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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

芦ノ牧温泉南駅の桜 (2019年4月23日)(福島県会津若松市) 

4月23日

福島旅行の2日目。

羽鳥高原から会津に抜け、会津を南下する予定です。

大川ダムをあとにして、下郷町経由で南会津町へと移動する計画ですが
大川ダムを出てすぐに、桜の花が満開な場所を見つけました。

気になるから、立ち寄ってみたら..................

そこは、会津鉄道会津線の芦ノ牧温泉南駅でした。


駅前には、車が2台停まっている。
駅構内に大きな音がしたから近寄ってみると、無人駅。

改札も無いから、階段を駆け下りると..................

ホームから電車が離れて行きました。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜01

大きな望遠レンズの付いた一眼レフを持った
『鉄ちゃん(撮り鉄?)』とおぼしき3名が居ました。


こちらは、電車よりも桜。
ホームから見上げる桜も満開。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜02



記念写真といきましょう。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜03


      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜04


駅名は『芦ノ牧温泉南』。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜05



でも駅前には温泉地の雰囲気など全くありません。
芦ノ牧温泉もこの駅からじゃ行けません。
芦ノ牧温泉に行くのなら、この駅から会津若松方面に二駅先の
『芦ノ牧温泉駅』下車が便利だそうです。


そもそも、『芦ノ牧温泉南』なんて駅知らなかったし.........。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜



無人駅だけど、ホームから見上げる桜が綺麗な駅。

      20190423芦ノ牧温泉南駅の桜07


そんな風に心の中のアルバムに記憶を留めておきましょう。



ちなみに会津鉄道で桜が有名なのは一駅先の『湯野上温泉駅』の桜。
この後、立ち寄ってみました。
確かに桜は見事。
有名な観光地だから、来訪者も多い。
大内宿の観光起点の駅だからだろうか?
中国人の観光客が多く、線路内に立ち入ったりしてマナーが悪い。
少し興醒めして、写真も撮らずにその場をあとにしてしまいました..................。



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2019/07/01 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大川ダム公園の桜 (2019年4月23日)(福島県会津若松市) 

4月23日

会津旅行の2日目。

エンゼルフォレスト那須白河を9時半過ぎにチェックアウトをして
向かった先は..................大川ダム。


大河ダムは2年前の夏に訪れ、( その時の記事は こちら
その時にダムカードは貰っていました。

平成の時代も31年目。
5月1日より新しい年号の時代を迎えますが
5月31日まで一部のダムでは、
『天皇陛下御在位三十周年記念ダムカード』なるモノを配布しています。

実は、この大川ダムもその一つ。
先ずは、ダムを見学。

      20190423大川ダムの桜01


      20190423大川ダムの桜02


      20190423大川ダムの桜03


一度、車で対岸の大川ダム管理事務所に移動します。


こちらが、大川ダム管理事務所。

      20190423大川ダムの桜04



記念のダムカードは、こちらで配布されています。

      20190423大川ダムの桜05


      20190423大川ダムの桜06



『天皇陛下御在位三十周年記念ダムカード』もゲット!

      20190423大川ダムの桜07


せっかくだから、ダムに近寄りましょう。

      20190423大川ダムの桜08



ダム堤体。

      20190423大川ダムの桜09


      20190423大川ダムの桜10



ダム堤体の側には、大川ダム公園。
桜が満開のようです。

      20190423大川ダムの桜11


どうやら、満開の公園のこの桜は
大川ダム完成時に植樹されたモノのようです。


こちらは、大川ダム完成三十周年記念に植樹された桜。

      20190423大川ダムの桜12

まだまだ、かわいいモノです。


大川ダム公園の桜は今が見頃。

      20190423大川ダムの桜13



期待していなかっただけに、見事な桜の花の歓迎に
心が折れ洗われます。
やはり、綺麗なモノは綺麗ですね。

      20190423大川ダムの桜14


      20190423大川ダムの桜15


      20190423大川ダムの桜16


      20190423大川ダムの桜17


      20190423大川ダムの桜18

昨年の同じ頃()に会津に来ましたが
その時は、会津の桜を目当てに来たんですけど、
ちょっと遅くて桜の花の旬は過ぎていました。

でも、今年はひょっとしたら、大当たりかも?




こちらが記念のダムカード。

      20190423大川ダムの桜19


      20190423大川ダムの桜20


実は、最近まで『天皇陛下御在位三十周年記念ダムカード』の配布を知りませんでした。
知っていたら、ダムカード巡りもしていたんですけどねぇ。

5月31日までの期間限定配布。
5月に幾つか巡る事が出来れば良いんだけど..................





2019/07/01 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

七日町散歩 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡りました。

『会津東軍墓地』、『田中稲荷神社』、『神明神社』と御朱印巡り、
そして、丸ポスト探し。
でも、七日町の魅力はコレだけじゃ無さそうです。


駐車場に苦労するかと思ったけど、七日町の町の中心部に
市営のコインパーキングがあって、30分100円と観光地の割にはリーズナブル。

      20190422七日町散歩01

『会津東軍墓地』も七日町観光案内所も市営駐車場のすぐ近くに在りました。



観光案内所もあるぐらいだから、七日町は観光地。

七日町は、若松城下の城郭外北部で下町に属し、
北小路町の北に並ぶ幅4間の通りでした。
江戸時代は会津藩の一部で、
この町名はかつて月々7日に市が開かれていたことによります。

古くから越後街道、米沢街道などに沿っていたため旅籠屋が多く、
江戸時代には旅籠の集積地でした。
明治時代以降は商店街となりましたが、昭和後半に近代化に立ち遅れ衰退します。
平成5年に、この状態から再生しようと有志が調査したところ、
明治時代などの古い建物が大量に確認されました。
これを生かしたまちづくりを進め、現在では会津若松を代表する観光地のひとつとなっています。



確かに町を歩いていても、古い建物が目を惹く。


明治とか大正を感じさせる建物ですね。

      20190422七日町散歩05


      20190422七日町散歩06


      20190422七日町散歩07



許される範囲で歩道も拡張され、インターロックも敷かれ
街並みの景観も変わったようですが、嫌味がない景観。

      20190422七日町散歩02


むしろ、古くからの木造建築が映えたり
古い土蔵造の蔵が独特の雰囲気を醸し出している。

      20190422七日町散歩03


      20190422七日町散歩04




コーラの自販機もご当地仕様。

      20190422七日町散歩08

側面の『会津』って言う文字が泣かせます。


忘れちゃならないのは赤べこ。

      20190422七日町散歩09



お土産屋さんの前に置かれていました。

      20190422七日町散歩10


見た目には、埼玉県の川越市みたいな感じもするから
会津の小江戸って言う感じでしょうか?

会津若松市の七日町周辺。
ぶらっと散策するのも楽しいものです。



2019/06/30 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

神明神社 (2019年4月4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡ります。
当然、会津の神社の御朱印巡りも忘れません。

会津の神社の御朱印巡りとなります。
田中稲荷神社をあとにして、向かった先は..................神明神社。


神明神社は、会津若松市中町に鎮座する神社です。


神道流槍刀術の祖・飯篠山城守家直の勧請により
応安2年(1369年)に創建されました。
会津領主である葦名氏が深く信仰し、
飯篠家直の六代孫・盛枝を神職として社領を与えたのを皮切りに、
それ以降は、松平家までの歴代の会津領主から深く崇敬された神社です。

慶應2年(1866年)に遷座するものの、
戊辰戦争によってすべてを焼失してしまいます。
その後、明治2年に仮殿を建てて、現在地に遷座しました。
明治4年に.『伊勢宮』から『神明神社』に社号を改称したそうです。


御祭神は、天照大神(アマテラスオオミカミ)



会津若松市の市街地、それも目抜通りである国道118号線沿いに鎮座する神明神社。
車で訪れるには、近くのコインパーキングのお世話になるのが無難です。


こちらが社号標。

      20190422神明神社01



神社社頭。

      20190422神明神社02



鳥居。

      20190422神明神社03



鳥居の奥には狛犬。

      20190422神明神社04


      20190422神明神社05



こちらは、古い社号標。

      20190422神明神社06

『天照皇大神宮』となっています。




手水舎。

      20190422神明神社07




こちらが拝殿。

      20190422神明神社08



拝殿正面。

      20190422神明神社09


      20190422神明神社10



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190422神明神社11



別アングルからの拝殿。

      20190422神明神社12


      20190422神明神社13



そして、こちらが本殿。

      20190422神明神社14



境内社。

      20190422神明神社15


      20190422神明神社16


      20190422神明神社17



神楽殿。

      20190422神明神社18


こちらが社務所。

      20190422神明神社19

残念ながら、この日は神職さんが不在。
御留守のようでした。

御朱印を頂ける神社なのですが、これもまた縁。
タイミングの悪い時もあるモノです。

次回に期待いたしましょう。



2019/06/29 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................田中稲荷神社 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町から会津若松市へと会津方面を巡ります。

会津若松市では、七日町地区を色々と巡ります。
当然、会津の神社の御朱印巡りも忘れません。

会津の神社の御朱印巡り。その第4弾は、田中稲荷神社。


田中稲荷神社は、会津若松市大町に鎮座する神社です。


創建年代は不詳ですが、長久3年(1042年)に
稲荷神社の社殿が建てられたとも伝えられているそうです。

至徳元年(1384年)、会津の領主であった葦名直盛が城を築こうとしていて
何度も城の縄張りを検討するものの、心にかなうものは出来ませんでした。
そのため、葦名直盛はこの田中稲荷神社に祈願すると、夢の中でお告げを受けます。
目覚めてすぐに外を見ると、うっすらと雪が降り積もり、
その上に狐の足跡が残っていました。
葦名直盛は、この足跡をたよりに城の縄張りをおこなったところ、
比類なき名城が出来上がったと言う事です。
これに喜んだ蘆名直盛は、田中稲荷神社を勧請して
城の守護神として祀らせることとしました。
その守護神こそが、現在の鶴ヶ城稲荷神社になります。



御祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。



こちらが、社号標。

      20190422田中稲荷神社01



神社社頭。

      20190422田中稲荷神社02


由緒書き。

      20190422田中稲荷神社03



鳥居。

      20190422田中稲荷神社04



鳥居に掲げられた神額。

      20190422田中稲荷神社05


手水舎。

      20190422田中稲荷神社06



こちらが拝殿。

      20190422田中稲荷神社07

全国的にも珍しい土蔵造の拝殿です。



拝殿正面。

      20190422田中稲荷神社08



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190422田中稲荷神社09



別アングルからの拝殿。

      20190422田中稲荷神社10



そして、こちらが本殿。

      20190422田中稲荷神社11



拝殿前の神使いの狐。

      20190422田中稲荷神社12


      20190422田中稲荷神社13



境内社。

      20190422田中稲荷神社14


敷地はそんなに広くはなく、会津若松市の市街地の神社。
でも、境内には祠が多い。

      20190422田中稲荷神社15


      20190422田中稲荷神社16


      20190422田中稲荷神社17


      20190422田中稲荷神社18



こちらが、社務所。

      20190422田中稲荷神社19

御朱印は、こちらで拝受出来ます。


そして、頂いた御朱印がこちら。

      20190422田中稲荷神社20

『土蔵造御社』の印。
押さえ所を心得ているようです。




2019/06/29 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポスト探し..................《 福島・会津若松市編②》 (2019年4月22日)(福島県摩耶郡猪苗代町) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡ります。
猪苗代町から移動し、会津若松市にやって来ました。


会津若松市には、7基の丸ポストが現存しています。
そして、その中の2基は昨年の秋に確認しています。
( その時の記事は こちら

『会津東軍墓地』で訪れた会津若松市の七日町地区。
実は、会津若松市で現存する丸ポスト7基の内、
3基がこの七日町地区に在ると言う事なので
七日町地区の散策ついでに、丸ポストを探してみました。


最初の1基は、国道252号線沿い。
会津東軍墓地からも100mほどの距離。
『一福・蔵茶廊』前の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松01


      20190422丸ポスト会津若松022


      20190422丸ポスト会津若松03


      20190422丸ポスト会津若松05



      20190422丸ポスト会津若松04




2基目の丸ポストは、やはり七日町。
霧島酒店前の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松06


      20190422丸ポスト会津若松07


      20190422丸ポスト会津若松08


      20190422丸ポスト会津若松09


      20190422丸ポスト会津若松10


 



3基目は、七日町からちょっと離れているけれど徒歩圏内。
大町1丁目の『すゞ信大町店』横の丸ポスト。

      20190422丸ポスト会津若松12


      20190422丸ポスト会津若松13


      20190422丸ポスト会津若松14


      20190422丸ポスト会津若松15


      20190422丸ポスト会津若松16


      20190422丸ポスト会津若松17


とりあえず、今回の会津若松市の丸ポストは、
この3基となります。



これまでに、

下郷町          1基
南会津町         1基
白河市          2基
猪苗代町①       1基
会津若松市①      2基
猪苗代町②       1基

そして、今回の会津若松市②としての3基と、
合計 11基の丸ポストに出会いました。

福島県内には、76基の丸ポストが現存しているようです。
全てを制覇するのは至難の技のようですが
少しづつ丸ポストに出会って行けたら良いですね。






2019/06/28 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................東軍墓地 《阿弥陀寺》 (2019年4月22日)(福島県会津若松市) 

4月22日

この日は、1泊2日の予定で福島県に出かけました。
福島県と言っても広い。
今回は、猪苗代町を中心に会津方面を巡りました。
猪苗代町での予定を済ませ、会津若松市へと向かいます。

実は、昨年の秋に会津若松市に来た時に
白虎隊で有名な飯盛山で出会った人に、
会津若松市の七日町にある観光案内所でも
書置き版になるけれど、御朱印が頂けると言う話を聞きました。
その時は、予定が詰まっていたので、その御朱印は諦めましたが
今回、再び会津の地に来ることが出来たため、御朱印拝受の旅となります。


先ずは、先に参拝いたしましょう。

      20190422東軍墓地01


会津若松市七日町にある、阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地02


この敷地内にある、『会津東軍墓地』。

      20190422東軍墓地03


会津東軍墓地.........?

と思う人もいるでしょう。


会津の歴史を語る上で、悲しい結末ではあれけれど
避けては通れないのが戊辰戦争。
旧幕府方の会津藩士は東軍となり、
新政府軍である薩摩・長州・土佐等の連合が西軍として戦いました。

会津東軍墓地は、東軍戦死者1281体の埋葬地でもあります。

激戦地であった会津若松には、1281体の遺体がありました。
9月22日の戊辰戦争終結後、西軍の命で放置され、
触るのも許されませんでした。
(西軍戦死者は戦争中に陣地である融通寺に葬られていました。)
会津の人々は烏につつかれたり、野犬に食べられたり、
腐敗していく戦死者を指をくわえて見ているしかなかったそうです。

幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのが、翌年の明治2年2月。
埋葬地は長命寺と阿弥陀寺に限られて許されましたが
あくまでも賊軍としての埋葬で『戦死墓』の文字以外は許されなかったそうです。


この話を聞いて、胸が詰まってしまいました。

      20190422東軍墓地04

東軍戦死者の魂が安らかに眠るようにに改めて祈ります。




白虎隊の悲話は知る人も多いですが、
この東軍墓地については余り知れ渡っていないようですね。


冒頭でも述べましたが、会津東軍墓地があるのは阿弥陀寺。

      20190422東軍墓地05


阿弥陀寺の梵鐘。

      20190422東軍墓地06



境内には、石碑、石仏が並びます。

      20190422東軍墓地07




こちらが、新選組三番隊組長の斎藤一(藤田五郎)の墓。

      20190422東軍墓地09


      20190422東軍墓地08

京都守護職の会津藩主・松平容保の庇護のもと、
京都の治安維持のために発足した新撰組。
会津藩とは切っても切れぬ関係から、戊辰戦争にも参加しています。
その新撰組の土方歳三副隊長が怪我をしていた時に
新撰組の指揮を執ったのが斎藤一です。
会津も侵攻され、敗戦の色が濃くなると、
新選組は北上することとなりますが、
斎藤一は「会津に受けた恩を返す」として新選組を離れ、
そのまま会津にとどまります。

敗戦後に藤田五郎と改名し、やがて東京で警察官となりますが
本人の遺言により没後、『会津東軍墓地』のある阿弥陀寺に埋葬されたそうです。





鶴ヶ城は新政府軍によって解体されてしまいましたが、
その一部がここ阿弥陀寺に残っています。

それが、こちら。

      20190422東軍墓地11

鶴ヶ城の小天守に当たる『御三階』という部分になります。



こちらは、その説明板。

      20190422東軍墓地10

昭和30年まで阿弥陀寺の本堂として使われていたそうです。


阿弥陀寺は、以前は御朱印を拝受出来ましたが
現在は、御朱印対応はなされていないそうです。      

その代わりに、飯盛山の白虎隊の墓守の末裔にあたる書道家が書かれた
御朱印(書置きの印刷版)が七日町観光案内所にて拝受出来ます。

通りを挟んだ向かいにある七日町観光案内所。

      20190422東軍墓地12



こちらが、会津東軍墓地の御朱印。

      20190422東軍墓地13

昨年秋から、ずっと気になっていた御朱印。
やっと拝受出来ました。




2019/06/28 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

足湯に入ろう! 《 東山温泉・足湯処 》 (2018年10月29日)(福島県会津若松市)  

10月29日

1泊2日の福島旅行。
初日は会津若松市をめぐります。

東山ダムをあとにして、向かった先は................東山温泉。


東山温泉は、天平年間に行基によって開湯されたと伝えられています。
伝承によれば、三本足の烏に導かれて発見したということです。
江戸時代には会津藩の湯治場として栄え、会津若松の奥座敷として発展しました。

会津民謡に登場する小原庄助ゆかりの温泉とされています。
また、新撰組副隊長・土方歳三が戦傷を癒した湯としても知れ渡っています。

東山温泉と言えば、会津若松市の奥座敷。
いや、奥座敷と言うほど、市街地から離れているわけでは無い。
鶴ヶ城から南東に約3km、湯川沿いにあり、湯量は毎分1,500リットル。
市街地から簡単にアクセスできる温泉街。

せっかく温泉街に立ち寄ったのだから、ひとっ風呂と行きたいところですが
びいすけ と一緒だから、温泉は無理。
ならば、せめて足湯にでも浸かりましょう。


東山温泉の足湯処へ向かいます。

      20181029東山温泉 足湯処01


      20181029東山温泉 足湯処02


足湯処 の案内板。

      20181029東山温泉 足湯処03

なぜか、思いっきりピンぼけ。


一度に10人くらい入れる足湯が両サイドに2面。

      20181029東山温泉 足湯処04


      20181029東山温泉 足湯処06



右側行くほどぬるくなっている。

      20181029東山温泉 足湯処05


      
真ん中辺りで足湯につかります。

      20181029東山温泉 足湯処07



これ以上は近寄れないように びいすけ を固定して
ゆったりと足湯につかります。

      20181029東山温泉 足湯処08



朝から、結構動き回っているから足湯が心地良い。

      20181029東山温泉 足湯処09



訪れた人が自由に記帳できるノートが置いてありました。
ちょっぴり覗いて見ましょう。

      20181029東山温泉 足湯処10


新撰組の土方歳三も戊辰戦争で傷ついた体を癒したと言われている。
なぜかm、土方歳三のイラスト多い。
そして、良く特徴を捉えている。

皆さん、絵心がありますね。

      20181029東山温泉 足湯処11



なんて、思っていたら................

何と、川向うのホテルの壁面に、土方歳三が居た!!(笑)。

      20181029東山温泉 足湯処12


      20181029東山温泉 足湯処13


思わず爆笑。
心も癒されました。



2018/12/23 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!..................東山ダム (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
初日は、会津若松市を巡ります。

飯盛山をあとにして、向かった先は........................東山ダム。


東山ダムは、阿賀野川水系の湯川に掛かるダムで、
会津若松市東山町大字湯本地内に多目的ダムとして建設されました。
湯川の総合開発の一環をなすものです。
主な効果は洪水調節、既得取水の安定化・河川環境の保全、
上水道用水の供給となっています。


堤高は70m、堤頂長は275m。
総貯水容量1250万㎥を誇る重力式コンクリートダムです。

着手/竣工:1970年に着工して、1982年に竣工。
実に12年の歳月を費やしたダムです。

ダム湖は「湯の入り湖」。地元小学校の生徒から募集したそうです。
下流には湯治場として有名な東山温泉があり、
それより奥の集落は「湯の入り」と呼ばれていたそうです。




東山ダムの案内板(説明板)。

      20181029東山ダム01



あまり見たくも無い看板。

      20181029東山ダム02



マナーをしっかり守りましょう。

      20181029東山ダム03



ダム碑。

      20181029東山ダム04



ダム銘板。

      20181029東山ダム05



ダム天端。

      20181029東山ダム06

以前は車が通行出来たようですが、現在は通行止め(立入り禁止)。



ダム下流側。

      20181029東山ダム07


      20181029東山ダム10


      20181029東山ダム11



ダム周辺は紅葉の季節。

      20181029東山ダム08



天端を歩きながら、紅葉で目の保養。

      20181029東山ダム09


      
『僕も見たいよ〜』

      20181029東山ダム12

そんなことを言っているのか? (笑)



ダム湖の「湯の入り湖」。

      20181029東山ダム13


      20181029東山ダム14


      20181029東山ダム15

やっぱり、この時期の山深きダムは紅葉とマッチして最高です。



さて、肝心のダムカードは、東山ダム管理事務所で貰えます。


ダムの側に建つ管理事務所。

      20181029東山ダム16



管理事務所の入り口にはこんな貼り紙。

      20181029東山ダム17

熊が出るなんて...................ちょっヤバくない?(笑)。




こちらが、東山ダムのダムカード。

      20181029東山ダム18


      20181029東山ダム19


福島県のダムカード、また一枚コレクションが増えました。





2018/12/22 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................宇賀神堂・飯盛山 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日


1泊2日の福島旅行。
その初日は、会津若松市です。


をあとにして、向かった先は............飯盛山。


飯盛山は、御飯を盛ったような形なので、この名前が付けられたと言われています。

幕末の戊辰戦争に際に、新政府軍と旧幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、
会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、
そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、
鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、
もはや帰るところもないと自刃した地として知れ渡っています。

年間200万人の観光客が訪れる(本当かな?)会津を代表する観光地です。
まぁ、かく言う私もこの地に来るのは2回目ですが..................
でも、20年以上前のことだから、ほとんど記憶が抜けています(笑)。




飯盛山入口。

      20181029宇賀神堂  飯盛山01


こちらが、表参道口になるのか?
正面口と言った方が良いのか?
両脇に売店が並び、客の呼び込みも凄まじい。



この石段を登った先に、白虎隊19志士の墓があります。

      20181029宇賀神堂  飯盛山02

階段が苦手な人のために、有料のエスカレーターも完備されています。
まるで江ノ島みたい。
     

石段の途中にある白虎隊博物館。
その入口には白虎隊志士と戯れる愛犬の像。

      20181029宇賀神堂  飯盛山03



ちょっぴり真似してみます。

      20181029宇賀神堂  飯盛山04





さぁ、頑張って上りましょう。

      20181029宇賀神堂  飯盛山05





ちょっぴり息が切れてきましたが、何とか頂部に到着。

      20181029宇賀神堂  飯盛山06



白虎隊墳墓の沿革が記された説明板。

      20181029宇賀神堂  飯盛山07


その近くには、何故か狛犬?

      20181029宇賀神堂  飯盛山08


      20181029宇賀神堂  飯盛山09



こちらが、白虎隊19志士の墓。

      20181029宇賀神堂  飯盛山10


     20181029宇賀神堂  飯盛山11


      20181029宇賀神堂  飯盛山12


      20181029宇賀神堂  飯盛山13




白虎隊の墓から100mほど離れた場所には、自刃の地。

      20181029宇賀神堂  飯盛山14


なにやら、何処かを眺める少年の像がある。

      20181029宇賀神堂  飯盛山15




白虎隊は、ここ飯盛山から会津城下を見て、
武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、
もはや帰るところはないと死を決意したそうです。

      20181029宇賀神堂  飯盛山16



270mmの望遠レンズをフル活用。

      20181029宇賀神堂  飯盛山18



画面真ん中の白いポールの先に鶴ヶ城。

      20181029宇賀神堂  飯盛山17

確かに、この場所からだと、城下の炎を城が燃えてると感違いしてしまうのかもしれない。   


何とも複雑な気持ちのまま、飯盛山を下山します。
帰りは、宇賀神堂経由で下っていきます。


こちらが、宇賀神堂。

      20181029宇賀神堂  飯盛山20

宇賀神堂の創建は江戸時代初期の寛文年間(1661〜1672)に、
会津藩三代藩主・松平正容が宇賀神を勧請し、
弁財天像を神像として社殿を建立した事に始まるそうです。

因みに、宇賀神とは弁財天と同神と言われる神で、
穀物・食物を司り五穀豊穣に御利益があるとされています。


社殿の扁額。

      20181029宇賀神堂  飯盛山21



社殿正面。

      20181029宇賀神堂  飯盛山22



別アングルからの社殿。

      20181029宇賀神堂  飯盛山23


      20181029宇賀神堂  飯盛山24



宇賀神堂の説明板。

      20181029宇賀神堂  飯盛山26



明治23年(1890年)、白虎隊士の墓を改修した時に、
飯盛山で自刃した19人の霊像を安置したそうです。

      20181029宇賀神堂  飯盛山25


      20181029宇賀神堂  飯盛山27



社殿内部に掲げられた、自刃の絵。

      20181029宇賀神堂  飯盛山28



境内社。

      20181029宇賀神堂  飯盛山31



社務所はありません。
その代わりに売店があって、授与所を代行しています。
御朱印はこちらで拝受できます。

      20181029宇賀神堂  飯盛山29

宇賀神堂と言う名称だから、神社のか? お寺なのか?
売店の方に訊いてみたら、きっぱりと『神社です!』と言われました。


こちらが、その御朱印。

      20181029宇賀神堂  飯盛山30

と言っても、ほとんどがスタンプ。
まあ、社寺仏閣によっても、スタンプ対応の所もあるから気にしません。




宇賀神堂の向いには、物栄螺堂(さざえどう)。(旧正宗寺三匝堂)

      20181029宇賀神堂  飯盛山31

木造建築物で、上りと下りで同じ道を通らず抜けられるという仕組みで、
国の重要文化財に指定されています。
ただ、拝観料400円は高い。 びいすけ も入れないし。
当然、スルーです。



さざえ堂から下っていくと、その先には厳島神社。

      20181029宇賀神堂  飯盛山32


      20181029宇賀神堂  飯盛山33


      20181029宇賀神堂  飯盛山34


参道には弁財天の碑。

      20181029宇賀神堂  飯盛山35



どうやら、厳島神社経由でさざえ堂、宇賀神堂、
白虎隊の墳墓とお詣りするのが正規の参道のようです。

      20181029宇賀神堂  飯盛山36



表参道と言うか、お土産屋の並んだ正面口にあるエスカレータ乗り場。
その券売所でも、御朱印を拝受できます。

こちらが、その御朱印。

      20181029宇賀神堂  飯盛山37

時間帯によっては(お昼休み等)、書き手の方が居なくなるので
書き置き対応になります。
今回はその時間帯を外して、墨書きしてもらいました。


白虎隊19士の墓に近い売店でも、
白虎隊の末裔の方が書かれている御朱印があるそうですが、
1500円と言う初穂料の割には書き置き対応のみですが、
その方がご高齢であることから、枚数も限られていて、
全て出払ってしまって拝受できませんでした。

また、後から知ったのですが七日町駅近くの観光案内所でも
白虎隊の御朱印が拝受できるそうです。

いずれも、次回に期待かな..................?


2018/12/22 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り.....................蠶養國神社 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日 蠶養國神社

1泊2日の福島旅行。
初日は、会津若松市を巡ります。


鶴ケ城稲荷神社が鎮座する鶴ケ城をあとにして、向かった先は....................蠶養國神社。



蠶養國神社は、会津若松市蚕養町に鎮座する神社です。

社伝では、弘仁2年(811年)の創建とされていますが、
承和年間(834年〜848年)に陸奥・出羽国按察使兼鎮守府将軍の藤原富士麻呂の奏上により
官社に列したとされ、また、寛弘7年(1011年)には県令の石部少将道秀らによって
社殿が創設されたともされています。
その後、兵火により社殿を焼失し衰退しますが、会津藩初代藩主の保科正之によって復興され、
社殿造営と社領20石の安堵を得たそうです。
さらに寛保3年(1743年)には神階が正一位に進み、
文化4年(1807年)には火災によって社殿を焼失しましたが、
文政2年(1819年)に8代藩主の松平容敬によって再建されたということです。

『蠶』という字は蚕の旧字のようで、蚕養国神社と表記されることもあり
これで、「こがいくにじんじゃ」と読むそうです。

この蠶養國神社は日本全国に1社しかなく。
日本中をくまなく探してもここだけらしい。



御祭神は、保食大神 (うけもちのおおかみ)
稚産霊大神 (わくむすびのおおかみ)
天照大御神 (あまてらすおおみかみ)。



社号標。

      20181029蚕養国神社01


      20181029蚕養国神社02


一の鳥居。

      20181029蚕養国神社03



一の鳥居に掲げられた神額。

      20181029蚕養国神社04



石灯籠。

      20181029蚕養国神社05


手水舎。

      20181029蚕養国神社06


定番の龍の吐出口。

      20181029蚕養国神社07



二の鳥居。

      20181029蚕養国神社08


二の鳥居の神額。

      20181029蚕養国神社09



こちらが拝殿。

      20181029蚕養国神社10


      20181029蚕養国神社11



拝殿正面。

      20181029蚕養国神社12



拝殿正面の扁額。

      20181029蚕養国神社13



別アングルからの拝殿。

      20181029蚕養国神社14


      20181029蚕養国神社15



拝殿の脇にも3棟の社殿が並ぶ。
神饌殿。

      20181029蚕養国神社16



      20181029蚕養国神社18


鳳輦舎。

      20181029蚕養国神社19




こちらは、神楽殿。

      20181029蚕養国神社17



      
拝殿正面に飾られて提灯。

      20181029蚕養国神社20



拝殿前の狛犬。

      20181029蚕養国神社21


      20181029蚕養国神社22



境内社。

      20181029蚕養国神社23


      20181029蚕養国神社24


      20181029蚕養国神社25


      20181029蚕養国神社26


      20181029蚕養国神社27



境内で、一際目を引くエドヒガンサクラの巨木。
説明板には、『峰張桜』と記されています。

      20181029蚕養国神社28

会津五桜の一つらしい。


確かに 見事な巨木っぷり。

      20181029蚕養国神社29
      20181029蚕養国神社30



どんな花を咲かせるんだろう?

      20181029蚕養国神社31


境内の掲示板。

      20181029蚕養国神社32



古い手水鉢。

      20181029蚕養国神社33



こちらが授与所。

      20181029蚕養国神社34

御朱印は、こちらで拝受できます。



そして、こちらが御朱印。

      20181029蚕養国神社35



日本で1社しかないとされる蠶養國神社。
貴重な御朱印を拝受出来ました。


2018/12/21 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...................福島・会津若松編① (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。

初日のこの日は、会津若松市を巡ります。

廃校にお城にマンホールカードにダムカード、そして滝。
はたまた、道の駅と寄りたい所がいっぱい会津若松市。


そんな会津若松市には7基の丸ポストが現存しているとのことです。

今回、丸ポスト探しは、当初の予定には入っていませんでしたが
たまたま、市内を車で移動中に視界に飛び込んできた丸ポスト。

やっぱり素通りは出来ませんよね。


と、言うことで.............


鶴ヶ城近く。
鶴ヶ城をでて直ぐに、視界に入って来た丸ポスト。
会津若松市山鹿町、クリーニング フランス屋米代店前の丸ポスト。

      20181029丸ポスト会津若松01


      20181029丸ポスト会津若松02


      20181029丸ポスト会津若松03


      20181029丸ポスト会津若松04


      20181029丸ポスト会津若松05


      20181029丸ポスト会津若松06


      20181029丸ポスト会津若松07




続いては.........

会津若松市東山町、東山温泉バスターミナル(停留所)前の丸ポスト。

      20181029丸ポスト会津若松08


      20181029丸ポスト会津若松09


      20181029丸ポスト会津若松10


      20181029丸ポスト会津若松11


      20181029丸ポスト会津若松12





おまけ。

東山温泉、卯の家 駐車場に在った廃ポスト。
東山温水バスターミナルから100mほどの距離。

残念ながら、現在は使われていません。

      20181029丸ポスト会津若松13


収集時間の記入もない。

      20181029丸ポスト会津若松14


      20181029丸ポスト会津若松15

きっと、以前はこちらの丸ポストが活用されていたんですね。


会津若松市の現存する現役の丸ポストは7基。
本日、2基確認したから、残すは5基。
いずれ機会が有れば、その5基にもチャレンジしたしましょう。

そして、福島県内に現存する丸ポストは76基
(2018年10月29日現在。)

これまでに、

下郷町1基
南会津町 1基
白河市 2基
猪苗代町1基
そして、今回の会津若松市2基
と、合計 7基の丸ポストに出会いました。


まだまだいっぱい有るんですね。
頑張って探しましょう。





2018/12/21 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................鶴ヶ城稲荷神社 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日 鶴ヶ城稲荷神社

1泊2日の福島旅行。

初日は、会津若松市巡りです。

訪れたのは.......................鶴ヶ城稲荷神社。


鶴ヶ城稲荷神社は、会津若松市追手町に鎮座する神社です。

約600年前に城がつくられた頃から守護神として祀られていたと伝えられており、
築城の縄張りに苦心した芦名直盛が、勧請先の田中稲荷神社に祈願したところ、
霊夢を見て目覚めてみると、降り積もった雪の中に狐の足跡があったことから、
それを導として築城の縄張りを決め、
今現在も名城と評価の高い鶴ヶ城を築くことができたと伝えられています。


御祭神は宇迦魂命(ウカノミタマノミコト)。


鶴ヶ城の天守閣脇に鎮座する鶴ヶ城稲荷神社。
その社号標です。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社01


社頭の一の鳥居。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社02



手水舎。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社03


こちらは、二の鳥居。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社04

奥には三の鳥居。


三の鳥居の神額。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社05


神使いの神狐。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社06

赤い編み笠を被っています。


何ともお洒落。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社07



こちらが拝殿。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社08


      20181029鶴ヶ城稲荷神社09



拝殿正面。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社10



拝殿正面の扁額。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社11


別アングルからの拝殿。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社12


      20181029鶴ヶ城稲荷神社13



そして、こちらが本殿。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社14



境内社。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社15


      20181029鶴ヶ城稲荷神社16



板碑。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社17


社殿はちょっとした高台に建っているからお堀が」見えたり
石垣が見えたりして、改めて城内に鎮座しているのを確認できます。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社18


      20181029鶴ヶ城稲荷神社19


そして、この時期だけの特典とでも言うべきか
境内(城内)の紅葉が見ごたえあり。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社20
      20181029鶴ヶ城稲荷神社21
      20181029鶴ヶ城稲荷神社22




      20181029鶴ヶ城稲荷神社23
      20181029鶴ヶ城稲荷神社24




こちらが、鶴ヶ城稲荷神社の御朱印。

      20181029鶴ヶ城稲荷神社25

本務社の蠶養國神社にて拝受しました。

この日は平日だったので、関係者は誰も居ませんでしたが
土日には仮設テントが張られ、御朱印の対応をしてくれるそうです。


2018/12/20 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鶴ヶ城 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
その初日は会津若松市にやって来ました。


会津若松市と言えば、城下町。
昔、昔の戦国時代、会津地方は後の会津若松である黒川を本拠とする
戦国大名の蘆名家の領国でした。
蘆名氏は会津守護を自称して勢威を奮いましたが、
天正17年(1589年)、蘆名義広が摺上原の戦いで伊達政宗に大敗して
会津は伊達政宗の支配下に入り、政宗は黒川を新たな本拠としました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉は会津黒川に入って奥州仕置を行ないます。
会津地方及び周辺地域を政宗から没収し、蒲生氏郷を42万石で入部させます。
(後に検地と加増で氏郷は92万石を領有することになります。)

氏郷は黒川を若松と改め、故郷の近江日野から商人や職人を呼び寄せて
武家屋敷を分離させた町割をして、新たな城下町を建設します。
また、黒川城を新たに7層の天守を持つ城を築いて、現在の会津若松の基盤を築きました。

その後、秀吉の命により上杉家(120万石)の領地となりますが
江戸幕府成立後は、再び蒲生家(60万石)の領地となります。

その後、加藤家(40万石)、保科家(23万石)と藩主は変わっていきますが
保科家が会津松平家と改姓し、徳川家と深い繋がりを持っていきます。

武家政治の終焉、徳川時代の終焉の象徴でもある戊辰戦争における
会津若松の悲劇は、こうした時代背景からくるものでしょう。





さて、その会津若松の象徴である鶴ヶ城。

地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言われていますが、
地元以外では会津若松城と呼ばれることが多いそうです。
文献では旧称である黒川城、または単に会津城とされることもあるそうです。
国の史跡としては、若松城跡の名称で指定されているそうです。

郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、
さらには郭内の内側に内濠を有する梯郭式の平山城です。

1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館(東黒川館)という館を造ったのが
若松城のはじまりとされています。
諸説はありますが、15世紀半ば迄には黒川城、とその城下が成立していました。
以後、蘆名氏の城として戦国時代を迎え、蒲生、伊達、上杉、加藤、保科(後の松平)と
変わりゆく城主を見守ってきたのが鶴ヶ城です。


こちらが、鶴ヶ城の縄張り図。

      鶴ヶ城縄張り図

                      (余胡さんのHPよりお借りしました。)


著名な観光地でもあるから、案内板も完備されています。

      20181029鶴ヶ城01



西出丸は現在、有料駐車場。

駐車場と利用するのは勿体ない気もするし
城内に車が頻繁に出入りするのは.....?......と思うけれど
諸般の事情で仕方ない。


西出丸の石垣。

      20181029鶴ヶ城02



西出丸から本丸に向かう土橋。
正面は本丸枡形。

      20181029鶴ヶ城31




本丸枡形の石垣。

      20181029鶴ヶ城03





本丸の隅には、上杉謙信の仮廟所跡

      20181029鶴ヶ城04

      20181029鶴ヶ城05

戦国時代の武将・上杉謙信は天正6年(1578年)に亡くなり、
居城であったかすが春日山城(新潟県上越市)に埋葬されましたが
その後継者である上杉景勝が会津に移封するにあたり
上杉謙信の墓所も鶴ヶ城内のこの辺りの仮殿に安置したそうです。



鐘撞堂

      20181029鶴ヶ城06


時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていたお堂。

      20181029鶴ヶ城07



こちらが、本丸天守閣。

      20181029鶴ヶ城08


残念ながら、この天守閣は復興天守閣・

      20181029鶴ヶ城09

現在の日本の城郭で築城時のオリジナルの天守閣が現存するのは12城のみ

弘前城(青森県)
松本城(長野県)
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)
彦根城(滋賀県)
姫路城(兵庫県)
松江城(島根県)
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)

これら12城以外は、残念ながら戦火等により焼失、
あるいは明治6年(1873年)の廃城令で解体されてしまいました。

この鶴ヶ城も復興天守閣で、ないぶは資料館となっています。 



      20181029鶴ヶ城10



天守閣東側で鶴ヶ城のゆるキャラ(?)と記念写真。

      20181029鶴ヶ城11





せっかくだから、復刻天守閣に入場します。

      20181029鶴ヶ城12


天守閣内は資料館となっているため、写真撮影は禁止。

      20181029鶴ヶ城13


展示されている資料には目もくれず、天守閣の最上部を目指します。


天守閣から眺める会津若松市街。

      20181029鶴ヶ城14


      20181029鶴ヶ城15


      20181029鶴ヶ城16


      20181029鶴ヶ城17



天守閣直下。

びいすけ と もっちゃん が下で待っているはずだから
探してみましょう。

      20181029鶴ヶ城18



見~つけた!!

      20181029鶴ヶ城19


      20181029鶴ヶ城20


天守閣から眺める本丸御殿跡。

      20181029鶴ヶ城21



本丸御殿跡

      20181029鶴ヶ城22



その説明版。

      20181029鶴ヶ城23



こちらは、干飯櫓・南走長屋。

      20181029鶴ヶ城24



本丸御殿側からの天守閣。

      20181029鶴ヶ城25




おまけ。

こちらも鶴ヶ城の遺構の一つ。

      20181029鶴ヶ城26



マンホールカードを貰いに行った市役所第2庁舎の手前にあった郭門。

      20181029鶴ヶ城27



みごとな石垣が市街地に残っている。

      20181029鶴ヶ城28


      20181029鶴ヶ城29



こちらが、鶴ヶ城の登閣証。

      20181029鶴ヶ城30

個人的には御朱印と同じものだと扱うことにしています。
実は、これが欲しかったんだぁ。
天守閣前の観光案内所で求めることができます。
てっきり、天守閣内部の売店で求めるものだと思ってました。。

510円払って登らなくても良かったんだ.................

城の御朱印(正確には御朱印じゃ無いけれど)、城と御朱印好きには堪らない!!




鶴ヶ城、じっくりと見学したら、とても1時間程度の時間じゃ巡りきれない。
今回、急ぎ足で巡っちゃったから、いずれ時間をかけて
城下の遺構も含めて、じっくりと見学したいものです。





2018/12/20 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう! 福島県会津若松市 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
初日は会津若松市を巡ります。


会津若松市では、2016年(平成28年)8月より
マンホールカードを配布しています。

せっかく会津若松市に来ているんだから
マンホールカードを貰わずに帰る事は出来ません。

ということで、配布先の市役所へと向かいます。

市内の中心部にある会津若松市の市役所。

      20181029マンホールカード会津若松01


歴史ある古い町だから、中心部に大きな市役所は建てられない。
当然、第二庁舎と言った分庁舎があるのですが、
他地区の者はそんな事は知りません。
本庁舎(第一聴者)の中で下水道課を捜しますが、見つからない。

職員に第二庁舎の存在を知って、そちらに移動。

やっと下水道課に辿り着きました。

      20181029マンホールカード会津若松02


      20181029マンホールカード会津若松03


何とか、会津若松市のマンホールカードをゲットしました!

      20181029マンホールカード会津若松04


さて、肝心のカードのモデルになったカラーマンホールはと言うと...............


会津若松市が詡観光地である鶴ヶ城の敷地内に設置されていました。

      20181029マンホールカード会津若松05



こちらが、そのカラーマンホール。

      20181029マンホールカード会津若松06


1ヶ所だけでは無く、数ヶ所に設置されていました。
(会津若松市のHPによれば、8ヶ所設置されているそうです。)

      20181029マンホールカード会津若松07


マンホールカード と カラーマンホール。

      20181029マンホールカード会津若松08



カラーマンホール と びいすけ 。

      20181029マンホールカード会津若松09


そして、コラボレーション。

      20181029マンホールカード会津若松10



こちらが、会津若松市のマンホールカード。

      20181029マンホールカード会津若松11


      20181029マンホールカード会津若松12

会津若松市には数種類のマンホールの蓋があるようですが
今回カードにデザインされたカラーマンホール蓋は
磐梯山と猪苗代湖、市の木「アカマツ」をデザイン化したものらしい。



しかしながら、こちらの会津若松市もそうですが、
同じ福島県内である白河市もカラーマンホールを
観光の名所である小峰城に設置しています。

どちらも日本100名城。

と、言うことは日本100名城の佐倉城が在るわが町佐倉市も
カラーマンホールを設置するなら佐倉城址内になるのかな?


2018/12/19 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

戸ノ口原古戦場跡 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
その初日は会津若松市。

強清水の湧水をあとにして、向かった先は...................戸ノ口原古戦場跡



福島県の会津若松市を語る上で、避けて通れないのは戊辰戦争。

戊辰戦争とは、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、
旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦です。
慶応4年(明治元年)の干支が戊辰であることに由来します。

慶応4年、京都の南郊外の鳥羽および伏見において、
薩摩藩・長州藩によって構成された新政府軍と
旧幕府軍は戦闘状態となり、ここに鳥羽・伏見の戦いが開始されました。
両軍の兵力は、新政府軍が約5,000人、旧幕府軍が約15,000人と言われていました。
総兵力で旧幕府軍が上回っていましたが、緒戦の混乱および指揮戦略の不備などにより、
旧幕府軍は苦戦し、京坂地域から敗北撤退し大坂に戻りました。
さらには、大将である徳川慶喜は自軍を捨てて大坂城から少数の側近を連れ、
海路で江戸へ退却してしまいました。

こうして、新政府に反抗した旧幕府軍は朝敵となってしまいます。
特に京都守護職および京都所司代として京都の治安を担当していた会津藩藩主・松平容保
および桑名藩藩主・松平定敬の兄弟は、京都見廻組および新撰組を用いて尊王攘夷派の弾圧を行い、
尊王攘夷派・のちの新政府(薩摩藩・長州藩)から恨みを買っていました。
また鳥羽・伏見の戦いにおいて会津藩と桑名藩は旧幕府軍の主力となり、
この敗北によって朝敵と認定されてしまいました。

江戸城は無血開城したものの、新政府軍は旧幕府軍を討伐するために上野の寛永寺で戦い、
宇都宮、白河と戦いの場を移動しながら会津城(鶴ヶ城)へとその陣を進めます。

二本松城を攻め、猪苗代城を陥落させた新政府軍は、
怒涛の勢いで十六橋に殺到します。
この橋は、戦略上非常に重要なポイントになっており、
ここを抜かれれば会津若松の城下は無防備な状態となります。
旧幕府軍は急いで橋の破壊を開始しましたが、
石橋だった為に容易には破壊出来ませんでした。
目前まで攻め込んだ敵に、短時間で橋を奪われてしまいまました。

その頃、藩境の母成口が破られたという知らせを受け、
予備軍だった白虎隊も集合を命じられていました。
藩主・松平容保のお供として滝沢村へ行く途中で、
戸ノ口原方面から応援を求められ、白虎隊は戸ノ口原に向かうことになりました。

白虎隊も加えた旧幕府軍は、進入してきた新政府軍と激戦を繰り広げました。
しかし、新政府軍が次々と戦力を増強する中、多くの兵が死傷した旧幕府軍は次々と退却します。
白虎隊も、身も心も疲れ果てた状態で、ちりぢりになりながら、
ただ一つの希望・鶴ヶ城を目指します。

このとき本体とはぐれた白虎士中二番隊の20名が、
戸ノ口堰洞穴を抜けて飯盛山に辿り着き、
城下を見下ろして鶴ヶ城が落ちたと錯覚します。
そして飯盛山で集団自刃に...................

戸ノ口原の戦いは白虎士中二番隊の最後の戦いであり、
戸ノ口原は最後の戦場でありました。



と世に語り継がれる白虎隊の悲しい物語ですが
白虎隊の最後の戦いの場であったのが、戸ノ口原です。

      20181029戸の口古戦場跡01


      20181029戸の口古戦場跡02


      20181029戸の口古戦場跡03


      20181029戸の口古戦場跡04



幾多の血がこの場所で流されたのだろう。

      20181029戸の口古戦場跡05



白虎隊奮戦の地 と言う碑文が何となくもの悲しい。

      20181029戸の口古戦場跡06

16歳から17歳の武家の男子によって構成された白虎隊。
年端もいかない子供達が刀を持って戦った。

動乱の時代とは言え、大きな歴史の渦に巻き込まれた会津の悲劇。



霧にけむる古戦場跡。

      20181029戸の口古戦場跡07


      20181029戸の口古戦場跡08

何とも言えない幻想的な雰囲気です。



近くには、戊辰戦争の戦死者の墓群が点在しています。

      20181029戸の口古戦場跡09


      20181029戸の口古戦場跡10


霧は晴れる気配はない。

      20181029戸の口古戦場跡12


      20181029戸の口古戦場跡13




往時からほとんど変わっていないと言われている旧・越後街道。

      20181029戸の口古戦場跡11


この道を新政府軍は進軍し、白虎隊は撤退した。

  
それから140年以上の時を過ぎ、
自動車と言う鉄の馬に乗って、私たちはこの道を進んで行く..........................。



 

2018/12/18 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

強清水の湧水 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。
初日は、会津若松市。

市北部の旧・河東町域の強清水地区。
強清水分校跡地の目と鼻の先に
強清水の名の由来となった湧水があります。

会津の代表的な民謡である『会津磐梯山』の中でも
「親は諸伯、子は清水」と唄われている会津の名水として昔から知られており、
旧二本松街道の休み処として栄えました。
今も昔の面影を残した景観になっていて、美味しい清水がコンコンとわき出ています。


強清水には、働き者の父と怠け者の息子の清水にまつわる民話も残されています。


今からおよそ760年以上も昔のことです。
大久保山のふもとに木こりをしていた与曽一、与曽二という父子がいました。
父の与曽一は真面目な働き者でしたがが、息子の与曽二は怠け者で、
年中酒を飲み、終いには追い剥ぎをするようになってしまいました。

ところが、二年続きの大凶作で日照りが続き、
猪苗代湖の水も底が見えるほどになってしまいました。
これにはさすがの与曽二も飢えでへとへとになってしまいました。
ところが、父の与曽一は、山仕事を終えて帰ってくると、
いつも、ほろ酔い気分でいるのでした。

不思議に思った与曽二は、こっそりと父のあとをつけました。
与曽一は山仕事を終えると、帰る途中の清水を飲んで、ほろ酔い気分で家路につくのでした。
この道楽息子は「これこそ酒の出る清水に違いない」と飲んでみましたが、ただの清水でした..........。

幾日過ぎたある夜、与曽二が空腹をかかえて寝込んでいると、枕辺に弁財天が現れました。
「これ与曽二、そなたの飲んだ清水こそ、人々に幸せをもたらす恵みの泉なのじゃ。
なぜ、そなたは恩恵を授からなかったのか考えてみよ」と、静かに語られて消えていきました。
あまりの神々しさに強く心をうたれた与曽二は、自らの罪の深さを悟り、悔い改めました。
それからというもの、すっかり生まれかわった与曽二は、父に孝養を尽くし、
この清水の近くに御堂を建て、堂守りとして長くそこに住んだということです。



会津の名水として昔から知られており、旧二本松街道の休み処として栄えました。
今も昔の面影を残した景観になっていて、美味しい清水がコンコンとわき出ています。
強清水には、働き者の父と怠け者の息子の清水にまつわる民話も残されています。



地元の人も車で水を汲みに来る名水。

取水場はちょっとした小屋のようになっていて
雨風も防げるようになっています。

      20181029強清水の湧水01

地元の人飲み水でもあるから衛生上の観点で
びいすけ はここまで。

この先は、と父さんが代表して見学いたしましょう。



文字が擦れている説明板。

      20181029強清水の湧水02

せっかくの観光資産なのに勿体無い。


とりあえず、びいすけ の飲み水用にペットボトルに汲ませてもらいましょう。

      20181029強清水の湧水03



地元の方は何缶ものポリタンクで汲んでいます。
裏を返せば、それだけ美味しい水って言うことになる。

      20181029強清水の湧水04

暫し、順番待ち。


見上げれば、扁額。

      20181029強清水の湧水05

民話の親子にちなんだ言葉でしょう。


この近くには白虎隊の戦士が戦った古戦場もあるようです。

      20181029強清水の湧水06



市販の天然水のペットボトルに強清水の湧水を入れました。

      20181029強清水の湧水07

これも天然水。

ちょっぴり口に含んでみると
心なしか美味しく感じました。

気のせいかな.....................?




2018/12/18 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................河東第二小学校強清水分校 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 


10月29日

1泊2日の福島旅行。
初日は会津若松市です。

河東第二小学校をあとにして、
向かった先は.............旧・河東町立河東第二小学校強清水分校。


強清水分校は、

明治12年     強清水村に八田小学校の分校ができる。
明治14年     四ツ山村・八田野村・強清水村・藤漆村が一緒になって八田村となる。
明治18年     広田村外13か村連合の各村内の小学校および分教場が広田小学校に統合される。
         これにより、広田小学校強清水分教場と改称する。
明治22年     町村制の施行により、広田村、八田村、金田村、浅山村、東長原村、
          倉橋村、南高野村が合併して、日橋村となる。
明治23年     日橋尋常小学校強清水分教場と改称する
明治25年     八田分教場が日橋尋常小学校より独立して日橋第二尋常小学校と改称し
          強清水分教場は、日橋第二尋常小学校の分教場となる。
昭和22年     学制改革により日橋村立日橋第二小学校強清水分校と改称する。
昭和32年     日橋村が堂島村と合併して河東村が発足。
          河東村立河東第二小学校強清水分校と改称する。
昭和48年     本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが、かつての正門跡。

      20181029強清水分校01


コンクリート製ですが、かつての門中は健在。
残念ながら、表札は無残にくり抜いてある。

      20181029強清水分校02


霧にけむる分校跡。

      20181029強清水分校03


廃校となった年に、地域の『老人の憩いの家』に改造されたらしい。。

      20181029強清水分校04



その後、平成元年に蕎麦打ちの施設になったようです。

      20181029強清水分校05



残念ながら、校舎は解体され、建て替えられています。

      20181029強清水分校06



敷地内を色々と探して見ますが、学校遺構は見当たらない。

      20181029強清水分校07



廃校記念碑や二宮像もなく、遊具も残っていない。

      20181029強清水分校08

門柱と僅かな敷地の外周に植えられた桜の木々が
かつての学校跡を彷彿させている。

廃校から約45年。
訪れる人も余り居ないだろう。

霧にけむる廃校跡でした............................。




2018/12/17 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................河東第二小学校 (2018年10月29日)(福島県会津若松市) 

10月29日

1泊2日の福島旅行。

猪苗代町から、磐梯町を抜けて会津若松市に入ります。
初日のこの日は、会津若松市を巡ります。

最初に向かったのは.............会津若松市立河東第二小学校。

河東第二小学校は、

明治6年      八田野村法性寺に八田野小学校ができる
明治12年      八田野小学校を八田小学校と改める。
明治12年     八田小学校強清水分校ができる。
明治14年     四ツ山村・八田野村・強清水村・藤漆村が一緒になって八田村となる。
明治18年     広田村外13か村連合の各村内の小学校および分教場が広田小学校に統合される。
         これにより、広田小学校八田分教場と改称する。
明治22年     町村制の施行により、広田村、八田村、金田村、浅山村、東長原村、
          倉橋村、南高野村が合併して、日橋村となる。
明治23年     日橋尋常小学校八田分教場と改称する
明治25年     日橋尋常小学校より独立して日橋第二尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により日橋村立日橋第二小学校と改称する。
昭和32年     日橋村が堂島村と合併して河東村が発足。
          河東村立河東第二小学校と改称する。
昭和53年     河東村が町制施行して河東町となる。
          河東町立河東第二小学校と改称する。
平成17年     河東町が会津若松市に編入される。
          会津若松市立河東第二小学校と改称する。
平成19年.     河東第一小学校、第二小学校、第三小学校が統合して
          廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



かつての正門。

      20181029河東第二小学校01


かつての門柱。

      20181029河東第二小学校02



表札。

      20181029河東第二小学校03

わざわざ、(旧)と表記していると言うことは
表札のみ、後から付け足したのでしょう。
日橋村に対するこだわりでしょうか?



反対側の門柱には、『会津若松市立河東第二小学校』の表札。

      20181029河東第二小学校04



門柱の裏には、『贈 平成2年度卒業生一同』となっている。

      20181029河東第二小学校22

ひょっとしたら、この門柱は平成2年のモノ?
約30年前のモノなのかなぁ?
その割には、年季モノに見えちゃうだけど.............



こちらが、校舎。

      20181029河東第二小学校05

鉄筋コンクリート製の3階建校舎。
旧・河東町の年表をみると、昭和41年に建てられた校舎のようです。



壁面には校章。

      20181029河東第二小学校06


校舎全景。

      20181029河東第二小学校07


      20181029河東第二小学校08


校舎前にて。

      20181029河東第二小学校09


      20181029河東第二小学校10



正面玄関。

      20181029河東第二小学校11



正面玄関の庇にも校章。

      20181029河東第二小学校12



こちらは、体育館。

      20181029河東第二小学校13



校庭の隅には朽ちた百葉箱。

      20181029河東第二小学校14


こちらは、かつての飼育場だったようです。

      20181029河東第二小学校

ウサギとか、鳥を飼育していたのかな?


モニュメント。

      20181029河東第二小学校16



高度、緯度、経度を示す標柱。

      20181029河東第二小学校17



国旗掲揚ポール。

      20181029河東第二小学校19



ブロック塀には、キャッチャーの絵。

      20181029河東第二小学校20

きっと、このブロック塀に向かって、ボールを投げていたんでしょう。



残念ながら、廃校記念碑や二宮像もなく
遊具も残っていませんでした。

      20181029河東第二小学校21

しかしながら、色付く木々は橙色に染まり始めている。
会津若松市の方秋は深まっているようです。





2018/12/17 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!...............大川ダム (2017年7月20日)(福島県会津若松市) 

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津地方へ出かけました。


湯野上温泉駅の足湯でリフレッシュしたあとに
向かった先は...............大川ダム


大川ダムは、阿賀野川総合開発事業の一環として建設された多目的ダムです。
その目的には、洪水調節、洪水の正常な機能の維持、灌漑用水、水道用水、
工業用水の確保、揚水式及びダム式発電が含まれています。
また、大川ダムは、阿賀川本川に立地していて上流の流域面積が大きく、洪水の流入量が大きくなっています。
そのため、治水・利水に関する 放流施設をはじめとする管理設備は、
その種類・数ともに多くなっています。

さらに、貯水池の容量配分、治水と利水(揚水発電)の両容量に重複部分があるため、
予備放流を前提とした洪水調節が計画されており、 複雑な貯水池運用が必要とされます。
ダム湖(若郷湖)を下池とし、その上流に位置する支流である小野川に建設した大内ダム湖を
上池とする*揚水式発電所(供給314m3/s)において、その間の落差約400mにより、
最大100万kwの発電を行います
大川ダム下流右岸に設置した*ダム式発電所(供給45m3/s)において、
最大2万1千kwの発電を行います。
型式は重力式コンクリートダムとロックフィルダムが複合したコンバインダムです。
ダムの高さは75.0mであり、国内第3位の高さを誇ります。

昭和46年より「舟子ダム」または「桑原ダム」の名で計画に取り掛かりました。
しかしながら、各方面から利水についての要望が出されたことから、
阿賀野川の治水と利水を総合的に実施するため河川総合開発事業として事業を進めました。
昭和62年に竣工し、周辺整備を行った後に昭和63年より運用・管理を開始しました。
目的は洪水調節、不特定利水、灌漑、上水道供給、工業用水道供給および水力発電であり、
多目的ダムの中でも用途が広いダムになります。



若郷湖


大内ダムの配布場所である下郷資料館前に建っている
大川ダムの概要を記した案内板。

      20170720大川ダム01

似たような名称のダムの関連施設が
お互いに近い距離にあるからややこしい。


こちらが、大川ダム
(下郷資料館前から見た大川ダム)

      20170720大川ダム02




      20170720大川ダム04



ダム湖である若郷湖。

      20170720大川ダム03

意外に貯水量は少ない。
空梅雨の影響でしょうか?
ダム湖を眺めているこの辺りは下郷町。
ダムの対岸は会津若松市。

会津若松市 の『若』と 下郷町 の『郷』を取って
ダム湖は『若郷湖』と名付けられたようです。

     

管理事務所は、対岸にあるので、下郷町側から会津若松側に移動します。



管理事務所の近くに建つ大川ダムの碑。

      20170720大川ダム05


      20170720大川ダム06



ダム堤体。

      20170720大川ダム07


確かに、一部分は石を積み上げたロックフィルダムと言う事か判ります。

      20170720大川ダム08


ダムの欄干にも大川ダムの銘板が飾られています。

      20170720大川ダム09


     
ダム天端。

      20170720大川ダム10
    
以前は関係者以外の車両は通行止めだったようですが
現在は通行可能。
対岸(下郷側)にある大内ダム展示館と大川ダム管理事務所は
天端を通れば容易に往来できるようになりました。




ダム周辺は大川ダム公園として整備されています。

     20170720大川ダム11


      20170720大川ダム12

本当なら、大川ダム公園をじっくり散策してみたいモノですが
本日は時間が無い。



肝心のダムカードは、大川ダム管理事務所で貰えます。


こちらが、大川ダムのダムカード。

      20170720大川ダム13


      20170720大川ダム14


また1枚、福島県のダムカードをgetいたしました。

ダムカード集め、かなりハマっています.................。



2017/08/17 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit