれたのはこちらでは無い。
ここでは、あえて寺号標と言うことにしよう。
対の寺号標には『 田代 半増坊 』と記されている。
地元では、『勝楽寺』よりも『田代半僧坊』と呼ばれる事が多いらしい。
最初の門をくぐると、目の前に立派な山門と数本に杉の木が見えて来ます、
『名刹 勝楽寺』と記された案内板(説明板)。
そして、その脇には御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。
それでは、あいかわの景勝10選に選ばれた山門を見に行きましょう。
こちらが、景勝地とされる勝楽寺の山門。
嘉永4年(1851年)建立の壮大な山門(三門)です。
木造総欅の入母屋三間造り、前面に唐から破風のある二重門(重層門)となっています。
屋根は反りが強い銅板平葺で、総高16m、階下間口9m、奥行5.6m、階上間口8.4m、奥行5mです。
二階部分には釈迦三尊と十六羅漢が安置されているそうです。
山門の扁額。
山号である『満珠山』の文字。
ネットで見づらいですが、山門の仁王像。
向かって右側の阿像
左側の吽像
さらに、その先にも門がある。
中門と呼ばれているらしい。
閉められている門の木戸には、
徳川家の家紋である葵の紋が飾られています。
都合3つの門の先にある本殿に辿り着きました。
本堂の左に建つ半僧坊。
遠州(静岡県)奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祀られています。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に
出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、
老人は「私は半僧です。」と答えたことから
半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、老人(半僧坊)姿を消したと言われています。
鐘楼。
こちらは、十六羅漢堂。
この中に16体の羅漢像が鎮座していました。
山門の二階に安置されているとされる羅漢像は、
こちらに移されたのでしょうか?
それともレプリカ?
とにかく、由緒ある寺院だと言うのが歩いて見て廻ると
自ずと分かってくる。
正に愛川町の史跡である。
寺院が景勝地って如何なモノ?って思っていたけれど
そんなに小さな事にこだわるのは止めにいたしましょう。
そんなことを思いながら、
この地をあとにするのでありました...............。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並』をあとにして、向かったの先は..............勝楽寺の山門と杉木立
こちらが勝楽寺。
本来、寺の入り口にある門を山門と呼ぶから
こちらが山門になるとは思うのだが
景勝地に選ばれたのはこちらでは無い。
ここでは、あえて寺号標と言うことにしよう。
対の寺号標には『 田代 半増坊 』と記されている。
地元では、『勝楽寺』よりも『田代半僧坊』と呼ばれる事が多いらしい。
最初の門をくぐると、目の前に立派な山門と数本に杉の木が見えて来ます、
『名刹 勝楽寺』と記された案内板(説明板)。
そして、その脇には御目当の『あいかわの景勝10選』の碑。
それでは、あいかわの景勝10選に選ばれた山門を見に行きましょう。
こちらが、景勝地とされる勝楽寺の山門。
嘉永4年(1851年)建立の壮大な山門(三門)です。
木造総欅の入母屋三間造り、前面に唐から破風のある二重門(重層門)となっています。
屋根は反りが強い銅板平葺で、総高16m、階下間口9m、奥行5.6m、階上間口8.4m、奥行5mです。
二階部分には釈迦三尊と十六羅漢が安置されているそうです。
山門の扁額。
山号である『満珠山』の文字。
ネットで見づらいですが、山門の仁王像。
向かって右側の阿像
左側の吽像
さらに、その先にも門がある。
中門と呼ばれているらしい。
閉められている門の木戸には、
徳川家の家紋である葵の紋が飾られています。
都合3つの門の先にある本殿に辿り着きました。
本堂の左に建つ半僧坊。
遠州(静岡県)奥山方廣寺より勧請した半僧坊大権現が祀られています。
半僧坊大権現は、後醍醐天皇の皇子「無文元選禅師」が方廣寺へ御入山の際に
出会った白髪の老人を弟子として、日々の作務等を怠ることなく随侍しました。
禅師が「おまえは半ば僧形である」と言うと、
老人は「私は半僧です。」と答えたことから
半僧坊と呼ばれるようになったそうです。
その後、無文元選禅師が亡くなると、老人(半僧坊)姿を消したと言われています。
鐘楼。
こちらは、十六羅漢堂。
この中に16体の羅漢像が鎮座していました。
山門の二階に安置されているとされる羅漢像は、
こちらに移されたのでしょうか?
それともレプリカ?
とにかく、由緒ある寺院だと言うのが歩いて見て廻ると
自ずと分かってくる。
正に愛川町の史跡である。
寺院が景勝地って如何なモノ?って思っていたけれど
そんなに小さな事にこだわるのは止めにいたしましょう。
そんなことを思いながら、
この地をあとにするのでありました...............。
2017/06/10 Sat. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『塩川滝の飛沫』をあとにして、向かったの先は..............経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並
経ヶ岳(633.1m)、仏果山(747.1m)、高取山(705m)は
比較的楽にハイキングコースとして楽しめるところだそうです。
愛川方面から眺める山並は実に穏やかな山並で、
季節により春は新緑、秋は紅葉と色合いを見せてくれるそうです。
一瞬、ハイキングコースを歩いて軽登山をしないと、
『あいかわの景勝10選』の碑は確認できないのかと思いましたが
田代地区にある、田代運動公園の中に碑は在ります。
こちらが、田代運動公園の入り口。
『 あいかわの景勝10選』の碑は、
ソフトボール場の外野席に在るとの事なので、
園内図で確認いたしましょう。
公園には、こんなオブジェがありました。
タイトルは分かりませんが、少女と芝犬の像。
何か、この地域に逸話でもあるのでしょうか?
さてさて、肝心の『 あいかわの景勝10選 』の碑ですが、
簡単に見つかりました。
本来は、『経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並』ですが
碑にはカッコ書きで、 (田代運動公園から見た) と追記されています。
確かにこの追記があれば、ここに碑があってもおかしくない。
碑のある場所と碑文の位置から、ソフトボール場の先にある山並みが
景勝地だと思っていました。
中津川の河原では、オートキャンパーが多く訪れているようです。
特にキャンプ場としては指定されてはいないようですが
何台かの車がやって来て、テントを設営始めています。
どうやら、この辺りはオートキャンプのメッカでようです。
何気にiPhoneでキャンプ場の事を調べていたら
中津川の背後にある山が経ヶ岳でした。
すなわち、(田代運動公園から見た)経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並は
こちらの景観になるようです。
とりあえず、これで『 経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並 』も
完了と相成りました。
さぁ、次なる『 あいかわの景勝10選 』に向かいましょう。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『塩川滝の飛沫』をあとにして、向かったの先は..............経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並
経ヶ岳(633.1m)、仏果山(747.1m)、高取山(705m)は
比較的楽にハイキングコースとして楽しめるところだそうです。
愛川方面から眺める山並は実に穏やかな山並で、
季節により春は新緑、秋は紅葉と色合いを見せてくれるそうです。
一瞬、ハイキングコースを歩いて軽登山をしないと、
『あいかわの景勝10選』の碑は確認できないのかと思いましたが
田代地区にある、田代運動公園の中に碑は在ります。
こちらが、田代運動公園の入り口。
『 あいかわの景勝10選』の碑は、
ソフトボール場の外野席に在るとの事なので、
園内図で確認いたしましょう。
公園には、こんなオブジェがありました。
タイトルは分かりませんが、少女と芝犬の像。
何か、この地域に逸話でもあるのでしょうか?
さてさて、肝心の『 あいかわの景勝10選 』の碑ですが、
簡単に見つかりました。
本来は、『経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並』ですが
碑にはカッコ書きで、 (田代運動公園から見た) と追記されています。
確かにこの追記があれば、ここに碑があってもおかしくない。
碑のある場所と碑文の位置から、ソフトボール場の先にある山並みが
景勝地だと思っていました。
中津川の河原では、オートキャンパーが多く訪れているようです。
特にキャンプ場としては指定されてはいないようですが
何台かの車がやって来て、テントを設営始めています。
どうやら、この辺りはオートキャンプのメッカでようです。
何気にiPhoneでキャンプ場の事を調べていたら
中津川の背後にある山が経ヶ岳でした。
すなわち、(田代運動公園から見た)経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並は
こちらの景観になるようです。
とりあえず、これで『 経ヶ岳、仏果山、高取山にかけての山並 』も
完了と相成りました。
さぁ、次なる『 あいかわの景勝10選 』に向かいましょう。
2017/06/09 Fri. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 塩川滝飛沫 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『中津川の清流』をあとにして、向かった先は..............塩川滝飛沫
滝幅4m、落差30mの塩川滝。
歩道が整備されていて滝壺近くまで比較的簡単に行けます。
滝壺近くは夏でもひんやりとした空気が漂い、
そのしぶきに心洗われるそうです。
そんな塩川の滝は、国道412号と中津川の間の山あいにあります。
こちらが、塩川の滝の入り口。
ここから、さらに500mほど先が塩川の滝。
車でもアプローチでき、駐車場もあり。
ただし、ほんの少しの区間、未舗装の狭い道になります。
駐車場の片隅と言うか、滝に至る橋の手前に建つ碑。
御目当の『 あいかわの景勝10選 』の碑。
実は、塩川の滝も2度目の訪問になります。
前回来た時には、『 あいかわの景勝10選 』の存在を知らなかったからなぁ。
しかしながら、愛川町は文化財や観光資源に対する取り組みが素晴らしい。
きちんと案内板や説明板や碑を設置しています。
教育委員会や観光課(観光協会?)がしっかりしているんだろうなぁ。
それでは、塩川の滝へと向かいましょう。
この橋を渡って、1〜2分で滝に到着します。
赤い橋が展瀑台。
これは塩川の滝ではありません。悪しからず。
しかし、流れ落ちた滝の清流であることは間違いない。
階段を軽快に駆け上がる びいすけ 。
こちらが、塩川の滝。
橋の下の滝壺へ行こうとしたら、
大学生らしき数名が滝修行をするのか?
白装束で待機していました。
元々、塩川の滝は八菅山修研の第五番行所だったため
古くから滝修行が行われていたそうです。
若い女性も何人か居たので、『覗き』と勘違いされるのも嫌だから
早々に撤収いたしましょう。
台地に上がる石段に先には、塩川神社があるようです。
こちらが、塩川神社。
塩川神社の由緒が記された碑。
こちらが、扁額。
さぁ、『 あいかわの景勝10選 』の『 塩川飛沫 』もこれにて完了。
次なる、景勝地に向かって出発です。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『中津川の清流』をあとにして、向かった先は..............塩川滝飛沫
滝幅4m、落差30mの塩川滝。
歩道が整備されていて滝壺近くまで比較的簡単に行けます。
滝壺近くは夏でもひんやりとした空気が漂い、
そのしぶきに心洗われるそうです。
そんな塩川の滝は、国道412号と中津川の間の山あいにあります。
こちらが、塩川の滝の入り口。
ここから、さらに500mほど先が塩川の滝。
車でもアプローチでき、駐車場もあり。
ただし、ほんの少しの区間、未舗装の狭い道になります。
駐車場の片隅と言うか、滝に至る橋の手前に建つ碑。
御目当の『 あいかわの景勝10選 』の碑。
実は、塩川の滝も2度目の訪問になります。
前回来た時には、『 あいかわの景勝10選 』の存在を知らなかったからなぁ。
しかしながら、愛川町は文化財や観光資源に対する取り組みが素晴らしい。
きちんと案内板や説明板や碑を設置しています。
教育委員会や観光課(観光協会?)がしっかりしているんだろうなぁ。
それでは、塩川の滝へと向かいましょう。
この橋を渡って、1〜2分で滝に到着します。
赤い橋が展瀑台。
これは塩川の滝ではありません。悪しからず。
しかし、流れ落ちた滝の清流であることは間違いない。
階段を軽快に駆け上がる びいすけ 。
こちらが、塩川の滝。
橋の下の滝壺へ行こうとしたら、
大学生らしき数名が滝修行をするのか?
白装束で待機していました。
元々、塩川の滝は八菅山修研の第五番行所だったため
古くから滝修行が行われていたそうです。
若い女性も何人か居たので、『覗き』と勘違いされるのも嫌だから
早々に撤収いたしましょう。
台地に上がる石段に先には、塩川神社があるようです。
こちらが、塩川神社。
塩川神社の由緒が記された碑。
こちらが、扁額。
さぁ、『 あいかわの景勝10選 』の『 塩川飛沫 』もこれにて完了。
次なる、景勝地に向かって出発です。
2017/06/08 Thu. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 中津川の清流 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『三増合戦碑と志田峠』をあとにして、向かったの先は..............中津川の清流
中津川は、神奈川県を流れる河川で相模川水系の支流です。
かつては中津渓谷と呼ばれた風光明媚な景勝地は宮ヶ瀬ダムにより豹変してしまいましたが
その宮ヶ瀬ダムから流れるとどまることのない清流は、訪れる人々の心を癒してくれるそうです。
田代地区の馬渡橋近くの河原が『あいかわの景勝10選』に選ばれた場所であり
かつては、碑も建てられていましたが
残念ながら、馬渡橋の架け替え工事が行われ、
5年ほど前に碑は撤去されてしまったそうです。
確かに、現在も工事中。
地元の商店のオジさんに聞いたら、
画面の中央よりちょっと左に電柱脇に『 あいかわの景勝10選 』の碑が在ったらしい。
撤去された碑はどこにいったんだろう?
ちなみに地元の方が保管しているわけではないらしい。
馬渡橋は工事中ですが、河原に降りれるようです。
この階段を下れば河原に下りられます。
ひょっとしたら、河原の何処に碑が移設されているかも知れない。
河原に降りて、工事中の馬渡橋を眺めます。
こちらが上流。
橋は工事していても、中津川の清流は変わらない。
この日は居なかったけど、河原にBBQの跡があったから
シーズンになれば休日には、かなりの人が集まるのかな?
今日は びいすけ の貸し切りと言っても良い。
確かにこの辺りの中津川は清らかで澱んでいない。
おかしなもので、波のある海は大の苦手である びいすけ 。
川の流れはさほど苦手ではないようです。
何処と無く、表情もにこやかな気がします。
碑を探したけれども、やっぱり無い。
橋は架け替えられる予定だが、護岸工事も行われてしまうのでしょうか?
河原から眺めるこの景色も変わってしまうのだろうか?
そんな事を思いながら、河原をあとにします。
まだまだ、『 あいかわの景勝10選 』巡りは始まったばかり。
さあ、次なる景勝地へと向かいましょう。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町に来たのは、
『あいかわの景勝10選』が最たる目的。
『三増合戦碑と志田峠』をあとにして、向かったの先は..............中津川の清流
中津川は、神奈川県を流れる河川で相模川水系の支流です。
かつては中津渓谷と呼ばれた風光明媚な景勝地は宮ヶ瀬ダムにより豹変してしまいましたが
その宮ヶ瀬ダムから流れるとどまることのない清流は、訪れる人々の心を癒してくれるそうです。
田代地区の馬渡橋近くの河原が『あいかわの景勝10選』に選ばれた場所であり
かつては、碑も建てられていましたが
残念ながら、馬渡橋の架け替え工事が行われ、
5年ほど前に碑は撤去されてしまったそうです。
確かに、現在も工事中。
地元の商店のオジさんに聞いたら、
画面の中央よりちょっと左に電柱脇に『 あいかわの景勝10選 』の碑が在ったらしい。
撤去された碑はどこにいったんだろう?
ちなみに地元の方が保管しているわけではないらしい。
馬渡橋は工事中ですが、河原に降りれるようです。
この階段を下れば河原に下りられます。
ひょっとしたら、河原の何処に碑が移設されているかも知れない。
河原に降りて、工事中の馬渡橋を眺めます。
こちらが上流。
橋は工事していても、中津川の清流は変わらない。
この日は居なかったけど、河原にBBQの跡があったから
シーズンになれば休日には、かなりの人が集まるのかな?
今日は びいすけ の貸し切りと言っても良い。
確かにこの辺りの中津川は清らかで澱んでいない。
おかしなもので、波のある海は大の苦手である びいすけ 。
川の流れはさほど苦手ではないようです。
何処と無く、表情もにこやかな気がします。
碑を探したけれども、やっぱり無い。
橋は架け替えられる予定だが、護岸工事も行われてしまうのでしょうか?
河原から眺めるこの景色も変わってしまうのだろうか?
そんな事を思いながら、河原をあとにします。
まだまだ、『 あいかわの景勝10選 』巡りは始まったばかり。
さあ、次なる景勝地へと向かいましょう。
2017/06/07 Wed. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 三増合戦碑と志田峠 》 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
5月27日 公休日
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町は『あいかわの景勝10選』目的の訪問です。わ
この日、最初に向かったのは...............三増合戦碑と志田峠
三増合戦場は、
1569年、甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦をくりひろげた合戦場です。
この年、武田信玄は2万の軍勢を率いて甲府を出立、
滝山城などの北条方の拠点を攻撃したのちに、
北条氏康の小田原城を囲みました。
籠城した北条軍は城から出ず、武田軍は包囲を開始して4日後に
城下に火を放ち軍勢を引き上げました。
北条軍は、後詰めであった甲州街道守備軍の北条氏照、
秩父方面守備軍の北条氏邦の軍勢2万が三増峠に着陣し、
甲斐に帰国しようとする武田軍相手に挟み撃ちをすると言う、
有利な戦いの展開になりました。
当初、北条軍が優勢に見えた合戦でしたが、
志田峠 (三増峠南西約1km) に機動した山県昌景率いる武田の別働隊が、
より高所から奇襲に出ると戦況は一気に武田に傾き、
多くの戦死者を出しながらも、最終的には武田軍の勝利とされています。
こちらが、三増合戦場跡の碑。
碑は昭和44年に建立されたそうです。
実は、この地に訪れるのは、これで2回目。
さすが、愛川町の観光資産であり、歴史資産でもある。
案内板もしっかり設置されています。
そして、極め付け。
『 あいかわの景勝10選 』の碑。
この碑が目的で、ここに来たと言っても過言ではない。
そして、こちらはオマケと言って良いのか?
愛川町の指定史跡の碑。
こちらは、三増合戦で討ち死した北条家の家臣、間宮善十郎の墓。
約450年前、この地で壮絶な戦いが繰り広げられましたが
現在は、長閑な畑が広がる耕作地。
武田信玄が陣を張ったとされる志田峠。
一応、武田側の勝利と言うことで、挟み撃ちにされた信玄は
無事、甲斐国に戻ることができたけれど、
この地の合戦でいずれかが決定的な敗北を喫していたら
戦国時代の関東・甲信越の勢力図も変わっていただろう。
そして、織田信長が台頭することもなかったかもしれない。
歴史ってちょっとしたタイミングなんだなぁ...............。
個人的な連休の2日目。
この日は、神奈川県の愛川町に出かけました。
愛川町には、平成13年に制定された『あいかわの景勝10選』なるモノがあります。
町内の10ヶ所の景勝地を選ばれたモノです。
その内訳は...............
①宮ケ瀬ダムと新石小屋橋
②経ケ岳・仏果山・高取山にかけての山並
③塩川滝飛沫
④勝楽寺の山門と杉木立ち
⑤三増合戦碑と志田峠
⑥箕輪耕地遠望
⑦八菅山と八菅神社
⑧山十邸と中津往還
⑨工業団地といちょう並木
⑩中津川の清流
となっています。
〇〇八景とか、〇〇百選と言った類いのモノが基本的には嫌いではない。
むしろ、追っ掛けていたりするから好きな部類に入ります。
当然、この『あいかわの景勝10選』も、いつかはコンプリートしてみたいと思っています。
と言うことで、この日の愛川町は『あいかわの景勝10選』目的の訪問です。わ
この日、最初に向かったのは...............三増合戦碑と志田峠
三増合戦場は、
1569年、甲斐の武田軍と小田原の北条軍が激戦をくりひろげた合戦場です。
この年、武田信玄は2万の軍勢を率いて甲府を出立、
滝山城などの北条方の拠点を攻撃したのちに、
北条氏康の小田原城を囲みました。
籠城した北条軍は城から出ず、武田軍は包囲を開始して4日後に
城下に火を放ち軍勢を引き上げました。
北条軍は、後詰めであった甲州街道守備軍の北条氏照、
秩父方面守備軍の北条氏邦の軍勢2万が三増峠に着陣し、
甲斐に帰国しようとする武田軍相手に挟み撃ちをすると言う、
有利な戦いの展開になりました。
当初、北条軍が優勢に見えた合戦でしたが、
志田峠 (三増峠南西約1km) に機動した山県昌景率いる武田の別働隊が、
より高所から奇襲に出ると戦況は一気に武田に傾き、
多くの戦死者を出しながらも、最終的には武田軍の勝利とされています。
こちらが、三増合戦場跡の碑。
碑は昭和44年に建立されたそうです。
実は、この地に訪れるのは、これで2回目。
さすが、愛川町の観光資産であり、歴史資産でもある。
案内板もしっかり設置されています。
そして、極め付け。
『 あいかわの景勝10選 』の碑。
この碑が目的で、ここに来たと言っても過言ではない。
そして、こちらはオマケと言って良いのか?
愛川町の指定史跡の碑。
こちらは、三増合戦で討ち死した北条家の家臣、間宮善十郎の墓。
約450年前、この地で壮絶な戦いが繰り広げられましたが
現在は、長閑な畑が広がる耕作地。
武田信玄が陣を張ったとされる志田峠。
一応、武田側の勝利と言うことで、挟み撃ちにされた信玄は
無事、甲斐国に戻ることができたけれど、
この地の合戦でいずれかが決定的な敗北を喫していたら
戦国時代の関東・甲信越の勢力図も変わっていただろう。
そして、織田信長が台頭することもなかったかもしれない。
歴史ってちょっとしたタイミングなんだなぁ...............。
2017/06/06 Tue. 00:00 |
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あいかわの景勝10選 《 宮ヶ瀬ダムと石小屋橋 》 (2016年8月12日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
8月12日 公休日
まだまだ続く、宮ヶ瀬ダムネタ(笑)。
この日は宮ヶ瀬ダムに行きました。
宮ヶ瀬ダム近くを散策していると
こんな標柱を発見。
『あいかわの景勝10選』と記されています。
何やら興味を引きそうな文面。
どうも『〇〇八景』とか、『〇〇百選』と言った言葉に弱い。
裏面を見てみると、平成13年に選定(制定)されたらしい。
こちらが、その景勝になるのか?
宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋。
雑草と葉が茂った木で、標柱からは景勝を眺める事は難しい。
こちらは、新石小屋橋からのショット。
まさに『宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋』
この新石小屋橋からは、滝を眺める事が出来ます。
この滝は大沢の滝。
大沢の滝をすぎ、新石小屋橋を渡りきれば
目の前には宮ヶ瀬ダム。
この景観が『あいかわの景勝10選』なんだろうなぁ。
平成12年制定とは割と新しい。
まぁ歴史が無いと言えばそれまでだが
それはそれで仕方が無い。
でも一人でも多くの人が愛川町に来て欲しい。
そんな想いを感じ取れます。
そんな訳で、愛川町商工会が推奨する『あいかわの景勝10選』
これも追っかけてみましょう。
まだまだ続く、宮ヶ瀬ダムネタ(笑)。
この日は宮ヶ瀬ダムに行きました。
宮ヶ瀬ダム近くを散策していると
こんな標柱を発見。
『あいかわの景勝10選』と記されています。
何やら興味を引きそうな文面。
どうも『〇〇八景』とか、『〇〇百選』と言った言葉に弱い。
裏面を見てみると、平成13年に選定(制定)されたらしい。
こちらが、その景勝になるのか?
宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋。
雑草と葉が茂った木で、標柱からは景勝を眺める事は難しい。
こちらは、新石小屋橋からのショット。
まさに『宮ヶ瀬ダムと新石小屋橋』
この新石小屋橋からは、滝を眺める事が出来ます。
この滝は大沢の滝。
大沢の滝をすぎ、新石小屋橋を渡りきれば
目の前には宮ヶ瀬ダム。
この景観が『あいかわの景勝10選』なんだろうなぁ。
平成12年制定とは割と新しい。
まぁ歴史が無いと言えばそれまでだが
それはそれで仕方が無い。
でも一人でも多くの人が愛川町に来て欲しい。
そんな想いを感じ取れます。
そんな訳で、愛川町商工会が推奨する『あいかわの景勝10選』
これも追っかけてみましょう。
2016/09/04 Sun. 15:00 |
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ダム湖百選 《 宮ヶ瀬湖 》(2016年8月12日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
8月12日 公休日
この日は神奈川県の宮ヶ瀬に出掛けました。
宮ヶ瀬と言ったら、宮ヶ瀬ダム。
そして、宮ヶ瀬湖。
そうです、ダムカード集めで訪れた宮ヶ瀬ダムが堰き止めて出来た人造湖。
それが宮ヶ瀬湖になります。
宮ヶ瀬湖は、ダム湖百選 に選定されています。
この、『ダム湖百選』。
調べてみると興味深い。
ダム湖百選は、平成17年に制定された制度で、意外に歴史は浅い。
所在する地方自治体首長(いわゆる知事や市町村長)の推薦を受けて、
財団法人ダム水源地環境整備センター(現・一般財団法人水源地環境センター)が認定したダム湖のことです。
関東地方には11ヶ所しか無く、群馬県に6ヶ所、埼玉県には1ヶ所、
東京都には3ヶ所、神奈川県には2ヶ所となっています。
残念ながら、地元の千葉県には1ヶ所もありません。
関東地方に11ヶ所ならば、一つ追っかけてみましょうか...............?
ダムカードと重なる場所もあるようだから、丁度良さそうです。
さらに調べてみると、『ダム湖百選』と言いながらも
現在までに65ヶ所しか選定されていないようです。
ちなみに、『ダム湖百選』のダム湖には、
統一デザインのプレートを用いた記念碑(?)が在るらしい。
こちらが、宮ヶ瀬湖の『ダム湖百選』記念碑。
そして、こちらが宮ヶ瀬湖。
宮ヶ瀬湖そのものは広く、現在地の宮ヶ瀬ダムのあるダムサイトエリア以外に、
同じ愛川町の鳥居原エリア、お隣の清川村にある宮ヶ瀬湖畔エリアと
3つの観光エリアを備えています。
単純に宮ヶ瀬湖を満喫するのであれば、清川村の宮ヶ瀬湖畔エリアの
宮ヶ瀬園地が面白いかもしれません。
宮ヶ瀬ダムからは、宮ヶ瀬園地まで湖を船で移動することも出来ます。
こちらが、宮ヶ瀬ダムの船着場。
船には乗らない(乗れない)から、宮ヶ瀬ダムの天端から
宮ヶ瀬湖をじっくり眺めましょう。
宮ヶ瀬憲章なる石碑。
天端近く、水とエネルギー館側にひっそりと建っています。
ちょっと離れた位置に移動して
湖畔側から宮ヶ瀬ダムを見てみます。
天端を歩き、管理事務所側に移動します。
天端には、『宮ヶ瀬ダム』の銘板。
もうちょっと晴れていたら、それなりの景観かもしれないけれど
やっぱり雲が厚いと景観も今一歩。
元々、人造湖と言えどもダム湖巡りは嫌いじゃない。
とりあえず、ダム湖百選も可能な限り追っかけてみよう。
この日は神奈川県の宮ヶ瀬に出掛けました。
宮ヶ瀬と言ったら、宮ヶ瀬ダム。
そして、宮ヶ瀬湖。
そうです、ダムカード集めで訪れた宮ヶ瀬ダムが堰き止めて出来た人造湖。
それが宮ヶ瀬湖になります。
宮ヶ瀬湖は、ダム湖百選 に選定されています。
この、『ダム湖百選』。
調べてみると興味深い。
ダム湖百選は、平成17年に制定された制度で、意外に歴史は浅い。
所在する地方自治体首長(いわゆる知事や市町村長)の推薦を受けて、
財団法人ダム水源地環境整備センター(現・一般財団法人水源地環境センター)が認定したダム湖のことです。
関東地方には11ヶ所しか無く、群馬県に6ヶ所、埼玉県には1ヶ所、
東京都には3ヶ所、神奈川県には2ヶ所となっています。
残念ながら、地元の千葉県には1ヶ所もありません。
関東地方に11ヶ所ならば、一つ追っかけてみましょうか...............?
ダムカードと重なる場所もあるようだから、丁度良さそうです。
さらに調べてみると、『ダム湖百選』と言いながらも
現在までに65ヶ所しか選定されていないようです。
ちなみに、『ダム湖百選』のダム湖には、
統一デザインのプレートを用いた記念碑(?)が在るらしい。
こちらが、宮ヶ瀬湖の『ダム湖百選』記念碑。
そして、こちらが宮ヶ瀬湖。
宮ヶ瀬湖そのものは広く、現在地の宮ヶ瀬ダムのあるダムサイトエリア以外に、
同じ愛川町の鳥居原エリア、お隣の清川村にある宮ヶ瀬湖畔エリアと
3つの観光エリアを備えています。
単純に宮ヶ瀬湖を満喫するのであれば、清川村の宮ヶ瀬湖畔エリアの
宮ヶ瀬園地が面白いかもしれません。
宮ヶ瀬ダムからは、宮ヶ瀬園地まで湖を船で移動することも出来ます。
こちらが、宮ヶ瀬ダムの船着場。
船には乗らない(乗れない)から、宮ヶ瀬ダムの天端から
宮ヶ瀬湖をじっくり眺めましょう。
宮ヶ瀬憲章なる石碑。
天端近く、水とエネルギー館側にひっそりと建っています。
ちょっと離れた位置に移動して
湖畔側から宮ヶ瀬ダムを見てみます。
天端を歩き、管理事務所側に移動します。
天端には、『宮ヶ瀬ダム』の銘板。
もうちょっと晴れていたら、それなりの景観かもしれないけれど
やっぱり雲が厚いと景観も今一歩。
元々、人造湖と言えどもダム湖巡りは嫌いじゃない。
とりあえず、ダム湖百選も可能な限り追っかけてみよう。
2016/09/04 Sun. 00:00 |
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ダムカードを集めよう 《 宮ヶ瀬ダム 》 (2016年8月12日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
8月12日 公休日
個人的な連休の最終日。
最近、ハマっているダムカード集め。
この日は、神奈川県の愛川町にダムカード目的に出掛けました。
石小屋ダムから隣接するって言うか、歩いて数分の上流にある宮ヶ瀬ダム。
こちらが主目的で訪れました。
まぁ、宮ヶ瀬ダムのついでに石小屋ダムを見るって言うのが本筋ですが
あいかわ公園の駐車場からだと位置的に石小屋ダムから巡ってしまいます。
宮ヶ瀬ダムは、神奈川県愛甲郡愛川町半原と相模原市緑区青山、
更に愛甲郡清川村宮ヶ瀬の3市町村に跨る、相模川水系中津川に建設されたダムです。
中津川・相模川中下流部の洪水調節、沿岸農地への慣行水利権分の農業用水補給。
中津川における河川生態系保全のための河川維持放流を目的とした不特定利水。
横浜市・川崎市・相模原市等神奈川県全体の2/3の地域、県人口の90%への上水道供給。
直下流に併設された神奈川県企業庁の愛川第一発電所による最大出力24,000kWの水力発電。
これらを目的に昭和44年よりダム建設のための予備調査が開始され、
2年後の昭和46年より特定多目的ダム事業としてスタートしました。
堤高156mの重力式コンクリートダム、総貯水容量約2億トンという首都圏最大のダム計画は
難航する補償交渉を経て、計画発表から29年後の平成12年12月に完成しました。
びいすけの背後にそびえ立つのが宮ヶ瀬ダム。
大きなダム碑。
宮ヶ瀬ダムに近付くにつれ、その大きさに目を見張ります。
宮ヶ瀬ダムは、一度 びいすけ と来た事があるから
勝手は知り得たモノ。
ダム内にあるエレベーターに乗って(ペット同乗可)天端へと向かいます。
先ずは、ダムカード。
ダムカードは、こちらの『水とエネルギー館』で配布されています。
『宮ヶ瀬ダム』『石小屋ダム』愛川町のご当地キャラ『あいちゃん』のカードが
3組セットで配布されています。
水とエネルギー館で、ダムカードもゲット。
14時から観光放流があると言う事なので、
それまでダム周辺で時間を潰しましょう。
宮ヶ瀬ダムが堰き止めて出来た宮ヶ瀬湖。
ダムの天端から下を覗いてみましょう。
さすが、堤高156mだけあります。
途中から濡れているのは放水口。
管理事務所の前にも石碑が2基。
放流時間の15分前に下に降りましたが、
既に観光放流見学目的の人、人、人...............。
宮ヶ瀬ダムで行われている観光放流は、
放水口一つに対し、毎秒15tの放流量。
すなわち、放水口が二つあるから、1秒間に30tの水が放水されます。
そして、放流時間は6分間におよびます。
物凄い量の水を放水することになります。
時間になりました。
観光放流の始まりです。
放水口から白いモノが出てきたと思ったら、物凄い瀑音。
これが、毎秒30tの水が流れるサマです。
6分って意外に長い。
これでもか! って言うぐらい放水されたから
周りはミストで一気に涼しくなりました。
まさに、滝壺近くに行ったような感覚です。
この観光放流は、オススメです。
こちらが、手に入れたダムカード。
限定品(?)の愛川町のマスコットキャラクター、あいちゃんのカード。
これで、また一枚ダムカードが増えました。
益々、ダムカード集めにハマりそうです。
個人的な連休の最終日。
最近、ハマっているダムカード集め。
この日は、神奈川県の愛川町にダムカード目的に出掛けました。
石小屋ダムから隣接するって言うか、歩いて数分の上流にある宮ヶ瀬ダム。
こちらが主目的で訪れました。
まぁ、宮ヶ瀬ダムのついでに石小屋ダムを見るって言うのが本筋ですが
あいかわ公園の駐車場からだと位置的に石小屋ダムから巡ってしまいます。
宮ヶ瀬ダムは、神奈川県愛甲郡愛川町半原と相模原市緑区青山、
更に愛甲郡清川村宮ヶ瀬の3市町村に跨る、相模川水系中津川に建設されたダムです。
中津川・相模川中下流部の洪水調節、沿岸農地への慣行水利権分の農業用水補給。
中津川における河川生態系保全のための河川維持放流を目的とした不特定利水。
横浜市・川崎市・相模原市等神奈川県全体の2/3の地域、県人口の90%への上水道供給。
直下流に併設された神奈川県企業庁の愛川第一発電所による最大出力24,000kWの水力発電。
これらを目的に昭和44年よりダム建設のための予備調査が開始され、
2年後の昭和46年より特定多目的ダム事業としてスタートしました。
堤高156mの重力式コンクリートダム、総貯水容量約2億トンという首都圏最大のダム計画は
難航する補償交渉を経て、計画発表から29年後の平成12年12月に完成しました。
びいすけの背後にそびえ立つのが宮ヶ瀬ダム。
大きなダム碑。
宮ヶ瀬ダムに近付くにつれ、その大きさに目を見張ります。
宮ヶ瀬ダムは、一度 びいすけ と来た事があるから
勝手は知り得たモノ。
ダム内にあるエレベーターに乗って(ペット同乗可)天端へと向かいます。
先ずは、ダムカード。
ダムカードは、こちらの『水とエネルギー館』で配布されています。
『宮ヶ瀬ダム』『石小屋ダム』愛川町のご当地キャラ『あいちゃん』のカードが
3組セットで配布されています。
水とエネルギー館で、ダムカードもゲット。
14時から観光放流があると言う事なので、
それまでダム周辺で時間を潰しましょう。
宮ヶ瀬ダムが堰き止めて出来た宮ヶ瀬湖。
ダムの天端から下を覗いてみましょう。
さすが、堤高156mだけあります。
途中から濡れているのは放水口。
管理事務所の前にも石碑が2基。
放流時間の15分前に下に降りましたが、
既に観光放流見学目的の人、人、人...............。
宮ヶ瀬ダムで行われている観光放流は、
放水口一つに対し、毎秒15tの放流量。
すなわち、放水口が二つあるから、1秒間に30tの水が放水されます。
そして、放流時間は6分間におよびます。
物凄い量の水を放水することになります。
時間になりました。
観光放流の始まりです。
放水口から白いモノが出てきたと思ったら、物凄い瀑音。
これが、毎秒30tの水が流れるサマです。
6分って意外に長い。
これでもか! って言うぐらい放水されたから
周りはミストで一気に涼しくなりました。
まさに、滝壺近くに行ったような感覚です。
この観光放流は、オススメです。
こちらが、手に入れたダムカード。
限定品(?)の愛川町のマスコットキャラクター、あいちゃんのカード。
これで、また一枚ダムカードが増えました。
益々、ダムカード集めにハマりそうです。
2016/09/03 Sat. 00:00 |
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ダムカードを集めよう 《 石小屋ダム 》 (2016年8月12日)(神奈川県愛甲郡愛川町)
8月12日 公休日
午前中に病院へ行き、午後からはぽっかり時間が空いた休日。
本当は、病院が終わったら、千葉の自宅へ帰るつもりだったけど
実家のある団地がお盆休み用に敷地内に来客用の駐車場を仮設している。
8月15日まで、その仮設駐車場が利用出来るので、駅近くのコインパーキングを利用しなくても良い。
これって、すごく魅力的。
なんと言っても無料だし(笑)
8月15日まで びいすけ共々、実家に居候することになりました。
幸い(?)にも曇り空。
直射日光さえ無ければ、びいすけ を連れての外出も可能。
ってことで、宮ヶ瀬方面へと足を伸ばしました。
向かった先は...............石小屋ダム
まぁ、石小屋ダムは付録的なモノですが
一応、ダムカードも発行している事だし
じっくりと見学してみましょう。
石小屋ダムは、宮ヶ瀬ダムの下流0.8kmの位置に建設された重力式コンクリートダムです。
石小屋ダムのある辺りには、かつては美しい中津川渓谷が続いていたそうです。
正式には、宮ヶ瀬副ダムと言うことですが、石小屋ダムには、旧中津川渓谷を模したデザインを施し、当時の面影を伝えるとともに、周囲の自然景観に馴染むように配慮されています。
その石小屋ダムですが、実は3つの目的をもっています。
1. 愛川第1発電所の逆調整池
宮ヶ瀬ダムにある愛川第1発電所は、電力需要にあわせて対応できるピーク式発電をおこなっています。
そのため、宮ヶ瀬ダムの発電放流時とそうでない場合で放流量の変動が大きく、
そのままでは下流の中津川の水位が不安定になってしまいます。
そこで石小屋ダムでは、発電放流した水を一旦貯めて、中津川への安定した放流をおこなっています。
すなわち、宮ヶ瀬副ダムと言われる由縁がここにあります。
2. 津久井導水のための水位確保
宮ヶ瀬ダムの水を城山ダムに送るための津久井導水路の入口(呑口)が
石小屋ダムの上流にありますので、導水のための水位を確保します。
3. 宮ヶ瀬ダムの放流水の減勢
国内有数の高さを持つ宮ヶ瀬ダムからの放流水は、膨大な水のエネルギーを発生させます。
石小屋ダムでは、水の勢いを弱める減勢池としての役割も持っています。
また、下流の中津川の河川維持用水など必要な水量を安定的に放流していますので、
愛川第2発電所ではその放流水を利用して、24時間連続運転による発電をおこなっています。
なるほど、石小屋ダムって色々と存在意義があるんですね。
あいかわ公園の駐車場に車を停めて、公園内の遊歩道を歩きながら
石小屋ダムを目指します。
平日は無料のはずの駐車場ですが、お盆休み期間と言うことで
しっかり500円徴収されてしまいました。
遊歩道から眺める石小屋ダム。
あいかわ公園の遊歩道に建っている石碑。
『石小屋堰堤』と刻まれています。
昭和二十七年三月竣功とあるから、
石小屋ダムと宮ヶ瀬ダムが出来る(平成12年)前に、
石小屋ダムの前身に当たる堰堤がこの場所にあったらしい
こちらは、『半原渓谷 石小屋』と書かれた石碑。
昭和10年に横濱貿易新報社(現在の神奈川新聞社)が建てたモノ。
県下名勝史跡四十五佳選当選記念と書かれています。
名勝45地は、横浜貿易新報社が、創立45周年の記念行事として一般から募集して、
その得票数で選定されたそうです。
要は、『かながわの景勝50選』みたいなモノですね。
その昔、この地に「石小屋」と呼ばれる、石が折り重なったようなところがあり、
そこを舟人が休憩所として使っていたそうです。
さらに先に進めは、石小屋ダムの石碑。
石碑の裏から眺める石小屋ダム。
石小屋ダムで堰き止められて出来たのが石小屋湖。
こちらが、石小屋湖。
知らなかったのですが、ダムの上部の一番高い部分を『天端』(てんば)と言うらしい。
天端に掲げられた、看板。
宮ヶ瀬副ダムと記されていますが、石小屋ダムの方がカッコいい。
天端から見下ろす、石小屋ダムの下部。
天端を渡りきり、逆方向から石小屋ダムを眺めてみます。
こちらが、目的のダムカード。
上流の宮ヶ瀬ダムと同じ配布場所である、
『宮ヶ瀬ダム 水とエネルギー館』で配布されています。
これで、ダムカードは6枚目ゲット。
益々、ダムカード集めにハマりそうです(笑)
午前中に病院へ行き、午後からはぽっかり時間が空いた休日。
本当は、病院が終わったら、千葉の自宅へ帰るつもりだったけど
実家のある団地がお盆休み用に敷地内に来客用の駐車場を仮設している。
8月15日まで、その仮設駐車場が利用出来るので、駅近くのコインパーキングを利用しなくても良い。
これって、すごく魅力的。
なんと言っても無料だし(笑)
8月15日まで びいすけ共々、実家に居候することになりました。
幸い(?)にも曇り空。
直射日光さえ無ければ、びいすけ を連れての外出も可能。
ってことで、宮ヶ瀬方面へと足を伸ばしました。
向かった先は...............石小屋ダム
まぁ、石小屋ダムは付録的なモノですが
一応、ダムカードも発行している事だし
じっくりと見学してみましょう。
石小屋ダムは、宮ヶ瀬ダムの下流0.8kmの位置に建設された重力式コンクリートダムです。
石小屋ダムのある辺りには、かつては美しい中津川渓谷が続いていたそうです。
正式には、宮ヶ瀬副ダムと言うことですが、石小屋ダムには、旧中津川渓谷を模したデザインを施し、当時の面影を伝えるとともに、周囲の自然景観に馴染むように配慮されています。
その石小屋ダムですが、実は3つの目的をもっています。
1. 愛川第1発電所の逆調整池
宮ヶ瀬ダムにある愛川第1発電所は、電力需要にあわせて対応できるピーク式発電をおこなっています。
そのため、宮ヶ瀬ダムの発電放流時とそうでない場合で放流量の変動が大きく、
そのままでは下流の中津川の水位が不安定になってしまいます。
そこで石小屋ダムでは、発電放流した水を一旦貯めて、中津川への安定した放流をおこなっています。
すなわち、宮ヶ瀬副ダムと言われる由縁がここにあります。
2. 津久井導水のための水位確保
宮ヶ瀬ダムの水を城山ダムに送るための津久井導水路の入口(呑口)が
石小屋ダムの上流にありますので、導水のための水位を確保します。
3. 宮ヶ瀬ダムの放流水の減勢
国内有数の高さを持つ宮ヶ瀬ダムからの放流水は、膨大な水のエネルギーを発生させます。
石小屋ダムでは、水の勢いを弱める減勢池としての役割も持っています。
また、下流の中津川の河川維持用水など必要な水量を安定的に放流していますので、
愛川第2発電所ではその放流水を利用して、24時間連続運転による発電をおこなっています。
なるほど、石小屋ダムって色々と存在意義があるんですね。
あいかわ公園の駐車場に車を停めて、公園内の遊歩道を歩きながら
石小屋ダムを目指します。
平日は無料のはずの駐車場ですが、お盆休み期間と言うことで
しっかり500円徴収されてしまいました。
遊歩道から眺める石小屋ダム。
あいかわ公園の遊歩道に建っている石碑。
『石小屋堰堤』と刻まれています。
昭和二十七年三月竣功とあるから、
石小屋ダムと宮ヶ瀬ダムが出来る(平成12年)前に、
石小屋ダムの前身に当たる堰堤がこの場所にあったらしい
こちらは、『半原渓谷 石小屋』と書かれた石碑。
昭和10年に横濱貿易新報社(現在の神奈川新聞社)が建てたモノ。
県下名勝史跡四十五佳選当選記念と書かれています。
名勝45地は、横浜貿易新報社が、創立45周年の記念行事として一般から募集して、
その得票数で選定されたそうです。
要は、『かながわの景勝50選』みたいなモノですね。
その昔、この地に「石小屋」と呼ばれる、石が折り重なったようなところがあり、
そこを舟人が休憩所として使っていたそうです。
さらに先に進めは、石小屋ダムの石碑。
石碑の裏から眺める石小屋ダム。
石小屋ダムで堰き止められて出来たのが石小屋湖。
こちらが、石小屋湖。
知らなかったのですが、ダムの上部の一番高い部分を『天端』(てんば)と言うらしい。
天端に掲げられた、看板。
宮ヶ瀬副ダムと記されていますが、石小屋ダムの方がカッコいい。
天端から見下ろす、石小屋ダムの下部。
天端を渡りきり、逆方向から石小屋ダムを眺めてみます。
こちらが、目的のダムカード。
上流の宮ヶ瀬ダムと同じ配布場所である、
『宮ヶ瀬ダム 水とエネルギー館』で配布されています。
これで、ダムカードは6枚目ゲット。
益々、ダムカード集めにハマりそうです(笑)
2016/09/02 Fri. 00:00 |
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