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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

茨城百景 《 大利根の展望 》 3基目の石碑 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。


以前、訪れた『茨城百景 大利根の展望』。
そも百景の碑は2ヶ所ありました。
一つは、利根町の徳満寺の境内。
そして、もう一つは利根町の面足神社の裏参道口。

最近、ネットを見ていたら第三の石碑の存在を知りました。

えっ!
まさか!!

この目で見なきゃ!!

って言う事で、やって来たのが取手市の大利根橋。

      20191112茨城百景 大利根01


 

常磐線に並行して伸びる国道6号線の利根川に架かる橋。   

      20191112茨城百景 大利根02



大利根橋周辺をくまなく探し、見つけました!!

      20191112茨城百景 大利根03



『茨城百景 大利根の展望 』 の碑です。

      20191112茨城百景 大利根04



今まで、茨城百景の碑を色々と探してきましたが
包括風景があるから碑は一つだけとは限らず、
2ヶ所に碑が存在していた事もありました。

しかし、3ヶ所となると、ちょっと複雑です。



この場所も、利根川そのものはよく見えないけれど
堤防から見る河川敷。
そして、河川敷に伸びる常磐線の線路橋。

   m  20191112茨城百景 大利根05


      20191112茨城百景 大利根06

茨城百景が選定された昭和25年には、まだ常磐線の線路橋もなかったかも知れない。
ひょっとしたら、一面緑の河原だったかも知れない。
でも、その風景も茨城百景だったのだろう................




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2020/01/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

小堀の渡し  (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。


取手市の利根川には現役の渡し船が運行されていると言う事を
以前から知っていたので、
どんなモノか? 興味半分で、小堀の渡し に行ってみました。

取手駅方面から、取手図書館と八坂神社の間の道を通って
利根川の堤防へと進みます。

  

堤防手前で、こんな案内があります。

      20191112小堀の渡し01



目指す『こぼりの渡し』とは、取手市内を結ぶ取手市営の渡船(とせん)(渡し舟・渡し船)です。
利根川をはさみ、市内中心部と小堀(おおほり)地区を結び運航しているそうです。

かつて利根川は、取手市の南(現在の古利根沼)を蛇行して流れていましたが、
水害が絶えなかったことから利根川改修工事(明治40年から大正9年まで)が行われ、
現在の形に姿を変えました。
その結果、当時、地続きであった小堀(おおほり)地区は、利根川により分断されてしまいました。
利根川の改修により、交通の不便を感じた地域住民によって渡船場の設置が協議され、
大正3年に渡し船を出したのが『小堀の渡し』の始まりとされています。

その後、昭和42年に取手町営となり、
平成11年に取手市営の小堀)循環バスが運行を開始するまで、
通勤・通学や、住民の日常生活の足として活躍しました。
現在では、誰もが乗船できる観光船としての役割をもちつつ、
茨城県はもとより利根川下流域に残る希少な渡し船として、
かつての水戸街道「取手の渡し(とりでのわたし)」の風情を受け継ぎ、
今も運航を続けているそうです。

ちなみに、ペットはケージに入れれば、乗船可能だそうです。



堤防沿いに広がる取手緑地運動公園。

      20191112小堀の渡し02


      20191112小堀の渡し03

この公園の奥、利根川の川辺に小堀の渡しの乗船場があるそうです。



公園を縦断し、乗船場のある場所へと足を進めます。




ところが、乗船場と思われる場所への導線に、こんな看板が..............

      20191112小堀の渡し04

何と、台風19号の水害で乗船場が破損してしまい
現在、『小堀の渡し』は運行していないようです。



あらら..............


せっかくだから、利根川の水面だけでも眺めていきましょう。

      20191112小堀の渡し05



この下った先に乗船場が在ったようですが
確かに流されて(?)いて、渡し船が接岸、繋留出来る状態じゃ無い。

      20191112小堀の渡し06

取手市のHPによれば、復旧時期は未定という事らしい。

と言うことは、緊急性を感じていないと言う事なんだろうか?
現在は、生活のためというよりは、観光として運行されていた面が強いんだろうなぁ。
もちろん、日々の生活の中で利用する人もいるでしょう。
このまま、廃航路とならない事を期待したいなぁ。



2020/01/04 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 番外編 《 偶然見つけた学校跡 》 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。

取手市のマンホールカードを手に入れた後、利根川の堤防に向かって
八坂神社の脇を歩いていました。

八坂神社を過ぎたあたりで、目の前に石碑が現れました。

      20191112取手小学校発祥の地03




碑文を見て、びっくり!!。

      20191112取手小学校発祥の地04


      20191112取手小学校発祥の地05


そこには、『取手小学校発祥の地』 と刻まれています。



この場所には、こんな建物が建っていて、こんな看板がありました。

      20191112取手小学校発祥の地01


      20191112取手小学校発祥の地02


どうやら、取手市役所取手市支所と福祉会館が建っているようです。


Google MAPで確認すると、取手市民会館でもあるようですね。



取手小学校について調べてみると..........

明治6年3月 里仁小学校開設
明治8年2月 取手小学校と改称
昭和33年4月 学校統合(第一小,第二小)により,取手第一小学校を取手小学校と改称。
        現在地に校舎を建設。

と、沿革に記されています。

すなわち、昭和33年まで、この地に取手小学校が在ったと言うことになります。


  

現在は、取手市民会館、取手市福祉会館、取手市役所取手支所と
公共施設が混在していて、学校跡を彷彿させるものは無い。

      20191112取手小学校発祥の地07


      20191112取手小学校発祥の地08


      20191112取手小学校発祥の地09



おまけに敷地内には、新たな建物も建設工事中?

      20191112取手小学校発祥の地10

益々、ココが学校跡地だったなんて分からなくなってしまいます。




せめてもの想いが、この碑がこの場所に建っていてくれる事ですね。

      20191112取手小学校発祥の地06


たまたま通りかかった道沿いに碑を見つけ
偶然に旧校跡(学校跡地)を見つける事ができました。

コレも日頃の行い故の結果なんだろうか?
神様がご褒美をくれたんだと思うことにしよう。





2020/01/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう! 茨城県県取手市 (2019年11月12日)(茨城県取手市 

11月12日 取手市

この日は、茨城県の取手市やって来ました。

取手市に訪れた目的の一つ、
それは、取手市のマンホールカードを手に入れる事でした。


と言う事で、マンホールカードの配布先である取手市役所取手駅前支所へと向かいます。



リボンとりでビルの3階に支所はあるから
びいすけ は、ここで待っててね。

      20191112マンホール取手01



ダッシュで支所の窓口へと向かいます。

      20191112マンホール取手02



今回はアンケートもなし。
いとも簡単にマンホールカードを手に入れました。

      20191112マンホール取手03



そして、カードのモデルになった実物のカラーマンホール蓋を見に行きましょう。


現物のカラーマンホール蓋は、すぐ近くにありました。
JR取手駅西口、駅前ロータリーの歩道に設置されていました。

      20191112マンホール取手04



マンホールと びいすけ 。

      20191112マンホール取手05



カード と マンホール と びいすけ 。

      20191112マンホール取手06




そして、こちらがマンホールカード。

      20191112マンホール取手07


      20191112マンホール取手08


取手市のマンホールのデザインは、
昭和56年に発足した取手地方広域下水道組合の組合章を中心に入れ、
周りを設立当時の市町村の花で飾っています。
取手市の『ツツジ』、旧・藤代町の『フジ』、旧・伊奈村の『菜の花』
それぞれを取り入れ、『人と水の明るい未来のための下水道』
と言う願いが込まれたデザインとなっているそうです。



2020/01/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

とりで利根川七福神 《 大黒天 長禅寺 》(2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日


この日は、茨城県の取手市に出かけました。

『茨城百景』で訪れた長禅寺。
実は、『とりで利根川七福神』の一つでもある。


『とりで利根川七福神』とは、
取手市内にある念仏院(福禄寿)、長禅寺(大黒天)、光明寺(寿老人)、普門院(布袋尊)、
明星院(恵比寿)、東谷寺(弁財天)、福永寺(毘沙門天)を巡礼する七福神巡りです。
七福神巡りの多くは新年に催されるモノが多い中、
こちらの七福神は通年行える七福神巡りだと言う事です。

それぞれの寺院の境内に、七福神の像が祀られていると言う事です。


その『とりで利根川七福神』の大黒天が祀られているのが
こちらの長禅寺になります。

       20191112取手七福神 長禅寺01


石段を上がって山門へと進みます。

      20191112取手七福神 長禅寺02



山門の先は、三世堂。
そしてその隣には、取手大師(霊山堂)。

      20191112取手七福神 長禅寺03


      20191112取手七福神 長禅寺04



わずかな隙間から中を覗いちゃいます。

      20191112取手七福神 長禅寺05



天水桶。

      20191112取手七福神 長禅寺09




取手大師の提灯。

      20191112取手七福神 長禅寺10

九曜紋がそそりますねぇ。




そして、大黒天の看板。

      20191112取手七福神 長禅寺08





肝心の七福神の大黒天は、この霊山堂の前に鎮座しています。

      20191112取手七福神 長禅寺06



こちらが、『とりで利根川七福神』の大黒天です。

      20191112取手七福神 長禅寺07



大黒天は、大自在天の化身とも言われ、大国主命と神仏習合したものです。
一度仏となりましたが、人々に福徳を授けるために再びこの世に現れたとされています。
大地を掌握する神様(農業)でもあり、大きな袋を背負い、打出小槌をもち、
頭巾をかぶられた姿が一般によく知られています。
財宝、福徳開運の神様として信仰されています。







こちらが、『とりで利根川七福神 』の大黒天の御朱印。

      20191112取手七福神 長禅寺11


七福神の像を詣り、御朱印を頂く、
こう言う七福神巡りも味があるような気がします。

時間が掛かっても、『とりで利根川七福神』は
結願出来るように頑張ろうと思います。



2020/01/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 長禅寺 》 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。


JR取手駅東口近く。
こんもりと樹木の生い繁った小高い丘の上に、
承平元年(931年)平将門が祈願寺として創建したと伝えられる長禅寺があります。
この長禅寺、昭和25年に茨城百景の一つに選定されています。

数年前から『茨城百景』を追いかけている身としては
いつか訪れようと思っていた場所でした。



門扉が半分閉まっていますが、長禅寺門前。
参道口になります。

      20191112茨城百景 長禅寺01



脇には、『茨城百景』碑。

      20191112茨城百景 長禅寺02



この碑を探し求めているわけだから
この時点で、ほぼ目的達成。

      20191112茨城百景 長禅寺03



せっかく訪れたんだから、犬連れだと少し気が引けますが
お詣りして帰らなきゃ!



長禅寺は、大鹿山長禅寺と号し、臨済宗妙心寺派に属しています。
慶安2年(1649年)将軍・徳川家光より寺領5石3斗を賜る朱印状の交付を受け、
以後、明治維新まで歴代の将軍より朱印状を受けていたそうです。



石段を上っていきます。

      20191112茨城百景 長禅寺04



陽射しの加減で見づらいですが、山門が見えてきました。

      20191112茨城百景 長禅寺05



こちらが山門。

      20191112茨城百景 長禅寺06



山門には、『相馬霊場総本地』と掲げられています。

      20191112茨城百景 長禅寺07



山門に掲げられた扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺08

これで、『大鹿山』と読むのでしょうか?


手水舎。

      20191112茨城百景 長禅寺09



山門右脇の太子堂。

      20191112茨城百景 長禅寺10

九曜紋が目を引きます。
さすがに将門の伝説が残るお寺です。


光音霊堂。

      20191112茨城百景 長禅寺11



こちらが、三世堂。

      20191112茨城百景 長禅寺12

宝暦13年(1763年)、当時の長禅寺の住職であった幻堂和尚によって建てられました。
全国でも珍しい「さざえ堂」(内部配置の観音像を巡るだけで巡礼ができる回廊)形式となっています。

ちなみに、さざえ堂と言われる建築物は
群馬県太田市の曹源寺、埼玉県本庄市の成身院、
福島県会津若松市の旧正宗寺、青森県弘前市の蘭庭院と、
長禅寺を含めて全国で5棟しか残っておらず、
大変に貴重な建物とされています。



三世堂の扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺13


こちらも三世堂の扁額。

      20191112茨城百景 長禅寺14


こちらは、扁額の隣に掲げられています。

      20191112茨城百景 長禅寺17



説明板。

      20191112茨城百景 長禅寺15



入口には、将門の守り本尊『十一面観世音』の看板。

      20191112茨城百景 長禅寺16

こちらに安置されているんですね。
でも、内部には入れないから拝観は出来そうもない。




こちらが、本堂。

      20191112茨城百景 長禅寺18



寺務所。

      20191112茨城百景 長禅寺19

御朱印は、こちらで応対していただけます。



寺務所の中にも九曜紋の提灯。

      20191112茨城百景 長禅寺20

将門の家紋であるが、千葉一族の家紋の一つでもある。
何故か、テンションが上がっちゃいます。



こちらが、長禅寺の御朱印。

      20191112茨城百景 長禅寺21

住職さんが来客の応対中と言うことでも書置きになりますが
御朱印をいただきました。



2020/01/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

相馬神社 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日

この日は、茨城県の取手市に出かけました。


旧・藤代小学校の跡地である藤代図書館の周辺を
何か学校遺構が残っていないかと探索をしていたら
小さい(敷地が狭い)ながらも立派な神社が在りました。

      20191112相馬神社01



鳥居の神額には、『相馬神社』と社号が入ってます。

      20191112相馬神社02



せっかくだから、参拝して行きましょう。



手水鉢。

      20191112相馬神社04



拝殿。

      20191112相馬神社05



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20191112相馬神社06



こちらにも、相馬神社。

相馬神社って福島県の相馬地方(相馬市)に関連する神社だと思っていたら
どうも違っていたようです。


相馬神社は、取手市藤代に鎮座する神社です。

元享元年(1321年)の創建とされ、元々は八坂神社と称していたようです。
明治40年(1907年)に八坂神社、富士神社を合祀して相馬神社としたということです。

元々、明治期にはこの地域は相馬町と呼ばれていて、
昭和30年に藤代町となり、平成17年に取手市に編入されたそうです。

御祭神は、素盞嗚尊。




別アングルからの拝殿。

      20191112相馬神社07


      20191112相馬神社08



こちらが本殿。

      20191112相馬神社09


覆屋の中を覗き込むと、立派な彫刻が施された本殿が鎮座していました。

      20191112相馬神社10



そういえば、境内の片隅に、こんな標柱が建っていました。

      20191112相馬神社14
 
この本殿は、旧・藤代町時代の文化財に指定されていたようです。  



びいすけ も参拝します。

      20191112相馬神社11



境内社。

      20191112相馬神社12



こちらも、境内社の三峯神社。

      20191112相馬神社13


社務所らしきモノはなく、普段は無人の神社のようです。




2020/01/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................旧・藤代小学校跡 (2019年11月12日)(茨城県取手市) 

11月12日


この日は、茨城県の取手市に出かけました。


向かった先は................旧・藤代町立 旧・藤代小学校跡。


お断り: 藤代小学校は廃校ではなく、現役の小学校です。



藤代小学校は、

明治6年     和順学校創立
明治8年     宮和田小学校と改称
明治17年    宮和田尋常小学校と改称
明治22年    相馬尋常小学校と改称
明治25年     相馬高等小学校を創立
昭和22年    相馬町立相馬小学校と改称
昭和30年    相馬町が山王村、六郷村、高須村の一部、
         久賀村の一部と合併して藤代町が誕生。
         藤代町立藤代小学校と改称。
平成17年    藤代町が取手市に編入され
         取手市立藤代小学校と改称する。

と、このような沿革となっていますが
明治27年から昭和53年までこの場所が学びの舎でした。

      20191112旧・藤代小学校01

実は、こちらは取手市藤代図書館。


図書館の敷地には、こんな碑も建てられています。

      20191112旧・藤代小学校02


碑の銘文には、平成15年、当時の藤代町長の名で
この地が藤代小学校跡地であった事が記されています。

      20191112旧・藤代小学校03



どうやら、藤代小学校が移転した後、一時期は藤代保育園になっていたようですが
その後に図書館となったようです。

      20191112旧・藤代小学校04



校舎は、当然解体済み。
現在は近代的なデザインの立派な図書館が建っています。

      20191112旧・藤代小学校05


      20191112旧・藤代小学校06



隣接する藤代武道場。

      20191112旧・藤代小学校07



ひょっとしたら、こちらも小学校の敷地だったのかも知れない。

      20191112旧・藤代小学校08

意外に、体育館跡だったりして...............

ネットでいろいろ調べてはみたんですが
廃校でもないから、詳しい情報は載っていませんねぇ............。



2020/01/01 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................取手八坂神社 (2018年7月15日)(茨城県取手市) 

7月15日

この日は、我孫子市に出かける予定があって
その前に茨城県南部にもちょっぴり足を伸ばしました。

三軒地稲荷神社をあとにして、向かった先は...............取手八坂神社。


取手八坂神社は、取手市東1丁目に鎮座する神社です。

寛永3年(1626年)の創建。
旧取手市内に於ける、上町、仲町、片町の鎮守であり、
三ヶ町の「産土神」として「牛頭天王社」として敬称親しまれてきたそうです。


御祭神は、素盞鳴命。


しゃごうひょは見当たりませんでしたが
一際目立つ看板。

      20180715取手八幡神社01



こちらが鳥居。

      20180715取手八幡神社02

祭りが近いようで、玉垣には沢山の提灯が飾られています。


鳥居に掲げられた神額。

      20180715取手八幡神社03


境内にも多くの提灯が飾られています。

      20180715取手八幡神社04

これらの提灯で見えなかった(気付かなかった)けれど
鳥居近くに獅子山があるそうです。

獅子山があるためか?
拝殿前には狛犬が居ないそうです。


参道の手水舎。

      20180715取手八幡神社05



定番の龍の吐出口。

      20180715取手八幡神社06



こちらが、拝殿。

      20180715取手八幡神社07



確かに、拝殿前には狛犬は居ない。

      20180715取手八幡神社08



拝殿正面。

      20180715取手八幡神社0*


拝殿正面に飾られた八坂神社の提灯。

      20180715取手八幡神社10



別アングルからの拝殿。

      20180715取手八幡神社11


      20180715取手八幡神社33



拝殿前に建つ説明板。

      20180715取手八幡神社12

こちらによれば、取手八坂神社の社殿(本殿、拝殿)は
取手市の指定文化財らしい。
どうやら、本殿の彫刻が素晴らしいらしい。



こちらが、本殿。

      20180715取手八幡神社13


      20180715取手八幡神社14

囲いがあって彫刻は確認出来ません。



境内社の稲荷神社。

      20180715取手八幡神社15



境内社の三峯神社。

      20180715取手八幡神社16



境内社の聖徳太子神社(左)と皇太神宮(右)。

      20180715取手八幡神社17


境内社の水神社。

      20180715取手八幡神社18


境内社の大杉神社。

      20180715取手八幡神社19


さらには、別な稲荷神社。

      20180715取手八幡神社20


こちらは、健育塚。

      20180715取手八幡神社21



手水舎の裏手には何かの碑。

      20180715取手八幡神社22
      20180715取手八幡神社23



こちらは、神輿庫。

      20180715取手八幡神社24


どうやら、翌週が祭礼のようで
神輿関連の飾りを点検(色塗り)をしているようです。

      20180715取手八幡神社25



鳳凰。

      20180715取手八幡神社26



火の鳥、玄武、龍、獅子。

      20180715取手八幡神社27

祭礼の役者が勢揃い。


こちらは、太子堂(不動明王)。

      20180715取手八幡神社28

こちらは、完全に神仏習合の名残りですね。



取手八坂神社の御神木は、2本の大イチョウ。


こちらは、拝殿前の大イチョウ。

      20180715取手八幡神社29
      20180715取手八幡神社30



そして、こちらは拝殿脇の大イチョウ。

      20180715取手八幡神社31
      20180715取手八幡神社32






こちらが、取手八坂神社の御朱印。

      20180715取手八幡神社34

ネットで他の人の拝受した御朱印を見ると
『坂』の字に力強さを感じるけれど
こちらは、ちょっと大人しい。
書き手が違うんでしょうかね?





2018/09/05 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

戸頭西小学校をあとにして向かった先は...............旧・取手町立戸頭小学校


戸頭小学校は、

明治7年に開校。

明治17年    永山小学校の分教場となる。
明治20年    下高井尋常小学校に統合。

明治22年    戸頭小学校として開校。
明治44年    戸頭尋常小学校と改称。
昭和22年    稲戸井村立戸頭小学校と改称。
昭和30年    稲戸井村が取手町に統合され、取手町立戸頭小学校と改称。
昭和35年    永山小学校と統合し、廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実は、この戸頭小学校に辿り着くまでに苦労しました。

以前、ネットで調べた時に、
戸頭小学校は現在の『とがしら公園』にあったような書き込みがあったので
とがしら公園に行き、色々と探し回っていました。
散歩に来ていた初老のオジさんに聞いても
『この公園に小学校が在ったような話は聞いたことがない』と言われながらも
必死で学校の痕跡を探していました。

今度は、公園のボランティアのオジさんに話を聞いてみると
とがしら公園から10分ほど歩いた場所に戸頭神社があり、
その裏手が、戸頭小学校跡と言うことです。
現在は、戸頭小学校跡地に立派なマンションが建っているそうです。


iPhoneの地図アプリをナビ代わりにして
何とか辿り着きました。

こちらが、戸頭小学校跡。

       20170131戸頭小学校01

マンションの片隅に標柱と、戸頭小学校の頃からと思われる桜の木。


こちらが標柱。

       20170131戸頭小学校02

下高井小学校前(星光工業前)に建っていたモノと同じですね。


側面には簡素な沿革が記されています。

       20170131戸頭小学校03

戸頭小学校や下高井小学校の在った地区では
学校の分離、統合を繰り返し、同じ様な名称の学校になったりします。
2年前に戸頭西小学校と戸頭東小学校が統合して新たに開校したのも
こちらと同じ名称の戸頭小学校です。


マンションが建つと言うことは、小学校跡は民間の土地になったようですが
こちらの桜の木は伐採されずに残ったようです。

       20170131戸頭小学校04


『戸頭小学校跡』の標柱が無ければ、
ここが小学校跡だとは誰も気付かないでしょう。

       20170131戸頭小学校05



どう見ても、普通のマンション。

       20170131戸頭小学校06



せめて、訪れたと言う足跡だけでも残しましょう。

       20170131戸頭小学校07


取手市のHPを覗いてみると...............

戸頭小学校や下高井小学校が廃校になった昭和35年に
高井小学校の市ノ代分校も廃校になったようです。
ネットで調べても詳しい情報は得られないけれど
そちらにも標柱は建てられているんだろうか...............?












2017/03/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........戸頭西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高源寺の地蔵ケヤキをあとにして、
向かった先は...............取手市立戸頭西小学校


戸頭西小学校は

昭和50年     永山小学校から分離して、戸頭西小学校開校。
昭和53年     戸頭西小学校から分離して、戸頭東小学校が開校。
平成27年     戸頭東小学校と統合して戸頭小学校が誕生
           (敷地は戸頭東小学校を流用)
           分離、開校、統合と言う歴史を経て、戸頭西小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。

開校から40年で廃校になってしまったようです。



こちらが戸頭西小学校の正門。

      20170131戸頭西小学校01



門柱には、『みどりが丘幼稚園 仮校舎』とある。

      20170131戸頭西小学校02

どうやら廃校後、民間の幼稚園に貸し出ししているようです。


廃校後、幼稚園とか保育園になるってパターンも多い。
でも、意外にこれが厄介。
どうしても園児がいるから中には入れない。
ましてや衛生面でも、犬を連れて敷地内に入るのは、まず無理。



仕方ないから、正門脇から敷地内を伺います。



正門近くにある石碑を望遠で撮影。

      20170131戸頭西小学校03

ちょうど終了時間なのか?
正門を送迎バスが出入りするから邪魔になる。

フェンス沿いに敷地をぐるっと一周してみます。

      20170131戸頭西小学校04


      20170131戸頭西小学校05



フェンスの切れ目から、校庭越しに眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校06



さらに、ちょっとした高台の住宅地の脇から戸頭西小学校を
眺めてみます。

      20170131戸頭西小学校07



こちらが校舎。

      20170131戸頭西小学校08


      20170131戸頭西小学校10



体育館。

      20170131戸頭西小学校09



そしてプール。

      20170131戸頭西小学校11



校庭には、シンボルツリー。
270mmの望遠で撮ってみました。

      20170131戸頭西小学校12



体育館脇には、百葉箱。

      20170131戸頭西小学校13


体育館の裏側の狭い路地を歩いて行けば...............

      20170131戸頭西小学校14


再び正門に辿り着きます。

      20170131戸頭西小学校15


フェンス越しにぐるっと一回りして来ました。
正門前には避難場所の案内板。
こちらにも『旧戸頭西小』と書かれています。

      20170131戸頭西小学校16


戸頭公園を散歩していた方に聞いたら、
現在、こちらにある幼稚園は今年度まで借りているらしい。
それで、門柱には仮園舎の表札があったんですね。

来年度以降は、どうなっているんだろう。
ひょっとしたら、だれも借り手が居なくて、
自由に見学できるようになっているんだろうか?

訪れるには、ちょっと早かったのかな...............?





2017/03/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

地蔵ケヤキ    (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。

下高井小学校跡をあとにして、次なる廃校へと向かおうとしたら
『県指定文化財 天然記念物 地蔵ケヤキ』なる案内板が目に留まった。
ちょっぴり気になる。

いや、かなり気になる...............。

気になるのなら、立ち寄っちゃえ〜!
と、言うことで立ち寄った先は.............................地蔵ケヤキ


地蔵ケヤキは高源寺本堂正面の境内の中央にあります。
樹齢1600年とも言われ、高さ27m、胸高直径3.3mを計る大樹です。
幹は途中で大きく枝分かれしており、そこからさらに大枝が伸びています。
そして、中心の巨大な幹は内部が大きく空洞となっており、
そこにいつ頃からは不明ですが、名称の由来となった地蔵尊が祀られています。

高源寺は、山号は普蔵山。
臨済宗妙心寺派のお寺で承平元年(931年)に平将門公の建立と言われています。
当初は真言宗のお寺でしたが、鎌倉時代に臨済宗に改宗されたそうです。




こちらが高源寺の参道。

      20170131地蔵ケヤキ01


そして山門。

      20170131地蔵ケヤキ02


山門に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ03

はたして、これは何と読むのだろう?
寺号の『高源寺』でも無さそうだし、
山号の『普蔵山』でも無さそうです。


山門をくぐると、目の前にケヤキの巨木。

      20170131地蔵ケヤキ04

これが地蔵ケヤキですが、こちらは裏側。


正面には立派な説明板。

      20170131地蔵ケヤキ05



そして、正面からの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ06


幹がくり抜かれたように大きな空間があり
そこに地蔵が祀られています。

      20170131地蔵ケヤキ07


      20170131地蔵ケヤキ08


      20170131地蔵ケヤキ09

このお地蔵さんは、子育て地蔵尊。
安産・子育てにご利益があると言われ、多くの人が参詣するそうです。


こちらが、本殿。

      20170131地蔵ケヤキ10


本殿に掲げられた扁額。

      20170131地蔵ケヤキ12

こちらは山号でした。



本殿の屋根には『九曜紋』。

      20170131地蔵ケヤキ11


      
こちらは鐘楼。

      20170131地蔵ケヤキ13



鐘楼の屋根瓦にも九曜紋。

      20170131地蔵ケヤキ14

この場所から数百mの距離にある高井城址。
その高井城は相馬氏の居城であり、その相馬氏の家紋が九曜紋。
さらに相馬氏は千葉氏同様に平将門の流れを汲む一族。
九曜紋があるのも当然なのかもしれない。



別アングルからの地蔵ケヤキ。

      20170131地蔵ケヤキ15



高源寺の境内には、地蔵ケヤキ以外にも古木(巨木)がある。

      20170131地蔵ケヤキ16


偶然知り得た地蔵ケヤキと高源寺。
思わぬ所で千葉氏の家紋である九曜紋が見れたのはラッキーでした。





2017/03/02 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........下高井小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

取手市の廃校巡り、その第5弾。

岡堰水神岬公園をあとにして、向かった先は...............取手町立下高井小学校です。


下高井小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみましたが、どうも情報が少ない。


明治20年    下高井尋常小学校として開校。
明治22年    高井尋常小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により、高井村立下高井小学校と改称する。
昭和30年    高井村が取手町と合併して、取手町立下高井小学校と改称する。
昭和35年    新設の取手町立永山小学校が開校し、統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。




いかにも学校跡と言うような面構え。

      20170131下高井小学校01


こちらが、下高井小学校跡。

      20170131下高井小学校02

校地は民間に払い下げられ、現在は『星光工業』と言う工場(?)になっています。



かつての正門前にて。

      20170131下高井小学校03

この門は往時のモノでは無さそうです。



門脇に建つ標柱。

      20170131下高井小学校04


標柱の側面には、簡単な沿革。

      20170131下高井小学校05

本当は、もっと色々と変遷を経ているとは思うんだけど
標柱の幅では簡素にするしか無いのかな?



平日で操業中だし、何より民間の会社の私有地だから
とても中には入れません。

おそらく、パートで働いていると思われるオバちゃんが
帰るために工場から出て来たから、ちょっと話を伺ったけれど
敷地内には学校跡を彷彿させるような遺構は全く無いそうです。
当然、廃校記念碑や二ノ宮像はありません。



周囲を見て見ましょう。


何となく学校跡を感じさせるのは、敷地境界に立つ木々。

      20170131下高井小学校06


      20170131下高井小学校07


      20170131下高井小学校08


      20170131下高井小学校09



門の向かいにある民家。

      20170131下高井小学校10

かつては商店を営んでいたように見える。
確かに、小学校の近くには文房具などを売っているお店がある(あった)。

そう言えば小学生の頃に当日の朝、必要な文房具類を
学校前のお店で買っていたのを思い出した。

愛知県知立市立来迎寺小学校の正門近くにあったお店は
未だ営業しているのだろうか...............?




2017/03/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡堰水神岬公園  (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、茨城百景の一つ、岡堰に訪れました。

茨城百景の碑の前から小貝川川を眺めると
桜の木のらある出島? 岬?
何となく興味をそそる、堤防沿いの出っ張りを見つけました。

      20170131岡堰水神岬公園01


せっかくだから、足を伸ばしてみましょう。


どうやら公園のようです。

      20170131岡堰水神岬公02

『岡堰水神岬公園』と看板には書かれています。


公園入り口には、標柱が建っています。

      20170131岡堰水神岬公03

『水神岬?』

標柱には説明文として、このように記載されていました。

岡堰にある100mの突堤。
小貝川を堰して満々と湛えた中に青松の影をうつした岬は岡堰の添景として離し難い。
岡堰は寛永7年(1630年)、関東郡代伊奈半十郎忠治によって造われ、
上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に関東三大堰のひとつである。
古くは、この岬は中州など共に水流をじぐざぐにし、堤防を護る役をしていたという。
岬の中に水神宮が祭られている。
岡堰用水組合では、水神宮のお祭りと共に上州榛名神社へ代参を立てたことが
江戸時代の記録に残っている。
山岳信仰の通有性はあるにしても、
特に榛名山を選んだのは、山を水源と仰ぐ心であろう。
水は二万石の命である。


どうやら、古くから信仰の地でもあったようです。



そんなに広くはない公園。

      20170131岡堰水神岬公04


桜の木が10数本立ち並び
花見の時期には多くの人が訪れるらしい。

      20170131岡堰水神岬公05


      20170131岡堰水神岬公08



岬の突端から旧・岡堰が眺めることが出来ます。

      20170131岡堰水神岬公06



思い切り望遠(270mm)で旧・岡堰を狙います。

      20170131岡堰水神岬公07


      
水神岬の名の由来となった水神宮と『岡堰築造記碑』。

      20170131岡堰水神岬公09


岡堰を築造した記念の碑です。

      20170131岡堰水神岬公園10

かなり、デカい。


そして、水神宮。

      20170131岡堰水神岬公11


岡堰水神岬公園から眺める小貝川。

      20170131岡堰水神岬公12


これもまた、茨城百景なり...............。






2017/03/01 Wed. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 岡堰 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、廃校巡りに茨城県の取手市に出かけました。

廃校巡りのついでに、城址巡りや茨城百景巡りもしたりして...............。


岡城址からほど近い小貝川。
この小貝川に茨城百景があると言うことで
訪れたのは...............茨城百景 岡堰



岡堰は、江戸時代幕府が成立し、
寛永年間(1624〜1644)に関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、
洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。
そして現在の取手市戸田井付近の台地を切り開き、
利根川と合流する今のような流路が出来上がりました。
河川の改修事業は、利根川を銚子沖に付け替える東遷事業の一環として行われたもので、
小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定になります。
そして、寛永7年(1630)に設けられたのが岡堰です。
作られた堰は、水田に水を供給する農業用水路に生まれ変わりました。

岡堰は、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に、関東の三大堰の一つとされています。


岡台地の岡神社(岡城址)から歩いて小貝川の堤防に着きました。

      20170131岡堰01


堤防にどぉ〜んどお建っている茨城百景の碑。

      20170131岡堰02


『 茨城百景 岡堰 』の碑です。

      20170131岡堰03

以前は堤防の入口、民家に脇に建っていたようですが
現在は、堤防の上に移設されたようです。



百景の碑の前には小貝川。

      20170131岡堰06


      20170131岡堰04


中洲に見えるのが、旧・岡堰。

      20170131岡堰05


茨城百景が制定された昭和25年には、まだこちらの岡堰が活用されていましたが
平成8年に新・岡堰が完成し、旧・岡堰はほとんどが解体されてしまいました。    

旧・岡堰があった中ノ島には、岡堰の一部が残されています。

      20170131岡堰07

現在は中ノ島公園となっている中ノ島。
以前は、農暇期の小貝川の水量が少ない時期にしか渡ることが出来ませんでしたが
現在は中ノ島へ渡る橋も出来、簡単に渡ることが出来るようになりました。


旧・岡堰を別アングルから。

      20170131岡堰08


岡堰の一部。
煉瓦が時代を感じさせます。

      20170131岡堰09


中ノ島から眺める小貝川。

      20170131岡堰10


      20170131岡堰11

これこそが、茨城百景なんですね。



こちらが、平成8年に完成した新・岡堰。

      20170131岡堰17


      20170131岡堰12



中ノ島公園には、こんな像があります。

      20170131岡堰13


間宮林蔵の像。

      20170131岡堰14

対岸の旧・伊奈町が間宮林蔵の生まれ育った地。
旧・伊奈町(現在のつくばみらい市)には、間宮林蔵の生家や墓もあるそうです。


こちらは、『間宮倫宗先生發祥地』の碑。

      20170131岡堰15

正確には対岸の町なんだけどね(笑)。

ちなみに倫宗(ともむね)は本名で、林蔵は通称らしい。
でも、通称の『間宮林蔵』の方が一般的ですねー。



中ノ島公園の芝生広場。
何となく嫌な予感はしていたんですが...............

      20170131岡堰16

やっぱり、芝生でローリング。

どうせなら、枯れ芝生の時期じゃなくて
青々とした芝生の上でローリングして欲しいなぁ。

っていうことは、芝生も青々とする時期に
また来ないといけないなぁ................




 



2017/03/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡城址 (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日 公休日

この日は、茨城県の取手市の廃校巡りに出かけました。

廃校巡りのついでに、取手市内に在る城址にも立ち寄ることにしました。
白山西小学校をあとにして、向かった先は...............岡城址


小貝川の近く、取手市の岡地区には『岡の台地』と呼ばれる高台があります。
その『岡の台』の一角に『岡神社』があり、その岡神社のある辺りが岡城址とされています。


岡城の城主等歴史については不詳ですが、
岡神社のある高台には、茨城県指定史跡である『大日山古墳』があり
その『大日山古墳』が中世に岡城の櫓台として用いられていたようです。



これは中世から近世に盛んになった大日信仰の名残で、大日山の名もそこからきていると考えられています。


こちらが、岡神社の鳥居。

     20170131岡城址01


鳥居の神額。

      20170131岡城址02



この石段を上がった先が岡神社の境内であり、岡城址とされています。

      20170131岡城址03



びいすけ の背後に建つ拝殿。

      20170131岡城址04

拝殿の建つ高台が『大日山古墳』。


こちらが、拝殿。

      20170131岡城址05



この位置からだと、拝殿のある土壇(高台)が古墳なのが良く分かります。

      20170131岡城址06

土壇脇に建つ説明板。

『大日山古墳』については触れていますが
岡城址については触れていない。

      20170131岡城址07



中世から近世にかけて、盛んになった大日信仰の名残りで
岡神社の境内には石塔が多い。
大日山の名も大日信仰からきていると考えられています。

      20170131岡城址08


      20170131岡城址09



こちらは、祭礼記念碑。

      20170131岡城址10


      20170131岡城址12



実は、岡城址のある一帯は『朝日御殿跡』といい、
平将門の妾桔梗の御殿の跡と伝えられているそうです。

祭礼記念碑の碑文にも記されています。

      20170131岡城址11



こちらが、その『朝日御殿跡』
岡城址の郭ともされている。

      20170131岡城址13


      20170131岡城址14


      20170131岡城址15



『岡の台』は平将門の所縁の地で、将門伝説の残る所。
この『岡の台』の地に将門が城を造ったとも言われています。

台地には、こんな感じで城址の雰囲気満載の場所も多い。

      20170131岡城址16


先ほどのばしょから上がって行くと、削平地。
畑と改変されています。
      20170131岡城址17




『岡の台』の外れには、こんな標柱も建っています。

      20170131岡城址18


      20170131岡城址19


『岡台地と平将門』と表題の付いた標柱には
『将門伝説が残り』『平将門にまつわる史跡として
朝日御殿跡(城跡)、延命寺、仏島山古墳』 と記されています。

ひょっとしたら、岡城は朝日御殿の事を言うんのだろうか?


良く分からない...............謎です(笑)。

2017/02/28 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........白山西小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

井野小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立白山西小学校
白山西小学校は

昭和48年  取手市立白山西小学校設置
平成28年  稲小学校と統合して新たに取手西小学校が開校(敷地は稲小学校を流用)。
        白山西小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。
開校からたった43年で廃校になってしまったようです。



キャノン取手工場の近くの住宅街の一角に在る白山西小学校。
住宅街の空き地は駐車場となり、
キャノンに通勤する人々の駐車場になっている地区。
大通りからは少し奥まった場所に、白山西小学校は在りました。


こちらが、白山西小学校の正門。

      20170131白山西小学校01


比較的新しい小学校だから、門柱も近代的。
表札は外されずに残っていました。

      20170131白山西小学校02

正門の扉は閉まっているので、一段下がった場所にはある校庭(グランド)から
敷地内に入らせてもらいます。


こちらが、校庭。

      20170131白山西小学校03



校庭の片隅に在る築山。

      20170131白山西小学校04


トンネルを匂い嗅ぎする びいすけ 。

      20170131白山西小学校05



校庭に残る遊具類。

      20170131白山西小学校06


      20170131白山西小学校07


      20170131白山西小学校08


      20170131白山西小学校09


      20170131白山西小学校10


      20170131白山西小学校11



こちらは、魚の形をしたオブジェ。

      20170131白山西小学校12

おそらく、子供たちの手による卒業製作だと思われます。


朝礼台。

      20170131白山西小学校13

もう、この朝礼台に上がって挨拶する子供たちも居ないので
今日は、 びいすけ が代わりにご挨拶。

『 ワン! 』


校庭から見上げる校舎と体育館。

      20170131白山西小学校14



こちらが校舎。

      20170131白山西小学校15


こちらが体育館。

      20170131白山西小学校16



校舎の建つ高台と校庭との擁壁には、子供たちの手によって描かれた絵。

      20170131白山西小学校17


      20170131白山西小学校18

所々、かすれて色褪せているのは
この小学校の歴史だと思いましょう。



鉄筋の校舎は二棟あり、それぞれの玄関。

      20170131白山西小学校19


      20170131白山西小学校20


玄関脇には、石碑。

      20170131白山西小学校21

『みんなで伸びよう 白山西小学校』



校舎全景。

      20170131白山西小学校22


体育館。

      20170131白山西小学校23




校舎の壁面には、子供たちの顔。
昭和55年度の卒業製作です。

      20170131白山西小学校24


      20170131白山西小学校25

昭和55年度に卒業したこの子たちも、今年49歳になる計算になる。
中年街道まっしぐら。

素敵な大人たちになっているんだろうか...............?





2017/02/27 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........井野小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。

偶然見つけることが出来た『茨城百景 大利根の展望』をあとにして
向かった先は...............取手市立井野小学校

井野小学校の詳しい沿革は不明ですが
取手市のHPの『わがまち取手市のあゆみ』によれば...............

昭和33年に取手町立取手第一小学校と統合した取手第二小学校が
その前身となっているようです。

昭和33年に廃校となっていますが、井野団地の造成等による人口増の対応により
昭和44年取手町立井野小学校として開校しました。

昭和45年取手町が市制施行し取手市となり
取手市立井野小学校と改称する。
平成27年に小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
新たに取手東小学校が開校し(吉田小学校の敷地を流用)
廃校となりました。

と、このような沿革になるようです。



一度廃校になった地区に再び小学校が出来る。
今では考えられない事ですが、昭和30年代、40年代の高度成長期に
首都圏近隣の都市がそうであったように、団地が次々に建てられ、
人口は加速度的に増えていきました。
この取手市井野地区でも同じような事が言えるのではないでしょうか?

昭和44年に開発された井野団地の一等地に井野小学校はあります。
(住所も取手市井野団地1-1)

こちらが、井野小学校の校門。

      20170131井野小学校01

バス通りに面した校門ですが、正門は別にあるようです。


程良い色合いに風化した金属製の表札。

      20170131井野小学校02


門は閉ざされていますが、門越しに井野小学校の校舎をパチリ☆。

      20170131井野小学校03



バス通りから一本入った路地沿いにある校門。
こちらが、正門のようです。

      20170131井野小学校04


こちらは石造りの表札。

      20170131井野小学校05



こちらの門は脇にある通用口が開いていたので
遠慮がちに、でもしっかりと大きな声で『失礼しま〜す!』と声を掛けて
敷地内に入らせてもらいます。

まあ、廃校だから誰も居ないとは思うけれど
地方都市の場合、周辺住民の目がうるさいって言うのもあるから
それなりに気を使います(笑)。

こちらが、校舎玄関。

      20170131井野小学校07

いっぷ、変わった形をしています。


とりあえず、校庭から学校全体を眺めてみます。

      20170131井野小学校26


      20170131井野小学校08



校舎は二棟のようです。

      20170131井野小学校09


      20170131井野小学校11



こちらは体育館。

      20170131井野小学校10

ピンク色の外壁です。



校舎の前には国旗掲揚ポール。

      20170131井野小学校12



校舎の壁面には校章。

      20170131井野小学校13



校歌の碑と像と時計。

      20170131井野小学校14

時計はちょうど1時間進んでいました。



こちらが、校歌の碑。

      20170131井野小学校15



ブロンズ(?)像。

      20170131井野小学校16

タイトルは『元気な子』。


使われなくなってまもなく1年。
校舎の前には朝礼台。

      20170131井野小学校17


校庭に残る遊具類。

      20170131井野小学校18


      20170131井野小学校19


      20170131井野小学校20


      20170131井野小学校21


      20170131井野小学校22


      20170131井野小学校24


花壇と日時計。

      20170131井野小学校25

花壇には花はありません。



卒業製作のモノなんでしょうか?

      20170131井野小学校23
     

平成27年に、小文間小学校、吉田小学校、井野小学校の3校が統合して
吉田小学校に取手東小学校が出来た。
地域性を考えれば井野小学校に統合した方が良かったかもしれないけれど
校舎の耐震性や色々なしがらみがあったのだろう。

私が高校生の時に過ごした街は多摩ニュータウン。
住まいも学校も広い多摩ニュータウンの中にありました。      
団地の中に学校があるって言うのが当たり前だったから
この井野団地に学校がなくなってしまったのは
地元の人にとっては辛いことなんだろうなぁ...............。




2017/02/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望② 》   (2017年1月31日)(茨城県取手市) 

1月31日  公休日

この日は、取手市の廃校巡りに出かけました。


取手市の小文間地区にある小文間小学校をあとにして
次なる廃校に向おうとしていましたが、
小文間公民館の前で、こんな地図を見かけました。

      20170131利根川の眺望②01

『 昔・今 小文間街道マップ 』

小文間地区の名所等が記されている地図です。


その地図に 旧・茨城百景、茨城百景 の記載がある。

『こんな所に茨城百景ってあったっけ?』

素朴な疑問が頭をよぎります。
もし本当に茨城百景ならば、素通りは出来ません。
と言うことで地図の案内を頼りに、その茨城百景なる場所に向かってみました。


県道11号線の馬坂近くに、茨城百景があります。

      20170131利根川の眺望②02


こちらが、その茨城百景の碑。

      20170131利根川の眺望②03



碑には『 茨城百景 大利根の展望 』と刻まれています。

      20170131利根川の眺望②04

あれっ?
『 茨城百景 大利根の展望 』って、確か利根町の布川にある徳満寺の境内に碑がなかったっけ?


よ〜く考えてみたら、茨城百景って包括地区があるから
こちらの茨城百景は包括地区の面足神社からの利根川の展望のようです。
涸沼の時も茨城百景の碑は2ヶ所に在ったから
この場所に在ってもおかしくはない。


この階段を上がっていけば、面足神社。

      20170131利根川の眺望②05

ここまで来て、その展望を確認しないわけにはいきません。


テンポ良く、階段を上がって行く びいすけ 。

      20170131利根川の眺望②06



面足神社の鳥居脇が拓けていて、展望が利く。
ここが 茨城百景 大利根の展望 です。

      20170131利根川の眺望②07



こちらが、面足神社の鳥居。

      20170131利根川の眺望②08


鳥居に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②09


鳥居脇には、利根川や印旛沼に近い集落に多い庚申塔と二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②10



面足神社の参道。
正面が面足神社の拝殿。

      20170131利根川の眺望②11



こちらが、拝殿。

      20170131利根川の眺望②12



拝殿に掲げられた神額。

      20170131利根川の眺望②13



拝殿脇にも庚申塔や二十三夜塔。

      20170131利根川の眺望②14



鳥居から県道へと続く未舗装の道には、こんな説明板。

      20170131利根川の眺望②16

説明板によれば、面足神社は通称『大六天』と呼ばれていたらしい。
確かに大六天は茨城百景の包括地区になっている。

      20170131利根川の眺望②17




この辺りが、旧・茨城百景の地。

      20170131利根川の眺望②18

県道が拡張された時に、ひょっとしたら百景の碑を移転したのかな?


確かに木々が邪魔して、利根川の眺望は今一歩。

      20170131利根川の眺望②19



思いもしない場所で、偶然見つけた『茨城百景』と百景の碑。
なんか、すごく得した気分です。




2017/02/25 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...........小文間小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日 公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


高須小学校をあとにして、向かった先は...............取手市立小文間小学校



小文間小学校の詳しい沿革は不明です
しかしながら、明治6年に小文間村戸田井の西光院に創立された
取手市の中では歴史のあった小学校の一つです。

明治37年現在地に移転。この頃に小文間村立尋常小学校と改称します。
昭和22年学制改革により、小文間村立小文間小学校と改称する。
昭和30年小文間村が取手町に合併し、取手町立小文間小学校と改称する。
昭和45年取手町が市制施行。取手市立小文間小学校と改称する。
平成27年 吉田小学校、井野小学校、小文間小学校が統合して取手東小学校が発足。(敷地は吉田小学校を流用)
小文間小学校は廃校となる。

と、このような沿革のようです。


こちらが、小文間小学校の校門。

      20170131小文間小学校01

かつての正門のようですが、石造りの古い門柱。
ちなみに、廃校時までの正門は別な場所にあります。



門柱には、『取手市立小文間小学校』と刻まれた表札か嵌め込まれています。

      20170131小文間小学校02


      20170131小文間小学校03



校門の脇には『頌徳碑』。

      20170131小文間小学校05

中村熊次郎と言う人が小文間小学校の移転の際に畑を寄付してくれて
この場所に小文間小学校が建てることが出来たらしい。
熊次郎氏は、後に小文間村の村長にもなられた方らしい。


こちらが正門。

      20170131小文間小学校04



正門から敷地内に入ると、すぐ目に入ってくる二ノ宮像。

      20170131小文間小学校06


      20170131小文間小学校07


      20170131小文間小学校08



そして、二ノ宮像の脇には『友愛』の碑。

      20170131小文間小学校09



少し離れた場所には、別な石碑。
廃校記念の碑かと思ったら、小文間小学校の校歌の碑でした。

      20170131小文間小学校10



こちらが校舎。

      20170131小文間小学校11

小文間小学校には、旧・校舎と新・校舎が在って
こちらは新・校舎。鉄筋3階建。
ちなみに、旧・校舎は平屋建。


こちらは体育館。

      20170131小文間小学校12



体育館と校舎の背面。

      20170131小文間小学校13


正門脇には、避難場所の案内板。
『旧小文間小』と明記されています。

      20170131小文間小学校14



中庭にあるオブジェ。
おそらく、こどもたちの卒業製作の一つでしょう。

      20170131小文間小学校15


旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校16

昭和43年度卒業生の製作品。


こちらも旧・校舎の壁面。

      20170131小文間小学校17

タイルを使って描かれています。



中庭にあった朝礼台。

      20170131小文間小学校18

おそらく、校庭から移動されたんでしょう。


校庭脇の百葉箱。

      20170131小文間小学校19



こちらが校庭。

      20170131小文間小学校20


別アングルから。

      20170131小文間小学校21



平屋建ての旧・校舎とシンボルツリー。
そして、国旗掲揚ポール。

      20170131小文間小学校22



校庭に残る遊具類。

      20170131小文間小学校23


      20170131小文間小学校24


      20170131小文間小学校25



校庭の片隅にそっと置かれた防災倉庫。

      20170131小文間小学校26

廃校の定番となっています。



取手市の学校統廃合の案が出た時に、
小文間小学校の学区の方はかなりもう反対して
陳情書も提出した(?)らしいが、結局は時代の流れ、
少子化の波には勝てず、統合という形で廃校の道を歩んだ小文間小学校。

歴史のある小学校だったのに、ちょっぴり残念です。






2017/02/24 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit