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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

茨城百景《六反田六地蔵尊》    (2020年1月25日)(茨城県水戸市) 

1月25日

この日は、水戸市に出かけました。

数年前から追いかけている『茨城百景』。

昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)

追いかけていると言っても、その景勝地を訪れ、景観を楽しみ、百景の碑を探すと言った行動ですが、水戸市には数ヶ所の茨城百景の選定地があります。 
その中の一つ、『六反田六地蔵尊』に訪れました。

六反田六地蔵は、水戸市六反田町にある六地蔵寺(真言宗)のお寺の総称です。
山号を倶胝密山、院号を聖宝院と称し、別名「水戸大師」と尊称を頂く真言宗の寺院で、
正式名称は「水戸大師 六地蔵寺(旧称 六蔵寺)」と称し、
大同02年(807年)の開基で、六地蔵菩薩(行基菩薩作)を本尊としてします。

六体の地蔵菩薩を本尊とする寺院は、国内唯一と言われています。
室町時代に恵範法印により中興(復興)され、恵範上人が西国の諸大寺へ遊学し、経典の収集、書写に努めたことにより
多くの学僧、修行僧を排出し、大掾氏、佐竹氏、徳川氏と、歴代の領主から厚遇されできた寺院です。


水戸市と言っても
中心部からは、かなり離れた位置にある六地蔵寺。
とりあえず、駐車場に車を入れます。

      20200125六地蔵寺01



どうやら、境内は犬連れ禁止のようです。
とりあえず、 びいすけ はここまで。

      20200125六地蔵寺02


幸いなことに、茨城百景の碑は駐車場の一角に在りました。

      20200125六地蔵寺03


『茨城百景 六反田六地蔵尊』の碑です。

      20200125六地蔵寺04




第一駐車場入口にしっかりと看板が立てられていましたね。
気がつきませんでした。

      20200125六地蔵寺35

急いで、車を第二駐車場に移動します。



こちらが六地蔵寺の門前。

      20200125六地蔵寺06



やはり、ペットNGのバリケード。

      20200125六地蔵寺07

びいすけ は車の中で留守番してもらいます。


参道に掲げられた六地蔵寺の縁起。
いわゆる由緒書きですね。

      20200125六地蔵寺08



参道。

      20200125六地蔵寺09

橋があって、その先が山門(四脚門)。
神社の場合、こう言った橋を神橋と言うけれど
お寺の場合は、何て言うんでしょうか?



手水舎。

     20200125六地蔵寺05



こちらが、本堂。

      20200125六地蔵寺19



本堂正面に掲げられた扁額。

      20200125六地蔵寺20



別アングルからの本堂。

      20200125六地蔵寺21


本堂前の天水桶。

      20200125六地蔵寺22




そして、こちらが六地蔵寺のメインとも言える地蔵堂。

      20200125六地蔵寺10



赤い幟が参拝者を誘います。

      20200125六地蔵寺11


常香炉。

      20200125六地蔵寺12


地蔵堂内部。

      20200125六地蔵寺13


      20200125六地蔵寺14

 

御本尊、地蔵菩薩。
   
      20200125六地蔵寺15


地蔵堂正面に掲げられた扁額。

      20200125六地蔵寺16



六地蔵寺は通称、『水戸大師』とも呼ばれているようで
提灯も掲げられています。

      20200125六地蔵寺17



地蔵堂前の鬼(?)の像。

      20200125六地蔵寺18

地蔵堂を護っているんでしょうか?



旧・法寳蔵。

      20200125六地蔵寺23



大師堂。

      20200125六地蔵寺24



地蔵堂前には六体のお地蔵さん。

      20200125六地蔵寺25

最初は、六体のお地蔵が地蔵堂の前に居るから
六地蔵寺と勘違いをしてしまいました。




境内の弘法大師像。

      20200125六地蔵寺26


地蔵堂の右側奥にはちょっとした土壇があります。

      20200125六地蔵寺27


ちょっぴり土塁っぽくて、城址の雰囲気もある。

      20200125六地蔵寺28



境内の枝垂れ桜。

      20200125六地蔵寺29

実は、こちらの六地蔵寺は桜の名所としても知られているようです。



境内の杉の木。

      20200125六地蔵寺30

天然記念物として、水戸市の文化財に指定されています。



境内の大銀杏。

      20200125六地蔵寺31

こちらも天然記念物として、水戸市の文化財に指定されています。



こちらが寺務所。

      20200125六地蔵寺32



御朱印は、こちらで頂きます。

      20200125六地蔵寺33



こちらが、六地蔵寺の御朱印。

      20200125六地蔵寺34


桜の時期に訪れるのが、正解かも知れませんね。




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2020/02/27 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 隅田川七福神  毘沙門天  多聞寺 》 (2020年1月7日)(東京都墨田区) 

1月7日

この日は、都内に出かけました。
1月7日のこの日で、今年の七福神巡りが最終日と言う所は多い。
そんな中で訪れたのは、隅田川七福神巡り。

その隅田川七福神、毘沙門天の多聞寺です。

こちらの多聞寺は、隅田川七福神の毘沙門天にあたります。

毘沙門天は、四天王の一仏で、別名「多聞天」とも呼ばれます。
七福神の中で、唯一の武将の姿をしていて、
右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけています。
七福神では、融通招福の神として信仰されています。


隅田川七福神は、江戸時代の文化年間に向島百花園に集まる文人たちが、
百花園主の福禄寿を中心に始まった6寺社を巡る七福神巡りで、
全ての寺社が墨田区にあります。

その構成は、
福禄寿       向島百花園
寿老人       白鬚神社
恵比寿 大黒天   三圍神社
布袋尊       弘福寺
弁財天       長命寺
毘沙門天      多聞寺

となっています。

その多聞寺ですが、かつては大鏡山明王院隅田寺と称し、
不動明王を本尊としていましたが、
天正年間(1573~1591年)に、住職鑁海上人が夢のお告げにより、
毘沙門天を本尊として隅田山吉祥院多聞寺と改称したと伝えられています。

古くは隅田堤の外の隅田川神社に近い多聞寺屋敷という所にありましたが、
天正年間(1573~92年)に現在地に移されたそうです。
慶長11年(1606年)に建立され、本尊の毘沙門天像は、
弘法大師の作と伝えられているそうです。



地下鉄本所吾妻橋駅から歩いてスタートした隅田川七福神、
いよいよ最後の多聞寺に到着です。

     20200107多聞寺03



こちらが寺号標。

     20200107多聞寺01


こちらも隅田川七福神の看板がお出迎え。

     20200107多聞寺02




そして、山門。

     20200107多聞寺04


山門脇の碑。

     20200107多聞寺17



山門は、墨田区の文化財に指定されているようです。

     20200107多聞寺18




参道の天水桶。

     20200107多聞寺05

参道に天水桶が在るのに、何故か手水舎がない。



こちらが本堂。

     20200107多聞寺06



本殿正面。

     20200107多聞寺07



本堂正面に掲げられた扁額。

     20200107多聞寺08

毘沙門天と読めますね。


この時期だけの御本尊の御開帳(?)

     20200107多聞寺09



御本尊の毘沙門天。

     20200107多聞寺10


本堂前の常香炉。

     20200107多聞寺14



こちらの多聞寺。
境内には狸の像が多い。

「狸塚」。

     20200107多聞寺11


     20200107多聞寺12


     20200107多聞寺13

実は、多聞寺の狸については
こんな伝承があるようです。

多聞寺のある辺りがまだ草深い里だった頃、
本堂のすぐ前の大きな老松の根本に古狸の夫婦が棲んでいて、
村人をおどろかしたり、いたずらをしていました。
そこで村人達は住持と話し合い、この老松を切りはらってしまいました。
しかし、狸の悪さは一層ひどくなるばかりで因った住持は、
一心に本尊毘沙門天に祈りました。

ある夜、毘沙門天門下の禅尼師童子が現われ、
宝棒で狸を打ちすえる夢を見たそうです。
すると翌朝、庭に二匹の大狸が死んでいたそうです。
この狸を葬った場所に石を立て、狸塚にしたとされています。
狸塚があることからたぬき寺とも言われているようです。

なるほど...............




境内には地蔵、石仏も多い。
まあ寺院だから、それが普通なのかもしれませんけどね。

     20200107多聞寺15


     20200107多聞寺16


     20200107多聞寺19


     20200107多聞寺20



先の戦争の空襲で焼け残った鉄骨。

     20200107多聞寺21


こちらは、焼け残った木材。

     20200107多聞寺22



山門裏手に隠れるように建っていた七福神の碑。

     20200107多聞寺23

確か、弘福寺にもあったような気持ちがする。
ひょっとしたら、隅田川七福神の寺社全てに置かれていたんだろうか.........?



こちらが寺務所。

     20200107多聞寺24

御朱印は、こちらで授与出来ます。


そして、こちらが御朱印。

     20200107多聞寺25


隅田川七福神、これで全て巡ることが出来ました。








2020/02/20 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 隅田川七福神  布袋尊 弘福寺 》 (2020年1月7日)(東京都墨田区) 

1月7日

この日は、都内に出かけました。
1月7日のこの日で、今年の七福神巡りが最終日と言う所は多い。
そんな中で訪れたのは、隅田川七福神巡り。

その隅田川七福神、布袋尊の弘福寺です。

弘福寺は、黄檗宗大本山、宇治の黄檗山萬福寺の末寺で、
同宗の名僧・鉄牛和尚の手で延宝2年(1673年)に、創建されました。
同じ禅宗の中でも最も中国に近い宗派として名高く、
その建築も重層の屋根、大棟の宝珠、鴟尾、廂の蛇腹天井、細棧の扉、
両翼の円窓、堂前の月台、柱にかかる聯額などを持つ中国風の特色多い寺院です。

境内右手の小祠には咳の爺婆尊の石像が祀られており、
この像は、寛永年間(1624~44年)に風外和尚が真鶴山中で修業中に、
父母に孝養を尽せぬことをいたんで刻んだものと伝えられます。
後に、弘福寺に移されました。風外和尚の両親の像だから風邪にも強かろうと、
爺像は喉頭の病に、婆像は咳止めにご利益あるとして、
今でも風邪除けの信仰を集めています。

佐原菊塢の百花園に集う文人墨客らは、
禅宗に関わりの深い布袋和尚木像が本堂に祀られていることに注目し、
隅田川七福神のひとつとしました。
そんなことから、こちらの弘福寺は隅田川七福神の布袋尊にあたります。

隅田川七福神は、江戸時代の文化年間に向島百花園に集まる文人たちが、
百花園主の福禄寿を中心に始まった6寺社を巡る七福神巡りで、
全ての寺社が墨田区にあります。

その構成は、
福禄寿       向島百花園
寿老人       白鬚神社
恵比寿 大黒天   三圍神社
布袋尊       弘福寺
弁財天       長命寺
毘沙門天      多聞寺

となっています。

布袋尊は、弥勒菩薩の化身と言われ、
いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、
大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、
信仰の厚い人に与えられたということです。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰されています。



三圍神社の前の道を隅田川を上っていくように5分ほど進めば
やがて、弘福寺に到着します。


こちらが寺号標。

     20200107弘福寺01


隅田川七福神の看板がお出迎え。

     20200107弘福寺02



弘福寺の山門。

     20200107弘福寺03

確かに、見た感じも日本の寺院よりも中国の寺院っぽい雰囲気はある。



山門の扁額。

     20200107弘福寺04

余りにも達筆すぎるので判別できないけれど
山号の『牛頭山』と記されているんでしょうか?



山門の先には本堂。

     20200107弘福寺05

弘福寺では大雄寶殿と言うらしい。



屋根瓦の上に掲げられた扁額。

     20200107弘福寺06



本堂正面。

     20200107弘福寺07


     20200107弘福寺08


     20200107弘福寺09



こちらにも扁額。

     20200107弘福寺10

これは何と読むのだろう?




別アングルからの本堂。

     20200107弘福寺11



 
本殿前の天水桶。

     20200107弘福寺17






鐘楼。

     20200107弘福寺13

特徴のある瓦屋根。
両脇の鯱鉾で良いんだろうか?
このアクセントが一際目立っている。



鐘楼の近くには本堂の鬼瓦。

     20200107弘福寺14

以前のものだとは思うけれど、立派な鬼瓦。


こちらが、咳の爺婆尊の石像が祀られた小祠。

     20200107弘福寺15


その説明板。

     20200107弘福寺23




こちらは、隅田川七福神の碑。

     20200107弘福寺16


その近くには、隅田川七福神の案内板。

     20200107弘福寺12

かなり、隅田川七福神に力を入れているようですね。



境内奥の石仏。

     20200107弘福寺18




こちらは、越後与板藩主 井伊家墓所。

     20200107弘福寺19



本堂裏手の門。
寺院の門って基本的には山門と言うようだから
こちらは、裏山門とでも言うべきなんでしょうか?

     20200107弘福寺20




こちらは客殿。

     20200107弘福寺21


御朱印はこちらの授与所で拝受します。

     20200107弘福寺22




この日、弘福寺で拝受できる御朱印は4種類。
全て頂くことにしました。

弘福寺関連の御朱印。


     20200107弘福寺24


     20200107弘福寺25


     20200107弘福寺26



そして、こちらが隅田川七福神 布袋尊の御朱印。

     20200107弘福寺27


隅田川七福神巡り、まだまだ続きます。




2020/02/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩.............七福神巡り  《 隅田川七福神  弁財天 長命寺 》 (2020年1月7日)(東京都墨田区) 

1月7日  

この日は、都内に出かけました。
1月7日のこの日で、今年の七福神巡りが最終日と言う所は多い。
そんな中で訪れたのは、隅田川七福神巡り。

その隅田川七福神、弁財天の長命寺です。

長命寺の開山は明らかではありませんが、
元和元年(1615年)頃の創建とも伝えられています。
もとは常泉寺と号してたそうです。

寛永年間(1624~44年)に、3代将軍家光が鷹狩の途中、
不意の腹痛のためこの寺に休憩した際、
境内の井戸水を汲み、薬を服用したところ、
たちどころに痛みが消え快癒しました。
喜んだ家光がその井戸に長命水の名を与えたところから、
以後、寺号を長命寺と改めたといいます。
今も残る長命水石文や洗心養神の石碑が、それを物語っています。

境内には、他にも様々な石碑が立ち並んでいます。

こちらの長命寺は、隅田川七福神の弁財天にあたります。

弁財天は、七福神の中で唯一の女神で、元はインド河(水)の神でしたが、
やがて音楽の神・言語の神となり、日本に伝わった当初は、弁才天と呼ばれていました。
その後、財宝・芸術に関係深い吉祥天の性格が吸収され弁財天と呼ばれるようになり、
財宝を授けてくださる神へとなったものとされ、知恵財宝、
愛嬌縁結びの徳があると言われています。


隅田川七福神は、江戸時代の文化年間に向島百花園に集まる文人たちが、百花園主の福禄寿を中心に始まった6寺社を巡る七福神巡りで、全ての寺社が墨田区にあります。

その構成は、
福禄寿       向島百花園
寿老人       白鬚神社
恵比寿 大黒天   三圍神社
布袋尊       弘福寺
弁財天       長命寺
毘沙門天      多聞寺

となっています。



弘福寺からもすぐ近く、道沿いに人の集まりがあるから、何かと思ったら
長命寺の参拝を終えたおじいちゃん、おばあちゃんたちが
門前にたむろしていました。おかげで行き過ぎることもなく到着です。


こちらが、山門。

      20200107長命寺01


やはり、こちらでも七福神の看板がお出迎え。

      20200107長命寺02



寺号標は特になく、石造りの門に寺号が掲げられています。

      20200107長命寺03



手水舎。

      20200107長命寺04


こちらが、本堂。

      20200107長命寺05



本堂正面。

      20200107長命寺07


      20200107長命寺08



弁財天。

      20200107長命寺06

この時期だけの御開帳。

    

境内には碑が多く建ち並ぶ。

      20200107長命寺10


      20200107長命寺12



向かって左側が芭蕉の雪見の句碑。

      20200107長命寺11



筆塚の碑。

      20200107長命寺13



成島柳北の石碑。

      20200107長命寺14



こちらは、橘守部の墓。

      20200107長命寺15


      20200107長命寺16



幼稚園を併設されているようで、こちらは園舎。

      20200107長命寺17

お寺さんに幼稚園が併設されているのって、
地方都市に多いパターンだと思っていたけれど
都心でもあるんですね。

実は、私の通った幼稚園も愛知県のとある地方都市の
お寺に併設された幼稚園でした。





御朱印は、こちらの庫裏の玄関で拝受出来ます。

      20200107長命寺18

臨時の御朱印の授与所になっています。



こちらが、御朱印。

      20200107長命寺19


隅田川七福神 弁財天の御朱印。

      20200107長命寺20



隅田川七福神巡り、まだまだ続きます。


2020/02/19 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 番外編...............稲田神社元宮跡 (2020年1月4日)(茨城県笠間市) 

1月4日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。

旧・稲田小学校をあとにして、桜川市に向けて国道50号線を移動。
信号で停止したら、こんな石碑を目に留まりました。


      20200104稲田神社奥の院01



茨城百景............稲田神社本宮跡....?

      20200104稲田神社奥の院02


あれ?
茨城百景に稲田神社本宮跡ってあったっけ?



確かに、笠間市には茨城百景は幾つかあるけれど
稲田神社本宮跡って聞いた事がない。

調べてみると、『茨城百景 笠間附近国宝社寺巡り』の中に包括風景として
楞厳寺,弥勒寺,大日堂,仏頂山,岩谷寺,稲田神社が挙げられている。

稲田神社があるから、本宮跡があっても良いのかな?
ならば、その本宮跡を訪ねてみましょう。


この道を上がって行ったところが本宮跡らしい。
民家の庭先を通るけれど、気にしなくて良いらしい。
(稲田神社の宮司さんに訊いちゃいました。)

      20200104稲田神社奥の院03



すると、こんな標柱が目に留まります。

      20200104稲田神社奥の院04


      20200104稲田神社奥の院05


      20200104稲田神社奥の院06

案内板によれば、かつての稲田神社の神宮寺ということもあり、
奇稲田姫命の本地仏聖観音と伝えられる平安時代中期製作の木造観音菩薩立像と、
素戔嗚命の本地仏かは定かではないが、同時期に製作された木造毘沙門天立像が
神宮寺観音堂に安置されています。



この地は稲田神社の御祭神である奇稲田姫命の垂迹地とされており、
祭神降臨伝説の舞台地でもあります。
通称、稲田姫奥の院と呼ばれる所です。

「稲田姫奥の院」とは、稲田神社の本宮跡地のことを指します。
跡地ですので、稲田神社とは全く別のところに位置しています。
森のなかにひっそりと存在している、知る人ぞ知る秘密のスポットとなります。
「稲田」という地名のもとになった神話が生まれた場所でもあります。

      20200104稲田神社奥の院07



小さいながらも、『稲田神社奥の院』の碑も建っている。

      20200104稲田神社奥の院08


石段の上には、社。

      20200104稲田神社奥の院09


扁額は文字がカスれて読みづらい。

      20200104稲田神社奥の院10



しかし、こちらが紛れもなく奥の院。

      20200104稲田神社奥の院11



そして、こちらが観音堂。

      20200104稲田神社奥の院12






手摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院13


脚摩乳の祠。

      20200104稲田神社奥の院14





奥の院(本宮跡)に行ったのだから
稲田神社を素通りする訳にはいきません。

改めて、稲田神社にも参拝いたします。


社号標。

      20200104稲田神社奥の院15



手水舎。

      20200104稲田神社奥の院16



二の鳥居。

      20200104稲田神社奥の院17

今回は、奥の院から来たため、一の鳥居はパス。



拝殿。

      20200104稲田神社奥の院18



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20200104稲田神社奥の院20


別アングルからの拝殿。

      20200104稲田神社奥の院21



そして、こちらが本殿。

      20200104稲田神社奥の院22



びいすけ も参拝。

      20200104稲田神社奥の院19

稲田神社は、コレで2回目の参拝だけど
奥の院もお参りしたから、今回は完璧でしょう(笑)。

茨城県百景 番外編(?)  稲田神社の本宮跡、
コレにて完了です。





2020/02/09 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

常陸七福神 弁財天  《 逢善寺 》  (2019年12月25日)(茨城県稲敷市) 

12月25日

城県の鉾田市に出かけたこの日。
その帰り道は、鉾田市から行方市、潮来市、
稲敷市へと抜けて帰ります。

大宮大神をあとにして、向かった先は...............逢善寺。


茨城県で広範囲に点在する常陸七福神。
その常陸七福神の弁財天になるのが、稲敷市の小野にある逢善寺。

昨年から追いかけている常陸七福神巡り。
茨城県の広範囲を巡る七福神で、その構成は、

大黒天   笠間稲荷神社    笠間市
恵比寿   筑波山神社     つくば市
弁財天   逢善寺       稲敷市
毘沙門天  西光院       石岡市
布袋尊   月山寺       桜川市
寿老人   西蓮寺       行方市
福禄寿   長勝寺       潮来市

となっていますが、なぜかそれらに付け加えて

七福神   真延寺       土浦市

と、8ヶ所を巡って結願すると言う七福神となっています。
これまでに 
      毘沙門天(西光院)、
      布袋尊(月山寺)
      寿老人(西蓮寺)
      福禄寿(長勝寺)
      七福神(真延寺)  
      大黒天(笠間稲荷神社)と巡ってきています。 

残すは、恵比寿と弁財天。
その弁財天に訪れました。



寺号標。

      201491225逢善寺01


参道を進みます。

      201491225逢善寺02



仁王門。

      201491225逢善寺03



仁王像。
向かって右側、阿形像。

      201491225逢善寺04

見分け方は、口を開けたのが阿形像。
口を閉じたのが吽形像となります。
これは「狛犬」でも同じらしい。知りませんでした.........。



向かって左側、吽形像。

      201491225逢善寺05



手水舎。

      201491225逢善寺06



由緒書き。

      201491225逢善寺07



そして、本堂。

      201491225逢善寺08


      201491225逢善寺09



本堂正面に掲げられた扁額。

      201491225逢善寺10



本堂正面に置かれた木造。

      201491225逢善寺11


      201491225逢善寺12


      201491225逢善寺13


      201491225逢善寺14



寺院の場合、本堂の中に御本尊が安置されていて、本堂が閉ざされていると
御本尊を拝む事が出来ない。
本堂の中に入れれば問題ないんだけど
勝手に入る訳にはいかないし............
その辺りが寺院の参拝って、難しい。


      201491225逢善寺15



僅かな隙間から中を覗き込み、弁財天を確認。

      201491225逢善寺16



別アングルからの本堂。

      201491225逢善寺17


      201491225逢善寺18



鐘楼。

      201491225逢善寺19



境内のお地蔵さん(?)。

      201491225逢善寺20



仁王門脇の松本楓湖の碑。

      201491225逢善寺21


      201491225逢善寺22



境内に授与所は在るものの、人は居ない。
どうやら、平日は授与所は閉まっているようです。


寺務所に声を掛けて、御朱印をお願いしたら
住職さんは外出されていて、書置きの御朱印になってしまうから
申し訳ないと仰っていましたが、いえいえ、問題ありません。


こちらが拝受した御朱印。

      201491225逢善寺23



そして、こちらが『常陸七福神』 弁財天 の御朱印。

      201491225逢善寺24


常陸七福神巡り、残すは筑波山神社の恵比寿のみとなりました。




2020/02/01 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 無量寿寺 》   (2019年12月25日)(茨城県鉾田市) 

12月25日

この日は、茨城県の鉾田市に出かけました。

秋に鉾田市の廃校を巡りましたが、その時に近くを通りながら
行きそびれた場所が幾つかあり、今回それらに訪れてみました。

向かった先は...............無量寿寺。

無量寿寺はここ数年追いかけている『茨城百景』の一つです。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)


無量寿寺は、大同元年(807)、平城天皇の勅願所として建立されました。
当初は「無量寺」と称していました。
承久3年(1221)、笠間の稲田草庵(西念寺)より鹿島神宮へ参詣する親鸞聖人が
廃寺同様になっていたこの寺に3年間住み、念仏と布教に当たったと言われています。

親鸞聖人は、阿弥陀仏を自ら刻んで本尊とし、浄土真宗の教えを広めたことから、
「親鸞聖人ゆかりの寺」といわれています。
親鸞聖人が3年間の布教を終えてこの地を去るにあたり、
弟子である順信房にこの寺を譲り後を託します。
その時に「無量寿寺」と改称したとされています。



こちらが無量寿寺の山門。

      20191225無量寿寺01

山門って言うと、もっと違った形だと思ったりするけど
寺院の表門を総称して「山門」と呼ばれるらしい。



山門前の掲示板。

      20191225無量寿寺02


そして、説明板。

      20191225無量寿寺03



お目当ての茨城百景の碑は、山門脇に在りました。

      20191225無量寿寺04


      20191225無量寿寺05



敷地内に入ると、すぐ目に入るのは、忠魂碑。

      20191225無量寿寺06

終戦直後、この地区のランドマーク的な存在だったのでしょうね。



本堂に続く石段。

      20191225無量寿寺07



石段を上った先には、薬医門(?)。

      20191225無量寿寺08

こちらが、通称『大門』と言われている門。


そして、門の先には本堂が見えます。

      20191225無量寿寺09



無量寿寺には、国や県の文化財に指定されているモノが多い。

      20191225無量寿寺10



手水舎。

      20191225無量寿寺11



茅葺きの本堂。

      20191225無量寿寺12

こちらは、茨城県の指定文化財。



別アングルから。

      20191225無量寿寺13




向拝の彫刻。

      20191225無量寿寺14



僅かな隙間から覗き込んだ本殿内部。

      20191225無量寿寺15



鐘楼。

      20191225無量寿寺16



境内の親鸞聖人像。

      20191225無量寿寺17



こちらは、慈愛の像。

      20191225無量寿寺18



こちらが、親鸞聖人お手植えとされる菩提樹。

      20191225無量寿寺19

こちらも茨城県の天然記念物に指定されています。


こちらも天然記念物に指定された斑入銀杏。

      20191225無量寿寺20


そして、境内の見事な大樹。

      20191225無量寿寺21
      20191225無量寿寺22

神社の場合、御神木って言うんだけど
寺院の場合は、何て言うんだろう?



寺務所に声を掛けて、御朱印をお願いしたら
住職さんが不在で対応できないとの事でした。

せっかくだし、茨城百景の地だからと御朱印を望んだのですが
不在であれば仕方がない。

これも縁なんですね。


2020/01/29 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

とりで利根川七福神 《 大黒天 長禅寺 》(2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日


この日は、茨城県の取手市に出かけました。

『茨城百景』で訪れた長禅寺。
実は、『とりで利根川七福神』の一つでもある。


『とりで利根川七福神』とは、
取手市内にある念仏院(福禄寿)、長禅寺(大黒天)、光明寺(寿老人)、普門院(布袋尊)、
明星院(恵比寿)、東谷寺(弁財天)、福永寺(毘沙門天)を巡礼する七福神巡りです。
七福神巡りの多くは新年に催されるモノが多い中、
こちらの七福神は通年行える七福神巡りだと言う事です。

それぞれの寺院の境内に、七福神の像が祀られていると言う事です。


その『とりで利根川七福神』の大黒天が祀られているのが
こちらの長禅寺になります。

       20191112取手七福神 長禅寺01


石段を上がって山門へと進みます。

      20191112取手七福神 長禅寺02



山門の先は、三世堂。
そしてその隣には、取手大師(霊山堂)。

      20191112取手七福神 長禅寺03


      20191112取手七福神 長禅寺04



わずかな隙間から中を覗いちゃいます。

      20191112取手七福神 長禅寺05



天水桶。

      20191112取手七福神 長禅寺09




取手大師の提灯。

      20191112取手七福神 長禅寺10

九曜紋がそそりますねぇ。




そして、大黒天の看板。

      20191112取手七福神 長禅寺08





肝心の七福神の大黒天は、この霊山堂の前に鎮座しています。

      20191112取手七福神 長禅寺06



こちらが、『とりで利根川七福神』の大黒天です。

      20191112取手七福神 長禅寺07



大黒天は、大自在天の化身とも言われ、大国主命と神仏習合したものです。
一度仏となりましたが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたとされています。
大地を掌握する神様(農業)でもあり、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が一般によく知られています。
財宝、福徳開運の神様として信仰されています。







こちらが、『とりで利根川七福神 』の大黒天の御朱印。

      20191112取手七福神 長禅寺11


七福神の像を詣り、御朱印を頂く、
こう言う七福神巡りも味があるような気がします。

時間が掛かっても、『とりで利根川七福神』は
結願出来るように頑張ろうと思います。



2020/01/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 長禅寺 》 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。


JR取手駅東口近く。
こんもりと樹木の生い繁った小高い丘の上に、
承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられる長禅寺があります。
この長禅寺、昭和25年に茨城百景の一つに選定されています。

数年前から『茨城百景』を追いかけている身としては
いつか訪れようと思っていた場所でした。



門扉が半分閉まっていますが、長禅寺門前。
参道口になります。

      20191112茨城百景 長禅寺01



脇には、『茨城百景』碑。

      20191112茨城百景 長禅寺02



この碑を探し求めているわけだから
この時点で、ほぼ目的達成。

      20191112茨城百景 長禅寺03



せっかく訪れたんだから、犬連れだと少し気が引けますが
お詣りして帰らなきゃ!



長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。
慶安2年(1649年)将軍・徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、
以後、明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けていたそうです。



石段を上っていきます。

      20191112茨城百景 長禅寺04



陽射しの加減で見づらいですが、山門が見えてきました。

      20191112茨城百景 長禅寺05



こちらが山門。

      20191112茨城百景 長禅寺06



山門には、『相馬霊場総本地』と掲げられています。

      20191112茨城百景 長禅寺07



山門に掲げられた扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺08

これで、『大鹿山』と読むのでしょうか?


手水舎。

      20191112茨城百景 長禅寺09



山門右脇の太子堂。

      20191112茨城百景 長禅寺10

九曜紋が目を引きます。
さすがに将門の伝説が残るお寺です。


光音霊堂。

      20191112茨城百景 長禅寺11



こちらが、三世堂。

      20191112茨城百景 長禅寺12

宝暦13年(1763年)、当時の長禅寺の住職であった幻堂和尚によって建てられました。
全国でも珍しい「さざえ堂」(内部配置の観音像を巡るだけで巡礼ができる回廊)形式となっています。

ちなみに、さざえ堂と言われる建築物は
群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、
福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、
長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、
大変に貴重な建物とされています。



三世堂の扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺13


こちらも三世堂の扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺14


こちらは、扁額の隣に掲げられています。

      20191112茨城百景 長禅寺17



説明板。

      20191112茨城百景 長禅寺15



入口には、将門の守り本尊『十一面観世音』の看板。

      20191112茨城百景 長禅寺16

こちらに安置されているんですね。
でも、内部には入れないから拝観は出来そうもない。




こちらが、本堂。

      20191112茨城百景 長禅寺18



寺務所。

      20191112茨城百景 長禅寺19

御朱印は、こちらで応対していただけます。



寺務所の中にも九曜紋の提灯。

      20191112茨城百景 長禅寺20

将門の家紋であるが、千葉一族の家紋の一つでもある。
何故か、テンションが上がっちゃいます。



こちらが、長禅寺の御朱印。

      20191112茨城百景 長禅寺21

住職さんが来客の応対中と言うことでも書置きになりますが
御朱印をいただきました。



2020/01/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 稲田御房 西念寺 》(2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


数年前から追いかけている(って言うか碑を探している)茨城百景。
昭和25年に茨城県内の100の景勝地が『茨城百景』として選定されました。
選定された景勝地には、茨城百景の碑が建てられています。
(中には、碑が無くなってしまった景勝地もあります)

その茨城百景の地が笠間市には4ヶ所あると言う事です。
ネットで色々調べて、どうやら『茨城百景の碑』も現存しているようです。

ならば、百景の碑を探してみましょう。


笠間市の茨城百景は

笠間稲荷と左白山
笠間附近国宝社寺巡り
稲田御房西念寺
吾国山愛宕山ハイキングコース

この4ヶ所になります。


この日、『笠間稲荷と左白山』『笠間附近国宝社寺巡り』の2ヶ所は
無事、百景の碑を探し出す事が出来ました。

という事で、この日3ヶ所目となる茨城百景 『稲田御房西念寺』です。


浄土真宗の開祖にあたる親鸞聖人は、後鳥羽上皇による「承元の法難」で、
越後国府に流罪となりますが、建暦元年(1211年)に赦免の宣旨が下され、
その後、建保2年(1214年)になると、鎌倉幕府の有力御家人・宇都宮頼綱の弟で、
常陸国稲田郷の領主でもあった稲田九郎頼重に招かれ、彼の地に下向して草庵を開き、
東国での布教活動に専念しました。

西念寺は、親鸞聖人ゆかりの寺院です。浄土真宗の別格本山となります。
親鸞聖人は、健保2年(1214年)この地の領主の招きで草庵を築きました。
40代前半から60代前半までのおよそ20年間この地で暮らし、
常陸国、下野国、下総国への布教の拠点としました。
また、親鸞聖人はこの地で『教行信証』の執筆を始めたとされています。

また、境内にある銀杏の巨樹は、茨城県の天然記念物に指定されています。



国道沿いに建つ大きな看板。
立派な寺号標ですね。

      20191007茨城百景 西念寺01



この聖橋から参道が始まるようです。

      20191007茨城百景 西念寺02



禁制の掲示板。

       20191007茨城百景 西念寺03

特に犬連れ禁止等の触書きはないようです。



御影石の参道。

      20191007茨城百景 西念寺04
      20191007茨城百景 西念寺05
      20191007茨城百景 西念寺06




山門。

      20191007茨城百景 西念寺07



山門の扁額は山号。

      20191007茨城百景 西念寺08



山門前には由緒書き。

      20191007茨城百景 西念寺09



手水舎。

      20191007茨城百景 西念寺10



そして、本堂。

      20191007茨城百景 西念寺11



本堂に掲げられた扁額。

      20191007茨城百景 西念寺12



本堂前の天水桶。

      20191007茨城百景 西念寺13



太鼓堂。

      20191007茨城百景 西念寺14

天保14年(1843)年、により建立されたものです。
堂内には、直径2尺8寸(約84cm)の太鼓が置かれ、
法要の開催などを近在の人々へ伝える際に使用されたそうです。



御葉付銀杏 。

    20191007茨城百景 西念寺15
   20191007茨城百景 西念寺16

推定樹齢は300年以上(一説ではおよそ800年とされる)とされ、
幹回りは約7.5m、樹高約35m、 枝張約23m。
幹回りは茨城県内で最大であり、親鸞聖人自らの御手植えと伝わっているそうです。


御葉付銀杏の説明板。

      20191007茨城百景 西念寺17


      20191007茨城百景 西念寺18



鐘楼。

      20191007茨城百景 西念寺19



太子堂。

      20191007茨城百景 西念寺20


      20191007茨城百景 西念寺21



御頂骨堂

      20191007茨城百景 西念寺22



御頂骨堂の説明板。

      20191007茨城百景 西念寺23




こちらが、茨城百景の碑。

      20191007茨城百景 西念寺27


      20191007茨城百景 西念寺28

以前はJR水戸線の稲田駅前に建てられていたそうですが、
近年、西念寺の駐車場に移設されたそうです。

尚、『茨城百景 稲田御房 西念寺』の包括風景は、
板敷山大覚寺,石切山脈となっている。

いずれもこの場所からは離れていて、板敷山大覚寺は現在の石岡市になる。
いつか機会があれば、これらの包括風景も覗いてみたいものです。


そして、こちらが西念寺の御朱印。

      20191007茨城百景 西念寺29

宿坊の受付で御朱印の対応をしていただきました。



2019/11/29 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

開運花の寺めぐり 2番 金剛寺 (2019年10月7日)(茨城県笠間市) 

10月7日

この日は、茨城県の笠間市に出かけました。


寺崎小学校をあとにして、向かった先は.............金剛寺。


金剛寺は、真言宗豊山派の寺院で、
正式には、箱田山 地蔵院 金剛寺と称します。

創建は鎌倉時代の承久年間(1219年~1222年)に賀海和尚が開山したのが始まりとされ、
その後一時衰退しますが文明9年(1477年)笠間城城主である藤原(笠間)出雲守朝貞が霊夢により
金剛寺を再建したことにより、笠間三ヵ寺の1つとして寺運が隆盛します。
江戸時代に入ると住職が離れた為に次第に衰退し、
明治4年(1871年)に廃寺となり、明治24(1891年)に再び再興したそうです。


平成17年の春、茨城県の北西部の城里町・常陸大宮市・那珂市・笠間市の寺院八ヶ寺が
宗旨を超えて、十二支の守り本尊と花めぐりのコースとして始めた「開運 花の寺めぐり」の
第2番の寺院でもあり、丑寅年(虚空蔵菩薩)を守り本尊として安置しています。


『 開運 花の寺 2番 』の金剛寺の看板。

      20191007金剛寺01



金剛寺門前。

      20191007金剛寺02


      20191007金剛寺22

      20191007金剛寺04



山門。

      20191007金剛寺05



鐘楼。

      20191007金剛寺06



本堂。

      20191007金剛寺07



本堂の扁額。

      20191007金剛寺08



鐘楼と銀杏。

      20191007金剛寺09
      20191007金剛寺10



別アングルからの銀杏。

      20191007金剛寺11
      20191007金剛寺12



開運 花の寺めぐり の案内板。

      20191007金剛寺13



花の寺と称するだけあって、境内には多くの植物がある。
中でも金剛寺の花の代表格である 枝垂れ桜。

      20191007金剛寺15



春に咲く つつじ。

      20191007金剛寺14


そして、今のこの時期は コスモス。

      20191007金剛寺23




こちらが、花の寺のスタンプ台。

      20191007金剛寺17


専用のパンフレットの台紙があるのですが
御朱印用の半紙に押してみます。

      20191007金剛寺18




こちらが寺務所。
御朱印はこちらで拝受いたします。

      20191007金剛寺19




こちらが金剛寺の御朱印。


御本尊の御朱印。

      20191007金剛寺21


花の寺の御朱印。

      20191007金剛寺20


開運 花の寺めぐり もやっとこれで二つ目。
結願目指して頑張っちゃいましょう。



2019/11/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

開運花の寺めぐり 3番 大山寺 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

石船神社をあとにして、向かった先は...................大山寺。


この日、城里町の小松寺で佐竹七福神の存在を知りました。
その佐竹七福神の福禄寿である大山寺が石船神社の近くに在ったので
立ち寄ってみることにしました。

大山寺は正式には、高根山閑心院大山寺と称するようです。

真言宗 豊山派の寺院で、元々、虫封じ高根山とも言われていて、
弘仁元年(810年)弘法大師の開創と伝えられています。
長禄元年(1457年)に宥阿上人が大山城主義成公祈願所として中興し、
高根山閑心院大山寺としました。
御本尊は大日如来(金剛界)で、子供の夜泣き、ひきつけなどの虫封じ、
子授け、開運厄除に霊験あらたかとされ、信仰されています。
関東八十八カ所霊場の一つでもあり、また茨城県の8つの寺院で展開される
開運花の寺巡りの一つでもあります。

     20191002花の寺 大山寺01

この看板は、以前常陸大宮市の江畔寺で見た事があります。
あの頃は、まだ御朱印っていうものに興味がなかったので
『花の寺めぐり.........ふ〜ん、......』って言う感じで,
さしたる興味も湧きませんでした。

『開運 花の寺めぐり』とは、
常陸大宮市、那珂市、笠間市、東茨城郡城里町にある八ヶ寺が
「花の寺」として十二支巡拝を結成し 「花の寺めぐり」としました。
1番、城里町(旧桂村)の龍谷院は子年で千手観音。
2番、笠間市の金剛寺は丑、寅年で虚空蔵菩薩。
3番、城里町(旧桂村)の大山寺は卯年で文殊菩薩。
4番、常陸大宮市の江畔寺は辰、巳年で普賢菩薩。
5番、那珂市の文殊院 は午年で勢至菩薩。
6番、城里町(旧七会村)の徳蔵寺は未、申年で大日如来。
7番、那珂市の一乗院は酉年で不動明王。
8番、常陸大宮市の弘願寺は戌、亥年で阿弥陀如来。
そして各寺院の境内は、四季の花で彩られているのが特徴となっています。

元来、凝り性の性格だからこの看板を見たからには、
『開運 花の寺巡り』っていうやつも完遂してやろうって言う気持ちになっちゃいます。


どうやら私の中では、いつの間にか佐竹七福神よりも
『開運 花の寺めぐり』の方が、ググッと表に出て来てしまったよです

では、さっそく参拝いたしましょう。


寺号標。

     20191002花の寺 大山寺02




どうやら、山門は城里町の文化財のようですね。

     20191002花の寺 大山寺03



先に進みましょう。

     20191002花の寺 大山寺04




こちらは、指定文化財ではない山門。

     20191002花の寺 大山寺05



こちらは仁王門。

     20191002花の寺 大山寺06




仁王門には山号の扁額が掲げられています。

      20191002花の寺 大山寺08


 
仁王像。

      20191002花の寺 大山寺09


      20191002花の寺 大山寺10




仁王門の脇には古い寺号標。

     20191002花の寺 大山寺07



こちらが文化財に指定された山門。

     20191002花の寺 大山寺31



指定文化財である山門の説明板。

      20191002花の寺 大山寺12



手水舎。

      20191002花の寺 大山寺13



こちらが本堂。

      20191002花の寺 大山寺14



本堂正面。

      20191002花の寺 大山寺15



本堂正面に掲げられた扁額。

      20191002花の寺 大山寺16






こちらが、乾闥婆王尊堂。

      20191002花の寺 大山寺17



乾闥婆王尊堂に掲げられた扁額。

      20191002花の寺 大山寺18



安置されている文殊菩薩。

      20191002花の寺 大山寺19



この文殊菩薩が花の寺の第三番の仏様になる。
 
      20191002花の寺 大山寺20


幼児虫封じ霊場と掲げられた表札。

      20191002花の寺 大山寺21





こちらは、弘法大師堂。

      20191002花の寺 大山寺22




そして、鐘楼。

      20191002花の寺 大山寺23




花の寺の石碑。

      20191002花の寺 大山寺24



境内の寺号標。

      20191002花の寺 大山寺25



花の寺めぐりの案内板。

      20191002花の寺 大山寺26




御朱印は本堂右手、納経所にて拝受致しました。

      20191002花の寺 大山寺27


   

こちらが、御朱印。

御本尊の大日如来。

      20191002花の寺 大山寺28



花の寺めぐりの御朱印になる文殊菩薩の御朱印。

      20191002花の寺 大山寺29





そして、こちらが花の寺のスタンプ。

      20191002花の寺 大山寺30

スタンプ専用のだいしもありましたが、
折角なので御朱印用に準備していた半紙に押してみました。


開運 花の寺めぐり。
何十ヶ所も巡るわけじゃなく
8ヶ所だから、結願目指してみましょうか。


2019/11/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 石塚薬師と那珂西城址 》(2019年10日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

城里町には、茨城百景の選定地が二つあり
その一つは小松寺でした。
残るもう一つが、やはり旧・常北町域にある『石塚薬師と那珂西城址』



石塚薬師は、正しくは佐久山多聞院薬師寺と言うそうです。

延暦年間に坂上田村麻呂の創建になると伝えられ、
当初は、真言宗に属し浄瑠璃寺と称していました。
その後、文禄3年(1594年)天台宗に改宗し、薬師寺と称するようになりました。。

昭和32年(1957年)の石塚大火により
天文年間(1532-55)に建てられた寺院は焼失してしまいましたが、
本尊の木造薬師如来および両脇侍像(国重要文化財)は難を逃れ、
再建されたコンクリートの本堂裏の収蔵庫に納められているそうです。




こちらが、薬師寺。


石造りの山門。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址03

本堂の右側にあたるから、
こちらは本来の山門ではないのかも知れない。


こちらが、本殿の正面にあたる四脚門の山門。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址04



山号の扁額も掲げられています。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址05



参道。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址06



手水舎。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址07



薬師寺の説明板。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址15

まぁ、神社で言うところの由緒書きみたいなものですね。



こちらが、本堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址08



本堂に掲げられた扁額。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址09



本堂を覗き込むとこんな感じでした。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址10



やくしじには、木造の12体の神将像も安置されているそうです。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址11



こちらは多聞堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址12



こちらは弁天堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址13



境内の石仏。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址14





肝心の茨城百景の碑ですが、
薬師寺の向かいにある古びた神社(?)の境内らしき場所に
ひっそりと建っていました。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址01


      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址02




さて、碑に刻まれた那珂西城址ですが、
薬師寺からはちょっと離れた場所になります。
4kmぐらい離れているから、車でないとちょっと移動は辛い。


こちら那珂西城址でもある宝憧院。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址16



宝憧院は、応永03年(1396年)、智空上人により開山された真言宗豊山派の寺です。
元禄09年(1696年)徳川光圀が以伝僧正を中興開山として、この地に移したそうです。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址17



山門(四脚門)の脇には立派な土塁が残る。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址18



土塁頂部には城址碑。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址19

那珂西城址については後日、改めて深く突っ込みたいので
今回は軽くさらっと流しましょう。


土塁と空堀跡。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址20



土塁脇には説明板。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址21



以前、この場所にはお堂か何かが建っていたのだろうか?

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址22



こちらは、本堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址23



本堂に掲げられた扁額。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址24



境内の地蔵像。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址25



ここで、ふと疑問が..................

茨城百景が選定された昭和25年当時、同じ石塚町にあるのに
那珂西城址が選ばれたのだろう。
薬師寺から4km近く離れているし、
薬師寺の近くには、石塚城址もあったはず。

それだけ、当時の那珂西城址は風光明媚な場所だったのだろうか?







2019/11/11 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 小松寺 》(2019年10日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

数年前から追っかけているって言うか、
機会があれば訪れることにしている『茨城百景』。

その『茨城百景』が、ここ城里町にもあるという事で
茨城百景の碑を探しに来ました。


『茨城百景』は、昭和25年に茨城県観光審議会が選定した
茨城県内の100の景勝地のことです。
選定された景勝地には、『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探して百景の地を巡っている人もいるようです。
まぁ、私もその一人になるんですが..................

城里町の茨城百景は、昭和25年当時の小松村から1ヶ所、
石塚町から1ヶ所の計2ヶ所が選定されています。

先ずは、旧・小松村から選定された『茨城百景 小松寺』へ向かいます。



小松寺は、城里町にある真言宗智山派の寺院です。
山号は白雲山。院号は普明院。本尊は大日如来。
1180年(治承4年)平貞能が平重盛の遺骨を白雲山に葬り天台宗の寺院を建立し、
自ら出家して以典と号したとされています。
1387年(嘉慶元年)大掾頼幹が宥尊を招いて中興し真言宗の寺となったそうです。




こちらが、小松寺の入り口(山門)。

      20191002茨城百景 小松寺01



寺号標。

      20191002茨城百景 小松寺02



そして、茨城百景の碑。

      20191002茨城百景 小松寺03

百景の碑は山門の左側に建てられていました。


この碑を探すのも茨城百景巡りの楽しみの一つ。

      20191002茨城百景 小松寺04



では、小松寺をお詣りいたしましょう。

      20191002茨城百景 小松寺05



参道は杉の木立。
なかなか迫力あります。

      20191002茨城百景 小松寺06
      20191002茨城百景 小松寺07
      20191002茨城百景 小松寺08



唐門が見えてきました。

      20191002茨城百景 小松寺09



こちらが、唐門。

      20191002茨城百景 小松寺10



その説明板。

      20191002茨城百景 小松寺11



唐門の脇に置かれた鬼瓦。

      20191002茨城百景 小松寺12

以前の本堂に使われていたものでしょうか?




こちらが、本堂。

      20191002茨城百景 小松寺13



こちらが、観音堂。

      20191002茨城百景 小松寺14


その説明板。

      20191002茨城百景 小松寺15


本堂の裏手。
実は思い切りの勘違いを後で気がつきました。

      20191002茨城百景 小松寺16

てっきり、この場所が平重盛の墓だと思って、登った丘を下りてしまいました。
平重盛の墓は、この場所より更に上だったようです。
間際らしい場所に大きな碑が建っている、勘違いしちゃうよなぁ。




せっかくだから、御朱印も頂いていきましょう。
ご朱印はこちらで頂けます。

      20191002茨城百景 小松寺17



そして、こちらが小松寺の御朱印。

      20191002茨城百景 小松寺18

御本尊の如意輪観音です。


茨城百景の碑も見つけたし、御朱印も頂けた。
茨城百景『小松寺』、これでコンプリートです。
残念なのは、平重盛の墓地を間違えた事。

もし、再び機会があれば
その時は間違えずに訪れることにしよう。







2019/11/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................東軍墓地 《阿弥陀寺》 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡りました。
猪苗代町での予定を済ませ、会津若松市へと向かいます。

実は、昨年の秋に会津若松市に来た時に
白虎隊で有名な飯盛山で出会った人に、
会津若松市の七日町にある観光案内所でも
書置き版になるけれど、御朱印が頂けると言う話を聞きました。
その時は、予定が詰まっていたので、その御朱印は諦めましたが
今回、再び会津の地に来ることが出来たため、御朱印拝受の旅となります。


先ずは、先に参拝いたしましょう。

      20190422東軍墓地01


会津若松市七日町にある、阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地02


この敷地内にある、『会津東軍墓地』。

      20190422東軍墓地03


会津東軍墓地.........?

と思う人もいるでしょう。


会津の歴史を語る上で、悲しい結末ではあれけれど
避けては通れないのが戊辰戦争。
旧幕府方の会津藩士は東軍となり、
新政府軍である薩摩・長州・土佐等の連合が西軍として戦いました。

会津東軍墓地は、東軍戦死者1281体の埋葬地でもあります。

激戦地であった会津若松には、1281体の遺体がありました。
9月22日の戊辰戦争終結後、西軍の命で放置され、
触るのも許されませんでした。
(西軍戦死者は戦争中に陣地である融通寺に葬られていました。)
会津の人々は烏につつかれたり、野犬に食べられたり、
腐敗していく戦死者を指をくわえて見ているしかなかったそうです。

幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのが、翌年の明治2年2月。
埋葬地は長命寺と阿弥陀寺に限られて許されましたが
あくまでも賊軍としての埋葬で『戦死墓』の文字以外は許されなかったそうです。


この話を聞いて、胸が詰まってしまいました。

      20190422東軍墓地04

東軍戦死者の魂が安らかに眠るようにに改めて祈ります。




白虎隊の悲話は知る人も多いですが、
この東軍墓地については余り知れ渡っていないようですね。


冒頭でも述べましたが、会津東軍墓地があるのは阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地05


阿弥陀寺の梵鐘。

      20190422東軍墓地06



境内には、石碑、石仏が並びます。

      20190422東軍墓地07




こちらが、新選組三番隊組長の斎藤一(藤田五郎)の墓。

      20190422東軍墓地09


      20190422東軍墓地08

京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、
京都の治安維持のために発足した新撰組。
会津藩とは切っても切れぬ関係から、戊辰戦争にも参加しています。
その新撰組の土方歳三副隊長が怪我をしていた時に
新撰組の指揮を執ったのが斎藤一です。
会津も侵攻され、敗戦の色が濃くなると、
新選組は北上することとなりますが、
斎藤一は「会津に受けた恩を返す」として新選組を離れ、
そのまま会津にとどまります。

敗戦後に藤田五郎と改名し、やがて東京で警察官となりますが
本人の遺言により没後、『会津東軍墓地』のある阿弥陀寺に埋葬されたそうです。





鶴ヶ城は新政府軍によって解体されてしまいましたが、
その一部がここ阿弥陀寺に残っています。

それが、こちら。

      20190422東軍墓地11

鶴ヶ城の小天守に当たる『御三階』という部分になります。



こちらは、その説明板。

      20190422東軍墓地10

昭和30年まで阿弥陀寺の本堂として使われていたそうです。


阿弥陀寺は、以前は御朱印を拝受出来ましたが
現在は、御朱印対応はなされていないそうです。      

その代わりに、飯盛山の白虎隊の墓守の末裔にあたる書道家が書かれた
御朱印(書置きの印刷版)が七日町観光案内所にて拝受出来ます。

通りを挟んだ向かいにある七日町観光案内所。

      20190422東軍墓地12



こちらが、会津東軍墓地の御朱印。

      20190422東軍墓地13

昨年秋から、ずっと気になっていた御朱印。
やっと拝受出来ました。




2019/06/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩・御朱印巡り.............高岩寺(巣鴨とげぬき地蔵 )    (2019年3月24日)(東京都豊島区) 

3月24日   

この日は、都内・豊島区の巣鴨に出かけました。


この日は24日。
毎月4のつく日(4日・14日・24日)は、巣鴨地蔵通り全体に露店が出る縁日の日です。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵01


      20190324巣鴨とげぬき地蔵02



その巣鴨地蔵通り商店街のランドマークは、やはり巣鴨とげぬき地蔵。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵03


縁日だから、おばあちゃん達の原宿である巣鴨には人が多い。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵04



『とげぬき地蔵通り』は、まるで『竹下通り』?

      20190324巣鴨とげぬき地蔵05


      20190324巣鴨とげぬき地蔵06



せっかく、とげぬき地蔵の前を通るんだから
ちょっぴり立ち寄ってみましょう。


巣鴨とげぬき地蔵は、正式には『高岩寺』と称し
東京都豊島区巣鴨にある曹洞宗の寺院です。

山号は萬頂山。
本尊は地蔵菩薩(延命地蔵、通称とげぬき地蔵と言われ秘仏となっています)




こちらが山門。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵07


山門の扁額。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵08



意外に参拝者が多い。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵09



手水舎。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵11



常香炉からの煙が半端なく多い。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵10


      20190324巣鴨とげぬき地蔵12


      20190324巣鴨とげぬき地蔵13




とにかく、境内は煙が凄い。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵14



本堂内に避難しましょう(笑)。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵15


でも、本堂内にも参拝者がいっぱい。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵16



こちらは、境内にある『洗い観音』に並ぶ列。

     20190324巣鴨とげぬき地蔵17



治癒したい部分の観音像を洗ったり、
濡れタオルで拭くと御利益があるとされています。

     20190324巣鴨とげぬき地蔵18


     20190324巣鴨とげぬき地蔵19



縁日と言うこともあるし、日曜日だから人が多い。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵20



本堂内で御朱印を拝受する事も出来ます。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵21


こちらが、その御朱印。

      20190324巣鴨とげぬき地蔵22


こちらが、当初の目的地ではないけれど.........
.........

おじいちゃん、おばあちゃんの聖地である
巣鴨のとげぬき地蔵、制覇です!!


2019/05/30 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩・七福神巡り.............浅草名所七福神 《 大黒天 浅草寺 》 (2019年3月14日)(東京都台東区) 

3月14日

この日は、都内の台東区へ出かけました。

浅草界隈を隅田川沿いに歩いての散歩。
あと一つを残し、もう少しで完結する『浅草名所七福神』巡りの散歩です。


七福神巡りと言えば、正月期間の風物詩ですが
こちらの『浅草名所七福神』は、通年実施されている七福神巡りです。

実は、昨年の秋からチャレンジしていて、
本来は1日で全てを回れれば良いのですが、
『浅草名所七福神』は9つの社寺で構成されている七福神巡り。
福禄寿、寿老人が2社ずつあるので計9ヶ所で構成されています。

「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩であり、あつまる意味をもち、また、天地の至数、
易では陽を表す」という古事に由来したことによるとされています。
 
その構成は、
大黒天      浅草寺
恵比須      浅草神社
毘沙門天     待乳山聖天
布袋尊      橋場不動院
弁財天      吉原神社
寿老人      石浜神社
寿老人      鷲神社
福禄寿      矢崎稲荷神社
福禄寿      今戸神社

と、なっています。

浅草名所七福神もついにオーラス。


最後に控えしは、浅草の真打、..............浅草寺 《大黒天》。


浅草寺。
誰しも一度は、その名を聞いたことはあるでしょう。

浅草寺は、東京都台東区浅草にある東京都内最古の寺です。
推古天皇36年(628年)の創建とされ、山号は金龍山と称し、
御本尊は聖観音菩薩です。
元々は天台宗に属していましたが、第二次世界大戦後に独立し、
聖観音宗の総本山となりました。
観音菩薩を御本尊とすることから『浅草観音』あるいは、
『浅草の観音様』とも呼ばれています。

近年、外国人観光客も多い、都内屈指の観光スポットとなっています。



こちらが、寺号標。

      20190314浅草寺01



浅草寺の代名詞とも言える、雷門。

      20190314浅草寺02

Panasonicの創始者・松下幸之助が浅草観音に祈願して
病気平癒した報恩のために寄進したものです。

正式には、『風雷神門』と言いますが、
『雷門』の通称で呼ばれています。



雷門に掲げられた扁額。

      20190314浅草寺03

山号の『金龍山』。


そして、雷門と言えば、この提灯。

      20190314浅草寺04



雷門から続く参道には両側にお店が並ぶ。
通称『仲見世』。

平日なのに、仲見世も混んでいる。

      20190314浅草寺05


      20190314浅草寺06


      20190314浅草寺07



参道には、『浅草名所七福神』の説明板。

      20190314浅草寺08



宝蔵門。

      20190314浅草寺09


      20190314浅草寺10



宝蔵門の扁額。

      20190314浅草寺11

こちらは、寺号の『浅草寺』。


大きな提灯には『小舟町』。

      20190314浅草寺12



提灯の両脇には仁王像。

      20190314浅草寺13


      20190314浅草寺14



山形県警村山市の方々が奉納される大草鞋。

      20190314浅草寺15



本堂。

      20190314浅草寺16

やはり、参拝者が多い。



常香炉の前も人の列が切れない。

      20190314浅草寺17


      20190314浅草寺18


本堂の扁額。

      20190314浅草寺21



本堂の提灯。

      20190314浅草寺19



本堂内陣。
中央が秘仏本尊を安置する宮殿。

      20190314浅草寺20



本堂天井画。

      20190314浅草寺22


      20190314浅草寺23



五重塔。

      20190314浅草寺25



伝法院。

      20190314浅草寺24


      20190314浅草寺26



淡島堂。

      20190314浅草寺27



薬師堂。

      20190314浅草寺28



一言不動尊。

      20190314浅草寺29



左が金龍権現、右が九頭龍権現。

      20190314浅草寺30



平和地蔵尊。

      20190314浅草寺31


      20190314浅草寺32





さて、御朱印はどちらで拝受するのでしょう?


どうやら、こちらのようですね。

      20190314浅草寺33



御朱印の授与所である影向堂。

      20190314浅草寺34



御朱印の受付。

      20190314浅草寺35

並んで待っている人も多い。



御朱印帖を預けて待っています。
番号札と交換になります。

      20190314浅草寺36



こちらが、御朱印。

浅草寺の御本尊の御朱印。

      20190314浅草寺37



そして、浅草名所七福神 大黒天 の御朱印。

      20190314浅草寺38


まだまだ、浅草寺には見所か有ると思うけれど
とにかく、人が多いのが苦手。

この後の予定も詰まっているから、浅草寺をあとにしいたしました..................。



2019/05/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩・七福神巡り.............浅草名所七福神 《 毘沙門天 待乳山聖天 》 (2019年3月14日)(東京都台東区) 

3月14日

この日は、都内の台東区へ出かけました。

浅草界隈を隅田川沿いに歩いての散歩。
あと二つを残し、もう少しで完結する『浅草名所七福神』巡りの散歩です。


七福神巡りと言えば、正月期間の風物詩ですが
こちらの『浅草名所七福神』は、通年実施されている七福神巡りです。

実は、昨年の秋からチャレンジしていて、
本来は1日で全てを回れれば良いのですが、
『浅草名所七福神』は9つの社寺で構成されている七福神巡り。
福禄寿、寿老人が2社ずつあるので計9ヶ所で構成されています。

「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩であり、あつまる意味をもち、また、天地の至数、
易では陽を表す」という古事に由来したことによるとされています。
 
その構成は、
大黒天      浅草寺
恵比須      浅草神社
毘沙門天     待乳山聖天
布袋尊      橋場不動院
弁財天      吉原神社
寿老人      石浜神社
寿老人      鷲神社
福禄寿      矢崎稲荷神社
福禄寿      今戸神社

と、なっています。

浅草名所七福神も残すは、あと二つ。


訪れたのは...............待乳山聖天 《毘沙門天》。


待乳山聖天は通称であり、正式には本龍院と称します。
東京都台東区浅草にある聖観音宗の寺院で、浅草寺の子院のひとつである。
山号は待乳山。本尊は歓喜天(聖天)・十一面観音で、
別称では、待乳山聖天とも称されています。
この寺には浅草名所七福神のうち毘沙門天が祀られています。

隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあり、
この丘は595年(推古天皇3年)に出現して、龍が守護したと伝えられ、
浅草寺の山号(金龍山)の由来となったとされています。



待乳山聖天の看板。

      20190314聖観音01



寺号標。

      20190314聖観音02



こちらにも別な寺号標。

      20190314聖観音03



さすが、国際観光都市・東京。

      20190314聖観音04

英語表記のお洒落な看板。



手水舎。

      20190314聖観音05



定番の龍の吐出口。

      20190314聖観音06



参道口の提灯。

      20190314聖観音07



提灯には、大根の絵。

      20190314聖観音08



学堂。

      20190314聖観音09



学堂では、大根が売られています。

      20190314聖観音10

参拝される方々が大根を買っている。
何故? 素朴な疑問が浮かびます。




常香炉。

      20190314聖観音11



石段の先に本堂が見えて来ました。

      20190314聖観音12



石段手前の狛犬。

      20190314聖観音13


      20190314聖観音14

狛犬って神社だけのように思えるけど、
明治政府の『神仏分離令』までは、お寺の中に神社があったり
神社の別当寺(神社を管轄する寺院)としての寺院の存在があったから
寺院に狛犬があってもおかしくはない。



こちらが、本堂。

      20190314聖観音15


      20190314聖観音20


      20190314聖観音16


本堂の扁額。

      20190314聖観音17



本堂正面。

      20190314聖観音18



どうやら、御朱印は本堂に中で拝受出来るようです。

      20190314聖観音19


遠慮がちに中に入ります。
      

本堂内部には、たくさんの大根が奉納されています。

      20190314聖観音21


御朱印を待つ間、天井絵に見惚れていました。

      20190314聖観音22


      20190314聖観音23



無事、御朱印も戴きました。



本堂前の天水桶。

      20190314聖観音24

天水桶にも大根の絵。



こちらは、巾着型の天水桶。

      20190314聖観音25



本堂前には、ビニール袋に入った大根。

      20190314聖観音26

奉納された大根のお下がり。
参拝客は、有り難く大根を持ち帰っているようです。


疑問は深まる。
何故、大根?


調べてみると...............

大根や巾着は、御信心をされて祈願することによって
得られるその御利益を端的に表したものだそうです。
大根は身体を丈夫にしていただき、良縁を成就し、
夫婦仲良く末永く一家の和合を御加護頂ける功徳を表しているそうです。
巾着は財宝で商売繁盛を表し、
聖天さまの信仰のご利益の大きいことを示したものらしい。



本堂裏手の稲荷尊。

      20190314聖観音27

鳥居もあるから、要は稲荷神社なんだけど
一応、神仏離合だから、『稲荷尊』。


その隣には、道灌稲荷跡。

      20190314聖観音28

かつて、境内には太田道灌勧請の道灌稲荷が祀られていたそうです。



神楽殿。

      20190314聖観音29

正月3が日や、大根まつり、節分なとには神楽が奏され、舞も入るそうです。



本堂右側、駐車場側の参道口の寺号標。

      20190314聖観音31


狛犬。

      20190314聖観音30



この位置からだと、本堂の建つ待乳山が台地だとよく分かる。      

      20190314聖観音32

画像には写っていないけれど、左奥にはリフトカーも備えられています。



寺務所。

      20190314聖観音33



こちらは、歓喜地蔵尊。

      20190314聖観音35


      20190314聖観音37




出世観音。

      20190314聖観音36



      
『トーキー渡来記』の碑。

      20190314聖観音38

戦前の浅草華やかなりし頃の活動映画に
音声が付けられた記念碑です。




信徒会館前の庭園。

      20190314聖観音39



戴いた御朱印がこちら。


御本尊の御朱印。

      20190314聖観音40



浅草名所七福神 『毘沙門天』の御朱印。

      20190314聖観音41


浅草名所七福神。
残すは、あと一つとなりました。


2019/05/07 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの都内散歩・七福神巡り.............浅草名所七福神 《 布袋尊 橋場不動院 》 (2019年3月14日)(東京都台東区) 

3月14日

この日は、都内の墨田区、台東区へ出かけました。
京成本線の関屋液から隅田川沿いを歩いて浅草方面へと進みます。

浅草周辺には、『浅草名所七福神』があります。
七福神巡りと言えば、正月期間の風物詩ですが
こちらの『浅草名所七福神』は、通年実施されている七福神巡りです。

実は、昨年の秋からチャレンジしていて、
本来は1日で全てを回れれば良いのですが、
『浅草名所七福神』は9つの社寺で構成されている七福神巡り。
福禄寿、寿老人が2社ずつあるので計9ヶ所で構成されています。

「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩であり、あつまる意味をもち、また、天地の至数、
易では陽を表す」という古事に由来したことによるとされています。
 
その構成は、
大黒天      浅草寺
恵比須      浅草神社
毘沙門天     待乳山聖天
布袋尊      橋場不動院
弁財天      吉原神社
寿老人      石浜神社
寿老人      鷲神社
福禄寿      矢崎稲荷神社
福禄寿      今戸神社

と、なっています。



そして、訪れたのは.......................布袋尊 橋場不動院


橋場不動は、橋場不動尊の名で親しまれていますが、
正式には砂尾山橋場寺不動院と言います。
天平宝字四年(760年)寂昇上人によって創設されました。
創設当初は法相宗でしたが、長寛元年(1163年)に、
中興の祖といわれる教円坊によって、天台宗に改宗され、
浅草寺の末寺となったとされています。
現在は浅草寺と本末関係はなく、
比叡山延暦寺の末寺となっているそうです。



山門。

      20190314橋場不動尊01


都内の寺院らしく下町の住宅街に建つ寺院。
狭い参道には赤い幟が立ち並ぶ。

      20190314橋場不動尊02


世界に誇る観光都市・東京。
外国人観光客向けに、洒落た看板も建つようになりました。

      20190314橋場不動尊03



手水鉢。

      20190314橋場不動尊04



こちらが、本堂。

      20190314橋場不動尊05


本堂正面。

      20190314橋場不動尊06



本堂の扁額。

      20190314橋場不動尊07



本堂内部。

      20190314橋場不動尊08

この中に、御本尊の不動明王像と七福神の布袋尊の像が祀られています。
本堂内部に入れそうもないので、布袋尊を直接拝む事は出来ませんでした。



本堂前に掲げられた提灯。     

      20190314橋場不動尊10




本堂脇には、水子無縁地蔵。

      20190314橋場不動尊11



別アングルからの本堂。

      20190314橋場不動尊12



こちらは、寺務所。

      20190314橋場不動尊13




こちらが授与所。

      20190314橋場不動尊16


授与所には、布袋尊の看板。

      20190314橋場不動尊09

御朱印は、授与所にて拝受しました。


そして、こちらが御朱印。

本尊の御朱印。

      20190314橋場不動尊14



そして、浅草名所七福神 布袋尊の御朱印です。

      20190314橋場不動尊15


9ヶ所になる浅草名所七福神。
残すは、あと3つとなりました。




      
2019/05/06 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

佐倉七福神巡り 《 大黒天・布袋尊........大聖院 》(2019年1月7日) 

1月7日 

この日は、地元佐倉市の『佐倉七福神巡り』に出かけました。

佐倉七福神巡りも今年で3回目。
例年、何処かの七福神巡りをしていますが
今年は、御朱印目的の七福神巡り。
手取り早い、地元の七福神巡りです。



佐倉七福神は、

松林寺    毘沙門天
甚大寺    毘沙門天
嶺南寺    弁財天
宗圓寺    寿老人
妙隆寺    大黒天
大聖院    大黒天  布袋尊 
麻賀多神社  福禄寿  恵比寿

の7社寺で構成されていますが、大黒天と毘沙門天が重複しています。



佐倉七福神、そのラストを飾るのは...................大聖院。


大聖院は、佐倉七福神の大黒天、布袋尊となります。


大和田山・大聖院・明王寺と称し、鎌倉時代の初期に開山されました。
真言宗豊山派の寺院として、当地方15ヶ寺の本寺となっています。

御本尊の大日如来は、佐倉市指定有形文化財に指定されています。



こちらが、山門。

      20190107大聖院01

寺院の場合、入り口にあたる門を山門と言うらしい。



実際には、こう言った四脚門を、山門と表記する場合が多いようですが.............

      20190107大聖院02


      

本堂。

      20190107大聖院04



本堂の扁額。

      20190107大聖院05



本堂内部。

      20190107大聖院06

正面に鎮座するのが御本尊。

残念ながら、大黒天は秘仏なので公開はされません。



本殿前の天水桶。

      20190107大聖院07



境内には、佐倉七福神の赤い幟と布袋尊の像。

      20190107大聖院08



佐倉七福神の布袋尊。

      20190107大聖院09



御朱印は、本殿脇の寺務所にて拝受出来ます。


こちらが、大聖院の御朱印。

      20190107大聖院10



そして、佐倉七福神 布袋尊の御朱印。

      20190107大聖院11



同じく、佐倉七福神 大黒天 の御朱印。

      20190107大聖院12

しかし、秘仏とは言え、期限を定めて公開しないんじゃねぇ。
妙隆寺も佐倉七福神の大黒天を称しているんだから
せめて、布袋尊の隣に石像でも置かないと
佐倉七福神の大黒天を名乗るメリットが無いんじゃんない?

これも複雑な大人の事情なのかなぁ。




2019/03/05 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit