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び・び・びのびいすけ

今週は、コレ!    《 TUDOR TIGER Chronograph 79260  》    (2017年9月25日) 

9月25日

毎週、月曜日に着け変えている腕時計。
今週は、こちら。

      TUDOR TIGER01

TUDOR TUDOR TIGER Chronograph 79260  


私が大好きである時計メーカーの一つである 『 TUDOR 』
ROLEXのディフュージョンブランドとして生まれたTUDOR。

1996年にプロゴルファーとなり、若干21歳で史上最年少賞金王となったタイガー・ウッズ。
1998年にROLEXが「チュードルとして名乗りをあげ、公式スポンサーとなりました。

TUDORには元々、「クロノタイム」というペットネームで長く愛されるモデルがありました。
1998年に公式スポンサーとなったTUDORは,
その年に、「クロノタイム」とタイガー・ウッズとのコラボレーション時計を発表しました。
通称「クロノタイム タイガー」は文字盤の12時位置にある分積算計インダイアルの下部に
「TIGER」と印字された時計でした。

      TUDOR TIGER02

それが、このTUDOR TIGER Chronograph 79260  です。


赤い文字盤がひときわ映えます。

      TUDOR TIGER03


当時、世界最強のプロゴルファーの名を手にしていたタイガー・ウッズ。
最終日の最終組でホールを回るタイガー・ウッズ。
黒いNIKEのキャップをかぶり、真っ赤なNIKEのポロシャツを着て
彼の腕には、このクロノタイム タイガーが着けられていたと言うことです。


以前は、ROLEXと同じ王冠マークの竜頭でしたが
現在のTUDORはイギリスの名門「チューダー家」の盾をモチーフにした
盾マークに変わっています。

      TUDOR TIGER04




久しぶりに腕に着けてみましょう

      TUDOR TIGER05


      TUDOR TIGER06


ずっしりと重い。

17年ほど前に、渋谷の宝石広場で新品のこの時計に出会い一目惚れ。
20回のローンを組んで買って、その場で腕に着けて帰った日を思い出します。


さあ、今週も頑張りましょう!!




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2017/10/24 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

手作りに挑戦..............................犬服作り 第119作目 (2017年月日) 

9月6日〜7日と個人的な連休でしたが
8月後半から、休みの日に雨が降っています。
普段の行いが悪いのか?


9月6日(水)も朝起きたら、霧雨。
茨城県の方に足を伸ばすつもりでいたけれど
天気ぐ悪いんじゃ仕方ない。

この日は、することも無いから、昼過ぎまで二度寝。

午後から、ドッグランにでも出かけようかと思ったけれど
いつ降り出してもおかしくない曇り空。

こんな日には、犬服作りでもいたしましょう。



今回は、こちらのタンクトップを利用して、
びいすけ のラグラン袖のシャツを作りましょう。
小さめのタンクトップだから、
後ろ身頃と前身頃しか生地としては取れそうも無い。
袖部分は他の生地を利用することにいたしましょう。

      犬服11901



先ずは、後ろ身頃から。

型紙を当てて、マチ針で仮固定したらチャコでマーキング。

      犬服11902

チャコのマーキングに合わせて
ローリングカッターで裁断します。


続いて、前身頃。
同じように型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服11903

チャコのマーキングに合わせて、
ローリングカッターで裁断します。


ラグラン袖の袖は、手持ちの端切れを使いましょう。
型紙を当てて、チャコでマーキング。

      犬服11904

チャコのマーキングに合わせて
ローリングカッターで裁断します。


生地取りも無事完了です。

      犬服11905



こちらが後ろ身頃。

      犬服11906



こちらが前身頃と両袖。

      犬服11907




それでは、ミシン作業に取り掛かりましょう。

先ずは、前身頃と後ろ身頃を縫い合わせて身頃にします。
胴部分をマチ針で仮固定したら、直線縫いでカタカタカタ。

      犬服11908



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服11909



続いて、袖作り。
袖用の生地の端を縫い合わせて筒状にします。
直線縫いでカタカタカタ。

      犬服11910



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服11911


筒状になった袖を身頃に縫い付けていきます。
マチ針で仮固定したら、直線縫いでカタカタカタ。

      犬服11912



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      犬服11913


ここまで来たら、形はほぼ出来上がり。

      犬服11914



びいすけ の仮試着。

      犬服11915



この日は、並行して4着の犬服作りを同時進行。
同じ工程を続けた方のが効率が良いって言うのもあって
生地の裁断から、身頃に仕上げるまでを行いました。
すなわち、ここまでが9月6日の作業です。



そして、ここからが9月19日の作業となります。


先ずは、リブ作り。
今回は、こちらの色にしてみましょう。

      犬服11916



リブ生地の裁断幅は7cmとして
襟口 縫い合わせ寸法16.5cm だから
    リブ寸法は15cmに
袖口 縫い合わせ寸法10cm だから
    リブ寸法は9cmに
丈裾 縫い合わせ寸法31cm だから
    リブ寸法は28cmに採寸して裁断(カット)しました。

      犬服11917



カットしたリブ生地の端を縫い合わせて輪っかを作ります。

      犬服11918



輪っかも完成。

      20170919犬服11919



それでは、リブ付けに参りましょう。

先ずは、襟口のリブ付け。
リブをマチ針で仮固定したら、直線縫いでカタカタカタ。

      20170919犬服11920



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20170919犬服11921



続いて両袖のリブ付け。

マチ針で仮固定したら、直線縫いでカタカタカタ。

      20170919犬服11922


ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20170919犬服11923



襟口と両袖のリブ付け完了。

      20170919犬服11924

残すは裾周りのリブ付けです。


いよいよ仕上げの段階。
裾周りのリブ付けです。

リブを引っ張り気味に伸ばしながらマチ針で仮固定したら
直線縫いでカタカタカタ。

      20170919犬服11925



ほつれ防止のジグザグ縫いもカタカタカタ。

      20170919犬服11926



最後に表面からリブの浮き上がり防止用に
リブの周囲を直線縫いでカタカタカタ。

      20170919犬服11927



これでミシン作業も終了。

      20170919犬服11928

そうです! 一応、完成となります。


出来上がりは、こんな感じです。

      20170919犬服11929


      20170919犬服11930


      20170919犬服11931

ミッキーの柄が何となく唐草模様に見えたりして...............(笑)




びいすけ に試着してもらいましょう。

      20170919犬服11932


      20170919犬服11933


      20170919犬服11934


      20170919犬服11935


やっぱり、唐草模様に見えちゃうなあ。

唐草模様って言えば『東京ぼん太』。
子供の頃に唐草模様の風呂敷で『東京ぼん太』の真似をしていたっけ。

でも、東京ぼん太 を知ってる人って、かなりの年代になるはず。

ねえ、これを読んでいる貴方(貴女)
東京ぼん太 知ってます?(笑)







2017/10/23 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

今週は、コレ!    《 RICOH Auto Just 》    (2017年9月18日) 

9月18日

毎週、月曜日に着け変えている腕時計。
今週は、こちら。

      RICOH Auto Just01

RICOH Auto Just


『Yes ! RICOH』
その昔、こんな台詞を使ったCMがあったのを思い出します。


昭和40年代の自動巻きの腕時計。
12時位置に曜日、3時位置に日のカレンダーで
00時Justに瞬時に切り替わります。
(だからAuto Justって言うんですけど...............)

とは言え、既に50年近く時を刻んできた腕時計。
たまに、1〜2分ずれて替わることがありますが、
それもまた、ご愛嬌と言ったところでしょうか。

33石の機械式時計。
機械式腕時計の内部には、多数の軸があります。
多くは歯車の軸ですが、その他に回転する振り子やバネの軸もあります。
これらの軸は小さな力で精密な動きをしますが、
何十年にもわたって正確に動き続けるためには、軸受けの摩耗は禁物となります。
そこで、摩耗を最小限におさえるために、軸受け部分に人工の宝石で出来た部品を使います。
その石は人工ルビーで、1本の時計に人工ルビーが何ヶ所使用されているかによって、
17石とか23石と言ったように呼ばれます。
17石ならば17個、23石ならば23個の人工ルビーを用いている事になります。

まあ、用いられる人工ルビーの数が多ければ、
それだけ性能が高いと言うことになるようです。

ちなみに、この時計には33ヶの人工ルビーが入っていることになります。



ケースは、スタンダードなラウンド型。
文字盤もシルバーと、至ってスタンダード。

      RICOH Auto Just02



私の手元に来たのは7〜8年前。

      RICOH Auto Just03



歴代の所有者が使い込んでいたようで
ケース裏蓋の刻印は消えかかっています。

      RICOH Auto Just04



早速、腕に装着してみます。

      RICOH Auto Just05


      RICOH Auto Just06


落ち着いた雰囲気の時計ですね。


さぁ、今週も頑張りましょう!!



2017/10/22 Sun. 14:14 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 御前山 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


常陸大宮市に那珂川を挟んで隣接する城里町に
茨城百景があると知り訪れてみました。


常陸大宮市から那珂川大橋を渡り、城里町に入った辺りから
眼前に見えるのが、 茨城百景 御前山


茨城百景の碑は、那珂川大橋の近くに在るとのことですが
その辺りに駐車場は無いので、御前山の近くにある、
道の駅『かつら』の駐車場をお借りしちゃいましょう。

      20170914l茨城百景 御前山01


ついでに、ちょっぴり小腹も空いたから
休憩でもしちゃいましょう。

って思っていたら、屋外の売店はちょうど閉店作業中。
16時に店終いのようです。
残念!

      20170914l茨城百景 御前山02


      20170914l茨城百景 御前山03



気を取り直して、茨城百景の碑を探しに行きます。
茨城百景の碑は、御前山バス停近くの斜面に建っているらしい。


バス停、発見!

      20170914l茨城百景 御前山04


近くの斜面に目を移し、茨城百景の碑を探します。

時期が悪いのが?
それとも常陸大宮市の在る場所が悪いのか?
伸びている雑草や木々の茂みに隠れて
肝心の碑が良く見えません。

      20170914l茨城百景 御前山05

画像では見づらいですが、この茂みの中に碑があるのは間違い無い。
うっすらと丸っぽい碑が見えるんだよなぁ...............
よっぽど、日頃の行いが良くないのか?(笑)



碑の建っている斜面の背後が御前山。

      20170914l茨城百景 御前山06

この日は、すでに16時過ぎ。
さすがに、これから山に向かうのは気がひける。


近くの那珂川近辺を散策いたしましょう。

      20170914l茨城百景 御前山07



那珂川大橋越しに眺める御前山。

      20170914l茨城百景 御前山08



那珂川大橋からの那珂川。

      20170914l茨城百景 御前山09



橋の欄干の隙間から覗き込む びいすけ 。

      20170914l茨城百景 御前山10



本当は水が怖いくせに(笑)

      20170914l茨城百景 御前山11



那珂川の河原に降りてみました。

鮎釣りに興じる人もそれなりに居る。

      20170914l茨城百景 御前山12


      20170914l茨城百景 御前山13



御前山のハイキングコースの途中に滝もあるらしいから
本当は御前山のハイキングコースを歩いてみたかったんだけど
今回は断念。

次回にでも、しっかりと茨城百景の碑を確認して
滝の流れでも眺めることにしよう。






2017/10/22 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 長田小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第15弾は...............旧・山方町立 長田小学校


長田小学校の詳しい沿革は不明ですが
こちらの前に訪れた塩田小学校閉校記念碑の中に
そのヒントはありました。

長田小学校は、

明治22年に設立された塩田村立尋常小学校のぶんが始まりのようです。

明治25年     独立して塩田第二尋常小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により、塩田村立塩田第二小学校と改称する。
昭和30年     塩田村の一部(長沢・ら長田・照田の一部)が山方町に編入され
           山方町立長田小学校と改称する。
平成15年     野上小学校、小貫小学校と合併して新たに山方南小学校が開校。
           長田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


長田小学校の敷地は現在、NPO法人『おさだの杜』として
障害者の自立支援及び就労支援のための施設となっているようです。

さすがに犬連れで敷地内に入るのはマズイと思い
県道沿いの正門前から敷地内を覗きます。

こちらが正門。

      20170914長田小学校01


      20170914長田小学校02

正門の門扉の奥に何やら石碑が見えます。
どうやら、廃校(閉校)記念の碑のように見えます。




門には、往時の表札が掲げられています。

      20170914長田小学校03

この表札は卒業製作と言うか、卒業記念の品。
さすがに簡単に撤去は出来ないでしょう。




先ほどの碑を近くで見たくて、
受付で見学をさせて貰いたいとお願いしたら
心良く許可をいただきました。

さすがに、犬連れはマズイかと思っていたら
『犬連れで廃校を巡っているなら構いませんよ!』
と暖かいお言葉。もう、感謝です。


遠慮がちに石碑の近くへと向かいます。

      20170914長田小学校04



正面から見れば、長田小学校跡の碑。

      20170914長田小学校10


      20170914長田小学校11



裏面に沿革が刻まれているのを期待しましたが
残念!

校訓と校歌が刻まれていました。

      20170914長田小学校12



そして、その隣に建っている小さな石碑。

      20170914長田小学校13

長田小学校の百周年記念の碑です。



裏面には、『50年タイムカプセル』と刻まれています。

      20170914長田小学校14

この下にタイムカプセルが埋まっているんですね。
50年後のお楽しみも、あと7年。




あまり、敷地内をウロチョロも出来ないので
先ずは、校舎を激写(?)

別アングルにしたり、 びいすけ を入れたりして
ささっさぁ〜とシャッターを押しまくり(笑)。

      20170914長田小学校05


      20170914長田小学校06


      20170914長田小学校08


      20170914長田小学校09


      20170914長田小学校15


せっかくだから、校舎壁面の校章も激写(笑)。

      20170914長田小学校16



広い校庭だけど、ぱっと見て
『これは!』って言うモノモノ無さそうです。

      20170914長田小学校17


      20170914長田小学校18


      20170914長田小学校19



校庭の隅に建っていた、緯度・経度の標柱。

      20170914長田小学校20

意外に、常陸大宮市の小学校って、
この手の緯度・経度を示す標柱や碑が多い気がします。
気のせいかなぁ?



正門近くの校庭には、聳えるシンボルツリー。

      20170914長田小学校21



枝の陰になって、ちょっと見づらいけれど
正門の表札の上には、『 旧・長田小学校 』の案内板。

      20170914長田小学校22

きちんと、旧・長田小学校と明記している辺りに
旧・山方町のこだわりを感じたりします。




二ノ宮像を密かに期待したけれど、何処にもありませんでした。
意外に、茨城県内で二ノ宮像を見かける機会は少ないのかも?
常陸大宮市でも15校の廃校を巡って、1校にしか二ノ宮像は無かった。
茨城県内では、流行らなかったのかなぁ?

まぁ、民間に貸し出しされている廃校となると
なかなか敷地内にも立ち入れないから
こんな感じで、見学させてもらったことに感謝しなくては...............




2017/10/21 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 塩田小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............常陸大宮市立塩田小学校


塩田小学校は、

明治7年      北塩子村の民家の私塾を北塩子小学校として開校する。
明治17年     東野小学校北塩子分校と改称する。
明治22年     西塩子村・北塩子村・照田村・長田村・長沢村が合併し塩田村が発足。
           塩田村立尋常小学校と改称し、長田に分校を置く。
明治25年     塩田第一尋常小学校と改称する。
           長田分教場は第二尋常小学校と改称する。
明治26年     塩田尋常高等小学校と改称する。
昭和22年     学制改革により塩田村立塩田第一小学校と改称する。
昭和30年     塩田村の西塩子・北塩子・照田の一部が大宮町に編入する。
           大宮町立塩田小学校と改称する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立塩田小学校と改称する。
平成22年     玉川小学校と統合して大宮北小学校が創立。
           塩田小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。


こちらが、塩田小学校の正門。

      20170914塩田小学校01



門柱の表札は新しい。

      20170914塩田小学校02

『常陸大宮市文書館』と記されています。

廃校後、校舎の内装及び外装工事を行い
現在は、常陸大宮市文書館として活用されています。

      20170914塩田小学校03



外装工事の際に、校舎の壁面も塗装をしたそうです。

      20170914塩田小学校04



元々の校舎は、このような配色ではなかったそうです。

      20170914塩田小学校05



遊具も無い校庭ですが、記念碑はしっかりと在りました。

      20170914塩田小学校06



閉校記念碑。

      20170914塩田小学校07



裏面には沿革も詳しく記されています。

      20170914塩田小学校08


      20170914塩田小学校09

こちらの沿革を見ると、近くに在った長田小学校は
この塩田小学校の分校が始まりだったようですね。



校歌の碑。

      20170914塩田小学校10



校訓の碑。

      20170914塩田小学校11



塩田小学校の緯度・経度が記された碑。

      20170914塩田小学校13



それらが並んで建っています。

      20170914塩田小学校12



こちらが体育館。

      20170914塩田小学校14

体育館は他に流用されていないようです。


校庭で匂い嗅ぎに励む びいすけ 。

      20170914塩田小学校15


先ほどの4基の碑以外に、校庭には無い。

      20170914塩田小学校16



遊具かと思ったら、通用門?みたいです。

      20170914塩田小学校17


閉校時の卒業生の製作品?

      20170914塩田小学校18



『ありがとう』と思う感謝の気持ちを忘れずにいて欲しいなぁ。

      20170914塩田小学校19



たまたま、こちらの職員の方々とお話しをする事が出来ました。
常陸大宮市の廃校では、ちょっとした怪我騒ぎが以前に有って、
管理の問題とかがあるため、遊具類は基本的に撤去することになったそうです。
     

個人的には残念。
遊具類も貴重な学校遺構なんだよなぁ...............




2017/10/20 Fri. 13:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

丸ポストを探して...............茨城・常陸大宮市編① (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

最近、ご無沙汰気味な丸ポスト探し。

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。
出かけたと言っても、廃校巡りが主体のお出かけ。
特に、丸ポストを意識していませんでしたが
小瀬第一小学校をあとにして、次なる廃校へと移動すると
ものの1〜2分で目の前に赤い丸ポストが現れました。

完全なる偶然な遭遇。
思わず車を路肩に停めて、
びいすけ を連れて車から降り、
カメラを構えます。


常陸大宮市の丸ポスト。
上小瀬地区、瀬賀商店前の丸ポスト。

      20170914丸ポスト01


      20170914丸ポスト02


      20170914丸ポスト03


      20170914丸ポスト04


      20170914丸ポスト05


      20170914丸ポスト06



常陸大宮市には、現在4基の丸ポストが現存しているようです。
そして、茨城県内には76基の丸ポストが現存しているようです。(2017年9月14日 現在)

茨城県の丸ポストは、これまでに

桜川市(真壁)    2基
石岡市        4基
稲敷市        2基
土浦市        6基
龍ヶ崎市       8基
かすみがうら市   1基
行方市        2基
取手市        6基
鹿嶋市        2基
大洗町        9基
茨城町        1基
つくば市       4基


そして、本日 常陸大宮市1基を追加して
合計48基の丸ポストに出会いました。
残り28基になるのかな?


頑張れは、茨城県内の丸ポストの完全制覇も夢じゃない。

いつかは制覇したいなぁ。




2017/10/20 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 小瀬第一小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の廃校巡り、その第14弾は...............旧・緒川村立 小瀬第一小学校

小瀬第一小学校は、詳しい沿革は不明ですが
現地に建てられていた碑にはたった2行の沿革。

明治41年小瀬尋常小学校として開校。
平成元年小瀬小学校に統合され廃校。

と、このような沿革です。

まあ、正確には平成元年に小瀬第二小学校と統合して
新たに小瀬小学校が設立され、廃校となったようです。


こちらが、小瀬第一小学校の入口。

      20170914小瀬第一小学校01

緩やかな上り坂。
学校の正門跡って言う感じがヒシヒシと分かります。



敷地は、緒川第一体育館として避難所に指定されています。

      20170914小瀬第一小学校02


こちらが、緒川第一体育館。

      20170914小瀬第一小学校03



小瀬第一小学校の体育館でした。

      20170914小瀬第一小学校04



小瀬第一小学校の校舎は、とっくに解体され
一時期は体育館以外には何も無く、校舎跡も更地でした。

東日本大震災の影響でしょうか?
急遽、市営住宅が建てられました。

      20170914小瀬第一小学校05


一瞬、建売り住宅と勘違いするような、立派な市営住宅。

      20170914小瀬第一小学校06



敷地内には、商工会の支所も建っています。

      20170914小瀬第一小学校07


      20170914小瀬第一小学校08




商工会側の敷地出入り口。

      20170914小瀬第一小学校13

ひょっとしたら、こちらに正門が在ったのか?
でも、そんな風には見えない。


すぐ近くには、石碑群。

      20170914小瀬第一小学校09



旧・緒川村の規格品?
『 小瀬第一小学校跡 』の碑。

      20170914小瀬第一小学校10



スペースの制限だとは思うけれど
たった2行では、小瀬第一小学校の歴史は語れない。

      20170914小瀬第一小学校11



おそらく、正門に使われていた門柱。

      20170914小瀬第一小学校12

表札の文字はカスれていて読めない。



      
これも何かの碑だとは思うけれど判別不能。

      20170914小瀬第一小学校14


敷地内に残る、シンボルツリー。

      20170914小瀬第一小学校15



校地が住宅に変貌していたのには、正直驚きました。
まぁ市営住宅だから、ある意味、敷地の有効活用と言えるかも?
常陸大宮市って、廃校が多いけれど、
跡地を上手く活用していると言えるかもしれない。




2017/10/19 Thu. 12:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

史跡 御留渕 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

旧・緒川村地区の上小瀬にある江畔寺の駐車場には
もう一つの碑が建っていました。

何て読むんだろう?

      20170914御留渕01

最初は読めませんでした。
スマホを使ってネットで調べても、ほとんど情報は無い。
江畔寺のHPを覗いて、何とか判読。
どうやら、『御留渕』と読むらしい。

      20170914御留渕02




御留渕は、
元禄五年(1692年)、水戸光圀公が江畔寺に二泊三日で宿泊参詣に来山し、門前の清流で斎戒沐浴をした。以来その場は御留渕と呼ばれ一般の立入が禁止されたそうです。


碑の建っている場所の背後の河原が
御留渕と言われているらしい。

      20170914御留渕08

フェンスがあって、駐車場から河原へは行けません。
未だに立ち入り禁止?(笑)



江畔寺の境内がちょっぴり高台だから
そこから眺めてみましょう。

      20170914御留渕03


300年前と今では、全く景観も違うでしょう。
取り立てるほどの景観ではなさそう。

      20170914御留渕04



もう一度、駐車場から眺めてみます。

      20170914御留渕05


どうみても、単なる川。

      20170914御留渕06



わざわざフェンスを乗り越える気力も無い(笑)

      20170914御留渕07


昔の景観地が、現在も景観地であるとは限らない。
そんな例は世の中にたくさんあります。

まあ、この御留渕もその一つになるのでしょう。


かつて、この地が景観地であり、水戸光圀公によって
立ち入り禁止にまでなった史跡であったことは
忘れずに憶えておこう...............。



   




2017/10/19 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

緒川十景 《 江畔寺と小瀬城跡 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市の旧・美和村地区の氷之沢小学校へと向かう途中
国道293号線の上小瀬辺りで、石柱らしき碑を見かけた。
車で走っている最中だったので、氷之沢小学校から戻って来たら確認することにしました。

石柱(石碑)のあった場所に向かうと、この看板を見かけました。

      20170914江畔寺と小瀬城跡01

『 出たなぁ! 緒川十景!! 』(笑)。


国道から見かけた石柱(石碑)に近づいてみると...............

      20170914江畔寺と小瀬城跡02



やはり、緒川十景の石碑でした。

      20170914江畔寺と小瀬城跡03

実は、この石碑の建つ場所は、江畔寺の駐車場でした。
どうやら、この石碑は江畔寺が建てたモノのようです。


駐車場には、江畔寺の説明板もありました。

      20170914江畔寺と小瀬城跡04



駐車場付近からの江畔寺。
背後の山が小瀬城址のようです。

      20170914江畔寺と小瀬城跡05



建武三年(1336年)北朝方の佐竹一族が、瓜連南朝方の楠木勢を撃破一掃して、
佐竹九代貞義の三男である義春が、常陸介の官職と緒川流域一帯・大田武石屋敷、
白方、小亀、岡田郷の領地を与えられ、領地の中心小瀬に居城を築き、小瀬氏を称しました。
康永三年(1344年)小瀬義春は剃髪入道して、城域の大手門に小庵を営み、
小瀬一族の菩提寺の基礎としました。
義春の死後、西側山上に勝軍地蔵菩薩を祭祀し、義春の化身仏と尊崇されました。

観応元年(1350)小瀬義春の三男・悟真妙頓(幼名・孝繁)が、
夢想疎石に学び、夢想疎石を招請開山として孝繁が開山二世になり、
南内山 孝槃寺と称し、長兄義益の援助で江畔寺を開いたそうです。


正面に見えるのが江畔寺。
背後の山が小瀬城跡。

      20170914江畔寺と小瀬城跡06



江畔寺は花の寺としても有名なようです。

      20170914江畔寺と小瀬城跡07



山門下の寺号標。

      20170914江畔寺と小瀬城跡08



由緒ある雰囲気を出す四脚の山門。

      20170914江畔寺と小瀬城跡09



扁額は山号。

      20170914江畔寺と小瀬城跡10

『南内山』が山号なんですね。


山門の手前にある弁天堂。

      20170914江畔寺と小瀬城跡11



こちらは建立されたから、まだ日が浅いようですね。

      20170914江畔寺と小瀬城跡12



正面に見えるのが客殿。

      20170914江畔寺と小瀬城跡13


その背後の山、ちょうど鉄塔の在る辺りが小瀬城址。

      20170914江畔寺と小瀬城跡14



鐘楼。

      20170914江畔寺と小瀬城跡15



境内に掲げられていた説明板。

      20170914江畔寺と小瀬城跡16



この大イチョウについて記されています。

      20170914江畔寺と小瀬城跡17

常陸大宮市の指定文化財(天然記念物)です。



客殿。

      20170914江畔寺と小瀬城跡18




ちょうど佛殿が工事中で、工事用の車両が数台停まっています。
仮囲いがあったりして境内は狭くなっています。
そして、写真を撮るポジションも制限されてしまいます。



大方丈

      20170914江畔寺と小瀬城跡19


      20170914江畔寺と小瀬城跡20



大方丈の扁額。

      20170914江畔寺と小瀬城跡21



花の寺の一覧。

      20170914江畔寺と小瀬城跡22

近隣の寺でしょうか?
季節の花を追いかけて、8つの寺巡りも楽しいかも...............


ざっと巡った江畔寺。
小瀬城址(小瀬城跡)は、長倉城址の例があるから
この時期はパスしましょう。
下草が枯れる晩秋から初冬にでも登城(訪城)したいなぁ。



この日知り得た『緒川十景』。
この日は、ここまで。

『義民堂』、『橋本次郎左衛門政國の碑』、『江畔寺と小瀬城跡』
とりあえず3ヶ所を巡る事が出来ました。

いつか機会があったら、残りの7つも確認してみよう。


2017/10/18 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 氷之沢小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました

常陸大宮市に訪れた最たる目的は、ズバリ!廃校巡り。
昭和から平成と時代は流れ、平成16年に常陸大宮市は誕生しましたが
現在、常陸大宮市内に30近くの廃校となった小学校が在るようです。

その中の1校、旧・美和村に在った 旧・美和村立 氷之沢小学校 に訪れました。

氷之沢小学校は、

昭和13年      現在地に檜沢小学校氷之沢分校を設立。
昭和22年      学制改革により、檜沢村立檜沢の小学校氷之沢分校と改称する。
昭和31年      檜沢村と 嶐郷村が合併し美和村(檜沢嶐郷村から即日改称)が発足。
            美和村立檜沢小学校氷之沢分校と改称する。
昭和32年      独立して美和村立氷之沢小学校となる。
昭和54年      檜沢小学校、上桧沢小学校と合併して新たに檜沢小学校が創立。
            氷之沢小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。


実はこの氷之沢小学校、Wikipediaにも記載されていない廃校(小学校)。
たまたま見かけたblogでその存在を知り、
氷之沢と言う大字を頼りにGoogleマップで調べ
何とか辿り着く事が出来ました。



こちらが、氷之沢小学校。
氷之沢と書いて『ひのさわ』と読むらしい。

      20170914氷之沢小学校02


一応、木造校舎ですが...............
何と無く雰囲気がいつもと違う。

      20170914氷之沢小学校03



よく見たら、窓ガラスが全てトタンで閉鎖されている。

      20170914氷之沢小学校04

これって、どういう事でしょう?


玄関も閉ざされ、この木造校舎は他に流用されていないようです。

      20170914氷之沢小学校05


      20170914氷之沢小学校06



げんざ、氷之沢小学校の敷地には、
地域の公民館的な存在になるのでしょうか?
表郷未来館と言う施設も建てられています。

      20170914氷之沢小学校14


      20170914氷之沢小学校15




閉鎖された(?)木造校舎には、トイレのような建物と
教員の宿舎のような建物が連なっていますが
そちらも閉鎖されています。

      20170914氷之沢小学校07


      20170914氷之沢小学校08




校庭には遊具も無く、一部がゲートボール場となっています。

      20170914氷之沢小学校01


      20170914氷之沢小学校12


      20170914氷之沢小学校13




校庭の隅に在った、氷之沢小学校跡の碑。

      20170914氷之沢小学校09


      20170914氷之沢小学校10


      20170914氷之沢小学校11

簡素な沿革が刻まれています。




      
この木はシンボルツリーだったのでしょうか?

      20170914氷之沢小学校16


Wikipediaにも載っていない氷之沢小学校。
昭和54年に統合された本校である檜沢小学校も
平成22年に嶐郷小学校と統合して廃校となったため
記録や記憶の中からいずれ消え去ってしまう。

少なくても、この地に学び舎が在ったことは憶えておこう...............







2017/10/17 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

緒川十景 《 本橋次郎左衛門政國の碑 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

国道293号を旧・美和村から南下して
旧・緒川村に車を走らせていると、『緒川十景』なる看板を見かけました。

2つ目の看板である『 緒川十景 義民堂 』に立ち寄りついでに
先ほど通り過ぎた看板まで戻ってみることにしました。


国道沿いに建つ緒川十景の看板。

      20170914本橋次郎左衛門政國の碑01


      20170914本橋次郎左衛門政國の碑02

本橋次郎左衛門政國の碑です。


本橋次郎左衛門は、明治9年に勃発した小瀬一揆の指導者として
農民を動員して県庁に向かったが、警官隊との戦いで重傷を負い
目的を果たせず首謀者として処刑されました。
享年39歳でした。
その後、長きに渡り小瀬一揆の指導者並びに参加者たちは、
「天皇に楯突く重罪人」との汚名を着せられました。

明治33年、小瀬一揆の指導者並びに犠牲者は義民と称されることになりました。


碑の前に建つ説明板。

      20170914本橋次郎左衛門政國の碑03


      20170914本橋次郎左衛門政國の碑04

少し、簡素な内容で、小瀬一揆に至るまでの経緯が省略されているので
この説明板だけでは、理解しづらい。



明治33年に有志者により建てられた顕彰碑です。

      20170914本橋次郎左衛門政國の碑05


      20170914本橋次郎左衛門政國の碑06


      20170914本橋次郎左衛門政國の碑07



看板の下には曼珠沙華の花。

      20170914本橋次郎左衛門政國の碑08


      20170914本橋次郎左衛門政國の碑09

なぜだろう?
若くして、近隣の農民のために自らの命を
結果的に犠牲にした本橋次郎左衛門の悔念の思いなのか?
曼珠沙華の花の朱色が、やけに悲しい色に見えてきました...............。



2017/10/16 Mon. 16:16 | trackback: -- | 本文: -- | edit

緒川十景 《 義民堂 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日の、茨城県の常陸大宮市に出かけました。


茨城百景の吉田八幡神社の三浦杉を訪れたあとに
さらなる場所に移動を開始。
国道293号を南下していると、こんな看板を見つけました。

      20170914義民堂01

『 義民堂 』...............?

何、それ?
って言うか、そもそも『 緒川十景 』って何?

そう言えば、さっきも似たような看板を見た気がする。


こうなると、気になります。

      20170914義民堂02

距離も50mと近いし...............。

急遽、立ち寄ったのが...............緒川十景 義民堂



そもそも、緒川十景とは...............

ネットで調べても詳しい事が載っていない。
旧・緒川村が常陸大宮市に統合(合併)される以前の
平成12年に制定されたモノのようです。

残念ながら、合併後の常陸大宮市では、管理されていないようで
詳しい内容については、常陸大宮市のHPにも記載されていません。


どうやら、緒川十景として

阿弥陀院
高岩山
立野神社
百観音
江畔寺と小瀬城跡 
本橋次郎左衛門政國の碑
義民堂
三輪神社
西小屋の滝
大根田願入寺跡

こちらの10ヶ所が選定されているようです。


その中の一つ、義民堂。

      20170914義民堂03


『義民堂』の事を自宅に戻ってから調べたら
そこには悲しい事件がありました...............。



明治政府の行った税制改革に、明治6年から実施された地租改正があります。
それまで年貢と称して納めてきた米を、税として一律で地価の3%と定め、金納とするものでした。
米価に関係なく決められた量の米を納めれば納税義務を果たしていた農民たちにとって、
金納の負担は多大過ぎました。
小舟村の本橋次郎左衛門らは茨城県権令(県知事)中山信安に陳情書を提出して、
窮状を訴えましたが聞き入れられず、その後も本橋は機を窺っていました。
そんな状況の中、上小瀬・小舟両村の農民が他村の人々と共に
地租の納入期限の延期を願い出ることを決定し、
周辺の村々から約800人の農民たちが小祝村に集結しました。
緊張が昂まる中で、上小瀬村に出張してきた巡査を
村民が殺害してしまうという事態が発生してしまいます。
更には、周辺村民へ一揆への参加を強要しつつ、県庁へ向けて南進し
途中の藤井村で更に2人の警官を殺害し、状況は更に悪化してしまいました。
県庁側は、約300人の旧・水戸藩士を集め、警官と士族隊で一揆勢を急襲します。
警察側の投入した懲役囚のだまし打ちによって、
一揆指導者の一人である大町甚左衛門が殺害され一揆勢は壊滅し、
多くの農民が捕縛されて終息しました。

これが世に言われている『小瀬一揆』です。

しかし、地租改正反対や地租軽減を掲げた烽火は全国におよび、
時の政府は明治10年、地租を地価の2.5%に引き下げました。

当初、政府側から「暴動」として叛逆者扱いされた一揆の指導者たちは、
現在、「義民」として顕彰されています。

そして、小瀬一揆で亡くなった13名、殉職した警官4名、
逮捕されて後に亡くなった一揆の幹部37名を祀る慰霊堂として
昭和33年に建立されたモノだと言うことです。



説明板にはあまり詳しい事は記載されていない。

      20170914義民堂04


      20170914義民堂05



この義民堂は、一揆の幹部だった小森太郎右衛門の孫、小森けん女史が
農家相手に衣類の行商をして貯めたお金で、
小瀬一揆80周年の時に祠を建てて「義民堂」と名付けたそうです。

      20170914義民堂06


      20170914義民堂07


      20170914義民堂08


立場が変われば、扱いも変わる。
政府にとっては暴動を挙した謀反人でも
農民にとっては義民となる。



平和な時代に生まれて来た事を感謝しなくちゃいけないね...............


2017/10/16 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

茨城百景 《 鷲尾山と三浦杉 》 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市には、廃校巡りが目的で訪れましたがら
せっかく茨城県に来ているんだから、茨城百景の一つでも
立ち寄ってみないと常陸大宮市に来た意味が無い。

と言うわけで、久しぶりに訪れた茨城百景。

茨城百景 鷲尾山と三浦杉



茨城百景のタイトルでもある三浦杉。

久寿2年(1155年)、相模国の三浦大介義明が勅命により下野国・那須野へ
九尾の狐退治に行く途中で吉田八幡神社に植えた杉のことです。
「われ冥護により よく武運を果し 心願を成就せば この杉 天にそびえよ」
(神のご加護により、武士としての使命を果たし、願いが叶うなら、この杉、天にそびえよ。)
と言ったそうです。
そして、見事に悪狐を退治することが出来ました。
ちなみに、その場所が那須の殺生石のある場所になるそうです。
当初は、この杉を『鎌倉杉』と呼んでいたそうですが、
水戸藩主・水戸光圀が『三浦杉』と改称したそうです。




こちらが『三浦杉』のある吉田八幡神社。

      20170914鷲尾山と三浦杉01

吉田八幡神社は、大同2年(807年)に創建されました。
当初は「八幡神社」としていましたが、
徳川光圀公が「吉田神社」と改め、
昭和12年に「吉田八幡神社」と改称されました。


参道に続く鳥居。

      0170914鷲尾山と三浦杉02


参道には鬱蒼と巨木の杉が立ち並びます。

      0170914鷲尾山と三浦杉03



こちらが、二の鳥居。

      0170914鷲尾山と三浦杉04



そして、鳥居の扁額(神額)。

      0170914鷲尾山と三浦杉05



二の鳥居をくぐって、さらに石段を上れば
明らかに周りの杉の木とは違うオーラを発する杉の巨木。
これが、三浦杉。

      1234


吉田八幡神社の本殿へと続く石段の手前に柵があり
一般客は、これ以上先へは進めません。
どうやら、三浦杉の枯れ枝が落下して怪我をしないようにとの理由らしい。

一応、吉田八幡神社の本殿は、常陸大宮市の指定文化財になっているから
どんな感じなのか?
見てみたかったなぁ...............。

      0170914鷲尾山と三浦杉07



柵の位置から見上げる三浦杉。
石段右側の三浦杉。

      0170914鷲尾山と三浦杉08



石段左側の三浦杉。

      5678



パノラマとはいかないけれど
何枚かに分けて撮ってみました。

           0170914鷲尾山と三浦杉12
        0170914鷲尾山と三浦杉11
      0170914鷲尾山と三浦杉10




根元には手書きの看板。

      0170914鷲尾山と三浦杉13



石碑もありますが、柵があって近寄れない。

      0170914鷲尾山と三浦杉14



吉田八幡神社の近くに、茨城百景の碑が在ると言うことなので、
参道を下って行きます。

      0170914鷲尾山と三浦杉15


      0170914鷲尾山と三浦杉16



周辺を探し回って、碑を見つけました。

      0170914鷲尾山と三浦杉17



こちらが、茨城百景の碑。

『 茨城百景 鷲子山と三浦杉 』

      0170914鷲尾山と三浦杉18



吉田八幡神社から、バイパスを渡り、旧道との交差点に
茨城百景の碑は在りました。

      0170914鷲尾山と三浦杉19



この場所には、他にも碑が建っています。

      0170914鷲尾山と三浦杉22



小田野宿の碑。

      0170914鷲尾山と三浦杉20

この辺りは宿場町だったようです。


そう言われれば宿場町の雰囲気がしなくも無い

      0170914鷲尾山と三浦杉21


でも林業関係の会社が何件もあるようだから
宿場町っていうよりは林業に従事する人の村って言うのが
正直、正解かもしれない。


鷲子山は何処にあるのか分かりませんが
茨城百景 鷲子山と三浦杉、これにて完結です。




     
2017/10/15 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

三浦杉公園 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は茨城県の常陸大宮市に出かけました。

道の駅みわ をあとにして、車で数百m。
いきなり視界に入ってきた公園の看板。
ついでだから、この公園にも立ち寄っちゃえ〜!

ってことで立ち寄ったのは...............三浦杉公園

      20170914三浦杉公園01



実は、この近くには三浦杉で有名な吉田八幡神社もあり

      20170914三浦杉公02



三浦杉は、吉田八幡神社の長い石段の先に
特に目につく二本の杉の巨木のことです。
これが茨城県指定天然記念物の三浦杉です。
樹齢は800年以上で、幹周囲10m、樹高59m、枝下28mというこの杉は、
久寿2年(1155年)相模国・三浦大介義明が、
下野国・那須野(現在の那須町)に金毛九尾の悪狐退治に行く途中に、
この神社に参拝し、
「我宴護により能く悪狐を護ば此の杉天にそびゆべし」と植えた杉と伝えられています。

当初は、『鎌倉杉』と呼ばれていましたが、
この話を聞いた徳川光圀が、『三浦杉』と命名したそうです。


その吉田八幡神社には駐車場が無く、
吉田八幡神社に訪れる人が
この公園の駐車場を利用するそうです。

      20170914三浦杉公03



吉田八幡神社の駐車場のための公園では決してありません。

      20170914三浦杉公04


園内には菖蒲園があり(って言うか、菖蒲園しかない)。
毎年6月中旬から7月中旬まで1万本以上の花菖蒲が咲き揃うそうです。

      20170914三浦杉公05


9月の中旬。
菖蒲の時期ではないから、当然咲いていません。

      20170914三浦杉公06


時期が時期なら、多くの人が訪れる場所のようです。

      20170914三浦杉公07



四阿も在って、ちょっとした休憩も出来ます。

      20170914三浦杉公08


近所の方々の犬の散歩コースにでもなっているんでしょうか?
矢鱈とクンクンと匂いを嗅ぎ回る びいすけ 。

少しは気分転換になったかな...............?







2017/10/14 Sat. 14:14 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅 みわ (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県常陸大宮市に出かけました。


他府県等に出かける際は、ほとんど車での移動になります。
高速道路を利用したり、一般道(通称『した道』)を長時間走ることも多々あります。
そんな時に困るのがトイレ。
人間だけではなくて、お供の びいすけ のトイレタイムもあったりして
道の駅を利用することも多い。

そう言えば地元の千葉県でも、
ここ数年で新しい道の駅がかなりオープンしています。
今までは、JA(農協)の即売所のイメージしか無かったけど
最近の道の駅は、それだけじゃ無いみたい。
24時間駐車場が開いているから、車中泊旅行の重要な場所として利用されたりしています。
そう言えば、道の駅スタンプラリーなるモノも定期的に開催されているようだし。
定年退職を機に、全国の道の駅を巡っている熟年夫婦も居るらしい。

7月の福島旅行の時に旅行・小旅行の際、『道の駅巡り』として
道の駅に立ち寄るのも面白いかな?と思うようになりました。

色々と調べてみると、道の駅は全国に1117ヶ所あるようです。
(2017年9月14日現在)


そんな訳で新たにチャレンジする道の駅巡り、
その第1回目は................道の駅 みわ



『道の駅 みわ』は、茨城県常陸大宮市の国道293号線沿いにありました。

      20170914道の駅 みわ01



この辺りは、旧・美和村。

      20170914道の駅 みわ02


道の駅の名称も、旧・美和村から引用したんでしょうね。


駐車場も二ヶ所あり、普通車なら80台停められるようです。

      20170914道の駅 みわ03


      20170914道の駅 みわ04



こちらの道の駅は、野菜直売所、レストラン、お土産店でも構成されていて
北斗星と言うレストランがオススメみたいです。

      20170914道の駅 みわ05

ちょうど、お昼時だし...............
美味しいモノでもだべましょうかね?



どうやら椎茸がこの辺りの特産品みたいです、

      20170914道の駅 みわ06



レストラン(北斗星)に行ったら、悲しい現実が................

      20170914道の駅 みわ07



テラス席があるから、期待していたら
ペットNGだそうです。

蕎麦が美味しそうだったのになぁ。

      20170914道の駅 みわ08



仕方がないので、隣接するフードコートでファストフードを購入。

離れた場所のテーブルを陣取ってお昼にいたしましょう。

      20170914道の駅 みわ09

本日のお昼は、焼きそば と コロッケ 。



アツアツのコロッケを頬張ります。

美味い!

      20170914道の駅 みわ10

ゴメンね。 びいすけ には揚げ物だけど、あげられないんだ。(オヤジギャグ)


焼きそば も美味しくいただきました。

      20170914道の駅 みわ11



『父さんだけずるい!』と言われそうだから
びいすけ にもオヤツをあげましょう。


チョイあげ の かつおくん 。

      20170914道の駅 みわ12



なかなか売ってないんだから、味わって食べなさいね。

      20170914道の駅 みわ13



想像以上に喰いつきが良い。

      20170914道の駅 みわ14



よっぽど美味いのか?

      20170914道の駅 みわ15



はたまた、単にいやしいだけなのか?(笑)

      20170914道の駅 みわ16


      20170914道の駅 みわ17



そうそう、せっかく立ち寄ったんだから
記念にスタンプを押しましょう!

      20170914道の駅 みわ18

っと、ここでスタンプ帳(ダイソーで買った無地のノート)を
自宅に忘れてきたことに気付きます。

Oh My God!!


お土産店で『道の駅キップ』なるモノが売っていたので
急遽、そちらを記念に購入。



ついでに野菜即売所で買っちゃいました。

      20170914道の駅 みわ19

長ネギ(3本)、きゅうり(5本)、茄子(6本)、ピーマン(15個)
全部で420円。

これって無茶苦茶安くない?

『道の駅みわ.』..............侮れません。




そして、こちらが 『 道の駅みわ 』の記念切符。

      20170914道の駅 みわ20

1枚180円と微妙な値段。


何やら、この切符を集めるコレクターが多いらしい。

      20170914道の駅 みわ21



専用のホルダーも発売されているらしい。
コレクター魂に火をつけられそう...............(笑)





2017/10/14 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校小舟分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

松之草分校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校小舟分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............

小舟分校は、

明治10年      小舟学舎創立。
明治42年      八里尋常小学校小舟分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校小舟分校と改称する。
            小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
昭和31年      緒川村立八里小学校小舟分校と改称する。
昭和54年      八里小学校に統合され廃校となる。

と、このような沿革となっているようです。



小舟分校の詳しい場所は分かりませんでしたが
地方の農村部、山間部の廃校(分校)が
公民館等の公共施設に転用されている事が多いので、
2ヶ所ばかり当たりを付けて、最初に小舟公民館を訪れてみましたが
分校跡の雰囲気はあるものの、旧・緒川村の統一デザインの石碑が無い!

もう1ヶ所の小舟上集落センターに向かってみました。
実は、この小舟上集落センターの在る場所が
八里小学校小舟分校の跡地でありました。



こちらが、小舟分校の入口。

      20170914小舟分校01

正面の建物は、上小舟集落センターと思いきや、違っていました。


『緒川村農産物加工施設』と看板が掲げられています。

      20170914小舟分校02



しかしながら人気は無く、農産物加工施設としては
現在は機能していそうもない。

      20170914小舟分校03

おそらく、常陸大宮市に統合された際に廃止されたのでしょう。


当初、この場所が小舟分校跡か?否か?
不安でしたが、農産物加工施設の裏手で
旧・緒川村統一規格(?)の碑を見つけた時は嬉しかったなぁ。


碑は、この裏手に隠れるように建っていました。

      20170914小舟分校04



こちらが、『小舟分校跡』の碑。

      20170914小舟分校05



やはり、沿革はたったの3行(笑)。

      20170914小舟分校06



同じ敷地内には、上小舟集落センター。

      20170914小舟分校10



こちらは、地域の公民館的な存在で
現在も有効に利用されているようです。

      20170914小舟分校07



農産物加工施設跡の建物裏の碑がなければ
とても学校跡には見えない小舟分校跡。


一歩譲って、学校跡を彷彿させるのは
この桜の木かもしれません。
     
      20170914小舟分校09


      
昭和の時代に廃校になった八里小学校の分校。
これで4つの分校の全てを訪れる事が出来ました。
しかし、 旧・八里村の学区は広い! と改めて感じました。



2017/10/13 Fri. 13:13 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校松之草分校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

八里小学校をあとにして、向かった先は...............旧・緒川村立 八里小学校松之草分校


分校跡に残された碑には、簡略な沿革が刻まれていましたが
近隣の町村の歴史的な変遷を考慮すれば...............
松之草分校は、

明治23年      松之草小学校として開校。
明治42年      八里尋常小学校松之草分校となる。
昭和22年      学制改革により、八里村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和31年      小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
            緒川村立八里小学校松之草分校と改称する。
昭和42年      八里小学校に統合され廃校となる。


と、このような沿革となっているようです。


地元の千葉県から他県の廃校巡りに出かける際は
情報がかなり重要になります。
よく参考にさせていだだいているブログを拝見して
松之草分校は『風車の弥七』のお墓のすぐ近く(隣り)と知っていたので
風車の弥七の墓を目指します。

風車の弥七の墓の隣には、
地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター が在りました。


松之草分校跡は『松之草生活改善センター』として活用されているようです。


こちらが松之草分校跡。

      20170914松之草分校01


現在は、地域の公民館的な存在の松之草生活改善センター。

      20170914松之草分校02


その建物。
昭和48年に廃校。
往時の校舎に見えなくもないが、新たに建てられたモノでしょう。

      20170914松之草分校03


松之草生活改善センターの木製の看板(表札)も年季が入ってます。

      20170914松之草分校07


敷地は広くない。

      20170914松之草分校04



当然、校庭も狭く、いかにも里山の分校跡。

      20170914松之草分校05



校庭は、ゲートボール場として利用されているようです。

      20170914松之草分校06


   
校庭の隅には、旧・緒川村の統一規格(?)の碑

      20170914松之草分校08



『松之草分校跡』としっかり刻まれています。

      20170914松之草分校09



側面には沿革。

      20170914松之草分校10


たった3行の沿革も他の廃校と同じです。

      20170914松之草分校11

分校跡を感じさせるのは、この碑だけ。
遊具も二ノ宮像もない。


ただ、感心なのはこの場所がしっかり管理されていると言うこと。
この花壇を見れば、それが分かります。

      20170914松之草分校12



分校跡の向かいの畑の中には、こんな碑が在りました。

      20170914松之草分校13



『弥七とお新の住居跡』

      20170914松之草分校14

どうやら、水戸黄門に登場する『風車の弥七』の事らしい。

あくまでもTVドラマの世界の話かと思っていたら
実在した人物のようです。
と言うか、松之草小八兵衛と言う人がモデルのようです。
水戸黄門(水戸光圀)に仕える身。忍び。
妻の名は「お新」などの共通点があり、
地元では小八兵衛を"弥七のモデル"とみなしたようです。


何と驚くなかれ、松之草分校の隣はこんな状態。

      20170914松之草分校15

すっかり観光地?
おまけに500円徴収されるようです。

この日は平日だから、売店?も休み。
駐車場も閉まっています。

      20170914松之草分校16



県道から、弥七の墓を垣間見ることが出来ます。

      20170914松之草分校17


まぁ、500円払って見学する価値があるのか...............?
正直、分かりません。

一つだけ言えるのは、松之草分校跡は
『風車の弥七』の墓に隣接する松之草生活改善センターだと言うことを
しっかりと覚えておこう...............。




2017/10/13 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 八里小学校 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

常陸大宮市を訪れたのは、ズバリ! 廃校巡り。
常陸大宮市の廃校ツアー。
旧・八里小学校の次に訪れたのは...............移転先である 常陸大宮市立八里小学校


昭和48年にこの地に移転して来た八里小学校は
残念ながら、平成22年に廃校となってしまいました。


八里小学校は、

明治6年      八つの里の各村に学舎を創設。
明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革となっています。




県道沿いに面した八里小学校。
こちらが正門です。

      20170914八里小学校01


      20170914八里小学校02



正門から敷地内に入ってみます。

      20170914八里小学校03



いきなり視界に入ってくる石碑。
旧・緒川村の統一規格(?)。

      20170914八里小学校04

実は、この地は八里中学校の跡地でもあります。


たった2行の沿革。

      20170914八里小学校05



昭和25年八里中学校開校
昭和48年緒川中学校に統合され廃校。

八里中学校としては、23年しか存在しなかったようです。

      20170914八里小学校06




こちらは、八里小学校の記念碑。

      20170914八里小学校07



閉校記念碑の正面には校歌。

      20170914八里小学校08



裏面には沿革が刻まれています。

      20170914八里小学校09


      20170914八里小学校10



碑の近くには、こんな看板。

      20170914八里小学校11

この下にタイムカプセルが埋められているんですねか。



元々、生徒(児童)が多くなかったのか?
かつて、4つの分校を有した本校の割には校舎はあまり大きくない。

      20170914八里小学校12



校舎全景。

      20170914八里小学校13



びいすけ と 校舎。

      20170914八里小学校14



別アングルからの校舎。

      20170914八里小学校15



玄関の庇に掲げられた校章。

      20170914八里小学校16



正面玄関。

      20170914八里小学校17



廃校時に掲げられた横断幕。

      20170914八里小学校18

廃校から既に7年。
色褪せて読みづらくなってます。




校舎前に置かれた朝礼台。

      20170914八里小学校19



玄関前には、こんな古びたオブジェも飾られています。

      20170914八里小学校20


台座にはめ込まれていたプレート。

      20170914八里小学校21

昭和59年度の卒業生から贈られたモノのようです。


小学校の遊具の定番。
古タイヤ。

      20170914八里小学校22



校庭を徘徊する びいすけ 。

      20170914八里小学校23


      20170914八里小学校24



コンクリートのフェンスに、卒業製作で描かれた作品。

      20170914八里小学校25

雑草に隠れて良く見えない。



かつて、明治の初期に8つの里に創設された小学校。
昭和の後半に統合されて、1つの小学校となり
平成の時代を20年も過ぎると、残された唯一の小学校も廃校となりました。
八つの里は今でも村の名前は変われど、残っている。
でも小学校だけは、無くなってしまいました...............。










2017/10/12 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて............... 旧・八里小学校跡 (2017年9月14日)(茨城県常陸大宮市) 

9月14日 公休日

この日は、茨城県の常陸大宮市に出かけました。

目的は、常陸大宮市に点在する廃校巡り。
八里小学校入本郷分校をあとにして、向かった先は............... 旧・緒川村立 旧・八里小学校跡

旧が二つ並びますが、旧・緒川村時代に移転した八里小学校の跡地と言うことになります。


そもそも八里小学校は、明治6年に近隣の八つの里の各村に学舎を創設されたことから始まります。

八つの里の村とは、小舟村・小瀬沢村・大岩村・油河内村・松之草村・吉丸村・入本郷村・千田村で
明治22年に八つの村が合併して八里村が誕生しました。

明治34年     八里尋常高等小学校となる。
昭和22年     学制改革により八里村立八里小学校と改称する
昭和31年     小瀬村と八里村が合併し、緒川村が発足。
           緒川村立八里小学校と改称する。
昭和42年     松之草、入本郷、千田分校を統合する。
昭和48年     現在地に移転する。
昭和54年     小舟分校を統合する。
平成16年     大宮町、山方町、美和村、緒川村、御前村が合併して常陸大宮市となる。
           常陸大宮市立八里小学校と改称する。
平成22年     八里小学校と小瀬小学校が統合して、新たに緒川小学校が創立。
           八里小学校は廃校となる。

と、このような沿革になっています。

すなわち、八里小学校が明治34年から昭和48年まで
この地に在ったことになります。
この地の前に訪れた千田分校や入本郷分校、
このあとに訪れる予定の松之草分校の子供たちも
分校が廃校後、この場所を学び舎として机を並べていたんですね、




以前は、洒落たデザインの玄関を有した木造の校舎が
この地に建っていたと言うことですが
平成19年に解体されて更地になってしまったようです。

      20170914 旧・八里小学校01



何もな〜い! と思っていたら、 びいすけ の背後に何かある!?

      0170914 旧・八里小学校02



望遠レンズでググッと寄ってみましょう。

      0170914 旧・八里小学校03

石碑が並んでいるようです。



近づいてみましょう。

      0170914 旧・八里小学校04



『八里小学校跡』の碑。

      0170914 旧・八里小学校05



同じデザインのものを千田分校、入本郷分校でも見ました。
どうやら、旧・緒川村時代の統一デザインのようですね。

      0170914 旧・八里小学校06



八つの里の各校の統合先であるのに、
沿革は、やはりたったの3行。

      0170914 旧・八里小学校07



旧・校地で使用されていた門柱かと思ったら、違っていた。

      0170914 旧・八里小学校08

『創立十五周年記念塔』とあります。
いわゆる記念碑ですね。


昭和38年建立と記されています。

      0170914 旧・八里小学校09

おそらく、戦後の学制改革で新制小学校として生まれ変わった
八里村立八里小学校が誕生(創立)して15年の記念でしょう。



こちらも何かの記念碑だとは思うけれど正体不明。

      0170914 旧・八里小学校10



結局、旧・八里小学校の足跡を残すモノはこれらのみ。
ある方のブログを読んだら、木造校舎の裏手には保育園も在ったらしい。

今は、完全な更地。

      0170914 旧・八里小学校11


      0170914 旧・八里小学校12


      0170914 旧・八里小学校13


      0170914 旧・八里小学校14



ひょっとしたら、この木なんかはシンボルツリーとして
この学び舎の卒業生の中には、瞼に焼き付けている人も居るのかな?

      0170914 旧・八里小学校15






旧・八里小学校から200mほどの距離に在る古びた建物。

      0170914 旧・八里小学校16

旧・八里郵便局。


この郵便局の前に、なぜか二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校17



ひょっとしたら、旧・八里小学校の二ノ宮像?

      0170914 旧・八里小学校18

淡い期待を持って近隣の方々に話を聞いたら...............
この二ノ宮像は、旧・八里小学校のモノではない!!との事でした。


う〜む、残念。



2017/10/11 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit