10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて..............................浅川小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。


大月市の廃校巡り、その第6弾は...............大月市立浅川小学校


浅川小学校の沿革や詳細については全く分かりません。
ネットで調べても情報は無く、Wikipediaによれば、
浅川小学校奈良子分校が昭和41年に廃校となったとされていますが
統合先は、本校である浅川小学校では無く、
葛野小学校(現:七保小学校)に統合されたと記録されているようです。

(詳しく調べていたら、昭和42年に浅川小学校と葛野小学校が統合して
七保小学校となったようです。)


とにかく、大字小字の地名をヒントに
浅川公民館にあたりを付け訪れてみます。

こちらが、浅川公民館。

      20171009浅川小学校01

学校跡っぽくも見えるが、遺構らしきモノも無く
確たる証はなく、確定出来ない。(今イチ、学校跡と言い切れる自信がない。)


誰かに尋ねようにも、人が居ない。

仕方ないから、車で数百m移動。
たまたま民家の庭先で作業しているオジさんを見かけだから急停車。
路肩車を停め、オジさんに尋ねてみると...............


浅川公民館の上にある台地が、かつての浅川小学校の地だったらしい。
廃校後、講堂を利用して幼稚園として使われていたらしいが
幼稚園も廃園となり、建物は全て解体されたらしいです。
台地へと上がる道は残っているが、
今では誰も行かないため荒れ放題の地らしい。


再び、浅川公民館に戻ります。


あの台地が浅川小学校の在った地のようです。

      20171009浅川小学校02


ちょっと離れたお寺へと上がる道から台地へと行けるようです。

      20171009浅川小学校03



お墓の脇のこの道は、かつての登校路。

      20171009浅川小学校04


しかし、もう何十年も使われていないから、
雑草に行く手を阻まれてしまいます。

      20171009浅川小学校05



雑草の先の台地。
これまた、荒れ放題。
って言うか、完全な藪。

      20171009浅川小学校06

とてもここに学校が在ったなんて思えない。


せめてもの訪問証明。
学校跡地で一枚パチリ☆。

      20171009浅川小学校07

一応、何か残ってないか?
藪の手前を確認したけれど何もない。



あきらめて、お寺の脇を通って公民館に戻る途中
公民館の隣に住む方に遭遇した。
見慣れない人間が歩いているから怪しいとでも思ったのか?(笑)


そのオジさんから、浅川小学校の事も聞けました。
50年前に廃校になって、校舎も無く、草が茫々で荒れ放題の地。
そんな場所に千葉県からやってくるモノ好きに呆れているようでした。

まぁ、こんなこともあるでしょう。







スポンサーサイト
2017/11/12 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................下和田小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

猿橋をあとにして、向かった先は...............大月市立下和田小学校


下和田小学校は、

明治7年      下和田村の奈良氏宅を仮校舎として和田学校を開校する。
明治8年      下和田村・葛野村・林村・奈良子村・駒宮村・浅川村・瀬戸村が合併して七保村となる。
明治19年     葛野小学校の分校となる
明治25年     下和田小尋常小学校として独立する。
昭和22年      学制改革により、七保村立下和田小学校と改称する。
昭和29年     七保村が町制施行して七保町となり、
           七保町立下和田小学校と改称する。
           七保町が大月町、笹子村、初狩村、賑岡村、梁川村、猿橋町と合併して大月市誕生。
           大月市立下和田小学校と改称する。
平成24年     猿橋小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。




下和田小学校の手前100mぐらいに、『この先工事中』の看板が在りました。
何となく嫌な予感...............。


予感は的中。

     20171009下和田小学校01



下和田小学校の校舎は解体されていました。

     20171009下和田小学校02


って言うか、校地は民間に転売されたようで
民間企業が新たな工場を建てるべく、工事を行っていました。

     20171009下和田小学校03


      20171009下和田小学校04



一応、祝日だから工事は行っていない。
でも、たまたま作業員の方が居て、改めてゲートをかざされたので
諦めて帰ろうとしたら、校地の一角(おそらく、かつての正門脇)に
これらがまとまって置かれて居ました。

      20171009下和田小学校05



こちらは正門の門柱。

      20171009下和田小学校06

下和田小学校と記された表札(石板)も残っています。


二ノ宮像かと思ったら違っていました。

      20171009下和田小学校07

お寺の坊さんに見える。
この近くの寺も廃寺になったんでしょうか?



こちらが、閉校記念碑。

      20171009下和田小学校08



雑草に覆われていましたが、何とか写真に収めます。

      20171009下和田小学校09



裏面には沿革が刻まれていて、助かりました。

      20171009下和田小学校10



これらの碑や像以外には、遺構らしきモノはない。
遊具も撤去され、工事に入ったようですね。

工事現場の事務所の脇辺りにそびえる1本の木。
遠目からみて、楠木のように見える。
これは、きっとシンボルツリーだったんだろうなぁ。

      20171009下和田小学校11



数年前から、大月市の廃校の下調べをしてはいたんだけど
もっと早くに訪れていれば、校舎も残っていたかもしれない。
タイミングが悪かったと言えば、それまでだが
やはり、廃校もいつまでも残っているわけではないと言う現実を
知らされた下和田小学校でした...............。










2017/11/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................宮谷小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。


大月市の廃校巡り、その第4弾は................大月市立宮谷小学校

当初、宮谷小学校の詳しい沿革もわかりませんでしたが
現地に在った閉校記念碑に沿革が刻まれていました。



宮谷小学校は、

明治6年     宮谷村正覚寺庫裏を仮校舎と子女の教育を始める
明治7年     佐藤蔦右ェ門卓を仮校舎として宮谷学校と称し開校する。
明治8年     宮谷村と鳥沢村が合併して富浜村となる。
明治18年    富浜尋常小学校宮谷分校となる。
明治25年    宮谷尋常小学校となる。
昭和22年    学制改革により、富浜村立宮谷小学校と改称する。
昭和29年    富浜村が大月市に編入する
          大月市立宮谷小学校の改称する。
平成23年    猿橋小学校に統合されて廃校となる


と、このような沿革となっています。



事前に下調べをじっくりしていなかったから
現地に着いて驚きました。
木造の校舎がしっかりと残っていました。


こちらが、宮谷小学校の正門。

      20171009宮谷小学校01



門柱に掲げられているのは、木製の表札。

      20171009宮谷小学校02



宮谷小学校も地域の避難場所に指定されているようです。

      20171009宮谷小学校03

ある意味、廃校地が地域の指定避難場所になっている事も多い。



地域の避難場所でもあり、建物は宮谷公民館として利用されているのか?
公民館の看板も在りました。

ネットの隙間から失礼をして、宮谷小学校を見学させて貰います。

      20171009宮谷小学校04



校舎全景。

      20171009宮谷小学校05

遠目から見ると白亜の校舎は美しい。


正門脇の宮谷小学校校歌の碑。

      20171009宮谷小学校06



そして、校舎の前には閉校記念碑。

      20171009宮谷小学校07


      20171009宮谷小学校08



少し離れた場所には、緯度・経度と海抜を記された石柱。

      20171009宮谷小学校09



校舎に近づいて見ると白いペンキも所々にかすれあり。

      20171009宮谷小学校10

やっぱり、時代は隠せません。


校舎の玄関。

      20171009宮谷小学校11



玄関の庇には、宮谷小学校の校章。

      20171009宮谷小学校12



白い朝礼台。

      20171009宮谷小学校13



逆アングルからの校舎。

      20171009宮谷小学校14


      20171009宮谷小学校15


      20171009宮谷小学校16


      20171009宮谷小学校17


      20171009宮谷小学校18



校庭は意外に狭く、現在は2面のゲートボール場。

      20171009宮谷小学校19



廃校から6年。
でもしっかりと管理されているようで
ガラス越しに内部を覗いても、
綺麗に使われているのが分かります。

      20171009宮谷小学校20



校庭の隅にあったリールに巻かれたロープ。

      20171009宮谷小学校22

子供たちが運動会で綱引きに使っていたモノだろうか?


校庭の隣にはプール。

      20171009宮谷小学校23




校庭の桜は宮谷小学校の歴史の重さを感じさせるように
立派に育っている。

      20171009宮谷小学校21



春には立派な花をさかせるのだろうなぁ。
そして、ピンクの花弁と白い木造校舎。
きっと、絵になるんだろうなぁ...............。

      
      


2017/11/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................小沢小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

大月市の廃校巡りの第3弾...............大月市立小沢小学校


小沢小学校も詳しい沿革は不明です。
Wikipediaの載っていたのは、
昭和44年に猿橋小学校に統合されて廃校になったと言う事のみ。
学校所在地も不明です。

藤崎小学校と同じように...............
猿橋小学校に統合されたこと。
地名の小沢を鍵に猿橋公民館小沢分館に狙いを付けて訪れて見ました。

      20171009小沢小学校04




狭い道を車で走り、路駐も出来ないので
公民館の敷地にクルマを乗り入れた瞬間、
視界に入ったのがいい二ノ宮像。
この地が小沢小学校跡地と確信した瞬間でした。


こちらが、かつての正門跡?

      20171009小沢小学校01


昭和44年に廃校だから、公民館の建物は建て替えられたモノでしょう。
とても48年以上前の建物とは言え難い。

      20171009小沢小学校02



木製の公民館の表札も時代を感じさせます。

      20171009小沢小学校03


      
このアングルから見ると、校舎っぽく見えるんだよなぁ。

      20171009小沢小学校05


      20171009小沢小学校06


      20171009小沢小学校07



この二ノ宮像を見た瞬間は感激モノ。

      20171009小沢小学校08


      20171009小沢小学校09


      20171009小沢小学校10

どこにも小沢小学校と表記されていないから
この二ノ宮像が無ければ学校跡だとは確信出来ない。



でも、この椅子や...............

      20171009小沢小学校11


こちらの机やローラーが『学校跡』と言うスパイスになっている。

      20171009小沢小学校12



決して広いとは言えない敷地。
フェンス周りの桜も小ぶりながらも往時のモノだろうか?

      20171009小沢小学校13



遊具も少ないながら残っている。

      20171009小沢小学校14


      20171009小沢小学校15



廃校跡地のお約束?
消防倉庫(大月市の場合、備蓄倉庫)。

      20171009小沢小学校16



一段低い川沿いの道から校地を見上げでみます。

      20171009小沢小学校17


やっぱり、学校跡に見えて来た...............。




2017/11/08 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................藤崎小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

意外にも大月市にも廃校は多く、大月市に来た目的の一つは廃校巡り。

大月市の廃校巡りの第2弾...............大月市立藤崎小学校


藤崎小学校の詳しい沿革は全く不明です。
ネットで調べてもWikipediaに記載された昭和35年に猿橋小学校に統合されて
廃校になった事しかわかりません。
所在地も不明。
猿橋小学校に統合された事と、藤崎と言う地名を鍵に
猿橋公民館藤崎分館が怪しい?と睨み、訪れてみました。

      20171009藤崎小学校15


たまたま、公民館を訪れていた御婦人に訊ねてみると
この地が藤崎小学校の在った地でありました。

おそらく、この辺りに正門が在ったのでしょう。

      20171009藤崎小学校01



見る者が見れば、学校跡とわかる雰囲気満載。

      20171009藤崎小学校02


正直、この風景を見て学校跡と確信しました。

      20171009藤崎小学校03



廃校から既に57年。
校舎はとっくに解体され、現在は公民館が建っています。

      20171009藤崎小学校04


      20171009藤崎小学校05


      20171009藤崎小学校16



校庭跡は、一度は公園として整備されたのか?
それっぽく見える芝生広場。

      20171009藤崎小学校06


四阿も建っていたりする。

      20171009藤崎小学校07



無造作に放置されているローラー。

      20171009藤崎小学校08

57年前の遺構?



公園として整備された時に設置されたのか?
はたまた、藤崎小学校時代からのモノなのか?
幾つかの遊具類。

      20171009藤崎小学校09


      20171009藤崎小学校10


      20171009藤崎小学校11


      20171009藤崎小学校12


      20171009藤崎小学校13



築山も在りました。

      20171009藤崎小学校14


残念ながら、藤崎小学校の名を残す碑やオブジェ等は在りませんでした。


春には立派な花を咲かせると思われる桜の木。

      20171009藤崎小学校17


敷地の周りには何本かの桜の木が残っている
桜の花の咲く季節にこの敷地を見れば
より小学校跡地にみえるのだろうなぁ...............





2017/11/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..............................梁川小学校 (2017年10月9日)(山梨県大月市) 

10月9日 公休日

前日の10月8日。
千葉の自宅から、八王子市の実家に移動。

朝7時過ぎに、妹の もっちゃん を引き連れ
山梨県の大月市に出かけました。

山梨県の大月市も意外や意外。
大月市には、20校近い廃校や旧・校地がある。
かなり前から、色々と下調べはしていたのですが
なかなか足が向きませんでした。

8月の下郷町の廃校巡り、9月の中之条町の廃校巡りで
木造校舎の廃校が気に入ったようで
以前は嫌がっていた もっちゃん も、さほど拒否感が無くなって来たようで
ここぞとばかりに誘って大月市廃校巡りです。

大月市の廃校巡り、その第1弾は...............大月市立梁川小学校

ネットで色々と調べたのですが、梁川小学校の詳しい沿革はわかりませんでしたが
現地の閉校記念碑に沿革が記されていました。



梁川小学校は、

明治7年     網の上村の全昌寺を仮校舎として網の上学校が開校する。
明治7年     網の上村、立野村、新倉村、塩瀬村が合併して梁川村が誕生する
明治8 年     立野学校、新倉学校、塩瀬学校を合併して梁川学校と改称する。
明治22年     梁川尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、梁川村立梁川小学校と改称する。
昭和29年    梁川村が大月町、笹子村、初狩村、賑岡村、七保町、猿橋町と合併して大月市誕生。
          大月市立梁川小学校と改称する。
平成23年    鳥沢小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、梁川小学校の正門。

      20171009梁川小学校01



この正門を含め、校舎等の施設は
自然学園高等学校として利用されています。

      20171009梁川小学校02


売却されたのか? 貸出しされているのかは不明ですが
いい意味で再利用、有効活用されているようです。

      20171009梁川小学校03


      20171009梁川小学校04



一応、地域の避難場所にも指定されており
そちらの案内板には(旧梁川小学校)の表記があります。

      20171009梁川小学校05



プール脇の道路(私道)から眺める梁川小学校の校舎。

      20171009梁川小学校06



祝日だから、学校は休み?
朝の8時半過ぎ、誰もいません。

      20171009梁川小学校07



校庭からちょっぴり敷地内を失礼します。

鉄筋3階建ての小ぶりな校舎。

      20171009梁川小学校08


      20171009梁川小学校09


      20171009梁川小学校10


      20171009梁川小学校11



こちらは、体育館。

      20171009梁川小学校12



校舎の前には、閉校記念碑。

      20171009梁川小学校13

別な学校として再利用されているから、
てっきり閉校記念碑は撤去されてしまったかと思ってましたが
この碑を見つけた時は嬉しかったなぁ。



裏面には、校歌と沿革が刻まれています。

      20171009梁川小学校14



閉校記念碑の隣には『 元標 大月市立梁川小学校 』と刻まれた石柱。

      20171009梁川小学校15

側面には、海抜と緯度・経度が刻まれています。


コンクリートの壁に描かれた1〜9の数字。

      20171009梁川小学校16

この壁にボールをぶつけて、子供達は遊んでいたのでしょう。


朝礼台。

      20171009梁川小学校17

今も、高校生たちの行事の際に使われているのでしょう。


遊具類は撤去されてしまったのか?
さすがに高校となれば、遊具類は不要でしょう。

唯一残るのは地面に埋められた古タイヤ。

      20171009梁川小学校18


なぜか、校庭の隅には防災倉庫。

      20171009梁川小学校19

大月市の場合、備蓄倉庫と言うみたいですね。
まあ、備蓄倉庫にしろ防災倉庫にしろ、
廃校跡には設置されることが多い。

一応、避難場所でもあるからね。


タイミングが良かったと言えば良いのか?
民間に転用されてしまった廃校はなかなか見学はしづらいから
じっくり梁川小学校を見ることが出来たのはラッキーだと思うことにしよう...............。






2017/11/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 長田小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第15弾は...............旧・山方町立 長田小学校


長田小学校の詳しい沿革は不明ですが
こちらの前に訪れた塩田小学校閉校記念碑の中に
そのヒントはありました。

長田小学校は、

明治22年に設立された塩田村立尋常小学校のぶんが始まりのようです。

明治25年     独立して塩田第二尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、塩田村立塩田第二小学校と改称する。
昭和30年     塩田村の一部(長沢・ら長田・照田の一部)が山方町に編入され
           山方町立長田小学校と改称する。
平成15年     野上小学校、小貫小学校と合併して新たに山方南小学校が開校。
           長田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


長田小学校の敷地は現在、NPO法人『おさだの杜』として
障害者の自立支援及び就労支援のための施設となっているようです。

さすがに犬連れで敷地内に入るのはマズイと思い
県道沿いの正門前から敷地内を覗きます。

こちらが正門。

      20170914長田小学校01


      20170914長田小学校02

正門の門扉の奥に何やら石碑が見えます。
どうやら、廃校(閉校)記念の碑のように見えます。




門には、往時の表札が掲げられています。

      20170914長田小学校03

この表札は卒業製作と言うか、卒業記念の品。
さすがに簡単に撤去は出来ないでしょう。




先ほどの碑を近くで見たくて、
受付で見学をさせて貰いたいとお願いしたら
心良く許可をいただきました。

さすがに、犬連れはマズイかと思っていたら
『犬連れで廃校を巡っているなら構いませんよ!』
と暖かいお言葉。もう、感謝です。


遠慮がちに石碑の近くへと向かいます。

      20170914長田小学校04



正面から見れば、長田小学校跡の碑。

      20170914長田小学校10


      20170914長田小学校11



裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが
残念!

校訓と校歌が刻まれていました。

      20170914長田小学校12



そして、その隣に建っている小さな石碑。

      20170914長田小学校13

長田小学校の百周年記念の碑です。



裏面には、『50年タイムカプセル』と刻まれています。

      20170914長田小学校14

この下にタイムカプセルが埋まっているんですね。
50年後のお楽しみも、あと7年。




あまり、敷地内をウロチョロも出来ないので
先ずは、校舎を激写(?)

別アングルにしたり、 びいすけ を入れたりして
ささっさぁ〜とシャッターを押しまくり(笑)。

      20170914長田小学校05


      20170914長田小学校06


      20170914長田小学校08


      20170914長田小学校09


      20170914長田小学校15


せっかくだから、校舎壁面の校章も激写(笑)。

      20170914長田小学校16



広い校庭だけど、ぱっと見て
『これは!』って言うモノモノ無さそうです。

      20170914長田小学校17


      20170914長田小学校18


      20170914長田小学校19



校庭の隅に建っていた、緯度・経度の標柱。

      20170914長田小学校20

意外に、常陸大宮市の小学校って、
この手の緯度・経度を示す標柱や碑が多い気がします。
気のせいかなぁ?



正門近くの校庭には、聳えるシンボルツリー。

      20170914長田小学校21



枝の陰になって、ちょっと見づらいけれど
正門の表札の上には、『 旧・長田小学校 』の案内板。

      20170914長田小学校22

きちんと、旧・長田小学校と明記している辺りに
旧・山方町のこだわりを感じたりします。




二ノ宮像を密かに期待したけれど、何処にもありませんでした。
意外に、茨城県内で二ノ宮像を見かける機会は少ないのかも?
常陸大宮市でも15校の廃校を巡って、1校にしか二ノ宮像は無かった。
茨城県内では、流行らなかったのかなぁ?

まぁ、民間に貸し出しされている廃校となると
なかなか敷地内にも立ち入れないから
こんな感じで、見学させてもらったことに感謝しなくては...............




2017/10/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 塩田小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............常陸大宮市立塩田小学校


塩田小学校は、

明治7年      北塩子村の民家の私塾を北塩子小学校として開校する。
明治17年     東野小学校北塩子分校と改称する。
明治22年     西塩子村・北塩子村・照田村・長田村・長沢村が合併し塩田村が発足。
           塩田村立尋常小学校と改称し、長田に分校を置く。
明治25年     塩田第一尋常小学校と改称する。
           長田分教場は第二尋常小学校と改称する。
明治26年     塩田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により塩田村立塩田第一小学校と改称する。
昭和30年     塩田村の西塩子・北塩子・照田の一部が大宮町に編入する。
           大宮町立塩田小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立塩田小学校と改称する。
平成22年     玉川小学校と統合して大宮北小学校が創立。
           塩田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、塩田小学校の正門。

      20170914塩田小学校01



門柱の表札は新しい。

      20170914塩田小学校02

『常陸大宮市文書館』と記されています。

廃校後、校舎の内装及び外装工事を行い
現在は、常陸大宮市文書館として活用されています。

      20170914塩田小学校03



外装工事の際に、校舎の壁面も塗装をしたそうです。

      20170914塩田小学校04



元々の校舎は、このような配色ではなかったそうです。

      20170914塩田小学校05



遊具も無い校庭ですが、記念碑はしっかりと在りました。

      20170914塩田小学校06



閉校記念碑。

      20170914塩田小学校07



裏面には沿革も詳しく記されています。

      20170914塩田小学校08


      20170914塩田小学校09

こちらの沿革を見ると、近くに在った長田小学校は
この塩田小学校の分校が始まりだったようですね。



校歌の碑。

      20170914塩田小学校10



校訓の碑。

      20170914塩田小学校11



塩田小学校の緯度・経度が記された碑。

      20170914塩田小学校13



それらが並んで建っています。

      20170914塩田小学校12



こちらが体育館。

      20170914塩田小学校14

体育館は他に流用されていないようです。


校庭で匂い嗅ぎに励む びいすけ 。

      20170914塩田小学校15


先ほどの4基の碑以外に、校庭には無い。

      20170914塩田小学校16



遊具かと思ったら、通用門?みたいです。

      20170914塩田小学校17


閉校時の卒業生の製作品?

      20170914塩田小学校18



『ありがとう』と思う感謝の気持ちを忘れずにいて欲しいなぁ。

      20170914塩田小学校19



たまたま、こちらの職員の方々とお話しをする事が出来ました。
常陸大宮市の廃校では、ちょっとした怪我騒ぎが以前に有って、
管理の問題とかがあるため、遊具類は基本的に撤去することになったそうです。
     

個人的には残念。
遊具類も貴重な学校遺構なんだよなぁ...............




2017/10/20 Fri. 13:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小瀬第一小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............旧・緒川村立 小瀬第一小学校

小瀬第一小学校は、詳しい沿革は不明ですが
現地に建てられていた碑にはたった2行の沿革。

明治41年小瀬尋常小学校として開校。
平成元年小瀬小学校に統合され廃校。

と、このような沿革です。

まあ、正確には平成元年に小瀬第二小学校と統合して
新たに小瀬小学校が設立され、廃校となったようです。


こちらが、小瀬第一小学校の入口。

      20170914小瀬第一小学校01

緩やかな上り坂。
学校の正門跡って言う感じがヒシヒシと分かります。



敷地は、緒川第一体育館として避難所に指定されています。

      20170914小瀬第一小学校02


こちらが、緒川第一体育館。

      20170914小瀬第一小学校03



小瀬第一小学校の体育館でした。

      20170914小瀬第一小学校04



小瀬第一小学校の校舎は、とっくに解体され
一時期は体育館以外には何も無く、校舎跡も更地でした。

東日本大震災の影響でしょうか?
急遽、市営住宅が建てられました。

      20170914小瀬第一小学校05


一瞬、建売り住宅と勘違いするような、立派な市営住宅。

      20170914小瀬第一小学校06



敷地内には、商工会の支所も建っています。

      20170914小瀬第一小学校07


      20170914小瀬第一小学校08




商工会側の敷地出入り口。

      20170914小瀬第一小学校13

ひょっとしたら、こちらに正門が在ったのか?
でも、そんな風には見えない。


すぐ近くには、石碑群。

      20170914小瀬第一小学校09



旧・緒川村の規格品?
『 小瀬第一小学校跡 』の碑。

      20170914小瀬第一小学校10



スペースの制限だとは思うけれど
たった2行では、小瀬第一小学校の歴史は語れない。

      20170914小瀬第一小学校11



おそらく、正門に使われていた門柱。

      20170914小瀬第一小学校12

表札の文字はカスれていて読めない。



      
これも何かの碑だとは思うけれど判別不能。

      20170914小瀬第一小学校14


敷地内に残る、シンボルツリー。

      20170914小瀬第一小学校15



校地が住宅に変貌していたのには、正直驚きました。
まぁ市営住宅だから、ある意味、敷地の有効活用と言えるかも?
常陸大宮市って、廃校が多いけれど、
跡地を上手く活用していると言えるかもしれない。




2017/10/19 Thu. 12:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 氷之沢小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました

常陸大宮市に訪れた最たる目的は、ズバリ!廃校巡り。
昭和から平成と時代は流れ、平成16年に常陸大宮市は誕生しましたが
現在、常陸大宮市内に30近くの廃校となった小学校が在るようです。

その中の1校、旧・美和村に在った 旧・美和村立 氷之沢小学校 に訪れました。

氷之沢小学校は、

昭和13年      現在地に檜沢小学校氷之沢分校を設立。
昭和22年      学制改革により、檜沢村立檜沢の小学校氷之沢分校と改称する。
昭和31年      檜沢村と 嶐郷村が合併し美和村(檜沢嶐郷村から即日改称)が発足。
            美和村立檜沢小学校氷之沢分校と改称する。
昭和32年      独立して美和村立氷之沢小学校となる。
昭和54年      檜沢小学校、上桧沢小学校と合併して新たに檜沢小学校が創立。
            氷之沢小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実はこの氷之沢小学校、Wikipediaにも記載されていない廃校(小学校)。
たまたま見かけたblogでその存在を知り、
氷之沢と言う大字を頼りにGoogleマップで調べ
何とか辿り着く事が出来ました。



こちらが、氷之沢小学校。
氷之沢と書いて『ひのさわ』と読むらしい。

      20170914氷之沢小学校02


一応、木造校舎ですが...............
何と無く雰囲気がいつもと違う。

      20170914氷之沢小学校03



よく見たら、窓ガラスが全てトタンで閉鎖されている。

      20170914氷之沢小学校04

これって、どういう事でしょう?


玄関も閉ざされ、この木造校舎は他に流用されていないようです。

      20170914氷之沢小学校05


      20170914氷之沢小学校06



げんざ、氷之沢小学校の敷地には、
地域の公民館的な存在になるのでしょうか?
表郷未来館と言う施設も建てられています。

      20170914氷之沢小学校14


      20170914氷之沢小学校15




閉鎖された(?)木造校舎には、トイレのような建物と
教員の宿舎のような建物が連なっていますが
そちらも閉鎖されています。

      20170914氷之沢小学校07


      20170914氷之沢小学校08




校庭には遊具も無く、一部がゲートボール場となっています。

      20170914氷之沢小学校01


      20170914氷之沢小学校12


      20170914氷之沢小学校13




校庭の隅に在った、氷之沢小学校跡の碑。

      20170914氷之沢小学校09


      20170914氷之沢小学校10


      20170914氷之沢小学校11

簡素な沿革が刻まれています。




      
この木はシンボルツリーだったのでしょうか?

      20170914氷之沢小学校16


Wikipediaにも載っていない氷之沢小学校。
昭和54年に統合された本校である檜沢小学校も
平成22年に嶐郷小学校と統合して廃校となったため
記録や記憶の中からいずれ消え去ってしまう。

少なくても、この地に学び舎が在ったことは憶えておこう...............







2017/10/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校小舟分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

松之草分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校小舟分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

小舟分校は、

明治10年      小舟学舎創立。
明治42年      八里尋常小学校小舟分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校小舟分校と改称する。
            小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
昭和31年      緒川村立八里小学校小舟分校と改称する。
昭和54年      八里小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



小舟分校の詳しい場所は分かりませんでしたが
地方の農村部、山間部の廃校(分校)が
公民館等の公共施設に転用されている事が多いので、
2ヶ所ばかり当たりを付けて、最初に小舟公民館を訪れてみましたが
分校跡の雰囲気はあるものの、旧・緒川村の統一デザインの石碑が無い!

もう1ヶ所の小舟上集落センターに向かってみました。
実は、この小舟上集落センターの在る場所が
八里小学校小舟分校の跡地でありました。



こちらが、小舟分校の入口。

      20170914小舟分校01

正面の建物は、上小舟集落センターと思いきや、違っていました。


『緒川村農産物加工施設』と看板が掲げられています。

      20170914小舟分校02



しかしながら人気は無く、農産物加工施設としては
現在は機能していそうもない。

      20170914小舟分校03

おそらく、常陸大宮市に統合された際に廃止されたのでしょう。


当初、この場所が小舟分校跡か?否か?
不安でしたが、農産物加工施設の裏手で
旧・緒川村統一規格(?)の碑を見つけた時は嬉しかったなぁ。


碑は、この裏手に隠れるように建っていました。

      20170914小舟分校04



こちらが、『小舟分校跡』の碑。

      20170914小舟分校05



やはり、沿革はたったの3行(笑)。

      20170914小舟分校06



同じ敷地内には、上小舟集落センター。

      20170914小舟分校10



こちらは、地域の公民館的な存在で
現在も有効に利用されているようです。

      20170914小舟分校07



農産物加工施設跡の建物裏の碑がなければ
とても学校跡には見えない小舟分校跡。


一歩譲って、学校跡を彷彿させるのは
この桜の木かもしれません。
     
      20170914小舟分校09


      
昭和の時代に廃校になった八里小学校の分校。
これで4つの分校の全てを訪れる事が出来ました。
しかし、 旧・八里村の学区は広い! と改めて感じました。



2017/10/13 Fri. 13:13 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校松之草分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

八里小学校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校松之草分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
松之草分校は、

明治23年      松之草小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校松之草分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


地元の千葉県から他県の廃校巡りに出かける際は
情報がかなり重要になります。
よく参考にさせていだだいているブログを拝見して
松之草分校は『風車の弥七』のお墓のすぐ近く(隣り)と知っていたので
風車の弥七の墓を目指します。

風車の弥七の墓の隣には、
地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター が在りました。


松之草分校跡は『松之草生活改善センター』として活用されているようです。


こちらが松之草分校跡。

      20170914松之草分校01


現在は、地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター。

      20170914松之草分校02


その建物。
昭和48年に廃校。
往時の校舎に見えなくもないが、新たに建てられたモノでしょう。

      20170914松之草分校03


松之草生活改善センターの木製の看板(表札)も年季が入ってます。

      20170914松之草分校07


敷地は広くない。

      20170914松之草分校04



当然、校庭も狭く、いかにも里山の分校跡。

      20170914松之草分校05



校庭は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20170914松之草分校06


   
校庭の隅には、旧・緒川村の統一規格(?)の碑

      20170914松之草分校08



『松之草分校跡』としっかり刻まれています。

      20170914松之草分校09



側面には沿革。

      20170914松之草分校10


たった3行の沿革も他の廃校と同じです。

      20170914松之草分校11

分校跡を感じさせるのは、この碑だけ。
遊具も二ノ宮像もない。


ただ、感心なのはこの場所がしっかり管理されていると言うこと。
この花壇を見れば、それが分かります。

      20170914松之草分校12



分校跡の向かいの畑の中には、こんな碑が在りました。

      20170914松之草分校13



『弥七とお新の住居跡』

      20170914松之草分校14

どうやら、水戸黄門に登場する『風車の弥七』の事らしい。

あくまでもTVドラマの世界の話かと思っていたら
実在した人物のようです。
と言うか、松之草小八兵衛と言う人がモデルのようです。
水戸黄門(水戸光圀)に仕える身。忍び。
妻の名は「お新」などの共通点があり、
地元では小八兵衛を"弥七のモデル"とみなしたようです。


何と驚くなかれ、松之草分校の隣はこんな状態。

      20170914松之草分校15

すっかり観光地?
おまけに500円徴収されるようです。

この日は平日だから、売店?も休み。
駐車場も閉まっています。

      20170914松之草分校16



県道から、弥七の墓を垣間見ることが出来ます。

      20170914松之草分校17


まぁ、500円払って見学する価値があるのか...............?
正直、分かりません。

一つだけ言えるのは、松之草分校跡は
『風車の弥七』の墓に隣接する松之草生活改善センターだと言うことを
しっかりと覚えておこう...............。




2017/10/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市を訪れたのは、ズバリ! 廃校巡り。
常陸大宮市の廃校ツアー。
旧・八里小学校の次に訪れたのは...............移転先である 常陸大宮市立八里小学校


昭和48年にこの地に移転して来た八里小学校は
残念ながら、平成22年に廃校となってしまいました。


八里小学校は、

明治6年      八つの里の各村に学舎を創設。
明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道沿いに面した八里小学校。
こちらが正門です。

      20170914八里小学校01


      20170914八里小学校02



正門から敷地内に入ってみます。

      20170914八里小学校03



いきなり視界に入ってくる石碑。
旧・緒川村の統一規格(?)。

      20170914八里小学校04

実は、この地は八里中学校の跡地でもあります。


たった2行の沿革。

      20170914八里小学校05



昭和25年八里中学校開校
昭和48年緒川中学校に統合され廃校。

八里中学校としては、23年しか存在しなかったようです。

      20170914八里小学校06




こちらは、八里小学校の記念碑。

      20170914八里小学校07



閉校記念碑の正面には校歌。

      20170914八里小学校08



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914八里小学校09


      20170914八里小学校10



碑の近くには、こんな看板。

      20170914八里小学校11

この下にタイムカプセルが埋められているんですねか。



元々、生徒(児童)が多くなかったのか?
かつて、4つの分校を有した本校の割には校舎はあまり大きくない。

      20170914八里小学校12



校舎全景。

      20170914八里小学校13



びいすけ と 校舎。

      20170914八里小学校14



別アングルからの校舎。

      20170914八里小学校15



玄関の庇に掲げられた校章。

      20170914八里小学校16



正面玄関。

      20170914八里小学校17



廃校時に掲げられた横断幕。

      20170914八里小学校18

廃校から既に7年。
色褪せて読みづらくなってます。




校舎前に置かれた朝礼台。

      20170914八里小学校19



玄関前には、こんな古びたオブジェも飾られています。

      20170914八里小学校20


台座にはめ込まれていたプレート。

      20170914八里小学校21

昭和59年度の卒業生から贈られたモノのようです。


小学校の遊具の定番。
古タイヤ。

      20170914八里小学校22



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170914八里小学校23


      20170914八里小学校24



コンクリートのフェンスに、卒業製作で描かれた作品。

      20170914八里小学校25

雑草に隠れて良く見えない。



かつて、明治の初期に8つの里に創設された小学校。
昭和の後半に統合されて、1つの小学校となり
平成の時代を20年も過ぎると、残された唯一の小学校も廃校となりました。
八つの里は今でも村の名前は変われど、残っている。
でも小学校だけは、無くなってしまいました...............。










2017/10/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・八里小学校跡 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

目的は、常陸大宮市に点在する廃校巡り。
八里小学校入本郷分校をあとにして、向かった先は............... 旧・緒川村立 旧・八里小学校跡

旧が二つ並びますが、旧・緒川村時代に移転した八里小学校の跡地と言うことになります。


そもそも八里小学校は、明治6年に近隣の八つの里の各村に学舎を創設されたことから始まります。

八つの里の村とは、小舟村・小瀬沢村・大岩村・油河内村・松之草村・吉丸村・入本郷村・千田村で
明治22年に八つの村が合併して八里村が誕生しました。

明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革になっています。

すなわち、八里小学校が明治34年から昭和48年まで
この地に在ったことになります。
この地の前に訪れた千田分校や入本郷分校、
このあとに訪れる予定の松之草分校の子供たちも
分校が廃校後、この場所を学び舎として机を並べていたんですね、




以前は、洒落たデザインの玄関を有した木造の校舎が
この地に建っていたと言うことですが
平成19年に解体されて更地になってしまったようです。

      20170914 旧・八里小学校01



何もな〜い! と思っていたら、 びいすけ の背後に何かある!?

      0170914 旧・八里小学校02



望遠レンズでググッと寄ってみましょう。

      0170914 旧・八里小学校03

石碑が並んでいるようです。



近づいてみましょう。

      0170914 旧・八里小学校04



『八里小学校跡』の碑。

      0170914 旧・八里小学校05



同じデザインのものを千田分校、入本郷分校でも見ました。
どうやら、旧・緒川村時代の統一デザインのようですね。

      0170914 旧・八里小学校06



八つの里の各校の統合先であるのに、
沿革は、やはりたったの3行。

      0170914 旧・八里小学校07



旧・校地で使用されていた門柱かと思ったら、違っていた。

      0170914 旧・八里小学校08

『創立十五周年記念塔』とあります。
いわゆる記念碑ですね。


昭和38年建立と記されています。

      0170914 旧・八里小学校09

おそらく、戦後の学制改革で新制小学校として生まれ変わった
八里村立八里小学校が誕生(創立)して15年の記念でしょう。



こちらも何かの記念碑だとは思うけれど正体不明。

      0170914 旧・八里小学校10



結局、旧・八里小学校の足跡を残すモノはこれらのみ。
ある方のブログを読んだら、木造校舎の裏手には保育園も在ったらしい。

今は、完全な更地。

      0170914 旧・八里小学校11


      0170914 旧・八里小学校12


      0170914 旧・八里小学校13


      0170914 旧・八里小学校14



ひょっとしたら、この木なんかはシンボルツリーとして
この学び舎の卒業生の中には、瞼に焼き付けている人も居るのかな?

      0170914 旧・八里小学校15






旧・八里小学校から200mほどの距離に在る古びた建物。

      0170914 旧・八里小学校16

旧・八里郵便局。


この郵便局の前に、なぜか二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校17



ひょっとしたら、旧・八里小学校の二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校18

淡い期待を持って近隣の方々に話を聞いたら...............
この二ノ宮像は、旧・八里小学校のモノではない!!との事でした。


う〜む、残念。



2017/10/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校入本郷分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡りに出かけたのですが
常陸大宮市は大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が
平成16年に合併して誕生した市です。
いわゆる平成の大合併ですが、この時期から全国的に学校の統廃合が加速的に進み、
常陸大宮市でもかなりの小学校が廃校となりました。

常陸大宮市が誕生する以前にも、旧緒川村では廃校が多く
八里小学校には、かつて4つの分校が在りましたが
いずれも昭和の時代に廃校となってしまいました。

千田分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校入本郷分校


分校跡に残された碑(標柱)には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
入本郷分校は、

明治33年      八里第三小学校入本郷分校として開校。
明治42年      八里尋常小学校入本郷分校と改称する。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校入本郷分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革を歩んだようです。


分校の場所は分かりませんでしたが
公民館か何かに流用されていると予測して
入本郷集落にある入本郷公民館に向かいました。

ちょうど、この辺りは稲刈りのシーズン。
台風18号も数日後に本州に上陸する?なんて予報もあり
稲刈りをされている農家の方が多い。
公民館前の田圃稲刈りをしていた御老人に聞いてみたら
入本郷公民館が入本郷分校跡になるとの事でした。



入本郷分校の入口。

      20170914入本郷分校01

反対側にも入口はありますが、こちらの狭い道の方が
分校の通学路っぽい(笑)。



反対側の入口から入れは、こんな感じで
里山の分校跡っぽく見えます。

      20170914入本郷分校03

奥に見えるのが、公民館。
往時の校舎は解体され、公民館が建てられました。


こちらが公民館。

      20170914入本郷分校04



狭い校庭。

      20170914入本郷分校02


    
その校庭の片隅にひっそりと碑が建っています。

      20170914入本郷分校05



『入本郷分校跡』の碑。

      20170914入本郷分校06


      20170914入本郷分校07

こちらの碑にも沿革は3行に集約されていました。
もっと多くの歴史が在ったと思うんだけどなぁ。


分校の校庭の片隅に、台地に上がる石段がありました。

      20170914入本郷分校08

鳥居が見えるから神社のようです。


せっかくだから、上がってみましょう。

      20170914入本郷分校09



石段を上りきった先には、拝殿。

      20170914入本郷分校10



神額(扁額)には鹿島神社の文字。

      20170914入本郷分校11

集落の信仰の象徴だったのでしょう。
それ故に、鹿島神社の境内下に分校が建てられたのでしょう。


台地から見下ろすと、県道までそれなりの高さ。

      20170914入本郷分校12


山奥とも言え、この入本郷の集落にもかつての学舎があり、
明治初期に遡れば、入本郷村と呼ばれていた地区。
鹿島神社の境内下であり、そこはかつての集落の中心とも言える場所だったかもしれない...............。






2017/10/10 Tue. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校千田分校(2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市に出かけたのは、ズバリ! 廃校巡り。
常陸大宮市の廃校ツアー、その第7弾。

たまたま立ち寄った長倉城址をあとにして、
向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校千田分校


分校跡に残された碑(標柱)には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

千田分校は、

明治23年      八里村(旧・千田村域)に千田小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校の分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校千田分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校千田分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。

とこのような沿革を歩んだようです。




こちらが、千田分校の入口。

      20170914千田分校01



分校の校舎は解体され、跡地は地域の公民館的な存在である
『千田田園都市センター』として活用されています。

      20170914千田分校02


      20170914千田分校03



分校入口の脇に建つ記念碑(標柱)。

      20170914千田分校04




『千田分校跡』と刻まれています。

      20170914千田分校05


平成3年に当時の緒川村の教育委員会によって建立されたようです。

      20170914千田分校06



碑(標柱)の限られたスペースの関係か?
たった3行の沿革。

      20170914千田分校07

たった3行では、その歴史の重さは表せない。




千田田園都市センターの玄関前に建つ石碑。

      20170914千田分校08

刻まれた文字は朽ちて判読不可。


千田分校跡の碑以外は、学校遺構はない千田分校跡。

      20170914千田分校09


対向車との離合に苦労する狭い道を車を走らせて到着出来た千田分校。
確かに山深き地ではあるが、確かにこの地に学舎が存在していました。
それを確認出来て良かった...............。









2017/10/10 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 長倉小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市の廃校巡りに出かけました。


常陸大宮市の廃校ツアー、その第6弾。
伊勢畑小学校をあとにして、向かった先は...............常陸大宮市立長倉小学校


長倉小学校は、

明治6年      長倉村に長倉小学校が創立される。
           蒼泉寺を仮校舎として野田に分校を置く。
明治8年      正覚寺に移動する。
明治18年     長倉尋常小学校と改称する。
           長倉宿寺家山に校舎を新築する。
明治25年     長倉尋常高等小学校と改称する。
大正11年     現在地に校舎を新築移転。野田分校を廃止する。
昭和22年     学制改革により、長倉村立長倉小学校と改称する。
昭和31年     長倉村が御前山村に吸収合併されて御前山村となる。
           御前山村立長倉小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前山村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立長倉小学校と改称する。
平成21年     長倉小学校が野口小学校、伊勢畑小学校と合併して新たに御前山小学校が創立される
           長倉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、長倉小学校の正門。

      20170914長倉小学校01


      20170914長倉小学校02


      20170914長倉小学校03


長倉小学校は歴史の在った学校だから、
年代物の門柱と思いきや、平成9年にOBから寄贈されたモノのようです。

      20170914長倉小学校17



正門付近から見た校舎。

      20170914長倉小学校04


      20170914長倉小学校20



敷地内に入ると、すぐ視界に入る記念碑。

      20170914長倉小学校05


閉校(廃校)記念碑かと思ったら違っていました。
長倉小学校の校訓の碑でした。

      20170914長倉小学校18



こちらが、校舎。

      20170914長倉小学校06


      20170914長倉小学校07


      20170914長倉小学校11


校舎の前には記念碑。

      20170914長倉小学校08



探していた碑(閉校記念碑)です。
正面は校歌が刻まれています。

      20170914長倉小学校09


裏面には、沿革が刻まれています。

      20170914長倉小学校10

考えてみたら、ここまでに6校の廃校に訪れましたが
いずれの校地には、閉校記念碑(学校跡の碑)が残されていました。
常陸大宮市って、廃校に優しい街?って言うか
古き歴史を重んじる街なんですね。



こちらが、体育館。

      20170914長倉小学校12


近所の悪ガキの悪戯か?
窓ガラスが何枚か割られています。

      20170914長倉小学校13



校庭の隅に在った百葉箱。

      20170914長倉小学校14



こちらは、児童たちの卒業製作のモノですね。

      20170914長倉小学校15



同じく、校庭の一角に在った、長倉小学校の緯度・経度を示した標柱。

      20170914長倉小学校19



丸ポスト好きには見たくない光景。

      20170914長倉小学校21

教材用の丸ポストが朽ちて倒れていました。



校庭の一画は、ゲートボール場。

      20170914長倉小学校16

半世紀以上前の児童たちが、この場所で興じるのでしょうか?



そして、正門脇のこのシンボルツリーが、その姿を見守っているんでしょう。

      20170914長倉小学校22






2017/10/08 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 伊勢畑小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


旧・野口小学校跡をあとにして、向かった先は...............常陸大宮市立伊勢畑小学校


伊勢畑小学校は、

明治6年      下伊勢畑村に時習小学校が創立される。
明治22年     上伊勢畑村・下伊勢畑村・檜山村が合併して伊勢畑村が発足。
           下伊勢畑尋常小学校と改称する。
明治41年     伊勢畑尋常小学校と改称する。
大正7年     伊勢畑尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により.伊勢畑村立伊勢畑小学校と改称する。
昭和30年     伊勢畑村と野口村と合併し御前山村が発足。
           御前山村立伊勢畑小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立伊勢畑小学校と改称する。
平成21年     長倉小学校、野口小学校と合併して新たに御前山小学校が創立。
           伊勢畑小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、伊勢畑小学校の正門。

      20170914伊勢畑小学校01



コンクリート製の門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20170914伊勢畑小学校02



門柱の陰に隠れるように建つ記念碑。

      20170914伊勢畑小学校03



伊勢畑小学校の閉校記念碑です。

      20170914伊勢畑小学校04


碑の台座には、在りし日の伊勢畑小学校の写真(石板)も飾られている。

      20170914伊勢畑小学校09



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914伊勢畑小学校05

ネットの時代でも、なかなか廃校になった小学校の沿革は
調べることも苦労しますから、記念碑に沿革が残されていると重宝します。



碑の隣には、以前何かが置かれていた区画跡。

      20170914伊勢畑小学校10

ひょっとしたら、二ノ宮像がこの場所に置かれていたのでしょうか?




校庭と校舎。

      20170914伊勢畑小学校06



校舎を別アングルから。

      20170914伊勢畑小学校08


      20170914伊勢畑小学校11


      20170914伊勢畑小学校12






こちらは体育館。

      20170914伊勢畑小学校13


      20170914伊勢畑小学校14


      20170914伊勢畑小学校07


 
校庭の隅に建っている何かの碑。    

      20170914伊勢畑小学校18

石板の文字は掠れていて判読不明。

   

     
校舎前の花壇。

      20170914伊勢畑小学校15



花は無いけれど、平成3年に小平賞を受賞したらしい。

      20170914伊勢畑小学校16

ところで、『小平賞』って何?(笑)



校庭の真ん中に防火水槽。

      20170914伊勢畑小学校17

きっと廃校後、校庭に防火水槽が作られたんでしょう。
地域の避難場所でもある伊勢畑小学校跡。

廃校後、敷地や施設が他に流用される事が多い常陸大宮市の小学校。
他に流用されて敷地内に入る事が出来なくなるのもツマらないけれど、
全く他に流用されてなさそうな伊勢畑小学校です。
それはそれで寂しいモノです。
      



2017/10/07 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・野口小学校跡 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


常陸大宮市の廃校ツアー、その第四弾は...............旧・御前山村立 旧・野口小学校


野口小学校は、平成21年に長倉小学校、伊勢畑小学校と合併して廃校になりましたが
明治6年に創設された歴史のある小学校でした。
廃校となった野口小学校の近くにある内原農村集落センターのある場所が
以前、野口小学校の在った場所だと知り、訪ねてみました。

      20170914旧・野口小学校跡01



同じ敷地の中には、民間の工場もあるようです。

      20170914旧・野口小学校跡02



画面中央の小さな建物が、農村集落センター。

      20170914旧・野口小学校跡03



そして、隣には木造校舎。

      20170914旧・野口小学校跡04

実は、この木造校舎は現在、工場として使われているようです。


敷地内には、こんな碑が建っています。

      20170914旧・野口小学校跡05



こちらの碑にも、簡単ながら野口小学校の沿革が刻まれています。

      20170914旧・野口小学校跡06

こちらの碑の沿革によれば...............

明治24年      野口尋常小学校は、野口2011番地(佐伯神社境内)に増築移転した。
明治31年      高等科が併置され、野口尋常高等小学校となった。
昭和16年      野口尋常高等小学校は、野口国民学校と改称された。
昭和22年      学制改革により、那珂郡野口村立野口小学校となった。
昭和30年      町村合併により、東茨城郡御前山村立野口小学校となる。
昭和40年      野口小学校は野口1337番地(元野口中学校跡)に移転し、
            新築落成式を挙行した。


すなわち、明治24年から昭和40年まで約61年間
この地に野口小学校が在ったことになります。



解体されることなく、民間の工場としてその姿を残す木造校舎。

      20170914旧・野口小学校跡07


かなり変貌してしまったとは思えるが
今でも学校校舎を彷彿させてくれます。

      20170914旧・野口小学校跡08


      20170914旧・野口小学校跡09


      20170914旧・野口小学校跡10



地元の方から話を伺う機会があり、校庭の一部は宅地化され
現在は民家が建っています。

      20170914旧・野口小学校跡11


佐伯神社の境内であった?鎮守の杜の脇には
ソーラーパネルが敷かれています。

      20170914旧・野口小学校跡12



この辺りまで校地だったようです。

      20170914旧・野口小学校跡13

でも、雑草が生い茂ってソーラーパネルの効果も半減していないのかな?






2017/10/06 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 野口小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校ツアー、その第三弾は...............常陸大宮市立野口小学校



野口小学校は、

明治6年      野口平村に野口平小学校を創設。
同  年      野口村に野口小学校を創設。
明治10年     野口小学校を旧・時雍館跡に移転。
明治18年     野口小学校を村上宿に移転。
明治19年     野口尋常小学校と改称する。
明治23年     野口平小学校を野口尋常小学校に併合して
           野口尋常小学校分教場と改称する。
明治24年     野口尋常小学校を佐伯神社隣に移転。
明治31年     野口尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、野口村立野口小学校と改称する。
昭和30年     伊勢畑村と野口村が合併し、御前山村が発足。
           御前村立野口小学校と改称する。
昭和40年     現在地に移転。
平成16年     山方町、美和村、緒川村とともに、大宮町と合併して常陸大宮市発足。
           常陸大宮市立野口小学校と改称する。
平成21年     野口小学校、伊勢畑小学校、長倉小学校が合併して御前山小学校が誕生。
           野口小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、野口小学校の正門。

      20170912野口小学校01



表札の残された門柱。

      20170912野口小学校02



現在、野口小学校跡は常陸大宮市教育支援センターとして活用されているようです。

      20170912野口小学校03



敷地内に入って、すぐ目に止まる立派な碑。

      20170912野口小学校04



閉校記念碑です。

      20170912野口小学校05

裏側には詳しい沿革が刻まれていました。



こちらが、校舎。

      20170912野口小学校06


校舎は2棟あり、こちらの校舎は現在、使われていないようです。

      20170912野口小学校07



立派な時計も正しい時刻を指していない。

      20170912野口小学校08



こちらが、もう1棟の校舎。

      20170912野口小学校09



こちらは、庇に新たな看板が掲げられています。

      20170912野口小学校10



校舎前の一角。

百葉箱を発見。

      20170912野口小学校11



遊具も数台残っていました。

      20170912野口小学校12


      20170912野口小学校13



経緯度標。

      20170912野口小学校14

野口小学校の緯度・経度が示されています。



茂みの中に二ノ宮像を発見。

      20170912野口小学校15


      20170912野口小学校16



野口小学校の地は、江戸時代の水戸藩の郷校である時雍館の跡でもあります。

      20170912野口小学校17

郷校とは、藩が設けた庶民のための学問所で、
水戸藩では文化元年(1804)、小川(現:小美玉市)に稽医館を開校したのを初めとして、
安政4年(1857)開校の馬頭郷校まで15校が開設されました。
歴代藩主の中でもとりわけ第9代藩主 徳川斉昭は教育に力を注ぎ、
藩士とその師弟の教育機関として藩校「弘道館」を創設し、
また領民の教育機関として郷校を積極的に設立しました。その中の1校が時雍館でした。

      20170912野口小学校18


      20170912野口小学校19

そう言った意味で言えば、この地はこの地区の教育野口発祥の地でもある訳です。



校舎裏には体育館。

      20170912野口小学校20



体育館に隣接しているのは幼稚園跡。

      20170912野口小学校21

地方の小学校には、幼稚園や保育園が併設されている事が多い。
そして、小学校と同時期に廃園になる事が多い。



校庭を覗き込むと、校庭の先に靄(?)がかかっている。

      20170912野口小学校22

ちょうど那珂川の辺りに靄が発生しているようです。



使われなくなった朝礼台。

      20170912野口小学校23

いい感じで赤茶の錆が浮いている。


ボールの的当て。

      20170912野口小学校24

穴が開いてるし...............(笑)



この時点では、まだまだ曇り空。

      20170912野口小学校25

朝の7時過ぎだけど、何となく暗い。


那珂川の霞? はたまた靄?
なかなか晴れてはくれそうもない。

      20170912野口小学校26


      20170912野口小学校27

校庭の隅に立つこの木は、きっとシンボルツリーだったのだろう。


歴史のある小学校が、歴史のある地で
数年前に静かに幕を降ろしたんですね..............................。




2017/10/05 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit