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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

丸ポスト探し.............埼玉・春日部編 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は埼玉県の春日部市にやって来ました。

春日部市には、9基の丸ポストが現存しています。
今回、その9基の丸ポストを探してみました。



最初の1基は、イオンモール春日部の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部01



分かりにくい場所にその丸ポストは在りました。
てっきり正面玄関かと思いきや、まるで裏口に見える入り口。
立体駐車場脇の出入り口。

      20191103丸ポスト春日部02


一瞬、従業員出入り口かと思った
E出入り口の脇に置かれた丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部04



この場所なら、 びいすけ もギリギリ、セーフ。

      20191103丸ポスト春日部05


店内だと犬は入れませんからね。
この場所で良かったぁ。

      20191103丸ポスト春日部06


      20191103丸ポスト春日部07




2基目の丸ポストは、樋籠の遠藤商店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部08


      20191103丸ポスト春日部09


      20191103丸ポスト春日部10


      20191103丸ポスト春日部11


      20191103丸ポスト春日部12





3基目の丸ポストは、南中曽根の八百清前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部13


      20191103丸ポスト春日部14


      20191103丸ポスト春日部15


      20191103丸ポスト春日部16


      20191103丸ポスト春日部17






4基目の丸ポストは、大場の中野屋商店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部18


      20191103丸ポスト春日部19


      20191103丸ポスト春日部20


      20191103丸ポスト春日部21


      20191103丸ポスト春日部22




5基目の丸ポストは、備後東の伊野瀬酒店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部23


      20191103丸ポスト春日部24


      20191103丸ポスト春日部25



      20191103丸ポスト春日部26


      20191103丸ポスト春日部27




6基目の丸ポストは、粕壁のサロンドだるま横の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部28


      20191103丸ポスト春日部29


      20191103丸ポスト春日部30


      20191103丸ポスト春日部31


      20191103丸ポスト春日部32




7基目の丸ポスト。
粕壁宿にあたる『かすかべ大通り』沿い、
粕壁二丁目の丸八酒店横の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部33


      20191103丸ポスト春日部34


      20191103丸ポスト春日部35


      20191103丸ポスト春日部36


      20191103丸ポスト春日部37





8基目の丸ポストは、同じく粕壁宿。
『かすかべ大通り』沿いの粕壁東二丁目、
田村本店前の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部38


      20191103丸ポスト春日部39


      20191103丸ポスト春日部40


      20191103丸ポスト春日部41


      20191103丸ポスト春日部42




9基目の丸ポストは、粕壁東一丁目。
粕壁小学校前、粕壁小前交差点の丸ポスト。

      20191103丸ポスト春日部43


      20191103丸ポスト春日部44


      20191103丸ポスト春日部45


      20191103丸ポスト春日部46


      20191103丸ポスト春日部47





これで、春日部市に現存する現役の丸ポスト9基を確認できました。

埼玉県には、108基の丸ポストが現存するそうです。(2019年11月3日現在)


いずれ、1つ、2つと撤去されたり、最新の角形ポストに置き換えられたりと
その数は減っていく事でしょう。

数多くの丸ポストに出逢っていきたいモノですね。





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2019/12/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう.............日光街道 《 粕壁宿 》 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市にでかけました。


春日部市は、かつては粕壁宿と言う宿場町でした。

粕壁宿は、江戸時代の日光街道及び奥州街道の宿場町です。
南北朝時代(14世紀)、新田義貞の家臣春日部氏が当地を領地としたことから
「春日部」の地名が生まれたとされています。
「かすかべ」の表記は何度か変更されており、
粕壁は江戸・元禄期から記されている地名です。

天正18年(1590年)小田原征伐後、徳川家康は関東移封となり、
江戸城に入城し、五街道の整備が進められました。
元和2年(1616年)には、粕壁宿が日光街道及び奥州街道の宿場町となりました。
江戸・日本橋から数えて4番目の宿場町で、現在の春日部駅東口の旧街道一帯です。
江戸・日本橋から一日歩き通すと、ちょうど1泊目となる宿場町がこの粕壁であったことから、
旅人の多くはここで宿を取りました。
また、岩槻宿と関宿を結ぶ道が通ることからも商業・交通の要地として
商人や旅人でにぎわったとされています。



実は、春日部市で丸ポストを探している時に
宿場町を前面に観光化している事を知りました。


春日部の駅前から一本離れたメイン通り、
かすかべ大通りに、かつての粕壁宿がありました。

宿場内の通りの長さは24町35間(約2.7km)。
道幅4間(約7.3m)で、町並みは通りに沿って
南北10町25間(約1.1km)にわたる広さとなっていたそうです。




メイン通りの 『かすかべ大通り』には、
こんな立派な案内板が設けられています。

      20191103粕壁宿01


      20191103粕壁宿02



宿場町って言うと、古い街並みがついつい浮かんでしまいますが
春日部(粕壁)の町は再開発で、道路も整備拡張され
立派な街並みとなっています。

      20191103粕壁宿03


      20191103粕壁宿04


      20191103粕壁宿05

かつての古い商家や蔵などは少なくなり、
中小のビルやマンションが並ぶ通りとなっているようです。


それでも、それなりの雰囲気を残す商家も在るようです。

      20191103粕壁宿06


      20191103粕壁宿07



せっかくの案内板も、カスれて読めない。

      20191103粕壁宿08


      20191103粕壁宿09


メイン通りから一本入った場所にある公衆トイレも
宿場町を意識した造りとなっている。

      20191103粕壁宿10


      20191103粕壁宿11



蔵を持つ民家もある。

      20191103粕壁宿12


      20191103粕壁宿13



この石碑(標柱)は宿場町に関するモノなんだろうか?

      20191103粕壁宿14



再開発で電柱もなく、電線は地下埋設。
歩道の配電盤にも、宿場町を意識したペイント。

      20191103粕壁宿15



地元の商店もまけてはいない。
お店のシャッターに粕壁宿のイラスト。

      20191103粕壁宿16



ここは、かつての本陣跡。

      20191103粕壁宿17


      20191103粕壁宿18



気になるのは、この日は11月3日。
文化の日。
国民の祝日です。
いわゆる休日になるわけなんだけど
閉まっているお店が多い。

      20191103粕壁宿19


      20191103粕壁宿20


      20191103粕壁宿21


だからなのか?
歩いている人が少ない。

      20191103粕壁宿22

春日部の住人じゃないから、現在の春日部の中心街を知らないけれど
人の流れが変わってしまったのだろうか。

同じように粕壁と言う宿場町も
変わっていってしまったのかも知れないね...............





2019/12/19 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

春日部氏館跡 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市にやって来ました。

春日部市に鎮座する春日部八幡神社、並びに隣接する春日部稲荷神社。
この二つの神社に隣接するのが八幡公園。
裏を返せば、神社のある一帯が八幡公園となっていて
そこは、かつての春日部氏の城館跡と言われています。


春日部氏は、かつて現在の埼玉県春日部市周辺を拠点とした武家です。
鎌倉幕府の御家人であり、春日部市の市名の由来となりました。

長谷雄の流れを汲む紀氏一族(長谷雄流)の実直が、
12世紀始め、国衙の関係者として武蔵国に土着したのが始まりです。
実直の子である実高は、春日部氏の始祖になります。
現在の春日部市浜川戸地区周辺を拠点とし、春日部氏を名乗りました。
そして、その孫にあたる実景が伏見稲荷大社から勧請し屋敷神として祀ったものが
春日部稲荷神社になります。
さらに実景の孫になる春日部重行が鶴岡八幡宮より勧請して
創建したのが隣に鎮座するのが春日部八幡神社になります。

重行は、新田義貞に随い、南朝方として戦い名を馳せます。
この事から春日部市では、重行が「春日部の市祖」とも称されているようです。



こちらが、春日部氏館の縄張り図。

      20191103春日部氏館縄張り図

( 余湖さんのHPよりお借りしました。)



八幡公園の案内図。

      20191103春日部氏館01



公園なのに、犬の散歩禁止。

      20191103春日部氏館02

隣接するの八幡神社は犬の散歩可なのに、おかしくない?
と思わず突っ込みたくなります。



びいすけ を連れて公園に入れないので、
入口近くで公園の雰囲気を味わいます。

      20191103春日部氏館03


      20191103春日部氏館04



八幡公園の裏手、春日部稲荷神社の奥から散策を開始です。

この辺りは、八幡公園との微妙な境界線。
この辺りなら犬連れでも問題なさそうな感じです。

    20191103春日部氏館05



この先は、古墳と言われている場所。
台地になっています。
バカじゃ無いし、煙でも無いけれど高いところを目指します(笑)。

      20191103春日部氏館06



頂部には鳥居があって、なにやら祀られています。

      20191103春日部氏館07



『不弐大神』ときされています。

      20191103春日部氏館08

  
不弐大神=不二大神=富士山。
すなわ富士山信仰の象徴である浅間神社ですね。



台地頂部の木がポッキリと折れている。
先日の台風の影響でしょうね。

      20191103春日部氏館09

こんな所にも台風の爪痕は残っていました。



神社として整備されているからなのか?
はたまた公園化によって隠滅してしまったのか?

はっきりと分かる遺構は残されていないようです。

微妙に土壇が土塁っぽく見えたりするし
遊歩道が空堀跡見えたりもしなくはない。

どちらとかと言えば、八幡神社の境内社が点在する台地が
一番、城館跡っぽく感じてしまいます。

      20191103春日部氏館10


      20191103春日部氏館11


      20191103春日部氏館12


      20191103春日部氏館13


      20191103春日部氏館14


あくまでも伝承でしか無いのですが
この地は春日部氏の居館跡だと言われてきた。

その言葉を信じることにしよう...................




2019/12/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................春日部稲荷神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。

春日部八幡神社を参拝したあとは、お隣と言うか、
敷地続きになる春日部稲荷神社向かいます。


春日部稲荷神社は、春日部市粕壁に鎮座する神社です。

春日部八幡神社の北東の位置に鎮座するのが春日部稲荷神社です。

鎌倉幕府の御家人である春日部実景が伏見稲荷大社から勧請し、
屋敷神として祀ったものとされています。
もともと、春日部八幡神社や春日部稲荷神社の鎮座する地は
春日部しの居館だったされているようです。

春日部実景の孫である春日部重行が鶴岡八幡宮より勧請して創建したのが
隣接する春日部八幡神社です。


御祭神は、倉稲魂神。



春日部八幡神社と八幡公園の間にある参道。
右隣は八幡公園。

      20191103春日部稲荷神社01

稲荷神社は鳥居がいっぱい建っているから
一の鳥居って言う表現が適切か?



赤い幟が立ち並ぶ参道。

      20191103春日部稲荷神社02



順番から言えば、二の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社03



その鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部稲荷神社04



手水鉢。   

      20191103春日部稲荷神社05



由緒書き。

      20191103春日部稲荷神社06



そして、三の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社07



石段途中の四の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社08



そして、社殿前の五の鳥居。

      20191103春日部稲荷神社09



神使いの狐がお出迎え。

      20191103春日部稲荷神社10


      20191103春日部稲荷神社11



こちらが社殿。

      20191103春日部稲荷神社12

びいすけ も参拝します。



別アングルからの社殿。

      20191103春日部稲荷神社13


      20191103春日部稲荷神社14

この社殿の鎮座する辺りはちょっとした高台となり、
古墳跡? それとも土塁跡?
城館、城郭っぽい雰囲気がある。


こちらは、八幡公園側の参道口。

      20191103春日部稲荷神社15



そして、こちらが春日部稲荷神社の御朱印。

      20191103春日部稲荷神社16

春日部八幡神社の授与所にていただきました。




2019/12/18 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................春日部八幡神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


鷲香取神社をあとにして、向かった先は...............春日部八幡神社。


春日部八幡神社は、春日部市粕壁に鎮座する神社です。

創建年度は不詳ですが、一説では、元弘年間(1331年〜1334年)に、
新田義貞の武将、春日部治部少輔時賢が
鶴岡八幡宮から勧請したことが始まりとされています。

彼は長い間、相州(現在の神奈川県)にある鶴岡八幡宮を敬信していて、
しばしばの合戦にもその霊護を蒙ったので、遥拝のため
鎌倉時代の元弘年間(1330年代)に鶴岡八幡宮を模して、
この八幡神社を造営したと伝えられており、森の一部は彼の館跡と言われています。

昔は、新方四十余郷の総鎮守で代々領主の守護神社てあり、
その後の栄枯盛衰もありましたか、現在は春日部の総鎮守となっています。


御祭神は、誉田別尊(ほんんだわけのみこと)
     息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
     竹内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)
     豊受姫命(とようけひめのみこと)



神社社頭。

      20191103春日部八幡神社01



社号標。

      20191103春日部八幡神社02



参道入口には、「都鳥の碑」。

      20191103春日部八幡神社03



一の鳥居。

      20191103春日部八幡神社04



一の鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部八幡神社05



参道。

      20191103春日部八幡神社06



参道の獅子山と狛犬。

      20191103春日部八幡神社07


      20191103春日部八幡神社08


 

こちらは、二の鳥居。

      20191103春日部八幡神社09



二の鳥居に掲げられた神額。

      20191103春日部八幡神社10



手水舎。

      20191103春日部八幡神社11



拝殿が見えてきました。

      20191103春日部八幡神社12



境内に立てられた看板。

      20191103春日部八幡神社29

気兼ねなく、びいすけ と参拝できます。




こちらが、拝殿。

      20191103春日部八幡神社13




拝殿正面。

      20191103春日部八幡神社19


      20191103春日部八幡神社16



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103春日部八幡神社14



向拝。

      20191103春日部八幡神社15




別アングルからの拝殿。

      20191103春日部八幡神社17


      20191103春日部八幡神社18



そして、こちらが本殿。

      20191103春日部八幡神社20



拝殿前の狛犬。

      20191103春日部八幡神社21


      20191103春日部八幡神社22



拝殿右側面には大きな絵馬が奉納されています。

      20191103春日部八幡神社23



本殿背後には奥の院。

      20191103春日部八幡神社24


      20191103春日部八幡神社25



奥の院の社殿は、春日部八幡神社の旧・本殿です。

      20191103春日部八幡神社34



そして拝殿脇には3つの境内社。

境内社・鹿島神社。

      20191103春日部八幡神社26



境内社・愛宕神社。

      20191103春日部八幡神社27



境内社・香取神社。

      20191103春日部八幡神社28




拝殿右手の台地にも境内社は鎮座する。

境内社・天神社。

      20191103春日部八幡神社30



境内社・弁天社。

      20191103春日部八幡神社31



境内社・御嶽社。

      20191103春日部八幡神社32



境内社・氷川神社。

      20191103春日部八幡神社33



神楽殿。

      20191103春日部八幡神社35



神輿庫。

      20191103春日部八幡神社36



御神木。

      20191103春日部八幡神社37
      20191103春日部八幡神社38
      20191103春日部八幡神社39



境内の力石。

      20191103春日部八幡神社43



こちらが社務所と授与所。

      20191103春日部八幡神社40



御朱印は授与所で拝受となります。

      20191103春日部八幡神社41

他に待っている人は居ませんが、一応順番待ちの札。
今日の17番目になるのかな?


こちらが、春日部八幡神社の御朱印。

      20191103春日部八幡神社42


こちらの授与所では、境内社(と言っても別格扱いが正解かも?)の
春日部稲荷神社の御朱印も拝受出来ます。
当然、参拝して拝受しましたが、そちらは別の機会にでも........................



2019/12/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................鷲香取神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


立野天満宮をあとにして、向かって先は,.............鷲香取神社。


鷲香取神社は、春日部市内牧に鎮神社です。

仁和年中(885年)下総国一宮香取神社の神馬が逸走してきて、
この地に来たことをきっかけに、香取神社を勧請し、内牧村の鎮守としました。

また、内牧村は源頼朝の崇敬が厚かった鷲宮神社を総鎮守とする太田庄に属し、
毎年、鷲宮神社の御輿渡御の休息地でもあったとこから、
建久2年(1191年)頃に、分霊を祀ったとも言われています。
二つの神社の名前がついているとても珍しい神社です。


御祭神は、経津主命(ふつぬしのみこと)
     天穂日命(あめのほのひのみこと)



神社社頭。

      20191103鷲香取神社01



獅子山の狛犬。

      20191103鷲香取神社02


      20191103鷲香取神社03



社号標。

      20191103鷲香取神社04
     


参道の由緒書き。

      20191103鷲香取神社05



鳥居。

      20191103鷲香取神社06



拝殿。

      20191103鷲香取神社07



手水舎。

      20191103鷲香取神社08



拝殿正面。

      20191103鷲香取神社09


      20191103鷲香取神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103鷲香取神社11



別アングルからの拝殿。

      20191103鷲香取神社12


      20191103鷲香取神社13



そして、こちらが本殿。

      20191103鷲香取神社14



拝殿前の天水桶。

      20191103鷲香取神社15



境内社。
天満宮。

      20191103鷲香取神社16


      20191103鷲香取神社21




同じく境内社。
稲荷神社。

      20191103鷲香取神社17


      20191103鷲香取神社18



こちらは、浅間神社。

      20191103鷲香取神社19



神楽殿。

      20191103鷲香取神社20



御神木。

      20191103鷲香取神社22
      20191103鷲香取神社23
      20191103鷲香取神社24



こちらは、本殿脇の以前の御神木。
枯れてしまいましたが切り株が残っています。

      20191103鷲香取神社25



こちらが社務所ですが、普段は閉まっていて無人のようです。

      20191103鷲香取神社26



こちらが、御朱印。

      20191103鷲香取神社27

本殿裏手の宮司さんの自宅にて拝受いたしました。


2019/12/17 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................立野天満宮 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。

富田神社をあとにして、向かった先は...............立野天満宮。



立野天満宮は春日部市立野に鎮座する神社です。

社伝によれば、創建は元久年間(1204年〜1206年)に下総国東葛飾郡の
金野井城主・野本将監没落後、一族が逃れてこの地に移住し、
松ノ木(現:千葉県野田市関宿町)の天満宮を勧請したのに始まるとされています。
鎮座地の辺りが低地で、水害を蒙りやすかったことを理由に、
隣接していた別当延命院とともに500m東北の現在地に遷座したとされています。


御祭神は、菅原道真公。




神社社頭。

      20191103立野天満宮01

朱色の鳥居が一際目立っています。


鳥居に掲げられた神額。

      20191103立野天満宮02



神社幟の基台には、昔この辺りが立野村だったことを物語っています。

      20191103立野天満宮03



石段を上がった先には二の鳥居。

      20191103立野天満宮04



手水鉢。

      20191103立野天満宮05


拝殿。

      20191103立野天満宮06



別アングルからの拝殿。

      20191103立野天満宮07


      20191103立野天満宮08



そして、本殿。

      20191103立野天満宮09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191103立野天満宮10



拝殿前には撫で牛。

      20191103立野天満宮11


雨風にさらされ、文字の読みづらい由緒書き。

      20191103立野天満宮12



こちらは、本殿の説明板。

      20191103立野天満宮13

どうやら、立野天満宮の本殿は春日部市の有形文化財に指定されているようです。



境内社。

      20191103立野天満宮14


      20191103立野天満宮15



狭い境内ですが、祠も並ぶ。

      20191103立野天満宮16



板碑も並ぶ。

      20191103立野天満宮17



そして、こちらが立野天満宮の御朱印。

      20191103立野天満宮18

こちらの立野天満宮。
普段は無人の神社で、富多神社の兼務社になります。

富多神社の宮司さん宅にて拝受いたしました。



2019/12/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................富多神社 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、春日部市に出かけました。

道の駅 庄和 をあとにして、向かった先は.................富多神社。


富多神社は、春日部市神間に鎮座する神社です。


富多村内に鎮座していた十二社を合祀して
大正4年に新設され、富多神社と称したそうです。

元々、合祀した稲荷神社の境内地(現在地)が
富多村の中心地である神間であったことから、
周りの田に土を盛り境内地を広げて、この場所に遷座されました。
本殿は旧椚村の石神神社のものが移築されました。
ちなみに石神神社の創建は徳治元年(1306年)ということらしい。

御祭神は、
倉稲魂命、石凝主命、応神天皇、別雷命、
迦具土神、市杵島姫命、素盞鳴命。


こちらが、社号標。

      20191102富多神社01



神社社頭。

      20191102富多神社02



一の鳥居。

      20191102富多神社03



二の鳥居。

      20191102富多神社04



二の鳥居に掲げられた神額。

      20191102富多神社05



そして、三の鳥居。

      20191102富多神社08
      


三の鳥居の神額。

      20191102富多神社09



手水舎。

      20191102富多神社07



三の鳥居前の狛犬。

      20191102富多神社10


      20191102富多神社11



こちらが拝殿。

      20191102富多神社12



別アングルからの拝殿。

      20191102富多神社13


      20191102富多神社14



そして、本殿。

      20191102富多神社15



本殿裏手の板碑。

      20191102富多神社16



これも狛犬でしょうか?

      20191102富多神社17

狼のように見えなくもない。
はたまた、稲荷神社の狐でしょうか?



こちらは、狐のようですね。

      20191102富多神社18



ひときわ大きな境内社?

      20191102富多神社19

合祀した多くの神様が祀られているのでしょうか?



神楽殿。

      20191102富多神社20



境内の板碑。

      20191102富多神社21



こちらは忠魂碑。

      20191102富多神社22

実は、隣が小学校。
忠魂碑が建てられそうな場所ですね。




こちらが社務所ですが、普段は無人の神社のようです。

      20191102富多神社23




こちらが、富多神社の御朱印。

      20191102富多神社24


1kmほど離れた場所にある宮司さんの自宅で拝受いたしました。



2019/12/16 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 庄和 (2019年11月3日)(埼玉県春日部市) 

11月3日

この日は、埼玉県の春日部市に出かけました。


千葉県民にとって、埼玉県って意外に遠く感じてしまったりします。
その一番近い埼玉が春日部市になるようです。

国道16号を走り、野田市から江戸川を渡った先が埼玉県春日部市。
以前は庄和町でしたが、平成の大合併で春日部市になりました。

その庄和町の名を残す道の駅が春日部市に在りました。

その名もズバリ、『道の駅 庄和』。

16号をひたすら走っていると、結構渋滞にハマったりする。
渋滞にハマると結構、これが疲れます。
そんな時に道の駅があったりすると、ちょっと休憩したりと重宝します。
ざんねんながら、16号からはほんの少し中に入りますが
どちらかと言うと4号線沿いにある道の駅。

      20191103道の駅 庄和01


      20191103道の駅 庄和02



駐車場も数ヶ所あっって、それなりの台数が駐車できるようです。

      20191103道の駅 庄和03


      20191103道の駅 庄和04



この日は日曜日。
朝9時過ぎですが、訪れる人も多い。

      20191103道の駅 庄和05


      20191103道の駅 庄和06



そういえば、庄和町って大凧で有名だったんだよね。
道の駅でもしっかりと大凧をPRしているようです。

      20191103道の駅 庄和07


      20191103道の駅 庄和08


      20191103道の駅 庄和09



こちらが情報館。

      20191103道の駅 庄和10



パンフレットはあまり置かれておらず、
モニターで情報を得るといったところでしようか。

      20191103道の駅 庄和11



こちらが物産品の販売所。

      20191103道の駅 庄和12


道の駅のスタンプもこちらにありました。

      20191103道の駅 庄和13



春日部って言えば、『クレヨンしんちゃん』ですよね。

      20191103道の駅 庄和14

絵はがきセットも売られていました。



農産物直売所を覗いて見ましょう。

      20191103道の駅 庄和15



地元産の野菜が並びます。

      20191103道の駅 庄和16


      20191103道の駅 庄和17


      20191103道の駅 庄和18


      20191103道の駅 庄和19


      20191103道の駅 庄和20

カレーライス用にニンジンとタマネギを買いました。




こちらは特産品。

      20191103道の駅 庄和21


      20191103道の駅 庄和22



レジは野菜も特産品も共通だから混んでます。
さすが日曜日。

      20191103道の駅 庄和23




こちらは、飲食エリア。

      20191103道の駅 庄和24

食の専門街らしいが、ペット同伴はNGなので,ほぼ素通り状態。



ちょっとした芝生の広場もあって、わんこの用足しに使えそう。

      20191103道の駅 庄和25


      20191103道の駅 庄和26



こちらが、道の駅の切符。

      20191103道の駅 庄和27


      20191103道の駅 庄和28



そして、道の駅のスタンプ。

      20191103道の駅 庄和29


考えてみたら、道の駅を意識しだしてから
初めて入った埼玉県の道の駅になります。

埼玉県には20ヶ所の道の駅があるらしい。
機会があれば、多くの埼玉県内の道の駅に立ち寄ってみたいモノです。



2019/12/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松伏総合公園  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町) 

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の松伏町に出かけました。
松伏町の廃校及び学校跡を探索したあとは、
ゆっくりと公園散歩と洒落込みましょう。

と、言うことで立ち寄った先は...............松伏総合公園


松伏総合公園は、松伏町の「ゆめみのニュータウン」の東端に整備して作られた公園で、
松伏記念公園の南側に隣接しています。
園内には、釣りをして楽しむことが出来る大きな池を中心に、
公園北側にある公園のシンボルで展望台設備の整った風車、
そして公園東側には多目的広場があります。
春になると桜が綺麗に咲く池周辺をお花見からピクニック、
そして散歩などを楽しむのに適している公園です。
特に風車周辺は、桜が多く植えられているのでお花見スポットとしても知られているようです。


こちらが、公園入口。

      20170111松伏記念公園01



すぐ隣にも公園があって、そちらを松伏記念公園と言うのか?

      20170111松伏記念公園02

でも公園案内板には、しっかりと松伏記念公園なんて書かれている。
ましてや、松伏総合公園と言う記載はどこにもない。

ひょっとしたら、公園名を改称さたけれど、案内板までは気が回らなかったのかな?


案内板による多目的調整池をぐるっと回ってみましょう。
何せ、こちらの公園はこの調整池がある意味、メインだったりします。

池の前の芝生に大きなモニュメント。

      20170111松伏記念公園03

ひょっとして、スーパーマン?(笑)
そんな訳はない。


調整池と言うだけあって水位は変動するようです。
なぜか、立ち入り防止のフェンスを超える水位。

      20170111松伏記念公園04

ひょっとして、ちょっぴり水が多いんじゃない?



足元が濡れていない、要はフェンスを水が超えて来ていない場所を選んで
池沿いを歩いて行きましょう。

      20170111松伏記念公園05


四阿もありますが、こちらの四阿は素通り。

      20170111松伏記念公園06


他のワンちゃんの匂い(残り香)が有るのか?
匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。

      20170111松伏記念公園07


      20170111松伏記念公園08



ロングリードに付け替えてくれば良かったのに...............
ちょっぴり後悔。

      20170111松伏記念公園09

って言うか、車に戻って付け替えれば済むんだけど
そんな元気は無い(笑)。


クンクンと匂い嗅ぎが激しい びいすけ 。

      20170111松伏記念公園10


      20170111松伏記念公園11


その理由がわかりました。

ノラ猫の匂いですね。

      20170111松伏記念公園12


意外に、この公園ノラ猫が多かった。

ノラ猫に遭遇する度に、 びいすけ が興奮するから
宥めるのが大変です。

      20170111松伏記念公園13



ノラ猫のいない水辺を選んで歩きましょう。

      20170111松伏記念公園14


      20170111松伏記念公園15


      20170111松伏記念公園16


      20170111松伏記念公園17


      20170111松伏記念公園18


      20170111松伏記念公園19


      20170111松伏記念公園20


      20170111松伏記念公園21



池の周りをほぼ半周すると、いきなり視界に現れた風車。

      20170111松伏記念公園22


スペイン風らしい。

      20170111松伏記念公園23

って、何処がスペイン風なんだろう?(笑)


取り敢えず高いモノには上りたがる びいすけ 。
『お前は煙か?』と思いながらも、風車の上部へと上がってみます。

      20170111松伏記念公園24

かく言う私も、こう言った展望台みたいなモノは嫌いじゃ無い。




風車最上部(展望台)からの眺め。

こちらが調整池。

      20170111松伏記念公園25



こちらはグランド。

      20170111松伏記念公園26



そのグランドに立ってみます。

      20170111松伏記念公園27



グランドって言っても人間用。
ドッグランじゃないから走らせる訳にも行かないし。

      20170111松伏記念公園28



そもそもドッグランじゃ走らないし...............
まぁ、もっとも今日は七福神巡りや廃校巡りをして
いっぱい歩いているから、走る元気もそんなに残っていないんじゃないかな?

      20170111松伏記念公園29


30〜40分ぐらいの松伏総合公園の散策。
そんなに近いわけじゃないから、おそらく次回は無いと思うけれど
ノラ猫さえ居なければ、犬連れで散歩するには良い公園じゃないかな?

そんな感想を胸にこの地をあとにしました...............。




2017/02/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校赤岩分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第4弾。

旧・松伏小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校赤岩分校


赤岩分校は

明治25年     赤磐尋常小学校として設立。
明治41年     松伏尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     松伏小学校赤岩分校となる。         
昭和48年     本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、赤岩分校。

      20170111赤岩分校01

分校と言うだけあって、敷地は狭い。

廃校時には周りが田んぼや畑だらけだったか否かは知らないけれど
現在は、住宅街の一画です。

      20170111赤岩分校02


分校の校舎はおそらく建て替えられているのでしょう。
現在は、赤岩農村センターの建物が建っています。

      20170111赤岩分校03



敷地の一角に在る石碑。

      20170111赤岩分校04



『赤岩分校跡地』の碑です。

      20170111赤岩分校05


碑の側面には沿革が刻まれています。

      20170111赤岩分校06


      20170111赤岩分校07

既に廃校となってしまった学校は、なかなか情報も少ないので
こう言う形で沿革が残されているのは貴重な情報源です。



とにかく狭い敷地だから、限られたアングルでしか撮影できない。

そして、遊具等の遺構も全く残されていない。

      20170111赤岩分校08


      20170111赤岩分校09


      20170111赤岩分校10


廃校から、もうすぐ44年。
あの赤岩分校跡地の碑が無ければ、
誰もこの地が廃校跡地だとは思わないだろうなぁ...............。


2017/02/04 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・松伏小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第3弾。

大川戸分校をあとにして、
向かった先は...............松伏町立 旧・松伏小学校跡

松伏小学校は廃校ではなく、現存する小学校です。
ただ、現在の校地は48年に校舎を新築された際に移転したもので
昭和48年までは、別な場所に学び舎は在りました。


松伏小学校は、

明治6年      松伏領村立大川戸小学校として西福寺に開校
明治6年      松伏領村立松伏小学校が宝珠院を校舎として開校
明治9年      第四学区の本校として広大なる校舎を新築する   
           分校は郁文学校(旭村),周知学校(豊野村),
           樋籠学校(幸松村),向畑学校(新方村)とする
明治12年     新教育令により従来の学区を廃して町村毎に学区を設置することになり,
           本校の広大な校舎を縮小する。残余の校舎は本郡々役所の庁舎に献納する
明治19年     分教場を下赤岩の東陽時に置き,同年9月に廃止する
明治22年     町村制実施に伴い,松伏領村になった大川戸藤聯小学校分教室は本校の分教室となる
明治25年     赤岩尋常小学校を設立(旧赤岩分教場)
           本校に補習科を設置
明治34年     二カ年制高等科を設置
           松伏領尋常小学校と称する
昭和4年      大川戸尋常小学校と合併し,松伏領尋常高等小学校と称し,大川戸に分校を置く
昭和22年     六三制実施に伴い,松伏領村立松伏領小学校と改称
昭和31年     町村合併による新松伏村設置に伴い,校名を松伏村立松伏小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立松伏小学校と改称
昭和47年     大川戸,赤岩両分校を廃止し,松伏小学校に名目統合する
昭和48年     新校舎完成に伴い松伏町大字村松伏1609番地に移転する





こちらが、旧・松伏小学校跡地。

      20170111旧・松伏小学校跡01

旧・松伏小学校の跡地は現在の松伏町役場です。



この広い駐車場は、かつての校庭跡なのだろうか?

      20170111旧・松伏小学校02



庁舎と庁舎の間に何やら石碑らしきモノがある。

      20170111旧・松伏小学校03



近寄ってみましょう。

      20170111旧・松伏小学校04


石碑は松伏小学校跡の碑です。

      20170111旧・松伏小学校05



しっかりと『松伏小学校跡地』と刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校07


この石碑以外、学校跡を彷彿させるモノは無い。
いわゆる、遺構が全く残っていない。

学校跡地の碑の脇に、どぉ〜んと庁舎がそびえ立っている。

      20170111旧・松伏小学校08

はたして、この庁舎を訪れる人たちが、この碑に気付いているのだろうか?



そう言えば、先日テレビで芸能人、著名人の同級生を探すって言う類いの番組で
作家の羽田圭介が松伏小学校の卒業生だと言う事を知りました。
彼はまだ31歳だから約44年前には、まだ生まれていない。
昭和48年に移転した松伏小学校が学び舎になる。
松伏町の役場が昔の母校跡だと言う事を知っているのだろうか...............?


2017/02/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校大川戸分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけ、そのあとに松伏町の廃校巡りに出かけました。

旧・金杉小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校大川戸分校



大川戸分校は

明治6年     大川戸小学校として開校する。
明治22年    町村制施行と同時に松伏領村となり 
          松伏小学校分教室となる。
明治25年    松伏領村立第一学区大川戸尋常小学校となる。    
昭和4年     松伏領尋常高等小学校の分校として開校する。    
昭和22年    松伏領村立松伏領小学校大川戸分校と改称する。
昭和48年    松伏小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大川戸分校跡。

石造りの門柱が残っています。

      20170111大川戸分校01



残念ながら、造られた時期は不明。

      20170111大川戸分校02


大川戸分校跡の敷地は、地域の集会所として再活用されているようです。


かつての校庭跡になるのでしょう。

      20170111大川戸分校03



敷地の一角に建っている石碑。

      20170111大川戸分校04



『大川戸分校跡地』の碑です。

      20170111大川戸分校05



側面には、沿革が刻まれています。

      20170111大川戸分校06


なかなか情報が少ない分校だから、創立時の経緯も分かるから
貴重な情報です。

      20170111大川戸分校07



校庭跡の奥に建つのは集会所。

      20170111大川戸分校08



校庭跡は、集会所を利用する人の駐車場と化しているようです。

      20170111大川戸分校09

残念ながら、遊具等の遺構は全く無し。
二ノ宮像もありません。



校庭跡の端っこには、廃校ではお約束(?)の消防倉庫。

      20170111大川戸分校10




かつての校舎跡(?)には、新しく自治会館が建てられています。

      20170111大川戸分校11


その名も『本田自治会館』。

      20170111大川戸分校12



そして、自治会館の隣には小さな神社。

      20170111大川戸分校13


元々は、神社の敷地の一画に学校が設けられだのでしょう。

      20170111大川戸分校14


神社の社殿。

      20170111大川戸分校15


社殿の神額には『天照皇大神宮』

      20170111大川戸分校16

由緒ある神社なのかな?


まぁ、明治初めの教育令で創設された学校は
寺院や神社の敷地の一画教育建てられたことが多いから
大川戸分校の前身である大川戸学校もそんな流れを汲んでいるのでしょう。




2017/02/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............杉戸町立東小学校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町)   

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。
最たる目的は杉戸町に点在する日光街道すぎと七福神巡りですが
七福神巡りを完了したあとは、杉戸町に在る廃校へと向かいました。

向かった先は...............杉戸町立東小学校



東小学校は

明治9年    北蓮沼村の服部慶清氏宅地内に第六学区蓮沼学校が設立される。
明治16年    不動院野村文友学校を併合する。

その後、並塚学校蓮沼分教室となり、田宮村立田宮尋常小学校と改称し独立する

昭和22年    田宮村立田宮南小学校と改称する。
昭和30年    田宮村が杉戸町・堤郷村・高野村がと合併し、杉戸町となる。
          杉戸町立田宮南小学校と改称する。
昭和31年    杉戸町立東小学校と改称する。
昭和50年    東小学校と南小学校が統合し、杉戸町立杉戸第三小学校が開校。
          東小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


                 

こちらが、東小学校の正門。

      20170111東小学校01


廃校後、敷地は地域の集会所(大蓮会館)となっているようです。


正門脇には説明板。

      20170111東小学校02

かつての学校跡にこうやって説明板を建ててくれているから
杉戸町教育委員会には好感が持てます。



白い小さな木造校舎。

      20170111東小学校03




窓越しに中を覗いたら、黒板があったから
紛れもなく、東小学校の校舎だったのでしょう。

      20170111東小学校11


      20170111東小学校12



校庭側から全景。

      20170111東小学校04

そんなに大きな小学校ではなかったようです。


校舎の前には、シンボルツリー(?)

      20170111東小学校05



敷地境界のフェンス沿いには桜の木。

      20170111東小学校06

この桜の木が学校跡らしさを残しています。



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170111東小学校07



校舎の前には、ブランコ。

      20170111東小学校08a>

残っていた遊具は、このブランコのみ。



校庭はゲートボール場として使われているのか?
庇の付いたベンチも設けられています。

      
20170111東小学校09



校舎をバックに、記念の一枚。

      20170111東小学校10



こちらが、校舎の正面。

      20170111東小学校13

木造校舎の正面とも言うか、入口って建物の顔だから
建物によって表情が違うから、それが面白い。
入口の扉は集会所になってから取り替えられたモノのようです。



校庭の一角には、廃校跡ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170111東小学校14



廃校から既に40数年。
校舎もきちんと手入れされているようで
大切にされている、旧・杉戸町立東小学校。

良いモノを見せて貰いました...............。




2017/02/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑦  《 福正院  福禄寿 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、いよいよその最終章。
福正院の福禄寿です。




福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。


福正院は、正式名称は薬王山宝光寺福正院と言い、本尊は薬師如来です。



こちらが福正院。

      20170111福正院 福禄寿01


山門前の説明板。

      20170111福正院 福禄寿02

よくよく振り返ってみると、七福神で巡った寺院のほとんどに
杉戸町教育委員会が建てた説明板がある。
杉戸町って、文化財を大切にしよう!と言う気持ちがら高いんだなぁ。


こちらが山門。

      20170111福正院 福禄寿03



そして、本堂。

      20170111福正院 福禄寿04



本堂に掲げられた扁額。

      20170111福正院 福禄寿05

山号である『薬王山』の名がしっかりと記されています。




お目当の七福神は境内の一角、本堂前に在ります。

こちらが、日光街道すぎと七福神の福禄寿。

      20170111福正院 福禄寿06


      20170111福正院 福禄寿07


実は、境内に入ると、思い切り犬に吠えられました。

福正院の守り神(?)
二歳の芝犬(雌)、ももちゃん。



びいすけ の匂いを察して吠えていたんでしょう。
お寺の方が、 びいすけ の近くへ連れて来たら
びいすけ も尻尾を振って対応。

      20170111福正院 福禄寿08


      20170111福正院 福禄寿09



名残り惜しいですが、ももちゃん に見送られるように、福正院をあとにします。


これで日光街道すぎと七福神も制覇。

果たして、今年は良い年になるのだろうか...............?



2017/01/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑥  《 永福寺  寿老人 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。

日光街道すぎと七福神巡り、その第6回目。
永福寺の寿老人です。


寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。

永福寺は、正式名称は龍燈山永福寺といい、本尊は阿弥陀如来像。真言宗豊山派に属する寺で天平勝宝5年に行基菩薩によって開かれたそうです。
関東三大施餓鬼の一つと言われ、「どじょう施餓鬼」は神秘的で厳かな雰囲気が魂を揺さぶります。
生前の殺生や悪事により地獄に落ちたものを供養する為、
境内の池に経文を唱えてもらいどじょうを放す習慣があるそうです。
毎年8月22日・23日の2日間、 大施餓鬼修行をしているそうです。



こちらが、永福寺の寺号標

      20170111永福寺 寿老人01



門前に建つ説明板。

      20170111永福寺 寿老人02


永福寺の文化財の説明板。

      20170111永福寺 寿老人03

それなりに由緒ある文化財が多くあるようです。



こちらが、山門。

      20170111永福寺 寿老人04



山門に掲げられた扁額。

      20170111永福寺 寿老人05

山号が記されているようですが、とても『龍燈山』とは読めない。




こちらが本堂。

      20170111永福寺 寿老人06


本堂に掲げられた扁額。

      20170111永福寺 寿老人07

こちらは、寺号でもなく、山号でもなく
扁額に書かれている内容が全く読めない。



お目当の七福神を発見。

      20170111永福寺 寿老人08



こちらが、日光街道すぎと七福神の寿老人。

      20170111永福寺 寿老人09


      20170111永福寺 寿老人10



こちらは鐘楼。

      20170111永福寺 寿老人11



以前の本堂の鬼瓦なのだろうか?

      20170111永福寺 寿老人12

境内に在る建物のガラスの扉の奥に展示されています。



山門脇には閻魔堂。

      20170111永福寺 寿老人13


境内には、それなりの年代を経た大銀杏の樹。

      20170111永福寺 寿老人14


      20170111永福寺 寿老人15

残念ながら危険防止なのか?枝は切り落とされてしまっているが
かなりの年代物だと思われます。




永福寺の門前にある説明板。

      20170111永福寺 寿老人16



「西行法師見返りの松」とその碑らしい。

      20170111永福寺 寿老人17


こちらが、その碑。

      20170111永福寺 寿老人18

説明板によれば、
西行法師が東北地方への旅の途中、この地で病に倒れてしまいました。
その時、村人達の親切な看護を受け、静養中にこの松を愛し、
治癒すると村人達にお礼を言って、この松振り返りしながら旅だったそうてす。
その後、村人達はこの松を西行法事見返りの松と呼んだそうです。


おそらく、この松は大きさから言って当時のモノではなさそうですが
伝承を今に伝え、数代経っても伝説の松の木を大切にする
地元の方の信仰心が垣間見れます。
(ネットで調べたら、3代目の松になるらしい。)

杉戸町の永福寺。
やっぱり由緒あるお寺のようです...............。




2017/01/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑤  《 全長寺  布袋尊 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第5発目。
全長寺  布袋尊です。



布袋尊は
笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。

全長寺は、正式には高埜山全長寺と言います。
本尊は聖観世音菩薩で、宗派は曹洞宗。
開山は元和2年(1616年)で、一色善十郎直春が幸手城主であり、
兄でもある一色宮内大輔直朝の意を受けて
一色氏累代の菩提を弔うために建立したものとされています。



ナビの案内通りに車を走らせると、なぜか運送会社(?)の奥に進み、
全長寺の裏手(墓地)に着いてしまいました。

一応、表札の入った石造りの門もあるから、間違いじゃない。

      20170111全長寺 布袋尊01



こちらが本来と言うか、全長寺の表参道。

      20170111全長寺 布袋尊02



そして、こちらが全長寺の山門。

20170111全長寺 布袋尊04


山門に掲げられた扁額

      20170111全長寺 布袋尊05





山門脇には、説明板。

      20170111全長寺 布袋尊03



こちらが本堂。

      20170111全長寺 布袋尊06




そして、鐘楼

      20170111全長寺 布袋尊09


そして、こちらがお目当の七福神。

      20170111全長寺 布袋尊07


日光街道すぎと七福神 全長寺の布袋尊です。

      20170111全長寺 布袋尊08


     
これで、日光街道すぎと七福神 の布袋尊も制覇。
日光街道すぎと七福神 の5福神を制覇したことになります。
残すはあと2つ。
頑張りましょう。






2017/01/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり④  《 宝性院  毘沙門天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。

日光街道すぎと七福神巡り、その第4ヶ所目。
宝性院の毘沙門天です。




毘沙門天はインド出身の神様です。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。

宝性院は、正式名称を杉戸山宝性院不動寺と言います。
本尊は胎蔵界大日如来です。
永禄3年(1562年)に徳川家から幸手庄内を賜った一色宮内大輔義直が開山したと伝えられています。
境内にある不動堂は嘉永2年(1849年)9月に再建されたもので、
安産不動明王、成田山不動明王、菅谷不動明王の3体が祀られています。


日光街道の旧道沿いにある宝性院。

      20170111宝性院 毘沙門天01


旧道が本来の日光街道だから、旧道沿いに鎮座しているのが本筋かも知れない。
何せ、日光街道すぎと七福神って言うぐらいだから、
やっぱり日光街道沿いに無くっちゃ!

幟も日光街道沿いに立ってこそ意義がらある(?)

      20170111宝性院 毘沙門天02


杉戸は日光街道の宿場町の一つ。
杉戸町も町を挙げて、日光街道の宿場町杉戸としてPRしているようです。

こんな案内板も宝性院の門前に建てられていました。
宿場町を びいすけ と一緒に歩く...............

これも楽しいテーマかも知れない。
宿場町杉戸を散歩するのは、いずれかの機会にするとして
今日は『日光街道すぎと七福神巡り』に精を出しましょう。

      20170111宝性院 毘沙門天03



こちらが、宝性院の山門。

      20170111宝性院 毘沙門天04



境内に建てられた説明板。

      20170111宝性院 毘沙門天05

宝性院は別名、杉戸不動尊と呼ばれているようです。
地元では、杉戸不動の方が馴染みがあるのかも知れない。



こちらが本堂。

      20170111宝性院 毘沙門天06



本堂に掲げられた扁額。

      20170111宝性院 毘沙門天07

山号の『杉戸山』の文字が確認出来ます。



こちらが、成田山不動堂。

      20170111宝性院 毘沙門天08



扁額はズバリ!

      20170111宝性院 毘沙門天09

『不動』でした(笑)。


こちらが鐘楼。

      20170111宝性院 毘沙門天12




お目当の七福神はこちら。

      20170111宝性院 毘沙門天10



日光街道すぎと七福神 宝性院の毘沙門天です。

      20170111宝性院 毘沙門天11




本堂前には、スタンプ台も置かれていたようです。

      20170111宝性院 毘沙門天13



七福神の毘沙門天も制覇して、この地をあとにしようとしたら
こんな説明板を見つけちゃいました。

      20170111宝性院 毘沙門天14

何と! この宝性院が杉戸学校(後の杉戸小学校)の跡地らしい。


確かに明治の初め、明治政府が発令した『学制』によって各村単位で学校が創立されました。
その際、寺院の敷地を校舎として使用される事が多くありました。
この杉戸学校もその一つでした。

明治7年に杉戸宿、清地村、倉松村の子どもたちの教育のために
この宝性院に杉戸学校が設立されたとのことです。
多少の変遷はありましたが、明治34年までこの地に杉戸学校が在ったそうです。


今は、宝性院の駐車場と化しているこの辺りに、小さな学び舎が建っていたのだろうか?

      20170111宝性院 毘沙門天15



七福神巡りで思わぬ見っけモノ。
ちょっぴり得した気分です。

自宅に帰って来て、杉戸小学校の事を調べていたら
明治34年に宝性院から移転した杉戸小学校は、
昭和42年に再び移転して、旧・校地は公民館となったらしい。

いつか、その旧・杉戸小学校跡にも訪れてみたいなぁ...............





2017/01/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり③  《 延命院  弁財天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第3ヶ所目。
延命院の弁財天です。


弁財天とは唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。

延命院は、正式には倉松山延命院と言います。
本尊は延命地蔵菩薩です。
開山は長亨元年(1487)に領主一色丹波守直基の帰向によるものとされています。



門前に建つ説明版

      20170111延命院 弁財天01

こちらもかなり掠れていてほとんど読めない。


こちらが延命院の山門。

      20170111延命院 弁財天02



山門に掲げられた扁額。
山号でもないし、寺号でもない。
『照遍』?『遍照』?

      20170111延命院 弁財天03

これってどんな意味?
僧侶の名前か?
はたまた、単純に『辺り一面を照り映やす』と言う意味なのか?




こちらは鐘楼。

      20170111延命院 弁財天04


本堂前でも、大黒天のあった馬頭院で出会った老夫婦に
こちらでも出会った。
おそらく、日光街道すぎと七福神巡りをしているんでしょう。
御朱印を貰っていたけれど、それも一つの楽しみ方でしょうね。



こちらが、本堂。

      20170111延命院 弁財天05


      20170111延命院 弁財天06



本堂に掲げられた扁額。

      20170111延命院 弁財天07

こちらは山号ですね。



境内にある梅の木。
白い花を咲かせるらしいが、時期にはまだ早い。

      20170111延命院 弁財天08



こちらがお目当の、日光街道すぎと七福神の弁財天。

      20170111延命院 弁財天09



ちょっぴり、ふくよかに見えるのは気のせい?(笑)

      20170111延命院 弁財天10



鐘楼前の小僧の像。

      20170111延命院 弁財天11

びいすけ と並ぶのには手頃な大きさ。


さて、これで日光街道すぎと七福神の弁財天も制覇。
順調(?)に七福神巡りは続きます...............。







2017/01/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり②  《 来迎院  恵比寿 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第2発目。
来迎院の恵比寿です。


恵比寿とは
日本の神様で、漁業、商売繁盛の神として、信仰されています。
日本古来の神様でご神名は小彦名命(疱瘡神社)。
海の守護と商売繁盛、医療医薬、庶民救済の神として、崇敬されています。


来迎院は、正式には花光山来迎院と言います。
本尊は不動明王で、約800年ほど前に作られたものだそうです。
眼病を治す不動明王として知られているそうです。


この来迎院には、ナビが案内を間違えるから
なかなか辿り付けず、かなり苦労しました。
とにかく日光街道の旧道とバイパスの間にある寺院で
狭い道を入って行かないと辿り着けない。
車を停める場所を探すのにも苦労しました。


こちらが、来迎院の山門。

      20170111来迎院 恵比寿01


山門脇には木製の説明板。

      20170111来迎院 恵比寿02

長い間、風雪に打たれたのか
文字が擦れて、内容が把握出来ない。



こちらが、鐘楼。

      20170111来迎院 恵比寿03


そして、本堂。

      20170111来迎院 恵比寿04


本堂に掲げられた扁額。

      20170111来迎院 恵比寿05

しっかりと山号の『花光山』の文字。


本堂脇にも説明板。

      20170111来迎院 恵比寿08


この来迎院は不動明王が本尊。

こちらは、本尊ではないけれど不動明王像。
レプリカなんだろうか?

      20170111来迎院 恵比寿09

仏教に精通している訳でもないし、信心している訳でもないけれど
不動明王って右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、
怒りの形相に表しているから、何と無く力強さを感じて嫌いではない。



さて、肝心の七福神は...............

山門脇に祀られていました。

      20170111来迎院 恵比寿06


こちらが、日光街道すぎと七福神 恵比寿。

      20170111来迎院 恵比寿07


     
とりあえず、これで日光街道すぎと七福神 恵比寿 を制覇しました。





2017/01/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit