07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

び・び・びのびいすけ

ダムカードを集めよう! 《 小河内ダム 》 (2017年5月31日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

5月31日  公休日

この日は、奥多摩方面へと出かけました。

この日、奥多摩に出かけた目的は多々有りましたが、
その中の一つ、ダムカード集め。
東京都で唯一ダムカードを発行しているのが、小河内ダム。

そうです、ダムカードを貰いに、小河内ダム にやって来ました。


小河内ダムは、東京都の水瓶である奥多摩湖にあるダムです。
即ち、小河内ダムによって堰き止められて出来たダム湖が奥多摩湖になります。

こちらが、奥多摩湖。

      20170531 小河内ダム」01



そして、こちらが 小河内ダム 。

      20170531 小河内ダム」03



ダム近くの奥多摩湖畔には、小河内ダムの説明版。

      20170531 小河内ダム」02


 
目的のダムカードは、小河内ダム管理所とダム展望塔の2ヶ所で配布されています。


こちらが、小河内ダム管理事務所。     

      20170531 小河内ダム」04

事務所にてダムカードをいただきました。


ダムカードと小河内ダム。

      20170531 小河内ダム」05


ダムカードも手に入れたから、小河内ダムを見学いたしましょう。

      20170531 小河内ダム」06



小河内ダムの天端。

      20170531 小河内ダム」07


長さは353m 

      20170531 小河内ダム」08



堤体は高さ149m

      20170531 小河内ダム」09




かなり大きなダムです。

      20170531 小河内ダム」10


      20170531 小河内ダム」14



わんこは入場出来ないので びいすけ は表で留守番。
ダム展望塔に入ります。

小河内ダムと奥多摩湖の模型。

      20170531 小河内ダム」11


展望塔からは小河内ダムの堤体を見下ろすように眺められます。

      20170531 小河内ダム」12



展望塔からの奥多摩湖の眺め。

      20170531 小河内ダム」13

天端から眺める奥多摩湖とは、またちょっと違った雰囲気。



こちらが、小河内ダムのダムカード。

      20170531 小河内ダム」15


      20170531小河内ダム16
  


東京都のダムカードはこの小河内ダムのダムカードのみ。
これで千葉県、東京都のダムカードは制覇。

関東圏のダムカード、とりあえず頑張って集めてみよう。


    
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2017/06/22 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

多摩川八景   《 奥多摩湖 》   (2017年5月31日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

5月31日 公休日

この日は、奥多摩方面に出かけました。

檜原村から檜原街道を北上。
一路、奥多摩湖を目指します。


檜原街道をさらに進むと、別名『奥多摩周遊道路』と呼ばれる
かつての奥多摩有料道路になります。

若かりし頃、バイク乗りは休日になると、
奥多摩有料道路に繰り出したモノでした。
もう、あれから何年に、いや何十年になるんだろうか?

車で旧・奥多摩有料道路を走るのも30年振り?

料金所は撤去されましたが、コーナーの続くアスファルトの道は
あの頃のままです。


久しぶりに来た、月夜見第1駐車場。

      20170531 奥多摩湖01

かつては、休日ともなればバイクの走り屋が集結していた場所。


ここは、それなりに展望が長けている。

      20170531 奥多摩湖02



眼下に見える奥多摩湖。

      20170531 奥多摩湖03


      20170531 奥多摩湖04


      20170531 奥多摩湖05


実は、この奥多摩湖が奥多摩に向かった目的地。



奥多摩周遊道路を駆け下り、奥多摩湖に到着。

      20170531 奥多摩湖06



奥多摩湖は正式名称を小河内貯水池と言い、
奥多摩町と山梨県の丹波山村、小菅村に跨る東京都水道局管理の人造湖です。
1957年(昭和32年)多摩川を小河内ダムによって堰き止めて造られました。
竣工当時、水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池でした。
すなわち、東京都民に水瓶であり、多摩川の原点であります。

多摩川八景の一つにも選ばれています。

      20170531 奥多摩湖07

ちなみに、多摩川八景とは多摩川への関心を高め、
河川環境整備の方向性を探ることを目的として、
市民の投票をもとに1984年(昭和59年)に選定されました。
その内訳は、

①多摩川の河口 (神奈川県川崎市)
②多摩川台公園 (東京都大田区)
③二子玉川兵庫島 (東京都世田谷区)
④多摩川大橋付近の河原 (東京都昭島市)
⑤玉川上水 (東京都福生市)
⑥秋川渓谷 (東京都あきる野市、檜原村)
⑦御岳渓谷 (東京都青梅市)
⑧奥多摩湖 (東京都奥多摩町)

となっています。


奥多摩湖はダム湖です。
その源になるダムが、こちらの小河内ダム。

      20170531 奥多摩湖08


      20170531 奥多摩湖09


      20170531 奥多摩湖10



湖畔の園地にある碑。

      20170531 奥多摩湖11

ダムの碑でもなく、奥多摩湖の碑でもなく
『湖底の故郷』の歌碑です。
 
小河内ダムの建設により、全村が水没することになった旧・小河内村。
強制的に移転させられ、故郷を失った村民の悲しみの詩が刻まれています。



四阿もあるので、ちょっぴり休憩いたしましょう。

びいすけ もオヤツの時間にいたしましょう。

      20170531 奥多摩湖12


      20170531 奥多摩湖13


      20170531 奥多摩湖14



園地に展示されていた旧浮橋のドラム缶。

      20170531 奥多摩湖22

奥多摩湖にある2ヶ所の浮橋。
以前は、このようにドラム缶を使って浮橋を架けていたそうです。
現在は、ドラム缶の代わりにプラスチックのものに代わっています。

浮橋は麦山地区と留裏地区の2ヶ所。
麦山の浮橋は駐車場が無さそうなので、今回はパス。


こちらが留浦の浮橋

      20170531 奥多摩湖15


注意書きが張り出されています。
実際にこの浮橋を渡ることもできるようです。

      20170531 奥多摩湖16



まずは、先陣を切って もっちゃん が浮橋を渡ります。

      20170531 奥多摩湖17


最初は足を突っ張って嫌がっていた びいすけ ですが
もっちゃん に置いていかれると思って
意を決したようです。

      20170531 奥多摩湖18


とは言え、この浮橋意外に揺れる。
恐る恐る浮橋を進みます、

      20170531 奥多摩湖19


      20170531 奥多摩湖20


もっちゃん はまもなく対岸へ着いちゃいます。

      20170531 奥多摩湖21


まぁ、対岸に着いても何もないから
また浮橋を渡り直す羽目になりますが................

今度は麦山地区の浮橋にも挑戦してみたいなぁ

奥多摩湖、魅力いっぱいの場所ですね。






2017/06/21 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........氷川小学校海沢分校跡                       (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日 公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りに出掛けました。


小菅分校をあとにして、向かった先は..................

奥多摩町立氷川小学校海沢分校跡


海沢分校の沿革は詳しいことは分かりません
氷川小学校のHPによれば、明治6年~8年に海沢村に小学校が開校され、
後の海沢尋常小学校となったのが始まりのようです

明治22年     氷川村、日原村、海沢村、境村が合併し氷川村が成立。
明治34年    境尋常小学校、海沢尋常小学校、日原尋常小学校が
          氷川尋常高等小学校に統合され、 分校を設置。
          氷川尋常高等小学校海沢分校となる。
昭和22年    学校令改正により、氷川町立氷川小学校海沢分校と改称。
昭和30年    氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。
          奥多摩町立氷川小学校海沢分校と改称。
昭和34年    氷川小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この分校の存在は奥多摩駅前の観光案内所の女性に教えていただきました。


『詳しい場所も憶えていないけれど............』と言われましたが
近くに来たら、一発でそれらしい場所を見つけました。


こちらが、海沢分校跡。

かつて、この辺りに校門があったのでしょうか?

      20141207海沢分校05



敷地内に入ってみます。

      20141207海沢分校01



見るからに、分校の校舎のような建物。

      20141207海沢分校06



しかし、廃校から既に55年。
とても往事の校舎には見えません。


現在は、海沢剣道場となっています。

      20141207海沢分校07




かつての分校敷地内には、公民館である海沢生活館も建てられています。

      20141207海沢分校03



実は、敷地内に民家があり、人が住んでいる。
年老いた御婦人(いわゆる、おばあちゃんです。)が
洗濯物を取り込むのに外にでて来ました。

向こうもいきなり犬連れの人がいるから焦ったでしょう。
もちろん、こちらもいきなり民家から人が出て来たから焦りました。
まあ、悪い事をしているわけじゃないから
焦る必要はないんだけど..................。

御婦人に話を聞いたら、

紛れもなくこの地に海沢分校が建っていたそうです。




そして、剣道場脇には防災倉庫。

      20141207海沢分校04



そして、生活館の隣には消防倉庫と火の見櫓。

      20141207海沢分校08

この分校跡も、最近見出したあるパターンにハマっている。
廃校、消防倉庫パターンとでも言っておこうか............)


とくに、これと言った学校遺構もないし、
何せ、旧・分校敷地内に一般の民家もあるから
あまり、長居をしてもねぇ............

最後に一枚、びいすけ と写真を撮ってみた。

      20141207海沢分校02



やっぱり、分校の校舎の様に見えちゃうんだけど............

それって、気のせいなのかなぁ............?



2015/01/08 Thu. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............氷川小学校小菅分校跡                      (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日 公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りに出掛けました。



小河内小学校をあとにして、向かった先は..................

奥多摩町立氷川小学校小菅分校跡


小菅分校は

明治35年     氷川村大沢地区に分教場を設置
          氷川尋常小学校小菅分教場となる
昭和22年    学校令改正により、氷川町立氷川小学校小菅分校と改称。
昭和30年    氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。
          奥多摩町立氷川小学校小菅分校と改称。
昭和39年    氷川小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




こちらが、小菅分校跡。


校庭跡は、更地状態。

      20141207小菅分校01



校舎が建っていた跡には、大沢生活館が建っています。

      0141207小菅分校02


どうやら奥多摩町では、地域の公民館が生活館と名付けられているようです。




逆アングルにて。

      0141207小菅分校03




分校跡に佇んでいたら、一人のご老人が近寄って来ました。
普段、他所者が訪れない小さな集落に犬を連れた人間がいるから
怪しい?と思ったのでしょうか?

ご老人は、今年84歳。
過去、集落の区長を長い間していたそうです。

ご老人の話では、この辺りは大沢集落。
過去、62〜63世帯あったそうですが、過疎化が激しく
現在は26世帯の小さな集落です。
隣接する小菅集落とこの大沢集落が学区でした。
大沢集落に分校はありましたが、なぜか分校名は小菅分校になったそうです。





こちらが、生活館。
集落の規模にらあった小振りな建物。

      0141207小菅分校04



きっと分校の校舎も、こんな感じで小振りな建物だったのでしょう。

      0141207小菅分校05


      0141207小菅分校06




ここにも、防災倉庫はありました。

      0141207小菅分校07



そして、隣接する消防倉庫。

      0141207小菅分校08


      0141207小菅分校09

幾つもの廃校跡を訪ねているが、
廃校跡地に消防倉庫や防災倉庫が置かれているパターンが多い。
公民館と消防倉庫。
これは、廃校跡には切っても切れない関係かも知れない。

裏を返せば、新たな活路、用途を見出せない結果なのかもしれない。


あと10年、そして20年経ってしまえば
集落に住む人々も代替わりしてしまうだろう。
そして、この地に分校があったことさえ、忘れさられてしまうのだろうか............?




2015/01/08 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して..............東京・奥多摩編                            (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町)       

12月7日

この日は奥多摩町に出掛けていました。


奥多摩町には7基の丸ポストが現存していると言うことで
丸ポストを探しをして来ました。




1基目の丸ポストは、小丹波地区。
古里郵便局前の丸ポスト

      20141207奥多摩丸ポスト01


      20141207奥多摩丸ポスト02


      20141207奥多摩丸ポスト03


      20141207奥多摩丸ポスト04





2基目の丸ポストは、氷川地区。
JR奥多摩駅前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト05


      20141207奥多摩丸ポスト06


      20141207奥多摩丸ポスト28


      20141207奥多摩丸ポスト07





3基目の丸ポストは、同じく氷川地区。
栃元たばこ店前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト08


      20141207奥多摩丸ポスト09


      20141207奥多摩丸ポスト10


      20141207奥多摩丸ポスト11




4基目の丸ポストは、日原地区。
日原簡易郵便局前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト12


      20141207奥多摩丸ポスト13


      20141207奥多摩丸ポスト14


      20141207奥多摩丸ポスト15




4基目の丸ポストは、再び氷川地区。
奥多摩病院前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト16


      20141207奥多摩丸ポスト17


      20141207奥多摩丸ポスト18


      20141207奥多摩丸ポスト19





6基目の丸ポストは、原地区。
小河内郵便局前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト20


      20141207奥多摩丸ポスト21


      20141207奥多摩丸ポスト22


      20141207奥多摩丸ポスト23




7基目、奥多摩町の現役最後の丸ポスト。
留浦地区の 食事処島勝 前の丸ポスト。

      20141207奥多摩丸ポスト24


      20141207奥多摩丸ポスト25


      20141207奥多摩丸ポスト26


      720141207奥多摩丸ポスト27




これで、奥多摩町の現役7基の丸ポスト完全制覇です。


東京都には、233基の丸ポストが現存しているようです。
(2014年7月1日現在)
(ただ、町田市の1基が無くなっているから232基かも?)



とりあえず、これまでに東京都の丸ポストは

日野市           5基
調布市          1基
八王子市part.1     6基
八王子市part.2      1基
町田市          6基

      を制覇してきました。

そして本日、奥多摩町として7基を制覇し、合計26基。


東京都の場合、伊豆七島があるから完全制覇は難しいけれど
1基でも多くの丸ポストに出会って行きたいものです。



2015/01/07 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............小河内小学校                             (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日  公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りをしていました。


奥多摩湖、小河内ダムを散策したあとに向かった先は............

奥多摩町立小河内小学校



小河内小学校の詳しい沿革はよくわかりません。

ネットで調べても詳しい情報にヒットしません。


平成16年に氷川小学校に統合されて廃校になりました。
ちなみに、廃校時の児童数は4人だったそうです。

そもそも、昭和の初めにダム建設の話が持ち上がり
色々な問題を抱えながらも、昭和32年に小河内ダムが竣工されると
多摩川沿いの旧小河内村集落の大部分が水没してしまいました。

元々の小河内小学校もダムの底に沈んでしまったそうです。


ダム建設に合わせて移転した先が、奥多摩湖の上流域。

奥多摩駅発、西東京バス峰谷行きの学校バス停前に
小河内小学校はあります。

      20141207小河内小学校01




こちらが、小河内小学校の正門。

      20141207小河内小学校02



門柱には、小河内小学校の表札が掲げられたままになっています。

      20141207小河内小学校03


      20141207小河内小学校04




反対側の門柱には、小河内中学校の表札。

      20141207小河内小学校05


どうやら、同じ敷地内に小学校と中学校が併設されていたようです。



ゲートは固く閉ざされ、鍵まで掛かっています。
どうやら、中には入れないようです。


しかし、ここは過疎の進んだ田舎の小学校。
正門は閉ざされていても、裏に回れば入れるかもしれない。

学校のある台地下部をぐるっと回ってみます。


普門禅寺と言うお寺の脇の道を上がっていくと、
民家の脇を通る狭い道を発見。
いかにも、田舎の小学校の通学路っぽい。

      20141207小河内小学校25


      20141207小河内小学校26



この道が大正解。

しばらく歩いて(上がって)行くと、木造校舎が見えてきました。

      20141207小河内小学校06




木造校舎は二棟。
高台にあるのが、中学校のようです。


こちらは、小学校の校舎。

      20141207小河内小学校07


      20141207小河内小学校09



こちらは、体育館。
体育館は小中と共用で使われていたようです。

      20141207小河内小学校08



体育館の下には、防災倉庫が置かれています。
地域の避難場所になっているんでしょうね。

      20141207小河内小学校19






校庭の隅にある遊具類。

      20141207小河内小学校10


      20141207小河内小学校11


      20141207小河内小学校16


      20141207小河内小学校17


      20141207小河内小学校18



紛れもなく、奥多摩湖の上流。
校庭越しに奥多摩湖が視界に入ってきます。

      20141207小河内小学校15





こちらは、小河内小学校跡の碑。

      20141207小河内小学校12


      20141207小河内小学校13

ひょっとしたら、この碑の裏に沿革が刻まれていたかもしれない。
確認するのを忘れちゃったんですねぇ。



こちらは、小河内小学校開校百周年の記念碑。
『 楽 山 』 て読むようですね。

山を楽しむ..................

山深き場所だから、言える言葉かもしれない。

      20141207小河内小学校14




もう一度、校舎の方に戻ってみましょう。

      20141207小河内小学校20




そっと、校舎内部を覗いてみました。

      20141207小河内小学校21



廃校から10年。
現在は、   「奥多摩フィールド」と言うレンタルスペースとして
間に管理会社が入って、色々なイベント等に利用されているようです。

その影響もあるのでしょう。
意外に校舎内は綺麗な状態です。




こちらは、小河内中学校の木造校舎。

      20141207小河内小学校22

中学校の校舎は、小河内振興財団の事務所になっているようです。


何故かしら、中学校の表札が捨てられずに玄関内に飾られていました。

      20141207小河内小学校23



中学校の校舎は、小学校の校舎より、一回り小さいけれど
こちらも、状態は良さそう。

      20141207小河内小学校24



東京都の外れの山奥に、二棟の木造校舎がしっかりと残されている。

いつまでも、このままの形で、この地に残されていることを
心の底から期待してやまない..................。







2015/01/06 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............氷川小学校道所分校跡                     (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日  公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りに出掛けました。



境分校をあとにして、向かった先は..................

奥多摩町立氷川小学校道所分校跡


道所分校は

大正3年     氷川村道所地区に分教場を設置
          氷川尋常小学校道所分教場となる。    
昭和22年    学校令改正により、氷川町立氷川小学校道所分校と改称。
昭和30年    氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。
          奥多摩町立氷川小学校日原分校と改称。
昭和36年    奥多摩町中山地区に新校舎建立し、校地移転
昭和53年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



境集落から白髭トンネルの上を通って道所分校へと向かう道があるのですが、
当初、道所分校に行くその道を見つけられませんでした。

境集落で一人の御老人に道を教えてもらいましたが
道所分校は二つある!?と言われましたが、その意味がよくわかりませんでした。


山歩きの好きな方のBlogで『むかし道』なる道沿いに
消防の訓練場所があり、そちらが道所分校跡だと言うことは確認していました。


こちらが、道所分校跡。

      20141207道所分校01



この建物が消防訓練の施設(?)らしい。

      20141207道所分校02



実は、後で知り得たことですが、
たまたま、奥多摩駅前の観光案内所のおばちゃんに聞いたら
道所分校は、昭和35年まで、この地にあったそうです。
当時、1年生だったらしく、
2年生になったら新しい校舎の分校に移ったと言うことです。

      20141207道所分校03



今から54年前になくなった分校。
当然、校舎もなく、この地が学校だったことを結び付けるモノは
何もありません。

      20141207道所分校04


      20141207道所分校05



更地となった分校跡。

      20141207道所分校06


      20141207道所分校07


      20141207道所分校08



20mほど離れた道沿いに石碑を発見。

廃校の碑かと思ったら、違っていました。

      20141207道所分校09


並んで建てられていた説明板によれば、

川合玉堂の歌碑です。

      20141207道所分校10

「 山の上のはなれ小むらの名を聞かむ
やかてわか世をこゝにへぬへく 」

と黒御影石に刻まれています。






先程の分校跡地から距離にして2〜3キロ離れているのだろうか?
国道411号線の中山トンネル手前。
中山バス停から旧道に下りる狭い道があります。
その道沿いに、昭和36年に移転してきた道所分校跡があります。


こちらが、その分校跡。

      20141207道所分校11



昭和36年から廃校になった昭和53年まで
地域の学舎であった道所分校がここにありました。

      20141207道所分校12



古びたブランコ。
まさしく、往時の遊具ですね。

      20141207道所分校13


廃校から既に年。
こちらも校舎は解体され、既にありません。

      20141207道所分校14



現在はゲートボール場となっているようです。

      20141207道所分校15



プレハブの倉庫の裏に隠れるように2基の石碑がありました。


こちらが、その1基。

      20141207道所分校16



書体が微妙って言うか、分かりづらく
『道所分教場野............』までしか判別出来ません。

      20141207道所分校17


      20141207道所分校18





こちらは『学跡』と記されています。

      20141207道所分校19



側面には
『 昭和53年12月11日
氷川小学校道所分校
創立60周年記念事業
実行委員会 』 と刻まれています。

      20141207道所分校20



ゲートボール場と化している校庭より一段高い削平地。

      20141207道所分校21

こちらに校舎が建っていたのだろうか?



その削平地から見下ろす校庭跡。

      20141207道所分校22




校庭に降りる石段の脇には桜の木。

      20141207道所分校23



それを見上げる びいすけ 。

      20141207道所分校24


      20141207道所分校25



春にはきっと見事な桜の花が咲くのでしょうね..................。



2015/01/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............氷川小学校境分校跡                     (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日  公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りに出掛けました。


日原小学校をあとにして、向かった先は..................

奥多摩町立氷川小学校境分校跡


境分校の沿革は詳しいことは分かりません
氷川小学校のHPによれば、明治6年~8年に境村に小学校が開校され、
後の境尋常小学校となったのが始まりのようです

明治22年     氷川村、日原村、海沢村、境村が合併し氷川村が成立。
明治34年    境尋常小学校、海沢尋常小学校、日原尋常小学校が
          氷川尋常高等小学校に統合され、 分校を設置。
          氷川尋常高等小学校境分校となる。
昭和22年    学校令改正により、氷川町立氷川小学校境分校と改称。
昭和30年    氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。
          奥多摩町立氷川小学校日原分校と改称。
昭和37年    氷川小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




国道411号を奥多摩駅から奥多摩湖方面に走り、
境橋を渡り、白髭トンネル手前の狭い道を右折し、
境集落に向かって行くと、境集会所があります。

その境集会所に隣接する広場(更地)が境分校跡です。

      20141207境分校03


廃校から既に52年。
校舎はとっくに解体され、跡形もない。
敷地のハズレに境集会所があって、
そちらが校舎跡かと思ったら違っていた。

ちょうど、停まっている車の奥に防災倉庫があり
その辺りに校舎はあったそうです。

      20141207境分校05


こちらが、その防災倉庫。

      20141207境分校11




逆に校舎のあった辺り(倉庫前)からのアングル。

      20141207境分校06



木造のお洒落っぽい建物は境集会所。

      20141207境分校04


てっきり、校舎跡に集会所が建てられたと思っていたら
集会所を掃除に来ていた御老人が教えてくれました。


下り坂の途中にある境集会所。

やっぱり、こちらが校舎跡に見えてしまう。

      20141207境分校07


      20141207境分校08




こちらの集落(境集落)も山深き場所のようです。

      20141207境分校09


      20141207境分校10





分校跡前の小さなワサビ田。

      20141207境分校02


噂では、『奥多摩あたりの多摩川の上流域はワサビの産地らしい』
と聞いていましたが、本当にワサビを栽培しているとは思いませんでした。


実は、分校前の沢は、境の清泉と言って非常に綺麗な水らしい。

      20141207境分校01



廃校から52年
廃校の記念碑も二ノ宮像もないけれど
境分校には境の清泉がある。
そんな事を憶えておこう.............。


2015/01/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............日原小学校小学校                         (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日  公休日

この日は、奥多摩町廃校巡りに出掛けました。


棚沢分校跡をあとにして、向かった先は..................

奥多摩町立日原小学校


日原小学校の沿革は詳しいことは分かりません
氷川小学校のHPによれば、明治6年~8年に日原村に小学校が開校され、
後の日原尋常小学校となったのが始まりのようです

明治22年     氷川村、日原村、海沢村、境村が合併し氷川村が成立。
明治34年    境尋常小学校、海沢尋常小学校、日原尋常小学校が
          氷川尋常高等小学校に統合され、 分校を設置。
          氷川尋常高等小学校日原分校となる。
昭和22年    学校令改正により、氷川町立氷川小学校日原分校と改称。
昭和30年    氷川町、古里村、小河内村が合併し、奥多摩町が誕生。
          奥多摩町立氷川小学校日原分校と改称。
昭和36年    氷川小学校より独立し、奥多摩町立日原小学校となる。
平成6年     氷川小学校と統合し廃校となる。



奥多摩駅より、日原街道を約9km走り
東京都でもかなりの僻地にあたる奥多摩町日原地区に
日原小学校はありました。


細い坂道を上がって行けば、やがてかつての校門跡に着きます。

      20141207日原小学校22


門柱は既に撤去されてしまって跡形もありません。

      20141207日原小学校24




敷地内に入って、すぐ目に留まるのが体育館。

      20141207日原小学校06


      20141207日原小学校07






振り返ると、そこには木造校舎がありました。

      20141207日原小学校01


      20141207日原小学校20




平成6年に廃校になった後、
この木造校舎は日原診療所として活用されているようです。

      20141207日原小学校02



二階建ての木造校舎。

      20141207日原小学校03



廃墟マニアじゃないから、中を覗きこむなんて事は滅多にしないのですが、
あまりにも綺麗に利用されているので今回は特別。
そっと中を覗いてみました。

      20141207日原小学校04



黒板もそのまま、綺麗に残されています。

      20141207日原小学校05




管理もしっかりとされているようです。
木造校舎の壁の時計も正確な時間を示していました。

      20141207日原小学校21



実は、この日原小学校は診療所のみならず、
美術館やギャラリーとしても再利用されているようです。

       20141207日原小学校19



木造校舎の裏手には美術館があります。

      
20141207日原小学校08



この奥が美術館。
犬連れなので、ご遠慮しておきましょう。

      20141207日原小学校09



木造校舎二階は使用禁止のようです。
危険だからか?
規制線(規制テープ)が張られています。

      20141207日原小学校10



よくよく見たら、テープには警視庁の文字。

      20141207日原小学校11

えっ! まさか事件現場?

そんなことは、無いかと思いますが、
一瞬、焦っちゃいました。


こうやって見る限りは、普通の木造校舎なんですけどね............

      20141207日原小学校12




どこかのBlogか何かで拝見したことがありましたが
以前は、ブランコや滑り台と言った遊具も校庭に残されていたようですが、
現在は撤去されてしまったようで、遊具類は鉄棒のみ。

      20141207日原小学校13




体育館の前にある石碑。

廃校の記念碑ではありませんが、『日原小学校跡』の碑。

      20141207日原小学校14


      20141207日原小学校15




水飲み場(?)の水栓には、凍結防止の注意書き。

      20141207日原小学校16

確かに、この辺りは真冬は半端なく寒そうです。



こちらは、体育館の裏側。
道路が整備されていて、車はこちらから出入りするようです。

      20141207日原小学校17



台地の上に建っている日原小学校。
台地下部から体育館を見上げてみます。

      20141207日原小学校18




通学路の学校入口に建っていた古びた看板。

      20141207日原小学校23


校庭に車の乗入れ禁止みたいな事が書かれていたようですが
殆んど文字か消えかかっていて、内容が判別出来ませんでした。






奥多摩駅前から日原街道を9km近く走って辿り着いた日原集落。
そして、その集落の診療所として木造校舎が再利用されている日原小学校。
願わくば、いつまでもこの校舎を大切に使い続けてもらいたいものです............。



2015/01/02 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............古里小学校棚沢分校跡                     (2014年12月7日)(東京都西多摩郡奥多摩町) 

12月7日 公休日

この日は奥多摩町廃校巡りに出掛けました。

川井分教場跡をあとにして、向かった先は..................

      奥多摩町立古里小学校棚沢分校跡



棚沢分校の沿革は詳しくは分かりませんが
明治9年に棚沢村の正法院に開設された棚沢学校がその始まりのようです。

明治22年    棚沢村を含む近隣の7ヶ村が合併し古里村が発足。
明治34年    古里尋常高等小学校に合併され、
          古里尋常高等小学校棚沢分教場となる。
昭和22年    学制改革により、古里村立古里小学校棚沢分校と改称。
昭和30年    古里村が氷川町、小河内村と合併し奥多摩町発足。
          奥多摩町立古里小学校棚沢分校となる。
昭和33年    児童数の減少により、本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。





棚沢分校のある棚沢集落は、本仁田山への登山口でもあり
勾配のキツイ狭い道を集落の中を走っています。
車を停められそうな場所も無さそうなので
JR鳩ノ巣駅前のロータリーに車を停めて、勾配のきつい上り坂を歩きます。

      20141207棚沢分校16




5分ほど歩くと、いかにも学校跡と言った感じの場所が目に入ります。

      20141207棚沢分校12



道路から一段高くなった削平地。
そして、フェンスに囲まれた一画。

山間部の学校敷地で良く良く見かけるパターンです。

      20141207棚沢分校11




昭和33年廃校だから、既に56年の月日が流れています。
当然、校舎は既に解体され、更地となった分校跡は
地域の運動場とでも言うべきか、ゲートボール場となっています。

      20141207棚沢分校01


      20141207棚沢分校08




こちらの遊具は廃校時のモノなのか?
でも、とても56年前のモノには見えない。

      20141207棚沢分校02



昔の小学校ではよく見かけた古タイヤの遊具。

      20141207棚沢分校03




斜面の石垣には3枚のコンクリート板。
何やら文字が刻まれているようですが
コンクリートが風化していて、読めません。

      20141207棚沢分校04



ひょっとしたら、廃校の碑の代わりのモノでしょうか?

      20141207棚沢分校05



それとも、何かの卒業制作のようなモノでしょうか?

      20141207棚沢分校06



何れにしても、文面が読めないから分かりません。

      20141207棚沢分校07


単なるコンクリートの汚れや模様には見えないんだけどなぁ..................。






結局、廃校の記念碑も無く、二ノ宮像も無い。
学校遺構らしきモノが殆んど残っていません。

ただ、敷地内に残っている桜の木は、学校跡を彷彿させてくれます。

      20141207棚沢分校09



これらの木々は、きっとシンボルツリーだったんだろうなぁ。

      20141207棚沢分校10




廃校跡は、鳩ノ巣登山口の観光トイレにもなっています。
本仁田山へ登山する人々のトイレとしても活用されているようです。


確かに、この辺りは山深き場所であります。

      20141207棚沢分校13


      20141207棚沢分校14




鳩ノ巣駅へ戻る帰り道。
裏道から下り、振り返ってみます。

      20141207棚沢分校15


確かに、このアングルでも学校跡地に見える。

シンボルツリーの桜の木も立派に見える。
きっと、春には綺麗な桜の花を咲かせるのだろう..................





2015/01/01 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit