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び・び・びのびいすけ

びいすけとお父さんと時々もっちゃん

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












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2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

地蔵ケヤキ    (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。

下高井小学校跡をあとにして、次なる廃校へと向かおうとしたら
『県指定文化財 天然記念物 地蔵ケヤキ』なる案内板が目に留まった。
ちょっぴり気になる。

いや、かなり気になる...............。

気になるのなら、立ち寄っちゃえ〜!
と、言うことで立ち寄った先は.............................地蔵ケヤキ


地蔵ケヤキは高源寺本堂正面の境内の中央にあります。
樹齢1600年とも言われ、高さ27m、胸高直径3.3mを計る大樹です。
幹は途中で大きく枝分かれしており、そこからさらに大枝が伸びています。
そして、中心の巨大な幹は内部が大きく空洞となっており、
そこにいつ頃からは不明ですが、名称の由来となった地蔵尊が祀られています。

高源寺は、山号は普蔵山。
臨済宗妙心寺派のお寺で承平元年(931年)に平将門公の建立と言われています。
当初は真言宗のお寺でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改宗されたそうです。




こちらが高源寺の参道。

      20170131地蔵ケヤキ01


そして山門。

      20170131地蔵ケヤキ02


山門に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ03

はたして、これは何と読むのだろう?
寺号の『高源寺』でも無さそうだし、
山号の『普蔵山』でも無さそうです。


山門をくぐると、目の前にケヤキの巨木。

      20170131地蔵ケヤキ04

これが地蔵ケヤキですが、こちらは裏側。


正面には立派な説明板。

      20170131地蔵ケヤキ05



そして、正面からの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ06


幹がくり抜かれたように大きな空間があり
そこに地蔵が祀られています。

      20170131地蔵ケヤキ07


      20170131地蔵ケヤキ08


      20170131地蔵ケヤキ09

このお地蔵さんは、子育て地蔵尊。
安産・子育てにご利益があると言われ、多くの人が参詣するそうです。


こちらが、本殿。

      20170131地蔵ケヤキ10


本殿に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ12

こちらは山号でした。



本殿の屋根には『九曜紋』。

      20170131地蔵ケヤキ11


      
こちらは鐘楼。

      20170131地蔵ケヤキ13



鐘楼の屋根瓦にも九曜紋。

      20170131地蔵ケヤキ14

この場所から数百mの距離にある高井城址。
その高井城は相馬氏の居城であり、その相馬氏の家紋が九曜紋。
さらに相馬氏は千葉氏同様に平将門の流れを汲む一族。
九曜紋があるのも当然なのかもしれない。



別アングルからの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ15



高源寺の境内には、地蔵ケヤキ以外にも古木(巨木)がある。

      20170131地蔵ケヤキ16


偶然知り得た地蔵ケヤキと高源寺。
思わぬ所で千葉氏の家紋である九曜紋が見れたのはラッキーでした。





2017/03/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡堰水神岬公園  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城百景の一つ、岡堰に訪れました。

茨城百景の碑の前から小貝川川を眺めると
桜の木のらある出島? 岬?
何となく興味をそそる、堤防沿いの出っ張りを見つけました。

      20170131岡堰水神岬公園01


せっかくだから、足を伸ばしてみましょう。


どうやら公園のようです。

      20170131岡堰水神岬公02

『岡堰水神岬公園』と看板には書かれています。


公園入り口には、標柱が建っています。

      20170131岡堰水神岬公03

『水神岬?』

標柱には説明文として、このように記載されていました。

岡堰にある100mの突堤。
小貝川を堰して満々と湛えた中に青松の影をうつした岬は岡堰の添景として離し難い。
岡堰は寛永7年(1630年)、関東郡代伊奈半十郎忠治によって造われ、
上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に関東三大堰のひとつである。
古くは、この岬は中州など共に水流をじぐざぐにし、堤防を護る役をしていたという。
岬の中に水神宮が祭られている。
岡堰用水組合では、水神宮のお祭りと共に上州榛名神社へ代参を立てたことが
江戸時代の記録に残っている。
山岳信仰の通有性はあるにしても、
特に榛名山を選んだのは、山を水源と仰ぐ心であろう。
水は二万石の命である。


どうやら、古くから信仰の地でもあったようです。



そんなに広くはない公園。

      20170131岡堰水神岬公04


桜の木が10数本立ち並び
花見の時期には多くの人が訪れるらしい。

      20170131岡堰水神岬公05


      20170131岡堰水神岬公08



岬の突端から旧・岡堰が眺めることが出来ます。

      20170131岡堰水神岬公06



思い切り望遠(270mm)で旧・岡堰を狙います。

      20170131岡堰水神岬公07


      
水神岬の名の由来となった水神宮と『岡堰築造記碑』。

      20170131岡堰水神岬公09


岡堰を築造した記念の碑です。

      20170131岡堰水神岬公園10

かなり、デカい。


そして、水神宮。

      20170131岡堰水神岬公11


岡堰水神岬公園から眺める小貝川。

      20170131岡堰水神岬公12


これもまた、茨城百景なり...............。






2017/03/01 Wed. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 岡堰 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、廃校巡りに茨城県の取手市に出かけました。

廃校巡りのついでに、城址巡りや茨城百景巡りもしたりして...............。


岡城址からほど近い小貝川。
この小貝川に茨城百景があると言うことで
訪れたのは...............茨城百景 岡堰



岡堰は、江戸時代幕府が成立し、
寛永年間(1624〜1644)に関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、
洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。
そして現在の取手市戸田井付近の台地を切り開き、
利根川と合流する今のような流路が出来上がりました。
河川の改修事業は、利根川を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として行われたもので、
小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定になります。
そして、寛永7年(1630)に設けられたのが岡堰です。
作られた堰は、水田に水を供給する農業用水路に生まれ変わりました。

岡堰は、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に、関東の三大堰の一つとされています。


岡台地の岡神社(岡城址)から歩いて小貝川の堤防に着きました。

      20170131岡堰01


堤防にどぉ〜んどお建っている茨城百景の碑。

      20170131岡堰02


『 茨城百景 岡堰 』の碑です。

      20170131岡堰03

以前は堤防の入口、民家に脇に建っていたようですが
現在は、堤防の上に移設されたようです。



百景の碑の前には小貝川。

      20170131岡堰06


      20170131岡堰04


中洲に見えるのが、旧・岡堰。

      20170131岡堰05


茨城百景が制定された昭和25年には、まだこちらの岡堰が活用されていましたが
平成8年に新・岡堰が完成し、旧・岡堰はほとんどが解体されてしまいました。    

旧・岡堰があった中ノ島には、岡堰の一部が残されています。

      20170131岡堰07

現在は中ノ島公園となっている中ノ島。
以前は、農暇期の小貝川の水量が少ない時期にしか渡ることが出来ませんでしたが
現在は中ノ島へ渡る橋も出来、簡単に渡ることが出来るようになりました。


旧・岡堰を別アングルから。

      20170131岡堰08


岡堰の一部。
煉瓦が時代を感じさせます。

      20170131岡堰09


中ノ島から眺める小貝川。

      20170131岡堰10


      20170131岡堰11

これこそが、茨城百景なんですね。



こちらが、平成8年に完成した新・岡堰。

      20170131岡堰17


      20170131岡堰12



中ノ島公園には、こんな像があります。

      20170131岡堰13


間宮林蔵の像。

      20170131岡堰14

対岸の旧・伊奈町が間宮林蔵の生まれ育った地。
旧・伊奈町(現在のつくばみらい市)には、間宮林蔵の生家や墓もあるそうです。


こちらは、『間宮倫宗先生發祥地』の碑。

      20170131岡堰15

正確には対岸の町なんだけどね(笑)。

ちなみに倫宗(ともむね)は本名で、林蔵は通称らしい。
でも、通称の『間宮林蔵』の方が一般的ですねー。



中ノ島公園の芝生広場。
何となく嫌な予感はしていたんですが...............

      20170131岡堰16

やっぱり、芝生でローリング。

どうせなら、枯れ芝生の時期じゃなくて
青々とした芝生の上でローリングして欲しいなぁ。

っていうことは、芝生も青々とする時期に
また来ないといけないなぁ................




 



2017/03/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡城址 (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県の取手市の廃校巡りに出かけました。

廃校巡りのついでに、取手市内に在る城址にも立ち寄ることにしました。
白山西小学校をあとにして、向かった先は...............岡城址


小貝川の近く、取手市の岡地区には『岡の台地』と呼ばれる高台があります。
その『岡の台』の一角に『岡神社』があり、その岡神社のある辺りが岡城址とされています。


岡城の城主等歴史については不詳ですが、
岡神社のある高台には、茨城県指定史跡である『大日山古墳』があり
その『大日山古墳』が中世に岡城の櫓台として用いられていたようです。



これは中世から近世に盛んになった大日信仰の名残で、大日山の名もそこからきていると考えられています。


こちらが、岡神社の鳥居。

     20170131岡城址01


鳥居の神額。

      20170131岡城址02



この石段を上がった先が岡神社の境内であり、岡城址とされています。

      20170131岡城址03



びいすけ の背後に建つ拝殿。

      20170131岡城址04

拝殿の建つ高台が『大日山古墳』。


こちらが、拝殿。

      20170131岡城址05



この位置からだと、拝殿のある土壇(高台)が古墳なのが良く分かります。

      20170131岡城址06

土壇脇に建つ説明板。

『大日山古墳』については触れていますが
岡城址については触れていない。

      20170131岡城址07



中世から近世にかけて、盛んになった大日信仰の名残りで
岡神社の境内には石塔が多い。
大日山の名も大日信仰からきていると考えられています。

      20170131岡城址08


      20170131岡城址09



こちらは、祭礼記念碑。

      20170131岡城址10


      20170131岡城址12



実は、岡城址のある一帯は『朝日御殿跡』といい、
平将門の妾桔梗の御殿の跡と伝えられているそうです。

祭礼記念碑の碑文にも記されています。

      20170131岡城址11



こちらが、その『朝日御殿跡』
岡城址の郭ともされている。

      20170131岡城址13


      20170131岡城址14


      20170131岡城址15



『岡の台』は平将門の所縁の地で、将門伝説の残る所。
この『岡の台』の地に将門が城を造ったとも言われています。

台地には、こんな感じで城址の雰囲気満載の場所も多い。

      20170131岡城址16


先ほどのばしょから上がって行くと、削平地。
畑と改変されています。
      20170131岡城址17




『岡の台』の外れには、こんな標柱も建っています。

      20170131岡城址18


      20170131岡城址19


『岡台地と平将門』と表題の付いた標柱には
『将門伝説が残り』『平将門にまつわる史跡として
朝日御殿跡(城跡)、延命寺、仏島山古墳』 と記されています。

ひょっとしたら、岡城は朝日御殿の事を言うんのだろうか?


良く分からない...............謎です(笑)。

2017/02/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


      20170131井野小学校21


      20170131井野小学校22


      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中にガッがあるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望② 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。


取手市の小文間地区にある小文間小学校をあとにして
次なる廃校に向おうとしていましたが、
小文間公民館の前で、こんな地図を見かけました。

      20170131利根川の眺望②01

『 昔・今 小文間街道マップ 』

小文間地区の名所等が記されている地図です。


その地図に 旧・茨城百景、茨城百景 の記載がある。

『こんな所に茨城百景ってあったっけ?』

素朴な疑問が頭をよぎります。
もし本当に茨城百景ならば、素通りは出来ません。
と言うことで地図の案内を頼りに、その茨城百景なる場所に向かってみました。


県道11号線の馬坂近くに、茨城百景があります。

      20170131利根川の眺望②02


こちらが、その茨城百景の碑。

      20170131利根川の眺望②03



碑には『 茨城百景 大利根の展望 』と刻まれています。

      20170131利根川の眺望②04

あれっ?
『 茨城百景 大利根の展望 』って、確か利根町の布川にある徳満寺の境内に碑がなかったっけ?


よ〜く考えてみたら、茨城百景って包括地区があるから
こちらの茨城百景は包括地区の面足神社からの利根川の展望のようです。
涸沼の時も茨城百景の碑は2ヶ所に在ったから
この場所に在ってもおかしくはない。


この階段を上がっていけば、面足神社。

      20170131利根川の眺望②05

ここまで来て、その展望を確認しないわけにはいきません。


テンポ良く、階段を上がって行く びいすけ 。

      20170131利根川の眺望②06



面足神社の鳥居脇が拓けていて、展望が利く。
ここが 茨城百景 大利根の展望 です。

      20170131利根川の眺望②07



こちらが、面足神社の鳥居。

      20170131利根川の眺望②08


鳥居に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②09


鳥居脇には、利根川や印旛沼に近い集落に多い庚申塔と二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②10



面足神社の参道。
正面が面足神社の拝殿。

      20170131利根川の眺望②11



こちらが、拝殿。

      20170131利根川の眺望②12



拝殿に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②13



拝殿脇にも庚申塔や二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②14



鳥居から県道へと続く未舗装の道には、こんな説明板。

      20170131利根川の眺望②16

説明板によれば、面足神社は通称『大六天』と呼ばれていたらしい。
確かに大六天は茨城百景の包括地区になっている。

      20170131利根川の眺望②17




この辺りが、旧・茨城百景の地。

      20170131利根川の眺望②18

県道が拡張された時に、ひょっとしたら百景の碑を移転したのかな?


確かに木々が邪魔して、利根川の眺望は今一歩。

      20170131利根川の眺望②19



思いもしない場所で、偶然見つけた『茨城百景』と百景の碑。
なんか、すごく得した気分です。




2017/02/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit