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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

廃校を訪ねて..........紫尾小学校 酒寄分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は茨城県の桜川市に出かけました。


羽鳥分校をあとにして、向かった先は...............旧・真壁町立紫尾小学校 酒寄分校


酒寄分校も、なかなか情報もなく、
詳しい沿革もわかりません。

ただ、不思議なのは旧・真壁町立紫尾小学校の分校でありながら
昭和55年に真壁小学校に統合されて廃校になっていますが、
本来なら、本校である紫尾小学校に統合されるのが
自然な成り行きだと思うんだけど...............


詳しい場所も分からず、車で酒寄地区を徘徊して(かなり徘徊しました。)
偶然(探していたから、偶然じゃないか?)視界に入ってきた風景。

      20170206酒寄分校01



そうです。紛れもなく酒寄分校の正門です。

      0170206酒寄分校02


背の低い門柱。

      0170206酒寄分校03


門柱には、古い表札が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校04



もう片方の門柱には寄贈者の名が埋め込まれています。

      0170206酒寄分校05



校舎は解体されていて、跡形もない。

      0170206酒寄分校06


しかしながら、学校跡地の雰囲気は満載。

      0170206酒寄分校07


いかにも分校と言うコンパクトな敷地。
びいすけ も、はいポーズ☆パチリ。

      0170206酒寄分校08


      0170206酒寄分校09



バスケットボールのリング。

      0170206酒寄分校10

分校時代のモノでしょうか?



子供たちがボールをぶつけていたであろう板。

      0170206酒寄分校11



なぜか、校庭跡に転がっていたボール。

      0170206酒寄分校12



遊具として残っている鉄棒。

      0170206酒寄分校13

年季(古さ)から言って、分校時代のモノと思われます。



敷地の外周をとりまく桜の木々。

      0170206酒寄分校14



この辺りは学校跡地を彷彿させます。

      0170206酒寄分校15



敷地の一角にある藤棚。

      0170206酒寄分校16



酒寄分校の名を残すモノは、門柱の表札のみ。
酒寄分校より20年前に廃校になった羽鳥分教場に記念碑が在ったことを思うと
酒寄分校の碑が無いのは、やっぱり残念だなぁ。





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2017/03/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........紫尾小学校羽鳥分教場  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

旧・真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場


羽鳥分教場は、

明治6年      羽鳥村に羽鳥小学校誕生。
明治13年     羽鳥小学校創立。
明治23年     紫尾尋常小学校に合併され、紫尾尋常小学校羽鳥分教場となる。
昭和22年     学制改革により、紫尾村立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和29年     紫尾村・谷貝村・樺穂村と合併し、新たな真壁町が発足。
           真壁町立紫尾小学校羽鳥分教場と改称する。
昭和33年     真壁小学校に併合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


今から60年近く前に廃校となった羽鳥分教場。
現在、その敷地は地域の公民館(羽鳥会館)として活用されています。


何せ、今から60年近く前(正確には59年前)に廃校になっているから
あまり期待はしていませんでした。

しっかりと、その敷地には門柱が残っていました。

      20170206羽鳥分教場01



石造りの古い門柱。

      0170206羽鳥分教場02



良く見ると、昭和10年に造られたモノのようです。

      0170206羽鳥分教場03



もう片方の門柱には、寄贈者の名が刻まれていますが
風化して読み取ることは出来ませんでした。

      0170206羽鳥分教場04

   

石造りの門柱に桜の木。
そして背後には分校の校舎っぽくみえる建物。

      0170206羽鳥分教場05




雰囲気は満載ですが、残念ながら建物は校舎ではありません。
何せ、60年近く前の廃校ですから、建て替えられています。

      0170206羽鳥分教場06



いかにも、廃校跡地に建てられた公民館って感じです。
      
      0170206羽鳥分教場07


      0170206羽鳥分教場08



敷地境界のフェンス沿いに建てられた碑。

      0170206羽鳥分教場09



『羽鳥分教場跡 碑』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場10



碑の正面に廻ってみましょう。

      0170206羽鳥分教場11



沿革も刻まれた、平成4年に建てられた碑。
こちら側には『羽鳥分教場之跡』と刻まれています。

      0170206羽鳥分教場12


驚くことに、この碑には両側面にも碑文が刻まれています。

      0170206羽鳥分教場13


      0170206羽鳥分教場14


      0170206羽鳥分教場15

ぎっしりと並べられた碑文を読むと、
いかに羽鳥分教場が地元に愛されていたのかが分かるような気がします。


今や廃校跡地の定番。
消防倉庫。

      0170206羽鳥分教場16


地域の集会所であり、リサイクル資源の保管所でもあるから
敷地の一角にはコンテナに入った空き瓶や空き缶が積まれていたりして
お世辞にも良いロケーションばかりでは無い。

しかしながら、この門柱と桜の木のアングルは
何故か気に入ってしまいました。

      0170206羽鳥分教場17


分教場の遺構は、石造りの門柱しかないけれど
4面にいっぱい碑文が刻まれた記念碑を見ると
分教場が、この地域のランドマークだったのが敏感に感じ取れ
愛された学校だったんだなと思わずにはいられません。


2017/03/10 Fri. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........大和西小学校高久分校  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日  公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市を訪れた最たる目的は『真壁のひなまつり』でしたが
桜川市には、数校の廃校があるので、廃校巡りも堪能しました。

桜川市の廃校巡りの第一弾。

旧・大和村立大和西小学校高久分校 です。



大和西小学校高久分校は

大正2年      大国尋常小学校高久分校として設立される。
昭和22年     学制改革により、大国村立大国小学校高久分校ど改称する。
昭和29年     大国村が雨引村と合併して大和村が誕生。
           大和村立大和西小学校と改称する。
昭和41年     本校と統合し、高久分校は廃校どなる。

と、このような沿革となっています



今から51年前に廃校となった高久分校。
この場所も探すのに苦労しました。

とりあえず、高久地区の公民館、集会所の3ヶ所にアタリを付け、
順番に回ります。
しかしながら、どちらもそれっぽい雰囲気。
決め手になったのが、こちらの門柱。

      20170206高久分校01



この門柱を見て、こちらが高久分校だと確信しましたが
念のために、たまたま近隣に住む初老の男性に訊いてみたら
こちらが分校跡地だという事でした。

      20170206高久分校02


石造りの門柱。
大正7年に設置されたモノのようです。

      20170206高久分校03



校舎はとっくに解体されて、現在は建て替えられ、
『中根ふるさとコミュニティセンター』として利用されています。

      20170206高久分校04


      20170206高久分校05



敷地そのものがそんなに広くないから
分校時の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20170206高久分校06



敷地内の遊具類。

果たして、50年前のモノだろうか?

      20170206高久分校07


      20170206高久分校08


      20170206高久分校09


      20170206高久分校10



学校跡地の証し(?)とも言える桜の木。
隣に置かれた焼却炉は分校時代のモノだろうか?

      20170206高久分校11



敷地の一角には消防倉庫。

      20170206高久分校12

消防倉庫や防災倉庫は、廃校跡地の定番とも言えます。



門柱は残っているけれど、表札は無いし
高久分校の名を残すモノは何もない。
せめて、廃校記念碑とか学校跡地の碑があれば...............

ちょっぴり、残念。



2017/03/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........《番外編》 旧・樺穂小学校校舎  (2017年2月6日)(茨城県桜川市) 

2月6日 公休日

この日は、茨城県の桜川市に出かけました。

桜川市の真壁(旧・真壁町)。

真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、
江戸時代初期の浅野氏時代に完成したと言われています。
枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、
その町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。
現在、99棟が国の登録文化財となっています。
平成22年に、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
全国で87地区目で、関東地方では4地区になり、茨城県内では初となります。
現在、99棟が国の登録文化財となっているそうです。

毎年、その伝統的な真壁の町並みで、ひなまつりが開催されていますが
その真壁の重要伝統的建造物群の中に、
旧・樺穂小学校の校舎が在ると言うことで訪ねてみました。



とは言うものの、実は簡単に見つかると思っていたら
なかなか見つけられませんでした。
それもそのはず、個人の庭先と言うか、敷地内に在りました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎01


一応、個人の敷地内なのでお断り(了承を頂いて)して
敷地内ぬ入らせてもらいました。

      20170206旧・樺穂小学校校舎02


旧・校舎の前には案内板。

      20170206旧・樺穂小学校校舎03


しっかりと『旧 樺穂小学校』 校舎 と記載されています。

      20170206旧・樺穂小学校校舎04


地元の方の話だと、工房か何かで使用されている建物らしいが
まさか、旧・樺穂小学校の校舎だとは知らなかったそうです。

確かに敷地内の奥にあるから、通りからパッと見じゃ分かりませんね。



渡り廊下は荷物置き場?

      20170206旧・樺穂小学校校舎05



裏側に回れば、校舎らしい窓。

      20170206旧・樺穂小学校校舎06


      20170206旧・樺穂小学校校舎07


この先は完全に、こちらのお宅の庭先になるので
さすがに行けません。


どう言った経緯で、この地に校舎が移転(移設)されたかは分かりませんでしたが
ネットで調べてみたら...............

飯泉家の敷地に現存する樺穂小学校旧校舎は、
昭和20年代後半に廃止された東校舎1棟で、
飯泉家の先々代が購入し、現在地に移築したそうです。
昭和50年頃まで飯泉和洋裁学院校舎として使用していたそうです。


いずれにしても重要伝統的建造物群の一つであるようですから
このまま後世に残されて行くのでしょう。



2017/03/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


      20170131井野小学校21


      20170131井野小学校22


      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中にガッがあるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........小文間小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高須小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立小文間小学校



小文間小学校の詳しい沿革は不明です
しかしながら、明治6年に小文間村戸田井の西光院に創立された
取手市の中では歴史のあった小学校の一つです。

明治37年現在地に移転。この頃に小文間村立尋常小学校と改称します。
昭和22年学制改革により、小文間村立小文間小学校と改称する。
昭和30年小文間村が取手町に合併し、取手町立小文間小学校と改称する。
昭和45年取手町が市制施行。取手市立小文間小学校と改称する。
平成27年 吉田小学校、井野小学校、小文間小学校が統合して取手東小学校が発足。(敷地は吉田小学校を流用)
小文間小学校は廃校となる。

と、このような沿革のようです。


こちらが、小文間小学校の校門。

      20170131小文間小学校01

かつての正門のようですが、石造りの古い門柱。
ちなみに、廃校時までの正門は別な場所にあります。



門柱には、『取手市立小文間小学校』と刻まれた表札か嵌め込まれています。

      20170131小文間小学校02


      20170131小文間小学校03



校門の脇には『頌徳碑』。

      20170131小文間小学校05

中村熊次郎と言う人が小文間小学校の移転の際に畑を寄付してくれて
この場所に小文間小学校が建てることが出来たらしい。
熊次郎氏は、後に小文間村の村長にもなられた方らしい。


こちらが正門。

      20170131小文間小学校04



正門から敷地内に入ると、すぐ目に入ってくる二ノ宮像。

      20170131小文間小学校06


      20170131小文間小学校07


      20170131小文間小学校08



そして、二ノ宮像の脇には『友愛』の碑。

      20170131小文間小学校09



少し離れた場所には、別な石碑。
廃校記念の碑かと思ったら、小文間小学校の校歌の碑でした。

      20170131小文間小学校10



こちらが校舎。

      20170131小文間小学校11

小文間小学校には、旧・校舎と新・校舎が在って
こちらは新・校舎。鉄筋3階建。
ちなみに、旧・校舎は平屋建。


こちらは体育館。

      20170131小文間小学校12



体育館と校舎の背面。

      20170131小文間小学校13


正門脇には、避難場所の案内板。
『旧小文間小』と明記されています。

      20170131小文間小学校14



中庭にあるオブジェ。
おそらく、こどもたちの卒業製作の一つでしょう。

      20170131小文間小学校15


旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校16

昭和43年度卒業生の製作品。


こちらも旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校17

タイルを使って描かれています。



中庭にあった朝礼台。

      20170131小文間小学校18

おそらく、校庭から移動されたんでしょう。


校庭脇の百葉箱。

      20170131小文間小学校19



こちらが校庭。

      20170131小文間小学校20


別アングルから。

      20170131小文間小学校21



平屋建ての旧・校舎とシンボルツリー。
そして、国旗掲揚ポール。

      20170131小文間小学校22



校庭に残る遊具類。

      20170131小文間小学校23


      20170131小文間小学校24


      20170131小文間小学校25



校庭の片隅にそっと置かれた防災倉庫。

      20170131小文間小学校26

廃校の定番となっています。



取手市の学校統廃合の案が出た時に、
小文間小学校の学区の方はかなりもう反対して
陳情書も提出した(?)らしいが、結局は時代の流れ、
少子化の波には勝てず、統合という形で廃校の道を歩んだ小文間小学校。

歴史のある小学校だったのに、ちょっぴり残念です。






2017/02/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit