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び・び・びのびいすけ

頼朝桜@佐久間ダム親水公園  (2017年2月27日)(千葉県安房郡鋸南町) 

2月27日 公休日

この日は、房総半島の勝浦、鴨川、南房総、館山方面へ向かいました。


矢尻の井戸をあとにして、向かった先は...............佐久間ダム親水公園





鋸南町では「河津桜」を石橋山の戦いに敗れ小舟で逃れた源頼朝が当町の竜島海岸に上陸し、
再起を図ったという史実にちなみ、『頼朝桜』の愛称をつけ、
日本一の桜の名所とすべく町民一丸となって植栽に取り組んでいるそうです。
そして、今年は2月18日〜3月12日までを『頼朝桜祭り』が開催されています。
佐久間ダム公園には約400本の頼朝桜が植栽されているそうです。

何人かのblogで佐久間ダム親水公園の頼朝桜が紹介されていたのと、
本場の河津桜の地である伊豆の河津町もこれから見頃と言うことなので
ちょっぴり期待して訪れてみました。


佐久間ダムって言うと、愛知県出身の私にはどうしても
愛知県と静岡県の県境の天竜川にある佐久間ダムをイメージしてしまいますが
房総半島にも規模の違いはあれ、佐久間ダムがあります。
名称は同じ佐久間ダムですが、ダム湖は愛知県と静岡県の佐久間ダムの方は『佐久間湖』。
こちらの千葉県の佐久間ダムの方は『佐久間ダム湖』と呼ばれ、
佐久間ダムは、洪水調節用・潅漑用水用として平成5年に完成しました。


こちらが、佐久間ダム親水公園。

      20170227佐久間ダム親水公園01



公園案内図で位置関係を把握いたしましょう。

      20170227佐久間ダム親水公園02


頼朝桜は、展望広場手前の斜面にあるようです。



先ずは、展望広場を目指しましょう。

      20170227佐久間ダム親水公園03



とは言いながらも、急な階段を上る訳だから
ちょっぴり息が上がります。

ゆっくり行きましょう。

      20170227佐久間ダム親水公園04



こちらが展望広場。

      20170227佐久間ダム親水公園05


展望広場から眺める佐久間ダム湖。

      20170227佐久間ダム親水公園06

ダム湖の奥に見えるのがダム堤体です。


展望広場と言うだけあって、ダム湖の眺めは良い。

      20170227佐久間ダム親水公園07


ダックもご機嫌かな?

      20170227佐久間ダム親水公園08



展望広場からの下り道。
斜面には頼朝桜。

      20170227佐久間ダム親水公園09



正直言って、見頃にはちょっと遅かった。
3月12日までが『頼朝桜祭り』の期間だから
期待しちゃっていたんですが、葉桜状態に近い。

      20170227佐久間ダム親水公園10



晴れていれば、青い空にピンクの花弁が映えると思うけれど
何せ、この天気。
頼朝桜の花もパッとしない。

      20170227佐久間ダム親水公園11



今年は寒かったと思っていたんだけど、そうでも無かったみたい。
思った以上に草花の開花が早いようです。

日が当たりづらい北斜面の頼朝桜は、まだまだ見頃。

      20170227佐久間ダム親水公園12


      20170227佐久間ダム親水公園13


      20170227佐久間ダム親水公園14


      20170227佐久間ダム親水公園15




時期的には、もう見頃が済んだ水仙。

      20170227佐久間ダム親水公園16

この佐久間ダム親水公園は、水仙の名所でもあります。
(をくづれ水仙郷と呼ばれているみたいです。)



佐久間ダム親水公園。
名前の通り、ダム湖畔の公園。

ダム湖に来たんだから、ダム湖も満喫しなくちゃ!


湖畔に伸びる桟橋で、佐久間ダム湖を眺めましょう。

      20170227佐久間ダム親水公園17


      20170227佐久間ダム親水公園18



ずば抜けて、褒め称える風景でもないが、悪くもない。

      20170227佐久間ダム親水公園19

水仙や頼朝桜(河津桜)を鑑賞して、ダム湖を眺めるのも
楽しいレクレーションになるでしょう。



佐久間ダムの記念碑。

      20170227佐久間ダム親水公園20


残念ながら、この佐久間ダムはダムカードを発行していません。
非公認カードでも良いから、鋸南町あたりが発行してくれないかな...............?(笑)


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2017/03/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

源頼 朝上陸の地  (2017年1月26日)(千葉県安房郡鋸南町) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけ出かけました。

本当は、宮本城址のあと、滝田城址へと足を伸ばす予定でしたが
里見氏の山城は、なかなか攻略も手強い。
岡本城址、宮本城址と回ると、さすがに足がパンパン。
予定を切り上げ、鋸南町を抜けて帰ることにしました。


そう言えば、諸説はあるけれど、鋸南町って、
伊豆の石橋山の合戦で敗けた源頼朝が真鶴岬体を船で房総半島に渡った時に
上陸した場所がなかったっけ?

iPhoneで検索。
向かった先は...............源頼朝 上陸の地



源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、
相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し、
安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。
竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。
源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れ、
頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。

安房国に着いた頼朝は、上総介広常など房総の武将の加勢を得て、
安房・上総・下総と順次支配下にしました。
房総で勢力を蓄え態勢を整えた頼朝は、源氏再興を目指し再び平氏討伐に乗り出します。
そして頼朝は、やがて平氏を倒し鎌倉に幕府を開設して征夷大将軍となりました。


頼朝の安房の国への上陸については諸説があるようですが、
その頼朝が上陸したとされる場所の一つが鋸南町。
その場所には碑が建てられており、頼朝の再起再生の地とされています。

( 頼朝の敗戦した 石橋山合戦場跡 は こちら
( 頼朝が伊豆山中を逃げ回り、隠れていた しとどの窟 は こちら
( 頼朝が安房に脱出した 真鶴岬の岩海岸 は こちら



鋸南町の竜島海岸。
勝山海水浴場の北端に『源頼朝上陸の地』の碑は建っています。

      20170126頼朝上陸地01


説明板があり...............

      20170126頼朝上陸地02


石碑も建ち...............

      20170126頼朝上陸地03


      20170126頼朝上陸地04



さらに、別の石碑もあり...............

      20170126頼朝上陸地05



朽ち果てかけた説明板も建つ。

      20170126頼朝上陸地06

まさに、頼朝の上陸のオンパレード。



そんなに仰々しくしなくても
この碑がひっそりと建っていれば良いんじゃないの?

      20170126頼朝上陸地07



で、頼朝が上陸した浜はと言えば...............


こんな感じの浜辺です。

      20170126頼朝上陸地08


      20170126頼朝上陸地09



びいすけ の背後に見えるのは『浮島』。

      20170126頼朝上陸地10

ちなみに無人島ですが、私有地の立ち入りできません。



この海岸に犬を連れて散歩に来る人も多い。
逆光で見づらいですが、浜辺をワンちゃんと歩く人。

      20170126頼朝上陸地11



浜辺のコンクリートにワンちゃんと一緒に座り込む人。

      20170126頼朝上陸地12



少し、この浜辺を散策してみましょう。

      20170126頼朝上陸地13



展望デッキみたいなエリアには四阿もある。

      20170126頼朝上陸地14

でも先客がいるから、今日は素通り。


その先は、沖へと向かう桟橋。

      20170126頼朝上陸地15



桟橋脇の岩場で、はいポーズ ☆パチリ。

      20170126頼朝上陸地16


      20170126頼朝上陸地17


桟橋はやっぱり苦手な びいすけ 。

      20170126頼朝上陸地18

どうしても逃げ腰な体勢。



それでも何とか桟橋の先端近くまて行きました。

      20170126頼朝上陸地19



桟橋から眺める、漁船の船着場。

      20170126頼朝上陸地20

考えてみれば、鋸南町って思い切り漁業の町。
保田漁港や勝山漁港も近い。



この日みたいに天気が良ければ
東京湾(浦賀水道)に掛かる夕日が綺麗だろうけど
夕日の時間にはまだまだ先。

      20170126頼朝上陸地21


平日だから通勤時間帯にも重なっちゃうから
道路も混みそう。
暫し、この海岸を眺め、
その光景をしっかりと瞼に焼き付けておこう。

      20170126頼朝上陸地22


      20170126頼朝上陸地23


      20170126頼朝上陸地24


本当は、富士山さえ見えていれば
夕日を待っても良かったんだけど...................

どうも富士山とは相性が良くないんだなぁ。
やっぱり、それって日頃の行いのせい?(笑)



2017/02/22 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....番外編     偶然見つけた廃校跡   (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日 公休日

この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。


佐久間小学校をあとにして、次なる廃校へと車を走らせました。
200mも走ったところで、こんな看板と六角堂(?)が視界に入って来た。

       20160518佐久間尋常小学校跡01


『 十王座像 』と書かれています。

車を停めて、ちょっぴり覗いてみます。


六角堂も奥に見えます。

       20160518佐久間尋常小学校02


十王座像と書かれているが、六角のお堂は十王堂と呼ばれているようです。

十王堂の説明板。

      20160518佐久間尋常小学校03

この佐久間にある十王堂はちょっとした名所のようです。
こちらに祀られている十王像は、10人の地獄の裁判官だそうです。
人は死ぬと7日ごとに十王様の前に出され、
生前に悪い事をしていないか調べられます。
閻魔様もその一人であり、天国へ行くか?地獄へ行くか?
この裁判にかかっています。
昔の人は、十王様をおがんで、歩しでも罪が軽くなるよう祈ったと言うことです。
十王信仰に因んだ佐久間の祭礼(毎年8月15日)には担ぎ屋台・花車が集合するそうです。



こちらが、その十王堂。

      20160518佐久間尋常小学校04

十王座像が祀られているらしい。


十王堂の扁額

      20160518佐久間尋常小学校05



ふと、境内を見ると...............

石碑(石柱)が建っています。

      20160518佐久間尋常小学校06

佐久間尋常小学校跡...............



つい先ほどまで居た佐久間小学校が以前この地に在ったと言うことです。

明治22年に佐久間中小学校と佐久間下小学校を統合して、
この地に佐久間尋常小学校を開校したそうです。

その後、幾多の変遷を経て、鋸南町立佐久間小学校となりましたが
その佐久間小学校も平成20年に廃校となってしまいました。

佐久間小学校の廃校に併せて、その歴史の源であるこの地に
記念碑が建てられたようです。

      20160518佐久間尋常小学校07


この境内の一画に佐久間尋常小学校は建っていたようです。

      20160518佐久間尋常小学校08



境内の真ん中に六角の十王堂が建っているから
境内の隅に校舎は在ったのでしょう。

      20160518佐久間尋常小学校09


大正12年まで、この地に佐久間尋常小学校が在ったわけですが
今から93年前に移転したことになります。
当然、校舎など残っていません。


ひょっとしたら、この辺りに校舎が建っていたかもしれません。

      20160518佐久間尋常小学校10


      20160518佐久間尋常小学校11


十王堂の脇には、一段下がった削平地があり
こちらには、日露戦争の戦没者の碑(忠魂碑)が建っています。

      20160518佐久間尋常小学校12



田舎の小学校には、敷地内に忠魂碑があったりするから
確かに、明治・大正時代の学校跡って感じがします。









2016/06/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................佐久間小学校   (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日  公休日

この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。


吉浜小学校をあとにして、向かった先は...............鋸南町立佐久間小学校



佐久間小学校は、

明治6年      佐久間中村の光明寺内に佐久間中小学校を設立する
明治7年      佐久間下村の智勝院内に佐久間下小学校を設立する。
明治22年     佐久間中村、佐久間下村、大崩村、奥山村が合併して佐久間村となる。
           佐久間中小学校と佐久間下小学校を統合して、
           十王堂境内に佐久間尋常小学校を設立する。
明治41年     玉岡(大崩)小学校、奥山小学校を統合する。
大正12年     現在地に新校舎建築。十王堂から移転する。
昭和22年     学制改革により、佐久間村立佐久間小学校と改称する。
昭和30年     佐久間村が勝山町と合併して勝山町となる。
           勝山町立佐久間小学校と改称する。
昭和34年     勝山町が保田町と合併して鋸南町となる。
           鋸南町立佐久間小学校と改称する。
平成20年     勝山小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、佐久間小学校の正門。

      20160518佐久間小学校01


門柱には、佐久間小学校の表札が残されています。

      20160518佐久間小学校02


      20160518佐久間小学校03



正門から中に入ってみると、校庭は意外に広い。

      20160518佐久間小学校04


正門脇に佇む石碑。

      20160518佐久間小学校05



『佐久間小学校跡』の碑です。

      20160518佐久間小学校06

沿革もしっかりと刻まれていて、
鋸南町の廃小学校は、こう言った学校跡の碑があるから
巡っていても楽しくなります。


『佐久間小学校跡』の碑に対座するように建っている石碑。

      20160518佐久間小学校07

こちらは、『佐久間中学校跡』の碑です。
かつて、この敷地内に佐久間中学校も在ったようです。
地元の方に話を伺ったら、体育館のある場所に
佐久間中学校の校舎が建っていたらしい。



こちらが、その体育館。

      20160518佐久間小学校29


      20160518佐久間小学校30


ここで、ふと何か違うことに気付きます。
校舎の雰囲気が違う。

こちらが、佐久間小学校の校舎。

      20160518佐久間小学校23      

鉄筋コンクリートの校舎をイメージしていましたが
どうやら木造の校舎。
そして、箱型の校舎でもない。
山梨県で見かけた明治時代のイメージが重なる校舎。

      20160518佐久間小学校24


残念な事に、校舎の1棟の屋根が剥がれている。

      20160518佐久間小学校25
      


木造校舎と言っても、二階建ての長方形の箱型ではない。

      20160518佐久間小学校26


生徒もさほど多くなかった時代から変わらず
逆に増えることもなかったから、そんなに建て替える必要も無かったのだろうか?
ひょっとして、大正時代の校舎?

こちらが玄関だったようです。

      20160518佐久間小学校28


そして、こちらが児童達の出入口。

      20160518佐久間小学校27



校庭に残された遊具類。

      20160518佐久間小学校09


      20160518佐久間小学校16


      20160518佐久間小学校11


こちらの滑り台は、ちょっと立派。
小学校に設置された遊具には見えない。

      20160518佐久間小学校12


      20160518佐久間小学校13



この地にも在りました。
二ノ宮像。

      20160518佐久間小学校14


      20160518佐久間小学校15



校庭に残された学校遺構。

朽ちかけた百葉箱。

      20160518佐久間小学校08

      

使われなくなったローラー。

      20160518佐久間小学校17


同じく、使われなくなった朝礼台。

      20160518佐久間小学校18



一時期、中学校も併設されていましたが
敷地内には、幼稚園も併設されていたようです。

こちらが幼稚園の園舎。

      20160518佐久間小学校31


そして、園児用の遊具類。

      20160518佐久間小学校32




びいすけ は、遊具類よりも土の感触が好き?(笑)

      20160518佐久間小学校10

      20160518佐久間小学校19


こちらはプール。

      20160518佐久間小学校33



そして、プールの脇には廃校ではお約束(?)の防災倉庫。

       20160518佐久間小学校34




かつては、幼稚園、小学校、そして中学校が同じ敷地にあった佐久間小学校。    
山あいの地にある小学校だけど、それなりの広さの校庭。

      20160518佐久間小学校20


ほど良く(?)雑草も生え始め、新緑の季節から初夏を迎え始めています。
久しぶりの晴天下の外出だから、 びいすけ も嬉しそう。

      20160518佐久間小学校21


      20160518佐久間小学校22





校舎の傷みが気になる佐久間小学校ですが、この校舎はいつまでも残してほしいなぁ.............









     


      


2016/06/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................吉浜小学校   (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日 公休日

この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。



鋸南第一中学校跡をあとにして、向かった先は...............鋸南町立吉浜小学校


吉浜小学校も詳しい沿革は分かりません。
ネットで色々と事前に調べてはいましたが詳細は不明。

現地で見つけた碑に記された沿革によれば...............

明治7年     吉浜村の妙本寺内に開校
明治20年    妙本寺門前に上校舎新築。
昭和20年    下校舎建築。
昭和22年    学制改革により保田町立吉浜小学校と改称する
昭和34年    保田町と勝山町が合併して鋸南町となる。
          鋸南町立吉浜小学校と改称する。
昭和42年    保田小学校に統合される。
昭和43年    廃校となる。

と、このような沿革になっているようです。
ちなみに、先に訪れた鋸東小学校と同じ時期に保田小学校に統合され、
統合された翌年に正式に廃校となったようです。



吉浜小学校の正門近く。

      20160518吉浜小学校01

白い看板が入り口に建っています。



妙本寺の駐車場と書かれています。

      20160518吉浜小学校05




こちらが、正門。

      20160518吉浜小学校02


何故か?門柱は片方のみ。

      20160518吉浜小学校03



敷地内は、すでに更地。

      20160518吉浜小学校04

駐車場だから、当然と言えば当然ですが...............





      
敷地の隅にひっそりと建っているの石碑。

      20160518吉浜小学校06



吉浜小学校跡地 の碑です。

      20160518吉浜小学校07

簡素な沿革も刻まれています。



この碑があるから、此処が吉浜小学校跡地だと分かりますが
碑がなければ、ただの広場。
雑草に覆われた寺院の駐車場。

      20160518吉浜小学校08


石碑の隣には、使われなくなった手押しポンプ。

      20160518吉浜小学校09

井戸水を汲みあげていたのでしょう。
年代からいって、吉浜小学校時代の井戸だったのでしょうか?



廃校から既に49年の月日が流れ、
校舎は解体され、正直言ってなにもありません。

      20160518吉浜小学校10


      20160518吉浜小学校11


      20160518吉浜小学校12



多くの明治期に創立された多くの小学校がそうであったように
この吉浜小学校も妙本寺の敷地の一画を校地にしていたようで、妙本寺に隣接しています。

      20160518吉浜小学校13


校地の上の高台が、妙本寺の墓地。

      20160518吉浜小学校14



遊具も二ノ宮像も無く、学校遺構は片方の門柱のみ。
校庭の隅にひっそりと繁る桜の木が
春になれば、学校跡を彷彿させてくれるのかも知れません。

      20160518吉浜小学校15


廃校から約半世紀。
この地に吉浜小学校が在ったことを
この先、幾人が知り得ていくのだろうか?
ひっそりと忘れさられていくことだろう..............................。






2016/06/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて......番外編  偶然見つけた中学校跡  (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日  公休日

この日は、房総半島の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。


鋸東小学校から、次なる廃校へと車を走らせ、
先ほどの保田小学校(『道の駅 保田小学校』)の前を車で通り過ぎました。
100mほど進むと、『道の駅 保田小学校』の臨時駐車場があります。
その駐車場を見た瞬間、ビビっとくるものがありました。
って言うか、どう見ても廃校跡にしか見えませんでした。
慌てて、臨時駐車場に車を乗り入れます。

      20160518保田中学校01



まさしく、校門が此処に在った!と言う雰囲気満載。

      20160518保田中学校02



こちらは、鋸南町立鋸南第一中学校跡 になります。


鋸南第一中学校の詳しい沿革は不明です。
ただ、昔の尋常高等小学校が現代の中学校に相当するわけで、
近くに在った保田小学校の沿革を紐解くと...............

明治34年に保田高等小学校が創立されたことから
この時が、鋸南第一中学校の始まりかも知れませんね。
日本が終戦を迎え、昭和22年に学制改革により国民学校か廃され
小学校と中学校に分かれていったのもこの時期。
いずれにしても、昭和22年以降、幾多の変遷を経て鋸南第一中学校と改称し、
平成7年に鋸南第二中学校と統合して、共に廃校となりました。





こちらは、校庭跡か?
それとも校舎跡?

ただ、はっきり言えるのは
現在は、道の駅 保田小学校 の臨時駐車場。

      20160518保田中学校03


敷地の一部が、道の駅 保田小学校 の臨時駐車場となっていますが
残りの敷地は、『鋸南町保険福祉総合センター すこやか』として再利用されているそうです。

      20160518保田中学校04



ネットで検索してみると、平成26年に解体されてしまったようですが
木造の校舎もその時までは存在していたようです。
2年とか3年前の話をなんだよねぇ。
見たかったなぁ...............。



メインの通りに面しているから
こちらが、本来の正門だったかもしれません。

      20160518保田中学校05



校舎を全て解体してしまったわけではなく、
程度の良い棟に張りぼて(?)をして再利用しているみたいです。

      20160518保田中学校06


建物の裏手に回ると、その張りぼて(?)が良く判ります。 

      20160518保田中学校15


ズームにしたら、さらに判ります。

      20160518保田中学校16



この場所には、体育館が在ったようです。

      20160518保田中学校07


正面の椰子の木に並列するように校舎が建っていたそうです。

      20160518保田中学校08

しかし、鴨川市の小学校にも多かったけれど
房総半島南部の学校には、椰子の木が植えられているのが多いなぁ。



旧・校舎の玄関近くだったのでしょう。
伊豆の河津町から送られた河津桜。

      20160518保田中学校09


鋸南町では頼朝桜と呼んでいるらしい。

      20160518保田中学校10



椰子の木の側には、石碑群。

      20160518保田中学校11


タイトル『福祉の泉』

      20160518保田中学校12

昭和53年卒業生からのようです。


こちらは、ダブルタイトル。
『希望』『愛と汗』

      20160518保田中学校13

昭和52年卒業生からのようです。



『心のふるさと』
      20160518保田中学校14


昭和51年卒業生からのようです。




小学校と違って、中学校には遊具も二ノ宮さんも元々無い。
その点が面白みに欠けるって言うのが本音なんですけどね。


朝礼台が無造作に置かれているから
この辺りは校庭だったのでしょう。

      20160518保田中学校17


この朝礼台も、もう使われることは無いでしょう、

      20160518保田中学校18



      
臨時駐車場となってしまった廃校跡に
ポツンと残る1本の木。

      20160518保田中学校19


何となく殺風景であり、寒々しさも感じます。
この先、ずっとこんな光景が時の流れと共に続いていくんでしょうね。





2016/06/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて....................鋸東小学校  (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町)   

5月18日 公休日

この日は、鋸南町、南房総市の廃校巡りに出かけました。


保田小学校をあとにして、向かった先は...............鋸南町立鋸東小学校



鋸東小学校は、

明治7年      市井原校を創立
明治8年      小保田校を設立
明治21年     両校を統合して鋸東小学校を開校する
昭和22年     学制改革により保田町立鋸東小学校と改称する。
昭和34年     保田町と勝山町が合併して鋸南町となる。
           鋸南町立鋸東小学校と改称する。
昭和42年     保田小学校に統合される。
昭和43年     廃校となる。

と、このような沿革となっています。


廃校から既に、鋸東小学校の情報は乏しく、ネットでも詳しい情報は得られません。
『鋸東小学校』で検索すると、『鋸東コミュニティセンター』なるモノがヒットします。
コミュニティセンターって公民館。
廃校跡が公民館ってパターンは多い。
同じ鋸東って付いているし...............

違っていたら、誰かに聞けば良い。

運を天に任せ、鋸東コミュニティセンターへと向かいます。
保田小学校からは、4kmほど山あいに入って行きます。


こちらが、鋸東コミュニティセンター。

      20160518鋸東小学校01


明らかに建て替えられた公民館。

      20160518鋸東小学校02

でも、山の中の分校っぽい雰囲気はします。


フェンス越しに先に進むと門柱を発見。
やはり、ここが鋸東小学校跡のようです。

      20160518鋸東小学校03



門柱の表札は当然外されています。

      20160518鋸東小学校04


正門(?)から敷地内に入ると、いかにも校庭って言う感じの空間。

      20160518鋸東小学校05


そして、その先には、公民館の建物。
やはり、往時の校舎もこんな感じで建っていたのでしょう。

      20160518鋸東小学校06



公民館の前に、石碑を発見!

      20160518鋸東小学校07


石碑には簡単な沿革が刻まれています。

      20160518鋸東小学校08

(この記事の冒頭の沿革は、こちらから引用いたしました。)


この 小学校跡 って言う石碑がやっぱり良いなあ。

      20160518鋸東小学校09

紛れもなく、この地に小学校が在った証しだもんなぁ。


この石碑以外に学校遺構が無いか?探してみましたが
これと言ったモノは無し。
二ノ宮像も遊具も残されていません。


校庭は農村部や山間部の公民館のように、ゲートボール場となっています。

      20160518鋸東小学校10


少子化や過疎で人が減り、廃校となった小学校の校庭が
地域の老人たちのゲートボール場になっている...............

これは全国的に多いパターン。

      20160518鋸東小学校11


      20160518鋸東小学校12


そして、校庭の片隅には防災倉庫。

      20160518鋸東小学校13

これも良くあるパターン。



コミュニティセンターの前がバス停。

      20160518鋸東小学校14


      20160518鋸東小学校15

時刻表を見て驚いた。
2系統のバスが走っているようですが
各々1日に4本しかバスが走っていない...............。

この地で生きていくのも大変なようです。







2016/06/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........保田小学校    (2016年5月18日)(千葉県安房郡鋸南町) 

5月18日  公休日

個人的な連休。

この日は、房総半島の廃校巡りに出かけました。

房総半島と言っても広いから、鋸南町と南房総市の廃校巡りに出かけました。


まず、その第一弾。
鋸南町の鋸南町立保田小学校となります。

昨年の12月11日に、『道の駅 保田小学校』としてオープンした施設が
廃校となった保田小学校そのものです。



保田小学校は、

明治21年      保田尋常小学校創立。
明治22年      吉浜村、大帷子村、大六村、本郷村、元名村、江月村、小保田村、
            市井原村、横根村が合併して、保田村誕生。
明治30年      保田村が町制実施、保田町となる。
明治34年      保田高等小学校創立。
明治38年      保田尋常小学校と保田高等小学校が合併して、
            保田尋常高等小学校となる。
昭和22年      学制改革により、保田町立保田小学校と改称する。
昭和34年      保田町と勝山町が合併して鋸南町となる。
            鋸南町立保田小学校と改称する。
昭和42年      鋸東小学校、吉浜小学校を統合する。
平成26年      勝山小学校と統合。
            勝山小学校の設備を使用して鋸南小学校が開校。
            保田小学校と勝山小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


元々、街道沿いに在った訳でもなく、どちらかと言えば市街地に在った保田小学校。
ただ、今は道の駅になっているから、この看板を探せば、迷わずに辿り着けます。

      20160518保田小学校01


道の駅だから、当然駐車場も完備されています。

      20160518保田小学校02

さらに、100mほど先にも臨時駐車場があるらしい。



こちらが、かつての正門。

      20160518保田小学校03



門柱も残っていて、表札も往時のまま。

      20160518保田小学校04


      20160518保田小学校05



正門付近から眺める保田小学校。

      20160518保田小学校06

かつての校庭は、いまや道の駅の駐車場。


校舎もそのまま道の駅の施設として利用する訳にもいかないので
内装は勿論、外装にもちょっぴり手を加えているようです。

      20160518保田小学校07


      20160518保田小学校08


こちらは、かつての体育館。

      20160518保田小学校09

今は、きょなん楽市と言う特産品売場。



元々この場所に在ったのか?
はたまた、移設されて来たのか?

二ノ宮像。

      20160518保田小学校10


      20160518保田小学校11


二ノ宮像の隣は、Cafe金次郎。

      20160518保田小学校12

やっぱり、作為的に移設したのかなぁ?




こちらに到着したのが午前9時前。
まだ営業しておらず、お店も開いていません。

中華料理の『3年B組』前。

      20160518保田小学校17
     
廃校とは言え、小学校だから、『3年B組』は合わないような気がします。
中学校だったら、バッチリなんだけどね。



校舎は飲食店やインフォメーションセンターとなっていますが
校舎前にはお目当ての石碑が2基在りました。


創立百年の記念碑。

      20160518保田小学校13


      20160518保田小学校14



そして、1番の探し物。
保田小学校の廃校記念碑。

      20160518保田小学校15



正面には校歌。裏面には沿革が刻まれています。

      20160518保田小学校16



道の駅の施設として、かなり手が入ってしまいましたが
何とか、学校遺構を探してみますが、遊具類などは全く無し。


正門近くのフェンス沿いの桜の木。

      20160518保田小学校18

こちらは、まさしく保田小学校の面影を残しています。


通りに出れば、桜の木には往時の看板。

      20160518保田小学校19

車道に飛び出す児童が多かったのかな?



時代の流れとでも言うべきか...............?

      20160518保田小学校20

道の駅だから、仕方がないけれど
電気自動車の充電施設も設けられています。



昨年12月に道の駅として生まれ変わった保田小学校。
廃校の有効利用が注目されている中、全国的にも珍しい活用事例であり
数少ない成功例として脚光を浴びているようですが...............


廃校ファンとしては、何かしっくりこない。
物足りないと言うか、やたらに垢抜けてしまって
廃校らしい泥臭さがなくなってしまって
個人的には面白みに欠けているような感を強く感じてしまいました。


道の駅にリニューアルされる前の保田小学校を見てみたかったなぁ...............。
せめて、1年前に訪れていれば良かったかもしれないなぁ。








2016/05/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit