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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

道の駅 かつら (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

城里町では、廃校を巡り、古式な歴史のある寺社を巡って御朱印を拝受し、
そして茨城百景の碑や、現存する丸ポストを探していました。
城里町のオーラスは、『道の駅 かつら』です。

      20191002道の駅かつら01



こちらの道の駅に来るのは、これで2回目。

      20191002道の駅かつら02



前回は2年前。
すぐ近くの茨城百景 『御前山』の碑を探しに来た時に立ち寄りました。

      20191002道の駅かつら03



こちらが駐車場。

      20191002道の駅かつら04

道の駅そのものは、大きな施設ではないので、駐車場も小振りですが、
隣接する那珂川沿いの公園にも駐車場があって、それなりに車は停められるようです。



びいすけ の背後の『そば』の幟が立っている所が
産直販売所の入り口。

      20191002道の駅かつら05



びいすけ は中に入れないから、
車の中で待機していてもらいましょう。

      20191002道の駅かつら06



販売所の一角が情報コーナー。

      20191002道の駅かつら07

近隣の観光地のパンフレット、そして道の駅のスタンプはこちらです。


お土産コーナー。

      20191002道の駅かつら08



気になる産直の野菜。

      20191002道の駅かつら09

胡瓜と茄子が安かったのでお買い上げ(笑)。



地元産の野菜が豊富です。

      20191002道の駅かつら10


      20191002道の駅かつら11




販売所の奥に飲食店もあるけれど、
この日は15時過ぎで、既に営業終了。
残念ですが、蕎麦は次の機会ですね。


簡単な軽食をテイクアウトできる売店も駐車場にあって
ベンチも準備されている。

      20191002道の駅かつら12

犬連れは、こっちの利用になりますね。



残念ながら、こちらの道の駅では『道の駅の切符』は発行していない。

代わりという訳ではないけれど
こちらが道の駅のスタンプ。

      20191002道の駅かつら13


単なる休憩に利用するだけじゃなくて
わざわざ道の駅を巡っている人もいると言う。

道の駅だけを巡るのも楽しいのかもしれませんね。




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2019/11/17 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

佐竹七福神 《 福禄寿 大山寺 》(2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

このひは、茨城県の城里町に出かけました。

前回、このブログでアップした大山寺。
元々は佐竹七福神の福禄寿と言う事で訪れましたが
どちらかと言うと、境内の幟や、看板等を見る限り、
『佐竹七福神』より『開運 花の寺めぐり』の方が
推しのように感じてしまったので、主従逆転。
先に『開運 花の寺めぐり』を取り上げてしまいました。

と言うわけで、本日は同じ 大山寺 ですが
こちらは、佐竹七福神 福禄寿 です。


佐竹七福神は、茨城県北部の那珂市、常陸太田市、常陸大宮市、東茨城郡城里町、
久慈郡大子町の5市町にある2社5寺に祀られています。
静神社に恵比寿、立野神社に大黒天、小松寺に毘沙門天、日輪寺に弁財天、
大山寺に福禄寿、 徳蔵寺に寿老人、佐竹寺に布袋尊で、
それぞれに社寺境内には七福神の石像が建立されています。


通称、大山寺。
正式には、『高根山閑心院大山寺』と称します。

      20191002佐竹七福神 大山寺01



石造りの門。

      20191002佐竹七福神 大山寺02



こちらは、仁王門。

      20191002佐竹七福神 大山寺03

さらにその先には、文化財に指定された山門が在る。




こちらが、本堂。

      20191002佐竹七福神 大山寺04

御本尊は、大日如来。


本堂の扁額。

      20191002佐竹七福神 大山寺05



肝心の『 佐竹七福神 福禄寿 』は、
境内に像として祀られています。

      20191002佐竹七福神 大山寺06

福禄寿は、幸福の福、身分をあらわす禄、寿命を表わす寿の三文字からなり、
中国、道教の長寿神です。南極老人星の化身であり中国の村や町に住み、
人々の信仰を集めたと言われる仙人です。
長い頭、長い顎鬚、大きな耳たぶをもち年齢は千歳と言われ、長寿、幸福の徳を持ち、
鶴と亀を連れて、左手に宝珠、右手に巻物を括り付けた杖をもつ姿が特徴です。
招徳人望の神様として信仰されています。




びいすけ と一緒に。

      20191002佐竹七福神 大山寺07

こんな感じで、本堂の中の秘仏を拝む七福神巡りよりも
境内に像として置かれた七福神巡りの方が、個人的には好き。



花の寺でもある大山寺。

      20191002佐竹七福神 大山寺08



こちらが、『佐竹七福神 福禄寿』 の御朱印。

      20191002佐竹七福神 大山寺09


七福神巡りをしていて、なかなか結願していない七福神が多いけれど
頑張って結願したいものです。



2019/11/16 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

開運花の寺めぐり 3番 大山寺 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

石船神社をあとにして、向かった先は...................大山寺。


この日、城里町の小松寺で佐竹七福神の存在を知りました。
その佐竹七福神の福禄寿である大山寺が石船神社の近くに在ったので
立ち寄ってみることにしました。

大山寺は正式には、高根山閑心院大山寺と称するようです。

真言宗 豊山派の寺院で、元々、虫封じ高根山とも言われていて、
弘仁元年(810年)弘法大師の開創と伝えられています。
長禄元年(1457年)に宥阿上人が大山城主義成公祈願所として中興し、
高根山閑心院大山寺としました。
御本尊は大日如来(金剛界)で、子供の夜泣き、ひきつけなどの虫封じ、
子授け、開運厄除に霊験あらたかとされ、信仰されています。
関東八十八カ所霊場の一つでもあり、また茨城県の8つの寺院で展開される
開運花の寺巡りの一つでもあります。

     20191002花の寺 大山寺01

この看板は、以前常陸大宮市の江畔寺で見た事があります。
あの頃は、まだ御朱印っていうものに興味がなかったので
『花の寺めぐり.........ふ〜ん、......』って言う感じで,
さしたる興味も湧きませんでした。

『開運 花の寺めぐり』とは、
常陸大宮市、那珂市、笠間市、東茨城郡城里町にある八ヶ寺が
「花の寺」として十二支巡拝を結成し 「花の寺めぐり」としました。
1番、城里町(旧桂村)の龍谷院は子年で千手観音。
2番、笠間市の金剛寺は丑、寅年で虚空蔵菩薩。
3番、城里町(旧桂村)の大山寺は卯年で文殊菩薩。
4番、常陸大宮市の江畔寺は辰、巳年で普賢菩薩。
5番、那珂市の文殊院 は午年で勢至菩薩。
6番、城里町(旧七会村)の徳蔵寺は未、申年で大日如来。
7番、那珂市の一乗院は酉年で不動明王。
8番、常陸大宮市の弘願寺は戌、亥年で阿弥陀如来。
そして各寺院の境内は、四季の花で彩られているのが特徴となっています。

元来、凝り性の性格だからこの看板を見たからには、
『開運 花の寺巡り』っていうやつも完遂してやろうって言う気持ちになっちゃいます。


どうやら私の中では、いつの間にか佐竹七福神よりも
『開運 花の寺めぐり』の方が、ググッと表に出て来てしまったよです

では、さっそく参拝いたしましょう。


寺号標。

     20191002花の寺 大山寺02




どうやら、山門は城里町の文化財のようですね。

     20191002花の寺 大山寺03



先に進みましょう。

     20191002花の寺 大山寺04




こちらは、指定文化財ではない山門。

     20191002花の寺 大山寺05



こちらは仁王門。

     20191002花の寺 大山寺06




仁王門には山号の扁額が掲げられています。

      20191002花の寺 大山寺08


 
仁王像。

      20191002花の寺 大山寺09


      20191002花の寺 大山寺10




仁王門の脇には古い寺号標。

     20191002花の寺 大山寺07



こちらが文化財に指定された山門。

     20191002花の寺 大山寺31



指定文化財である山門の説明板。

      20191002花の寺 大山寺12



手水舎。

      20191002花の寺 大山寺13



こちらが本堂。

      20191002花の寺 大山寺14



本堂正面。

      20191002花の寺 大山寺15



本堂正面に掲げられた扁額。

      20191002花の寺 大山寺16






こちらが、乾闥婆王尊堂。

      20191002花の寺 大山寺17



乾闥婆王尊堂に掲げられた扁額。

      20191002花の寺 大山寺18



安置されている文殊菩薩。

      20191002花の寺 大山寺19



この文殊菩薩が花の寺の第三番の仏様になる。
 
      20191002花の寺 大山寺20


幼児虫封じ霊場と掲げられた表札。

      20191002花の寺 大山寺21





こちらは、弘法大師堂。

      20191002花の寺 大山寺22




そして、鐘楼。

      20191002花の寺 大山寺23




花の寺の石碑。

      20191002花の寺 大山寺24



境内の寺号標。

      20191002花の寺 大山寺25



花の寺めぐりの案内板。

      20191002花の寺 大山寺26




御朱印は本堂右手、納経所にて拝受致しました。

      20191002花の寺 大山寺27


   

こちらが、御朱印。

御本尊の大日如来。

      20191002花の寺 大山寺28



花の寺めぐりの御朱印になる文殊菩薩の御朱印。

      20191002花の寺 大山寺29





そして、こちらが花の寺のスタンプ。

      20191002花の寺 大山寺30

スタンプ専用のだいしもありましたが、
折角なので御朱印用に準備していた半紙に押してみました。


開運 花の寺めぐり。
何十ヶ所も巡るわけじゃなく
8ヶ所だから、結願目指してみましょうか。


2019/11/16 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................石船神社 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。


大山草庵跡をあとにして、向かった先は.................石船神社。


石船神社は、城里町岩船に鎮座する神社です。

石船神社の創建は不詳とされていますが
城里町の建てた説明板によれば、
清和天皇の御代貞観元年(859年)とされています。


御祭神は、鳥石楠船命(とりのいわくすふねのみこと)。



こちらが社号標。

      20191002石船神社01


      20191002石船神社02



てっきり、この建物が社殿かと思ったら違っていた。

      20191002石船神社03

この建物は近隣の集会場のようです。

社殿はこの建物の左奥に鎮座しています。



社号標の脇には、城里町の建てた説明板。

      20191002石船神社04

どうやら、城里町では石船神社よりも藤の群生の方が『推し』みたいですね。



社号標の前にも標柱が建てられているし............

      20191002石船神社05


肝心の石船神社といえば.................

左方向に進みましょう。


鳥居。

      20191002石船神社06



鳥居に掲げられた神額。

      20191002石船神社07



鳥居の先には、もう一つの社号標。

      20191002石船神社08



参道。

      20191002石船神社09



さらに進みましょう。

      20191002石船神社10


      20191002石船神社22




社殿が見えてきました。

      20191002石船神社11



こちらが拝殿。

      20191002石船神社12



拝殿正面。

      20191002石船神社13



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191002石船神社14




別アングルからの拝殿。

      20191002石船神社15



こちらが、本殿に見えるけれど、そうではない。

      20191002石船神社16

瑞垣の中は御神体の“兜石”と呼ばれる巨大な岩が鎮座しているそうですが
パッと見た感じ、そのような巨岩には気付かなかったなぁ。



境内社。

      20191002石船神社17


      20191002石船神社18



そして、もう一つの巨石。

      20191002石船神社19

船形をしていて、窪みの水をすくって祈願すると
雨が降ると言う「雨乞いの信仰」が伝わるそうです。
船形をした石から、社号の石船神社となったのだろうか?



御神木。

      20191002石船神社20
      20191002石船神社21




こちらが、石船神社の御朱印。

      20191002石船神社23


本務社の手子后神社の宮司さん宅にて拝受いたしました。


あまり期待してはいなかった神社でしたが
苔生した境内といい、古式な佇まいのある社殿と言い
これぞ式内社と言える神社でした。


2019/11/15 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

親鸞聖人大山草庵跡 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

この日訪れた阿波山上神社。
その参道口にこんな看板が建っていました。

      20191002親鸞聖人之旧跡01

『親鸞聖人之旧跡』?

何だそれ?


親鸞聖人の名前は聞いた事があるけれど
そんなに詳しくなない。

iPhone っを使って、ネットで調べてみると............


浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、建保2年(1214年)越後の国から常陸に入り、
建保4年(1216年)には、この大山の地に足を運ばれたそうです。
そして、ここを常陸奥郡の布教伝道の中心地としたそうです。

当時、大山には親鸞聖人の師である法然の弟子の行観上人が
建暦2年(1212年)に開山したと言われる浄土宗の阿弥陀寺がありました。
親鸞は、師である法然のゆかりの寺を頼りこの地を訪れ、
その境内に草庵(大山草庵)を結び、諸公達の懇願により法然の三回忌法要を厳かに執り行い
これを真宗興行の法要と言い、大山草庵は開宗宣言の地と言われています。

浄土宗阿弥陀寺は、水戸藩主徳川斉昭公の寺院整理により
天保13年(1842年)に廃寺となってしまったそうです。


阿波山上神社の参道脇に建つ『大山草庵跡』碑。

      20191002親鸞聖人之旧跡02


      20191002親鸞聖人之旧跡03



この地は、阿弥陀寺跡と言われていますが
現在は、延命地蔵尊が建てられています。

      20191002親鸞聖人之旧跡05



大山草庵の往時を偲ぶ古い墓石。

      20191002親鸞聖人之旧跡06



そして石仏。

      20191002親鸞聖人之旧跡07



あまり寺院には詳しくないから
何とも言えないけれど、草庵跡に咲く曼珠沙華の花の
朱色がヤケに気になりました。

      20191002親鸞聖人之旧跡08


      20191002親鸞聖人之旧跡09

10月になってもまだまだ暑い日が続く、
今年はちょっと異常かと思っていたけれど
少しづつ秋は近寄ってきているんですね。




2019/11/15 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................阿波山上神社 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

手子后神社をあとにして、向かった先は.............阿波山上神社。


阿波山上神社は、城里町阿波山に鎮座する神社です。

社伝によれば、第42代文武天皇大宝元年(701年)に、
大杉に神が降臨し、「降木明神」と称したとされています。

佐加利子明神とも呼ばれる神社で阿波山という森に祠を建て、
この神を祀り、阿波山上神社と号したとされています。
この神は童子の姿で、手には粟の穂を持って降臨したということです。


御祭神は、少彦名命。



社号標。

      20191002阿波山上神社01




神社社頭。
一の鳥居。 

      20191002阿波山上神社02



こちらは、二の鳥居。

      20191002阿波山上神社03



参道。

      20191002阿波山上神社04
      20191002阿波山上神社05



参道脇の御神木。

      20191002阿波山上神社06
      20191002阿波山上神社07



「御神木由来」を刻んだ石碑。

      20191002阿波山上神社08



手水舎。

      20191002阿波山上神社09



拝殿が見えて来ました。

      20191002阿波山上神社10



こちらが拝殿。

      20191002阿波山上神社11



拝殿正面。

      20191002阿波山上神社12



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191002阿波山上神社13




別アングルからの拝殿。

      20191002阿波山上神社14


      20191002阿波山上神社15



そして、こちらが本殿。

      20191002阿波山上神社16



別アングルから。

      20191002阿波山上神社17



境内社。

      20191002阿波山上神社18


      20191002阿波山上神社19


      20191002阿波山上神社20


      20191002阿波山上神社21


      20191002阿波山上神社22



そして、こちらが神楽殿。

      20191002阿波山上神社23



こちらが、阿波山上神社の御朱印。

      20191002阿波山上神社24


本務社の手子后神社の宮司さん宅で頂きました。



2019/11/14 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...................手子后神社 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

圷小学校をあとにして、向かった先は..................手子后神社。



手子后神社は、城里町上圷に鎮座する神社です。


創建は大同二年(807年)とされています。
坂上田村麻呂の東夷征討の戦勝祈願があり、
本来は』手子木崎神社』と称していましたが、
元禄九年(1696)徳川光圀公により、
現在の社号である『手子后神社』に改称したとされています。


御祭神は、埴安姫命(はにやすのひめのみこと)



社号標。

      20191002手子后神社01


 

神社社頭。

       20191002手子后神社02



参道。

      20191002手子后神社03
      20191002手子后神社04


      20191002手子后神社05
      20191002手子后神社06



手水舎。

      20191002手子后神社07



こちらが拝殿。

      20191002手子后神社08



拝殿正面。

      20191002手子后神社09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191002手子后神社10



別アングルからの拝殿。

      20191002手子后神社11


      20191002手子后神社12



そして、こちらが本殿。

      20191002手子后神社13



拝殿手前の左側、この建物は社務所になるのだろうか?

      20191002手子后神社14



こちらは、拝殿手前の右側。
こちらは旧・拝殿か何かなのだろうか?

      20191002手子后神社15



境内社。

      20191002手子后神社16


      20191002手子后神社17


      20191002手子后神社18


こちらが、 手子后神社の御朱印。

      20191002手子后神社19


御朱印は、拝殿左奥の宮司さん宅で頂くことができます。

2019/11/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................圷小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。


那珂西城址をあとにして、向かった先は.............城里町立圷小学校


圷小学校の詳しい沿革は不明ですが、圷小学校の学区は
平成17年に城里町が誕生する以前は、旧・桂村でした。
その旧・桂村域を学区とする岩船小学校、圷小学校、北方小学校の3校が
平成23年に統合して城里町立桂小学校が誕生して
圷小学校は廃校となりました。

廃校後、跡地の再利用を色々と検討した結果、特別養護老人ホームとして
利用されることとなり、平成31年に特別養護施設が開設されました。

通常、他の施設に流用される際は、校舎をリノベーションするなりして
開設されることが多いけれど、こちらは、校庭跡に立派な施設を建設したようです。



圷小学校時代の校門。

      20191002圷小学校01



この場所に門が在ったのかは判らないけれど、石造りの門柱。

      20191002圷小学校02

背後の建物が新しく建てられた特養施設。



その全容。

      20191002圷小学校03


      20191002圷小学校04


      20191002圷小学校05



この一画にも門柱が置かれています。

      20191002圷小学校06



表札が残っているから、正門に使われていた門柱でしょう。

      20191002圷小学校07


昭和48年に、創立百周年の記念に建立されたモノのようです。

      20191002圷小学校08

と言うことは、明治6年に創設された歴史のある学校だったんですね。



敷地の片隅、雑草に隠れるように置かれた二宮像。

      20191002圷小学校09


      20191002圷小学校10




こちらは、圷小学校の校舎。

      20191002圷小学校11


立派な特養施設の建物奥に隠れるように残っていました。

      20191002圷小学校12

先ずは、取り壊されずに済んで良かった。



校舎の前の芝生で戯れる びいすけ 。

      20191002圷小学校13



校舎玄関。

      20191002圷小学校14



どうやら、校舎は茨城県埋蔵文化財センター収蔵庫として利用されているようです。

      20191002圷小学校15

それで解体されなかったようですね。



『希望』と記された台座。

      20191002圷小学校16

おそらくブロンズ像が建っていたのだと思うんだけど...................



こちらは、オブジェのようです。

      20191002圷小学校17

横に転がっている球体は、碑の上部のくぼみに乗っていたのでしょうか?




こちらは、体育館。

      20191002圷小学校18



フェンスに描かれた子供たちの絵。

      20191002圷小学校19

卒業制作のひとつでしょう。



雑草に埋もれかけている校訓の碑。

      20191002圷小学校20

『強く 正しく 美しく』
遠い昔に忘れ去ってしまった言葉のようで
今の私には禁句だったりして.....................(笑)





2019/11/13 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

那珂西城址 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

城里町の城址巡り、続いては那珂西城址です。


那珂西城は、南北朝時代の平山城です。
那珂通辰の居城と言われて来ましたが、
最近では大中臣氏の子孫である時久が那珂氏と称し、
この地に居城したという説が有力となっています。
貞治4年(1365)那珂宗泰の代に足利尊氏に従って丹波に移り、
当地に残った一族は佐竹氏の勢力下に入ったされています。
佐竹氏の秋田移封によって廃城になりました

広さ約4㏊と広大な城郭です。
城内は本城、中城、兵庫坪の三郭から構成されていたとされ
城域内の本城の位置には、宝幢院がありますが、
これは元禄9年(1696)、徳川光圀の発願によりここに移されたものだそうです。
宝幢院の周囲及び国道123号線沿いに土塁の一部と堀跡が残っています。




こちらが、那珂城の縄張り図。

      那珂西城址縄張り図

( 余湖さんのHPよりお借りしました )




宝幢院入口。

      20191002那珂西城址01



国道沿いに建つ、城址入口の標柱。

      20191002那珂西城址02



そのすぐ近くに残る土塁。

      20191002那珂西城址03

この辺りは、兵庫坪。


土塁の上には社もあります。

      20191002那珂西城址04


      20191002那珂西城址05



土塁上から見た宝幢院山門付近。

      20191002那珂西城址06

山門の両脇の森のように見えるのは土塁跡。


山門右側の土塁前にて。

      20191002那珂西城址07




那珂西城址の説明板。

      20191002那珂西城址08



説明板脇の石段を上った先には城址碑。

      20191002那珂西城址09



城址碑の前から眺める土塁は、尾根のように連なっている。

      20191002那珂西城址10



土塁前の空堀跡。

      20191002那珂西城址11

かなり埋め戻されているようです。



山門右側の土塁前には、宝幢院の説明板。

      20191002那珂西城址12



山門内側からの土塁。

      20191002那珂西城址13


      20191002那珂西城址14



境内奥にも土塁が一部残っている。

      20191002那珂西城址15


      20191002那珂西城址16


      20191002那珂西城址17


      20191002那珂西城址18



広大な敷地を誇る那珂西城址。
今回は主郭に当たる宝幢院周辺がメインなってしまいますが、
逆に遺構らしきモノが宝幢院の周辺にしか残っていないのが
残念と言えなくもない。



2019/11/13 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

石塚城址 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

城里町の中心と言っていいのか?
現在の城里町役場のある旧・常北町域。
城里町役場から1kmほどの場所にある石塚城址に向かいます。



石塚城は、南北朝時代の1362年に石塚宗義が築いたとされています。


石塚城は足利尊氏に味方して常陸守護となった佐竹氏9代・佐竹義篤の三男、宗義によって
南北朝時代の1362年に築かれた城とされています。
宗義は石塚氏を称し、石塚城は石塚氏代々の居城となりました。
文禄4年(1595年)、第10代当主・佐竹義宣によって家臣団の所領が再編されると、
石塚氏は片野城に移され、佐竹宗家の蔵入地となったこの城には、
佐竹東家の東義久・義賢父子が城代として入りましたが、
慶長7年(1602年)の佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました。


足利尊氏に味方し常陸守護になった佐竹家9代の佐竹義篤の3男ですが
長兄は佐竹義宣。他にも小場義躬、大山義孝、藤井義貫と称し、それぞれ分家した兄弟がいます。




こちらが、石塚城の縄張り図。

      石塚城址縄張り図

( 余湖さんのHPよりお借りしました )


県道沿いに建つ標柱。

      20191002石塚城址01


      20191002石塚城址02



この奥が石塚城址になるようです。

      20191002石塚城址03



広大な敷地を誇る石塚城址。
その一部は宅地化され民家になっていたり
耕地化されて畑になっていたりする。

こんな看板も建てられています。

      20191002石塚城址04



私有地だから仕方ない。

      20191002石塚城址05



部分的に埋められていたりするが、
民家の庭先にはこんな堀跡もある。

      20191002石塚城址06



しばらく進むと、説明板が見えてきました。

      20191002石塚城址07



石塚城址の説明板です。

      20191002石塚城址09



説明板の建っている辺り三郭。

      20191002石塚城址08  

この先が二郭。
位置的には北方向になります。


二郭へ進む左方向には空堀が走ってますが、
写真ではよく分からない。

      20191002石塚城址10


      20191002石塚城址12



この辺りの植物を持ち帰る輩が多いのか?
こんな看板も立てられています。

      20191002石塚城址11



土橋。

      20191002石塚城址13



土橋の先がニ郭になります。
縄張り図で言う東ニ郭になります。

      20191002石塚城址15




土橋の上から左方向の空堀。

      20191002石塚城址14

やはり、木が茂っていて、その全容が分かりづらい。




こちらが、二郭(東ニ郭)。

      20191002石塚城址16




耕地化されていて、完全な畑。

      20191002石塚城址17



ニ郭の空堀もブッシュ状態。

      20191002石塚城址18

本来なら主郭へと足を伸ばしたいのですが
10月とは言え、まだまだ下草が多く、進軍する気には慣れない。
とにかく、蜘蛛の巣だけはご勘弁願いたい。

やっぱり、藪の多い城址巡りは、冬に限りますね。




2019/11/12 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 石塚薬師と那珂西城址 》(2019年10日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

城里町には、茨城百景の選定地が二つあり
その一つは小松寺でした。
残るもう一つが、やはり旧・常北町域にある『石塚薬師と那珂西城址』



石塚薬師は、正しくは佐久山多聞院薬師寺と言うそうです。

延暦年間に坂上田村麻呂の創建になると伝えられ、
当初は、真言宗に属し浄瑠璃寺と称していました。
その後、文禄3年(1594年)天台宗に改宗し、薬師寺と称するようになりました。。

昭和32年(1957年)の石塚大火により
天文年間(1532-55)に建てられた寺院は焼失してしまいましたが、
本尊の木造薬師如来および両脇侍像(国重要文化財)は難を逃れ、
再建されたコンクリートの本堂裏の収蔵庫に納められているそうです。




こちらが、薬師寺。


石造りの山門。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址03

本堂の右側にあたるから、
こちらは本来の山門ではないのかも知れない。


こちらが、本殿の正面にあたる四脚門の山門。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址04



山号の扁額も掲げられています。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址05



参道。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址06



手水舎。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址07



薬師寺の説明板。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址15

まぁ、神社で言うところの由緒書きみたいなものですね。



こちらが、本堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址08



本堂に掲げられた扁額。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址09



本堂を覗き込むとこんな感じでした。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址10



やくしじには、木造の12体の神将像も安置されているそうです。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址11



こちらは多聞堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址12



こちらは弁天堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址13



境内の石仏。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址14





肝心の茨城百景の碑ですが、
薬師寺の向かいにある古びた神社(?)の境内らしき場所に
ひっそりと建っていました。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址01


      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址02




さて、碑に刻まれた那珂西城址ですが、
薬師寺からはちょっと離れた場所になります。
4kmぐらい離れているから、車でないとちょっと移動は辛い。


こちら那珂西城址でもある宝憧院。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址16



宝憧院は、応永03年(1396年)、智空上人により開山された真言宗豊山派の寺です。
元禄09年(1696年)徳川光圀が以伝僧正を中興開山として、この地に移したそうです。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址17



山門(四脚門)の脇には立派な土塁が残る。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址18



土塁頂部には城址碑。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址19

那珂西城址については後日、改めて深く突っ込みたいので
今回は軽くさらっと流しましょう。


土塁と空堀跡。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址20



土塁脇には説明板。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址21



以前、この場所にはお堂か何かが建っていたのだろうか?

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址22



こちらは、本堂。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址23



本堂に掲げられた扁額。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址24



境内の地蔵像。

      20191002茨城百景 石塚薬師 那珂西城址25



ここで、ふと疑問が..................

茨城百景が選定された昭和25年当時、同じ石塚町にあるのに
那珂西城址が選ばれたのだろう。
薬師寺から4km近く離れているし、
薬師寺の近くには、石塚城址もあったはず。

それだけ、当時の那珂西城址は風光明媚な場所だったのだろうか?







2019/11/11 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小松小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

小松寺をあとにして、向かった先は...............城里町立小松小学校。


小松小学校は、

明治6年      小松寺に参天小学校を開設する。
明治22年      石塚尋常小学校より分離し、小松尋常小学校と改称する。
昭和22年      学制改革により、小松村立小松小学校と改称する。
昭和30年      小松村が石塚村、西郷村と合併して常北町が誕生。
          常北町立小松小学校と改称する。
平成17年      常北町が七会村、桂村と合併して城里町が誕生。
          城里町立小松小学校と改称する。
平成23年      青山小学校、古内小学校と統合して常北小学校が開校。
          小松小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道に面した校門。

      20191002小松小学校01



石造りのごっつい門柱。

      20191002小松小学校02



その門柱には表札も健在。

      20191002小松小学校03



どうやら、昭和59年に建立されたモノのようです。

      20191002小松小学校04



この門の先にも、もう一つ石造りの門がありました。

      20191002小松小学校05



敷地内に入ります。



校舎。

      20191002小松小学校06



別アングルから。

      20191002小松小学校07


      20191002小松小学校08



      20191002小松小学校10



校舎前の中庭(?)には、碑や像が並ぶ。


二宮像。

      20191002小松小学校11


      20191002小松小学校12



シンプルな碑文。

      20191002小松小学校13

こう言う表現って好きだなぁ。



校歌の碑。

      20191002小松小学校14


ブロンズ像。

      20191002小松小学校15



経緯度標。

      20191002小松小学校16


頌徳碑。

      20191002小松小学校17



こちらは、体育館。

      20191002小松小学校09


      20191002小松小学校18




校庭。

      20191002小松小学校19


      20191002小松小学校20


      20191002小松小学校21



校庭に残る遊具類。

      20191002小松小学校22


      20191002小松小学校23


      20191002小松小学校24


      20191002小松小学校25


      20191002小松小学校26


      20191002小松小学校27


      20191002小松小学校28



校庭の隅には。子供たちの卒業製作品。

      20191002小松小学校29


      20191002小松小学校30




校庭の一角は、わくわくランド。

      20191002小松小学校31



池があって、植物や水生生物を観察できたんんですね。

      20191002小松小学校32


さすが、明治初期に開校した伝統のある小学校。
二宮像もあったし、学校跡碑もあって、見所のあった小学校でした。





2019/11/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 小松寺 》(2019年10日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

数年前から追っかけているって言うか、
機会があれば訪れることにしている『茨城百景』。

その『茨城百景』が、ここ城里町にもあるという事で
茨城百景の碑を探しに来ました。


『茨城百景』は、昭和25年に茨城県観光審議会が選定した
茨城県内の100の景勝地のことです。
選定された景勝地には、『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探して百景の地を巡っている人もいるようです。
まぁ、私もその一人になるんですが..................

城里町の茨城百景は、昭和25年当時の小松村から1ヶ所、
石塚町から1ヶ所の計2ヶ所が選定されています。

先ずは、旧・小松村から選定された『茨城百景 小松寺』へ向かいます。



小松寺は、城里町にある真言宗智山派の寺院です。
山号は白雲山。院号は普明院。本尊は大日如来。
1180年(治承4年)平貞能が平重盛の遺骨を白雲山に葬り天台宗の寺院を建立し、
自ら出家して以典と号したとされています。
1387年(嘉慶元年)大掾頼幹が宥尊を招いて中興し真言宗の寺となったそうです。




こちらが、小松寺の入り口(山門)。

      20191002茨城百景 小松寺01



寺号標。

      20191002茨城百景 小松寺02



そして、茨城百景の碑。

      20191002茨城百景 小松寺03

百景の碑は山門の左側に建てられていました。


この碑を探すのも茨城百景巡りの楽しみの一つ。

      20191002茨城百景 小松寺04



では、小松寺をお詣りいたしましょう。

      20191002茨城百景 小松寺05



参道は杉の木立。
なかなか迫力あります。

      20191002茨城百景 小松寺06
      20191002茨城百景 小松寺07
      20191002茨城百景 小松寺08



唐門が見えてきました。

      20191002茨城百景 小松寺09



こちらが、唐門。

      20191002茨城百景 小松寺10



その説明板。

      20191002茨城百景 小松寺11



唐門の脇に置かれた鬼瓦。

      20191002茨城百景 小松寺12

以前の本堂に使われていたものでしょうか?




こちらが、本堂。

      20191002茨城百景 小松寺13



こちらが、観音堂。

      20191002茨城百景 小松寺14


その説明板。

      20191002茨城百景 小松寺15


本堂の裏手。
実は思い切りの勘違いを後で気がつきました。

      20191002茨城百景 小松寺16

てっきり、この場所が平重盛の墓だと思って、登った丘を下りてしまいました。
平重盛の墓は、この場所より更に上だったようです。
間際らしい場所に大きな碑が建っている、勘違いしちゃうよなぁ。




せっかくだから、御朱印も頂いていきましょう。
ご朱印はこちらで頂けます。

      20191002茨城百景 小松寺17



そして、こちらが小松寺の御朱印。

      20191002茨城百景 小松寺18

御本尊の如意輪観音です。


茨城百景の碑も見つけたし、御朱印も頂けた。
茨城百景『小松寺』、これでコンプリートです。
残念なのは、平重盛の墓地を間違えた事。

もし、再び機会があれば
その時は間違えずに訪れることにしよう。







2019/11/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう! .............藤井川ダム (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

古内小学校をあとにして、向かった先は...............藤井川ダム。


数年前から、ダムカードを集めています。
と言っても、目を三角にして、がむしゃらにダムを巡って
ダムカードを貰いまくっているわけでもなく
遠出した際に、ダムカードを配布しているダムが有ったら
立ち寄ってみると言ったパターン。


今回訪れた城里町でも、ダムカードを配布しているダムが有ったので
立ち寄ってみました。


藤井川ダムは、一級河川・那珂川水系の藤井川に建設された
茨城県が管理する県営ダムで、高さ37.5mの重力式コンクリートダムです。

昭和22年のカスリーン台風では那珂川流域も未曾有の大水害を被りました。
藤井川も出水し流域農地や人家に被害を与えたそうです。
茨城県は治水事業として藤井川に県営の治水専用ダム計画を立て、
高さ35.0mの重力式コンクリートダムとして昭和31年3月に完成しました。
完成当時は日本最大級の治水専用ダムでした。

当初は洪水調節のみを目的とした治水ダムであり、
平常時は水を貯めない穴あきダムでしたが、
その後の水需要の変化に伴って多目的ダムに再開発が行われました。
藤井川の治水と水戸市・城里町の水がめとして建設された補助多目的ダムとなりました。
ダムによって形成された人造湖はうなぎ地蔵湖と言うそうです。




こちらが、藤井川ダム管理事務所。

      20191002藤井川ダム01

ダムカードは、こちらの2階で配布しています。



ダムカード、ゲットです。

      20191002藤井川ダム02



管理事務所の向かいには駐車場。
その駐車場の一角には、藤井川ダムの碑。

      20191002藤井川ダム03


駐車場は、ダムに隣接しているけど
これより先は、立ち入り禁止。

      20191002藤井川ダム04


藤井川ダムの前にて。

      20191002藤井川ダム


ダムの天端は一応、道路となっています。

      20191002藤井川ダム06

片道1車線の狭い天端だけど、意外に車の往来はそれなりにある。



車が来ないのを見計らって、天端を歩きます。

      20191002藤井川ダム07


      20191002藤井川ダム08



天端からの上流側。

      20191002藤井川ダム09



意外に流木が多い。
これも台風15号の影響なのでしょうか?

      20191002藤井川ダム10


こちらは、ダム下流側。

      20191002藤井川ダム11


微妙に水位を調整しながら、放流しているようです。

      20191002藤井川ダム12


      20191002藤井川ダム13



こちらが藤井川ダムのダムカード。

      20191002藤井川ダム14


      20191002藤井川ダム15


やっぱり、訪れたダムのダムカードが増えていくのって
何となく楽しいことですね。






2019/11/09 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................古内小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

上古内鹿島神社をあとにして、
向かった先は........城里町立古内小学校。


古内小学校の詳しい沿革は分かりませんが
校内に残っていた創立百周年の記念碑の碑文によれば
明治8年、時沢に太古山尋常小学校として開校したようです。

平成23年に青山小学校、小松小学校と統合して常北小学校が開校し、
古内小学校は廃校となる。

と、言った簡略な沿革となってしまいます。


こちらが正門。

      20191002古内小学校01



石造りの門柱。

      20191002古内小学校02


昭和19年に建立されたモノのようです。

      20191002古内小学校19



校舎。

      20191002古内小学校03



校舎全景。

      20191002古内小学校04


      20191002古内小学校05



別アングルから。

      20191002古内小学校06


      20191002古内小学校07



こちらは、体育館。

      20191002古内小学校08



そして、こちらが校庭。

      20191002古内小学校09



校庭に残る遊具類。

      20191002古内小学校10


      20191002古内小学校11


      20191002古内小学校12



朝礼台。

      20191002古内小学校13



ちょうど体育館前の校庭の隅に台座もなく直接地面に置かれた像。

      20191002古内小学校14

なんとなく二宮像に見えなくもないが
ちょっと違う気がする。


でも背中に背負子があるんだよなぁ。

      20191002古内小学校15



校舎前には『大志』と言うタイトルの像。

      20191002古内小学校16



校歌の碑。

      20191002古内小学校17



こちらは『美しい心』の碑。

      20191002古内小学校18

創立百周年の記念碑です。


この碑の裏面の碑文に創立時期が記されていました。
136年と言う歴史を誇った古内小学校。
その歴史もいずれ忘れ去られてしまうんでしょうか.........?








2019/11/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............上古内 鹿島神社 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

小勝小学校をあとにして、向かった先は...............上古内鹿島神社。


上古内鹿島神社は、城里町上古内に鎮座する神社です。

社伝によれば、天津児屋根尊が金鷲に駕してこの降る内山に降臨したので、
この地を鹿島土谷と称し、大同年間(806~810年)に鎮斎したと伝えられています。
御祭神の天津児屋根尊は、祭祀を司る神で、鹿島神社そのものの祭神ではなく、
中臣氏の祖とされています。鹿島郷に比定される古内を中心としたこの地一帯は、
古くは中臣氏、鹿島神との関係が深かったことを窺える伝えであるとされています。

御祭神は、武甕槌神(たけみかづちのかみ)
     建御名方神(たけみなかたのかみ)




神社社頭。

      20191002上古内鹿島神社01



県道沿いに建つ社号標。

      20191002上古内鹿島神社02



社号標の脇には由緒書き。

      20191002上古内鹿島神社03


その反対側には、宮司さんの祖先である『鯉渕要人』の説明板。

      20191002上古内鹿島神社04



鳥居。

      20191002上古内鹿島神社05



手水舎。

      20191002上古内鹿島神社06



拝殿。

      20191002上古内鹿島神社07



拝殿正面。

      20191002上古内鹿島神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191002上古内鹿島神社09



別アングルからの拝殿。

      20191002上古内鹿島神社10



そして、こちらが本殿。

      20191002上古内鹿島神社11



境内社。

      20191002上古内鹿島神社12


      20191002上古内鹿島神社13


記念碑。

      20191002上古内鹿島神社14



そして、こちらが御朱印。

      20191002上古内鹿島神社15


実は、あまりにも早くお邪魔しても申し訳ないので
時間調整をして、8時過ぎに参拝をしていたら
隣接する民家(実は宮司さんの自宅兼社務所)から1台の軽自動車が外出した。

この時、嫌な予感が頭をよぎりました。

宮司さんの自宅に声わかけたら
今しがた宮司さんは出かけられたという事で
この時は御朱印は頂くことが出来ませんでした。

この日の夕刻、千葉に自宅へ帰る前に再度立ち寄ったら
宮司さんはお帰りになられていて、無事御朱印を頂くことが出来ました。

地方の神社って、社務所が宮司さん宅って言うのが多く
宮司さんに会えないことも多々有ったりします。
そんな時には、『これも縁』と思い次の縁に期待するようにします。

とは言いながらも、宮司さんにお会い出来て良かったぁ。



2019/11/08 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小勝小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りに出かけました。

向かった先は..............旧・七会村立 小勝小学校。


平成2年に廃校となった小勝小学校を探すのに苦労しました。
結局、分からないので、地元の商店のおばちゃんに訊いて辿り着けることが出来ました。

小勝小学校の詳しい沿革は不明です。
従って創設時期等も不明ですが、明治期にこの辺りは小勝村と称していて
明治22年に近隣の七つの村が合併して七会村となりました。
その辺りを考慮すれば、おそらく明治期に創設された学校ではなかろうかと推測されます。

しかしながら、平成2年に小塩小学校と統合して新たに七会村立東小学校が発足すると
小勝小学校は廃校となりました。


こちらが、小勝小学校跡。

      20191002小勝小学校01




何やら、高台の上に立派な建物がありますが
これは校舎じゃありません。

      20191002小勝小学校02


先程この場所を教えていただいたおばちゃんの話では
校舎は解体されて、その跡地に診療所が建てられたそうです。



そうです。
こちらは、国保診療所と言う医療施設となっていたようです。

      20191002小勝小学校03



しかしながら、ネットで『城里町国保診療所』でググってみると
どうやら、国保診療所も同じ小勝地区に新しく立派なモノが出来たようで
こちらは、いわゆる廃病院と言った状況でしょうか..................?

      20191002小勝小学校04



敷地内に残る『夕焼け小焼け』の碑。

      20191002小勝小学校05


学校遺構はこれ以外には残っておらず
普通の人が見たら、この場所が学校跡とは想像しづらい。

  

高台の校地に残る桜の木。

     20191002小勝小学校06



そして、眼下には削平地。

      20191002小勝小学校07

おそらく校庭だったのでしょう。


その削平地に降りてみました。

診療所の駐車場に利用されていたから、アスファルトで覆われているけれど
この桜の木は、校庭のシンボルツリーだったのでしょう。

      20191002小勝小学校08


せめて、この場所に二宮像とか廃校記念碑、
学校跡碑が残っていれば.............

そんな事を思ってしまうのは、私だけなんだろうか................?







2019/11/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《番外編》 ....................... 小塩小学校校舎 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りをしていました。

平成2年に廃校になった小塩小学校をあとにして、
同じく平成2年にその子塩小学校と統合して廃校となった小勝小学校を探している時に
小塩郵便局の隣に気になる建物を見つけた。

      20191002小塩小校舎01

どう見ても、一般の民家には見えない。


昔の役場?
はたまた、学校の校舎か?

非常に気になるのだが、この場所の住所は、城里町小塩。
いわゆる小塩集落。昔の住所であれば、七会村小塩になる。
って言うことは、少なくても小勝小学校って言うことは無い。


実は、気になったものの本命の小勝小学校を探すために小勝集落へと移動しました。


なかなか、小勝小学校が見つからないので
県道に面した商店で店番のおばちゃんに訊いてみた。
小勝小学校の場所は分かったものの、先ほどの建物が気になる。
おばちゃんに訊いてみると.....................

なんと、先ほど訪れた小塩小学校の校舎を記念に残そうと
郵便局の隣に移設したという事です。


なるほど、そういう事だったのね。


慌てて、郵便局方向へUターン。
塩子小学校校舎へと戻ります。

      20191002小塩小校舎02



ここでも、いろんなアングルで写真を撮っちゃいます。

      20191002小塩小校舎03


      20191002小塩小校舎04


      20191002小塩小校舎05


      20191002小塩小校舎06


      20191002小塩小校舎07


      20191002小塩小校舎08


塩子小学校そのものが、昭和22年に校舎が焼失してしまい
昭和24年に校舎を建て直したという事ですが
この校舎は昭和24年に建てられたモノだろうか?

木造の校舎ではあるけど、とても終戦直後(4年後)の建物には見えない。
昭和の40年代ぐらいに建てられたモノなんだろうか?

いずれにしても。こうやって木造校舎を残すと言う
地元の方々の配慮に敬服いたします。






2019/11/07 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小塩小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町の廃校巡りに出かけました。

城里町は、平成17年に常北町と七会村と桂村が合併して誕生しましたが、
合併前の旧・七会村域の廃校を巡ります。

七会西小学校をあとにして、向かった先は.........旧・西会村立 小塩小学校


小塩小学校は、

明治6年     民家を借用して、塩子小学校開設。
明治27年     新校舎完成に伴い、校地移転。
大正13年     現在地に移転。
昭和22年     火災により校舎焼失。

昭和24年     新校舎建設。
         七会村立塩子小学校として開校。
平成2年     小勝小学校と統合して七会村立東小学校が開校。
         小塩小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




こちらが、小塩小学校の正門。

      20191002 小塩小学校01


      20191002 小塩小学校02



赤い屋根の可愛らしい校舎(?)

      20191002 小塩小学校03




実はこの時、この建物は廃校になった校舎だと思っていました。

      20191002 小塩小学校04



そんなわけで、色んなアングルから写真に収めていました。

      20191002 小塩小学校05


      20191002 小塩小学校06


      20191002 小塩小学校07


      20191002 小塩小学校08

後で判ったのですが、この建物は廃校後に建てられたモノらしい。
それでは塩子小学校の校舎は解体されてしまったのでしょうか?

これも後で判ったのですが、別な場所に移転されていたようです。



塩子小学校の敷地跡は、『塩子生活改善センター』と言う施設になりました。




正門近くに建つ碑。

      20191002 小塩小学校09



概略ながら、塩子小学校の沿革と
碑の建立に寄付をされた方々の名前が連なっていました。

      20191002 小塩小学校10



こちらは、校歌の碑。

      20191002 小塩小学校11



敷地の一部はご老人たちの社交場であるゲートボール場として利用されたいたようです。

      20191002 小塩小学校12

でも実際は、どうなんでしょうか?
ゲートボール場と言ってもどれだけの方々が利用しているのでしょう?


こちらの建物は、塩子小学校時の給食センター。

      20191002 小塩小学校14

ここから、塩子小学校の子供たちの給食が作られたいたようです。
ひょっとしたら、統合した小勝小学校の子供達の給食も作られていたのでしょうか?


雑草の中に埋もれかけている遊具。

      20191002 小塩小学校15

廃校から29年。
この場所で遊ぶ子供たちも居なくなってしまったのでしょうか?




2019/11/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................七会西小学校 (2019年10月2日)(茨城県東茨城郡城里町) 

10月2日

この日は、茨城県の城里町に出かけました。

平成17年に常北町と七会村と桂村が合併して誕生したのが城里町です。
そんな城里町にも少子化の波は押し寄せ、
平成23年に多くの小学校が統合されました。
今回、その統合で廃校になった小学校を巡ってみました。

城里町の廃校巡り、その第2弾は.............城里町立七会西小学校。



七会西小学校は、

昭和24年     七会小学校徳蔵分教場、大網分教場、赤沢分教場を統合して、
          徳蔵分教場隣接地に七会村立徳蔵小学校を開校する。
平成2年      小塩小学校と小勝小学校が合併し七会村立東小学校が開校するのに合わせて
          七会村立七会村立西小学校と改称する。
平成4年      校地を隣接地に移転する。
平成17年      七会村が常北町、桂村と合併して城里町が誕生。
          城里町立七会西小学校と改称する。
平成23年      七会東小学校と統合して七会小学校が誕生。
          七会西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


隣接地には、前身である七会村立西小学校の敷地がある。
西小学校跡地から100mも歩けば、校門が見えてくる。

      20191002七会西小学校01



こちらが、正門。

      20191002七会西小学校02



石造りの門柱。

      20191002七会西小学校03


廃校からすでに7年。
表札も残っている。

      20191002七会西小学校04



平成4年に建立された門柱。

      20191002七会西小学校05

校舎移転時のモノですね。



こちらが、校舎。

      20191002七会西小学校06



ちょっと凝ったデザイン。

      20191002七会西小学校07


      20191002七会西小学校08



校舎全景。

      20191002七会西小学校09


      20191002七会西小学校10



玄関庇に掲げられた校章。

      20191002七会西小学校11



こちらは、体育館。

      20191002七会西小学校24



校庭。

      20191002七会西小学校12


      20191002七会西小学校13



校庭に残る遊具類。

      20191002七会西小学校14


      20191002七会西小学校15


      20191002七会西小学校16


      20191002七会西小学校17



朝礼台。

      20191002七会西小学校18

雑草と同化しようとしているのか?


校舎竣工記念碑。

      20191002七会西小学校19



校歌の碑。

      20191002七会西小学校20



校訓でしょうか?
『絆』の碑。

      20191002七会西小学校21



経緯度標も在りました。

      20191002七会西小学校22



少女のブロンズ像。

      20191002七会西小学校23

こちらの碑文が校訓でしょうか?



校庭に残るシンボルツリー。

      20191002七会西小学校25

この地には27年しか学校は存在しませんでしたが
この木はいつまでもこの地に残っていて欲しい...................




2019/11/06 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit