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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............南小学校十文字分校跡 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

この日は、福島県の下郷町に出かけました。
下郷町に来た目的の一つは、20ヶ所近く在る廃校巡り。

色々とネットで調べまくっていましたが
どうしても限られた内容になってしまいます。

存在は他の方のblogで知っていたものの
その場所がわからなかった廃校跡。

日暮滝からの移動中に、見覚えのある建物が視界に入って来ました。


白い壁に赤い屋根。

      20170720南小学校十文字分校01

下郷町立南小学校十文字分校 です。


十文字分校は、

昭和24年     旭田村立旭田小学校の十文字季節分校として開校。  
昭和26年     旭田村立旭田小学校十文字分校となる。
昭和30年     旭田村が江川村、楢原村と合併して下郷町が誕生して
           下郷町立旭田小学校十文字分校と改称する。
昭和38年     旭田小学校音金分校が独立して下郷町立南小学校と改称し、
           十文字分校は下郷町立南小学校十文字分校と改称する。
昭和47年     本校の南小学校に統合されて廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



現在は地域の集会所となっているようです。

      20170720南小学校十文字分校02

おそらく、廃校後に建て替えらたモノでしょう。

しかしながら...............
青い空、赤い屋根、白い壁、そして緑の芝生。
絶妙なコントラストですね。



また敷地の一画は、十文字直売所として
地域の特産品を販売しているようです。



割と綺麗に整備されている校庭跡。

      20170720南小学校十文字分校03

緑の芝生が綺麗に刈り上げられています。




敷地の隅には古びたブランコ。

      20170720南小学校十文字分校04

おそらく往時のモノでしょう。



童心に戻って ブランコ で遊ぶ もっちゃん 。

      20170720南小学校十文字分校05



びいすけ のこと、忘れていませんか?

      20170720南小学校十文字分校06

そうそう、一緒に芝生で戯れて下さいな。



綺麗な芝生は気持ち良いのか?
はたまた野生動物の匂いがするのか?

ひたすら、芝生の匂いをクンクンしている びいすけ 。

      20170720南小学校十文字分校07


もともと、この分校は諦めていたから、
偶然に見つけることが出来てラッキーでした。

運にも、天候にも恵まれた下郷町の廃校巡り。
頑張って廃校を巡ることにいたしましょう。





2017/08/02 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旭田小学校大松川分校 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

この日から、個人的な3連休。
その連休に1泊2日で福島県の南会津方面へ出かけました。

高速の深夜割引の恩恵に預かろうと、午前3時に八王子の実家を出発。
あきる野ICから高速に乗り、圏央道〜東北道と乗り継ぎ
白河ICで高速を降り、西郷村経由で下郷町を目指します。

当初は、『日暮の滝』を目指していたのですが
我が愛車のナビはとてもお利口さんで遠回りに道を案内します。

『 明らかに左折する場所は過ぎたでしょ?
どう見たって住所がおかしいし............... 』

と思っていた矢先、進行方向右側に怪しげ(?)な場所を発見?
って言うか、この地方の廃校をネットにアップしている方のblogで
見たような光景に出会いました。


それは、ズバリ! 下郷町立旭田小学校大松川分校 でした。


正門に至る導線に建てられた標柱。

      20170720旭田小学校大松川分校01


道の脇には、閉校記念の桜の木が植樹されているようです。

      20170720旭田小学校大松川分校02



大松川分校は...............

詳しい沿革は不明です。
平成16年に本校である旭田小学校に統合されて、廃校になったようです。

本校の旭田小学校のHPにも沿革の記載がなく
詳しい事は調べきれません。
下郷町には、廃校(廃分校)がかなり多くありますが
詳しい沿革がわからないモノが多いようです。



木造平屋建ての校舎。

      20170720旭田小学校大松川分校03


ちょうど逆光の時間帯。
上手く撮影出来ませんでした。

      20170720旭田小学校大松川分校04


      20170720旭田小学校大松川分校05


      20170720旭田小学校大松川分校06



微妙に時間がズレている時計。

      20170720旭田小学校大松川分校07




こちらが閉校(廃校)記念碑。

      20170720旭田小学校大松川分校08


      20170720旭田小学校大松川分校09



裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが...............

      20170720旭田小学校大松川分校10

残念でした。



校庭の隅に残された遊具。

      20170720旭田小学校大松川分校11

かなり、草に覆われかけています。


こちらのブランコは、まだまだ健在?

      20170720旭田小学校大松川分校12




校庭に取り残されたローラー。

      20170720旭田小学校大松川分校13



そして、無造作に放置された椅子。

      20170720旭田小学校大松川分校14



廃校から13年。
まだまだ綺麗な木造校舎。

この校舎は、あとどれくらいこのまま綺麗な状態が保たれていくんだろうか?

10年後、20年後。
また機会があれば、訪れてみたいものです。



2017/07/31 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩瀬小学校富谷分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県桜川市に出かけました。

富谷観音で知られる富谷山の麓に、昭和59年に廃校になった分校があります。
その分校は...............旧・岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校



富谷分校は
明治7年に富谷村に創設された富谷小学校がその祖とされているようです。

明治19年に近隣の3校(富谷、亀岡、門毛)が統合され、南飯田小学校となる。
明治22年市町村自治制により村名改正し、南飯田小学校は北那珂尋常小学校と改称する。
明治23年富谷分教場を設置。
明治26年北那珂尋常高等小学校富谷分教場と改称する。
昭和22年学制改革により、北那珂村立北那珂小学校富谷分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立南飯田小学校富谷分校と改称する。
昭和50年南飯田小学校から岩瀬小学校に移籍され岩瀬町立岩瀬小学校富谷分校と改称する。
昭和60年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。
(南飯田小学校HP、岩瀬小学校HPより参照)

本校が変わる分校とは珍しい。



こちらが、富谷分校の正門。

      20170626 富谷分校01

残念ながら、門柱には表札が残っていませんでした。



分校跡地は、現在『富谷生活改善センター』と言う名称の
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626 富谷分校02

残念ながら校舎も解体され、新しい建物に変わっています。



建物の隣には、立派な石碑。

      20170626 富谷分校03

生活改善センターの建設記念碑ですが、碑文には富谷分校について触れています。


こちらの碑文では、富谷分校の開設が明治29年となっています。
南飯田小学校のHPとは、開設時期が違うようですね。


それよりも驚いたのは、碑に立てかけられた朽ちた標柱。

      20170626 富谷分校04

富谷城址の標柱です。

ひょっとして、ここが富谷城址の中心部?

実は、この後に富谷城址にも行く筈だったんですが
調べていた富谷城址の位置は間違っている?
これは、一度じっくり調べ直そう。



校庭に残る僅かな遊具類。

      20170626 富谷分校05


      20170626 富谷分校06


      20170626 富谷分校07



なぜか、遊具(ブランコ)の脇に一対の門柱。

      20170626 富谷分校08



明らかに門の位置じゃないし。

      20170626 富谷分校09

別な場所(裏門)にでも在ったモノを移設したんでしょうか?



校庭に設置されたバスケットゴール。

      20170626 富谷分校10

この錆具合いが歴史を感じさせます。



生活改善センターの建物が建っている辺りに校舎が在ったのでしょう。
校庭も分校という割には狭くはない。

      20170626 富谷分校11


      20170626 富谷分校12


お約束とも言える、敷地内に建つ消防倉庫。

      20170626 富谷分校13



校舎の裏手は一段高くなっていて、城塁に見えなくもない。

      20170626 富谷分校14



その高台へと向かう導線は、まるで郭へと続く虎口のようにも見える。

      20170626 富谷分校15


やっぱり、ここが富谷城址の中心部なんだろうか?


かつての城郭が役所や学校の敷地になるって言うパターンも多いからねぇ。
ちょっびり、いや、かなり気になります.................(笑)



2017/07/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校大泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第4弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校大泉分校 です。



こちらが、大泉分校の正門。

      20170626大泉分校01


      20170626大泉分校02



石造りの門柱には大正4年建立と刻まれています。

      20170626大泉分校03


      20170626大泉分校04



門柱が残っている大泉分校ですが、校舎は解体され、
その跡地には新たな建物が建てられ、
現在は『大泉農村集落センター』として活用されています。

      20170626大泉分校05



正門脇には、大泉分校跡地の碑。

      20170626大泉分校06


平成10年に、分校が廃校となって15年となり地元の有志がこの碑を建立したらしい。

      20170626大泉分校07



碑の裏面には沿革も刻まれています。

      20170626大泉分校08



その記載によれば...............


明治7年大泉村金性寺に富谷小学校大泉分教場が設置される。
明治9年大泉小学校として独立する。
明治19年飯岡尋常小学校と合併し、飯岡尋常小学校大泉分教場となる。
明治23年村名変更により西那珂尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治25年西那珂第一尋常小学校大泉分教場と改称する。
明治26年西那珂尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
大正14年町制施行により、岩瀬尋常高等小学校大泉分教場と改称する。
昭和21年学制改革により、岩瀬町立岩瀬第一小学校大泉分教場と改称する。
昭和30年町村合併により、岩瀬町立坂戸小学校大泉分校と改称する。
昭和58年本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



廃校から34年。
校庭には往時のモノと思われる遊具も残されています。

      20170626大泉分校09


      20170626大泉分校10


      20170626大泉分校11




何気なく校庭の一角に足を向けると、そこにも校門が在りました。

      20170626大泉分校12


こちらの門柱には、分校名の入った表札が残っていました。

      20170626大泉分校13

ひょっとしたら、こちらが正門だったかもしれませんね。



その門柱の脇には、お約束の消防倉庫。

      20170626大泉分校14



こちらは、往時のシンボルツリー?

      20170626大泉分校15



校庭跡。

      20170626大泉分校16


おそらく、近隣の子供たちの遊び場になっているのだろうけれど、
少子化の時代。その子供たちもこの地域には居るのだろうか?

      20170626大泉分校17


独立した小学校としては、10年の歴史しかなく
ほとんどが分校として子供たちを見守り、学び舎として送り出した大泉分校。

100年以上の歴史のある分校でした...............。




2017/07/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校下泉分校(2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。


桜川市の廃校巡り。
その第3弾は...............旧・岩瀬町立坂戸小学校下泉分校 です。


下泉分校も、全く詳細不明。
坂戸小学校のHPの沿革に、長方分校、大泉分校と一緒に
昭和58年に本校である坂戸小学校に統合されて廃校になりました。

設立時期はおろか、その所在地も分かりませんでした。

300を超える廃校、旧校地巡りをした経験から
公民館とかコミュニティセンターに当たりをつけ、
下泉公民館が学校跡地と予想して訪ねてみましたが、大ハズレ。

たまたま自転車で通りかかった農家のオバちゃんに尋ねたら、
全く別な場所を教えてくれました。


こちらが、下泉分校跡地。

      20170626下泉分校01

石造りの門柱がしっかり残っていました。


正門前がスクールバス乗り場になっているようです。

      20170626下泉分校02



門柱には往時の表札がしっかり残っています。

      20170626下泉分校03



門柱の裏側には建立時期が刻まれていたようですが
文字が風化して判読出来ません。

      20170626下泉分校04



敷地内には、小ぶりな木造の建物。

      20170626下泉分校05

てっきり往時の校舎かと思っていたら、隣に住む方に訊いてみたら
校舎を取り壊した後に建てたモノらしい。

特に名称は無いようで、選挙の時に投票所として利用されているらしい。



校門の脇には桜の木。

      20170626下泉分校06


そして桜の木の下には、オブジェの残骸?

      20170626下泉分校11

ひょっとしたら、二ノ宮像の台座だったのかな?



こちらは、校庭端のシンボルツリー。

      20170626下泉分校07


      20170626下泉分校08



シンボルツリーの下は雑草に覆われ、こんな残骸も顔を覗かせています。

      20170626下泉分校09

『なかよし』と言うことは、子供な像が乗っていたのでしょうか?


こちらも残骸。
ひょっとして、像の足の基台部分?

      20170626下泉分校10


     
廃校記念碑も遊具もなく、どことなく駐車場にさえ見えてしまう校庭。

      20170626下泉分校12



詳しい沿革も分からない下泉分校ですが、
その存在は、分校跡としてしっかりと確認できました...............。



2017/07/16 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂戸小学校長方分校 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は、桜川市の廃校巡り。
と言っても、平成17年に真壁町と岩瀬町と大和村が合併して誕生したのが桜川市。
その旧・岩瀬町域の廃校を巡ります。

桜川市の廃校巡りの第二弾。
旧・岩瀬町立坂戸小学校長方分校 です。



長方分校の詳しい沿革は不明です。
統合された本校である坂戸小学校のHPを見ても
昭和58年に、当時3校在った分校(長方分校、下泉分校、大泉分校)が
本校である坂戸小学校に統合されたと言う記述しかなく
創立時期等は不明です。



こちらが、長方分校跡。

      20170626長作分校01


廃校から既に34年。
校舎は解体され、新たに『長方南区中泉農村集落センター』の建物が建てられ
地域のコミュニティセンターとして活用されているようです。

      20170626長作分校02



何やら、 びいすけ が建物の1点に注視しています。

      20170626長作分校03



どうやら、縁台の下に猫がいるようです。

      20170626長作分校04



さほど大きな分校ではなかったようで、敷地もそんなに広くはない。
残念ながら門柱や二ノ宮像、遊具等の遺構も無い。

唯一、学校跡を彷彿させるのがこちら。

      20170626長作分校05



この場所に1983年にタイムカプセルを埋めたようですが
30年後の2013年に掘り起こしたようです。

      20170626長作分校06



学校とは関連なさそうな歌碑(句碑)。

      20170626長作分校07

作者もよく分からない。



廃校跡のお約束?
敷地の一角には、消防倉庫。

      20170626長作分校08



敷地をぐるっと囲む石垣は、分校時代のモノ。

      20170626長作分校09



廃校記念碑かと思ったら、農村集落センターの碑。

      20170626長作分校10



先ほどの猫が気になる びいすけ 。

      20170626長作分校11


あぶないから、上っちゃダメですよ。

      20170626長作分校12

そんな注意書きも、今やカスれて読めない。


石垣沿いに、スクールバスのバス停。

      20170626長作分校13

ここからスクールバスに乗って坂戸小学校に通っているんですね。


タイムカプセルを掘り起こして、開封してるしまっても
その場所に碑を残す。
何となく、卒業生のこだわりを感じた長方分校でした...............。






2017/07/15 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大和西小学校青木分校跡 (2017年6月26日)(茨城県桜川市) 

6月26日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけ、滝を見たり
茨城百景の碑を探したり、
加波山の中腹にある花の入公園を散策したりしていますが
本来の目的は、桜川市の廃校巡り。

その、第1弾は...............旧・大和村立大和西小学校青木分校


桜川市は、平成の大合併で平成17年の10月に
旧・真壁町、旧・岩瀬町、旧・大和村が合併して誕生した市です。


青木分校についての情報は乏しく、ネットで調べても
昭和42年に本校である旧・大和村立西大和小学校に統合されて
廃校になりました。

詳しい場所も分からないから、とりあえず目星を付けて
あとは現地で確認です。
Google mapで、桜川市青木周辺の航空写真で
それらしい跡地を探します。
一応、候補らしきモノを見つけ、現地で確認です。

その内の一つ、青木農村地区センター。

      20170626青木分校06

見た感じ、それっぽい。
300校以上の廃校、廃校跡を見てきたから
ちょっぴり自信があったんだけど...............

なかなか人が通らない中、自転車に乗った初老の男性を発見!

青木分校の事を訊ねたら、思い切り違う場所だった。




青木農村集落センターから100ほど離れたJA倉庫がある場所が
旧・大和村立大和西小学校青木分校跡でした。

      20170626青木分校01



廃校舎を倉庫に利用しているわけではなく
思い切り、倉庫。

      20170626青木分校02




見たまんま、倉庫。

      20170626青木分校03



先ほどの初老の男性の話では...............

まだ、廃校になる前に青木分校は放火で焼失してしまったらしい。
分校を建て直す費用と生徒数のバランスを考えて廃校にしたらしい。

      20170626青木分校04



複雑な大人の事情で廃校になり、跡地にはJAの倉庫が建てられたと言うことです。

      20170626青木分校05




せっかく探し当てた青木分校跡ですが、
学校遺構は全く残っていないし、分校の面影も無い。
確かに有効活用されているようだが、廃校の経緯を聞いたから
何と無く後味が悪い。

せめて記念碑の1本も建っていれば
少しはまた違った印象になったと思うのですが...............

ちょっぴり不完全燃焼状態なのは残念です...............。



2017/07/14 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............番外編 角田学校跡 (2017年5月27日)(神奈川県愛甲郡愛川町) 

5月27日 公休日

個人的な連休2日目。

この日は、『あいかわの景勝10選』目的で神奈川県の愛川町に出かけました。


景勝地巡りの合間に立ち寄ったのは...............角田学校跡



角田学校は、
明治6年 角田八幡神社に隣接する福泉寺の建物を校舎として開校し、
養成館第1支校としたのが始まりです。
明治27年 高峰小学校として統合され、廃校となりました。


たまたま、愛川町のことをネットで色々調べていたら
愛川町の角田地区に明治時代の廃校があることが分かり
訪れてみることにしました。



角田八幡神社の隣にある小さなお寺、福泉寺。

      20170527角田学校跡01


      0170527角田学校跡02



その境内の一画に、『角田学校跡』の碑があります。

      0170527角田学校跡03


碑の側面には簡単な沿革。

      0170527角田学校跡04


高峰小学校のHPの沿革によれば

明治6年に角田村に開校した養成館第一支校(角田学校)と
三増村に開校した養成館第二支校(三増学校)が在りました。
明治21年に角田村と三増村が合併して高峰村が出来ました。
明治27年に角田学校と三増学校を統合して、
高峰村の中心部に高峰小学校を設立したそうです。

      0170527角田学校跡05


(角田学校と共に廃校となった三増学校については こちら


こちらは、本堂のように見えるから校舎ではないでしょう。

      0170527角田学校跡06



もっとも明治27年の事だから、
この本堂が明治27年以前のモノには見えない。

      0170527角田学校跡07



かろうじて、福泉寺と読める。

      0170527角田学校跡08



本堂の脇のこの辺り?

      0170527角田学校跡09


はたまた現在、墓地となっているこの辺りに
かつての学舎が建っていたのだろうか?

      0170527角田学校跡10


      0170527角田学校跡11



いずれも、遠い遠い昔の出来事。


しかし、愛川町の歴史や文化財に対する取り組みには、
他の市町村にも見習ってもらいたい!と、ついつい思ってしまう。

歴代の町長考え方なのか?
はたまた、教育委員会の考え方なのか?
はたまた、地域の住民の地元愛の表れなのか?

まだまだ、愛川町には『日向学校跡』『半原小学校発祥の地』の碑があるらしい。
詳しい場所はわからないけれど、いつか訪れてみたいものです。





2017/06/11 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........豊栄小学校  (2017年5月9日)(千葉県長生郡長南町) 

5月9日 公休日


この日は、長南町の廃校巡りに出かけました。

今年の春に長南町では町内に在る小学校を統合して、
小中学一貫教育校を設立し
4つの小学校が全て廃校(閉校)となりました。

その長南町の廃校巡りの第4弾。
長南町立豊栄小学校です。




豊栄小学校は、この地区に在った小学校が統廃合して現在に至りました。


      明治6年     千手堂村に千手堂小学校が創立される。
      明治6年     岩川村に岩川小学校が創立される。
      明治7年     千田村に千田小学校が創立される。
      明治8年     棚毛村に棚毛小学校が創立される。

明治11年      千田小学校が千手堂小学校に統合される。
明治11年      棚毛小学校が岩川小学校に統合される。

明治16年      千手堂小学校が米満小学校と改称する。
明治20年      米満小学校が東盈進小学校と改称する。
明治20年      岩川小学校が西盈進小学校と改称する。


明治22年    町村制施行により米満村、千田村、千手堂村、棚毛村、又富村、岩川村、
          今泉村、関原村、須田村、本台村が合併して豊栄村が発足する。

明治23年    東盈進小学校と西盈進小学校が統合して盈進小学校となる。
明治42年    豊栄小学校と改称する。

昭和22年    学制改革により豊栄村立豊栄小学校と改称する。
昭和30年    庁南町、東村、西村、豊栄村が合併して長南町が誕生。
          長南町立豊栄小学校と改称する。
平成29年    長南町内の4校が統合して
          長南町立の統合小学校が開校
          (名称は同じ長南町立長南小学校)。
          豊栄小学校は廃校となる。



こちらが、豊栄小学校の正門。

      20170509豊栄小学校01



正門に掲げられている表札。

      20170509豊栄小学校02


      20170509豊栄小学校03


久しぶりに訪れる豊栄小学校。

実は、豊栄小学校は昭和39年にこの地に移転して来ました。
昨年、移転前の旧・豊栄小学校跡地を訪れた時にちょっぴり立ち寄ったりしました。
( その時の記事は こちら




門扉はしっかり閉じられ、施錠もされているから中には入れません。
フェンス越しに豊栄小学校を眺めながらぐるっと一周を試みます。

目の前には閉校記念碑。

      20170509豊栄小学校05

残念ながら、裏面。
正面は確認出来ません。


フェンス沿いに校庭側に移動します。
フェンス越しに眺める校舎。

      20170509豊栄小学校06



校庭にそびえ立つ(?)大きな木。
シンボルツリーでしょうか?

      20170509豊栄小学校07




ちょっとした高台に移動しての校舎の眺め。

      20170509豊栄小学校08


      20170509豊栄小学校09



フェンス越しに閉校記念碑が確認出来ます。

      20170509豊栄小学校12

270mmの望遠では、これが限界。




校庭に残る遊具類。

      20170509豊栄小学校10


      20170509豊栄小学校11


     

      20170509豊栄小学校13

フェンス越しだと、今いちリアル感がない。



フェンス沿いの道は、やがて上り坂となり
斜面越しに、豊栄小学校を眺める形になります。

校舎。

      20170509豊栄小学校14



体育館。

      20170509豊栄小学校15



さらに、別アングルからの校舎。

      20170509豊栄小学校16



校庭側も覗いてみましょう。

      20170509豊栄小学校17


      20170509豊栄小学校18


やっぱり、フェンスの向こう側にある廃校を
フェンスのこちら側から眺めるだけでは、リアリティ感に欠ける気がする。

      20170509豊栄小学校19



とは言え、敷地内には入れないから仕方ない。

二ノ宮像も確認出来ず、路肩に停めた車に戻る途中で見つけた百葉箱。

      20170509豊栄小学校20

やっぱりフェンスの向こう側にあると臨場感がない。


この豊栄小学校も民間に貸し出しを予定しているようで
もし仮に企業等に貸し出されたら、
きっと校庭の土を踏む機会も永遠になくなっちゃうんだろうなぁ。
地域のコミュニティの場として、解放してくれないかなぁ...............



2017/05/22 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........長南小学校  (2017年5月9日)(千葉県長生郡長南町) 

5月9日 公休日 

 この日は、長南町の廃校巡りに出かけました。 
今年の春に長南町では町内に在る小学校を統合して、 
小中学一貫教育校を設立し
4つの小学校が全て廃校(閉校)となりました。 

その長南町の廃校巡りの第3弾。 
長南町立長南小学校です。 


 長南町小学校は、明治6年に長南宿に開校した長南小学校がルーツとされています。

     

明治6年     長南宿に長南小学校創立。
      明治6年      蔵持村に蔵持小学校が開校する。
              (後に長南小学校に統合される)
      明治6年     坂本村に坂本小学校が開校する。
      時期は不明であるが、この頃に中善寺小学校が開校する。
     (後に坂本小学校に統合される) 
明治11年     蔵持小学校が長南小学校に統合される。 
明治2年     町村制施行により長南宿、蔵持村、坂本村が合併して武丘村が発足する。 
明治23年    武丘村が町制施行のうえ改称して庁南町となる。 
明治43年    長南小学校が庁南小学校と改称する。 
昭和22年     学制改革により庁南町立庁南小学校と改称する。 
昭和30年    庁南町、東村、西村、豊栄村が合併して長南町が誕生。
                         長南町立長南小学校と改称する。 
昭和46年    坂本小学校を統合する。 
平成29年    長南町内の4校が統合して
          
                         長南町立統合小学校が開校
          
                        (名称は同じ長南町立長南小学校)。
                  
                          長南小学校は廃校となる。

 こちらが、長南小学校の正門。

 

     20170509長南小学校01







石造りの門柱には、門柱よりも大きな木製の表札が掲げられています。

      20170509長南小学校02







門を入ってすぐにある、閉校(廃校)記念の碑。

 

     20170509長南小学校03







西小学校や東小学校と同じタイプ。
どうやら統一規格のようですね。

       20170509長南小学校04 




 閉校記念碑の近くには二ノ宮像。 

       20170509長南小学校05







南町の廃校3校目にして、やっと二ノ宮像と遭遇。
 やっぱり小学校には、コレがなくっちゃ! 

       20170509長南小学校06 


 そして、その近くには折れた石柱。
 高等尋常小学校と読めます。

 

         20170509長南小学校07 


沿革には触れていませんが、
明治後半から戦前の国民学校になるまで 
多くの小学校は尋常小学校や高等尋常小学校(後の中学校)と称していました。 
長南小学校もソニった時代もあったのでしょう。
 実は長南町の旧・小学校はHPもなく、沿革も不明でしたが 
ここ長南小学校で偶然お会いした長南町教育委員会のH氏に 
後日、おおまかな資料をgいただいて、
おおまかな沿革を知ることができました。 
長南町教育委員会のH氏には感謝です。 



 花壇には手作りのモニュメント。
おそらく子供たちの手作りのモノでしょう。
       
                 20170509長南小学校08



花壇の近くには教材用の丸ポスト

 

      20170509長南小学校08 



 こちらが校舎。 

      20170509長南小学校10




手前のパトカーのような車は、教育委員会の方の車?

 

     20170509長南小学校11








校舎正面から。

 

     20170509長南小学校16


     20170509長南小学校12


 



玄関に掲げられた表札。 

       20170509長南小学校13 



 校舎塔屋に飾られた時計。
まだまだ正確な時を刻んでいます。 
       
                20170509長南小学校14







校舎壁面に掲げられた長南小学校の校章。

 

     20170509長南小学校15



校庭の遊具類。

      

               20170509長南小学校17


     20170509長南小学校18


     

             20170509長南小学校19








こちらは体育館。 
       
               20170509長南小学校20







体育館には、閉校式で使われた横断幕が飾られています。 
       
              20170509長南小学校21






断幕もいつか色あせてしまうだろうけど
百年を優に超える長南小学校の歴史は、色あせることはないでしょう...............。




2017/05/21 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........東小学校  (2017年5月9日)(千葉県長生郡長南町) 

5月9日 公休日

この日は、長南町の廃校巡りに出かけました。

今年の春に長南町では町内に在る小学校を統合して、
小中学一貫教育校を設立し
4つの小学校が全て廃校(閉校)となりました。

その長南町の廃校巡りの第2弾。
長南町立東小学校です。


東小学校は明治6年に創立された芝原小学校がそのルーツのようです。


     明治6年     芝原村に芝原小学校が創立される。
     明治6年     小生田村に小生田小学校が開校する。
     明治11年    芝原小学校は東小学校と改称する
     明治18年    給電村に給電小学校が開校する。
               (後に西小学校と改称する)

明治22年      町村制施行により下小野田村、上小野田村、小生田村、地引村、中原村、
           給田村、芝原村、豊原村、森村、長楽寺村が合併して東村が発足。

     明治26年     小生田小学校が南小学校と改称する。

明治41年      東小学校が済美小学校と改称する

     明治43年      西小学校と南小学校が統合して精華小学校となる。

昭和2年      済美小学校と精華小学校が統合して東小学校となる。
昭和22年     学制改革により、東村立東小学校と改称する。
昭和30年     庁南町、東村、西村、豊栄村が合併して長南町が誕生。
           長南町立東小学校と改称する。
昭和43年     芝原分校を統合する。
平成29年     長南町内の4校が統合して統合小学校が開校
          (名称は同じ長南町立長南小学校)。
           東小学校は廃校となる。




こちらが、東小学校の正門。

      20170509東小学校01


石造りの古い門柱には木製の表札。

      0170509東小学校02


正門前には、閉校記念碑。

      0170509東小学校03


西小学校もそうでしたが、沿革は記されておらず
校歌が刻まれています。

      0170509東小学校04

長南町の統一規格の閉校(廃校)記念碑のようですね。


正門には児童たちが作った歓迎の言葉が飾られています。

      0170509東小学校05

平成15年度卒業生たちの作品のようです。



正門から中に入ると、正面に校舎。

      0170509東小学校06

右側にも校舎。
左側には体育館。
建物はコの字型に配置されているようです。


向かって右側の校舎。

      0170509東小学校07



正面の校舎。

      0170509東小学校08



正面校舎の玄関。

      0170509東小学校09


      0170509東小学校10



校舎の庇に掲げられた校章。

      0170509東小学校11



こちらは、体育館。

      0170509東小学校12



体育館の隣はプール。

      0170509東小学校13



校庭に残る遊具類。

      0170509東小学校14


      0170509東小学校15


      0170509東小学校16


      0170509東小学校17


      0170509東小学校18



遊具の大きな古タイヤに乗った びいすけ 。

      0170509東小学校19



これも遊具の一種。
ボールを投げて遊んでいたんでしょう。
ボール板(?)と言えばいいんでしょうか?

      0170509東小学校28

なぜか、びいすけ は、その前でローリング。



シロツメクサの匂いを体にスリスリ。

      0170509東小学校29

これも びいすけ にとっては遊びの一種?



これまた、遊具の一種になる築山。

      0170509東小学校20



朝礼台

      0170509東小学校21



朝礼台越しにの校舎。

      0170509東小学校22



体育館前にあった『希望』の像。

      0170509東小学校23

 残念ながら二ノ宮像は見つけられませんでした。



百葉箱

      0170509東小学校24

この百葉箱って言うのも、学校独特のモノ。
なかなか一般では目にしない代物。
これを見つけると、改めて学校だったんだなぁと感じます。



平成27年度の卒業生の記念植樹。
『河津桜』

      0170509東小学校25

この年の卒業生は19名だったようです。



こちらが平成28年度の卒業生の記念植樹。
『ハナミズキ』

      0170509東小学校26

平成28年度末をもって閉校(廃校)だから、最後の卒業生。
14名だったようです。




敷地外の職員用(?)の駐車場の脇に建つ忠魂碑。

      0170509東小学校27

古くからある小学校には忠魂碑が残っている。
東小学校も歴史のある小学校の証。


そんな東小学校も少子化の流れの中で
統合という名のもとに廃校。

地元の人間じゃないし、卒業生でもないけれど
やっぱり寂しいものです......................。








2017/05/20 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........西小学校  (2017年5月9日)(千葉県長生郡長南町) 

5月9日  公休日

今年の春に房総半島の中央部にある長南町では
町内に在る小学校を統合して、小中学一貫教育校を設立し
4つの小学校が全て廃校(閉校)となりました。

その4つの廃校巡りと相成ります。



最初に訪れたのは...............長南町立西小学校


西小学校は明治29年に開校しましたが
それ以前にこの地区に在った小学校が統廃合を繰り返し、
現在に至ったようです。

     明治6年     佐坪村に佐坪小学校が開校する。
     明治7年      水沼村に水沼小学校が開校する。
     明治7年     市野々村に市野々小学校が開校する。
     明治8年     小沢村に小沢小学校が開校する。
               (後に佐坪小学校に統合される)

明治22年      町村制施行により水沼村、山内村、岩撫村、竹林村、佐坪村、市野々村、
            小沢村、報恩寺村、茗荷沢村が合併して西村が発足。

     明治22年    市野々小学校は佐坪小学校に統合され、市野々分校となる
               水沼小学校も同じく佐坪小学校に統合され、水沼分校となる。
     明治25年    市野々分校は独立して市野々小学校となる。
               水沼分校も独立して水沼小学校となる。

明治29年      西村に西小学校が開校する
明治42年      西小学校に佐坪小学校、水沼小学校、市野々小学校が統合される。
            水沼小学校は水沼分校と改称。市野々小学校は市野々分校と改称する。
大正13年      水沼分校が統合される
昭和14年      市野々分校が統合される
昭和22年      学制改革により、東村立東小学校と改称する。
昭和30年      庁南町、東村、西村、豊栄村が合併して長南町が誕生。
            長南町立東小学校と改称する
平成29年      長南町内の4校が統合して統合小学校が開校
           (名称は同じ長南町立長南小学校)。
            西小学校は廃校となる。



こちらが西小学校の校門。

      20170509西小学校01

門扉はしっかり閉ざされています。


西小学校の文字が辛うじて読める表札。

      20170509西小学校02

よく見たら、すぐ近くにも別な門がある。


こちらが、正門のようです。

      20170509西小学校03

こちらも門扉は閉ざされています。


比較的新しく見える表札。

      20170509西小学校07


閉まっている門扉を勝手に開けて中に入るのは気が引けるから
門扉越しに校舎を眺めてみます。

      20170509西小学校04


      20170509西小学校05



フェンス沿いにぐるっと回ってみましょう。


すぐ近くには、バス停もあります。

      20170509西小学校06



県道沿いには、さらに別な校門。

      20170509西小学校08



石造りの門柱だから、こちらが昔の正門だったのかもしれません。

      20170509西小学校09



表札の文字の書体もちょっと違う。

      20170509西小学校10



こちらが体育館。

      20170509西小学校27





フェンスの切れ目というか築柵の切れ目から
かろうじて中に入れそうです。

一応、『失礼しま〜す。お邪魔させていただきま〜す!』と
大きな声を掛けてみるけど、無人の校舎からは返事無し。


失礼させていただいた敷地内。


こちらがお目当の一つ、廃校(閉校)記念碑。

      20170509西小学校11



裏面には沿革の記載は無し。

      20170509西小学校12

非常にシンプルな廃校記念碑だけど、それはそれで味がある。



こちらが校舎。

      20170509西小学校13


      20170509西小学校14





校舎壁面に掲げられた時計。

      20170509西小学校15

昭和36年度卒業生の還暦記念って..............
ややこしい記念です(笑)



玄関前には赤い丸ポスト。

      20170509西小学校16

でも、教材用で現役のポストではない。




こちらが、校庭。

      20170509西小学校17



校庭から眺める校舎。

      20170509西小学校18



朝礼台の上から。

      20170509西小学校19


      20170509西小学校20


      20170509西小学校21


      20170509西小学校22




校庭の遊具類。

      20170509西小学校23


      20170509西小学校24


      20170509西小学校25



そして百葉箱。

      20170509西小学校26


  
惜しまれながら、廃校となった西小学校。

現在、長南町では廃校になった4校の跡地を有効活用するために
町のHPにも掲載しているけれど、
跡地を貸し出しする民間企業を募集しているようです。

どのような形で跡地が再活用されるのか?
興味は尽きない所ですが、いずれにしても
校舎を上手く再利用して、解体なんてことにならないことを   
ほんのちょっぴり願っています。





2017/05/17 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........市東第二小学校  (2017年5月9日)(千葉県市原市) 

5月9日   公休日

奈良の大仏をあとにして、当初の目的地である廃校を目指します。

向かった先は...............市原市立市東第二小学校


市東第二小学校は

大正元年    弘道尋常小学校と奈良尋常小学校を統合し、大正尋常小学校
として独立する。
昭和2年    高等科を併置
昭和15年   三成小学校と合併し、市東尋常高等小学校となる。
昭和22年   市東村立市東小学校と改称
昭和24年    市東村立市東小学校から分離し、市東第二小学校と改称する。
昭和29年    町村合併により、市津村立市東第二小学校と改称する。
昭和36年    町制施行により、市津町立市東第二小学校と改称する。
昭和38年    市制施行により、市原市立市東第二小学校と改称
平成29年 市東第一小学校に統合され、廃校となる。


と、このような沿革となっています。


こちらが、市東第二小学校の正門。

      20170509市東第二小学校01


廃校間もないので、表札はまだ掲げられています。

      20170509市東第二小学校02



県道沿いのフェンスには、『ありがとうニ小 29年3月閉校』の看板。

      20170509市東第二小学校03


      20170509市東第二小学校04

紛れもなく2ヶ月前に廃校となった小学校。



敷地内に入ってみましょう。



玄関前の掲示板。

      20170509市東第二小学校06



校舎の前には真新しい廃校記念碑。

      20170509市東第二小学校05


      
正確には『閉校記念碑』。

      20170509市東第二小学校07

この記念碑を見たくて、廃校巡りをしていると言っても過言じゃない。
最近は、こう言った碑を建てない地区もあるから
この地区の住民の方々には、大事な小学校だったんでしょう。


残念ながら、裏面には沿革の記載がない。

      20170509市東第二小学校08

ちょっぴり拍子抜け。



廃校記念碑の隣には、ブロンズ像。

      20170509市東第二小学校09

個人的には、『ここは二ノ宮像でしょう!』ってツッコミたくなります。



反対側には百葉箱。

      20170509市東第二小学校10



校舎の前にて。

      20170509市東第二小学校11



元々、大きな小学校ではないから鉄筋2階建の校舎も
どことなくコンパクトに感じます。

      20170509市東第二小学校12


      20170509市東第二小学校13



正面玄関。

      20170509市東第二小学校14



つい2ヶ月ちょっと前まで使われていたから
時計も正確。狂いはない。

      20170509市東第二小学校15




創立60周年の記念で造られたモノ。
池のように見えるのですが............

      20170509市東第二小学校16

『よい子のひろば』と読めますね。


こちらは、創立百周年の記念樹。

      20170509市東第二小学校17

きっとひと月前なら、綺麗な桜の花が咲いていたことでしょう。



校庭の隅に置かれた日時計。

      20170509市東第二小学校18

雑草に覆われつつあります。



こちらが校庭。

      20170509市東第二小学校19


      20170509市東第二小学校20


      20170509市東第二小学校21



校庭の遊具類。

      20170509市東第二小学校22


      20170509市東第二小学校23


      20170509市東第二小学校24


      20170509市東第二小学校25


      20170509市東第二小学校26



校庭の隅の一画。
何かの碑が建っていたのか?
プレートの銘板は外されています。

      20170509市東第二小学校27



こちらは、体育館。

      20170509市東第二小学校28



そして、プール。

      20170509市東第二小学校29




市原市でも山間部になり、どちらかと言うと長柄町に近いエリア。
学校創立104年で廃校となった市東第二小学校。
最後の年度は全校児童20名、家庭数が13家庭だったそうです。
PTA活動は全家庭で行っていたようです。

本当に地域に密着していた小学校だったようです。






2017/05/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校 酒寄分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市に出かけました。


羽鳥分校をあとにして、向かった先は...............旧・真壁町立紫尾小学校 酒寄分校


酒寄分校も、なかなか情報もなく、
詳しい沿革もわかりません。

ただ、不思議なのは旧・真壁町立紫尾小学校の分校でありながら
昭和55年に真壁小学校に統合されて廃校になっていますが、
本来なら、本校である紫尾小学校に統合されるのが
自然な成り行きだと思うんだけど...............


詳しい場所も分からず、車で酒寄地区を徘徊して(かなり徘徊しました。)
偶然(探していたから、偶然じゃないか?)視界に入ってきた風景。

      20170206酒寄分校01



そうです。紛れもなく酒寄分校の正門です。

      0170206酒寄分校02


背の低い門柱。

      0170206酒寄分校03


門柱には、古い表札が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校04



もう片方の門柱には寄贈者の名が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校05



校舎は解体されていて、跡形もない。

      0170206酒寄分校06


しかしながら、学校跡地の雰囲気は満載。

      0170206酒寄分校07


いかにも分校と言うコンパクトな敷地。
びいすけ も、はいポーズ☆パチリ。

      0170206酒寄分校08


      0170206酒寄分校09



バスケットボールのリング。

      0170206酒寄分校10

分校時代のモノでしょうか?



子供たちがボールをぶつけていたであろう板。

      0170206酒寄分校11



なぜか、校庭跡に転がっていたボール。

      0170206酒寄分校12



遊具として残っている鉄棒。

      0170206酒寄分校13

年季(古さ)から言って、分校時代のモノと思われます。



敷地の外周をとりまく桜の木々。

      0170206酒寄分校14



この辺りは学校跡地を彷彿させます。

      0170206酒寄分校15



敷地の一角にある藤棚。

      0170206酒寄分校16



酒寄分校の名を残すモノは、門柱の表札のみ。
酒寄分校より20年前に廃校になった羽鳥分教場に記念碑が在ったことを思うと
酒寄分校の碑が無いのは、やっぱり残念だなぁ。





2017/03/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校羽鳥分教場  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

旧・真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場


羽鳥分教場は、

明治6年      羽鳥村に羽鳥小学校誕生。
明治13年     羽鳥小学校創立。
明治23年     紫尾尋常小学校に合併され、紫尾尋常小学校羽鳥分教場となる。
昭和22年     学制改革により、紫尾村立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和29年     紫尾村・谷貝村・樺穂村と合併し、新たな真壁町が発足。
           真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和33年     真壁小学校に併合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


今から60年近く前に廃校となった羽鳥分教場。
現在、その敷地は地域の公民館(羽鳥会館)として活用されています。


何せ、今から60年近く前(正確には59年前)に廃校になっているから
あまり期待はしていませんでした。

しっかりと、その敷地には門柱が残っていました。

      20170206羽鳥分教場01



石造りの古い門柱。

      0170206羽鳥分教場02



良く見ると、昭和10年に造られたモノのようです。

      0170206羽鳥分教場03



もう片方の門柱には、寄贈者の名が刻まれていますが
風化して読み取ることは出来ませんでした。

      0170206羽鳥分教場04

   

石造りの門柱に桜の木。
そして背後には分校の校舎っぽくみえる建物。

      0170206羽鳥分教場05




雰囲気は満載ですが、残念ながら建物は校舎ではありません。
何せ、60年近く前の廃校ですから、建て替えられています。

      0170206羽鳥分教場06



いかにも、廃校跡地に建てられた公民館って感じです。
      
      0170206羽鳥分教場07


      0170206羽鳥分教場08



敷地境界のフェンス沿いに建てられた碑。

      0170206羽鳥分教場09



『羽鳥分教場跡 碑』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場10



碑の正面に廻ってみましょう。

      0170206羽鳥分教場11



沿革も刻まれた、平成4年に建てられた碑。
こちら側には『羽鳥分教場之跡』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場12


驚くことに、この碑には両側面にも碑文が刻まれています。

      0170206羽鳥分教場13


      0170206羽鳥分教場14


      0170206羽鳥分教場15

ぎっしりと並べられた碑文を読むと、
いかに羽鳥分教場が地元に愛されていたのかが分かるような気がします。


今や廃校跡地の定番。
消防倉庫。

      0170206羽鳥分教場16


地域の集会所であり、リサイクル資源の保管所でもあるから
敷地の一角にはコンテナに入った空き瓶や空き缶が積まれていたりして
お世辞にも良いロケーションばかりでは無い。

しかしながら、この門柱と桜の木のアングルは
何故か気に入ってしまいました。

      0170206羽鳥分教場17


分教場の遺構は、石造りの門柱しかないけれど
4面にいっぱい碑文が刻まれた記念碑を見ると
分教場が、この地域のランドマークだったのが敏感に感じ取れ
愛された学校だったんだなと思わずにはいられません。


2017/03/10 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........大和西小学校高久分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は『真壁のひなまつり』でしたが
桜川市には、数校の廃校があるので、廃校巡りも堪能しました。

桜川市の廃校巡りの第一弾。

旧・大和村立大和西小学校高久分校 です。



大和西小学校高久分校は

大正2年      大国尋常小学校高久分校として設立される。
昭和22年     学制改革により、大国村立大国小学校高久分校ど改称する。
昭和29年     大国村が雨引村と合併して大和村が誕生。
           大和村立大和西小学校と改称する。
昭和41年     本校と統合し、高久分校は廃校どなる。

と、このような沿革となっています



今から51年前に廃校となった高久分校。
この場所も探すのに苦労しました。

とりあえず、高久地区の公民館、集会所の3ヶ所にアタリを付け、
順番に回ります。
しかしながら、どちらもそれっぽい雰囲気。
決め手になったのが、こちらの門柱。

      20170206高久分校01



この門柱を見て、こちらが高久分校だと確信しましたが
念のために、たまたま近隣に住む初老の男性に訊いてみたら
こちらが分校跡地だという事でした。

      20170206高久分校02


石造りの門柱。
大正7年に設置されたモノのようです。

      20170206高久分校03



校舎はとっくに解体されて、現在は建て替えられ、
『中根ふるさとコミュニティセンター』として利用されています。

      20170206高久分校04


      20170206高久分校05



敷地そのものがそんなに広くないから
分校時の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20170206高久分校06



敷地内の遊具類。

果たして、50年前のモノだろうか?

      20170206高久分校07


      20170206高久分校08


      20170206高久分校09


      20170206高久分校10



学校跡地の証し(?)とも言える桜の木。
隣に置かれた焼却炉は分校時代のモノだろうか?

      20170206高久分校11



敷地の一角には消防倉庫。

      20170206高久分校12

消防倉庫や防災倉庫は、廃校跡地の定番とも言えます。



門柱は残っているけれど、表札は無いし
高久分校の名を残すモノは何もない。
せめて、廃校記念碑とか学校跡地の碑があれば...............

ちょっぴり、残念。



2017/03/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........《番外編》 旧・樺穂小学校校舎  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の真壁(旧・真壁町)。

真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、
江戸時代初期の浅野氏時代に完成したと言われています。
枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、
その町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。
現在、99棟が国の登録文化財となっています。
平成22年に、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
全国で87地区目で、関東地方では4地区になり、茨城県内では初となります。
現在、99棟が国の登録文化財となっているそうです。

毎年、その伝統的な真壁の町並みで、ひなまつりが開催されていますが
その真壁の重要伝統的建造物群の中に、
旧・樺穂小学校の校舎が在ると言うことで訪ねてみました。


とは言うものの、実は簡単に見つかると思っていたら
なかなか見つけられませんでした。
それもそのはず、個人の庭先と言うか、敷地内に在りました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎01


一応、個人の敷地内なのでお断り(了承を頂いて)して
敷地内ぬ入らせてもらいました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎02


旧・校舎の前には案内板。

      20170206旧・樺穂小学校校舎03


しっかりと『旧 樺穂小学校』 校舎 と記載されています。

      20170206旧・樺穂小学校校舎04


地元の方の話だと、工房か何かで使用されている建物らしいが
まさか、旧・樺穂小学校の校舎だとは知らなかったそうです。

確かに敷地内の奥にあるから、通りからパッと見じゃ分かりませんね。



渡り廊下は荷物置き場?

      20170206旧・樺穂小学校校舎05



裏側に回れば、校舎らしい窓。

      20170206旧・樺穂小学校校舎06


      20170206旧・樺穂小学校校舎07


この先は完全に、こちらのお宅の庭先になるので
さすがに行けません。


どう言った経緯で、この地に校舎が移転(移設)されたかは分かりませんでしたが
ネットで調べてみたら...............

飯泉家の敷地に現存する樺穂小学校旧校舎は、
昭和20年代後半に廃止された東校舎1棟で、
飯泉家の先々代が購入し、現在地に移築したそうです。
昭和50年頃まで飯泉和洋裁学院校舎として使用していたそうです。


いずれにしても重要伝統的建造物群の一つであるようですから
このまま後世に残されて行くのでしょう。



2017/03/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit