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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

廃校を訪ねて............旧・藤代町立 高須小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


まず、最初に訪れたのは取手市合併直前に廃校となった

旧・藤代町立 高須小学校



高須小学校は、

明治5年押平学校創立。
明治6年高須学校創立。
明治12年 高須小学校と改称する。
明治22年高須村立高須尋常小学校と改称する。
昭和22年高須村立高須小学校と改称する。
昭和30年藤代町立高須小学校と改称する。
平成17年桜が丘小学校に統合となり廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが高須小学校の正門。

      20170131高須小学校01



門柱には、校名の表札が残っていました。

      20170131高須小学校02

『北相馬郡 藤代町立高須小学校』

北相馬郡って、今ではもう『利根町』時間にはないから大変貴重(?)。


地方の小学校に多い、幼稚園が併設された小学校でした。

      20170131高須小学校03

反対側の門柱には、『北相馬郡 藤代町立高須幼稚園』の表札が残っています。



こちらが、幼稚園の敷地。

      20170131高須小学校04

幼稚園も既に廃園となり、園舎も解体され
現在、その敷地は『身障者ポニーの会』と言う福祉施設になっています。



正門前には、避難場所の表示。

      20170131高須小学校05



こちらが、高須小学校の校舎。

      20170131高須小学校06


校舎を別にアングルから。

敷地と校舎、体育館とのバランスから見て
こちらの校舎以外にも校舎が在ったように見受けられます。

      20170131高須小学校07



校舎の隣の更地。

      20170131高須小学校08

おそらく、この辺りに別な校舎が建っていたのでしょう。



校舎前から見るグランド。

      20170131高須小学校09

立ち入り禁止の規制ロープが張られています。



体育館脇には、高須小学校の校歌の碑。

      20170131高須小学校10


      20170131高須小学校11


裏面には簡単な沿革が刻まれていました。
今や高須小学校のHPもないから、沿革が確認できてラッキーでした。



こちらが体育館。

      20170131高須小学校12



体育館と校舎。

      20170131高須小学校13

どうみても、校舎が小さすぎる。



校庭から旧・幼稚園側を見てみると、
やっぱり福祉施設の建物は新しい。
そして、その奥に古い園舎らしき建物も見えます。

      20170131高須小学校14

外構工事をしていたから、つい最近建てられたんでしょうね。



正門から校庭に少し入った所には二ノ宮像。

      20170131高須小学校15


      20170131高須小学校16


      20170131高須小学校17


二ノ宮像に見守られながら
この校庭を子供たちが走り回ることは
もう無いんだよなぁ...............。



2017/02/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............旧・富山小学校(旧・岩井小学校)跡   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

南房総市は、平成18年に富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、
丸山町、和田町の7つの町村が合併して発足した自治体で、
その市域はかなりの広範囲に渡ります。

合併して南房総市が誕生したものの、少子化の波は収まらず
南房総市では、平成20年から段階的に小学校の統廃合を行なってきました。

そんな南房総市ですが、旧・富山町域のJR岩井駅近くに
平成28年に移転してしまった小学校跡があり、
今回、そちらを訪れてみました。

訪れた先は...............南房総市立 旧・富山小学校跡


富山小学校は現役の小学校ですが、
平成28年に小中一貫校の富山学園として
南房総市立富山中学校の敷地内に移転しました。

さらに振り返れば、平成20年に平群小学校と岩井小学校が合併して
旧・岩井小学校の設備を使用して南房総市立富山小学校が誕生しました。

すなわち、南房総市立 旧・富山小学校跡地でもありますが
南房総市立岩井小学校跡地でもあります。

残念ながら、富山小学校の古いHPには岩井小学校の沿革も載っていましたが
現在地に移転した後に更新されたHPには岩井小学校の沿革は抹消されていました。

平成20年 平群小学校と岩井小学校が合併して、富山小学校が誕生。
平成24年 八束小学校を統合する。
平成28年 小中一貫校(富山学園)として、富山中学校の敷地内に移転する。

と、このような沿革のようです。


こちらが、正門。

      20170126岩井小学校01


門柱には、富山小学校の表札。

      20170126岩井小学校02

富山幼稚園も平群幼稚園と岩井幼稚園が統合して誕生したらしい。
富山小学校は移転しましたが、富山幼稚園は未だこの地に残っています。



こちらの門柱には表札を剥がした跡が確認できます。

      20170126岩井小学校03

きっと、岩井小学校の表札が掲げられていたのでしょう。



正門脇には、避難場所の看板

      20170126岩井小学校04

こちらには、岩井小学校と記されています。


正門前のバス停。

      20170126岩井小学校05

こちらは、富山小学校と記されています。


スクールバスのためか? はたまたそれ以前からか?
自動車が出入り出来るように大きめの門も用意されています。

      20170126岩井小学校06


事故防止用の注意喚起の看板にも『岩井小学校』の文字。

      20170126岩井小学校07

敢えて、岩井小学校の標記を訂正しなかったのか?
ひょってしたら、岩井地区の人々の維持? こだわり?


小学校は移転しましたが、幼稚園は敷地内に在るから
遠慮がちに敷地内に入ってみます。

      20170126岩井小学校08


こちらが、校舎。

      20170126岩井小学校09



こちらは、幼稚園の園舎。

      20170126岩井小学校10

平日の昼間だから、園児も居ることだし
あまり長居は出来ません。
急ぎ足で敷地内を確認します。

こちらが遊具類。

      20170126岩井小学校11


      20170126岩井小学校12


      20170126岩井小学校13


      20170126岩井小学校14


      20170126岩井小学校15



二ノ宮像もなく、学校跡の碑や岩井小学校の
廃校記念碑も見つかりません。



こちらが、体育館。

      20170126岩井小学校16


      20170126岩井小学校17



校舎裏側。

      20170126岩井小学校18


こちらは給食室。

      20170126岩井小学校19

岩井小学校の時には、こちらで給食を作っていたのでしょうか?



廃校・学校跡地ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170126岩井小学校20

体育館脇に在りました。


校舎裏の植木鉢の残骸。

      20170126岩井小学校21

まだまだ使えそうなんですけどね...............。



体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下には
子供たちの作品と思われる大きな絵が飾られていました。

      20170126岩井小学校22


岩井小学校から富山小学校。
そして富山学園となるために移転してしまった小学校。
だった8年間で色々と変わってしまったようです。
そんなに急ぎ足じゃなくても良いのでは?と思ったりします。
旧・富山町は合併前に3校在った小学校が
小中一貫校の1校に統合されてしまいました。

時代の流れに置いていかれてしまった小学校ですね。



2017/02/16 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校赤岩分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第4弾。

旧・松伏小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校赤岩分校


赤岩分校は

明治25年     赤磐尋常小学校として設立。
明治41年     松伏尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     松伏小学校赤岩分校となる。         
昭和48年     本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、赤岩分校。

      20170111赤岩分校01

分校と言うだけあって、敷地は狭い。

廃校時には周りが田んぼや畑だらけだったか否かは知らないけれど
現在は、住宅街の一画です。

      20170111赤岩分校02


分校の校舎はおそらく建て替えられているのでしょう。
現在は、赤岩農村センターの建物が建っています。

      20170111赤岩分校03



敷地の一角に在る石碑。

      20170111赤岩分校04



『赤岩分校跡地』の碑です。

      20170111赤岩分校05


碑の側面には沿革が刻まれています。

      20170111赤岩分校06


      20170111赤岩分校07

既に廃校となってしまった学校は、なかなか情報も少ないので
こう言う形で沿革が残されているのは貴重な情報源です。



とにかく狭い敷地だから、限られたアングルでしか撮影できない。

そして、遊具等の遺構も全く残されていない。

      20170111赤岩分校08


      20170111赤岩分校09


      20170111赤岩分校10


廃校から、もうすぐ44年。
あの赤岩分校跡地の碑が無ければ、
誰もこの地が廃校跡地だとは思わないだろうなぁ...............。


2017/02/04 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・松伏小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第3弾。

大川戸分校をあとにして、
向かった先は...............松伏町立 旧・松伏小学校跡

松伏小学校は廃校ではなく、現存する小学校です。
ただ、現在の校地は48年に校舎を新築された際に移転したもので
昭和48年までは、別な場所に学び舎は在りました。


松伏小学校は、

明治6年      松伏領村立大川戸小学校として西福寺に開校
明治6年      松伏領村立松伏小学校が宝珠院を校舎として開校
明治9年      第四学区の本校として広大なる校舎を新築する   
           分校は郁文学校(旭村),周知学校(豊野村),
           樋籠学校(幸松村),向畑学校(新方村)とする
明治12年     新教育令により従来の学区を廃して町村毎に学区を設置することになり,
           本校の広大な校舎を縮小する。残余の校舎は本郡々役所の庁舎に献納する
明治19年     分教場を下赤岩の東陽時に置き,同年9月に廃止する
明治22年     町村制実施に伴い,松伏領村になった大川戸藤聯小学校分教室は本校の分教室となる
明治25年     赤岩尋常小学校を設立(旧赤岩分教場)
           本校に補習科を設置
明治34年     二カ年制高等科を設置
           松伏領尋常小学校と称する
昭和4年      大川戸尋常小学校と合併し,松伏領尋常高等小学校と称し,大川戸に分校を置く
昭和22年     六三制実施に伴い,松伏領村立松伏領小学校と改称
昭和31年     町村合併による新松伏村設置に伴い,校名を松伏村立松伏小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立松伏小学校と改称
昭和47年     大川戸,赤岩両分校を廃止し,松伏小学校に名目統合する
昭和48年     新校舎完成に伴い松伏町大字村松伏1609番地に移転する





こちらが、旧・松伏小学校跡地。

      20170111旧・松伏小学校跡01

旧・松伏小学校の跡地は現在の松伏町役場です。



この広い駐車場は、かつての校庭跡なのだろうか?

      20170111旧・松伏小学校02



庁舎と庁舎の間に何やら石碑らしきモノがある。

      20170111旧・松伏小学校03



近寄ってみましょう。

      20170111旧・松伏小学校04


石碑は松伏小学校跡の碑です。

      20170111旧・松伏小学校05



しっかりと『松伏小学校跡地』と刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校07


この石碑以外、学校跡を彷彿させるモノは無い。
いわゆる、遺構が全く残っていない。

学校跡地の碑の脇に、どぉ〜んと庁舎がそびえ立っている。

      20170111旧・松伏小学校08

はたして、この庁舎を訪れる人たちが、この碑に気付いているのだろうか?



そう言えば、先日テレビで芸能人、著名人の同級生を探すって言う類いの番組で
作家の羽田圭介が松伏小学校の卒業生だと言う事を知りました。
彼はまだ31歳だから約44年前には、まだ生まれていない。
昭和48年に移転した松伏小学校が学び舎になる。
松伏町の役場が昔の母校跡だと言う事を知っているのだろうか...............?


2017/02/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校大川戸分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけ、そのあとに松伏町の廃校巡りに出かけました。

旧・金杉小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校大川戸分校



大川戸分校は

明治6年     大川戸小学校として開校する。
明治22年    町村制施行と同時に松伏領村となり 
          松伏小学校分教室となる。
明治25年    松伏領村立第一学区大川戸尋常小学校となる。    
昭和4年     松伏領尋常高等小学校の分校として開校する。    
昭和22年    松伏領村立松伏領小学校大川戸分校と改称する。
昭和48年    松伏小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大川戸分校跡。

石造りの門柱が残っています。

      20170111大川戸分校01



残念ながら、造られた時期は不明。

      20170111大川戸分校02


大川戸分校跡の敷地は、地域の集会所として再活用されているようです。


かつての校庭跡になるのでしょう。

      20170111大川戸分校03



敷地の一角に建っている石碑。

      20170111大川戸分校04



『大川戸分校跡地』の碑です。

      20170111大川戸分校05



側面には、沿革が刻まれています。

      20170111大川戸分校06


なかなか情報が少ない分校だから、創立時の経緯も分かるから
貴重な情報です。

      20170111大川戸分校07



校庭跡の奥に建つのは集会所。

      20170111大川戸分校08



校庭跡は、集会所を利用する人の駐車場と化しているようです。

      20170111大川戸分校09

残念ながら、遊具等の遺構は全く無し。
二ノ宮像もありません。



校庭跡の端っこには、廃校ではお約束(?)の消防倉庫。

      20170111大川戸分校10




かつての校舎跡(?)には、新しく自治会館が建てられています。

      20170111大川戸分校11


その名も『本田自治会館』。

      20170111大川戸分校12



そして、自治会館の隣には小さな神社。

      20170111大川戸分校13


元々は、神社の敷地の一画に学校が設けられだのでしょう。

      20170111大川戸分校14


神社の社殿。

      20170111大川戸分校15


社殿の神額には『天照皇大神宮』

      20170111大川戸分校16

由緒ある神社なのかな?


まぁ、明治初めの教育令で創設された学校は
寺院や神社の敷地の一画教育建てられたことが多いから
大川戸分校の前身である大川戸学校もそんな流れを汲んでいるのでしょう。




2017/02/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・金杉小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出がけました。
杉戸町の隣とも言える松伏町にもいくつかの廃校、学校跡が在ると言うことで
松伏町に足を伸ばしてみました。

まず、最初に向かったのは...............松伏町立 旧・金杉小学校跡

金杉小学校は廃校ではなく、現役の小学校ですが
昭和51年に移転して、旧・校地は松伏町北部サービスセンターとして再活用されているようです。



金杉小学校は、

明治8年      築比地小学校創立 宝蔵院を仮校舎とする
明治20年     築比地尋常小学校となる
明治42年     金杉尋常小学校となる
大正15年     高等科設置が認可され,金杉尋常高等小学校となる
昭和22年     校名を埼玉県北葛飾郡金杉村立金杉小学校と改称
           埼玉県北葛飾郡金杉村立金杉中学校を併置
昭和25年     金杉中学校を廃止
昭和31年     村名変更により校名を松伏村立金杉小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立金杉小学校と改称
昭和51年     現在地(松伏町大川戸3854)に新校舎落成,全校移転
           
現在に至る

と、このような沿革となっているようです。


こちらが、金杉小学校の正門跡。

      20170117金杉小学校跡01



石造りの古い門柱が残っています。

      20170117金杉小学校跡02



画像では見辛いですが、大正四年と造られた時期が刻まれています。

      20170117金杉小学校跡03



門柱脇から覗く校庭跡。

      20170117金杉小学校跡04

ちょっと台地から窪んだ場所になり、
まさに、小学校の校庭って言う感じです。



校庭跡に降り立ってみます。

      20170117金杉小学校跡05



シンボルツリーだったと思われる大きなモミの木。

      20170117金杉小学校跡06



校庭跡で黄昏る(?) びいすけ を激写(笑)。

      20170117金杉小学校跡07


      20170117金杉小学校跡08


      20170117金杉小学校跡09



古い桜の木も学校跡を彷彿させます。

      20170117金杉小学校跡10


      20170117金杉小学校跡11



別アングルから校庭跡を...............

      20170117金杉小学校跡12

      20170117金杉小学校跡13



おそらく、校庭から一段上がった台地に校舎は建っていたのでしょう。

取り壊されて、現在は『松伏町北部サービスセンター』の建物学校建っています。

      20170117金杉小学校跡14


      20170117金杉小学校跡15



校舎の在った台地から校庭へは、こんな滑り台が残されています。
それも2基。

      20170117金杉小学校跡16


      20170117金杉小学校跡17



ここから、子供たちは『きゃ〜、きゃ〜』と言いながら
滑り台を降りて行ったのでしょう。

      20170117金杉小学校跡18



北部サービスセンターの建物前には石碑が在ります。

      20170117金杉小学校跡19



金杉小学校跡地の碑。

      20170117金杉小学校跡20


      20170117金杉小学校跡21



碑の裏面には簡単な沿革が刻まれています。

      20170117金杉小学校跡22


その隣には、明治39年の日付のある校舎建築の記念碑。

      20170117金杉小学校跡23


紛れもなく、この地は金杉小学校の跡地。

かつての校地を忘れないように、こうやって碑を残して後世に伝えていく。
松伏町のそんな姿って好きだなぁ...............。





2017/02/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............杉戸町立東小学校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町)   

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。
最たる目的は杉戸町に点在する日光街道すぎと七福神巡りですが
七福神巡りを完了したあとは、杉戸町に在る廃校へと向かいました。

向かった先は...............杉戸町立東小学校



東小学校は

明治9年    北蓮沼村の服部慶清氏宅地内に第六学区蓮沼学校が設立される。
明治16年    不動院野村文友学校を併合する。

その後、並塚学校蓮沼分教室となり、田宮村立田宮尋常小学校と改称し独立する

昭和22年    田宮村立田宮南小学校と改称する。
昭和30年    田宮村が杉戸町・堤郷村・高野村がと合併し、杉戸町となる。
          杉戸町立田宮南小学校と改称する。
昭和31年    杉戸町立東小学校と改称する。
昭和50年    東小学校と南小学校が統合し、杉戸町立杉戸第三小学校が開校。
          東小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


                 

こちらが、東小学校の正門。

      20170111東小学校01


廃校後、敷地は地域の集会所(大蓮会館)となっているようです。


正門脇には説明板。

      20170111東小学校02

かつての学校跡にこうやって説明板を建ててくれているから
杉戸町教育委員会には好感が持てます。



白い小さな木造校舎。

      20170111東小学校03




窓越しに中を覗いたら、黒板があったから
紛れもなく、東小学校の校舎だったのでしょう。

      20170111東小学校11


      20170111東小学校12



校庭側から全景。

      20170111東小学校04

そんなに大きな小学校ではなかったようです。


校舎の前には、シンボルツリー(?)

      20170111東小学校05



敷地境界のフェンス沿いには桜の木。

      20170111東小学校06

この桜の木が学校跡らしさを残しています。



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170111東小学校07



校舎の前には、ブランコ。

      20170111東小学校08a>

残っていた遊具は、このブランコのみ。



校庭はゲートボール場として使われているのか?
庇の付いたベンチも設けられています。

      
20170111東小学校09



校舎をバックに、記念の一枚。

      20170111東小学校10



こちらが、校舎の正面。

      20170111東小学校13

木造校舎の正面とも言うか、入口って建物の顔だから
建物によって表情が違うから、それが面白い。
入口の扉は集会所になってから取り替えられたモノのようです。



校庭の一角には、廃校跡ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170111東小学校14



廃校から既に40数年。
校舎もきちんと手入れされているようで
大切にされている、旧・杉戸町立東小学校。

良いモノを見せて貰いました...............。




2017/02/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり④  《 宝性院  毘沙門天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。

日光街道すぎと七福神巡り、その第4ヶ所目。
宝性院の毘沙門天です。




毘沙門天はインド出身の神様です。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。

宝性院は、正式名称を杉戸山宝性院不動寺と言います。
本尊は胎蔵界大日如来です。
永禄3年(1562年)に徳川家から幸手庄内を賜った一色宮内大輔義直が開山したと伝えられています。
境内にある不動堂は嘉永2年(1849年)9月に再建されたもので、
安産不動明王、成田山不動明王、菅谷不動明王の3体が祀られています。


日光街道の旧道沿いにある宝性院。

      20170111宝性院 毘沙門天01


旧道が本来の日光街道だから、旧道沿いに鎮座しているのが本筋かも知れない。
何せ、日光街道すぎと七福神って言うぐらいだから、
やっぱり日光街道沿いに無くっちゃ!

幟も日光街道沿いに立ってこそ意義がらある(?)

      20170111宝性院 毘沙門天02


杉戸は日光街道の宿場町の一つ。
杉戸町も町を挙げて、日光街道の宿場町杉戸としてPRしているようです。

こんな案内板も宝性院の門前に建てられていました。
宿場町を びいすけ と一緒に歩く...............

これも楽しいテーマかも知れない。
宿場町杉戸を散歩するのは、いずれかの機会にするとして
今日は『日光街道すぎと七福神巡り』に精を出しましょう。

      20170111宝性院 毘沙門天03



こちらが、宝性院の山門。

      20170111宝性院 毘沙門天04



境内に建てられた説明板。

      20170111宝性院 毘沙門天05

宝性院は別名、杉戸不動尊と呼ばれているようです。
地元では、杉戸不動の方が馴染みがあるのかも知れない。



こちらが本堂。

      20170111宝性院 毘沙門天06



本堂に掲げられた扁額。

      20170111宝性院 毘沙門天07

山号の『杉戸山』の文字が確認出来ます。



こちらが、成田山不動堂。

      20170111宝性院 毘沙門天08



扁額はズバリ!

      20170111宝性院 毘沙門天09

『不動』でした(笑)。


こちらが鐘楼。

      20170111宝性院 毘沙門天12




お目当の七福神はこちら。

      20170111宝性院 毘沙門天10



日光街道すぎと七福神 宝性院の毘沙門天です。

      20170111宝性院 毘沙門天11




本堂前には、スタンプ台も置かれていたようです。

      20170111宝性院 毘沙門天13



七福神の毘沙門天も制覇して、この地をあとにしようとしたら
こんな説明板を見つけちゃいました。

      20170111宝性院 毘沙門天14

何と! この宝性院が杉戸学校(後の杉戸小学校)の跡地らしい。


確かに明治の初め、明治政府が発令した『学制』によって各村単位で学校が創立されました。
その際、寺院の敷地を校舎として使用される事が多くありました。
この杉戸学校もその一つでした。

明治7年に杉戸宿、清地村、倉松村の子どもたちの教育のために
この宝性院に杉戸学校が設立されたとのことです。
多少の変遷はありましたが、明治34年までこの地に杉戸学校が在ったそうです。


今は、宝性院の駐車場と化しているこの辺りに、小さな学び舎が建っていたのだろうか?

      20170111宝性院 毘沙門天15



七福神巡りで思わぬ見っけモノ。
ちょっぴり得した気分です。

自宅に帰って来て、杉戸小学校の事を調べていたら
明治34年に宝性院から移転した杉戸小学校は、
昭和42年に再び移転して、旧・校地は公民館となったらしい。

いつか、その旧・杉戸小学校跡にも訪れてみたいなぁ...............





2017/01/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり①  《 馬頭院  大黒天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日 公休日

毎年、1月に集中的に行っている七福神巡り。
今年は元旦の日に原町田七福神巡りをしましたが
1ヶ所(町田天満宮 恵比寿)を残し未達となっています。

その七福神巡りの第2弾。
今回は場所を埼玉県に移し、埼玉県北葛飾郡杉戸町。

日光街道すぎと七福神巡りです。


日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


その第1発目。
日光街道すぎと七福神 馬頭院の大黒天 です。


大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています


馬頭院は、正式には旦照山馬頭院と言い、
本尊は馬頭観世音菩薩です。
開山は行基菩薩によるものと伝えられています。



こちらが、馬頭院。

      20170111馬頭院大黒天01

あれっ?
確か、馬頭院ってどこかで聞いたような...............?

それは、後ほど記するとして、
こちらが、馬頭院の説明板。

      20170111馬頭院大黒天02



こちらが、馬頭院の山門。

      20170111馬頭院大黒天03


山門には山号の扁額が掲げられています。

      20170111馬頭院大黒天04



こちらが本堂。

      20170111馬頭院大黒天05


      20170111馬頭院大黒天06


お目当の七福神を発見。

      20170111馬頭院大黒天07


こちらが、馬頭院の大黒天です。

      20170111馬頭院大黒天08



この馬頭院には、杉戸町最古の石塔婆もあります。

文永七年の作とされる石塔婆。

      20170111馬頭院大黒天09


こちらが、その石塔婆。

      20170111馬頭院大黒天10

青石で高さは1mほど。


本堂脇の石仏(?)

馬頭院だから、馬の像?

      20170111馬頭院大黒天11

でも何故か河童と向き合ってます(笑)。



こちらは、護摩

      20170111馬頭院大黒天12

てっきり鐘楼かと思っていたら違っていました。


そして、馬頭観音の碑。

      20170111馬頭院大黒天13

『 馬のこと悪と厄とを食い尽くす 旅をも守る馬頭観音 』



ここからが馬頭院の真骨頂。
七福神巡りで訪れた馬頭院ですが
杉戸町立南小学校の記事でも触れましたが
明治6年(7年の説もあるらしい)に南小学校の前身でもある
『新知学校』の跡でもあります。

      20170111馬頭院大黒天14


境内のこの辺りに新知学校は建てられていたのでしょうか?

      20170111馬頭院大黒天15



墓地の脇にはこんな石碑が建っています。

      20170111馬頭院大黒天16


馬頭院教育史。

      20170111馬頭院大黒天17


この地がかつての堤郷村の教育の発祥の地だったんですね。

かつて、この地に在った学校が移転先で廃校になってしまったのは
やっぱり大黒天も淋しい思いなんだろうなぁ...............。





2017/01/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........杉戸町立南小学校   (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

個人的な3連休の2日目。

さずがにこの日も自宅で待機って言うのも辛いから
何かあった時にすぐ駆けつけられるように、
少しでも実家である八王子に近い埼玉県の杉戸町に出かけました。

昨年の暮れに近くまで来たんだけど時間が無くて、
立ち寄る事が出来なかった廃校にってみました。

と言うことで、訪れたのは...............杉戸町立南小学校跡



南小学校は

明治7年      堤根村の馬頭院に新智学校として開校する。
明治17年     清地学校分校となる。
明治25年     堤郷尋常小学校として九品寺に移転。
明治28年     再び馬頭院に移転。
明治35年     現在地に移転。
明治44年     高等科を併設し、堤郷高等尋常小学校と改称する。
昭和31年     町村合併により杉戸町立南小学校と改称する。
昭和54年     東小学校と合併して新たに杉戸町立第三小学校が開校。
           南小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが南小学校跡地。

      20170111南小学校跡01



現在は、杉戸町の南公民館となっています。

      20170111南小学校跡02



敷地の一角には、説明板。

      20170111南小学校跡03

杉戸町の学校跡には、このような説明板が建てられているから
親切この上ない。


説明板の隣には、南小学校の校歌の碑。

      20170111南小学校跡04


      20170111南小学校跡05


校歌の碑以外には、これと言った遺構は見当たらない。

      20170111南小学校跡06


公民館の庭が、かつての校庭だったのだろうか?

      20170111南小学校跡07


      20170111南小学校跡08



公民館の隣には、杉戸町立南幼稚園。

      20170111南小学校跡09

公民館の職員の方に話を聞いたら、幼稚園は昨年閉園となってしまったようです。


こちらが、幼稚園跡地。

      20170111南小学校跡10

古めかしい園舎。

もしや?、幼稚園の園舎は昔の南小学校の校舎?
と思って公民館の職員の方に聞いてみたが、
着任してまだ数年で昔の事は分からないらしい。

しかし、園庭に残る遊具は園児には大きすぎないか?

      20170111南小学校跡11

ひょっとしたら?
疑問は多いに残ります。


隣接するテニスコート。

      20170111南小学校跡12


実は、このテニスコートのある場所が
かつての堤郷中学校の跡地らしい。

テニスコートのフェンス沿いに、こんな説明板が建っていました。

      20170111南小学校跡13



テニスコートの奥に見える建物が南公民館。

      20170111南小学校跡14

中学校より気持ち高台に南小学校は在ったようです。


テニスコートに居た年配の方に話を伺ったら

①小学校と中学校は隣接していたらしい。
②幼稚園は当時は無く、小学校が無くなってから
小学校の敷地に幼稚園が出来たらしい。
③幼稚園の園舎は小学校の校舎か否かは分からない。


いずれにしても、園庭に残された遊具類は
南小学校の遊具であったかもしれません。


偶然にも中学校跡まで確認することが出来、
杉戸町の教育委員会が設置した説明板のおかげです。

小学校に限らず、教育の場、学び舎であった学校跡。
その場所を後世にはしっかりと伝えて行く杉戸町教育委員会の姿には脱帽です。




2017/01/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit