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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて...........................千町小学校萩原分校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。


今年の春(平成31年)に廃校になった、いすみ市立千町小学校。
その千町小学校には、かつて分校がありました。

昭和39年に廃校となった分校、
旧・夷隅町立 千町小学校萩原分校 を探し、訪ねてみました。


萩原分校は、


明治7年     荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
        萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀小学校と萩原小学校に分離する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                         須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校萩原分校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校萩原分校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)


と、このような沿革となっています。



沿革は分かっているものの、分校の場所はよく分からない。
いつもように、分校名の『萩原』を頼りに
萩原集落の公民館、集会所に当たりを付けて向かいます。
向かった先は、『萩原区農村公園』


こちらが、萩原区農村公園。

      20190711萩原分校01

隣家の御老人に話を伺うと、この場所がかつての萩原分校でした。
確かに、分校跡らしい雰囲気は感じられる。


ただし、この建物は廃校後建てられたものらしい。

      20190711萩原分校02


敷地内に入ってみます。
往時の校舎もこんな感じで建っていたんでしょう。

      20190711萩原分校03


      20190711萩原分校05


      20190711萩原分校06




敷地の一角には遊具が置かれているけれど
とても昭和30年代の遺構にはみえない。

      20190711萩原分校04



農村公園として整備された時に設置されたのでしょう。

      20190711萩原分校07


      20190711萩原分校08



残念なことに記念碑の類い、二宮像、忠魂碑等
学校跡を彷彿させる物は残っていない。



この井戸は、分校時から使われていたものでしょう。

      20190711萩原分校09



お約束とも言える消防倉庫。

      20190711萩原分校10


小さな分校跡には、消防倉庫が敷地内に建っていることが多い。
まぁ、ひとつのpsたーんですが、
そのパターンに見事にハマっていた萩原分校。

辿り着けて良かった.......................




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2019/08/31 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................千町小学校 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

今年の春、いすみ市の千町小学校が廃校になりました。
千町小学校関連で3つの廃校があるという事で
この日はいすみ市の廃校巡り。

本丸である、いすみ市立千町小学校に訪れました。


千町小学校は、


明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年     萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年     荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
         荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年    三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年    学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年    千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年    荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年    新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年    夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年    夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらが、千町小学校の正門。

      20190711千町小学校01



正門越しの校舎。

      20190711千町小学校02


      20190711千町小学校03


正門側の正面玄関。

      20190711千町小学校04


庇には校章。

      20190711千町小学校05


そして、感謝の横断幕。

      20190711千町小学校06



中庭の二宮像。

      20190711千町小学校07


      20190711千町小学校08



校庭側からの校舎。

      20190711千町小学校09


      20190711千町小学校10



別アングルから。

      20190711千町小学校11


      20190711千町小学校12


      20190711千町小学校13


      20190711千町小学校26



こちらは、体育館。

      20190711千町小学校14



広い校庭。

      20190711千町小学校15



廃校からたった3ヶ月半。
すでに雑草に覆われ始めている。

      20190711千町小学校25




校庭に残る遊具類。

      20190711千町小学校16


      20190711千町小学校17


      20190711千町小学校18


      20190711千町小学校19


      20190711千町小学校20


      20190711千町小学校21



校庭にポツンと朝礼台。

      20190711千町小学校22



朝礼台の前に置かれたオブジェ。

      20190711千町小学校23



なぜか?  校舎の前に並んでいる椅子。

      20190711千町小学校24





お約束とも言える防災倉庫。

      20190711千町小学校27

体育館の前に目立たないように置かれていました。



残念ながら、廃校記念碑はありませんでした。


こうしてまた一つ、地域に長い時間の中で統廃合を経て
歴史を刻んで来た学校が廃校になってしまいました。





2019/08/31 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............................旧・千町小学校跡 (2019年7月11日)(千葉県いすみ市) 

7月11日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市は、平成17年に夷隅町、岬町、大原町が合併して誕生しました。
そのいすみ市で、今年の3月(平成31年)に千町小学校が廃校になりました。

実は、その千町小学校関連で3つの廃校がいすみ市には存在します。
今回、その3つの廃校を巡ります。

最初に訪れたのは................旧・夷隅町立 旧・千町小学校跡


千町小学校は、

明治7年     松丸村の寺院(現:西福寺)に松丸小学校が創立される。
         須賀谷村と小又井村に須賀谷小学校が創立される。
         荻原村に荻原小学校が創立される。
明治12年    萩原小学校と須賀谷小学校が合併して能実小学校と称する。
         萩原村に分校を置く。
明治14年    能実小学校を須賀と萩に分離する。
明治19年    須賀谷小学校が大上小学校(現睦沢町)と合併する。
明治22年    須賀谷小学校と大上小学校と分離して盛徳尋常小学校(須賀谷地区)と改称する。
明治29年    荻原小学校を明徳尋常小学校(荻原地区)と改称 


明治30年代   千町地区には松丸・能実・神置・小高を学区とする松丸尋常高等小学校(明治27年〜),
                        須賀谷・小又井を学区とする盛徳尋常小学校,
        荻原を学区とする明徳尋常小学校の三校を有していました。


明治39年   三校合併し,千町尋常高等小学校を創立
        明徳尋常小学校を荻原分教場とする。
昭和22年   学制改革により、千町村立千町小学校と改称する。
昭和29年   千町村が中川村,国吉町と合併して夷隅町が誕生。
        夷隅町立千町小学校と改称
昭和39年   荻原分校が本校に統合されて廃校となる。
       (当時,分校児童1~4年生55名)
昭和47年   新校舎が建築されて、校地移転 。
平成17年   夷隅町・岬町・大原町が合併していすみ市誕生。
        いすみ市立千町小学校と改称する。
平成31年   夷隅小学校に統合されて廃校となる。

と言う沿革となっていますが、今回訪れたのは、旧・千町小学校跡。
沿革で言う所の昭和47年に移転するまで校地とされていた所です。

数年前に、いすみ市に来た時、偶然この校地の前を通ったのですが
『千町保育園前』と言う交差点にいかにも学校跡地っぽい場所がありました。
後ほど調べたら、どうやら千町小学校の跡地のようでした。

そのうちに行こう! と思いながら、ズルズルと月日が経ってしまいました。



こちらが、千町小学校跡。

      20190711旧・千町小学校01

如何にも学校跡っぽいですね。


正門に至るスロープ。

      20190711旧・千町小学校02

これまた、学校っぽい。


以前調べた時は、『つどいの家』と言う施設だったような気がしましたが
近年、『いすみ市土着菌完熟堆肥センター』になったようです。

      20190711旧・千町小学校03



こちらが正門跡。

      20190711旧・千町小学校04



門柱の表札。

      20190711旧・千町小学校05

『つどいの家』としても利用されているようですね。



実は、小学校が移転後、敷地は千町保育園として利用されていたよですが
保育園もいつしか閉園となり、『つどいの家』として利用されたようです。

この建物は、保育になった時に建てられたもので
千町小学校の校舎ではないそうです。

      20190711旧・千町小学校06


      20190711旧・千町小学校07


昭和の時代、特に40年〜50年代。
鉄筋校舎が普及する前の学校の校舎に見えるんだけどねぇ。

      20190711旧・千町小学校08


      20190711旧・千町小学校09


残念ながら、学校遺構は全く残っていない。

      20190711旧・千町小学校10


保育園として再利用されていた割には遊具類も残っていない。


ここから数百m離れた場所に千町小学校が在るから、
この場所が千町小学校だった事も憶えている人も少なくなっているんだろうなぁ。








2019/08/30 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................天神社 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市の神社の御朱印巡り、その第3弾は...................天神社。


天神社は、いすみ市岬町長者に鎮座する神社です。


江戸時代初期の寛文元年(1661年)8月に、
小沼の利左衛門屋敷より現地に移し、
創建されたと伝えられているそうです。

江戸中期には宿場駅として繁栄した中で、多くの崇敬者を集めたそうです。
江戸時代屈指の問屋「伊勢屋」の店頭風景を描いた、魚屋北渓作の絵馬が奉納されています。
魚屋北渓は、葛飾北斎の弟子の中でも特に優れた人物とされています。


御祭神は、菅原道真公。



社号標。

      20190309天神社01



神社社頭の鳥居。

      20190309天神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20190309天神社03



手水舎。

      20190309天神社04



参道の狛犬。

      20190309天神社05


      20190309天神社06



拝殿。

      20190309天神社07



拝殿正面。

      20190309天神社08



梅の神紋。

      20190309天神社10



向拝の彫刻。

      20190309天神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190309天神社09


  
    
別アングルからの拝殿。

      20190309天神社12


      20190309天神社13




そして、こちらが本殿。

      20190309天神社14



境内社。

      20190309天神社15


      20190309天神社16


      20190309天神社17



神輿庫。

      20190309天神社19



社務所は閉ざされていて、普段は無人のようです。

      20190309天神社18

宮司さんと連絡を取ると、10分ぐらい待っていれば
社務所まで来ていただけるとの事。

10分と言わず、20分でも待ちますよぉ!(笑)
     


宮司さんを待つ間、境内の梅の木を眺めていました。

      20190309天神社20


まさに、見頃の梅。

      20190309天神社21



そして、こちらが天神社の御朱印。

      20190309天神社22

境内も見頃の梅。
そして、神紋も梅。
天神社はやっぱり梅ですね。



2019/05/02 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................六社神社 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市の御朱印巡り、その第2弾は...................六社神社。


六社神社は、いすみ市岬町江場土に鎮座する神社です。


暦仁元年(1238年)の創建とされ、
六柱の御祭神を勧請しています。
往古より、水の神様として厚い信仰があり、
周辺の土地は良質な水に恵まれています。
河童伝説も伝わっており、江場土の鎮守の神様は、
河童と縁があるとされています。

御祭神は、天照大神
     伊弉諾尊
     伊弉冉尊
     月讀尊
     蛭児神
     淡島神


神社社頭。

      20190309六所神社01


社号標代わりの看板。

      20190309六所神社02



鳥居。

      20190309六所神社03



手水舎。

      20190309六所神社04



狛犬。

      20190309六所神社05


      20190309六所神社06



境内。

      20190309六所神社07



こちらが拝殿。

      20190309六所神社08



拝殿正面。

      20190309六所神社16


      20190309六所神社09



拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190309六所神社10



別アングルからの拝殿。

      20190309六所神社11


      20190309六所神社12



そして、こちらが本殿。

      20190309六所神社13



境内社。

      20190309六所神社14


      20190309六所神社15



境内の板碑。

      20190309六所神社17


      20190309六所神社18


      20190309六所神社19



御神木。

      20190309六所神社20
      20190309六所神社21



こちらが、社務所ですが普段は無人のようです。

      20190309六所神社22



そして、こちらが御朱印。

      20190309六所神社23


宮司さんと連絡を取ると、お近くにお住まいなのか?
5分ほど待っていると社務所にやって来てくれて
御朱印を墨書きしていただきました。

ありがとうございました。



2019/05/01 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り..................日月神社 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

いすみ市内には、御朱印が拝受できる神社が3社在り、
御朱印巡りの参拝をいたしました。


その第1弾は.................日月神社。


日月神社は、いすみ市新田に鎮座する神社です。


建長元年、御厨台(現在のいすみ市新田繰田台)に大日霊貴命を鎮守して創建されました。
慶長元年に現在地(宮ノ台日居森)に奉還し、月夜見命を合祀しました。
慶安3年に本殿を再建し、文政8年本殿を覆う拝殿を造営し、
昭和46年7月桧萱葺を瓦葺に改築しています。
創建以来、氏子・崇敬者は代々「産土様」「鎮守様(おちかんさま)」と尊称して
五穀豊穣、家族、親族の繁栄、家業の隆昌を祈願し、神域を守護しているそうです。


御祭神は、大日霊貴命・月夜見命。




神社社頭。
石段の先に鳥居が見えます。

      20190309日月神社01



鳥居。

      20190309日月神社02



鳥居に掲げられた神額。

      20190309日月神社03



その先にも石段。

      20190309日月神社04



石段を上がれば社殿がお出迎え。

      20190309日月神社06



手水鉢。

      20190309日月神社05



狛犬。

      20190309日月神社07


      20190309日月神社08



手水舎。

      20190309日月神社09



こちらが、拝殿。

      20190309日月神社10



拝殿正面。

      20190309日月神社12


      20190309日月神社11


      20190309日月神社13



別アングルからの拝殿。

      20190309日月神社14


      20190309日月神社15




境内社。

      20190309日月神社16


      20190309日月神社17


      20190309日月神社18


      20190309日月神社19



神輿庫。

      20190309日月神社20



社殿裏手の土壇に何やら説明板が見えます。

      20190309日月神社21



よく見ると、ボルトの木の説明板。

      20190309日月神社22

いすみ市の天然記念物に指定されているようです。



そして、こちらがボルトの木。

       20190309日月神社23
      20190309日月神社24



境内には、御神木の杉の木。

      20190309日月神社25
      20190309日月神社26



参道にも杉の木。
見事と言うしかない。

      20190309日月神社27
      20190309日月神社28
      20190309日月神社29


そして、こちらが日月神社の御朱印。

      20190309日月神社30

参道左手の社務所兼宮司さん宅にて拝受いたしました。







2019/05/01 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................国吉小学校 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

平成29年に、いすみ市の中川小学校と国吉小学校が統合して
新たにいすみ市立夷隅小学校が設立され、
中川小学校と国吉小学校は廃校となりました。
その2校の廃校に訪れるためにやって来たいすみ市。

訪れたのは............いすみ市立国吉小学校。


国吉小学校は、

明治7年      深谷村の円蔵寺に深谷小学校を設置される。
           同時期に苅谷小学校,萬木小学校が開設される。
明治11年     深谷小学校が楽町村へ移転
明治20年     萬木小学校を合併する。
明治22年     苅谷村・弥正村・深谷村・今関村・島村・楽町村・万木村・国府台村が合併して国吉村誕生。
           小学校の組織を変更して、深谷小学校は北尋常小学校、苅谷小学校を南尋常小学校と改称する。
明治24年     国吉村が町制施行して国吉町となる。
明治32年     南北の両小学校を合併して国吉小学校を設置する。
            教場は従来通り南、北教場の名をもって存置する
明治35年     新校舎建築落成により現在地に移転する。
昭和22年     学制改革により国吉町立国吉小学校と改称する。
昭和29年     国吉町、千町村、中川村が合併して夷隅町誕生。
           夷隅町立国吉小学校と改称する。
平成18年     夷隅町、大原町,岬町が合併していすみ市誕生。
           いすみ市立国吉小学校と改称
平成29年     中川小学校と合併して、いすみ市立夷隅小学校が設立。
           国吉小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


統合して誕生した夷隅小学校。
新たな校地を準備した訳ではなく
国吉小学校の校舎を解体して、跡地に新校舎を建設する。
新校舎完成までは、中川小学校の施設を流用して仮校舎とする。
こんな流れで平成29年度よりスタートしています。


こちらが、国吉小学校の正門。

      20190309国吉小学校01

門扉は、しっかりと閉ざされ、中に立ち入る事は出来ません。


広い校庭も整備されているようです。

      20190309国吉小学校02


新しい校舎も完成間近でしょうか?

      20190309国吉小学校03



夷隅小学校のHPを覗くと、3月6日から
新校舎への引っ越し作業が始まったようです。

      20190309国吉小学校04


一部、まだ工事は残っているみたいですが............

      20190309国吉小学校05

どうやら、新学期は新しい校舎で迎えるようになりそうですね。



と、なると春からは現役の小学校となる。

こちらは、裏門のようです。

      20190309国吉小学校06

この門扉の先に行くのは難しくなりますね。


新しい校舎。

      20190309国吉小学校08



新しい体育館。

      20190309国吉小学校07


国吉小学校は、その役目を終えて
夷隅小学校として生まれ変わって行く。

これも時代の流れなんですね。






ここからは、おまけ。




校地に入れないから、ぐるっと校地を正門から裏門まで回っていると
こんな場所に遭遇しました。
      
      20190309国吉小学校09

私有地のようですが、立ち入り禁止でもない。
四阿も設けられている。


そして、数基の碑も建てられている。
その中の1基には『深谷 大曽根 本家の沿革』と記されている。

      20190309国吉小学校10


碑文を読むと、深谷大曽根 本家は上総萬喜城主 土岐氏の重臣だったそうです。
天正十八年の秀吉の小田原攻めにて北条氏は滅亡し、
北条氏に与した萬喜城主・土岐氏も側近と共に他国に逃げ延びましたが
多くの家臣はこの地にて帰農することが許されました。
土岐氏の重臣だった大曽根伊勢守重行の嫡孫の道相(金十郎)も
深谷村で帰農し、深谷大曽根氏の始祖となったそうです。



その大曽根氏の碑。

      20190309国吉小学校11


      20190309国吉小学校12



ちょっとした塀もあって、それっぽく見せている。

      20190309国吉小学校13



近隣の民家の表札をみると、確かに大曽根さん。。

      20190309国吉小学校14


立派な家(屋敷?)が建っている。
きっと、地元の名士になるんでしょうね。


きっと、この国吉小学校も大曽根さんの御尽力があって
この地に建てられたのかもしれない。



2019/04/30 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大野城址   (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


松尾神社をあとにして、向かった先は...............大野城址。



大野城は、1400年代に伊北荘を支配した上総狩野氏の居城と言われてます。
上総狩野氏は伊豆の豪族で、狩野城主であった狩野氏の一族です。
安土桃山時代に画壇を牛耳ることとなった狩野派の始祖である狩野正信を輩出したとされます。

戦国時代には、この地域は大多喜城主である正木氏の支配下になったと考えられます。
従って、大野城も大多喜城の支城となったと推測されているようです。

こうした背景から、大野城には狩野氏の居城としての時代と
正木氏の城郭として戦国末期に取り立てられた時代と二つの時代が存在しており、
現存する大野城の遺構からは、戦国末期に築城、
又は大幅な改修を受けた城とされているようです。



こちらか、大野城の縄張り図。

      20190309大野城縄張り図

( 余湖さんのHP よりお借りしました )





先人さんたちのブログを拝見すると、以前には無かった説明板が
公民館の近くに建っています。

      20190309大野城址01


その近くには、『狩野派始祖 狩野正信 生誕地』 の碑。

      20190309大野城址02


大野城址は台地の上に鎮座する八幡神社を目指せば良い。


こちらが、八幡神社への参道口。
この石段を上がって行けば、八幡神社になります。

      20190309大野城址24

でも、それじゃツマらない。


ここは敢えて、こちらから登城いたしましょう。

      20190309大野城址03



大野城址の見所の一つである堀切。

      20190309大野城址04


      20190309大野城址05


堀切の先は、堀ノ田。

      20190309大野城址06

水堀跡になります。



堀ノ田の右側。
四郭になります。

      20190309大野城址07


耕地化されて、果樹園跡のようですが、
奥にはソーラーパネルが設置されています。

      20190309大野城址08

最近、城跡にソーラーパネルってパターンも多いんだよね。



さらに進んで行きましょう。
右手に三郭を眺めながら進んで行きます。

      20190309大野城址09



そして、鳥居がお出迎え。
先程の八幡神社への石段を上がった所に合流します。

      20190309大野城址10



八幡神社への参道。

      20190309大野城址11



八幡神社への参道は自然の土壇か?
はたまた人工的な土塁なのか?
城址の雰囲気は満載。

      20190309大野城址12


      20190309大野城址13



こちらが、八幡神社。

      20190309大野城址14


八幡神社の先は、二郭への登城路。

      20190309大野城址15



二郭虎口。

      20190309大野城址16


こちらが、二郭。

      20190309大野城址17


耕地化されているけれど、見た感じ休耕中のように感じてます。

      20190309大野城址18


      20190309大野城址19



二郭と主郭を隔てる空堀跡。

      20190309大野城址20



そして、こちらが主郭。

      20190309大野城址21



台地麓から眺める大野城址。

      20190309大野城址22



この真上が二郭になるようです。

      20190309大野城址23


      
こちらは、根古屋地区。

      20190309大野城址25

土塁の跡のような土壇が確認出来ます。



3月も中旬となると、随分と暖かくなって
少しずつ緑も増えてきた。
これから先は下草も増えてきて、城址、城郭巡りには辛くなる季節になりますね。

最近は、城址巡りも機会が減ってきちゃったけれど、
やっぱり、城址・城郭巡りは楽しいものです。




2019/04/29 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

松尾神社 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

廃校巡りで訪れた中川小学校。
敷地内に入れないので、フェンス越しに歩いていると
中川小学校(現:夷隅小学校仮校舎)に隣接して社が鎮座していました。

せっかくだから、参拝していきましょう。

と言うことで、訪れたのは.................松尾神社。


松尾神社は、いすみ市行川に鎮座する神社です。


創建時期や由緒は不詳。
ネットで調べても分かりませんでした。

御祭神は、大山咋神。



社号標を探したけれど見つからない。

      20190309松尾神社01



こちらが、一の鳥居。

      20190309松尾神社02



一の鳥居の先には狛犬。

      20190309松尾神社03


      20190309松尾神社04


      20190309松尾神社05




さらに参道を進みましょう。

      20190309松尾神社06



二の鳥居。

      20190309松尾神社07



手水舎。

      20190309松尾神社08



こちらが、拝殿。

      20190309松尾神社09



拝殿正面。

      20190309松尾神社11


      20190309松尾神社10


      
拝殿正面に掲げられた扁額。

      20190309松尾神社12



別アングルからの拝殿。

      20190309松尾神社13


      20190309松尾神社14



そして、こちらが本殿。

      20190309松尾神社15



びいすけ も参拝。

      20190309松尾神社16


境内社。

      20190309松尾神社17



廃校巡りの途中で遭遇した神社。
由緒ある神社に見えちゃうんだけど違うのかな?

調べてみると、大多喜町の夷隅神社が本務社になるようです。
いつか機会があったら夷隅神社の宮司さんに訊いてみよう。






2019/04/29 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

桜花43乙特攻基地跡 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。

平成29年の春に廃校となった中川小学校(現:夷隅小学校仮校舎)に訪れた際に、
敷地内に入れないので、フェンス沿いに校舎裏手に向けて歩いていると、
目の前に何やら案内板が見えてきた。

      20190309桜花43乙特攻基地跡01



いすみ市教育委員会が設置した説明板でした。

      20190309桜花43乙特攻基地跡02



中川小学校の裏手は山になる。
地形的に、そして雰囲気的に、てっきり城址の案内板かと思ったら違っていた。

      20190309桜花43乙特攻基地跡03

『特攻機 「桜花四三乙型」行方基地跡』とあります。



基地跡は60m先に在ると言う。

      20190309桜花43乙特攻基地跡04



ここで、『桜花』とは?

特攻機・桜花は、機首部に爆弾を載せた小型航空特攻兵器です。
当初は、母機に吊るされて目標物付近でミサイルのように発射されて、
搭乗員が誘導して目標に体当たりさせるものとして開発投入されました。
片道分の燃料を積み、帰還する事も想定されない。
まさに、人間爆弾と言う特攻機です。

しかし発射前に母機が撃墜されてしまい、その戦果を発揮することが出来ず、
連合軍の本土侵攻に備え、ジェットエンジンで地上からのカタパルト発進方式に改められた
桜花四三乙型が開発されました。

内陸部より発射され、機体の軽量化などが図られ、
ジェットエンジンの推進力を利用して300kmの航続距離を得て
目標物に向かうミサイルのようなものです。

桜花四三乙型の発射基地は、全国に数ヶ所設置され
その一つが、ここになります。




正直、個人的には先の(と言っても、もう70年以上も前の方が話しですが)大戦を含め
戦争そのものには否定的で、関心はありませんが
目の前にいきなり戦争遺構が現れると..................


誘惑には勝てません。
ちょっと覗きに行きましょう。


説明板の60m先と言う言葉を信じ、森の中に入って行きます。

      20190309桜花43乙特攻基地跡05



まぁ、森の中(どちらかと言うと山の中?)に入るのは
城址巡りで慣れているからね(笑)。

      20190309桜花43乙特攻基地06



奥へと続く道と言うか、進路。

      20190309桜花43乙特攻基地跡08



この先は、まるで城址の虎口のようにも見える。

      20190309桜花43乙特攻基地跡09


      20190309桜花43乙特攻基地跡10


先に進んで、振り返って見ると............

      20190309桜花43乙特攻基地跡07

『桜花』は、ここから発射台へと向かう計画だったのでは?
中世の城郭で言えば、『馬出し』のようなものだったのか?




コンクリート製の造形物。

      20190309桜花43乙特攻基地跡11

これは、『桜花』の転回台の跡のようです。



転回台の右側には洞窟。

      20190309桜花43乙特攻基地跡12



こちらが、『桜花』の格納庫。

      20190309桜花43乙特攻基地跡13


      20190309桜花43乙特攻基地跡14



その長さは30mにも及ぶ。

      20190309桜花43乙特攻基地跡15


戦後生まれで、戦争を知らない世代だし
戦争を否定する考えは変わらないけれど
実際に、こうやって戦争遺構を見ると考えさせられるモノがある。

ましてや、特攻機と言う今の時代では考えられない感覚の遺構。
時代がそう言った感覚、精神を作ってしまったのか?
よくは分からないが、少なくても悲しい歴史であることには違いない。

同じ過ちをすることなく、こう言った過去の悲しい遺産を遺す事で
平和な時代が末永く続くことに期待するしかない。





2019/04/28 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................中川小学校 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


当初、平成29年に廃校となった中川小学校に向かっていましたが
直前に、昭和53年に移転する前の旧・中川小学校を見つけてしまいました。

その後、向かった先は..................いすみ市立中川小学校。





中川小学校は、明治6年(1873年)の行川尋常小学校の誕生から始まります。
翌年の明治7年に大野尋常小学校が設立されました。


明治6年      行川尋常小学校設立
明治7年      大野尋常小学校設立。
明治22年     増田村・引田村・大野村・札森村・柿和田村・正立寺村
           作田村・八乙女村が合併して中川村誕生。
大正4年      行川尋常小学校と大野尋常小学校を統合して中川尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により、中川村立中川小学校と改称する。
昭和29年      国吉町・中川村・千町村が合併し、夷隅町が誕生。
           夷隅町立中川小学校と改称する。
昭和53年     新校舎落成。学校移転する。
平成17年     夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。
           いすみ市立中川小学校と改称する。               
平成29年     国吉小学校と統合して、いすみ市立夷隅小学校が設立される。
           中川小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




旧・中川小学校からはすぐ近く。
150mほどの距離でしょうか?

この台地の上が中川小学校。

      20190309中川小学校01




こちらが、正門。

      20190309中川小学校02



門柱には表札。

      20190309中川小学校03

そこには『夷隅小学校』の文字が.....................


実は、平成29年に国吉小学校と合併して夷隅小学校が誕生しましたが
校地は、国吉小学校跡地に新校舎を建設していますが
信仰者が出来上がるまで、中川小学校の施設を流用し
夷隅小学校として運用しています。


土曜日で学校は休みと言えども
現役の小学校。
勝手に敷地内に入るわけには行きません。

仕方ないので。門の外、フェンス周りから眺めていきます。

      20190309中川小学校04


      20190309中川小学校05



玄関ロータリーの植え込みの中に建てられている校訓の碑。

      20190309中川小学校06



百葉箱。

      20190309中川小学校07



フェンス沿いの道を歩いて校舎の脇を移動し
校舎の裏手へと回って行きます。

      20190309中川小学校09



こちらは、体育館。

      20190309中川小学校08


      20190309中川小学校10




プール。

      20190309中川小学校11



校庭。

      20190309中川小学校12


      20190309中川小学校14


      20190309中川小学校15




中川小学校と記された標柱。

      20190309中川小学校13

何かの記念のモノだろうか?
近寄って確認したいのですが、やっぱり今回は諦めましょう。


いずれ、国吉小学校跡地に建設中の夷隅小学校の新校舎も完成して
そちらに移転するだろうから、その時に改めて訪れる事にしよう。

その時を楽しみとしたい.............。






      
2019/04/28 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて..................旧・中川小学校跡 (2019年3月9日)(千葉県いすみ市) 

3月9日

この日は、いすみ市に出かけました。


平成29年の春、いすみ市の旧・夷隅町域にある中川小学校と国吉小学校が統合して
新たに夷隅小学校が設立され、中川小学校、国吉小学校は廃校となりました。
その2校を訪れるためにいすみ市内を移動していると、
いすみ鉄道の上総中川駅近くで、目の前にいかにも学校跡らしい場所が視界に入って来ました。

大きな石碑も見えます。

       20190309旧・中川小学校01



いかにも、学校の正門跡っぽく見える。

      20190309旧・中川小学校02


先程の石碑は、忠魂碑。

      20190309旧・中川小学校03

益々、学校跡らしく見えてくる。



そして、忠魂碑の奥のフェンスに囲まれた場所は、何とプール。

      20190309旧・中川小学校04


      20190309旧・中川小学校05

間違いない!
学校跡地と確信!!



たまたま、こちらに来ていたご婦人に尋ねてみたら
この場所は、かつての中川小学校の跡地と言う事でした。

往時の名称で言えば、この地は.........夷隅郡 旧・夷隅町立 旧・中川小学校跡。





中川小学校は、

明治6年      行川尋常小学校設立
明治7年      大野尋常小学校設立。
明治22年     増田村・引田村・大野村・札森村・柿和田村・正立寺村
           作田村・八乙女村が合併して中川村誕生。
大正4年      行川尋常小学校と大野尋常小学校を統合して中川尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により、中川村立中川小学校と改称する。
昭和29年      国吉町・中川村・千町村が合併し、夷隅町が誕生。
           夷隅町立中川小学校と改称する。
昭和53年     新校舎落成。学校移転する。
平成17年     夷隅町・大原町・岬町が合併しいすみ市が発足。
           いすみ市立中川小学校と改称する。               
平成29年     国吉小学校と統合して、いすみ市立夷隅小学校が設立される。
           中川小学校は廃校となる。

と、このような沿革ですが
昭和53年まで、この地に中川小学校が在ったと言う事です。



校地移転後、校舎は取り壊され、
跡地は夷隅地区多目的研修センターとなっています。


校門跡のように見えますが、多目的研修センターの駐車場入口として
新たに作られた通用口です。

      20190309旧・中川小学校06



駐車場。

      20190309旧・中川小学校07

かつての中川小学校の校庭です。



多目的研修センター。

      20190309旧・中川小学校08



奥は体育館。

      20190309旧・中川小学校09

いずれも旧・中川小学校の校舎を解体後建てられたモノです。



体育館前の芝生広場。
かつては、校庭だった場所。

      20190309旧・中川小学校10


      20190309旧・中川小学校11


      20190309旧・中川小学校12



敷地の外周には桜の木が植えられている。

      20190309旧・中川小学校13



移転から約40年。
この大きさだと、移転後に植えられたモノかもしれない。

      20190309旧・中川小学校14


廃校跡地、学校跡地と言えば、
お約束とも言える消防倉庫。

      20190309旧・中川小学校15


偶然とは言え、中川小学校の旧・校地に辿り着く事が出来ました。
中川小学校の移転は約40年前の事だから、
この場所がかつての小学校跡地だったと言う事を知っている人は、
地元でも少ないのかも知れない。

ほんのちょっと、この地の歴史に触れたような気がします、




2019/04/27 Sat. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 出雲大社 上総教会 》 (2017年12月14日)(千葉県いすみ市) 

12月14日

この日は、勝浦市に出かけました。
勝浦市からの帰り道、まっすぐ帰ってもつまらないので
御宿町、いすみ市、一ノ宮町、茂原市と神社を回り
御朱印をいただくことにいたしました。

と言うことで、国吉神社をあとにして向かった先は...............出雲大社 上総教会

まあ、向かったと言うよりは、隣接しているから移動したと言うのが正解。


房総半島に出雲大社? って思ってしまいますが
その由緒を紐解くと...............

幕末の作田村に斧嶽と号する人並みすぐれた怪力と才知の持ち主がおり、
その怪力ぶりは、米俵二俵を背負い、両手に一俵づつさげて持ち、
口に一俵を加えて持ち歩いたと伝えられていました。
長州征伐の際、幕府軍の目付け役となった村の領主は、
強力無双の斧嶽を侍従に選び島根県に到着したが戦いは既に終り、
折しも出雲大社の奉納相撲が催されており、
斧嶽はその相撲に加わり無敵の強さを示しました。
あまりの強さに神業としか思えないと千家宮司より神璽を授かり、
故郷へ帰った斧嶽は仮殿を設け篤く信仰し、
信者は日増しに増え、現在地に神殿が造営されました。
明治25年に遷宮式がおこなわれ、出雲大社と称するようになったそうです。
縁結びの神、福徳、海運の神様として信仰されています。



こちらが鳥居。

      20171214出雲大社 上総教会01


境内には、出雲大社の幟もはためきます。

      20171214出雲大社 上総教会02



島根県の出雲大社同様、縁結びの神とされています。

      20171214出雲大社 上総教会03



社殿前にて。

      20171214出雲大社 上総教会04



こちらが拝殿。

      20171214出雲大社 上総教会05



拝殿に掲げられた扁額。

      20171214出雲大社 上総教会06


      20171214出雲大社 上総教会08



拝殿内部。

      20171214出雲大社 上総教会07


      
出雲大社は、参拝の仕方がちょっと違う。

      20171214出雲大社 上総教会09

二礼、二拍、一礼が通常の参拝作法ですが
二礼、四拍、一礼となっています。

知らなかったぁ。
勉強になります。



本殿の右脇の日御碕神社。

      20171214出雲大社 上総教会10


      20171214出雲大社 上総教会11


本殿左手にある金毘羅社。

      20171214出雲大社 上総教会12



説明板(由緒書き)。

      20171214出雲大社 上総教会13


こちらが、出雲大社 上総教会 の御朱印。

      20171214出雲大社 上総教会14

国吉神社の拝殿前に書き置きのモノを有り難くいただきました。



全国に出雲大社は点在するようで
関東には、東京と相模(秦野市)にしかないとか
諸説があるようですが................
いわゆる大人の事情もあるのかな?


いずれにしても、国吉神社の境内社ではあるが、
由緒正しく出雲大社の称を継承しているようです。
なかなか、島根県の出雲大社には行けないので
千葉県に在って良かった。


2018/02/09 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 国吉神社 》 (2017年12月9日)(千葉県いすみ市) 

12月14日

この日は、勝浦市に出かけました。
勝浦市からの帰り道、まっすぐ帰ってもつまらないので
御宿町、いすみ市、一ノ宮町、茂原市と神社を回り
御朱印をいただくことにいたしました。

と言うことで、玉崎神社をあとにして向かった先は...............国吉神社


千葉県中央部がまだ上総国となる1500年の昔まで、
この地域はいくつもの小国に分れていました。
その中でも長生・夷隅地域を甚国造が治めていました。
第27代安閑天皇の御代に、国造は春日皇后に屯倉を献上し、
現在のいすみ市苅谷の地に勅使を迎える為の仮屋が設けられました。

後に、この仮屋跡に伊甚国造の祖である天穂日命(出雲国造の祖)と
建比良鳥命が仕えた大国主命の御子上である健御名方名が祀られたのが
国吉神社の始まりされています。
さらにさの後、各地の神々が合祀され国吉神社と称されるようになり、
厄除け・八方除け・交通安全・家内安全の神社として信仰されているそうです。



こちらが、国吉神社の社号標。

      20171214国吉神社01


一の鳥居。

      20171214国吉神社02


      20171214国吉神社03


社号標脇の狛犬。

      20171214国吉神社04


参道には国吉神社の幟。

      20171214国吉神社05



国吉神社の由緒書き。

      20171214国吉神社06



こちらが社務所。

      20171214国吉神社07


宮司さんは所用の為、外出中。

      20171214国吉神社08



こちらは、二の鳥居。

      20171214国吉神社09


二の鳥居をくぐって、社殿に向かえば手水舎。

      20171214国吉神社10



拝殿前の狛犬。

      20171214国吉神社11



こちらが、拝殿。

      20171214国吉神社12



拝殿に掲げられた扁額。

      20171214国吉神社13



拝殿内部。

      20171214国吉神社14


拝殿内部にあった、国吉神社の提灯。

      20171214国吉神社15


拝殿を別アングルから。

      20171214国吉神社16


こちらが、本殿。

      20171214国吉神社17


      20171214国吉神社18



本殿脇には御神木。

      20171214国吉神社19


かなり立派な御神木。

      20171214国吉神社20
      20171214国吉神社21



境内社。

      20171214国吉神社22


      20171214国吉神社23



こちらが、国吉神社の御朱印。

      20171214国吉神社24

宮司さんは不在でしたが、拝殿前に書き置きの御朱印が置かれていましたので
そちらを有り難くご拝領いたしました。


2018/02/08 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り...............《 玉崎神社 》 (2017年12月9日)(千葉県いすみ市) 

12月14日

この日は、勝浦市に出かけました。
勝浦市からの帰り道、まっすぐ帰ってもつまらないので
御宿町、いすみ市、一ノ宮町、茂原市と神社を回り
御朱印をいただくことにいたしました。

と言うことで、春日神社をあとにして向かった先は...............玉崎神社

玉崎神社は、物部氏一族が創建した歴史ある古社で、
古事記・日本書紀にその名が記されているそうです。
かつては、安房神社・香取神宮と並んで、房総三大神社と呼ばれ、
上総一ノ宮の玉前神社の本宮にあたるそうです。
1200年以上も続く、物部氏直系の子孫が代々神職を務める歴史のある神社で、
春分の日、秋分の日のレイラインの入口にあたる「天道の神社」でもあると言われています。



こちらが、玉崎神社の社号標。

      201710214 いずみ玉崎神社01


一の鳥居。

      201710214 いずみ玉崎神社02



鳥居をくぐって石段を上り、社殿を目指します。

      201710214 いずみ玉崎神社03



石段を上りきると、狛犬が出迎えてくれます。

      201710214 いずみ玉崎神社04

この狛犬ひょうじょが何とも言えません。

ラブラドールに見えてしまうのは気のせい?(笑)

      201710214 いずみ玉崎神社05


      201710214 いずみ玉崎神社06



手水舎。

      201710214 いずみ玉崎神社07



由緒書き。

      201710214 いずみ玉崎神社08



こちらが、拝殿。

      201710214 いずみ玉崎神社09


      201710214 いずみ玉崎神社10


      201710214 いずみ玉崎神社11



拝殿の彫刻。

      201710214 いずみ玉崎神社12


      201710214 いずみ玉崎神社13




別アングルからの拝殿。

      201710214 いずみ玉崎神社14


      201710214 いずみ玉崎神社15



そして、本殿。

      201710214 いずみ玉崎神社16


神楽殿かと思っていたら、どうやらこちらは社務所。
中に女性が2名いて、宮司さんは女性でした。
御朱印は、こちらでいただきました。

      201710214 いずみ玉崎神社17


境内社。

      201710214 いずみ玉崎神社18



こちらが、玉崎神社のパワースポットで有名な琴平神社。

      201710214 いずみ玉崎神社19


確かに、他とは違う何かを感じる一画です。

      201710214 いずみ玉崎神社20



玉崎神社神社周辺の森には、古い椎木が群生していて、
それが、千葉県の天然記念物に指定されているようです。

      201710214 いずみ玉崎神社21



神々しい場所に神々しい椎の巨木。
益々、パワースポットらしさを感じます。

      201710214 いずみ玉崎神社22



こちらが、玉崎神社の御朱印。

      201710214 いずみ玉崎神社23


上総一ノ宮である玉前神社の本宮とされ、数々のパワースポットを有し
神々しさを感じる玉崎神社。
訪れるまで全く何も知らなかったけれど、勉強になりました。









2018/02/07 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神⑦ 《 西善寺 福禄寿 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。


そんな『心の駅 外房七福神』巡りの最終章
西善寺の福禄寿です。


西善寺は天文三年(1534)法印慈光の開基と伝えられる。
戦国時代、この地は臼井将監定澄の支配地でしたが、里見氏の軍勢に攻められて
里見家の支配下になり、西善寺も焼失してしまったそうです。
本堂は文化六年(1809年)に、再建されたものとされています。
西善寺の御本尊は阿弥陀如来です。
その阿弥陀如来は秘仏で年に1月1、2、3日にだけ公開するそうです。


福禄寿は
長寿・幸福の徳を持ち、招徳人望の神様として信仰されています。
ご神名は伊装諾尊。長寿の神ですが、
一般には人々の幸福、授かる財物、人々の寿命を司る神様として親しまれています。



こちらが、西善寺の山門。

      20170121西善寺 福禄寿01

本堂は正面にありますが...............


こちらが閻魔堂。

      20170121西善寺 福禄寿02


閻魔を描いた地獄図。

      20170121西善寺 福禄寿09      

閻魔堂の脇に飾られています。

西善寺では、毎年、1月15日、16日。7月15日、16日が
『えんまさま御縁日』となっているようです。



こちらは薬師堂。

      20170121西善寺 福禄寿10

毎月8日がお薬師さんの御縁日だそうです。




こちらが本堂。

      20170121西善寺 福禄寿03



本堂に掲げられた扁額。

      20170121西善寺 福禄寿12


本堂に向かって右側には石仏群。

      20170121西善寺 福禄寿08




本堂に向かって左側には、ずらっと並ぶ七福神。

      20170121西善寺 福禄寿04


      20170121西善寺 福禄寿05

どうやら、ここに七福神全て揃っていますが、目的の福禄寿はコレじゃない。



『心の駅 外房七福神』の福禄寿は、この奥にあるみたい。

      20170121西善寺 福禄寿06


扉は閉まり、鍵も掛かっていて中には入れない。


ガラス越しにパチリ☆。

      20170121西善寺 福禄寿07

木像の立派な福禄寿のようですが、個人的には立派じゃなくても良いから
気軽に触ったり、拝めることの出来る七福神像の方が良い。



西善寺の墓地奥には、樹齢1000年を超えるシイノキがあります。

      20170121西善寺 福禄寿11


とりあえず、これで『心の駅 外房七福神』の福禄寿も制覇。
そして、『心の駅 外房七福神』巡りも完了です。

朝から一宮町、いすみ市と車で走り抜け、七福神巡りも制覇して
ほんのちょっぴりの充実感を胸に帰路に着くのでありました...............。





2017/02/14 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

椿公園  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

この日は、『心の駅 外房七福神』巡りでいすみ市に出かけました。

いすみ市には、以前から気になっていた公園があるので
これ幸いと、そちらの公園にも足を伸ばして見ました。

向かった先は...............椿公園




椿公園は、ふるさと創生事業の一環として千葉県地域観光振興事業により進めてきたものです。
旧・大原町の町木である椿を植栽し、散策や観賞を楽しむ場として整備されました。
公園内は、自然を残し、樹林の保全に留意しつつ多種の椿を植栽し中心施設の設置と、
観賞・散策のための園路・吊橋・四阿・展望台などを設置しました。

元々、旧・大原町は昭和40年に椿を町木に制定し
椿が多数群生する、若山・深堀・日在地区には椿が多数群生しており、この地区を「椿の里」として
その保護・育成に努めてきました。

椿に溢れた中を散策や鑑賞を楽しむ場として「椿公園」が整備されました。



 
こちらが、椿公園の入口。

      20190121椿公演01



案内板は錆びで赤茶けて説明文が読めない。
とりあえず、園内図が見えるだけでも良しとしましょう。

      20190121椿公演02



公園に入ると、いきなり正面に吊り橋。

      20190121椿公演03



この吊り橋が、この椿公園のウリの一つ。

椿公園には、吊り橋が2つあり、こちらが長さ70mの大吊橋。

      20190121椿公演04


多少の揺れを感じながら、大吊り橋を渡っていると
視界に長さ40mの吊り橋が入ってきます。

      20190121椿公演05


反対側には堰(ため池)も見えます。

      20190121椿公演06

吊り橋の上からの眺望も中々のモノ。



大吊り橋を渡ると、散策路は台地(山)を登るようになります。

      20190121椿公演07



この先には展望台があるようです。

      20190121椿公演08


とりあえず、展望台を目指して、尾根沿いの散策路を歩きます。

      20190121椿公演09



展望台は間も無く。
最後の登りはやっぱりツライ。

      20190121椿公演10



展望台に到着。

      20190121椿公演12


展望台と言うだけあって、眺望に長けています。

      20190121椿公演11


      20190121椿公演13



展望台に来るまで、登りの山道(?)の足元に気を取られていて気付かなったんだけど
展望台の脇の斜面に椿の花。

      20190121椿公演14



展望台から、一気に下っていきます。

長さ40mの吊り橋を逆アングルから。

      20190121椿公演15



40mの吊り橋も渡り、公園の一番低い辺りへと向かいます。

      20190121椿公演16

周りには椿の木がいっぱい。


所々に赤い椿の花が咲いていますが、まだ早いのか? 蕾が多い。
椿って冬の花だから、1月中旬の今が見頃じゃなかったっけ?

40mの吊り橋の下は、まるで椿畑。

      20190121椿公演18


      20190121椿公演19



70mの大吊り橋を下から見上げて見ます。

      20190121椿公演17

やっぱり、デカい。




      
こちらが西の谷堰。

      20190121椿公演20



西の谷堰は、そんなに大きくはないから
ぐるっと一周してみましょう。

西の谷堰越しの大吊り橋。

      20190121椿公演21


種類は違うと思うけれど、ピンクの花弁の椿の花。

      20190121椿公演22



こちらは、今が見頃っぽい。

      20190121椿公演23


      20190121椿公演24




再び、大吊り橋を見上げながら、駐車場へと戻ります。

      20190121椿公演25


大吊り橋の先には、先ほど登った展望台。

      20190121椿公演26




わざわざ訪れる公園では無いかも知れないけれど
花好きな方や、椿の花を堪能したい人にはオススメかも知れない。

いすみ市に来ることがあって、時間があって、
散策路を歩くのが好きな人には御誂え向きの公園になるでしょう。



2017/02/13 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

トンボの沼  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

この日は、『心の駅 外房七福神』巡りで、いすみ市に出かけました。

いすみ市には、以前から気になっていた公園と言うか、スポットがありました。
せっかくいすみ市に来たのだから、立ち寄らない手はない。

と言うことで、立ち寄った先は...............トンボの沼



トンボの沼は、昔は農業用水の『高田堰』と呼ばれていた堰でしたが
平成6年(1994年)にトンボ沼としていすみ市によって開設され、
千葉県いすみ環境と文化のさとセンターの施設の一つとして運用されています。
と言っても料金は無料。休憩室も設置されており、トイレも完備。
休憩室内には、トンボの沼やホタルで有名な山田川の動植物の写真などが展示されています。

その千葉県いすみ環境と文化のさとセンターって?

調べてみると...............
(千葉県いすみ環境と文化のさとセンター のHPより抜粋)


平成4年、環境庁(当時)は、

豊かな自然を保全する
自然とのふれあいを通じて地域の自然と人間関係を見つめなおす
環境に優しい文化を創造すること
を目的とした「環境と文化のむら(さと)」という施設を、全国4ヶ所に設置する方針を決めました。

設置する地域の選定基準は、

トンボ、ホタル等の小動物が生息する
里山の緑、水辺環境等身近な自然が、一定の広がりを持って残されている地域
というものでした。

全国位置図
その基準を満たし選ばれた地域は4ヶ所。

山梨県八ヶ岳南麓
鹿児島県屋久島
秋田県五城目町
千葉県夷隅郡

いすみは、夷隅川が流れ、田畑、丘陵地、草地など多様な自然環境に恵まれています。
また、生物も豊かで、絶滅が危惧されている生物も生息しており、
全国4ヶ所に選ばれるほどの価値を持っているといえます。
そうして、いすみ環境と文化のさとは、平成7年1月4日にオープンしました。
本施設では、いすみ市万木にあるネイチャーセンター
(生態園・昆虫広場・デイキャンプ場・湿性生態園)を中心にして、
小動物の広場(松丸)
ふるさとの森(松丸)
万木の丘(万木)
トンボ沼(高谷)
ホタルの里(山田)
照葉樹の森(鴨根)
昆虫広場(細尾)
7つのスポットゾーンを指定しております。



と、まあ、こんな経緯で整備された公園施設の一つであるようです。


う〜む、昨今流行りの『ビオトープ』とか『里山再生』といった
時代の流れで生まれた施設のようです。



と言うことで、こちらがトンボの沼。

      20170221トンボの沼01



案内板も準備されています。

      20170221トンボの沼02



高田堰に木道を設置し、散策できるようになっています。

      20170221トンボの沼03


こちらが、休憩所。

      20170221トンボの沼04

トイレも完備されています。



では、木道を歩きながら、トンボの沼を散策しましょう。

      20170221トンボの沼05



木道と木道を中継する中洲(?)には、こんなモノがあります。

      20170221トンボの沼06

まるで、小学校の卒業製作のようなモニュメント。


こちらは、『高田観光事業五周年記念碑』。

      20170221トンボの沼07

高田堰をトンボ沼として整備して五周年の記念なんでしょうね。



四阿も視界の先にあります。

      20170221トンボの沼08



四阿に向かって見ましょう。

      20170221トンボの沼09



四阿でいきなり小休止?

      20170221トンボの沼10



まだ散策を始めたばっかりだけど
まぁいいか。
びいすけ のおやつタイムにしましょう。

      20170221トンボの沼11



『欲しい〜?』

      20170221トンボの沼12

って要らない訳がない(笑)。


ジャーキーチップスに貪りつく びいすけ 。

      20170221トンボの沼13


四阿から見るとトンボの沼は、こんな感じ。

      20170221トンボの沼14

時期的に枯れてしまっているけれど
夏場は葦が生い茂る沼のようです。


小休止も終え、再び散策開始です。

      20170221トンボの沼15



木道で沼を縦断するように散策路は続きます。

      20170221トンボの沼16


      20170221トンボの沼17


      20170221トンボの沼18


      20170221トンボの沼19


      20170221トンボの沼20


      20170221トンボの沼21



このアングルからがトンボの沼がそれらしく見えるかな?

      20170221トンボの沼22


葦が生い茂り、水面を蓮が覆い蓮の花が咲く季節になれば
背後の山もトンボの沼も緑が映えるんだろうなぁ。

その頃に、また訪れてみようかな?















2017/02/12 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神⑥ 《 三光寺 弁財天 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日 公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市

と、このような構成になっています。


そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第6弾。
三光寺の弁財天です。

弁財天とは唯一の女神で、知恵財宝、愛嬌縁結びの徳があるといわれます。
インドの水の神、音楽の神、知恵の神。
本来の姿は、八臂で金剛杵・弓矢・刀などを持ち、水の恵みを与え、
河の怒りをもって水を供給してくれる五穀豊穣の神様でもある。
中世以降では、琵琶を抱える姿が多くなり、音楽や芸能、弁舌の神様となったそうです。


三光寺は戦国時代には土岐氏の居城である万木城があった小高い山の麓付近に位置する寺社です。
万木のお願い薬師、占いの妙見様として地元の信仰が厚いお寺です。
また、三光寺は「万木城鎮守妙見社の別当となす」と社伝にあり、
本堂から切り通し道をはさんだ向かい側には妙見堂があり、
妙見大菩薩を中心に飯綱大権現、愛宕大権現が祀られています。
妙見大菩薩は万喜城の守護神、愛宕大権現は城主の守り本尊として
常に戦場に持参したと言われています。



実は、この三光寺にも以前訪れたことがあります。
その時は、三光寺が最たる目的では無く、
山城である万木城址に来た時に、その麓の三光寺にも足を伸ばしました。

今回は、三光寺そのものが目的地。

      20170121三光寺 弁財天01


こちらが、三光寺の山門(四脚門)。

      20170121三光寺 弁財天02


この山門はいすみ市の文化財に指定されています。

      20170121三光寺 弁財天03



扁額は掲げられていなく、正面には三光寺の表札。

      20170121三光寺 弁財天04


こちらが、三光寺の本殿。

      20170121三光寺 弁財天05

天台宗のお寺で、妙見山三光寺と言うのが正式名称らしい。


本堂に掲げられた扁額。

      20170121三光寺 弁財天06



境内をぐるっと一回りして、お目当の七福神を探しましたが見つからない。
お寺の方に尋ねたら、本堂の中に七福神の弁財天が鎮座していると言われ
諦めて帰ろうとしたら、本堂の扉を勝手に開けて構わないと言われ
すぐさまチェック。

ちょっと暗くて見づらいですが...............

こちらが、『心の駅 外房七福神』の弁財天。

      20170121三光寺 弁財天07


扉を開けると、すぐに立派な弁財天がありました。

      20170121三光寺 弁財天08

1月後半と言えども、まだまだ七福神の時期だから
扉の近くに置いてあるのだろうか?




三光寺には、七福神の弁財天の他に、七福神が一緒になった石碑があります。

      20170121三光寺 弁財天09

これだけでは、なんと無く有り難みが薄い気がするのは気のせい?



切り通しを挟んだ反対側の高台が妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天10



石段には三光寺の寺号標。

      20170121三光寺 弁財天11

寺紋は七曜紋。


妙見堂も七曜紋。

      20170121三光寺 弁財天12



こちらが、妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天13


妙見堂の扁額。

      20170121三光寺 弁財天14


万木城守護神 北辰妙見大菩薩 と記されています。

      20170121三光寺 弁財天15



賽銭箱や至る所に七曜紋。

      20170121三光寺 弁財天16


      20170121三光寺 弁財天17


      20170121三光寺 弁財天18


      20170121三光寺 弁財天19

万木城って土岐氏の居城だったはず...............

千葉氏の家紋でもある『七曜紋』が多いのはなぜ?
土岐氏の家紋って、確か『土岐桔梗』だったはず。
素朴な疑問が浮かびます。


三光寺の脇にはため池があり、四阿もあります。

      20170121三光寺 弁財天20



四阿から眺める妙見堂。

      20170121三光寺 弁財天21


先ほどの素朴な疑問は解決しませんが、
とりあえず『心の駅 外房七福神』の弁財天を制覇です。



2017/02/11 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

心の駅 外房七福神⑤  《 行元寺 毘沙門天 》  (2017年1月21日)(千葉県いすみ市) 

1月21日  公休日

毎年、1月のこの時期に集中的にしている七福神巡り。

今回は、房総半島のいすみ市、一宮町に点在する
『心の駅 外房七福神』巡りにチャレンジです。


心の駅 外房七福神は

寿老人     観明寺    一宮町
布袋尊    東漸寺    一宮町
恵比寿    遍照寺     一宮町
大黒天    法興寺    いすみ市
毘沙門天   行元寺    いすみ市
弁財天    三光寺    いすみ市
福禄寿     西善寺    いすみ市


と、このような構成になっています。



そんな『心の駅 外房七福神』巡りの第5弾。
行元寺の毘沙門天です。


行元寺は、嘉祥2年(849年)に慈覚大師によって伊東大山(大多喜町)に草創されました。
300余年隆盛を極めていましたが、幾度となく戦禍に遭遇して、
その都度、冷泉家や二階堂氏、武田氏、土岐氏などにより再興されています。
天正14年(1586年)に大多喜から現在地に移築しました。
本多氏の信仰を集め、徳川家の庇護のもと10万石の処遇を受けました。
檀林として末寺が100寺を有し人材育成と芸術、文化向上に努めてきた寺として知られています。

毘沙門天はインド出身の神様です。
仏教四天王の一人。多聞天とも言われており、
さらに金毘羅の別名もあり、
招福利財・融通招福の神として広く親しまれています。


行元寺は外房七福神よりも、波の伊八の彫刻のあるお寺として著名なようです。

      20170121行元寺 毘沙門天01

ここで、波の伊八に触れてみましょう。

波の伊八とは、初代「波の伊八」のことで、
武志伊八郎信由は1752年(宝暦2年)に、現在の鴨川市打墨で生まれました。
子どもの頃から手先が器用であったようで、彫刻師である嶋村貞亮に弟子入りをし、
腕を磨き、安房・上総をはじめ、江戸や相模など、南関東を中心に50点余りの彫刻を残しています。
伊八は若いころから才能を発揮し、次第にその腕を買われ、数多くの仕事をこなしていきますが、
別名「波の伊八」と呼ばれるように、大小に関わらず多くの波を彫っています。
彼の彫る彫刻は、立体感や奥行きがあり非常に優れていますが、
特に波は躍動感に満ちています。
そして、彼の彫る波の彫刻は、かの葛飾北斎の代表作「神奈川沖浪裏」に影響を与えているとされているようです。




こちらが、行元寺の寺号標。

      20170121行元寺 毘沙門天02


参道をひたすら上がって行きます。

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参道には行元寺の説明板、案内板が並んでいます。

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こちらが、行元寺の山門である『慈雲閣』。

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朱色の外装と、華麗な彫刻が印象的です。
いすみ市の文化財に指定されているようです。



慈雲閣に掲げられた扁額。

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欄干に飾られた彫物が貴重なモノのようです。

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慈雲閣をくぐり、先へと進めば新たな案内板。

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波の伊八の作品と葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を並べ
比較し、類似している様を案内しています。


この門の先が本殿。

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こちらが本堂 

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建立されたのは安土桃山時代と言うから驚きです。
元禄時代に 拡張改造した大建造物です。  


閉まっていた扉を開けてもらい、扁額を確認します。

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『無量寿院』と記されています。



境内にも行元寺の説明板がありました。

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そして、本堂前にはお目当の七福神。

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『心の駅 外房七福神』の毘沙門天です。

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境内には、こんなモノもあります。

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『母さんたずねて』の歌碑。

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多羅葉の木。

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亮運僧正の石塔篭。

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本堂の鬼瓦。

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供養半鐘

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どうやら、複製品のようです。

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徳川家康の家臣の四天王の1人であった大多喜城主・本田忠勝の信仰を集め、
徳川家の庇護を得ていたことから、徳川家の家紋も見受けられます。

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御存知、三つ葉葵。


本堂の屋根にも三つ葉葵。

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こちらが、行元寺の寺紋のようです。

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そして、こちらが鐘楼。

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1日に2回、この鐘は突かれているようです。


本殿隣の客殿で波の伊八の作品が土・日に限り拝見出来るようですが
びいすけ を連れては見学出来ないから、諦めます。

って言うか、余りにも波の伊八を強調しずぎる感があって
ちょっぴり興醒めの感もある。


いすみ市が建てた伊八関連の説明板。

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そして、四阿ならぬ休憩所には『伊八亭』と看板が掲げられています。

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おいおい、ちょっとやり過ぎじゃないのかい?(笑)


そんなこんなで、『心の駅 外房七福神』の毘沙門天も制覇です。





2017/02/10 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit