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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

乗越神社 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。


耳守神社をあとにして、向かった先は...............乗越神社


乗越神社は、小美玉市羽鳥に鎮座する神社です。


昭和49年(1947年)京都・伏見の羽束師坐高御産日神社より御分霊を観請し創建。
羽束師坐高御産日神社は、477年の創建とされ、
式内大社として、延喜式にも記載がある古社です。
「むすび」の御神徳が顕著と言われているため
乗越神社も縁結びの神として人気があるそうです。

御祭神は、高皇産霊大神(たかみむすびのかみ)、
神皇産霊大神(かみむすびのかみ)。



社号標は見当たりませんでしたが
道路沿いに看板が建っています。

      20180522乗越神社01



乗越神社の鳥居。

      20180522乗越神社02



社殿前にて。

      20180522乗越神社03


      20180522乗越神社04



社殿正面。

      20180522乗越神社06


      20180522乗越神社05


      20180522乗越神社09



社殿正面に掲げられた扁額。

      20180522乗越神社07



乗越神社の提灯。

      20180522乗越神社08


     
別アングルからの拝殿。

      20180522乗越神社10



こちらは、手水舎。

      20180522乗越神社11



こちらは、神楽殿のようです。

      20180522乗越神社12



境内社。

     20180522乗越神社13


こちらが、社務所。

     20180522乗越神社14

御朱印は、こちらで拝受出来るようですか
なぜか、この日は社務所が無人。
どうやら、宮司さんは外出中のようです。

残念ながら、この日御朱印をいただく事は出来ませんでした。
こんな事もあるでしょう。

また近くに来ることがあったら
その時にでも立ち寄りましょう。






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2018/07/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............耳守神社 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。


小川城址をあとにして、向かった先は...............耳守神社


耳守神社は、小美玉市栗又四ケに鎮座する神社です。

地元では「みみっちょ様」と呼ばれている神社で、
全国でも珍しい耳の病に霊験があると言われている神社です。
耳守の名は、平安時代の末期の、平繁盛の孫娘千代姫の耳の病気の伝説に由来するそうです。
「耳がよく通るように」と、竹筒の両端に紐を通した絵馬は、

御祭神は、千代姫命。

こちらが、耳守神社の社号標。

      20180522耳守神社01



鳥居。

      0180522耳守神社02



社殿。

      0180522耳守神社03



手水鉢。

      0180522耳守神社04



狛犬。

      0180522耳守神社05


      0180522耳守神社06



再び、社殿(拝殿)。

      0180522耳守神社07



拝殿正面。

      0180522耳守神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      0180522耳守神社09




拝殿正面には、何やら奉納されています。

      0180522耳守神社10



「耳がよく通るように」と、竹筒の両端に紐を通した絵馬。

      0180522耳守神社11


      0180522耳守神社12

実は、この耳守神社は日本で唯一の耳の病気に効く神社だと言うことです。
そのため、奉納されている竹筒には『耳の病気が治りますように』と言った
願い事が書かれています。


と言うのも耳守神社については、このような民話が伝わるからだそうです。

昔々、今の栗又四ケは平国香(平将門の叔父)の孫の飯塚兼忠によって治められていました。

兼忠には妻と可愛らしい娘がいました。
娘は千代姫と言い、両親からとても大切に育てられていました。
しかし、千代姫は兼忠から話しかけられても返事をしないときがあります。
千代姫は耳が聞こえなかったのです。

兼忠は千代姫が育つにつれ、娘の将来が心配になりました。
また、千代姫も自分が他の人と違うことに気付きはじめました。
そこで、兼忠夫婦は娘のためと覚悟を決めて、
熊野の神様に断食をしながら願掛けをしました。

それから数日すると千代姫が驚いた表情で夫婦のもとにやってきて、
なにかを伝えようとしました。
言葉にできませんでしたが、千代姫の耳はきこえるようになったのです。

千代姫の耳はだれよりも優れていました。
そんな千代姫のことを里の人々は親しみを込めて
「館の耳千代様」と呼んでいました。

千代姫が33歳を迎えると、ささいな病が次第に悪化して
不治の病となってしまいました。
死期を悟った千代姫は「自分が死んだらこの地に神社を建ててください。
わたしはそこで里の人々を耳の病から守りたいのです」
そう両親に伝えると、そのまま息を引き取りました。

その後、千代姫の遺言どおりに神社が建てられ.
『耳守神社』と名付けられました。


なるほど、そう言うことだったんですね。





こちらが、本殿。

      0180522耳守神社13



境内の石祠。

      0180522耳守神社15



神仏習合の名残りか?
青面金剛像。

      0180522耳守神社14




こちらが、耳守神社の御朱印。

      0180522耳守神社16

無人の耳守神社。
本務社の素鵞神社で拝受出来ます。



押し寄せる年波には勝てない。
最近、聴力の衰えを感じなくもない。
お詣りしたから、少しは耳に良くなるのかな?



2018/07/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小川城址 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。


小美玉市の素鵞神社に参拝をいたしました。
実は、素鵞神社が鎮座している台地は、
かつての小川城の城跡でした。


小川城は、別名を園部城とも呼ばれています。
築城時期は定かではありませんが、建久年間(1190年~1199年)に
下河辺政平によって築かれたと言われています。

下河辺氏は藤原秀郷の後裔で下総国葛飾郡下河辺荘の発祥と言い、
政平の嫡男であり政義は、小川氏を名乗り代々と続きます。
室町時代になると小川氏は衰退してしまい、
やがてこの地は、常陸国筑波郡小田邑(現在の茨城県つくば市小田)を本拠とした
小田政治によって、享禄元年(1528年)に家臣の薗部兼泰を小川城主として置き、
対立する大掾氏への備えとしました。

天正年間(1573年~1592年)末期には、佐竹氏の城となり
茂木治良が在城しましたが、
慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康の命により
佐竹氏が秋田に転封されると茂木氏もこの地を去りました。
その後、戸沢氏の領地てたなりましたが、最終的には水戸藩領となりました。

小川城は現在の小川小学校一帯に築かれていたと言われます。
文献によれば、小学校の南東側に本丸を配し、
北西側に二の丸、北東の小川公民館側に三の丸があったようです。
残念ながら、遺構はほぼ消滅しているようです。




こちらが、小川城の縄張り図。

      20180522小川城址

( 余湖さんのHP よりお借りしました )



こちらが、小川城の大手口。

      20180522小川城址01

碑か何かがあれば良いんだけど、そう言った類いのモノは無い。



びいすけ の背後に見えるのが、小川公民館。

      20180522小川城址02

小川城の三の丸にあたります。


こちらが、公民館入口。

      20180522小川城址03

この奧が三の丸だったんですね。



こちらは、小川小学校正門。

      20180522小川城址04

小川小学校の建つ場所が、小川城の本丸跡。
平日の午後、門扉は閉ざされ中へ入ることは出来ません。
まさしく、攻略不能の本丸です。


正面玄関のロータリーの植え込みの中に
『小川城址』の碑が在るようですが、
残念ながら確認出来ず.............



小学校の裏手に回ってみました。

      20180522小川城址05

授業の最中に、校庭を怪しい男が犬連れで歩いている.........
そんな通報をされても困るから、フェンス越しに眺めるだけ。


かつては校庭の中央には土塁と堀があって
本丸と二の丸とを区画していたようです。
因みに、校舎側が二の丸、校庭側が本丸だったと言う事です。



学校の下。
ちょうど、二の丸の切岸。

      20180522小川城址06


      20180522小川城址07


      20180522小川城址08



素鵞神社脇。

      20180522小川城址09

隣に車道がありますが、ここは本丸と三の丸を隔てる堀跡。


こちらが、その車道。

      20180522小川城址10

何となく、堀跡っぽく見えなくもない。



冒頭の縄張り図で言うところの、台の坊。
土塁らしき土壇が残っています。

      20180522小川城址11


      20180522小川城址12



台の坊の下。
堀跡がのこっています。

      20180522小川城址13



縄張り図で言うところの上宿。

      20180522小川城址14

素鵞神社の社号標が建っています。



廃城になった城郭が神社になっていたり、学校になっていたりするパターンは多い。
この小川城は、完全にそのパターン。
城郭が宅地化されて遺構が無くなってしまった事は残念だけど
城郭跡を示す碑は、もうちょっと考えて建てて欲しかったな。

せめて、校門脇の敷地外(公道上)だったら良かったのに.............



2018/07/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............素鵞神社 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。
手接神社をあとにして、向かった先は...............素鵞神社


素鵞神社は、小美玉市小川に鎮座する神社です。

亨禄2年(1529年)橋本源左衛門、孫左衛門兄弟が
園部川より神像を掬い上げました。
その神像は、兄弟に「吾は是牛頭天王にして陰神、陽神也。
将に当所の鎮守とならん。」と神託を言い渡しました。
翌年、園部城(小川城)主・園部宮内少輔の命により分祭され、
陰神・櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)を城内に、
陽神・素戔鳴命(スサノヲノミコト)が城外にそれぞれ鎮座されました。
当初は、天王宮と尊称していましたが、皇国に恐れ多いこと、神仏混淆の社号であることを理由に
天保年間に、素鵞神社に改められたそうです。
また、明治2年(1869年)、高台の旧小川城外曲輪のあった現在地に遷座したそうです。

御祭神は、素戔鳴命。


こちらが、素鷲神社の社号標。

      20180522素鵞神社01

元々の素鷲神社(天王宮)は、この近くに在ったらしい。
社号標から先は参道でもあるが、小川城(園部城)の登城路でもあったようです。



素鷲神社の鳥居。

      20180522素鵞神社02

鳥居の前に数台停められる駐車スペースがありますが
小学校が隣接しているため、学校関係者(PTA?)の車が占拠状態。



玉垣にも素鷲神社の銘。

      20180522素鵞神社03



見たくもない、看板が目に入りました。

      20180522素鵞神社04

残念。
びいすけ は鳥居前まで。
境内はNGだから、車の中で待機してもらいます。



鳥居をくぐれば参道。

      20180522素鵞神社05



参道口には石碑が建ち並びます。

      20180522素鵞神社06


      20180522素鵞神社07



こちらは、由緒書き。

      20180522素鵞神社08



手水舎。

      20180522素鵞神社09



定番の龍の吐出口。

      20180522素鵞神社10



こちらが、拝殿。

      20180522素鵞神社11



拝殿正面。

      20180522素鵞神社12



拝殿正面の彫刻。

      20180522素鵞神社13



拝殿正面の扁額。

      20180522素鵞神社14



拝殿正面の屋根部。

      20180522素鵞神社17



別アングルからの拝殿。

      20180522素鵞神社15


      20180522素鵞神社16


     
拝殿前の狛犬。

      20180522素鵞神社18


      20180522素鵞神社19



こちらが、本殿。

      20180522素鵞神社20


      20180522素鵞神社21



境内社の稲田姫神社。

      20180522素鵞神社22



こちらが、素鵞神社の隠神にあたります。

      20180522素鵞神社23



元々は、小川城の本丸(現在の小川小学校の敷地内)に鎮座していたそうです。

      20180522素鵞神社24



境内末社。

      20180522素鵞神社25



境内社の稲荷神社。

      20180522素鵞神社26



同じく、境内社の秋葉神社。

      20180522素鵞神社29

本殿の真裏に鎮座しています。



神輿庫

      20180522素鵞神社27



こちらの素鵞神社の例祭は、『祇園祭り』と呼ばれています。

      20180522素鵞神社28

一般に「小川のぎおん」として毎年7月中旬に祭行され、
多くの人々に親しまれており、
一年で最も小川の街が活気に溢れる夏の風物詩となっているそうです。



      
こちらが、授与所。

      20180522素鵞神社30


      20180522素鵞神社31

兼務社を含め、6種の御朱印を拝受出来ます。



御神木。

      20180522素鵞神社32
        20180522素鵞神社33



      20180522素鵞神社34


      20180522素鵞神社35
      20180522素鵞神社36



こちらが、素鵞神社の御朱印。

      20180522素鵞神社37



そして、境内社の稲田姫神社の御朱印。

      20180522素鵞神社38


陽と陰。
二つの神社の御朱印、いただきました〜!!





2018/07/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手接神社 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。

百里神社をあとにして、次なる目的地に移動中に
こんな看板を見かけました。

      20180522手接神社01

日本に1社。
かっぱの神様?
河童の絵も描かれている...........


気になりますねぇ...............


と言うことで、急遽立ち寄った先は...............手接神社

手接神社は、小美玉市与沢に鎮座する神社です。
手接と書いて『てつぎ』と読みます。

創建は、文明13年(1481年)。
芹沢城主・芹沢隠岐守俊幹が祭祀し、
当初は与沢村神橋に鎮座していたそうです。

永正4年(1507年)与沢村上与沢篠原神社の社地に遷座し、
相殿に祭祀し手接神社と称したそうです。

御祭神は、罔象女命(みづはのめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)、
少彦名命(すくなひこなのみこと)の三柱である。


手接神社には、このような伝説が在るそうです。

1465年(寛正6)頃、芹沢村領主・芹沢俊幹が梶無川を通りかかった際に
乗っていた馬の尾を河童に掴まれてしまいました。
俊幹は、刀で河童の手を切り落として難を逃れました。
そして、俊幹は切り落とした河童の手を屋敷に持ち帰りました。

その夜、手首のない河童が俊幹の屋敷にやってきて来ました。
河童は「七郎河童」と名乗り、昼間の非礼を詫び、
「このままでは魚も捕れず、老いた母を養うことも出来ません。
どうか手を返して下さい。手はつなぐことができます。
もし、お返しいただけるなら毎日魚を届けにきます。
そして、先祖から伝わる秘伝の薬の作り方をお教えします」と泣いて懇願しました。

初めは半信半疑だった俊幹も母を思う気持ちに心打たれ、手を返しました。
河童は約束を守り、薬の秘法ときりすね等を俊幹に伝えました。
そして、翌日から2匹の魚が毎日館に届けられるようになりました。

それから数年経ったある日。いつも届けられるはずの魚がありません。
河童を心配した俊幹が川に行くと、川の中に七郎河童の死体が見つかりました。
不憫に思った俊幹は、梶無川のほとりに小さな祠を建てて
「手接大明神」として七郎河童を祀ったそうです。

なるほど、それで河童の神社なんですね。



こちらが、手接神社の社号標。

       20180522手接神社02


漬物工場の脇を歩き、参道口にも社号標。

      20180522手接神社03



参道。

      20180522手接神社04



鳥居。

      20180522手接神社05



鳥居脇には、河童の碑。

      20180522手接神社17



手水舎。

      20180522手接神社07



拝殿前にて。

      20180522手接神社08



拝殿前の狛犬。

      20180522手接神社09


      20180522手接神社10



拝殿正面。

      20180522手接神社11

賽銭箱は置かれておらず、直接拝殿に投げ入れるようになっています。



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180522手接神社12



さらには、別な扁額も飾られています。

      20180522手接神社13



別アングルからの拝殿。

      20180522手接神社14



拝殿脇には、なぜか手袋が奉納されている。

      20180522手接神社15

この手接神社は手の病気を治すと言われており、
手袋を奉納する人が多いみたいです。



こちらが、本殿。

      20180522手接神社16


      
境内社。

      20180522手接神社18


      20180522手接神社19


      20180522手接神社20


      20180522手接神社21


小さな祠も参道沿いに並びます。

      20180522手接神社22


境内の片隅には板碑群。

      20180522手接神社23



とても珍しい河童の神社。
手の病気も治すと伝わる神社。

残念ながら、宮司さんは90歳を越す高齢のため
御朱印は拝受していないらしい。

でも、貴重な神社に参拝する事が出来ました。


2018/07/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............百里神社 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。

羽木上森林公園をあとにして、向かった先は...............百里神社



百里神社は、小美玉市山野に鎮座する神社です。

茨城空港や自衛隊の百里基地に近い場所です。
創建時期、御祭神等の詳細は不明ですが、
一説によれば、その昔には百里原海軍航空隊施設内に
鎮座していたともされているようです。


百里神社の看板が見えて来ました。

      20180522百里神社01



看板に導かれ、左方向へ進むと...............

びっくり!!

      0180522百里神社02

まあ、見事に周りの木々が伐採されている。


ネットで過去に訪れた方々の情報では、
参道入口を探すのも大変なくらいの藪の中と言う話だったが...............



社号標。

      0180522百里神社03

以前は、この社号標も見えないくらいの藪だったらしい。



こちらが、鳥居。

      0180522百里神社04

コンクリート製の鳥居。
基礎部が飛行機の車輪のような独特なフォルム。



そして、こちらが社殿。

      0180522百里神社05

これまた、コンクリート製。


屋根も一部壊れている。

      0180522百里神社06


      0180522百里神社07


      0180522百里神社08



社殿から鳥居方向の眺め。

      0180522百里神社09



少し離れた位置から眺める鳥居と社殿。

      0180522百里神社10


周りの竹や木々を伐採したのは分かるけれど
何か殺伐としていて、荒れ果てた感じがする。



こちらが、百里神社の御朱印。

      0180522百里神社11

航空機(戦闘機)を印にした珍しい御朱印です。


御朱印は、百里神社を兼務している素鵞神社で拝受出来ます。


素鵞神社の宮司さんに百里神社の事を訊いたら

①東日本大震災で社殿が一部壊れたらしい。
②近隣の方々から苦情がきてしまったようで
地主さんが藪状態の敷地の伐採に踏み切ったと言うことです。

でも、ずっとこのままなのかなぁ?



2018/07/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

羽木上森林公園 (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。


小美玉市の丸ポストの写真を撮る際に、
丸ポストの場所の近くにある羽木上森林公園の駐車場に
車を置かせて貰いました。

駐車場だけ利用して、森林公園に寄らない訳にはいかないでしょう。
と、言うことで羽木上森林公園に立ち寄りました。


こちらが、羽木上森林公園の入口。

      20180522羽木上森林公園01



公園案内図をチェックします。

      20180522羽木上森林公02

とは言え、自治体によっては森林公園と名が付く公園には
犬連れNGの公園があったりする。

『迷惑をなくしましょう』と言うことは
犬連れ禁止ではない。

      20180522羽木上森林公03



それでは、迷惑をかけないように、森林公園を散歩いたしましょう。

      20180522羽木上森林公04



入口に在った案内図を見る限り、広い芝生があるようなので
芝生広場を目指しましょう。

      20180522羽木上森林公05



木々に囲まれた薄暗い道を歩いていると、いきなり視界が開けた。
ここが芝生広場?
案内図とは位置関係が違う。

      20180522羽木上森林公06

芝生広場だとしても、雑草が生い茂り、
あまり管理が行き届いていないみたい。


案内図を信じて、さらに奥に進んでみます。

      20180522羽木上森林公07



でも案内図が示していた芝生広場へ行く導線が見つからない。

      20180522羽木上森林公08



再び明るくなり、視界が開けたと思ったら...............

      20180522羽木上森林公09

そこには、多くのソーラーパネルが建ち並んでいます。

えっ! 芝生広場が無い!!


YahooマップやGoogleマップの航空写真を見ても
このソーラーパネルの塊は映っていないんだよなぁ。
どうやら、最近建てられたモノなんだろうか?


以前は、この先も森林公園だったはず。
でも、今はフェンスが張られ、立入り禁止ゾーン。



仕方がないから、戻りましょう。

      20180522羽木上森林公10


      20180522羽木上森林公11



再び、森の中を散策します。

      20180522羽木上森林公12



いろんな匂いが混在しているからか?
こう言った雑木林の中を徘徊するのが、 びいすけ は好きみたい。

      20180522羽木上森林公13



平日の午前中。
ましてや、あまり知れ渡っていない森林公園。
訪れる人も居ない。
びいすけ のリードをフリーにして、
びいすけ の後ろを付いていくことに。

      20180522羽木上森林公14


      20180522羽木上森林公15



再び、視界が開けて来たけれど、求めていた芝生広場じゃない。

      20180522羽木上森林公16


結局、不完全燃焼状態でこの地をあとにする事になりました。
まあ、 びいすけ は、ウンチとオシッコが出来たから
これはこれで良かったのかな...............?


2018/07/11 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...............茨城・小美玉編   (2018年5月22日)(茨城県小美玉市) 

5月22日

この日は、茨城県の小美玉市に出かけました。



小美玉市には、現役の赤い丸ポストが1基残っています。


だった1基しかない丸ポスト。
その丸ポストを探しに行きましょう。


県道8号線を行方市から小美玉市へと進みます。
小美玉市に入って、羽木上森林公園のすぐ先の県道沿いに赤い丸ポストが在りました。

      20180522丸ポスト小美玉01


民家の門の脇に建つ丸ポスト。

      20180522丸ポスト小美02



門柱の陰に隠れるように建つ丸ポスト。

      20180522丸ポスト小美03

反対側から来ると、視界には入らない。
確かに、以前この道を反対側から走った事がある。
その時には気付かなかったなぁ。



びいすけ と一緒にパチリ☆。

      20180522丸ポスト小美04



1日に1回しか集荷はないようだけど
紛れもなく現役の丸ポスト。

      20180522丸ポスト小美05


平成30年5月22日現在、
茨城県内には77基の丸ポストが現存しているようです。
これまでに、
桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市    1基
行方市        2基
取手市        6基
鹿嶋市        2基
大洗町        9基
茨城町        1基
つくば市       4基
常陸大宮市       1基

そして本日、小美玉市の1基を制覇して、合計49基の丸ポストに出会ってきました。
残すは、あと28基。

コンプリートを目指そうかな(笑)。



2018/07/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit