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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

父さんの廃校巡り  《三井小学校》   (2023年10月4日)(長野県佐久市) 

10月4日  

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

この日の目的地は小諸市。
でもその前に、近隣都市の廃校なども巡ります。

志賀小学校をあとにして、向かった先は..........佐久市立三井小学校。


三井小学校は

明治22年   市町村制実施に伴い香坂村・新小田村・安原村が合併し三井村が誕生。
        三井尋常小学校が開校する。
大正6年    高等科を設置。
昭和22年   学制改革により三井村立三井小学校と改称する。
        敷地内に三井村立三井中学校を併設。
昭和30年   三井村と志賀村が合併して東村となる。
        東村立三井小学校と改称する
昭和33年   敷地内にあった三井中学校が東村立東中学校が開校することにより
        移転し廃校となる。
昭和36年   東村が浅間町、中込町、野沢町と合併して佐久市が発足。
        佐久市立三井小学校と改称する。
平成2年     三井小学校と志賀小学校が合併して新たに佐久市が東小学校が開校する。
        三井小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


正門跡。

     20231004三井小学校01


門柱。

     20231004三井小学校02


門柱の脇に建つ看板。

     20231004三井小学校03

現在、三井小学校の跡地は『シルバーランドみつい』と言う
特別養護老人ホームになっています。


外観から見た感じでは、三井小学校の校舎を
特別養護老人ホームとして活用しているようです。
まぁ、内部はリノベーションしているとは思いますが...........

でも、廃校から30年以上が経っている。
ひょっとしたら、校舎は解体して新たに老人ホームとして
建てたものかもしれない。

     20231004三井小学校04

建物の中に入れないから確認が出来ない。


でも、聳える3本の旗竿は、小学校の国旗掲揚ポールに見えるんだよなぁ。

     20231004三井小学校05


     20231004三井小学校06


     20231004三井小学校33



正面玄関前。

     20231004三井小学校07


そのまま進み、建物の左側奥へと足を進めると............


碑が並んでいる。

     20231004三井小学校08



こちらは、『三井小学校跡地』碑。

     20231004三井小学校09


裏面には沿革も刻まれている。

     20231004三井小学校10



創立八十周年記念碑。

     20231004三井小学校14


開校九十周記念碑。

     20231004三井小学校17



二宮像。

     20231004三井小学校15


     20231004三井小学校16


明治16年に建てられた碑(?)。

     20231004三井小学校11


一見すると、神社の旗杭のようにも見えなくもない。

     20231004三井小学校12




こちらは即位記念碑。

     20231004三井小学校13

昭和天皇が即位したのを記念して建立されたようです。


皇紀ニ千六百年記念碑。

     20231004三井小学校18

昭和15年(1940年)は、明治政府が定めた日本独自の紀元法では
神武天皇即位紀元(皇紀)の2600年にあたるため、
各地で紀元2600年祝賀行事として記念式典が挙行されたらしい。



正門脇の桜の木。

     20231004三井小学校19


     20231004三井小学校20



校庭。

     20231004三井小学校21


     20231004三井小学校26


     20231004三井小学校27



校庭奥にも門が残っている。

     20231004三井小学校22

 

石造りの古い門柱。

     20231004三井小学校23

こちらが、本来の正門だったのかもしれない。



門柱に残る往時の表札。

     20231004三井小学校24



こちらには地番が刻まれている。

     20231004三井小学校25



校庭に残る遊具類。
     
     20231004三井小学校28


     20231004三井小学校29


     20231004三井小学校30

特養老人ホームだから、遊具を使う者は居ないから
雑草が微妙に進出してきている。


校庭に置かれた石。

     20231004三井小学校31

石と言うより岩?


『のぼる石』とある。

     20231004三井小学校32

こども達がこの石に登って遊んでいたのだろうか?



百葉箱。

     20231004三井小学校34


特別養護老人ホームになってしまったけれど
この地は紛れもなく小学校跡でした。








2024/03/14 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの廃校巡り  《志賀小学校》   (2023年10月4日)(長野県佐久市) 

10月4日  

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

この日の目的地は小諸市。
でもその前に、近隣都市の廃校なども巡ります。

向かった先は..............佐久市立志賀小学校。


志賀小学校は、

明治6年    志仁(しじん)学校として法禅寺境内に創立。
明治13年   駒込分教場を創設。
明治15年   北佐久郡第十八番学区志賀学校となる。
明治19年   尋常小学志賀学校と改称する。
明治34年   志賀尋常高等小学校となり、現在地に新築移転。
昭和22年   学制改革により志賀小学校と改称。
昭和30年   東村立志賀小学校となり、
昭和36年   市町村合併により佐久市立志賀小学校と改称する。
昭和40年   駒込分校を本校に統合する。
平成2年    三井小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっています。



美しい木造校舎が残り、閉校後は佐久市文化財課が使用していまぢたが、
その佐久市文化財課も2017年(平成29)年に移転してしまい、
跡地は、現在は使用されていないらしい。
建物は南校舎と北校舎、体育館から成り、渡り廊下で接続されていましたが
体育館は近年、解体されてしまったようです。



かつての正門。

     20231004志賀小学校01


門柱。

     20231004志賀小学校02


近くで道路工事が行われているようで
関係者の車が敷地内に置かれている。

     20231004志賀小学校40


この辺りに、かつてはプールが在ったようです。

     20231004志賀小学校41



正門脇には、碑が建っているけれど、何の碑か分からない。
と言うのも碑文の書体が古くて判別出来ない.........

     20231004志賀小学校03


白い壁の南校舎。

     20231004志賀小学校04

小学校脇の細い通りを南校舎沿いに歩いてみる。


L字型の形をした南校舎。

     20231004志賀小学校06




こちらは、1873年(明治6年)に建てられた志仁学校を移築したもの
南校舎の脇に建っている。

     20231004志賀小学校05

志賀小学校の歴史そのものですね。
ちなみに、閉校前は倉庫として使われていたと言うことらしい。
   



こちらは、給食室と会議室のあった棟。

     20231004志賀小学校07


     20231004志賀小学校08




こちらが北校舎。

     20231004志賀小学校09


木造二階建て。
給食室と会議室があった棟と渡り廊下で繋がっている。

     20231004志賀小学校10


その渡り廊下。

     20231004志賀小学校11


北校舎の中を見学させてもらいます。

     20231004志賀小学校12



木造校舎独特の雰囲気を感じる。

     20231004志賀小学校13

それは視界入る感覚と肌で感じる空気感。


ついでに他の校舎にも足を進めます。

     20231004志賀小学校14


予定表の黒板には予定も入っていない。

     20231004志賀小学校15

それは、当たり前。
今は使われなくなった予定表。


渡り廊下。

     20231004志賀小学校16


下駄箱が何とも言えない雰囲気を醸し出している。

     20231004志賀小学校17


北校舎脇に聳える木。

     20231004志賀小学校18

ある意味シンボルツリー。


別アングルからの北校舎。

     20231004志賀小学校19


     20231004志賀小学校20


     20231004志賀小学校21


     20231004志賀小学校22


     20231004志賀小学校23


     20231004志賀小学校24


     20231004志賀小学校25


志賀小学校のメインはやっぱり北校舎になるんだろうか..........?


こちらは北校舎と南校舎の間に立つ棟。

     20231004志賀小学校26

やはり、木造校舎。


どうやら、志賀小学校は南校舎と北校舎を繋ぐように増築をしたため
小さな校舎も存在する。

     20231004志賀小学校27


     20231004志賀小学校28


     20231004志賀小学校30



使われなくなったローラー。

     20231004志賀小学校29



水飲み場。

     20231004志賀小学校31



こちらは、校庭。

     20231004志賀小学校32


現在は少年野球のグランドとして活用されているようです。

     20231004志賀小学校33


     20231004志賀小学校34



校庭の端っこに残る遊具類。

     20231004志賀小学校35


     20231004志賀小学校36


     20231004志賀小学校37


     20231004志賀小学校38


そして、防災倉庫。

     20231004志賀小学校39


数年前には体育館が残っていたと言う志賀小学校(跡)
木造の北校舎、南校舎はいつまで残っているんだろうか.........?
いつまで、その姿を留めていてくれるのだろうか........?




2024/03/13 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの城址巡り  《梨子沢城館》   (2023年10月4日)(長野県北佐久郡御代田町) 

10月4日  

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

伍賀小学校をあとにして、
向かった先は..........梨子沢城館

実は、当初の予定では、梨小沢城館へ行く予定はありませんでした。
って言うか、梨子沢城館の存在そのものを知りませんでした。
伍賀小学校近くの案内板に梨小沢城跡と載っていたので
予備知識もないまま、『ついでだから、行っちゃえ!』的なノリで
ついつい城好きの虫が騒ぎ出しちゃいました(笑)。



梨子沢城館は、鎌倉時代の承久3年(1221年)に大井庄司によって
築かれたのがその始まりとされています。
以後、大井氏は、この地域の支配者となり、
梨子沢城の周辺に向城、宮平城と言った城館群を配置して、
梨子沢城館の守りを固めていたとされています。



こちらが梨子沢城館の縄張り図。

     20231004梨沢城館縄張り図

( 余湖さんのHPよりお借りしました。 )



城址の標柱が建っているのは、豊昇神社の境内。

     20231004梨沢城館01


     20231004梨沢城館04



こちらが豊昇神社の拝殿。

     20231004梨沢城館02



境内の城址標柱。

     20231004梨沢城館.03


     20231004梨沢城館05


拝殿脇に並ぶ碑。

     20231004梨沢城館06


その碑の先、谷の向こうの対崖の先には向城。

     20231004梨沢城館07



神社は台地頂部に位置し、拝殿脇には祠も並んでいる。

     20231004梨沢城館08


麓から登って来た道は神社の辺りから梨沢集落が始まる。

     20231004梨沢城館09


梨沢集落そのものが、梨小沢城館であったとされているようです。
集落が城域であったと言った方が的確とも言えるようですね。




こちらは、泉珠院。

     20230625山方城0710


     20231004梨沢城館11


     20231004梨沢城館12



集落の奥へと進みます。

     20231004梨沢城館13


100m四方のような区画を作るように集落の中の道を進みます。

     20231004梨沢城館14


この辺りは、公園のような空き地。

     20231004梨沢城館15


学校跡っぽくも見えるけど、それらしき碑は無い。

     20231004梨沢城館16

いずれにしても、城郭としての遺構も殆ど残っていない梨子沢城館。
旅先でのオマケとも言える、城址巡りでした。


2024/03/12 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの廃校巡り 《伍賀小学校》    (2023年10月4日)(長野県北佐久郡御代田町) 

10月4日

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

御代田小学校をあとにして、
向かった先は..........御代田町立伍賀小学校。


伍賀小学校は、

明治8年   第十七中学区第二十四番小学 公立周度学校が創立される。
明治11年   第十一中学校区第九十六番公立豊昇学校が設置される。
明治22年   豊昇簡易学校と開校する。
明治24年   伍賀尋常小学校となる。
大正3年    現在地に移転。
大正9年   伍賀尋常高等小学校と改称する。
昭和22年   学制改革により伍賀村立伍賀小学校と改称する。
昭和31年   伍賀村と御代田村、小沼村が合併して御代田町が発足。
       御代田町立伍賀小学校と改称する。
昭和52年   伍賀小学校と御代田小学校の一部が統合して
       御代田町立御代田南小学校が開校する。
       伍賀小学校は閉校となる。

と、このような沿革となっています。



伍賀小学校の跡地に立つ避難場所の看板。

     20231004伍賀小学校01

その脇には、『佐久広域老人ホーム 豊昇園』の立て看板も見える。

廃校後、校舎は解体されて、有料老人ホームが建てられたようです。


フェンス越しに見る施設。

     20231004伍賀小学校02


敷地境界に建つ碑。
一つは学校碑。校名が刻まれている。

     20231004伍賀小学校03



そして、こちらが校歌の碑。

     20231004伍賀小学校04


裏面には沿革が刻まれている。

     20231004伍賀小学校05


かつての通学路のスロープを下っていきます。

     20231004伍賀小学校06


こちらが正門跡(?)

     20231004伍賀小学校07

ひょっとしたら、この門は新たに作られたモノかもしれない。



門の脇には定礎碑。

     20231004伍賀小学校08

昭和57年着工、昭和58年竣工とある。
施設(老人ホーム)の定礎碑だと思うんだけど..........


その施設の建物。

     20231004伍賀小学校09


築40年になる計算になる。

     20231004伍賀小学校10


     20231004伍賀小学校11


校庭跡。

     20231004伍賀小学校12



このモニュメントは、伍賀小学校時代のモノだと思われる。

     20231004伍賀小学校13


この杉の木は往時のシンボルツリーだったんでしょう。

     20231004伍賀小学校14


校庭の端から施設の建物を眺めてみます。

     20231004伍賀小学校15

きっと、こんな感じで校舎が建っていたんでしょうね。


敷地の片隅に忘れられたように置かれた教材用の丸ポスト。

     20231004伍賀小学校16


敷地内には(敷地との境界エリアも含めて)二宮像は無いし、 
校庭跡には遊具類も残っていない。
そして、お約束とも言える消防関連の施設や倉庫も無い。



2024/03/12 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの廃校巡り 《御代田小学校》    (2023年10月4日)(長野県北佐久郡御代田町) 

10月4日 

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

小沼小学校をあとにして、向かった先は..........御代田町立御代田小学校

御代田小学校は

明治6年    小田井村宝珠院に革成学校として開校。
明治8年    四ヶ村が合併して小田井村が御代田村となり
        御代田村革成学校となる。
明治15年   御代田村御代田学校となる。
明治18年   御影学校御代田支校となる。
明治19年   小学校令により御影尋常小学校御代田支校となる。
明治22年   御代田村立御代田尋常小学校となる。
明治42年   現在地に校舎建設。
大正10年   御代田尋常高等小学校となる。
昭和22年   学制改革により、御代田村立御代田小学校となる。
昭和31年   御代田村、小沼村、伍賀村が合併して御代田町となる。
       御代田町立御代田小学校となる。
昭和52年   御代田北小学校と御代田南小学校に分割されて廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


かつての登校路に立つ避難場所の看板。

     20231004御代田小学校01

そこには『旧御代田小跡』とある。
要するに、御代田小学校跡と言うことです。


廃校後、校舎は解体され、敷地には御代田町立地域福祉センター
(ハートピアみよた)が建てられ、敷地の一部は公園となっている。

     20231004御代田小学校02



おそらく、福祉センターが建てられた時に作られた通用口。

     20231004御代田小学校03
 


車の出入りはこちらが使われています。

     20231004御代田小学校04



こちらが、かつての正門。

     20231004御代田小学校05

車両は進入禁止。


敷地正面に『ハートピアみよた』と刻まれた碑。

     20231004御代田小学校06

てっきり、学校跡碑かと思ったけれど違っていた。



玄関脇に建つ像。     

     20231004御代田小学校07

遠目から見たら、一瞬、二宮像に見えてけれど
これも違っていた。


校舎が解体された新たに建てられた福祉施設の建物。

     20231004御代田小学校08


     20231004御代田小学校13


     20231004御代田小学校14

かつての校庭は、公園(グランド?)として活用されているようです。
それにしては広いように見える。

     
20231004御代田小学校09


      20231004御代田小学校10


     20231004御代田小学校11


     20231004御代田小学校12



廃校跡のお約束とも言える防災倉庫も置かれている。

     20231004御代田小学校15



敷地内に学校遺構はないかと探していると...........


御代田小学校跡碑が在りました。

     20231004御代田小学校16



裏面には沿革が刻まれている。

     20231004御代田小学校19



植樹された植木に隠れるように、こんな碑も建っています。
北佐久農業高等学校御代田分校跡とあります。

     20231004御代田小学校17



裏面。

     20231004御代田小学校18

その沿革が刻まれています

昭和11年に旧御代田中学校の校舎の一部を借用し開校。
昭和51年に廃校となったようです。

と言うことは、この地は御代田小学校の跡地でありますが
御代田中学校の跡地でもあり、
北佐久農業高等学校御代田分校跡でもあると言うことらしい。


それで、校庭跡と言うか、公園として使われているエリアが広いと感じた理由が
少しだけ分かったような気がします。









2024/03/11 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの廃校巡り 《小沼小学校》    (2023年10月4日)(長野県北佐久郡御代田町) 

10月4日   

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

軽井沢町で丸ポスト探しをいた後は、国道18号を西下。
お隣の御代田町へと車を走らせます。

向かった先は..........御代田町立小沼小学校

小沼小学校は、

明治6年に馬瀬口村に開校した誠身学校と
同じく明治6年に塩野村開校した所文学校が始まりとされています。

明治22年    馬瀬口村と塩野村が合併して小沼村が発足。
        小沼尋常小学校となる。
明治35年    現在地に校地移転。
明治36年    高等科を併置する。
昭和22年    学制改革により小沼村立小沼小学校と改称する。
昭和31年    小沼村と御代田村・伍賀村が合併して御代田町が発足。
         御代田町立小沼小学校と改称する。
昭和52年    小沼小学校と御代田小学校の一部が統合して御代田町立御代田北小学校が開校。
         小沼小学校は閉校となる。


と、このような沿革となっています。

ネットで事前に調べた情報だと、学校跡はJAの施設になっているようです。


こちらが、その施設。

     20231004小沼小学校01

看板は建てられていないけれど
JA佐久浅間御代田支所中央集荷所と言うらしい。

廃校後、校舎は解体され、敷地の多くを屋根付きの集荷所の建物が占めている。


駐車場。

     20231004小沼小学校02


こちらは、倉庫と管理練。

     20231004小沼小学校03



おそらく、この辺りに正門があったのでしょう。

     20231004小沼小学校04

入口の木々は往時からのもの?


これらの木々はきっと小沼小学校時代からのものでしょうね。

     20231004小沼小学校05


     20231004小沼小学校06


残念ながら、敷地内には小沼小学校の名を残すモノはなく
学校跡を彷彿させるのは、大きな桜の木ぐらいしかない。

     20231004小沼小学校07


     20231004小沼小学校08


敷地の外周。
前を走る県道沿いに石碑を発見。

     20231004小沼小学校09



近付いてみると、石碑が並んでいた。


こちらは、小沼小学校の校歌の碑。

     20231004小沼小学校10



こちらは『小沼小学校閉校記念碑』。

     20231004小沼小学校11


     20231004小沼小学校12



そして、こちらも記念碑なのだが、
碑文が読めない。

     20231004小沼小学校13


何かの記念碑なのだが、いわゆる標準的な漢字ではないので
恥ずかしい話、読めない。(学力の無さを痛感します)、そして意味がわからない。
〇〇記念碑と読めるんだけどね..........

     20231004小沼小学校14

小沼村と読めるので、学校関連ではなく
小沼村に関する記念碑の類だと思われます。


でも、単なるJAの集荷所にしか見えない敷地でも
閉校記念碑が残っていれば、学校跡だと分かりますね。


2024/03/10 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの丸ポスト探し 《軽井沢町③》        (2023年10月4日)(長野県北佐久郡軽井沢町)  

10月4日 

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

この日の目的地は小諸市。メインとなるのは小諸城。
でも、小諸へ行く道すがら、ほぼ隣町とも言える軽井沢に立ち寄ります。

以前調べたのですが、長野県内には290基の丸ポストが現存し
軽井沢町には22基の丸ポストが現存していたようです。(2017年8月)。

まあ、今から6年以上の前の情報ですから、今では数も減っていると思いますが
当時、その22基の丸ポストを制覇しようと考えてはいましたが
具体的には何もせず、偶然に丸ポストと出会ったりしました。


1回目の軽井沢の丸ポスト探し
2回目の軽井沢の丸ポスト探し

偶然とは、これまでに3基の丸ポストに出会えた訳だから
機会があれば、残りの19基にも出会いたい。

今回、軽井沢町を通るのだから、意識的に丸ポストを探してみよう。
と言う事で、軽井沢町の丸ポスト探し。


この日1基目の丸ポストは、軽井沢町長倉
塩沢湖前の丸ポスト。

     20231004丸ポスト軽井沢01


     20231004丸ポスト軽井沢02


     20231004丸ポスト軽井沢03


     20231004丸ポスト軽井沢04


     20231004丸ポスト軽井沢05


     20231004丸ポスト軽井沢06


     20231004丸ポスト軽0井沢07




この日2基目の丸ポスト。
軽井沢町長倉、十二屋前の丸ポスト。

     20231004丸ポスト軽井沢08


     20231004丸ポスト軽井沢09


     20231004丸ポスト軽井沢10


     20231004丸ポスト軽1井沢11


     20231004丸ポスト軽井沢12


     20231004丸ポスト軽井沢13


     20231004丸ポスト軽井沢14






この日3基目の丸ポスト。
軽井沢町長倉、木村屋前の丸ポスト。

     20231004丸ポスト軽井沢15


     20231004丸ポスト軽1井沢16


     20231004丸ポスト軽井沢17


     20231004丸ポスト軽井沢18


     20231004丸ポスト軽井沢19


     20231004丸ポスト軽井沢20


     20231004丸ポスト軽井沢21





この日、4基目の丸ポスト。
軽井沢町中軽井沢、ローソン中軽井沢駅前店前の丸ポスト。

     20231004丸ポスト軽2井沢2


     20231004丸ポスト軽井沢23


     20231004丸ポスト軽井沢24


     20231004丸ポスト軽井沢25


     20231004丸ポスト軽井沢26


     20231004丸ポスト軽井沢27


     20231004丸ポスト軽井沢28





この日5基目の丸ポスト。
軽井沢町長倉、白馬理容室前の丸ポスト。

     20231004丸ポスト軽井沢29


     20231004丸ポスト軽井沢30


     20231004丸ポスト軽井沢31


     20231004丸ポスト軽井沢32


     20231004丸ポスト軽井沢33


     20231004丸ポスト軽井沢34


     20231004丸ポスト軽井沢35



この日6基目丸ポスト。
軽井沢町長倉、島田商店前の丸ポスト。
  
     20231004丸ポスト軽井沢36


     20231004丸ポスト軽井沢37


     20231004丸ポスト軽井沢38


     20231004丸ポスト軽井沢39


     20231004丸ポスト軽井沢40


     20231004丸ポスト軽井沢41


     20231004丸ポスト軽井沢42


これで、この日の軽井沢町の丸ポスト探しは終了。
今回は小諸へ向かう国道18号沿線、
もしくは、その近くの丸ポストに絞ってみた。
まだまだ、軽井沢町には10数基の丸ポストが在るようです。

いずれまた、調べ直してチャレンジしてみたいと思っています。




2024/03/09 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの廃校巡り  《原市小学校 郷原分校 》    (2023年10月4日)(群馬県安中市) 

10月4日 

10月4日〜6日まで、個人的な3連休。
この3連休を利用して、長野県に出かけました。
その初日。

この日の目的地は小諸市。
メインとなるのは小諸城。
でも、小諸へ行く道すがら、廃校や丸ポストなどを巡って行きましょう。


という事で、立ち寄った先は.........安中市立原市小学校郷原分校。


郷原分校の詳細な沿革は不明ですが
本校である原市小学校のHPに記載されている沿革によれば
明治期に創設された郷原小学校がその始まりのようです。

明治17年   第86学区碓氷第二小学校の第四分校となる。
明治22年   原市村が町制施行して原市町となる。
       原市尋常小学校第四分校と改称する。
昭和22年   学制改革により原市町立原市小学校郷原分校となる。
昭和30年   安中町・原市町・磯部町・板鼻町・東横野村・岩野谷村・秋間村・
       後閑村が合併し、新たに安中町となる。
       安中町立原町小学校郷原分校と改称する。
昭和33年   安中町が市制施行して安中市となる。
       安中市立原市小学校郷原分校と改称する。
平成22年   郷原分校が休校となる。  
平成23年   郷原分校が廃校となる。

と、このような沿革だったようです。


かつての正門。

     20231004郷原分校01



門柱。

     20231004郷原分校03

表札は既に外されている。


門柱の脇には、看板が残っている。

     20231004郷原分校02


広いとは言えない校庭の奥に校舎が見える。

     20231004郷原分校04


鉄筋コンクリート造りの校舎。

     20231004郷原分校05


校舎は地域の学童保育の拠点として再活用されているようです。

     20231004郷原分校06


玄関の貼り紙をみてびっくり‼️

     20231004郷原分校07

イノシシが出没するんですね。


分校故、生徒も多くなかったのか?
校舎はそんなに大きくはない。

     20231004郷原分校08


別アングルからの校舎。

     20231004郷原分校09


     20231004郷原分校10


     20231004郷原分校11


     20231004郷原分校12


     20231004郷原分校13



校庭に残る遊具類。

     20231004郷原分校14


     20231004郷原分校15


     20231004郷原分校16


     20231004郷原分校17


     20231004郷原分校18


     20231004郷原分校19


     20231004郷原分校20


校舎も遊具も残っているが、
二宮像や廃校記念碑、閉校記念碑、学校跡碑と言った関連の碑はない。
残念と言えば、残念になってしまう。



2024/03/08 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの御朱印巡り  《白鷺神社》   (2023年9月30日)(栃木県河内郡上三川町) 

9月30日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。
その帰り道、上三川町の白鷺神社へ立ち寄りました。



白鷺神社は、上三川町しらさぎ1丁目に鎮座する神社です。

延暦二年(783年)、疫病が大流行した時、国守平松下野守(文野高島)が
日本武尊の神託によって、疫病退散の祈願のため一祠を建てて祀ったのが
その始まりと伝えられています。
御祭神である日本武尊は、代十二代景行天皇の御子として、
日本が一つにまとまり、豊な国となるよう全国を旅されました。
それは、人々の平安を祈りながらの旅でありました。
命がお亡くなりになられた後、白鳥と化して飛び立ったことから、
白鳥が飛来し、人々の生活を見守った話など、
命に関する話は数えきれないほど伝えられています。

後世になり、建長元年(1249年)、横田頼業が上三川城を築城した時、
宇都宮の二荒明神の祭神 豊城入彦命を勧誘して相殿に祀りました。
康暦二年(1380年)小山義政が上三川城を攻めた時、
明神の森に群れて飛交う白鷺を多くの旗と見誤り、戦わずして退去し、
その時より、白鷺明神と云われるようになったとの逸話が残っています。

御祭神は、日本武尊。
相殿として、大己貴命、事代主命、豊城入彦命。



社号標。

     20230930白鷺神社01



神社社頭。

     20230930白鷺神社02



とりいのさき、参道右には『白鷺会館』。

     20230930白鷺神社03

参集殿のような建物ですね。


その向かいには八坂神社。

     20230930白鷺神社04


     20230930白鷺神社05


参道を進めば、神門が見えてくる。

     20230930白鷺神社06



神門の手前には狛犬。

     20230930白鷺神社08


     20230930白鷺神社09



神門。

     20230930白鷺神社10


     20230930白鷺神社07



神門をくぐれば手水舎。

     20230930白鷺神社11



手水舎の吐水口は白鷺。

     20230930白鷺神社12



こちらは西参道口。

     20230930白鷺神社13


西参道口の鳥居の説明板。

     20230930白鷺神社14



由緒書きというか、御祭神である日本武尊nについての説明板。

     20230930白鷺神社15



西参道口の手水舎。

     20230930白鷺神社16



拝殿。

     20230930白鷺神社17



向拝。

     20230930白鷺神社18



拝殿正面。

     20230930白鷺神社19


     20230930白鷺神社20


     20230930白鷺神社21



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20230930白鷺神社22



別アングルからの拝殿。

     20230930白鷺神社23


     20230930白鷺神社24



そして、こちらが本殿。

     20230930白鷺神社25



拝殿正面に飾られた提灯。

     20230930白鷺神社26


境内社。

     20230930白鷺神社31

左から雷電宮、愛宕神社、出雲神社。


境内社・雷電宮。

     20230930白鷺神社29



境内社・愛宕神社。

     20230930白鷺神社28



境内社・出雲神社。

     20230930白鷺神社27



境内社・白鷺天神。

     20230930白鷺神社32



境内社。

     20230930白鷺神社30



神楽殿。

     20230930白鷺神社33



境内の神橋。

     20230930白鷺神社35



神橋の説明板。

     20230930白鷺神社34


こちらは、「平和の剣」。

     20230930白鷺神社36


     20230930白鷺神社37


「平和の剣」を祀る「翔舞殿」。

     20230930白鷺神社38


その説明板。

     20230930白鷺神社40



翔舞殿の前には、狛犬代わりに対の白鷺が建っている。

     20230930白鷺神社39


     


     20230930白鷺神社41


こちらが授与所。

     20230930白鷺神社42


御朱印はこちらでいただけます。

     20230930白鷺神社43


     20230930白鷺神社44



そして、いただいた御朱印。

     20230930白鷺神社45


御朱印帳に直書きしていただきました。



2024/03/07 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅に立ち寄ろう  《道の駅 うつのみや ろまんちっく村》    (2023年9月30日)(栃木県宇都宮市) 

9月30日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。
バイパスになるけれど、会津西街道、日光街道と車を走らせ
宇都宮市に入りました。
宇都宮市と言っても、日光市との市境、徳二郎町。
日光街道の徳次郎交差点を日光方面から来て右折。
しばらく車を走らせていると、こんな看板が現れます。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村01

見慣れたフォーマットの看板。


道の駅の看板です。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村02

『トマンチック村』って、まぁ何ともロマンチックなネーミング。


大きな看板も建っている。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村03


     
無料駐車場が1000台って..............凄い!!

    20230930道の駅うつのみやろまんちっく村04


駐車場のフェンスには色々な看板が掲げられている。

新鮮野菜直売所。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村05

これは、道の駅の基本中の基本ですね。



フードコーナー。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村06

こちらは、フードコートのようですね。

     

レストラン。

     20230930道の駅うつ0のみやろまんちっく村07

コレも道の駅の基本。


地ビール。

    20230930道の駅うつのみやろまんちっく村08

う〜む、コレは微妙。
道の駅って車で来る人がほとんどだから
飲酒運転に繋がらなければ良いんだけど.............



ポケットパーク。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村11

今や、子供連れには施設内に公園は当たり前。



天然温泉・プール。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村09

ある意味、娯楽施設のような道の駅。



宿泊施設。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村10

もうこれは、道の駅の発展系。
泊まれちゃうんだもんね。


道の駅も進化しているって言うのを具現化していますね。



施設入口の碑(表札)。

     20230930道の駅うつ1のみやろまんちっく村13



駐車場への導線。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村12



駐車場。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村14


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村15

大型:12台 普通車:1100台が駐車可能と言うことらしい。



入口。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村16

まるで遊園地の入場ゲートのような雰囲気。



敷地内の案内図。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村17


時期的にこんな飾り付け。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村18



総合案内所。

     20230930道の駅うつのみや1ろまんちっく村19



道の駅のスタンプはこちら。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村20



産直野菜の直売所。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村21


入口付近には生花が置かれている。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村22



道の駅と言ったら、やっぱりコレ、産直野菜。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村24


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村25


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村27



旬の果物も豊富。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村26


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村31



お土産コーナーもあり。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村23


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村28


惣菜コーナー。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村30

パンも美味しそう。



こちらは情報コーナー。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村32



近隣の観光地のパンフレットが置かれています。

     20230930道の駅うつのみや4ろまんちっく村1



こちらは。フードコーナー(フードコート)。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村33


外にテーブルが置かれているから、
犬連れでも問題は無さそう。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村34



レストラン。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村38


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村40



美味しそうなメニュー看板。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村39

     
20230930道の駅うつのみやろまんちっく村35


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村36



こちらはイベント広場?
テーブルが置かれているけど、ステージのようですね。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村37

休日にはちょっとしたイベントが開催されるのでしょうね。


そして、宿泊施設やプール、温浴施設もあり。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村51

犬連れも安心。
敷地内にはドッグランも有り。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村44


ペットホテルやトリミングハウスも有ります。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村42



道の駅の切符。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村45


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村46



こちらは、期間限定の非売品の切符。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村47


一定額以上の買い物をすれば、貰えます。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村48

総合案内所でレシートを見せてしっかり手に入れました。



道の駅のスタンプ。

     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村49


     20230930道の駅うつのみやろまんちっく村50


栃木県内に25ヶ所ある道の駅。
その中でも比較的新しい道の駅。
単なる野菜の直売所だけにとどまらず、いろんな施設を併設して
道の駅の新しい形を具現化している道の駅。

今後、このような道の駅が増えていくんでしょうね。





2024/03/05 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの城址巡り  《徳次郎城》   (2023年9月30日)(栃木県宇都宮市) 

9月30日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。
バイパスになるけれど、会津西街道、日光街道と車を走らせ
宇都宮市に入りました。
宇都宮市と言っても、日光市との市境、徳次郎宿のあった徳次郎町。
その徳次郎町に気になる城址が在ります。

先月(2023年8月)徳次郎宿に訪れた時に
詳しい場所も知らなかったし、時間も無かったので
パスしてしまった城址。
今回はしっかりと訪れたのは..........徳次郎城址


徳次郎城は、後北条氏と手を結んで
宇都宮侵攻を企てる日光山僧兵の動きを封じるために、
戦国時代に宇都宮国綱の家臣であった新田徳次郎昌言によって
築かれたと云われています。
宇都宮市国綱が改易となったのにともない、
新田義定の時に廃城となったとされています。

田川の西岸に造られた平城です。
東西200m、南北400m程度の長方形の縄張りを持ち
城跡の東側を田川が流れ、田川の段丘上に構築されている。
全部で5つの曲輪から成り、それぞれの曲輪間は幅10m、
高さ4m以上の空堀で分けられている。
さらに本曲輪の周囲には空堀に加え土塁が構築され、
さらに北側と東側の空堀は二重に巡らされている。



こちらが、徳次郎城の縄張り図。

   も20230930徳次郎城01

   ( 余湖さんのHPからお借りしました。)



城址入口。

     20230930徳次郎城02

平城だから、一見すると単なる森のように見える。


50m先が徳次郎城。

     20230930徳次郎城03

背後に鳥居が見える。


鳥居。

     20230930徳次郎城39

鳥居の先には小さな社が鎮座している。
縄張り図によれば、この辺りは四郭になるようです。


城址入口に立つ説明板。

     20230930徳次郎城04


堀底道を進みます。


外堀。

     20230930徳次郎城05


     20230930徳次郎城06


外堀を二郭に向かって向かって進みます。

     20230930徳次郎城07



二郭の土塁。

     20230930徳次郎城08


     20230930徳次郎城09



この先が二郭。

     20230930徳次郎城10



二郭虎口。

     20230930徳次郎城11


二郭は木々に覆われている。

     20230930徳次郎城12


     20230930徳次郎城13


再びに空堀に降りて進みます。

     20230930徳次郎城14



倒木の先は内堀。

     20230930徳次郎城15


その内堀を左に進めば三郭にいたる。

     20230930徳次郎城16



内堀の右側は二郭、左は主郭。

     20230930徳次郎城17



倒木の根元側が二郭。

     20230930徳次郎城18



内堀もしっかり残っている。

     20230930徳次郎城19



内堀を進み主郭へと向かいます。

     20230930徳次郎城20




主郭虎口。

     20230930徳次郎城21


主郭も木々が茂る。

     20230930徳次郎城22


その木々の中に人が歩いた散策路(?)が残る。

     20230930徳次郎城23


その散策路に沿って主郭をぐるっと一周してみます。

     20230930徳次郎城24


主郭の周りを土塁がぐるっと張り巡らされている。

     20230930徳次郎城25


その土塁の上を移動しながら眺める郭内。

     20230930徳次郎城26


平城だから郭の外周の土塁と空堀ぐらいしか
遺構は確認できないけれど、
その空堀がしっかりとその姿をとどめている。

     20230930徳次郎城27


画像だと、その空堀が立体感を持って表現できないけれど
立派な空堀が横矢も描いている。

     20230930徳次郎城28


     20230930徳次郎城29


足元を気にしながら、主郭内部を移動。

     20230930徳次郎城30


主郭の中心部に城址碑などが建っていたりして...........

     20230930徳次郎城31



そんな期待を胸に主郭の中心部へ。

     20230930徳次郎城32

しかし、城址碑などはありませんねぇ。


再び、主郭の土塁の上を移動。

     20230930徳次郎城33


そして、主郭を探索。

     20230930徳次郎城34


     20230930徳次郎城35


     20230930徳次郎城36


     20230930徳次郎城37


     20230930徳次郎城38


方形の郭が空堀を挟んで連なっているような感じの徳次郎城。
縄張り図がないと迷ってしまいそうだけど
見応え、歩き応えのある城郭でした。

御城印は発行されていないけれど
もし、いつか発行されることがあるのならば、
その時にはまた訪城してみたい...............





2024/03/04 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの丸ポスト探し 《日光市⑥》 (2023年9月30日)(栃木県日光市) 

9月30日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。

たまたま2日前にネットで会津若松市や会津美里町の丸ポストの場所をチェックしていたら
日光市にいつの間にか丸ポストが新たに設置されている事が分かりました。

日光市の丸ポストは、過去5回に渡り22基の丸ポストに出会いました。
昨年(2022年)の秋に制覇したと思っていたのですが
どうやら見落としていたようです。


(1回目の丸ポスト探しの記事は こちら )
(2回目の丸ポスト探しの記事は こちら )
(3回目の丸ポスト探しの記事は こちら )
(4回目の丸ポスト探しの記事は こちら )
(5回目の丸ポスト探しの記事は こちら )


ポストマップと言うサイトによれば
2014年の10月2日に現存確認をされているようですから
完全な見落としのようですね。


日光市の23基目の丸ポスト。

中平町 けっこう漬本舗前の丸ポスト。

     20230930丸ポスト日光01


     20230930丸ポスト日光02


     20230930丸ポスト日光03


     20230930丸ポスト日光04


でも、コンクリートの基礎部は新しく見えるんだよなぁ。

     20230930丸ポスト日光05

9年前以上のコンクリートには見えないんだけど..,..


まぁ気にしたって仕方がない。
紛れもなく、正真正銘の日光市の現役の丸ポスト。

     20230930丸ポスト日光06


     20230930丸ポスト日光07


1日1回の集荷だけど、現役バリバリの丸ポスト。

     20230930丸ポスト日光08


これで、本当に日光市の丸ポスト制覇です。
(2023年9月29日現在で現存している丸ポスト)


これまでに、栃木県内のポストは

日光市①     5基
日光市②     6基
那須町①     1基
日光市③     9基
那須塩原市    3基
那須町②     1基
大田原市     1基
那須町③      1基
日光市④     2基
日光市⑤     2基
さくら市     1基
鹿沼市①      1基

と、33基の丸ポストに出会いました。


そして本日、日光市の丸ポストを1基追加。
合計34基の丸ポストに出会った事になります。


丸ポスト探しを始めた頃から
撤去されてしまったモノもあるので
栃木県には全部で幾つ?
制覇にはあと幾つ? って一概には、はっきりしないところですが

2023年9月末現在での情報になりますが

高根沢町  1基
茂木町   1基
益子町   2基
真岡市   3基
宇都宮市  2基
鹿沼市   4基
佐野市   5基
栃木市   7基
足利市   1基

のあと26基が現存しているようです。
可能な限り訪ね歩いてみよう




2024/03/03 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鶏頂山神社 里宮 (2023年9月30日)(栃木県日光市) 

9月30日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。

ホテルの朝食前に、ホテル近くを散歩に出かけました。

廃宿になった高原新田宿を偲んで
川治温泉郷にある鶏頂山神社の里宮に足を伸ばしてみました。


鶏頂山神社 里宮は、日光市川治温泉高原に鎮座する神社です。

元々は高原新田村の鶏頂山の山頂に鎮座している神社ですが
文久3年(1863年) 、会津西街道の高原峠越えが難所であった為、
栃久保新道開削により、高原峠往還は廃道となり、
高原新田村は廃村、高原新田宿は廃宿となってしまいました。
高原新田村の住民は現在の川治温泉街へと降りて(移住して)
麓に鶏頂山神社の里宮を創設したそうです。

御祭神は、猿田彦命。
配神として、事代主命・大国主命・大山祇命。



川治温泉高原会が設置した鶏頂山神社の説明板。
川治コミュニティハウスの前に立っていました。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮12



川治コミュニティハウスの脇の道を進みます。

     
その道が、川治平方山園地の登り口。
川治古道に至る道となる。
この道の先に鶏頂山神社の里宮がある。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮10

さらに先に進み、さらにその奥へと進めば廃村になった高原新田村、
高原新田宿へと行く事が出来るらしい。



少し進んで振り返ってみると、宿泊先の一柳閣本館が見える。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮11



参道。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮13

地元の愛犬家の散歩道になっているようですね。


社号碑。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮14



鳥居。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮16


手水鉢。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮17

雨水が溜まっているのか?
とてもこの水で手を洗う気にはなれない。


境内にも説明板。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮18



社殿。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮19


     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮21



境内の鳥居。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮20


境内社。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮22


参拝を済ませ、宿泊先に戻ります。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮23


手前に見える体育館のような建物が川治コミュニティセンター。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮24

奥に見えるのが、一柳閣本館。


朝早い散歩だから、朝風呂に入って朝食の時間に備えましょう。



露天風呂に入ってびっくり。

     20230929一柳閣本館33


左太腿の付け根って言うか、お尻に山蛭が一匹血を吸っていた。
痛くも無いけど、血を吸って膨らんでいた。
川治温泉の奥、廃宿になった高原新田宿に果敢にチャレンジして
山蛭の餌食になった方のblogを以前目にしたけれど
まさか、自分も山蛭の餌食になるとは.......


2024/03/02 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御宿場印を集めて  《会津西街道 高原新田宿》   (2023年9月30日)(栃木県日光市)  

9月30日  

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その最終日。

この日は日光市の川治温泉から千葉県の自宅へと帰ります。

ホテルの朝食前に、ホテル近くを散歩に出かけました。

そう言えば、この近く(と言ってもそれなりの距離があるんだけれど)に
会津西街道があったっけ.........。

福島県の会津若松市から栃木県日光市今市を結ぶ会津西街道。
江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備され、
会津の若松城下から下野国の今市に至る会津西街道。

その会津西街道には、藤原宿から五十里宿の間に高原新田宿がありました。

江戸時代の街道だから今とはちょっと違った道になる。
会津西街道は今市-大桑-高徳-大原-藤原と鬼怒川の渓谷沿いを進み、
川治から先の五十里間は男鹿川沿いに移動することが困難だったため、
藤原宿から高原峠を上がり、五十里へ抜ける道(高原越え、高原峠往還)を
通らざるを得ませんでした。

承応2年(1653年)、下総から来た香取家が街道を往来する旅人相手に
茶店を開いたのが始まりとされ、
承応3年(1654年) の大地震で湯元塩原村の源泉湯口がふさがり、
生計の全てを失った6戸が高原新田(現鶏頂開拓)の街道沿いに移住して
居を構えたことにより、高原新田村が形成され
やがて宿駅の機能を持つようになったとされています。

高原新田宿は、標高1200m以上の高原地帯で、新田とは名ばかりで
田んぼなどは無く、もっぱら高原野菜の生産と駄賃稼ぎで
生業を立てていたようで、村民の生業は農業に多くを頼れず
五十里宿からも藤原宿からも急な登り坂を登らねばならない
中継地点の地の利を生かして、駄賃稼ぎを主としていました。

文久3年(1863年)、栃久保新道が開通し、
高原峠往還は廃道、高原新田宿は廃宿となってしまいました。
塩原湯元が地震で壊滅し、高原新田に移った人々は、
今度は廃宿で生計の糧がなくなり、 高原を下り、
現在の川治温泉近くに移り、その地を高原と名付けたそうです。
足湯『かわじいの湯』のある川治ふれあい公園は
日光市川治温泉高原1番地と言う地番になっているそうです。

栃久保新道は栃久保新道は川治で男鹿川を渡って小佐越新道に合流し、
男鹿川西岸を更に北上して五十里宿に至るルートで、
ほぼ、現在の国道121号と言っても過言ではない。
五十里宿に至る会津西街道の代替えルートとも言える。


高原新田宿の御宿場印は昨年の秋に購入済み。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮01_


廃宿になった高原新田の人々が移り住んだとされる
川治温泉のメインストリートを歩いてみます。


国道121号線。
この辺りから川治温泉街が始まる。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮02


住所は日光市川治温泉高原。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮03


高原新田宿から、川治温泉に下った人たちが移り住んだ場所になる。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮04


高原新田宿は無くなってしまったけれど、代わりにこの地が繁栄した。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮05


かつての宿場町は、場所を移して温泉街として復活した事になるのだろうか?

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮07


厳密には会津西街道の宿場町ではないけれど
川治温泉の町は現代の宿場町とも言える。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮08



この道を右に曲がれば、川治平方山園地の登り口。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮09
    

さらに、その先には鶏頂山神社の里宮がある。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮15


元々は高原新田宿の鶏頂山の山頂に鎮座していた神社。
新栃久保街道の開通で廃村となった高原新田宿の村人が
文久三年(1863年)川治温泉郷に移住して創建した。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮16



麓(国道121号)から見上げる、鶏頂山神社の里宮がある方向。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮25

さらに、その先(もっと奥)に廃宿となった高原新田宿がある。


こちらが、高原新田宿の御宿場印。

     20230930高原新田宿 鶏頂山里宮26

鶏頂山神社が描かれている。
海抜1765mの鶏頂山山頂に鎮座している神社。
かつての高原新田宿の氏神だったようで、川治温泉郷に鎮座している里宮も
大切にされてきたようですね。




2024/03/01 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日の宿@川治温泉 一柳閣本館   (2023年9月29日)(栃木県日光市) 

9月29日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へとやって来ました。

この日の宿は..............一柳閣本館。


最近の旅行は、伊東園ホテルズにお世話になることが多い。

     20230929一柳閣本館01


そして、一柳閣本館は昨年(2022年)の秋以来の2回目。

     20230929一柳閣本館02


見覚えのある風景。

     20230929一柳閣本館03


チェックインも慣れたもの。

     20230929一柳閣本館04


この日の部屋は、柳の館 2602号室。

     20230929一柳閣本館05


     20230929一柳閣本館06


和室10畳の部屋。

     20230929一柳閣本館07


     20230929一柳閣本館08
  

     20230929一柳閣本館09


嬉しいことに、男鹿川の渓流側の部屋。

     20230929一柳閣本館10


建物の脇を流れるの景色もバッチリ。

     20230929一柳閣本館11


一人宿だと、ビジネスホテルのような部屋の設定だと思っていたから
今回は『当たり』になるようです。

     20230929一柳閣本館12


夕食と朝食の食券。

     20230929一柳閣本館13

夕食は3部制の1番最後の回にしました。


夕食までかなりの時間がある。
館内の探索をしながら、温泉(大浴場)へと向かいます。


1階ロビー。

     20230929一柳閣本館14


もうちょっと早ければ開いていたコーヒーのサービスコーナー。

     20230929一柳閣本館15


こちらは売店。

     20230929一柳閣本館16


卓球場。

     20230929一柳閣本館17


     20230929一柳閣本館18


麻雀コーナー。

     20230929一柳閣本館19


ビリヤード。

    20230929一柳閣本館20



さて、大浴場へと向かいます。

     20230929一柳閣本館30


更衣室。

     20230929一柳閣本館23


     20230929一柳閣本館29



洗面所。

     20230929一柳閣本館22



更衣室に貼られた温泉の成分表と効能表。

     20230929一柳閣本館44     



さぁ、熱いお風呂に入りましょう。

     20230929一柳閣本館24


     20230929一柳閣本館25


     20230929一柳閣本館26


     20230929一柳閣本館27


     20230929一柳閣本館28



露天風呂。

     20230929一柳閣本館31


     20230929一柳閣本館32



お風呂の後は晩御飯。

     20230929一柳閣本館35


     20230929一柳閣本館36


     20230929一柳閣本館37


     20230929一柳閣本館38


     20230929一柳閣本館39


     20230929一柳閣本館34


デザートは別腹。

     20230929一柳閣本館40



本日もしっかりいただきました。

     20230929一柳閣本館41



そして、翌朝の朝食。

     20230929一柳閣本館42


  
そして、食後のコーヒー。

     20230929一柳閣本館43


さぁ,
いよいよ最終日。

この日も目一杯楽しみましょう。








2024/02/29 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

かわじいの湯     (2023年9月28日)(栃木県日光市)  

9月29日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へと向かいます。

川治温泉の宿泊先のホテルの横、
川治温泉の中心部「川治ふれあい公園」内には、
無料の足湯施設があります。

川治温泉の道先案内人(キャラクター)の陶像が迎えてくれる公園は、
市民や観光は.................かわじいの湯(足湯)。


川治温泉から文字った『かわじい』。
そんなキャラクターが『川治ふれあい公園』の真ん中に立っている。

     20230929かわじいの湯01


なかなか憎めないキャラクター。

     20230929かわじいの湯02


川治温泉の泉質はアルカリ性単純温泉で、
肌に優しく神経痛やケガなどに効能があると言われています。
その源泉から『川治ふれあい公園』にお湯を引き足湯として活用している。

川治ふれあい公園内にはもう1つ『むすびの湯』という足湯施設もある。

こちらが、『むすびの湯』。

     20230929かわじいの湯03


足湯施設と言う割には小振りな施設。

     20230929かわじいの湯04


おまけっぽい足湯とも言えなくもない。

     20230929かわじいの湯05



こちらが『かわじいの湯』。

     20230929かわじいの湯06


     20230929かわじいの湯07



屋根もあって、それっぽい造り。

     20230929かわじいの湯08



更衣室もある。

     20230929かわじいの湯09

足湯だから服を脱ぐって言う事は無いと思うけれど
更衣室が有るに越した事はない。


源泉である川治温泉について触れている説明版。

     20230929かわじいの湯10


     20230929かわじいの湯11


この日は誰も居ない。

     20230929かわじいの湯12


すなわち、貸し切り状態。

     20230929かわじいの湯13


靴を脱いで、靴下も脱いで湯に足を入れちゃいます。

     20230929かわじいの湯14


気持ちいい〜ぃ。

     20230929かわじいの湯15



外反母趾が酷くて、長い時間靴を履いていると
親指の付け根辺りが痛くなる。

     20230929かわじいの湯17


まぁ、両足の親指の付け根がこれだけ赤くなれば痛いはず。

     20230929かわじいの湯18


まぁ、じっくりと足を癒しましょう。

     20230929かわじいの湯19



川治ふれあい公園は男鹿川沿いにある。
男鹿川の対岸。

     20230929かわじいの湯20


温泉施設が見える。

     20230929かわじいの湯21

不動の湯と読める。


その隣には、『元湯』とある。

     20230929かわじいの湯22_convert_20231222133157


対岸のこの源泉から、川治温泉の湯が送られてきているんですね。



2024/02/28 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御宿場印を集めて  《会津西街道 関山宿》   (2023年9月29日)(福島大沼郡会津美里町) 

9月29日  

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へと向かいます。
その道すがら、会津西街道の宿場町も尋ねてみます。

福永宿の次に訪れたのは......................会津西街道 関山宿。

     20230929関山宿01


会津若松側の宿場町の入り口。

     20230929関山宿02

立派な説明板が建つ。



関山宿は、会津若松城下からも2つ目の宿場町です。
古くは火玉峠と呼ばれた氷玉峠や大内宿に繋がる大内峠を控え、
会津城下の入口に当たる拠点として重要視されてきました。
寛永18年(1641年)に上小松村と合併し、宿場町として整備され、
本陣も設置されたそうです。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際には栃沢集落と共に戦場となり
新政府軍である薩摩藩・黒羽藩・中津藩・今治藩・人吉藩・肥前藩・
芸州藩・宇都宮藩・大田原藩の各藩を会津藩が向かえ討ち、
一時優勢に転じていましたが、戦況は悪化。関山宿まで退いて応戦。
さらに戦況は悪化し、会津藩は鶴ヶ城まで退いてしまいました。
その際、関山宿の殆どの建物は兵火の為に焼失し大きな被害を被り、
宿場の外れには戦死した会津藩兵40人の墓碑が建立され、
激戦の悲劇を今に伝えているそうです。



県道131号、関山集落の旧道。

     20230929関山宿03

これが会津西街道 関山宿の宿場町。
ゆっくりと歩いてみましょう。


赤いトタンの屋根が多いけれど、こちらはシルバー色。

     20230929関山宿04


色は変われど、形は同じ。

     20230929関山宿05

この地方独特の錣屋根の棟に越屋根。


集落にある関山観音。

     20230929関山宿06


     20230929関山宿07



集落の案内図。

     20230929関山宿08

集落の各家が屋号で表示されている。
観光地(?)だから仕方がないのか?
ある意味、個人情報垂れ流し(笑)。


関山観音の霊場のお札の管理を各家で持ち回りで行っているから
どこの家が何処にあるか?と分かり易いから便利ではある。


会津若松側から大内宿側(今市宿、日光側)に足を進めます。

     20230929関山宿09


     20230929関山宿10


集落の中に立つ菅原天満宮。

     20230929関山宿11


民家や蔵を眺めながら集落の終わりまで足を進めます。

     20230929関山宿12


   

大内宿の隣の宿場町だけど、観光地っぽくない。
かと言って、ここには生活、何気ない普段の生活があるから
形式ばっていない古くからの街並みもある。

     20230929関山宿13


時代の流れを変遷した宿場町がここにはある。

     20230929関山宿14


会津西街道の御宿場印に興味を持たなかったら
この町並みを見る事はなかったんだろうな。

     20230929関山宿15


     20230929関山宿16


     20230929関山宿17


関山集落の案内。

     20230929関山宿18


日光側の旧道入り口。
ここから関山宿が始まる。

     20230929関山宿19


集落入り口には、この地方では、よく見かける古峯神社。

     20230929関山宿21


そして、熊野神社の社号標。

     20230929関山宿20



この先が熊野神社。

     20230929関山宿22


車は、会津若松側の入り口、説明板近くに停めたから
再び集落内を歩いて行きます。

     20230929関山宿24


気が付かなかったけれど、こんな碑も建っている。

     20230929関山宿23

『飯豊山』って、喜多方市の一部と新潟県、山形県に跨る
飯豊連峰の飯豊山の事なんでしょうね。
飯豊山神社が麓と頂上にあるから、その信仰対象なんでしょうね。


こちらが、御宿場印。

     20230929関山宿25_


関山宿の町並みと関山観音がデザインに用いられています。

2024/02/27 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

父さんの御朱印巡り  《関山観音(日当山日輪寺)》    (2023年9月29日)(福島県大沼郡会津美里町) 

9月29日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へと向かいます。
そのみちすがら、会津西街道の宿場町も尋ねてみます。

福永宿をあとにして、訪れたのは関山観音。


関山観音(日当山日輪寺)は、
会津美里町氷玉字前山丁に境内を構えている真言宗の寺院です。
日輪寺の創建時期判りませんが、本尊の十一面観世音菩薩は平安時代初期に
会津地方に仏教を広めた徳一上人作とも云われています。
山号を日当山、寺号を日輪寺。正式には日当山日輪寺と称します。

寛永20年(1643年)に保科正之が会津藩(藩庁:鶴ヶ城)に入封すると、
領内整備の一環として会津三十三観音霊場が整備され、
関山観音もその一つに選定されました。
正之は領内の街道整備にも尽力し、当地に会津西街道(下野街道)を通し、
関山村はその宿場町となりました。


参道口。

     20230929関山宿06

参道。

     20230929関山観音01



会津三十三観音霊場24番札所の説明版。

     20230929関山観音02


会津地方で配布されている会津日本遺産(会津三十三観音巡り)の一つでもあります。

     20230929関山観音03



その説明板。

     20230929関山観音04



石段の先に本堂がある。

     20230929関山05



石段手前には、石仏、石塔が並ぶ。

     20230929関山観音06


     
石段を上った先の本堂。

     20230929関山観音07



本堂に掲げられた表札(?)、寺号標(?)。

     20230929関山観音08


     20230929関山観音09



正面。

     20230929関山観音13


     20230929関山観音14



本堂正面に掲げられた扁額。

     20230929関山観音10



そこには『拾壱面観音堂』とある。

     20230929関山観音12



別アングルからの本堂。

     20230929関山観音17


     20230929関山観音18


     20230929関山観音19



地域(集落)に密着した観音堂。

     20230929関山観音11

交代で納経札の管理をされているようです。

 

境内の祠。

     20230929関山観音15


     20230929関山観音16



集落を少し歩き、今月の札当番のお宅へお邪魔します。

     20230929関山観音20


書き置きですが、御朱印(札)をいただきます。

     20230929関山観音21



こちらが御朱印。

     20230929関山観音22



会津美里町の本郷インフォメーションセンターでいただいた日本遺産のカード。

     20230929関山観音23

こちらは、会津地区の各自治体ごとに発行されているらしい。
各々の日本遺産をPR する目的なんでしょうね。






2024/02/26 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御宿場印を集めて  《会津西街道 福永宿》   (2023年9月29日)(福島県大沼郡会津美里町)  

9月29日

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へと向かいます。

この日訪れた藤牧神社。
その藤牧神社が鎮座する地は、かつての会津西街道の宿場町。
会津西街道 福永宿になります。

日光街道の御宿場印が発行されて早2年。
その後、会津西街道の御宿場印も発行され、
その御宿場印巡りにハマっています。


福永宿は、会津西街道の宿場町。
会津若松の城下から今市宿(日光方面)へ向かって、最初の宿場町となります。
会津若松か城下からも近いということもあって、宿場町として大きくありません。

会津西街道は、江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された、
会津の若松城下から下野の今市に至る街道です。
全長130kmに及び、現在の福島県道131号下郷会津本郷線、
並びに国道121号に沿っています。
会津西街道は関東側からの呼称で、会津側からは下野街道、
あるいは南山通りとも称されていました。
江戸時代には会津藩、新発田藩、村上藩、庄内藩、米沢藩などの参勤交代や
江戸と会津以北を結ぶ物流の道として重要な街道ででした。

1884年(明治17年)、会津西街道に代わる新道、会津三方道路(国道121号の前身)が
整備されたことに伴い、主要街道としての機能は衰退してしまいました。

その街道の宿場町は
若松城下→福永宿 → 関山宿 →大内宿 → 倉谷宿 →楢原宿 →田島宿 →川島宿
→糸沢宿 → 横川宿 → (上三依宿)→中三依宿 →五十里宿 →高原新田宿 →藤原宿 → 大原宿
→高徳宿 →大桑宿 →今市宿  と言う構成になっています。



福永宿の御宿場印は前日に会津美里町の
本郷インフォメーションセンターにて入手済み。



今市側から会津若松方面向けて宿場町を歩いてみましょう。


今市側の入り口辺りには石塔が並ぶ。

     20230929福永宿01


会津西街道(日光街道)の旧道を歩きます。

     20230929福永宿02

現在のメイン通りは県道131号のバイパス。
そのバイパスは宿場町を避けるように旧・会津本郷町方面へと繋がっている。


冒頭に述べたように、会津若松の城下に近いということもあって
集落(宿場町)の規模は大きくはない。

この辺りは旧道沿いに民家が点在しています。

     20230929福永宿03


この地方独特の赤い屋根の民家。

     20230929福永宿04

昔は藁葺き屋根だったのでしょうが、現在は赤いトタンの屋根。


比較的新しく見える蔵もあったりする。

     20230929福永宿05


こちらの蔵も比較的新しそう。

     20230929福永宿08

要するに暮らしの中で蔵が必要な地域になるんですね。



長閑な集落。

     20230929福永宿06


秋桜の花も今が盛り。

     20230929福永宿07


     
氷玉川沿いに旧道は続く。

     20230929福永宿09



元々、会津西街道は本郷に宿駅があったそうですが、
慶長6年(1601年)から寛永4年(1627年)の間に、
本郷宿を廃して福永宿へ移したという。
その影響なのか?
はたまた会津若松の城下に近いと言うこともあって
福永宿には本陣がなかったそうです。

民家が点在しているようにも見えるのも
その影響だろうか.....?

     20230929福永宿11


     20230929福永宿12


     20230929福永宿15


     20230929福永宿16



比較的、大きな民家。
宿場の重鎮の家だったのだろうか.......?

     20230929福永宿10



宿場町の鎮守、藤巻神社。   

     20230929福永宿13


     20230929福永宿14



こちらが福永宿の御宿場印。

     20230929福永宿17_


福永宿鎮守の藤牧神社がデザインされています。
やっぱり、福永宿のランドマーク的な存在なんでしょうね。






2024/02/25 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

藤巻神社    (2023年9月29日)(福島県大沼郡会津美里町) 

9月29日  

9月27日から3泊4日の栃木・福島旅行。
その3日目。

この日は会津若松市から会津美里町周辺を巡り、
日光市の川治温泉へと向かいます。

本郷第二小学校をあとにして、
向かった先は......................藤巻神社。



藤巻神社は、会津美里町氷玉に鎮座する神社です。

創建に関しては不詳です。
その後、明神ヶ岳の麓に遷座し隆盛しますが、
蒲生氏郷公が入府すると、社領を認めず没収され衰退してしまいます。

万治元年(1658年)、山口勝右衛門が小社を造営し再興すると
入府した保科正之公が、古来からの名社であると知るや庇護し、
命により延宝2年(1674年)に社殿が建立されました。
以降、幕末まで藩主歴代の祈願所の1つとされていました。


鳥居。

     20230929藤巻神社01


鳥居に掲げられた神額。

     20230929藤巻神社02


拝殿。

     20230929藤巻神社03


拝殿正面。

     20230929藤巻神社04


拝殿正面に掲げられた扁額。

     20230929藤巻神社05


別アングルからの拝殿。

     20230929藤巻神社06


     20230929藤巻神社10



そして、こちらが本殿。

     20230929藤巻神社07


拝殿前の狛犬。

     20230929藤巻神社08


     20230929藤巻神社09




境内社・古四王神社。

     20230929藤巻神社11


古峯神社。

     20230929藤巻神社14

この地方では、見慣れた形ですね。



二十三夜塔。

     20230929藤巻神社12

神仏習合の名残りですね。



境内の板碑群。

     20230929藤巻神社15


その説明板。

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本殿背後には、御神木の『大イチョウ』

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その説明板。

     20230929藤巻神社17



敷地の一画に近代的な建物。

     20230929藤巻神社20


地域の公民館ではあるけれど、藤巻神社の参集殿(社務所)も兼ねているようです。


古くからの神社ではありますが、現在では無人の神社のようです。






2024/02/24 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit