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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............昭和尋常小学校神納分校 (2018年3月4日)(千葉県袖ケ浦市) 

3月4日

この日は、袖ケ浦市に出かけました。

ちょっと足を伸ばした木更津市の八劍八幡神社をあとにして
向かった先は.........昭和尋常小学校神納分校


神納分校は、

明治6年     神納村の光曜寺を校舎として神納小学校が開校。
明治7年     校地を神蔵寺に移転。
明治11年    奈良輪校と合併する。
明治14年    良輪小学校と分離し、神納小学校を設置する。
明治21年    共進校(飯富)と合併する。
明治23年    共進校と分離し、神納尋常小学校を設置
明治28年    神納、楢葉、長浦の三村による組合立明誠高等小学校を設立する。
明治33年    神納、楢葉校を合併し組合立県尋常小学校を設立する。
明治35年    県尋常小学校を解散し、神納、楢葉校を設立
昭和3年     神納、楢葉校を廃止、昭和尋常高等小学校を設立
昭和7年    楢葉村と神納村が合併して昭和町が誕生。
昭和16年   昭和町立昭和国民学校神納分教場と改称する。
昭和19年   廃校になる。

と、日本の学校教育の黎明期である明治期から
戦争に揺れた激動の昭和19年まで
統合と分離を繰り返してきた小学校のようです。



こちらが、神納分校跡。

      20180304神納分校01

県道143号線沿いの神納公民館の在る場所になります。


敷地内には、思わず眉唾モノが残っている。

      20180304神納分校02



往時の門柱。

      20180304神納分校03



何とか大正十年と判別出来ます。

      20180304神納分校04



どぉ〜んと建てられた立派な碑。

      20180304神納分校05

この地における学校の沿革が刻まれています。



二宮像。

      20180304神納分校06

残念ながら、往時のものではない。
記念碑を建立した時に併せて建立されたモノ。


二宮像と並んで、はい、ポーズ!

      20180304神納分校07


昭和19年の廃校だから、校舎は当然解体されて在りません。

      20180304神納分校08


跡地には、神納公民館が建てられています。

      20180304神納分校09


      20180304神納分校10


廃校後の典型的な跡地の再利用。
地域の公民館として利用され、
また地域のランドマークであった学校跡地を
地域の人間が世代交代しても、いつまでも忘れないように記念碑を残す地域愛。

今では、遠い昔になりつつある昭和19年以前の学校跡地を
地域の一つたちはいつまでも忘れないことでしょう。



2018/04/17 Tue. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............清海小学校 (2017年12月7日)(千葉県龍勝浦市) 

12月14日

この日は、房総半島の勝浦市に出かけました。

遠見岬神社をあとにして、向かった先は...............勝浦市立清海小学校


清海小学校は、
明治6年      学制により第6大区1小区に第222番中学区第3等小学校守谷校を
         守谷1(大巌寺)に設立。守谷・鵜原の児童を収容する。
明治7年     道路事情等で通学困難のため、支校を鵜原真光寺内におく。
明治16年     小学校令改正により、守谷本校舎に初等中等科をおき、
         鵜原支校に初等科を設置する。
         守谷本校を守谷763番地に移転 
明治20年     小学校令により公立守谷尋常小学校と改称する。
明治22年     清海村立鵜原簡易科小学校は鵜原を学区とする。
         清海村立鵜原尋常小学校は守谷・興津を学区とする。
         守谷本校舎倒壊のため、本校児童を鵜原支校へ収容する。
明治23年     守谷学区児童通学困難の理由を以て守谷分校を設置する。
明治25年     新小学校令により鵜原尋常小学校と改称する。
明治29年     守谷分校を守谷尋常小学校と改称する。
明治40年     鵜原、守谷尋常小学校を廃し、清海東尋常小学校を設置し両学区の児童を収容する。
大正10年     町制施行により、興津東尋常小学校と改称する。
 昭和22年    学制改革により、興津町立東小学校と改称する。
 昭和30年    町村合併により、勝浦町立興津東小学校と改称する。
昭和33年    市制施行のため、勝浦市立清海小学校と改称する。
 平成28年    上野小学校に統合され、廃校となる


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、清海小学校の正門。

      20171214清海小学校01


門柱には、まだ清海小学校の表札が残っていました。

      20171214清海小学校02


正門の先にはいきなり体育館。

      20171214清海小学校03


体育館手前には、閉校記念碑。

      20171214清海小学校04



やっぱり廃校に訪れて、この廃校記念碑があるのと、ないのでは
テンションが幾らか変わってくる。

      20171214清海小学校05

当然、今日はテンション高めです(笑)。


閉校記念碑の裏面には、簡略な沿革と校歌が刻まれていました。

      20171214清海小学校06



閉校記念碑の近くには頌徳碑。

      20171214清海小学校07



そして、創立百周年記念の碑。

      20171214清海小学校08


体育館に対座するように建つ校舎。

      20171214清海小学校09


校舎玄関の庇には、校名。

      20171214清海小学校10


そして、壁面には校章が掲げられています。

      20171214清海小学校11



平成28年の春に廃校となった清海小学校。
1年以上たっているのに、なぜか改修工事中。

      20171214清海小学校12


      20171214清海小学校13

何か別な施設に転用される予定があるのでしょうか?



ちょうど、1Fの吹き抜け部分の天井の補修工事の真っ最中。

      20171214清海小学校14



工事関係者の方々の邪魔にならないように校庭側に移動します。


校庭側からの校舎。

      20171214清海小学校15


      20171214清海小学校16


      20171214清海小学校17



校舎全景。

      20171214清海小学校18


      20171214清海小学校19



校舎の前には国旗掲揚台。

      20171214清海小学校20


台座にも、校歌のプレートが嵌め込まれています。

      20171214清海小学校21


広く見える校庭。

      20171214清海小学校30



校庭の遊具類。

      20171214清海小学校22


      20171214清海小学校23


      20171214清海小学校24


      20171214清海小学校25


      20171214清海小学校26


      20171214清海小学校27


      20171214清海小学校28



廃校のお約束?
校庭の隅には防災倉庫。

      20171214清海小学校29



校庭の椰子の木(?)は、見た感じ枯れかかっている。

      20171214清海小学校31

手入れする人もいなくなってしまったからかな?


その奥には朽ちた百葉箱。

      20171214清海小学校32



こちらが、校庭側の門。

      20171214清海小学校33

古い石柱だから、こちら側がかつての正門だったかもしれない。


百葉箱の近くに二宮像を発見。

      20171214清海小学校34



最近、廃校、廃校跡を巡っても
二宮像に出会える事も少なくなってきた気がします。

      20171214清海小学校35


地域的に二宮像が無い地区もあるようだから
これは致し方ない事。


まあ、この清海小学校について言えば
廃校(閉校)記念碑もあったし、二宮像も残っている。
現在、改修工事中と言うことで、他に転用される可能性が極めて高いけど
廃校記念碑と二宮像だけは撤去せずに、
いつまでもこの地に遺してもらいたいモノです。





2018/02/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............北文間小学校 (2017年12月7日)(茨城県龍ケ崎市) 

12月7日

茨城県龍ケ崎市周辺の御朱印巡りに出かけたこの日。
今年の春に廃校になった龍ケ崎市の小学校を訪れてみました。

訪れたのは...............龍ケ崎市立北文間小学校


北文間小学校は、
明治7年長沖村の「阿弥陀寺」に長興小学校を開校する。
豊田村の「薬師寺」に豊田小学校を開校する。
明治16年北方村の「如来寺」に北方小学校を開校する。
明治17年 長興、豊田、北方の三校が合併し、長興小学校となる
明治19年長興尋常小学校と改称する。
明治22年長沖新田・須藤堀村・長沖村・豊田村・北方村・羽黒村が合併し北文間村が発足。
北文間尋常小学校と改称する。
明治43年北文間高等尋常小学校と改称する。
昭和22年学制改革により北文間村立北文間小学校と改称する。
昭和29年北文間村が近隣の町村と合併して龍ケ崎市が誕生。
龍ケ崎市立北文間小学校と改称する。
平成29年龍ヶ崎西小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、北文間小学校の正門。

      20171207北文間小学校01

      20171207北文間小学校02



門柱の表札は既に取り外されています。

      20171207北文間小学校03



門柱脇には顕彰碑。

      20171207北文間小学校04

かなり古い碑のため、碑文ははっきりと判読出来ない。


それでは正門をくぐって、北文間小学校をじっくりと見学させてもらいましょう。


正門側から見た校舎。

      20171207北文間小学校05



校庭側からの校舎。

      20171207北文間小学校06


      20171207北文間小学校07


私が校舎を眺めている間に
びいすけ は、校庭を闊歩しています。

      20171207北文間小学校08


      20171207北文間小学校09


      20171207北文間小学校10



校舎の玄関。

      20171207北文間小学校11



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20171207北文間小学校12


さらには、何かの碑。

      20171207北文間小学校13


こちらは、方位計?

      20171207北文間小学校14


そして、北文間小学校の校歌の碑。

      20171207北文間小学校15

残念ながら、廃校記念碑は在りませんでした。



校庭脇の花壇にはオブジェ。

      20171207北文間小学校16


小さな池には水が張られていたけれど、泳ぐ魚は居ない。

      20171207北文間小学校17



こちらは体育館。

      20171207北文間小学校18



その隣にはプール。

      20171207北文間小学校19



校庭を闊歩する びいすけ 。

      20171207北文間小学校20


校庭に残された遊具類。

      20171207北文間小学校21


      20171207北文間小学校22


      20171207北文間小学校23


      20171207北文間小学校24


      20171207北文間小学校25



校庭の片隅には百葉箱。

      20171207北文間小学校26


敷地内を探したけれど、二ノ宮像は見当たらず。
廃校記念碑も無かったし、二ノ宮像も無い。
今年廃校になったばかりなのに...............
ちょっぴり残念だなぁ。


2018/01/24 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............長尾小学校 (2017年11月25日)(千葉県南房総市) 

11月25日

この日は、房総半島の南端に出かけました。


畑小学校をあとにして、向かった先は...............南房総市立長尾小学校


長尾小学校は、
明治7年      根本村に根本小学校が設立される。
           滝口村に滝口小学校が設立される。
明治22年     町村制の施行により滝口村、根本村が合併して長尾村が発足する。
昭和22年     学制改革により長尾村立滝口小学校、長尾村立根本小学校と改称する。
昭和29年     長尾村と白浜町が合併して新たな白浜町が誕生。
           白浜町立滝口小学校、白浜町立根本小学校と改称する。
昭和46年     根本小学校と滝口小学校が合併して長尾小学校が誕生。
平成18年     白浜町が富浦町、富山町、千倉町、丸山町、和田町、三芳村と合併して南房総市が誕生。
           南房総市立長尾小学校と改称する。
平成23年     白浜小学校と統合して新たな白浜小学校が誕生する。
           長尾小学校は廃校となる。



こちらが、長尾小学校の正門。

      20171125長尾小学校01



門柱には、往時の表札...............と思っていたら。

      20171125長尾小学校02

長尾幼稚園 小学校跡地 となっている。


小学校入口に何やら看板らしきモノが掲げられています。

      20171125長尾小学校03



ナイフとフォークのマークにランチとディナー。
どうやら、レストランが長尾小学校跡地にオープンしているようです。

      20171125長尾小学校04



調べてみると...............

南房総市が廃校跡の利用を公募して、
現在は「シラハマ校舎」と言う民間企業に貸し出しされているようです。

      20171125長尾小学校05



木造の校舎をリノベーションして、
20坪のオフィスが2部屋、
10坪のオフィスが10部屋、
ゲストルームが2部屋とオフィスや宿泊施設としています。

      20171125長尾小学校06

ちなみに、びいすけ の背後の積まれた石は、
房総半島最南端の野島埼灯台周辺で使われなくなった石を
毎日少しずつ運んで作られた石垣です。


リノベーションされた木造校舎ですが
遠巻きに眺めてみましょう。

      20171125長尾小学校07


      20171125長尾小学校08



レンタルオフィスに人が居るかわ分かりませんが
邪魔にならないように近づいてみましょう。

      20171125長尾小学校09


      20171125長尾小学校10



校庭は家庭菜園スペースとして利用されるようです。

      20171125長尾小学校11

区間ごとに小屋を建てて、そこで寝泊まりも出来るらしい。



正門脇の椰子の木。

      20171125長尾小学校12

う〜む、南国っぽい。
この地域では桜の木よりも、こう言った南国系のきぎが
シンボルツリーになっているんだろうなぁ。


ざっと、敷地内を回ってみたけれど
再利用されることになって校庭には遊具類もないし
廃校記念碑や二ノ宮像もない。


この避難場所の看板は、廃校後に建てられたんだろう。

      20171125長尾小学校13


一応、校舎はのこっているものの、
古き良き学校って言うイメージが少ない。

この辺りの雰囲気が昭和っぽいかな?

      20171125長尾小学校14


数年前から、『来よう、来よう』と思っていた長尾小学校。
正直言えば、もっと早く来れば良かった。

でも、まだこの廃校跡の再利用が初期段階だから
敷地内に立ち入ることも可能だったかも?

南房総市には、またまだ訪れていない廃校が多いから
いずれ、またいつか廃校巡りを考えなきゃ!


2018/01/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............畑小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島の南端の館山市に出かけました。


道の駅 白浜野島崎 をあとにして、向かった先は...............館山市立畑小学校(跡)


畑小学校の詳しい沿革は良く分かりません。
従って、創立時期は不明ですが、
昭和47年に児童数の減少により
豊房小学校に統合され廃校となったそうです。


こちらが、畑小学校の入り口。

      20171125畑小学校01

おそらく、この辺りに門柱が建っていたのでしょう。


廃校から、既に45年。
校舎はとっくに解体され、現在は空き地になっています。

      20171125畑小学校02



残念ながら、ここが学校だったとは分かりづらい。

      20171125畑小学校03



学校遺構が全く残っていません。

      20171125畑小学校04



元々は、神社の敷地内だったのか?

      20171125畑小学校05



学校跡地に神社が隣接しています。

      20171125畑小学校06



学校跡地の一角には消防倉庫。

      20171125畑小学校07

廃校跡にはよくあるパターンです。



道から神社に上る石段。

      20171125畑小学校11


石段を上りながら、振り返ると...............

      20171125畑小学校08

確かに、山間部の小さ学校だったのが分かります。


石段わ上りきれば、長尾三神社。

      20171125畑小学校09



拝殿前から校地を見てみます。

      20171125畑小学校10


  
Wikipediaにも載っていない畑小学校。    
はたして、この小学校の事を知っているのはどれだけ居るのだろう...............?




2018/01/14 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............神戸小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、房総半島南端の館山市に出かけました。

安房神社をあとにして、向かった先は...............館山市立神戸小学校


神戸小学校は、

明治7年布沼小学校(東光寺)、犬石小学校(金蓮寺)、佐野小学校(千葉院)が設置される
明治12年布沼小学校を藤栄寺に移転し、藤原小学校と改称する。
明治20年犬石小学校を大成尋常小学校と改称する。
藤原小学校を洲宮尋常小学校と改称する。
明治22年大成尋常小学校を現在地に移転し、佐野小学校を統合する。
大正2年大成尋常小学校を廃し、神戸村尋常高等小学校を設立して洲宮分校を置く
昭和22年学制改革により神戸村立神戸小学校と改称する。
昭和29年神戸村が西岬村、豊房村、富崎村、九重村、館野村とともに館山市に編入する。
館山市立神戸小学校と改称する。
昭和36年洲の宮分校を本校に統合する。
平成29年富崎小学校と統合し小中一貫校(房南学園館山市立房南小学校)が開校。
神戸小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、神戸小学校の正門。

      20171125神戸小学校01



こちらも同じ敷地内に『房南こども園』と言う幼稚園が併設されています。

      20171125神戸小学校02

ちなみに、幼稚園はまだ閉園とはなっていないようです。


正門から入った正面には花壇。

      20171125神戸小学校03


その右手前方に平屋建ての建物。

      20171125神戸小学校04


神戸小学校玄関と書かれています。

      20171125神戸小学校05



小学校の玄関と言うことですが、
見た感じ幼稚園の建物に見えなくもない。

      20171125神戸小学校06



別アングルから。

      20171125神戸小学校07


玄関と書かれた建物の奥に二階建ての校舎。

      20171125神戸小学校08



敷地内の際奥に、別な二階建ての建物。

      20171125神戸小学校09


      
その建物の2階の窓ガラスに貼り紙。

      20171125神戸小学校10


      20171125神戸小学校11


      20171125神戸小学校12


3分割に写真を撮りましたが

『 ありがとう神戸小学校 ふるさとに響け 感謝と歴史のハーモニー 』

このような文面となっています。
どうやら、こちらが神戸小学校の校舎だったようですが
現在は、南房こども園 の園舎となっているようです。



中庭に建つ標柱。

      20171125神戸小学校13

こちらにも館山市市制50周年記念の碑が在りました。



こちらは、体育館。

      20171125神戸小学校14


校庭。

      20171125神戸小学校15



校庭に残る遊具類。

      20171125神戸小学校16


      20171125神戸小学校17


      20171125神戸小学校18


      20171125神戸小学校19


      20171125神戸小学校20


      20171125神戸小学校21


      20171125神戸小学校22


      20171125神戸小学校23



朝礼台。

      20171125神戸小学校24



校庭の隅に建つ倉庫。

      20171125神戸小学校25



そして、プール。

      20171125神戸小学校26



校庭に立ってマジマジと校舎を眺めてみます。

      20171125神戸小学校27


      20171125神戸小学校28



今年の春に廃校となった神戸小学校。
明治の初めに出来た3つの小学校を礎とし、歴史のある学校でした。

残念ながら、二ノ宮像も廃校記念碑もありませんでしたが
地域に根を張っていた小学校だったようです。



2018/01/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............富崎小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は房総半島南端の館山市に出かけました。


道の駅 南房パラダイス をあとにして、向かった先は...............館山市立富崎小学校


富崎小学校は

明治7年      布良村の龍樹院に布良小学校が開校。
           相浜村に仮校舎にて相浜小学校が開校。
明治20       年布良・相浜両校を統合し布良尋常小学校と改称する
明治22年     布良村、相浜村が合併して富崎村が発足。
           富崎小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により富崎村立富崎小学校と改称
昭和29年     富崎村が西岬村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入する。
           館山市立富崎小学校と改称する。
平成24年     児童数の減少により休校となる。
平成29年     神戸小と統合し小中一貫校(房南学園館山市立房南小学校)が開校。
           富崎小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、富崎小学校の正門。

      20171125富崎小学校01


門柱に残る富崎小学校の表札。

      20171125富崎小学校02


反対側の門柱には、富崎幼稚園の表札。

      20171125富崎小学校03

同じ敷地内に小学校と幼稚園があると言うのは
地方に多いですね。



門柱は昭和55年度の卒業生の寄贈品なんですね。

      20171125富崎小学校31



敷地内に入るとすぐ目に留まる案内板。。
地域の避難場所になっています。

      20171125富崎小学校04



避難場所の案内板の背後はプール。

      20171125富崎小学校05


正門からは緩やかなスロープ。
フェンスには卒業製作品の子供たちの絵。

      20171125富崎小学校06

海に近いから、魚の絵が多い。


スロープ下には大きな碑。

      20171125富崎小学校07


碑文は『神田君碑』。

      20171125富崎小学校08

神田吉右衛門と言う人を讃えた碑のようです。



碑脇には二ノ宮像。

      20171125富崎小学校09


      20171125富崎小学校10


      20171125富崎小学校11



校舎の壁面に掲げられた校章。

      20171125富崎小学校12



校庭側に移動してみましょう。



休校から5年後の今年の春に廃校になった校舎。

      20171125富崎小学校13


色んな角度から校舎を眺めてみます。

      20171125富崎小学校14


      20171125富崎小学校15


      20171125富崎小学校16


      20171125富崎小学校17



こちらは体育館。

      20171125富崎小学校18


校庭を闊歩する びいすけ 。

      20171125富崎小学校19


      20171125富崎小学校28


何気にマーキング。

      20171125富崎小学校29

気になる匂いでもあるのかな?



びいすけ の背後の木の奥に碑があるようです。

      20171125富崎小学校20



富崎小学校の校歌の碑でした。

      20171125富崎小学校22


裏面には、富崎小学校の応援歌。

      20171125富崎小学校21



最初は、何か分からなかったオブジェ?
よく見ると、横になった人魚に見える。

      20171125富崎小学校23



校庭の花壇。
舟の形をしているところが面白い。
さすが、海に近い小学校です。

      20171125富崎小学校24


校庭に残る遊具。

      20171125富崎小学校25


      20171125富崎小学校26



国旗掲揚ポール。

      20171125富崎小学校27



校舎の壁には、卒業製作品の絵。    

      20171125富崎小学校30



数年前から、休校中の小学校として、その存在は知っていましたが
地元の反対もあって、廃校ではなく休校扱いになっていましたが
残念ながら廃校となってしまいました。

明治の時代から富崎と言う漁村に在った小学校は
休校から復帰する事なく、その役目を終えてしまいました。



2018/01/10 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立西小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

洲崎分校をあとにして、向かった先は...............館山市立西小学校



館山市立西小学校は

明治7年      井戸村に伊戸小学校設置
明治8年      川名小学校設置
明治22年     塩見村、波左間村を含めた近隣の14の村が合併して
           西岬村が誕生する。
明治42年     伊戸・川名両校合併して西小学校と称す
昭和22年     学制改革により西岬村立西小学校と改称する。
昭和29年     西岬村が富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入。
           館山市立西小学校と改称する
昭和37年     洲崎分校を廃し本校に統合する。
昭和57年     東小学校と西小学校が統合して新たに西岬小学校として開校する。
           西小学校は廃校となる。


と、このような沿革になっているようです。




こちらが、西小学校跡。

      20171125西小学校01



敷地に建つ看板。
現在は西岬公民館の分館になっています。

      20171125西小学校02


てっきり、西小学校の校舎を公民館に流用していると思っていました。

      20171125西小学校03


      20171125西小学校04


ところが、新たに公民館として建てられたモノでした。

      20171125西小学校05



公民館の玄関前には、館山市市制50周年の碑。

      20171125西小学校06

確か、西岬東公民館にも在りましたね。



敷地内をぐるっと見て回りましたが
西小学校の遺構は全く残っていない。

      20171125西小学校07


でも、この立派な木は西小学校時代のモノ。

      20171125西小学校08


たまたま、公民館に来られたお婆さんと話をすることが出来ました、
公民館とは逆方向の山側に木造の校舎が建っていたのだけれど
それを解体して、道路側に公民館を建てたらしい。


そして、この2本の椰子の木(?)の奥に
やはり木造の講堂が建っていたと言うことです。

      20171125西小学校09

でも温暖な房総半島南端の学校には、校庭に椰子の木とか蘇鉄とか
南国っぽい木が多い。



フェンス沿いに立ち並ぶ桜の木。

      20171125西小学校10

大きさから言ったら、廃校後に植えられたモノなのか?



敷地内には公民館のたしかなく、学校跡っぽく見えなくもないけれど
道路から見上げると、学校跡っぽく見える。

      20171125西小学校11


せめて、門柱とかが残っていれば...............


この場所も、いずれは学校跡だと言うことさえも
忘れ去られてしまうんだろうなぁ。


2018/01/08 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立西小学校洲崎分校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は館山市に出かけました。
洲崎地区にある洲崎神社を訪れたあとは
近隣の情報収集。
実は、洲崎地区にはかつて小学校の分校が在りました。
ただし、詳細は不明。場所も分からない。
こう言う時は、現地で初老の方に訊いてみるのも一つの手。

当初は、公民館的な施設が分校跡地ではないか?と当たりを付け
洲崎地区会館を訪ねてみると、そこは洲崎神社の敷地内。
社務所の隣の建物。どうやら違うみたい。
隣接する養老寺には、保育園が併設されている。
そちらが分校跡地かと思いきや、そちらも違っているように見える。

たまたま、農作業に出かけるため歩いていたお婆さんを発見。
訪ねてみると、そのお婆さんはリアルにその分校に通っていたらしい。
当時の小学生が言うんだから場所は間違いない。
分校跡地は洲崎神社から300mほど離れた場所に在りました。

と言うことで訪れたのは...............館山市立西小学校洲崎分校


洲崎分校の詳細は不明ですが
この洲崎地区は明治期には洲崎村であったことから
おそらく明治期に小学校として設立された、
もしくは位置的に川名小学校の分校として設立されたのかもしれません。

本校であった西小学校が明治42年に井戸小学校と川名小学校が合併して
西小学校となった経緯から、その後に分校として設置されたかもしれません。
いずれにしても、設立時期は不明です。
昭和37年に本校である西小学校に統合されて洲崎分校は廃校となりました。


こちらが洲崎分校跡地。

      20171125州崎分校01


先ほどのお婆さんの話では、
病院の寮として利用される予定だったらしい。

確かに、それらしい表札は残っています。

      20171125州崎分校02


現在は全くの更地。

      20171125州崎分校03


何やら碑らしきモノが残っていましたが
はたして何なのか?
文字も判別出来ず、正体不明。

      20171125州崎分校04


廃校から既に55年。
跡地は民間に払い下げられ、寮地になり
学校跡を彷彿させるモノは全く無い。

      20171125州崎分校05


      20171125州崎分校06


      20171125州崎分校07



半世紀以上も前の事だし、元々洲崎集落もさほど大きくなく
どうやら住んでいる人もそんなに多くは無いようです。
きっと、この場所に分校が在った事を知っている人は
いずれ居なくなってしまうだろう。
何となく淋しいですね...............。



2018/01/07 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............館山市立東小学校 (2017年11月25日)(千葉県館山市) 

11月25日

この日は、館山市に出かけました。

Wikipediaによれば、館山市には6校の廃小学校があるようです。
その内の1校である館山市立東小学校に訪れました。


東小学校は、

明治7年      塩見村に塩見小学校設置。
           波左間村に波佐間小学校を設置
明治22年     塩見村、波左間村を含めた近隣の14の村が合併して
           西岬村が誕生する。
明治39年     塩見・波佐間両校を合併して東小学校と称す。
昭和22年     学制改革により西岬村立東小学校と改称する。
昭和29年     西岬村が富崎村、豊房村、神戸村、九重村、館野村とともに館山市に編入。
           館山市立東小学校と改称する。
昭和57年     東小学校と西小学校が統合して新たに西岬小学校として開校する。
           東小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが東小学校の正門。

      20171125東小学校01



昭和47年に廃校になった小学校の正門の門柱。

      20171125東小学校02

表札は、館山市営西岬市民体育館となっています。


地域の避難場所に指定されているようです。

      20171125東小学校03



正門から敷地内に入ると、すぐ左手に建つ碑。

      20171125東小学校04



太田新四郎たる人物の顕彰碑のようです。

      20171125東小学校05

碑文には昭和47年の東小学校廃校に伴い碑を改修したようです。
また、碑文によれば小学校校舎は公民館として流用されることになったようです。


正門を過ぎると、目の前には一本の木。

      20171125東小学校06

子供たちは、この木の横を走りながら通学したのでしょうか?



校庭の一部に杭が打たれ、立ち入り禁止?

      20171125東小学校07



こちらが校舎。

      20171125東小学校08

現在は、公民館として利用されているようです。


      20171125東小学校09



こちらが体育館。

      20171125東小学校10

げんざは、西岬市民体育館となっています。


校庭の杭は一部分。
おそらく、芝生の養生で車の乗り入れを規制しているのでしょう。

      20171125東小学校11



芝生がしっかり管理されているから
芝生を闊歩する びいすけ も気持ち良さそう。

      20171125東小学校12



と、来れば...............
当然こうなります。

      20171125東小学校13


      20171125東小学校14

気持ち良さそうに背中をスリスリ。


体育館前に建つ記念碑。

      20171125東小学校15


廃校記念碑かと思ったら、
館山市の市制施行50周年記念の碑でした。

      20171125東小学校16



校庭の芝生の中に立つ1本の木。

      20171125東小学校17


この木も正門近くの木同様、シンボルツリーとして
子供たちの記憶に残っているのだろう。

      20171125東小学校18


廃校から35年。
房総半島のほぼ先端とも言える地域に在った学校は
公民館と体育館として今もその姿を見て残していました...............。




2018/01/05 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて. ........... 鳩崎小学校(2017年11月11日)(茨城県稲敷市) 

11月11日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。

茨城百景《江戸崎の景観》の地から、向かった先は...............稲敷市立鳩崎小学校


鳩崎小学校は、

明治9年      鳩崎学校として開校。
明治20年     鳩崎尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、鳩崎村立鳩崎小学校と改称する。
昭和29年     江戸崎町・君賀村・沼里村・鳩崎村・高田村が合併し、江戸崎町が発足。
          江戸崎町立鳩崎小学校と改称する。
平成17年     江戸崎町・新利根町・東町・桜川村とともに合併し稲敷市が発足。
          稲敷市立鳩崎小学校と改称する。
平成28年     江戸崎小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


鳩崎小学校跡は、地域の避難場所となっているようです。

       20171111鳩崎小学校01


こちらが、正門。

      20171111鳩崎小学校02



校庭から眺める校舎。

      20171111鳩崎小学校03


      20171111鳩崎小学校04


      20171111鳩崎小学校05


      20171111鳩崎小学校06



校舎玄関。

      20171111鳩崎小学校07



玄関の庇に掲げられた校章。

      20171111鳩崎小学校08


校舎前に立っている国旗掲揚ポール。

      20171111鳩崎小学校09


百葉箱。

      20171111鳩崎小学校10


遠くから見たら、二ノ宮像に見えたけど、違っていた。

      20171111鳩崎小学校18

『なかよし』の像。



卒業制作品の一つなのでしょうか?
何かの台座。
肝心の展示物は無い。

      20171111鳩崎小学校11


こちらにもありました。
教材用の丸ポスト。

      20171111鳩崎小学校12



こちらは体育館。

      20171111鳩崎小学校13


かまぼこ型の屋根がいかにも体育館っぽい。

      20171111鳩崎小学校14



こちらは、プール。

      20171111鳩崎小学校15



もう1棟の校舎。

      20171111鳩崎小学校16



校庭に残されている遊具類。

      20171111鳩崎小学校17


      20171111鳩崎小学校19


      20171111鳩崎小学校20


      20171111鳩崎小学校21



なぜか、校庭の隅に在った朝礼台。

      20171111鳩崎小学校22



こちらは、シンボルツリー?

      20171111鳩崎小学校23



摩訶、不思議?

      20171111鳩崎小学校24

校庭の花壇に野菜が植えられている。

近くの人が家庭菜園の延長で勝手に植えているのかな?




残念なから廃校記念碑も無く、二ノ宮像も無い。
歴史のある学校なのに、せめて記念碑でも残そうと言った声が
上がらなかったのだろうか...............?







2017/12/24 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下君賀小学校 (2017年11月11日)(茨城県稲敷市) 

11月11日

この日は茨城県の稲敷市に出かけました。

君賀小学校から国道408号線をつくば方面に向かうと
国道沿いに下君賀小学校の跡地があります。


下君賀小学校の詳しい沿革は分かりません。
昭和40年に旧・君賀小学校と統合し、新たな江戸崎町立君賀小学校となり
廃校となったようです。


国道からちょっと入った高台が下君賀小学校跡。

      20171111下君賀小学校01


緩やかな坂を上がった先には、ゲート。

      20171111下君賀小学校0102



下君賀小学校の跡地は、現在 江戸崎化学工業 と言う工場になっています。

      20171111下君賀小学校0103



土曜日だから、工場は休み。

      20171111下君賀小学校0104


廃校記念碑と言った遺構が残っていないか?
ゲート越しに覗いてみますが、ありそうも無い。

      20171111下君賀小学校0105


工場の建物を建てる時に敷地も拡充されたのかも知れない。

      20171111下君賀小学校0106


工場の下にある民家の方に話を聞いたら
親御さんが下君賀小学校の卒業生だけど、
碑とかの話を聞いた事は無いし、見た事も無いらしい。

今じゃ、この地が小学校跡だと言うことも
語り継がれる事も無いんだろうなぁ...............。








2017/12/23 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............君賀小学校 (2017年11月11日)(茨城県稲敷市) 

11月11日

この日は、茨城県の稲敷市に出かけました。

成田からつくばへと繋ぐ国道408号線。
この408号線沿いにある廃小学校。

稲敷市立君賀小学校に訪れてみました。



君賀小学校の創設時期は不明ですが...............

昭和40年旧・君賀小学校と下君山小学校が統合し,、
江戸崎町立君賀小学校となる
平成17年江戸崎町・新利根町・東町・桜川村が合併し稲敷市が誕生。
稲敷市立君賀小学校と改称する。
平成28年江戸崎小学校に統合されて廃校になる

と、このような沿革となっているようです。


地域の避難場所に指定されている君賀小学校跡。

      20171111 君賀小学校01



国道408号線沿いに建つ正門。

      20171111 君賀小学校02


正面玄関のガラス窓には、閉校時の感謝の言葉に貼り紙が残っていました。

      20171111 君賀小学校03


      20171111 君賀小学校04



玄関の正面の壁面には、校訓。

      20171111 君賀小学校05



敷地内を見学してみましょう。


校庭から眺める校舎。

      20171111 君賀小学校06


      20171111 君賀小学校07


      20171111 君賀小学校08



こちらは、体育館。

      20171111 君賀小学校09



校舎前にある国旗掲揚ポール。

      20171111 君賀小学校10


それなりの広さを有する校庭。

      20171111 君賀小学校11



校庭の隅に建つこれらの建物は用具倉庫だったんでしょうか?

      20171111 君賀小学校12



校庭を闊歩する びいすけ 。

      20171111 君賀小学校13



校庭に残る遊具類。

      20171111 君賀小学校14


      20171111 君賀小学校15


      20171111 君賀小学校16


      20171111 君賀小学校17


      20171111 君賀小学校18


      20171111 君賀小学校19


      20171111 君賀小学校20


      20171111 君賀小学校21



百葉箱。

      20171111 君賀小学校22



教材として使われていたのでしょう。
赤い丸ポスト。

      20171111 君賀小学校23



卒業記念に植樹された桜の木。

      20171111 君賀小学校24


植樹された桜の木は、これからも成長して行くけれど
いつまで、この地が学校跡として残されていくのだろうか?


2017/12/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............川治小中学校 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日 

この日は、栃木県の日光市に出かけました。

日光市の北部、旧・藤原町にある川治小中学校に
立ち寄ってみました。


川治って言う言葉を聞くと、鬼怒川・川治温泉って言うイメージがありますが
その川治温泉があるのが、旧・藤原町です。
てっきり、鬼怒川町とか川治町かと思ってました。


川治小中学校は...............

明治7年      高原、川治二村連合の高原小学校として栃久保に開校する。
明治33年     小学校令改正により、高原尋常小学校と改称する。
大正10年     藤原尋常高等小学校高原分教場と改称する。
昭和22年     学制改革により藤原町立川治小学校と改称する。
           藤原町立藤原中学校川治分校を併置する。
昭和31年     藤原町立川治中学校として独立する。
昭和34年     三依小学校五十里分校を統合する
平成18年     市町村合併により日光市立川治小学校、
           日光市立川治中学校と改称する。
平成22年     川治小学校は鬼怒川小学校に統合され廃校となる。
           川治中学校は藤原中学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


  
山村部に多い小学校と中学校が同一敷地内に在った川治小中学校。
歴史のある学校だけに、正門の門柱も趣きがあります。

      20171030川治小中学校01


      20171030川治小中学校02


説明板によれば、昭和3年に建立されたモノのようです。

      20171030川治小中学校03



川治小中学校跡は、地域の避難場所に指定されているようです。

      20171030川治小中学校22



川治小中学校を見学している時に、たまたま日光市の市役所の方々が
巡回に来ていたので話を聞いたら、鉄筋コンクリートの校舎は中学校、
台地の上に建つ平屋建ての校舎が小学校だったらしい。



こちらが、中学校の校舎。

      20171030川治小中学校04



画面右側の赤い屋根は体育館。

      20171030川治小中学校05


体育館の隣が小学校の校舎。

      20171030川治小中学校06



小学校の校舎は4棟。

      20171030川治小中学校07


いずれも小さな校舎です。

      20171030川治小中学校08


      20171030川治小中学校09


鉄筋コンクリートの校舎と体育館の間にある小さな建物は、
中学校の平屋建ての校舎だったらしい。

      20171030川治小中学校10



こちらが体育館。
かまぼこ型の屋根がいかにも体育館って言う感じです。

      20171030川治小中学校11



校庭の端に建つ廃校記念碑。

      20171030川治小中学校12



いつも『廃校記念碑』って記事に書いたりしているけれど
『閉校記念碑』って刻まれている事が多い。
こちらは、はっきりと『廃校記念碑』って刻まれている。
ある意味、珍しい。(ある意味、貴重かもしれない)

      20171030川治小中学校13


裏面には、沿革も刻まれています。

      20171030川治小中学校14




校庭に残る遊具類。

      20171030川治小中学校15


      20171030川治小中学校16


      20171030川治小中学校17


      20171030川治小中学校18



百葉箱とローラー。

      20171030川治小中学校19


少し離れた場所には、別なローラーが野ざらしで置かれています。

      20171030川治小中学校20



正門の横の立派な木。

      20171030川治小中学校21

これは、まさしくシンボルツリーだったんでしょうね。



温泉で名の知れた町ではあるけれど
少子化の波には勝てず、廃校になってしまったんですね。









2017/12/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............栗山小学校土呂部分校 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日

この日は、栃木県の日光市に出かけました。

日光市の旧・栗山村周辺の廃校とダム巡り。
その廃校巡りの第5弾...............旧・栗山村立 栗山小学校土呂部分校


かつて栗山村立栗山小学校には5つの分校がありました。
川俣分校は昭和37年に独立しましたが、平成22年に廃校。
他の4校(上栗山、若間、野門、土呂部)の詳細はネットで調べて戻って不明です。


土呂部分校跡は、校舎も解体されて
現在は、土呂部公民館が建っています。

      20171030栗山小学校土呂部分校01


かつての分校跡が公民館。
これって、以外に多いパターン。
廃校跡を探すのに大きなヒントになります。

      20171030栗山小学校土呂部分校02


      20171030栗山小学校土呂部分校03



今回も、大字の『土呂部』でgoogleMAPを検索。
航空写真を睨みながら見つけたと言うか、あたりを付けたのが、この公民館。

      20171030栗山小学校土呂部分校04




敷地内に車を乗り入れて、すぐ目に付いたのが
こちらの石碑。

      20171030栗山小学校土呂部分校05


しっかりと『土呂部分校跡 記念碑』と刻まれています。

      20171030栗山小学校土呂部分校06

明治十年 開校
昭和49年 閉校と刻まれています。



裏面に詳しい沿革が刻まれているかと期待しましたが
残念ながら建立時期と建立者の名が刻まれているだけでした。

      20171030栗山小学校土呂部分校07

ちなみに昭和51年の建立です。


敷地内に残っている遊具。

      20171030栗山小学校土呂部分校08


     20171030栗山小学校土呂部分校09

おそらく、分校時代のモノでしょう。



こちらも往時のモノなのか?

      20171030栗山小学校土呂部分校10

上栗山分校跡にも似たようなモノがありました。



かつての正門跡(?)近くにある桜の木。

      20171030栗山小学校土呂部分校11

これも往時のモノでしょう。


遺構が少ないと言うか、ほとんど残っていない栗山小学校の分校の中で
しっかりと記念碑まで建てられている土呂部分校。

本当に地元の方々に愛された愛着のあった学舎だったんですね。








2017/11/30 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 川俣小中学校 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日

この日は、栃木県の日光市に出かけました。

日光市でも世界遺産の社寺仏閣がある中心地ではなく、
山間部にあたる旧・栗山村周辺に出かけました。

若間分校跡をあとにして、向かった先は...............日光市立川俣小中学校


川俣小中学校は、Web上にまだ残っている川俣小中学校のHPによれば
川俣小学校は明治8年(1875年)に川俣村に設立された歴史のある小学校だったようです。
明治22年に、川俣村が近隣の野門村・上栗山村・黒部村・土呂部村・日蔭村
日向村・西川村・湯西川村と合併して栗山村が誕生すると
明治25年に栗山村立日向尋常小学校の川俣分教場となり、
昭和22年の学制改革により、栗山村立栗山小学校川俣分校と改称し、
また、中学校は栗山中学校川俣分校として設立されたようです。
昭和37年に独立して栗山村立川俣小中学校と改称します。
平成18年に栗山村が日光市と合併して日光市立栗山小中学校と改称します。
そして、平成22年に栗山小学校、栗山中学校に統合されて廃校となりました。


と、ざっとこのような沿革だったようです。



廃校から7年。
敷地は、地域の避難場所に指定されています。

      20171030川俣小中学校01



こちらが、川俣小中学校跡地。
校舎は既に解体されて、体育館だけが残り、
校庭の一部は緊急用のヘリポートとなっているようです。

      20171030川俣小中学校02


ポツリポツリと降っていた小雨がいつの間にか雹に変わって
顔に当たると痛い、とにかく風が強い(この日東京では木枯らし1号が吹いたらしい)
晩秋の川俣の地。紅葉は今が盛りのようです。

      20171030川俣小中学校03


      20171030川俣小中学校04


      20171030川俣小中学校05



遊具も残っていない校庭。
何もないから広く感じます。

      20171030川俣小中学校06



こちらは体育館の玄関。

      20171030川俣小中学校07




敷地の外れの一角に石碑類がまとめられて建っています。

校訓の碑。

      20171030川俣小中学校08


      20171030川俣小中学校09



こちらは、廃校(閉校)記念碑。

      20171030川俣小中学校10


裏面に沿革が記されていることを期待しましたが
残念でした。

      20171030川俣小中学校11



昭和58年度の卒業生から贈られた碑。

      20171030川俣小中学校12



平成14年に建立された開校40周年の記念植樹の碑。

      20171030川俣小中学校13

肝心の植樹された樹は近くにない。



卒業制作の一つと思われるモニュメント。

      20171030川俣小中学校14



碑の置かれている一角の下には、階段があり削平地。

      20171030川俣小中学校15

第2校庭として使われていたのでしょうか?


旧・栗山村の奥部にあたる川俣の地。
まさか10月の末に雹が降るとは思わず、寒さに震えた地。
緩やかな坂を上ったこの地の学舎跡も、ヘリポートとなり
今や訪れる人も殆どいないようです。








2017/11/27 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 栗山小学校若間分校 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日 

この日は、栃木県の日光市に出かけました。
世界遺産の社寺仏閣がある中心地から離れた旧・栗山村。
そちらの廃校とダム巡りを中心に巡りました。


旧・栗山村の廃校巡り、その第3弾は...............旧・栗山村立 栗山小学校若間分校。

旧・栗山村の栗山小学校は、かつて上栗山分校、若間分校、川俣分校、野門分校、土呂部分校と
5つの分校を持っていたそうです。
肝心の本校である栗山小学校も平成17年に日向小学校と合併して
校地も移転して新たな栗山小学校として再スタートしたようです。
従って、旧・栗山小学校については情報も乏しく、詳しく沿革も不明です。
当然、その分校についての詳細は不明です。
ただ、日光市のHPの中の旧・栗山村の歴史年表を見ると
昭和22年の学制改革により、栗山小学校の分校が設置されたようですが
その中には記載されていません。
いつ開校して、いつ廃校になったんだろう?


場所も分からないから過去の経験から、
大字の地名からgoogleMAPでそれらしい建物や公民館を探し、
あとは現地で再調査。

今回、あたりをつけた建物は、実は蕎麦屋さんだった...............。
仕方ないので、蕎麦屋さんで場所を聞いたら、お店の関係者のオジさんが
近くまで行くと言うので、オジさんの運転する軽トラの後ろを付いて、
案内してもらいました。



こちらが、若間分校跡。

      20171030栗山小学校若間分校01


県道沿いの消防ポンプ小屋の向かいにある空き地が分校跡。

      20171030栗山小学校若間分校02

手前にある建物も奥にある建物も分校とは関係ないモノらしい。



校舎はとっくに解体されて、現在は更地。

      20171030栗山小学校若間分校03



遺構は全くありません。

      20171030栗山小学校若間分校04



正直、この場所が学校跡だとは、教えてもらわなければ分からない。

      20171030栗山小学校若間分校05

この色付いたイチョウの木が
ひょっとしたら、シンボルツリーだったのか?


やっぱり、この場所に学校が在ったなんて...............
地元の人でも知る人は少ないんだろうなぁ。





2017/11/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............栗山小学校上栗山分校 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日  

この日は、栃木県の日光市に出かけました。

日向小学校跡をあとにして、向かった先は...............旧・栗山村立 栗山小学校上栗山分校

本校である栗山小学校は、平成17年に日向小学校と合併して
新たな栗山小学校として開校しましたが
この旧・栗山小学校については詳細は不明です。
たた、日光市のHPの中の旧・栗山村の歴史年表を見ると、
明治26年に栗山村立日向尋常小学校の上栗山分教場として開設されたようです。
その後、昭和22年に学制改革により、栗山村立栗山小学校上栗山分校となりました。
しかしながら、廃校時期が何故か不明です。


旧・栗山村の上栗山地区。
開運の湯に隣接する敷地が上栗山分校跡。


      20171030上栗山分校01


廃校後、校舎は解体され、上栗山公民館が建てられました。

      20171030上栗山分校02



敷地内に残る遊具。
これらは分校時代のモノでしょうか?

      20171030上栗山分校03


      20171030上栗山分校04



こちらの建物は、温泉施設。

      20171030上栗山分校05

ちょうど、管理人のおじいさんが軽トラに乗って出勤。
おじいさんに聞いたら、公民館の建っていた場所に校舎が在ったらしい。



往時の桜の木。

      20171030上栗山分校06


      20171030上栗山分校07



往時のモノと思われる水飲み場?

      20171030上栗山分校08



山間部の分校跡らしく敷地は狭い。
その狭い敷地には遺構がほとんど無い。
二ノ宮像や廃校記念碑とか分校跡の碑があれば良かったんですが
こればっかりは仕方ない。
廃校時期も不明な上栗山分校。

かつて、この地に学校が在ったのを知っている人は
どれくらいいるんだろうか?






2017/11/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............日向小学校跡 (2017年10月30日)(栃木県日光市) 

10月30日

この日は、栃木県の日光市に出かけました。


平成18年の3月に旧・日光市と今市市、足尾町、藤原町、栗山村が新設合併し、
現在の日光市が発足しました。
今回、旧・栗山村の廃校巡りをしてみました。

日光市の廃校巡り、その第1弾は...............旧・栗山村立 旧・日向小学校跡


日向小学校は、平成17年に同じ栗山村の栗山小学校と統合して
新たに栗山小学校としてスタートしましたが、
その約30年近く前にダム建設に伴い、昭和51年に移転しました。
この場所に、いつから学舎が在ったかは不明ですが
日向小学校そのものは明治期から在る歴史のある学校だったようです。
日光市のHPの中の旧・栗山村の歴史年表を見ると、
明治22年に栗山村立日向尋常小学校と改称し、
川俣・黒部・西川・湯西川の四大字に分教場を設置したと記載されています。




こちらが、日向小学校跡。
昭和51年まで、こちらが小学校だったようです。

      20171030日向小学校跡01



川俣温泉へと続く県道沿いに校地は在りました。
県道沿いには、古い門柱が建っています。

      20171030日向小学校跡02


      20171030日向小学校跡03



門柱には、往時の表札が残っています。

      20171030日向小学校跡04



こちらは、日向中学校の表札。

      20171030日向小学校跡05

どうやら、山村部に多いパターン。
小学校と中学校が同じ敷地に在ったようですね。




門柱脇に建てられた標柱。

      20171030日向小学校跡06

どうやら、明治18年3月から昭和51年11月まで学舎がら在ったようです。




校舎はとっくに解体され、山間部の集落にしては立派すぎる(?)公民館が建っています。

      20171030日向小学校跡07


      20171030日向小学校跡08



校庭の一角。
二ノ宮像を発見!

      20171030日向小学校跡09


      20171030日向小学校跡10


      20171030日向小学校跡11



そして、二ノ宮像の脇には石囲い。
何か記念碑とかが建てられていたのでしょうか?

      20171030日向小学校跡12



公民館の車寄せの近く。

      20171030日向小学校跡13



こちらには碑が建てられています。

正面側には、ダムに水没する学舎を讃えた句。

      20171030日向小学校跡14



裏面には、その説明が記されています。

      20171030日向小学校跡15


      20171030日向小学校跡16

ダム建設によって水没すり学舎を讃えた碑のはずなのに
水没せずに、学舎跡は残っています。



シンボルツリーである大きなケヤキ。

      20171030日向小学校跡17


まさに今、紅葉の盛り。
秋深しと言ったところでしょうか?
小雨がパラついていなければ、もっと紅葉が映えていたんだろうなぁ。








2017/11/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................浅川小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。


大月市の廃校巡り、その第6弾は...............大月市立浅川小学校


浅川小学校の沿革や詳細については全く分かりません。
ネットで調べても情報は無く、Wikipediaによれば、
浅川小学校奈良子分校が昭和41年に廃校となったとされていますが
統合先は、本校である浅川小学校では無く、
葛野小学校(現:七保小学校)に統合されたと記録されているようです。

(詳しく調べていたら、昭和42年に浅川小学校と葛野小学校が統合して
七保小学校となったようです。)


とにかく、大字小字の地名をヒントに
浅川公民館にあたりを付け訪れてみます。

こちらが、浅川公民館。

      20171009浅川小学校01

学校跡っぽくも見えるが、遺構らしきモノも無く
確たる証はなく、確定出来ない。(今イチ、学校跡と言い切れる自信がない。)


誰かに尋ねようにも、人が居ない。

仕方ないから、車で数百m移動。
たまたま民家の庭先で作業しているオジさんを見かけだから急停車。
路肩車を停め、オジさんに尋ねてみると...............


浅川公民館の上にある台地が、かつての浅川小学校の地だったらしい。
廃校後、講堂を利用して幼稚園として使われていたらしいが
幼稚園も廃園となり、建物は全て解体されたらしいです。
台地へと上がる道は残っているが、
今では誰も行かないため荒れ放題の地らしい。


再び、浅川公民館に戻ります。


あの台地が浅川小学校の在った地のようです。

      20171009浅川小学校02


ちょっと離れたお寺へと上がる道から台地へと行けるようです。

      20171009浅川小学校03



お墓の脇のこの道は、かつての登校路。

      20171009浅川小学校04


しかし、もう何十年も使われていないから、
雑草に行く手を阻まれてしまいます。

      20171009浅川小学校05



雑草の先の台地。
これまた、荒れ放題。
って言うか、完全な藪。

      20171009浅川小学校06

とてもここに学校が在ったなんて思えない。


せめてもの訪問証明。
学校跡地で一枚パチリ☆。

      20171009浅川小学校07

一応、何か残ってないか?
藪の手前を確認したけれど何もない。



あきらめて、お寺の脇を通って公民館に戻る途中
公民館の隣に住む方に遭遇した。
見慣れない人間が歩いているから怪しいとでも思ったのか?(笑)


そのオジさんから、浅川小学校の事も聞けました。
50年前に廃校になって、校舎も無く、草が茫々で荒れ放題の地。
そんな場所に千葉県からやってくるモノ好きに呆れているようでした。

まぁ、こんなこともあるでしょう。







2017/11/12 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit