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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの都内散歩 再訪.........湯島聖堂 (2018年11月15日)(東京都千代田区) 

11月15日

この日は、インフルエンザの予防接種のために御茶ノ水にでかけました。

集団予防接種の集合時間が10時45分と中途半端な時間。
まぁ、所属する会社の健保組合の主催する集団予防接種だから
数をこなすためにも時間を区分しているんでしょう。

朝、早めに家を出て注射の前に御朱印巡り。
柳森神社を後にして、向かった先は................湯島聖堂。


湯島聖堂も以前、一度訪れた時があったんだけど
その時は、御朱印が頂けるなんて知らなかった。
神田明神の後に来たのだから
御朱印帳は持っていたんだけどねぇ..............


湯島聖堂は、元禄3年(1690年)に徳川五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、創建した聖堂です。
上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾を湯島に建てた聖堂に移しました。
これが現在の湯島聖堂の始まりとなります。
その後、およそ100年を経た寛政9年(1797年)幕府直轄学校である「昌平坂学問所」を開設しました。

明治維新を迎えると聖堂・学問所は新政府の所管するところとなり、
大学校・大学と改称されながら存置されましたが、
明治4年(1871年)に廃されて、林羅山以来240年、
学問所となってから75年の儒学の講筵は、ここにその歴史を閉じました。

その後、大正11年に湯島聖堂は国の史跡に指定されました。




こちらが、史跡碑。

      20181118湯島聖堂01



文部省(当時)の説明板。

      20181118湯島聖堂02


案内図。

      20181118湯島聖堂03




上野忍ヶ岡にあった幕府儒臣・林羅山の邸内に設けられた孔子廟(先聖殿)を
元禄3年(1690)、五代将軍綱吉がここに移し、先聖殿を大成殿と改称して孔子廟の規模を拡大・整頓し、
官学の府としたのが始まりとなる湯島聖堂。
この時からこの大成殿と附属の建造物を総称して「聖堂」と呼ぶようになったそうです。



こちらが、仰高門。

      20181118湯島聖堂04

この門は、中国山東省にある曲阜の孔子廟では、西方に設けられています。
元々、上野忍ヶ岡にあった孔子廟(先聖殿) では、この門は無かったのですが
元禄3年に湯島移築した際に設けられたようです。



その扁額。

      20181118湯島聖堂05



仰高門の先には、『楷』の木。

      20181118湯島聖堂06
      20181118湯島聖堂07

中国山東省にある曲阜の孔子廟では、孔子の墓所に植えられている名木で
枝や葉が整然としているので、書道でいう楷書の語源ともなったといわれているそうです。




その楷の木の下には、孔子銅像建立の碑。

      20181118湯島聖堂08




建立された孔子の銅像がこちら。

      20181118湯島聖堂09

丈高4.57メートル、重量約1.5トンの世界最大の孔子の銅像。



前回は、ここまでしか見学をしなかった。
実は、楷の木の先にも見所がある。


大成殿へと続く『入徳門』

      20181118湯島聖堂10


入徳門の扁額。

      20181118湯島聖堂11



手水舎。

      20181118湯島聖堂12



杏壇門。

      20181118湯島聖堂13



杏壇門の扁額。

      20181118湯島聖堂16



杏壇門の屋根には、聖獣・鬼龍子(きりゅうし)。

      20181118湯島聖堂14

想像上の霊獣で、狛犬に似た姿をして、顔は猫科の動物に似ています。
牙を剥き、腹には鱗があり蛇腹・龍腹となっています。
孔子のような聖人の徳に感じて現れると言われています。




そして、こちらが大成殿。

      20181118湯島聖堂15

大成殿は、孔子廟の正殿の名称であり、中央の神龕(厨子)に孔子像を祀り、
左右には四配として孟子・顔子・曽子・子思の四賢人を祀っています。



大成殿の屋根には、鯱鉾。

      20181118湯島聖堂17

鬼犾頭(きぎんとう)と言う想像上の魚神。
水の神として屋根の頂上にあって火を防ぐとされています。





大成殿の屋根にも聖獣・鬼龍子。

      20181118湯島聖堂18



杏壇門前の天水桶。

      20181118湯島聖堂19



こちらが、斬文会館。

      20181118湯島聖堂20

神社で言えば、社務所のような場所にあたります。
御朱印はこちらで拝受できます。



そして、こちらが湯島聖堂の御朱印。

      20181118湯島聖堂21


達筆ですねぇ。

後で気付いたんだけど、
湯島聖堂って史跡だけど孔子を祀っているということは................


お寺?
それとも神社?


神社用の御朱印帳に墨書きしてもらったんだけど...............

まっ、いいか!(笑)。



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2019/01/05 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

白河の関 (2018年4月27日)(福島県白河市) 

4月27日

御朱印を拝受するために訪れた白河神社。

実は、白河神社が鎮座する地は、白河の関跡になります。
白河の関は、鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、
奥州三関の一つに数えられる関所です。
都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い関です。
その設置の年代は不明ですが、奈良時代から平安時代頃に機能していた国境の関で、
蝦夷の南下や人、物資の往来を取り締まる機能を果たしていたと考えられています。

関の廃止の後、その遺構は長く失われて、その具体的な位置も分からなくなっていましたが、
寛政12年(1800年)、白河藩主の松平定信が、文献による考証を行い、
その結果、白河神社の建つ場所をもって、白河の関跡であると論じたそうです。

その白河の関。
そこには、城郭遺構が残されています。
関所と言うからには、番人も居ただろうし、
役人の居住地(館)があってもおかしくない。
ましてや、奈良時代や平安時代初期ともなれば
防御機能を備えた空堀や土塁があってもおかしくない。
と、言うわけでいつものように、
余湖さんのHPから縄張り図をお借りしました。

白河の関館跡の縄張り図。

      白河の関 縄張り図


こちらが、城址碑ならぬ、関所跡の碑。
『白河関跡』の碑。

      
20180427白河の関01



『白河の関』の説明板。

      20180427白河の関02



白河の関の発掘調査の説明板。

      20180427白河の関03

1960年代の発掘調査を行った結果、
土塁や空堀を設け、それに柵木を巡らせた古代の防禦施設を検出しました。
その後、昭和41年に「白河関跡」として国の史跡に指定されたそうです。



松平定信による古関蹟の碑。

      20180427白河の関04

白河藩主である松平定信(楽翁)が寛政12年(1800)年8月に、
ここが白河関跡であることを断定し、建立した碑です。



白河神社の脇にある空堀。

      20180427白河の関05


      20180427白河の関06



空堀手前に鎮座する祠。

      20180427白河の関07



土橋。

      20180427白河の関08



土橋脇の土塁。

      20180427白河の関09


土橋の先は、1の郭。

      20180427白河の関10

郭の周囲を土塁が取り囲んでいます。



郭そのものは約30m四方な方形。

      20180427白河の関11



白河神社脇の空堀はぐるっと郭の周りを巡っています。

      20180427白河の関12



この辺りの空堀は埋め戻されているようです。

      20180427白河の関13



敷地内に建つ句碑。

      20180427白河の関14



この地は、西山国師遺跡霊場の札所でもあるようです。

      20180427白河の関15



こちらは、従二位の杉。

      20180427白河の関19
      20180427白河の関20



鎌倉前期の歌人である従二位藤原宮内卿家隆が手植し、
奉納したと伝えられる古木だそうです。
推定樹齢は約800年、周囲約5メートルの巨木です。

      20180427白河の関21




こちらは、旗立の桜

      20180427白河の関22

治承4年(1180)源義経が平家追討のため平泉を発し、
この神社に戦勝を祈願するため旗揃えをした際に、
この桜に源氏の旗を立てたと伝えられています。



午前中に訪れた小峰城が近代的な城郭としたら
この白河の関は、仮に居館跡としても土の城。

      20180427白河の関16



空堀と土塁しか残っていないけれど、
それらが中世の城郭だと改めて認識させてくれます。

      20180427白河の関17


      20180427白河の関18


御朱印巡りで訪れた白河神社でしたか、白河市ではメジャーな観光地でもあり
それが、中世の城郭でもある。
個人的には1粒で2度おいしい、グリコのキャラメルのような白河の関でした...............。



2018/06/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道作古墳群 (2018年3月7日)(千葉県印西市) 

3月7日

この日は、印西市に出かけました。

小林の鳥見神社から買い物をするために、
ジョイフル本田へ向けて移動の最中、
視界に、史跡が目に入った。
って言うか、説明看板が目についた。

      20180307道作古墳群02

車を停めて、説明看板を確認すると『道作古墳群』。

道作古墳群は、前方後円墳7基、円墳14基、方墳1基の
合計22基から構成される群集墳らしい。
全長46メートル、高さ4メートルを測る1号墳は、
印旛沼西岸域で最大の規模を有しているそうで、
調査の結果、周溝部から下総型埴輪の破片が見つかっており、
築造は6世紀後半と考えられるそうです。

古墳は専門分野では有りませんが、
せっかくだから、ちょっぴり覗いて行きましょう。


最近(と言っても、ここ数年レベルだと思う。)整備されたようで
『道作古墳』との表記もある。

      20180307道作古墳群01


1号墳前にて。      

      20180307道作古墳群03



遊歩道も完備。

      20180307道作古墳群04


四阿も完備。

      20180307道作古墳群05


でも、まだまだ整備途中の感は否めない。

      20180307道作古墳群06



剥き出しの土。
芝生でも生えてくれば雰囲気は変わってくると思う。

      20180307道作古墳群07


この辺りは、古墳群ではあるけれど未整備地域。

      20180307道作古墳群08



案内板も何もないけれど、森の茂みの中にある土壇。

      20180307道作古墳群09


これは、道作古墳群の中の一つでしょう。

      20180307道作古墳群10



まだまだ土が剥き出して、急造の整備の感は否めない。

      20180307道作古墳群11



でも、整備はこれで終わり?

      20180307道作古墳群12

悪く言えば、宅地の造成途中。
あるいは、山の森を崩して不法な土砂取り。

このままじゃ、そんな風に見られてもおかしくない(笑)。

      20180307道作古墳群13



道路も整備して、史跡の標柱も建てられている。

      20180307道作古墳群14


      20180307道作古墳群15


      20180307道作古墳群16

今はこんな状態でも、あと何年かしたら
自然の力で草も生え、古墳も古墳らしくなってくるのかな?

その頃がちょっぴり楽しみ。



2018/04/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

史跡 御留渕 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

旧・緒川村地区の上小瀬にある江畔寺の駐車場には
もう一つの碑が建っていました。

何て読むんだろう?

      20170914御留渕01

最初は読めませんでした。
スマホを使ってネットで調べても、ほとんど情報は無い。
江畔寺のHPを覗いて、何とか判読。
どうやら、『御留渕』と読むらしい。

      20170914御留渕02




御留渕は、
元禄五年(1692年)、水戸光圀公が江畔寺に二泊三日で宿泊参詣に来山し、門前の清流で斎戒沐浴をした。以来その場は御留渕と呼ばれ一般の立入が禁止されたそうです。


碑の建っている場所の背後の河原が
御留渕と言われているらしい。

      20170914御留渕08

フェンスがあって、駐車場から河原へは行けません。
未だに立ち入り禁止?(笑)



江畔寺の境内がちょっぴり高台だから
そこから眺めてみましょう。

      20170914御留渕03


300年前と今では、全く景観も違うでしょう。
取り立てるほどの景観ではなさそう。

      20170914御留渕04



もう一度、駐車場から眺めてみます。

      20170914御留渕05


どうみても、単なる川。

      20170914御留渕06



わざわざフェンスを乗り越える気力も無い(笑)

      20170914御留渕07


昔の景観地が、現在も景観地であるとは限らない。
そんな例は世の中にたくさんあります。

まあ、この御留渕もその一つになるのでしょう。


かつて、この地が景観地であり、水戸光圀公によって
立ち入り禁止にまでなった史跡であったことは
忘れずに憶えておこう...............。



   




2017/10/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

甚兵衛の渡し  (2014年10月12日)(千葉県成田市) 

10月12日 公休日

個人的な連休の2日目。
北総のドッグランをあとにして、まっすぐ自宅へ帰るつもりだったのだが
ちょっぴり機が変わり、印旛日医大駅前から旧・印旛沼を抜け
成田市方面に車を走らせました。

向かった先は.........甚兵衛の渡し

甚兵衛」の渡しとは

それは江戸時代前期のことです。
当時、この辺りは佐倉藩の領地で、領民は佐倉藩の重税に苦しんでいました。
義民、佐倉惣五郎は、佐倉藩による重税の過酷さを徳川将軍に直訴した人物です。
当時、将軍に直訴することは死罪にあたり、
直訴した結果、佐倉惣五郎とその家族は死罪になってしまいました。
しかし、佐倉藩の領民は過酷な重税から解放され、惣五郎に感謝し、
彼に縁のある土地に多くの記念碑が建てられました。

甚兵衛の渡しも、その一つです。
甚兵衛という人物は、佐倉惣五郎が江戸に直訴に行く際に、
惣五郎を小舟に載せて印旛沼を渡し、対岸の吉高に送り届けました。
惣五郎は、佐倉藩の厳しい監視を潜り抜けることが出来、江戸へと向かうことが出来ました。

しかし、自分のやったことが佐倉藩に見つかってしまった場合、
甚兵衛は捕まって家族共々投獄されてしまいます。
そうなることを恥じた甚兵衛は、自ら印旛沼に身を投げたと伝えられています。




こちらが、甚兵衛の渡しの標柱。

成田市って文化財に対する認識が高く
こうやって記念碑や標柱を設置してくれています。

      20141012甚兵衛渡し01

この甚兵衛の渡しは、甚兵衛公園としても整備されています。

先ずは、田んぼの脇を通って印旛沼の湖畔に行ってみましょう。


かつて、重い年貢で苦しめられた領民は、新田開拓と言う名の御旗の元に
この地を開拓して水田を拡げて来ました。

昔の印旛沼はもっと広かったと思うけれど
今は、かなり開拓で埋められて水田となっています。


      20141012甚兵衛渡し02



ロングリードの びいすけ 。
匂いをクンクンと嗅ぎながら、
あっちに行ったり、こっちに行ったり。

      20141012甚兵衛渡し03



こちらが、現在の印旛沼。

      20141012甚兵衛渡し04


      20141012甚兵衛渡し05


      20141012甚兵衛渡し006

      20141012甚兵衛渡し07


      20141012甚兵衛渡し08



目の前を小さなボートが過ぎ去って行きます。
きっと漁業関係の人なんだろうなぁ。

対岸が、惣五郎と甚兵衛が渡った吉高の地。

      20141012甚兵衛渡し09





再び、田圃の脇を歩いて行きます。

      20141012甚兵衛渡し11



鷺が何羽も舞い降りていました。

      20141012甚兵衛渡し10





しばらく歩いて、今回の目的の場所に着きました。


しかし、..................。

着いてびっくり。

      20141012甚兵衛渡し12



甚兵衛公園のコスモスを楽しみにしていたのですが、
時期が悪かった。いや、遅かった。

      20141012甚兵衛渡し13


ほとんど、コスモスは散っていて
わずかに咲き残った花を眺めるだけ。


確か毎年10月の10日過ぎあたりが、見頃だと思っていたんふだけれど.........

      20141012甚兵衛渡し14

いやぁ〜、残念。
もっと早く来れば良かったなぁ。





コスモス畑の前に建つ、甚兵衛の供養塔(堂)

周りには数基の石碑も建っています。

      20141012甚兵衛渡し15


こちらが、甚兵衛の碑。

      20141012甚兵衛渡し16


供養塔(堂)の裏にある(R464沿い)にも新しく建てられた甚兵衛の碑があります。

      20141012甚兵衛渡し24


そして周辺には大きな松の木が建ち並びます。

      20141012甚兵衛渡し23



この松の木が立ち並ぶのは、『水神の森』と呼ばれ、成田市史跡に指定されています。

      20141012甚兵衛渡し21


別名、『甚兵衛の森』とも呼ばれ、
昭和58年に 日本の名松百選 に選ばれたということです。

      20141012甚兵衛渡し22



確かに、立派な松が立ち並んでいます。

      20141012甚兵衛渡し25



そして、こんな説明看板も建っています。

      20141012甚兵衛渡し20

この場所は、 県立印旛沼自然公園 でもあるらしい


よくよく調べてみると、正確には 県立印旛手賀自然公園  として
印旛沼・手賀沼地区を包括して区域指定しているようです。

とにかく、 県立印旛沼自然公園 であり、甚兵衛の渡し であり、
水神の森 であり、 甚兵衛の森 であり、 甚兵衛公演 でもある。
う~ん、
何とも、ややこしい....................・




しかし、年月の流れか?
はたまた、酸性雨? それとも大気汚染?
単なる虫食いなのか?

その立派な松が1本伐採されていました。

      20141012甚兵衛渡し18


      20141012甚兵衛渡し19


      20141012甚兵衛渡し17



春には、菜の花が咲き乱れ
秋には、コスモスが咲き乱れる甚兵衛の渡し(甚兵衛公園)

そして、その一画には松の木の景勝地。

これ以上、この松の木が枯れてしまわないこと、
伐採しなければならないことが無いことを願いたい............。








2014/11/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit