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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

宿場町を歩こう.............日光街道 《 粕壁宿 》 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市にでかけました。


春日部市は、かつては粕壁宿と言う宿場町でした。

粕壁宿は、江戸時代の日光街道及び奥州街道の宿場町です。
南北朝時代(14世紀)、新田義貞の家臣春日部氏が当地を領地としたことから
「春日部」の地名が生まれたとされています。
「かすかべ」の表記は何度か変更されており、
粕壁は江戸・元禄期から記されている地名です。

天正18年(1590年)小田原征伐後、徳川家康は関東移封となり、
江戸城に入城し、五街道の整備が進められました。
元和2年(1616年)には、粕壁宿が日光街道及び奥州街道の宿場町となりました。
江戸・日本橋から数えて4番目の宿場町で、現在の春日部駅東口の旧街道一帯です。
江戸・日本橋から一日歩き通すと、ちょうど1泊目となる宿場町がこの粕壁であったことから、
旅人の多くはここで宿を取りました。
また、岩槻宿と関宿を結ぶ道が通ることからも商業・交通の要地として
商人や旅人でにぎわったとされています。



実は、春日部市で丸ポストを探している時に
宿場町を前面に観光化している事を知りました。


春日部の駅前から一本離れたメイン通り、
かすかべ大通りに、かつての粕壁宿がありました。

宿場内の通りの長さは24町35間(約2.7km)。
道幅4間(約7.3m)で、町並みは通りに沿って
南北10町25間(約1.1km)にわたる広さとなっていたそうです。




メイン通りの 『かすかべ大通り』には、
こんな立派な案内板が設けられています。

      20191103粕壁宿01


      20191103粕壁宿02



宿場町って言うと、古い街並みがついつい浮かんでしまいますが
春日部(粕壁)の町は再開発で、道路も整備拡張され
立派な街並みとなっています。

      20191103粕壁宿03


      20191103粕壁宿04


      20191103粕壁宿05

かつての古い商家や蔵などは少なくなり、
中小のビルやマンションが並ぶ通りとなっているようです。


それでも、それなりの雰囲気を残す商家も在るようです。

      20191103粕壁宿06


      20191103粕壁宿07



せっかくの案内板も、カスれて読めない。

      20191103粕壁宿08


      20191103粕壁宿09


メイン通りから一本入った場所にある公衆トイレも
宿場町を意識した造りとなっている。

      20191103粕壁宿10


      20191103粕壁宿11



蔵を持つ民家もある。

      20191103粕壁宿12


      20191103粕壁宿13



この石碑(標柱)は宿場町に関するモノなんだろうか?

      20191103粕壁宿14



再開発で電柱もなく、電線は地下埋設。
歩道の配電盤にも、宿場町を意識したペイント。

      20191103粕壁宿15



地元の商店もまけてはいない。
お店のシャッターに粕壁宿のイラスト。

      20191103粕壁宿16



ここは、かつての本陣跡。

      20191103粕壁宿17


      20191103粕壁宿18



気になるのは、この日は11月3日。
文化の日。
国民の祝日です。
いわゆる休日になるわけなんだけど
閉まっているお店が多い。

      20191103粕壁宿19


      20191103粕壁宿20


      20191103粕壁宿21


だからなのか?
歩いている人が少ない。

      20191103粕壁宿22

春日部の住人じゃないから、現在の春日部の中心街を知らないけれど
人の流れが変わってしまったのだろうか。

同じように粕壁と言う宿場町も
変わっていってしまったのかも知れないね...............





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2019/12/19 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう   《 水戸街道 土浦宿 》  (2018年11月19日)(茨城県土浦市)  

11月19日     

霞ヶ浦導水路のダムカードとマンホールカードを手に入れるために訪れた土浦市。
この土浦市は、室町時代に築かれた土浦城に端を発する城下町でありますが
水戸街道の土浦宿としても発展した宿場町でもあります。

水戸街道は、江戸時代に定められた日本の幹線道路で
江戸側の千住宿と水戸藩の城下町である水戸を繋ぎ、
二十の宿場町がありました。


土浦宿は、千住宿から11番目の宿場町となります。
(江戸からは12番目の宿場町)

中央1丁目にある土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)の近くには
こんな説明板も建てられています。

      20181119土浦宿01



中央1丁目にある土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)の前の通りは、
往時の面影は、かなり薄れてはいるものの、土浦宿の面影を僅かに残している。

      20181119土浦宿02


      20181119土浦宿03



土浦市としても、この地区を観光資源として
クローズアップさせている努力は感じられる。

      20181119土浦宿04



こんな案内板も建てられている。

      20181119土浦宿05



僅かではあるが、古い民家も残っている。

      20181119土浦宿06



こちらは、古民家の一つ、『矢口家住宅』。

      20181119土浦宿07

水戸街道に面した土蔵造で、店蔵・袖蔵・元蔵と称する3蔵より構成されています。


その説明板。

      20181119土浦宿08



現在も矢口酒店として営業をしている貴重な古民家。

      20181119土浦宿09



こちらは、薬局。

      20181119土浦宿10

こちらも歴史を感じさせる民家です。



商店も代変わりして、廃業して普通の住宅に建て替えらりする中で、
こう言った古い商家が残っているのは貴重です。

      20181119土浦宿11


      20181119土浦宿12


宿場町を歩くと言うことは、こう言った古い商家との出会いでもあるから
楽しいんだよねぇ。


2019/01/10 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高倉神社 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
大内宿へやって来ました。

大内宿は、昨年の7月にも訪れています。
( その時の記事は こちら

今回は、宿場町よりも大内宿に鎮座する神社が目的。
伝統的な藁葺き屋根の古民家集落のすぐ側に鎮座する高倉神社です。


高倉神社は、下郷町大内宿に鎮座する神社です。
創建時期は不詳ですが、古くから神仏習合し、
『高倉大明神』と呼ばれてきたそうです。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、
明治3年(1870年)に社号を『高倉神社』に改称しました。

御際神は以仁親王(もちひとしんのう)です。


 
以仁親王とは高倉宮以仁親王のことで、三条宮とも呼ばれていました。
後白河法皇の第三皇子で、幼少の頃から多彩な才能に恵まれ、
管弦・詩歌の道に優れ、皇位継承者と目されていましたが、
治承4年(1179年)、父である後白河天皇が平清盛のクーデターにより幽閉され、
皇位を奪われてしまいました。
翌、治承4年(1180年)4月、以仁親王は平家討伐を決意し、
平家追討の「令旨」を全国の源氏に発しました。
しかしながら、以仁親王は翌年、平氏に討たれてしまいました。

この平家追討の令旨がもとで、源頼朝、木曽義仲等が挙兵し、
平氏滅亡のきっかけをつくったとされています。

その以仁親王が、大内宿に潜行していたと言う伝承が
大内宿には残されているそうです。




古民家沿いに建つ社号標。
こちらが高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社01


境内社になる古峯神社の社号標。

      20180426高倉神社02


一際目立つ一の鳥居。

      20180426高倉神社03



古民家の集落からちょっと離れた森に高倉神社が在ります。

こちらも高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社04



二の鳥居。

      20180426高倉神社05


      20180426高倉神社06



参道は狭い石段。

      20180426高倉神社07


      20180426高倉神社08



参道途中の石仏。

      20180426高倉神社09



三の鳥居。

      20180426高倉神社10


      20180426高倉神社11



社殿が見えて来ました。

      20180426高倉神社12



こちらが、拝殿。

      20180426高倉神社13



拝殿の飾りの彫り物。

      20180426高倉神社14



拝殿屋根の神紋。

      20180426高倉神社15



別アングルからの拝殿。

      20180426高倉神社16



そして、こちらが本殿。

      20180426高倉神社17


      20180426高倉神社18



境内社。

      20180426高倉神社19

こちらが、古峯神社なんでしょうか?



本殿の裏手には石積みされた祠も数基あります。

      20180426高倉神社20



こちらが、御神木。

      20180426高倉神社22
      20180426高倉神社21



高倉神社の境内には、社務所も無く無人の神社。
大内宿のお土産屋さんが社務所となっているらしい。

社務所のお土産屋さんを探します。

      20180426高倉神社23


      20180426高倉神社24


      20180426高倉神社25

南仙院と言うお土産屋さんを探しますが、
本家の南仙院とか分家の南仙院とかあるらしい。
ちょっとややこしい。


ちょっと疲れたから、一休み。
お土産屋さんで、『いも餅』で一息をつきました。

      20180426高倉神社26

いも餅を狙う びいすけ 。


残念だけど、君は食べられないよ!

      20180426高倉神社27



結局、南仙院の場所が分からず、駐車場のオジさんに聞いたら
駐車場から1番近いお土産屋さんでした。


こちらが、高倉神社の御朱印。

      20180426高倉神社28

分家南仙院さんで頂きました。

実は、数日前に電話をしていて
この日に参拝する旨を伝えて御朱印をお願いしていました。

宮司さんは、本来は会津若松市にお住まいだそうで、実家が南仙院さんらしい。
どうやら、宮司さんのお母様と連絡を取ったことになるようですね。

事前に連絡を入れていたから、今日の日付けを入れて
前日に御朱印を書き置いてくれたそうです。

ありがとうございました。




2018/06/08 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう...............中山道 追分宿 (2017年8月22日)(長野県北佐久郡軽井沢町) 

8月22日 公休日

中之条・軽井沢旅行の2日目。


千ヶ滝をあとにして、向かった先は...............追分宿





追分宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十番目の宿場です。


軽井沢には、江戸時代に軽井沢、沓掛、追分の三つの宿場町があり、
中山道を通る旅人で賑わっていました。
中でも、追分宿は元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒を数え、
飯盛女も最盛期には200~270人もいたとされるほど栄えた宿場だったそうです。
中山道と北国街道との分岐点でもあり『追分』の名はこれに由来するそうです。
また、民謡に多く見られる追分節の発祥の地であるそうです。


軽井沢の市街地から近いと思っていたら、結構離れた位置に在る追分宿。
軽井沢の市街地の各交差点には警察官がいっぱい。
追分宿に向かう国道にも、交差点には警察官ごいっぱい。
『何事?』と思っていたら、ちょうど天皇陛下が軽井沢に来ていたらしく
道路も交通規制が張られ、大渋滞。

渋滞に辟易しながらも、追分宿の駐車場に到着。

追分宿郷土館の駐車場なら無料。
車を停めて、追分宿の散策開始です。

      20170822 追分宿01



駐車場には、こんな石碑。

      20170822 追分宿02



以前にも、こちらに天皇陛下が来たことがあるようです。

      20170822 追分宿03



なぜか碑の前で、いきなり『ゴロりんちょ!』と芝生と戯れる びいすけ 。

      20170822 追分宿04



色々と見所はあるようですが、案内板に従って追分宿に向かいます。

      20170822 追分宿05



旧・中山道は歩道にインターロックが施され
整備されて当時の面影は今一つ。

      20170822 追分宿06




古い民家が建ち並んでいるかと思いきや
建物そのものが少ない。

      20170822 追分宿07



そんな訳だから、道端にある石碑もなぜかひときわ目を引きます。
追分公民館の前に在りました。

      20170822 追分宿08


      20170822 追分宿09



こちらは、本陣跡。
正式には、土屋本陣跡と言うらしい。

      20170822 追分宿25



跡と言うだけあって、本陣の遺構は無い。

      20170822 追分宿28


      20170822 追分宿26



問屋を兼ね、貫目改所も設けられていたそうです。。
建坪350坪で、加賀の前田家をはじめ、多くの大名が休泊したそうです。
1878年(明治11年)に明治天皇の行在所となり、その記念碑が建てられています。    

      20170822 追分宿27
      


本陣跡の脇には何かが在ります。

      20170822 追分宿29



高札場が残されていました。

      20170822 追分宿11


      20170822 追分宿10





ここが有名な『追分宿の分去れ』

      20170822 追分宿13


なぜか、遠い昔に聞いた狩人の『コスモス街道』の歌詞を思い出してしまいます。

右は越後へ行く 北の道
左は木曽まで行く中仙道
続いてるコスモスの道が...............


まさに、この場所が歌詞になっているんですね。


北国街道と中山道の分岐点にある『追分の分去れ』。
江戸から来た場合、右は北国街道の更科や越後方面、
左は京都、吉野など関西へむかう分岐点となりました。
その昔、長旅の途中で親しくなった旅人同士が、
別の行く先を前に別れを惜しみともに袂を分けて旅を続けたと言われるのが
その名の由来だそうです。

      20170822 追分宿14



「右、従是北国街道 左、従是中山道」と刻まれています。

      20170822 追分宿15




『追分の分去れ』から数10m先にある公園。
公園と言っても遊具など無く、石碑も石板が立ち並ぶ場所。

      20170822 追分宿16



この公園の最奥に、なぜかシャーロックホームズの像。

      20170822 追分宿17


      20170822 追分宿18



軽井沢(追分)とシャーロックホームズの関連は良くわからないけれど
やたらに、この像の案内の看板が在ったから、
一応、チェックしておかないとね(笑)

      20170822 追分宿19





『追分の分去れ』側の追分宿の入口。

      20170822 追分宿20

いわゆる旧・中山道の入口です。



いかにもって言う感じです。

      20170822 追分宿21

反対側(追分の一里塚側)の旧道の入り口には何も無かったから
こちら側から追分宿に来て下さい!って事かな?(笑)



確かに、旧道入口にこんな説明板が建っている。

      20170822 追分宿22



この建物が史跡のようです。

      20170822 追分宿23


      20170822 追分宿24

でも、こう言った古びた民家が殆ど残っていないんだよね。



     
車を停めた駐車場に戻ろうと歩いていると
コスモスの花を見つけました。

      20170822 追分宿30


      20170822 追分宿31

やっぱり、コスモス街道?








軽井沢の市街地側の旧道入口近くに在る一里塚。

      20170822 追分宿32



追分の一里塚として史跡指定されています。

      20170822 追分宿33


昔の旅人は、一里塚(約4km毎に設置されていた)を目安に街道を歩き、
道中の指標として一里塚は貴重な位置付けであったようです。

      20170822 追分宿34


      20170822 追分宿35



昔の面影が殆ど残されていない追分宿。
鉄道の発展、そして自動車の時代になり中山道(国道18号)も
より広く、より早く移動するためにバイパスとなり、
旧道はいつしか忘れなされるようになってしまったんだろう。


陣屋跡の前にあるお店で桃を買いました。

      20170822 追分宿12





この桃を食べるとき、追分宿を思い出そう。



2017/09/27 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう..........下野街道 大内宿    (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

なかなか、こちら方面に来る機会は無いから
この際、しっかりと観光もしちゃいましょう。

と言うことで、訪れたのは...............大内宿



      20170720大内宿07





会津城下と下野の国(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区間)の下野街道(別名:会津西街道)。
若松城下 - ①福永宿 - ②関山宿 - (氷玉峠) - (大内峠・標高920m)
- ③大内宿 - (中山峠) - ④倉谷宿 - (八幡峠) - ⑤楢原宿 - ⑥田島宿 - ⑦川島宿
- ⑧糸沢宿 - (山王峠・標高935m)- ⑨横川宿 - ⑨中三依宿 -(高原峠・標高1,200m)
- ⑩五十里宿 - ⑪高原新田宿 - ⑫藤原宿 - ⑬大原宿 - ⑭高徳宿 - ⑮大桑宿 - ⑯今市宿
と16の宿場町が在りました。

大内宿は、下野街道の内、会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並びます。
江戸時代には下野街道の「半農半宿」の宿場でした。
現在でもその雰囲気をよく残していて、田園の中の旧街道沿いに
茅葺き民家の街割りが整然と並ぶその姿は昭和56年に
国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。

かつての寄棟造の民家は大民宿やその姿を残しながら、
土産物屋、蕎麦屋などとなっています。
特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、
箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習があります。



こちらが、大内宿の入口。

      20170720大内宿01


重要伝統的建造物群保存地区に指定されているから、この通りは車の進入禁止。

      20170720大内宿02

この辺りまでは舗装されています。




それでは、大内宿を歩いてみましょう。

      20170720大内宿03

いつしか舗装もなくなり、昔ながらの宿場町の風情を残しています。


藁葺き屋根の古い古民家が立ち並んでいます、

      20170720大内宿04


      20170720大内宿05


      20170720大内宿06


      
立ち並ぶ宿場町の古民家の中で、一風変わった雰囲気。

      20170720大内宿08



かつての大内宿本陣跡が大内宿町並み展示館となっています。

      20170720大内宿09

びいすけ は中に入れないから、こちらはスル〜(笑)



以前、テレビ番組で大内宿を取り上げていた時、
街並みの最奥の高台に神社があって、
そこから観る大内宿もなかなかのモノでした。

この石段先に神社があるのでしょう。

      20170720大内宿10


元気な びいすけ 。

      20170720大内宿11

後に続く私と もっちゃん は、暑さで息が上がりそう。
とにかく、ご機嫌な びいすけ 。


神社だと思っていた高台は、子安観音堂でした。

      20170720大内宿13


      20170720大内宿14





子安観音堂のある高台。
こちらが、展望スポットになります。

大内宿の街並みが一望出来ます。

      20170720大内宿12


    

なかなか、びいすけ を引き連れての写真はないから
たまには、こんなショットも良いでしょう。

      20170720大内宿15


      20170720大内宿16


時刻もお昼を回って、お腹も空いてきた。
元々、大内宿でお昼にするのは計算の内。

ベット可のお店がありました。

      20170720大内宿17



こちらのテラス席(?)ならペット可。

      20170720大内宿18

陽射しを遮ってくれるから、この時期には重宝しそうです。



ちなみに一般のお客さんは、こちらのお席。

      20170720大内宿19

     

大内宿に来たら、やっぱり『ネギ そば』でしょう!

      20170720大内宿21



と言うことで、ネギ そば の登場です。

      20170720大内宿22



たくあん と 山菜 はお店からのサービス。

      20170720大内宿23



こうやって、ネギを箸代わりにして蕎麦をすすります。

      20170720大内宿24



ごめんね。ネギそば だから、びいすけ にはあげられないよ!

      20170720大内宿25



大人しく待っている お利口さん。

      20170720大内宿20



お蕎麦を食べ終え、駐車場へと向かう街道にて
気になるモノを発見。

      20170720大内宿26


蕎麦だけじゃちょっぴり物足りない。
やっぱり、コレでしょう。

      20170720大内宿27



びいすけ、ガン見(笑)。

      20170720大内宿28


味噌のない所をしっかり貰う びいすけ。



大内宿を満喫してくれたかな?

      20170720大内宿29


ちょっぴり期待していた大内宿。
でも、あまりにも観光地化し過ぎで
ちょっぴり興醒め感も否めない。

江戸時代から続くの街道沿いの多くの古民家が
蕎麦屋だったり、お土産屋だったりして
何と無く俗っぽい気がしたのは...............気のせい?
年間100万人が訪れると言われる観光地だから
仕方ないのかなぁ...............。





2017/08/10 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit