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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて................高根清里小学校 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残さなきゃ!

という事で、マッキンをチェックアウトして、
向かった先は............北杜市立高根清里小学校。


高根清里小学校は、

明治6年に開校した津金学校清里分校を前身とする高根東北小学校と
昭和15年に開校した清里小学校八ヶ岳分教場を前身とする八ヶ岳小学校が
昭和49年に合併して誕生した小学校です。


明治 6年     津金学校清里分校を千福寺( 樫山)で開校する
昭和15年     清里尋常小学校に八ヶ岳分教場(念場ヶ原) を開設する
昭和22年     学制改革により、清里小学校( 同校八ヶ岳分教場)と改称する
昭和31年     町村合併により、高根東北小学校( 同校八ヶ岳分教場) と改称する
昭和34年     高根東北小学校八ヶ岳分教場は、本校より分離し八ヶ岳小学校( 現在地) として独立する

昭和49年     高根東北小学校と八ヶ岳小学校を統合し高根清里小学校( 旧八ヶ岳小学校跡地) となる
平成16年     7ヶ町村が合併して「北杜市」が誕生「北杜市立高根清里小学校」となる
平成31年     高根東小学校に統合されて廃校となる


と、このような沿革となっています。



こちらが、高根清里小学校の正門。

      20191025高根清里小学校01



今年に春に廃校になった小学校。
まだ、廃校になって1年も経っていない。
門柱には表札が残っています。

      20191025高根清里小学校02



校門の先には校舎正面玄関。

      0191025高根清里小学校03

特徴のある玄関ですね。


正面庇には校名と校章が掲げられています。

      0191025高根清里小学校04


      0191025高根清里小学校05



生憎の天気。
小雨の高根清里小学校。

校舎全景。

      0191025高根清里小学校06



ちょっとだけ寄ってみる。

      0191025高根清里小学校15



校舎全景と びいすけ 。

      0191025高根清里小学校07



別アングルの校舎。

      0191025高根清里小学校08


      0191025高根清里小学校09



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      0191025高根清里小学校10



校舎の定礎盤。
昭和49年竣工。

      0191025高根清里小学校11

玄関のデザインといい、当時としては画期的なデザインだったのでしょう。
この奥に図面等が隠されているんでしょうか?



こちらは、体育館。

      0191025高根清里小学校12



校庭。

      0191025高根清里小学校13



降りしきる雨で足元もぐちゃぐちゃ。

      0191025高根清里小学校14




校庭に残る遊具類。

      0191025高根清里小学校16


      0191025高根清里小学校17


      0191025高根清里小学校18


      0191025高根清里小学校19


      0191025高根清里小学校20


      0191025高根清里小学校21




朝礼台。

      0191025高根清里小学校22



百葉箱。

      0191025高根清里小学校23



緯度経度の碑。

      0191025高根清里小学校25

韮崎市の廃校にも多かったけれど
実は山梨県の小学校には、緯度経度を示す標柱や碑が設置されている事が多い。
上野原市や道志村の廃校にも多かったような記憶があります。




玄関の脇に置かれたオブジェ。

      0191025高根清里小学校24


これって馬ですよね?

子供たちの作品なんだろうか?
それとも先生が作ったものだろうか?

ちょっぴり気になります。





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2019/12/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................多麻小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


岩下小学校をあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 多麻小学校。



多麻小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地の校歌の碑に簡略した沿革が記載されていました。

校名の由来となった多麻村の沿革も一緒に紐解けはば.............


明治23年     豊田村と東向村が合併して多麻村となる。
         中小倉に民家を借りて尋常小学校とした。
大正4年      現在地に校舎を新築して開校。
大正5年      高等科を設置して多麻尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により多麻村立多麻小学校と改称する。
昭和30年     多麻村が若神子村、穂足村、津金村と合併して須玉町となる。
         須玉町立多麻小学校と改称する。
昭和60年     旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
         穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
         新たに須玉町立須玉小学校が開校し、多麻小学校は廃校となる。

と、このような沿革になるようです。





こちらが、かつての正門。

      20191024多麻小学校01



石造りの門柱は健在ですが、表札はありません。

      20191024多麻小学校02



多麻小学校は廃校後、校舎は解体され
その敷地は、多麻公民館として活用されているようです。

      20191024多麻小学校03


      20191024多麻小学校04



その公民館。

      20191024多麻小学校05


      20191024多麻小学校06



校庭は、地域のグランドとして利用されているのか?

      20191024多麻小学校07

思ったほど荒れてはいないようです。

公民館の建物から数十m離れた所に建つ校歌の碑。

      20191024多麻小学校08



実は、この校歌の碑の裏面に沿革が刻まれています。

      20191024多麻小学校09

たいへん参考になりました。




公民館脇には忠魂碑。

      20191024多麻小学校10




野ざらしに置かれているローラー。

      20191024多麻小学校11



敷地のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024多麻小学校12



校庭の奥には赤茶色に錆びた朝礼台。

      20191024多麻小学校13




雑草もなく、適度に管理されている(と思われる)校庭跡。

      20191024多麻小学校14



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191024多麻小学校15


      20191024多麻小学校16


学校遺構は、門柱と校歌の碑と朝礼台ぐらいしか残っていない。
二宮像を期待したんだけど....................

でも沿革が刻まれた校歌の碑があったから、良しとしなくちゃね。


2019/12/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩下小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


塩川ダムをあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 岩下小学校。



岩下小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地にあった記念碑に簡略な沿革が刻まれていました。

岩下小学校は明治6年に開校した江草小学校の分校として
明治8年に開校しました。
明治11年に分校は廃止されますが、地元の強い要望に寄り
明治12年に第一大学区第四十三番中学区第百二十六番小学 岩下小学校として開校します。

明治25年     岩下尋常小学校と改称
昭和22年     学制改革により、江草村立岩下小学校と改称する。
昭和31年     江草村が須玉町に編入され、須玉町立岩下小学校と改称する。

昭和60年に旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
新たに須玉町立須玉小学校が開校し、岩下小学校は廃校となりました。


廃校後、建物の一部は岩下公民館として活用され
また、敷地の多くの部分は民間会社の太陽光発電の研究施設となっているようです。




こちらが、かつての正門跡付近。

      20191024岩下小学校01

背後は、往時の校舎と思われる木造校舎。
現在は、民間会社が使用しています。



こちらの建物が岩下公民館。

      20191024岩下小学校02

岩下小学校の講堂だったのでしょうか?



公民館出入り口。

      20191024岩下小学校03



公民館の庭先に記念碑が建つ。

      20191024岩下小学校04

岩下小学校の創立百周年記念碑。


裏面に簡略された沿革が刻まれているようですが
石の腐食が激しくて読み辛い。

      20191024岩下小学校05

でも解らなかった沿革がおぼろげに解ってきた。


その脇には校歌の碑。

      20191024岩下小学校06




もう一つ校歌の碑。

      20191024岩下小学校07

こちらには2番と3番の歌詞が刻まれている。




公民館になっている校舎(講堂?)の背面。

      20191024岩下小学校08



古い机が野ざらしで放置。

      20191024岩下小学校09



下駄箱と階段。

      20191024岩下小学校10

校舎から移動して来たら、ここで靴を履き替えていたんでしょうか?



手前が公民館、奥が民間会社。

      20191024岩下小学校11

校舎は、こんな感じで往時から並んでいたんでしょうね。



残念ながら、校庭へはフェンスがあって門扉も閉まっていて、
中に入ることはできません。

      20191024岩下小学校12


民間会社が太陽光発電の実験か、もしくは測定等で校庭を使用しているようですが
この日は平日だけど、誰もいない。

ひょっとしたら、今はもう使われていない研究施設なのかもしれませんね。
いずれにしても、山奥の無人の建物。
怪しまれても嫌なので、早々に撤収いたしました。






2019/12/11 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................円野小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


中田小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立円野小学校。


円野小学校の沿革も事前にネットでは調べる事は出来ませんでしたが
現地に建てられていた閉校記念碑によれば..............

明治6年      第一大学区第四十三番中学区第七十番公立小学円井学校として設置される。
明治8年      円野村設立により円野小学校と改称する。
明治9年      校舎を下円井区大字下河原に新築し移転する。
明治20年     円野尋常小学校と改称する。
明治33年     円野尋常高等小学校と改称する。
明治40年     釜無川が未曾有の洪水により校舎流失。
明治41年     現在地に校舎を新設し移転。
昭和22年     学制改革により円野村立円野小学校と改称する。
昭和29年     韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、                          旭村、中田村、穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
         韮崎市立円野小学校と改称する。
昭和53年     円野小学校、清哲小学校、神山小学校が統合して、
         新たに韮崎市立北西小学校が開校。
         円野小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。




ふぇんすの奥にあるのはかつての門柱。

      20191024円野小学校01

でも、この場所が正門跡だったようではなさそうで
後から、この場所に移設されたようです。



石造りの古い門柱。

      20191024円野小学校02



表札は文字がカスれたのか?
はたまた消されたのか?
校名は残っていない。

      20191024円野小学校03



こちらも廃校後、校舎はかいたいされ、現在は更地状態。

      20191024円野小学校04



グランドとして利用されているのか?
雑草がないと言うことは、それなりに管理されているようです。

      20191024円野小学校05



そのグランド(?)の一部に、それっぽい場所がある。

      20191024円野小学校06



近づいてみると、碑がありますね。

      20191024円野小学校07




円野小学校之記念碑

      20191024円野小学校10

いわゆる廃校記念碑ですね。(学校跡碑の方が正解かも?)



嬉しいことに、裏面には沿革が刻まれています。

      20191024円野小学校11



こちらは、二宮像。

      20191024円野小学校08



      20191024円野小学校09




タイムカプセルと記された小さな碑。

      20191024円野小学校12

この下に埋められているんでしょうね。



こちらは元標と記されている。

      20191024円野小学校13




よくみると、夜間照明施設も完備されている。

      20191024円野小学校14

やっぱり、グランドとし利用されているようですね。
ちょっぴり荒れ気味に見えるのは、今年の大きな台風のせいでしょうか?




誰もいないグランドを びいすけ は気ままに徘徊。

      20191024円野小学校15

それを見守る もっちゃん 。



近くにあまり民家は無いから、犬の散歩コースでは無いようだけど
匂いが気になる びいすけ 。

      20191024円野小学校17

野生の動物でも出てくるんでしょうか?





先ほどの門柱の脇には、土に埋もれかけたローラー。

      20191024円野小学校16

赤茶色に錆び付いているのが、古さを物語る。

一体、いつからこの場所で野ざらしになっていたんだろう...................



2019/12/10 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................韮崎小学校祖母石分校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


清哲小学校をあとにして、向かった先は.............韮崎市立韮崎小学校祖母石分校。


『祖母石』と書いて『うばいし』と読むそうです。

祖母石分校は、

昭和22年      城前寺を仮教室にし、韮崎町立韮崎小学校祖母石分校を開校。
昭和24年      新校舎完成。現在地へ移転する。
昭和29年      韮崎町、穂坂村、藤井村、清哲村、神山村、大草村、竜岡村、旭村、中田村、
          穴山村、円野村が合併して韮崎市が発足。
          韮崎市立韮崎小学校祖母石分校と改称する。
昭和34年      台風7号の襲来により校舎流出。
昭和35年      再建新築工事が完成。
昭和38年      本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。

祖母石分校そのものの情報が乏しく、その場所さえ分かりませんでした。
いつものように、『祖母石』と言う地名を頼りに
祖母石公民館にあたりを付け、とりあえず向かって見ます。


こちらが、祖母石公民館。

      20191024祖母石分校01

学校跡らしき雰囲気は感じられるけれど確証は無い。
門柱や、二宮像、廃校記念碑、学校跡碑と言ったモノがあれば良いんですが
そういった類のものは一切ありません。


公民館の敷地でお弁当を広げていた御老人がいたので、訊いて見たら
『地元の人間ではないので分からない』と言われちゃいました。

      20191024祖母石分校02

確かに、地元民じゃ無いと分からない。


そうしているうちに軽トラックが一台入ってきて、
御老人が隣の家の中に入っていった。
すぐさま追いかけてその御老人に尋ねてみると
この場所が祖母石分校跡で間違い無いとの事でした。


分校跡地を探し出したけれど
残念ながら学校遺構が全く残っていない。


おそらく校庭跡と思われる広場。

      20191024祖母石分校03


      20191024祖母石分校04



旧道沿いのフェンスに沿って立ち並ぶ桜の木が
唯一の分校の面影を残しているようです。

      20191024祖母石分校05


      20191024祖母石分校06



敷地にある遊具類は先ほどの御老人の話では、
分校時代の遊具では無いそうです。

      20191024祖母石分校07



確かに廃校から既に56年。
半世紀以上が経っていますからね。

      20191024祖母石分校08


小学校の分校の規模ではちょっと大きすぎる気もするが
ひょっとしたら分校時代の朝礼台?

      20191024祖母石分校09


そんな淡い期待を抱いたりして..............
おそらく、地元の御年配の方しか記憶の中にない祖母石分校。
あと数年もしたら、そんな分校の存在さえも
忘れ去られてしまうのかもしれませんね.............。







2019/12/09 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................清哲小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡ります。


若宮八幡宮をあとにして、向かった先は.............韮崎市立清哲小学校


清哲小学校の詳しい沿革も不明です。
昭和53年に清哲小学校、円野小学校、神山小学校の3校が統合して
新たに韮崎市立北西小学校が開校して
清哲小学校は廃校となりました。

いずれにしても他の小学校同様、
明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。

ちなみに校名の『清哲』とは、明治7年に発足した清哲村から由来します。
水上村・青木村・折居村・樋口村が合併して清哲村となりました。
水上村の『氵』、青木村の『青』、折井村の『折』、樋口村の『口』
それぞれの村の漢字を部主として組み合わせた『清哲』という造語が
村名になったそうです。。




廃校後、校舎は解体されて、
跡地は清哲会館と言う地域の公民館になっています。


清哲会館入口。

      20191024清哲小学校01



この辺りが正門跡になるんでしょうか?
残念ながら門柱は残されていない。

      20191024清哲小学校02



正門跡の脇、フェンス沿いに清哲小学校関連の碑が建ち並ぶ。


こちらは、創立百周年記念碑。

      20191024清哲小学校05

今まで巡ってきた他の廃校同様で、韮崎市の創立百周年記念碑は、ほぼ形が共通。


裏面には沿革らしきモノが刻まれているようですが
正直言って、読めない。

      20191024清哲小学校06



こちらは、閉校記念碑。

      20191024清哲小学校07




こちらは、『郷土愛』と刻まれた碑。

      20191024清哲小学校08



広い敷地の一角に建つ清哲会館。

      20191024清哲小学校03



清哲小学校の校舎も、こんな感じで建っていたのだろうか?

      20191024清哲小学校04



校庭の端のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024清哲小学校09



この風景は学校跡を十分に感じさせてくれる。

      20191024清哲小学校10



だれも居ない校庭跡で戯れる もっちゃん と びいすけ 。

      20191024清哲小学校11


      20191024清哲小学校12


      20191024清哲小学校13


ヒソヒソと内緒話?
『お父さんがオヤツくれるよ!』なんて言ったのでしょうか?

      20191024清哲小学校14


一目散にダッシュで、こちらに向かって来ます(笑)。

      20191024清哲小学校15



ネコでも見かけたのか?
やたらと周りを気にする びいすけ。

      20191024清哲小学校16



とにかく、この辺りが気になるようです。

      20191024清哲小学校17



ちょっと先には忠魂碑。

      20191024清哲小学校18

やっぱり、古き歴史のある小学校だったようです。


ここまて、巡ってきた4つの廃校。
いずれも詳しい沿革が分からず残念と言えば残念です。




2019/12/08 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................神山小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、山梨県に出かけました、

山梨県と言っても広い。
今回は、韮崎市を中心に北杜市の一部にも立ち寄ってきました。

南宮大神社をあとにして、向かって先は...............韮崎市立神山小学校。


神山小学校の詳しい沿革も不明です。

おそらく明治期に創設された歴史ある小学校だと思われます。
昭和53年に神山小学校、円野小学校、清哲小学校が統合され、
新たに韮崎市立韮崎北西小学校が開校して、
神山小学校は廃校となりました。


こちらが神山小学校の正門跡。

      20191024神山小学校01

石造りの門柱が神山小学校の歴史を感じさせます。


正門脇の掲示板。

      20191024神山小学校02



廃校から既に41年。校舎は解体されています。
体育館は地域の体育館として残されたのでしょうか?

      20191024神山小学校03


しかしながら、昭和40年代とか50年代に建てられた体育館って
かまぼこ屋根に建物が多いけど、こちらは立派な直方体。

ひょっとしたら、校舎跡に建てられたのかもしれない。



びいすけ の立っている辺りのアスファルトの敷地は
神山小学校の校地であるけれど、現在は武田の里駐車場。

      20191024神山小学校04

すぐ近くには武田八幡宮もあって、この辺りは武田氏発祥の地でもあるらしい。



駐車場の一角に建つ、神山小学校の校歌の碑。

      20191024神山小学校05



裏面に沿革が刻まれていないかと期待したけれど
裏面にも校歌が刻まれている。

校歌の碑の脇に建つのは、経緯度の標柱。

      20191024神山小学校06



体育館の正面玄関。

      20191024神山小学校07

何となくお洒落な感じのする玄関。



玄関の向かい、正門脇の茂みの奥に
隠れるように建つ記念碑。

      20191024神山小学校09

創立百周年の記念碑。
龍岡小学校、大草小学校でも同じような流線型の石碑で
ひょっとしたら、その当時の韮崎市のトレンドだったのかもしれない。
いずれにしても、年季の入った百周年の記念碑。
少なくても、41年前には百周年を迎え終えていたわけだから
140年以上前の創立と言う歴史のある学校になるわけですね。

この記念碑をじっくり見たかったけれど
蜘蛛の巣が茂みにあって、近寄ることはパス。



こちらは、忠魂碑。

      20191024神山小学校08

この忠魂碑がある事自体、神山小学校の長い歴史を彷彿させる。



正門前、細い道路を挟んだ先は一段低くなり
そちらが、校庭だったようです。

      20191024神山小学校10



遊具も何も残されてはいないけれど
校庭跡の雰囲気は感じ取れる。

      20191024神山小学校11


      20191024神山小学校12


      20191024神山小学校15



誰もいない校庭跡。
気ままに闊歩する びいすけ 。

      20191024神山小学校13


      20191024神山小学校14


気ままな闊歩を満喫出来たかな?


2019/12/06 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................大草小学校 (2019年10月24日)(山梨県韮崎市) 

10月24日

この日は、1泊の山梨への旅行。
初日は韮崎市周辺を巡ります。

穂見神社をあとにして、向かった先は..............韮崎市立大草小学校。


と言いながら、穂見神社をでて、用水沿いの狭い道を走っていて、
前方から地元ナンバーの軽自動車。
運転手は御老人。
可能な限り左に寄せてやり過ごすと、その直後にトラックが来た。
どうみても離合は厳しいでしょ?

仕方ないから左にハンドルを切って、ちょっと前に出た瞬間、
左前方でガリガリって嫌な音。
思い切り左前フェンダーをガードレールに擦ってしまい
大きな傷が出来ちゃいました。

テンションが一気に下がったのは言うまでもありません。



気を取り直して、大草小学校へと向かいました。



大草小学校の詳しい沿革も分かりません。
おそらく、龍岡小学校同様、明治期に創設された学校だと思われます。
昭和58年に旧・甘利山小学校と龍岡小学校と大草小学校は統合され
新たに甘利山小学校が開校し、大草小学校は廃校となりました。



おそらく、廃校後に移設されたであろう正門。

      20191024大草小学校01



石造りの古い門柱。

      20191024大草小学校02


      20191024大草小学校03



廃校後、校舎は解体され、新たに大草公民館と甘利児童センターが建てられたようです。


こちらが、大草公民館。

      20191024大草小学校10



公民館の建物裏には、閉校記念碑。

      20191024大草小学校11


  

裏面には校歌が刻まれています。

      20191024大草小学校12



その隣には、緯度経度標。

      20191024大草小学校14


おそらく、公民館の建つ場所に校舎が建っていたんでしょうね。



公民館から一本細い道を挟んだ先には体育館。

      20191024大草小学校13

さらに50mほど先には、統合校である甘利山小学校がある。

統合校として、36年前に新たな敷地を入手して建てられたらしい。。
って言う事は、旧・甘利山小学校は別な場所に在ったってことになる。
でも、色々とネットで調べても分からないんだよなぁ。




そして、こちらが甘利児童センター。

      20191024大草小学校04


      20191024大草小学校05


      20191024大草小学校06



いずれにしても、校庭の敷地の一部に児童センターは建てられたんでしょう。
見た感じ、保育園っぽい建物にも感じてしまうのは気のせい?

      20191024大草小学校09



校庭も何となく保育園の園庭っぽく見えたりもする。

      20191024大草小学校07


      20191024大草小学校08



敷地内の遊具は往時のモノだろうか?

      20191024大草小学校15



こちらは、校庭の隅に建っていた碑。

      20191024大草小学校16

てっきり忠魂碑かと思ったら、『大草小学校創立百周年記念碑』。
そう言えば、龍岡小学校にも同じ形の創立百周年記念碑が在ったのを思い出しました。




敷地の外周のブロック塀には、平成11年に子供たちが造ったレリーフが
各学年ごとに埋め込まれています。


こちらは、1年生の作品。

      20191024大草小学校17



2年生の作品。

      20191024大草小学校18



3年生の作品。

      20191024大草小学校19



4年生の作品。

      20191024大草小学校20



5年生の作品。

      20191024大草小学校21



6年生の作品。

      20191024大草小学校22



敷地のフェンス沿いには、桜の古木。

      20191024大草小学校25

学校跡って言うのが良く分かりますね。 



大草小学校跡は南宮大神社という神社に隣接している
その境界線に設けられたコンクリートの建造物。

      20191024大草小学校23

名前を何と言うのか知らないけれど、ボールを投げて楽しむコンクリートの壁。


昭和49年の卒業生が寄贈したものでした。

      20191024大草小学校24



この時代って王・長嶋の時代ですよね。
未来の王・長嶋を夢見て、この壁にボールを投げていた少年も
今はどうしているんだろうか.....................?


2019/12/05 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................箱田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

金剛寺をあとにして、向かった先は.............笠間市立箱田小学校。


箱田小学校は、

明治6年      石井村と箱田村の共同で石井校として開校する。
明治22年     町村制か実施され、八ヶ村をもって北山内村を編成。
          北山内村尋常小学校として発足。
明治42年     現在地に北山内第一尋常小学校として創立。
昭和22年     学制改革により北山内村立第一小学校と改称する。
昭和30年     北山内村が笠間町・大池田村・南山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立箱田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立箱田小学校と改称する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、箱田小学校の正門。

      20191007箱田小学校01


石造りの古い門柱。

      20191007箱田小学校02



表札は平成8年度の卒業生の寄贈品。

      20191007箱田小学校03

卒業生の寄贈品だから、廃校になったからと言って
無下に扱えませんから、このまま掲げられるんでしょうね。



こちらは、校舎脇の校門。

      20191007箱田小学校04

通用門として使われていたのか?



こちらも石造りの門柱。

      20191007箱田小学校05


      20191007箱田小学校06



昭和24年に校舎の新築記念に建立されたモノのようです。

      20191007箱田小学校07



正門からの校舎。

      20191007箱田小学校08

校舎前に碑が建っています。



その碑は、校歌の碑。

      20191007箱田小学校09



第28回卒業記念に建てられたモノですね。

      20191007箱田小学校27



玄関には、凝った表札?
それともモニュメント?

      20191007箱田小学校28



玄関庇には校章。

      20191007箱田小学校21



正門脇には、閉校記念碑。

      20191007箱田小学校10

裏面には沿革も刻まれていて、参考になりました。



その隣には、校訓の碑。

      20191007箱田小学校29




さらに、その奥には二宮像。


      20191007箱田小学校11


      20191007箱田小学校12






こちらが校舎。

      20191007箱田小学校13


 
別アングルからの校舎。

      20191007箱田小学校14


      20191007箱田小学校15


      20191007箱田小学校16


      20191007箱田小学校17




校舎とシンボルツリー。

      20191007箱田小学校18



校舎全景。

      20191007箱田小学校19



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20191007箱田小学校20



校庭。

      20191007箱田小学校22


  

残念ながら、校庭には遊具類は残っていない。

      20191007箱田小学校23




朝礼台。

      20191007箱田小学校24




水飲み場。

      20191007箱田小学校25



なぜか、校庭に土俵がある。

      20191007箱田小学校26






こちらが、体育館。

      20191007箱田小学校31



体育館の脇に建つ碑。

      20191007箱田小学校30

『男の友情』の歌碑。

笠間市で生まれた作詞家・高野公男の功績を称えた碑。
作曲家・船村徹とのコンビで名曲を作ったらしい。
確か、『男の友情』の碑って、栃木県の『道の駅しおや』にも在ったような気がする。




そして、場違いな獣の捕獲用の檻。

      20191007箱田小学校32

ここに猪でも来るのだろうか。


傍らには、捕獲用の檻が数基置かれている。

      20191007箱田小学校33


笠間市も野生動物による農作物の被害が多いのだろうか?
数年前まで学校だった場所に、捕獲用の檻が置かれるなんて............

ちょっぴり、いや、かなり衝撃的でした。


2019/11/23 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................寺崎小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

大渕天神社をあとにして、向かった先は..............笠間市立寺崎小学校。


寺崎小学校は

明治31年     北山内尋常小学校寺崎分校として開校する。
明治42年     独立して北山内第二尋常小学校となる。
大正2年      北山内第二尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により北山内村立第二小学校と改称する。
昭和30年     北山内村が笠間町・大池田村・南山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立寺崎小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立寺崎小学校と改称する。
昭和51年     高田小学校と統合して、新たに左城小学校が開校する。
          寺崎小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



昭和51年に廃校となった寺崎小学校。
跡地は寺崎保育園として活用されていたけれど
その保育園も廃園となったと、以前ネットで調べたら
そんな事が書かれていたような気がしました。
(違っていたら、ごめんなさい。)




こちらが正門跡。

      20191007寺崎小学校08

石造りの門柱が歴史を物語ります。




門扉越しに中を覗いてみます。




校庭奥の桜の木が学校跡地を彷彿させてくれます。

      20191007寺崎小学校11



平屋建ての建物は保育園っぽい。

      20191007寺崎小学校12



校庭に残る遊具類。

      20191007寺崎小学校13



黄色と青(水色)、そして赤。
いかにも小学校の遊具っぽい。

      20191007寺崎小学校14



校庭にて。

      20191007寺崎小学校15


      20191007寺崎小学校16





道路は挟んで向かいの台地。

      20191007寺崎小学校09


何やら石碑らしきモノが見える。

      20191007寺崎小学校10





気になるから移動してみましょう



道路の向こうの台地の削平地。
そこは、寺崎公民館でした。

      20191007寺崎小学校04


      20191007寺崎小学校05



先程の碑は.................?

      20191007寺崎小学校01



在りました!!

      20191007寺崎小学校02



見てビックリ!

何と、『寺崎小学校跡』の碑でした。

      20191007寺崎小学校03



あれ!?

ってことは、こっちが寺崎小学校だったの?



この桜の木を見れば、確かに学校跡地って感じがする。

      20191007寺崎小学校06



碑文をよく見ると、昭和42年に運動場拡張工事完成とある。
っていうことは、こっちが拡張された運動場だったのかもしれない。



碑の前で改めて、道路の向こうの門柱を眺めてみる。

      20191007寺崎小学校07


やっぱり、あっちに校舎があったんだろうねぇ。




2019/11/22 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................佐城小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

飯田ダムをあとにして、向かった先は............笠間市立佐城小学校。


左城小学校は、
その前身は、明治31年に開校した寺崎小学校と
明治6年に開校した高田小学校とされています。

昭和51年     寺崎小学校と高田小学校が統合して新たに左城小学校が開校する。
平成27年     笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、沿革となっています。



県道沿いに建つ正門。

      20191007佐城小学校01



残念ながら、表札は既に外されている。      

      20191007佐城小学校03



昭和52年建立の門柱。

      20191007佐城小学校04

開校の翌年に建てられたんですね。


廃校後、敷地は公立幼稚園となりましたが
近年、民間の幼稚園になったようです。



門柱脇には、閉校記念碑。

      20191007佐城小学校05

沿革も刻まれています。



裏面には、こんな碑文。

      20191007佐城小学校10

確かに、この場所に佐城小学校が在りました。



その隣には碑が並ぶ。

『さしろっ穂』の碑。

      20191007佐城小学校06


校歌の碑。

      20191007佐城小学校07



全国花いっぱいコンクールの入賞記念の碑。

      20191007佐城小学校08



校訓の碑。

      20191007佐城小学校09



こちらが敷地内の建物。
幼稚園の建物です。

      20191007佐城小学校11


こちらが体育館。

      20191007佐城小学校12



幼稚園の前のブロンズ像。

      20191007佐城小学校13

幼稚園には似合わない。
左城小学校時代のモノでしょう。



体育館前にもブロンズ像。

      20191007佐城小学校14



校庭。

      20191007佐城小学校15



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191007佐城小学校16



このひは、シルバーの方々が草刈りをしていました。

      20191007佐城小学校17

じっくりと敷地内を見て行きたかったんだけど
流石に平日の幼稚園の敷地内。
犬連れの怪しそう(?)なおじさんがウロウロしていると
パトカーが赤橙回して来ちゃいそうだから.................

早々に撤収いたしました。



2019/11/21 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................高田小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
朝早くから、笠間市内の廃校を巡っています。

笠間市の廃校巡り、その第5弾は..............笠間市立高田小学校。


高田小学校の情報は乏しく、当初は沿革もわかりませんでした。
笠間小学校のHPに統廃合された各校の流れが記載されていたの参考になりなした。


明治6年     瑞穂小学校として開校。
明治13年     福田小学校となる。
明治17年     初等福田小学校となる。
明治19年     大橋尋常小学校福田分教場となる。
明治34年     大池田第三尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立大池田第三小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
          笠間町立高田小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。
          笠間市立高田小学校と改称する。
昭和51年     寺崎小学校と統合して、新たに笠間市立左城小学校が開校する。
          高田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


とは言え、情報が乏しいので、その場所すらわからず、
いつものように、それらしき場所にあたりを付けて訪れてみます。

      20191007高田小学校01

今回は、高田公民館にあたりをつけてみました。


遠目からでも見た感じ、学校跡っぽく見える。

      20191007高田小学校05



この雰囲気は、学校跡っぽい。

      20191007高田小学校02




門柱が残っていれば、確定なんだけど..............

      20191007高田小学校04

置かれていたのは、『作業中』の看板とカラーコーン。



ざっとみて、学校遺構は残されてはいないようです。

      20191007高田小学校03



こちらが、公民館の建物。

      20191007高田小学校06

公民館の裏手が地域のゴミ捨て場になっていて
たまたまゴミ捨てに来た中年女性に訊いてみたら高田小学校の跡ということです。
ただし、他の場所から嫁に来た方のようで、高田小学校のことは知らず無いけれど
御主人が高田小学校の卒業生だったそうです。



廃校後、校舎は解体され公民館が建ち
その後、敷地も造成されて運動場(グランド)が造られたようです。



元々の校地は駐車場になってしまったのでしょうか?

      20191007高田小学校07


      20191007高田小学校08


      20191007高田小学校09



せめて、記念碑が残っていれば.............


公民館の前の古い桜の木が、学校跡を彷彿させてくれるだけ。

      20191007高田小学校10



こちらが、高田運動公園。

      20191007高田小学校11


      20191007高田小学校12


      20191007高田小学校13



そして高田公民館の隣には、例の消防倉庫。

      20191007高田小学校14

やっぱり、犬の顔............
いや、ペンギンの顔に見えなくもないな(笑)。



2019/11/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................大橋小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


東小学校をあとにして、向かった先は..............笠間市立大橋小学校。


大橋小学校は、

明治6年      吉田神社拝殿を仮校舎にして處仁小学校として開校する。
          その後、大橋小学校と称する。
明治15年      権現台に校舎を建設移転。
          西茨城郡第一学区大橋小学校と称する。
明治17年      中等大橋小学校と称する。
明治19年      大橋尋常小学校と改称する。
明治22年      大橋村が池野辺村・福田村・飯田村が合併し大池田村が発足。
           大池田尋常小学校と改称する。
明治34年      池野辺分校、飯田分校が独立。
           大池田第一尋常小学校と改称する。
明治44年       現在地に校地移転。
明治45年       高等科を設置し、大池田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年       学制改革により、大池田村立第一小学校と改称する。
昭和30年       大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
           笠間町立大橋小学校と改称する。
昭和33年       笠間町が市制施行で笠間市となる。
           笠間市立大橋小学校と改称する。
昭和58年       池野辺小学校と統合し、新たに笠間市立東小学校が誕生。
           大橋小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、大橋小学校の正門。

      20191007大橋小学校01

正門奥に見えるには消防倉庫。


こちらが、大橋小学校の校舎。

      20191007大橋小学校02

昭和58年の廃校だから、もう既に36年が経っているが
校舎は解体される事なく、その姿を残している。


別アングルからの校舎。

      20191007大橋小学校03


      20191007大橋小学校04


廃校後、敷地は大橋公民館として利用され
校舎も公民館として活用されている。

      20191007大橋小学校05




      20191007大橋小学校06



校舎の2階の庇に掲げられている校章。

      20191007大橋小学校07



校庭。

      20191007大橋小学校08



芝生は綺麗に刈り上げられ、
ゲートボール場としても利用されているようです。

      20191007大橋小学校09



その校庭の一角に碑が並ぶ。

      20191007大橋小学校10



こちらが、『笠間市立大橋小学校跡』碑。

      20191007大橋小学校11

前面には、校歌の板碑も置かれている。
裏面には沿革も刻まれています。
大変参考になりました。




創立百周年の記念碑。

      20191007大橋小学校12

『彰往考来』(しょうおうこうらい)。

過去をあきらかにして未来を考えるという意味です。



こちらは卒業製作のモニュメント。

      20191007大橋小学校13

昭和50年度の卒業生の作品のようです。



違う年度のモノもありました。

      20191007大橋小学校14



廃校には定番の消防倉庫。

      20191007大橋小学校15

やっぱり犬の顔に見えちゃうんだけどなぁ(笑)。



2019/11/19 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................東小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、笠間市に出かけました。

池野辺小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立東小学校。

東小学校は、明治6年に創立された大橋小学校と
明治8年に創立された池野辺小学校がその前身になります。

昭和58年大橋小学校・池野辺小学校を統合して笠間市立東小学校として開校する。
平成27年笠間小学校に統合されて廃校となる。

と、簡単ながらこのような沿革となっています。


こちらが東小学校の正門。

      20191007東小学校01



立派な門柱には、東小学校の表札。

      20191007東小学校02



反対側(向かって左側)には、校章が掲げられていました。

      20191007東小学校03



この門は、創立五周年の記念として、
昭和62年に建立されたモノのようです。

      20191007東小学校34



正門脇に脇から敷地内に入ります。



鉄筋コンクリート3階建の校舎。

      20191007東小学校04



校庭からの校舎。 

      20191007東小学校05



校舎全景。

      20191007東小学校06



別アングルからの校舎。

      20191007東小学校07


      20191007東小学校08



校舎玄関。

      20191007東小学校09



玄関の庇に掲げられた校章。

      20191007東小学校10



国旗掲揚ポール。

      20191007東小学校11



こちらは、体育館。

      20191007東小学校12



校庭に残る遊具類。

      20191007東小学校13


      20191007東小学校14


      20191007東小学校16


      20191007東小学校17


      20191007東小学校18


      20191007東小学校19


      20191007東小学校20


      20191007東小学校21


      20191007東小学校22



校庭隅の築山。

      20191007東小学校23


      20191007東小学校24




なぜか、校内に土俵もある。

      20191007東小学校25




校庭の隅、でも正門からすぐ目に入る場所には
東小学校閉校記念碑。

      20191007東小学校26

表面には沿革が刻まれている。


そして、裏面には校歌が刻まれている。

      20191007東小学校27



その脇には、校訓の碑が並ぶ。

      20191007東小学校28



校庭は、雑草も少なく、砂が多くて走りやすそう。

      20191007東小学校29



なんて思っていたら、突然走り出した びいすけ 。

      20191007東小学校30


考えることは同じか?

      20191007東小学校31


暫し、簡易ドッグラン。

      20191007東小学校32


気持ち良さそうに走って、こちらに戻ってくる びいすけ 。

      20191007東小学校33

東小学校を堪能してくれたかな?





2019/11/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................池野辺小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

来栖小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立池野辺小学校。


池野辺小学校は、

明治8年     杉崎小学校池野辺分教場として創設され、
         後に独立して池野辺小学校となる。
明治17年     大橋小学校池野辺分校となる。
明治18年     初等池野辺小学校となる。
明治20年     大橋小学校に統合される。
明治25年     大池田尋常小学校池野辺分校となる。
明治34年     大池田第二尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により、大池田村立第二小学校と改称する。
昭和30年     大池田村が笠間町・南山内村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
         笠間町立池野辺小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立池野辺小学校と改称する。
昭和58年     大橋小学校と統合した新たに笠間市立東小学校が誕生。
         池野辺小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが池野辺小学校の正門。

      20191007池野辺小学校01



石造りの門柱の正門。

      20191007池野辺小学校02

残念ながら池野辺小学校の表札は既に無い。



廃校後校舎は解体されて、敷地は池野辺公民館として利用されています。

      20191007池野辺小学校03



学校跡地を意識して建てたのか?
公民館の建物も校舎っぽく見えなくも無い。

      20191007池野辺小学校04


      20191007池野辺小学校05



校庭跡。

      20191007池野辺小学校06



残念ながら、遊具類も無い。

      20191007池野辺小学校07



実際はそんなに広くはないけれど
何も無い分だけ、広く感じてしまう。

      20191007池野辺小学校14



唯一、遊具と言えるのが地面に埋められた古タイヤ。

       20191007池野辺小学校09

小学校の校庭には定番なモノ。



正門脇に建つ、『池野辺小学校跡』の碑。

      20191007池野辺小学校08

碑には沿革が刻まれていて、大変参考になりました。



校庭の水飲み場跡。

      20191007池野辺小学校10

蛇口も取り外されています。



校庭のフェンス沿いには桜の木々。

      20191007池野辺小学校11



春には綺麗な花を咲かせる事でしょう。

      20191007池野辺小学校12



廃校から既に36年。

      20191007池野辺小学校13

毎年色付くこの銀杏の木も、
きっと今年も黄色い風景を醸し出すのでしょう。





2019/11/18 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................来栖小学校 (2019年10月7日)(茨城県東笠間市) 

10月7日

この日は、笠間市に出かけました。

訪れたのは...................笠間市立来栖小学校。



来栖小学校の詳しい沿革は分かりません。
昭和55年に開校した笠間市立南小学校のHPによれば
明治8年5月17日創立と言うことです。
また、笠間小学校のHPには、
各校が笠間小学校に統合されていくまでの
各校の変遷が記載されていましたので
そちらを参考にすると.............


明治8年      来栖小学校開校。
明治12年     連合・来栖小学校(飯合、下稲田地区と連合)となる。
明治18年     来栖小学校となる。
明治19年     北吉原尋常小学校分教場となる。
明治22年     南山内尋常小学校分教場となる。
明治25年     来栖尋常小学校となる。
昭和22年     学制改革により南山内村立南山内小学校来栖分校と改称する。
昭和30年     南山内村が笠間町・大池田村・北山内村と合併し、改めて笠間町が発足。
         笠間町立来栖小学校となる。
昭和33年     笠間町が市制施行で笠間市となる。笠間市立来栖小学校と改称する。
昭和57年     南小学校、笠間小学校に分割されて廃校となる。

と、このような沿革となるようです。


廃校後、敷地は来栖公民館として利用されているようです。



来栖小学校時代の正門。

      20191007来栖小学校01

石造りの門柱が建っています。


現在は公民館の表札が掲げられています。

      20191007来栖小学校02


見づらいと言うか、ピントがボケていて読めませんが
大正12年に建立されたモノのようです。

      20191007来栖小学校03



校舎はとっくに解体されて、
跡地には公民館の建物と消防倉庫が建てられています。

      20191007来栖小学校04


残念ながら、遊具類はない。

      20191007来栖小学校05


      20191007来栖小学校06


      20191007来栖小学校07


      20191007来栖小学校08



おそらく、公民館と建物が建っている辺りに校舎が建っていたのでしょうね。

      20191007来栖小学校09



敷地の一角に建つ校歌の碑。

      20191007来栖小学校10

しかし、ピンぼけで碑文が読めない(判読出来ない)。



創立百周年で建てられたモノのようです。

      20191007来栖小学校11


消防倉庫の裏手に、石碑っぽいのがあるけれど
かつての中庭の石か何かだろうか?

      20191007来栖小学校13



こちらが消防倉庫。

      20191007来栖小学校12

廃校には定番と言うか、
学校跡地には消防倉庫や防災倉庫が置かれているのが多い。


この消防倉庫、 犬の顔のように見えてしまったのは気のせいでしょうか.........?




2019/11/18 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................圷小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。


那珂西城址をあとにして、向かった先は.............城里町立圷小学校


圷小学校の詳しい沿革は不明ですが、圷小学校の学区は
平成17年に城里町が誕生する以前は、旧・桂村でした。
その旧・桂村域を学区とする岩船小学校、圷小学校、北方小学校の3校が
平成23年に統合して城里町立桂小学校が誕生して
圷小学校は廃校となりました。

廃校後、跡地の再利用を色々と検討した結果、特別養護老人ホームとして
利用されることとなり、平成31年に特別養護施設が開設されました。

通常、他の施設に流用される際は、校舎をリノベーションするなりして
開設されることが多いけれど、こちらは、校庭跡に立派な施設を建設したようです。



圷小学校時代の校門。

      20191002圷小学校01



この場所に門が在ったのかは判らないけれど、石造りの門柱。

      20191002圷小学校02

背後の建物が新しく建てられた特養施設。



その全容。

      20191002圷小学校03


      20191002圷小学校04


      20191002圷小学校05



この一画にも門柱が置かれています。

      20191002圷小学校06



表札が残っているから、正門に使われていた門柱でしょう。

      20191002圷小学校07


昭和48年に、創立百周年の記念に建立されたモノのようです。

      20191002圷小学校08

と言うことは、明治6年に創設された歴史のある学校だったんですね。



敷地の片隅、雑草に隠れるように置かれた二宮像。

      20191002圷小学校09


      20191002圷小学校10




こちらは、圷小学校の校舎。

      20191002圷小学校11


立派な特養施設の建物奥に隠れるように残っていました。

      20191002圷小学校12

先ずは、取り壊されずに済んで良かった。



校舎の前の芝生で戯れる びいすけ 。

      20191002圷小学校13



校舎玄関。

      20191002圷小学校14



どうやら、校舎は茨城県埋蔵文化財センター収蔵庫として利用されているようです。

      20191002圷小学校15

それで解体されなかったようですね。



『希望』と記された台座。

      20191002圷小学校16

おそらくブロンズ像が建っていたのだと思うんだけど...................



こちらは、オブジェのようです。

      20191002圷小学校17

横に転がっている球体は、碑の上部のくぼみに乗っていたのでしょうか?




こちらは、体育館。

      20191002圷小学校18



フェンスに描かれた子供たちの絵。

      20191002圷小学校19

卒業制作のひとつでしょう。



雑草に埋もれかけている校訓の碑。

      20191002圷小学校20

『強く 正しく 美しく』
遠い昔に忘れ去ってしまった言葉のようで
今の私には禁句だったりして.....................(笑)





2019/11/13 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小松小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

小松寺をあとにして、向かった先は...............城里町立小松小学校。


小松小学校は、

明治6年      小松寺に参天小学校を開設する。
明治22年      石塚尋常小学校より分離し、小松尋常小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、小松村立小松小学校と改称する。
昭和30年      小松村が石塚村、西郷村と合併して常北町が誕生。
          常北町立小松小学校と改称する。
平成17年      常北町が七会村、桂村と合併して城里町が誕生。
          城里町立小松小学校と改称する。
平成23年      青山小学校、古内小学校と統合して常北小学校が開校。
          小松小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道に面した校門。

      20191002小松小学校01



石造りのごっつい門柱。

      20191002小松小学校02



その門柱には表札も健在。

      20191002小松小学校03



どうやら、昭和59年に建立されたモノのようです。

      20191002小松小学校04



この門の先にも、もう一つ石造りの門がありました。

      20191002小松小学校05



敷地内に入ります。



校舎。

      20191002小松小学校06



別アングルから。

      20191002小松小学校07


      20191002小松小学校08



      20191002小松小学校10



校舎前の中庭(?)には、碑や像が並ぶ。


二宮像。

      20191002小松小学校11


      20191002小松小学校12



シンプルな碑文。

      20191002小松小学校13

こう言う表現って好きだなぁ。



校歌の碑。

      20191002小松小学校14


ブロンズ像。

      20191002小松小学校15



経緯度標。

      20191002小松小学校16


頌徳碑。

      20191002小松小学校17



こちらは、体育館。

      20191002小松小学校09


      20191002小松小学校18




校庭。

      20191002小松小学校19


      20191002小松小学校20


      20191002小松小学校21



校庭に残る遊具類。

      20191002小松小学校22


      20191002小松小学校23


      20191002小松小学校24


      20191002小松小学校25


      20191002小松小学校26


      20191002小松小学校27


      20191002小松小学校28



校庭の隅には。子供たちの卒業製作品。

      20191002小松小学校29


      20191002小松小学校30




校庭の一角は、わくわくランド。

      20191002小松小学校31



池があって、植物や水生生物を観察できたんんですね。

      20191002小松小学校32


さすが、明治初期に開校した伝統のある小学校。
二宮像もあったし、学校跡碑もあって、見所のあった小学校でした。





2019/11/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................古内小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

上古内鹿島神社をあとにして、
向かった先は........城里町立古内小学校。


古内小学校の詳しい沿革は分かりませんが
校内に残っていた創立百周年の記念碑の碑文によれば
明治8年、時沢に太古山尋常小学校として開校したようです。

平成23年に青山小学校、小松小学校と統合して常北小学校が開校し、
古内小学校は廃校となる。

と、言った簡略な沿革となってしまいます。


こちらが正門。

      20191002古内小学校01



石造りの門柱。

      20191002古内小学校02


昭和19年に建立されたモノのようです。

      20191002古内小学校19



校舎。

      20191002古内小学校03



校舎全景。

      20191002古内小学校04


      20191002古内小学校05



別アングルから。

      20191002古内小学校06


      20191002古内小学校07



こちらは、体育館。

      20191002古内小学校08



そして、こちらが校庭。

      20191002古内小学校09



校庭に残る遊具類。

      20191002古内小学校10


      20191002古内小学校11


      20191002古内小学校12



朝礼台。

      20191002古内小学校13



ちょうど体育館前の校庭の隅に台座もなく直接地面に置かれた像。

      20191002古内小学校14

なんとなく二宮像に見えなくもないが
ちょっと違う気がする。


でも背中に背負子があるんだよなぁ。

      20191002古内小学校15



校舎前には『大志』と言うタイトルの像。

      20191002古内小学校16



校歌の碑。

      20191002古内小学校17



こちらは『美しい心』の碑。

      20191002古内小学校18

創立百周年の記念碑です。


この碑の裏面の碑文に創立時期が記されていました。
136年と言う歴史を誇った古内小学校。
その歴史もいずれ忘れ去られてしまうんでしょうか.........?








2019/11/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小勝小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りに出かけました。

向かった先は..............旧・七会村立 小勝小学校。


平成2年に廃校となった小勝小学校を探すのに苦労しました。
結局、分からないので、地元の商店のおばちゃんに訊いて辿り着けることが出来ました。

小勝小学校の詳しい沿革は不明です。
従って創設時期等も不明ですが、明治期にこの辺りは小勝村と称していて
明治22年に近隣の七つの村が合併して七会村となりました。
その辺りを考慮すれば、おそらく明治期に創設された学校ではなかろうかと推測されます。

しかしながら、平成2年に小塩小学校と統合して新たに七会村立東小学校が発足すると
小勝小学校は廃校となりました。


こちらが、小勝小学校跡。

      20191002小勝小学校01




何やら、高台の上に立派な建物がありますが
これは校舎じゃありません。

      20191002小勝小学校02


先程この場所を教えていただいたおばちゃんの話では
校舎は解体されて、その跡地に診療所が建てられたそうです。



そうです。
こちらは、国保診療所と言う医療施設となっていたようです。

      20191002小勝小学校03



しかしながら、ネットで『城里町国保診療所』でググってみると
どうやら、国保診療所も同じ小勝地区に新しく立派なモノが出来たようで
こちらは、いわゆる廃病院と言った状況でしょうか..................?

      20191002小勝小学校04



敷地内に残る『夕焼け小焼け』の碑。

      20191002小勝小学校05


学校遺構はこれ以外には残っておらず
普通の人が見たら、この場所が学校跡とは想像しづらい。

  

高台の校地に残る桜の木。

     20191002小勝小学校06



そして、眼下には削平地。

      20191002小勝小学校07

おそらく校庭だったのでしょう。


その削平地に降りてみました。

診療所の駐車場に利用されていたから、アスファルトで覆われているけれど
この桜の木は、校庭のシンボルツリーだったのでしょう。

      20191002小勝小学校08


せめて、この場所に二宮像とか廃校記念碑、
学校跡碑が残っていれば.............

そんな事を思ってしまうのは、私だけなんだろうか................?







2019/11/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit