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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

道の駅 南きよさと (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

1泊2日の山梨旅行。
その2日目は清里です。


と言いながらも清里高原から国道141号線を南下します。
立ち寄った先は.................道の駅 南きよさと。

      20191025道の駅南きよさと01



国道141号線沿いにある道の駅 南きよさと。

      20191025道の駅南きよさと02

中央道の須玉ICから清里高原や野辺山高原へ移動する際に
休憩で立ち寄る人も多い 道の駅。
駐車場もそれなりの台数がある。



平日の雨降り。
訪れる人は少ない。

      20191025道の駅南きよさと03


      20191025道の駅南きよさと04


      20191025道の駅南きよさと05



こんな芝生広場もあって、晴れた休日なら多くの人がいる事でしょう。

      20191025道の駅南きよさと06



道の駅 南きよさと は、『南八ヶ岳 花の森公園』に隣接する道の駅。

      20191025道の駅南きよさと07


ケーブルカーで展望台に行くこともできます。

      20191025道の駅南きよさと08



道の駅と言ったら、何と言っても直売所。
直売所は二つのエリアに分かれていて
こちらは、特産品コーナー。

      20191025道の駅南きよさと09



道の駅のスタンプは、その入り口に置かれています。

      20191025道の駅南きよさと10



八ヶ岳南麓の特産品がメインのようです。

      20191025道の駅南きよさと11


      20191025道の駅南きよさと12

道の駅の切符もこちらで販売されていました。



こちらが、農産物直売所。

      20191025道の駅南きよさと13

ある意味、道の駅の原点です。



地元で採れた野菜が並べられています。

      20191025道の駅南きよさと14


      20191025道の駅南きよさと15


      20191025道の駅南きよさと16


      20191025道の駅南きよさと17




こちらは、食事処『レストラン ほたる』。

      20191025道の駅南きよさと18



こちらの売店では、コーヒーやソフトクリームも味わえます。

      20191025道の駅南きよさと19



生憎の雨ですが、屋外野テーブルも有って
わんこ連れでも楽しめそうです。

      20191025道の駅南きよさと20

雨だから足を伸ばしませんでしたが 、敷地内にはドッグランも有るようです。



周辺観光地のパンフレットが置かれた情報コーナー。

      20191025道の駅南きよさと21



こちらがm、道の駅の切符。

      20191025道の駅南きよさと22


      20191025道の駅南きよさと23



そして、スタンプ。

      20191025道の駅南きよさと24


天気さえ良ければ、色々と楽しめる道の駅なんですけどね.........。



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2019/12/14 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................高根北小学校 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残しましょう。

大門ダムをあとにして、向かった先は............北杜市立高根北小学校。


高根北小学校は、

明治6年     長沢寺にて授業開始
明治8年     長沢学校創設
明治13年    現在地に移転 校舎新築
明治18年    玉那学校の分校となる
明治20年    安都尋常小学校の分校となる
明治25年    長沢尋常小学校となる
大正12年    安都尋常小学校長沢分校となる
昭和22年    学制改革により安都玉村立安都小学校長沢分校と改称する
昭和29年    安都玉村・安都那村・熱見村・甲村が合併して高根村が発足。
         高根村立高根東小学校長沢分校と改称する
昭和31年     独立して高根村立高根北小学校となる。
昭和37年    高根村が町制施行して高根町となる。
        高根町立高根北小学校と改称する。
平成16年    須玉町・長坂町・白州町・大泉村・武川村・明野村と合併して北杜市が発足。
        北杜市立高根北小学校と改称する。
平成31年    高根東小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



正門跡。


      20191025高根北小学校01



校舎全景。

      20191025高根北小学校02



別アングルからの校舎。

      20191025高根北小学校03


      20191025高根北小学校04



校舎前には国旗掲揚ポール。

      20191025高根北小学校05



校舎の庇には、校章が掲げられている。

      20191025高根北小学校06



フェンスには、こんな看板が貼られている。

      20191025高根北小学校07

びいすけ にはちょっとの間、外で待機してもらいましょう。



校舎前には閉校記念碑。

      20191025高根北小学校10



こちらは児童憲章の碑。

      20191025高根北小学校08



二宮像かと思ったら違っていた。

      20191025高根北小学校09

ロダンの『考える人』。


草に埋もれかけている校歌の碑。

      20191025高根北小学校11



校庭の片隅には、創立九十周年の碑。

      20191025高根北小学校12

普通、こう言う記念碑ってキリの良い百周年じゃないの?



皇紀二千年(?)の記念碑。

      20191025高根北小学校13

安都小学校の同窓会とあるから、かなり古い碑ですね。



雨に煙る校庭。

      20191025高根北小学校14


      20191025高根北小学校15




校庭の片隅には、熊(?)のオブジェ。

      20191025高根北小学校16




校庭の遊具類。

      20191025高根北小学校17


      20191025高根北小学校18


      20191025高根北小学校19


      20191025高根北小学校20



朝礼台。

      20191025高根北小学校21



この小学校も歴史のあった学校でした。
こう言った歴史のある学校が廃校になっていくのは寂しいモノですね。


2019/12/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!...............《 大門ダム 》 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残さなきゃ!

高根清里小学校をあとにして、、向かった先は............大門ダム。


実は、本当は大門ダムに来る前に、
『大滝』と言う滝に立ち寄ってみたのですが
何と、大滝の遊歩道には規制線が張られ、立ち入り禁止。
台風15号、もしくは19号で遊歩道が崩壊しちゃったんでしょうか?
前夜から激しい雨が降っていたから、水量もそれなりにありそうだったので
楽しみにしていたんですが、残念でした。



大門ダムは、山梨県北杜市の富士川水系大門川に建設されたダムです。
洪水調節・不特定利水・上水道・発電を目的とした高さ65.5mの重力式コンクリートダムで、
山梨県営の多目的ダムです。

昭和43年4月に建設工事に着工し、総事業費173億円が投じられ
昭和63年)3月に完成を迎えました。
平成10年には塩川ダムが完成し、両ダムは連携して北杜市や
下流の韮崎市の水害抑止という大役を果たしています。

ダム湖(人造湖)の名は清里湖と言うそうです。



こちらが、大門ダム管理事務所。

      20191025大門ダム01

ダムカードはこちらで貰えます。

実はこの管理事務所に至るの道が細い道。
幾らか小降りになってきたものの、
先ほどまで降っていた激しい雨で
斜面から流れてくる水が滝のようになり
道は川のようになっている。

いっしゅん、ヤバイかな?って思ったりもしました。



とりあえず、管理事務所で大門ダムのダムカード、ゲットです。

      20191025大門ダム02



せっかくだから、小雨(?)が降っていますが、大門ダムを見学いたしましょう。

  

大門ダムの案内図。

      20191025大門ダム03



大門ダムの碑。

      20191025大門ダム04



大門ダムの天端。

      20191025大門ダム05



堤体(上流側)に埋め込まれた大門ダムのプレート。

      20191025大門ダム06



ダム湖である清里湖。
雨に煙っています。

      20191025大門ダム07



大門ダム、下流側。

      20191025大門ダム08



発電用に排水しているんでしょうか?

      20191025大門ダム09



管理事務所の庭には水の神様を祀っている。

      20191025大門ダム10



管理事務所下の公園内の記念碑。

      20191025大門ダム11

大門ダム建設地点が火山噴出物の堆積した台地であることから、
特にダム湖右岸側は漏水を抑えるため、約4.2ヘクタールに渡って
アスファルトで舗装し遮水工としてあるそうです。

土木学会はこの工事を評価し、昭和61年に山梨県土木部に技術賞が贈ったそうです。
こちらが、その記念碑になるそうです。



そして、こちらが大門ダムのダムカード。

      20191025大門ダム12


      20191025大門ダム13


2019年10月25日げんざい、山梨県下でダムカードが配布されているダムは6ヶ所。
これで3ヶ所目のダムを訪れたことになる。

残り3ヶ所もいずれ訪れたいモノです。



2019/12/13 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................高根清里小学校 (2019年10月25日)(山梨県北杜市) 

10月25日

清里旅行の2日目。

清里旅行と銘打つからには、清里で何か足跡を残さなきゃ!

という事で、マッキンをチェックアウトして、
向かった先は............北杜市立高根清里小学校。


高根清里小学校は、

明治6年に開校した津金学校清里分校を前身とする高根東北小学校と
昭和15年に開校した清里小学校八ヶ岳分教場を前身とする八ヶ岳小学校が
昭和49年に合併して誕生した小学校です。


明治 6年     津金学校清里分校を千福寺( 樫山)で開校する
昭和15年     清里尋常小学校に八ヶ岳分教場(念場ヶ原) を開設する
昭和22年     学制改革により、清里小学校( 同校八ヶ岳分教場)と改称する
昭和31年     町村合併により、高根東北小学校( 同校八ヶ岳分教場) と改称する
昭和34年     高根東北小学校八ヶ岳分教場は、本校より分離し八ヶ岳小学校( 現在地) として独立する

昭和49年     高根東北小学校と八ヶ岳小学校を統合し高根清里小学校( 旧八ヶ岳小学校跡地) となる
平成16年     7ヶ町村が合併して「北杜市」が誕生「北杜市立高根清里小学校」となる
平成31年     高根東小学校に統合されて廃校となる


と、このような沿革となっています。



こちらが、高根清里小学校の正門。

      20191025高根清里小学校01



今年に春に廃校になった小学校。
まだ、廃校になって1年も経っていない。
門柱には表札が残っています。

      20191025高根清里小学校02



校門の先には校舎正面玄関。

      0191025高根清里小学校03

特徴のある玄関ですね。


正面庇には校名と校章が掲げられています。

      0191025高根清里小学校04


      0191025高根清里小学校05



生憎の天気。
小雨の高根清里小学校。

校舎全景。

      0191025高根清里小学校06



ちょっとだけ寄ってみる。

      0191025高根清里小学校15



校舎全景と びいすけ 。

      0191025高根清里小学校07



別アングルの校舎。

      0191025高根清里小学校08


      0191025高根清里小学校09



校舎前には、国旗掲揚ポール。

      0191025高根清里小学校10



校舎の定礎盤。
昭和49年竣工。

      0191025高根清里小学校11

玄関のデザインといい、当時としては画期的なデザインだったのでしょう。
この奥に図面等が隠されているんでしょうか?



こちらは、体育館。

      0191025高根清里小学校12



校庭。

      0191025高根清里小学校13



降りしきる雨で足元もぐちゃぐちゃ。

      0191025高根清里小学校14




校庭に残る遊具類。

      0191025高根清里小学校16


      0191025高根清里小学校17


      0191025高根清里小学校18


      0191025高根清里小学校19


      0191025高根清里小学校20


      0191025高根清里小学校21




朝礼台。

      0191025高根清里小学校22



百葉箱。

      0191025高根清里小学校23



緯度経度の碑。

      0191025高根清里小学校25

韮崎市の廃校にも多かったけれど
実は山梨県の小学校には、緯度経度を示す標柱や碑が設置されている事が多い。
上野原市や道志村の廃校にも多かったような記憶があります。




玄関の脇に置かれたオブジェ。

      0191025高根清里小学校24


これって馬ですよね?

子供たちの作品なんだろうか?
それとも先生が作ったものだろうか?

ちょっぴり気になります。





2019/12/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日のお泊り@マッキントッシュ (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。この日も駆け巡りました。
清里のある北杜市の手前の韮崎市の廃校、神社を巡り
そして、北杜市へ移動。
北杜市では、ダムカードを貰いに行き、旧・須玉町地区の廃校を2校巡り
一日を十分に堪能して本日の宿屋に向かいます。

ビーグルを飼っている身としては、清里はビーグルの聖地とも言えるでしょう。
と言うのも、マッキントッシュがあるからです。

清里で泊まるなら、やっぱりマッキンですね。
という事で本日の宿泊先は...............マッキントッシュ。

      20191024マッキン01


      20191024マッキン02


      20191024マッキン03



マッキンにお世話になるのは、これで3回目。
でも前回から、かなりの月姫が経ち、お久しぶりになります。

      20191024マッキン04


      20191024マッキン05



今回のお部屋は3階の303号室。

      20191024マッキン06


      20191024マッキン07


      20191024マッキン08



室内はこんな感じです。

      20191024マッキン09



びいすけがベットの上で暴れ回る(?)前にベットにカバーを掛けて................


さぁ、どうぞ!!

      20191024マッキン10


      20191024マッキン11


      20191024マッキン12



夕食は19時から。
それまで2時間以上あるから............

軽く(?)、『お疲れさん!』の乾杯。

      20191024マッキン13



『僕のは無いんですか?』

      20191024マッキン14

はい、君のはありません!(きっぱり)。



先ずは、乾杯です。

      20191024マッキン15



可哀想だから、びいすけ は、晩御飯にしましょう。

      20191024マッキン16


『待て!』

      20191024マッキン17



からの『良し!』

      20191024マッキン18



この日も、朝早かったから
ご飯を食べてお腹いっぱいになったら、ベットに移動。

      20191024マッキン19


もう寝る態勢に入っています(笑)。

      20191024マッキン20



夕食前にお風呂に入って、またまた軽くビールを飲んだりしていると
時刻は19時になりました。


楽しみな夕食の時間です。



前菜。

      20191024マッキン21



本日のスープ。
ジャガイモのポタージュスープ。

      20191024マッキン22



シーフードグラタン。

      20191024マッキン23

これが、超美味い。



メインディッシュのビーフストロガノフ。
   
      20191024マッキン24


      20191024マッキン25

これまた美味。
どちらかと言うと肉料理が苦手ですが、
美味しくいただきました。



サラダ。
      20191024マッキン26


テーブルの下でおこぼれを待つ びいすけ 。

      20191024マッキン27

ごめん、ごめん。
今日はお肉も食べちゃったから...............


デザートです。
   
      20191024マッキン28


      20191024マッキン29

本日もしっかり完食。
美味しくいただきました。



部屋に戻って、テレビを見ていると
びいすけ の鼾が聞こえてくる。

      20191024マッキン30

      
      20191024マッキン31

今日も一日動き回ったから、疲れちゃったんだね。
おやすみ...............


この日は、22時過ぎにいつのまにか寝落ちしていました。



明けて25日。
この日、関東では大雨で凄い事になってしまいましたが
清里でも朝から雨。

びいすけ の朝の散歩も軽く済ませ
かと言って、コレと言ってすることもないから、
再びベットに潜り込みます。


しっかりと二度寝をして7時半過ぎに起きて、8時からの朝食に備えます。

する事もないから、早めにパッキングして
早めにチェックアウトして、早めに帰るのもてかも?
何せ1日中雨が降るって言う天気予報だからねぇ。
(この時点で、我が地元の佐倉市で高崎川が氾濫するなんて想像もしていませんでした。)



8時になり、朝食の時間です。
まぁ、旅行中の宿泊先の食事も楽しみの一つですからねぇ。


林檎ジュース。

      20191024マッキン32


  
フルーツ。

      20191024マッキン33



サラダ。

      20191024マッキン34



ピザトースト。

      20191024マッキン35

マッキンの朝食といったらピザトースト。
そして、コレがまた美味。



テーブルの下でおこぼれを待つ可愛いヤツ。

      20191024マッキン38



仕方がないから、ピザトーストの耳とチーズを千切ってあげちゃいます。

      20191024マッキン39

今日だけだよ。


   
デザート。
 
      20191024マッキン36



紅茶でシメとなります。

      20191024マッキン37

意外にボリュームあって、充実した朝食。
お腹いっぱいです。




外は雨。
意外に雨足も強い。

散歩に出るわけにもいかず、部屋の中でぼお〜っとしています。

      20191024マッキン40


      20191024マッキン41



チェックアウトは10時だけど、この雨で高速が通行止めになっても嫌だし、
つい先日まで中央道は台風19号の影響で八王子←→大月 間が通行止めだったし、
当初は小淵沢方面へ足を延ばす計画だったけど、
清里から韮崎市へと向かって帰る事にしよう。

と言う事で9時にチェックアウト。


久しぶりのマッキン。
以前に比べマッキンビーグルも少なくなって、
現在は6頭になっちゃったらしい。

少し淋しい気もするけれど、これも時の流れ。

お世話になりました。
また遊びに来ます。





2019/12/12 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................多麻小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


岩下小学校をあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 多麻小学校。



多麻小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地の校歌の碑に簡略した沿革が記載されていました。

校名の由来となった多麻村の沿革も一緒に紐解けはば.............


明治23年     豊田村と東向村が合併して多麻村となる。
         中小倉に民家を借りて尋常小学校とした。
大正4年      現在地に校舎を新築して開校。
大正5年      高等科を設置して多麻尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により多麻村立多麻小学校と改称する。
昭和30年     多麻村が若神子村、穂足村、津金村と合併して須玉町となる。
         須玉町立多麻小学校と改称する。
昭和60年     旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
         穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
         新たに須玉町立須玉小学校が開校し、多麻小学校は廃校となる。

と、このような沿革になるようです。





こちらが、かつての正門。

      20191024多麻小学校01



石造りの門柱は健在ですが、表札はありません。

      20191024多麻小学校02



多麻小学校は廃校後、校舎は解体され
その敷地は、多麻公民館として活用されているようです。

      20191024多麻小学校03


      20191024多麻小学校04



その公民館。

      20191024多麻小学校05


      20191024多麻小学校06



校庭は、地域のグランドとして利用されているのか?

      20191024多麻小学校07

思ったほど荒れてはいないようです。

公民館の建物から数十m離れた所に建つ校歌の碑。

      20191024多麻小学校08



実は、この校歌の碑の裏面に沿革が刻まれています。

      20191024多麻小学校09

たいへん参考になりました。




公民館脇には忠魂碑。

      20191024多麻小学校10




野ざらしに置かれているローラー。

      20191024多麻小学校11



敷地のフェンス沿いには古い桜の木が並ぶ。

      20191024多麻小学校12



校庭の奥には赤茶色に錆びた朝礼台。

      20191024多麻小学校13




雑草もなく、適度に管理されている(と思われる)校庭跡。

      20191024多麻小学校14



残念ながら遊具類は残っていない。

      20191024多麻小学校15


      20191024多麻小学校16


学校遺構は、門柱と校歌の碑と朝礼台ぐらいしか残っていない。
二宮像を期待したんだけど....................

でも沿革が刻まれた校歌の碑があったから、良しとしなくちゃね。


2019/12/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて................岩下小学校 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


塩川ダムをあとにして、向かった先は.............旧・須玉町立 岩下小学校。



岩下小学校もネットで調べても、創立時期等の詳細は不明でしたが、
現地にあった記念碑に簡略な沿革が刻まれていました。

岩下小学校は明治6年に開校した江草小学校の分校として
明治8年に開校しました。
明治11年に分校は廃止されますが、地元の強い要望に寄り
明治12年に第一大学区第四十三番中学区第百二十六番小学 岩下小学校として開校します。

明治25年     岩下尋常小学校と改称
昭和22年     学制改革により、江草村立岩下小学校と改称する。
昭和31年     江草村が須玉町に編入され、須玉町立岩下小学校と改称する。

昭和60年に旧・須玉町の6つの小学校(江草小学校、津金小学校、岩下小学校、
穂足小学校、多麻小学校、若神子小学校)が統合して、旧・若神子小学校敷地に
新たに須玉町立須玉小学校が開校し、岩下小学校は廃校となりました。


廃校後、建物の一部は岩下公民館として活用され
また、敷地の多くの部分は民間会社の太陽光発電の研究施設となっているようです。




こちらが、かつての正門跡付近。

      20191024岩下小学校01

背後は、往時の校舎と思われる木造校舎。
現在は、民間会社が使用しています。



こちらの建物が岩下公民館。

      20191024岩下小学校02

岩下小学校の講堂だったのでしょうか?



公民館出入り口。

      20191024岩下小学校03



公民館の庭先に記念碑が建つ。

      20191024岩下小学校04

岩下小学校の創立百周年記念碑。


裏面に簡略された沿革が刻まれているようですが
石の腐食が激しくて読み辛い。

      20191024岩下小学校05

でも解らなかった沿革がおぼろげに解ってきた。


その脇には校歌の碑。

      20191024岩下小学校06




もう一つ校歌の碑。

      20191024岩下小学校07

こちらには2番と3番の歌詞が刻まれている。




公民館になっている校舎(講堂?)の背面。

      20191024岩下小学校08



古い机が野ざらしで放置。

      20191024岩下小学校09



下駄箱と階段。

      20191024岩下小学校10

校舎から移動して来たら、ここで靴を履き替えていたんでしょうか?



手前が公民館、奥が民間会社。

      20191024岩下小学校11

校舎は、こんな感じで往時から並んでいたんでしょうね。



残念ながら、校庭へはフェンスがあって門扉も閉まっていて、
中に入ることはできません。

      20191024岩下小学校12


民間会社が太陽光発電の実験か、もしくは測定等で校庭を使用しているようですが
この日は平日だけど、誰もいない。

ひょっとしたら、今はもう使われていない研究施設なのかもしれませんね。
いずれにしても、山奥の無人の建物。
怪しまれても嫌なので、早々に撤収いたしました。






2019/12/11 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!.....................《 塩川ダム 》 (2019年10月24日)(山梨県北杜市) 

10月24日

10月24日〜25日の1泊2日で清里方面へ旅行に出かけました。

初日の24日。
この日は、韮崎市を中心に巡り、その後に北杜市へと移動します。


円野小学校をあとにして、向かった先は.............塩川ダム。



山梨県内には6つのダムでダムカードの配布をしています。
北杜市にある塩川ダムもその一つ。

せっかく、北杜市まで来たんだから
塩川ダムに寄らないと言う選択肢はない。

実は、まだダムカードを集めていない時に
塩川ダム周辺の廃校巡りでこの近くまで来たことはあったんですけどね。
以前訪れた場所に何年か振りに訪れてみるのも、結構楽しかったりする。




塩川ダムは、山梨県北杜市の富士川水系塩川に建設されたダムです。
洪水調節・不特定利水・灌漑・上水道・発電を目的とした
高さ79mの重力式コンクリートダムで山梨県営の多目的ダムです。

昭和45年に県費を投じて山梨県が予備調査を開始し、
昭和50年より国庫補助実施計画調査に着手してます。
しかしながら、その調査やダム建設に関わる補償問題等により長い年月を重ね、
平成元年より本格的な建設工事に着手し、平成9年より湛水を開始。
平成10年に完成を迎えました。




こちらが、塩川ダム管理事務所。

      20191024塩川ダム01

塩川ダムのダムカードはこちらで配布されています。



玄関のインターフォンで『ダムカード下さい!』って言うと
係りの女性が玄関まで持って来てくれました。

ダムカード、ゲットです。

      20191024塩川ダム02



塩川ダムは、管理事務所のすぐ脇。
せっかくだから、ダムをじっくり見学いたしましょう。


ダム堤体近くの塩川ダムの碑。

      20191024塩川ダム03



天端近くには、平成10年に建てられた完成記念碑。

      20191024塩川ダム04



塩川ダム堤体(上流側)。

      20191024塩川ダム05



ダムによって堰き止められて出来た人造湖は『みずがき湖』。

      20191024塩川ダム06



先日の雨台風だった台風19号の影響か?
ダム湖の水は土砂含んでいて濁っている。

      20191024塩川ダム07



   
ダム天端。

      20191024塩川ダム08




信州峠に至る県道が天端を走るために、
時折車も走って来るので気をつけましょう。

      20191024塩川ダム09



ダム下流側。

      20191024塩川ダム10



先日の台風19号貯水量が多いのか?
はたまた、近づく台風22号に備えてになるにでしょうか?
下流に放流しています。

      20191024塩川ダム11


      20191024塩川ダム13



管理事務所から車で みずがき湖をグルッと一周します。


ちょうど塩川ダムの対岸。
この場所はちょっとして展望エリアになっている。

      20191024塩川ダム14

天気が良ければ、そしてもう少し冷え込んで来て
周りの木々が色付き始めたら見応えがあるんだろうなぁ。



こちらは、みずがき湖ビジターセンターからの眺望。

      20191024塩川ダム15

11月の中旬ぐらいになれば、きっと紅葉真っ盛りなんでしょうね。




こちらが、塩川ダムのダムカード。

      20191024塩川ダム16


      20191024塩川ダム17


山梨県のダムカード、これで2枚目。
あと4つ。4枚でコンプリート。

機会があれば、その4つのダムにも訪れたいモノです。


2019/12/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................小淵沢西小学校跡                          (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日  公休日


前日から山梨県北杜市の城址巡り、廃校巡り、丸ポスト探しをしていました。

小淵沢東小学校跡をあとにして向かったのは

北杜市廃校巡り、第13弾。

          旧・小淵沢町立 小淵沢西小学校跡



小淵沢西小学校は、

これまた、詳細が不明な学校です。

旧・小淵沢町は、平成平成18年に北杜市に編入して消滅しました。
昭和29年に小淵沢村と篠尾村が合併して、小淵沢町が誕生しました。


小淵沢西小学校跡地の地番が北杜市小淵沢町2161。
今でこそ大字、小字がありませんが、
かつてこの辺りは小淵沢村。
小淵沢村時代には、村役場もあった地区で
村の中心地区でもあったようです。
その関係で、その昔にあったであろう小淵沢小学校が
色々と変遷したものかもしれません。
(現在の小淵沢小学校とは別モノになりますが.......)

何せ、ネットで調べても詳しい事はわかりませんでした。

ただ、はっきりわかっている事は、
昭和50年に小渕沢東小学校と統合され、新たに小淵沢小学校が誕生。
小淵沢西小学校、小淵沢東小学校は共に廃校となりました。



現在、小淵沢西小学校跡は、小淵沢総合スポーツセンターとなっています。



こちらが、小淵沢総合スポーツセンターのグランド。


      20140731 小淵沢西小学校06


      20140731 小淵沢西小学校01

おそらく、ここがかつての校庭だったのでしょう。




小淵沢総合スポーツセンターと言う仰々しい名称の施設のため、
一瞬構えてしまいますが、さりげなく散歩を装って探索です。

でも立派な名前だから、犬連れでグランドに行くのには
ちょっぴり勇気がいりました。
何せ、併設の体育館で少年たちの競技会が行われていたようで
体育館前で表彰式を行ってました。

目立たないように、グランドの隅っこを歩いたのは言うまでもない(笑)。


広いグランド。
かつての校庭もこれぐらい広かったのでしょうか?


      20140731 小淵沢西小学校07


      20140731 小淵沢西小学校08



グランド内を捜しまくりましたが、残念ながら
廃校記念碑、二ノ宮像もなく、遊具すら残されていませんでした。


      20140731 小淵沢西小学校09



グランドの奥に見えるのが、スポーツセンターの体育館。


      20140731 小淵沢西小学校10



グランドを出て、フェンス越しに学校跡をぐるっと一周してみます。



明らかに、校門に至る階段だとわかります。

この階段の上が校門。
校門をくぐり、校庭を突っ切って通学していたのでしょう。


      20140731 小淵沢西小学校02




大きな桜の木が、学校跡を彷彿させてくれます。


      20140731 小淵沢西小学校03


      20140731 小淵沢西小学校04



こちらは、別な門跡。
通用門だったのでしょうか?

階段は埋め立てて、法面となっています。


      20140731 小淵沢西小学校05



結局、ぐるっと一周してはみたものの、学校遺構は殆んど無く
先ほどの門跡が唯一の学校の面影を残すものでした。

まぁ、廃校から39年。
こればっかりは仕方ないですね










2014/09/06 Sat. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...................小淵沢東小学校跡                          (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日  公休日

前日から山梨県北杜市の城址巡り、廃校巡り、丸ポスト探しをしていました。

小淵沢の丸ポストをあとにして向かったのは

北杜市廃校巡り、第12弾。

旧・小淵沢町立 小淵沢東小学校跡



小淵沢東小学校は

詳しい沿革はわかりません。
旧・小淵沢町は、平成平成18年に北杜市に編入して消滅しました。
昭和29年に小淵沢村と篠尾村が合併して、小淵沢町が誕生しました。

小淵沢東小学校跡地の地番が北杜市小淵沢町上笹尾。
この『上笹尾』と言う小字が、篠尾村以前からの小字(上笹尾村)であることからして
その昔、篠尾村にあった篠尾小学校が変遷したものかもしれません。
何せ、ネットで調べても詳しい事はわかりませんでした。

ただ、はっきりわかっている事は、
昭和50年に小渕沢西小学校と統合され、新た小淵沢小学校が誕生。
小淵沢東小学校、小淵沢西小学校は共に廃校となりました。


現在、小淵沢東小学校跡は、小淵沢東スポーツセンターとなっています。



こちらが、小淵沢東小学校跡地。


      20140731 小淵沢東小学校跡01

小淵沢東グランドです。

グランド奥に見える赤い屋根の建物は、校舎かと思いきや
市営住宅(建設時は町営住宅)でした。




グランド周囲には、大きな桜の木が並んでいます。

かつての校庭外周には、桜の木がいっぱい有ったのでしょう。


      20140731 小淵沢東小学校跡02



グランド隅には、遊具があります。
小淵沢東小学校の学校遺構なのでしょうか?

昭和50年に廃校だから、廃校から39年。
微妙ですね。


      20140731 小淵沢東小学校跡03


      20140731 小淵沢東小学校跡04




グランドの奥、市営住宅をぐるっとまわって
校地跡を一周してみます。


      20140731 小淵沢東小学校跡07


      20140731 小淵沢東小学校跡08


      20140731 小淵沢東小学校跡09



この木立の奥に何かがあるようです。


      20140731 小淵沢東小学校跡10



石碑には、『小淵沢東小学校跡』

      20140731 小淵沢東小学校跡05



やっぱり廃校跡には、こういった記念の碑がなくっちゃ!


      20140731 小淵沢東小学校跡06



碑の裏面を確認してみます。


      20140731 小淵沢東小学校跡14


      20140731 小淵沢東小学校跡15



詳しい沿革は記されていませんでしたが
開校は昭和11年と刻まれていました。





もう一度、グランドに戻ってみます。


      20140731 小淵沢東小学校跡11


      20140731 小淵沢東小学校跡12


      20140731 小淵沢東小学校跡13



廃校から39年経って、校庭はグランドに変わったようですが
少年野球のグランドとして活用されているのか?

市営住宅もそれなりの月日が流れ、老朽化してきたのだろうか?
意外に空き家が目立っていた。


今一つ、廃校跡地の活用としては実になっていないような気もするけど、
却って上手く活用している方が少ないのが世の現状。

こればっかりは、仕方ないですね.....................。






2014/09/06 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................泉小学校小泉分校跡                         (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日 公休日

前日から山梨県北杜市の城址巡り、廃校巡り、丸ポスト探しをしていました。


深草館跡をあとにして、旧・小淵沢町の丸ポストを探しに
旧・長坂町域を快調に車を飛ばしておりました。

とある交差点で信号待ちをしていたら
何となく、廃校跡に見える風景が目に入った。


      20140731 旧・小泉学校01



直進するはずの交差点。
迷わず右ウインカーを出して、立ち寄ることにしました。

偶然の産物とは言え、ラッキーでした。
右折して、すぐに門柱を確認。
さらには説明版らしきものも目に入った。

狭い道だから車が停められない。
広場を探してちょっぴり無断駐車。
急いで戻った先は...............................

北杜市廃校巡り 第10弾

             泉小学校小泉分校跡



こちらが、正門。


      20140731 旧・小泉学校04

残念ながら、学校名の表札は外されているから
校名はわかりません。



正門脇に建っていた説明板


      20140731 旧・小泉学校02

小泉学校のあゆみ と題された説明板。

明治6年に創設された公立小学校 谷戸学校がその始まりのようです。
(小荒間村、大井ヶ森村、白井沢村、八戸村、西井出村の5村による)

明治7年       小荒間村に公立小学校 新磨学校を創立
明治8年       5村が合併して小泉村発足
明治11年      谷戸学校、井出学校が統合して泉学校となる。
明治20年      大泉村と小泉村が学校組合を設立。
            それまであった泉学校 小泉学校、新磨学校は統合して
            泉尋常小学校となる

そして

大正3年       この地に泉尋常小学校小泉分教場を設立。
昭和22年      学制改革により泉小学校小泉分校と改称。
昭和24年      泉小学校小泉分校移転。5年生以上が通学する
            旧・小泉分校は小泉分校小泉校舎として4年生以下が通学する。
昭和30年      小泉村が長坂町と合併。
            大泉村と小泉村の学校組合は解散。
            泉小学校小泉分校と新磨分校は統合して長坂町立小泉小学校となる。
            小泉分校と新磨分校は廃校となる。

と、まあこのような沿革が説明版に記されていました。

山梨県に限らず村部が多かった地方は明治の大合併、昭和の大合併で
自自体が変遷し、それに合わせるように小学校も統廃合されたり、独立したりと
もうごっちゃごちゃになっている地区も多い。
この山梨県の北杜地区(旧・北巨摩郡域)も例外ではないようです。



廃校後、この敷地は昭和32年に小泉保育所として利用されていました。
その小泉保育所も平成12年に小荒間保育所と統合され、新地へ移転してしまいました。


現在は、介護老人保健施設となっています。


      20140731 旧・小泉学校17



校門の門柱にも介護老人施設の表札が掲げられています。

どこかに小泉分校の名残がないか?
じっくり見てみましたが見つかりませんでした。


      20140731 旧・小泉学校13



正門脇には見事な桜の木。
学校跡の雰囲気は、バッチリです。


      20140731 旧・小泉学校14


      20140731 旧・小泉学校15


正門から校庭越しに校舎跡を眺めてみます。
さすがに廃校から59年。
この建物は当然、当時のものではありません。


     20140731 旧・小泉学校05



さすがに介護老人施設だから、勝手にズケズケと中を徘徊するわけにも行きません

びいすけ を連れて入れるのはここまでか........?


      20140731 旧・小泉学校11



かと言って、敷地内に何やら石碑らしきものがあるし
なんと言っても遊具もしっかり残っている。

フェンスに びいすけ を繋ぎ留め
意を決して、介護施設に声をかけてみます。

たまたま応対に出てくれた男性職員さん。
自宅でビーグルを飼っているということで
『建物の中に入らないなか構いませんよ』と快諾してくれました。

ビーグル飼いに悪い人は居ない!

今日からこの言葉を信条にします(笑)。


ありがたい言葉に甘えて敷地内を探索させてもらいます。



こちらは、遊具類

廃校から59年。
ましてや、廃校後は43年間保育所として活用されていたわけだから
当時のモノかと言えば...........微妙ですね。

      20140731 旧・小泉学校07


      20140731 旧・小泉学校08


      20140731 旧・小泉学校09


      20140731 旧・小泉学校10


      20140731 旧・小泉学校12


敷地内には石碑が2基。

こちらは、文面はわからないけれど
小泉分教場の同窓会が建てた石碑。


      20140731 旧・小泉学校16

大正15年に建てられたモノのようです。

 
そして、こちらが気になっていた石碑


      20140731 旧・小泉学校03

しっかりと、 『小泉学校跡地』 と刻まれている。

裏面にはこんな文面も刻まれています。


      20140731 旧・小泉学校06

『   平成十六年十一月一日長坂町は
    他の六町村(明野村7、須玉町、
    高根町、大泉村、白州町、武川村)と
    合併して北杜市となる。
    この機会にこの地の教育の歴史を
    辿り後日の資とするものである

         平成十六年十月三十一日   
                       長坂町     』

建立日は平成16年10月31日。
すなわち長坂町最後の日。

これって、すごいって思っちゃいます。


平成の大合併で統合され消え去っていく町の名前
そして廃校となって忘れ去られていく学校
いつまでもこの地の人々に、
かつてこの地に、こんな町があり、こんな学校があった。
いつまでも忘れないでいて欲しい...........

そんな想いがこもった石碑なんだなぁ............。

ちょっぴり感動しちゃいました。


偶然、通りすがりに発見した廃校跡ですが
忘れられない出会い。
そして、いつまでも記憶に残る廃校跡でした...............。




2014/09/04 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

深草館跡 (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日 公休日

前日から山梨県北杜市に来ています。
この日も山梨県北杜市城址巡りをしていました。

北杜市城址巡り第5弾。

                深草館跡


深草館跡は

長坂町大八田の南新居集落の北側にある中世の館跡です。
北、東、南の三方を掘り切って台地から切り放し、
西側は西衣川を堀として利用していて、
堀の内側には高さ1~2メートルの土塁が巡っています。
大きさは東西約50メートル・南北約130メートルで、
現在は南北二つの郭ですが、かつては南郭をさらに分ける土塁がありました。

この館跡は谷戸城に対する居館とも逸見清光の嫡男光長の居館とも伝えられています。
『甲斐国志』には、戦国末期の人物である堀内下総守の居館でしたが
その子主税助のとき疲弊したとあります。
館の外郭部にあたる北東側台地では発掘調査が行われ、
15世紀から17世紀にかけての遺構・遺物が発見されました。

深草館跡は遺構の保存状態が良く、中世の館の姿を今日に伝えています。
また、周辺には国史跡谷戸城跡や
大量の古銭が出土した小和田遺跡といった中世の遺跡が数多くあり、
中世史研究の上でも重要な史跡です。

                    (北杜市HP より引用)




こちらが深草館の縄張り図


      深草館縄張り図

                   ( 余胡くんのホームページ  よりお借りいたしました )




三方を堀り切られ、西衣川を天然の堀として要害性の高い深草館。

西衣川に架かる丸太橋を渡って城内(館内)に入ります。


      20140731 深草館跡01


      20140731 深草館跡19



丸太橋を渡れば、ちょっとした上り。
振り返ってみるとこんな感じ。


      20140731 深草館跡18



そしていきなりの虎口。


      20140731 深草館跡02



そして、虎口の先は土塁にぐるっと囲まれた郭となります。
この郭を主郭とする説とこの奥にある郭を主郭とする説と
諸説はありますが、広さで言ったらこちらの郭の方は狭い。
となれば、こちらが主郭か?

丸太橋を渡った虎口が大手口とするならば
こちらの郭は二郭に当たることになる..............

正直、わかりません。

便宜上、こちらの郭を北郭と呼びましょう。


      20140731 深草館跡03



北郭をぐるっと取り巻く土塁。


      20140731 深草館跡04


      20140731 深草館跡05


      20140731 深草館跡06


こちらの郭を北郭と呼んだからには、奥の郭は南郭。

北郭から見る南郭の虎口。


      20140731 深草館跡07



南郭は北郭よりも広い。

そして、北郭同様に周囲を土塁が取り巻いています。


      20140731 深草館跡08


      20140731 深草館跡09


      20140731 深草館跡10


      20140731 深草館跡12




南郭の びいすけ 。
びいすけ の背後が北郭の虎口。


      20140731 深草館跡11



虎口のズームアップ。


      20140731 深草館跡13


さらに南郭の奥へと進めば土塁。


      20140731 深草館跡17




土塁の奥は堀り切り。

単なる空堀かと思いましたが、水の流れる音がする。
こちらも天然の川を堀としているのかもしれない。


      20140731 深草館跡14


      20140731 深草館跡15


      20140731 深草館跡16





深草館跡から見る谷戸城址。

確かに近い距離にあります。


      20140731 深草館跡20

谷戸城に対する居館とも伝えられている所以は、この距離にもあるのでしょう。

単なる館跡だと思っていた深草館跡。
しかし、四方を土塁で囲まれた、しっかりとした2つの郭を有し
ヘタな城郭よりも要害性に富み、戦国時代から数百年経った今でも
その遺構をはっきりと残す城郭であり、
いいものを見せてもらったと思わずにはいられません......................









2014/09/03 Wed. 16:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

金生遺跡 (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日 公休日

この日は、前日より山梨県北杜市に出掛けていました。

谷戸城址をあとにして、深草館跡へ向かう途中、
ナビに史跡らしい表示が出た。

『金生遺跡? 何それ?』

思わず、独り言。


どうやら、深草館跡に行くには、金生遺跡の前を通るようだ。

ならば、立ち寄るしかないなぁ..............


と、立ち寄ったのが

          金生遺跡



金生遺跡(きんせい いせき)は、
山梨県北杜市大泉町谷戸寺金生(旧北巨摩郡大泉村)に所在する遺跡。
国指定の史跡である。

縄文時代の集落跡や祭祀施設と、中世の城館跡や集落跡が複合した遺跡。

県北西部に位置し、八ヶ岳南麓の尾根上に立地する。
標高は760-80メートル付近。
旧大泉村域の最南部に位置し、縄文遺跡が集中する北側をA地区、
中世の遺跡が集中する南側をB地区として区分されている。

A地区の縄文遺跡では、住居址群と配石遺構や石組など埋葬施設や
祭祀施設が複合した遺跡であることが特色とする。
八ヶ岳山麓は縄文時代の遺跡が濃密に分布する地域で、
富士山や奥秩父連山をはじめ、後世に信仰の対象となった山々を望むことができる立地にあり、
旧大泉村域でも縄文前期後半の天神遺跡をはじめ大規模な集落遺跡が見られ、
祭祀的遺構も多い。

金生遺跡は気候が寒冷化し遺跡数も減る縄文後晩期の遺跡で、
山梨県内でも同時期には集落跡と祭祀施設が複合した遺跡が出現している。

                           (Wikipedia より引用)


こちらが、金生遺跡。

さすがに国指定の史跡。
看板からして立派です(笑)。


      20140731 金生遺跡01


      20140731 金生遺跡02




案内板によれば、縄文時代の復元住居が有るらしい。


      20140731 金生遺跡03



こちらが、その復元住居。


      20140731 金生遺跡04



何気に近寄ってみます。


      20140731 金生遺跡05




恐る恐る近寄って中を覗く びいすけ 。


      20140731 金生遺跡06



父:『何かあったかい?』

び:「何もないよぉ」

言葉にはしませんが、目でそんな会話をします。
見事なアイコンタクト(冗談です)(笑)。


      20140731 金生遺跡07



いきなり、 びいすけ がゴロ〜ん。
芝生(?)が気持ち良いのか?


      20140731 金生遺跡08



それともミミズでも居るのか?
まさか、縄文時代のミミズ?(そんな馬鹿な?)(笑)


      20140731 金生遺跡09




復元住居は3棟。


      20140731 金生遺跡10



こんな感じで並んでいます。


      20140731 金生遺跡11


金生遺跡そのものは、もっと広いのだろうが
整備されて保存されているのは、この辺りのみ。

周辺は一面の田圃で、むしろ田圃の中にポツンと公園がある。
まさに、そんな感じです。


      20140731 金生遺跡12




まるで公園のような遺跡に入る時には気付かなかったけれど、
入口には門(?)を意図しているのか?
一対の石のオブジェが有りました。


      20140731 金生遺跡13


      20140731 金生遺跡14

何と無く見たようなことがあるような形。

よぉ〜く考えて思い出した。
手塚治虫の漫画『火の鳥』で、こんな形の石って出て来なかったっけ?



そんな事を思いながら、深草館跡を目指すのでした.....................。









2014/09/03 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

谷戸城址 (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日 公休日

前日から山梨県北杜市に来ています。
この日も山梨県北杜市城址巡りをしていました。

北杜市城址巡り第4弾。

           谷戸城址



谷戸城(やとじょう)は、山梨県北杜市大泉町谷戸にあった城郭。
形式は山城。国の史跡に指定されている。

平安時代には常陸国那珂郡武田郷から源義清・清光親子が
甲斐国市川荘(現在の市川三郷町)へ流罪される。
逸見荘へ拠った逸見清光(冠者)の子孫は甲斐国各地で
勢力を拡大し、甲斐源氏の祖となった。
谷戸城は清光の居城と伝わり、江戸時代に成立した『甲斐国志』によれば
清光は1199年(正治元年)に城内で死去したという。
『吾妻鏡』の治承4年9月15日(1180年10月5日)条に拠れば、
武田信義ら甲斐源氏一党は源頼朝の挙兵に際して「逸見山」に集結し
頼朝からの使者を迎えたとあり、
北杜市域に複数候補のある逸見山所在地のひとつと考えられている。

戦国時代には武田晴信 (信玄)期の信濃侵攻に際して
侵攻ルートの中継地点になっていたとも考えられており、
家臣駒井政武の日記『高白斎記』の天文17年9月6日(1548年10月7日)条に拠れば
「矢戸御陣所」の記述がある。
また、『国志』によれば武田氏滅亡後の遺領を巡る天正壬午の乱に際しては、
1582年(天正10年)に徳川氏と甲斐領有を巡る相模国の後北条氏が入ったといわれる。
1825年(文政8年)の村方明細帳にも記録が残る。

                                   (Wikipedia より引用)



こちらが谷戸城の縄張り図


      谷戸城址縄張り図

                ( 胡くんのホームページ  よりお借りいたしました )






谷戸城ふるさと歴史館の脇に建つ城址碑。


      0140731 谷戸城址02


      0140731 谷戸城址03

どうせなら、歴史館の敷地の隅っこじゃなく、
本丸(主郭)にで〜んと建てれば良かったのに。



城址碑に隣接するように建つ公園案内板。

谷戸城址一帯は、やまなし歴史文化公園として整備されているようです。


      0140731 谷戸城址04




城址入口に建つ説明看板。
縄張り図も載っていて見やすく、親切このうえない。


      20140731 谷戸城址01




城址入口で口を開けている空堀。
雑草に覆われているから画面では確認しづらいけれど
それなりの規模の空堀です。

この辺りが、谷戸城の大手口にあたります。


      0140731 谷戸城址05



大手口からの登城路を上って行きます。

僅かながらの高さの土塁が所々に残っています。


      0140731 谷戸城址06


      0140731 谷戸城址07




こちらが、四郭。


      0140731 谷戸城址08



さすがに、この時期だと雑草が多く今一歩把握しづらい。


      0140731 谷戸城址09



こちらが、五郭。


      0140731 谷戸城址10

同じく雑草に覆われ、郭全体を把握しづらい。




案内板に従い、ニ郭、三郭に向かいます。


      0140731 谷戸城址11


こちらは、二郭虎口。


      0140731 谷戸城址14



そして、こちらが二郭空堀。


      0140731 谷戸城址12


同じく二郭空堀。


      0140731 谷戸城址13



そして、こちらが三郭の空堀。


      0140731 谷戸城址15

下草さえ無ければ、それなりの規模が画面でも伝わるはずなのですが..............。



谷戸城の面白いところは郭の構成。
普通、三郭→ニ郭→主郭と構成されるのに
三郭(主郭西側)→主郭←二郭(主郭東側)と言った構成です。




そして、こちらが主郭。


      0140731 谷戸城址16



やはり、主郭も一面の雑草に覆われています。

奥に見えるのが主郭東側の虎口。


      0140731 谷戸城址17



主郭に立つ びいすけ。


      0140731 谷戸城址18


望遠レンズでズームアップしようと思っていたら
いきなりゴロ〜ん。


      0140731 谷戸城址20

あ〜、やめて!

思わず叫んじゃいます。
数日前にフロントラインをしましたが、
さすがに雑草の中でのゴロ〜んは勘弁してちょ!



こちらが、主郭西側の虎口。


      0140731 谷戸城址21


そして、こちらが主郭東側の虎口。


      0140731 谷戸城址24



こちら側(主郭東側)には説明板も用意されています。


      0140731 谷戸城址22



確かに、虎口の土塁も立派。


      0140731 谷戸城址23



びいすけ も草むらで伏せをしてくつろぎ状態。


      0140731 谷戸城址25


虎口の土塁の上から主郭内部をぐるっと眺めてみます。

主郭を取り巻く土塁が確認出来ます。


      0140731 谷戸城址26


      0140731 谷戸城址27



ガスっていて、視界は良好ではありませんが
雲一つ無い好天ならば、この方角には南アルプスの山々が見えるはず。


      0140731 谷戸城址28



主郭南側下に広がる空堀と帯郭。


      0140731 谷戸城址29


      0140731 谷戸城址30


      0140731 谷戸城址31



帯郭の先は搦め手。

この先を下って行けば、搦め手口。


      0140731 谷戸城址32


      0140731 谷戸城址33


      0140731 谷戸城址35


そして、こちらが搦め手口。


      0140731 谷戸城址36



搦め手口の先には出丸跡。

この出丸にある『丸山のモミ』。
樹齢200年を越す巨木。
旧・大泉村の天然記念物でありました。
現・北杜市の天然記念物でもあります。


      0140731 谷戸城址37


      0140731 谷戸城址38



モミの木の脇に祀られた祠。


      0140731 谷戸城址39



出丸跡から坂道を上り、大手口へと向かいます。

位置的には、三郭の下になるのだろうか?

写真に撮りませんでしたが、北斜面(城塁)が広がっています。


      0140731 谷戸城址40




再び大手口に戻り、空堀に沿って探索します。

かなり埋れていますが、空堀が堀底路として奥まで続いています。


      0140731 谷戸城址41



この辺りは木々も適度に伐採されていて、管理がしっかりされてい感じがします。

やっぱり、下草や雑草がなければ山城は歩きやすいし、
それなりに堪能出来ます。


      0140731 谷戸城址42


      0140731 谷戸城址43




南側からの谷戸城址遠景。


      0140731 谷戸城址44




国の史跡に指定され、公園整備もされ、遺構もしっかりと残されているのですが
いかんせん訪れた時期が悪かったようです。
とにかく草に覆われた城址。
雑草さえ無ければ見応えのある城址。
そんなイメージが強かった谷戸城址です。
それなりの規模で、歩き応えのある城址です。

雑草のない時期にリターンマッチですね。
多くの桜の木が植えられ、春には桜の名所とも言われているようで
再訪するのなら、桜の花の時期に訪れたいものです。


2014/09/02 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

吐竜の滝 (2014年7月31日)(山梨県北杜市) 

7月31日 公休日

1泊2日の北杜市旅行。

題して

『びいすけ と行く北杜市 城址と廃校、そして丸ポスト探しの旅』

2日目の始まりです。

マッキンをあとにして、最初に向かった先は..............

           吐竜の滝





吐竜の滝(どりゅうのたき)は、
山梨県北杜市大泉町西井出にある滝。

清里高原の川俣東沢渓谷自然観察園内にある。
落差10メートル、幅15メートルの滝です。



駐車場に車を停めて、いざ吐竜の滝へ..............


駐車場すぐ近くに建つ看板。


      20140731 吐竜の滝01


      20140731 吐竜の滝02



しっかり案内表示も有るから、迷わずに行けます。


      20140731 吐竜の滝03



吐竜の滝までは、森の中の遊歩道を歩きます。

ちょっとしたハイキング気分に包まれます。


      20140731 吐竜の滝04


      20140731 吐竜の滝05


      20140731 吐竜の滝20




5分ほど歩けば、やがて川俣川のほとりに出ます。


      20140731 吐竜の滝19


この橋を渡れば、間もなく吐竜の滝。


      20140731 吐竜の滝17


      20140731 吐竜の滝18




吐竜の滝が見えて来ました。


      20140731 吐竜の滝06


      20140731 吐竜の滝14


      20140731 吐竜の滝15


水量が少ないのか?
はたまた、元々こう言った流れなのか?

3本の筋の滝の流れです。


      20140731 吐竜の滝12



向かって左の流れ。


      20140731 吐竜の滝09



向かって右の流れ。


      20140731 吐竜の滝10



さすがに水辺に近いからか、この辺りは本当に涼しい。


      20140731 吐竜の滝11



びいすけ もマイナスイオンを体で感じとっているんだろうか?


      20140731 吐竜の滝13



心なしか、気分良さそうな顔をしているようにも見えるのですが..............。


      20140731 吐竜の滝16


いつになく、凛々しい顔付きに見えるのは私だけ?
(これって単なる親バカです)(笑)。



でも暑い夏の日に、ひと時の涼とマイナスイオンを求めて
こうやって滝巡りをするのも、楽しいモノです..............。





2014/09/01 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日のお泊り@マッキントッシユ (2014年7月30日〜31日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

7月30日~31日の1泊旅行
今回お世話になったのは、清里高原にある

          マッキントッシュ


      20140730~31 マッキン11


      20140730~31 マッキン12


      20140730~31 マッキン29



実は、この日に千葉のビーグル友達が泊まりに来ると聞いていたので
こっそり予約。

突然、顔を出して驚かしてしまおう!! と密かに計画をしていました。
チェックイン時間の15:00からわざと1時間ずらしてマッキンに到着。

今回のお部屋は202号室。


      20140730~31 マッキン06



室内はこんな感じ。


      20140730~31 マッキン01



こら!こら!!
ベットに乗っちゃ、いけません!!(笑)


      20140730~31 マッキン02


朝4:00からの移動だから、びいすけ も疲れたのかな?

丸ポストに城址巡りに廃校巡り
今日もいっぱい歩き回ったから疲れたんでしょう.......


      20140730~31 マッキン03



いっぱい汗をかいたから、シャワーを浴びて、ひと時の涼を求めます。


      20140730~31 マッキン04


う、う、うまい!!


調子に乗って夕食前に缶ビール3本開けちゃって酔っぱ状態(笑)


      20140730~31 マッキン05



一息着いたところで、マッキンのドッグラン(2階)から駐車場を眺めながら、 
千葉の友人の到着を待ちます。
    

      20140730~31 マッキン08



少し酔っぱな状態で、人工芝の匂いを確認する びいすけ を眺めています。


      20140730~31 マッキン09


      20140730~31 マッキン18


      20140730~31 マッキン19




須玉町辺りより高度が高いため、湿度か低くて
西陽が当たっても、さほど不快感はない。

さすが、清里高原。


      20140730~31 マッキン10



なかなか友人が到着しないので、駐車場にて待機。


      20140730~31 マッキン13



マッキンビーグルの大歓迎?

吠えられまくる びいすけ でした。


      20140730~31 マッキン14




到着がちょっと遅いので、どっかで寄り道しているのか?
はたまた大渋滞に巻き込まれているのか?

メールをしたら、職場の同僚の身内に不幸があって
急遽、予定をキャンセルしたらしい。

う〜む、残念。
久しく会って居なかったから、会いたかったなぁ。



部屋に戻って、夕食の時間まで、しばし休息。

さすがの びいすけ もおネムちゃんです。


      20140730~31 マッキン15


      20140730~31 マッキン16






時刻は18時。
いつの間にか、うたた寝をしちゃったので内線電話で
『食事の時間ですよ〜』とオーナーに起こされます(笑)。



お待ちかねの晩御飯。

今日は旧・須玉町界隈を走り回っていたので
コンビニおにぎりと言うお昼。

さすがに腹ペコです。


まずは、前菜。


      20140730~31 マッキン20



続いてスープ。


      20140730~31 マッキン21



シーフードのグラタン(?)。


      20140730~31 マッキン22


ブロッコリーは、 びいすけ のおなかに入りました。


      20140730~31 マッキン23



そして、メインディッシュの肉料理。

やはり、豚肉は びいすけ のもとへ..............


      20140730~31 マッキン24



そして、サラダ。


      20140730~31 マッキン25



デザート。


      20140730~31 マッキン26



そして、食後の珈琲。


      20140730~31 マッキン27


ボリュームもあって、満足した夕食でした。


食後は、恒例(?)のマッキンビーグルのご紹介。

今回は3組の宿泊で、内1組は夕食無しの外出中で
マッキンビーグルとの御対面も簡単に済んじゃいました。

会いたかったピノくんの息子にも会えました。
(名前聞いたけど、少し酔っぱで忘れちゃいました。)(笑)


      20140730~31 マッキン28





昼間の疲れも有ってか?
この日は22時前にバタンキュー。

気が付いたら、朝の4時でした。


5時過ぎに、そぉ〜と玄関を出て、朝の散歩。
びいすけ の朝のお務めを済ませます。

それから二度寝。
8時に再び、『朝食ですよぉ〜』の内線電話で起こしてもらい、
朝ごはんも力いっぱい食べます(笑)。


      20140730~31 マッキン30

ピザトーストが美味しかったなぁ。
お代わりしたいぐらい(笑)。


デザートも抜群の美味しさ。
当然、完食です。


      20140730~31 マッキン32


こちらは、おこぼれに預かろうとテーブルの下から
見つめている びいすけ 。

ゴメンね。 びいすけ にあげられるモノはありません。


      20140730~31 マッキン31

と、言いながらもパンのミミを与えるダメ飼い主(笑)。




早くチエックアウトしようと、9時半にフロントに顔を出したら
他の2組は既にチエックアウト済み。


急いでチエックアウト。


お世話になりました〜!!


出発前にマッキン前で、パチリ☆


      20140730~31 マッキン17



さぁ、1泊2日の北杜市の旅行、2日目の始まりです。

今日もお城に廃校、そして丸ポスト。
頑張って巡っちゃいましょう!!



2014/08/31 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................津金小学校                              (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第9弾となります。


比志小学校をあとにして、色々と情報を整理し
新たな情報を得るために北杜市の市街地へ向かいます。
北杜市役所の教育委員会で色々教えてもらい、新たな情報を元に
向かった先は..............

北杜市廃校巡りの第9弾

          旧・須玉町立 津金小学校


こちらは、北杜市廃校の中でもメジャーな場所。
『おいしい学校』と『明治・大正・昭和の三代校舎の学校』と
北杜市も観光に力を入れている場所でもあります。



津金小学校は

明治6年      津金村に津金学校創設。
明治8年      藤村様式の校舎完成(明治校舎)。
明治20年     津金尋常小学校と改称。
大正元年     津金高等小学校と改称。
大正4年      高等小学校を廃止し津金尋常高等小学校と改称。
大正13年     校舎増築。大正校舎完成。
昭和22年     津金村立津金小学校と改称。
           (同敷地内に津金町立津金中学校を設置)
昭和28年     津金中学校校舎完成(昭和校舎)
昭和30年     津金村が 若神子村・穂足村・多麻村と合併して須玉町が発足。
           須玉町立津金小学校と改称。
昭和43年     津金中学校が統合され廃校となる。
昭和60年     須玉町内の6小学校が統合され須玉小学校が発足。
           江草小学校、津金小学校、岩下小学校、穂足小学校、
           多麻小学校、若神子小学校の6校は廃校となる。
           (須玉小学校は若神子小学校跡に新設された)



こちらが、津金小学校正門。


      20140730 津金小学校02



正門脇には、旧・津金学校跡の説明看板

明治時代の津金学校の校舎(明治校舎)が観光の名所となっているようです。


      20140730 津金小学校03



そして、おいしい学校の看板。


      20140730 津金小学校04

昭和校舎をレストランとして開放しているようです。


校門をくぐって校内をぐるっと散策します。


校庭を校舎を眺めながらゆっくり歩いて行きます。



こちらが昭和校舎。

      20140730 津金小学校05


      20140730 津金小学校07



そしてこちらが大正校舎。


      20140730 津金小学校06



そして、こちらが明治校舎。

やっぱり、明治校舎が一番の華になっているようです。


、      20140730 津金小学校08



校舎に近寄ってみましょう。


      20140730 津金小学校09



昭和63年に「一度解体されましたが
その後、平成2年に復元完成し、平成3年からは須玉歴史資料館として活用されています。
旧・須玉町の歴史文化財と、明治から昭和にかけての学校関係資料を展示され、
1階には『明治カフェ』があり、お茶も飲めるようです。

残念ながら、この日は休館日の水曜日。
まぁ、びいすけ連れじゃ、中には入れませんけどね.......


      20140730 津金小学校16


      20140730 津金小学校10


      20140730 津金小学校11


      20140730 津金小学校12


明治8年に建てられた洋風な校舎。
当時の山梨県知事の藤村紫朗が県内の小学校の建築に取り入れたため
この建築様式を藤村式と言うらしい。

そう言えば、以前訪れた都留市の尾県学校もこんな雰囲気だったような気がします。







こちらが大正校舎


      20140730 津金小学校13



その玄関。


      20140730 津金小学校14



現在は、須玉町津金公民館となっているようです。


      20140730 津金小学校15



不思議なことに玄関が2つある。


こちら側の玄関には、
三代校舎ふれあいの里 大正校舎 と看板が掲げられています。


      20140730 津金小学校17





こちらが、昭和校舎。


      20140730 津金小学校18


そして、その玄関。


      20140730 津金小学校19



庇にはおいしい学校の看板。


      20140730 津金小学校20




テラス席もあるから、交渉すればテラス席の利用は可能かも?
そう言えば、まともなお昼を食べてないから、小腹もすいた........

しかし、残念
おいしい学校も定休日は水曜日でした。


      20140730 津金小学校21




昭和校舎の前の校庭は、おいしい学校のための駐車場
今日は定休日だから駐車している車は少ないし
訪れている人も少ない。

これが駐車場が満車、校庭に車が溢れていたら
ちょっぴり興醒めしちゃいそう。


      20140730 津金小学校22



空いているから、校庭のフェンス沿いの桜の木も絵になります。
春には満開の桜が待っているんだろうな。


      20140730 津金小学校23




昭和校舎の前には廃校記念碑。


      20140730 津金小学校24



やっぱり、廃校にはこれがなくっちゃ!!


      20140730 津金小学校25



こちらは、校門の近くにあった石碑。
津金小学校関連の石碑かと思ったら
県営中山間地域統合整備事業記念碑でした。


      20140730 津金小学校01




フェンス沿いに津金小学校の外周を歩いてみます。


やっぱり、北杜市が推している観光資源なのだろうか?
やたらと看板が建っている。


      20140730 津金小学校26



はたして、どれくらいの人たちがここを訪れるのだろうか?


      20140730 津金小学校27





帰り際、逆光の中、門柱をじっくり眺めて見た。


昭和参年十一月十日建立 と刻まれている。


      20140730 津金小学校28



どうやら、昭和天皇の即位を記念して建てられたもののようです。


      20140730 津金小学校29






期待していた津金小学校だったけれど
あまりにも観光地化っぽくなっていてちょっぴり期待はずれ。
もっと寂れてた感があれば.................

同じ年に廃校となった江草小学校と比べちゃうと
小学校らしさが残り少ないなぁと感じてしまうのはなぜなんだろう...............

ちょっぴりメジャー感が強いから
廃校好きにはちょっと物足りないかもしれないなぁ.................


そう言えば、この津金小学校には二ノ宮金次郎は無かったそうです。
代わりと言ってはなんですが、大正校舎の前に野口英世像が建っているそうです。

気がつかなかったなぁ............う~む、残念!!







2014/08/29 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................比志小学校                              (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第8弾となります。


富里分校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 比志小学校



こちらも、みずがき湖ビジターセンターで仕入れた情報。
この地に来るまで、その存在を知りませんでした。

ネットで色々調べましたが、詳しい沿革はわかりません。
あとで北杜市の教育委員会に訪れ、教育総務課の方々にお聞きしましたが、
やはり、詳しいことはわかりませんでした。
教育総務課の職員の皆様、お世話になりました。


みずがき湖ビジターセンターにあった、手作りの周辺案内のイラストマップには
比志尋常小学校跡と書かれていましたが、
増富小学校のHPには昭和28年の卒業式の写真が掲載されていました。
少なくても昭和28年までは健在していた小学校のようです。
昭和22年の教育令で就業年数が6年となり、それまでは尋常小学校と呼んでいた学校も
全国一斉に公立小学校となったため、旧・須玉町立比志小学校と言われていたと思われます。




こちらが、比志小学校の正門。


      20140730 比志小学校01



石造りの門柱


      20140730 比志小学校12


かろうじて読めるかすれた文字は、
昭和4年と刻まれています。


      20140730 比志小学校13




門柱から眺める校内。


      20140730 比志小学校02



この建物は当時の校舎なのだろうか?


      20140730 比志小学校03



増富小学校のHPに載っていた比志小学校の写真では
古い木造の校舎が写っていたから、校舎ではないのかもしれない。


      20140730 比志小学校04



でも、小さな学校の校舎に見えなくもない。


      20140730 比志小学校05




玄関には、増富公民館比志支部 の看板が掲げられています。


      20140730 比志小学校06






廃校記念碑はありませんが、二ノ宮像が残されていました。


みずがき湖ビジターセンターの手書きの案内図には
『独特な二ノ宮像が可愛いらしい』と書かれてありました。

そもそも石段のある高台に二ノ宮像を設置するのも珍しい。
一瞬、お地蔵さんかと思っちゃいました(笑)。


      20140730 比志小学校07


これが、その二ノ宮像。

赤い帽子をかぶっているから、やっぱりお地蔵さんに見えてしまいます。


      20140730 比志小学校11


せっかくだから、びいすけ と一緒に記念撮影 パチリ☆


      20140730 比志小学校08




二ノ宮像越しに建物を眺めてみます。


      20140730 比志小学校09



右側(手前)の古い木造の建物は、やっぱり校舎っぽく見えます。


      20140730 比志小学校10



敷地の外れにひっそりと建っている石碑。
校舎増築時の寄付金の芳名が刻まれています。


      20140730 比志小学校14


こちらは運動場拡張費の寄付者の名前が記された石碑。


      20140730 比志小学校15


見づらいですが、『運動場拡張費寄附○□』と銘されています。

最後の二文字は読めませんでした。


      20140730 比志小学校16






こじんまりとした小学校。
分校といっても通用しそうな小さな学校。
でも分校を持った本校でした。


分校だった富里分校が昭和38年に廃校になった(?)と言う事だが
本校である比志小学校も昭和38年に廃校になったのだろうか?

旧・富里小学校と和田分校が昭和38年に統合され、東北小学校が創設された・
この経緯を考えれば、比志小学校と富里分校が昭和38年に統合され、
新たに北小学校が創設された(?)としてもおかしくない、
個人的な推測ですが、ひょっとしたらこんな経緯なのかもしれない。

知っている人がいたら、誰か教えてほしいなぁ......................





2014/08/28 Thu. 14:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................比志小学校富里分校                         (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第7弾となります。


増冨小学校をあとにして、向かった先は..............

          旧・須玉町立 比志小学校富里分校


この学校の事はみずがき湖ビジターセンターで教えてもらいました。
と言うわけで、この学校のことは全く知りませんでした。
ネットでしらべても、現在の工房のことは出て来ますが、
肝心の分校の事はまったく不明。
(その工房のHPを見ると、昭和38年に廃校となったらしい)

地元で『富里分校』といか言わないようで、
じゃあ本校はどこなの?と聞いてもわからないようです。
この日の午後、北杜市の教育委員会にも尋ねましたが、よくわからないようです。
その際に、北杜市教育委員会の教育総務課の職員さんにお世話になりましたが、
結局は詳しいことはわかりませんでした。
従って、詳しい沿革等全く不明です。

(後日、ネットでいろいろ調べまくったら、どうやら比志小学校の分校らしい.........?)




とは、言いながらも小さな木造の校舎は残っておりました。


      20140730 富里分校01


      20140730 富里分校02




こちらが、富里分校の正門。


      20140730 富里分校05




おそらく、工房の方が作られたのでしょうか?
木製の『旧富里分校』と刻まれた表札が外れて落っこちていました。


      20140730 富里分校03



反対側の門柱には『お茶・工作・遊』と表札が掲げられています。


      20140730 富里分校04



門柱には、創立三十周年記念 昭和三年建立 と刻まれています


      20140730 富里分校12

 と言うことは明治31年に創立されたのだろうか...........?



地域の公民館として活用後、ほったらかしにされていた施設を
工房のオーナーが借り受けたようです。
現在は、フィトンチッドという名の染工房となっているようです。


フィトンチッド ちいさな学校 と名付けられた工房。


     20140730 富里分校11



元々、不定期営業とのことですが、平日のこの日は当然開いていません。


      20140730 富里分校06



留守番のネコを見つけて、吠える びいすけ 。

そして、 びいすけ の吠える声に反応して吠える留守番のワンちゃん。
2頭の吠える声が静かな山あいに響きます。


校舎内(工房内)には入れないけれど
ワンちゃんを刺激しない程度に校舎に近づいてみます。


      20140730 富里分校07


      20140730 富里分校08



びいすけ 連れでは、この辺りが限界。


      20140730 富里分校09



本当は、校舎の裏側にも回ってみたかったけれど
さすがに、現在他の用途で利用されている民間の施設となると
遠慮と言う二文字が目の前にチラついてしまいます。


      20140730 富里分校10




結局、外れて転がっていた表札を門柱にハメ直して
この地をあとにすることにした。


      20140730 富里分校13



偶然ではないけれど、
この地に来て初めてその存在を知った廃校
現地に来なければ見ることも出来なかった廃校
人知れずに時代の流れの中で、その存在も忘れさられてしまう廃校
そんな廃校の存在を私だけが知っている..............

これが、廃校巡りの楽しさの一つかもしれない..............。




2014/08/28 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................増富小学校                               (2014年7月30日)(山梨県北杜市) 

7月30日 公休日

この日は山梨県北杜市廃校巡りをしました。

山梨県北杜市廃校巡り。
その第6弾となります。


旧・須玉町立 増富小学校跡 をあとにして、向かった先は..............

          北杜市立 増富小学校



増富小学校は

昭和63年     塩川ダム建設によりダム湖に沈んでしまう旧・須玉町の北小学校と
           同じく旧・須玉町の東北小学校が合併し、新たに発足し開校。
           (北小学校と東北小学校はこの時に廃校となる。
          
           校舎完成までは、北小学校を流用した。

平成16年    須玉町が町村合併により北杜市誕生。
          北杜市立増富小学校と改称。

平成24年    須玉小学校に統合され、廃校となる。


と、このような沿革となっています。



県道を挟んで、みずがき湖ビジターセンターの向いにある増富小学校。
この先が増富小学校です。


      20140730 増冨小学校18



こちらが、増富小学校の正門。


      20140730 増冨小学校01



こちらは、門柱。

北杜市立増富小学校 と表札はまだ掲げられたままです。


      20140730 増冨小学校02



門扉は閉まっていますが、隙間から中に入れるので失礼させていただきました。


遊具もしっかり残っています。

ジャングルジムにブランコ。


      20140730 増冨小学校03



グランド用のローラーは校庭に放置されていて
雨風にさらされています。


      20140730 増冨小学校04


こちらが、校舎。
鉄筋建てのちょっとお洒落なデザインの校舎です。


      20140730 増冨小学校05


      20140730 増冨小学校06



校庭側の玄関前には山梨県の小学校に多い、緯度と経度の記された校碑。


      20140730 増冨小学校07


      20140730 増冨小学校08




校舎は平成元年3月竣工。
開校が昭和63年4月だから、開校後1年経って児童はこの学び舎で学ぶことになりました。


      20140730 増冨小学校09

ちなみに、昭和63年の開校時には児童数は27名。
閉校となった平成24年(平成23年度)は5名。
そのうち2名が卒業生だったため、在校生は3名。
山梨県下で1番児童数の少ない小学校でした。
在校生3名は統合した須玉小学校に通っているそうです。





校庭の隅にある百葉箱。


      20140730 増冨小学校10


こちらは路地に面した玄関。
児童たちは、こちらから出入りしていたようです。


      20140730 増冨小学校11



そして、玄関横には体育館。
地元の方々の運動施設として活用されているようです。


      20140730 増冨小学校12




もう一度、校庭に戻ります。

校庭の逆側から改めて校舎を眺めてみます。


      20140730 増冨小学校14

たった24年で廃校となった校舎。
このまま朽ち果てていくのも勿体無い。
何か有効活用できればいいのだが、過疎化が進むこの地区では
新たな活用方法も見い出せないかもしれない..........。




先ほどとは別な遊具。


      20140730 増冨小学校13


      20140730 増冨小学校15


      20140730 増冨小学校16



それなりに標高が高いと言えども、この日は好天気。
湿度は低くても陽射しは強い。

ちょっぴり木陰で小休止。


       20140730 増冨小学校17


さて、そろそろ出かけましょう
次なる場所へと移動いたしましょう...............。


2014/08/27 Wed. 17:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit