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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第三小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

ここまで、第一小学校、第二小学校、第四小学校、第三小学校河東田分校と
何とか辿り着く事が出来ました。
表郷第五小学校は、新設統合校である表郷小学校2なったから
残すは、表郷第三小学校のみ。
場所が分からなかったんですが、
耕運機に乗っていたオジさんに教えてもらいました。


こちらが、第三小学校の正門跡。

      20180427表郷第三小学校01



フェンスの先に見えるのは、第三小学校の門柱。

      0180427表郷第三小学校02



表札もしっかり残っています。

      0180427表郷第三小学校03



裏には門柱の建立時期が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校04

昭和27年の建立のようです。


建立にあたり、寄付した方の名が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校05



門をくぐり、敷地内に入ります。
第三小学校跡地は、一部が八幡集会所。
残りは民間企業に売却されたのか? 工場が建っています。


集会所前には、創立百周年記念碑。

      0180427表郷第三小学校06

『体 徳 知』と刻まれています。



裏面には、創立百周年記念際の実行委員会の方々の名が刻まれています。

      0180427表郷第三小学校07




こちらが、八幡集会所。

      0180427表郷第三小学校08



敷地奥は、民間企業の工場。

      0180427表郷第三小学校09




集会所と工場の間には、公園のような空間。


遊具が一ヶ所にまとまっています。

      0180427表郷第三小学校13



この木は、第三小学校の時からこの場所にあるのだろう。

      0180427表郷第三小学校10




こちらの木も同じでしょう。

      0180427表郷第三小学校11



びいすけ は、草の匂いを嗅ぎまわっています。

      0180427表郷第三小学校12

      
0180427表郷第三小学校14


近所のワンちゃんの散歩コースなのか?
ちょっぴりテンションも高め。

      0180427表郷第三小学校17


      0180427表郷第三小学校18




工場の周りにも葉桜になった桜の木もチラホラ。

      0180427表郷第三小学校15


      0180427表郷第三小学校16



正直、探し出すのを諦めていた第三小学校。

何とか辿り着けて良かった。

これで、旧・表郷村の廃校となった小学校を制覇出来ました。



      
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2018/06/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第三小学校 河東田分校  (2018年4月27日)(福島県白河市 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

ここまで、第一小学校、第二小学校、第四小学校と巡って来ましたが
残る、表郷第三小学校、表郷第三小学校河東田分校、表郷第五小学校の場所が分かりません。
かくなる上は、なるべく年配の方に訊きまくる。
最初に尋ねたのがオバさん。
その方の話だと、第五小学校の跡地に統合校である表郷小学校が建てられたらしい。
となると第五小学校が現在の表郷小学校。

次に尋ねたが、耕運機を運転していたオジさん。
その方の話では、
3kmほど先のビニールハウスがいっぱいある辺りの
さらに奥まった所と言う情報を頼りに移動します。


言われた辺りを適当にグルグルと走り回り、
突如、目の前に現れた河東田分校。

      20180427表郷第三小学校河東田分校01

正門はフェンスで塞がれていました。


フェンス越しに見る河東田分校。

      20180427表郷第三小学校河東田分校02

かろうじて(?)木造プレハブ(?)の校舎は残っていました。


全面フェンスに囲まれているかと思ったら、
東側から簡単に敷地内に入れます。

      20180427表郷第三小学校河東田分校03



平屋建ての小さな校舎。
まさに分校の校舎ですね。

      20180427表郷第三小学校河東田分校04


      20180427表郷第三小学校河東田分校05


      20180427表郷第三小学校河東田分校06



門柱の裏側。

      20180427表郷第三小学校河東田分校07

画面では見にくいですが、大正




敷地の隅に建つ碑。

      20180427表郷第三小学校河東田分校09

河東田分校跡の碑ですね。



裏面には何かが刻まれています。

      20180427表郷第三小学校河東田分校08



よく見ると、校歌と分校の沿革。

      20180427表郷第三小学校河東田分校10


碑文によれば、



と言うような沿革となっているようです。



なぜか、門柱が無造作に転がっている。

      20180427表郷第三小学校河東田分校11

別な門もあったのでしょうか?



正直、見つけ出すのを半分諦めていた河東田分校。
辿り着けて良かった...............。




2018/06/16 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第四小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

そんな旧・表郷村の廃校巡り。
次なる目的地は、旧・表郷村立 表郷第四小学校です。


表郷第四小学校に関する情報も乏しく、
いつも拝見しているブログを参考に
それらしき場所を探します。
道路沿いの更地と言う情報を元に、
国道289号線を表郷金山方面へと移動します。


国道沿いに門柱を発見。

      20180427表郷第四小学校01



表札には、『表郷村立表郷第四小学校』の名が刻まれています。

      20180427表郷第四小学校02



事前情報通り、跡地は更地で何も無い。

      20180427表郷第四小学校03



敷地の一画に木が茂り、何かがあります。

      20180427表郷第四小学校04


近づいてみると、記念碑が在りました。

      20180427表郷第四小学校05



表郷第四小学校創立百周年の記念碑です。

      20180427表郷第四小学校06

表面には表郷第四小学校の校歌が刻まれています。



裏面には表郷第四小学校の沿革が刻まれています。

      20180427表郷第四小学校07

碑に刻まれた沿革によれば.........

明治12年高木小学校創設
明治17年金山尋常小学校高木分校となる
明治25年金山村高木尋常小学校となる
昭和22年金山村立高木小学校となる
昭和30年表郷村立第四小学校となる

そして、昭和55年に旧・表郷村の5つの小学校と
1つの分校が統合されて、廃校となりました。




記念碑の脇には二宮像。

      20180427表郷第四小学校08

台座は無く、地面に直接置かれています。


一応、基礎は打たれていますが、大きな地震が来たら倒れてしまいそう。

      20180427表郷第四小学校09




国道を挟んだ向かいに何かの碑が建っています。

      20180427表郷第四小学校10



近づいて確認します。

      20180427表郷第四小学校11


高木小学校運動場と記されています。

表郷第四小学校の祖である高木小学校。
明治期に創設された小学校の運動場だったようです。

おそらく、その後に国道が整備されて、
小学校の敷地を分断するような形になってしまったんでしょう。


校舎も無いけれど、門柱や記念碑、二宮像。
そしてこの運動場の碑。
これらの学校遺構がこの地に残されている限り
この小学校の卒業生は、第四小学校の事を忘れないだろう...............。




2018/06/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第二小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。

そんな白河市の旧・表郷村の廃校巡りは続きます。

表郷第一小学校をあとにして、、向かった先は.........旧・表郷村立 表郷第二小学校



表郷第二小学校の沿革も事前に調べてみましたが不明でした。
しかし、現地の記念碑に記されていた沿革によれば...........

明治7年万沢峰全院に創設。
明治10年番沢里見の常福寺に校舎移転。
明治19年番沢簡易小学校と改称。
明治20年金山小学校番沢分教室となる。
明治22年古関尋常小学校と改称。
中野・関辺に分教場を置く。
明治34年古関第一尋常小学校と改称。
大正12年高等科設置され、古関尋常高等小学校と改称。
昭和22年古関村立第一小学校と改称。
昭和30年表郷村立表郷第二小学校と改称。


昭和55年廃校となる。

と、このような沿革となっています。


表郷第二小学校の場所については、よく分かりませんでしたが
廃校マニアの先人のブログを見て、跡地か保育園になっていること、
同じ敷地内に集会所があると言う情報から特定。
何とか辿り着くことが出来ました。


こちらが、表郷第二小学校跡地。
奥に見えるのが保育園。

      20180427表郷第二小学校01

保育園の稼働している平日の午後。
怪しげな男、不審者と思われるのも嫌だから
保育園には、あまり近づかないようにしましょう。



保育園の隣は上宿集会所。

      20180427表郷第二小学校02


      20180427表郷第二小学校04



集会所の脇に何かある!

      20180427表郷第二小学校03


     

創立百周年記念碑。

      20180427表郷第二小学校05



裏面には沿革が刻まれています。

      20180427表郷第二小学校09



二宮像。

      20180427表郷第二小学校06


      20180427表郷第二小学校07



こちらは、創立百周年記念祭の実行委員の方々の名が刻まれた碑。

      20180427表郷第二小学校08


      
残念ながら門柱は残っていない。


校舎は解体され、保育園の施設と集会所が建てられ
記念碑や二宮像以外の学校遺構は無さそうです。


敷地の端に立つ木。

      20180427表郷第二小学校10


この木はきっとシンボルツリーだったんだろう。

      20180427表郷第二小学校11


これで、旧・表郷村の廃校となった小学校を二つ確認しました。
あと、4つの廃校があるわけですが、ちょっと情報が乏しい。
でも、まだまだ旧・表郷村の廃校巡りは続きますよ。







2018/06/15 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・表郷村立第一小学校   (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

1泊2日の福島旅行。
その2日目は白河市を巡ります。

白河市の表郷地区(旧・表郷村)には、
かつて5つの小学校と1つの分校が在りました。
人口の減少、過疎化、少子化と波は押し寄せ、
昭和55年に新しい小学校(表郷村立表郷小学校)に統合されてしまいました。
即ち、昭和55年に5つの小学校と1つの分校が廃校になってしまいました。


そんな旧・表郷村の廃校を巡ります。
その第1弾は.........旧・表郷村立 表郷第一小学校


表郷第一小学校の詳しい沿革は不明です。
現地にあった記念碑に刻まれた沿革によれば.........

明治9年 中野小学校開校
明治34年 古関第二小学校として独立
昭和30年 表郷村立表郷第一小学校と改称
昭和56年 統合により中野小学校の歴史を閉ず

とあります。

明治期のこの地域の沿革が不明ですが、昭和30年までは古関村。
昭和30年に古関村が金山村、社村と合併して表郷村が誕生した経緯から
明治初期に中野村(?)で創設された小学校が
昭和30年に表郷第一小学校と改称したようです。
昭和56年に歴史を閉じたとありますが、
正確には昭和55年に廃校となり、
その後1年間は表郷小学校第一分室とされていたようです。



県道沿いの、ちょっとした高台に門柱が残っています。

      20180427表郷第一小学校01


      20180427表郷第一小学校02



色褪せた表札ですが、『表郷村立表郷第一小学校』と確認出来ます。

      20180427表郷第一小学校03


校舎はとっくに解体され、広い敷地。

      20180427表郷第一小学校05


      20180427表郷第一小学校06


      20180427表郷第一小学校07


敷地の一画には、公民館。

      20180427表郷第一小学校08



その庭先(?)に、表郷第一小学校の記念碑。

      20180427表郷第一小学校09



裏面には簡略な沿革が刻まれています。

      20180427表郷第一小学校10



校舎はないけれど、校庭にそびえる木。

      20180427表郷第一小学校11

きっとシンボルツリーだったのでしょう。



校地の隣の森にそびえる木。

      20180427表郷第一小学校12


きっと子供たちは、これらの木々をバックに
校庭を走り回っていたんだろうなぁ...............。



2018/06/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校枝松分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。この日の下郷町の廃校巡りのオーラスです。


雑根分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校枝松分校。


枝松分校の詳しい沿革も不明です。
ネットで事前に調べてみても、詳しい事が分からず、
本校である江川小学校のHPによれば
明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、
本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
小沼崎は湯野上,枝松は高陦の分教室となると記載されています。
確かに明治期の枝松の歴史を紐解けば、明治22年に町村制施行により
枝松村、高陦村、白岩村が合併して二川村が発足がしたと記録にあります。

明治25年以前に存在していた、かつての枝松村の小学校が分校となったようです。

その後、大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。


昭和3年二川村村は長江村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校枝松分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校枝松分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校枝松分校と改称する。
平成17年本校に統合されて廃校となる。

   
と、このような沿革であったと思われます。





実は、枝松分校の場所も良く分かりませんでした。
先人のブログを見る限り、
①松枝集落にある
②お堂の近くにある
③神社の隣にある
と言うことをヒントに捜し当てたのが、こちら。

      20180426枝松分校01



校舎は既に解体されて、更地状態。

      20180426枝松分校02



たまたまこの日は、跡地で電気工事が行われていました。

      20180426枝松分校03



敷地のフェンス際に立つ桜の木。

      20180426枝松分校04

おそらく、分校時からある桜の木。
でも、既に葉桜状態。


廃校後、暫くは木造の校舎が残っていて
ドラマや映画のロケ地の勧誘をしていたみたいですが
現在は、解体されています。



これらの遊具(?)は、分校時の名残りでしょう。

      20180426枝松分校05


      20180426枝松分校06


      20180426枝松分校07



敷地の神社側の隅にポツンと建つ記念碑。

      20180426枝松分校08

枝松分校の校舎新築記念碑です。



ネットで調べると、江川小学校には6つの分校が在ったとされています。

江川小学校大内分校
江川小学校小沼崎分校
江川小学校高陦分校
江川小学校雑根分校
江川小学校枝松分校 と、巡る事が出来ました。

あと一つ、昭和39年に廃校となった江川小学校白岩分校。
これが、全く分からないんだよなぁ。

いつかまた、探しに来よう...............。




2018/06/10 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校雑根分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


高陦分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校雑根分校


雑根分校の詳しい沿革は不明です。

本校である江川小学校のHPにも雑根分校については記載がありません。
ただ、Wikipediaによれば平成17年に廃校となっています。

これはどういうことでしょう?


とりあえず、場所も分からないから
現地で調べることにいたしました。

湯の上温泉から山あいに数km入ったところにある雑根集落。
その集落に在る『雑根高齢者若者センター』にあたりをつけていたので
そちらを訪ねてみますが、どうも雰囲気が違うような感じ。
敷地も分校跡地のような広さが無い。

こうなったら、地元の人に訊くしかない。

でも10数軒しか民家のない小さな集落。
歩いている人が居ない。
集落から500mほど離れた畑で農作業をしていたオジさんを見つけ、
尋ねてみて、教えてもらった場所がこちら。

      20180426雑根分校01



集落の外れ。
現在は更地(と言っても草が生い茂った場所)。

      20180426雑根分校02

敷地の奥にある1本の桜の木だけじゃ、学校跡地を彷彿させるには材料が少ない。


とにかく、学校遺構が全く無い。

      20180426雑根分校03


見ての通り、何も無い。

      20180426雑根分校04


本当にここなのか?
確信が持てません。

      20180426雑根分校05


そうこうしている内に、隣の民家の犬が吠え出した。
『何事?』かと思ったのでしょうか?
民家からお婆さんがで出来たので、訊いてみたら
間違い無く、この場所に雑根(『ぞうね』と読むらしい)分校が在ったという事です。

      20180426雑根分校06

やっとの思いで、その場所には辿りつけましたが
二宮像も廃校記念碑もない荒れ果てた地。
完全にこの場所に学校が在ったことなんて、忘れ去られてしまうんだろうなぁ。




2018/06/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校高陦分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


小沼崎分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校高陦分校


高陦分校の詳細な沿革は不明ですが
本校である江川小学校のHPによれば

明治7年弥五島小学校高陦分教室として発足、明宗寺を校舎にあてる。
と記載されています。
この時が、高陦分校の歴史の始まりなんですね。

また、明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
たと記載されています。

大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。    

また、明治期の高陦の歴史を紐解けば、確かに明治22年に町村制施行により
高陦村・枝松村・白岩村が合併して、二川村が発足したと記録にあります。



昭和3年二川村は長江村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校高陦分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校高陦分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校高陦分校と改称する。
平成17年本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったと思われます。


下郷町から天栄村へと続く国道118号線。
そこからちょっと入ったところに、高陦分校があります。

門柱かと思ったら、古峯神社の社号標でした。

      20180426高陦分校01



その奥にある赤い屋根の建物。
そちらが、高陦分校になります。

      20180426高陦分校02



こちらが、高陦分校。

      20180426高陦分校03



山あいの分校らしく、敷地は余り広くはない。
その敷地に赤い屋根の校舎が残ります。

      20180426高陦分校04


      20180426高陦分校05



こちらの校庭の桜も既に散り終え、間も無く葉桜となりますね。

      20180426高陦分校06



敷地のフェンスには、動物のイラスト。

      20180426高陦分校07


      20180426高陦分校08



校庭の遊具類。

      20180426高陦分校09



見た感じ新しく見える遊具。

      20180426高陦分校10


      20180426高陦分校11

廃校から11年。
廃校直前に設置されたモノだろうか...............?



かつては、湯野上尋常小学校の本校の一つでもあった高陦分校。
過疎化と少子化の波には打ち勝てず、廃校となった小学校。

南会津の山あいの廃校は、非常に歴史のある学校でした。



2018/06/09 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校小沼崎分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


昨年、すぐ近くまで来たのに(大河ダム)、
時間が無くて探しもしなかった廃校。
廃校の宝庫である下郷町には、そんな廃校が幾つかありました。
その中の1校である下郷町立江川小学校小沼崎分校に立ち寄りました。

ネットで事前に調べてみても、小沼崎分校の詳しい沿革は分かりません。
本校である江川小学校のHPによれば
明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
小沼崎は湯野上,枝松は高陦の分教室となると記載され、
また、大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。    

また明治期の小沼崎の歴史を紐解けば、確かに明治22年に町村制施行により
弥五島村・大沢村・湯野上村・小沼崎村が合併して、長江村が発足したと記録にあります。



昭和3年長江村は二川村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校小沼崎分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和46年本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったと思われます。


現在は地域の集会所になっているらしい。



小沼崎地区の集会所と言うことで、あたりをつけて訪れますが
肝心の集会所が見つからない。
近くを車で徘徊し、農作業をしているお婆さんを見つけて尋ねます。
教えてもらった小出集会所。
こちらが小沼崎分校跡地になります。

      20180426小松崎分校01



ポツンと建つ門柱。

      20180426小松崎分校02



表札には、下郷町立江川小学校小沼崎分校 と記されています。

      20180426小松崎分校03



この門柱は、昭和3年に建立されたモノのようです。

      20180426小松崎分校04

『昭和三年九月 小出 沼尾 青年会』と記されています。



敷地にポツンと建つ赤い屋根の建物。

      20180426小松崎分校05



どうやら、廃校後に校舎は解体され、
新たに集会所として建てられたモノのようです。

      20180426小松崎分校06



分校時からあった木。

      20180426小松崎分校07

おそらく、子供たちのシンボルツリーだったんだろう。


山あいの分校の校庭。

      20180426小松崎分校08



わずかながらに残された遊具類。

      20180426小松崎分校09


      20180426小松崎分校10


      20180426小松崎分校11


      20180426小松崎分校12




校庭のサクラの木も既に葉桜となっている。

      20180426小松崎分校13



誰も居ない校庭を、匂い嗅ぎに徘徊する びいすけ 。

      20180426小松崎分校14


小沼崎分校跡地。
しっかりと、この目に焼き付けて来ました...............。



2018/06/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立南小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


偶然見つけた音金分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立南小学校


南小学校は、その前身は下郷町立旭田小学校音金分校です。

明治期に創立されたであろう音金村の小学校が
明治22年の町村制施行により近隣の村々が合併して旭田村が誕生した際に
各村の学校を統合し、新たに旭田尋常小学校を設立され、分校も設置されました。
旭田尋常小学校には5つの分校を有し、その一つが音金分校でした。
昭和22年に学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校と名称を変え、         
昭和30年に旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生すると、
下郷町立旭田小学校音金分校と改称しました。
昭和38年に本校である旭田小学校から分離独立して、
下郷町立南小学校となり、新校地に移転しました。
          


その新校地が音金分校から1kmほど離れた森の中。

こちらになります。
     
南小学校の正門。

      20180426南小学校02

残念ながら、南小学校は平成17年春に旭田小学校に統合されて
廃校になってしまいました。



こちらが、門柱。

      20180426南小学校03

しっかりと南小学校と書かれた表札が残っています。



反対側の門柱には校名を書き直した跡があります。

      20180426南小学校04

おそらく、音金分校時の門柱を再利用したのでしょう



門柱の裏側には、寄贈者の名が連なります。

      20180426南小学校05

昭和39年建立。
南小学校が開校した翌年に建てられたみたいです。

それにしても、星って言う苗字が多い。



門柱脇にはバス停。

      20180426南小学校01

バス停の名は、そのまま『南小学校』。
時刻表をみてびっくり。
1日に1本とか2本。まさに秘境です。




南小学校の校舎は解体されて、跡地は漬物工場になっていると聞いていたから
恐る恐る敷地内に入ります。


前方にグランドと体育館らしき建物が見えます。

      20180426南小学校06


      20180426南小学校07

グランドには工事用の機材や残材が置かれているから
あまり近寄らない方がいいですね。



こちらが、漬物工場のようです。

      20180426南小学校08

この先へは遠慮しておきましょう。


未舗装の駐車場脇で見つけた石碑。

      20180426南小学校09

『光と緑』と刻まれた南小学校創立30周年の記念碑です。


裏面には何もなし。

      20180426南小学校10



ふと見上げると、満開の桜。

      20180426南小学校11


校舎は無くなってしまったけれど、
南小学校の跡地には、綺麗な桜が残っていました...............。






2018/06/06 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旭田小学校音金分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。

落合分校をあとにして、次なる廃校へと向かいます。

当初は、下郷町立南小学校に向かいましたが
何せ何処に在るのか? 詳しい場所は分からない。
ヒントは旭田小学校音金分校が独立して南小学校になったと言う事実。
とりあえず、音金集落へと向かいます。

音金集落で、農家のお婆ちゃんに出会い、
場所を訪ねて車を走らせるけれど
どうも良く分からない。
漬物工場になっていると言う話だけれど
それらしき建物がない。

周辺をぐるぐる回っていたら、こんな場所に遭遇しました。

      20180426音金分校01



見るからに学校跡っぽい。

      20180426音金分校02



定番の地域の集会所(公民館)。

      20180426音金分校04

音金集会所の表札が掲げられています。


さらに定番の消防倉庫。

      20180426音金分校05



敷地周りの桜の木。

      20180426音金分校03



そして、極め付け。
古びた遊具。

      20180426音金分校07      



学校跡地の匂いがプンプン。

でも漬物工場はない。
ってことは、学校跡地じゃない?



集会所裏手で草刈りをしていたお婆さんに尋ねてみると
どうやら、ここが下郷町立旭田小学校音金分校だったんです。
そして、下郷町立南小学校は、別な場所に在ったらしい。
音金分校が独立して南小学校になったから、同じ場所だと思ってました。

音金分校は、

創立時期等詳細は不明ですが、
明治初期に音金村に開校された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校音金分校と改称する。
昭和38年     本校より独立して下郷町立南小学校となり、新校地に移転する。
           音金分校はその歴史を閉じました。

と、このような沿革だったと思われます。



敷地には、防災無線の塔も建てられています。

      20180426音金分校06



集会所の脇にポツンとある赤錆びた遊具。

      20180426音金分校07

分校時代のモノなんでしょうか?


数十軒の集落である音金地区。
そのランドマークの位置付けでもあった音金分校。
偶然ではあるけれど、その跡地に訪れる事が出来て、本当に良かった...............。


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2018/06/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立旭田小学校落合分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


栗生沢小学校をあとにして、南会津町から下郷町へと移動します。
昨年の7月に下郷町の廃校巡りをしましたが
その時に回りきれなかった廃校巡りとなります。

向かった先は...............下郷町立旭田小学校落合分校


落合分校は

創立時期は不明ですが、明治初期に落合村に設置された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村、落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校落合分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校落合分校と改称する。
昭和60年     中妻分校、大松川分校と共に本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


跡地には往時の木造校舎が残り、
現在は、その校舎を利用してカフェとなっています。


こちらが、落合分校の正門。

      20180426落合分校01



門柱も健在。

      20180426落合分校02


門柱には、往時の表札も掲げられています。

      20180426落合分校03


      20180426落合分校04


      20180426落合分校05



こちらが、木造校舎。

      20180426落合分校06


      20180426落合分校07


      20180426落合分校08


      20180426落合分校09



先にも述べたように、現在は『会津ジイゴ坂学舎』と言うカフェになっていますが
この日は定休日のようです。

      20180426落合分校10



店番(留守番?)役のワンちゃんが、 びいすけ が気になるのか?
ずっとこちらを見ています。

      20180426落合分校11



校舎の前には桜の木。

      20180426落合分校12



見頃には、気持ち遅かった感じ。

      20180426落合分校13



校庭に残された遊具類。

      20180426落合分校14


      20180426落合分校15


      20180426落合分校16


      20180426落合分校17



敷地の周りを木々か取り囲んでいるから
外目からは、森の中の学校って言う感じで、
なかなかの雰囲気。

      20180426落合分校18


      20180426落合分校19



残念ながら、廃校記念碑や二宮像は残されていませんでした。

カフェとして生まれ変わった落合分校。
いつまでも、その姿を残していって欲しいものです...............。


2018/06/05 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立栗生沢小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町 

4月26日     

1泊2日の南会津地方への旅行。
再び、廃校巡りへと...............。


鴫山城址をあとにして、向かった先は...............旧・田島町立栗生沢小学校


栗生沢小学校の詳しい沿革は不明ですが、

昭和40年    田島町立田島小学校の栗生沢分校から独立して
          田島町立栗生沢小学校となる。
平成6年     田島小学校に統合のため閉校となる。

と、このような沿革となっているようです。

統合先の田島小学校のHPを覗いても、
田島小学校そのものの沿革の記載がなく
田島小学校栗生沢分校の設立時期等も分かりません。



こちらが、栗生小学校の正門跡。

      20180426栗生沢小学校01



嬉しいことに、門柱はしっかりと残っています。

      20180426栗生沢小学校02



さらに、門柱には往時の表札が掲げられています。

      20180426栗生沢小学校03



残念ながら建築物としての学校遺構は、この門柱のみ。

      20180426栗生沢小学校04



校舎は既に解体され、広場状態。

      20180426栗生沢小学校05

倉庫のような小屋が片隅に建ち、関係者?の車が数台停められています。



正門側にちょっとした高台。
そして、数段の石段。

      20180426栗生沢小学校06

おそらく、石段先のちょっとした高台に校舎が建っていたのでしょう。



その高台に聳える モミの木。

      20180426栗生沢小学校07

きっとシンボルツリーだったんだろうなぁ。



同じ高台の別な石段。
校舎から校庭に行くには、これらの石段を駆け降りていたんでしょうね。

      20180426栗生沢小学校08



校庭の隅に置かれた朝礼台。
びいすけ に上がってもらいました。

      20180426栗生沢小学校09


      20180426栗生沢小学校10



朝礼台から10mほど離れた場所に
無造作に置かれていた朽ち果てた椅子。

      20180426栗生沢小学校11



敷地の周りを取り囲むように並ぶ桜の木。

      20180426栗生沢小学校12



種類は分からないけれど、ソメイヨシノでは無さそう。

      20180426栗生沢小学校13



おそらく、山桜系の桜だとは思うんだけど
見頃はちょっと過ぎたみたい。

      20180426栗生沢小学校14

でも、これも廃校の桜。
これで、木造の校舎が残っていたら、言うことないんだけどなぁ...............。





2018/06/05 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立永田小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町 

4月26日  

1泊2日の南会津の旅行。
南会津町の廃校を巡ります。

荒海小学校中荒井分校をあとにして、向かった先は...............旧・田島町立永田小学校


永田小学校については、詳細は不明です。
昭和49年に当時の田島町立田島小学校(現:南会津町立田島小学校)に統合されて
廃校になったようです。


永田小学校の跡地は永田農林公園となり、
校舎は既に解体され、敷地の一部には
「永田林業研修センター」が建てられています。

      20180426永田小学校01


      20180426永田小学校02



敷地の外周に何本かの桜の木が残り
学校跡地だと言うことを彷彿させてくれます。

      20180426永田小学校03


      20180426永田小学校04


      20180426永田小学校05

残念ながら、こちらの桜も満開の見頃の時期を逸してしまったようですね。


廃校記念碑等はなく、学校遺構はこのローラーだけ。

      20180426永田小学校06



道を挟んだ反対側に消防倉庫が建ち、その傍らに二宮像。

      20180426永田小学校07


      20180426永田小学校08



二宮像の基台には、寄贈者の名が...............。

      20180426永田小学校09

渡部さんの名が多い。
10代の頃の友人に田島町出身の友人が居て、
田島町には『星』と言う性が多いと聞いていたけれど
渡部さんのオンパレード。
あっ、ちなみにその友人も『星』と言う性なんですけどね。




学校跡に訪れたと言う感は少ないけれど、
この二宮像に会えただけでもマシかもしれない。

      20180426永田小学校10


でも敷地外に二宮像が置かれているって...............
どうなんでしょうね?
『公園の隅っこにでも置いておけば良いのに』って思うのは私だけ...............?







2018/06/01 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・田島町立荒海小学校中荒井分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡南会津町) 

4月26日  

4月26日〜27日、世の中のGWが始まる前に、
妹の もっちゃん を誘って福島県の南会津方面に出かけました。

前日の25日の夜、八王子の実家に移動。
この日は、高速の深夜割引に間に合うように午前3時に八王子の実家を出発。
圏央道あきるのICから高速に乗り、東北道と乗り継ぎ福島県を目指します。

白河ICで高速を降り、山越えをして南会津町へと向かいます。


向かった先は...............旧・田島町立荒海小学校中荒井分校



中荒井分校は

明治11年  川島小学校中荒井分校として創立。
大正5年  荒海村の5校が統合し荒海尋常小学校となり、
荒海尋常小学校中荒井分校となる。
昭和22年学制改革により、荒海村立荒海小学校中荒井分校なる。
昭和30年荒海村が田島町、檜沢村と合併して新たな田島町が発足。
田島町立荒海小学校中荒井分校と改称する。
昭和34年 本校である荒海小学校に統合され、廃校となる

とこのような沿革になっているようです。


廃校から既に59年。
半世紀以上の月日が流れていますが
木造の校舎は健在です。

      20180426中荒井分校01

とは言え、廃校から半世紀以上の月日が経っているから
長い年月の中、少しずつ手入れや補修を行って来たんでしょうね。



木造の平屋建て校舎。

     20180426中荒井分校02



平成も30年度。
こうやって現在な木造校舎を見ると、嬉しくなりますね。

      20180426中荒井分校03



校舎の前には、大きな枝垂れ桜。

      20180426中荒井分校04



地元では、有名な『中荒井分校の枝垂れ桜』。

      20180426中荒井分校05

残念ながら、桜はすでに散ってしまい、見頃は過ぎてしまいました。

例年なら4月下旬が見頃と言うことで、1ヶ月以上前から宿を予約して
この時期に訪れたのに...................

ちょっぴり残念です。(本当は、かなり残念です。)
今年は、桜が例年より1週間以上前に開花しちゃったからねぇ。


ならば、中荒井分校の木造校舎を堪能しなくっちゃ。

      20180426中荒井分校06


      20180426中荒井分校07


      20180426中荒井分校08



校庭に残る遊具類。

      20180426中荒井分校09


      20180426中荒井分校10



残念ながら、分校跡地には廃校記念碑や二宮像もない。

在るのは、この枝垂れ桜と古びた地蔵堂。

      20180426中荒井分校11


      20180426中荒井分校12



      20180426中荒井分校13

地蔵堂の隣には、小さなお宮(熊野神社)も鎮座していました。



校庭の隅には数本の桜。

      20180426中荒井分校14

こちらも既に見頃は終わり、葉桜に近い状態。


廃校と桜、そんなテーマで訪れた南会津2018春。
まだまだ廃校巡りは続きます。


2018/06/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・根形村立東尋常小学校 (2018年3月)(千葉県袖ケ浦市) 

3月4日

この日は、袖ケ浦市に出かけました。


旧・袖ヶ浦町立吉野田小学校をあとにして、
向かった先は.........旧・根形村立東尋常小学校


根形村立東尋常小学校について、ネットで調べてみましたが
詳しいことは分かりませんでした。
おそらく、現在の袖ヶ浦市立根形小学校にその変遷は繋がっているかと思いますが
肝心の根形小学校の沿革が不明(根形小学校のHPにも記載無し)のため
分からず終いです。


こちらが、根形村立東尋常小学校 跡。

      20180304根形村立東尋常小学校01



現在は、三谷青年館として利用されているようです。

      20180304根形村立東尋常小学校02



敷地内と言うか、建物の前に建つ標柱。

      20180304根形村立東尋常小学校03



標柱には、根形小学校百周年の記念行事として
平成13年に建立されたモノと記載があります。

      20180304根形村立東尋常小学校04



とは言え、標柱には根形村立東尋常小学校についての
詳しい記載が無い。

      20180304根形村立東尋常小学校05

本来ならば、この地にいつまで在ったのか?
そのあたりが知りたい所なんだけど.........。



この標柱以外に、根形村立東尋常小学校の存在を示すモノはない。

      20180304根形村立東尋常小学校06



尋常小学校だから、戦前の国民的学校以前の話になるわけで
当然、往時の校舎は残っていない。
この建物も後世のものでしょう。

      20180304根形村立東尋常小学校07

せっかく、標柱を残したのだから
せめて根形村立東尋常小学校の沿革を何処に記録として
残して欲しかったなぁ。

忘れ去られてしまう歴史が此処にも一つありました..................。






2018/04/18 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............昭和尋常小学校神納分校 (2018年3月4日)(千葉県袖ケ浦市) 

3月4日

この日は、袖ケ浦市に出かけました。

ちょっと足を伸ばした木更津市の八劍八幡神社をあとにして
向かった先は.........昭和尋常小学校神納分校


神納分校は、

明治6年     神納村の光曜寺を校舎として神納小学校が開校。
明治7年     校地を神蔵寺に移転。
明治11年    奈良輪校と合併する。
明治14年    良輪小学校と分離し、神納小学校を設置する。
明治21年    共進校(飯富)と合併する。
明治23年    共進校と分離し、神納尋常小学校を設置
明治28年    神納、楢葉、長浦の三村による組合立明誠高等小学校を設立する。
明治33年    神納、楢葉校を合併し組合立県尋常小学校を設立する。
明治35年    県尋常小学校を解散し、神納、楢葉校を設立
昭和3年     神納、楢葉校を廃止、昭和尋常高等小学校を設立
昭和7年    楢葉村と神納村が合併して昭和町が誕生。
昭和16年   昭和町立昭和国民学校神納分教場と改称する。
昭和19年   廃校になる。

と、日本の学校教育の黎明期である明治期から
戦争に揺れた激動の昭和19年まで
統合と分離を繰り返してきた小学校のようです。



こちらが、神納分校跡。

      20180304神納分校01

県道143号線沿いの神納公民館の在る場所になります。


敷地内には、思わず眉唾モノが残っている。

      20180304神納分校02



往時の門柱。

      20180304神納分校03



何とか大正十年と判別出来ます。

      20180304神納分校04



どぉ〜んと建てられた立派な碑。

      20180304神納分校05

この地における学校の沿革が刻まれています。



二宮像。

      20180304神納分校06

残念ながら、往時のものではない。
記念碑を建立した時に併せて建立されたモノ。


二宮像と並んで、はい、ポーズ!

      20180304神納分校07


昭和19年の廃校だから、校舎は当然解体されて在りません。

      20180304神納分校08


跡地には、神納公民館が建てられています。

      20180304神納分校09


      20180304神納分校10


廃校後の典型的な跡地の再利用。
地域の公民館として利用され、
また地域のランドマークであった学校跡地を
地域の人間が世代交代しても、いつまでも忘れないように記念碑を残す地域愛。

今では、遠い昔になりつつある昭和19年以前の学校跡地を
地域の一つたちはいつまでも忘れないことでしょう。



2018/04/17 Tue. 15:15 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............清海小学校 (2017年12月7日)(千葉県龍勝浦市) 

12月14日

この日は、房総半島の勝浦市に出かけました。

遠見岬神社をあとにして、向かった先は...............勝浦市立清海小学校


清海小学校は、
明治6年      学制により第6大区1小区に第222番中学区第3等小学校守谷校を
         守谷1(大巌寺)に設立。守谷・鵜原の児童を収容する。
明治7年     道路事情等で通学困難のため、支校を鵜原真光寺内におく。
明治16年     小学校令改正により、守谷本校舎に初等中等科をおき、
         鵜原支校に初等科を設置する。
         守谷本校を守谷763番地に移転 
明治20年     小学校令により公立守谷尋常小学校と改称する。
明治22年     清海村立鵜原簡易科小学校は鵜原を学区とする。
         清海村立鵜原尋常小学校は守谷・興津を学区とする。
         守谷本校舎倒壊のため、本校児童を鵜原支校へ収容する。
明治23年     守谷学区児童通学困難の理由を以て守谷分校を設置する。
明治25年     新小学校令により鵜原尋常小学校と改称する。
明治29年     守谷分校を守谷尋常小学校と改称する。
明治40年     鵜原、守谷尋常小学校を廃し、清海東尋常小学校を設置し両学区の児童を収容する。
大正10年     町制施行により、興津東尋常小学校と改称する。
 昭和22年    学制改革により、興津町立東小学校と改称する。
 昭和30年    町村合併により、勝浦町立興津東小学校と改称する。
昭和33年    市制施行のため、勝浦市立清海小学校と改称する。
 平成28年    上野小学校に統合され、廃校となる


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、清海小学校の正門。

      20171214清海小学校01


門柱には、まだ清海小学校の表札が残っていました。

      20171214清海小学校02


正門の先にはいきなり体育館。

      20171214清海小学校03


体育館手前には、閉校記念碑。

      20171214清海小学校04



やっぱり廃校に訪れて、この廃校記念碑があるのと、ないのでは
テンションが幾らか変わってくる。

      20171214清海小学校05

当然、今日はテンション高めです(笑)。


閉校記念碑の裏面には、簡略な沿革と校歌が刻まれていました。

      20171214清海小学校06



閉校記念碑の近くには頌徳碑。

      20171214清海小学校07



そして、創立百周年記念の碑。

      20171214清海小学校08


体育館に対座するように建つ校舎。

      20171214清海小学校09


校舎玄関の庇には、校名。

      20171214清海小学校10


そして、壁面には校章が掲げられています。

      20171214清海小学校11



平成28年の春に廃校となった清海小学校。
1年以上たっているのに、なぜか改修工事中。

      20171214清海小学校12


      20171214清海小学校13

何か別な施設に転用される予定があるのでしょうか?



ちょうど、1Fの吹き抜け部分の天井の補修工事の真っ最中。

      20171214清海小学校14



工事関係者の方々の邪魔にならないように校庭側に移動します。


校庭側からの校舎。

      20171214清海小学校15


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      20171214清海小学校17



校舎全景。

      20171214清海小学校18


      20171214清海小学校19



校舎の前には国旗掲揚台。

      20171214清海小学校20


台座にも、校歌のプレートが嵌め込まれています。

      20171214清海小学校21


広く見える校庭。

      20171214清海小学校30



校庭の遊具類。

      20171214清海小学校22


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廃校のお約束?
校庭の隅には防災倉庫。

      20171214清海小学校29



校庭の椰子の木(?)は、見た感じ枯れかかっている。

      20171214清海小学校31

手入れする人もいなくなってしまったからかな?


その奥には朽ちた百葉箱。

      20171214清海小学校32



こちらが、校庭側の門。

      20171214清海小学校33

古い石柱だから、こちら側がかつての正門だったかもしれない。


百葉箱の近くに二宮像を発見。

      20171214清海小学校34



最近、廃校、廃校跡を巡っても
二宮像に出会える事も少なくなってきた気がします。

      20171214清海小学校35


地域的に二宮像が無い地区もあるようだから
これは致し方ない事。


まあ、この清海小学校について言えば
廃校(閉校)記念碑もあったし、二宮像も残っている。
現在、改修工事中と言うことで、他に転用される可能性が極めて高いけど
廃校記念碑と二宮像だけは撤去せずに、
いつまでもこの地に遺してもらいたいモノです。





2018/02/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............北文間小学校 (2017年12月7日)(茨城県龍ケ崎市) 

12月7日

茨城県龍ケ崎市周辺の御朱印巡りに出かけたこの日。
今年の春に廃校になった龍ケ崎市の小学校を訪れてみました。

訪れたのは...............龍ケ崎市立北文間小学校


北文間小学校は、
明治7年長沖村の「阿弥陀寺」に長興小学校を開校する。
豊田村の「薬師寺」に豊田小学校を開校する。
明治16年北方村の「如来寺」に北方小学校を開校する。
明治17年 長興、豊田、北方の三校が合併し、長興小学校となる
明治19年長興尋常小学校と改称する。
明治22年長沖新田・須藤堀村・長沖村・豊田村・北方村・羽黒村が合併し北文間村が発足。
北文間尋常小学校と改称する。
明治43年北文間高等尋常小学校と改称する。
昭和22年学制改革により北文間村立北文間小学校と改称する。
昭和29年北文間村が近隣の町村と合併して龍ケ崎市が誕生。
龍ケ崎市立北文間小学校と改称する。
平成29年龍ヶ崎西小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、北文間小学校の正門。

      20171207北文間小学校01

      20171207北文間小学校02



門柱の表札は既に取り外されています。

      20171207北文間小学校03



門柱脇には顕彰碑。

      20171207北文間小学校04

かなり古い碑のため、碑文ははっきりと判読出来ない。


それでは正門をくぐって、北文間小学校をじっくりと見学させてもらいましょう。


正門側から見た校舎。

      20171207北文間小学校05



校庭側からの校舎。

      20171207北文間小学校06


      20171207北文間小学校07


私が校舎を眺めている間に
びいすけ は、校庭を闊歩しています。

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      20171207北文間小学校10



校舎の玄関。

      20171207北文間小学校11



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20171207北文間小学校12


さらには、何かの碑。

      20171207北文間小学校13


こちらは、方位計?

      20171207北文間小学校14


そして、北文間小学校の校歌の碑。

      20171207北文間小学校15

残念ながら、廃校記念碑は在りませんでした。



校庭脇の花壇にはオブジェ。

      20171207北文間小学校16


小さな池には水が張られていたけれど、泳ぐ魚は居ない。

      20171207北文間小学校17



こちらは体育館。

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その隣にはプール。

      20171207北文間小学校19



校庭を闊歩する びいすけ 。

      20171207北文間小学校20


校庭に残された遊具類。

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      20171207北文間小学校25



校庭の片隅には百葉箱。

      20171207北文間小学校26


敷地内を探したけれど、二ノ宮像は見当たらず。
廃校記念碑も無かったし、二ノ宮像も無い。
今年廃校になったばかりなのに...............
ちょっぴり残念だなぁ。


2018/01/24 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............長尾小学校 (2017年11月25日)(千葉県南房総市) 

11月25日

この日は、房総半島の南端に出かけました。


畑小学校をあとにして、向かった先は...............南房総市立長尾小学校


長尾小学校は、
明治7年      根本村に根本小学校が設立される。
           滝口村に滝口小学校が設立される。
明治22年     町村制の施行により滝口村、根本村が合併して長尾村が発足する。
昭和22年     学制改革により長尾村立滝口小学校、長尾村立根本小学校と改称する。
昭和29年     長尾村と白浜町が合併して新たな白浜町が誕生。
           白浜町立滝口小学校、白浜町立根本小学校と改称する。
昭和46年     根本小学校と滝口小学校が合併して長尾小学校が誕生。
平成18年     白浜町が富浦町、富山町、千倉町、丸山町、和田町、三芳村と合併して南房総市が誕生。
           南房総市立長尾小学校と改称する。
平成23年     白浜小学校と統合して新たな白浜小学校が誕生する。
           長尾小学校は廃校となる。



こちらが、長尾小学校の正門。

      20171125長尾小学校01



門柱には、往時の表札...............と思っていたら。

      20171125長尾小学校02

長尾幼稚園 小学校跡地 となっている。


小学校入口に何やら看板らしきモノが掲げられています。

      20171125長尾小学校03



ナイフとフォークのマークにランチとディナー。
どうやら、レストランが長尾小学校跡地にオープンしているようです。

      20171125長尾小学校04



調べてみると...............

南房総市が廃校跡の利用を公募して、
現在は「シラハマ校舎」と言う民間企業に貸し出しされているようです。

      20171125長尾小学校05



木造の校舎をリノベーションして、
20坪のオフィスが2部屋、
10坪のオフィスが10部屋、
ゲストルームが2部屋とオフィスや宿泊施設としています。

      20171125長尾小学校06

ちなみに、びいすけ の背後の積まれた石は、
房総半島最南端の野島埼灯台周辺で使われなくなった石を
毎日少しずつ運んで作られた石垣です。


リノベーションされた木造校舎ですが
遠巻きに眺めてみましょう。

      20171125長尾小学校07


      20171125長尾小学校08



レンタルオフィスに人が居るかわ分かりませんが
邪魔にならないように近づいてみましょう。

      20171125長尾小学校09


      20171125長尾小学校10



校庭は家庭菜園スペースとして利用されるようです。

      20171125長尾小学校11

区間ごとに小屋を建てて、そこで寝泊まりも出来るらしい。



正門脇の椰子の木。

      20171125長尾小学校12

う〜む、南国っぽい。
この地域では桜の木よりも、こう言った南国系のきぎが
シンボルツリーになっているんだろうなぁ。


ざっと、敷地内を回ってみたけれど
再利用されることになって校庭には遊具類もないし
廃校記念碑や二ノ宮像もない。


この避難場所の看板は、廃校後に建てられたんだろう。

      20171125長尾小学校13


一応、校舎はのこっているものの、
古き良き学校って言うイメージが少ない。

この辺りの雰囲気が昭和っぽいかな?

      20171125長尾小学校14


数年前から、『来よう、来よう』と思っていた長尾小学校。
正直言えば、もっと早く来れば良かった。

でも、まだこの廃校跡の再利用が初期段階だから
敷地内に立ち入ることも可能だったかも?

南房総市には、またまだ訪れていない廃校が多いから
いずれ、またいつか廃校巡りを考えなきゃ!


2018/01/15 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit