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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...............三島小学校    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日  

この日は、廃校巡りを中心に富津市に出かけました。
その後、君津市へと移動。
君津市の清和地区の廃校を巡りました。

君津市の清和地区の2つの小学校が今年の春に統合され
いずれも廃校となってしまいました。
訪れたのは、その1校である.........君津市立三島小学校。


三島小学校は、

明治7年     宿原小学校開校
同  年     二入小学校開校
明治36年    三島尋常小学校開校
同  年     高等科設置、三島尋常高等小学校と改称する。
明治41年    現在地に校舎新設、移転。
昭和22年    学制改革により、三島村立三島小学校と改称する。
昭和30年    三島村が秋元村と合併して清和むらとなる。
        清和村立三島小学校と改称する。
昭和45年    清和村が君津町、上総町、小糸町、小櫃村と合併して新たな君津町となる。
        君津町立三島小学校と改称する。
昭和46年    君津町が市制施行して君津市となる。
        君津市立三島小学校と改称する。
令和2年     秋元小学校と合併し、新たに清和小学校が誕生。
         三島小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




三島小学校正門。

     20200529三島小学校01


フェンスに掲げられた表札。

     20200529三島小学校02


敷地内に入ります。

     20200529三島小学校03


校舎。

     20200529三島小学校04


別アングルから。

     20200529三島小学校05


     20200529三島小学校06


     20200529三島小学校07


     20200529三島小学校08


     20200529三島小学校16


     20200529三島小学校17




校舎前の国旗掲揚ポール。

     20200529三島小学校09



その基台には、三島小学校の校章。

     20200529三島小学校10



校舎落成記念の碑。

     20200529三島小学校11



二宮像。

     20200529三島小学校12


     20200529三島小学校13



校舎前には、教材用の赤い丸ポスト。

     20200529三島小学校25

勿論、現役じゃありません。



鉄筋校舎の奥に平屋建ての木造校舎。

     20200529三島小学校14

何気に百葉箱も在ったりして.........




こちらは、体育館。

     20200529三島小学校15


     20200529三島小学校18



校庭。

     20200529三島小学校19



校庭に遊具は余り残っていない。

     20200529三島小学校20



片隅に建つオリンピックの碑。

     20200529三島小学校24

当然ながら、1964年の東京オリンピック記念。






校庭を闊歩する びいすけ 。

     20200529三島小学校21


     20200529三島小学校22


     20200529三島小学校23


     20200529三島小学校26

誰も居ない校庭に生えてきた雑草の上を歩くのが気持ち良さそう。




雑草に埋もれかけている看板。

     20200529三島小学校27

『三島を愛し、三島に誇りを持ち、三島に生きる子どもたち。』
どうやら、この地域の方々は三島と言う地に、拘りを持っているようにも感じられる。



校庭の片隅に建つ石碑類。

     20200529三島小学校28


     20200529三島小学校29


     20200529三島小学校30


     20200529三島小学校31



校庭の片隅にはステンレスの鈍い輝き。

     20200529三島小学校32

廃校のお約束とも言える防災倉庫。
こちらにも在りました。







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2020/07/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............秋元小学校    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日  

この日は、廃校巡りを中心に富津市に出かけました。
その後、君津市へと移動。
君津市の清和地区の廃校を巡りました。

君津市の清和地区の2つの小学校が今年の春に統合され
いずれも廃校となってしまいました。
訪れたのは、その1校である.........君津市立秋元小学校。

秋元小学校は、

明治7年     市宿小学校、平田小学校を前身として創立。

昭和22年     学制改革により秋元村立秋元小学校と改称する。
昭和30年     秋元村が三島村と合併して清和むらとなる。
         清和村立秋元小学校と改称する。
昭和45年     清和村が君津町、上総町、小糸町、小櫃村と合併して新たな君津町となる。
         君津町立秋元小学校と改称する。
昭和46年     君津町が市制施行して君津市となる。
         君津市立秋元小学校と改称する。
令和2年      三島小学校と合併し、新たに清和小学校が誕生。
         秋元小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


秋元小学校正門。

     20200529秋元小学校01

門扉の奥に重機が見えます。




以前は石造りの門柱が建っていたのでしょう。

     20200529秋元小学校02

門柱の基台だけが残っていました。




敷地内では、重機がお出迎え。

     20200529秋元小学校03



校庭に鉄板が敷かれ、重機の動線が体育館へと向かっています。

     20200529秋元小学校04

ひょっとして、体育館を解体するんでしょうか?



こちらが、その体育館。

     20200529秋元小学校22



こちらが校舎。

     20200529秋元小学校05


別アングルから。

     20200529秋元小学校07


     20200529秋元小学校08


     20200529秋元小学校09



校舎玄関。

     20200529秋元小学校10



校舎前には国旗掲揚ポール。

     20200529秋元小学校11



その基台には、秋元小学校の校章。

     20200529秋元小学校12



ネットが張られ、立ち入り禁止エリアに在った石碑。

     20200529秋元小学校13



こちらは、秋元中学校跡碑。

     20200529秋元小学校14


     20200529秋元小学校15



こちらが校庭。

     20200529秋元小学校20



校庭の遊具類。

     20200529秋元小学校16


     20200529秋元小学校17


     20200529秋元小学校18


     20200529秋元小学校19



校庭に置かれた朝礼台。

     20200529秋元小学校21




校舎の玄関脇に置かれたテーブル。

     20200529秋元小学校23



そこには『Dream』と書かれた子どもたちの顔が描かれている。

     20200529秋元小学校24

卒業記念の制作品なんだろうか?



玄関のガラスには、『感謝 ありがとうございます』の貼り紙。

     20200529秋元小学校25

お世話になった方々への言葉なんですね。


敷地の一角には、防災倉庫。

     20200529秋元小学校26

以前から在ったモノだとは思うけれど
廃校の定番とも言える防災倉庫。
この場所がお似合いになってしまったようです。




2020/07/09 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

上諏訪神社    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日

この日は、富津市こら君津市へと移動。
君津市の廃校へ向かう途中に諏訪神社の看板を見つけ、立ち寄ってみました。

諏訪神社は、上諏訪神社と下諏訪神社が
老杉のそびえる境内を対峙して鎮座していました。
下諏訪神社を参拝したあとは、
対峙して鎮座する上諏訪神社へ向かいます。


上諏訪神社は君津市清和市場に鎮座する神社です。


社伝では嘉祥元年(848年)、信州の諏訪大社から分霊勧請されたと伝えられ、
以来、領主の秋元氏や、代々の代官の祈願所として崇められたということです。

本社である長野県の諏訪大社に倣い、上諏訪神社が向かい合うように鎮座し、
上社・下社二社合わせて諏訪神社と呼んでいるようです。

その昔、猪や鹿が多くなりすぎ、農作物に害を与える為、
困った村民達が10日間にわたり狩猟をし、獲物を神前に供え、
御狩祭を開いそうで、それがシシキリマチ神事と呼ばれています。
別名「御狩(みかり)大明神」とも呼ばれています。

御祭神は、建御名方命。



上諏訪神社の社頭。

     20200529上諏訪神社01



鳥居脇の狛犬。

     20200529上諏訪神社02


     20200529上諏訪神社03



手水舎。

     20200529上諏訪神社04



拝殿。

     20200529上諏訪神社05



拝殿正面。

     20200529上諏訪神社06



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200529上諏訪神社07

色褪せているのか?
何と書かれているのか?  判別出来ない。



拝殿内部。

     20200529上諏訪神社08



内部に掲げられた扁額も判別出来ない。

     20200529上諏訪神社09



別アングルからの拝殿。

     20200529上諏訪神社10



そして、こちらが本殿。

     20200529上諏訪神社11



境内社。

     20200529上諏訪神社12


     20200529上諏訪神社13



板碑。

     20200529上諏訪神社14



板碑の前には何故か? 砲弾が飾られている。

     20200529上諏訪神社15



社号標。

     20200529上諏訪神社16




境内の御神木。

     20200529上諏訪神社17
     20200529上諏訪神社18
     20200529上諏訪神社19


昨年秋の房総半島を襲った台風の影響で
本殿奥の社叢の杜は、悲惨な状態になっていました。
ここにも、台風の傷跡は深く残っていました。


2020/07/08 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

下諏訪神社    (2020年5月29日)(千葉県君津市) 

5月29日

この日は、上総地区の廃校巡り。
今年の春に廃校になった富津市の小学校を巡り、
君津市の廃校へも足を伸ばしてみました。

富津市から君津市の清和地区へ向かっていたら
道沿いに諏訪神社の看板が目に留まり、
急遽諏訪神社にも立ち寄ってみることにしました。

立ち寄った先は...............下諏訪神社。


下諏訪神社は君津市清和市場に鎮座する神社です。


社伝では嘉祥元年(848年)、信州の諏訪大社から分霊勧請されたと伝えられ、
以来、領主の秋元氏や、代々の代官の祈願所として崇められたということです。

本社である長野県の諏訪大社に倣い、上諏訪神社が向かい合うように鎮座し、
上社・下社二社合わせて諏訪神社と呼んでいるようです。

その昔、猪や鹿が多くなりすぎ、農作物に害を与える為、
困った村民達が10日間にわたり狩猟をし、獲物を神前に供え、
御狩祭を開いそうで、それがシシキリマチ神事と呼ばれています。
別名「御狩(みかり)大明神」とも呼ばれています。

御祭神は、八坂刀賣命。




社号標。

     20200529下諏訪神社01



神社社頭。

     20200529下諏訪神社02



手水鉢。

     20200529下諏訪神社03



参道の狛犬。

     20200529下諏訪神社04


     20200529下諏訪神社05



拝殿。

     20200529下諏訪神社06



拝殿正面。

     20200529下諏訪神社07


     20200529下諏訪神社08



拝殿内に掲げられた扁額。

     20200529下諏訪神社09



拝殿内には太鼓も飾られている。

     20200529下諏訪神社10



別アングルからの拝殿。

     20200529下諏訪神社11


     20200529下諏訪神社12



そして、本殿。

     20200529下諏訪神社13



びいすけ も参拝します。

     20200529下諏訪神社14



境内社・諏訪社。

     20200529下諏訪神社15


清和市場の諏訪神社は、上諏訪神社と下諏訪神社が
老杉のそびえる境内を対峙して鎮座している。

この後、上諏訪神社も参拝するわけですが、
神社が向かい合う姿を目にするのは初めての経験。
なかなか乙なモノですね。




2020/07/08 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

富津八坂神社   (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日

この日は、富津市に出かけました。

天神山小学校をあとにして、向かった先は...............富津八坂神社。



富津八坂神社は、富津市富津に鎮座する神社です。


日本武尊が東征の折に相模よりこの地に渡られ、
神籬を立てて素盞嗚尊を祀られたとされています。
後に、その旧地に社殿を造営して奉斎し、
旧富津・川名・篠部・新井の総鎮守としました。

天正年間には、領主である小笠原彦太夫が社殿を改修し、
別に西蓮寺を建立して別当とし、本社を管理させたそうです。
しかし、安政4年9月28日当地大火の際、西蓮寺が類焼し、
本社に関する古記録等が失われてしまったそうです。

御祭神は、素盞嗚尊。



社号標。

     20200529富津八坂神社01



神社社頭。

     20200529富津八坂神社02



鳥居背後には、狛犬の代わりに錨が鎮座。

     20200529富津八坂神社03


錆び付いた錨。

     20200529富津八坂神社04

古くからの漁業の町だった証しだろうか?



手水舎。

     20200529富津八坂神社05



こちらは、獅子山。
     20200529富津八坂神社06


     20200529富津八坂神社07




拝殿。

     20200529富津八坂神社08



拝殿正面。

     20200529富津八坂神社13



別アングルからの拝殿。

     20200529富津八坂神社09


     20200529富津八坂神社10



そして、本殿。

     20200529富津八坂神社11

本殿は覆殿のため、中は見えない。



拝殿前の天水桶。

     20200529富津八坂神社14



びいすけ も参拝。

     20200529富津八坂神社12


富津市には、日本三大クモ合戦とも言われる
通称「フンチ」と呼ばれる遊びがあります。
オスがメスを取り合う習性を利用して、
ネコハエトリという1cm程の蜘蛛を、喧嘩させる伝統ある遊びです。
毎年5月4日に開催され、この八坂神社の境内がその会場になっているらしい。

地域性のある行事ですね。


2020/07/07 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............天神山小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日  

この日は、富津市に出かけました。

竹岡小学校をあとにして、向かった先は...............富津市立天神山小学校

天神山小学校は、

明治6年     不入斗村泉水寺に不入斗小学校設立。
明治7年     梨沢村薬師堂に梨沢小学校が設立。
明治8年     梨沢小学校は不入斗小学校の分校となる。
明治9年     一川小学校と改称する。
明治17年    一川村花輪に校地移転。
明治20年    一川尋常小学校と改称する。
         梨沢分校は、梨沢簡易小学校となる。
明治22年    一川村、相川村、梨沢村、横山村が合併して天神山山村となる。
        天神山尋常小学校と改称する。
        梨沢簡易小学校は天神山尋常小学校の分校となる。
明治25年    梨沢分校は独立して梨沢尋常小学校と改称する。
同.  年    天神山尋常高等小学校と改称する。
明治41年    天神山尋常小学校と改称する。
明治42年    天神山尋常高等小学校と改称する。
        梨沢尋常小学校は天神山尋常高等小学校の分教場となる。
昭和22年    学制改革により天神山村立天神山小学校と改称する。
昭和29年    梨沢分校移転。
昭和30年    天神山村が金谷村、湊村、竹岡村と合併して天羽町となる。
         天羽町立天神山小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
         富津町立天神山小学校と改称する。
         梨沢分校は本校に統合される。
同   年    富津町が市制施行して富津市となる。
         富津市立天神山小学校と改称する。
令和2年      天神山小学校、竹岡小学校、金谷小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         天神山小学校は廃校となる。

と言う沿革となっています。



こちらが、正門。

     20200529天神山小学校01



門柱には、金属製の表札が光る。

     20200529天神山小学校02



正門近くの校庭から覗む校舎。

     20200529天神山小学校03



別アングルから。

     20200529天神山小学校04


     20200529天神山小学校05


     20200529天神山小学校06



校舎正面玄関。

     20200529天神山小学校07



校舎に掲げられた横断幕。

     20200529天神山小学校08



こちらは、体育館。

     20200529天神山小学校09



校庭。

     20200529天神山小学校10



校庭の片隅に設置された閉校記念碑。

     20200529天神山小学校11



裏面には、沿革が刻まれている。

     20200529天神山小学校12



校舎前の記念碑。

     20200529天神山小学校13



同じく校舎前に設置された像。

     20200529天神山小学校14



校庭の遊具類。

     20200529天神山小学校15


     20200529天神山小学校16


     20200529天神山小学校17


     20200529天神山小学校18


     20200529天神山小学校19

   
校庭に置かれた朝礼台。

     20200529天神山小学校20



体育館脇には体育倉庫。

     20200529天神山小学校21



こちらの天神山小学校、廃校後は地域の学童保育施設となっているようです。
「クラブフレンズきんこく塾」と言う名称で、社会福祉団体が運営されているようで
この日も、小学校が休校しているのか?
送迎に来る保護者の車が数台出入りし、子供たちも数名居るようでした。




2020/07/07 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............竹岡小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日  

この日は、富津市に出かけました。

金谷神社をあとにして、向かった先は...............富津市立竹岡小学校

竹岡小学校は、

明治6年     竹ケ岡村の松翁院本堂を仮校舎として開校する。
明治8年     竹ケ岡村の延命寺に移転する。
明治10年     竹ケ岡東小学校と竹ケ岡西小学校に分離する。
明治16年     竹ケ岡東小学校と竹ケ岡西小学校を統合して竹ケ岡小学校と改称する。
明治22年     竹ヶ岡村、萩生村が合併して竹岡村が発足。
明治30年     竹岡村立竹岡尋常高等小学校と改称する。
明治42年     現在地に移転。
昭和22年     学制改革により竹岡村立竹岡小学校と改称する。
昭和30年     竹岡村が金谷村、湊村、天神山村と合併して天羽町となる。
         天羽町立竹岡小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
          富津町立竹岡小学校と改称する。
同年        富津町が市制施行して富津市となる。
          富津市立竹岡小学校と改称する。
令和2年      竹岡小学校、金谷小学校、天神山小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         竹岡小学校は廃校となる。 


と言った沿革となっています。



竹岡小学校の正門。

     20200529竹岡小学校01



門柱にはまた表札が残っている。

     20200529竹岡小学校02

廃校からまだ2ヶ月。
これで表札が外されていたら、何とも味気ない。




竹岡小学校 校舎。

     20200529竹岡小学校03



別アングルからの校舎。

     20200529竹岡小学校04


     20200529竹岡小学校05


     20200529竹岡小学校08



校舎と校庭。

     20200529竹岡小学校10



そして、 びいすけ。

     20200529竹岡小学校09


     20200529竹岡小学校11


     20200529竹岡小学校12


     20200529竹岡小学校13



こちらは、体育館。

     20200529竹岡小学校06


     20200529竹岡小学校07



校庭。

     20200529竹岡小学校14



校庭の片隅。

     20200529竹岡小学校18



そこには閉校記念碑が在りました。

     20200529竹岡小学校15



裏面には沿革が刻まれている。

     20200529竹岡小学校16



そして、閉校記念碑の隣には『仲よし』の像。

     20200529竹岡小学校17



校庭の遊具類。

     20200529竹岡小学校19


     20200529竹岡小学校20


     20200529竹岡小学校21


     20200529竹岡小学校22


     20200529竹岡小学校23


     20200529竹岡小学校24




明治6年に開校した歴史のある小学校であった竹岡小学校。
コロナ騒ぎの令和2年の春、ひっそりと廃校になりました。




2020/07/06 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

金谷神社    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日

この日は、富津市に出かけました。


金谷小学校をあとにして、向かった先は...............金谷神社。


金谷神社は、富津市金谷に鎮座する神社です。

国道127号線から鋸山ロープウエー乗り場に向かうと
小さな神社が鎮座しています。
それが金谷神社です。

創建は養老4年(720年)とされています。

また、こちらの金谷神社には、大鏡鉄と呼ばれる円形の鉄の塊が祀られていて
鉄尊宮として信仰の対象となっている。
社伝によれば、文明元年(1469年)6月に
金谷神社西方の海中より引き上げられたものといわれています。


御祭神は、豊受姫神
     金山彦神
     日本武尊



社号標。

     20200529金谷神社01



神社社頭。

     20200529金谷神社02


二の鳥居。

     20200529金谷神社03



手水鉢。

     20200529金谷神社04



狛犬。

     20200529金谷神社05


     20200529金谷神社06

この狛犬は、備前焼の狛犬と言うことで、珍しいモノらしい。
確かに備前焼どころか、焼物(陶器製)の狛犬を見るのは初めてかも知れない。



拝殿正面。

     20200529金谷神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200529金谷神社08


別アングルからの拝殿。

     20200529金谷神社09



そして、こちらが本殿。

     20200529金谷神社10



 びいすけ も参拝します。

     20200529金谷神社11


本殿裏には祠も並ぶ。

     20200529金谷神社12



大鏡鉄の説明板。

     20200529金谷神社13



こちらに『大鏡鉄』が祀られています。

     20200529金谷神社14


御神体となっている『大鏡鉄』は、直径160cm、厚さ11cm、重さ約1.5tで、
二つに割れているそうです。
大鏡鉄と言う呼称は、日本武尊が東征の際に船首にかけた鏡に由来するとされていますが、
実際には鏡ではありません。本来の用途や制作年代は不明ですが、
宮城県の塩竃神社にある製塩用の鉄鍋に類似したものとされています。

こちらの金谷神社。
以前は本務社であったようですが、
現在は君津市の六手八幡神社の兼務社となっているようです。



2020/07/06 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて...............金谷小学校    (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日

この日は、富津市に出かけました。

令和2年春、すなわち今年の春世の中はコロナ騒ぎで一斉休校、
外出自粛と言われていた時期に
富津市の旧・天羽町エリアでは、4つの小学校が統合されて廃校となりました。

4つの小学校が統合され、新たな小学校が誕生しましたが
今回、その中の3つの小学校に訪れてみました。


最初に訪れたのは、富津市立金谷小学校。



金谷小学校は、

明治6年      華蔵院を仮校舎として金谷小学校開校。
明治17年     校舎新築移転。
明治19年     金谷尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により金谷村立金谷小学校と改称する。
昭和30年     金谷村が湊村、天神山村、竹岡村と合併して天羽町となる。
         天羽町立金谷小学校と改称する。
昭和46年     天羽町が富津町、大佐和町と合併し新たな富津町となる。
         富津町立金谷小学校と改称する。
同年       富津町が市制施行して富津市となる。
         富津市立金谷小学校と改称する。
令和2年      金谷小学校、竹岡小学校、天神山小学校、湊小学校が合併して
         富津市立天羽小学校が開校(校地は湊小学校跡を流用)。
         金谷小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


JR内房線 浜金谷駅の真裏に在る金谷小学校。

こちらが正門。

     20200529金谷小学校01



正門には、表札が残る。

     20200529金谷小学校02



正門から校内に入ります。
目に飛び込んでくるのはシンボルツリー。

     20200529金谷小学校28


椰子の木のあるロータリー。
その背後に校舎。

     20200529金谷小学校03


     20200529金谷小学校04


別アングルから。

     20200529金谷小学校05


     20200529金谷小学校06



校舎と国旗掲揚ポール。

     20200529金谷小学校07



こちらは、体育館。

     20200529金谷小学校08


     20200529金谷小学校09



校庭。

     20200529金谷小学校10


     20200529金谷小学校11


     20200529金谷小学校18



校庭の片隅には、閉校記念碑。

     20200529金谷小学校12


     20200529金谷小学校23



校庭の遊具。

     20200529金谷小学校13


     20200529金谷小学校14


     20200529金谷小学校15


     20200529金谷小学校16


     20200529金谷小学校17




校庭の百葉箱。

     20200529金谷小学校19


朝礼台。

     20200529金谷小学校20



校庭側の通用門。

     20200529金谷小学校21


表札の古さから推測すると
かつては、こちらが正門だったんでしょうか?

     20200529金谷小学校22



通用門から外に出ると、フェンスには子供たちが卒業制作で描いた畳サイズの絵。

     20200529金谷小学校24


     20200529金谷小学校25


     20200529金谷小学校26


     20200529金谷小学校27



廃校時には、全校生徒23人だった金谷小学校。
惜まれつつも147年のその歴史の幕を下ろしました。


2020/07/05 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

古船浅間神社     (2020年5月29日)(千葉県富津市) 

5月29日

この日は、富津市出かけました。

国道127号を移動して木更津市から富津市へと入り
館山市方面へと移動していく時に
坂の途中にある神社が、以前から気になっていました。

そんな訳で、立ち寄った先は...............古船浅間神社。


古船浅間神社は、富津市鶴岡に鎮座する神社です。

霊峰富士山に鎮座する「富士浅間神社」から分霊、分社したものと言い伝えられ、
木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)が祀られています。

かつて神社の背後には大きな山がそびえ、富士山にとてもよく似ていたことから、
富士権現を願い、分霊、分社したものとされています。
浅間山と呼ばれたこの山は、全体が良質の砂に覆われており、
東京湾の埋め立てに使われることとなり、切り崩されてしまいました。
以前は山の頂部に鎮座していましたが、現在地に遷座したそうです。

御祭神は、木花咲耶姫命




社号標。

     20200529古船浅間神社01



神社社頭。

     20200529古船浅間神社02



社号標脇に建つ説明板。

     20200529古船浅間神社03

富津市の指定文化財である『本殿』と『羯鼓舞(かっこまい)』について触れています。



手水舎。

     20200529古船浅間神社04



定番の龍の吐出口。

     20200529古船浅間神社05



境内。

     20200529古船浅間神社06



石段の先には社殿。

     20200529古船浅間神社08



こちらが拝殿。

     20200529古船浅間神社09



別アングルからの拝殿。

     20200529古船浅間神社10



そして、本殿。

     20200529古船浅間神社12



拝殿前の狛犬。

     20200529古船浅間神社13


     20200529古船浅間神社14



びいすけ も参拝します。

     20200529古船浅間神社15



境内社。

     20200529古船浅間神社18


     20200529古船浅間神社17



本殿の背後には残された浅間山の名残りか?
30mほどの高台になっていて、社が点在する。

     20200529古船浅間神社19

     20200529古船浅間神社20


     20200529古船浅間神社21


     20200529古船浅間神社22



浅間神社と言うから、東京湾越しに富士山が見えるかと思ったけど
残念ながら、富士山は見えなかった。

     20200529古船浅間神社23



竪堀のような凹みもあり、いずれかの城址かと勘違いもしてしまう。

     20200529古船浅間神社24


こちらが社務所。

     20200529古船浅間神社25

普段は無人の神社のようです。


君津市の久留里は名水(湧水)で有名だけど
富津市にも名水があり、こちらの浅間神社の神水は有名で
多くの人が水を汲みにくるらしい。
『神水』の幟も国道沿いに立ち、はためいている。

持ち合わせていたペットボトルに神水を汲み、
びいすけ に飲ませる事にしました。


2020/07/05 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて.....................多古城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

多古町を訪れた最たる理由は、御城印。
当初は5月の連休辺りに頒布される予定でしたが
新型コロナウイルスの拡大防止の緊急非常事態宣言が発令されて
頒布予定が大きくズレ込み、緊急非常事態宣言解除解除されて
やっと頒布される事になりました。

頒布先の 道の駅『多古あじさい館』 にて手に入れました。

     20200528多古城址01

御城印を手に入れたのなら、攻城しなければ御城印を手に入れた意味がない。
あくまでも登城記念、訪城記念ですからね。

と言うことで、向かった先は...............多古城址。


志摩城に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の訪城記は こちら )


多古小学校背後の台地。
台地へ至る導線は前回から6年経ち
かなり改変され、大きなスーパーや住宅も建つようになった。

しかしながら、城址である台地は荒れた耕地のままでした。

     20200528多古城址02


     20200528多古城址03



近くにスーパーや幼稚園、住宅が建ち
多古城に一部が整備されたようです。

何やら、前方に看板があります。

     20200528多古城址04



以前は無かった説明板。

     20200528多古城址05

『多古城と千葉氏』について触れています。


この説明板は、多古城の空堀跡の前に建っています。

     20200528多古城址06




以前は、この空堀に気が付かなかったんだよなぁ。

     20200528多古城址07



きっと、この空堀も説明板設置時に整備されたんでしょうね、

     20200528多古城址08


     20200528多古城址09

耕地化されて、遺構が無いと思っていた多古城址。
空堀が確認出来て良かった。


こちらが御城院。

     20200528多古城址10


千葉県下でも、まだ館山城や稲村城など未入手な御城印が増えてきて
改めて城址巡りが楽しくなりそうです。


2020/07/04 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

八幡大神    (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町)  

5月28日

この日は、多古町に出かけました。
志摩城址の一角に鎮座する八幡大神を訪れました。

八幡大神は、多古町島に鎮座する神社です。

旧・島村の鎮守とされ、古城(志摩城)跡の西端に鎮座する古社です。
旧・島村な全戸が日蓮宗不受不施派で、
お祖師様以外の神仏に頼らない時 代が長かったためか、社の記録が失われたらしく、由緒を記した文書等は残されていないとのことです。
近年補修された長い石段を上り 切ると、朱色に塗られた鳥居の奥に 老木に囲まれた本殿が閑静な佇まいを見せています

それにしても、多古町にはネットで調べても
由緒や御祭神が不明な神社が多い気がするのは気のせい?



社号標。

     20200528八幡大神01



神社社頭。

     20200528八幡大神02



鳥居の先には石段。


     20200528八幡大神03



手水舎。

     20200528八幡大神04



二の鳥居。

     20200528八幡大神05



鳥居に掲げられた神額。

     20200528八幡大神06



社殿。

     20200528八幡大神07

社殿そのものが覆殿となっている。



別アングルからの社殿。

     20200528八幡大神08


     20200528八幡大神09



びいすけ も参拝。

     20200528八幡大神10



志摩城址の西端に鎮座する八幡大神。
志摩城そのものが千葉氏関連の城郭だから
本来は志摩城の北東の鬼門の位置に妙見宮があるかと思いきや
西端に八幡大神が鎮座している。
八幡神社と言うことであれば、
応神天皇や誉田別命(ほんだわけのみこと)、
または八幡太郎義家が祀られていると思われから
千葉氏関連の城郭には、不似合いと感じてしまうのは気のせい?


2020/07/04 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて.....................志摩城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日  

この日は、多古町に出かけました。

多古町を訪れた最たる理由は、御城印。
当初は5月の連休辺りに頒布される予定でしたが
新型コロナウイルスの拡大防止の緊急非常事態宣言が発令されて
頒布予定が大きくズレ込み、緊急非常事態宣言解除解除されて
やっと頒布される事になりました。

頒布先の 道の駅『多古あじさい館』 にて手に入れました。

     20200528志摩城址01



御城印を手に入れたのなら、攻城しなければ御城印を手に入れた意味がない。
あくまでも登城記念、訪城記念ですからね。

と言うことで、向かった先は...............志摩城址。


志摩城に訪れるのは、これで2回目。
( 前回の訪城記は こちら )



志摩城は築城時期、主な城主は不明とされています

現在の多古町はその昔、千田荘と称し、平安時代末期には千葉氏の領地でありました。
千葉氏の一族、円城寺氏らの所領と思われ、その一族の城館だったものと思われます。

室町時代には、鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏との争いで、千葉一族が分裂します。
関東管領上杉氏側に付いた千葉宗家の千葉胤直。
鎌倉公方足利成氏側に付いた一門の原胤房、馬加康胤に本拠の亥鼻城を急襲され、
千田荘に逃れ父・胤直は志摩城に逃れ、子・胤宣は多古城に逃れました。
しかし原胤房、馬加康胤に攻められ多古城も志摩城も落城してしまいます。
千葉宗家の千葉胤直・胤宣父子は自刃し、この千田荘で千葉宗家は滅びてしまいます

志摩城のその後、そして廃城の時期等、詳細は不明とされています。


城址は現在、農業公園として整備されていましたが
最近は、その農業公園も荒廃してきた雰囲気が漂います。

農業公園に駐車場の一角に建つ説明板。

     20200528志摩城址02



以前は下草も刈られ、城塁のようにみえましたが
現在は下草も伸び、単なる土手にようにしか見えない。

     20200528志摩城址03


     20200528志摩城址04


     20200528志摩城址05



台地にある城址は耕地化され、遺構らしきものは少ない。
と言うか、ほとんど無い。

     20200528志摩城址06



城址には、八幡神社(八幡大神)が鎮座し、
そこには城址の標柱が建つ。

     20200528志摩城址07


     20200528志摩城址08


     20200528志摩城址09



そして、僅かながら土塁とおぼしき土壇がある。

     20200528志摩城址10


     20200528志摩城址12



千葉宗家終焉の地というけれど、畑と化した志摩城址。

     20200528志摩城址11


下総の歴史の舞台でもあったわけだから、
きちんとした形で残って欲しかった..................。




こちらが、志摩城の御城印。

     20200528志摩城址13

千葉宗家の家紋、月星紋が泣かせます。




2020/07/03 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

春日神社     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。


並木城のある南並木地区でナビを見ると、並木城の一角に鳥居マーク(⛩)がある。
ナビには、春日神社と表示されている。

せっかくだから、覗いて行きましょう。

と、言うことで向かった先は.........南並木春日神社。


南並木春日神社は多古町南並木に鎮座する神社です。

社伝によると、元和3年(1617年)、南並木村の佐藤勘兵衛に夢のお告げがあって、
南中村大桐の祠からこの地に遷し、寛文元年(1661年)に社殿を造ったと言うことです。
そして遷座の時に、御神体を乗せた「馬の轡」が飯田惣右衛門家に伝えられていて、
御利益によって子供の風邪が治ったことから次々と又貸しされて、
一時は行方不明であったが、偶然飯田家当主によって、茨城県水戸市で発見され、
以後、今でも大切に保管されているそうです。

ネットで調べて分かったのはここまで。
肝心の御祭神については、分かりませんでした。



この狭い石段の先が春日神社。

     20200528春日神社01



まだまだ元気な びいすけ 。

     20200528春日神社02

先陣を切って先に進みます。



神社社頭。

     20200528春日神社03



鳥居。

     20200528春日神社04



手水舎。

     20200528春日神社05



こちらが拝殿。

     20200528春日神社06



別アングルからの拝殿。

     20200528春日神社07


     20200528春日神社08




本殿は覆殿。

     20200528春日神社09



隙間から覗き込んだ本殿。

     20200528春日神社10


別アングルからの拝殿と本殿。

     20200528春日神社11



びいすけ も参拝。

     20200528春日神社12



境内社。

     20200528春日神社13


     20200528春日神社14



こちらは、裏参道口の鳥居。

     20200528春日神社15


     20200528春日神社16


春日神社は、南並木地区の氏神と推されるけれど
並木城の一角に鎮座する形になる。

     20200528春日神社17
  
周りには、城っぽい雰囲気の土壇もあり
並木城の主郭からは北東の位置になる。
並木城を千葉氏関連の城郭とするならば、
この場所に妙見宮(妙見神社)が在ってもおかしくない。

いずれにしても、詳細が不明なのか少し残念です。




2020/07/03 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて.....................並木城     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日 

この日は、多古町に出かけました。

星宮大神をあとにして、向かった先は...............並木城址。


並木城址は南並木城址とも呼ばれ、
多古町南並木地区の台地の南端に占地する戦国・中世城郭であり、
1330年代から戦国期末まで城郭として利用されていました。
南側に主郭を配し、土塁と空堀に囲まれています。
主郭の北側には折れを伴った(横矢を配した)土塁と
二重空堀が良好な遺構として残されています。

城主等、詳細は不明ですが北総を動乱に巻き込んだ南北朝の争いの時代の
千葉宗家である千葉胤直・胤宣親子の拠点であった多古城の出城だったとされています。


こちらが、並木城の縄張り図。

     並木城縄張り図

    ( 余湖さんのHPからお借りしました。 )



並木城の御城院は、道の駅 『多古あじさい館』で入手出来ます。

     20200528並木城址01


     20200528並木城址02

当初は、5月6日から販売予定でしたが、
新型コロナウイルス拡散防止の緊急非常事態宣言が発令されていた関係で
緊急非常事態宣言の解除まで、販売が延期されていました。

実は、2月に猪鼻城(千葉城)の御城印を求めて猪鼻城に行った時
並木城保存会の方と話す機会があって、
その時に並木城の御城印の発行の話を聞いていました。
本当に楽しみにしていました。

並木城の御城印、ゲットです!!



御城印を手にしたら、いざ! 並木城へ!!


南並木地区の台地にある並木城。
南並木集落から台地へと上がって行きます。

     20200528並木城址03


城址への案内板も設置されています。

     20200528並木城址04

保存会の方々のご尽力ですね。


二郭は、畑として耕地されている。

     20200528並木城址05



二郭南端に何かが見えます。

     20200528並木城址13



そこには城址の標柱が建っている。

     20200528並木城址06


     20200528並木城址07



標柱の背後には空堀と土塁。

     20200528並木城址08



その空堀と土塁には横矢が掛かっている。

     20200528並木城址09


     20200528並木城址10


     20200528並木城址12



さらには、その奥にも空堀と土塁。

     20200528並木城址11

これが二重空堀なんですね。



二重空堀の先は土橋。
主郭虎口から振り返って見た土橋。

     20200528並木城址25



空堀側からの土橋。

     20200528並木城址26




主郭。

     20200528並木城址15

主郭も耕地化されている。


主郭南端。
眼下には腰郭。

     20200528並木城址16


     20200528並木城址17



腰郭に降りてみましょう。

     20200528並木城址18



おそらく、以前は藪状態だったとおもわれる空堀。

     20200528並木城址19


その空堀も整備されて歩き易くなっている。

     20200528並木城址20


腰郭へと下る空堀は、この先立ち入り禁止。

     20200528並木城址21

いつか、この先も整備されて進軍出来るようになるんだろうか?



改めて堀底道で記念写真。

     20200528並木城址22



腰郭側から二重空堀方向へと空堀内を進みます。

     20200528並木城址23


     20200528並木城址24



この辺りの空堀はかなり整備されている。

     20200528並木城址27


     20200528並木城址28


やっぱり、並木城の見所は、二重空堀を含めた、土塁と空堀に尽きるようですね。



並木城遠景。

     20200528並木城址29



こちらが、並木城の御城印。

     20200528並木城址30

この並木城の他に、志摩城、多古城と合計3種の御城印が発行されました。
多古町もなかなかやるなぁ!と思いながら、今回いずれも入手しましたが
それらは、また次の機会にでも..,............




2020/07/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

星宮神社     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

常盤小学校をあとにして、道の駅 『多古あじさい館』に向かう途中、
ナビに鳥居のマーク。
気になる神社が道沿いに鎮座していた。
ナビには『星宮大神』とある。
かつての妙見神社が星宮神社と改号した例もある、
ひょっとして、妙見神社?
やっぱり気になるから、ちょっぴり覗いていきましょう。


星宮大神は、多古町川島に鎮座する神社です。


旧川島町の鎮守でもある「星宮大神」。
元和2年(1616年)勧請で、もとは七島妙見と呼ばれていたとされています。
社には羽子板に巻子を付けた珍しい奉納物が天井に隙間なく貼り付けられており、
往時の繁栄を物語っています。
これはこの村に生まれ、江戸に住んだ鈴木勘左衛門、及び、東暁と号した絵師による功績と言われています。

と、ここまではあるサイトからの情報です。
一方、千葉県の神社庁のHPを見てみると
由緒どころか御祭神も不明。
おそらく明治以前の神仏習合時には、
妙見菩薩を御本尊とする妙見堂だった筈。
とすれば、天御中主が御祭神となるのでしょうか...............?


神社社頭。

     20200528星宮神社01



鳥居に掲げられた神額。

     20200528星宮神社02



手水舎。

     20200528星宮神社03



こちらも手水鉢?

     20200528星宮神社04

石灯籠の基台のように見えなくもない。




参道。

     20200528星宮神社05



拝殿。

     20200528星宮神社06



拝殿正面。

     20200528星宮神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528星宮神社08



別アングルからの拝殿。

     20200528星宮神社09


     20200528星宮神社10



そして、こちらが本殿。

     20200528星宮神社11



拝殿前の天水桶。

     20200528星宮神社12



拝殿前の狛犬。

     20200528星宮神社13


     20200528星宮神社14



びいすけ も参拝。

     20200528星宮神社15

    

境内社・天満宮。

     20200528星宮神社16



中には、菅原道真公?

     20200528星宮神社17



境内には、土壇もある。

     20200528星宮神社18

いにしえの古墳跡なのか?


土壇頂部には、古峯神社。

     20200528星宮神社19



適度な日陰で苔生した境内。

     20200528星宮神社20



苔生した参道が味わい深い神社。

      20200528星宮神社21
    20200528星宮神社22
  20200528星宮神社23

千葉宗家終焉の地である多古町ある星宮神社、かつての妙見宮。
残念ながら、千葉氏の家紋である月星紋や九曜紋は見かけられなかったけど
苔生した境内は、それなりのモノを感じました。



2020/07/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて.....................常盤小学校     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

松崎神社をあとにして、向かった先は.........多古町立常盤小学校


常盤小学校は、明治6年に創設された松崎小学校がその前身のようです。

松崎小学校の開校から145年。
令和2年3月に多古第一小学校に統合され廃校になりました。

常盤小学校の詳しい沿革は確認出来ていません。
詳しい沿革がひょっとしたら、創立百周年の記念碑の裏面に
刻まれていたかもしれないけれど
じっくりとみてなかったから、気が付かなかったかもしれません。



常盤小学校正門。

     20200528常盤小学校01



門柱には、多古町立常盤中学校の表札が残っています。

     20200528常盤小学校02

どうやら、この地は常盤中学校の跡地でもあったようですね。
戦後の学制令でこの地に中学校が併設されたんでしょうね。


正門脇に並ぶ石碑群。

     20200528常盤小学校03



その中には、常盤中学校の跡碑が在りました。

     20200528常盤小学校06


その脇には、常盤小学校の閉校記念碑。

     20200528常盤小学校04



裏面には、沿革が刻まれています。

     20200528常盤小学校05

じっくり読まなかったんだけど、
こちらの沿革は、創立百周年以降のモノですね。



こちらは、創立百周年の記念碑。

     20200528常盤小学校07

裏面を確認しなかったんだけど、
こちらの裏面に、開校からの沿革か刻まれていたのかな?


閉校記念碑の隣には二宮像。

     20200528常盤小学校10


     20200528常盤小学校11




こちらは定礎の碑。

     20200528常盤小学校08

定礎って建物の基礎にあるのが多いけど
この碑は、校庭のフェンス沿いに建てられている。
(この中に、図面とか入っているのかなぁ?)



正門の先。

     20200528常盤小学校09

おそらく中学校跡になるのでしょう。



肝心の常盤小学校は正門の脇。
校舎の手前にはプールがある。

     20200528常盤小学校12



常盤小学校の校舎。

     20200528常盤小学校13



別アングルからの校舎。

     20200528常盤小学校15


     20200528常盤小学校16


     20200528常盤小学校17


     20200528常盤小学校18


     20200528常盤小学校19


     20200528常盤小学校21




校舎の壁面に掲げられた時計。

     20200528常盤小学校20

廃校からまだ2ケ月。
時間はバッチリ合っている。



こちらは、体育館。

     20200528常盤小学校22



校庭。

     20200528常盤小学校23


     20200528常盤小学校24


     20200528常盤小学校33
 


校庭の遊具。

     20200528常盤小学校25


     20200528常盤小学校26


     20200528常盤小学校27


     20200528常盤小学校28


     20200528常盤小学校29


     20200528常盤小学校30



校庭の端に設けられた国旗掲揚ポール。

     20200528常盤小学校31



校庭に置かれた朝礼台。

     20200528常盤小学校32



そして、敷地の片隅には防災倉庫。

     20200528常盤小学校34

廃校の定番とも言えますね。



3月末で廃校となった常盤小学校。

新型コロナウイルスへの対応の影響を受け、
急きょ3月2日から春休みまでの臨時休校を決定したことから、
2月28日が常磐小全校児童にとって最後の授業となってしまったそうです。

3月14日に閉校式が行われたようですが、
児童不在の閉校式だったらしく、
子供たちの事を思うと、本当に残念ですね。


2020/06/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松崎神社     (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

この日は、多古町に出かけました。

六所大神をあとにして、向かった先は...............松崎神社。


松崎神社は、多古町東松崎に鎮座する神社です。

宝亀3年(772年)の創建とされ、五穀および歌舞音曲の神々として、
古くから人々の信仰を集めています。
延暦16年(797年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途中に参拝、戦勝を祈願したとされ、
このとき、鏡1面及び征矢を献じ、木鼓1箇を奉納したと伝えられています。
その後の戦乱により、鏡と征矢は失われましたが、木鼓は現在も社宝として保存されているそうです。

弘仁年間(810年〜824年)に諸国行脚の僧空海が参拝し、携えてきた公孫樹の杖を
上下逆さまに地中に挿し「後世まで繁盛せよ」と念じて立ち去ったという伝説があり、
社殿前には周囲約6メートルの古木「空海の逆さ公孫樹」があります。

平忠常の乱(1028年〜1030年)で兵火にかかり、
建久2年(1191年)に再興され、旧号を「坂東稲荷本宮」と称しました。
北条氏や里見氏などの武将の尊敬が篤く、徳川家康も朱印地30石を寄進したそうです。
明治2年(1869年)に社号を「松崎神社」に改号しました。

御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
     邇邇芸命(ににぎのみこと)
     大宮比売命(おおみやひめのみこと)



神社社頭。

     20200528松崎神社01



二の鳥居。

     20200528松崎神社02



参道。

     20200528松崎神社03



参道の狛犬。
 
     20200528松崎神社04


     20200528松崎神社05



拝殿。

     20200528松崎神社06



拝殿正面。

     20200528松崎神社07



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528松崎神社08


     20200528松崎神社09



別アングルからの拝殿。

     20200528松崎神社10



そして、こちらが本殿。

     20200528松崎神社11



別アングルからの拝殿と本殿。

     20200528松崎神社12



びいすけ も参拝します。

     20200528松崎神社13



境内社・白髭神社。

     20200528松崎神社14



境内社・子安神社。

     20200528松崎神社15



境内社・古峰神社。

     20200528松崎神社16



小さな祠も点在します。

     20200528松崎神社17


     20200528松崎神社18


     20200528松崎神社19



境内の板碑。

     20200528松崎神社20



境内には北条塚古墳の説明板も建つ。

     20200528松崎神社21



実は、本殿の背後は北条塚古墳。

     20200528松崎神社22



この土壇が古墳です。

     20200528松崎神社23



古墳頂部から見下ろす、松崎神社の本殿。

     20200528松崎神社24



こちらが、空海の『逆さ公孫樹』の説明板。

     20200528松崎神社25



そして、こちらがその『逆さ公孫樹』。

     20200528松崎神社26     
     20200528松崎神社27



こちらは、社務所。

     20200528松崎神社28

立派は社務所ですが、閉まっています。
どうやら、普段は無人の神社のようです。



境内の御神木。

      20200528松崎神社29
     20200528松崎神社30


       20200528松崎神社31
     20200528松崎神社32


昔は、成田山に肩を並べるほどの信仰を集めたと言われる松崎神社ですが
今は、ひっそりと北総の台地に鎮座している。
稲荷神社の扁額が未だに掲げられているけれど
神使いの狐は見当たらず、『?』と思ってしまう。
祭礼の時に訪れたら、また違った一面が覗けるのかもしれない..................。





2020/06/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

六所大神   (2020年5月28日)(千葉県香取郡多古町) 

5月28日

個人的な連休初日。

新型コロナウイルス拡散防止の緊急非常事態宣言が解除されてから初めての個人的な休日。
久しぶりの遠出と言う訳ではないけれど、この日は多古町に出かけました。

多古町のとある神社に向かって車を走らせていると
県道沿いに建つ社号標が目に止まった。

『六所大神 延喜式内』と社号標には記されている。

     20200528六所大神01

そう言えば、多古町に六所大神と言う神社の名を聞いたことがあるような気がした。
多古町の神社リストかなるかで見たような気もする。


六所大神は、多古町北中に鎮座する神社です。

第54代・仁明天皇の承和年中(834年~848年)に物部小事の子孫で、
陸奥鎮守将軍に任ぜられていた物部匝瑳連熊猪が、
中村の郷の郷社として創建したとされています。
社号の由来は、六大神を祀ることからくるとされています。

御祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)
     伊弉冉尊(イザナミノミコト)
     天照皇大神(アマテラスオオカミ)
     素戔嗚尊(スサノオノミコト)
     月読尊(ツクヨミノミコト)
     蛭子尊(ヒルコノミコト)



神社社頭。

     20200528六所大神02



鳥居に掲げられた神額。

     20200528六所大神03



社殿へと続く参道。

     20200528六所大神04



参道の両脇には杉の古木が立ち並ぶ。

     20200528六所大神05
     20200528六所大神06
     20200528六所大神07



二の鳥居。

     20200528六所大神08



二の鳥居に掲げられた神額。

     20200528六所大神09



手水舎。

     20200528六所大神10



拝殿。

     20200528六所大神11



拝殿正面。

     20200528六所大神12



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20200528六所大神14



向拝。

     20200528六所大神13



別アングルからの拝殿。

     20200528六所大神15


     20200528六所大神16



そして、こちらが本殿。

     20200528六所大神17



拝殿前の狛犬。

     20200528六所大神18


     20200528六所大神19



拝殿前の天水桶。

     20200528六所大神20



びいすけ も参拝します。

     20200528六所大神21



境内社・宇賀神社。

     20200528六所大神22



境内社・雄健神社。

     20200528六所大神23



境内の板碑。

     20200528六所大神24

     20200528六所大神35

『南無妙法蓮華経』と刻まれた板碑。
神仏習合の名残りですね。



こちらは、大東亜戦争の碑。

     20200528六所大神25



昭和天皇の御成婚を記念して建てられた表忠碑。

     20200528六所大神26




杉の古木に囲まれた境内。

     20200528六所大神27
     20200528六所大神28


     20200528六所大神29
     20200528六所大神30


     20200528六所大神31
     20200528六所大神32
     20200528六所大神33



境内の由緒書き。

     20200528六所大神34



こちらが、社務所のようです。

     20200528六所大神36

正面に掲げられた扁額には、『飯高』と書かれている。
隣接する匝瑳市の飯高に関連しているのでしょうか?

いずれにしても、普段は無人の神社のようです。


社号標には、『延喜式内』と記されているけれど
ネットで調べてみると、その真偽は定かでは無さそうです。
いわゆる、式内社のことを意味していると思うんだけど
式内社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社の事。
式内社を巡っては、いろんな神社で論争を交わしているみたいだから
真偽が不明って言うのは、まあ良くある話でしょうね。





2020/06/28 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御城印を求めて   《 佐倉城 》 (2020年5月27日)(千葉県佐倉市) 

5月27日

この日は夜勤明け。

習志野市の菊田神社をあとにして、向かって先は...............佐倉城址。


先日、臼井のAEONの中の本屋で佐倉城の御城印を手に入れました。

    20200527佐倉城01


    20200527佐倉城02


これまで、何度も びいすけを連れて佐倉城址には散歩に出かけました。
今更ながらと思いながらも、御城印を手に入れたからには
登城(訪城)しない訳にはいきません。
いつもは自宅から徒歩で向かいますが、今日は菊田神社から車での訪問。
大手側の駐車場に車を停め、大手から攻城します。

    20200527佐倉城03



大手口から三の丸に至る散策路沿いに建つ説明板。

    20200527佐倉城04



いざ、佐倉城への登城です。

    20200527佐倉城05



先ほどの説明板には佐倉城の縄張り図。

    20200527佐倉城06



三の丸門跡近くの城址公園の看板。

    20200527佐倉城07



そのすぐ隣には、三の丸門跡の説明板。

    20200527佐倉城08



染井吉野の木々が立ち桜の名所である三の丸跡。

    20200527佐倉城09



こちらは二の丸門跡。

    20200527佐倉城10



土塁。

    20200527佐倉城11



二の丸広場。
    20200527佐倉城12



テンションの高い びいすけ 。
二の丸広場で転がり、背中をスリスリ。

    20200527佐倉城13



ご機嫌な笑顔です。

    20200527佐倉城14


    20200527佐倉城15



本丸への土橋。

    20200527佐倉城16

残念ながら、本丸の空堀は雑草や木々が伸び切り
依然と比べると見応えが失せてしまった。



本丸の土塁。

    20200527佐倉城18



本丸広場。

    20200527佐倉城19



こちらでも、転がって背中をスリスリ。

    20200527佐倉城20



よほど背中が痒いのか?
はたまた、気持ちが良いのだろうか?

    20200527佐倉城21



そう言えば、小さい頃からこの本丸広場は びいすけ のお気に入りの場所でした。
いつも、こんな感じで腹這いになっていたっけ。

    20200527佐倉城22



本丸の一画は、天守跡。

    20200527佐倉城23


『跡』と言うだけあって、天守の姿や形はない。
説明板がなければ、天守跡とは思えない。

     a href="https://blog-imgs-137.fc2.com/b/i/i/biisuke0822/2020053121032349d.jpg" target="_blank">20200527佐倉城42



いつ頃からだろうか?
以前は無かったが、いつの間にか、こんな碑が建っている。

    20200527佐倉城24


    20200527佐倉城25



天守跡と言っても石垣も無く、単なる土壇。

    20200527佐倉城26


    20200527佐倉城27


    20200527佐倉城28



本丸広場をぐるっと取り巻くように土塁が走る。
その土塁の上から。

    20200527佐倉城29


     20200527佐倉城30



本丸から二の丸、そして馬出し空堀へと向かいます。

     20200527佐倉城31



馬出し空堀。

     20200527佐倉城32



緑が映えて、この時期が1番見応えがあるかもしれない。

     20200527佐倉城33


     20200527佐倉城34


     20200527佐倉城35



国立歴史博物館(歴博)の建つ椎木曲輪から姥ヶ池へと下って行きます。

     20200527佐倉城36



姥ヶ池。

     20200527佐倉城37



池には蓮の花が咲いている。

     20200527佐倉城38



姥ヶ池から坂を上がって大手へと向かいます。
坂の途中には三の丸の空堀。
     20200527佐倉城39


     20200527佐倉城40

やっぱり、佐倉城は土の城でもあるから
空堀が遺構として残っていることは意義がある。


こちらが、佐倉城の御城印。

     20200527佐倉城41

徒歩圏内の散歩コースでもある佐倉城址。
その佐倉城の御城印が出来たのは地元民としても嬉しい限り。

上総の佐是城から始まり、千葉城、大多喜城、臼井城、佐倉城と
千葉県内の御城印のある城址も増えてきた。
多古地区の並木城、志摩城、多古城、上総の池和田城、
館山(安房)の館山城、稲村城と御城印も随時発行されて行く。

城郭巡りもブームになるんだろうか...............?





2020/06/27 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit