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び・び・びのびいすけ

滝田城址  (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

増間七滝の『前蔵引の滝』の滝をあとにして、
向かった先は...............滝田城址

今回、南房総市の来た最たる目的は、この滝田城址の攻略。
実は過去2回、近くに来て居ながら時間が足りなくなって
断念したことがあります。
山城だと言うこと、かなり広い城域だとネットで調べてはいましたか
実際に自分の足で歩いて、かなり広い城址だと改めて実感しました。


滝田城の築城年代は定かではありませんが、
里見義豊の妹婿である一色九郎が城主をつとめた記録があります。
里見氏の内部分裂である『天文の内訌』により、義豊が里見義尭によって安房を追われると、
義豊の妹婿である一色氏の滝田城も攻められ落城してしまいました。
諸説があるようですが、落城後に廃城となったと言う説と、
落城後、里見義堯が本拠としたとする説があるようです。

また滝田城は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』で里見義実の居城のモデルとなった城としても有名です。
そのため城址には『伏姫と八房の像』が建てられています。



こちらが、滝田城の縄張り図。

      滝田城址縄張り図

( 余胡さんのHP からお借りしました。)



県道88号線を走っていると、案内標識が出ていて
迷わずに滝田城址へと来ることが出来ます。

      20170309滝田城址64


実は、コレが曲者だったりします。
と言うのは、滝田城の登城路は2ヶ所あります。

一つは、城好き、城マニアにとっては王道とでも言うべきか?
定石とでも言うべきか?
大手口からの登城。
こちらは遺構を確認しながら、登城出来ます。

もう一つは、搦め手口側の登城路。
こちらが曲者です。
県道からの案内では、こちらに辿り着いてしまいます。


実は、そのことを知らずに、案内標識に導かれるまま
駐車場に来てしまいました。
駐車場にはトイレも完備。

しっかりとした説明板、案内図もあります。

      20170309滝田城址02


      20170309滝田城址01
  

      20170309滝田城址03

滝田城址として整備されている割には、案内図が簡素化されていて
縄張り図もない。
結果的には、ハイキングコースの案内板と言った感じです。


大手口から登城するのが、本来の意味では正解ですが
そんなことも知らずに、『いざ!登城!』と張り切ります。

      20170309滝田城址04


山城だから、仕方がないけれど、イキナリの上り。

      20170309滝田城址05


ちょっぴり息を切らしながら、上って行きます。

      20170309滝田城址06


城郭の遺構らしきモノもないまま、尾根に到着。
尾根伝いに移動します。

      20170309滝田城址07


尾根に切られた堀切。

      20170309滝田城址08

ここで、搦め手口からの進入を阻止するのでしょう。


さらに、尾根伝いに進みます。

      20170309滝田城址09


      20170309滝田城址10



主郭虎口だと思い切り勘違い。

      20170309滝田城址11

この時はまだ、登城路が二つあって、
搦め手口から登城しているとは知りませんでした。


主郭かと思ったら、そこは展望台跡。
以前は展望台が在って、見晴らしが良かったようですが
現在は撤去されてしまったようです。


展望台の一角には、伏姫と八房の像。

      20170309滝田城址12


この像も見たかったモノの一つ。

      20170309滝田城址13


像の台座には『翔天』の文字。

      20170309滝田城址14


      20170309滝田城址15



一見、天守台跡のように見えるけれど、
ここが展望台跡。

      20170309滝田城址16


滝田城の説明板。

      20170309滝田城址17


木製の滝田城址の標柱は朽ちて倒れているのを
展望台の基礎には立て掛けてありました。

      20170309滝田城址18


      20170309滝田城址19


ここで引き返して駐車場に戻ってしまう人もいるようですが
滝田城址の真骨頂はこの先。
尾根伝いにさらに先へと進みます。

なだらかな上り勾配の尾根を200mほど進むと
やがて上り階段。

      20170309滝田城址20


この階段の向こうには何がある?

       20170309滝田城址21


上りきった先は、ちょっとした削平地。
そこは台地頂部。
そんなに広くはなく、居住性はありません。

櫓台でした。

       20170309滝田城址22


櫓台には、小さな祠が祀られています。

       20170309滝田城址23

( 鉄塔もあるけどね。)


櫓台と言うだけあって、見晴らしは良い。

       20170309滝田城址24


櫓台は『八幡台』とも言うらしい。

      20170309滝田城址25

あの小さな祠は八幡宮なんですね。


八幡台から一段下ったところが主郭(本丸)。

      20170309滝田城址26


      20170309滝田城址30


それなりの広さを有する削平地。

      20170309滝田城址27


主郭には礎石が残されており、居館が在ったことを推測させます。

      20170309滝田城址28



こちらが、主郭の虎口。

      20170309滝田城址29


      
主郭から登城路を根古屋まで下って行きましょう。

ここからが、滝田城址の真骨頂です。

      20170309滝田城址31



主郭のすぐ下には曲輪。

      20170309滝田城址32

一瞬、二郭かと思ったら、二郭は別な場所に...............



こちらが二郭(二の丸)。

      20170309滝田城址33


      20170309滝田城址34


二郭には、土壇のような土塁もあります。

      20170309滝田城址35



二郭からさらに下って行くと、幾つもの曲輪があります。

      20170309滝田城址36



こちらは武者溜

      20170309滝田城址37


書いて字のごとく、兵が居留できるような削平地。
と言っても、それなりの広さ。
とても数百人の兵が居留できるわけではありません。

      20170309滝田城址38


      20170309滝田城址39


      20170309滝田城址40


      20170309滝田城址41



武者溜の奥には見晴台。

      20170309滝田城址42



さらに下って行けば、虎口。

      20170309滝田城址43



下(大手口)から上がって来ると、右カーブの虎口。

      20170309滝田城址44

なかなか、防御性も兼ねた虎口です。



さらに下って行けば、腰曲輪。

      20170309滝田城址45

本当に登城路の脇に曲輪が多い。


腰曲輪から下を覗くと、更に別な腰曲輪があるのが分かります。

      20170309滝田城址46



一段下った先の腰曲輪。

      20170309滝田城址47



主郭から、数多くの曲輪、腰曲輪を眺めながら
馬場まで降りきりました。

      20170309滝田城址48


馬場の登城路側の土塁。

      20170309滝田城址53


馬場から登城路を振り返ってみます。

      20170309滝田城址49

いかにも山城って言う感じの登城路です。




馬場は、本当に広い削平地。

      20170309滝田城址50


この広さであれば、それなりの数の兵が居留出来そうです。

      20170309滝田城址51


そして、馬場の奥には物見台。

      20170309滝田城址52

平群川沿いの街道を監視していたのでしょう。

      

馬場から一気に根古屋まで下って行きます。

こちらが、大手口の登城路の入口。

      20170309滝田城址54


やはり、害獣対策でフェンスが張られ、
出入りする扉にはロープで簡易的に施錠しています。

      20170309滝田城址55

要は、大手口から登城する人は、勝手にロープを解いて、
出入りしたら、また結び直して下さいって言うことです。


一応、大手口にも車が5〜6台停められるスペースはありますが
フェンスの関係なんでしょう、
表向きにはこちらの登城口を案内していないみたいです。

      56



こちらは根古屋地区。

      20170309滝田城址57


畑には菜の花が満開の時期を過ぎて、ちょっぴり枯れ始めています。

      20170309滝田城址58


      20170309滝田城址59



さて、駐車場に戻るにはどうしょう?

もう一度、大手口から登城して主郭まで行き
尾根伝いに移動して、展望台跡から搦め手口を下って行く元気はありません。

さすがに、この山の頂部まで行って、反対側に降りる気力もありません。

      20170309滝田城址60



県道をトボトボ歩きながら、案内標識を探しましょう。

      20170309滝田城址61


15分ほど歩いて、駐車場はもうすぐそこ。


駐車場手前には、里見桜。

      20170309滝田城址62

上総・安房の国に栄華を誇った里見氏ですが、
江戸時代になると徳川家康に里見氏10代当主、里見忠義は安房を没収され、
伯耆倉吉3万石に転封となりました。
その8年後、29歳の若さで亡くなりました。

里見氏の所縁の地と言うことで交流のある倉吉市の有志が苗木を育て、
館山に送られ、南房総市の有志らにより植えられたそうです。

      20170309滝田城址63


無事、駐車場に戻り一息つきましたが
滝田城址に1時間半以上居たことになります。
思った以上に疲れたけれど、見応えのある城址でした。






     
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2017/04/07 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

増間七つ滝 《 前蔵引の滝 》  (2017年3月9日)(千葉県南房総市 

3月9日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。


坊滝をあとにして、向かった先は...............前蔵引の滝


前蔵引の滝は、「水垢離の滝」とも呼ばれ、
増間七滝のオープニングを飾り、
七滝の中では坊滝とともに遊歩道が整備され誰でも安心して眺めることができます。

落差は10m弱、滝下部で二つに分かれているのが特徴的です。



坊滝から車に戻り、林道を下っていくと、
左側に案内板と説明板が目にとまります。

      20170309前蔵引の滝01


      20170309前蔵引の滝02

実は、林道を坊滝方面に向かっている時(つまり、往時)に
この案内板と説明板は目にしたのですが、道が狭くて駐車出来る場所もなく
駐車どころか、この先がどうなっているのかも分からず
不安が一杯な状態だったので、この滝を見るなどと言う精神的な余裕はありませんでした。

とりあえず、Uターンは出来たし、
坊滝にも行って来れたから、心に余裕が生まれます。

余裕が生まれれば、『じゃあ、この滝も見ちゃおう!』
どうせ、こんな道だから、対向車も来ないし。
割と広めになったコーナーの端に車を停めて、滝へと向かいます。



右側の階段を下って行けば、滝へと行けるようです。

      20170309前蔵引の滝03


下った先が、狭い展望エリア。

      20170309前蔵引の滝04


何とか滝は見えるものの、目の前の木が邪魔。

      20170309前蔵引の滝05


柵の切れ目から、滝壺近くへ行けるようです。


行ってみましょう。


と、言うことで滝壺近く。

      20170309前蔵引の滝06


こちらが、『前蔵引の滝』です。

      20170309前蔵引の滝07

落差が約10mと言うことでしたが
実際は6〜7mぐらいかもしれません。

水量はやはり少ないんでしょう。

      20170309前蔵引の滝08


      20170309前蔵引の滝09


      20170309前蔵引の滝10



でも、この日に見た滝の中では、一番滝らしい滝かもしれません。


別なアングルから。

      20170309前蔵引の滝11


      20170309前蔵引の滝12



さらに、別なアングルから。

      20170309前蔵引の滝13


      20170309前蔵引の滝14



写真を撮るのに夢中になっていて...............

      20170309前蔵引の滝15



ふと、足元を見ると...............

      20170309前蔵引の滝16


何かの骨。

決して犬用のオヤツのガムではありません。


野生のイノシシの骨?

何かに殺られた証し?
はたまた、熊にでも襲われた?

びいすけ が嚙りそうだし、
へんな獣が出て来ても大変だから
早々に撤収を致しました...............。




2017/04/06 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

増間七つ滝 《 坊滝 》  (2017年3月9日)(千葉県南房総市 

3月9日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

沢山不動滝をあとにして、向かった先は、...............坊滝


坊滝は、坊の滝とも呼ばれます。
大日山の中腹にあった「大日山閻魔寺」の坊さんが、
神事の際に滝の水で体を清め、水垢離をしたことから
その名がついたと言われています。
落差25mと水量の多いときは、県内屈指の壮大な滝となるそうです。


ネットで調べたら、『駐車場あり』と記載されていたので
不安を感じながらも、増間ダム脇の林道を走ります。

狭い林道。
対向車が来たら、離合をどうしよう?
そんなことを考えていたら、やがて林道は未舗装となり、
石がゴロゴロしている。
パンクに注意しながら、ゆっくりと走ります。

やがて、これ以上は無理。
転回できなくなる!と思い、車を路肩の広い場所に停め、
歩いて向かうことにしました。
(本当は、このまま引き返そうかとも思いました。)

      20170309増間七つ滝 坊滝01


      20170309増間七つ滝 坊滝02



この土橋は車じゃ無理?

      20170309増間七つ滝 坊滝03

実は、この地点で車は諦め、100mほどバックしました。



やはり、車では無理。
選択は正しかったようです。

      20170309増間七つ滝 坊滝04



目指す『坊滝』は、まだまだ先のようです。

      20170309増間七つ滝 坊滝05



案内板によれば、この辺りに『増間七滝』は点在しているようですが
『坊滝』以外に案内は無さそうです。

      20170309増間七つ滝 坊滝06



とりあえず、坊滝を目指して進みましょう。

      20170309増間七つ滝 坊滝07


結構、山深き林道を進みます。

      20170309増間七つ滝 坊滝08



やがて、視界に現れるのが坊滝の説明板。

      20170309増間七つ滝 坊滝09


      20170309増間七つ滝 坊滝10



右側に階段を降りて行けば、坊滝です。

      20170309増間七つ滝 坊滝11



階段の途中から、細い一条の水の流れを確認出来ます。
どうやら、坊滝のようです。

      20170309増間七つ滝 坊滝12



こちらが、坊滝。

      20170309増間七つ滝 坊滝13

残念ながら、水量が少なく迫力に欠けます。



坊滝の全景。

      20170309増間七つ滝 坊滝14

一条の流れだけかと思ったら、僅かながらに右側にも流れがある。
と言っても、なめ滝のように岩が濡れているだけのようにも見える。


この日の状態なら、一条の流れをバックに写真を撮った方が
見映えがするかも?

      20170309増間七つ滝 坊滝15


下から見上げるような感じで一枚、パチリ☆。

      20170309増間七つ滝 坊滝16


      20170309増間七つ滝 坊滝17



おそらく、再び訪れる事は無いと思うから
(此処に来るまでのアプローチが大変。)
再度、坊滝の全景を脳裏に残しましょう。

      20170309増間七つ滝 坊滝18


      20170309増間七つ滝 坊滝19


びいすけ も被写体になってもらいます。

      20170309増間七つ滝 坊滝20


苦労して訪れた割には、水量が乏しく
正直言えば、期待倒れ。
この時期の房総半島の滝は仕方がないのかなぁ...............。






2017/04/05 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

沢山不動滝  (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日 公休日

この日は、房総半島の南房総市に出かけました。


高月城址をあとにして、向かった先は...............沢山不動滝


沢山の不動滝は、沢山の不動堂の吊り橋下の渓谷に15mほどの3段の滝です。
岩間に不動尊の石像が見えるそうです。
周囲はスギの木など深い自然の樹木に覆われ、
春には桜、秋には深山に映える紅葉と、
この滝とのコントラストが素晴らしいそうです。


沢山不動滝は、落差15m、3段に渡る滝で
それぞれに滝壷があります。
また、沢山不動堂にかかる吊り橋(かじか橋)から望む滝もおすすめの絶景ポイントだそうです。
ちなみに、かじか橋は南房総市で唯一のつり橋だそうです。



沢山不動滝の案内板。

      20170309沢山不動滝01

どうやら、沢山不動の周辺には7つの滝があるようですが
詳しくは記されていません。


こちらが沢山不動堂。

      20170309沢山不動滝02


沢山不動堂の本堂。

      20170309沢山不動滝03

この沢山不動堂。
実は2年前のTVドラマ『ナポレオンの村』のロケ地でした。
イッセー尾形が演じる神主の菰田神社がこちらでした。


そのドラマの撮影時に書いてもらったのでしょう。
サインが飾られていました。

      20170309沢山不動滝04

左から、主演の唐沢寿明。
真ん中は、麻生久美子。
右は、イッセー尾形。



沢山不動堂の前には、不動堂と七つ滝についての説明板。

      20170309沢山不動滝05

説明板によれば、やはり沢山不動堂の周辺には七つの滝があるらしい。



こちらが、『かじか橋』。

      20170309沢山不動滝06

いわゆる吊り橋です。


揺れるのが苦手な びいすけ を、吊り橋の真ん中に置いて
記念撮影。

      20170309沢山不動滝07


大人しくしているけれど、
内心は『おっかなびっくり』しているんじゃ無いかな?

      20170309沢山不動滝08

真ん中じゃなくて、橋の端に居るし...............



それでは、滝めぐりと参りましょう。
5台程停められる駐車場から、滝へと下る階段があります。

この先に不動滝と棒滝があるようです。

      20170309沢山不動滝27


なぜか、先を行きたがる びいすけ 。

      20170309沢山不動滝09

勢い良く引っ張ると、お父さんが転んじゃうから
ゆっくり行きましょう。


階段を下ると四阿。

      20170309沢山不動滝10


この先にあるのは、不動滝のようです。

      20170309沢山不動滝11



ひょっとしたら、これが不動滝?

      20170309沢山不動滝12


その割には小さい。

      20170309沢山不動滝13



三段の滝だと言うことだから、最下段の滝なのかな?

      20170309沢山不動滝14


      20170309沢山不動滝15


      20170309沢山不動滝16



さらに奥に進むと、さらに滝が見える。

      20170309沢山不動滝17


こちらが、不動滝?

      20170309沢山不動滝18



碑とか標柱や看板がないから、正直言って分からない。

      20170309沢山不動滝19




四阿の後方の別な沢を遡上すれば、棒滝がらあります。

      20170309沢山不動滝20


棒滝は、水量が有れば見応えのある滝らしいが
この時期は雨も無く、水量は乏しい。

      20170309沢山不動滝21



滝口から流れ落ちる水量もわずか。

      20170309沢山不動滝22



棒滝の全景。

      20170309沢山不動滝23

水量が有ればなぁ...............。


迸る水飛沫が有れば、びいすけ のこんな姿も絵になるのになぁ。

      20170309沢山不動滝24


      20170309沢山不動滝25


      20170309沢山不動滝26





かじか橋の手前の階段を降りて行けば、『滝の行水』    

      20170309沢山不動滝28



階段の途中から見える『不動滝』。

      20170309沢山不動滝29

細い二条の滝。
イマイチ迫力に欠けます。


不動滝の滝口も水量が無い。

      20170309沢山不動滝30



こちらが『滝の行水』。

      20170309沢山不動滝31


      20170309沢山不動滝32



おそらく、棒滝、不動滝、滝の行水らを併せて
七つ滝と呼ばれているのでしょう。

梅雨の時期の晴れ間に来れば、水量も多くて
棒滝、不動滝、滝の行水は見応えがあるかもしれません。
ただし、ヤマビルが出そうなので(棒滝の沢)、
ちょっと びいすけ と一緒では無理かなぁ...............。







2017/04/04 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高月城址  (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日  公休日

この日は、房総半島の南房総市に出かけました。

犬掛の八房生誕の地をあとにして、向かった先は...............高月城址



上滝田地区の龍喜寺が高月城址とされているようですが、
高月城については、詳細は不明です。

高月城の近く(北側)に犬掛の古戦場があり、また滝田城からも近いこの位置から考えて、
滝田城の出城の1つと考えられているようです。
また、犬掛の合戦の際に陣城が置かれたところであるかもしれません。
しかしながら、龍喜寺は里見義通が開基した寺院で、
里見義通の位牌も納められているということです。



こちらが、高月城の縄張り図

      高月城址縄張り図


(余胡さんのHP よりお借りしました)



龍喜寺に至る道は狭く、途中にゲートもあって車では通れません。
仕方ないので、県道の路肩に車を停めて歩きましょう。


びいすけ の背後にあるのが高月城址。

      20170309高月城址01


龍喜寺への案内板を頼りに歩きます。

      20170309高月城址02


      20170309高月城址03


狭い道を上って行くと、フェンスの向こうに又々イノシシ捕獲用の檻。

      20170309高月城址04

本当に害獣の被害は深刻なんですね。


ダラダラと上り坂を上がって行けば、龍喜寺

      20170309高月城址05



城塁と削平地。

      20170309高月城址06


こちらが龍喜寺の説明板。

      20170309高月城址07

由緒ある寺院のようですが、現在は無住の寺のようです。



龍喜寺の本堂。

      20170309高月城址08



境内には、なぜか鳥居。

      20170309高月城址09



萬勢稲荷と言う稲荷神社のようです。

      20170309高月城址10


      20170309高月城址11



萬勢稲荷の社が建つのは土塁上。

      20170309高月城址12



龍喜寺の三方を取り巻くように土塁が残されています。

      20170309高月城址13


      20170309高月城址14


龍喜寺の本堂の建っている辺りは、さしずめ居館跡でしょうか?

      20170309高月城址15



萬勢稲荷の背後には、尾根伝いにさらに台地の奥に行けそうですが
害獣避けのフェンスがあって立ち入り禁止。

      20170309高月城址16


さらに、フェンスの先にはイノシシ捕獲用の檻。

      20170309高月城址17


遺構らしきモノは土塁ぐらいしか無いようです。
滝田城の支城とするならば、ちょっぴり拍子抜け。
やはり、犬掛合戦の際の陣城だったのだろうか...............?

城巡りの割には、今一歩テンションが昂まりませんでした。




2017/04/03 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

八房生誕の地 (八房公園)   (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。


南房総市の犬掛地区は『犬掛の里』とも呼ばれ
南総里見八犬伝の所縁の地でもあります。
と言うのも犬掛地区に、伏姫の愛犬八房誕生の地と伝えられる場所があります。

物語によれば、室町時代、親犬をオオカミに食い殺された子犬を、老狸が育てていました。
その噂が領主・里見義実の耳に入り、子犬を召し寄せて「八房」と名付け、
愛娘伏姫の愛犬として可愛がりました。

その後、里見は隣国と戦になり滝田城に籠城します。
義実は、八房に「敵将の首を取ったら伏姫をやる」と口走り、
八房は本当に敵の首を取って来てしまいます。
義実は、約束通り伏姫を八房の妻としました。
こうして伏姫と八房は、城を出て山中の「伏姫籠穴」で暮らすことになります。

犬掛の春日神社脇に八房誕生の地があり、そこには八房と狸のブロンズ像が建てられています。
近くには、里見家が分裂して骨肉の争いをした犬掛古戦場跡があります。


犬掛合戦場跡から歩いても5分程度の距離。
県道脇の路肩のスペースに車を停めて向かいましょう。

      20170309八房生誕の地01


      20170309八房生誕の地02



里山を歩いて行きます。
畑の周りには、白い針金のような防護線。

      20170309八房生誕の地03


よく見ると『きけん』と札が掛けられています。

      20170309八房生誕の地14

害獣(イノシシ)防止のために電流が流れているんですね。



こちらの畑には、イノシシ捕獲用の檻。

      20170309八房生誕の地04


野生のイノシシが出没するとは、ある意味、自然の宝庫とも言える里山です。



程なくして、八房公園に到着。

公園と言っても小さな公園で何もない。
敷地も近隣の方の駐車場と化しています。
一応、ここが『八房生誕の地』と言うことらしい。


敷地の一角には、『八房伝説』の説明板。

      20170309八房生誕の地05



そして、八房の像。

      20170309八房生誕の地06



これが見たかったんだよねぇ。

      20170309八房生誕の地07



びいすけ と並んで写真を撮りたかった(笑)。

      20170309八房生誕の地08



こうやって見ると、八房は凛々しい和犬ですね。

      20170309八房生誕の地09




八房公園の隣が春日神社(犬掛春日神社)。

      20170309八房生誕の地10


      20170309八房生誕の地11


      20170309八房生誕の地12


      20170309八房生誕の地13


隣が春日神社と言うか、春日神社の敷地の一角が
八房公園と言った方が適切のような気がします。


しかしながら、こうやって『八房生誕の地』として像まで建てられると
『南総里見八犬伝』が史実のような気がして来ます。

やっぱり、一度読破しないとダメかなぁ...............?(笑)





2017/04/02 Sun. 12:12 | trackback: -- | 本文: -- | edit

犬掛古戦場跡&里見氏の墓  (2017年3月9日)(千葉県南房総市) 

3月9日  公休日

この日は、房総半島の南房総市に出かけました。

途中、富津市で寄り道をしながらも、向かった先は...............犬掛の里



戦国時代、関東制覇をもくろむ小田原・北条氏と激しく争ったのが安房・里見氏です。
その里見氏は里見義堯の代に最盛期をむかえ、房総半島に一大勢力を誇りました。

そもそも里見氏は贈鎮守府将軍・新田義重の庶長子・新田義俊(里見太郎)を初代とし、
里見の名は、新田義俊が上野国碓氷郡里見郷(現在の群馬県高崎市上里見町・中里見町・下里見町)に移り、
その地の名を苗字としたことに由来するそうです。

鎌倉時代になると、義俊の長子・里見義成が源頼朝に仕えて御家人となります。
義成は頼朝に重用され、頼朝の死後も代々の将軍に近侍しました。
元々は上野国・常陸国などに所領を与えられていましたが、
永享の乱、続いて結城合戦で里見家基が討たれ、里見氏は没落します。

家基の子・義実は安房国に落ち延び、のちに安房里見氏の祖となったとされています。

その里見氏も3代目当主、里見義通が危篤となった時、
嫡男・義豊はまだ5歳であったため、義通の弟である実堯が、
義豊が15歳になるまで陣代(後見人)として家督を預かる事になりました。

実堯は稲村城を居城とし、義豊は支城の宮本城を居城とし、
実堯の子・義堯は上総・金谷城を居城としました。
ところが、義豊が15歳になっても、実堯は北条氏綱の上総へ侵攻を理由に
家督移譲を延期し、里見氏の家督を維持していました。

義豊は二十歳になった天文2年に稲村城を襲って、
実堯とこれを補佐する正木通綱を殺害してしまいました。

里見義豊が叔父・里見実堯を殺して家督を奪ったため、
実堯の子・里見義堯が仇討の兵を起こして、義豊を討つことになります。

天文3年、上総にいた義堯は正木通綱の子である正木時茂・時忠兄弟と連絡を取って
敵討ちを図ろうとします。
義堯は仇敵である小田原の北条氏綱に同盟を依頼します。
義堯は北条氏綱らの援軍を受けて全軍を率いて上総を出発し、
義豊のいる稲村城を直接奇襲すべく進軍させ、犬掛の地(現在の千葉県南房総市)で
義堯軍と義豊軍が合戦になりました。

結果は義堯軍の勝利。義堯は義豊が籠城を図ろうとした稲村城内にまで突入し、
このため、義豊は稲村城を脱出したものの進退窮まって自害して果てたとされています。

これが『天文の内訌』(稲村の変)と言う、里見氏の内紛劇です。

こうして父の仇を討った里見義堯が非道な義豊に代わって、
里見氏の家督を継ぐことになったのです。


その合戦の地が、犬掛合戦場です。


犬掛の里山の路肩に車を停め
散策を兼ねて、合戦場跡に向かいます。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓01




この台地の下で壮絶な合戦が繰り広げられたようです。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓02


合戦場跡には碑が建てられているようなので
碑のある場所へと向かいます。


温暖な南房総市だから、梅の花は満開かと思いきや
ポツリポツリと咲き始めた状態。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓03


      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓04



こちらが、合戦場跡。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓05

この場所に碑が建てられていたようですが、
碑は見当たりません。
比較的新しく見える説明板が建てられていました。
(基礎のコンクリートも新しく見える)

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓06



説明板から数百m離れた場所に
里見氏の墓が在ると言うことなので、
そちらに向かいましょう。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓07



稲村城から北上して来た義豊軍を迎え撃った義堯軍は
この台地で待ち伏せしていたのでしょうか?

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓08

いずれにしても、後々の里見氏の家督を争う戦いがこの地で起こりました。



この石段先に、里見氏の墓が在るようです。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓09


石段脇に建てられている説明板。

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓10




里見義通・義豊親子のお墓。もとは大雲院(廃寺)にありましたが、
明治42年(1909年)にこの場所に移設されました。
(説明板には里見義道・義豊親子と記されていますが、義通の間違いでは?)

      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓11


      20170309犬掛古戦城跡&里見氏の墓12


北総の有力武家である千葉氏でも宗家(嫡流)と庶流が家督を争い内紛があったように
安房・上総の有力武家の里見氏でもやはり家督争いがあった...............。

一族の中で合戦をするとは、戦国時代は非常に儚いものです。



2017/04/02 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

房総半島最南端 野島崎  (2017年2月27日)(千葉県南房総市) 

2月27日 公休日

この日は、勝浦から鴨川・南房総・館山へと向かいました。

鴨川から、『道の駅 ローズマリー公園』や『道の駅 千倉潮騒王国』経由で
向かった先は...............野島崎


野島崎は、房総半島の最南端。
太平洋に突き出ている台地です。
白鳥の灯台とも呼ばれる野島埼灯台があり、
点灯は観音埼灯台に次いでわが国2番目に古い美しい灯台です。
灯台の下は太平洋の波涛が砕け散る岩礁地帯で、
海女によるアワビ、テングサ採取の中心となっています。
野島埼灯台を中心とした公園は格好の散策コースとなり、
潮風に吹かれながら岬の公園をひとまわり約20分で回れるそうです。


野島崎一帯は野島崎園地と言うらしい。

      20170227野島崎01

確かに房総半島の海岸線に在るから、国定公園の一つかと思っていたら
どうやら、国立公園や国定公園でもないらしい。


こちらには、野島崎公園の英文字版のゲート。

      20170227野島崎02



野島崎灯台の近くのベンチにて。

      20170227野島崎03

集合写真用の長いベンチでした。



晴れていれば、海をバックの写真も映えるのですが
生憎の曇り空。

      20170227野島崎04


いつ、小雨がパラパラ来てもおかしくない天候ですが
降らないだけでもマシと思いましょう。

      20170227野島崎05



灯台の下には芝生が広がり、灯台をバックに
芝生を徘徊する びいすけ 。

      20170227野島崎06



岩場に何やら説明板が建っている。
当然、素通りは出来ません。

      20170227野島崎07


      20170227野島崎08

説明板には

『西暦1180年、伊豆から安房に渡って来た源頼朝公は勢力的に動き、
この野島崎に立ち寄り矢鏃(やじり)で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説であるが、
史実でもあると云われている。
この地で武運再興を願掛けている時、突然に時雨に近くの岩屋に実を寄せ、雨を凌いだ。
この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所に深海に棲む創造の大蛸(おおだこ)の海神を祀った。
海神は海面を鎮め、豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろう。
大蛸の廻りには鮑(あわび)やサザエを配し、特に中央の大鮑の殻の中に願いを掛けた賽銭を投げて、
見事、貝の中に入れば開運間違いなしととの事。
なぜならば貝運は開運への道の如し!』

と記されています。


確かに、岩屋を覗くと蛸のレリーフみたいなモノがある。

      20170227野島崎09


      20170227野島崎10


伊豆で挙兵したものの、石橋山の合戦で敗れ安房に逃げ延びた頼朝は、
現在の鋸南町に上陸したのが通説ですが、
館山市の洲崎に上陸したと言う説もあるようで、
館山市近郊にも頼朝伝説が多く残り、この岩屋もその一つでしょう。




岬(野島崎)の突端に建っている、房総半島最南端の地の碑。

      20170227野島崎11


      20170227野島崎12

野島崎って、岬って言う感じじゃないから
どうしても最南端と言われてもピンと来ない。
四国の室戸岬みたいな感じなんだよね。



碑の向かいの岩の上にあるベンチ。

この場所は、朝日と夕陽の見える景勝地らしい。

      20170227野島崎13

「南房総白浜サンライズポイント」と記されています。

一説では、この地に訪れたカップルがベンチに座って、夕陽を眺めるらしい。



誰も居ないから...............

びいすけ と ダック に座ってもらいましょう。

      20170227野島崎14


      20170227野島崎15

7歳6ヶ月の雄のビーグル2頭。
人間で言えば、約53歳ぐらいらしい。

いわゆる、おっさんがベンチで並んでいる。
人間だったら画にならないけれど、犬なら画になるかも?(笑)



そんなことを思いながら、野島崎の散策は続きます。

ゆっくり回っても30分くらいでグルっと回れちゃうから
芝生の匂いを嗅ぎながら、ゆっくりと徘徊して下さいね。

      20170227野島崎16


泳ぎは得意じゃないけれど、海は嫌いじゃない。
波が苦手な びいすけ には申し訳ないけれど
海に行くのは、なぜか心が踊ります。

この近くには、もう一つ灯台があるらしいから
もう一つの灯台目指して移動いたしましょう...............




2017/03/26 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宮本城址  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。


岡本城址をあとにして、向かった先は...............宮本城址


宮本城は、房総里見氏の二代目成義(近年の研究によると、その存在が疑問視されています。)が
延徳3年(1491年)に稲村城の支城として築いたものです。 
城域は、山頂一帯を主郭とし、東へ延びた尾根と南北に派生する支尾根に、
連続して竪堀、土橋、掘切を組み合せ、敵の取り付きを困難にする技巧的な構造になっています。
特に、城の北側の防御に力が注がれているのを見ると、
当時の里見氏が、上総方面を意識していたことがよく解ります。
成義の三男・実堯(現在では、初代・義実の子という説が主流です。)が初代城主となり、
宮本城は、天文2年(1533年)に起こった里見氏一族の内紛(天文の内乱)で当主の義豊が敗死した後、
稲村城とともに廃城となったと伝えられていますが、遺構の形式から見て、従来考えられていた年代よりも後まで使用されていたことが伺えます。 当時の文献からも、義豊を滅ぼした義堯が宮本城を居城としたことが明らかになっています。





こちらが宮本城の縄張り図

      宮本城縄張り
                     ( 余胡さんのHP  よりお借りしました )



宮本城址のアプローチは、道の駅『おおつの里花倶楽部』を目指します。
道の駅の駐車場に車を置いて100ほど歩けば、この案内板。

      20170126宮本城址01



案内通りに進んで行けば、曲がり角には矢印に案内。

      20170126宮本城址02


親切この上ない。

      20170126宮本城址03

実は、道の駅にパンフレットが置いてありましたが
宮本城址へのハイキングも道の駅がお勧めするコースらしい。
ただ、難所コースだから、それなりの装備(靴、上着)が必要って書かれています。


矢印の案内に混じって、こんな立て札。

      20170126宮本城址04

何だか怖そう。


とにかく登城路に至るまでが長い。
再び曲がり角。

      20170126宮本城址05



左に枇杷畑を眺めながら進軍します。

      20170126宮本城址06



アスファルト(コンクリート)の地面がなくなった辺りから
宮本城址への登城路となります。

      20170126宮本城址07



この辺りから道幅も狭くなり、いかにも山城への登城路って感じです。

      20170126宮本城址08


なかなか、上り勾配もキツく、ついつい息が上がってしまいますが
根性で進軍いたしましょう。

      20170126宮本城址09



主郭虎口。

      20170126宮本城址10



ちょっぴり、額に汗を浮かべながら主郭に到着。

      20170126宮本城址16


      20170126宮本城址17


主郭に建っている説明板。

      20170126宮本城址15


そして、主郭に建つ石碑と城址の標柱。

      20170126宮本城址11



標柱。

      20170126宮本城址12


石碑は二基ありました。

こちらの石碑は判読不明。

      20170126宮本城址13


こちらも判読不明と思ったら...............

      20170126宮本城址14


反対側を覗いたら、読みづらいですが、
『宮本城址』と刻まれています。

      20170126宮本城址21



宮本城址の碑になります。

      20170126宮本城址22    



説明板の傍らには、以前に建てられていた四阿だろうか?
朽ち果てて倒壊していました。

      20170126宮本城址18



主郭の片隅に建てられた小さな句碑。

      20170126宮本城址19

戦国を勝ち抜く夢の
若武者の
恋もまじわる 宮本の城

う〜む、なかなか良い句ですね。
きっと、里見氏当主を夢見た義豊の事を詠んでいるんですね。




そして、句碑の傍らには、小さな看板。

      20170126宮本城址20

確かに、房総半島には高い山がないけれど、
183mの山でも登るのはキツかった...............。




主郭からの眺め。

      20170126宮本城址30
     
この景色は、数百年前の義豊の時代から変わらないんだろう。



主郭東部にある井戸跡。

      20170126宮本城址23


主郭から東側にも尾根が伸びていて、宮本城の城域は広がっているようですが
縄張り図を持って来なかったため、東側に尾根の先を探索するのは諦め
一気に下山しました。

 

麓に辿り着くと、そこには菜の花畑。
    
      20170126宮本城址24


まだ1月の下旬なのに、菜の花が咲いている。

      20170126宮本城址25



道の傍らには、小さなタンポポの花。

      20170126宮本城址26

南房総市って、本当に暖かいんだ。
ちょっぴり驚き。



道の駅に戻り、疲れた体を癒すソフトクリームのじかんです。

      20170126宮本城址27

大人しく『待て!』をして、ソフトクリームを貰おうとする びいすけ 。


仕方ないなぁ〜! とダメ飼い主はついつい甘くなります。

      20170126宮本城址28


まぁ、ソフトクリームだから、甘いのは当然か(笑)。

      20170126宮本城址29


  
本当は、このあともう一つ山城へチャレンジする予定でしたが
さすがに宮本城址の攻略は疲れました。

鋸南町を抜けて、帰ることにいたしましょう。



    
2017/02/21 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡本城址  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。


岡本桟橋をあとにして、向かった先は...............岡本城址


岡本城は、元々は里見氏家臣であるの岡本豊前守氏元の居城でした。
元亀元年(1570年)に佐貫城に在城していた里見義弘に召し上げられ、
安房の守りとして後の里見氏8代当主である里見義頼に与えられ、
大修復され、居城とされたと言うことです。

里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代、約170年にわたって房総半島南部を拠点とした一族です。
『里見氏代々記』、『房総里見軍記』などの軍記物によると、
水軍を編成し敵対する後北条氏を攻めるため相模へ侵攻したと伝えられ、
関東では数少ない水軍を擁した一族としても知られています。

天正8年(1580年)、弟の梅王丸との後継者争いに勝利した里見義頼が
東京湾を望む丘陵上に造られ、城の規模は東西600m、南北300mにも及び、
この地域の城としては非常に大きな規模と複雑な構造を誇っています。
中心部分は3つの郭から構成され、斜面下から海に向かって広がる郭は
港としての機能を持っていたとされています。



こちらが、岡本城の縄張り図。

      岡本城縄張り

( 余胡さんのHP からお借りしました )



こちらの台地が岡本城址。

      20170126岡本城址01

国道127号にも案内板が建っているからわかりやすい。

ただし、駐車場は無いから、路駐覚悟で訪れましょう。


岡本城址のアプローチはこちらから。

      20170126岡本城址02

トンネル手前右手の狭い登り道が登城路。


実は、この登城路と案内板に気付かず、
トンネルの先をぐるぐると回って探しまくってました(笑)。

      20170126岡本城址03



狭い登り道を上がって行きます。
右手側には枇杷畑。
立ち入り禁止のネットがしっかり張られています。

      20170126岡本城址04


斜面には埋もれかけているけど、房総半島に多いやぐら(横穴墳墓)跡。

      20170126岡本城址05



登城路を上りきった先は、主郭虎口。

      20170126岡本城址06



こちらが主郭。

      20170126岡本城址07



主郭は里見公園として整備されたようですが
公園といっても何も無く、ベンチが一脚あるのみ。
訪れる人も余りいないのでしょう。

      20170126岡本城址08



主郭に建てられた説明板。

      20170126岡本城址09

知らなかったんだけど、岡本城址って国指定の史跡だったんですね。


主郭の一角には岡本城址の碑。

      20170126岡本城址10


      20170126岡本城址11


城址碑の隣には、それなりの月日を経た石碑。

      20170126岡本城址12

碑文は風化していて、判読不明。


城址碑の奥に尾根沿いへと続く道がある。

      20170126岡本城址13


どうやら、この先にも郭があるみたい(?)です。

      20170126岡本城址14



しばらく行くと、岩の高台。
物見台の跡かもしれない。

      20170126岡本城址15


その場所からの眺望。

      20170126岡本城址16

大房岬もはっきりと見える。

この場所なら、浦賀水道を船で渡ってくる北条軍も確認できるだろう。
やっぱり里見氏の要の城なんですね。


さらに尾根伝いに道は続いていそうだけど...............

      20170126岡本城址17


縄張り図を持ってきていないから、この先は不明。
このあとにも、もう一つ山城にチャレンジするつもりだから
無理はいたしません。

里見氏って軽く見ていたけれど、しっかりした山城を構築しているから
意外に侮れない。
北条びいきの身ですが、ちょっぴり見直しました。






2017/02/20 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岡本桟橋  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

大房岬自然公園をあとにして、向かった先は...............岡本桟橋


岡本桟橋は、正式には原岡桟橋と言い、
原岡海岸にある全国でも数少ない木製の桟橋です。
テレビCMやロケの舞台にもなっている知る人ぞ知る穴場的スポットです。

美しい夕焼けとシルエットで浮かび上がる富士山を眺ることができ、
隠れた穴場となっているようです。




こちらが、原岡海岸。

      20170126岡本桟橋01

背後に見えるのが岡本桟橋。
さらにその奥に見えるのが大房岬。


目的は岡本桟橋。

      20170126岡本桟橋02

富士見の丘とも呼ばれているようです。



運が良ければ、こんな風に富士山が見えるようです。

      20170126岡本桟橋03



残念ながら、この日は富士山は見えません。

      20170126岡本桟橋04



この辺りまでは桟橋はコンクリート製。

      20170126岡本桟橋05

青山学院大学のお墨付き?
コンクリートにはめ込まれた青山学院大学のプレート。



木製の桟橋は意外に狭い。

      20170126岡本桟橋06



波が怖い びいすけ は拒否行動(笑)。

      20170126岡本桟橋07



宥めすかし、オヤツで釣って何とか桟橋の先端に着きます。

      20170126岡本桟橋08

桟橋の先端部もコンクリート。


コンクリートの桟橋なら怖くはないみたいで
びいすけ の表情も穏やかになります。

      20170126岡本桟橋09


      20170126岡本桟橋10


      20170126岡本桟橋11



浜の方に戻ろうとすると、なぜか尻尾は下がっている。

      20170126岡本桟橋12



岡本桟橋から眺める大房岬。

      20170126岡本桟橋13



重ね重ね、富士山が見えないのが残念。
どうも富士山とは相性が悪いようで、なかなかお目にかかれない。

いつか、この桟橋で夕景の富士山を見てみたいものです。











2017/02/19 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大房不動滝   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。

南房総市の富浦町にある館山湾と富浦湾の境目に突き出た大房岬に
偶然にも滝があり、滝好きとしては素通り出来ません。

訪れた滝は...............大房不動滝

大房不動滝は、大房岬内で唯一の湧水から流れ落ちる滝です。
里見義実が安房の国を平定する前に、滝で身を清め武運を祈願したと伝えられた滝です。
平成7年(1995年)に今の滝に復元したそうです。


この崖の一画に大房不動滝はあります。

      20170126大房不動滝01


崖の前には説明板。

      20170126大房不動滝02

てっきり天然の滝だと思っていたら
いつしか枯れてしまったので、平成7年に改修して
2代目の滝として復活したようです。



こちらが大房不動滝

      20170126大房不動滝03


あれっ!?

      20170126大房不動滝04

ほとんど流れ落ちる水がない。


良く見ると...............

わずかに水が流れ落ちています。

      20170126大房不動滝07

元々、水量が多くないのか?
はたまた、今年になってほとんど雨が降ってないから
滝の水も枯れ始めているのでしょうか?




奥の洞窟のような所が行者の窟なんですね。

      20170126大房不動滝05



岩肌に流れ落ちる水。

      20170126大房不動滝06

こちらも申し訳無さそうな水量。

      20170126大房不動滝12
     


滝をバックに びいすけ を撮ってみますが
心なしか びいすけ も不満足そうな表情。

      20170126大房不動滝08


      20170126大房不動滝09


      20170126大房不動滝10


      20170126大房不動滝11


      
正直、ちょっぴり期待していた大房不動滝ですが
修復された人工(?)滝であることにショック。
そして水量がなく、あえて悪い表現をすれば『しょぼい滝』だったことが
ダブルのショックでした...............。



2017/02/19 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大房岬自然公園   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

以前から、房総半島には気になる岬がいくつも有ります。
近くに来たのだからと、向かった先は...............大房岬(大房岬自然公園)

大房岬は、浦賀水道に突き出した長さ2kmの岬です。
南房総市最西端に位置し、周囲は県立の大房岬自然公園となっています。
自然が多く、海水浴、森林浴、登山など市内一大の観光スポットとなっている。

そもそも大房岬は山となっており、約80mの小山です。
散歩道としても使われ、岬へと通ずる市道は坂が急こう配です。
岬の先端部の海触崖や、伝説を持つ洞穴などの見所があり、
景色もよく、館山湾、富浦湾の眺望に優れ、
晴れた日は夕日、富士山を望むことができます。

大房岬自然公園は南房総国定公園の中にあり、
自然公園の行楽施設の集合地区として、運動広場や、ビジターセンター、
自然の家、ホテル、キャンプ場、駐車場、芝生園地、遊歩道、展望台などが整備されています。


周囲一帯が公園となっている大房岬。

      20170126大房岬自然公園01


駐車場の脇に在るビジターセンター前の案内図で
園内の位置関係を確認します。

      20170126大房岬自然公園02

展望塔や芝生広場もあって広い公園のようです。


いきなり視界に飛び込んできた『房総の魅力500選』の碑。

      20170126大房岬自然公園03

プレートには、『大房岬と富浦海岸』。


大房岬自然公園は遊歩道が完備。

      20170126大房岬自然公園04

犬連れの散歩も楽しそう。


案内板も各所にあるから、迷うことは無さそうです。

      20170126大房岬自然公園05



進行方向右手に広い芝生広場が見えた頃...............

      20170126大房岬自然公園06



左手方向にこんな建物が目に入ってきます。
展望塔です。

      20170126大房岬自然公園07



ロングリードの びいすけ 。
すぐさま展望塔に向かって行きます。

      20170126大房岬自然公園08



『お父さん、早く! 来ないの?』とでも言いたげな びいすけ 。

      20170126大房岬自然公園09


『バカと煙バカ高い所に上りたがる...............』

それを地で行く びいすけ 。
階段をダッシュで上がって行きます(笑)。

      20170126大房岬自然公園10


展望塔の最上部に到着。

      20170126大房岬自然公園13



展望塔からの眺め。

      20170126大房岬自然公園11


      20170126大房岬自然公園12


    

展望塔から芝生広場に向かいます。

芝生広場の手前にこんな説明板。 

      20170126大房岬自然公園14

そもそも、大房岬は黒船来襲の時代から太平洋戦争まで、
日本の防衛の砦として使用されたそうです。
大房岬砲台跡(東京湾要塞)もその名残りです。
そのため、昭和初期には軍部の方針などで
地図から大房岬の存在が消されていたこともあったと言われています。

基本的には戦争は反対で、太平洋戦争も肯定はしません。
戦争遺構っていうモノには興味はないけれど、
首都東京の入口でもある房総半島には、どうしても戦争遺構が多く残っています。

こちらが、砲台跡。

      20170126大房岬自然公園15


八角形の台座。
同じ八角形なら、伏姫籠穴に在った八角形の展望台の方が好感が持てる。


日陰で びいすけ も良く分からないし...............

      20170126大房岬自然公園16



こちらの芝生広場は『運動園地』と言うらしい。

      20170126大房岬自然公園17


立派な桜の木もあり、花見には最適な芝生広場。

      20170126大房岬自然公園18



芝生広場の匂いを嗅ぐ びいすけ 。

      20170126大房岬自然公園19

一瞬、嫌な予感...............。


予感的中。

      20170126大房岬自然公園20



一心不乱にローリングする びいすけ 。

      20170126大房岬自然公園21


ローリングでスイッチが入ったのか?
激走モードに突入。

      20170126大房岬自然公園22



『いいね〜!』

      20170126大房岬自然公園23

運動園地を激走する びいすけ を見て、私のテンションは昂まります。

やっぱり、『運動園地』だから運動しなきゃ!

      20170126大房岬自然公園24


      20170126大房岬自然公園25



半径10mの激走の後、芝生で『伏せ』して待つ びいすけ 。

      20170126大房岬自然公園26

こう言った素直な所が可愛いんだなぁ(完全な親バカです。 笑ってやって下さい。)



運動園地の奥が第一展望台。

      20170126大房岬自然公園27



『お〜い、 びいすけ 。何か見えたかい?』

      20170126大房岬自然公園28



展望台と言うだけあって、眺望はすこぶる良い。

      20170126大房岬自然公園29

画面真ん中に見える煙突が横須賀の火力発電所。
残念ながら富士山は見えませんでした。


再び、散策路(遊歩道)を歩いて散策を続けます。


しばらくしたら、目に留まった案内板。

      20170126大房岬自然公園30



これも戦争遺構ですね。

      20170126大房岬自然公園31

せっかくだから、覗いて行きましょう。


太平洋戦争の遺構にしては、コンクリートが新しくない?

      20170126大房岬自然公園32



そんな事を思いながら、コンクリートのトンネルの先へと向かいます。

      20170126大房岬自然公園33



こちらが、弾薬庫だったようです。

      20170126大房岬自然公園34



どうやら大房岬には、こう言った戦争遺構がかなりあるみたいです。

      20170126大房岬自然公園35



再び、こんな案内板を見つけました。

      20170126大房岬自然公園36

第二展望台に行きましょう。



こちらが、第二展望台。

      20170126大房岬自然公園37



展望台と言うだけあって、こちらも眺望が良い。

      20170126大房岬自然公園38



しかしながら、どうやら富士山とは相性が悪いようで
本来なら画面中央に富士山が見える筈なんだけど、
天気は良いんだけどガスっていて、この日は見えません。

      20170126大房岬自然公園39



第二展望台脇の増間島。

      20170126大房岬自然公園40



説明板によれば、三芳地区の増間村から大雨でこの地に流されてきたという
「海へ流れた島」という民話が残っているそうです。

      20170126大房岬自然公園41



第二展望台から再び遊歩道を歩き、台地を下りながら先へと進みます。

      20170126大房岬自然公園42


台地を下った先は、南芝生園地。

      20170126大房岬自然公園43



こちらも広い芝生広場。

      20170126大房岬自然公園44



平日で南芝生園地には誰もいない。
ロングリードを緩め、びいすけ の気の向くままに任せます。

      20170126大房岬自然公園45



『走れ〜! びいすけ !!』

      20170126大房岬自然公園46


      20170126大房岬自然公園47



勢い良く、南芝生園地を走り回る びいすけ 。

      20170126大房岬自然公園48


      20170126大房岬自然公園49



南芝生広場から更に降れば、海岸となります。

      20170126大房岬自然公50



久しぶりの海。

      20170126大房岬自然公園51

この日は穏やかな天気。
陽射しは暖かく、春を感じる陽気。
潮風も心地良い。


せっかくだから、海岸も散策してみましょう。

      20170126大房岬自然公園52



波が苦手な びいすけ 。
この辺りなら大丈夫。

      20170126大房岬自然公園53


      20170126大房岬自然公園54


      20170126大房岬自然公園55



本当なら、この波打ち際を走らせてみたいんだけど
波が苦手な びいすけ にはちょっと無理。

      20170126大房岬自然公園56


波の来ない砂浜を歩いて、駐車場のある高台まで戻ります。


初めて訪れた『大房岬自然公園』。
なかなか楽しめる場所で、犬を連れての散策は大正解のようです。




2017/02/18 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

岩井の大蘇鉄  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日  公休日

この日は、南房総市に出かけました。


JR岩井駅から歩いて向かった先は...............岩井の大蘇鉄


岩井の大蘇鉄は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房に落ちのびた時、
このソテツの偉容を称えたと言われています。
一般にソテツは大きくなると横に広がりますが、
このソテツは5本の主幹と支幹ともに直立しています。
樹齢千年を超え、高さ8メートル、根回り約6.5メートルの巨樹です。
伊豆にある国指定天然記念物の「新町の大ソテツ」に次ぐ、日本有数の巨樹といわれ、
千葉県の天然記念物に指定されています。


JRの踏切を渡り、旧・富山小学校(岩井小学校)方面に歩いて行くと
こんな案内板が目に留まります。

      20170126岩井の大ソテツ01

南房総市って、案内が充実していて
観光客には優しい街かも?


案内板の案内通りにしばらく歩けば、岩井の大蘇鉄に到着です。

      20170126岩井の大ソテツ02



昭和10年に千葉県の天然記念物に指定されたようです。

      20170126岩井の大ソテツ03

って、今から82年前?
ちょっと驚き。



岩井の大蘇鉄のある場所は、どうみても一般民家の敷地内。

      20170126岩井の大ソテツ04



千葉県教育委員会の設置した説明板もあります。

      20170126岩井の大ソテツ05

まさか、この地で頼朝伝説に出会うとは...............

そう言えば、頼朝が真鶴岬から逃げ延び
安房の国に上陸したのは、お隣の鋸南町。
近いって言えば近い。



こちらが、岩井の大蘇鉄。

      20170126岩井の大ソテツ06

確かにデカい。


びいすけ と比較しても大きさは判ります。

      20170126岩井の大ソテツ07


時期的なモノなんだろうか?
葉が全く付いていない。
こうやって写真でみて見ると、
蘇鉄と言うよりはサボテンに見えてしまうのは気のせい?(笑)





2017/02/17 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

伏姫公園  (2014年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

この日、『南総里見八犬伝』の舞台でもある伏姫籠穴に行きました。
せっかくだから、『南総里見八犬伝』繋がりで
伏姫の像がある公園に立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は...............伏姫公園



伏姫公園は、JR内房線「岩井駅」すぐそばにある公園です。
里見八犬伝の伏姫と八房の像があります。
毎年、X'masシーズンにはイルミネーションが施され
ちょっとした観光スポットになっているようです。


こちらが、JR岩井駅。

      20170126伏姫公園01

数年前に、この丸ポストを見に来たことがあります。


駅のすぐ脇にある小さな公園。
これが、伏姫公園です。

      20170126伏姫公園0102

こちらが駅側の入口。



そして、出口と言うか、
公園の敷地はこの辺りまで。

      20170126伏姫公園0104

とにかく、本当に小さな公園です。



芝生の中に置かれた像。

      20170126伏姫公園0106

立ち入り禁止のトラロープが張られています。


像の前の碑。

      20170126伏姫公園0107



そうです。
こちらが、伏姫と八房の像。

      20170126伏姫公園0108


      20170126伏姫公園0109


      20170126伏姫公園0110


イルミネーションが像の周りに張り巡らせてあるので
芝生も立ち入り禁止にしているようです。



反対側の芝生にも、何やら碑のようなモノがある。

      20170126伏姫公園0103


千葉県ではお馴染み。
房総の魅力500選の碑。

      20170126伏姫公園0111

てっきり、選定場所は『伏姫公園』かと思っていたら
『富山と伊予ヶ岳』でした。


おそらく、この山が富山。
そしてその背後には伊予ヶ岳があるのでしょう。

      20170126伏姫公園0112


JR岩井駅の近くには、もう1つ名所(?)があるらしいから
車は岩井駅に置いて、歩きながらそちらに向かいましょう...............



2017/02/17 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.............旧・富山小学校(旧・岩井小学校)跡   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、南房総市に出かけました。

南房総市は、平成18年に富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、
丸山町、和田町の7つの町村が合併して発足した自治体で、
その市域はかなりの広範囲に渡ります。

合併して南房総市が誕生したものの、少子化の波は収まらず
南房総市では、平成20年から段階的に小学校の統廃合を行なってきました。

そんな南房総市ですが、旧・富山町域のJR岩井駅近くに
平成28年に移転してしまった小学校跡があり、
今回、そちらを訪れてみました。

訪れた先は...............南房総市立 旧・富山小学校跡


富山小学校は現役の小学校ですが、
平成28年に小中一貫校の富山学園として
南房総市立富山中学校の敷地内に移転しました。

さらに振り返れば、平成20年に平群小学校と岩井小学校が合併して
旧・岩井小学校の設備を使用して南房総市立富山小学校が誕生しました。

すなわち、南房総市立 旧・富山小学校跡地でもありますが
南房総市立岩井小学校跡地でもあります。

残念ながら、富山小学校の古いHPには岩井小学校の沿革も載っていましたが
現在地に移転した後に更新されたHPには岩井小学校の沿革は抹消されていました。

平成20年 平群小学校と岩井小学校が合併して、富山小学校が誕生。
平成24年 八束小学校を統合する。
平成28年 小中一貫校(富山学園)として、富山中学校の敷地内に移転する。

と、このような沿革のようです。


こちらが、正門。

      20170126岩井小学校01


門柱には、富山小学校の表札。

      20170126岩井小学校02

富山幼稚園も平群幼稚園と岩井幼稚園が統合して誕生したらしい。
富山小学校は移転しましたが、富山幼稚園は未だこの地に残っています。



こちらの門柱には表札を剥がした跡が確認できます。

      20170126岩井小学校03

きっと、岩井小学校の表札が掲げられていたのでしょう。



正門脇には、避難場所の看板

      20170126岩井小学校04

こちらには、岩井小学校と記されています。


正門前のバス停。

      20170126岩井小学校05

こちらは、富山小学校と記されています。


スクールバスのためか? はたまたそれ以前からか?
自動車が出入り出来るように大きめの門も用意されています。

      20170126岩井小学校06


事故防止用の注意喚起の看板にも『岩井小学校』の文字。

      20170126岩井小学校07

敢えて、岩井小学校の標記を訂正しなかったのか?
ひょってしたら、岩井地区の人々の維持? こだわり?


小学校は移転しましたが、幼稚園は敷地内に在るから
遠慮がちに敷地内に入ってみます。

      20170126岩井小学校08


こちらが、校舎。

      20170126岩井小学校09



こちらは、幼稚園の園舎。

      20170126岩井小学校10

平日の昼間だから、園児も居ることだし
あまり長居は出来ません。
急ぎ足で敷地内を確認します。

こちらが遊具類。

      20170126岩井小学校11


      20170126岩井小学校12


      20170126岩井小学校13


      20170126岩井小学校14


      20170126岩井小学校15



二ノ宮像もなく、学校跡の碑や岩井小学校の
廃校記念碑も見つかりません。



こちらが、体育館。

      20170126岩井小学校16


      20170126岩井小学校17



校舎裏側。

      20170126岩井小学校18


こちらは給食室。

      20170126岩井小学校19

岩井小学校の時には、こちらで給食を作っていたのでしょうか?



廃校・学校跡地ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170126岩井小学校20

体育館脇に在りました。


校舎裏の植木鉢の残骸。

      20170126岩井小学校21

まだまだ使えそうなんですけどね...............。



体育館と校舎を繋ぐ渡り廊下には
子供たちの作品と思われる大きな絵が飾られていました。

      20170126岩井小学校22


岩井小学校から富山小学校。
そして富山学園となるために移転してしまった小学校。
だった8年間で色々と変わってしまったようです。
そんなに急ぎ足じゃなくても良いのでは?と思ったりします。
旧・富山町は合併前に3校在った小学校が
小中一貫校の1校に統合されてしまいました。

時代の流れに置いていかれてしまった小学校ですね。



2017/02/16 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

伏姫籠穴   (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日  公休日

この日は、房総半島の南房総市に出かけました。

『とみやま水仙遊歩道』をあとにして、向かった先は...............伏姫籠穴


伏姫籠穴は、滝沢馬琴の名作「南総里見八犬伝」の舞台と言われる伏姫と八房が籠もった「籠穴」です。
富山中腹にあり、八房が眠るという「犬塚」もあります。
籠穴の入口は高さ約1mほどです。
辺りは木々がうっそうと茂り、幻想的な雰囲気が漂います。


『南総里見八犬伝』は読んだことはないけれど、
遠い昔(かなり昔話です)、真田広之と薬師丸ひろ子が共演した『里見八犬伝』って言う映画を見た記憶がありますが、
それとは、内容が違うのかな?

調べて見ると...............

『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と
神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。
共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の
文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。
関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、
因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する............... (Wikipedia より抜粋)

確かに映画もこんな内容だったような気がします。




富山中学校脇の狭い道を富山登山口目指して進むと
やがて伏姫籠穴に到着します。
とにかく狭い道なので、対向車が来ない事を願うのみ。
何せ、離合が出来ない本当に狭い道です。



無事、伏姫籠穴に到着。

      20170126伏姫籠穴01


こちらが、入口。

      20170126伏姫籠穴02

見るからに城門のような造り。
戦国時代の里見氏のイメージかな?


門に掲げられた扁額。

      20170126伏姫籠穴03


門の塀には、説明板も掲げられています。

      20170126伏姫籠穴32

じっくり説明文も読みましょう。


門をくぐって、すぐさま視界に入る『犬塚』。

      20170126伏姫籠穴05



本当に、この下に八房が眠るのか?

      20170126伏姫籠穴06

『南総里見八犬伝』って創作でしょ?(笑)



先に進みましょう。

石段を登り...............

      20170126伏姫籠穴07


コンクリートの坂道を上って行きます。

      20170126伏姫籠穴08



またまた、階段。

      20170126伏姫籠穴09


階段の先に展望台のようなモノが見えます。

      20170126伏姫籠穴10


展望台(?)には、またまた説明板。
(実は、入口の塀に掲げられていたモノと同じ内容です。)

      20170126伏姫籠穴11



展望台は八角形の形をしています。

      20170126伏姫籠穴12


上から見ると、こんな感じ。

      20170126伏姫籠穴13



その八角形の柱には、八犬士の名前が刻まれています。

      20170126伏姫籠穴14


      20170126伏姫籠穴15


      20170126伏姫籠穴16


      20170126伏姫籠穴17


      20170126伏姫籠穴18


      20170126伏姫籠穴19


      20170126伏姫籠穴20


      20170126伏姫籠穴21




そして床には、『仁義八行の玉』の文字。

      20170126伏姫籠穴22


      20170126伏姫籠穴23


      20170126伏姫籠穴24


      20170126伏姫籠穴25


      20170126伏姫籠穴26


      20170126伏姫籠穴27


      20170126伏姫籠穴28


      20170126伏姫籠穴29

なかなか、凝っている。



肝心の伏姫籠穴は、この奥。

      20170126伏姫籠穴30



小さな石碑も建てられています。

      20170126伏姫籠穴31


こちらが、伏姫籠穴   

      20170126伏姫籠穴33


      20170126伏姫籠穴32




こうやって見てみると、どこまでが小説なのか?
分からなくなってきます。

いつか機会があったら、『南総里見八犬伝』も読んでみようかな...............?




2017/02/15 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

とみやま水仙遊歩道  (2017年1月26日)(千葉県南房総市) 

1月26日 公休日

この日は、房総半島の南房総市に出かけました。


南房総市は、平成18年に富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、
丸山町、和田町が合併して発足した自治体で、その市域はかなりの広範囲に渡ります。
今回は、南房総市の中でも結果的には、
旧・富山町域、旧・富浦町域を中心に巡ってみました。



まず、最初に訪れたのは...............とみやま水仙遊歩道


とみやま水仙遊歩道は、房総半島の南端に近い南房総市の富山地区に設けられた散策コースで、
長閑な里山風景の中の丘の斜面や尾根道を辿るルート沿いに水仙が植えられ、
毎年1月から2月にかけて美しい景観を見せてくれます。

休日ともなれば、多くの家族連れで賑わう里山ですが、この日は平日。
ましてや、朝5時前に自宅をでて下道を根性で走り、8時過ぎに里山に到着。
本来は、『道の駅富楽里とみやま』の駐車場に車を停めて、
『とみやま水仙遊歩道』の入口まで約1kmを歩いて行くのですが、
入口近くの道路脇にちょっとした駐車スペースがあったので
そちらに車を置いて、いざ水仙の群生地を目指します。



こちらが、『とみやま水仙遊歩道』の入口。

      20170126富山水仙遊歩道01



案内図も用意されています。

      20170126富山水仙遊歩道02

案内図を見ると、どうやら遊歩道は一方通行に指定されているようです。


入口からは、しばらくこんな感じの小径を登って行きます。

      20170126富山水仙遊歩道03

まだまだ、水仙の『す』の字もありません。


小径の両脇にポツリ、ポツリと水仙の花が現れますが
どうやら、今年は水仙の花が咲くのが早くて、
昨年の暮れが見頃だったようです。

      20170126富山水仙遊歩道04


      20170126富山水仙遊歩道05


      20170126富山水仙遊歩道06



それでも、せっかく来たんだから、遊歩道をしっかり一周してみましょう。

      20170126富山水仙遊歩道07


道を間違えないように、案内板がしっかりコースを教えてくれます。

      20170126富山水仙遊歩道08



スタンプラリーも行われているようです。
コース内の2ヶ所に、こんな感じでスタンプ台が準備されています。

      20170126富山水仙遊歩道10


中を覗いたら、肝心のスタンプが無い(笑)。

      20170126富山水仙遊歩道09

誰かが持って帰っちゃったのかな?

まあ、スタンプを集めているわけじゃ無いけど
不心得者は許せませんね。



遊歩道は少しづつ上り坂。

      20170126富山水仙遊歩道11



先へ進むほど、ポツリ、ポツリと水仙の花が見えて来ます。

      20170126富山水仙遊歩道12



またまた分岐点。
遊歩道は左方向ですが、右側の先に行ってみます。

      20170126富山水仙遊歩道13


しばらく歩くと、やがてT路地。
T路地を左に進めば、展望台に到着です。



展望台は、広い削平地。
まるで、郭跡のようにも見える。

      20170126富山水仙遊歩道16


石碑を発見!

もしかして、城址?
期待をして石碑を確認すると...............

      20170126富山水仙遊歩道14





『勝善寺跡碑』でした。

城郭の郭跡だと思ったら、寺跡だったんですね。


展望台には四阿も設けられています。

      20170126富山水仙遊歩道15

   

せっかくだから、小休止いたしましょう。  

必然的に、 びいすけ のオヤツの時間となります。
      


貰う気満々の びいすけ 。

      20170126富山水仙遊歩道17


『欲しい〜?』って、要らない訳が無い。

      20170126富山水仙遊歩道18

聞くだけ野暮ですね(笑)。


はい、どうぞ〜!

      20170126富山水仙遊歩道19



ペロリンチョン。

      20170126富山水仙遊歩道20



もっと無いの? とでも言いたげな びいすけ 。

      20170126富山水仙遊歩道21




さすがに展望台と言うだけあって、眺望は良い。

      20170126富山水仙遊歩道22


      20170126富山水仙遊歩道23



オヤツに未練があって、四阿から出ようとしない びいすけ ですが...............

      20170126富山水仙遊歩道24


『行くよ〜!!』


展望台から、先ほどの分岐点に戻り、遊歩道は一気に下りとなります。

下りになって、急に水仙の花が多くなってきた。

      20170126富山水仙遊歩道25


陽射しの関係だろうか?
はたまた、高度の関係?(そんなに高地じゃないけど...............)
確かに水仙の花が増えてきた。

      20170126富山水仙遊歩道26


      20170126富山水仙遊歩道27


      20170126富山水仙遊歩道28


      20170126富山水仙遊歩道29



この辺りが一番咲いていました。

      20170126富山水仙遊歩道30

こう言う光景を見ると、確かに水仙の群生地って感じがします。





やがて、水仙は無くなり、竹林の脇を抜けて行きます。

      20170126富山水仙遊歩道31

まるで、城址巡りをしているみたい。


この場所なんか、虎口に見えるんだよなぁ。

      20170126富山水仙遊歩道32


      20170126富山水仙遊歩道33



まるで、登城路のような細い小径を下って行きます。

      20170126富山水仙遊歩道34



民家の脇を抜けて、県道へと出ます。

      20170126富山水仙遊歩道35



こちらは出口だから、紛らわしい案内板。

      20170126富山水仙遊歩道36

確かに入口は先だけど...............。



出口から入口近くに停めた車まで、県道をのんびりと歩きます。

県道沿いに建つ寺号標。

      20170126富山水仙遊歩道37


良く良く見ると...............

『勝善寺』って、かつて展望台に在ったお寺でしょ?

      20170126富山水仙遊歩道38

正面の山の中腹にでも在るのかな?
そんな事を思いながら、車に向かうのでありました...............。





2017/02/14 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............上三原小学校 (2016年5月18日)(千葉県南房総市) 

5月18日 公休日

この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。


北三原小学校をあとにして、向かった先は...............旧・和田町立 上三原小学校


上三原小学校は、

明治11年      黒岩小学校附属上三原小学校開校
明治15年      黒岩小学校から独立して上三原小学校となる
明治19年      上三原尋常小学校と改称する。
明治22年      黒岩尋常小学校、小川尋常小学校と上三原尋常小学校が統合して
           北三原尋常小学校が開校。
           北三原尋常小学校山入分校となる。
明治25年      北三原尋常小学校から独立して山入尋常小学校と改称する。
明治31年      上三原尋常小学校と改称する
昭和22年      学制改革により北三原村立上三原小学校と改称する。
昭和30年      北三原村と和田町が合併して和田町となる。
          和田町立上三原小学校と改称する。
平成7年       北三原小学校に統合され廃校となる.

と、このような沿革となっているようです


北三原小学校の在った南房総市の黒岩地区から、さらに山あいへと車を走らせます。
旧・和田町の最北部、上三原地区の『自然の宿 くすの木』を目指します。

上三原小学校は廃校後の平成9年に、当時の和田町が町営の体験交流施設として
『自然の宿くすの木』として建物と土地を利用しています。




こちらが上三原小学校の正門

      20160518滝田小学校01


      20160518滝田小学校02



門柱は、古い石造り。
当然、往時の門柱です。

      20160518滝田小学校03


表札はも往時のモノ。
ただし、消されてしまったのか?
はたまた、長い年月で掠れてしまったのか?
はっきりとは読めませんが、かすかに上三原小学校と書かれていたのが判ります。

      20160518滝田小学校04



門柱の裏面には、皇紀2600年建立とあります。
すなわち、昭和15年に建立されたモノのようです。

      20160518滝田小学校05



正門脇には、石碑類が並びます。

      20160518滝田小学校06



校歌の碑。

      20160518滝田小学校07



こちらは、創立百十二年の碑。

      20160518滝田小学校08

百十二年って、なぜか中途半端。
キリの良い百周年の時になぜ建てなかったんだろう?


正門をくぐって敷地内に入ります。
校庭の端に鳥居があるようです。

      20160518滝田小学校09


実は、上三原小学校の敷地内に神社(山天宮)があります。

      20160518滝田小学校10


そして、その山天宮の本殿の脇には、大きなクスノキがらあります。

      20160518滝田小学校11

安房地方では最大と言われるクスノキだそうです。



こちらが、そのクスノキ。

      20160518滝田小学校12


確かに、幹周りはかなり太い。

      20160518滝田小学校13



上三原小学校に戻りましょう。

こちらが校庭。

      20160518滝田小学校17


      20160518滝田小学校14

現在は、『自然の宿くすの木』と言う市営の宿泊設備となっています。


学校の雰囲気を残すために建て替えられた宿舎も
一見、校舎のように見えたりします。

      20160518滝田小学校15


『自然の宿くすの木』の職員の方に話を伺ったら
上三原小学校の講堂を宿舎の一部に流用しているそうです。

こちらが、その講堂。

      20160518滝田小学校16


     

校庭の端に古びた石碑がありますが、碑文が読めません。

      20160518滝田小学校18



上三原小学校のモノなのか?
はたまた、神社に関するモノなのか?

      20160518滝田小学校19



校庭に残る遊具類は、往時のモノらしい。

      20160518滝田小学校20


      20160518滝田小学校21



この木製の的にボールを投げて遊んでいたのでしょう。

      20160518滝田小学校22


ちょっとした高台にある上三原小学校。

往時の講堂の壁には、『自然の宿くすの木』の文字。

      20160518滝田小学校23


山奥の廃校の有効利用とも言える上三原小学校。
廃校後、宿泊設備となった廃校は数多くあるけれど
多くの宿泊設備がその後廃業している例が多い中、
この上三原小学校は、20年近く営業を続けていると言うことは
公共の宿泊設備(?)と言えども、成功している例になるみたいです。
このまま、いつまでもその姿を残していって欲しいモノです。








2016/06/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............北三原小学校 (2016年5月18日)(千葉県南房総市) 

5月18日 公休日

この日は、房総半島南部の鋸南町・南房総市の廃校巡りに出かけました。


八束小学校をあとにして、向かった先は...............南房総市立北三原小学校


平成18年に誕生した南房総市。
7つの町村が合併して誕生した南房総市ですが
三芳村を除く6町村では、少子化の波を食い止めることも出来ず
旧町村域で小学校の統廃合が進んでいます。
北三原小学校の在った旧・和田町でも平成20年に統廃合の波が寄せてきました。



北三原小学校は、

明治6年      上三原村西浜小学校北上三原小学校が開校する。
           小川村に小川小学校が開校する。
           黒岩村に南上三原小学校か開校する。
明治7年      南上三原小学校が黒岩小学校と改称する。
明治11年     北上三原小学校、小川小学校、黒岩小学校を合併して黒岩小学校として開校。
明治22年     黒岩村、小川村、上三原村、 小向村、布野村、磑森村、五十蔵村が合併して北三原村となる。
           北三原尋常小学校と改称する。
明治37年     高等科を併設し、北三原尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、北三原村立北三原小学校と改称する。
昭和30年     北三原村が丸山町と合併。
           丸山町立北三原小学校と改称する。
平成7年     上三原小学校を統合する。
平成18年    和田町が富浦町、富山町、三芳村、白浜町、千倉町、丸山町と合併して南房総市となる。
           南房総市立北三原小学校と改称する。
平成20年     南三原小学校に統合され、廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。



こちらが、北三原小学校の正門跡。

      20160518北三原小学校01



木造平屋建ての校舎。

      20160518北三原小学校02


      20160518北三原小学校03

実は、北三原小学校の校舎ではなく、併設されていた北三原幼稚園の園舎でした。



校庭は共用していたみたいです。
その校庭の一画に建つ、学校跡の碑。

      20160518北三原小学校04


逆光で見辛いですが、『北三原小学校跡』『北三原幼稚園跡』と並記されています。

      20160518北三原小学校05



裏面には各々の沿革が刻まれています。

      20160518北三原小学校07



校庭に残る遊具類。

      20160518北三原小学校08


      20160518北三原小学校09


      20160518北三原小学校10


      20160518北三原小学校11


      20160518北三原小学校12




草陰にひっそりと置かれた錆び付いた朝礼台。

      20160518北三原小学校13


てっきり、北三原小学校の校舎だと思っていたから
写真を撮りまくっていました。

      20160518北三原小学校14

改めて申し上げます。
北三原幼稚園の園舎です。



では、肝心の北三原小学校の校舎は何処?


敷地の隣で作業をしていたおじさんに話を伺いました。
(かく言う私も十分おじさんです。)(笑)

狭い道を一本挟んだ先に、立派な老人ホームが建っています。

      20160518北三原小学校15

この老人ホームの建っている場所にかつての北三原小学校の校舎が建っていたそうです。


見た感じ、学校の校舎に見えなくも無い。
体育館のような付帯施設もあります。

      20160518北三原小学校16

きっと体育館は、その場所に在ったのでしょう。


老人ホーム沿いの古いフェンスには、こんな看板。

      20160518北三原小学校17

紛れもなく、学校が在った証し。


このフェンスが通学路のフェンスを兼ねていたようで
支柱に子供たちが喜びそうな(?)絵が描かれていました。

      20160518北三原小学校18


いつ頃、校舎が解体されて老人ホームが建てられたのかは分かりませんが
手付かずの廃校も残っているけれど、八束小学校のこども園と言い、
こちらの北三原小学校の老人ホームと言い、南房総市は上手く廃校跡を活用しているような気がします。





2016/06/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit