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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り...............蛟蝄神社 (2017年12月7日)(茨城県北相馬郡利根町) 

12月7日

この日は、茨城県の龍ケ崎市周辺の御朱印巡りに出かけました。

千葉県から利根川を渡れば茨城県。
茨城県の県境にあるのが北相馬郡の利根町。

先ずは、利根町にある蛟蝄神社へと向かいます。


蛟蝄神社 ............... 読めますか?
こうもう神社と読むそうです。

蛟蝄神社の始まりは、約2300年前(紀元前288年)に
現在の門の宮の場所に水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりと言われています。
平安時代(698年)に土の神様の埴山姫大神を合祀し、
水害や民家が近いという理由で、社殿を東300mほどの位置の高台移し
神社を建てました。これが現在の奥宮になっています。
みつち神社・文間大明神とも言われて親しまれている、
関東最古の水神様を祀る延喜式内社です。



こちらが、門の宮。
木製の歴史を感じさせる鳥居。

      20171207蛟蝄神社01



門の宮の鳥居に掲げられた神額。

      20171207蛟蝄神社02



この門の宮は、利根七福神の一つ。
数年前に利根七福神巡りの際に訪れた事があります。


手水舎。

      20171207蛟蝄神社04


こちらが、拝殿。

      20171207蛟蝄神社03


拝殿に掲げられた扁額。     

      20171207蛟蝄神社05


既に葉は落ちてしまっていますが、境内には立派なイチョウの木。
黄金色に染まった時期に来れば良かった。

      20171207蛟蝄神社06


御朱印は、ここから東に300mほど離れた場所に鎮座する奥の宮でいただけるようです。

      20171207蛟蝄神社07




こちらが、その奥の宮の入り口。

      20171207蛟蝄神社08


標柱も建っています。

      20171207蛟蝄神社09



この石段の先が奥の宮。

      20171207蛟蝄神社10


石段を上った先には鳥居。

      20171207蛟蝄神社11


      20171207蛟蝄神社12



鳥居に掲げられた神額。

      20171207蛟蝄神社13


手水舎。

      20171207蛟蝄神社14


石灯籠。

      20171207蛟蝄神社16


狛犬。
      20171207蛟蝄神社17


そして、こちらが拝殿。

      20171207蛟蝄神社15

      20171207蛟蝄神社18



本殿。

      20171207蛟蝄神社19



御朱印は、こちらの授与所で頂く事が出来ます。

      20171207蛟蝄神社20



そして頂いた御朱印。

      20171207蛟蝄神社21

何とも言えない力強い書体。
墨書きの迫力、ここに在り!



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2018/01/23 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............旧・藤代町立 高須小学校  (2017年1月31日)(茨城県取手市)  

1月31日  公休日

この日は、茨城県取手市の廃校巡りに出かけました。


まず、最初に訪れたのは取手市合併直前に廃校となった

旧・藤代町立 高須小学校



高須小学校は、

明治5年押平学校創立。
明治6年高須学校創立。
明治12年 高須小学校と改称する。
明治22年高須村立高須尋常小学校と改称する。
昭和22年高須村立高須小学校と改称する。
昭和30年藤代町立高須小学校と改称する。
平成17年桜が丘小学校に統合となり廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが高須小学校の正門。

      20170131高須小学校01



門柱には、校名の表札が残っていました。

      20170131高須小学校02

『北相馬郡 藤代町立高須小学校』

北相馬郡って、今ではもう『利根町』時間にはないから大変貴重(?)。


地方の小学校に多い、幼稚園が併設された小学校でした。

      20170131高須小学校03

反対側の門柱には、『北相馬郡 藤代町立高須幼稚園』の表札が残っています。



こちらが、幼稚園の敷地。

      20170131高須小学校04

幼稚園も既に廃園となり、園舎も解体され
現在、その敷地は『身障者ポニーの会』と言う福祉施設になっています。



正門前には、避難場所の表示。

      20170131高須小学校05



こちらが、高須小学校の校舎。

      20170131高須小学校06


校舎を別にアングルから。

敷地と校舎、体育館とのバランスから見て
こちらの校舎以外にも校舎が在ったように見受けられます。

      20170131高須小学校07



校舎の隣の更地。

      20170131高須小学校08

おそらく、この辺りに別な校舎が建っていたのでしょう。



校舎前から見るグランド。

      20170131高須小学校09

立ち入り禁止の規制ロープが張られています。



体育館脇には、高須小学校の校歌の碑。

      20170131高須小学校10


      20170131高須小学校11


裏面には簡単な沿革が刻まれていました。
今や高須小学校のHPもないから、沿革が確認できてラッキーでした。



こちらが体育館。

      20170131高須小学校12



体育館と校舎。

      20170131高須小学校13

どうみても、校舎が小さすぎる。



校庭から旧・幼稚園側を見てみると、
やっぱり福祉施設の建物は新しい。
そして、その奥に古い園舎らしき建物も見えます。

      20170131高須小学校14

外構工事をしていたから、つい最近建てられたんでしょうね。



正門から校庭に少し入った所には二ノ宮像。

      20170131高須小学校15


      20170131高須小学校16


      20170131高須小学校17


二ノ宮像に見守られながら
この校庭を子供たちが走り回ることは
もう無いんだよなぁ...............。



2017/02/23 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景  《 大利根の展望 》   (2016年10月7日)(茨城県北相馬郡利根町) 

10月7日  公休日

茨城県には、昭和25年に制定された『茨城百景』なるモノがあります。

茨城百景とは、茨城県観光審議会によって昭和25年に選出された茨城有数の景勝地が100ヶ所網羅されています。
時代の移り変わりにより、形状が変更したり、存在しないものもあるそうです。
ネットで調べてみると、昭和25年に選定された地に『茨城百景』の碑が建てられ、
その碑を探し求めて、追いかけている人がかなり居るようです。

実は、私もその一人であり、最近になって茨城百景を追いかけることにいたしました。


と言う事で、この日は茨城百景巡りに出掛けました。

まず最初に訪れたのは...............茨城百景 大利根の展望

百景の周辺に景勝地などが固まっている地区においては、
包括風景としてそれらも合わせて選定しているようです。

大利根の展望は包括地点として、
大利根橋、小文間大六天、小文間城址、戸田井橋、布川栄橋、徳満寺、来見寺が含まれます。


『茨城百景 大利根の展望』の碑は、徳満寺の境内に在ります。


こちらが、徳満寺。

山門下になります。

      20161007茨城百景利根川の展望01

車は、この山門下のスペースに停めると良いでしょう。


県道4号線側の入り口。
徳満寺の寺号標。

      20161007茨城百景利根川の展望02

こちら側にも駐車場があるけれど、幼稚園が隣接しているから
出し入れにちょっぴり不便。

この徳満寺は、戦国時代の布川城跡でもあります。

      20161007茨城百景利根川の展望11

城址巡りを趣味としている身ですから、当然『布川城址』として
この徳満寺に訪れたことが有りますし、
茨城百景の碑の存在も確認しています。



徳満寺の山門

      20161007茨城百景利根川の展望03

実は、茨城百景の碑は元々、この山門脇に建っていたらしい。
山門の建て替え時に、碑は移動されたらしい。



こちらは、客殿。

      20161007茨城百景利根川の展望04


そして、こちらが地蔵堂(本堂)。

      20161007茨城百景利根川の展望05



肝心の茨城百景の碑は、客院脇に移設されています。

      20161007茨城百景利根川の展望06



こちらが、『 茨城百景 大利根の展望 』の碑。

      20161007茨城百景利根川の展望07



こちらに、百景の碑の移設に関して記載されています。

      20161007茨城百景利根川の展望08



百景の碑の側には、小林一茶の句碑。

      20161007茨城百景利根川の展望09


さらにその横には、星野一楽の句碑。

      20161007茨城百景利根川の展望10



徳満寺からは、木々が茂って利根川の眺望は拓けていません。
昭和25年当時は、山門から利根川の流れが眺められたのでしょうか...............?


県道沿いに歩き、千葉県との県境でもある栄橋辺りに来てみます。


こちらが徳満寺遠景。
布川城址遠景でもあります。

      20161007茨城百景利根川の展望12


県道が布川城を分断しているのが分かります。

      20161007茨城百景利根川の展望13



栄橋からの利根川。(下流域)

      20161007茨城百景利根川の展望14


      20161007茨城百景利根川の展望15


栄橋からの利根川(上流域)。

      20161007茨城百景利根川の展望16


この利根川の眺望が『茨城百景』そのものなんだろうなぁ...............。




2016/11/02 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑦ 福禄寿  《 早尾天神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


利根七福神もいよいよ最終章となりました。
円明寺をあとにして向かった先は...............利根七福神巡り 第7弾 早尾天神社福禄寿


早尾天神社は、



こちらが、早尾天神社の正面入口。

鳥居の前で、はいポーズ。☆パチリ。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社01


      20160411利根七福神⑦早尾天神社02


      20160411利根七福神⑦早尾天神社03



逆光と言うか影になって神額は見づらい。
辛うじて、天満宮の文字が読み取れます。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社04


     


こちらが、利根七福神の福禄寿

      20160411利根七福神⑦早尾天神社07



      20160411利根七福神⑦早尾天神社06


      20160411利根七福神⑦早尾天神社08

福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。




こちらが、拝殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社05




拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社10



そして、こちらが本殿。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社09


    

拝殿脇の境内。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社11


      20160411利根七福神⑦早尾天神社12



境内中央奥にそびえるイチョウの樹。
公孫樹です。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社13



早尾天神社の境内には、石仏、石碑が多い。


スダジイ左に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社14



スダジイ右に鎮座する石碑群。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社15



拝殿前にも石碑はあります。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社16



早尾天神祠碑

      20160411利根七福神⑦早尾天神社17

早尾天神社縁起、由緒などが記されています。



こちらは、手水舎。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社18


      20160411利根七福神⑦早尾天神社19



そして常夜燈。

      20160411利根七福神⑦早尾天神社20

いい感じで苔生していて、何となく由緒ある天神社の感が強い。


学問の神として、菅原道眞を祀っている天神社。
あまり縁がない神社ですが、少し寂れた感が何処となく趣きがあるような気がします。
得てして、パワースポットってこんなモノかも知れない。
利根七福神巡りをしなければ、この先も訪れることもなかった早尾天神社。
利根七福神巡りをして正解だっかも知れない。

利根七福神巡り、これにて完結です...............。




2016/04/25 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑥ 布袋尊  《 円明寺 》  (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています



蛟網神社をあとにして、向かった先は...............利根七福神 第6弾 円明寺布袋尊


円明寺は、正式名を長根山 地蔵院 円明寺 と呼びます。

山号の『長根山』は、江戸時代初期に寺の南側山麓を
「ナガネ」と称し、これにより現在地の円明寺一帯を
「ナガネヤマ」と称したということです。
院号は「地蔵院」と言い、建長7(1255)年に千葉介頼胤夫人の延明地蔵菩薩(木造)寄進によるとされています。




こちらが、山門前の寺号標。

      20160411利根七福神⑥円明寺01




こちらが、山門。

      20160411利根七福神⑥円明寺02

改修中なのか?
なぜか屋根にはブルーシートが被せられています。


山門の先には、本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺03



山門をくぐって、目の前に現れた本堂。

      20160411利根七福神⑥円明寺04



本堂に掲げられた扁額。

      20160411利根七福神⑥円明寺05



本堂の庇の部分を覗いて見ると...............

見覚えのある紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺06



もしや? と思い、屋根を見上げて見ると...............

ありました! 月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺07



くっきりと輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺08


鬼瓦にも光り輝く月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺09


何と、円明寺の寺紋は、千葉氏本家の家紋である月星紋。

      20160411利根七福神⑥円明寺10


実は、千葉氏に所縁のある寺だとは知らなかったので
月星紋を見た時は、思わずガッツポーズ。
こんな場所(って言う表現もおかしいけど)、千葉氏の家紋に出会えるなんて...............

それも、千葉宗家の月星紋だから、やっぱり嬉しいねぇ。

ちょうど、草花に水やりをしていたお寺の方(住職の息子さん?)に話を伺ったら
「千葉氏所縁のお寺で、千葉宗家の家紋と同じものを寺紋として使っています。」と
自慢げ(?)に話されていました。
わざわざ、月星紋を探して、妙見神社巡りをしている身としては
偶然とはいえ、月星紋に出会えるとは嬉しい限りです。




こちらは、鐘楼。

      20160411利根七福神⑥円明寺11



さて、肝心の利根七福神の布袋尊。
なかなか見つけられませんでした。

布袋尊と同じよ背丈の紫陽花の木に隠れていて
何故だか看板もなく、見つけるのに苦労しました。

      20160411利根七福神⑥円明寺12


      20160411利根七福神⑥円明寺13

布袋尊は、笑門来福、夫婦円満、子授けの神様として信仰されています。
中国出身の禅僧で、唯一実在した人物。
その容姿から知恵を授け、福徳と円満な暮らしを与えてくると言われています。




先ほど、話をして伺った円明寺の関係者の方(住職さんの息子さん?)の話では
円明寺そのものは、昔の城址ではないが、
近くには城が在ったと言うことです。



確かに、千葉氏の家紋を見たり、こんな土塁を見たりしちゃうと、
千葉氏関連の城郭跡だったのかな? などと思ったりしちゃいます。

      20160411利根七福神⑥円明寺14


      20160411利根七福神⑥円明寺15


      20160411利根七福神⑥円明寺16


近くに城が在ったと言うことなので、その辺りもじっくり調べて
今度はそちらの城址を訪れてみることにしよう...............。








2016/04/24 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神⑤ 大黒天  《 蛟網神社 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


応順寺をあとにして、向かった先は...............利根七福神第4弾 蛟網神社大黒天


蛟網神社は、『こうもうじんじゃ』と読みます。

今から約2300年前、孝霊天皇3年(紀元前288)に水神である弥都波能売命を
現在の門の宮の場所に祀ったのがその始まりで、文間大明神ともいわれています。
そして、文武天皇(第42代天皇)2年(698)には土神の波邇夜須毘売命を合祀し、
東の高台(現在の奥の宮)に遷座しました。
このとき、門の宮は、取り壊す予定でしたが、氏子たちの強い要望で、祭神を分祀し、
門の宮となったそうです。

すなわち、蛟網神社は『奥の宮』と『門の宮』の2つが存在します。
とはいえ、そんなことはつゆ知らないので、今回は門の宮にしか訪れていません。
まあ、目的が利根七福神の大黒天だから、仕方がないんですけどね。


こちらが、蛟網神社 門の宮の鳥居。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社01

      20160411利根七福神⑤蛟網神社02
     

鳥居に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社03



      
鳥居の脇には説明板。
どうやら、この松の宮周辺には史跡が多いようです。
   
      20160411利根七福神⑤蛟網神社04



もっとも、この『蛟網神社 松の宮』そのものが利根町指定文化財のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社05



さらには、鳥居の反対側にも説明板。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社06

こちらは、立木貝塚の説明板です。



立木貝塚の氷柱の脇に何やら像が見えます。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社07



どうやら、利根七福神の大黒天のようです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社08



      20160411利根七福神⑤蛟網神社10



      20160411利根七福神⑤蛟網神社09



大黒天のアップです。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社11

大黒天は、梵語で摩訶迦羅(マハーカーラ)。
マハー(大いなる)カーラ(黒)を漢訳して大黒天または大黒神といい、
仏教に採りいれられ、悪鬼と戦う勇猛な護法の軍神となる。
もともとは甲を付け、右手に鉾、左手に宝塔を持ち邪鬼か岩座の上にたっていた。
鎌倉時代から室町時代にかけて、字音が大黒と大国が同じ事から、
出雲大社の大国主命と結びつき、現在のような打ちでの小槌を持ち、
大きな袋を担ぎ、福徳円満な純和風な大黒天となったとされています




大黒天の脇にある石段を上れば拝殿、さらには本殿となります。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社12



こちらが、拝殿。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社13


     20160411利根七福神⑤蛟網神社14


別アングルから。

     20160411利根七福神⑤蛟網神社15



拝殿前の中臣一万度行事碑。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社16

神前で長い祝詞である中臣祓詞を一万回奏して
罪を祓い清めることを行った記念として建てられた碑とされています。



拝殿に掲げられた神額。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社17



拝殿の彫物。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社18




境内に狛犬が居ないと思ったら拝殿に居たのですね。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社19



こちらが、本殿。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社20



意外にって言う言うか、それなりに立派。
なぜか、厳かな雰囲気が漂う本殿です。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社21






本堂裏にある祠。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社24

石祠など4基が安置されています。



蛟網神社の門の宮そのものが、歴史ある神社だから
無造作にイジられていなくて、周辺はその名残りを残しています。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社22



緑が映える季節になってきたから、緑の起伏のある土壇が美しい。

      20160411利根七福神⑤蛟網神社23


      20160411利根七福神⑤蛟網神社25


この先、ずっとこのままの姿を残してもらいたいものです...............。





2016/04/23 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神④ 寿老人  《 応順寺 》(2016年4月2日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、茨城県の利根町にある『利根七福神』巡りに出かけました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています


利根七福神の第3弾。
訪れたのは...............応順寺寿老人 です。


寿老人は中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。



応順寺は羽立山と号し、 天正16年に開基された浄土真宗のお寺です



こちらが、応順寺の山門。

      20160411利根七福神④応順寺01



正確には、羽立山 應順寺 と言うようです。

      20160411利根七福神④応順寺02

『応』が旧書体の『應』になっているようです。



何やら、句が飾られています。

      20160411利根七福神④応順寺03

月船 とは、布川の文化を担った者の一人である古田月船のことです。
月船は俳人・小林一茶を支援し、また親友でもありました。
一茶の月船亭泊りは49回になるとされています。
利根町(布川)を愛した小林一茶は生涯で布川に289回宿泊されたとされ、
その内の49回が月船亭であることから、一茶と月船の親交度が計り知れます。



山門をくぐれば、正面に本堂。

      20160411利根七福神④応順寺07


      20160411利根七福神④応順寺08



本堂に掲げられた扁額。

       20160411利根七福神④応順寺09

読みづらい書体ですが、羽立山と山号が記されています。




肝心の利根七福神は言えば、山門をくぐって右手側。
鐘楼の手前に祀られていました。

      20160411利根七福神④応順寺05


      20160411利根七福神④応順寺04


      20160411利根七福神④応順寺06

寿老人とは
中国出身の神で、不老不死の霊薬を所持しているといわれています。
人々の健康と長寿の神様として、広く崇敬されています。



      
こちらが鐘楼。

       20160411利根七福神④応順寺10




ちょっと時期を逃してしまいましたが...............

      20160411利根七福神④応順寺11

あと1週間も早く訪れていたら、
山門前の桜もきっと綺麗に咲いていたことでしょう。


利根七福神の寿老人。
これにて制覇です。









2016/04/22 Fri. 00:10 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............番外編 偶然見つけた学校跡地 (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、利根町の『利根七福神』巡りをしていました。

『利根七福神』の弁財天のある来見寺の隣に
布川地区コミュニティセンターがあります。

このコミュニティセンターのある敷地が
フェンスに囲まれた敷地ですが、フェンス沿いの桜の木に
ついてい、学校らしさを感じてしまう。
どう見ても、学校跡地のように見えてしまう。

気に成りだすと、確認したくなるのが私の性分。


敷地内(駐車場脇)の一角には遊具がある。

      20160411旧布川小学校跡09



そして、遊具の側には、こんなオブジェ。

      20160411旧布川小学校跡02



台座をじっくり見てみると...............

      20160411旧布川小学校跡01

何やら文字が刻まれている。



さらに、近づいて見てみると...............

      20160411旧布川小学校跡13

昭和41年度卒業生記念制作 と刻まれています。


まさしく、卒業記念のオブジェ。


って言うことは、ここは学校跡地?
それとも、オブジェを移設したのか?


すぐさま、コミュニティセンターの職員の方に尋ねてみました。

その職員の方の話では昭和40年代半ばまで
この地に布川小学校が在ったそうです。
この地から、布川中学校跡地に新たな校舎を建てて
布川小学校は移転したそうです。

実は、お話を伺った職員の方が、この地に布川小学校が在った時の在校生で
布川小学校を卒業して数年後に移転したそうです。


布川小学校の遺構として、残っているのは、このオブジェだけらしい。


一応、職員の方にお断りをして、敷地内を見学させて貰うことにしました。




この時点では、いつこの場所から移転したのか?
詳しい沿革が判らなかったから、あとで利根町役場の中にある教育委員会を訪ねたら
そちらでも判らなかった。
ただ、教育委員会の方が色々と調べてくれたようで
平成20年に行われた布川小学校の閉校式のパンフレットのコピーを送ってくれました。


そのパンフレットから抜粋すれば


布川小学校の沿革は

明治6年     徳満寺に学校を設置し、『刀陽小学校』と称する。
明治9年     学校所在地の名称を用い、『布川小学校』と改称する。
明治15年    新校舎完成、布川小学校の開校式を行う
           (この時に来見寺隣接地に移転したと思われます)
明治19年    布川尋常小学校と改称する。
明治44年    高等科を設置し、布川尋常高等小学校と改称する。
昭和22年    学制改革により布川町立ふかわ小学校と改称する。
昭和30年    深川町、文村、文間村、東文間村が合併して利根町が誕生。
          利根町立布川小学校と改称する。
昭和48年    中学校深川教場跡に新校舎を建設して移転
平成20年    太子堂小学校と合併して廃校となる。
          尚、新たな組織として太子堂小学校の敷地に布川小学校開校。

とこのような沿革となっています。


不明だった布川小学校の沿革が判りました。
利根町教育委員会の方々、ありがとうございました。




こちらが、旧・布川小学校の正門跡。

      20160411旧布川小学校跡03

いかにも、学校の校門跡って言う感じがします。



フェンス沿いの桜並木。

      20160411旧布川小学校跡04

この桜は布川小学校時代から、ここにあったらしい。
毎年綺麗な花を咲かせているそうです。



敷地内のかなりの部分が駐車場と化していますが
びいすけ の奥、民家の手前辺りに校舎が建っていたらしい。

      20160411旧布川小学校跡05



こちらは反対側にあたる駐車場。

      20160411旧布川小学校跡06

こちらは校庭だったそうです。



現在、敷地には布川地区コミュニティセンターが建っています。

      20160411旧布川小学校跡07



コミュニティセンターに隣接する 利根町民すこやか交流センター。

      20160411旧布川小学校跡08



コミュニティセンターと駐車場の間の一角が
かつての布川小学校を彷彿させる空間のようです。

      20160411旧布川小学校跡10



こちらの銀杏の樹も、数年前に枝を伐採されてしまいましたが
以前は壮大な姿を見せていたそうです。

      20160411旧布川小学校跡11



来見寺との境界にある桜の木。

      20160411旧布川小学校跡12


春には桜の花を眺め、風に桜の花が舞い、
秋には黄金色の銀杏の葉が舞う姿が
昭和40年代のこの布川小学校には、きっと似合っていたのでしょう...............。




  
2016/04/21 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神③ 弁財天 《 来見寺 》(2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

この日は、利根町に出かけました。
先日、利根町の廃校を回った時に、たまたま立ち寄った布川神社で
『利根七福神』の存在を知り、七福神フリークの身としては
知らなかったとは言え、その存在を知ってしまったら
全部見て回らなきゃ気がすまない。
と言うことで、この日は『利根七福神』巡りとなりました。

徳満寺をあとにして、向かった先は...............利根七福神③ 来見寺弁財天



こちらが、来見寺。
寺号標の前で、はいポーズ。 ☆パチリ

      20160411利根七福神③来見寺01



こちらの来見寺には、利根町指定文化財の 赤門 があるらしい。

      20160411利根七福神③来見寺02



どうやら、奥に見える山門が赤門前らしい。

      20160411利根七福神③来見寺03



利根町に289回も訪れたとされている俳句で著名な小林一茶。
ここ、来見寺にも訪れて句を詠んだようです。

      20160411利根七福神③来見寺04



こちらは、指定文化財を示す標柱。

      20160411利根七福神③来見寺05

利根町は、この標柱を用いているようですね。



そして、こちらが赤門。

      20160411利根七福神③来見寺06

確かに赤いが、木造の山門の朱色は褪せてしまっています。



山門(赤門)をくぐった先に現れる『利根七福神』の弁財天。

      20160411利根七福神③来見寺09


      20160411利根七福神③来見寺07


      20160411利根七福神③来見寺08

弁財天とは唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。




こちらが、来見寺の本堂。

      20160411利根七福神③来見寺10



本堂から眺める山門(赤門)。

      20160411利根七福神③来見寺11



こちらは鐘楼。

      20160411利根七福神③来見寺12



境内には、家康公ゆかりの『松替の梅』。

      20160411利根七福神③来見寺13


この来見寺。
実は、徳満寺と並んで利根町を代表する寺院で
徳川家康ゆかりの名刹だそうです。
永禄3年(1560年)、府川(布川)城主・豊島頼継が開基したので、
当初、頼継寺と呼ばれていたそうです。


頼継寺3世住職の日山和尚は三河国(現在の愛知県)岡崎生まれで
幼年時から龍海院にて徳川家康公とは筆硯の仲だったそうです。
慶長9年(1604年)、家康公が鹿島神宮参りの折に頼継寺に泊まり旧交を温め、
「我来見の上は、来見寺とつくべし」と頼継寺から来見寺へ改めるよう号しました。
また家康公はこの地を流れる府川の川上に絹川(鬼怒川のこと)があるのだから、
絹にかけて府川を布川にせよと上意されたそうです。

つまり、来見寺の名前の由来も、布川の地名の由来も
徳川家康公によるものだと言うことです。




こちらは、布川台の台地を背にした無縁塔。

      20160411利根七福神③来見寺14

1300余りの無縁仏が祀られているとされています。
元々、布川城主の豊島氏関連の墓石もあるようです。



その脇には台地に上る石段。
せっかくだから、上ってみましょう。

      20160411利根七福神③来見寺15



石段の途中にある常夜燈。

      20160411利根七福神③来見寺16


さらに石段を上ります。

      20160411利根七福神③来見寺17



石段を上りきった先に道了堂。

      20160411利根七福神③来見寺18

道了薩埵という室町時代の曹洞宗の僧を本尊として祀ったお堂です。



先ほどの石段を挟んで道了堂の反対側に在る浅間神社。

      20160411利根七福神③来見寺19

明治以前の神仏習合の名残りでしょうか?
フェンスが張り巡られ、布川台地側からは、この浅間神社に参ることは出来ません。
来見寺の境内から、先ほどの石段を上って参ることが出来ます。



本殿と祭神。

      20160411利根七福神③来見寺20



こちらは拝殿。

      20160411利根七福神③来見寺21



石段を下り、来見寺の境内に戻ります。
墓地横の駐車場に戻ると、駐車場に隣接する敷地が気になった。

気になると確認したくなる性分。
もうちょっと、この地に留まることになりました...............。








2016/04/20 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神② 毘沙門天  《 徳満寺 》  (2016年4月11日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月11日 公休日

先日、利根町の廃校を回っている時に、たまたま利根七福神の存在を知りました。
その日は、利根七福神の恵比寿だけをお詣りしましたが
せっかく知りえた利根七福神。
自宅からもズバ抜けて遠い訳でもないから
中途半端な状態も嫌なので、残りの六福神も制覇しちゃいましょう!
と言うことで、この日は利根七福神詣りと相成りました。


利根七福神は

毘沙門天 (徳満寺)
恵比寿(布川神社)
布袋尊(円明寺)
福禄寿(早尾天神社)
弁財天(来見寺)
大黒天(蛟網神社)
寿老人(応順寺)

と、このような構成になっています。


先ずは、利根七福神② 徳満寺毘沙門天 です。


利根川沿いのちょっとした台地の上に
利根七福神の毘沙門天が祀られている徳満寺があります。

      20160411利根七福神②01



こちらが徳満寺の寺号標。

      20160411利根七福神②02

徳満寺には以前訪れた事があります。
実は、徳満寺の在る台地一帯が、かつての布川城。

布川城址に訪問の際、この徳満寺に立ち寄りました。


以前は、この城址碑も目的の一つでしたが
今回はちょっと違う。

      20160411利根七福神②03



とは言いながらも、布川城址の説明板は
しっかりとチェックしちゃいます。

      20160411利根七福神②04



こちらが、徳満寺の山門。

      20160411利根七福神②05



山門に掲げられた扁額。

      20160411利根七福神②06





今回のお目当は、利根七福神の毘沙門天像。


毘沙門天の説明板。

      20160411利根七福神②07


毘沙門天は、インド出身の神様。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。



こちらが、利根七福神の毘沙門天。

      20160411利根七福神②08


      20160411利根七福神②09



なぜか、毘沙門天の近くに一回り小さい他の七福神が並んでいます。

      20160411利根七福神②10


      20160411利根七福神②11



ひょっとしたら、この徳満寺で『利根七福神』はクリアーしてしまうのか?

      20160411利根七福神②12

でも、それじゃ意味がない。
やっぱり、7ヶ所の社寺仏閣を回ってこそ意味がある。




以前、布川城址 として紹介した徳満寺ですが
(その時の記事は こちら )
今回は、布川城址については触れません。
単純に徳満寺を紹介していきましょう。


徳満寺は真言宗の寺院で、元亀年間(1570〜)に祐誠上人が中興したとされています。
当初は、今の門前に建てられていましたが、この地を治めていた豊島氏が滅ぶと、
城跡(現在の場所)に寺を移しました。
境内にある地蔵堂には地蔵菩薩が安置され「子育て地蔵」と呼ばれ、親しまれています。
少年期の柳田國男に大きな衝撃を与えたといわれている「間引き絵馬」は本堂廊下に掲げられています。 




徳満寺の境内。

      20160411利根七福神②13



弘法大師に所縁があるのか?
境内には弘法大師に関連する石碑も多く
弘法大師の像まであります。


弘法大師修行像。

      20160411利根七福神②14

平成27年4月に建立された、比較的新しい像。
ちょうど1年経ったようです。



鐘楼堂。

      20160411利根七福神②15

近隣では除夜の鐘として、この鐘の音を聞き慣れているそうです。



客殿

      20160411利根七福神②16

てっきり、本殿と言うモノだと思っていたら、
客殿と言うらしい。



奥にあるのが地蔵堂。

      20160411利根七福神②17

この徳満寺の本尊は延命地蔵尊(地蔵菩薩・子育て地蔵とも呼ばれています)。
その本尊が安置されているところが地蔵堂です。




地蔵堂の脇には石碑が多い。


こちらは、『茨城百景』の碑。

      20160411利根七福神②18



『 茨城百景 大利根の展望 』

      20160411利根七福神②19



石碑の脇には、但し書きの説明文。

      20160411利根七福神②20

この茨城百景の碑は、元々からこの場所に建てられたモノではなく
山門前に建てられていたそうです。
山門改修時に碑は移築され、以来そのままになっているそうです。

すなわち、『 茨城百景 大利根の展望 』は徳満寺の山門から見る景色だったんですね。



こちらが、山門前。

      20160411利根七福神②21

木々が視界を遮っている上に、茨城百景選定時(昭和25年5月)に比べ、
随分と様変わりしたことだと思います。
当時はきっと橋脚などもなく、雄大な利根川が眼前に広がっていたのでしょう。




著名な俳人、小林一茶についても触れています。

      20160411利根七福神②22

日本全国各地を行脚していた一茶ですが、
布川地区での宿泊は、その他の地域より抜きん出て多く、
その数は289回が数えられています。
布川出身の俳人で、一茶の親友でもある古田月船亭の存在もあります。
また、一茶の俳句の師は3人居たようですが、その師の一人が小林竹阿であり、
もう一人は利根町にも足跡を残した溝口素丸であり、布川出身の森田安袋であったとされています。
森田安袋は、元を正せば布川出身の武士だったそうです。


どうやら、小林一茶は利根町と縁あるようです。

その影響でしょうか?
徳満寺の境内、地蔵堂の脇には一茶の句碑が建てられています。

      20160411利根七福神②23



何やら、この徳満寺。
利根七福神だけじゃなく、布川城址だったり、
茨城百景だったり、利根町の文化財が遺されていたりと、
単なる寺院だけじゃないようです。

いずれ、時間を掛けて、じっくる見てみようかな...............?


今日の所は、次なる利根七福神に向かうことにいたしましょう。



2016/04/19 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............東文間小学校   (2016年4月2日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月2日 公休日

個人的な連休2日目

この日は茨城県の利根町に出かけました。


布川神社をあとにして、向かった先は...............利根町立東文間小学校


東文間小学校も詳しい沿革は不明です。
ただ、利根町の歴史を紐解いて行くと...............

明治22年 町村制施行に伴い、福木村・中谷村・立崎村・惣新田・加納新田・東奥山新田が合併して
東文間村が誕生していることから
明治期に創設された由緒ある小学校のようです。
昭和30年に布川町、文村、文間村、東文間村が合併して利根町誕生。
おそらく、この時期に利根町立東文間小学校と改称したのでしょう。
平成20年 文間小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革のようです。




こちらが、東文間小学校の正門。

      20160402東文間小学校01


石造りの門柱ですが、既に表札は外されています。
裏面には何やら文字が刻まれています。

      20160402東文間小学校02


良く見ると、東文間村役場の文字が読める。

      20160402東文間小学校03

役場の二文字を埋めた跡がわかります。
どうやら、東文間村役場の門柱を流用したみたいですね。



廃校になる前は、ここに東文間小学校と記された看板があったのでしょう。

      20160402東文間小学校04



県道沿いにある別な古い門。

      20160402東文間小学校05

こちらは、あまり利用されていなかったみたいで
フェンスに遮られます。



やはり、表札は外されています。

      20160402東文間小学校06



正門脇の子供達の卒業制作。

      20160402東文間小学校07


平成8年度の卒業生からの贈り物。

      20160402東文間小学校08

名前もしっかり残されています。
ももこちゃんは、元気で過ごされているのか?
計算すれば、今年32歳。
素敵な女性になっているのでしょうか?




こちらが校舎。

      20160402東文間小学校09


      20160402東文間小学校10



そして校庭。

      20160402東文間小学校11



草に埋もれかけているオブジェ。
やはり、子供達の卒業制作品。
『 なかよし 』の文字が確認できます。

      20160402東文間小学校12


校舎前の日時計。

      20160402東文間小学校13

こちらも、子供達の卒業制作品。
昭和年度の卒業生たちからの贈り物です。


正面から見ると、こんな感じの日時計です。

      20160402東文間小学校14



こちらも、子供達の卒業制作品のようですが
台座のみ残り、オブジェらしき物はありません。

      20160402東文間小学校22



校舎前に建つ校歌の碑。

      20160402東文間小学校15

こちらも雑草に埋もれかかっています。

廃校記念碑を探しましたが見つかりません。
布川小学校もそうでしたが、利根町の廃校には記念碑は建てられていないようです。


校庭に残された遊具類。

      20160402東文間小学校16


      20160402東文間小学校17


      20160402東文間小学校18


      20160402東文間小学校19


      20160402東文間小学校20


      20160402東文間小学校21
     

      20160402東文間小学校23



校庭の隅にある飼育小屋。

      20160402東文間小学校24

兎を飼育していたみたいですね。



校庭から眺める校舎。

      20160402東文間小学校25


      20160402東文間小学校26



校舎は郵便局の簡易保険郵便年金からの融資を受けて建てられたようです。

      20160402東文間小学校27



正面玄関の庇には、表札を剥がした跡。

      20160402東文間小学校28

おそらく、校名と校章が掲げられていたのでしょう。


校舎の裏に回ってみます。

      20160402東文間小学校29


校舎の背後には体育館。

      20160402東文間小学校30


そして、その隣はプール。

      20160402東文間小学校31


気になったのは、校舎裏にあった蔦に埋もれた住宅?

      20160402東文間小学校32

宿直の先生用の宿舎なのだろうか?



廃校から既に8年。
他に流用されることもなく県道沿いにその姿を残す東文間小学校。
このまま忘れさられたかのように朽ち果てて行くのだろうか...............?




2016/04/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

利根七福神① 恵比寿  《 布施神社 》  (2016年4月2日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月2日 公休日

個人的な連休2日目。

布川小学校の校庭の奥を進んでいたら、いつの間にか神社の境内に入り込んでしまいました。
と言うのも、小学校の校庭と神社の境内が隣り合っていて
境界線らしきものも無い。
気がついたら、神社の境内になっていたと言う状況。
そして、神社の境内で偶然にもある像を見てしまいました。


      20160402利根七福神・布川神社14

どう見ても、七福神の恵比寿。

慌てて、スマホで検索。
どうやら、利根町には『利根七福神』なるものがあるらしい。
と言う事で七福神マニアには、偶然とは言え幸運な出会い。

偶然に訪れた形になってしまったのが...............利根七福神 恵比寿 布川神社


本来の入り口と言うか、導線が台地下部になるので
布川小学校の後に、改めて台地下部からの訪問です。


こちらが、布川神社の入り口。
当然、鳥居をくぐって入って行きます。

      20160402利根七福神・布川神社01


鳥居脇の狛犬。

      20160402利根七福神・布川神社02

さしづめ、狛犬と並ぶビーグル。


鳥居に掲げられた社額。

      20160402利根七福神・布川神社03

黒ずんだ汚れが幾重もの時代を感じさせます。



鳥居の奥の石段を上れば、境内になります。

      20160402利根七福神・布川神社04



石段を上りきれば、目の前に拝殿が現れます。

      20160402利根七福神・布川神社09



なかなか立派な拝殿。
管理も行き届いているようで、氏子さんに大切に扱われている感じがします。

      20160402利根七福神・布川神社05



どうやら、この布川神社には利根町の指定文化財があるようです。
石段を上りきった境内の脇に、標柱が2本建てられています。

      20160402利根七福神・布川神社06


      20160402利根七福神・布川神社07



そして、拝殿前には文化財の説明板。

      20160402利根七福神・布川神社08

布川神社に所蔵されている絵馬の名前が記されています。
「神功皇后と武内宿禰」、「宇治川先陣争い図」、「天の岩戸」の3点。
 


こちらは、拝殿の扁額。

      20160402利根七福神・布川神社10


そして、こちらが本殿。

      20160402利根七福神・布川神社11


本殿に飾られた龍の彫り物。
これを見ただけで、格式ある本殿に見えてしまいます。

      20160402利根七福神・布川神社12



さて、本題の利根七福神。
この布川神社には、七福神の恵比寿。

      20160402利根七福神・布川神社13


      
なぜか、恵比寿の足元には七福神のレリーフが置かれていたりして、
かなり七福神巡りに力を入れている(力を入れていた?)みたいです。

      20160402利根七福神・布川神社15


布袋尊の像の脇には、こんな案内も掲げられています。

      20160402利根七福神・布川神社16

ちょっぴり擦れて読み辛くなっているのが難ですが...............



利根七福神。
またまた新たなチャレンジが現れた(笑)。

近い内に制覇しちゃいましょう。






2016/04/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............布川小学校   (2016年4月2日)(茨城県北相馬郡利根町) 

4月2日  公休日

個人的な連休2日目。

絶不調だった体調もかなり良くなり、
さすがに休みの日にジッとしているのも限界。
利根川の川向こうの利根町に出かけました。

向かった先は...............利根町立 旧・布川小学校


布川小学校の詳しい沿革は不明です。
ネットで色々と調べてみたのですが、詳しい沿革は解らず終いです。

ただ、利根町(布川村)の歴史を調べてみると
明治22年布川村、中田切村、羽中村が合併して布川町が誕生していることから
明治期に創設された由緒ある小学校のようです。
昭和30年に布川町、文村、文間村、東文間村が合併して利根町誕生。
おそらく、この時期に利根町立布川小学校と改称したのでしょう。
平成20年 太子堂小学校と合併し、旧・太子堂小学校の校舎を利用して
新たな組織の布川小学校が誕生して、旧・布川小学校は廃校となる。

と、このような沿革になるのでしょうか?



こちらが、布川小学校の正門。

      20160402布川小学校01


正門の脇には、大きな桜の木が見事に咲いています。

      20160402布川小学校02



校庭にも見事な桜の木が何本もあり、あと数日で満開を迎えるようです。

      20160402布川小学校03



桜の木と、校庭の遊具類。

      20160402布川小学校04


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      20160402布川小学校08




校庭の奥には、かつての正門。

      20160402布川小学校09


石造りの時代を感じさせる門柱。

      20160402布川小学校10



布川小学校の表札もしっかり残っています。

      20160402布川小学校11



門柱の脇にも立派な桜の木。

      20160402布川小学校12

門柱と一緒にこの門をくぐる子供達を見守ってきたのでしょう。



生憎の曇り空ですが、桜の花は見事と言うしかない。

      20160402布川小学校13


あと数日で、満開を迎えることでしょう。

      20160402布川小学校14


人知れない花見の穴場だったりして...............。

      20160402布川小学校15


実は、廃校後は日本ウェルネススポーツ大学の第二キャンパスとなっています。
(ちなみに、第一キャンパスは、やはり廃校となった旧・布川中学校跡)

基本的に敷地内は立ち入り禁止ですが、校庭の一部は出入りができるようで
この日も地元の方が桜の花を見に来ていました。

校舎手前にフェンスが張り巡られ、こんな案内も貼られています。

      20160402布川小学校24



ならば、校庭側から校舎を眺めましょう。
     
      20160402布川小学校16


      20160402布川小学校17


      20160402布川小学校18


      20160402布川小学校19




校庭に残された水飲み場。

      20160402布川小学校20



そして、辛うじて立ち入り禁止エリア外に残っていた二ノ宮像。

      20160402布川小学校21


      20160402布川小学校22


皇紀2600年記念と刻まれていると言うことは...............

      20160402布川小学校23

昭和15年に建てられたモノのようです。



道沿いに校舎の裏に回ってみると...............

      20160402布川小学校25


体育館はバトミントン部専用の施設となっているようです。

      20160402布川小学校26



おそらく、多少の内部の改修と外壁を塗り直しているとは思うけれど、
まだまだ立派な校舎だったようです。

      20160402布川小学校27


詳しい沿革がわからなくて、創設時期も分からないけれど
おそらく、明治期に創設された由緒ある布川小学校。

小学校は無くなってしまい、施設も他に流用されているけれど
いつまでも立派な桜の木は残して欲しい。
そして、その桜の木を見に来る人のためにも、
いつまでもその導線は解放していて欲しいなぁ...............。









2016/04/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit