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び・び・びのびいすけ

松伏総合公園  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町) 

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の松伏町に出かけました。
松伏町の廃校及び学校跡を探索したあとは、
ゆっくりと公園散歩と洒落込みましょう。

と、言うことで立ち寄った先は...............松伏総合公園


松伏総合公園は、松伏町の「ゆめみのニュータウン」の東端に整備して作られた公園で、
松伏記念公園の南側に隣接しています。
園内には、釣りをして楽しむことが出来る大きな池を中心に、
公園北側にある公園のシンボルで展望台設備の整った風車、
そして公園東側には多目的広場があります。
春になると桜が綺麗に咲く池周辺をお花見からピクニック、
そして散歩などを楽しむのに適している公園です。
特に風車周辺は、桜が多く植えられているのでお花見スポットとしても知られているようです。


こちらが、公園入口。

      20170111松伏記念公園01



すぐ隣にも公園があって、そちらを松伏記念公園と言うのか?

      20170111松伏記念公園02

でも公園案内板には、しっかりと松伏記念公園なんて書かれている。
ましてや、松伏総合公園と言う記載はどこにもない。

ひょっとしたら、公園名を改称さたけれど、案内板までは気が回らなかったのかな?


案内板による多目的調整池をぐるっと回ってみましょう。
何せ、こちらの公園はこの調整池がある意味、メインだったりします。

池の前の芝生に大きなモニュメント。

      20170111松伏記念公園03

ひょっとして、スーパーマン?(笑)
そんな訳はない。


調整池と言うだけあって水位は変動するようです。
なぜか、立ち入り防止のフェンスを超える水位。

      20170111松伏記念公園04

ひょっとして、ちょっぴり水が多いんじゃない?



足元が濡れていない、要はフェンスを水が超えて来ていない場所を選んで
池沿いを歩いて行きましょう。

      20170111松伏記念公園05


四阿もありますが、こちらの四阿は素通り。

      20170111松伏記念公園06


他のワンちゃんの匂い(残り香)が有るのか?
匂い嗅ぎに夢中な びいすけ 。

      20170111松伏記念公園07


      20170111松伏記念公園08



ロングリードに付け替えてくれば良かったのに...............
ちょっぴり後悔。

      20170111松伏記念公園09

って言うか、車に戻って付け替えれば済むんだけど
そんな元気は無い(笑)。


クンクンと匂い嗅ぎが激しい びいすけ 。

      20170111松伏記念公園10


      20170111松伏記念公園11


その理由がわかりました。

ノラ猫の匂いですね。

      20170111松伏記念公園12


意外に、この公園ノラ猫が多かった。

ノラ猫に遭遇する度に、 びいすけ が興奮するから
宥めるのが大変です。

      20170111松伏記念公園13



ノラ猫のいない水辺を選んで歩きましょう。

      20170111松伏記念公園14


      20170111松伏記念公園15


      20170111松伏記念公園16


      20170111松伏記念公園17


      20170111松伏記念公園18


      20170111松伏記念公園19


      20170111松伏記念公園20


      20170111松伏記念公園21



池の周りをほぼ半周すると、いきなり視界に現れた風車。

      20170111松伏記念公園22


スペイン風らしい。

      20170111松伏記念公園23

って、何処がスペイン風なんだろう?(笑)


取り敢えず高いモノには上りたがる びいすけ 。
『お前は煙か?』と思いながらも、風車の上部へと上がってみます。

      20170111松伏記念公園24

かく言う私も、こう言った展望台みたいなモノは嫌いじゃ無い。




風車最上部(展望台)からの眺め。

こちらが調整池。

      20170111松伏記念公園25



こちらはグランド。

      20170111松伏記念公園26



そのグランドに立ってみます。

      20170111松伏記念公園27



グランドって言っても人間用。
ドッグランじゃないから走らせる訳にも行かないし。

      20170111松伏記念公園28



そもそもドッグランじゃ走らないし...............
まぁ、もっとも今日は七福神巡りや廃校巡りをして
いっぱい歩いているから、走る元気もそんなに残っていないんじゃないかな?

      20170111松伏記念公園29


30〜40分ぐらいの松伏総合公園の散策。
そんなに近いわけじゃないから、おそらく次回は無いと思うけれど
ノラ猫さえ居なければ、犬連れで散歩するには良い公園じゃないかな?

そんな感想を胸にこの地をあとにしました...............。




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2017/02/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校赤岩分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日  公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第4弾。

旧・松伏小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校赤岩分校


赤岩分校は

明治25年     赤磐尋常小学校として設立。
明治41年     松伏尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     松伏小学校赤岩分校となる。         
昭和48年     本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、赤岩分校。

      20170111赤岩分校01

分校と言うだけあって、敷地は狭い。

廃校時には周りが田んぼや畑だらけだったか否かは知らないけれど
現在は、住宅街の一画です。

      20170111赤岩分校02


分校の校舎はおそらく建て替えられているのでしょう。
現在は、赤岩農村センターの建物が建っています。

      20170111赤岩分校03



敷地の一角に在る石碑。

      20170111赤岩分校04



『赤岩分校跡地』の碑です。

      20170111赤岩分校05


碑の側面には沿革が刻まれています。

      20170111赤岩分校06


      20170111赤岩分校07

既に廃校となってしまった学校は、なかなか情報も少ないので
こう言う形で沿革が残されているのは貴重な情報源です。



とにかく狭い敷地だから、限られたアングルでしか撮影できない。

そして、遊具等の遺構も全く残されていない。

      20170111赤岩分校08


      20170111赤岩分校09


      20170111赤岩分校10


廃校から、もうすぐ44年。
あの赤岩分校跡地の碑が無ければ、
誰もこの地が廃校跡地だとは思わないだろうなぁ...............。


2017/02/04 Sat. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立 旧・松伏小学校跡  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

松伏町の廃校、学校跡巡りの第3弾。

大川戸分校をあとにして、
向かった先は...............松伏町立 旧・松伏小学校跡

松伏小学校は廃校ではなく、現存する小学校です。
ただ、現在の校地は48年に校舎を新築された際に移転したもので
昭和48年までは、別な場所に学び舎は在りました。


松伏小学校は、

明治6年      松伏領村立大川戸小学校として西福寺に開校
明治6年      松伏領村立松伏小学校が宝珠院を校舎として開校
明治9年      第四学区の本校として広大なる校舎を新築する   
           分校は郁文学校(旭村),周知学校(豊野村),
           樋籠学校(幸松村),向畑学校(新方村)とする
明治12年     新教育令により従来の学区を廃して町村毎に学区を設置することになり,
           本校の広大な校舎を縮小する。残余の校舎は本郡々役所の庁舎に献納する
明治19年     分教場を下赤岩の東陽時に置き,同年9月に廃止する
明治22年     町村制実施に伴い,松伏領村になった大川戸藤聯小学校分教室は本校の分教室となる
明治25年     赤岩尋常小学校を設立(旧赤岩分教場)
           本校に補習科を設置
明治34年     二カ年制高等科を設置
           松伏領尋常小学校と称する
昭和4年      大川戸尋常小学校と合併し,松伏領尋常高等小学校と称し,大川戸に分校を置く
昭和22年     六三制実施に伴い,松伏領村立松伏領小学校と改称
昭和31年     町村合併による新松伏村設置に伴い,校名を松伏村立松伏小学校と改称
昭和44年     町制施行により松伏町立松伏小学校と改称
昭和47年     大川戸,赤岩両分校を廃止し,松伏小学校に名目統合する
昭和48年     新校舎完成に伴い松伏町大字村松伏1609番地に移転する





こちらが、旧・松伏小学校跡地。

      20170111旧・松伏小学校跡01

旧・松伏小学校の跡地は現在の松伏町役場です。



この広い駐車場は、かつての校庭跡なのだろうか?

      20170111旧・松伏小学校02



庁舎と庁舎の間に何やら石碑らしきモノがある。

      20170111旧・松伏小学校03



近寄ってみましょう。

      20170111旧・松伏小学校04


石碑は松伏小学校跡の碑です。

      20170111旧・松伏小学校05



しっかりと『松伏小学校跡地』と刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校06



裏面には、沿革も刻まれています。

      20170111旧・松伏小学校07


この石碑以外、学校跡を彷彿させるモノは無い。
いわゆる、遺構が全く残っていない。

学校跡地の碑の脇に、どぉ〜んと庁舎がそびえ立っている。

      20170111旧・松伏小学校08

はたして、この庁舎を訪れる人たちが、この碑に気付いているのだろうか?



そう言えば、先日テレビで芸能人、著名人の同級生を探すって言う類いの番組で
作家の羽田圭介が松伏小学校の卒業生だと言う事を知りました。
彼はまだ31歳だから約44年前には、まだ生まれていない。
昭和48年に移転した松伏小学校が学び舎になる。
松伏町の役場が昔の母校跡だと言う事を知っているのだろうか...............?


2017/02/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............松伏町立松伏小学校大川戸分校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡松伏町)  

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけ、そのあとに松伏町の廃校巡りに出かけました。

旧・金杉小学校跡をあとにして、
向かった先は...............松伏町立松伏小学校大川戸分校



大川戸分校は

明治6年     大川戸小学校として開校する。
明治22年    町村制施行と同時に松伏領村となり 
          松伏小学校分教室となる。
明治25年    松伏領村立第一学区大川戸尋常小学校となる。    
昭和4年     松伏領尋常高等小学校の分校として開校する。    
昭和22年    松伏領村立松伏領小学校大川戸分校と改称する。
昭和48年    松伏小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、大川戸分校跡。

石造りの門柱が残っています。

      20170111大川戸分校01



残念ながら、造られた時期は不明。

      20170111大川戸分校02


大川戸分校跡の敷地は、地域の集会所として再活用されているようです。


かつての校庭跡になるのでしょう。

      20170111大川戸分校03



敷地の一角に建っている石碑。

      20170111大川戸分校04



『大川戸分校跡地』の碑です。

      20170111大川戸分校05



側面には、沿革が刻まれています。

      20170111大川戸分校06


なかなか情報が少ない分校だから、創立時の経緯も分かるから
貴重な情報です。

      20170111大川戸分校07



校庭跡の奥に建つのは集会所。

      20170111大川戸分校08



校庭跡は、集会所を利用する人の駐車場と化しているようです。

      20170111大川戸分校09

残念ながら、遊具等の遺構は全く無し。
二ノ宮像もありません。



校庭跡の端っこには、廃校ではお約束(?)の消防倉庫。

      20170111大川戸分校10




かつての校舎跡(?)には、新しく自治会館が建てられています。

      20170111大川戸分校11


その名も『本田自治会館』。

      20170111大川戸分校12



そして、自治会館の隣には小さな神社。

      20170111大川戸分校13


元々は、神社の敷地の一画に学校が設けられだのでしょう。

      20170111大川戸分校14


神社の社殿。

      20170111大川戸分校15


社殿の神額には『天照皇大神宮』

      20170111大川戸分校16

由緒ある神社なのかな?


まぁ、明治初めの教育令で創設された学校は
寺院や神社の敷地の一画教育建てられたことが多いから
大川戸分校の前身である大川戸学校もそんな流れを汲んでいるのでしょう。




2017/02/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............杉戸町立東小学校  (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町)   

1月11日 公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。
最たる目的は杉戸町に点在する日光街道すぎと七福神巡りですが
七福神巡りを完了したあとは、杉戸町に在る廃校へと向かいました。

向かった先は...............杉戸町立東小学校



東小学校は

明治9年    北蓮沼村の服部慶清氏宅地内に第六学区蓮沼学校が設立される。
明治16年    不動院野村文友学校を併合する。

その後、並塚学校蓮沼分教室となり、田宮村立田宮尋常小学校と改称し独立する

昭和22年    田宮村立田宮南小学校と改称する。
昭和30年    田宮村が杉戸町・堤郷村・高野村がと合併し、杉戸町となる。
          杉戸町立田宮南小学校と改称する。
昭和31年    杉戸町立東小学校と改称する。
昭和50年    東小学校と南小学校が統合し、杉戸町立杉戸第三小学校が開校。
          東小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


                 

こちらが、東小学校の正門。

      20170111東小学校01


廃校後、敷地は地域の集会所(大蓮会館)となっているようです。


正門脇には説明板。

      20170111東小学校02

かつての学校跡にこうやって説明板を建ててくれているから
杉戸町教育委員会には好感が持てます。



白い小さな木造校舎。

      20170111東小学校03




窓越しに中を覗いたら、黒板があったから
紛れもなく、東小学校の校舎だったのでしょう。

      20170111東小学校11


      20170111東小学校12



校庭側から全景。

      20170111東小学校04

そんなに大きな小学校ではなかったようです。


校舎の前には、シンボルツリー(?)

      20170111東小学校05



敷地境界のフェンス沿いには桜の木。

      20170111東小学校06

この桜の木が学校跡らしさを残しています。



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170111東小学校07



校舎の前には、ブランコ。

      20170111東小学校08a>

残っていた遊具は、このブランコのみ。



校庭はゲートボール場として使われているのか?
庇の付いたベンチも設けられています。

      
20170111東小学校09



校舎をバックに、記念の一枚。

      20170111東小学校10



こちらが、校舎の正面。

      20170111東小学校13

木造校舎の正面とも言うか、入口って建物の顔だから
建物によって表情が違うから、それが面白い。
入口の扉は集会所になってから取り替えられたモノのようです。



校庭の一角には、廃校跡ではお約束とも言える防災倉庫。

      20170111東小学校14



廃校から既に40数年。
校舎もきちんと手入れされているようで
大切にされている、旧・杉戸町立東小学校。

良いモノを見せて貰いました...............。




2017/02/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑦  《 福正院  福禄寿 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、いよいよその最終章。
福正院の福禄寿です。




福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。


福正院は、正式名称は薬王山宝光寺福正院と言い、本尊は薬師如来です。



こちらが福正院。

      20170111福正院 福禄寿01


山門前の説明板。

      20170111福正院 福禄寿02

よくよく振り返ってみると、七福神で巡った寺院のほとんどに
杉戸町教育委員会が建てた説明板がある。
杉戸町って、文化財を大切にしよう!と言う気持ちがら高いんだなぁ。


こちらが山門。

      20170111福正院 福禄寿03



そして、本堂。

      20170111福正院 福禄寿04



本堂に掲げられた扁額。

      20170111福正院 福禄寿05

山号である『薬王山』の名がしっかりと記されています。




お目当の七福神は境内の一角、本堂前に在ります。

こちらが、日光街道すぎと七福神の福禄寿。

      20170111福正院 福禄寿06


      20170111福正院 福禄寿07


実は、境内に入ると、思い切り犬に吠えられました。

福正院の守り神(?)
二歳の芝犬(雌)、ももちゃん。



びいすけ の匂いを察して吠えていたんでしょう。
お寺の方が、 びいすけ の近くへ連れて来たら
びいすけ も尻尾を振って対応。

      20170111福正院 福禄寿08


      20170111福正院 福禄寿09



名残り惜しいですが、ももちゃん に見送られるように、福正院をあとにします。


これで日光街道すぎと七福神も制覇。

果たして、今年は良い年になるのだろうか...............?



2017/01/31 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑥  《 永福寺  寿老人 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。

日光街道すぎと七福神巡り、その第6回目。
永福寺の寿老人です。


寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。

永福寺は、正式名称は龍燈山永福寺といい、本尊は阿弥陀如来像。真言宗豊山派に属する寺で天平勝宝5年に行基菩薩によって開かれたそうです。
関東三大施餓鬼の一つと言われ、「どじょう施餓鬼」は神秘的で厳かな雰囲気が魂を揺さぶります。
生前の殺生や悪事により地獄に落ちたものを供養する為、
境内の池に経文を唱えてもらいどじょうを放す習慣があるそうです。
毎年8月22日・23日の2日間、 大施餓鬼修行をしているそうです。



こちらが、永福寺の寺号標

      20170111永福寺 寿老人01



門前に建つ説明板。

      20170111永福寺 寿老人02


永福寺の文化財の説明板。

      20170111永福寺 寿老人03

それなりに由緒ある文化財が多くあるようです。



こちらが、山門。

      20170111永福寺 寿老人04



山門に掲げられた扁額。

      20170111永福寺 寿老人05

山号が記されているようですが、とても『龍燈山』とは読めない。




こちらが本堂。

      20170111永福寺 寿老人06


本堂に掲げられた扁額。

      20170111永福寺 寿老人07

こちらは、寺号でもなく、山号でもなく
扁額に書かれている内容が全く読めない。



お目当の七福神を発見。

      20170111永福寺 寿老人08



こちらが、日光街道すぎと七福神の寿老人。

      20170111永福寺 寿老人09


      20170111永福寺 寿老人10



こちらは鐘楼。

      20170111永福寺 寿老人11



以前の本堂の鬼瓦なのだろうか?

      20170111永福寺 寿老人12

境内に在る建物のガラスの扉の奥に展示されています。



山門脇には閻魔堂。

      20170111永福寺 寿老人13


境内には、それなりの年代を経た大銀杏の樹。

      20170111永福寺 寿老人14


      20170111永福寺 寿老人15

残念ながら危険防止なのか?枝は切り落とされてしまっているが
かなりの年代物だと思われます。




永福寺の門前にある説明板。

      20170111永福寺 寿老人16



「西行法師見返りの松」とその碑らしい。

      20170111永福寺 寿老人17


こちらが、その碑。

      20170111永福寺 寿老人18

説明板によれば、
西行法師が東北地方への旅の途中、この地で病に倒れてしまいました。
その時、村人達の親切な看護を受け、静養中にこの松を愛し、
治癒すると村人達にお礼を言って、この松振り返りしながら旅だったそうてす。
その後、村人達はこの松を西行法事見返りの松と呼んだそうです。


おそらく、この松は大きさから言って当時のモノではなさそうですが
伝承を今に伝え、数代経っても伝説の松の木を大切にする
地元の方の信仰心が垣間見れます。
(ネットで調べたら、3代目の松になるらしい。)

杉戸町の永福寺。
やっぱり由緒あるお寺のようです...............。




2017/01/30 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり⑤  《 全長寺  布袋尊 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第5発目。
全長寺  布袋尊です。



布袋尊は
笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。

全長寺は、正式には高埜山全長寺と言います。
本尊は聖観世音菩薩で、宗派は曹洞宗。
開山は元和2年(1616年)で、一色善十郎直春が幸手城主であり、
兄でもある一色宮内大輔直朝の意を受けて
一色氏累代の菩提を弔うために建立したものとされています。



ナビの案内通りに車を走らせると、なぜか運送会社(?)の奥に進み、
全長寺の裏手(墓地)に着いてしまいました。

一応、表札の入った石造りの門もあるから、間違いじゃない。

      20170111全長寺 布袋尊01



こちらが本来と言うか、全長寺の表参道。

      20170111全長寺 布袋尊02



そして、こちらが全長寺の山門。

20170111全長寺 布袋尊04


山門に掲げられた扁額

      20170111全長寺 布袋尊05





山門脇には、説明板。

      20170111全長寺 布袋尊03



こちらが本堂。

      20170111全長寺 布袋尊06




そして、鐘楼

      20170111全長寺 布袋尊09


そして、こちらがお目当の七福神。

      20170111全長寺 布袋尊07


日光街道すぎと七福神 全長寺の布袋尊です。

      20170111全長寺 布袋尊08


     
これで、日光街道すぎと七福神 の布袋尊も制覇。
日光街道すぎと七福神 の5福神を制覇したことになります。
残すはあと2つ。
頑張りましょう。






2017/01/29 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり④  《 宝性院  毘沙門天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。

日光街道すぎと七福神巡り、その第4ヶ所目。
宝性院の毘沙門天です。




毘沙門天はインド出身の神様です。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。

宝性院は、正式名称を杉戸山宝性院不動寺と言います。
本尊は胎蔵界大日如来です。
永禄3年(1562年)に徳川家から幸手庄内を賜った一色宮内大輔義直が開山したと伝えられています。
境内にある不動堂は嘉永2年(1849年)9月に再建されたもので、
安産不動明王、成田山不動明王、菅谷不動明王の3体が祀られています。


日光街道の旧道沿いにある宝性院。

      20170111宝性院 毘沙門天01


旧道が本来の日光街道だから、旧道沿いに鎮座しているのが本筋かも知れない。
何せ、日光街道すぎと七福神って言うぐらいだから、
やっぱり日光街道沿いに無くっちゃ!

幟も日光街道沿いに立ってこそ意義がらある(?)

      20170111宝性院 毘沙門天02


杉戸は日光街道の宿場町の一つ。
杉戸町も町を挙げて、日光街道の宿場町杉戸としてPRしているようです。

こんな案内板も宝性院の門前に建てられていました。
宿場町を びいすけ と一緒に歩く...............

これも楽しいテーマかも知れない。
宿場町杉戸を散歩するのは、いずれかの機会にするとして
今日は『日光街道すぎと七福神巡り』に精を出しましょう。

      20170111宝性院 毘沙門天03



こちらが、宝性院の山門。

      20170111宝性院 毘沙門天04



境内に建てられた説明板。

      20170111宝性院 毘沙門天05

宝性院は別名、杉戸不動尊と呼ばれているようです。
地元では、杉戸不動の方が馴染みがあるのかも知れない。



こちらが本堂。

      20170111宝性院 毘沙門天06



本堂に掲げられた扁額。

      20170111宝性院 毘沙門天07

山号の『杉戸山』の文字が確認出来ます。



こちらが、成田山不動堂。

      20170111宝性院 毘沙門天08



扁額はズバリ!

      20170111宝性院 毘沙門天09

『不動』でした(笑)。


こちらが鐘楼。

      20170111宝性院 毘沙門天12




お目当の七福神はこちら。

      20170111宝性院 毘沙門天10



日光街道すぎと七福神 宝性院の毘沙門天です。

      20170111宝性院 毘沙門天11




本堂前には、スタンプ台も置かれていたようです。

      20170111宝性院 毘沙門天13



七福神の毘沙門天も制覇して、この地をあとにしようとしたら
こんな説明板を見つけちゃいました。

      20170111宝性院 毘沙門天14

何と! この宝性院が杉戸学校(後の杉戸小学校)の跡地らしい。


確かに明治の初め、明治政府が発令した『学制』によって各村単位で学校が創立されました。
その際、寺院の敷地を校舎として使用される事が多くありました。
この杉戸学校もその一つでした。

明治7年に杉戸宿、清地村、倉松村の子どもたちの教育のために
この宝性院に杉戸学校が設立されたとのことです。
多少の変遷はありましたが、明治34年までこの地に杉戸学校が在ったそうです。


今は、宝性院の駐車場と化しているこの辺りに、小さな学び舎が建っていたのだろうか?

      20170111宝性院 毘沙門天15



七福神巡りで思わぬ見っけモノ。
ちょっぴり得した気分です。

自宅に帰って来て、杉戸小学校の事を調べていたら
明治34年に宝性院から移転した杉戸小学校は、
昭和42年に再び移転して、旧・校地は公民館となったらしい。

いつか、その旧・杉戸小学校跡にも訪れてみたいなぁ...............





2017/01/28 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり③  《 延命院  弁財天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第3ヶ所目。
延命院の弁財天です。


弁財天とは唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。

延命院は、正式には倉松山延命院と言います。
本尊は延命地蔵菩薩です。
開山は長亨元年(1487)に領主一色丹波守直基の帰向によるものとされています。



門前に建つ説明版

      20170111延命院 弁財天01

こちらもかなり掠れていてほとんど読めない。


こちらが延命院の山門。

      20170111延命院 弁財天02



山門に掲げられた扁額。
山号でもないし、寺号でもない。
『照遍』?『遍照』?

      20170111延命院 弁財天03

これってどんな意味?
僧侶の名前か?
はたまた、単純に『辺り一面を照り映やす』と言う意味なのか?




こちらは鐘楼。

      20170111延命院 弁財天04


本堂前でも、大黒天のあった馬頭院で出会った老夫婦に
こちらでも出会った。
おそらく、日光街道すぎと七福神巡りをしているんでしょう。
御朱印を貰っていたけれど、それも一つの楽しみ方でしょうね。



こちらが、本堂。

      20170111延命院 弁財天05


      20170111延命院 弁財天06



本堂に掲げられた扁額。

      20170111延命院 弁財天07

こちらは山号ですね。



境内にある梅の木。
白い花を咲かせるらしいが、時期にはまだ早い。

      20170111延命院 弁財天08



こちらがお目当の、日光街道すぎと七福神の弁財天。

      20170111延命院 弁財天09



ちょっぴり、ふくよかに見えるのは気のせい?(笑)

      20170111延命院 弁財天10



鐘楼前の小僧の像。

      20170111延命院 弁財天11

びいすけ と並ぶのには手頃な大きさ。


さて、これで日光街道すぎと七福神の弁財天も制覇。
順調(?)に七福神巡りは続きます...............。







2017/01/27 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり②  《 来迎院  恵比寿 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

この日は、埼玉県の杉戸町に出かけました。

毎年、1月の恒例行事である七福神巡り。
今回は、日光街道すぎと七福神巡りにチャレンジです。

日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


日光街道すぎと七福神巡り、その第2発目。
来迎院の恵比寿です。


恵比寿とは
日本の神様で、漁業、商売繁盛の神として、信仰されています。
日本古来の神様でご神名は小彦名命(疱瘡神社)。
海の守護と商売繁盛、医療医薬、庶民救済の神として、崇敬されています。


来迎院は、正式には花光山来迎院と言います。
本尊は不動明王で、約800年ほど前に作られたものだそうです。
眼病を治す不動明王として知られているそうです。


この来迎院には、ナビが案内を間違えるから
なかなか辿り付けず、かなり苦労しました。
とにかく日光街道の旧道とバイパスの間にある寺院で
狭い道を入って行かないと辿り着けない。
車を停める場所を探すのにも苦労しました。


こちらが、来迎院の山門。

      20170111来迎院 恵比寿01


山門脇には木製の説明板。

      20170111来迎院 恵比寿02

長い間、風雪に打たれたのか
文字が擦れて、内容が把握出来ない。



こちらが、鐘楼。

      20170111来迎院 恵比寿03


そして、本堂。

      20170111来迎院 恵比寿04


本堂に掲げられた扁額。

      20170111来迎院 恵比寿05

しっかりと山号の『花光山』の文字。


本堂脇にも説明板。

      20170111来迎院 恵比寿08


この来迎院は不動明王が本尊。

こちらは、本尊ではないけれど不動明王像。
レプリカなんだろうか?

      20170111来迎院 恵比寿09

仏教に精通している訳でもないし、信心している訳でもないけれど
不動明王って右手に利剣、左手に縄を持ち、岩上に座して火炎に包まれた姿で、
怒りの形相に表しているから、何と無く力強さを感じて嫌いではない。



さて、肝心の七福神は...............

山門脇に祀られていました。

      20170111来迎院 恵比寿06


こちらが、日光街道すぎと七福神 恵比寿。

      20170111来迎院 恵比寿07


     
とりあえず、これで日光街道すぎと七福神 恵比寿 を制覇しました。





2017/01/26 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

日光街道すぎと七福神めぐり①  《 馬頭院  大黒天 》 (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日 公休日

毎年、1月に集中的に行っている七福神巡り。
今年は元旦の日に原町田七福神巡りをしましたが
1ヶ所(町田天満宮 恵比寿)を残し未達となっています。

その七福神巡りの第2弾。
今回は場所を埼玉県に移し、埼玉県北葛飾郡杉戸町。

日光街道すぎと七福神巡りです。


日光街道すぎと七福神は

弁財天       延命院
毘沙門天      宝性院
大黒天        馬頭院
布袋尊       全長寺
福禄寿       福正院
寿老人       永福寺     
恵比寿       来迎院

と、このような構成となっています。


その第1発目。
日光街道すぎと七福神 馬頭院の大黒天 です。


大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています


馬頭院は、正式には旦照山馬頭院と言い、
本尊は馬頭観世音菩薩です。
開山は行基菩薩によるものと伝えられています。



こちらが、馬頭院。

      20170111馬頭院大黒天01

あれっ?
確か、馬頭院ってどこかで聞いたような...............?

それは、後ほど記するとして、
こちらが、馬頭院の説明板。

      20170111馬頭院大黒天02



こちらが、馬頭院の山門。

      20170111馬頭院大黒天03


山門には山号の扁額が掲げられています。

      20170111馬頭院大黒天04



こちらが本堂。

      20170111馬頭院大黒天05


      20170111馬頭院大黒天06


お目当の七福神を発見。

      20170111馬頭院大黒天07


こちらが、馬頭院の大黒天です。

      20170111馬頭院大黒天08



この馬頭院には、杉戸町最古の石塔婆もあります。

文永七年の作とされる石塔婆。

      20170111馬頭院大黒天09


こちらが、その石塔婆。

      20170111馬頭院大黒天10

青石で高さは1mほど。


本堂脇の石仏(?)

馬頭院だから、馬の像?

      20170111馬頭院大黒天11

でも何故か河童と向き合ってます(笑)。



こちらは、護摩

      20170111馬頭院大黒天12

てっきり鐘楼かと思っていたら違っていました。


そして、馬頭観音の碑。

      20170111馬頭院大黒天13

『 馬のこと悪と厄とを食い尽くす 旅をも守る馬頭観音 』



ここからが馬頭院の真骨頂。
七福神巡りで訪れた馬頭院ですが
杉戸町立南小学校の記事でも触れましたが
明治6年(7年の説もあるらしい)に南小学校の前身でもある
『新知学校』の跡でもあります。

      20170111馬頭院大黒天14


境内のこの辺りに新知学校は建てられていたのでしょうか?

      20170111馬頭院大黒天15



墓地の脇にはこんな石碑が建っています。

      20170111馬頭院大黒天16


馬頭院教育史。

      20170111馬頭院大黒天17


この地がかつての堤郷村の教育の発祥の地だったんですね。

かつて、この地に在った学校が移転先で廃校になってしまったのは
やっぱり大黒天も淋しい思いなんだろうなぁ...............。





2017/01/25 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........杉戸町立南小学校   (2017年1月11日)(埼玉県北葛飾郡杉戸町) 

1月11日  公休日

個人的な3連休の2日目。

さずがにこの日も自宅で待機って言うのも辛いから
何かあった時にすぐ駆けつけられるように、
少しでも実家である八王子に近い埼玉県の杉戸町に出かけました。

昨年の暮れに近くまで来たんだけど時間が無くて、
立ち寄る事が出来なかった廃校にってみました。

と言うことで、訪れたのは...............杉戸町立南小学校跡



南小学校は

明治7年      堤根村の馬頭院に新智学校として開校する。
明治17年     清地学校分校となる。
明治25年     堤郷尋常小学校として九品寺に移転。
明治28年     再び馬頭院に移転。
明治35年     現在地に移転。
明治44年     高等科を併設し、堤郷高等尋常小学校と改称する。
昭和31年     町村合併により杉戸町立南小学校と改称する。
昭和54年     東小学校と合併して新たに杉戸町立第三小学校が開校。
           南小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが南小学校跡地。

      20170111南小学校跡01



現在は、杉戸町の南公民館となっています。

      20170111南小学校跡02



敷地の一角には、説明板。

      20170111南小学校跡03

杉戸町の学校跡には、このような説明板が建てられているから
親切この上ない。


説明板の隣には、南小学校の校歌の碑。

      20170111南小学校跡04


      20170111南小学校跡05


校歌の碑以外には、これと言った遺構は見当たらない。

      20170111南小学校跡06


公民館の庭が、かつての校庭だったのだろうか?

      20170111南小学校跡07


      20170111南小学校跡08



公民館の隣には、杉戸町立南幼稚園。

      20170111南小学校跡09

公民館の職員の方に話を聞いたら、幼稚園は昨年閉園となってしまったようです。


こちらが、幼稚園跡地。

      20170111南小学校跡10

古めかしい園舎。

もしや?、幼稚園の園舎は昔の南小学校の校舎?
と思って公民館の職員の方に聞いてみたが、
着任してまだ数年で昔の事は分からないらしい。

しかし、園庭に残る遊具は園児には大きすぎないか?

      20170111南小学校跡11

ひょっとしたら?
疑問は多いに残ります。


隣接するテニスコート。

      20170111南小学校跡12


実は、このテニスコートのある場所が
かつての堤郷中学校の跡地らしい。

テニスコートのフェンス沿いに、こんな説明板が建っていました。

      20170111南小学校跡13



テニスコートの奥に見える建物が南公民館。

      20170111南小学校跡14

中学校より気持ち高台に南小学校は在ったようです。


テニスコートに居た年配の方に話を伺ったら

①小学校と中学校は隣接していたらしい。
②幼稚園は当時は無く、小学校が無くなってから
小学校の敷地に幼稚園が出来たらしい。
③幼稚園の園舎は小学校の校舎か否かは分からない。


いずれにしても、園庭に残された遊具類は
南小学校の遊具であったかもしれません。


偶然にも中学校跡まで確認することが出来、
杉戸町の教育委員会が設置した説明板のおかげです。

小学校に限らず、教育の場、学び舎であった学校跡。
その場所を後世にはしっかりと伝えて行く杉戸町教育委員会の姿には脱帽です。




2017/01/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit