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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り..................佐奈田霊社 (2019年5月16日)(神奈川県小田原市) 

5月16日

伊豆に日帰りで出かけたこの日、熱海からの帰り道。
小田原の佐奈田霊社に立ち寄りました。

佐奈田霊社は、源頼朝旗揚げの地である「石橋山古戦場(神奈川県小田原市石橋)」に鎮座する
神仏習合の霊社です。

霊社?

霊社とは、霊験のあらたかな神社のことらしい。


治承4年(1180年)「石橋山の合戦」で3000対300(源頼朝)の先陣として戦い、
平家方の武将俣野五郎景久を組伏せるも、 不運の討死をした佐奈田与一義忠をお祀りするべく
1180年に創建されたとされています。

与一は持病の痰のため、味方からの呼びかけに対し声が出せず、
そうこうしているうちに敵に討たれてしまったという言い伝えから、
咳・声・のどに霊験があるとされ、芸能関係者も数多く参詣するそうです。

御祭神は、佐奈田与一義忠。
御神体は、佐奈田与一(魁秀明神)。



一応、神仏習合した神社と言う事ですが、鳥居は無いようなです。
こちらが、社号標。

      20190516佐奈田霊社01


こちらが、本来の表参道。

      20190516佐奈田霊社02



この石段を上りきった先ご社殿になります。

      20190516佐奈田霊社03



石段を上がって行くと、石垣ぐ視界に入ってくる。

       20190516佐奈田霊社04

まるで、城郭に登城しているような錯覚を感じてしまいます。
確かに、ここは石橋山の古戦場跡。
城郭っぽく見えるのも仕方ないかも?



境内には、石橋山古戦場の説明板。

      20190516佐奈田霊社05



説明板の近くには狛犬。

      20190516佐奈田霊社06


      20190516佐奈田霊社07



手水舎(手水鉢)。

      20190516佐奈田霊社08



そして、こちらが拝殿(?)

      20190516佐奈田霊社09

霊社の場合、拝殿と称しているのだろうか?
それとも本堂と称しているのだろうか?


別アングルから。

      20190516佐奈田霊社10


      20190516佐奈田霊社11



正面から。

      20190516佐奈田霊社12



奉納額。

      20190516佐奈田霊社13


      20190516佐奈田霊社14


天水桶。

      20190516佐奈田霊社15



こちらが、観音堂。

      20190516佐奈田霊社16


観音堂の脇には与一塚。

      20190516佐奈田霊社17


境内には、
      20190516佐奈田霊社18



駐車場の手前、境内からは少し離れた場所に建つ古戦場跡の碑。

      20190516佐奈田霊社19



そして、こちらが佐奈田霊社の御朱印

      20190516佐奈田霊社20

書置き対応のみですが、『源頼朝 石橋山古戦場』と記されているのが良いですね。


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2019/07/16 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............大稲荷神社  (2018年3月29日)(神奈川県小田原市) 

3月29日

1泊2日の伊豆旅行。
その2日目も小田原市に移動。

小田原市の神社の御朱印巡りです。


そのオーラスは..................大稲荷神社


大稲荷神社は、小田原市城山に鎮座する神社です。

天正年間(1573〜1592年)に修験者が建てた修験堂に
武田家の主家滅亡後、同家の元家臣で徳川氏の傘下に入った曲淵氏が
修験堂に稲荷大明神を祀ったのが始まりとされています。

古くは田中稲荷と称していましたが、
宝永3年(1706年)小田原城主・大久保加賀守忠増によって現在地に勧請され、
谷津村、竹の花町、須藤町、大工町の鎮守として大稲荷神社と称したそうです。


大稲荷神社のHPによれば..................

『北条時代から続く由緒ある神社』
『小田原城北条時代の天正18年に創建された由緒正しき神社』とありますが
秀吉の小田原攻めが天正18年。
すなわち、小田原北条一族が滅亡したのが天正18年。
小田原北条家には所縁がないんじゃない?と思ってしまいますが
これって、気のせい?



こちらが、大稲荷神社の社号標。

      20180329大稲荷神社01



社号標の脇には説明板。

      20180329大稲荷神社02



さらには、愛宕神社と錦織神社の標柱。

      20180329大稲荷神社03



こちらが大稲荷神社の一の鳥居。

      20180329大稲荷神社04

稲荷神社だから、朱色の鳥居。
やっぱり稲荷神社の鳥居は朱色が王道。




一の鳥居に掲げられた神額。

      20180329大稲荷神社05



鳥居の脇には、あまり見たくない看板。

      20180329大稲荷神社06

残念ながら びいすけ はここまで。
車の中で留守番してもらいます。


『犬はこの柱にくくりつけて下さい』とありますが
それは余りにも無防備でしょう?

      20180329大稲荷神社07


鳥居の先には社務所。

      20180329大稲荷神社08



社務所前から石段が続き、境内へと導いてくれます。

      20180329大稲荷神社11



石段の手前には、狛犬。

      20180329大稲荷神社09


      20180329大稲荷神社10


      
石段の途中には、狛犬ならぬ狛狐。

      20180329大稲荷神社12

やっぱり稲荷神社ですね。



手水舎。

      20180329大稲荷神社13



こちらが、大稲荷神社の二の鳥居。

      20180329大稲荷神社15

朱色ではなく、青銅色。


鳥居の先には、狛犬? 狛狐?

      20180329大稲荷神社16



犬にも見えるし、狐にも見える。
見ようによっては熊っぽくみえたりする(笑)。
そして、なぜかネットが掛けられています。

      20180329大稲荷神社17



さらには、もう一組。

      20180329大稲荷神社18

こちらは、明らかに狐。


そして、なぜか赤いネットが掛けられています。

      20180329大稲荷神社19



大稲荷神社の拝殿正面。

      20180329大稲荷神社20



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180329大稲荷神社21


拝殿正面の飾り。

      20180329大稲荷神社22


なかなかの彫り物です。

      20180329大稲荷神社23


      20180329大稲荷神社24


      20180329大稲荷神社25


      20180329大稲荷神社26



大稲荷神社の提灯。

      20180329大稲荷神社27



別アングルからの拝殿。

      20180329大稲荷神社28


      20180329大稲荷神社29



こちらは、本殿。

      20180329大稲荷神社30


      20180329大稲荷神社31


本殿の彫刻。

      20180329大稲荷神社32



こちらは、境内社の愛宕神社。

      20180329大稲荷神社33


      20180329大稲荷神社34

こちらの愛宕神社は、東京の港区ある愛宕神社の本宮らしい。



愛宕神社の提灯。

      20180329大稲荷神社35


愛宕神社の手水舎。

      20180329大稲荷神社36



愛宕神社の脇には、医薬稲荷社。

      20180329大稲荷神社37


      20180329大稲荷神社38


小さな祠もあります。

      20180329大稲荷神社39



こちらが田中稲荷神社。

      20180329大稲荷神社40



そして、こちらが錦織神社。

      20180329大稲荷神社41


      20180329大稲荷神社42

近年、テニス選手(錦織圭)のファンの参拝も多いらしい。


とにかく、境内社が多い。
左が官位稲荷神社、右が山神社。

      20180329大稲荷神社43



小さな祠も多い。

      20180329大稲荷神社44


      20180329大稲荷神社45



こちらが授与所。

      20180329大稲荷神社46

御朱印は、こちらで拝受出来ます。
大稲荷神社では、境内社の御朱印も拝受することが出来ます。


こちらは、大稲荷神社の御朱印。

      20180329大稲荷神社47


境内社の愛宕神社の御朱印。

      20180329大稲荷神社48



同じく、境内社の田中稲荷社の御朱印。

      20180329大稲荷神社49


さらには、境内社の錦織神社の御朱印。

      20180329大稲荷神社50


やたらと説教っぽい話をする宮司さんでしたが
御朱印は立派です。






2018/05/18 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............松原神社  (2018年3月29日)(神奈川県小田原市) 

3月29日

1泊2日の伊豆旅行。
その第2日目です。

小田原市に移動して、小田原市の神社の御朱印巡りとなりました。

居神神社をあとにして、向かった先は..................松原神社


松原神社は、小田原市本町に鎮座する神社です。

近衛天皇時代の久安年間(1145〜1150年)の勧請と伝わりますが、
創建の時期は不明とされています。
後醍醐天皇(1318〜1339年)の頃、当所に真鶴が棲み、
故に鶴の森明神と称していたとも言われますか、、
一説に山王原村松原にあったとも言われ、後奈良天皇の天文年間(1532〜1554年)に、
山王原村海中より金仏の十一面観音が松原に出現し、託宣により祀ったことから
神号を松原大明神と称したとも言われています。
その後、北条氏が小田原を治め、社領を寄進するなど代々に渡り崇敬したと言うことです。

天文十四年(1545年)、小田原海岸に現われた大亀を
土地の者が松原大明神の池に持参したところ、
北条家の当主・北条氏康が吉兆なりとて参詣し、
鏡を取寄せて亀の甲に置き、『亀鏡は即ち、目出度きいわれあり』と、
一門を招いて祝盃をあげ、大亀を海へ放ったと言われています。

時代は流れ徳川幕府の時代となり、小田原が稲葉氏、大久保氏の領地となっても
尊崇の念は変らず、社費は総て藩財を以ってこれにあて、
代々小田原の宿十九町の総鎮守となり、明治2年に松原神社と改称したそうです。

御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、
宇迦之御魂神(うかのみみたまのかみ)の3柱が祀られています。



こちらが、松原神社の社号標。

      20180329松原神社01



市街地に鎮座する神社だから、敷地はコンクリートの塀に囲まれていますが
こちらが参道口。

      20180329松原神社02



境内の看板。

      20180329松原神社03

この表現であれば、境内に犬が入ってもマナーさえしっかり守れば問題無さそうです。



神橋にて。

      20180329松原神社04


池のほとりの桜は満開。

      20180329松原神社05



風に舞い散った桜の花びらが池の水面に浮かんでいます。

      20180329松原神社06



参道の一の鳥居。

      20180329松原神社07



こちらは、手水舎。

      20180329松原神社08


二の鳥居。

      20180329松原神社09


二の鳥居の先には社殿。

      20180329松原神社10



二の鳥居に掲げられた神額。

      20180329松原神社11



二の鳥居の手前には狛犬。

      20180329松原神社12


      20180329松原神社13



拝殿正面。

      20180329松原神社15



拝殿に掲げられた扁額。

      20180329松原神社14


    

氏子の名が記された扁額。

      20180329松原神社16


      20180329松原神社17



別アングルからの拝殿。

      20180329松原神社18



こちらは、本殿。

      20180329松原神社19


      20180329松原神社20


      20180329松原神社21





境内社。
かつては、境内に十二社があったそうですが、
現在は住吉神社、鹿島神社、手置神社、叶稲荷神社、代々木八幡神社の五社が祀られています。


代々木八幡神社。

      20180329松原神社30


叶稲荷神社。

      20180329松原神社24


      20180329松原神社22


      20180329松原神社23


      20180329松原神社25



神輿庫。

      20180329松原神社26



宝物殿。

      20180329松原神社27



こちらが、吉兆の大亀の像。

      20180329松原神社29


      20180329松原神社28



内侍所安泰所趾碑。

      20180329松原神社31

明治天皇が東京行幸の時、
松原神社が小田原の内侍所として使われたことを記念した碑のようです。




こちらが、授与所。

      20180329松原神社32



御朱印はこちらで拝受出来ますが、
御朱印帳に墨書きではなく、書置きの御朱印を拝受することになります。


書置きの御朱印に日付けを書き入れてくれます。

      20180329松原神社33



こちらが松原神社の御朱印。

      20180329松原神社34


シンプルな御朱印ですが、『小田原総鎮守』の文字が輝きます。



2018/05/17 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............居神神社  (2018年3月29日)(神奈川県小田原市) 

3月29日

1泊2日の伊豆旅行の2日目。
小田原市にやって来ました。

紀伊神社をあとにして、向かった先は..................居神神社



居神神社は、小田原市城山に鎮座する神社です。

旧東海道の小田原宿の板橋口(上方口)近く、国道1号線沿いある神社です。
創建時期については、記録が焼失して不明ですが、
古老の口碑によれば、永正年間の勧請と伝えられているそうです。

のちに関東の覇者として君臨した小田原北条家の始祖である北条早雲との戦いに
敗れた三浦半島の新井城主・三浦荒次郎義意が永正15年(1518)に自刃、
その首が井神の森の古松にかぶりつき、そのまま3年間通行人をにらみつけていたと言うことです。
これを久野総世寺四世忠室存孝和尚が成仏させます。
その時、空より『われ今より当所の守り神にならん』との声があったとされ、
そこで社を建て居神神社として祀ったと言われています。


こちらが、居神神社の社号標。

      20180329居神神社01


こちらが一の鳥居。

      20180329居神神社02


境内の案内板。
御祭神は三柱あるようです。

      20180329居神神社03



一の鳥居をくぐって参道を進みます。

      20180329居神神社04


こちらが、二の鳥居。

      20180329居神神社05



手水舎。

      20180329居神神社06



二の鳥居の先は石段。
石段の先に社殿があります。

      20180329居神神社07



こちらが拝殿。

      20180329居神神社08


拝殿正面。

      20180329居神神社09



拝殿内部に掲げられている扁額。

      20180329居神神社10


拝殿正面の飾りの彫り物。

      20180329居神神社11


      20180329居神神社12


      20180329居神神社13



拝殿の屋根瓦には神紋。

      20180329居神神社14



別アングルからの拝殿。

      20180329居神神社15


      20180329居神神社16



拝殿前の狛犬。

      20180329居神神社17


      20180329居神神社18



拝殿前に置かれた天水桶。

      20180329居神神社19



こちらが、本殿。

      20180329居神神社20


境内社の水神社。

      20180329居神神社21


      20180329居神神社22


      20180329居神神社23



こちらは、子安地蔵尊。

      20180329居神神社24


      20180329居神神社25



神楽殿。

      20180329居神神社26


宝物殿。

      20180329居神神社27



境内社。

      20180329居神神社28


      20180329居神神社29


      20180329居神神社30


      20180329居神神社31




本殿脇に建つ標柱。

      20180329居神神社32

居神神社の本殿脇には、古い板碑が建ち並び
『居神神社境内の古碑群』として、
小田原市の文化財に指定されているようです。


こちらが、その石碑群。

      20180329居神神社33


そして、その説明板。

      20180329居神神社34



水神社の脇に建つ石碑。

      20180329居神神社35

『勝って甲の緒を締めよ』

小田原北条家の二代当主の氏綱が他界する2カ月前に
三代・氏康に残した遺訓『北条綱置文』の結びに書れている言葉が
『勝って甲の緒を締めよ、を忘れ給ふべからず』と言うことで
それを碑にしたらしい。


説明板。

      20180329居神神社36


こちらの神社にも古木の巨木が多い。

      20180329居神神社37
      20180329居神神社38


        20180329居神神社39
      20180329居神神社40



こちらが、社務所。

      20180329居神神社41


      20180329居神神社42



社務所内部。

      20180329居神神社43


社務所には、北条氏綱の置文が要約されて貼られています。

      20180329居神神社44

でも、居神神社って北条一族に滅ぼされた三浦荒次郎を祀っているんじゃなかったっけ?
素朴な疑問を感じながらも、御朱印をお願いします。



御朱印を墨書きしていただいている間、
境内で大人しく待つ びいすけ 。

う〜ん、とってもお利口さん(笑)。

      20180329居神神社45



こちらが、居神神社の御朱印。

      20180329居神神社46



併せて、境内社の水神社の御朱印も拝受しました。

      20180329居神神社47

なかなか、達筆な墨書きです。




2018/05/16 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

紀伊神社 (2018年3月29日)(神奈川県小田原市) 

3月29日

1泊2日の伊豆旅行の2日目。


真鶴町の貴船神社をあとにして伊豆半島を北上。
小田原市に向かいます。

向かった先は..................紀伊神社。


紀伊神社は、小田原市早川に鎮座する神社です。

地域(小田原市早川)の氏神様で、往古は『木宮大権現』、
のちに『紀伊宮大権現』と称されていて、
地元の人々からは『木の宮さん』と呼ばれているそうです。
箱根物産木工業の人たちに昔から崇拝されてきた神社だそうです。

創建は貞観年間(859~876)と歴史のある神社で、
御祭神は五十猛命と惟喬親王(文徳天皇の第一皇子)とされています。

惟喬親王は天安二年(858)、京の都を追われて伊豆(河津)に流罪となりましたが
途中に嵐に逢い、国府津海岸に流れ着き、
やがて早川の庄に移り、この地で没したとされています。



国道から集落へと繋ぐ旧道沿いに建つ社号標。

      20180329紀伊神社01



こちらが、紀伊神社の鳥居。

      20180329紀伊神社02




鳥居に掲げられた神額。

      20180329紀伊神社03



鳥居奥には満開の桜。

      20180329紀伊神社04



鳥居の前には、小田原市指定文化財の道祖神。

      20180329紀伊神社05



参道の手水鉢。

      20180329紀伊神社06

なぜか、民家の前に置かれています。



参道は東海道線のガードをくぐり、社殿へと石段が続きます。

      20180329紀伊神社07



石段途中にある説明板。

      20180329紀伊神社08



石段途中に在る鐘楼。

      20180329紀伊神社09

神社に鐘楼とは珍しい。
神仏習合の名残りですね。



石段を振り返って見ると..................

      20180329紀伊神社10



東海道線を電車が走ります。

      20180329紀伊神社11



石段途中には、紀伊神社の建つ台地のさらに奥へと続く道。

      20180329紀伊神社12

雰囲気は城址?
でも、この辺りに城址が在るって聞いたことは無い。



社殿が見えてきました。

      20180329紀伊神社13



こちらが、拝殿。

      20180329紀伊神社14



拝殿正面。

      20180329紀伊神社15



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20180329紀伊神社16



こちらが、本殿。

      20180329紀伊神社17



鳥かごのように見えるけど..................

実はこれ、狛犬。

      20180329紀伊神社18


なぜか、紀伊神社の狛犬は、ネットに覆われています。

      20180329紀伊神社19

イタズラ防止?



境内社(?)

      20180329紀伊神社20



扁額には『聖徳太子』。

      20180329紀伊神社21

最近の小学校の社会科の授業では、『聖徳太子』とは言わないらしい。
『厩戸皇子(うまやどのおうじ)と言うらしい。
これも時代なんでしょうか?



聖徳太子殿(?)の前の狛犬。

      20180329紀伊神社22



こちらには、ネットが掛けられていない。

      20180329紀伊神社23




神楽殿。

      20180329紀伊神社24



境内社。

      20180329紀伊神社25



忠魂碑。

      20180329紀伊神社26

この碑が在ると言うことは、やはり古くからの神社の証し。




神輿殿。

      20180329紀伊神社27



古い手水鉢。

      20180329紀伊神社28



境内には、大きな貝の貝殻。

      20180329紀伊神社29

これも何かの信仰の対象なんでしょう。




紀伊神社の森も人の手が加わらず、古くからのまま。
長い歴史を刻んだ巨木がひっそりと立っています。

      20180329紀伊神社30
      20180329紀伊神社31
        20180329紀伊神社32



参道の看板。

      20180329紀伊神社33

この辺りには野生の猿が出没するようです。


残念ながら、紀伊神社は宮司さんも居らず、普段は無人の神社のようです。
御朱印も拝受されているようですが、今回は残念ながら無理のようでした..................。


2018/05/16 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

かながわの景勝50選 《 小田原城 》 (2017年12月18日)(神奈川県小田原市) 

12月18日

この日は、小田原城の敷地内にある報徳二宮神社に立ち寄りました。
せっかく、小田原城内に行ったのに、小田原城に立ち寄らずに帰る訳には行かない。
江戸時代にかなり改修されてしまったものの、元々は戦国大名であり
関東の覇者であった後北条氏(小田原北条氏)の本拠地。

ましてや、小田原城は『かながわの景勝50選』の一つ。
素通りは出来ませんねぇ(笑)
とは言え、時間貸しの駐車場の料金も気になるから
サッと見学しちゃいましょう。


一応、小田原城址は国指定史跡になります。

      20171218小田原城01


堀沿いにある馬出曲輪(捨曲輪)。

      20171218小田原城02



二の丸と本丸を繋ぐ赤い橋の上から見た本丸の堀跡。

      20171218小田原城03

堀跡は菖蒲園か何かになっているようです。


赤い橋を渡れば、常盤木門。

      20171218小田原城04



残念ながら、往時のモノではなくて昭和46年に復元されたモノ。

      20171218小田原城05


でも常盤木門の碑は、それなりに時代を感じさせる。

      20171218小田原城06



常盤木門の右正面から。

      20171218小田原城07



こちらが、本丸。

      20171218小田原城08


どぉ〜んと、復興天守閣が目の前に立ちそびえます。

      20171218小田原城09


      20171218小田原城10


やっぱり、小田原城と言えば、この復興天守閣になっちゃうのかな?
案内板や説明板が立ち並びます。

      20171218小田原城11


      20171218小田原城12


天守閣目当ての観光客も多いようです。

      20171218小田原城13



こちらも復興されたものなのか?

      20171218小田原城14

個人的には復興天守閣よりも、こちらの石垣の方が気になったりして...............



報徳二宮神社の裏手。
小峯曲輪の土塁。

      20171218小田原城15


小峯曲輪空堀。

      20171218小田原城16


      20171218小田原城17


一応、本丸周辺を含めて、『かながわの景勝50選』の碑を探して見たんだけれど
やっぱり見つからない。

多くの先人ブロガーさん達が、『かながわの景勝50選』の碑は見つからない と
ブログで記しているから、やっぱり『かながわの景勝50選』の碑は
無くなっちゃってしまったか?
はたまた、最初から碑は設置されていなかったのか?
詳細は不明。

碑は無くて残念だけど、『かながわの景勝50選』の小田原城、
これにて制覇と言うことにいたしましょう。




2018/02/15 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 報徳二宮神社 》 (2017年12月18日)(神奈川県小田原市) 

12月18日

この日は、熱海市のパワースポットである来宮神社に行き、
その延長で熱海市、湯河原町、小田原市、秦野市と御朱印巡りとなりました。


湯河原町の五所神社をあとにして、向かった先は...............報徳二宮神社


真鶴町辺りでお昼をと思っていたけれど
犬連れで食べれるお店が無く
どうせ犬連れNGなら、小田原の早川漁港の市場の二階にある食堂に行こう!

びいすけ は、車で留守番。
早川漁港の市場の食堂のご飯は美味かった...............。



お腹も満たされた事だし、報徳二宮神社に向かいます。



二明治27年(1894)4月。
二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、
翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城の二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。
これが、報徳二宮神社の始まりとされています。
明治42年、本殿・幣殿を新築し、また拝殿を改築して、神宛を拡張し
現在の社地の景観をを整えました。
報徳二宮神社は、全国でも珍しい、二宮尊徳(金次郎)を御祭神とした神社です。

二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家ですが、
一般的には二宮金次郎と呼ばれ、幼少期に薪を背負って本を読む勤勉家とされ、
昭和期には、全国の多くの小学校で像が建てられました。
廃校好きには欠かせない二宮像のその人です。



こちらが、二宮報徳神社の参道入口。

      20171218二宮報徳神社01



参道に建つ一の鳥居。

      20171218二宮報徳神社02


まっすぐに伸びた参道。

      20171218二宮報徳神社03



こちらは、二の鳥居。

      20171218二宮報徳神社04



二の鳥居の先には、二宮像。

      20171218二宮報徳神社05

こちらは、幼少期の薪を背負って本を読む姿ではなく
晩年の二宮尊徳の姿か...............?


説明板。

      20171218二宮報徳神社06

尊徳の偉業がさらっと記されています。


気になる、看板。

      20171218二宮報徳神社07

二宮尊徳の像の近くに、ポケモンの注意書き。
時代は変わったんだなぁ...............




手水舎。

      20171218二宮報徳神社08

しっかり清めましょう。



拝殿近くの三の鳥居。

      20171218二宮報徳神社09



狛犬。

      20171218二宮報徳神社10



こちらが、本来の二宮像。

      20171218二宮報徳神社11



やっぱり、薪を背負って本を読んでいなくっちゃ。

      20171218二宮報徳神社12


      20171218二宮報徳神社13



二宮像には、 びいすけ も慣れたもの。
スマした顔で、はいポーズ。

      20171218二宮報徳神社14



ちなみに、こちらの二宮像は、ブロンズ製で昭和3年に1000体作られたそうですが
現存するのは、この1体だけらしい。

      20171218二宮報徳神社15



こちらが拝殿。

      20171218二宮報徳神社16


      20171218二宮報徳神社17


      20171218二宮報徳神社18



拝殿脇の説明板。

      20171218二宮報徳神社19

表参道入口に建つ、一の鳥居の建て替えの様子が説明されています。



拝殿の両脇には、未だになんと言うのか判らない桶?

      20171218二宮報徳神社20


参道の大鳥居(一の鳥居)に用いた木の残骸。

      20171218二宮報徳神社21


こちらが社務所。
御朱印は、こちらでいただく事が出来ます。

      20171218二宮報徳神社22


境内の一角には、金次郎カフェ。

      20171218二宮報徳神社23

カフェの売店でオリジナルの金次郎マークの御朱印帳が販売しています。
欲しかったけど、御朱印帳のみで2000円。
諦めました。


売店に貼られていたポスター。
小田原市内にもしちがあるらしい。

      20171218二宮報徳神社24

いつか、チャレンジしなくっちゃ!



拝殿右脇は、裏参道。

      20171218二宮報徳神社25



裏参道を進めば、小田原城下になります。

こちらが裏参道入口。

      20171218二宮報徳神社26


裏参道の社号標。

      20171218二宮報徳神社27


こちらが、報徳二宮神社の御朱印。

      20171218二宮報徳神社28


廃校マニアにとって二宮尊徳(金次郎)は、やっぱり特別な存在。
その尊徳翁を御祭神とする報徳二宮神社。

報徳二宮神社は、日光市にも在るらしい。
いつか、機会が有れば...............
そちらも奉拝してみたいものです。


2018/02/15 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ふるはうす (2017年5月26日)(神奈川県小田原市) 

5月26日 公休日

**初めにお断り

今回のお店はドッグカフェではありませんが
テラス席ペット同伴可と言うお店なので、
あえてドッグカフェのカテゴリーに区分しました。





個人的な連休。

前日の夜に千葉から車で八王子の実家に移動。

今年の1月に私の父親が緊急入院すると言う事態になり
しばらく、 びいすけ を連れて実家に行くと言う事を控えていました。
幸い、父親も無事回復し、元気になりました。
実家から、 びいすけ を連れて遊びに行くことの許可が出たので
久しぶりに実家に訪れました。

入院した日に交わした約束。
『退院して元気になったら美味い魚でも食べに行こう!』

やっと、その約束が履行出来ることになりました。
とは言え、びいすけ を連れての行動は限られてしまいます。

そんな時、誰かのblogで、テラス席ですがペット同伴で海鮮が楽しめるお店の存在を知り、
やって来たのが...............ふるはうす


小田原の早川漁港の近くと言うことでしたが、
お店の場所をうろ覚えで出かけたものだから、
探し方が悪かったのか?
同じ場所をぐるぐると回ってやっと辿り着けました(笑)


      20170526ふるはうす01


お店の入口にはメニューが張り出されています。

おすすめのランチ。

      20170526ふるはうす02



おすすめランチも良いけれど
今日はレギュラーメニューから選びましょう。

      20170526ふるはうす03



やっぱり定食系かな?

      20170526ふるはうす04



ご飯はシラス御飯にしなくっちゃ。

      20170526ふるはうす05



ペット可のテラス席。
一般の人も利用するから、注意書きは当たり前。

      20170526ふるはうす06

最近、この手のマナーが、守れない飼い主が多いから
ペット可の店が少なくなっちゃうだよなぁ。


当然、無駄吠え禁止。

      20170526ふるはうす15



オーダーを頼んで、配膳されるのを待ちましょう。

      20170526ふるはうす07



『 僕のも頼んでね! 』

      20170526ふるはうす11


ごめんね! わんこ用メニューは無いんだなぁ。

      20170526ふるはうす12





やって来ました。
週末限定10食の刺身定食。

      20170526ふるはうす08



ご飯は、シラス御飯。

      20170526ふるはうす09



びいすけ には、シラスをあげましょう。

      20170526ふるはうす10




テラス席はこんな感じです。

      20170526ふるはうす14
     


平日限定のサービスの食後のコーヒー。

      20170526ふるはうす13


     
美味しくいただきました。

退院から3ヶ月後。
じいちゃんとの約束も果たせて、ホッと一安心です。





2017/06/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................片浦小学校石橋分教場跡                     (2014年9月25日)(神奈川県小田原市) 

9月25日 公休日

9月25日〜26日の個人的な連休を利用して伊豆へ遊びに行きました。


石橋山古戦場跡をあとにして、向かった先は............


          旧・片浦村立片浦小学校石橋分教場跡



石橋分教場は

明治6年に創設された石橋学校がその前身とされているようです。

明治17年    早川小学校の石橋分校となる。
明治19年   石橋学校として独立する。
明治22年   石橋村が単独村制。
         早川村・米神村・根府川村・江ノ浦村との町村組合が発足する。
明治25年   尋常早川小学校に合併される。
明治28年   早川小学校より独立。
         尋常志喜小学校となる。
大正2年    米神村・根府川村・江ノ浦村と合併して片浦村が発足。
          町村組合および石橋村は廃止となりました。
         本校を片浦村立尋常高等根府川小学校、
         分校を片浦村立尋常志喜小学校となる。
大正3年    校名改称と本校、分校の入れ替えを行い、
         尋常志喜小学校を本校とし、尋常第一片浦小学校といい、
         尋常高等根府川小学校を尋常高等第二片浦小学校とし、分校となる。
大正4年    第一、第二小学校を統合して、尋常高等片浦小学校と改称し、
         石橋分教場となる。
         尋常4年以下は、分教場に収容する。
昭和10年   今までの石橋分教場を廃し、分教場を石橋河原263番地に石橋分教場として存置、
         石橋部落1・2年生児童を収容する。
         一村一校主義、学校位置問題で6年猶予にわたって紛争していたが、
         解決し、片浦村に喜びあふれる。
昭和27年   本校と統合し、石橋分教場は廃止、廃校となる。


           (片浦小学校HPより一部引用)


石橋山古戦場跡から、ちょっぴりR135を小田原方面へ戻ると
石橋集落があります。
その石橋集落の奥に分教場跡はありました。

とは言え、辿り着くまでがそれなりに大変でした。

何せ、廃校となったのが昭和27年。
今から62年前の話です。

石橋山古戦場跡近くの民家の方に聞いてもわからない。
石橋集落で散歩している御老人に聞いてみると、
『何も残っていなくて、畑になっているけど
建物の基礎が残っている』とのことです。

何と無く教えてもらった場所近くまで来たけれど、
今一歩此処だと言う自信がない。
近くに住む若夫婦に聞いても、分教場があった事さえ知らない。

一枚写真を撮り、先ほどの散歩していた御老人を探し
写真を見てもらい、間違いないことを確認しました。


その確認写真がこちら。

      01

分教場の入口となります


ちょうど、この辺りが正門だったのでしょう。

      20140925石橋分教場02


この場所を教えていただいたご老人の言う通り
敷地内には建物は何も残されていなく
畑となっています。

      20140925石橋分教場03


と言うか、畑跡って言う感じです。

      20140925石橋分教場04


古びた看板には
オレンジフォームファーマー 体験研修果樹園 と書かれています

おそらく、廃校跡は民地となって果樹園となったようです。

      20140925石橋分教場07



隣りの敷地との往来に使ったいたのか?
はたまた、分教場時代に利用されていたのか?
敷地の隅にある古い石段。

      20140925石橋分教場05



御老人の言っていた分教場の基礎部分。

      20140925石橋分教場06


      20140925石橋分教場09


すぐ近くには、東海道新幹線の高架があり
時折、勢いよく新幹線が走り去っていきます。

      20140925石橋分教場08

分教場に子供たちが通っていた時代には見られなかった光景です。



正門跡脇の古びた石垣とコンクリートのフェンス。
分教場時代のモノなのかなぁ......?

      20140925石橋分教場10


62年前に廃校となった分教場。
今でこそ、小田原市であるけれど
片浦小学校のHPにはこの地区(旧・片浦村)の学校の位置問題で
6年もの長い期間、係争していたと言われています。

学校遺構は何も残されていなく、集落に住む人々も代替わりして
分教場がかつてこの地にあったことも忘れ去られ
民家の間にひっそりと残っていた石橋分教場跡。

このまま、ひっそりと残っていて欲しい....................




2014/10/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

石橋山古戦場跡     (2014年9月25日)(神奈川県小田原市) 

9月25日 公休日

9月25日〜26日は個人的な連休。

この連休を利用して、伊豆へ旅行に出掛けました。



明神分校をあとにして、向かった先は............

          石橋山古戦場跡


石橋山古戦場とは

平安時代の末期、地方には私有地である荘園が増え、
律令制度は徐々に崩壊していきました。
荘園を開発した地方の豪族すなわち武士たちは、東国の武蔵・相模に多く、
小田原地方には曽我氏、大友氏、小早川氏、中村氏、河村氏、松田氏などの一族がいました。

西国の武士を従えた桓武平氏は、
保元の乱(保元元年(1156))、平治の乱(平治元年(1159)) における朝廷内部の争いを利用して
勢力を広げ政権を握りました。
これに対し東国武士に信望のあった清和源氏は、
治承4 年(1180)高倉宮以仁王の平氏追討の令旨をかかげて、
源頼朝が伊豆で挙兵しました。

伊豆・相模の武将の援軍を得て300 余騎を従えた頼朝は、
鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を大庭景親の3,000余騎に、
後方を伊東祐親の300騎に挟まれて大苦戦となりました。
これが「石橋山の合戦」です。

頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、
10倍を越える敵の軍勢に頼朝方は破れ、
箱根山中に逃れた後、真鶴から海路で安房(千葉県) へ向かいました。


石橋山の合戦で、頼朝方の佐奈田与一義忠は敵将の俣野五郎景久を組み伏せたが、
与一の刀は血糊がこびりついて抜けず、その間に敵の長尾新六に討ち取られてしまいました。

その与一の遺骸を葬ったのが与一塚で、
その傍らには、佐奈田霊社が建っています。
この霊社は、与一が景久と組み討ち中、
味方からの問いかけに対し「たん」がからんで声が出ず、
そうこうしているうちに、敵に討たれてしまったという伝承にちなんで、
たん、咳、ぜんそく、声に霊験があるとして知られます。
このため、芸能関係者の参詣も数多くあります。

与一が俣野五郎景久を組み伏せた畑が、
今でも「ねじり畑」として残っていますが、
戦の後この畑の作物はみなねじれてしまうということから、
この名になったといわれています。


              ( 小田原市HP より引用 )



小田原からR135を走り、西湘バイパスの早川ICを過ぎて
しばらく熱海方面へ走ると、右側に斜面を上がって行く細い道があります。

この細い道を走り、案内看板に導かれ、佐奈田霊社の駐車場に車を停めます。

      20140925石橋山合戦場01


実は、この佐奈田霊社こそが石橋山古戦場跡になります。

佐奈田霊社入口にある説明看板。


      20140925石橋山合戦場02



こちらは社号標。

      20140925石橋山合戦場03


石段を上がり、佐奈田霊社の境内に入ります。


こちらが、拝殿。

      20140925石橋山合戦場04



こちらは、観音堂。

      20140925石橋山合戦場05


観音堂の前にも、手書きの説明看板。
しっかりと石橋山古戦場の事や佐奈田与一について触れています。


      20140925石橋山合戦場06


こちらが、佐奈田与一の手附石。

      20140925石橋山合戦場07


なぜか、人の手の形の窪みがありますが
明らかに削ったような気がするんですが............(笑)。

      20140925石橋山合戦場08


      20140925石橋山合戦場09



こちらが、与一塚。

      20140925石橋山合戦場10


      20140925石橋山合戦場11



与一塚の前にも立派な説明看板。
しかも2枚。
かなり、小田原市もこの石橋山古戦場に力を入れているようです。

      20140925石橋山合戦場12


      20140925石橋山合戦場13


小降りになって来たものの、雨はまだ止まず
時折、レンズに雨が当たるようです。


      20140925石橋山合戦場14



佐奈田霊社の境内から参道を下って行きます。


      20140925石橋山合戦場15


      20140925石橋山合戦場16



参道を下った所に建つ案内板。
文三堂に向かいます。


      20140925石橋山合戦場17



こちらは、『ねじり畑』。
佐奈田与一が討ち取られてしまった場所です。


      20140925石橋山合戦場18

確かに、完全な畑。
この畑で採れる作物はねじれてしまうと言う伝承が有るらしい。



さらに、その先には『文三堂』


      20140925石橋山合戦場19


佐奈田与一の家来であり、
与一が討ち取られると敵方に突っ込み、
平家方に討ち取られてしまった文三家安を祀ったお堂です。

      20140925石橋山合戦場20



文三堂からは駐車場へと歩いて行きます。

ちょうど、この石橋山古戦場の真下を東海道線が走っています。


      20140925石橋山合戦場21


      20140925石橋山合戦場22



東海道線の電車と相模湾。
天気が良ければ、それなりのロケーションだと思うのですが............


      20140925石橋山合戦場23


      20140925石橋山合戦場24




トンネルの上の山の中腹にある古戦場の碑。


      20140925石橋山合戦場25


      20140925石橋山合戦場26


『源頼朝 挙兵の地』とありますが
治承4年(1180年)8月17日、頼朝の命で北条時政らが
韮山にある兼隆の目代屋敷を襲撃して兼隆を討ち取ったことから
流刑の地とされている伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)が挙兵の地じゃないんだろうか.....?


そんな疑問を頭に浮かべながらも
小雨も上がり、ちょっぴり気持ちも晴れ、
次なる場所へと移動するのでありました..................。




2014/10/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................久野小学校明神分校                        (2014年9月25日)(神奈川県小田原市) 

9月25日 公休日


9月25日〜26日の個人的な連休を利用して伊豆へ遊びに行きました。

台風16号が先日に温帯性低気圧に変わり
東海・関東地方は、朝からグズつく天気と言う予報通り
小雨の中の出発となりました。

当初の予定では、
この日は、沼津から伊豆半島を下り河津七滝を見に行く予定でしたが
予定は予定。
クズつく空を睨みながら、向かった先は............


          小田原市立久野小学校明神分校跡



明神分校は

昭和22年に小田原市立足柄小学校から分離した久野小学校の分校として設立されました。

昭和40年に本校に統合され、廃校となりました。



この、明神分校があったのは、小田原駅から10kmほど山あいに入った和留沢集落。
日向林道(舗装されています)をかなり上っていきます。


      20140925明神分校18


とにかく、途中から道幅1車線の狭い道。
対向車が来ないことを祈りながら、アクセルはベタ踏み。
愛車ミニカは苦しそうに唸りながら上って行きます。



この台地の奥が明神分校。

      20140925明神分校17

御多分に漏れず、明神分校も廃校後は地区の公民館となっています。




こちらが、明神分校跡。

おそらく、正門の有った場所でしょう。

      20140925明神分校01


小雨だけど、多少濡れても大丈夫!

って思っていたけど、かなり濡れる。
急いで、 びいすけ にカッパを着させます。

改めて、ハイ ポーズ (パチリ☆)

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こちらが、校舎。


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実は、この校舎、昭和28年に竣工されたモノだそうです。

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廃校後も解体されず、和留沢公民館として地域の方々の集いの場として活用されているようです。


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公民館(旧・校舎)の前に建つ石碑。

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古い石碑ですが、刻まれている文字が読めず、何の石碑かわからない。
ひょっとしたら、分校関連の石碑だろうか?



地域の避難場所でもあるようです。

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狭いながらも、かつての校庭。

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何か学校遺構が残っていないか?
ぐるっと敷地内を廻ってみます。

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特に、これと言った遺構は残っていないようです。


白くペンキで塗られた木造の旧・校舎と校庭の隅にある大きな桜の木が
かつて、この地が分校であったことを何と無く感じさせてくれるようです。


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分校跡から林道を少し下ると、小さな公園があります。

『たいようの丘』と名付けられた小さな公園。

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こちらには、遊具がありました。

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ひょっとしたら、分校の子供たちは
こちらで遊んでいたのかもしれませんね。


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幾分、小降りになって来たとは言え、まだまだ雨は止みそうもない。
仕方が無いけれど、先を急ぐことにいたしましょう............。



2014/10/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit