FC2ブログ

02 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 04

び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて.............. 上妻小学校大木分教場  (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

砂沼をあとにして、向かった先は.........上妻小学校大木分教場。

大木分教場は、明治6年に創設された大木小学校が
その始まりとされています。



明治6年     大木小学校創立。
明治34年    大木小学校を上妻尋常高等小学校の分教場とする。
昭和22年    学制改革により、上妻村立上妻小学校大木分教場と改称。
昭和34年    本校に統合して大木分教場は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




大木集落の幹線道路沿いにある分教場跡地。

     20200210大木分校01


現在は、『大木農村集落センター』として地域の集会所のような施設となっています。

     20200210大木分校09



廃校から既に60年。
校舎はとっくに解体され、
赤い屋根の農村集落センターが建てられています。

     20200210大木分校02



最初は、分教場時の建物(校舎)かと思いましたが
考えたら60年前に廃校の分教場。
とても60年+αの建物には見えません。

     20200210大木分校03


     20200210大木分校04



廃校記念碑かと思ったら、大きく『大木農村集落センター』と刻まれた碑。

     20200210大木分校05



敷地内に残る桜の古木が2本。
分教場時代のモノでしょう。

     20200210大木分校06


     20200210大木分校07

アスファルトで固められてしまった敷地ですが
分校時は土の地面を子供達が走り回っていたのでしょう。



定番の消防倉庫は見当たりませんでしたが
古紙回収、保管用の倉庫が置かれていました。

     20200210大木分校08

地方の廃校跡だと、地域の資源ゴミの回収場所に利用されることも多い。
この大木分校も集会所としての顔を持ち、
資源ゴミの回収場所としての顔も持つ分教場跡地でした。  


   



スポンサーサイト



2020/03/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............蚕養小学校   (2020年2月10日)(茨城県下妻市) 

2月10日

この日は、茨城県の下妻市に出かけました。

淡島神社をあとにして、向かった先は...............下妻市立蚕養小学校。



蚕養小学校は、

明治6年   豊田郡鯨村に呑舟学校が開設。
       鯨村華蔵院をもってこれに充てる。
明治22年   蚕養尋常小学校てなり華蔵院を仮校舎とする。
明治44年   現在地に移転する。
大正9年   蚕養尋常高等小学校と改称する
昭和22年   学生改革により、蚕養村立蚕養小学校と改称する。
昭和30年   宗道村、蚕飼村、大形村が合併して千代川村が発足。
       千代川村立蚕養小学校と改称する。
平成18年   千代川村が下妻市に編入される。
       下妻市立蚕養小学校と改称する。
平成26年   宗道小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。
 
  

淡島神社、甲神社からもいずれも徒歩圏内にある蚕養小学校。
淡島神社の狭い境内に車を停めて、徒歩で向かいます。


県道沿いの正門。

     20200210蚕養小学校01



コンクリート製の門柱には鋳鉄製の表札が残る。

     20200210蚕養小学校02



蚕養小学校校舎。

     20200210蚕養小学校03


     20200210蚕養小学校04



別アングルから。

     20200210蚕養小学校05


     20200210蚕養小学校06


     20200210蚕養小学校07


     20200210蚕養小学校08



校舎正面玄関。

     20200210蚕養小学校10



玄関の庇に掲げられた校章。

     20200210蚕養小学校11




校舎の前には、『蚕養小学校学び舎の碑』。

     20200210蚕養小学校15

いわゆる、廃校記念碑の類いになりますね。



裏面には校歌が刻まれています。

     20200210蚕養小学校14="450" height="298" />




こちらも校歌の碑。

     20200210蚕養小学校17

結果的に、校歌の碑がダブっちゃったんですね。




残念ながら二宮像はありませんでした。
その代わりにこんな像が校舎が前に残っています。

     20200210蚕養小学校16




     



鉄筋校舎とは別に、小さいながらも木造の校舎が残っていました。

     20200210蚕養小学校12


     20200210蚕養小学校13



校庭。

     20200210蚕養小学校18


     20200210蚕養小学校09



校庭に残された遊具類。

     20200210蚕養小学校19


     20200210蚕養小学校20


     20200210蚕養小学校21

 
     20200210蚕養小学校22


     20200210蚕養小学校23




校庭の隅には大イチョウ。

     20200210蚕養小学校24


     20200210蚕養小学校25

蚕養小学校の歴史を見届けてきた大イチョウ。



こちらも負けず劣らず立派な樹。
これこそ、シンボルツリーと呼ぶに相応しい。

     20200210蚕養小学校26
     20200210蚕養小学校27



敷地から細い道を一本挟んで体育館。

     20200210蚕養小学校28


     20200210蚕養小学校29


体育館の前には朽ちた百葉箱。

     20200210蚕養小学校30


そして、その脇には緯度経度な座標が刻まれたプレート。

      20200210蚕養小学校31
   
明治初期に創設された蚕養小学校。
歴史のある学校だった蚕養小学校。
廃校から既に5年の月日が流れてしまいました。
この緯度経度の示す場所には学び舎は無くなってしまいました。









2020/03/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大須賀小学校第二分教場  (2020年1月30日)(千葉県成田市) 

1月30日  

この日は、成田市に出かけました。

磐裂神社をあとにして、向かった先は......... 旧・大栄町立大須賀小学校第二分教場。

大須賀小学校第二分教場は、明治24年に創立した村田小学校がその始まりとされています。

明治24年  村田耕田寺傍地に村田小学校設立。
明治41年  伊能小学校、桜田小学校、奈土小学校、
       村田小学校が統合され
       新たに大須賀尋常高等小学校が設立される。
       村田小学校は第三分教場となる。
大正2年   第一分教場(旧・伊能小学校)を廃止し、
       第三分教場は、第二分教場と改称する。
昭和22年  学制改革により、大須賀村立大須賀小学校第二分教場と改称する。
昭和30年  大須賀村が町村合併により大栄町となり、
       大栄町立大須賀小学校第二分教場と改称する。
昭和31年  第三分教場(旧・櫻田小学校)が分離独立して、大栄町立櫻田小学校となる
昭和40年  櫻田小学校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


この第二分教場については、大須賀小学校のHPでその存在を知りましたが詳細は不明。
学区が村田地区だったことから、村田集落にある『ふれあいセンター』に当たりを付けて訪れました。
公民館のような施設。
確かに学校跡の雰囲気はあるけれど、学校遺構がないから確証はない。
近くの民家の御婦人に訊いてみたら違っていました。

第二分教場は、離れた場所にある公園になっていました。



こちらが、第二分教場の正門跡。

      20200130村田分校01



門柱に表札が残っていれば良かったんですが
残念ながら外されていました。

      20200130村田分校02



裏面には、『昭和33 二分学区 城之内工』と刻まれています。

      20200130村田分校03

おそらく、第二分教場 学校区 と言う意味なんでしょう。
城の内 は、元々村田城が近くにあるから城の内とでも呼ばれていたのでしょうか?



こちらは、県道側の公園出入口。

      20200130村田分校04



現在は、村田街区公園と言うみたいです。

      20200130村田分校05



約55年前に廃校となった分教場跡。
当然、校舎は解体されています。

      20200130村田分校06


公園といっても小さな公園。

      20200130村田分校07


      20200130村田分校09


      20200130村田分校10

門柱以外に、学校跡だと彷彿させるモノはない。




遊具もブランコ1基。


さすがに55年以上も前の事ですから
このブランコは、分教場時代のモノではないでしょう。

      20200130村田分校08



公園に残る木々。

      20200130村田分校11


      20200130村田分校12

これらは、ここが分教場の頃から根付いていたモノでしょう。
これらの木々を懐かしむ人もいるんだろうなぁ。


2020/03/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............大須賀小学校第一分教場  (2020年1月30日)(千葉県成田市) 

1月30日

この日は、成田市に出かけました。

成田豊住熊野神社をあとにして、向かった先は......... 旧・大栄町立大須賀小学校第一分教場。

この日、成田市に向かった本命は、
ズバリ、こちらの分教場を訪れることでした。


大須賀小学校第一分教場は、明治15年に創立した奈土小学校がその始まりとされています。

明治15年     奈土昌福寺の敷地を借用して奈土小学校設立
明治41年     伊能小学校、桜田小学校、奈土小学校、村田小学校が統合され、
         新たに大須賀尋常高等小学校が設立される。
         奈土小学校は第二分教場となる。
大正2年     第一分教場(旧・伊能小学校)を廃止し、
         第二分教場は、第一分教場と改称する。
昭和22年    学制改革により、大須賀村立大須賀小学校第一分教場と改称する。
昭和30年    大須賀村が町村合併により大栄町となり、
        大栄町立大須賀小学校第一分教場と改称する。
昭和49年    本校に統合され、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、正門跡。

     20200130奈土分校01

石造りの古い門柱が残っています。



門柱には表札が掲げられています。

     20200130奈土分校02


よく見ると、『大須賀小学校第一分校』と刻まれています。

     20200130奈土分校03


大須賀小学校のHPを覗くと、沿革には『第一分教場』と記されています。
表札は『第一分校』。
どっちが正しいのか?

こちらでは、HPに重きを置いて、『第一分教場』と表記します。



昭和10年に作られた門柱のようです。

     20200130奈土分校04



今から約45年前に廃校となった第一分教場。
当然、往時の校舎は既に解体されています。

     20200130奈土分校05



跡地には、奈土公民館が建てられています。

     20200130奈土分校06


     20200130奈土分校07


     20200130奈土分校08


     20200130奈土分校09



お約束とでも言うべきか?
敷地の一角には、消防倉庫。

     20200130奈土分校10

廃校跡地の定番活用ですね。


地域の公民館であるから、リサイクルゴミの集積所にもなっているようです。

     20200130奈土分校11

成田市のHPを見ると、本校でもある成田市立大須賀小学校も少子化で
近い内に近隣の他校と統合して、小中一貫校に統合されるようです。
旧・大栄町域も小中一貫校が1校のみになってしまうようです。

寂しいものですね。


2020/03/10 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............弘道館鹿島神社 (2020年1月25日)(茨城県水戸市) 

1月25日

この日は、水戸市に出かけました。


この日訪れた水戸城址。
その三の丸には水戸藩の藩校である弘道館が在りました。
そして、その隣接地に神社が鎮座しています。
その神社(弘道館鹿島神社)に参拝してきました。

弘道館鹿島神社は、水戸市三の丸に鎮座する神社です。

弘道館建学の精神の象徴として、水戸藩第九代藩主徳川斉紹公により
孔子廟と共に弘道館敷地の中央部に創建された神社です。


御祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)。



社号標。

     20200125弘道館鹿島神社01



神社社頭。

     20200125弘道館鹿島神社02


手水舎。

     20200125弘道館鹿島神社03



こちらは、昔の井戸のようです。

     20200125弘道館鹿島神社04


 
拝殿。

     20200125弘道館鹿島神社05



向拝。

     20200125弘道館鹿島神社06


拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200125弘道館鹿島神社07


拝殿正面。

     20200125弘道館鹿島神社08



別アングルからの拝殿。

     20200125弘道館鹿島神社9


     20200125弘道館鹿島神社10



そして、こちらが本殿。

     20200125弘道館鹿島神社11


拝殿正面に飾られた提灯。

     20200125弘道館鹿島神社12



拝殿前の狛犬。

     20200125弘道館鹿島神社14


     20200125弘道館鹿島神社15



びいすけ も参拝。

     20200125弘道館鹿島神社13




拝殿脇には由緒書き。

     20200125弘道館鹿島神社16



境内社。

     20200125弘道館鹿島神社17


弘道館鹿島神社の建物(本殿・拝殿・中門及び瑞垣)は、
水戸市の文化財に指定されているようです。

     20200125弘道館鹿島神社18



こちらは、要石。

     20200125弘道館鹿島神社19



八掛堂。

     20200125弘道館鹿島神社20


こちらが社務所(授与所)。

     20200125弘道館鹿島神社21



こちらが、弘道館鹿島神社の御朱印。

     20200125弘道館鹿島神社22

授与所にて拝受しました。



2020/03/04 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・岩瀬町立南飯田小学校門毛分校 (2020年1月4日)(茨城県桜川市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

二所神社をあとにして、向かった先は......... 旧・岩瀬町立 南飯田小学校門毛分校。




門毛分校は、明治6年12月に創設された門毛小学校がその始まりとされています。

明治6年     門毛村の洞源寺本堂に門毛小学校創立。
明治9年     亀岡村の亀岡小学校の分校となる。
明治19年     南飯田尋常小学校の分教場となる。
明治23年     北那珂尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     学制改革により北那珂村立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和30年     北那珂村が岩瀬町、東那珂村と合併し新たな岩瀬町が発足。
          岩瀬町立南飯田小学校門毛分校と改称する。
昭和60年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。




こちらが、正門跡。

      20200104門毛分校01

二所神社からはすぐそこ。
距離にしたら200mぐらいでしょうか?

実は、二所神社には駐車場がなかったので
こちらに車を停めて二所神社に参拝していました。




石造りの古い門柱。
残念ながら、表札は残っていません。

      20200104門毛分校02



この門柱は大正4年に建立されたモノのようです。

      20200104門毛分校03



正面に聳える古木。

      20200104門毛分校04

きっとシンボルツリーだったんでしょうね。




学校関連の石碑かと思ったら違っていました。

      20200104門毛分校05

集会所建築の寄付金の芳名碑でした。


門毛分校は廃校後、門毛多目的集会施設と称する施設となっています。
いわゆる、公民館ですね。
芳名碑が建立されたのは昭和61年。
分校の廃校は昭和60年。

つまり、廃校の翌年に校舎は解体されて
多目的集会所が建てられたんですね。


こちらの碑も学校とは関係ない碑。

      20200104門毛分校06

どうやら、正門の門柱以外には学校遺構は無いようですね。



多目的集会施設の建物。

      20200104門毛分校07



      20200104門毛分校11


      20200104門毛分校10

きっと、往時の分校の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。。




遊具もない校庭跡。

      20200104門毛分校08


勿論、二宮像や廃校記念碑などありません。

      20200104門毛分校09




昨年の秋の対台風で倒れたんでしょうか?
大きな木が切り刻まれています。

     20200104門毛分校12



集会所の前に置かれた錆びついた小さな椅子。

      20200104門毛分校13


      20200104門毛分校14

きっと分校時代の椅子なんでしょうね。


この椅子を見ると、遠い思い出、ここに在り。
そんな事を思ってしまう人がいるんだろうなぁ................



2020/02/10 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・稲田小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。
佐志能神社(笠間城址)をあとにして、向かった先は...............笠間市立 旧・稲田小学校跡。


《始めにお断り》

稲田小学校は、現存する小学校で廃校ではありませんが、
かつての稲田小学校だった校地を訪れました。


明治18年(1885年)に旧・稲田小学校が誕生しました。
昭和54年に旧・稲田小学校と福原小学校が統合して、
新たに笠間市立稲田小学校として新校舎を新校地に建設して移転しました。

すなわち、昭和54年までこの地に稲田小学校が在ったと言うことになります。



こちらが、旧・稲田小学校の正門。

      20200104旧・稲田小学校01



石造りの門柱に表札は埋め込み式ではなく、ぶら下げられていたんですね。

      20200104旧・稲田小学校02



正門の先には、大きな2本の木。

      20200104旧・稲田小学校03

シンボルツリーだっんでしょう。


その木の下に碑らしきモノがある。

      20200104旧・稲田小学校04


      20200104旧・稲田小学校08

てっきり、旧・稲田小学校関連の碑だと思ったら
『いなだ保育園』と表札が埋め込まれでいました。


どうやら、校地移転後、この場所は『いなだ保育園』として利用されていたようです。


保育園の園舎。

      20200104旧・稲田小学校05



園庭。

      20200104旧・稲田小学校06


雑草が伸びて、枯れた状態。
園庭が、きちんと管理されていないみたい。

      20200104旧・稲田小学校07


ひょっとしたら、廃園になっているのか?

      20200104旧・稲田小学校16


ネットで笠間市のHPを見ても『いなだ保育園』、『いなだ保育所』では
この住所ではヒットしないようです。


隣接する建物は『稲田公民館』。

      20200104旧・稲田小学校09



公民館の前はゲートボール場。

      20200104旧・稲田小学校10

でも、久しく使われていないようです。


公民館の駐車場がかつての校庭の一部になるのでしょう。

      20200104旧・稲田小学校11


ゲートボール場の脇に、碑がありました。


旧・稲田小学校の校歌の碑です。

      20200104旧・稲田小学校12



昭和49年度の卒業生から贈られたモノのようです。

      20200104旧・稲田小学校13


その近くには、別な碑。

      20200104旧・稲田小学校14



そして、敷地の片隅に申し訳なさそうに建つ消防倉庫。

      20200104旧・稲田小学校15

やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!!(笑)。






2020/02/08 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・大原小学校跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

小原神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 旧・大原小学校跡


大原小学校は、廃校ではなく現在は笠間市立大原小学校として現存する小学校です。
明治5年小原小学校として、保呂輪山千手院に仮校舎として創立します。

大正11年     大原尋常小学校となり、この地に校地を移転。小原に分教場を設置する。
昭和22年     学制改革により、大原村立大原小学校と改称する。
昭和30年     大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
         友部町立大原小学校と改称する。
昭和43年     小原分校を統合する。
昭和45年     新校舎建設、校地を移転する。

その後、平成18年に友部町は岩間町と共に笠間市と合併して
新たな笠間市が誕生します。
大原小学校も笠間市立大原小学校と改称し、今日に至ります。




畑の中にある小さな碑。

      20200104旧・大原小学校01

小原分校でも目にした碑ですね。



碑文は『大原尋常高等小学校跡地之碑』。

      20200104旧・大原小学校02


      20200104旧・大原小学校03

大正11年から昭和45年まで
この地に大原小学校が在ったんですね。


この碑は、平成4年に大原小学校創立120周年を記念して
建立されたモノのようです。

      20200104旧・大原小学校04



碑は建っているものの、周りは畑。

      20200104旧・大原小学校05



しかも、一部は耕作されているものの、殆どが休耕地のようです。

      20200104旧・大原小学校09


      20200104旧・大原小学校10




50年前に移転しているから、校舎はとっくに解体されているけれど
学校跡を全く感じさせない。

      20200104旧・大原小学校06


      20200104旧・大原小学校07


      20200104旧・大原小学校08



学校跡地って、公共の施設とかに転用される事が多いけれど
耕作地になったと言うことは、元々の校地は借地だったんだろうか?

色んなことを考えてしまうけれど、
あの碑が無ければ、誰もこの場所が学校だったなんて思わないでしょう.............。








2020/02/06 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............大原小学校小原分校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

来栖神社をあとにして、向かった先は............... 旧・友部町立 大原小学校小原分校

大正10年   大原尋常小学校の分教場として創立される。
昭和22年   学制改革により、大原村立大原小学校小原分校と改称する。
昭和30年   大原村が宍戸町、北川根村が合併して友部町となる。
       友部町立大原小学校小原分校と改称する。
昭和43年   本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、小原分校の正門跡。

      20200104小原分校01


門柱は年季の入った石造りですが、表札は取り外されていて無い。

      20200104小原分校02



門柱の脇に建つ小さな碑。

      20200104小原分校03

碑文には、『大原村立大原尋常高等小学校 小原分校 小原学校 跡地之碑』と刻まれています。


大正11年から昭和45年まで、
この地が学校跡だったと記されています。

      20200104小原分校04


どうやら、大原小学校の創立120周年の記念事業として
この碑は建てられたモノのようです。

      20200104小原分校05



廃校は今から、約50年前の事。
校舎は既に無い。

      20200104小原分校06



現在は、『小原農村公園』となっています。

      20200104小原分校07



敷地の一角には、地域の集会所。

      20200104小原分校08

こんな感じで、往時は校舎が建っていたんでしょうか?



敷地に残る遊具類。

      20200104小原分校09

分校時代のモノなのか?
はたまた、農村公園になってから設置されたモノなんだろうか?

      20200104小原分校10


      20200104小原分校11


      20200104小原分校12



地面に埋められた古タイヤは小学校の定番遊具。

      20200104小原分校13



これらの古タイヤは、きっと小原分校時代のモノでしょう。

      20200104小原分校14


      20200104小原分校15



山間部に近い農村地区の分校と名が付くけれど
笠間市内の他の廃校と敷地の広さはさほど変わらない。
って言うか、むしろ広く感じたりする。

      20200104小原分校16


少し離れた位置から、びいすけ に声を掛けてみます。

      20200104小原分校17


元気良く、こちらに向かって走って来ます。

      20200104小原分校18


      20200104小原分校19


びいすけ、10歳。
今年の夏には11歳。

まだまだ、元気です!!



2020/02/05 Wed. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............南山内小学校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

上加賀田小学校をあとにして、向かった先は...............笠間市立南山内小学校。

南山内小学校の詳しい沿革は不明ですが、
明治7年に南山内村に創立しました。
昭和57年に南山内小学校、本戸小学校、来栖小学校の一部と統合して
笠間市立南小学校が開校。
南山内小学校は廃校となりました。

と、簡単ですがこのような沿革となっているようです。




こちらが、南山内小学校の正門。

      20200104南山内小学校01



石造りの古い門柱。

      20200104南山内小学校02


その門柱には往時の表札が残る。

      20200104南山内小学校03

古い御影石の門柱に残る小学校の表札と言えば、
白い表札が多いけれど、こちらは黒い表札。
ちょっぴり珍しい。



門柱脇、茂みに隠れて見づらいけれど、校歌の碑。

      20200104南山内小学校04



南山内小学校の創立八十周年の記念に建てられたモノのようです。

      20200104南山内小学校05


廃校から約38年。
校舎は無く、跡地に公民館が建てられています。

      20200104南山内小学校07



公民館前には国旗掲揚ポール。

      20200104南山内小学校08

こちらは、南山内小学校時代のモノだろうか?


そして、そのポールの脇には池の跡。

      20200104南山内小学校17

おそら、南山内小学校時代のモノでしょう。



今朝の寒さで霜の降りた校庭跡。

      20200104南山内小学校09


      20200104南山内小学校14



遊具なども無く、殺風景。

      20200104南山内小学校18



でも、遊具など必要のない奴がここに居る。

      20200104南山内小学校10
  


そんな敷地を匂い嗅ぎに専念する びいすけ 。  

      20200104南山内小学校11


      20200104南山内小学校12


      20200104南山内小学校13



敷地の一角に見覚えのある建物。

      20200104南山内小学校15


この独特のフォルムは、幾度となく見てきた笠間市の消防倉庫。

      20200104南山内小学校16



やっぱり、笠間市の廃校、学校跡には、コレがなくっちゃ!
2020/02/04 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............上加賀田小学校 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日   

ここ何年、(もう10年ぐらいになるのか?)毎年、元旦は休みでしたが、
今年は三ヶ日しっかりと働きました。
この日が今年初めての公休日。
茨城県の笠間市・桜川市へと出かけました。

向かった先は...............笠間市立上加賀田小学校。


上加賀田小学校の詳しい沿革については不明ですが、
明治6年     上加賀田村に小学校が創立する。
昭和57年     南山内小学校、本戸小学校、来栖小学校の一部と
         統合して笠間市立南小学校が開校。
         上加賀田小学校は廃校となりました。

と、簡単ながらこのような沿革だったようです。



こちらが、上加賀田小学校の正門。

      20200104上加賀田小学校01



石造りの古い門柱には、往時の表札。

      20200104上加賀田小学校02


      20200104上加賀田小学校03


フェンスの奥には学校跡の碑。

      20200104上加賀田小学校04


フェンス越しだと見づらいので、ちょっとだけ位置を変えてみます。

      20200104上加賀田小学校05



昭和58年廃校。
今から約38年前。


校舎は無く、更地の公園っぽい空き地。

      20200104上加賀田小学校06


重機が置かれていて、残土置き場になっているのか?

      20200104上加賀田小学校07



ブルーシートがいかにも残土っぽい雰囲気になっている。

      20200104上加賀田小学校08


      20200104上加賀田小学校09



敷地の一角は、地域のリサイクルゴミ置き場。

      20200104上加賀田小学校10

空き缶などの一時的なゴミ置き場となっているようです。



残念ながら遊具等も無く、学校遺構は門柱と先ほどの学校跡碑のみ。

      20200104上加賀田小学校11



敷地の周りに植えられていた桜の木々が
学校跡を彷彿させてくれる。

      20200104上加賀田小学校12


      20200104上加賀田小学校13

笠間市の場合、学校跡地が公民館や消防倉庫に転用される事が多いけれど
残土置き場(?)って言うのは、ちょっぴり残念ですね。

 
2020/02/03 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............海上小学校安須分教場 (2019年12月10日)(千葉県市原市) 

12月10日   

この日は、市原市に出かけました。

ある方のブログを見ていたら、今秋の台風15号の強風で
市原市のとある神社の鎮守の森が凄い事(酷い事)になっていると知り
その状況を目で見て確認しようと思い、市原市に出かけました。

その神社に向かう道すがら、兼ねてからそれらしい場所に見当を付けていた
廃校跡を探しに行きました。

向かった先は...............市原市立海上小学校安須分教場(分校)。

安須分校は、明治初期に創設された安須小学校がその始まりとされています。

明治7年     安須小学校が創設される。
明治25年    安須尋常小学校と改称する。
大正14年    海上尋常小学校安須分教場となる。
昭和22年    学制改革により海上村立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和31年    海上村が三和町に編入され、三和町立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和38年    三和町が市原町、五井町、姉崎町、市津町と合併して市原市が誕生する。
        市原市立海上小学校安須分教場と改称する。
昭和40年    本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。

市原市の五井駅から上総中野駅まで房総半島中央部を走る小湊鉄道。
その小湊鉄道の上総山田駅からさほど離れていない安須集落。
その集落にある安須公民館にあたりをつけて訪れましたが
どうやらそこは、学校跡ではありません。
周辺をぐるっと廻って分からなかったら諦めて帰ろうと思っていたら
目の前にこんな風景が飛び込んできた。

      20191210安須分教場01

門柱に桜の木。
どう見ても、それっぽく見える。



近寄ってみると、紛れもなく正門跡。

      20191210安須分教場02


      20191210安須分教場03



しっかりと表札まで残っている。

      20191210安須分教場04

文字はカスれているけれど、
しっかりと海上小学校安須分校って読める。


あれ!?
ここでちょっとした疑問。

海上小学校のHPの沿革では、
「昭和40年安須分教場廃校」と記載されている。
分教場では無かったのか?

でもこの際、細かいことは気にしない。
目的の廃校跡が見つかったから、良しとしよう。
でも、海上小学校のHPの沿革を尊重して、
この場では分教場と言う表現にいたします。

廃校後、市原市安須児童公園として活用されて(?)いるようです。

      20191210安須分教場05



とは言え、廃校から既に54年。
校舎もとっくに解体され、学校遺構もほとんど残っていない。

      20191210安須分教場06


      20191210安須分教場07


      20191210安須分教場08



敷地の端には2本のイチョウの木。

      20191210安須分教場09



きっとシンボルツリーだったのでしょう。
イチョウの木の奥の小さな建物はお寺の施設のようです。

      20191210安須分教場10



敷地に残る遊具類。

      20191210安須分教場11


50年以上前のモノだろうか?

      20191210安須分教場12



児童公園になった時に設置されたモノかもしれない。

      20191210安須分教場13


      20191210安須分教場14



成寿院と言う寺院の施設。

      20191210安須分教場15

ぱっと見、公民館っぽくも見える。



成寿院の脇からの分教場跡。

      20191210安須分教場16


そして、裏手の高台からの分教場跡。

      20191210安須分教場17


いずれにしても諦めかけていた中で見つける事が出来た廃校跡。
これはコレで、記憶に残る廃校跡になりました。





2020/01/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............福原小学校 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日


この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


常陸国出雲大社をあとにして、向かった先は.................笠間市立福原小学校。



福原小学校はの詳しい沿革については不明ですが
明治6年     開校。
昭和54年    稲田小学校に統合されて廃校となる。

と言った沿革のようです。




こちらが、福原小学校の正門跡。

      20191116福原小学校01


門柱は壊れてしまったのか?

      20191116福原小学校02

基礎部分だけ残っている。


少し離れた場所に置かれた(放置された?)門柱。

      20191116福原小学校03

危険だから、門柱は撤去されたのかもしれませんね。


廃校後、校舎は解体されて、
跡地には公民館が建てられたようです。

      20191116福原小学校04


      20191116福原小学校05


      20191116福原小学校06



敷地の一角に記念碑等がまとめられて置かれています。


二宮像。

      20191116福原小学校07


      20191116福原小学校08



校歌の碑。

      20191116福原小学校09



運動場拡張記念碑。

      20191116福原小学校10



正門跡の脇には、シンボルツリー?

      20191116福原小学校11

枝は落とされていますが、立派なイチョウの木。


そのイチョウの根元にも卒業の記念碑。

      20191116福原小学校12



公民館の前に遊具は移設されたのか?
校庭には遊具は無い。

      20191116福原小学校16


何も無いだけ、広く感じる校庭。

      20191116福原小学校13


      20191116福原小学校17



視界の先に見えるのは................

      20191116福原小学校14



先ほど訪れた常陸国出雲大社。


ズームで撮った拝殿。

      20191116福原小学校15


なかなか、ロケーション的には好立地なんだけど
少子化の波には勝てなかったんですね。











2020/01/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............本戸小学校 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

友部小学校跡をあとにして、向かった先は............笠間市立本戸小学校。


本戸小学校は、

明治7年      富田藤右ヱ門氏宅を借用し、本戸小学校として創立する。
明治9年      広洞院庫裡 松本昌安氏宅を買収し校舎とする。
明治19年     本戸尋常小学校となる。
明治19年     稲田尋常小学校本戸分教場となる。
明治23年     南山内尋常小学校本戸分校となる。
明治25年     南山内村立本戸尋常小学校と改称する。
明治41年     現在地に校舎新築し移転。
昭和22年     学制改革により南山内村立本戸小学校と改称する。
昭和30年     笠間町・北山内村、大池田村が合併し新たな笠間町となる。
         笠間町立本戸小学校と改称する。
昭和33年     笠間町が市制施行して笠間市となる。
         笠間市立本戸小学校と改称する。
昭和57年     稲田小学校と南小学校とに地区別に分かれて統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、本戸小学校の正門。

      20191116本戸小学校01



門柱には、往時の表札が掲げられています。

      20191116本戸小学校02



廃校後、校舎は解体され、跡地は公民館が建てられたようです。

      20191116本戸小学校03


また、敷地の一部はゲートボール場として利用されているようです。

      20191116本戸小学校04



敷地の一角に石碑類が建ち並んでいます。

      20191116本戸小学校05


   

校歌の碑。

      20191116本戸小学校06


裏面には沿革が刻まれています。

      20191116本戸小学校07

大変参考になりました。



創立百周年の碑。

      20191116本戸小学校08



本戸善光寺の由来の碑。

      20191116本戸小学校09

碑文によれば、元々、この地には善光寺如来が祀られて居たけれど
所有者である西光寺の藤枝氏から寄進されたものだったけれど、
管理等の維持が困難となり、藤枝家の了承を得て売却することになったそうです。
後世にその事を残すために、この碑を建てたそうです。



こちらは、本戸小学校閉校記念碑。

      20191116本戸小学校10



創立百周年記念植樹の碑。

      20191116本戸小学校11



農村公園の門柱。

      20191116本戸小学校12

現在は、公民館が建てられていますが、
廃校直後は農村公園として利用されていたようです。



敷地の一角には消防倉庫。

      20191116本戸小学校13



廃校から37年。
校庭には遊具類は残っていない。

      20191116本戸小学校14



しかしながら、校庭に残る古い桜の木々は 
学校跡を感じさせてくれます。    

      20191116本戸小学校16


      20191116本戸小学校17



その校庭を徘徊する びいすけ 。

      20191116本戸小学校19


気になる臭いがあって、それを体に擦り付けたいのか?
はたまた、枯れ草を芝生と勘違いしているのか?

      20191116本戸小学校18

転がって体を地面に擦り付ける びいすけ 。
よっぽど気持ちが良いんだろうか...........?






2020/01/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旧・ 友部小学校跡 (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


宍戸城址をあとにして向かった先は...........旧・友部町立 友部小学校跡。


お断り: 友部小学校は現役の小学校であり、廃校ではありません。



友部小学校は、

明治34年     宍戸尋常小学校の分教場として開校する。
明治37年     友部尋常小学校として開校する。
昭和22年     学制改革により、宍戸町立友部小学校と改称する。
昭和30年     宍戸町・大原村・北川根村と鯉渕村の一部が合併して友部町が誕生。
         友部町立友部小学校と改称する。
昭和48年     校地を移転する。

と、このような沿革となっています。


跡地は、JR友部駅近く,
友部駅前児童公園となっているようです。

      20191116旧・友部小学校跡01




確かに、学校跡の雰囲気を感じなくはない。

      20191116旧・友部小学校跡04



しかしながら、記念碑等の学校跡を示すものは無い。

      20191116旧・友部小学校跡05




でも、敷地境界のフェンス沿いの桜の木々が学校跡を彷彿されてくれる。

      20191116旧・友部小学校跡03



確固たる証しが無いから、『ここが本当に学校跡か?』と疑問符が浮かぶ中、
お孫さんを連れて、この公園に遊びにきた御老人がいた。


失礼を承知で、地元の人か?と訊ねると
地元の人だと言う。
その方に訊いてみると、間違いなくこの場所が
かつての友部小学校跡だと言う事です。



今は、近隣の避難場所でもある。

      20191116旧・友部小学校跡02




昭和48年に移転だから、今から46年前の事。
約半世紀前に移転したことになる。

      20191116旧・友部小学校跡06
   

      20191116旧・友部小学校跡08


      20191116旧・友部小学校跡09


      20191116旧・友部小学校跡10


友部町も平成18年に旧・笠間市と岩間町と合併して新しい笠間市となり
今は令和の時代を迎えることとなった。

この場所が学校だった事、
そして、かつては友部町と呼ばれていた事も
いつしか、忘れ去られてしまうんでしょうね。




2020/01/11 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩間第一小学校第一分校   (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日 

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

羽梨山神社をあとにして、向かった先は..........旧・岩間町立 岩間第一小学校第一分校


第一分校は、

明治37年     岩間尋常小学校第一分校設立
昭和22年     学制改革により岩間町立岩間小学校第一分校と改称する。
昭和29年     岩間町立第一小学校第一分校と改称する。
昭和58年     第一分校が廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、正門跡。

      20191116第一分校01



こんな看板が建てられています。

      20191116第一分校02

廃校後、『岩間体験学習館』となっているようです。



校庭側から覗いてみましょう。

      20191116第一分校03

平屋建ての木造校舎ですね。



校舎全景。

      20191116第一分校04


   

別アングルから。

      20191116第一分校05


      20191116第一分校06



校舎をいろんな角度から眺めてみましょう。

      20191116第一分校07


      20191116第一分校08


      20191116第一分校09


      20191116第一分校10


      20191116第一分校11


      20191116第一分校12


      20191116第一分校13


      20191116第一分校14


      20191116第一分校15

廃校から36年。
他の施設に流用されているからとは言え
こうやって木造校舎が残っていてくれると
やっぱり嬉しいものです。



でも、校舎をグルッと一回りしても、
二宮像や廃校記念碑の類いは残っていない。




内部はこんな感じ。

      20191116第一分校16




校庭。

      20191116第一分校17


残念ながら、校庭にも二宮像や記念碑等は無い。
そして、遊具類も残っていない。


確認できるのは、桜の木々。

      20191116第一分校19



お約束とも言える消防倉庫はあるんですね。

      20191116第一分校18



取っ手が無く、壊れたまま放置されたローラー。

      20191116第一分校20


学校らしいと言えば、コレぐらい。


岩間体験学習館と言う事だけど、どうも使われている感じがしない。
結局、避難場所としてしか使われないのだろうか.............?


2020/01/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩間第一小学校第二分校   (2019年11月16日)(茨城県笠間市) 

11月16日  

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

笠間市は平成18年に旧・笠間市と友部町、岩間町が合併して誕生しました。
今回は、その岩間町、友部町を中心に巡ってみました。

向かった先は...............旧・岩間町立 岩間第一小学校第二分校。



第二分校は、

明治37年     岩間尋常小学校第二分校設立
昭和22年     学制改革により岩間町立岩間小学校第二分校と改称する。
昭和29年     岩間町立第一小学校第二分校と改称する。
昭和54年     岩間町立第三小学校が開校となり、第ニ分校が廃校となる。

と、このような沿革となっています。


岩間駅に向かう県道沿いに
こんな案内板が建っています。

      20191116第二分校01



県道から200m入ったところにある広場。
こちらが、第二分校跡です。

      20191116第二分校02



正門跡。

      20191116第二分校03




時代を感じさせる石造りの門柱。

      20191116第二分校04




広場というだけあって、本当に広い(笑)。

      20191116第二分校05


      20191116第二分校06



校舎は解体されていて何も無い。
門柱以外、遺構が無い。

      20191116第二分校07



記念碑らしきモノが無い。

      20191116第二分校08



敷地の境界線には桜の木。
分校時代の名残りでしょうか?

      20191116第二分校09


      20191116第二分校12




廃校後、野球か何かのグランド、あるいは運動場として利用されていたのでしょうか?
椅子が並んで、見学できるようになっている。

      20191116第二分校10


      20191116第二分校11


   

やっと見つけた遺構らしきモノ。

      20191116第二分校13


レンガで作られた焼却炉。
もう長い事使われていないので、草に覆われている。

これは第二分校の時のモノだったのだろうか.............?






2020/01/06 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 番外編 《 偶然見つけた学校跡 》 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。

取手市のマンホールカードを手に入れた後、利根川の堤防に向かって
八坂神社の脇を歩いていました。

八坂神社を過ぎたあたりで、目の前に石碑が現れました。

      20191112取手小学校発祥の地03




碑文を見て、びっくり!!。

      20191112取手小学校発祥の地04


      20191112取手小学校発祥の地05


そこには、『取手小学校発祥の地』 と刻まれています。



この場所には、こんな建物が建っていて、こんな看板がありました。

      20191112取手小学校発祥の地01


      20191112取手小学校発祥の地02


どうやら、取手市役所取手市支所と福祉会館が建っているようです。


Google MAPで確認すると、取手市民会館でもあるようですね。



取手小学校について調べてみると..........

明治6年3月 里仁小学校開設
明治8年2月 取手小学校と改称
昭和33年4月 学校統合(第一小,第二小)により,取手第一小学校を取手小学校と改称。
        現在地に校舎を建設。

と、沿革に記されています。

すなわち、昭和33年まで、この地に取手小学校が在ったと言うことになります。


  

現在は、取手市民会館、取手市福祉会館、取手市役所取手支所と
公共施設が混在していて、学校跡を彷彿させるものは無い。

      20191112取手小学校発祥の地07


      20191112取手小学校発祥の地08


      20191112取手小学校発祥の地09



おまけに敷地内には、新たな建物も建設工事中?

      20191112取手小学校発祥の地10

益々、ココが学校跡地だったなんて分からなくなってしまいます。




せめてもの想いが、この碑がこの場所に建っていてくれる事ですね。

      20191112取手小学校発祥の地06


たまたま通りかかった道沿いに碑を見つけ
偶然に旧校跡(学校跡地)を見つける事ができました。

コレも日頃の行い故の結果なんだろうか?
神様がご褒美をくれたんだと思うことにしよう。





2020/01/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................旧・藤代小学校跡 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日


この日は、茨城県の取手市に出かけました。


向かった先は................旧・藤代町立 旧・藤代小学校跡。


お断り: 藤代小学校は廃校ではなく、現役の小学校です。



藤代小学校は、

明治6年     和順学校創立
明治8年     宮和田小学校と改称
明治17年    宮和田尋常小学校と改称
明治22年    相馬尋常小学校と改称
明治25年     相馬高等小学校を創立
昭和22年    相馬町立相馬小学校と改称
昭和30年    相馬町が山王村、六郷村、高須村の一部、
         久賀村の一部と合併して藤代町が誕生。
         藤代町立藤代小学校と改称。
平成17年    藤代町が取手市に編入され
         取手市立藤代小学校と改称する。

と、このような沿革となっていますが
明治27年から昭和53年までこの場所が学びの舎でした。

      20191112旧・藤代小学校01

実は、こちらは取手市藤代図書館。


図書館の敷地には、こんな碑も建てられています。

      20191112旧・藤代小学校02


碑の銘文には、平成15年、当時の藤代町長の名で
この地が藤代小学校跡地であった事が記されています。

      20191112旧・藤代小学校03



どうやら、藤代小学校が移転した後、一時期は藤代保育園になっていたようですが
その後に図書館となったようです。

      20191112旧・藤代小学校04



校舎は、当然解体済み。
現在は近代的なデザインの立派な図書館が建っています。

      20191112旧・藤代小学校05


      20191112旧・藤代小学校06



隣接する藤代武道場。

      20191112旧・藤代小学校07



ひょっとしたら、こちらも小学校の敷地だったのかも知れない。

      20191112旧・藤代小学校08

意外に、体育館跡だったりして...............

ネットでいろいろ調べてはみたんですが
廃校でもないから、詳しい情報は載っていませんねぇ............。



2020/01/01 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................強瀬小学校 (2019年11月7日)(山梨県大月市) 

11月7日

この日は、山梨県の大月市に出かけました。

この日の大月市廃校巡り、その最終章は.................大月市立強瀬小学校。



強瀬小学校は、

明治6年      安楽寺を教場として創立。
明治7年      都留郡第九区強強瀬学校と称する。
明治8年      浅利村・奥山村・畑倉村・岩殿村・強瀬村が合併して賑岡村となる。
明治25年     強瀬尋常小学校となる。
          岩殿分教場を置く。
昭和5年      強瀬尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により賑岡村立強瀬小学校と改称する。
昭和29年     大月町・七保町・猿橋町・梁川村・笹子村・初狩村・賑岡村と合併して大月市が発足する。
          大月市立強瀬小学校と改称する。
平成28年     大月東小学校に統合されて廃校となる。



こちらが、校門跡。

      20191107強瀬小学校01



門柱。

      20191107強瀬小学校02



門柱の表札。

      20191107強瀬小学校03



校舎全景。

      20191107強瀬小学校04


別アングルから。

      20191107強瀬小学校05


      20191107強瀬小学校06



校庭の一角にまとめられた石碑群。

      20191107強瀬小学校07



経緯土標。

      20191107強瀬小学校08



校歌の碑。

      20191107強瀬小学校09



少年と少女の像。
タイトルは『元気な子』。

      20191107強瀬小学校10



『 真心 』の碑。

      20191107強瀬小学校11



そして、こちらが閉校記念碑。

      20191107強瀬小学校12

裏面には、しっかりと沿革も刻まれています。



こちらが体育館。

      20191107強瀬小学校13



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20191107強瀬小学校14



校舎の壁には、校章。

      20191107強瀬小学校15



校庭の遊具類。

      20191107強瀬小学校16


      20191107強瀬小学校17


      20191107強瀬小学校18




朝礼台。

      20191107強瀬小学校19



ポツンと置かれた机。

      20191107強瀬小学校20



そして、百葉箱。

      20191107強瀬小学校21



こちらは、防災収納庫。

      20191107強瀬小学校22



そして、避難場所の案内板。

      20191107強瀬小学校23


こちらも地域の避難場所に指定されているようです。

地域の避難場所としてしか、活路がないみたいな感じで
ちょっぴり残念です。



2019/12/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit