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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

御朱印巡り...............大仁神社  (2018年3月28日)(静岡県伊豆の国市) 

3月28日

3月28日〜29日に出かけた伊豆への1泊旅行の初日。

廣瀬神社をあとにして、向かった先は..................大仁神社


大仁神社の創建は、大同年間(806~810)に大仁に住んでいた人々が産土神として
日吉大社(滋賀県大津市坂本)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
開運、福徳、治水、酒造に御利益があるとして、社運が隆盛しましたが
寛永2(1625)年に火災により多くの社殿、社宝、記録などが焼失し、一時衰退してしまいます。

古くから神仏習合し、江戸時代までは山王社山王宮と称していました。
明治初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、大山咋命神社に改称しました。
そして、明治42年に大仁神社に改称しています。
御祭神である大山咋命は相撲の神でもあった為、例祭では相撲が奉納され、
境内も相撲が観賞出来るように舞台のようになっています。

現在の社殿は昭和37年に老朽化の為に再建されています。


こちらが、大仁神社の社号標。

      20180328大仁神社01


実は、ここに辿り着くまでにかなり苦労しました。
ナビが案内する場所に神社は無く、あるのは大仁梅園の狭い入口。
実際は、大仁梅園は大仁神社の裏山だから、ナビは正解なんだけど
まさかねぇ..................。

まして、この社号標があるのは、幼稚園の入口なんですけど(笑)。


幼稚園の奥に一の鳥居が在りました。

      20180328大仁神社02



一の鳥居の神額。

      20180328大仁神社03



鳥居の先には神橋。

      20180328大仁神社04



橋をわた、石段を上れば境内。

      20180328大仁神社05

境内は、神社らしくなく、ちょっと雰囲気が違う。
みてのと、まるで闘技場。
コロシアムのような雰囲気です。



手水舎。

      20180328大仁神社06


なぜか、手水舎の軒下に由緒書き。

      20180328大仁神社07


そして、定番である筈の龍の吐出口ではなく、
なぜか鮎?

      20180328大仁神社08


何と、近くを流れる狩野川は『鮎の友釣り発祥の地』らしい。
手水舎の背後に、こんな碑が建てられていました。

      20180328大仁神社09




こちらが、二の鳥居。

      20180328大仁神社10



社殿。

      20180328大仁神社11



社殿前の狛犬。

      20180328大仁神社12


      20180328大仁神社13



拝殿。

      20180328大仁神社14



は脇には授与所。

      20180328大仁神社15


授与所は閉まっています。

      20180328大仁神社16



こちらが、本殿。

      20180328大仁神社17



境内の裏山の斜面は、まるでコロシアムの客席のように見えます。

      20180328大仁神社18



客席に見える部分には、梅の木が植えられでいます。
まさに、大仁梅園。

      20180328大仁神社19



社殿脇の斜面の削平地に建つ碑。

      20180328大仁神社20

『愛宕神社跡』と刻まれています。



その脇には境内社。

      20180328大仁神社21

こちらが、愛宕神社になるのでしょうか?



一の鳥居の奥に隠れるように建っていた社号標。

      20180328大仁神社22

『大山咋命神社』と刻まれています。


明治30年に建てられた社号標のようです。

      20180328大仁神社23



こちらが、社務所。
と言うか、宮司さん宅。

      20180328大仁神社24

御朱印は、こちらで拝受しました。


玄関先に建つ初代宮司の像。

      20180328大仁神社25



こちらが、大仁神社の御朱印。

      20180328大仁神社26



そして、御朱印を拝受した人に渡している大仁神社のお守り。

      20180328大仁神社27


iPhoneのスマホケースにそっと忍ばせておきましょう。



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2018/05/08 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............廣瀬神社  (2018年3月28日)(静岡県伊豆の国市) 

3月28日

3月28日〜29日に出かけた伊豆への1泊旅行の初日。

道の駅 伊豆のへそ をあとにして、
向かった先は..................廣瀬神社


廣瀬神社は、伊豆の国市の田京に鎮座する神社です。
古来、田中五ヶ村の総鎮守として崇敬され、
福沢大明神、深沢大明神と称してきた神社です。
創祀年代は不詳ですが、慶長元年の棟札によれば、
天平年間の創立と言うことらしい。
鬱蒼と茂る樹木に囲まれた参道があり、
廣瀬神社の杜として文化財に指定されています。


こちらが廣瀬神社の社号標。

      20180328広瀬神社01



一の鳥居。

      20180328広瀬神社02



鳥居前の狛犬。

      20180328広瀬神社03


      20180328広瀬神社04



鳥居から一段下がって参道が続きます。
参道の桜は満開。

      20180328広瀬神社05



満開の桜が出迎えてくれました。

      20180328広瀬神社06



社殿へと続く参道。

      20180328広瀬神社07



神橋。

      20180328広瀬神社08



神橋の先には、御神馬像

      20180328広瀬神社22




そして二の鳥居。

      20180328広瀬神社09



手水舎。

      20180328広瀬神社10



こちらが、拝殿。

      20180328広瀬神社11



拝殿内部。

      20180328広瀬神社12



拝殿内部に掲げられている扁額。

      20180328広瀬神社13


拝殿の鬼瓦。

      20180328広瀬神社14

神紋が確認できない。



別アングルからの拝殿。

      20180328広瀬神社15


      20180328広瀬神社16




こちらが本殿。

      20180328広瀬神社17


枝垂れ桜が画になる。

      20180328広瀬神社33




本殿の背後には、境内社の祖霊社。

      20180328広瀬神社18



御輿庫。

      20180328広瀬神社19



芸能殿。

      20180328広瀬神社20



奉納相撲が執り行われるのでしょうか?
土俵もあります。

      20180328広瀬神社21


      
廣瀬神社の境内には樹木が生い茂り
廣瀬神社の杜として、文化財に指定されています。

      20180328広瀬神社23



拝殿右奥の楠。

      20180328広瀬神社24
      20180328広瀬神社25

大きさで言ったら、こちらが御神木かと思ったら違っていました。



御神木は、こちら。

      20180328広瀬神社26
      20180328広瀬神社27

本殿と土俵の間で立派にそびえています。

      20180328広瀬神社34



芸能殿横にも立派な巨木。

      20180328広瀬神社28

一部枯れてしまったのか?
切り取られた部分には、金属のカバーでこれ以上腐らないようにしています。



こちらが社務所。

      20180328広瀬神社29



社務所の一角は授与所。

      20180328広瀬神社30

御朱印は、こちらで拝受出来ます。


本殿背後の裏参道の社号標。

      20180328広瀬神社31



そして鳥居。

      20180328広瀬神社32


   

こちらが廣瀬神社の御朱印。   

      20180328広瀬神社35


シンプルな御朱印でした。






2018/05/07 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 伊豆のへそ (2018年3月28日)(静岡県伊豆の国市) 

3月28日

3月28日から1泊2日で伊豆に出かけました。

伊豆半島の北西端である大瀬崎。
その大瀬崎の大瀬神社をあとにして、伊豆半島中央部へと移動します。

向かった先は..................道の駅 伊豆のへそ


道の駅伊豆のへそは伊豆洋らんパーク駐車場内にある道の駅です。
アユの友釣りの発祥の狩野川の中流域に面し、釣りやアウトドアスポーツ、
カヌー、ウォーキング、サイクリングなどの拠点として位置付けられ、
また情報発信基地でもあります。
近くにあるシンボル的存在の標高342mの城山が、
伊豆半島のへその位置にあることからその名がついたと言うことです。
平成17年に道の駅に登録され、平成28年にリニューアルされたそうです。


国道136号と414号が交わる場所にある 道の駅 伊豆のへそ 。

      20180328伊豆のへそ01


      20180328伊豆のへそ02


こちらが入口。

      20180328伊豆のへそ03


      20180328伊豆のへそ04



駐車場も60台が利用でき、そこそこ広い。

      20180328伊豆のへそ05



こちらが、リニューアルした建物。

      20180328伊豆のへそ06



内部はこんな感じ。

      20180328伊豆のへそ07



情報コーナー。

      20180328伊豆のへそ08


      20180328伊豆のへそ10



売店エリア。

      20180328伊豆のへそ09

売店奥には、ガラス窓で区画されたバウムクーヘン工場。



道の駅のスタンプは、こちらに置かれています。    

      20180328伊豆のへそ11



敷地内には併設の宿泊施設。

      20180328伊豆のへそ12

併設と言うよりは、敷地の一画を道の駅にしていると言った方が正解。



宿泊施設以外に、ブッフェ形式のレストランも完備されています。

      20180328伊豆のへそ13


こちらが、そのレストラン。

      20180328伊豆のへそ14


ガラス張りの建物の2階エリア。
当然、犬連れNGです。

      20180328伊豆のへそ15



ただし、犬連れにも朗報。
敷地内に小さいながらもドッグランがあります。

      20180328伊豆のへそ16


伊豆半島の中央部を南下する際には、立ち寄ってみるのも
良いかもしれませんね。



道の駅の売店で、お目当ての道の駅の切符も手に入れました。



こちらが、道の駅のスタンプ。

      20180328伊豆のへそ17



そして、道の駅の切符。

      20180328伊豆のへそ18


      20180328伊豆のへそ19


どちらかと言うと、道の駅はオマケで
宿泊施設とブッフェ形式のレストランが主体な施設。

道の駅として期待して訪れると、
ちょっぴり残念な気分を味わうかも...........................?



2018/05/07 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

びいすけ と一緒にイチゴ狩り@久保田いちご狩り園 (2016年3月8日)(静岡県伊豆の国市) 

3月8日 公休日

伊豆旅行の2日目。

大瀬崎をあとにして、向かった先は...............久保田いちご狩り園


全国にイチゴ狩りが出来る農園は数多くあるけれど、
犬連れOKのイチゴ狩りが出来る農園は、あまり無い。

今回お世話になったのは、
伊豆の国市の江間地区にある久保田いちご狩り園。

平日限定でカート又はキャリーバック内入力入れて入場。
ワンちゃんにはイチゴを食べさせないことが条件で
ワンちゃん同伴可でイチゴ狩りが出来ます。


ナビでは住所を入力しても詳しい表示をしないから
おおよその場所を入力して、迷いながらも到着。

      20160308いちご狩り01


カートをセッティングして、受付に行こうとしていたら...............

      20160308いちご狩り02



1台の軽トラがやって来て、こちらでは無くて
別な場所だと言われ、軽トラの後を付いて行くことになります。

      20160308いちご狩り03


やっと辿り着いた、イチゴ園。

      20160308いちご狩り20



No.4のビニールハウスに案内されました。

      20160308いちご狩り04



高床式のビニールハウス。

      20160308いちご狩り05


30分間食べ放題の開始です。

      20160308いちご狩り06



イチゴには集中するために、カートの びいすけ は放ったらかし(笑)。

      20160308いちご狩り07


赤く実ったイチゴを食べまくります。

      20160308いちご狩り08


      20160308いちご狩り09


平日だから、お客さんは びいすけ家を含めて2組。

      20160308いちご狩り10


とにかく、ここぞとばかりにイチゴをもいでは口に入れていきます。

      20160308いちご狩り11


こちらのNo.4ハウスは貸し切り状態。

      20160308いちご狩り12


     

本当は駄目なんですが...............

      20160308いちご狩り13


見なかったことにして下さい。

      20160308いちご狩り14


1個だけ、 びいすけ に食べさせてみました。

      20160308いちご狩り15


2、3歳の頃は、イチゴが大好きだった びいすけ ですが
歳を重ねて嗜好が変わって来たのか?
イチゴも余り食べなくなりました。




この日は天気も良く、陽射しもあって暖かい。
ビニールハウスの中は、むしろ暑い。
汗をかきながら、イチゴを頬張っていましたが
さすがに暑くて、一度外に逃げ出します。

その間にイチゴのヘタを捨てるもっちゃん。
どうやら、50個超えをしているようです。

      20160308いちご狩り17



いゃあ、1年分のイチゴを食べた感じです。

      20160308いちご狩り19


結局、 もっちゃん が70個超え。
私が93個食べました。


昨年のシーズンにはイチゴ狩りに行けなかったから
今シーズンは、もう1回行きたいなぁ。








2016/04/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して..............静岡・伊豆の国編                          (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

静岡県伊豆の国市には、18基の丸ポストが現存していると言うことで、
伊豆の国市丸ポストを探しに行きました。

伊豆の国市って馴染みが薄いのですが
平成17年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して発足した自自体です。



最初の1基は、
旧・韮山町の奈古屋地区
JA伊豆の国奈古屋支店前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国01


      20141125丸ポスト 伊豆の国02


      20141125丸ポスト 伊豆の国03


      20141125丸ポスト 伊豆の国04




2基目の丸ポスト
旧・韮山町の原木地区
プロショップタキグチ脇の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国05


      20141125丸ポスト 伊豆の国06


      20141125丸ポスト 伊豆の国07


      20141125丸ポスト 伊豆の国08





3基目の丸ポスト
同じく旧・韮山町原木地区
火の見櫓前の丸ポスト

       20141125丸ポスト 伊豆の国12


       20141125丸ポスト 伊豆の国09


      20141125丸ポスト 伊豆の国10


      20141125丸ポスト 伊豆の国11



4基目の丸ポスト
旧・伊豆長岡町北江間地区
JA伊豆の国北江間支店前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国13


      20141125丸ポスト 伊豆の国14


      20141125丸ポスト 伊豆の国15


      20141125丸ポスト 伊豆の国16




続いては
旧・韮山町土手和田地区
さかや酒店前の丸ポスト..................のはずだったんですが

      20141125丸ポスト 伊豆の国17

どうやら撤去されてしまったようです





5基目の丸ポスト
旧・韮山町山木地区
韮山郷土資料館の向いにある韮山教会前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国18


      20141125丸ポスト 伊豆の国20


      20141125丸ポスト 伊豆の国21


      20141125丸ポスト 伊豆の国19





6基目の丸ポスト
旧・韮山町四日町地区
伊豆箱根鉄道 韮山駅前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国22


      20141125丸ポスト 伊豆の国23


      20141125丸ポスト 伊豆の国24


      20141125丸ポスト 伊豆の国25

駅前っていう感じがしないので
逆アングルからも一枚。

      20141125丸ポスト 伊豆の国26





7基目の丸ポスト
旧・韮山町四日町地区
吉田ストアー前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国27


      20141125丸ポスト 伊豆の国28


      20141125丸ポスト 伊豆の国29


      20141125丸ポスト 伊豆の国30





続いては、旧・韮山町四日町地区
小川薬局前の丸ポストのはずでしたが............

      20141125丸ポスト 伊豆の国31


お店の前は整備され、丸ポストは撤去されていました。

      20141125丸ポスト 伊豆の国32







8基目の丸ポストは旧・韮山町寺家地区。
JA伊豆の国北条支店前の丸ポスト。

      20141125丸ポスト 伊豆の国33


      20141125丸ポスト 伊豆の国34


      20141125丸ポスト 伊豆の国35


      20141125丸ポスト 伊豆の国36






9基目の丸ポストは旧・韮山町寺家地区。
アパート駐車場前の丸ポスト。

ここには以前、桔梗屋と言うお店があったらしい。

      20141125丸ポスト 伊豆の国37


      20141125丸ポスト 伊豆の国38


      20141125丸ポスト 伊豆の国39


      20141125丸ポスト 伊豆の国40




10基目の丸ポストは、旧・韮山町中條地区。
ファミリーマート韮山中條店前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国44


      20141125丸ポスト 伊豆の国41


      20141125丸ポスト 伊豆の国42


      20141125丸ポスト 伊豆の国43





11基目の丸ポストは、旧・韮山町南條地区。
JA伊豆の国南條支店前の丸ポスト。

      20141125丸ポスト 伊豆の国45


      20141125丸ポスト 伊豆の国47


      20141125丸ポスト 伊豆の国48


      20141125丸ポスト 伊豆の国46

軽トラックが居なくなるのをしばらく待っていましたが
なかなか動かない。
小雨もパラついているし............




12基目の丸ポストは、旧・韮山町中地区。
松井ストアー&関塾前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国49


      20141125丸ポスト 伊豆の国50


      20141125丸ポスト 伊豆の国51


      20141125丸ポスト 伊豆の国52





13基目の丸ポストは、旧・韮山町中地区。
スーパー荻野前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国53


      20141125丸ポスト 伊豆の国54


      20141125丸ポスト 伊豆の国70


      20141125丸ポスト 伊豆の国56






14基目の丸ポストは、旧・韮山町中地区。
韮山反射炉の受付前の丸ポスト

      20141125丸ポスト 伊豆の国57


      20141125丸ポスト 伊豆の国58


      20141125丸ポスト 伊豆の国59


      20141125丸ポスト 伊豆の国60



韮山反射炉は幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、
後を継いだその子英敏が完成させました。
反射炉とは、金属を溶かし大砲を鋳造する炉。
稼働した反射炉が現存するのはここ韮山だけだそうです。
現在、世界遺産に登録されるよう色々と地元では活動中のようです。

犬連れは中に入れないから、せめて江川英龍の銅像前で記念写真。

      20141125丸ポスト 伊豆の国61







15基目の丸ポストは、旧・大仁町の宗光寺地区。
石井酒店向かいの丸ポスト。

      20141125丸ポスト 伊豆の国62


      20141125丸ポスト 伊豆の国63


      20141125丸ポスト 伊豆の国64


      20141125丸ポスト 伊豆の国65




そして、16基目の丸ポストは、旧・大仁町の大仁地区。
東海香辛料前の丸ポスト。

      20141125丸ポスト 伊豆の国66


      20141125丸ポスト 伊豆の国67


      20141125丸ポスト 伊豆の国68


      20141125丸ポスト 伊豆の国67




これで、伊豆の国市の丸ポスト16基制覇。
残念ながら2基は撤去されてしまったようで確認できませんでした。

静岡県内に234基現存すると言われる丸ポスト。
(でも伊豆の国市で2基撤去されたから232基?)

これまでに

駿東郡小山町      1基
御殿場市        1基
沼津市          7基 
伊東市 ①        15基
裾野市           2基
三島市          1基
伊東市②        10基
東伊豆町        3基
伊豆市①        1基
河津町①         1基


そして本日、伊豆の国市16基制覇して合計58基となりました。


とりあえず静岡県内には234基の丸ポストが現存していることにして、(2014年10月23日現在)
残すは、あと176基。
完全制覇を目指したいところですが、
まだまだ先は長いようです.......。



2014/12/18 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............南小学校高原分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。
今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。


守山城址をあとにして、向かった先は.............

   旧・韮山町立 南小学校高原分校



高原分校は

昭和23年 韮山小学校高原分教場として設立。
昭和24年 韮山小学校高原分校と改称。
昭和37年 町制施行により、静岡県田方郡韮山町立韮山小学校高原分校と改称
昭和58年 共和分校が韮山小学校より分離独立して韮山町立南小学校となり
高原分校は韮山町立南小学校高原分校と改称する。
平成17年 本校に統合されて廃校となる。


と、このような沿革となっています。


高原分校は、韮山の韮山反射炉のさらに奥。
山方面に向けて車を走らすこと15分。
うっそうとした森の中を抜け、少し高台の場所から横道にそれると、
そこにひっそりと建てられています。

さっきまで、ポツリ、ポツリと降っていた雨も
降っているんだか?止んでいるんだか?
どうもはっきりしない中、高原分校近くに辿り着きました。


県道沿いに建つ、分校の案内板。
錆びてしまって、文字の確認もままなりません。

      20141125高原分校20



同じく、案内板。
こちらは手作り。
いかにもって感じがアリアリです。

      20141125高原分校21



いずれの案内板も坂の先を行けと言っているようです。
この坂を下って行けば、分校のようです。

      20141125高原分校22



こちらが、高原分校。

      20141125高原分校01


      20141125高原分校02



校舎の壁に掲げられた、韮山南小学校の校章。

      20141125高原分校19



平屋建てですが、鉄筋コンクリートの校舎。

      20141125高原分校03


      20141125高原分校06



時計は既に止まっています。
廃校と同時に時の流れが止まってしまったようです。

      20141125高原分校05



校庭から逆アングルの校舎。

      20141125高原分校07


      20141125高原分校09



校庭の隅には、シンボルツリーとも言える銀杏寝過ぎて樹。

      20141125高原分校08

見事に色付いています。




校庭に残された遊具。

      20141125高原分校10


      20141125高原分校11


      20141125高原分校12




こちらは、校舎前のゲタ箱。

      20141125高原分校13



廃校の碑かと思ったら違っていた。
江川先生への感謝の文面が綴られた石碑でした。

      20141125高原分校14




こちらは、体育館。
校舎や校庭より1段高い台地の上に建ってます。

      20141125高原分校04


      20141125高原分校15


体育館内部。
まだまだ十分に使えます。

      20141125高原分校18



体育館の前にあった百葉箱。

      20141125高原分校16



体育館の台地から眺めた校舎。

      20141125高原分校17



旧・韮山町の山奥にあった分校。
廃校時の平成17年には生徒数5名だったらしい。

廃校記念碑もなく、二ノ宮像も残っていなくて残念です。












2014/12/17 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

守山城址 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。
今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。


北条氏館跡をあとにして、向かった先は.............守山城址


守山城は

室町時代、将軍足利義政の実弟・政知(堀越公方)が築城したと思われ、
山麓にある堀越御所の詰め城と思われる。
延徳3年(1491)、政知病没後に跡を継いだ茶々丸は、
継母、義弟、重臣らを殺害し混乱状態となった。
そこで、興国寺城の北条早雲が伊豆侵攻を企て、堀越御所を攻めた。
その際、茶々丸は守山城に籠ったが、山麓の願成就院で自刃したといわれる。

その後、早雲を初代とする小田原北条氏は韮山城を伊豆支配の拠点とし、
この守山城も韮山城の支城として利用されたものと思われる。

天正十八年(1590)、豊臣秀吉は小田原の北条攻めに乗り出します。
韮山城には四万四千の大軍が押し寄せた。
豊臣勢は上山田陣城などの付城群を構築して韮山城を完全に包囲したが、
この際に守山城は豊臣勢によって利用されたようです。

山頂の主郭を中心に、北・東・西の三方に伸びた痩せ尾根に小さな郭群を設け
北条氏館跡がある西麓には広い郭が設けられています。


堀越御所跡、北条氏館跡の背後にある守山が城址です。




北条氏館跡に隣接する守山西公園から登城となります。

      20141125守山城址01



守山自然公園遊歩道が登城路となります。

      20141125守山城址02



遊歩道を歩き始めてしばらくすると、西麓の西郭。

      20141125守山城址03


思った以上に広い郭。

おそらく、秀吉の北条攻めの際、韮山城を攻略する際に
この守山城を利用し、広い郭を設け兵糧などを蓄えたのでしょう。

      20141125守山城址04


      20141125守山城址05


      20141125守山城址06





西の郭から主郭を目指して進みます。

目の前に現れたのは、長い階段。

      20141125守山城址07



息を切らしながら上って行きます。

      20141125守山城址08



上り切ったと思ったら、再び上り。

      20141125守山城址09


      20141125守山城址10



さらに上りは続きます。

この遊歩道は後に作られたもののようだから
上りの際にも遺構らしきものには巡り会わない。

      20141125守山城址11



長い階段を上り切った先が尾根。
そして主郭。

主郭は意外に狭い。

      20141125守山城址19




尾根の先端に建つ展望台。

      20141125守山城址12



眼下には狩野川の流れ。

      20141125守山城址13



東方向には韮山城。

      20141125守山城址14



生憎の天候で視界はイマイチ。
雨雲がなく、晴れていれば韮山城もバッチリ見えるはず。

      20141125守山城址15



頑張って展望台まで(主郭まで)上ってきたご褒美をあげましょう。

      20141125守山城址16


      20141125守山城址17


      20141125守山城址18




展望台で休憩したあとは、尾根伝いに東側に移動。


この橋の下は堀切。

きっと往時も、こんな感じで堀切に木橋を掛けていたんでしょう。

      20141125守山城址20



東の尾根伝いに下って行くと、こんな道があったりします。
岩を削って作った道。
まぎれもなく、往時のモノでしょう。

      20141125守山城址21


公園として整備し、遊歩道を設けた時に作られた階段。
その階段の脇に先程の岩を削った道があります。

      20141125守山城址22


そのまま下って行けば、守山の麓の子神社の脇に出ます。

本当は守山八幡宮に下って行きたかったのですが
どうやら下る道を間違えてしまったようです。

下り切った道を上って下り直す元気もありません。

駐車場は守山を挟んだ反対側。
ぐるっと守山の麓を歩いて駐車場に向かいます。


たまたま通りかかった真珠院。

何やら案内板があるのでよんでみると............

伊東の八重姫について書かれています。

      20141125守山城址23


八重姫(やえひめ、生没年未詳)は、平安時代末期の女性で、
伊豆国伊東(現・静岡県伊東市)の豪族・伊東祐親の三女。
源頼朝の最初の妻とされています。
頼朝の初子・千鶴御前(千鶴丸)の母。

『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国へ流罪となり、
在地豪族の伊東祐親の監視下で日々を送っていた頼朝は、
祐親が大番役で上洛している間に祐親の三女・八重姫と通じ、
やがて男子を一人もうけて千鶴御前と名付けた。
千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、
「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、
娘を非人乞食に取らせる方がましだ。平家の咎めを受けたらなんとするのか」
と平家への聞こえを恐れ、家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬にして殺害し、
娘を取り返して同国の住人・江間の小四郎に嫁がせた。
さらに頼朝を討つべく郎党を差し向けたが、
頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた祐親の次男・祐清が
頼朝に身の危険を知らせ、頼朝は祐清の烏帽子親である北条時政の邸に逃れたという。
時政の下で暮らすようになった頼朝は、やがて時政の長女・政子と結ばれることになる。
その後の八重姫については、入水自殺したとも、北条氏や千葉氏と縁を結んだなど、
様々に伝えられる。

(Wikipediaより引用)


頼朝が恋しい八重姫が伊東から山を越え、蛭ケ小島に来てみると
頼朝は政子と夫婦となっていたことを知り、狩野川に入水して命を絶ったと言う。
その入水の地が、真珠院らしい。

ここにも頼朝に関わる伝説(?)があるんですね。

守山地区の中世の史跡、伝承は見応えがある。
やっぱり旧・韮山町は歴史の深い町なんだなぁ..................。




2014/12/17 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

北条氏館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。

今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。


堀越御所跡から歩いて向かった先は.............北条氏館跡


北条氏館(北条氏邸)は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。

元弘ニ(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心になって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、江戸時代まで続いたことが分かっています。


北条氏邸跡は北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と北条氏滅亡後の円成寺跡が発見され、北条氏の興亡を物語る遺跡として国指定史跡に指定されました。



堀越御所跡の入口の向いに建つ、北条政子産湯の井の碑。

      20141125北条氏館跡01



民家脇の道を100mも歩けば、北条政子産湯の井があります。

      20141125北条氏館跡02


      20141125北条氏館跡03



井戸を覗いて見ましたが、草が生えてて、よく見えませんでした。

      20141125北条氏館跡04


北条政子の産湯の井から300mほど歩けば、北条氏館跡。
こちらにも、説明板や案内板が建ち並んでます。

      20141125北条氏館跡05



北条氏館(北条氏邸)跡の碑。

      20141125北条氏館跡06


城郭ファンのサイトを見てみると、この碑の紹介がないから
どうやら、最近建てられたモノのようです。

      20141125北条氏館跡07



元々は、源頼朝の妻、北条政子の父である北条時政

      20141125北条氏館跡08



こちらも広大な敷地だったようですが、一部は民家となっていて
遺構らしきモノは皆無と言っていいようです。

      20141125北条氏館跡09



堀っぽく見えるけれど、単なる小川かもしれません。

      20141125北条氏館跡10



秋深し。
こちらも銀杏の葉が艶やかに黄色く色づいています。

      20141125北条氏館跡11



びいすけ の背後は守山。

      20141125北条氏館跡12



堀越御所の詰めの城とも言われた守山城址となります。

      20141125北条氏館跡13



鎌倉幕府を興した源頼朝。
14歳で伊豆に流刑にされ、蛭ケ小島で17年が過ぎ、
地元の豪族である北条氏の嫁をもらいます。
この嫁がのちの尼将軍北条政子です。
その政子の父親が北条時政。
韮山の目代山木兼隆に政子を嫁がせようとしていましたが、
これを嫌った政子は館を抜けだし、頼朝のもとに行ってしまいます。

山木判官の追求を恐れた二人は伊豆山権現に逃げ込み保護を受けます。
一方の時政は、平家の行く末を鑑み、山木兼隆から頼朝に鞍替えし結婚を許します。

その後、頼朝は北条氏館に住み、政子は子を授かります。
やがて期は熟し頼朝が挙兵し、山木兼隆を討つことになります。
平家討伐に頼朝の家臣として奔走し、また鎌倉幕府では有力御家人として参画し、
頼朝死後は幕府の執権として活躍した北条氏。
その北条氏の原点がここにあったのでしょう。

この地もそう言った意味では源頼朝の所縁の地のようです。

最近は、頼朝にハマっているなぁ............(笑)。



2014/12/16 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

堀越御所跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を利用して伊豆に旅行に行きました。

今回は伊豆の国市を中心に色々と巡ってみました。


蛭ケ小島をあとにして、向かった先は.............堀越御所跡



室町時代、幕府は京都にあり、遠く離れた関東を統治するために
鎌倉に鎌倉府が置かました。その鎌倉府の長官が鎌倉公方と呼ばれ、
関東八カ国に伊豆・甲斐を加えた10カ国を統治していました。
しかしながら、鎌倉公方五代目の足利成氏は、
補佐役である関東管領の上杉憲忠と対立してしまい、
1454年に上杉憲忠を暗殺してしてしまったことから
足利氏と上杉氏との合戦が起こってしまいました。

室町幕府は上杉氏を支持し、成氏討伐を行います。
その結果、成氏は古河に逃れ『古河公方』と称するようになります。

1457年、室町幕府の8代将軍足利義政は、古河の成氏に対抗するため、
異母兄の足利政知を鎌倉公方にすることにします。
政知は渋川義鏡と上杉教朝を伴って京都から鎌倉へ向かいますが、
足利成氏の勢力が強大で鎌倉には入ることが出来ず、伊豆の堀越に留まり、
『堀越公方』と呼ばれます。

1482年、幕府と成氏は、関東を成氏が、伊豆を政知が治めることで和睦している
これにより成氏の鎌倉公方としての地位が承認される形となり、
堀越公方は伊豆国のみを支配することとなりました。

1491年、堀越公方の政知が死去すると、子の茶々丸が後継者となりました。
茶々丸は政知の嫡男として誕生したが、素行不良のため牢に閉じこめられていました。
そのため政知は弟の潤童子を後継と定めていたが、茶々丸は、潤童子と継母(潤童子の母)を殺害して
堀越公方となってしまいました。
さらに、茶々丸は家老の外山豊前守を誅殺するなどの事件を起こし、伊豆国内に内紛を起こしてしまいます。
 
この機に乗じたのが駿河国興国寺城の北条早雲です。
1493年、小田原北条氏の始祖である早雲は、伊豆に攻め入り
堀越御所を攻略し、事実上堀越公方を滅亡させてしまいます。

わずか二代、36年で堀越公方は滅亡してしまいました。




こちらが、堀越御所跡。

      0141125堀越御所跡04


      0141125堀越御所跡05

一部は伊豆の国市の土地となっていますが、
周辺は私有地や住宅地であり、本格的な整備や調査が実施できない状態になっています。
一部が発掘調査されましたが、埋めされて現在は更地となっています。

いずれ、歴史公園にでもなるのでしょうか?
やたらと入口に説明看板が並んでいます。


その中の一枚。
堀越御所の縄張りが記された説明看板。

      20141125堀越御所跡01

それなりに広大な敷地だったようですが、全てを発掘調査したわけではないので
現地の説明看板には『伝堀越御所跡』と記されているようです。



この辺りは、堀越御所以外に北条氏館跡があったりと
守山中世史跡群として、伊豆の国市も力を入れているようです。

      0141125堀越御所跡02


      0141125堀越御所跡03




確かに広い更地。

      0141125堀越御所跡06


何もない

      0141125堀越御所跡07


今のままでも、十分に公園と言っても通用しそうです。

      0141125堀越御所跡08


      0141125堀越御所跡09




この辺りは、以前は電源開発の韮山保養所だったところ。
現在は、どこが管理しているのだろうか?

堀越御所には七つの石が置かれていたそうです。
その中の一つ、亀石。

      0141125堀越御所跡10

亀の形をしているから、亀石と呼ばれたそうです。

根元が折れて、草むらに転がっていた説明看板。
亀石の脇の木に立て掛けておきました。

      0141125堀越御所跡11


もう一つ、鶴石と言うのがあるらしいけれど
そちらは見つかりませんでした。


広い敷地内。
銀杏の葉が艶やかに色付いていました。

      0141125堀越御所跡12


堀越御所跡周辺には中世の史跡が多いから
次なる史跡に歩いて行きましょう..................。

2014/12/16 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

韮山城址 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。

山木兼隆館跡をあとにして、向かった先は............韮山城址



韮山城(にらやまじょう)は、
伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から
戦国時代にかけての日本の城。平山城。
15世紀末に北条早雲の関東経略の拠点として整備され、
後北条氏の関東支配後も伊豆支配の拠点としてその持ち城であったが、
天正18年(1590年)には豊臣秀吉による小田原征伐において激しい攻防戦を経験している。
龍城の異称を持つ。

築城年ははっきりしないが「北条五代記」によると文明年間(1469年~1486年)に
堀越公方足利政知の家臣、外山豊前守が城を造ったのが始まりとされている。
初めはあまり大規模なものではなく、
延徳5年(1491年)に堀越公方足利茶々丸を攻め滅ぼした伊勢盛時(北条早雲)によって
後北条氏の領有となり、同年から早雲によって後北条氏の本拠地として本格的に造営された。
早雲はここを拠点に伊豆の各拠点の支配を進め、後に相模に領土を広げた後も
小田原城に移ることなく、没するまでここを居城とした。

その後も小田原城を中心に関東を支配する後北条氏の重要拠点の一つとなり、
永禄末年には時の当主・北条氏康の四男・氏規が城主として入り、
伊豆支配の中心地とした。

しかし後北条氏は天正18年(1590年)の小田原征伐では、
ほぼ天下を統一していた豊臣秀吉の大幅な攻勢を受ける。
韮山城にも豊臣秀次の軍勢が迫ったために氏規は籠城して戦い、
北条方は総勢約3千6百、豊臣方は総勢約4万4千と伝えられる大きな戦力差のなかで
約百日間も持ちこたえたが、ついに開城した。

その後、関東に入った徳川家康の家臣内藤信成が居城としていたが
慶長6年(1601年)に転封され廃城となった。

( Wikipedia より引用 )



こちらが韮山城の縄張り図

      韮山城址縄張り図


         ( 余胡くんのホームページ よりお借りしました )




実は、小田原北条氏ファンの私と致しましては
その北条氏の始祖である北条早雲が一族繁栄の足掛かりとして
伊豆の拠点を支配する礎となった城と言うこともあって
兼ねてから訪れたい城址でありました。


韮山郷土資料館から歩いて進軍開始。
いざ!韮山城攻城の始まりです。

案内板がしっかり道案内をしてくれます。

      20141125韮山城址01



城池親水公園の先にある台地が目指す韮山城址です。

      20141125韮山城址02



折しも、天気は小雨。
晴れていればなぁ..................

      20141125韮山城址03



韮山城址に到着。

説明看板をしっかりと読み..................

      20141125韮山城址04



縄張り図を大まかに頭に叩きこみます。

      20141125韮山城址05



それでは、韮山城の攻略と参りましょう!

      20141125韮山城址06



こちらが登城口。
(権現曲輪北の堀切)

      20141125韮山城址07



三郭の虎口。

      20141125韮山城址08



見事に横矢が掛かり、枡形になっています。

      20141125韮山城址09



そして、目の前に現れる三郭の土塁。

      20141125韮山城址10


      20141125韮山城址12



三郭は韮山高校のテニスコートとなっています。

      20141125韮山城址11




三郭から権現曲輪に至る虎口。

      20141125韮山城址13



虎口の土塁もそれなりの高さがあり、見事!

      20141125韮山城址14



権現曲輪に鎮座する熊野神社。

      20141125韮山城址15



熊野神社の境内が権現曲輪。
正確には権現曲輪が熊野神社の境内になっています。

      20141125韮山城址16



石段の先の高台に本殿が鎮座しています。

      20141125韮山城址17



熊野神社の本殿。

      20141125韮山城址18



今は木々が茂っていますが、明らかに削平地と判る権現曲輪。

      20141125韮山城址19



こちらが、熊野神社の由緒が記された説明板。

      20141125韮山城址43


      20141125韮山城址46



権現曲輪と二郭を隔てる堀切。

      20141125韮山城址20



意外に大きい。

      20141125韮山城址21



そして、高さもあります。

      20141125韮山城址22



権現曲輪から二郭へと至る登城路。

      20141125韮山城址45


      20141125韮山城址23


      20141125韮山城址24



こちらが二郭。

      20141125韮山城址25


      20141125韮山城址26



二郭と主郭の間にある空堀に掛かる土橋。

      20141125韮山城址27


      20141125韮山城址28



この角度からの方が土橋らしく見えるかな?

      20141125韮山城址42



土橋から眺める韮山高校。

      20141125韮山城址29

この韮山高校が建っている辺りが、かつての奥座敷。
伝承によると、北条草雲の居館があったところであると言われていますが、
実際には地域支配のための役所などが置かれていたのではないかとも言われています。



そして、こちらが主郭。

余分な下草もしっかり刈られ、
無駄な木々も伐採され、きれいに管理されています。

      20141125韮山城址30


      20141125韮山城址31


      20141125韮山城址32





主郭から眺める韮山城址の紅葉。

      20141125韮山城址33


山城はやっぱり紅葉の時期に訪れるのが良い!



主郭に建つ案内板。

      20141125韮山城址34

この韮山城を守るための砦類と
この韮山城を攻め落とすために作られた陣城類。
それらが周辺に点在しているようです。

      20141125韮山城址35



主郭から更に尾根伝いに遺構は広がっています。

      20141125韮山城址36


      20141125韮山城址37



こちらが倉跡の虎口。

      20141125韮山城址38

一説には弾薬倉庫とも、またある説には塩倉庫とも言われています。



土塁もしっかり張り巡らせれています。

      20141125韮山城址39



虎口を反対側から見ると、こんな感じ。

      20141125韮山城址40



尾根の先端。
この辺りは櫓台だったのだろうか?

      20141125韮山城址41



小雨は止まず、顔にポツリ、ポツリと冷たいモノが当るけれど
傘なんかさしていたら韮山城址の良さが解らなくなってしまう。

紅葉の時期の色付いた木々が微かに雨に濡れ
何とも言えない艶っぽさを醸し出しているようです。

やっぱり山城攻城は秋に限ります。
紅葉の時期の韮山城址。
絵になります。

来年の晩秋に、また訪れることにしよう........................




2014/12/14 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

山木兼隆館跡 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。
今回は伊豆の国市旧・韮山町)を中心に色々と巡ってみました。


奈古谷分校をあとにして、向かった先は............

          山木兼隆館跡

山木 兼隆(やまき かねたか)は、
平安時代末期の武将。
平兼隆(たいら の かねたか)または、大掾兼隆(だいじょう かねたか)ともいう。
桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼の子。

検非違使少尉(判官)だったが、父の訴えにより罪を得て(理由は不明)、
伊豆国山木郷に流される。
治承三年の政変の後、懇意があった伊豆知行国主・平時忠により伊豆国目代に任ぜられた。
そのために兼隆は伊豆で勢力を持つようになっていた。

治承4年(1180年)8月、頼朝は以仁王の令旨を受け挙兵、兼隆の館を急襲する。
三島大社の祭礼のために郎党の多くが留守だったため兼隆は満足に戦うことができず、
加藤景廉によって討たれた(山木館襲撃)。



実は、こちらに来るまで、この山木兼隆の事は全く知りませんでした。

源頼朝が少年期に伊豆に流され、伊豆で平家への反旗を翻し挙兵したのは知っていましたが、
その挙兵先が山木兼隆館だったんですね。


韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに場所を尋ねたら
『私有地だから中には入れないよ!』と言われましたが
それでま構わないと言って教えてもらいました。


教えてもらった通りに歩いて行くと
親切な案内板。

      20141125山木兼隆館跡01



どうやら、この辺りは『山木』と言う地名らしい。
消火ホースの収納箱にも大きく『山木』と記されています。

      20141125山木兼隆館02



程なく、次なる案内板。

      20141125山木兼隆館03



この先の台地一帯が山木兼隆館跡のようです。

      20141125山木兼隆館04

いつの間にか、ポツリポツリと冷たい雨が降ってきました。




こちらが、山木兼隆館跡。
完全な民家の敷地なので、中には入れません。

画面左側の木の下に石碑があるらしい。

      20141125山木兼隆館05



思いきりズーム(200mm)で寄ってみましたが
刻まれている文字、文面まで確認出来ませんでした。

      20141125山木兼隆館06



私有地のため、門から先へは入れません。

      20141125山木兼隆館07

それっぽい雰囲気の庭(?)のようです。



仕方がないので、石碑をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館08



民家の門をバックに一枚。パチリ☆。

      20141125山木兼隆館09

韮山郷土資料館の江川邸のチケット売り場のおじさんに
『行っても何もないから、つまらないよ!』とは言われていましたが
本当に何もない。

ただ、源頼朝が兵を挙げ、この地から平家との熱き戦いが始まったかと思うと
何か胸に来るものがある。

9月に伊豆に旅行に来た時に、湯河原町の頼朝の所縁の地を訪ねた。
この韮山の地にも幾つかの頼朝の所縁の地があるようだから
このあとが楽しみです..................。




2014/12/13 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............韮山小学校奈古谷分校 (2014年11月25日)(静岡県伊豆の国市) 

11月25日 公休日

世間で言う3連休の翌日。
11月25日、26日と個人的な連休を取って伊豆に旅行に出かけました。

今回の旅行は伊豆の国市の城址巡りを中心に、
廃校巡りに丸ポスト探しと計画していましたが
天気予報は雨。
宿の予約はしちゃってるから、キャンセルしたくないし、
雨が降ったら降ったで考えよう!

予定決行。
あさ、4時半に佐倉市の自宅を出て佐倉ICから
東関道〜京葉道路〜首都高〜東名高速と乗り継ぎ
沼津ICで降り下道で伊豆の国市を目指します。

伊豆の国市って馴染みが薄いけれど、
平成17年に伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して出来た市です。

今回は旧・韮山町域を中心に色々と巡ってみました。


最初に訪れたのは..................

      旧・韮山町立 韮山小学校奈古谷分校


奈古谷分校は
詳しい沿革は不明ですが
明治6年に奈古谷に創設された名越舎がその始まりのようです。

明治25年     奈古谷尋常小学校として独立開校。
明治38年     龍城、共和、四区、奈古谷の尋常小学校四校と堀越高等小学校を併合し、
           韮山尋常小学校開設。
           韮山尋常小学校奈古谷分教場となる。
昭和22年     学校教育法施行により、静岡県田方郡韮山村立韮山小学校奈古谷分教場と改称。
昭和24年     韮山村立韮山小学校奈古谷分校と改称。 
昭和37年     町制施行により、静岡県田方郡韮山町が発足。
           韮山町立韮山小学校奈古谷分校と改称。
平成10年     本校に統合され廃校となる。

     と、このような沿革となっています。


こちらが、奈古谷分校。


車が必需品となった昨今。
こちらが普段の通用門となったようです。

      20141125奈古谷分校01


      20141125奈古谷分校02



廃校後、現在は地域の生涯学習センターとして活用されているようです。

      20141125奈古谷分校14



昭和59年に建てられた石碑。

      20141125奈古谷分校15

おそらく、最初は奈古谷分校の名が入っていたのだろうか?

鉄筋コンクリートの校舎が完成したのが昭和59年だから
新校舎完成の記念碑だったのかもしれません

明らかに後から付け替えた痕跡が残ってます。

      20141125奈古谷分校16



こちらが、古くからの校門。

当初はこちらが正門だったのでしょう。

      20141125奈古谷分校03



残念ながら表札は既に外されていて着いていません。

      20141125奈古谷分校04



校門から敷地内に入ってみます。

      20141125奈古谷分校05



こちらが、校庭。
現在は地域の少年野球のグランドとして利用されているようです。

      20141125奈古谷分校06




校庭から眺める校舎。

      20141125奈古谷分校07


      20141125奈古谷分校08



校庭の隅に立つ銀杏の樹が見事に色付いています。

      20141125奈古谷分校09



こちらは、校舎脇に立つ木。
この分校のシンボルツリーだったのでしょう。

      20141125奈古谷分校10




朝礼台。

      20141125奈古谷分校11



校舎の壁時計は健在。
しっかりと正確な時刻を刻んでいます。

      20141125奈古谷分校12



廃校記念碑かと思ったら違っていた。

『一葉松址』の碑でした。

      20141125奈古谷分校13




こちらも別な通用口。
田舎の学校ってフェンスと門扉に囲まれるって言うことが少なく
割と出入りに融通が効くからイイよなぁ。

      20141125奈古谷分校17

かく言う私も田舎の小学校出身だから
放課後の小学校って子供の頃の遊び場だったんだなぁ。



分校の敷地に隣接する火の見櫓と消防倉庫。

      20141125奈古谷分校18



再び校庭に戻り、廃校記念碑、二ノ宮像をさがしたけれど
残念ながらありませんでした。


見事に色付いた銀杏の樹の前から
再び校舎を眺めてみます。

      20141125奈古谷分校19


      20141125奈古谷分校20


生憎の曇り空。
そして、この日の伊豆地方の降水確率は20%。

雨が降り出す前に次なる場所に移動しちゃいましょう............。


2014/12/13 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit