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び・び・びのびいすけ

廃校を訪ねて...............江川小学校枝松分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。この日の下郷町の廃校巡りのオーラスです。


雑根分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校枝松分校。


枝松分校の詳しい沿革も不明です。
ネットで事前に調べてみても、詳しい事が分からず、
本校である江川小学校のHPによれば
明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、
本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
小沼崎は湯野上,枝松は高陦の分教室となると記載されています。
確かに明治期の枝松の歴史を紐解けば、明治22年に町村制施行により
枝松村、高陦村、白岩村が合併して二川村が発足がしたと記録にあります。

明治25年以前に存在していた、かつての枝松村の小学校が分校となったようです。

その後、大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。


昭和3年二川村村は長江村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校枝松分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校枝松分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校枝松分校と改称する。
平成17年本校に統合されて廃校となる。

   
と、このような沿革であったと思われます。





実は、枝松分校の場所も良く分かりませんでした。
先人のブログを見る限り、
①松枝集落にある
②お堂の近くにある
③神社の隣にある
と言うことをヒントに捜し当てたのが、こちら。

      20180426枝松分校01



校舎は既に解体されて、更地状態。

      20180426枝松分校02



たまたまこの日は、跡地で電気工事が行われていました。

      20180426枝松分校03



敷地のフェンス際に立つ桜の木。

      20180426枝松分校04

おそらく、分校時からある桜の木。
でも、既に葉桜状態。


廃校後、暫くは木造の校舎が残っていて
ドラマや映画のロケ地の勧誘をしていたみたいですが
現在は、解体されています。



これらの遊具(?)は、分校時の名残りでしょう。

      20180426枝松分校05


      20180426枝松分校06


      20180426枝松分校07



敷地の神社側の隅にポツンと建つ記念碑。

      20180426枝松分校08

枝松分校の校舎新築記念碑です。



ネットで調べると、江川小学校には6つの分校が在ったとされています。

江川小学校大内分校
江川小学校小沼崎分校
江川小学校高陦分校
江川小学校雑根分校
江川小学校枝松分校 と、巡る事が出来ました。

あと一つ、昭和39年に廃校となった江川小学校白岩分校。
これが、全く分からないんだよなぁ。

いつかまた、探しに来よう...............。




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2018/06/10 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校雑根分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
舞台は下郷町。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


高陦分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立江川小学校雑根分校


雑根分校の詳しい沿革は不明です。

本校である江川小学校のHPにも雑根分校については記載がありません。
ただ、Wikipediaによれば平成17年に廃校となっています。

これはどういうことでしょう?


とりあえず、場所も分からないから
現地で調べることにいたしました。

湯の上温泉から山あいに数km入ったところにある雑根集落。
その集落に在る『雑根高齢者若者センター』にあたりをつけていたので
そちらを訪ねてみますが、どうも雰囲気が違うような感じ。
敷地も分校跡地のような広さが無い。

こうなったら、地元の人に訊くしかない。

でも10数軒しか民家のない小さな集落。
歩いている人が居ない。
集落から500mほど離れた畑で農作業をしていたオジさんを見つけ、
尋ねてみて、教えてもらった場所がこちら。

      20180426雑根分校01



集落の外れ。
現在は更地(と言っても草が生い茂った場所)。

      20180426雑根分校02

敷地の奥にある1本の桜の木だけじゃ、学校跡地を彷彿させるには材料が少ない。


とにかく、学校遺構が全く無い。

      20180426雑根分校03


見ての通り、何も無い。

      20180426雑根分校04


本当にここなのか?
確信が持てません。

      20180426雑根分校05


そうこうしている内に、隣の民家の犬が吠え出した。
『何事?』かと思ったのでしょうか?
民家からお婆さんがで出来たので、訊いてみたら
間違い無く、この場所に雑根(『ぞうね』と読むらしい)分校が在ったという事です。

      20180426雑根分校06

やっとの思いで、その場所には辿りつけましたが
二宮像も廃校記念碑もない荒れ果てた地。
完全にこの場所に学校が在ったことなんて、忘れ去られてしまうんだろうなぁ。




2018/06/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............江川小学校小沼崎分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


昨年、すぐ近くまで来たのに(大河ダム)、
時間が無くて探しもしなかった廃校。
廃校の宝庫である下郷町には、そんな廃校が幾つかありました。
その中の1校である下郷町立江川小学校小沼崎分校に立ち寄りました。

ネットで事前に調べてみても、小沼崎分校の詳しい沿革は分かりません。
本校である江川小学校のHPによれば
明治5年に発足した弥五島小学校湯野上分教室が、
明治25年に湯野上尋常小学校と改称し、本校を湯野上・弥五島・白岩・高陦の4校とし,
小沼崎は湯野上,枝松は高陦の分教室となると記載され、
また、大正3年3本校3分校を合併して長江尋常高等小学校と改称し,
枝松・弥五島・白岩・高陦・小沼崎に分教場を設置したと記載されています。    

また明治期の小沼崎の歴史を紐解けば、確かに明治22年に町村制施行により
弥五島村・大沢村・湯野上村・小沼崎村が合併して、長江村が発足したと記録にあります。



昭和3年長江村は二川村と合併し江川村が発足。
江川尋常小学校小沼崎分教場と改称する
昭和22年学制改革により、江川村立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和30年江川村が楢原町、旭田村と合併して下郷町が発足。
下郷町立江川小学校小沼崎分校と改称する。
昭和46年本校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革だったと思われます。


現在は地域の集会所になっているらしい。



小沼崎地区の集会所と言うことで、あたりをつけて訪れますが
肝心の集会所が見つからない。
近くを車で徘徊し、農作業をしているお婆さんを見つけて尋ねます。
教えてもらった小出集会所。
こちらが小沼崎分校跡地になります。

      20180426小松崎分校01



ポツンと建つ門柱。

      20180426小松崎分校02



表札には、下郷町立江川小学校小沼崎分校 と記されています。

      20180426小松崎分校03



この門柱は、昭和3年に建立されたモノのようです。

      20180426小松崎分校04

『昭和三年九月 小出 沼尾 青年会』と記されています。



敷地にポツンと建つ赤い屋根の建物。

      20180426小松崎分校05



どうやら、廃校後に校舎は解体され、
新たに集会所として建てられたモノのようです。

      20180426小松崎分校06



分校時からあった木。

      20180426小松崎分校07

おそらく、子供たちのシンボルツリーだったんだろう。


山あいの分校の校庭。

      20180426小松崎分校08



わずかながらに残された遊具類。

      20180426小松崎分校09


      20180426小松崎分校10


      20180426小松崎分校11


      20180426小松崎分校12




校庭のサクラの木も既に葉桜となっている。

      20180426小松崎分校13



誰も居ない校庭を、匂い嗅ぎに徘徊する びいすけ 。

      20180426小松崎分校14


小沼崎分校跡地。
しっかりと、この目に焼き付けて来ました...............。



2018/06/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高倉神社 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
大内宿へやって来ました。

大内宿は、昨年の7月にも訪れています。
( その時の記事は こちら

今回は、宿場町よりも大内宿に鎮座する神社が目的。
伝統的な藁葺き屋根の古民家集落のすぐ側に鎮座する高倉神社です。


高倉神社は、下郷町大内宿に鎮座する神社です。
創建時期は不詳ですが、古くから神仏習合し、
『高倉大明神』と呼ばれてきたそうです。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、
明治3年(1870年)に社号を『高倉神社』に改称しました。

御際神は以仁親王(もちひとしんのう)です。


 
以仁親王とは高倉宮以仁親王のことで、三条宮とも呼ばれていました。
後白河法皇の第三皇子で、幼少の頃から多彩な才能に恵まれ、
管弦・詩歌の道に優れ、皇位継承者と目されていましたが、
治承4年(1179年)、父である後白河天皇が平清盛のクーデターにより幽閉され、
皇位を奪われてしまいました。
翌、治承4年(1180年)4月、以仁親王は平家討伐を決意し、
平家追討の「令旨」を全国の源氏に発しました。
しかしながら、以仁親王は翌年、平氏に討たれてしまいました。

この平家追討の令旨がもとで、源頼朝、木曽義仲等が挙兵し、
平氏滅亡のきっかけをつくったとされています。

その以仁親王が、大内宿に潜行していたと言う伝承が
大内宿には残されているそうです。




古民家沿いに建つ社号標。
こちらが高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社01


境内社になる古峯神社の社号標。

      20180426高倉神社02


一際目立つ一の鳥居。

      20180426高倉神社03



古民家の集落からちょっと離れた森に高倉神社が在ります。

こちらも高倉神社の社号標。

      20180426高倉神社04



二の鳥居。

      20180426高倉神社05


      20180426高倉神社06



参道は狭い石段。

      20180426高倉神社07


      20180426高倉神社08



参道途中の石仏。

      20180426高倉神社09



三の鳥居。

      20180426高倉神社10


      20180426高倉神社11



社殿が見えて来ました。

      20180426高倉神社12



こちらが、拝殿。

      20180426高倉神社13



拝殿の飾りの彫り物。

      20180426高倉神社14



拝殿屋根の神紋。

      20180426高倉神社15



別アングルからの拝殿。

      20180426高倉神社16



そして、こちらが本殿。

      20180426高倉神社17


      20180426高倉神社18



境内社。

      20180426高倉神社19

こちらが、古峯神社なんでしょうか?



本殿の裏手には石積みされた祠も数基あります。

      20180426高倉神社20



こちらが、御神木。

      20180426高倉神社22
      20180426高倉神社21



高倉神社の境内には、社務所も無く無人の神社。
大内宿のお土産屋さんが社務所となっているらしい。

社務所のお土産屋さんを探します。

      20180426高倉神社23


      20180426高倉神社24


      20180426高倉神社25

南仙院と言うお土産屋さんを探しますが、
本家の南仙院とか分家の南仙院とかあるらしい。
ちょっとややこしい。


ちょっと疲れたから、一休み。
お土産屋さんで、『いも餅』で一息をつきました。

      20180426高倉神社26

いも餅を狙う びいすけ 。


残念だけど、君は食べられないよ!

      20180426高倉神社27



結局、南仙院の場所が分からず、駐車場のオジさんに聞いたら
駐車場から1番近いお土産屋さんでした。


こちらが、高倉神社の御朱印。

      20180426高倉神社28

分家南仙院さんで頂きました。

実は、数日前に電話をしていて
この日に参拝する旨を伝えて御朱印をお願いしていました。

宮司さんは、本来は会津若松市にお住まいだそうで、実家が南仙院さんらしい。
どうやら、宮司さんのお母様と連絡を取ったことになるようですね。

事前に連絡を入れていたから、今日の日付けを入れて
前日に御朱印を書き置いてくれたそうです。

ありがとうございました。




2018/06/08 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

八幡の大ケヤキ (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
桜を求めて(?)下郷町を移動します。

戸赤集落から大内宿へと目指しますが、
その途中の中山集落に巨木あります。
昨年も、その巨木の前を通ったのですが、
急いでいた為、素通りをしてしまいました。
実は、それがちょっと心残り。

ならば、今年立ち寄らねば!


中山集落に到着。
大内宿へと向かう県道沿いに、『八幡の大ケヤキ』は聳えています。


こちらが、『八幡の大ケヤキ』。

      20180426中山の大ケヤキ01

中山宿にあるから、『中山の大ケヤキ』とも呼ぶらしい。



標柱。

      20180426中山の大ケヤキ02



説明板。

      20180426中山の大ケヤキ03



そして、その全容。

      20180426中山の大ケヤキ04
        20180426中山の大ケヤキ05



昔の会津西街道に、どぉ〜んと聳えています。

            20180426中山の大ケヤキ06
          20180426中山の大ケヤキ07
      20180426中山の大ケヤキ08


説明板の内容を要約すると...............

天喜3年(1055年)、陸奥の安倍貞任討伐に向かった源八幡太郎義家が、
険路に難渋して、中倉村の司であった二宮太郎兵衛の家で休息しました。
太郎兵衛は快く迎え入れ、大沼郡尾岐村に至る間道を教えたそうです。
そのおかげで義家は首尾よく賊を討つことが出来、
感謝の印として、二宮邸の庭先にケヤキを植えました。
それがこの大ケヤキだと言うことです。

樹齢千年近い欅と言うことになりますね。



しかしながら、この大ケヤキよりも
数十m先に見事な花を咲かせる桜の方が気になった。

      20180426中山の大ケヤキ09


やっと、南会津の桜を満喫出来たような気がします...............(笑)。





2018/06/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

戸赤の山桜   (2015年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日 

1泊2日の南会津方面への旅行。
『南会津の桜をバックに廃校を!』とやって来ましたが
今年は例年より桜の開花が早く、
『廃校の桜』と言うテーマを満喫出来ていません。

急遽、予定を変更って言うか追加。

旧・楢原小学校のある豊成地区から山あいへと移動。
山桜で有名な戸赤地区へと向かいました。


『戸赤地区』は「戸石」「赤土」「木地小屋」が合併してできた地区です。
下郷町の西に位置し、周囲を山に囲まれた小さな集落で、
かつては漆器の木地づくりで栄えていたそうです。

戸赤の山桜は、そんな雪深い戸赤集落の祖先が
春の楽しみのためにと、留め木にして残してくれた山桜が約100本あり、
春になると山麓一面に美しく咲き競うそうです。



段々と細くなる道を走り、戸赤集落に到着。
戸赤集落には、昨年の夏の南会津への旅行で
この集落に在った戸赤分校に訪れました。
(その時の記事は こちら


今回は、単純に山桜を見ようと訪れました。


駐車場に車を停めて、山桜のある山へと向かいます。

      20180426戸赤の山桜01



桜の花でしょうか?
所々、山が色付いています。

      20180426戸赤の山桜02


      20180426戸赤の山桜03



山の中を30分ほど散策するハイキングコースがあるようです。
説明板をじっくりと読み、いざ! 山桜のハイキングコースへ!!

      20180426戸赤の山桜04



いきなりの上り階段。
これが、勾配がキツくて辛かったぁ。

      20180426戸赤の山桜05

びいすけ は快調そのもの。
テンポよく上がっていくから、リードが引っ張られる。
ロングリードにしなかったのが、大失敗。



息をゼイゼイ切らし、階段を上りきり一休み。

      20180426戸赤の山桜06



尾根沿いに移動します。

      20180426戸赤の山桜07



しかし、100本の山桜は何処だ?
なかなか山桜に巡り会えない。

      20180426戸赤の山桜08



やっと見つけた山桜。

      20180426戸赤の山桜09

既に、半分以上散ってるし...............。



こちらも、見頃にはちょっと遅かったかな?

      20180426戸赤の山桜10



里山の川沿いの桜が一番見頃でした。

      20180426戸赤の山桜11



南会津の雪解けの水。

      20180426戸赤の山桜12

心なしか、川の水の流れは早い。



川沿いの土手道を、山桜の山をバックに歩きます。

      20180426戸赤の山桜13



絵のような一面の山桜を期待していましたが
現実は、そんなに甘くないようです。

      20180426戸赤の山桜14



2018年の南会津には、春はちょっぴり早く訪れてしまったようです。






2018/06/07 Thu. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立旧・楢原小学校跡   (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日  

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


南小学校をあとにして、向かった先は...............下郷町立旧・楢原小学校跡


あっ、始めにお断りを...............
下郷町立楢原小学校は、現存している現役の小学校で、
決して廃校ではありません。あしからず。


楢原小学校は、明治初期に下郷町になる以前の各村に創立された学校が
長い歴史の中で変遷していったようです。

明治6年倉谷村下等小学校を松庵寺に設置する。
明治7年楢原村下等小学校を円福寺に設置する。志源行村下等小学校は名主宅に設置する。
明治13年楢原小は豊成小に、倉谷小は栄富小と改称する
明治20年豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年学制改革により、楢原町立檜原小学校となる。
昭和30年楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
下郷町立楢原小学校改称する。
昭和54年校舎を豊成字山崎に新築し、移転する。

と、このような沿革を歩み、現在に至っているようです。



こちらが、正門跡。

      20180426旧・楢原小学校跡01

なだらかな上り坂が、登校路を彷彿させてくれます。



花は散ってしまったけれど、旧・楢原小学校の桜。

      20180426旧・楢原小学校跡02



跡地の一部は宅地として開発されています。

      20180426旧・楢原小学校跡03



そして、跡地の多くの部分が下郷町商工会の建物と
しもごう保育所が建てられています。

      20180426旧・楢原小学校跡04



保育所の駐車場奥に石碑が並んでいます。

      20180426旧・楢原小学校跡05

近づいて確認すると...............


そこには、二宮像。

      20180426旧・楢原小学校跡06


      20180426旧・楢原小学校跡07



この二宮像は、昭和28年に建立されたものらしい。

      20180426旧・楢原小学校跡14



学校の移転時に新しい校地へ二宮像も移転することなく
この地に置かれていたんてますね。



そして、親子のブロンズ像。

      20180426旧・楢原小学校跡08


      20180426旧・楢原小学校跡09



さらには、『楢原小学校跡』の碑。

      20180426旧・楢原小学校跡10



この碑は、移転から4年後の昭和58年に建立されたらしい。

      20180426旧・楢原小学校跡11



その隣には、頌徳碑。

      20180426旧・楢原小学校跡12


      20180426旧・楢原小学校跡13




廃校跡地ではなく、移転による学校跡地が民間に払い下げられ、
宅地や工場になってしまう事も多々あるけれど、
公共の施設を新たに建てて、その敷地の一画に記念碑や二宮像を置いて
いつまでも、この地を忘れないように...............
そんな下郷町の地元の人たちの心意気を感じます。



     

2018/06/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立南小学校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


偶然見つけた音金分校をあとにして、向かった先は...............下郷町立南小学校


南小学校は、その前身は下郷町立旭田小学校音金分校です。

明治期に創立されたであろう音金村の小学校が
明治22年の町村制施行により近隣の村々が合併して旭田村が誕生した際に
各村の学校を統合し、新たに旭田尋常小学校を設立され、分校も設置されました。
旭田尋常小学校には5つの分校を有し、その一つが音金分校でした。
昭和22年に学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校と名称を変え、         
昭和30年に旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生すると、
下郷町立旭田小学校音金分校と改称しました。
昭和38年に本校である旭田小学校から分離独立して、
下郷町立南小学校となり、新校地に移転しました。
          


その新校地が音金分校から1kmほど離れた森の中。

こちらになります。
     
南小学校の正門。

      20180426南小学校02

残念ながら、南小学校は平成17年春に旭田小学校に統合されて
廃校になってしまいました。



こちらが、門柱。

      20180426南小学校03

しっかりと南小学校と書かれた表札が残っています。



反対側の門柱には校名を書き直した跡があります。

      20180426南小学校04

おそらく、音金分校時の門柱を再利用したのでしょう



門柱の裏側には、寄贈者の名が連なります。

      20180426南小学校05

昭和39年建立。
南小学校が開校した翌年に建てられたみたいです。

それにしても、星って言う苗字が多い。



門柱脇にはバス停。

      20180426南小学校01

バス停の名は、そのまま『南小学校』。
時刻表をみてびっくり。
1日に1本とか2本。まさに秘境です。




南小学校の校舎は解体されて、跡地は漬物工場になっていると聞いていたから
恐る恐る敷地内に入ります。


前方にグランドと体育館らしき建物が見えます。

      20180426南小学校06


      20180426南小学校07

グランドには工事用の機材や残材が置かれているから
あまり近寄らない方がいいですね。



こちらが、漬物工場のようです。

      20180426南小学校08

この先へは遠慮しておきましょう。


未舗装の駐車場脇で見つけた石碑。

      20180426南小学校09

『光と緑』と刻まれた南小学校創立30周年の記念碑です。


裏面には何もなし。

      20180426南小学校10



ふと見上げると、満開の桜。

      20180426南小学校11


校舎は無くなってしまったけれど、
南小学校の跡地には、綺麗な桜が残っていました...............。






2018/06/06 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............旭田小学校音金分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。

落合分校をあとにして、次なる廃校へと向かいます。

当初は、下郷町立南小学校に向かいましたが
何せ何処に在るのか? 詳しい場所は分からない。
ヒントは旭田小学校音金分校が独立して南小学校になったと言う事実。
とりあえず、音金集落へと向かいます。

音金集落で、農家のお婆ちゃんに出会い、
場所を訪ねて車を走らせるけれど
どうも良く分からない。
漬物工場になっていると言う話だけれど
それらしき建物がない。

周辺をぐるぐる回っていたら、こんな場所に遭遇しました。

      20180426音金分校01



見るからに学校跡っぽい。

      20180426音金分校02



定番の地域の集会所(公民館)。

      20180426音金分校04

音金集会所の表札が掲げられています。


さらに定番の消防倉庫。

      20180426音金分校05



敷地周りの桜の木。

      20180426音金分校03



そして、極め付け。
古びた遊具。

      20180426音金分校07      



学校跡地の匂いがプンプン。

でも漬物工場はない。
ってことは、学校跡地じゃない?



集会所裏手で草刈りをしていたお婆さんに尋ねてみると
どうやら、ここが下郷町立旭田小学校音金分校だったんです。
そして、下郷町立南小学校は、別な場所に在ったらしい。
音金分校が独立して南小学校になったから、同じ場所だと思ってました。

音金分校は、

創立時期等詳細は不明ですが、
明治初期に音金村に開校された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校音金分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校音金分校と改称する。
昭和38年     本校より独立して下郷町立南小学校となり、新校地に移転する。
           音金分校はその歴史を閉じました。

と、このような沿革だったと思われます。



敷地には、防災無線の塔も建てられています。

      20180426音金分校06



集会所の脇にポツンとある赤錆びた遊具。

      20180426音金分校07

分校時代のモノなんでしょうか?


数十軒の集落である音金地区。
そのランドマークの位置付けでもあった音金分校。
偶然ではあるけれど、その跡地に訪れる事が出来て、本当に良かった...............。


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2018/06/06 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............下郷町立旭田小学校落合分校 (2018年4月26日)(福島県南会津郡下郷町) 

4月26日

1泊2日の南会津方面への旅行の初日。
まだまだ、南会津の廃校巡りは続きます。


栗生沢小学校をあとにして、南会津町から下郷町へと移動します。
昨年の7月に下郷町の廃校巡りをしましたが
その時に回りきれなかった廃校巡りとなります。

向かった先は...............下郷町立旭田小学校落合分校


落合分校は

創立時期は不明ですが、明治初期に落合村に設置された小学校が始まりだと思われます。

明治22年     町村制施行により沢田村、澳田村、中妻村、大松川村、合川村、
           野際新田村、音金村、南倉沢村、塩生村、落合村が合併し旭田村が発足。
           各小学校が統合され旭田尋常小学校を創立。
           中妻・大松川・南倉沢・音金・落合の5分教室が設立される。
昭和22年     学制改革により、旭田村立旭田小学校落合分校となる。          
昭和30年     旭田村が楢原町・江川村と合併して下郷町が誕生。
           下郷町立旭田小学校落合分校と改称する。
昭和60年     中妻分校、大松川分校と共に本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。


跡地には往時の木造校舎が残り、
現在は、その校舎を利用してカフェとなっています。


こちらが、落合分校の正門。

      20180426落合分校01



門柱も健在。

      20180426落合分校02


門柱には、往時の表札も掲げられています。

      20180426落合分校03


      20180426落合分校04


      20180426落合分校05



こちらが、木造校舎。

      20180426落合分校06


      20180426落合分校07


      20180426落合分校08


      20180426落合分校09



先にも述べたように、現在は『会津ジイゴ坂学舎』と言うカフェになっていますが
この日は定休日のようです。

      20180426落合分校10



店番(留守番?)役のワンちゃんが、 びいすけ が気になるのか?
ずっとこちらを見ています。

      20180426落合分校11



校舎の前には桜の木。

      20180426落合分校12



見頃には、気持ち遅かった感じ。

      20180426落合分校13



校庭に残された遊具類。

      20180426落合分校14


      20180426落合分校15


      20180426落合分校16


      20180426落合分校17



敷地の周りを木々か取り囲んでいるから
外目からは、森の中の学校って言う感じで、
なかなかの雰囲気。

      20180426落合分校18


      20180426落合分校19



残念ながら、廃校記念碑や二宮像は残されていませんでした。

カフェとして生まれ変わった落合分校。
いつまでも、その姿を残していって欲しいものです...............。


2018/06/05 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

湯の上温泉駅の足湯  (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日

丸ポスト探しで訪れた 会津鉄道 湯野上温泉駅。
この湯野上温泉が新観光名所 福島三十景の地でもあります。
(新観光名所 福島三十景では、『塔のへつり・湯野上温泉』で選定されています。)

      20170720下郷町丸ポスト05


ここは、桜の名所であり観光スポットにもなっているようです。

      20170720湯の上温泉駅の足湯01


びいすけ連れだから、
温泉宿に日帰り入浴って言うわけには行かないけれど
立ち寄りの足湯だったら大丈夫。

と言うことで、湯野上温泉駅構内にある足湯に立ち寄ってみました。

      20170720湯の上温泉駅の足湯02


スネの部分が細いジーンズを履いて来た もっちゃん は
大胆にもジーンズのまま、足湯に入っちゃいます。

      20170720湯の上温泉駅の足湯03

あっ! 決して脚が太くて裾が捲れない訳じゃないからね。(笑)
くれぐれも誤解の無いように!



父さんも足湯に入ってリフレッシュ。

      20170720湯の上温泉駅の足湯04

でも、ちょっぴり熱かった。


帰って来て、写真を整理して気付きました。
ここで びいすけ の写真を撮るのを忘れていた。

と言うことで、今回は びいすけ の登場は無し。


ひょっとして、真夏の車の中に放置?
いえいえ、安心して下さい。
足湯の近くの庇の日影でコッチを見ながら
大人しく待っていましたよ。









2017/08/16 Wed. 12:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...............福島・下郷町編 (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日

しばらくご無沙汰していた丸ポスト探し。

今回、福島県の下郷町に出かけたので
下郷町の丸ポストを探してみました。


福島県内には、76基の丸ポストが現存していて
下郷町には1基の丸ポストが現存しているようです。(平成29年7月20日 現在)


その下郷町の唯一の丸ポストが、会津鉄道湯野上温泉駅前の丸ポスト。

      20170720下郷町丸ポスト05




      20170720下郷町丸ポスト01


      20170720下郷町丸ポスト02


      20170720下郷町丸ポスト03



ポストの集配は、1日に1回だけのようです。

      20170720下郷町丸ポスト04



この湯野上温泉駅の周辺には古い桜の木が多く
春には桜の名所らしい。
残念ながら、葉桜のこの時期は見栄えがしないけれど、
桜の季節には、構図によっては丸ポストと満開の桜の花のコラボレーションが
きっと画になることだろう。


福島県内の現存する丸ポスト76基。
残り75基。
東日本大震災で立ち入り規制もあるから、全てを制覇することは無理だと思うけど、
可能な限り、追いかけてみよう。




2017/08/16 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

新観光名所福島30景《塔のへつり》  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)    

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

下郷町を中心に廃校、滝、ダムと巡っていましたが
観光もしなくっちゃ!!

下郷町の観光地と言えば、『大内宿』と『塔のへつり』 。
(春の桜の季節の 湯野上温泉駅の桜 も観光地らしい。)
その 塔のへつり に行って来ました。


塔のへつりは、福島県会津地方の南会津東部を流れる大川が形成する渓谷です。
長い年月をかけて自然が作り出した渓谷が
塔の形が立ち並ぶ断崖という意味から「塔のへつり」と名づけられました。
「へつり」とは地元の言葉で断崖のことです。
塔の形をした断崖まで吊り橋が架けられ、
断崖内部の一部を見学することもでき、
その特異な形から、1943年に国の天然記念物に指定されています。
「塔のへつり」には、形状によって様々な岩の名がつけられているようです。


現地近くには、お土産屋さんの駐車場しかないから
徒歩5分ほどの 塔のへつり駅 前の有料駐車場に車を停めて、
いざ、出発!!

      20170720塔のへつり01

しかし、観光地の駐車場なのに¥200とは安い。



びいすけ のペースで歩き、程なくして 塔のへつり に到着です。

      20170720塔のへつり02


何やらおかしな標柱

新観光名所 福島三十景 ?

      20170720塔のへつり03

なに、それ?


銘板に何やら書かれています。

      20170720塔のへつり04

どうやら、
昭和53年に福島民報社が主催となり、
福島県観光連盟の推薦と県民のハガキ投票で選定した
新観光地ということらしい。
その内訳は、

1.あぶくま洞と入水鍾乳洞 〈滝根町〉
2.福満虚空蔵尊と柳津温泉 〈柳津町〉
3.烏峠 〈泉崎村〉
4.母畑湖 〈石川町〉
5.飯坂温泉 〈福島市〉
6.美坂高原 〈三島町〉
7.飯野堰堤公園 〈飯野町〉
8.蛇の鼻遊楽園 〈本宮町〉
9.芦ノ牧温泉 〈会津若松市〉
10.須賀川牡丹園 〈須賀川市〉
11.木幡の弁天様 〈東和町〉
12.白河甲子高原 〈西郷村〉
13.磐梯熱海温泉 〈郡山市〉
14.湯野上温泉と塔のへつり 〈下郷町〉
15.伊佐須美神社 〈会津高田町〉
16.塩屋埼灯台と薄磯・豊間海岸 〈いわき市〉
17.県民の森・遠藤ヶ滝 〈大玉村〉
18.七ヶ岳と駒止湿原 〈田島町〉
19.松川浦 相馬市〈相馬市〉
20.中野不動尊 福島市〈福島市〉
21.山本不動尊と八溝渓谷 〈棚倉町〉
22.田子倉湖 〈只見町〉
23.高湯温泉 〈福島市〉
24.羽鳥湖 〈天栄村〉
25.霞ヶ城公園 〈二本松市〉
26.南湖公園 〈白河市〉
27.安達太良と岳温泉 〈二本松市〉
28.白鳳山公園と向羽黒城址 〈会津本郷町〉
29.三崎公園と小名浜港 〈いわき市〉
30.船津公園 〈郡山市〉

と、30ヶ所が選定されたようです。

ちなみに、この標柱は福島民報社から各選定地に贈られたらしい。
と言うことは、同じような標柱が福島県内に30ヶ所在るということになる。

食指をそそられそう(笑)。



手書きの張り紙。

      20170720塔のへつり05

この辺りは、昔は海だったらしい。
本当かよ?



では、塔のへつり を見学いたしましょう。

      20170720塔のへつり06



吊り橋が見えてきました。

      20170720塔のへつり07


大川に架かる吊り橋。

      20170720塔のへつり08



大川の色も神秘的。
崖の侵食も確認出来ます。

      20170720塔のへつり09

流れは、かなり緩やかなようです。



吊り橋を渡る びいすけ 。

      20170720塔のへつり10

ちょっぴり、おっかなげ?


吊り橋からの大川の眺め。

      20170720塔のへつり11



吊り橋を渡り終えて、一安心の びいすけ 。

      20170720塔のへつり12


崖の浸食した部分が遊歩道になっています。

      20170720塔のへつり17


途中に窟があったりします。

      20170720塔のへつり13


でも行けるのは、ここまで。
この先は通行止め。

      20170720塔のへつり14

遊歩道らしきモノは先まであるようですが、崩落等の危険があるため
立ち入り禁止にしているのでしょう。


振り返ってみると、さっき渡った吊り橋が見えます。

      20170720塔のへつり15



『えっ! たったコレだけ?』

そんな事を思いながら、最奥地にて大川をバックに一枚、パチリ☆。

      20170720塔のへつり16


      
それでは戻ることにいたしましょう。

      20170720塔のへつり18


滅多に来れない場所だから
しっかりと記憶に留めましょう。

      20170720塔のへつり19
    

      20170720塔のへつり21


再び、吊り橋を渡って駐車場へと向かいます。

      20170720塔のへつり20



吊り橋を渡りながら思いました。
って言うか、正直な感想。

かなり期待していただけに、あまりにも散策路が短すぎて
ガッカリ感は否めない。

大好きな2時間ドラマ、
西村京太郎の原作の十津川警部シリーズや鉄道公安官シリーズの
殺人事件の舞台になったりした場所だから
かなり、期待していたんだよなぁ...............




2017/08/15 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........旭田小学校中妻分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町)   

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第10弾は................下郷町立旭田小学校中妻分校


中妻分校は、現地の廃校(閉校)記念碑に刻まれた沿革を参考に
この地域の変遷をかんがみて

明治6年     弥五島小学校中妻分教場設置。
明治7年     中妻小学校設置。
明治36年    中妻尋常小学校と改称。
大正3年     旭田小学校中妻分教場となる。
昭和22年    学制改革により旭田村立旭田小学校中妻分教場と改称する。
昭和30年    旭田村が楢原町、江川村と合併して下郷町が誕生。
          下郷町立旭田小学校中妻分校と改称する。
平成17年    本校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



こちらが中妻分校の正門。

      20170720旭田小学校中妻分校01



コンクリート製の門柱。

      20170720旭田小学校中妻分校02



表札もセメントのプレート。

      20170720旭田小学校中妻分校03



校舎は平屋建ての木造校舎。

      20170720旭田小学校中妻分校04


      20170720旭田小学校中妻分校06




現在は、学び舎・ポッポ館 と言うアトリエ(?)として利用されているようです。

      20170720旭田小学校中妻分校05

どうやら、ここのアトリエ主は東京八王子から こちらにアトリエをオープンをしたらしい。
そういえば、敷地内に八王子ナンバーの車が停まっていたっけ。


低学年(1〜3年生)が通った分校のようです。

     
背を伸ばして窓ガラスの中を覗きこむと
教室に各学年が区分けされています。

      20170720旭田小学校中妻分校08


      20170720旭田小学校中妻分校09


教室の一部を体育館としていたようです。

      20170720旭田小学校中妻分校10




こちらは、倉庫でしょうか?
それともトイレ?
外からじゃよく判りません。

      20170720旭田小学校中妻分校07



校舎の壁面に掲げられた時計。

      20170720旭田小学校中妻分校11

時刻が思い切りズレてるし...............


校庭整備用にローラー。

      20170720旭田小学校中妻分校12



校庭の隅には、閉校記念碑。

      20170720旭田小学校中妻分校13


裏には沿革が刻まれています。

      20170720旭田小学校中妻分校14



雑草の中に埋もれつつある遊具。

      20170720旭田小学校中妻分校15

ブランコよりも手前の洗濯物干しの方が生活感があって気になっちゃいます(笑)。


雑草に埋れかけた鉄棒。

      20170720旭田小学校中妻分校16


ここでも びいすけ は敷地内を徘徊。

      20170720旭田小学校中妻分校17

まるで、ドッグランにでも来たと思っているのかな?



青空に伸びる国旗掲揚ポール。

      20170720旭田小学校中妻分校18

でも、校旗が掲げられ
風にはためく事は、もう無いんだよね.................。





2017/08/14 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校弥五島分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第9弾は................下郷町立楢原小学校弥五島分校


弥五島分校も詳しい沿革は解りません。

現地に在った記念碑には、簡素ながらも
明治5年8月2日 弥五島小学校創設
昭和54年3月31日 楢原小学校弥五島分校として本校舎に統合のため閉校

と刻まれています。
元々は弥五島小学校として創設されましたが
楢原小学校のHPによれば、

『昭和32年 大内分校は江川小の、弥五島分校は楢原小の分校となる』

と記載されていることから、
いつの時代かはわかりませんが、
以前は江川小学校の分校になっていたようです。

昭和32年下郷町立楢原小学校弥五島分校となる。
昭和54年本校に統合されて廃校となる。

と、簡素ながらもこのような沿革となるようです。



こちらが弥五島分校正門。

      20170720楢原小学校弥五島分校01


表札は、分教場となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校02



こちら側の門柱の表札は外されています。

      20170720楢原小学校弥五島分校03

おそらく、本校であった楢原小学校の名が刻まれていたのでしょう。



小ぶりながらも二階建ての木造校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校04



赤い屋根に茶色い壁面。

      20170720楢原小学校弥五島分校05

下郷町の廃校の木造校舎に多い配色です。


比較的、綺麗な校舎。

      20170720楢原小学校弥五島分校06


保存状態も良いようです。

      20170720楢原小学校弥五島分校07



それもそのはずです。
現在は、民間に貸し出されていて、
川田太鼓工房 弥五島会館となっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校08

この日は開いていませんでしたが、
和太鼓の練習場として利用されているようです。


逆光で碑文が暗く読みづらいですが、閉校(廃校)記念碑。

      20170720楢原小学校弥五島分校09

下郷地区最古の小学校だったらしい。
確かに明治5年創設とは...............

明治5年に明治政府から教育令が出されて直ぐに創設された学校な訳ですね。



      20170720楢原小学校弥五島分校10

1979年(昭和54年)建立と刻まれているから
廃校の時に建立されたんですね。
下郷町の他の分校の記念碑は、平成になってからの建立が多いから
それだけ、この弥五島地区って言うのは小学校に思い入れがあったんでしょうね。




そして、見つけました!

下郷町って言うか、福島県で初めて見かけた二ノ宮像。

      20170720楢原小学校弥五島分校11

なぜか、ここまで二ノ宮像には出会えなかったんだよなぁ。



残念なことに、二ノ宮像はあったのに遊具類は無し。



校庭跡を徘徊する びいすけ 。

      20170720楢原小学校弥五島分校12


      20170720楢原小学校弥五島分校13



空は澄み渡り、真夏の陽射しの南会津地方。


隣接するお寺との境界には古い桜の木。

      20170720楢原小学校弥五島分校14

春には立派な花を咲かせることでしょう。


ただ、陽射しの強いこの時期。
葉桜の木の下は絶好の陽よけとなっています。

      20170720楢原小学校弥五島分校15


弥五島分校の桜も満開の頃に見に来たいなぁ。




2017/08/13 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ダムカードを集めよう!...............大内ダム (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県野際南会津方面へ出かけました。


重要伝統的建造物群保存地区として脚光を浴びている大内宿。
その大内宿から、さらに奥へと車を走らせると
やがて大内ダムに到着します。


大内ダムは、阿賀野川水系の小野川の最上流部に建設されたダムです。
堤高102.0mの中央土質遮水壁型ロックフィルダムで、
揚水発電所である下郷発電所の上部調整池でもあります。
下部調整池である大川ダムとの間で純揚水式発電を行うことで、
大内ダムは昭和49年に着工し、19年の歳月を掛け平成3年に完成しました。
大内ダムと大川ダム(若郷湖)の間で有効落差387.0mを利用し、
最大1,000,000kW(認可出力1,000,000kW)を発電する目的を有する発電専用ダムです。



ダム碑近くからの大内ダム。

      20170720大内ダム01

手前が堤体、奥がダム湖になります。



こちらが、大内ダムの碑。

      20170720大内ダム02


      20170720大内ダム03



天端は道路となっており、車も通行可能。
対岸に移動して、逆アングルからダムを眺めましょう。

ダム堤体。

      20170720大内ダム05


ダム堤体と天端

      20170720大内ダム06


      20170720大内ダム10



ダム湖側。

      20170720大内ダム04

一見して、ロックフィルダムと判ります。



ダム湖の駐車場に掲げられていた大内ダム湖概要。      

      20170720大内ダム07


      20170720大内ダム12



そして、ダム湖。

      20170720大内ダム08


      20170720大内ダム09


      20170720大内ダム11

こうやってダム湖を眺めて見ると、周りは山で覆われている。
今は木々の緑一色だけど、紅葉の時期は赤やオレンジ色の風景となるんだろうなぁ。




      
肝心のダムカードですが、
この大内ダムからかなり離れた大川ダムに隣接する下郷展示館でもらえます。
(直線距離は近いんだけど、車の移動だとかなり距離があります。)


こちらが、そのダムカード。

      20170720大内ダム13


      20170720大内ダム14



福島県のダムカードも、コツコツと集めて行きましょう。



2017/08/12 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........江川小学校大内分校 (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

南会津の下郷町には20近くの廃校があります。
題して、下郷町廃校巡り。
その第8弾は...............下郷町立江川小学校大内分校


大内分校の沿革もよく分かりません。
楢原小学校のHPには一部記載されていますが
当初は楢原小学校の分校だったようですが、
やがて江川小学校の分校となったようです。
本校である江川小学校のHPを見ても沿革が記載されていないので
詳しいことは解りません。

楢原小学校のHPを参照すると、

『明治20年 豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。』

との記載がありますので、
明治20年以前に大内小学校として開設されていたようです。




明治20年      豊成・栄富・戸赤・大内の各校を簡易小学校と改称する。
明治35年      近隣の簡易小学校4校(豊成、栄富、戸赤、大内)を合併して
            楢原尋常小学校と総称し、各々を分教室とする。
昭和22年      学制改革により、楢原町立檜原小学校大内分教場となる。
昭和30年      楢原町が旭田村、江川村と合併して下郷町が誕生。
            下郷町立楢原小学校大内分校と改称する。
昭和32年下郷町立江川小学校大内分校となる。
平成17年本校に統合されて廃校ぬなる。

と、このような沿革となっているようです。



実は、この大内分校は下郷町では1番メジャーな観光地である
『大内宿』の一角に在ります。

メインストリートとでも言う日光街道(下野街道)の藁葺き古民家から
ちょっと奥に入った場所に在りました。

      20170720江川小学校大内分校01


今回の廃校巡りで珍しく感じてしまう近代的な校舎。

      20170720江川小学校大内分校02


      20170720江川小学校大内分校03


ここに来るまでに巡ってきた廃校は殆どが古い木造校舎でした。
こちらは、見た感じが軽量鉄骨の校舎のようです。

重要伝統的建造物群保存地区である大内宿。
その宿場町に在った小学校だから、
かなり校舎には期待をしていたんですが
ちょっぴり、ガッカリ感は否めません。

      20170720江川小学校大内分校04



こちらは、プールと体育館。

      20170720江川小学校大内分校05


      20170720江川小学校大内分校06

そういえは、プールを見るのは下郷町の廃校では初めてかも?



校舎前に建つ『創立百周年記念碑』。

      20170720江川小学校大内分校07



校庭は意外に広い。

      20170720江川小学校大内分校08


      20170720江川小学校大内分校09



遊具もそれなりに残っています。

      20170720江川小学校大内分校10


      20170720江川小学校大内分校11


      20170720江川小学校大内分校12



校庭からの大内分校の全景。

      20170720江川小学校大内分校13



江戸時代から続く藁葺き屋根の古民家が
重要伝統的建造物群保存地区として保存されているのに
明治期に創設された小学校が廃校になってしまった。

時代流れと言ってしまえば、それまでだけど
何とも因果な時代のようです...............。







2017/08/11 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

宿場町を歩こう..........下野街道 大内宿    (2017年7月20日)(福島県南会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

なかなか、こちら方面に来る機会は無いから
この際、しっかりと観光もしちゃいましょう。

と言うことで、訪れたのは...............大内宿



      20170720大内宿07





会津城下と下野の国(栃木県日光市今市)を結ぶ全長130キロメートル(32里の区間)の下野街道(別名:会津西街道)。
若松城下 - ①福永宿 - ②関山宿 - (氷玉峠) - (大内峠・標高920m)
- ③大内宿 - (中山峠) - ④倉谷宿 - (八幡峠) - ⑤楢原宿 - ⑥田島宿 - ⑦川島宿
- ⑧糸沢宿 - (山王峠・標高935m)- ⑨横川宿 - ⑨中三依宿 -(高原峠・標高1,200m)
- ⑩五十里宿 - ⑪高原新田宿 - ⑫藤原宿 - ⑬大原宿 - ⑭高徳宿 - ⑮大桑宿 - ⑯今市宿
と16の宿場町が在りました。

大内宿は、下野街道の内、会津城下から3番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並びます。
江戸時代には下野街道の「半農半宿」の宿場でした。
現在でもその雰囲気をよく残していて、田園の中の旧街道沿いに
茅葺き民家の街割りが整然と並ぶその姿は昭和56年に
国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。

かつての寄棟造の民家は大民宿やその姿を残しながら、
土産物屋、蕎麦屋などとなっています。
特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、
箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習があります。



こちらが、大内宿の入口。

      20170720大内宿01


重要伝統的建造物群保存地区に指定されているから、この通りは車の進入禁止。

      20170720大内宿02

この辺りまでは舗装されています。




それでは、大内宿を歩いてみましょう。

      20170720大内宿03

いつしか舗装もなくなり、昔ながらの宿場町の風情を残しています。


藁葺き屋根の古い古民家が立ち並んでいます、

      20170720大内宿04


      20170720大内宿05


      20170720大内宿06


      
立ち並ぶ宿場町の古民家の中で、一風変わった雰囲気。

      20170720大内宿08



かつての大内宿本陣跡が大内宿町並み展示館となっています。

      20170720大内宿09

びいすけ は中に入れないから、こちらはスル〜(笑)



以前、テレビ番組で大内宿を取り上げていた時、
街並みの最奥の高台に神社があって、
そこから観る大内宿もなかなかのモノでした。

この石段先に神社があるのでしょう。

      20170720大内宿10


元気な びいすけ 。

      20170720大内宿11

後に続く私と もっちゃん は、暑さで息が上がりそう。
とにかく、ご機嫌な びいすけ 。


神社だと思っていた高台は、子安観音堂でした。

      20170720大内宿13


      20170720大内宿14





子安観音堂のある高台。
こちらが、展望スポットになります。

大内宿の街並みが一望出来ます。

      20170720大内宿12


    

なかなか、びいすけ を引き連れての写真はないから
たまには、こんなショットも良いでしょう。

      20170720大内宿15


      20170720大内宿16


時刻もお昼を回って、お腹も空いてきた。
元々、大内宿でお昼にするのは計算の内。

ベット可のお店がありました。

      20170720大内宿17



こちらのテラス席(?)ならペット可。

      20170720大内宿18

陽射しを遮ってくれるから、この時期には重宝しそうです。



ちなみに一般のお客さんは、こちらのお席。

      20170720大内宿19

     

大内宿に来たら、やっぱり『ネギ そば』でしょう!

      20170720大内宿21



と言うことで、ネギ そば の登場です。

      20170720大内宿22



たくあん と 山菜 はお店からのサービス。

      20170720大内宿23



こうやって、ネギを箸代わりにして蕎麦をすすります。

      20170720大内宿24



ごめんね。ネギそば だから、びいすけ にはあげられないよ!

      20170720大内宿25



大人しく待っている お利口さん。

      20170720大内宿20



お蕎麦を食べ終え、駐車場へと向かう街道にて
気になるモノを発見。

      20170720大内宿26


蕎麦だけじゃちょっぴり物足りない。
やっぱり、コレでしょう。

      20170720大内宿27



びいすけ、ガン見(笑)。

      20170720大内宿28


味噌のない所をしっかり貰う びいすけ。



大内宿を満喫してくれたかな?

      20170720大内宿29


ちょっぴり期待していた大内宿。
でも、あまりにも観光地化し過ぎで
ちょっぴり興醒め感も否めない。

江戸時代から続くの街道沿いの多くの古民家が
蕎麦屋だったり、お土産屋だったりして
何と無く俗っぽい気がしたのは...............気のせい?
年間100万人が訪れると言われる観光地だから
仕方ないのかなぁ...............。





2017/08/10 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..........楢原小学校中山分校  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日 公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津方面に出かけました。

題して、南会津・下郷町の廃校巡り。

その第7弾は................下郷町立楢原小学校中山分校



中山分校も詳しい沿革が不明です。
統合先の楢原小学校のHPにも中山分校については余り触れておらず
創立時期や楢原小学校の分校になった時期等は不明です。
ただ、中山集落のある中山峠が会津城下へと続く下野街道の難所であり
古くから人の往来もあり、それなりに人が住んで居たことを考えれば
それなりの歴史があった学校だったのではないでしょうか?

しかしながら、平成5年に休校となり、
平成17年に本校に統合される形で廃校になりました。



下野街道沿いに中山分校は在ります。

      20170720楢原小学校中山分校01



木造平屋建ての校舎。

赤い屋根に茶色い壁は、この地方のお約束?

      20170720楢原小学校中山分校02


      20170720楢原小学校中山分校03


      20170720楢原小学校中山分校04


      20170720楢原小学校中山分校05




廃校後は、中山古民具館として活用されていたのでしょう。

      20170720楢原小学校中山分校06

現在はしっかりと施錠され、倉庫のような使われ方をしているようです。



校舎前には朽ちた児童用の椅子。

      20170720楢原小学校中山分校07

錆びた金属パイプだけになっています。



お世辞でも広いとは言えない校庭。

      20170720楢原小学校中山分校08

でも山間部の小さな分校ではちょうど良い広さ。

残念ながら、廃校記念碑など無く、遊具も残っていません。

      20170720楢原小学校中山分校09


敷地の隅には、一里塚の碑。

      20170720楢原小学校中山分校10

まさしく、下野街道の遺構。

この先にある大内宿がスポットを浴びちゃったけれど
この地も下野街道の一部。


学校が在るほどの集落だったのに、
真夏の平日の昼間だから仕方ないかも知れないけれど、
今は人も見かけない集落なんですね。


ちょっぴり、寂しいものです。





2017/08/09 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

じろいもんの滝  (2017年7月20日)(福島県会津郡下郷町) 

7月20日  公休日

7月20日〜21日に福島県の南会津地方に出かけました。
私にとっては、廃校巡りに滝巡り、そしてダムカード集めの旅。

偶然知り得た じろいもんの滝 に立ち寄ってみました。


じろいもんの滝は、『戸赤の山桜』で有名な下郷町の戸赤集落の奥にある
上段2m、下段5m程度の二段の滝です。
ほとんど知れ渡っていない滝で、戸赤分校を探している時に
現地の案内看板で見つけた滝です。
『じろいもんの滝』のいわれは不明ですが、
何とも奇妙な名前ですね。


さて、肝心の『じろいもんの滝』ですが、
戸赤分校近くの案内看板のそばに居た数人のおじさんに

『せっかく、こんな山奥まで来たんだから、見て行きな!』

と詳しく道を教えてもらったのに、ちょっぴり迷いました。
滝の近くまで車で行けるって言われたんだけど
滝に至る脇道が余りにも狭い道なので躊躇しちゃいました。
とても転回してUターン出来る気がしない。

脇道近くの水車小屋のあるお土産屋(?)のおじさんに聞いたら
そのおじさんが滝周辺の下草を刈ったり、手作りの標柱を建てたりして
個人的に管理しているらしい。
車も数台置けるスペースを確保しているらしい。
当然、転回するスペースもあるらしい。




てな訳で、狭い脇道に入って行き止まりの広いスペースが駐車場。
無事、『じろいもんの滝』に到着です。


先ほどの水車小屋のおじさんの手作りの標柱。
 
      20170720じろいもんの滝01

この場所から、下草を刈られた獣道(?)を30mほど下れば
じろいもんの滝が見えて来ます。


一応、ここが観瀑台になるんでしょう。

      20170720じろいもんの03


      20170720じろいもんの02

木々が邪魔して、景観は今一歩。



河原に降りれると言うことなので、さらに下って行きます。

      20170720じろいもんの04




河原に降りたものの、意外に水量がある。

      20170720じろいもんの05


長靴を履いているけど、深い所は膝ぐらいまで川の水はあるし、
何より岩場は濡れていて、川苔も有って滑りやすい。
滝壺近くまで行きたかったんだけど...............

危ないからね。

素直に諦めました。



ちょっぴり遠目の じろいもんの滝 。

      20170720じろいもんの08



上下2段の滝だけど、この位置からだと下段しか見えない。

      20170720じろいもんの09


望遠レンズでズームアップ。

      20170720じろいもんの10



びいすけ と じろいもんの滝 。

      20170720じろいもんの06


      20170720じろいもんの07



周りに木々が多いから、木々が色付く紅葉の時期に来たら
赤やオレンジの中に、滝の流れが白く映えるんだろうなぁ...............。



2017/08/08 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit