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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて..................永井小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は。土浦市に出かけました。

山ノ荘小学校をあとにして、向かった先は............旧・山ノ荘村立 永井小学校。


永井小学校は、

明治8年     永井小学校が開校。
昭和22年    学制改革により、山ノ荘村立永井小学校と改称する。
昭和27年    永井小学校、小野小学校が統合し、山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校する。
        永井小学校は廃校となる。


と、簡単ですがこのような沿革となっています。


沿革が簡単なだけ情報も乏しく、永井小学校の場所は当初は分かりませんでした。
この日お会いした日枝神社の宮司さんに、永井小学校の場所を教えていただき
『今はゲートボール場だけど、最近はだれも使っていない』と言うその場所を探しますが、
どうも間違えてしまったようで、改めて農作業していたおじさんに聞いて
やっと辿り着いた永井小学校跡。



廃校から既に67年。
校舎どころか門柱も残っていない。

おそらく、この辺りが校門だったのでしょう。

      20190921永井小学校01



遠くから見たら門柱に見えた碑。
学校跡碑かと期待したのですが.................

      20190921永井小学校02



どうやら、頌徳碑のようです。

      20190921永井小学校03



日枝神社の宮司さんのお話の通り、ゲートボール場になっている。

      20190921永井小学校05

でも、使われている気配はない。
雑草もかなり生い茂っている。



オリエンテーリングのポストもあるから
オリエンテーリングのコースにもなっていたようです。

      20190921永井小学校06


ゲートボール場だから、用具を納める小屋もある。

      20190921永井小学校07



ゲートボール場の反対側は草が茂り藪に近い。

      20190921永井小学校08


      20190921永井小学校10



いずれにしても、明治期に開校した学校で、
そのまま昭和20年代に廃校になった学校だから
敷地はそんなに広くはない。

      20190921永井小学校04


      20190921永井小学校09


      20190921永井小学校11


Google マップでは、『永井ゲートボール場』と表記されるから
いつの頃からかは知らないが、ゲートボール場として認知されているんだろう。


でも、ここが永井小学校だったなんて、
地元のそれなりの年代の人しか知らないだろう。

この場所もいつしか忘れ去られていくんだろうなぁ...................



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2019/11/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................山ノ荘小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、次なる廃校は............土浦市立山ノ荘小学校。



山ノ荘小学校は、

明治5年     学制が発布。沢辺小学校が開校。
明治8年     永井小学校が開校。
明治16年     小野小学校が開校。
明治41年     沢辺小学校が廃校。沢辺小学校の児童は小野小学校へ通学。
大正8年      沢辺の児童は、斗利出小学校へ通学、
昭和27年     永井小学校、小野小学校が統合し、山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校する。
昭和30年     町村合併により、新治村が成立。新治村立山ノ荘小学校となる。
平成18年     新治村が土浦市に合併し土浦市となる。
         土浦市立山ノ荘小学校とな改称する。
平成30年     児童数の減少により、市内の藤沢小学校・斗利出小学校・新治中学校と合併して
         「新治学園義務教育学校」が開校する。
         山ノ荘小学校は閉校となる。
         66年の歴史に幕を下ろす。閉校時の児童数は86人。

と、このような沿革となっています。





こちらが、山ノ荘小学校の正門。

      20190921山ノ荘小学校01


左右の門柱にはそれぞれ表札が残る。

      20190921山ノ荘小学校02


      20190921山ノ荘小学校03



こちらは、校舎側の校門。

      20190921山ノ荘小学校04

石造りの古い門柱ですが表札はない。
かつては、こちらが正門だったようですが
駐車場もあるから、近年は通用門として利用されていたんでしょう。



校舎全景。

      20190921山ノ荘小学校05



別アングルからの校舎。

      20190921山ノ荘小学校06


      20190921山ノ荘小学校08


      20190921山ノ荘小学校09



校舎正面玄関。

      20190921山ノ荘小学校10



その庇に掲げられた校章。

      20190921山ノ荘小学校11



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190921山ノ荘小学校12



鉄筋コンクリートの校舎の脇には木造の平屋建ての建物。

      20190921山ノ荘小学校13

以前は校舎として利用されていたんでしょう。
今は倉庫か何かに利用されていたようです。


その壁面。

      20190921山ノ荘小学校14


      20190921山ノ荘小学校15


      20190921山ノ荘小学校16




こちらは、体育館。

      20190921山ノ荘小学校07


      20190921山ノ荘小学校17



体育館の玄関前に二宮像。

      20190921山ノ荘小学校18

でも、びいすけ は、芝生にスリスリと転がっている。



気持ちよさそうに背中を芝生に擦りつけている。

      20190921山ノ荘小学校19



こちらが、二宮像。

      20190921山ノ荘小学校20


      20190921山ノ荘小学校21




校庭。

      20190921山ノ荘小学校22



校庭に残る遊具類。

      20190921山ノ荘小学校23


      20190921山ノ荘小学校24


      20190921山ノ荘小学校25



古くて危険防止のために撤去された遊具は、
校庭の隅にまとめて置かれている。

      20190921山ノ荘小学校26



トーテムポール。

      20190921山ノ荘小学校27



百葉箱。

      20190921山ノ荘小学校28



朝礼台。

      20190921山ノ荘小学校29


水飲み場。

      20190921山ノ荘小学校30



校庭隅には頌徳碑。

      20190921山ノ荘小学校31



古くて文字がよく読めない何かの記念碑。

      20190921山ノ荘小学校32



校訓の碑。

      20190921山ノ荘小学校33



その碑を取り囲むように並べられたレンガのブロック。

      20190921山ノ荘小学校34

昭和60年の卒業生の作品。




こちらも、卒業制作品。

      20190921山ノ荘小学校35


      20190921山ノ荘小学校36


      20190921山ノ荘小学校37





こちらは、閉校記念のパネル。

      20190921山ノ荘小学校38
      
在校生たちの、それぞれの思いが貼り出されています。



校庭の一角には、シンボルツリー。

      20190921山ノ荘小学校39

多くの子供たちがこの木を見ながら通ったんでしょう。


山ノ荘小学校は、沢辺小学校、小野小学校、永井小学校の流れを汲み
地域のその歴史を引き継いできたから、やっぱり廃校は残念ですね。



2019/11/03 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................小野小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、土浦市に出かけました。


この日訪れた小野に鎮座している日枝神社。
この日枝神社の境内にかつての小野小学校があったという事です。
      
      20190921小野小学校01



小野小学校は、

明治16年     日枝神社境内に小野小学校開校。
明治41年     沢辺小学校が廃校となり、その児童が小野小学校に通学する。
昭和22年     学制改革により、山ノ荘村立小野小学校と改称する。
昭和27年     永井小学校、小野小学校が統合し、新たに山ノ荘村立山ノ荘小学校が設立
          小野小学校は廃校となる。

と、このような沿革だったようです。



こんかい、日枝神社の宮司さんとお会いして
小野小学校の事をお訊きして、
校地だった場所を教えていただきました。


称号標近く、参道入口の右側。
丁度、社号標から県道を挟んだ更地の場所が
かつての小野小学校の校地でした。

      20190921小野小学校02



参道入口。

      20190921小野小学校03



参道右側。
ここがかつての小野小学校。
この場所に校門が有ったのだろうか?

      20190921小野小学校04



校地。

      20190921小野小学校05



昭和27年廃校だから、当然往時の校舎は解体済み。
現在は更地状態。

      20190921小野小学校07


      20190921小野小学校09



日枝神社の宮司さんの話では、
4月の流鏑馬祭りの際に、馬の待機所として使用しているけれど
普段は特に何にも利用していないそうです。

      20190921小野小学校08



廃校遺構(学校遺構)を探したけれど
流石に何もない。

      20190921小野小学校10



いっしゅん、朝礼台に見えたけれど.................

      20190921小野小学校11

危険防止で井戸を覆う枠と言うか蓋のようなものでした。



この木は、小野小学校がここに在った時から、
この場所にあったのだろうか?

      20190921小野小学校12



その木の根元から改めて校地を眺めます。

      20190921小野小学校13


廃校から既に60年以上の月日が流れている。
その内、ここが学校跡だったことも、忘れられちゃうんだろうなぁ。



2019/11/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪.....................土浦日枝神社 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、土浦市に出かけました。

沢辺分教場をあとにして、向かった先は.............土浦日枝神社。


土浦日枝神社は、土浦市小野に鎮座する神社です。

伝承によれば、第51代平城天皇の大同2年(807)、五穀豊穣の作神として、
近江国坂本村鎮座、日吉大社(比叡山鎮守)よりご神体を迎え創建されたと言われます。
東城寺建立(延暦15年)後、東城寺(東成寺)の鎮守となりました。
境内には、県の文化財に指定されている、中世の永正8年(1511年)奉納の石灯籠があります。
宝永5年(1708年)土浦領となり、正一位沢辺山山王権現の称号を贈られました。
明治6年に郷社日枝神社となりました。


御祭神は、大山咋神。


実は、日枝神社に参拝に訪れたのは、これで2回目。
( 前回の訪問記は こちら




こちらが社号標。

      20190921土浦日枝神社01



一の鳥居。

      20190921土浦日枝神社02


      20190921土浦日枝神社03



参道。

      20190921土浦日枝神社04



一の鳥居から社殿まで、参道の距離がある。
その長い参道を利用して、毎年4月に流鏑馬祭りが行われます。

      20190921土浦日枝神社05
     20190921土浦日枝神社06



参道は緑の宝庫。

      20190921土浦日枝神社07
      20190921土浦日枝神社08


二の鳥居が見えてきました。

      20190921土浦日枝神社09


日枝神社の説明板。

      20190921土浦日枝神社10



二の鳥居。

      20190921土浦日枝神社11


由緒書きの碑。

      20190921土浦日枝神社12


手水舎。

      20190921土浦日枝神社13


拝殿。

      20190921土浦日枝神社14



別アングルからの拝殿。

      20190921土浦日枝神社15


      20190921土浦日枝神社16



そして、こちらが本殿。

      20190921土浦日枝神社17



こちらは、神楽殿。

      20190921土浦日枝神社20



境内の流鏑馬の碑。

      20190921土浦日枝神社19



流鏑馬の説明板。

      20190921土浦日枝神社18



境内の板碑。

      20190921土浦日枝神社21



こちらが、永正8年(1511年)奉納の石灯籠。

      20190921土浦日枝神社22


社務所はありますが、普段は無人の神社。
流鏑馬祭りの時に御朱印をいただけるようですが
以前、問い合わせをしたら、祭礼時以外でも対応は可能という事で
拝殿前で宮司さんと待ち合わせ。
ご朱印をいただく事が出来ました。

こちらが、日枝神社の御朱印。

      20190921土浦日枝神社23





今回、日枝神社に来たのは、御朱印拝受の参拝目的ですが
それ以外にも目的がありました。

それは次の機会にでも............。






2019/11/02 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................山ノ荘小学校沢辺分教場 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきましたが、
旧・新治村時代にも廃校になった学校があります。
その廃校を訪れてみました。

訪れたのは...................旧・新治村立 山ノ荘小学校沢辺分教場。


沢辺分教場はの詳しい沿革は分かりませんが
明治5年に開校した沢辺小学校がその祖となるようです。
沢辺小学校は明治41年に廃校となりましたが
児童は小野小学校へと通いました。
その小野小学校も昭和27年に永井小学校と統合し
新たに山ノ荘村立山ノ荘小学校が開校します。
その分教場として沢辺分教場は設置されました。

昭和33年、本校の山ノ荘小学校に統合されて
沢辺分教場は廃校となりました。



沢辺 分教場の詳しい情報は、ほとんどありません。
従ってその場所もわksりませんでした。
いつものように、沢辺と言う字を頼りに
Googleマップの航空写真でそれらしき場所を探し
沢辺地区にある『沢辺生活改善センター』にあたりを付けて訪れます。

こちらが、沢辺生活改善センター。

      20190921沢辺分教場01

石造りの門がある。


それらしい、桜の木と国旗掲揚ポールもある。

      20190921沢辺分教場02

このじてんでは、ここが沢辺分教場跡だと確信し、
周辺の写真を撮りながら、学校遺構が無いか?
そんなことを考えていました。


そんな時に、1だいの軽トラックがやって来ました。
軽トラックに乗って来たおばちゃんに訊いてみると、
沢辺分教場はここでは無く、数百m離れた分教場跡を教えてくれました。


散歩を兼ねて、徒歩で5分ほど離れた分教場へと向かいます。



こちらが、沢辺分教場跡。

      20190921沢辺分教場03


先程のおばちゃんには、『ブランコが有るぐらいで、
他には何もないよ』と言われていましたが
確かに更地になっている。

      20190921沢辺分教場04


      20190921沢辺分教場05


わずかに残る遊具類。
でも廃校から60年に月日がたっているから
これらの遊具は廃校後に設置されたものでしょう。

      20190921沢辺分教場06


      20190921沢辺分教場07


      20190921沢辺分教場08


敷地の一角には小さなプレハブの建物。
地域の倉庫になっているようです。

      20190921沢辺分教場09



敷地内に学校遺構が無いか? 探してみましたがざんねんながら、
それらは見つかりませんでした。

分教場跡の隣は蕎麦畑。

      20190921沢辺分教場10

蕎麦の花が満開。
でも蕎麦の花ってこの時期にさくんだっけ?


その隣が芝生畑(?)

      20190921沢辺分教場11

そう言えば、茨城県のこの辺りは芝生の栽培が盛んな所。
隣接するつくば市にも芝生の畑(?)が多かった。
そんな事を思い出したりして、この場所をあとにしました。





2019/11/02 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................斗利出小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、その第2弾は...............土浦市立斗利出小学校。


斗利出小学校は、

明治8年     高岡学校が設立。
明治19年    高岡小学校と改称。
明治25年    斗利出小学校と改称。
昭和22年    学制改革により、斗利出村立斗利出小学校と改称。
昭和30年    藤沢村、斗利出村、山ノ荘村が合併して新治村が誕生。
        新治村立斗利出小学校と改称する。
平成18年    新治村が土浦市に編入され、土浦市となる。
        土浦市立斗利出小学校と改称する。
平成30年    児童数の減少に伴い、斗利出小学校・山ノ荘小学校・新治中学校と統合して
        「新治学園義務教育学校」となる。そして斗利出小学校は廃校となる。


と、このような沿革となっています。

こうして斗利出小学校は143年の歴史に幕を閉じました。
最終の児童数は58人だったそうです。



校門。

      20190921斗利出小学校01

門の幅からも、車は入って来れない。
児童の通学用に使われていた校門でしょう。
実質的な正門のようですね。


門柱というか、コンクリートの塀には、表札が残っています。

      20190921斗利出小学校02



こちらは、門扉の広い校門。

      20190921斗利出小学校03

奥に校舎の玄関が見えるから、こちらが正門でしょう。


門柱も古い石造り。

      20190921斗利出小学校04



こちらが、校舎正面玄関。

      20190921斗利出小学校05



玄関脇には、記念碑。

      20190921斗利出小学校33

      

玄関側(?)の校舎。

      20190921斗利出小学校06



こちらは、校庭側の校舎。

      20190921斗利出小学校07


  
ちょっとお洒落な校舎。

      20190921斗利出小学校08



私たちの子供の頃は鉄筋の校舎って、箱型だったから
ある意味、新鮮です。

      20190921斗利出小学校09


      20190921斗利出小学校10



別アングルからの校舎。

      20190921斗利出小学校11


      20190921斗利出小学校12



      20190921斗利出小学校17


      20190921斗利出小学校18


      20190921斗利出小学校24


      20190921斗利出小学校26





校舎の壁面には校章。

      20190921斗利出小学校13



校舎前の国旗掲揚ポール。

      20190921斗利出小学校14


こちらは、体育館。

      20190921斗利出小学校15


校庭。

      20190921斗利出小学校16



校庭に残る遊具類。

      20190921斗利出小学校19


      20190921斗利出小学校20


      20190921斗利出小学校21


      20190921斗利出小学校22


      20190921斗利出小学校23



      20190921斗利出小学校25




校庭奥にも小さな校門。

      20190921斗利出小学校27


百葉箱。

      20190921斗利出小学校28



朝礼台。

      20190921斗利出小学校29



校舎前の花壇奥で発見!

      20190921斗利出小学校30

二宮像と創立百周年記念碑。



二宮像のアップです。

      20190921斗利出小学校31



校歌の碑。

      20190921斗利出小学校32



方位計。

      20190921斗利出小学校34



こちらは、廃校の記念のモニュメント。

      20190921斗利出小学校35

校歌が刻まれています。


廃校のお約束?

      20190921斗利出小学校36

ここにも、防災倉庫が設置されています。


平成30年に廃校になった斗利出小学校。
校舎がオリジナリティー溢れる小学校でした。




2019/11/01 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................藤沢小学校 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました

土浦市は平成18年に旧新治村を編入しましたが
平成30年春に、旧・新治t村域の3小学校が統合され
廃校となってしまいました。

今回、その廃校を巡ってきました。

土浦市の廃校ツアー、その第1弾は...............土浦市立藤沢小学校。


藤沢小学校は、

明治8年     藤沢村に藤沢小学校が創設される。
         上坂田村に坂田小学校が創設される。
明治10年    藤沢小学校が藤沢村神宮寺に移転する。
明治19年    2校を合併し上坂田尋常小学校となり、上坂田村成就寺に移転する。
明治23年    藤沢村、大畠村、上坂田村、下坂田村、虫掛村が合併し、藤沢村となる。
        藤沢尋常小学校と改称する。
明治26年    藤沢尋常小学校と下坂田尋常小学校に分離し、
        藤沢尋常小学校は藤沢村神宮寺に移転する。
明治30年    下坂田尋常小学校より虫掛尋常小学校が分離する。
明治33年    藤沢尋常高等小学校と改称する。
昭和14年    下坂田尋常高等小学校が藤沢尋常高等小学校に統合される。
昭和22年    学制改革により、藤沢村立藤沢小学校と改称する。
昭和30年    藤沢村、斗利出村、山ノ荘村が合併して新治村が誕生。
        新治村立藤沢小学校と改称する。
平成18年    新治村が土浦市に編入され、土浦市となる。
        土浦市立藤沢小学校と改称する。
平成30年    児童数の減少に伴い、斗利出小学校・山ノ荘小学校・新治中学校と統合して
        「新治学園義務教育学校」が開校する。そして藤沢小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、藤沢小学校の正門。

      20190921藤沢小学校01


門柱。

      0190921藤沢小学校02



この門柱は昭和53年に建立されたモノですね。

      0190921藤沢小学校03



正門をくぐり、敷地内に入ります。


校舎。

      0190921藤沢小学校04


別アングルからの校舎。

      0190921藤沢小学校05


      0190921藤沢小学校06


      0190921藤沢小学校07


      0190921藤沢小学校08


      0190921藤沢小学校09


      0190921藤沢小学校10




校舎正面玄関。

      0190921藤沢小学校11



その玄関の庇。

      0190921藤沢小学校12


一際目立つ、校章。

      0190921藤沢小学校13



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      0190921藤沢小学校14



こちらは、体育館。

      0190921藤沢小学校15



校庭。

      0190921藤沢小学校16



校庭に残る遊具類。

      0190921藤沢小学校17


      0190921藤沢小学校18



百葉箱。

      0190921藤沢小学校19



朝礼台。

      0190921藤沢小学校20



経緯度柱。

      0190921藤沢小学校21



久しぶりに見る廃校記念碑。

      0190921藤沢小学校22

最近は茨城県下の廃校巡りが多いけれど
なぜか、茨城県の廃校では廃校記念碑を見かける機会が少ない。



その隣には、校歌の碑。

      0190921藤沢小学校23



草に隠れて見逃しそうな創立百周年の記念碑。

      0190921藤沢小学校24



こちらは、卒業製作のモノでしょうか?

      0190921藤沢小学校25

タイルに子供たちの名前が刻まれています。



こちらも、卒業製作らしきオブジェ。

      0190921藤沢小学校26


      0190921藤沢小学校27



廃校のお約束?
校庭の片隅には防災倉庫。

      0190921藤沢小学校28



でも、やっぱり画になるのは桜の木。
校庭の片隅の桜の木。

      0190921藤沢小学校29

これこそ、藤沢小学校の証し。
まさに、こういうのを『シンボルツリー』って言うんですね。






2019/11/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.......................常名神社 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

青麻神社をあとにして、向かった先は.................常名神社。


常名神社は、土浦市常名町に鎮座する神社です。

創立年代は不詳です
大正2年に敷地内に鎮座していた東天神社、西天神社、八幡神社を合祀したそうです。
常名神社鎮座地一帯は、常名天神山古墳として土浦市指定文化財に指定されているそうです。


御祭神は、菅原道真公、誉田別命。



社号標。

      20190921常名神社01



神社社頭。

      20190921常名神社02

草が茫々。
お世辞にもきちんと管理されているとはいえないようです。




鳥居。

      20190921常名神社03



参道。

      20190921常名神社04

倒れた竹が行く手を阻みます。
青々とした竹ではなく、かなり変色しているということは
かなりの期間、ほったらかし状態?



急な石段を登ります。

      20190921常名神社05



城址っぽい雰囲気満載。

      20190921常名神社06

実は、この近くに常名城もあったそうです。
もっとも、この神社のような高台ではなく
国道6号線の高架バイパスの下、今の田園地帯に常名城はあったらしい。




      20190921常名神社07



手水鉢。

      20190921常名神社08



社殿が見えてきました。

      20190921常名神社09



拝殿正面。

      20190921常名神社10



別アングルからの拝殿。

      20190921常名神社11


      20190921常名神社12



こちらが、本殿。

      20190921常名神社13



拝殿から一段下がった削平地。
城郭の郭のようにも見える。

      20190921常名神社16



その奥の土壇に社が見えます。

      20190921常名神社17




こちらが、その境内社。

      20190921常名神社14



同じく境内社の八幡神社。

      20190921常名神社15




実は、この土壇が『常名天神山古墳』。
土浦市教育委員会の設置した標柱が光ります。

      20190921常名神社18


その脇には説明板。

      20190921常名神社19



古墳は前方後円墳。

      20190921常名神社20

前方部頂部には碑と宝筐印塔が建ち、後円部には常名神社が建つ。



その碑と宝筐印塔。

      20190921常名神社21


社務所もなく無人の神社ですが、以前問い合わせをしたら
御朱印をいただけるそうです。



こちらが、その御朱印。

      20190921常名神社22

神社から1kmほど離れた宮司さんの自宅にて拝受いたしました。
宮司さんは、問い合わせがあってから一向に来ないので
どうしちゃったのか?と心配していたそうです。
却って気遣いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。

御朱印、ありがとうございました。





2019/10/31 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.......................青麻神社 (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

先日、ネットを見ていて



青麻神社は、土浦市木田余に鎮座する神社です。

創建時期は不明ですが、宮城県仙台市にある青麻神社を総本社としており、
全国各地に点在する青麻神社の一社のようです。

御祭神は、天之御中主神・天照大御神・月読神。



社号標。

      20190921青麻神社01


神社社頭。

      20190921青麻神社02



参道。

      20190921青麻神社03


神門。

      20190921青麻神社04


門内に貼られた由緒書き。

      20190921青麻神社05

字が細かくて、老眼の身には辛い。
はっきり言って読めません(笑)。




門に貼られた案内。
色々、ご祈祷していただけるようです。

      20190921青麻神社06


      20190921青麻神社07


手水舎。

      20190921青麻神社08


こちらは、拝殿。

      20190921青麻神社09


拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190921青麻神社10



別アングルからの拝殿。

      20190921青麻神社11


      20190921青麻神社12


そして、こちらが拝殿。

      20190921青麻神社13



境内社。

      20190921青麻神社14


参道の板碑。

      20190921青麻神社15


      20190921青麻神社16


      20190921青麻神社18



こちらが社務所になるようです。

      20190921青麻神社17

宮司さんの自宅が社務所を兼ねているようです。
御朱印は、こちらで拝受となります。



いただいた御朱印がこちら。

      20190921青麻神社19

後で気が付いたんだけど、
この日は、9月21日。

宮司さん、日付けが違うんですけど.........
しかし、もうあとの祭り。

これも愛嬌の一つだと思うことにいたしましょう。






2019/10/30 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

再訪  真延寺  《 常陸七福神 七福神 》  (2019年9月21日)(茨城県土浦市) 

9月21日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

寺院巡りは、そんなに好きではありませんが
七福神絡みとなると、話は別格。

以前訪れた土浦市の真延寺。
こちらは、常陸七福神の七福神との事でした。

『常陸七福神の七福神』.........?

要するに、恵比寿とか大黒天が単体で祀られているのではなくて
七福神そのものを祀っているようです。
そもそも、常陸七福神は七福神全てが点在して成り立っているんだから
わざわざ常陸七福神に組む込まなくても良いんじゃない? なんて思うんだけど、
そこは大人の事情があるんでしょう。


真延寺 山門。

      20190921真延寺七福神01



こちらの門柱は寺号標を兼ねている。

      20190921真延寺七福神02


反対側には、常陸七福神。

      20190921真延寺七福神03



石段を上がります。

      20190921真延寺七福神04


手水舎(手水鉢)。

      20190921真延寺七福神06


本堂。

      20190921真延寺七福神05


      20190921真延寺七福神07


前回は気付かなかったのか?
はたまた、今回は特別?

本堂前に書き置きの御朱印が置かれています。

      20190921真延寺七福神08

お代は(寺院の場合も初穂料と言うんだろうか?)賽銭箱へ。


本堂は閉まっているけど、お詣りは済ませ
境内の七福神の碑にもご挨拶。

      20190921真延寺七福神09


      20190921真延寺七福神10



こちらが、真延寺の常陸七福神の御朱印。


七福神。

      20190921真延寺七福神11


恵比寿。

      20190921真延寺七福神12


布袋尊。

      20190921真延寺七福神13


大黒天。

      20190921真延寺七福神14


弁財天。

      20190921真延寺七福神15


毘沙門。

      20190921真延寺七福神16


寿老人。

      20190921真延寺七福神17


福禄寿。

      20190921真延寺七福神18


常陸七福神。
個別の七福神はあと3つほど残っている。
全て巡りきるまで頑張りましょう。



2019/10/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.....................土浦大師不動尊 大聖寺 (2018年12月20日)(茨城県土浦市) 

12月20日

この日は、かすみがうら市から土浦市へと移動。

真延寺をあとにして、向かった先は..................土浦大師不動尊 大聖寺。


大聖寺は、正式には『 羽黒山今泉院大聖寺 』と称し、
一条天皇の御代の長徳元年(995年)に醍醐寺成尊僧都により
「今泉寺」として現在地より東約500m先の
永国の中央である亀井墓地近辺に開山されたのが縁起だとされています。

その後、応安七年(1374年)小田城に拠ったこの地の豪族である小田氏当主・小田孝朝が
「小田城四方護寺」(常陸四箇寺・小田四箇寺とも云う)を設けたのを機に大聖寺と改め、
寺地も田中荘平塚(現在のつくば市西平塚)に移したとされています。
「小田城四方護寺」は小田城を主軸として扇の如く神郡の普門寺、
平塚の大聖寺、岩田の法泉寺、加茂の南円寺と配しており
文字通り、小田城の出城の役割を果たしていました。

当時の平塚大聖寺は小田家と共にありましたが、
天正18年(1590年)に小田家が滅亡する以前の大永6年(1526年)には、
常陸国長国今泉寺大聖院として、現在の所在地、永国に戻っていたことが
京都・東寺所蔵の「亮恵僧正門弟名帳」に記されているそうです。
現在の羽黒山今泉院大聖寺と改名されたのは、
この再移転した大永6年から天正4年(1576年)までの間のことであるとされています。


県道沿いに建つ寺号標。

      20181220大聖寺01



山門。

      20181220大聖寺02



この山門と言うのが少し厄介。
基本的には、寺院の門の事を山門と言います。
と言うのも、寺院は本来山に建てられ山号を付けて呼んだ名残りで、
その門が平地にあっても山門と呼びました。


しかしながら、いわゆる四脚の門の事を山門と表現することもあるので
本当にややこしい。

こちらの門柱には『羽黒山 大聖寺』。

      20181220大聖寺03



こちらには『土浦大師』と刻まれています。

      20181220大聖寺04


残寝ながら、けいだいにペットの連れ込み禁止。

      20181220大聖寺29

びいすけ には、車の中でお留守番してもらいましょう。



では、参道を進みましょう。



大聖寺の境内には、『四国八十八箇所ミニ霊場』と称し、
四国霊場の1/1000相当のミニ霊場が設置されているから
こう言った石仏が多く設置されています。

      20181220大聖寺05

さすがに、霊場巡りまでは興味ないから、スルーします。


こちらが、世間でよく言う 山門。

      20181220大聖寺06



掲げられた扁額には山号『羽黒山』。

      20181220大聖寺07



さらに参道を進めば、こちらも山門。俗に言う『四脚門』。

      20181220大聖寺08


掲げられた扁額。

      20181220大聖寺09

こちらには寺号が刻まれています。




手水舎。

      20181220大聖寺10



吐水口。

      20181220大聖寺17

この形は玄武のようです。



常香炉

     20181220大聖寺11



そして、本殿『大聖殿』。

     20181220大聖寺12



本殿に掲げられた扁額。

      20181220大聖寺13



本殿前に置かれた鶴の彫り物。

      20181220大聖寺14

そこには、こんな言葉が添えられています。

『 野鳥は環境を図るものさし。
人が住めない所に野鳥は棲めても
野鳥が棲めない所に人は住めません 』


こちらの大聖寺は、(財)日本野鳥の会 (財)山階鳥類研究所の法人会員として
その活動を応援しているそうで、本堂からその主張を感じ取ることができます。

本堂の野鳥の彫刻。

      20181220大聖寺15


      20181220大聖寺16



境内には、なぜか象の像。

      20181220大聖寺18




こちらは、護摩堂。

      20181220大聖寺19


      20181220大聖寺20



こちらは、鐘楼。

      20181220大聖寺21



こちらは、大杉殿。

      20181220大聖寺22



稲敷市の大杉神社の大杉大明神を分祠したものだそうです。

      20181220大聖寺23



こちらが寺務所。

      20181220大聖寺24

御朱印はこちらで拝受できます。


寺務所前には、フクロウの像。

      20181220大聖寺26

過去、大聖寺の森では、毎年2・3羽のフクロウの雛が巣立ちしたそうです。
1991年頃より大聖寺裏で住宅地造成工事が開始され、
餌場になっていた畑や森が切り開かれてしまい、
餌不足に陥ったと思われる雛1羽が、1992年7月7日に鐘楼堂脇で餓死していました。
野鳥の棲める環境を失われつつ現況を憂い、警鐘を投げかけています。




こちらは、客殿。

      20181220大聖寺25



携帯の池には弁財天も祀られています。

      20181220大聖寺28





こちらが、平和観音像。

      20181220大聖寺30

世界平和を祈念して羽黒権現の本地仏です。


そして、平和観音像の台座の下に安置されている鎮守羽黒権現。

      20181220大聖寺31


      20181220大聖寺32



何故か、参道に飾られている赤い丸ポスト。

      20181220大聖寺33

残念ながら、現役のポストではなく、あくまでも飾りのポストになります。
小学校の教育教材ならまだしも、なぜお寺の境内に丸ポストが飾られているのか?
不思議です....................?




こちらが、大聖寺の御朱印。

大聖寺の御朱印は4種類有り、ネットで見かけて興味が湧き、
参拝に訪れたと言うのが本音です。
基本は神社派ですが、今回は特別。

まぁ、これらの御朱印が欲しくて、大聖寺に来たのも事実ですからね。
奮発して4種の御朱印をいただきました。


お不動様

      20181220大聖寺38

御本尊である「羽黒不動尊」の御朱印です。




龍神様 

      20181220大聖寺37

江戸期享保年間の頃、当時の住職だった霊天和尚が
雨乞い祈祷をした際に龍が現れて、
雨を降らせたという伝承に基づく御朱印です


羽黒権現様

      20181220大聖寺36

羽黒山の興りとなった鎮守様です


お地蔵様

      20181220大聖寺35

本堂右脇本尊であり、境内にもたくさんいらっしゃる地蔵菩薩をモチーフにした御朱印です



そして、こちらが挟み紙。

      20181220大聖寺34

本尊、大聖不動明王のイラストです。
無理を言って、挟み紙にも日付を入れてもらいました。




2019/02/11 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

常陸七福神 真延寺 《 七福神 》 (2018年12月11日)(茨城県潮来市) 

12月20日

かすみがうら市へ出かけたこの日、帰り道に土浦市に立ち寄ります。
土浦八坂神社をあとにして、向かった先は.............真延寺。



茨城県には広範囲に渡って巡る『常陸七福神』なるものが在ります。


その構成は、

大黒天   笠間稲荷神社    笠間市
恵比寿   筑波山神社     つくば市
弁財天   逢善寺       稲敷市
毘沙門天  西光院       石岡市
布袋尊   月山寺       桜川市
寿老人   西蓮寺       行方市
福禄寿   長勝寺       潮来市

となっていますが、なぜかそれらに付け加えて

七福神   真延寺       土浦市

とあります。
既に七福神は揃っているのに、どう言う事?

素朴な疑問は湧きますが、これも大人の事情でしょう。
常陸七福神を制覇するには、避けてはいられません。

さて、その真延寺ですが、正式名称は 億『萬山七福尊 真延寺』。

寺院の中では珍しい無宗派の寺院です。
七体の七福尊があり、そのうちの布袋尊像は永正元年(1504)のものだということです。
また御本尊は金無垢の七福神像で、毎年11月23日に例大祭が開かれ、
その際に御本尊が開帳されるということです。


いわゆる、1寺で七福神全てお詣り出来るっていうやつですね。


こちらが山門。

      20181220真延寺01



山門前の参道の塀には由緒書き。

      20181220真延寺02


   
こんな看板も並んでいます。

      20181220真延寺03


山門の先、石段を上がれば、境内。
大きな石灯篭がお出迎え。

      20181220真延寺04


本殿も見えます。

      20181220真延寺05



本殿手前には手水舎。

      20181220真延寺09



こちらが本殿。

      20181220真延寺06


本殿正面に掲げられた扁額。
そこには山号が刻まれています。

      20181220真延寺07



本殿内部。

      20181220真延寺08

7体の七福神像が鎮座しているようです。




本殿前の天水桶。

      20181220真延寺10



境内の七福神像。

      20181220真延寺11



びいすけ と一緒の七福神巡りは、本尊や秘仏の像よりは
境内にこうやって七福神の像がある方が良い。
その方が、お互いに七福神巡りを楽します。

      20181220真延寺12


顕彰碑。

      20181220真延寺13


句碑。

      20181220真延寺14


今まで、七福神巡りをしても、御朱印には拘っていなかったけれど
せっかく御朱印を集めだしたんだから
この『常陸七福神』巡りから、御朱印にも拘っています。


寺務所はあるのですが、無人。
住職さんの住居が隣接しているわけでは無さそうだから
普段は無人でしょうか?
境内にある看板の連絡先に電話をしても、誰も出ないようです。


残念ですが、こういうこともあるでしょう。

また近くに来た時の楽しみに取っておきましょう。




2019/02/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り................土浦八坂神社 (2018年12月20日)(茨城県かすみがうら市) 

12月20日 土浦八坂神社


この日は、かすみがうら市に出かけました。
その帰り道、土浦市にも立ち寄りました。

以前、御朱印巡りで訪問した 土浦八坂神社。
その時は、宮司さんが不在で御朱印は拝受できませんでした。
( その時の記事は こちら )

今回は、リベンジ。
とは言え、これも縁。
宮司さんが不在であれば、仕方がない事ですが.....................


こちらが、社号標。

      20181220土浦八坂神社01


鳥居。

      20181220土浦八坂神社02


参道。

      20181220土浦八坂神社03



こちらの八坂神社は参道の木が見事。

      20181220土浦八坂神社04
      20181220土浦八坂神社05
      20181220土浦八坂神社06

その木の間を抜けた先が社殿となります。



こちらが拝殿。

      20181220土浦八坂神社07


拝殿正面。

向拝

      20181220土浦八坂神社08



びいすけ も、しっかりと参拝します。

      20181220土浦八坂神社09



12月も20日となれば、そろそろ越年準備。
この日も氏子さんたちなのか?
はたまた専門業社なのか?
5〜6人が境内の掃除、社殿の屋根の枯葉落としをしていて、
境内は整備されました。

     20181220土浦八坂神社11
       20181220土浦八坂神社12

新年に向けての準備は進んでいるようです。



こちらが社務所。

      20181220土浦八坂神社10

中を覗くと、お札等が用意されていました。
こちらも準備が進んでいるようです。


そして、こちらが御朱印。

      20181220土浦八坂神社13


今回は、宮司さんもいらっしゃって
無事、拝受することができました。






2019/02/10 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り................天禄稲荷神社 (2018年12月20日)(茨城県土浦市) 

12月20日

この日は、かすみがうら市に出かけました。

かすみがうら市でもポツンと離れた旧出島村域の
坂地区の鹿島神社に参拝したあとは、旧千代田村域へと移動しますが、
その前に土浦市の外れに向かいます。

向かった先は........................天禄稲荷神社。


以前、訪れたことがあるのですが
その時は、宮司さんが不在で、
御朱印を拝受することが出来ませんでした。
( その時の記事は こちら


すぐ近くまで(かすみがうら市)まで来ているんだから
ここは、やっぱりリベンジでしょ?

という事で、こちらが社頭。

      20181220天禄稲荷神社01


社殿前にて。

      0181220天禄稲荷神社02



拝殿。

      0181220天禄稲荷神社03



びいすけ も、しっかりと参拝します。

      0181220天禄稲荷神社04



そして、授与所へと向かいます。

      0181220天禄稲荷神社05



こちらが、天禄稲荷神社の御朱印。

      0181220天禄稲荷神社06


これで、リベンジ完了です。





2019/02/05 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

天禄稲荷神社  (2018年11月19日)(茨城県土浦市) 

11月19日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

土浦八坂神社をあとにして、向かった先は................天禄稲荷神社。


天禄稲荷神社は、土浦市神立中央に鎮座する神社です。


明治27年、常磐線神立駅開設に際して、当時の駅長である川村鷹一氏が
当地の高野治平氏に図り、京都伏見稲荷神社の御分霊を迎えて
神域に鎮斎したものだそうです。


御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。



こじんまりとした敷地に鎮座する天禄稲荷。
こちらが、社号標。

      20181119天禄稲荷神社01



社頭の鳥居。

      20181119天禄稲荷神社02



拝殿。

      20181119天禄稲荷神社03



拝殿正面。

      20181119天禄稲荷神社04


      20181119天禄稲荷神社05


拝殿正面の扁額。

      20181119天禄稲荷神社06



別アングルからの拝殿。

      20181119天禄稲荷神社07


      20181119天禄稲荷神社08



そして、こちらが本殿。

      20181119天禄稲荷神社09



境内社の八坂神社。

      20181119天禄稲荷神社10



こちらも境内社。

      20181119天禄稲荷神社11


こちらは社務所。

      20181119天禄稲荷神社12

この日は、無人でした。


境内の授与所。

      20181119天禄稲荷神社13

こちらも、やはり無人。



改めて無人の境内の拝殿前で記念写真。

      20181119天禄稲荷神社14

あとで気付いたのですが、
手水舎と狛犬の写真を撮り忘れてしまいました。

ちょうど、ネットで調べた連絡先に電話をしていたんだけど
宮司さんとは、その時は連絡が取れませんでした。
後ほど不在通知を確認したのか? 携帯電話に連絡げありましたが
この日は、遠出の不在で御朱印は次の機会となりました。

2連チャンで宮司さんが不在で御朱印の空振り。
まあ、これも神様との縁ですからねぇ。
仕方がない事でしょう。



2019/01/11 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

土浦八坂神社  (2018年11月19日)(茨城県土浦市) 

11月19日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

琴平神社をあとにして、向かった先は...............土浦八坂神社。


土浦八坂神社は、土浦市真鍋に鎮座する神社です。


江戸時代は牛頭天王社と呼ばれていて、
古くから「天王さま」として住民に親しまれてきた神社です。

江戸時代、土浦城の鎮守として、土浦藩藩主である土屋氏の篤い崇敬を受けました。
例祭では土浦城中に神輿を繰り込み、神事を行なっていたそうです。
拝殿の屋根にある「三つ石」の家紋は土屋氏のものだそうです。



御祭神は、素戔嗚命(牛頭天王)。



こちらが、社号標。

      20181119土浦八坂神社01


反対側には、境内社の社号標も建っている。

      20181119土浦八坂神社02



社頭の参道口。

      20181119土浦八坂神社03


鳥居。

      20181119土浦八坂神社04


鳥居に掲げられた神額。

      20181119土浦八坂神社05



参道。

      20181119土浦八坂神社06
      20181119土浦八坂神社07
      20181119土浦八坂神社08

参道脇の木々もいい感じで色付いている。



社殿も見えてきました。

      20181119土浦八坂神社09


手水舎。

      20181119土浦八坂神社10



拝殿。

      20181119土浦八坂神社11



狛犬。

      20181119土浦八坂神社12


      20181119土浦八坂神社13



拝殿正面。

      20181119土浦八坂神社14



向拝の彫刻。

      20181119土浦八坂神社15


      20181119土浦八坂神社16



拝殿正面の扁額。

       20181119土浦八坂神社17



拝殿内部。

       20181119土浦八坂神社18



別アングルからの拝殿。

       20181119土浦八坂神社19


       20181119土浦八坂神社20



そして、こちらが本殿。

      20181119土浦八坂神社21



拝殿前の天水桶。

      20181119土浦八坂神社22



境内社・招魂社。

      20181119土浦八坂神社23



境内社・稲荷社。

      20181119土浦八坂神社25


境内に建つ記念碑。

      20181119土浦八坂神社26



神輿庫。

      20181119土浦八坂神社27


御神木。

      20181119土浦八坂神社28
      20181119土浦八坂神社29
      20181119土浦八坂神社30


土浦八坂は、御朱印が拝受出来る神社で
普段は社務所に宮司さんが居られるようですが、
この日は運悪く所用で外出中の貼り紙が貼られていました。

う〜む、残念。
こんな日もあるでしょう。




2019/01/11 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

土浦琴平神社   (2018年11月19日)(茨城県土浦市) 

11月19日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。

土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)のある土浦市中央1丁目。
こちらに琴平神社が鎮座しています。

明和2年(1765年)、四国の金比羅宮より分霊勧請され、
安永4年(1775年)、土浦城下中城町不動院境内に社殿を建立されました。
大正2年(1869年)、町内の秋葉・稲荷五社を合祀し、
昭和10年(1935年)、社務所が建設されました。

この神社は、江戸時代後期に土浦で活躍した町人・沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん)が、
寺子屋を開き、周辺の庶民教育の場としたところです。
墨僊は多芸多才で天文学・地理学・物理学・土木技術に通じ、
書画や文芸にもすぐれ、人柄を慕って寺子屋は県南地方最大の寺子屋となったそうです。
土浦市の教育の発祥の地とも言えるのではないでしょうか?

参道には、墨僊の七回忌に門弟たちによって建てられた退筆塚の碑があります。

御祭神は、大物主命。



こちらが、参道の鳥居。

      20181119土浦琴平神社01



天保11年(1840年)の建造とされる手水鉢。

      20181119土浦琴平神社02



鳥居奥の狛犬。

      20181119土浦琴平神社03


      20181119土浦琴平神社04



拝殿。

      20181119土浦琴平神社05


拝殿正面の扁額。

      20181119土浦琴平神社06


その脇には、天狗の絵馬。

      20181119土浦琴平神社07



さらには、別な扁額。

      20181119土浦琴平神社08


別アングルからの拝殿。

      20181119土浦琴平神社09



拝殿の屋根には、跳び狛犬。

      20181119土浦琴平神社10


      20181119土浦琴平神社11



こちらが、本殿。

      20181119土浦琴平神社12



参道の板碑。

      20181119土浦琴平神社13


こちらは、退筆塚。

      20181119土浦琴平神社14



そして、こちらが琴平神社の社務所。

      20181119土浦琴平神社15

社務所なのに、土日は土浦マルシェと言う売店として活用されている。
どうやら、普段から無人の神社のようです。

御朱印は期待出来そうもありませんね。






2019/01/10 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう   《 水戸街道 土浦宿 》  (2018年11月19日)(茨城県土浦市)  

11月19日     

霞ヶ浦導水路のダムカードとマンホールカードを手に入れるために訪れた土浦市。
この土浦市は、室町時代に築かれた土浦城に端を発する城下町でありますが
水戸街道の土浦宿としても発展した宿場町でもあります。

水戸街道は、江戸時代に定められた日本の幹線道路で
江戸側の千住宿と水戸藩の城下町である水戸を繋ぎ、
二十の宿場町がありました。


土浦宿は、千住宿から11番目の宿場町となります。
(江戸からは12番目の宿場町)

中央1丁目にある土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)の近くには
こんな説明板も建てられています。

      20181119土浦宿01



中央1丁目にある土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)の前の通りは、
往時の面影は、かなり薄れてはいるものの、土浦宿の面影を僅かに残している。

      20181119土浦宿02


      20181119土浦宿03



土浦市としても、この地区を観光資源として
クローズアップさせている努力は感じられる。

      20181119土浦宿04



こんな案内板も建てられている。

      20181119土浦宿05



僅かではあるが、古い民家も残っている。

      20181119土浦宿06



こちらは、古民家の一つ、『矢口家住宅』。

      20181119土浦宿07

水戸街道に面した土蔵造で、店蔵・袖蔵・元蔵と称する3蔵より構成されています。


その説明板。

      20181119土浦宿08



現在も矢口酒店として営業をしている貴重な古民家。

      20181119土浦宿09



こちらは、薬局。

      20181119土浦宿10

こちらも歴史を感じさせる民家です。



商店も代変わりして、廃業して普通の住宅に建て替えらりする中で、
こう言った古い商家が残っているのは貴重です。

      20181119土浦宿11


      20181119土浦宿12


宿場町を歩くと言うことは、こう言った古い商家との出会いでもあるから
楽しいんだよねぇ。


2019/01/10 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう! (2018年11月19日)(茨城県土浦市) 

11月19日

この日は茨城県の土浦市にでかけました。


個人的に収集しているマンホールカード。
このカードも発行している自治体に行かなければ、
手に入れることの出来ないカード。

茨城県の土浦市は平成30年4月28日よりマンホールカードの配布を始めました。
ちょこちょこ、土浦市は真壁町や石岡市に出かける際の通過点でしたが
今回、このマンホールカードも土浦市に来た目的の一つ。


過去、マンホールカードは、市役所や町村役場の下水道課で
配布されるというパターンが多かったのですが、
それだと、平日しか入手できないため、昨今では休日でも営業している
観光案内センターのような施設で配布されることが増えて来ました。

土浦市もそのパターン。
中央1丁目にある土浦市観光協会(まちかど蔵 大徳)が配布場所。

      20181119土浦マンホールカード01


簡単なアンケートに記入して、マンホールカード、ゲットです。

      20181119土浦マンホールカード02



で、肝心のカードのモデルになったカラーマンホール蓋はと言えば...............

観光協会(まちかど蔵 大徳)のすぐ前の道路に設置されていました。

      20181119土浦マンホールカード03



こちらが、そのカラーマンホール蓋。

      20181119土浦マンホールカード04


あたりまえですが、カードと同じデザインです。

      20181119土浦マンホールカード05



びいすけ と カラーマンホール。

      20181119土浦マンホールカード06



そして、カードとマンホールと びいすけ 。

      20181119土浦マンホールカード07



こちrsが、土浦市のマンホールカード。

      20181119土浦マンホールカード08


      20181119土浦マンホールカード09


このデザインは、常陸野のシンボルとして土浦市の西に望む名峰筑波山と、
日本第2位の広さを誇る霞ケ浦に浮かぶ帆曳船がデザインされ、
水と緑豊かな土浦市を抽象的に表現しているそうです。


2019/01/09 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう! .............霞ヶ浦導水路 (2018年11月19日)(茨城県土浦市) 

11月19日

この日は、茨城県の土浦市に出かけました。


茨城県が誇る湖といえば霞ヶ浦。
その霞ヶ浦でダムカードが発行されています。

いままで、2種類のダムカードが発行されていましたが
( 霞ヶ浦 西浦 のダムカードは こちら 北浦 のダムカードは こちら )
いつのまにか、3枚目とも言える霞ヶ浦導水路のカードが発行されて
配布されているようです。

いやぁ、知らなかったなぁ。


そもそも霞ヶ浦導水路とは、
那珂川下流域と霞ヶ浦を結ぶ那珂導水路(水戸市渡里地先~土浦市湖北町地先、延長約43km)、
利根川下流域と霞ヶ浦を結ぶ利根導水路(稲敷市結佐地先~稲敷市上須田地先、延長約2.6km)
の2本の導水路をさし、これらを整備して、那珂導水路からは那珂川から霞ヶ浦、霞ヶ浦から那珂川、
利根導水路では利根川から霞ヶ浦、霞ヶ浦から利根川の双方向の導送水を行います
それにより、水資源の安定的かつ広域的な供給等に重要な役割を果たし、
霞ヶ浦や水戸市を流れる桜川等の水質汚濁、那珂川や利根川における渇水の発生など
諸問題の解決を図ると共に、流域の産業・経済の発展に寄与していくことが目的となっています。


その役割を担うのが、霞ヶ浦導水工事管理事務所。

      20181119霞ケ浦導水路01

こちらで、霞ヶ浦導水路のダムカードが配布されています。


配布場所。

      20181119霞ケ浦導水路02

ちょうど、お昼休みの時間でしたが、快く対応してくれました。


ダムカード、ゲットです。

      20181119霞ケ浦導水路03



さて、この霞ヶ浦導水路。
実は地中深くに設置されています。

長さ約43kmを誇る那珂導水路は、深さ約20~50mの地中に設けられ、
長さ約2.6kmの利根導水路は、深さ約20~30mの地中に設けられています。
という事は、基本的に導水路そのものは、見る事ができません。

ならば、霞ヶ浦を見ておきましょう。
こちらの事務所近くの霞ヶ浦のスポットと言えば...............................
  
霞ヶ浦総合公園。

      20181119霞ケ浦導水路04


      20181119霞ケ浦導水路05


      20181119霞ケ浦導水路06


      20181119霞ケ浦導水路07


      20181119霞ケ浦導水路08



こちらが、霞ヶ浦導水路のダムカード。

      20181119霞ケ浦導水路09


      20181119霞ケ浦導水路10


また一枚、ダムカードのコレクションが増えました。



2019/01/09 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit