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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..................大和田小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
今回、その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第5弾................鉾田市立大和田小学校。



大和田小学校は、

明治8年     学制発布後、松崎旧・寺堂を借用し、
         大和田小学校と称して開校する。
明治19年     鳥栖尋常小学校紅葉分教場として紅葉に移転する。
明治25年     大和田に移転して、巴第二尋常小学校と改称する。
大正9年      児童数増加のため、現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により、巴村立巴第二小学校と改称する。
昭和30年     巴村が鉾田町、徳宿村、新宮村、秋津村と合併して新たな鉾田町となる。
         鉾田町立巴第二小学校と改称する。
昭和45年     鉾田町立大和田小学校と改称する。
平成17年     鉾田町が大洋村、旭村と合併して鉾田市となる。
         鉾田市立大和田小学校と改称する。
平成28年     近隣の5小学校が合併して鉾田市立鉾田北小学校が開校する。
         大和田小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。



県道沿いに建つ校門。

      20190915大和田小学校01

この門柱は石造りだけど、比較的新しい。


当然、表札も新しく見える。

      20190915大和田小学校02



台地へと続く坂道を上っていくと、その先にも校門。

      20190915大和田小学校03



こちらの門柱も比較的新しく見える。

      20190915大和田小学校04



こちらも既に校舎は解体されていて、ほぼ更地状態。

      20190915大和田小学校11


      20190915大和田小学校12




体育館だけが残っている。

      20190915大和田小学校05


      20190915大和田小学校06



その体育館。

      20190915大和田小学校07


      20190915大和田小学校08



体育館の正面玄関の庇には、大和田小学校の校章。

      20190915大和田小学校09



窓には、文字が貼られている。

      20190915大和田小学校10

おそらく、廃校時に貼られたモノでしょうね。



体育館の脇には藤棚。

      20190915大和田小学校13

廃校後、この藤棚に訪れる人は居るのだろうか?


  

藤棚の奥にはシンボルツリー。
 
      20190915大和田小学校14



廃校記念碑、二宮像、百葉箱に朝礼台、そして遊具類。
よく見かける廃校遺構は見かけられないのは残念。

校舎が解体されているということは
いずれ、何かの施設が建てられるのか?
はたまた、民間企業に貸し出されてしまうのでしょうか?



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2019/10/18 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................舟木小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日  

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第4段は................鉾田市立舟木小学校。


舟木小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで調べてみましたが、詳しい情報は見つかりませんでした。
明治期にこの辺りは舟木村と称していたことから
明治期に創立された小学校ではないかと思われます。

平成28年春、近隣の5小学校が統合され、新たに鉾田市立鉾田北小学校が開校し
舟木小学校は廃校となってしまいました。




こちらが、舟木小学校の正門。

      20190915舟木小学校01



コンクリート造りの門柱。

      20190915舟木小学校02



門柱には、表札が残っています。

      20190915舟木小学校03



敷地内に入ってびっくり、ほぼ更地です。

      20190915舟木小学校04


      20190915舟木小学校09




2019年9月15日時点でのYahoo!マップの衛星写真では、
しっかりと校舎が映っているんだよなぁ。

      20190915舟木小学校05

ちょっぴり、いや、かなり残念です。



唯一、残っているのがこの体育館。

      20190915舟木小学校06



体育館の前には、記念碑。

      20190915舟木小学校11



校地の中には取り残されたような感じで
ポツンと木が立っている。

      20190915舟木小学校07

シンボルツリーだったのか?



こちらにももう一本。

      20190915舟木小学校10



シンボルツリーをバックに、はいパチリ☆

      20190915舟木小学校12


      20190915舟木小学校13



ほぼ更地の匂い嗅ぎをする びいすけ 。

      20190915舟木小学校08



フェンスに立て掛けられた交通標語。

      20190915舟木小学校14

県道沿いに校地だから、車の往来が多かったのでしょうか?


でも、もう必要がなくなってしまったみたい。
残念と言うか、ちょっびり寂しいですね。


校舎が解体されているということは
いずれ、何かの土地に転用される予定でしょうか?
県道沿いと言う地の利から、民間企業に貸し出されたり
売却してしまうのでしょうか?



2019/10/17 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................徳宿小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

平成28年に5校、平成31年(今年の春ですね)に7校、
ここ数年で12校の小学校が廃校になってしまった鉾田市。
その鉾田市の廃校を巡ってみました。

鉾田市廃校巡り、その第3弾は.................鉾田市立徳宿小学校。


徳宿小学校の沿革は良く分かりません。
残念なことにネット上には、既に徳宿小学校のHPは無くなってしまい
そちらから沿革を確認することは出来ませんでした。

ただ、鉾田市の歴史を紐解き、色々と遡って行くと、
校地のあるこの辺りは、昭和30年に鉾田町と合併する前は徳宿村でした。
その徳宿村は明治初期より存在していたため、
おそらく明治初期に創設された学校ではないかと推薦されます。

いずれにしても、平成28年3月に、近隣の舟木小学校、
巴第一小学校、大和田小学校、青木小学校と統合して、
新たに鉾田市立鉾田北小学校が誕生しました。
その結果、各校は廃校となりました。


こちらが、徳宿小学校の正門。

      20190915徳宿小学校01



門柱。

      20190915徳宿小学校02


この日は、日曜日。
校庭で正念野球の試合が行われていて、駐車場に多くの人車が停まっていました。
ひょっとしたら、普段は門扉は固く閉ざされているのかも知れません。



校舎玄関。

      20190915徳宿小学校03



校舎の玄関を覗き込むとトロフィーが飾られている。

      20190915徳宿小学校17




校舎。

      20190915徳宿小学校04



別アングルから。

      20190915徳宿小学校05


      20190915徳宿小学校06


      20190915徳宿小学校07



水飲み場。

      20190915徳宿小学校09



足洗い場。

      20190915徳宿小学校08



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190915徳宿小学校10



こちらは体育館。

      20190915徳宿小学校11



中庭(駐車場)から校舎を眺めていると........

      20190915徳宿小学校12



二宮像、発見!!

      20190915徳宿小学校13



二宮像の近く、花壇の前には掲示板。

      20190915徳宿小学校18



掲示板には賞状が飾られています。

      20190915徳宿小学校19


      20190915徳宿小学校20



校舎前には、こんな碑も在りました。

      20190915徳宿小学校14



こちらは『経緯度標』。

      20190915徳宿小学校15

校地の緯度・経度表示って茨城県や山梨県の小学校に多いような気がする。



親子のふくろうの像。

      20190915徳宿小学校16





校庭。

      20190915徳宿小学校21

廃校後、遊具は撤去されてしまったようです。



現在は、少年野球のグランドとして利用されているようです。

      20190915徳宿小学校22


この日も、ここで少年野球の試合が行われるようで
数名のお母さん方が応援に来ていました。



そのお母さん方が木陰で陽射しを避けていた立派な木。

      20190915徳宿小学校23


この木は、徳宿小学校のシンボルツリーだったんでしょうね。




2019/10/16 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................諏訪小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市へ出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ります。

鉾田市廃校ツアー、その第2段は................鉾田市立諏訪小学校。



諏訪小学校は、昭和30年以前に存在していた諏訪村にあった諏訪小学校がその前身のようです。
しかしながら、当初の諏訪小学校は旭村となるため、諏訪小学校は分割されるような形になったようです。

昭和30年     町村合併により、諏訪村は大谷村、夏海村と合併して旭村となり
          諏訪村の一部は鉾田町に編入された。
昭和31年     旧・諏訪小学校の校地、校舎を使用して鉾田町立鉾田第二小学校が開校する。
昭和36年     校舎、講堂を旭村より買収する。
昭和54年     鉾田町立諏訪小学校と改称する。
平成17年     旭村・鉾田町・大洋村が合併して鉾田市となる。
         鉾田市立諏訪小学校と改称する。
平成31年     市内7小学校が統合して新たに鉾田南小学校が開校。
         諏訪小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、正門。

      20190915諏訪小学校01



石作の門柱。

      20190915諏訪小学校02



門柱には、立派な表札。

      20190915諏訪小学校03




県道に面した校庭側。
こちらにも校門があります。

      20190915諏訪小学校04

当初は、こちらが正門だったのでしょう。



それなりの年代を感じさせる石造りの門柱。

      20190915諏訪小学校05

割と新しそうに見える表札が掲げられています。



校舎全景。

      20190915諏訪小学校06



別アングルからの校舎。

      20190915諏訪小学校07


      20190915諏訪小学校08


      20190915諏訪小学校09


      20190915諏訪小学校16



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      20190915諏訪小学校10



こちらは、体育館。

      20190915諏訪小学校11



校庭に残る遊具類。

      20190915諏訪小学校12


      20190915諏訪小学校13


      20190915諏訪小学校14


      20190915諏訪小学校15



百葉箱。

      20190915諏訪小学校17



朝礼台。

      20190915諏訪小学校18



創立百周年記念碑。

      20190915諏訪小学校19

この碑によれば、明治22年に旧・諏訪村に創設し、
安房に分教場を設置したのが始まりだそうです。
明治27年に分教場を統合し、この地に移転したそうです。
その後、旧・諏訪村には諏訪小学校と諏訪東小学校の2校が存在しました。
旧・諏訪村は旭村となりますが、昭和30年に旧・諏訪村の安房、柏熊地区が
旧・鉾田町に合併し、旭村存立諏訪小学校は旧・諏訪村竜浜に移転し
この地に鉾田町立鉾田第二小学校を創設したそうです。

明治27年にこの地に校舎を建て移転した日を起点として
平成5年に創立百周年の記念式典を行ったそうです。
色々と複雑な事情があったのですね。



ブロンズ像。

      20190915諏訪小学校20


校訓(?)の碑。

      20190915諏訪小学校21



校庭の隅には忠魂碑。

      20190915諏訪小学校23

歴史のある古い学校にはこの忠魂碑が在ることが多い。
そういった意味では、町村合併で学校が移転したりはしたが
この小学校も歴史のあった学校になる。



県道側のフェンス沿いに並ぶ桜の木。

      20190915諏訪小学校22

この桜の木下を、子供たちが通学する事も無くなってしまったんですね。



2019/10/15 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大竹小学校 (2019年9月15日)(茨城県鉾田市) 

9月15日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

平成17年に鉾田町と大洋村と旭村が合併して誕生した鉾田市ですが
平成28年に5校、平成31年に7校と数年間で12校の小学校が廃校となりました。
その鉾田市の廃校を巡ってみたいと思います。

鉾田市廃校ツアー、その第1段は................鉾田市立大竹小学校。


大竹小学校は、

明治8年     岡堀米の廃寺を利用して大竹小学校を開設
明治9年     白塚宝光院を仮校舎として白塚小学校を開設
明治20年     大竹小学校は汲上小学校の大竹分教場,白塚小学校は新宮尋常小学校分教場となる
明治26年     新宮第二尋常小学校開設
明治44年     現在地に移転。
昭和9年     高等科併置。新宮東尋常小学校と改称
昭和22年     学制改革により、新宮村立新宮東小学校と改称する。
昭和30年     新宮村が鉾田町と合併し鉾田町となる。
         鉾田町立新宮東小学校と改称する。
昭和45年    鉾田町立大竹小学校と改称する
平成17年    旭村・鉾田町・大洋村が合併して鉾田市となる。
         鉾田市立大竹小学校と改称する。
平成31年    市内7小学校が統合して新たに鉾田南小学校が開校。
         大竹小学校は廃校となる。




こちらが、大竹小学校の正門。

      20190915大竹小学校01



半年前までは、子供たちが通っていた小学校。
門中にも表札が残っています。

      20190915大竹小学校02


      20190915大竹小学校03


こちらは、校庭側の門。

      20190915大竹小学校04


かつては、こちらが正門だったのでしょう。
石造りの古い門柱が建っています。

      20190915大竹小学校05


その門柱にも立派な表札が残っています。

      20190915大竹小学校06



こちらが校舎。

      20190915大竹小学校07

鉄筋コンクリートの2階建て。


別アングルからの校舎。

      20190915大竹小学校08


      20190915大竹小学校09


      20190915大竹小学校10


      20190915大竹小学校11




校舎のベランダに掲げられた校章。

      20190915大竹小学校13



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      20190915大竹小学校14


二宮像もありました。

      20190915大竹小学校15


      20190915大竹小学校16



こちらは、体育館。

      20190915大竹小学校17


校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下。

      20190915大竹小学校18


      20190915大竹小学校19



こちらは、校庭。

      20190915大竹小学校20

何やら、校庭の真ん中に置かれています。


よく見ると、カボチャ。

      20190915大竹小学校21



俗にいう『おばけカボチャ』ですね。

      20190915大竹小学校22

ハロウィンか何かのイベントでも行うのでしょうか?



校庭に残る遊具類。

      20190915大竹小学校23


      20190915大竹小学校24


      20190915大竹小学校25


      20190915大竹小学校26


      20190915大竹小学校27


      20190915大竹小学校28



百葉箱。

      20190915大竹小学校29



朝礼台。

      20190915大竹小学校30



創立百周年の記念碑。

      20190915大竹小学校31



校庭の隅には、頌徳碑。

      20190915大竹小学校32



校庭の匂いを嗅ぎながら徘徊する びいすけ 。

      20190915大竹小学校33


      20190915大竹小学校34



こちらは、併設されていた大竹幼稚園。

      20190915大竹小学校35

大竹幼稚園は、平成17年に廃園になったそうです。



校舎裏手に無造作に置かれた一輪車。

      20190915大竹小学校36

つい、半年前まではこの一輪車で子供たちが遊んでいたのでしょう。
このまま、ここで朽ちていくのでしょうか.........?









2019/10/14 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................実穀小学校 (2019年8月26日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

8月26日

この日は、稲敷市から阿見町へと移動。

鹿嶋大神宮をあとにして、向かった先は....................阿見町立実穀小学校。



実穀小学校は、

明治13年      小池村上小池に小池小学校が創立される。
明治22年      小池村・福田村・上長村・実穀村・吉原村・荒川沖村・
            荒川本郷村・沖新田が合併して、朝日村が発足。
明治34年      現在地(実穀)に移転,朝日尋常高等小学校となる
昭和22年      学制改革により、朝日村立実穀小学校と改称する。
昭和30年      阿見町・朝日村・君原村・舟島村(一部)が合併し、阿見町となる。
            阿見町立実穀小学校と改称する。
平成30年      阿見小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、実穀小学校の正門。

      20190826実穀小学校01

普段は、門扉も閉められ、施錠されているようですが、
この日は、ちょっぴり開いている。

石造りの門柱。

      20190826実穀小学校02



大正9年に建てられたモノのようです。

      20190826実穀小学校03



ちょっぴり開いていた門扉から中を覗き込むと
この日は、阿見町の職員の方が業者と思われる方々と
校庭の草刈りを行っていました。
その方々にお断りをして、敷地内を見学することに...................。


校舎。

      20190826実穀小学校04


      20190826実穀小学校05


      20190826実穀小学校06


      20190826実穀小学校07


      20190826実穀小学校08
  

      20190826実穀小学校09




玄関庇に掲げられた校章。

      20190826実穀小学校10



校舎前に建つ、創立百周年記念碑。

      20190826実穀小学校12



校庭。

      20190826実穀小学校15



校庭で遊ぶ子供たちは居ないけれど、
代わりに、今日は草刈り作業の業者(?)の車が並ぶ。

      20190826実穀小学校11


      20190826実穀小学校14



校庭の片隅には朝礼台。

      20190826実穀小学校16




校庭に残る遊具類。

      20190826実穀小学校17


      20190826実穀小学校18


      20190826実穀小学校19


      20190826実穀小学校20



体育館の裏手。

      20190826実穀小学校21

かまぼこ型屋根の体育館って今では珍しい。


こちらも、地域の避難所になっているようです。

      20190826実穀小学校22


この場所を使わなきゃいけないような災害が
起きない事を切に願います。






2019/10/05 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................吉原小学校 (2019年8月26日)(茨城県稲敷郡阿見町) 

8月26日


この日は、利根川の向こう岸になる茨城県に出かけました。
と言っても、茨城県南になる稲敷市。
そして、稲敷市から阿見町へと移動します。


向かった先は....................阿見町立吉岡小学校。



吉岡小学校は、

明治 8年      吉原村医王寺を仮校舎として設立される
明治12年      現在地に移り吉原小学校が創立される
明治22年      小池村・福田村・上長村・実穀村・吉原村・荒川沖村・
          荒川本郷村・沖新田が合併して、朝日村が発足。
昭和22年      学制改革により朝日村立吉原小学校と改称する。
昭和30年      阿見町・朝日村・君原村・舟島村(一部)が合併し、阿見町となる
          阿見町立吉原小学校と改称する。
平成30年      阿見小学校に統合されて廃校となる。


と、このような沿革となっています。


実は、この吉原小学校の前を走る県道34号線。
土浦方面に遊びに行く時に通っていて
吉原十字路近くに、小学校があるのは知っていました。

いつの間にか、廃校になっていたのですね。


こちらが、正門。

      20190826吉原小学校01


表札は今も掲げられています。

      20190826吉原小学校02



正門の門扉はしっかり閉ざされ、施錠されているから
敷地内には入ることは出来ません。


門扉越しにちょっぴり身を乗り出し
敷地内を覗き込みます。


校庭。

      20190826吉原小学校03



校舎。

      20190826吉原小学校05


      20190826吉原小学校04


      20190826吉原小学校06



校舎の前には、創立百周年の記念碑。

      20190826吉原小学校07


ブロンズ像もありますね。

      20190826吉原小学校08



周りの植栽でよく見えませんが、校歌の碑でしょうか?

      20190826吉原小学校09


校舎の窓には、廃校時の贈る言葉でしょうか
『ずっと大切な場所』と綴られています。

      20190826吉原小学校10



敷地内にはいれないから、吉原小学校の周りをぐるっと回ってみましょう。

      20190826吉原小学校11



こちらは、体育館の裏手。

      20190826吉原小学校12



校舎の裏手。

      20190826吉原小学校13


フェンス越しの校庭。

      20190826吉原小学校16



その遊具。

      20190826吉原小学校14


      20190826吉原小学校15



フェンス越しに眺める校舎。

      20190826吉原小学校17


      20190826吉原小学校18



一応、指定避難所になっているんだけれど................

      20190826吉原小学校19


門扉が施錠されていたら、いざという時に避難所として使用出来るのだろうか?
そんな事を、ふと思ったりもしてしまいました。


2019/10/03 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂本小学校 (2019年8月23日)(群馬県安中市) 

8月23日

1泊2日の群馬・長野旅行。
2日目は長野県の軽井沢を巡り、群馬県へと移動します。

軽井沢の『ツルヤ』をあとにして、向かった先は..........................安中市立坂本小学校。

坂本小学校は、

明治8年      坂本小学校が開校する。
明治10年     山中学校が開校する。
明治14年     第十学区碓氷第七小学校と改称する。
明治17年     坂本小学校となる
明治19年     坂本尋常小学校となる。
明治29年     坂本尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、坂本町立坂本小学校と改称する。
昭和29年     坂本町が松井田町、臼井町、西横野村、九十九村、
         細野村と合併して新たに松井田町となる。
         松井田町立坂本小学校と改称する。
昭和36年     松井田町第三小学校と改称する。
昭和60年     松井田町立坂本小学校と改称する。
平成7年      入牧小学校を統合する。
平成18年     松井田町が安中市と合併して新たに安中市となる。
          安中市立坂本小学校と改称する。
平成24年     臼井小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、正門跡。

      20190823坂本小学校01



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20190823坂本小学校02


      20190823坂本小学校03



校門をくぐり、坂本小学校へと入っていきます。


事前に坂本小学校のことはよく調べてこなかったので
敷地に入って、ちょっとびっくり!!

      20190823坂本小学校04



そこには、木造の校舎が残っていました。

      20190823坂本小学校05



やっぱり、廃校には木造校舎が似合う。

      20190823坂本小学校06



廃校から7年。
って言うことは、7年前まで現役の校舎だった事になる。

      20190823坂本小学校07



どちらかと言うとあまり広くはない校庭。
前日の雨で所々泥濘んでいる。

      20190823坂本小学校08



その校庭から、再度校舎を眺めてみましょう。

      20190823坂本小学校09



色々と角度を変えて見てみますが、やっぱり画になる。

      20190823坂本小学校10



ガラス越しに校舎の中を覗いてみます。

      20190823坂本小学校11

王子の黒板やストーブが確認できますね。


2階に上がる階段脇には一輪車。

      20190823坂本小学校12

子供達が校庭で遊んでいたのでしょう。






校舎の前には二宮像。

      20190823坂本小学校14


      20190823坂本小学校15



こちらは体育館。

      20190823坂本小学校13



校庭に残る遊具類。

      20190823坂本小学校16


      20190823坂本小学校17


      20190823坂本小学校18


      20190823坂本小学校19




朽ちかけた百葉箱。

      20190823坂本小学校20



校舎前には朝礼台。

      20190823坂本小学校21


校舎裏手の小さな建物。

      20190823坂本小学校22

教職員の宿泊施設なんでしょうか。

そういえば、私の通った小学校にも宿直当番の先生がいて
宿直室なんて言うのもありました。



校庭残る桜の木。

      20190823坂本小学校23


見事な枝っぷり。
きっと春には立派な満開の桜の木々になるんだろう。

      20190823坂本小学校24



中山道の宿場町であった坂本宿。
宿場町として人々の生活が古くからあり、
集落に出来た坂本小学校。

時代は流れ、宿場町も衰退し
人も少なくなって、少子化で廃校となった坂本小学校。

立派な木造校舎、しっかりと拝見させていただきました。



2019/09/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩島第二小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

岩下菅原神社をあとにして、向かった先は.............旧・吾妻町立 岩島第二小学校。


岩島第二小学校も詳しい沿革は分かりません。

開校したのは明治34年。
平成11年に岩島第一小学校と統合して新たに岩島小学校が誕生して、
岩島第二小学校は廃校となりました。



こちらが、かつての正門跡。

      20190822岩島第二小学校01

残念ながら、門柱は在りません。
しかしながら、びいすけ の背後に見える校舎は、
木造校舎ではありませんか!!



こちらが、その木造校舎。

      20190822岩島第二小学校02



校舎の前に、重機やら資材が置かれているのが気になります。

      20190822岩島第二小学校03


      20190822岩島第二小学校04



ひょっとして、解体されてしまうのか?

      20190822岩島第二小学校05

作業服を着たオジさんに聞いてみたら
一時的に資材を置かせて貰っているだけで
解体するとかの予定は無いそうです。

ホッとひと安心。


今まで、多くの廃校を訪ねてきましたが
やはり、木造校舎を目の当たりにするとテンションは違います。

      20190822岩島第二小学校06



正直言ってかなり、テンションが上がります。

      20190822岩島第二小学校07

ですから、先人のブログを拝見して訪ねてみたら
そこに在るはずの木造が解体されて無くなっていると
テンションは思い切り下がります。


いずれ、この岩島第二小学校の校舎も解体されてしまうのでしょうか?



敷地内を散策してみましょう。

      20190822岩島第二小学校08


      20190822岩島第二小学校09



校舎の前には校歌の碑。

      20190822岩島第二小学校10


残念ながら、廃校記念碑や学校跡碑、二宮像もありませんでした。



敷地内の一角に建つ説明板。

      20190822岩島第二小学校11

岩島第二小学校の敷地には『おまき桜』と言う桜があるらしい。

エドヒガンザクラの古木で例年4月中旬ごろに満開になるそうです。
このおまき桜は推定樹齢250年、樹高22m、根元回り約6m。
東吾妻町の天然記念物に指定されているそうです。

この地域は古くから麻づくりが盛んで、
桜が咲く頃に種を蒔くと立派な麻が育つことから
『おまき桜』と呼ばれてきたそうです。


こちらが、『おまき桜』。

      20190822岩島第二小学校12



遊具も残されていない校庭。
その校庭の一角は、ゲートボール場。

      20190822岩島第二小学校13

なぜか、そのゲートボール場の片隅に置かれたローラーが
学校跡を思い切り連想させる岩島第二小学校でした...............。



2019/09/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............岩島第一小学校 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

東吾妻町の廃校ツアーは、まだまだ続きます。
2年前にこの辺りを車で走った時に見かけた廃校。
国道145線沿いにいきなり現れた廃校でした。
事前に下調べもしてなかったし、先を急いでいたから
その時は素通りしてしまいましたが、今回は一応下調べ済み。

向かった先は...............旧・吾妻町立岩島第一小学校。


下調べはしたものの、岩島第一小学校の詳しい沿革は分かりませんでした。

何人かのblogで紹介されていましたが
明治41年開校、平成11年に岩島第二小学校と統合して
閉校となったことしか分かりません。


廃校から既に20年。
おそらく、この辺りにかつての正門が在ったのでしょう。

      20190822岩島第一小学校01



廃校後、一時期は八ッ場ダムの工事関係の事務所として使われていたようです。

      20190822岩島第一小学校02



木造モルタル造りの二階建校舎。

      20190822岩島第一小学校03


      20190822岩島第一小学校04


      20190822岩島第一小学校05

首都圏周辺の学校に比べてもコンパクトな校舎。
元々の児童数の違いなんでしょう。


校舎前のブロンズ像。

      20190822岩島第一小学校06

『 かしこく たくましく 』校訓でしょうか?



校舎側面から。

      20190822岩島第一小学校07



校庭側に回ってみましょう。

      20190822岩島第一小学校08



雑草に覆われた校庭。

      20190822岩島第一小学校09



校舎の前の木々は校舎を覆うように伸び
独特な雰囲気を出している。

      20190822岩島第一小学校10


      20190822岩島第一小学校11



その雑草の上で、ゴロ〜んと横になり
背中をスリスリする びいすけ 。

      20190822岩島第一小学校12


      20190822岩島第一小学校13


よっぽど気持ちが良いのだろうか?





校庭には記念碑等もなく、
唯一残っているのは、古タイヤの遊具。

      20190822岩島第一小学校14


      20190822岩島第一小学校15



廃校記念碑、二宮像、ブランコ等の遊具類
廃校で見かける多くの遺構が全く無いけれど
ここは、紛れもなく小学校でした................。






2019/09/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校須賀尾分校(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

大柏木教場をあとにして、向かった先は.................旧・吾妻町立 坂上小学校須賀尾教場


須賀尾教場は、

明治7年     須賀尾小学校が開校する。
明治23年    坂上尋常小学校須賀尾分教場なる。
明治26年    再び独立して、菅生尋常小学校となる。
明治42年    坂上高等尋常小学校西分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校西分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立須賀尾小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立須賀尾小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校須賀尾教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


須賀尾教場も情報はなく、事前に須賀尾地区の公民館等にアタリをつけ
訪れたのが、須賀尾公民館。

これまたズバリ的中。


こちらが、須賀尾教場の正門跡。

      20190822須賀尾分校01


コンクリート製の門柱。

      20190822須賀尾分校02



その門柱には須賀尾小学校時代の表札が残っている。

      20190822須賀尾分校03







敷地奥の一段高い場所に建つ公民館。

      20190822須賀尾分校06



往時の校舎ではなく、建て替えられたものでしょう。

      20190822須賀尾分校07



公民館前には『須賀尾小学校跡』の碑。

      20190822須賀尾分校08


裏面には簡略ながら沿革も刻まれています。

      20190822須賀尾分校09


坂上小学校の分教場はほぼ同じような沿革を歩んできたようですね。




『須賀尾小学校跡』の碑よりも、敷地内の匂いが気になる びいすけ 。

      20190822須賀尾分校10



校庭。

      20190822須賀尾分校04


      20190822須賀尾分校05



校庭に残る遊具類。

      20190822須賀尾分校11


      20190822須賀尾分校12


      20190822須賀尾分校13


      20190822須賀尾分校14



匂い嗅ぎから、もっちゃん の傍らへと進む びいすけ 。

      20190822須賀尾分校15


何だかんだと言いながらも、もっちゃん が大好きな びいすけ でした。
2019/09/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大柏木教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。



大戸関所跡をあとにして、向かった先は...............吾妻町立坂上小学校大柏木教場


大柏木教場は、

明治7年     大柏木小学校が開校する。
明治20年    大柏木尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校大柏木分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校北分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校北分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立大柏木小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立大柏木小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校大柏木教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


これまた、他の教場とほぼ同じ同じような沿革。
しかしながら、これらの教場の譲歩はほとんど無く
いつものように、ヤフーマップやGoogleマップで
大字である大柏木と言う集落の公民館や集会所にアタリをつけます。
あとは、現地に行って、違ってもいたら聞きまくる。
そんな形で、今回は大柏木集落の中にある
大柏木公民館にアタリをつけて向かいます。

今回は意外に的中率が高く、大柏木公民館が教場跡でした。



かつての教場に至る石畳。

      20190822大柏木分校01


こちらが正門跡。

      20190822大柏木分校02



残念ながら門柱は無いけれど、それらしき雰囲気はある。

      20190822大柏木分校03


校庭跡。

      20190822大柏木分校04


山あいの小さな学校だったようで、敷地はそんなに広くは無い。

      20190822大柏木分校05


      20190822大柏木分校06


敷地のフェンス周りの木々が学校跡っぽい雰囲気を醸し出しています。

      20190822大柏木分校07


      20190822大柏木分校08



昭和49年に廃校。
今から45年前の事だから、校舎は既に解体され
新しく公民館が建てられました。

      20190822大柏木分校09



何故か、公民館のテラスにパイプ椅子。

      20190822大柏木分校10

学校跡を意識しているのか?(笑)


校庭には遊具も残っていなかったけれど
唯一、学校跡を確認させてくれたのが、こちらの碑。

      20190822大柏木分校11


裏面には、沿革も記されています。

      20190822大柏木分校12


そんな事は御構いなしに、フェンス沿いに匂い嗅ぎの徘徊をする びいすけ 。

      20190822大柏木分校13


その傍らには、ローラー。

      20190822大柏木分校14

紛れもなく学校跡でした。




2019/09/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校萩生教場(2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。


坂戸教場をあとにして、向かった先は.........旧・吾妻町立坂上小学校萩生教場


萩生教場は、明治初期に萩生村に開校ささた萩生小学校がその祖とされています。

明治7年     萩生村宮ノ下に萩生学校が開校する。
明治20年    萩生尋常小学校となる。
明治23年    坂上尋常小学校萩生分教場なる。
明治26年    再び独立して、萩生尋常小学校となる。
明治34年    この地に校舎を新設して移転する。
明治42年    坂上高等尋常小学校南分教場となる。
昭和22年    学制改革により、坂上村立坂上小学校南分校となる。
昭和30年    坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、改めて原町が発足。
         独立して原町立萩生小学校となる。
昭和31年    原町が吾妻町と名称を変えだことにより、
         吾妻町立萩生小学校と改称する。
昭和47年    統合して吾妻町立坂上小学校萩生教場となる。
昭和49年    坂上小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっています。


とは言え、萩生教場(萩生小学校、萩生分校)については、
情報がなく場所も分かりませんでした。
いつものように、Googleマップで小字である萩生地区の公民館等を探し
そちらにアタリを付けて、あとは現地で探す!と言ったパターン。

『萩生区民会館』と言う地域の集会所にアタリを付けて
訪れてみると、大正解。
こちらが萩生教場跡でした。



正門跡は無かったけれど、見るからに校庭のような広い敷地に。

      20190822萩生分校01


      20190822萩生分校02



その一部はゲートボール場として利用されているようです。

      20190822萩生分校13


      20190822萩生分校03


広い敷地には、芝生のように雑草も生えているけれど
適度に手入れはされているようです。

      20190822萩生分校04



こちるが、萩生区民会館

      20190822萩生分校05


      20190822萩生分校06

かつては、この辺りに校舎が建っていたんでしょう。



校庭の片隅で見つけました!

      20190822萩生分校07



『萩生小学校の跡』碑です。

      20190822萩生分校08



裏面には沿革も刻まれています。

      20190822萩生分校09

大変、参考になりました。



その脇には、二宮像。

      20190822萩生分校10


      20190822萩生分校11



昭和31年の校舎改築時に合わせて建立されたモノのようです。

      20190822萩生分校12


      
区民会館の建物の脇には古い下駄箱。

      20190822萩生分校14



そして、ゲートボール場の脇には、フレームだけの椅子。

      20190822萩生分校15

これらは、学校遺構になるのか?


フェンス脇に無造作に置かれたローラー。

      20190822萩生分校16


こちらは、校庭の片隅に建つ顕彰碑。

      20190822萩生分校17



校庭跡に残る遊具類。

      20190822萩生分校18


      20190822萩生分校19


      20190822萩生分校20



こちらでも、ちょっぴりテンションの高い びいすけ 。

      20190822萩生分校21



草の匂いを嗅ぎながらの闊歩。

      20190822萩生分校22


それは、やがて競歩のようになり、いつしか小走り等なります。

      20190822萩生分校23


そして、疲れたのか?
草の感触を味わいながら『伏せ』の態勢。

      20190822萩生分校24


おそらく、寝そべって背中をスリスリしたいのだろうが
生憎、先程までの小雨で地面はしっかりと濡れている。

      20190822萩生分校25


      20190822萩生分校26

さすがに体が濡れるのは嫌なのか?
今日は大人しく伏せ状態。

さぁ、次なる場所へと移動いたしましょう。






2019/09/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............坂上小学校大戸教場 (2019年8月22日)(群馬県吾妻郡東吾妻町) 

8月22日

8月22日〜23日に1泊2日で群馬県〜長野県に遊びに行って来ました。

群馬県と言っても広い。
今回は、吾妻地区の東吾妻町を中心に巡ります。

密岩神社をあとにして、向かった先は.........吾妻町立坂上小学校大戸教場


大戸教場の沿革については不明です。
ただ、明治期にこの辺りが大戸村と称していた事から
明治初期に開設されたと思われます。
そもそも、この地区には、本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村があり
それぞれの向かってに小学校が在ったようです。
明治22年に本宿村、大戸村、萩生村、大柏木村、須賀尾村が合併し
坂上村が誕生しました。やがて、各校は坂上尋常小学校の分教場となったようです。
そして、昭和30年に坂上村が原町、太田村、岩島村と合併し、
改めて新しい原町が発足、翌年の昭和31年に原町が吾妻町と名称を変えました。
その際に、各校が独立します。
その際に、坂上小学校大戸分教場は吾妻町と大戸小学校と改称しますが
昭和47年に坂上小学校に統合され、大戸教場となります。
そして、他の教場と同じように昭和49年に本校に統合されて廃校になりました。

とまあ、こんな沿革だったようです。


数年前にまで、木造の校舎が残っていたようですが
現在は、解体されてしまいました。
廃校後、婦人服の服飾メーカーの縫製工場として利用されていたようですが
そちらも撤退されてしまい、地域の公民館として再利用していたようです。
いくつかのブログでも木造校舎が紹介されていたので
楽しみにしていたのですが、残念です。

( こんな感じの校舎だったようです。 憧憬の刻


こちらが正門跡。

      20190822大戸小学校01


正門の門柱はコンクリート製。

      20190822大戸小学校02


      20190822大戸小学校03



左右いずれの門柱にも、往時の表札が残っていました。

      20190822大戸小学校04


      20190822大戸小学校05



数年前までは、木造の校舎が残っていましたが
今は、解体されて何も無い。

      20190822大戸小学校06


      20190822大戸小学校07


      20190822大戸小学校08



正門脇の立派な桜が、学校跡を彷彿させてくれます。

      20190822大戸小学校09

この桜が地元では、ちょっぴり有名らしい。


校舎が解体されてしまったから、学校遺構が殆ど無い。
一時期、民間の縫製工場として利用されていたからか?
遊具類もないし、一連の学校関連の記念碑の類いもない。


唯一の学校遺構?

      20190822大戸小学校10

敷地の一部が、ゲートボール場として利用されているのでしょう、



フェンス沿いに匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20190822大戸小学校11

まるで、ドッグランの時の行動。



雨も一瞬、上がったようなのでカッパを脱がしてみます。

      20190822大戸小学校13



この日初めて履いた赤いゴムの靴。

      20190822大戸小学校12

よっぽど気に入ったのか?
いつもと雰囲気が違う。


そして、軽快に校庭(跡)を走り回る びいすけ 。

      20190822大戸小学校14



最近は、ドッグランに行かないし(行っても走らないし.........)
走る姿にはご無沙汰だった びいすけ 。

      20190822大戸小学校15


この日は、いつもと違う。

      20190822大戸小学校16


      20190822大戸小学校17



何たって、跳んでるし!!

      20190822大戸小学校18

びいすけ 10歳の激走です。



楽しそうな顔してるし。

      20190822大戸小学校19

いやぁ、久々のびいすけ の力走姿。


違った意味で、この大戸教場の事は忘れることがなくなりそうです。




2019/09/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............本埜第二小学校 (2019年8月2日)(千葉県印西市) 

8月2日

この日は、富里市から印西市へと移動。
印西市には、今年の春に3校の小学校が廃校になりました。
その中の1校である、本埜第二小学校に行ってみました。

印西市立本埜第二小学校は、

明治6年      将監新田の密蔵院を仮校舎に定め、将監小学校が創立。

明治24年     埜原村松木新田20番地に校舎を新築。
村立埜原尋常小学校と改称する。
大正2年      埜原村と本郷村が合併し、本埜村発足。
本埜村立本埜尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、本埜村立本埜第二小学校と改称する、

平成22年     本埜村、印旛村、印西市が合併し、新たな印西市となる。
           印西市立本埜第二小学校と改称する。
平成31年     本埜第一小学校と統合して新たに本埜小学校が開校する。
           (校地は本埜第一小学校を流用。)
           本埜第二小学校は、廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、本埜第二小学校の正門。

      20190802本埜第二小学校01



門柱には表札。

      20190802本埜第二小学校02


正門の先には掲示板。

      20190802本埜第二小学校36





正門脇。
校舎側面〜裏側より。

      20190802本埜第二小学校03



こちらが、正門脇。
校舎側面〜正面側。

      20190802本埜第二小学校04



校舎。

      20190802本埜第二小学校05



別アングルからの校舎。

      20190802本埜第二小学校07

なぜか、草の上で戯れる びいすけ 。



さらに別アングルから。

      20190802本埜第二小学校08


      20190802本埜第二小学校09



やっぱり、こちらでも戯れる びいすけ 。

      20190802本埜第二小学校10



よっぽど気持ちが良いんだろうか?

      20190802本埜第二小学校11



校舎の玄関はモダン的なデザイン。

      20190802本埜第二小学校12


校舎に掲げられた文言。

      20190802本埜第二小学校13

子供たは、輝いていたのだろうか?




そして、こちらが体育館。

      20190802本埜第二小学校06


      20190802本埜第二小学校33



体育館と校舎の間には、国旗掲揚ポール。

      20190802本埜第二小学校34


正門脇のシンボルツリー。

      20190802本埜第二小学校14
      20190802本埜第二小学校15
      20190802本埜第二小学校16

よく見ると、その根元には碑などが建ち並ぶ。



沿革の碑。

      20190802本埜第二小学校17



古いせいもあってか?
裏面の碑文は良く見えない。

      20190802本埜第二小学校20




こちらは、二宮像。

      20190802本埜第二小学校18


      20190802本埜第二小学校19



こちらが、校歌の碑。

      20190802本埜第二小学校21


校庭の隅には、従軍記念碑。

      20190802本埜第二小学校22

この地からも多くの人が戦地に赴いたようです。

この地にこの碑が在ると言う事は、
この学校が、古くから地域のランドマーク的な存在だったのでしょう。



歴代の正門脇門柱が並べられていました。

      20190802本埜第二小学校24


その説明が記された碑。

      20190802本埜第二小学校23


      

校庭。

      20190802本埜第二小学校25

時期的に雑草だけど緑に覆われています。


その草の上を闊歩する びいすけ 。

      20190802本埜第二小学校26



校庭に残る遊具類。

      20190802本埜第二小学校27


      20190802本埜第二小学校28


      20190802本埜第二小学校29


      20190802本埜第二小学校30



朝礼台。

      20190802本埜第二小学校31



百葉箱。

      20190802本埜第二小学校32



そして、この地にもありました。

      20190802本埜第二小学校35

体育館脇の校庭の隅。
ひっそりと置かれた防災倉庫。


この倉庫を使用するような災害が起きませんように.........
そっと祈って今日は帰りましょう。




2019/09/05 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................瑞沢小学校 (2019年7月11日)(千葉県長生郡睦沢町) 

7月11日 瑞沢小学校

この日は、いすみ市の廃校巡りの後、足を伸ばして睦沢町へ。

平成30年に廃校になった睦沢町立瑞沢小学校を訪ねてみました。


瑞沢小学校の詳しい沿革ネットで調べてもよく分かりません。

この辺りは、その昔(明治22年〜)瑞沢村と称していたことから、
(土睦村と瑞沢村が合併して睦沢村が誕生しています)
明治初期に創設された学校ではないかと推測されます。

平成30年に土睦小学校と統合し、新たに睦沢小学校が誕生し
瑞沢小学校は廃校となりました。

最近は、統合校などのHPにも沿革が載らないことが多い。
母校の歴史が気にならないのかなぁ?




こちらが瑞沢小学校正門。

      20190711瑞沢小学校01


コンクリートの塀には、校名の表札。

      20190711瑞沢小学校02


      20190711瑞沢小学校03



こちらが、校舎。

      20190711瑞沢小学校06




校舎正面。

      20190711瑞沢小学校04



正面玄関の庇には校章。

      20190711瑞沢小学校05



校舎のななめまえ、駐車場の一画に
記念碑等がまとめられていました。

      20190711瑞沢小学校07



二宮像。

      20190711瑞沢小学校08


      20190711瑞沢小学校09



校歌の碑。

      20190711瑞沢小学校10



瑞沢小学校跡碑。

      20190711瑞沢小学校11



そして、児童たちの作品。

      20190711瑞沢小学校12


      20190711瑞沢小学校13

この一画に、瑞沢小学校が凝縮されています。



スロープを挟んだ反対側には忠魂碑。

      20190711瑞沢小学校14

やっぱり、歴史のある学校だったようです。




別アングルからの校舎。

      20190711瑞沢小学校15


      20190711瑞沢小学校16


      20190711瑞沢小学校17


      20190711瑞沢小学校18


      20190711瑞沢小学校19



こちらが体育館。

      20190711瑞沢小学校20



そして、校庭。

      20190711瑞沢小学校21


      20190711瑞沢小学校22


      20190711瑞沢小学校23



校庭の片隅には、朝礼台。

      20190711瑞沢小学校24


オブジェ。

      20190711瑞沢小学校25



遊具類。

      20190711瑞沢小学校26


      20190711瑞沢小学校27


      20190711瑞沢小学校28



後で判ったのですが...............

この日は7月11日。
実は、この瑞沢小学校跡地を睦沢町が賃貸先を公募していて
地域の未活用不動産を活かし国内に13の宿泊施設を運営している会社と
平成30年4月1日から平成45年3月31日までの15年間の賃貸契約を結んだそうです。

そして、『kitみずさわ』と言う学校教室をいかした客室や
多くの懐かしい雰囲気を持つ多目的室、体育館、グラウンドを利用する合宿宿泊施設へとなり、
令和元年7月13日にオープンするという事でした。

でも、オープン2日前だけど、そんな雰囲気は無かったなぁ...................。







2019/09/01 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........................千町小学校萩原分校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。


今年の春(平成31年)に廃校になった、いすみ市立千町小学校。
その千町小学校には、かつて分校がありました。

昭和39年に廃校となった分校、
旧・夷隅町立 千町小学校萩原分校 を探し、訪ねてみました。


萩原分校は、


明治7年     荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
        萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀小学校と萩原小学校に分離する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                         須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校萩原分校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校萩原分校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)


と、このような沿革となっています。



沿革は分かっているものの、分校の場所はよく分からない。
いつもように、分校名の『萩原』を頼りに
萩原集落の公民館、集会所に当たりを付けて向かいます。
向かった先は、『萩原区農村公園』


こちらが、萩原区農村公園。

      20190711萩原分校01

隣家の御老人に話を伺うと、この場所がかつての萩原分校でした。
確かに、分校跡らしい雰囲気は感じられる。


ただし、この建物は廃校後建てられたものらしい。

      20190711萩原分校02


敷地内に入ってみます。
往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。

      20190711萩原分校03


      20190711萩原分校05


      20190711萩原分校06




敷地の一角には遊具が置かれているけれど
とても昭和30年代の遺構にはみえない。

      20190711萩原分校04



農村公園として整備された時に設置されたのでしょう。

      20190711萩原分校07


      20190711萩原分校08



残念なことに記念碑の類い、二宮像、忠魂碑等
学校跡を彷彿させる物は残っていない。



この井戸は、分校時から使われていたものでしょう。

      20190711萩原分校09



お約束とも言える消防倉庫。

      20190711萩原分校10


小さな分校跡には、消防倉庫が敷地内に建っていることが多い。
まぁ、ひとつのpsたーんですが、
そのパターンに見事にハマっていた萩原分校。

辿り着けて良かった.......................




2019/08/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................千町小学校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

今年の春、いすみ市の千町小学校が廃校になりました。
千町小学校関連で3つの廃校があるという事で
この日はいすみ市の廃校巡り。

本丸である、いすみ市立千町小学校に訪れました。


千町小学校は、


明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年     萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
         荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年    学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年    千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年    荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年    新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年    夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年    夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、千町小学校の正門。

      20190711千町小学校01



正門越しの校舎。

      20190711千町小学校02


      20190711千町小学校03


正門側の正面玄関。

      20190711千町小学校04


庇には校章。

      20190711千町小学校05


そして、感謝の横断幕。

      20190711千町小学校06



中庭の二宮像。

      20190711千町小学校07


      20190711千町小学校08



校庭側からの校舎。

      20190711千町小学校09


      20190711千町小学校10



別アングルから。

      20190711千町小学校11


      20190711千町小学校12


      20190711千町小学校13


      20190711千町小学校26



こちらは、体育館。

      20190711千町小学校14



広い校庭。

      20190711千町小学校15



廃校からたった3ヶ月半。
すでに雑草に覆われ始めている。

      20190711千町小学校25




校庭に残る遊具類。

      20190711千町小学校16


      20190711千町小学校17


      20190711千町小学校18


      20190711千町小学校19


      20190711千町小学校20


      20190711千町小学校21



校庭にポツンと朝礼台。

      20190711千町小学校22



朝礼台の前に置かれたオブジェ。

      20190711千町小学校23



なぜか?  校舎の前に並んでいる椅子。

      20190711千町小学校24





お約束とも言える防災倉庫。

      20190711千町小学校27

体育館の前に目立たないように置かれていました。



残念ながら、廃校記念碑はありませんでした。


こうしてまた一つ、地域に長い時間の中で統廃合を経て
歴史を刻んで来た学校が廃校になってしまいました。





2019/08/31 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................旧・千町小学校跡 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市は、平成17年に夷隅町、岬町、大原町が合併して誕生しました。
そのいすみ市で、今年の3月(平成31年)に千町小学校が廃校になりました。

実は、その千町小学校関連で3つの廃校がいすみ市には存在します。
今回、その3つの廃校を巡ります。

最初に訪れたのは................旧・夷隅町立 旧・千町小学校跡


千町小学校は、

明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年    荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年   三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年   新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年   夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年   夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と言う沿革となっていますが、今回訪れたのは、旧・千町小学校跡。
沿革で言う所の昭和47年に移転するまで校地とされていた所です。

数年前に、いすみ市に来た時、偶然この校地の前を通ったのですが
『千町保育園前』と言う交差点にいかにも学校跡地っぽい場所がありました。
後ほど調べたら、どうやら千町小学校の跡地のようでした。

そのうちに行こう! と思いながら、ズルズルと月日が経ってしまいました。



こちらが、千町小学校跡。

      20190711旧・千町小学校01

如何にも学校跡っぽいですね。


正門に至るスロープ。

      20190711旧・千町小学校02

これまた、学校っぽい。


以前調べた時は、『つどいの家』と言う施設だったような気がしましたが
近年、『いすみ市土着菌完熟堆肥センター』になったようです。

      20190711旧・千町小学校03



こちらが正門跡。

      20190711旧・千町小学校04



門柱の表札。

      20190711旧・千町小学校05

『つどいの家』としても利用されているようですね。



実は、小学校が移転後、敷地は千町保育園として利用されていたよですが
保育園もいつしか閉園となり、『つどいの家』として利用されたようです。

この建物は、保育になった時に建てられたもので
千町小学校の校舎ではないそうです。

      20190711旧・千町小学校06


      20190711旧・千町小学校07


昭和の時代、特に40年〜50年代。
鉄筋校舎が普及する前の学校の校舎に見えるんだけどねぇ。

      20190711旧・千町小学校08


      20190711旧・千町小学校09


残念ながら、学校遺構は全く残っていない。

      20190711旧・千町小学校10


保育園として再利用されていた割には遊具類も残っていない。


ここから数百m離れた場所に千町小学校が在るから、
この場所が千町小学校だった事も憶えている人も少なくなっているんだろうなぁ。








2019/08/30 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............睦岡小学校戸田分校 (2019年7月8日)(千葉県山武市) 

7月8日

この日は、山武市に出かけました。

昭和30年代後半から40年代初頭、旧・山武町に在った分校が
3校廃校になりました。

今回、その3校を探し訪ねてみる事にしました。

苦労しながらも2校を探す事ができ、残るは1校。
何とか探す事が出来た木原分校跡をあとにして、
向かった先は...............旧・山武町立 睦岡小学校戸田分校。


戸田分校は、

明治7年      戸田小学校創立。
明治26年      戸田小学校を除く近隣3校が合併して、睦岡尋常小学校が発足する。
明治41年      睦岡尋常小学校に統合され、分教場となる。
昭和22年      学制改革により、睦岡村立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和30年      睦岡村が日向村と合併して山武町が誕生。
          山武町立睦岡小学校戸田分校と改称する。
昭和38年      本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっています。


戸田分校も情報がなくm頼りは分校の名である『戸田』。
山武市戸田集落の公民館、集会所に当たりをつけます。

候補は2つ。
1つは中上戸田集会所。

まずは、そちらに向かいます。
確かに集会所は廃校跡っぽく見える。
でも遺構が無いから、確信が持てない。
近くに歩いている人もいないから、またまた人を探します。
御年配の人に会えないかな〜っと思いながら民家の脇を通り過ぎると
農具の手入れをしていたオジさん発見!!

そのオジさんに訊いてみたら、違っていた。
そして、オジさんは分校の場所を教えてくれました。

中上戸田集会所から1kmほど離れた所にある中戸田下公民館。
こちらが、戸田分校跡地でした。
そして、当たりを付けていたもう1ヶ所の場所でもありました。



こちらが、戸田分校跡地。

      20190708戸田分校01

この緩やかなスロープが如何にも学校っぽい。


そして、ありました。
門柱です。

      20190708戸田分校02


対の門柱。
もう一方は半分折れていて、無残な状態。

      20190708戸田分校03



いっしゅん、往時の校舎かと思いましたが
隣家のオバちゃんの話では、公民館として建てられたものらしい。

      20190708戸田分校04


てっきり、校舎だと思っていたから、
実は、いろんなアングルで写真を撮っていました(笑)。

      20190708戸田分校05


      20190708戸田分校06


      20190708戸田分校07


      20190708戸田分校08



敷地の片隅にポツンと建つ建物。

      20190708戸田分校09

そうです、お約束とも言えるあの建物。


消防倉庫でした〜(笑)。

      20190708戸田分校10



門柱のすぐ側に残る桜の木。

      20190708戸田分校11

これも分校時代のモノでしょう。



何とか、昭和30年代後半から昭和40年代前半に廃校となった分校を
探し当て訪れる事が出来ました。
やっぱり、廃校巡りは楽しいものです。



2019/08/29 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit