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び・び・びのびいすけ

ぼく と 父さん と時々 もっちゃん

廃校を訪ねて 《日新小学校》    (2022年9月16日)(栃木県矢板市) 

9月16日 

県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その3日目。
この日は那須塩原市から矢板市の廃校を巡って自宅へと帰途となります。


山田分校をあとにして、向かった先は................矢板市立日新小学校。


日新小学校も詳細な沿革は不明です。
開校時期も不明で、分かっているのは
平成21年に矢板市立和泉小学校に統合されて廃校となった事。
統合先の泉小学校のHPを見ても、日新小学校の事には触れていない。
結局は詳細な沿革は不明です。


こちらが、正門。

     20220916日新小学校01


石造りの門柱。

     20220916日新小学校02


正門の先、通路の右手側には碑が並ぶ。

     20220916日新小学校05



こちらが、閉校記念碑。

     20220916日新小学校03


裏面に沿革が刻まれているのを期待したけれど
裏面には、この碑を建立するのに尽力された方々の名が連なっている。

     20220916日新小学校04


     
こちらは、林野庁長官賞の受賞記念碑。

     20220916日新小学校06



     20220916日新小学校07


     20220916日新小学校08



広い校庭跡?

     20220916日新小学校09


     20220916日新小学校10


こちらは、体育館。

     20220916日新小学校11


廃校後、校舎は解体されてしまったようですが体育館は『日新体育館』として
地域のスポーツ施設として活用されているようです。

     20220916日新小学校12


そして、体育館の脇になる敷地のフェンス沿いには大きな桜の木が並ぶ。

     20220916日新小学校13


日新小学校に歴史を刻んできた桜の木。
きっと春には綺麗な花が咲くのでしょう。

     20220916日新小学校14



それにしても、体育館の前に駐車している車が多い。
実はこの日、広いグランド(校庭跡)でゲートボール大会が開催されていました。

     20220916日新小学校15


     20220916日新小学校16


そう言えば、那須町の伊王野小学校(跡地)でも旧・芦野小学校(跡地)でも
ゲートボールに興じる方々が多くいた。
栃木県って、結構ゲートボールが盛んなんてすね。


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2022/12/10 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《泉小学校山田分校》    (2022年9月16日)(栃木県矢板市) 

9月16日 

県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その3日目。
この日は那須塩原市から矢板市の廃校を巡って自宅へと帰途となります。


上伊佐野小学校をあとにして、向かった先は................矢板市立泉小学校山田分校


山田分校は謎多き分校です。
詳細な沿革は不明。
泉小学校のHPによれば...,...

明治26年に(泉村)大字山田に(泉尋常小学校の)分校設立。
とありますが、
昭和27年に山田分校設立とあります。

明治26年に山田に設立した分校はどうなってしまったのでしょうか?
昭和27年以前に廃校になってしまったのでしょうか?
そして、昭和27年に再度、設立されたのでしょうか?

そして、昭和40年に 山田分校、学区統合により分離 と記載されています。
位置的な関係で推測すれば、矢板市立日新小学校の分校になったのでしょうか?
その日新小学校も廃校となり、HPも無く沿革は不明。

山田分校の廃校時期も分からない状態です。


正門跡。

     20220916山田分校01



門柱。

     20220916山田分校02


門柱と言うよりは、大正天皇の即位記念碑みたいな感じ。

     20220916山田分校03



廃校後(と言っても廃校時期は不明ですが)、校舎は解体され
敷地には山田公民館が建てられています。

     20220916山田分校04


     20220916山田分校05


そして、敷地の一部って言うか、
敷地のど真ん中に消防倉庫が建てられています。

     20220916山田分校06

廃校跡地に、消防倉庫が建てられるって言うのは、よくある話。
でも、その多くは敷地の片隅に建てられているんだけど
こちらは『どぉ〜ん』と、ど真ん中に建てられている。

これも珍しい。


校庭跡。

     20220916山田分校07


     20220916山田分校08



公民館の前には二宮像。

     20220916山田分校09


     20220916山田分校10



記念碑。

     20220916山田分校11

学校関連の碑ではあるけれど、廃校記念碑では無い。



小学校(分校)から公民館に変わったけれど
地域のランドマークには変わりない。

火の見櫓も敷地内に建つ。

     20220916山田分校12


時代を反映して、携帯電話のアンテナも建つ。

     20220916山田分校13


ネットで調べても詳細が分からない山田分校。
最終的には、どちらの小学校の分校であったのか?
知ってる人は居ないかなあ?





2022/12/09 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《上伊佐野小学校》    (2022年9月16日)(栃木県矢板市) 

9月16日 

県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その3日目。
この日は那須塩原市から矢板市の廃校を巡って自宅へと帰途となります。

宿泊先の『伊東園ホテル塩原』を9時にチェックアウト。
那須塩原市から矢板市へと車を走らせます。

向かった先は................矢板市立上伊佐野小学校。


上伊佐野小学校の沿革は詳細な沿革は不明ですが
泉小学校のHPに記載されている泉小学校の沿革に
上伊佐野小学校について記載があったので
当時の世の中の情勢と併せると、おそらくこのような沿革になると思われます。

大正5年   泉尋常小学校(現:矢板市立泉小学校)上伊佐野分教場として設立される
昭和22年   泉村立泉小学校上伊佐野分教場と改称する。
昭和33年   泉村立上伊佐野小学校として独立する。
昭和30年   泉村が矢板町、片岡村と合併して矢板町となる。
       矢板町立上伊佐野小学校と改称する。
昭和33年   矢板町が市制施行して矢板市となる。  
       矢板市立上伊佐野小学校と改称する。
平成21年   矢板市立和泉小学校に統合されて廃校となる。



上伊佐野小学校正門。

     20220916上伊佐野小学校01



門柱。

     20220916上伊佐野小学校02



門柱には上伊佐野小学校の表札が残る。

     20220916上伊佐野小学校03



古そうに見える門柱ですが、平成10年に建立されたモノ。
比較的新しい。

     20220916上伊佐野小学校20

本来の正門は校庭の片隅にある。


かつての正門。

     20220916上伊佐野小学校15


その門柱。

     20220916上伊佐野小学校16



廃校後、校舎は矢板市郷土資料館として活用されています。

     20220916上伊佐野小学校19

 
その校舎も平屋建てではあるけれど、洒落たデザイン。

     20220916上伊佐野小学校12


     20220916上伊佐野小学校04


     20220916上伊佐野小学校05



     20220916上伊佐野小学校07


     20220916上伊佐野小学校08


校庭から、校舎全景。

     20220916上伊佐野小学校06


     20220916上伊佐野小学校10


     20220916上伊佐野小学校11



校庭。

     20220916上伊佐野小学校13


     20220916上伊佐野小学校14

残念ながら、校舎には遊具類も残されていない。

    
校庭には、教材用の丸ポスト

     20220916上伊佐野小学校17


廃校記念碑なども無く、
残っていたのは、この台座。

     20220916上伊佐野小学校18

どうやら、二宮像の台座のようです。

地震か何かで二宮像が倒れてしまったのでしょうね。
残骸も無いから、かなり前に倒れてしまったんでしょね。
     

2022/12/09 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

ハマってます    (2022年12月8日) 

12月8日

最近は時間があれば、TVに齧り付き。
サッカーのW杯?

確かに森保JAPANの大躍進には心弾ませました...............

が、ハマっているのは、見逃し配信のT’ver。

以前から、ちょくちょく利用させてもらっているんだけど
11月中旬から『Dr・コトー診療所』の無料配信を行なっています。

      20221208DRコトー2003



なぜ、20年近く前のドラマが今?

と思っていたら、『Dr・コトー診療所』が映画化されて
12月16日から公開されるらしい。
それで、無料配信って言うわけですね。

やるな! フジTV。

リアルタイムで毎回涙して見ていたし、
TSUTAYAでDVDを借りて、
あらすじは知っているのに、
ドラマの展開も知っているに、
毎回涙を流しながら観ていました。


今回、『Dr.コトー診療所 2003』から始まり

『Dr.コトー診療所 特別編』

     20221208DRコトー特別編


『Dr.コトー診療所 2004』

     20221208DRコトー2004


と、立て続けに観て
『Dr.コトー診療所 2006』も第7話まで観終わりました。

     20221208DRコトー2006

やっぱり、毎回涙が出ちゃうんだよなぁ。
良いドラマは何年経っても、何十年経っても良いんだろうね。

おそらく近日中には全話観終わっちゃうと思うんだよなぁ。
そして、映画の公開にあわせて劇場に足を運んでしまうんだろうな。

映画の予告編では白髪頭の吉岡秀隆と時任三郎をちょっとだけ確認。
2人とも良い感じで歳を取っているんだろうなぁ。

やっぱり劇場公開が楽しみです。

そして、今も頭の中には中島みゆきの歌声。
『♪〜  銀の龍の背に乗って〜 ♫♬ .................. 』

この音楽を聴いているだけで涙腺が緩むのはなぜだろう.................?



2022/12/08 Thu. 19:19 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日の宿  《伊東園ホテル 塩原温泉》 (2022年9月15日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校と神社の御朱印とマンホールカードを求めて動き回りました。

1日の終わり、温泉につかってゆっくりといたしましょう。
と言うことで、この日も塩原温泉へと向かいます。



この日の宿は..................伊東園ホテル 塩原。

     20220915伊東園01



駐車場からの外観。

     20220915伊東園03



正面玄関。

     20220915伊東園02



フロントでチェックイン。

     20220915伊東園04



本日のお部屋は、328号室。

     20220915伊東園05


     20220915伊東園06


ツインの洋間。

     20220915伊東園07


ビジネスホテルに毛の生えたような部屋ですが、文句は言いません。
何せ、庶民の味方、伊藤園ホテル。
コスパを考えれば、充分です。


狭いながらもツインのベッド。

     20220915伊東園08

でも1人泊まりだけど、2つ使っちゃおう(笑)。


小さいながらも冷蔵庫も完備。

     20220915伊東園09


バス・トイレも付いている。

     20220915伊東園10



ルーム・キー。

     20220915伊東園11

今時の最新のホテルはカードキーが主流だけど、昭和っぽくって良いんじゃない(?)



夕食・朝食はバイキング。
その食券と、チェックイン時に貰ったクーポン券。

     20220915伊東園12

このクーポン券が侮れない。
馬鹿には出来ません。


館内、WIFI対応。

     20220915伊東園13

スマホ(iPhone)もタブレット(iPad)もPCもインターネット使い放題。



夕食まで時間があるから、大浴場に行きましょう。


大浴場は2階の別館(クアハウス棟)。

     20220915伊東園14


2階に降りて連絡通路の先が大浴場。

     20220915伊東園15


暖簾の先が大浴場。

     20220915伊東園16



男湯は左。

     20220915伊東園17


脱衣所。

     20220915伊東園18


     20220915伊東園19


大浴場。

     20220915伊東園20


     20220915伊東園21


露天風呂。

     20220915伊東園22



塩原温泉の効能。

     20220915伊東園23


     20220915伊東園24



くぅ〜っと汗をかいたら、風呂上がりのビールです。

     20220915伊東園25


冷たいビールが旨い!!

     20220915伊東園26

飲みすぎないように缶ビール1本にして.............


いざ! バイキング。

この期間は『串天フェア』開催中。

     20220915伊東園27


宿泊者が多くて、この日は2部制。
19時10分からの食事ですが、時間前にすでに並んでいる。

     20220915伊東園28



さあ、席も確保したから、力一杯食べましょう。

     20220915伊東園2


     20220915伊東園30


そして飲みましょう。

     20220915伊東園31


たべて..........

     20220915伊東園32



飲んで.............

     20220915伊東園33



そして、また食べて............

     20220915伊東園34



そして、飲む。

     20220915伊東園35



さらに、ビールをお代わりして..............

     20220915伊東園36



『茶碗蒸し』なんて、久しく食べていないから美味しくいただきました。

     20220915伊東園37


デザートも美味しくいただきました。

     20220915伊東園38


いっぱい食べて、飲みました。
ご馳走様でした。

     20220915伊東園39



夕食の後は館内の探索。


ゲームコーナー。

     20220915伊東園40



売店。

     20220915伊東園41



ロビー。

     20220915伊東園42



やっぱり、お風呂が1番良い。

再び大浴場に向かったのは言うまでもない。


ほろ酔い気分でお風呂に入り、ちょっぴり心地良い疲れも感じ、
今夜も早めに床に着きましょう。




翌朝、朝イチで大浴場に行って汗をかきお腹も空いて来た。
朝ご飯もしっかり摂りましょう。

     20220915伊東園43


     20220915伊東園44

普段は朝ご飯は食べないけれど、旅行になれば別腹。
この日の朝もしっかりといただきました。



今回、泊まった伊東園ホテル塩原。
1泊2食飲み放題付きバイキングプラン      7898円(税込み)

yahooトラベルのオンライン決算   △10% △780円
県民割引                   △3000円

      最終的な支払い金額は..............................4118円(税込み)

 そして 地域クーポン券           △2000円(金券)

実質2118円と言うことになる。


飲んで、食べて、また飲んで..............
充分に元を取ったような気がします。

県民割引バンザ〜イ。
そして飲み放題、食べ放題 バンザ〜イ。
伊東園ホテルグループ、コスパ最高。
侮れませんね。









    


2022/12/08 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

板室温泉神社  (2022年9月15日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
とは言いながらもせっかく那須地区に来ているんだから、
御朱印やマンホールカードも貰ったり
気になる神社があれば、参拝に立ち寄ります。

那須塩原市のカラーマンホール蓋の実物を見るために
板室温泉の老舗旅館の『加登屋本館』を訪れたら
加登屋本館の裏手に、こんな案内板がありました。

     20220915板室温泉神社01

そう言えば、『温泉神社』って栃木県に多い神社じゃなかったっけ?
たしか、那須地区に多い気がしたんだけど.............

塩原温泉にも在ったし、大田原市にも在った。
那須町には湯本にも芦野にも温泉神社は在った。
那須湯本にある温泉神社が本家のような気もするけれど
温泉大国の那須地区には温泉神社(「ゆせんじんじゃ」と読むらしい)が多い。


せっかくだから、板室温泉にある板室温泉神社にも参拝していきましょう。


板室温泉神社は、那須塩原市板室に鎮座する神社です。

創建は寛文2年(1662年)。
那須温泉神社(栃木県那須町)の祭神である大己貴命、少彦名命の分霊を
勧請したのが始まりとされています。

板室温泉の開湯は伝承では平安時代まで遡る為、
温泉の守護神としての存在は既にあったとも考えられます。
当時は黒羽藩(藩庁:黒羽城)領でしたが
大田原藩(藩庁:大田原城)歴代藩主が庇護し、
弘化3年(1846年)には第11代藩主・大田原愛清が
石灯籠を寄進したと伝わります。



この橋を渡り..............

     20220915板室温泉神社02


狭い道を進みます。

     20220915板室温泉神社03


参道の途中には、観音像も祀られています。

     20220915板室温泉神社04

『福運観音板室福運水』という清水らしい。


参道と言う登山道(?)には狛犬。

     20220915板室温泉神社05


     20220915板室温泉神社06


この先は石段が続く登山道。

     20220915板室温泉神社07


     20220915板室温泉神社08


額に汗が浮かんだ頃、振り返ってみると結構上って来たのが分かる。

     20220915板室温泉神社09



鳥居。

     20220915板室温泉神社10


手水鉢。

     20220915板室温泉神社11


鳥居背後の狛犬。

     20220915板室温泉神社12


     20220915板室温泉神社13


こちらが、拝殿。

     20220915板室温泉神社14



拝殿正面。

     20220915板室温泉神社15



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20220915板室温泉神社16


拝殿内部。

     20220915板室温泉神社17


別アングルからの拝殿。

     20220915板室温泉神社18


     20220915板室温泉神社19


そして本殿(覆殿)。

     20220915板室温泉神社20

覆われているので中を確認出来ないけれど
この本殿は那須塩原市の文化財に指定されているようです。

     20220915板室温泉神社23


     20220915板室温泉神社24



こちらは、拝殿前の狛犬。

     20220915板室温泉神社21


     20220915板室温泉神社22


     
境内社。

     20220915板室温泉神社27


     20220915板室温泉神社28


     20220915板室温泉神社25




石仏も祀られているのは神仏習合の名残りでしょうか........?

     20220915板室温泉神社26


     
板碑。

     20220915板室温泉神社29



本殿の先には、上の園地へと続く遊歩道(登山道)もある。

     20220915板室温泉神社30



でも、看板を見てびっくり!!

     20220915板室温泉神社31


     20220915板室温泉神社32


どうやら、この辺りは熊が出るらしい。

小雨上がりで泥濘んでいたからこの先へ進む気はなかったけれど
こんな看板を見たら、余計に足が遠のいてしまいますね...........(笑)。




2022/12/07 Wed. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

マンホールカードを集めよう  《那須塩原市②》 (2022年9月15日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
とは言いながらも、せっかく那須地区に来たのだから神社の御朱印や
マンホールカードも集めましょう。

と言うことで、黒磯神社をあとにして、那須塩原市のマンホールカードを手に入れるため
板室温泉にある板室自然遊学センターへと向かいます。

現在、那須塩原市では2種類のマンホールカードを発行して配布しています。
そのうちの1種(A001)は7月に塩原温泉に来た時に手に入れています。
(その時の記事は こちら )

今回は、残りの1種(B001)を手に入れます。


配布時間は板室自然遊学センターの開館している16時まで。


駐車場に車を入れたのは16時ジャスト。

慌てて正面玄関に行くと、照明は消えてドアは施錠されている。

     20220915マンホールカード01

でも、ついさっきまで開いていたはず。
時刻は16時ちょっと過ぎ。

慌てて電話をしたら、中にまだ居た職員の方が対応してくれて
何とかマンホールカードをゲットです。

     20220915マンホールカード02


肝心のマンホールカードのモデルになったカラーマンホール蓋は
板室温泉の老舗旅館の前の道路にあるらしい。

     20220915マンホールカード03


カラーマンホール蓋を目指して進みます。

     20220915マンホールカード04



こちらが、カラーマンホール蓋の実物。

     20220915マンホールカード05


     20220915マンホールカード06


板室温泉の老舗旅館 加登屋本館 の前。

     20220915マンホールカード07



国の有形文化財に登録されている『加登屋本館』。

     20220915マンホールカード08

大正8年に建てられたモノらしい。




こちらが、マンホールカード。

     20220915マンホールカード09

     20220915マンホールカード10

サンリオのキャラクター『ハローキティ』と那須塩原市のキャラクター『みるひぃ』が
仲良く新緑の板室温泉に入っていると言うデザイン。

もう1種類のカードも、やはり『ハローキティ』と『みるひぃ』が
仲良く塩原温泉に入っていると言うデザイン。

温泉の街、那須塩原らしいデザインですね。






2022/12/07 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

御朱印巡り  《黒磯神社》   (2022年9月15日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日  

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
とは言いながら、御朱印を拝受の参拝も忘れません。

高久神社では、御朱印は空振りに終わってしまったけれど
懲りずに次なる神社を目指します。

向かった先は................黒磯神社。


黒磯神社は、那須塩原市宮町に鎮座する神社です。

「もののふの 矢なみつくろふ籠手の上に あられたばしる 那須の篠原」と
源実朝が詠んだように、那須野は古来より茫漠たる原野でしたが、
明治17年に新国道(陸羽街道)が開通し、明治18年には日本鉄道黒磯停車場が建設され、
明治19年10月に黒磯駅が開業されて那須温泉への交通接点となり、
各地から那須野が原開拓や商業取引のため移住する人々も多くなり市街地が形成されました。
ここに敬神愛国の心を養い、神社崇敬の道を開いて新開の住民の心を一つにし
交友の情愛をはぐくむため、明治35年10月に黒磯郷旧家渋井兼広氏の寄進により創立されました。
 昭和39年2月に不審火により拝殿幣殿が全焼し、本殿も半焼しましたが
町内全域の氏子の寄進により再建され、昭和40年10月に遷座祭を執行し、現在に至っています。


御祭神は、天照大御神、大己貴神、宇迦御魂神。



社号標。

     20220915黒磯神社01


神社社頭の一ノ鳥居は白い鳥居。

     20220915黒磯神社02


参道を進めば、ーこちらも社号標。

     20220915黒磯神社03


ニノ鳥居。

     20220915黒磯神社04


ニノ鳥居の先には狛犬。

     20220915黒磯神社05


     20220915黒磯神社06


参道をさらに進めば神門。

     20220915黒磯神社07



神門の先、右手には手水舎。 

     20220915黒磯神社08



定番の龍の吐出口。

     20220915黒磯神社09



拝殿。


     20220915黒磯神社10


拝殿正面。

     20220915黒磯神社12


     20220915黒磯神社13


拝殿前にも社号標。

     20220915黒磯神社14

そこには『黒磯郷 総鎮守』とある。



別アングルからの拝殿。

     20220915黒磯神社15


     20220915黒磯神社16



そして、本殿。

     20220915黒磯神社17



拝殿右に鎮座する境内社・足尾神社。

     20220915黒磯神社19



その隣は、境内社・祖霊社

     20220915黒磯神社18



拝殿左は古札納所。

     20220915黒磯神社20



面足尊と惶根尊の石造。

     20220915黒磯神社21

足尾神社の御祭神になるそうです。


神馬像。

     20220915黒磯神社22



神楽殿。

     20220915黒磯神社23



神輿庫。

     20220915黒磯神社24


額殿(?)。

     20220915黒磯神社25



多くの扁額が掲げられています。

     20220915黒磯神社26


     20220915黒磯神社27


     20220915黒磯神社28


     20220915黒磯神社29



そして、こちらが社務所。

     20220915黒磯神社30



御朱印はこちらで頒布されています。

     20220915黒磯神社31

御朱印の初穂料の相場が上がり、栃木県内の多くの神社が
初穂料が500円と言う時代の中、300円は良心的な初穂料。


そして、こちらが黒磯神社の御朱印。

     20220915黒磯神社32


以前から那須方面に来たら参拝したかったけれど、
なかなか機会が無かった黒磯神社。
やっと参拝できました。



2022/12/06 Tue. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

高久神社   (2022年9月15日)(栃木県那須郡那須町) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校と御朱印を求めて車で徘徊します。

田中小学校をあとにして向かった先は...............高久神社。


高久神社は、那須町高久甲に鎮座する神社です。

由緒等詳細は不明。

一説によると、佐竹行義の六男である高久景義を始祖とする
高久家所縁の神社らしい。
まぁ、詳しいことは分かりませんが..............

御祭神は、火産霊命(ホムスビノミコト)。
     大己貴命(オオナムジノミコト)。
以前(数年前)、栃木県の神社庁のHPに高久神社の連絡先が記載されてていて
その番号に電話をして宮司さんに御朱印の有無について問い合わせたら
御朱印を頒布されていると言うことでした。

せっかく那須町に来ているんだから
参拝を兼ねて御朱印を拝受しようと訪れました。


高久愛宕山に鎮座する高久神社。

     20220915高久神社01



高久愛宕山。

     20220915高久神社02

中央のこんもりとした森が神社社叢。

高久愛宕山はちょっとした公園。
駐車場も完備されています。


神社への導線は、細い道だから駐車場に車を停めて
徒歩で上っていきます。


ちょっぴり息を切らして上がって行くと、高久神社専用の駐車場もある。

     20220915高久神社03



神社社頭。

     20220915高久神社04



鳥居。

     20220915高久神社05


鳥居に掲げられた神額。

     20220915高久神社06



参道。

     20220915高久神社07



手水舎。

     20220915高久神社08


拝殿。

     20220915高久神社09


拝殿正面。

     20220915高久神社10


     20220915高久神社11



拝殿正面に掲げられた扁額。

     20220915高久神社12



別アングルからの拝殿。

     20220915高久神社13


     20220915高久神社14


そして、こちらが本殿。

     20220915高久神社15



こちらが社務所。

     20220915高久神社16

授与所のシャッターは閉まっている。
どうやら、普段は無人の神社のようです。

授与所の窓ガラスに宮司さんの連絡先が貼られています。

携帯電話で連絡を入れてみたけれど、
この日はちょっと離れたところに出掛けているようで
御朱印を頂くことが出来ませんでした。


神社の前には、『那須の銘木、高久愛宕山の赤松林39本』

     20220915高久神社17


要するに、愛宕山には38本の赤松の木があり
それが那須町の銘木に指定されているようです。


神社前に建つ石碑。

     20220915高久神社18


この日は曇っていたけれど、晴れていたら眺望は良いのかもしれない。

     20220915高久神社19



江戸時代、この地は黒羽藩領として高久組(甲・乙・丙)の支配下であり、
明治42年、陸軍大演習には、明治天皇がこの愛宕山で統監したそうです。

いずれにしても、いつの日か御朱印をいただきに再訪できたら良いなぁ。



2022/12/06 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《田中小学校》    (2022年9月15日)(栃木県那須郡那須町) 

9月15日 


9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。


旧・田中小学校跡をあとにして、向かった先は....................那須町立田中小学校。


田中小学校は、

明治8年    鍋掛村日新館田中分校として創立される。
明治25年   田中尋常小学校と改称する。
大正11年   校地移転し、新校舎建築。
昭和22年   学制改革により、那須村立田中小学校と改称する。
        黒田原中学校分教場を併置する。
昭和29年   芦野町、伊王野村、那須村が合併して那須町が誕生。
        那須町立田中小学校と改称する。
昭和57年   新校舎建設のため校地移転。
平成26年   黒田原小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。



こちらを訪れる前に立ち寄ったのは昭和57年までの学び舎であった旧・田中小学校跡。
そして、こちらが昭和57年からの学び舎であった田中小学校。



かつての正門。

     20220915田中小学校01


門柱には『りぼーる・たなか』とある。

     20220915田中小学校02

何だ、それ?
ひょっとして、特養介護施設?
それとも、幼児教育関連施設?

恐る恐る、敷地内へ足を踏み入れます。


校舎。

     20220915田中小学校03


     20220915田中小学校11



別アングルから。

     20220915田中小学校04


     20220915田中小学校05


     20220915田中小学校06


     20220915田中小学校07


     20220915田中小学校10


玄関には『りぼーる・たなか』の看板。

     20220915田中小学校08

一体ここは何?

調べてみると、地域住民の生涯学習や社会教育の推進および地域コミュニティ活動の拠点らしい。
要するに、公民館のように地域の住民が利用できる複合施設らしい。


校舎前の国旗掲揚ポール。

     20220915田中小学校09



校舎裏手。
正面とは違った色で塗り分けられている。

     20220915田中小学校12


     20220915田中小学校13



こちらは体育館。

     20220915田中小学校14



校庭の奥に見えるのは、室内プール。

     20220915田中小学校15



那須町の小学校のプールって、屋内プールが多いような気もする。

     20220915田中小学校16



校庭。

     20220915田中小学校17

ほぼ半分は施設の来場者用の駐車場と化している。
残りの半分は少年野球のグランドのようです。



校庭の残された遊具類。

     20220915田中小学校18


     20220915田中小学校19


     20220915田中小学校20


     20220915田中小学校21


     20220915田中小学校22



朝礼台。

     20220915田中小学校23



百葉箱。

     20220915田中小学校24


二宮増かと思ったら違っていた。

     20220915田中小学校25



これは、何かの遊具か?
切り株にタイヤが括り付けられている。

     20220915田中小学校26



『豊かな心』と題された碑。

     20220915田中小学校27

実は、田中小学校移転十周年記念の碑。


校庭は駐車場と少年野球のグランド。

     20220915田中小学校28



バックネットも完備。

     20220915田中小学校29



強いのか? 田中ファイターズ。

     20220915田中小学校30



校庭の周りの桜の木。

     20220915田中小学校31


そして敷地の一角にはスクールバス。

     20220915田中小学校32

どうやら、統合された黒田原小学校へのスクールバスの発着場でもあるけれど
スクールバスの駐車場でもあるようです。


残寝ながら、廃校記念碑や二宮像はありませんでしたねぇ






2022/12/05 Mon. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《急・田中小学校跡》    (2022年9月15日)(栃木県那須郡那須町) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。


寺子小学校をあとにして、向かった先は....................那須町立 旧・田中小学校跡。


田中小学校は、

明治8年    鍋掛村日新館田中分校として創立される。
明治25年   田中尋常小学校と改称する。
大正11年   校地移転し、新校舎建築。
昭和22年   学制改革により、那須村立田中小学校と改称する。
        黒田原中学校分教場を併置する。
昭和29年   芦野町、伊王野村、那須村が合併して那須町が誕生。
        那須町立田中小学校と改称する。
昭和57年   新校舎建設のため校地移転。
平成26年   黒田原小学校に統合されて廃校となる。

と、このような沿革となっています。

平成26年に廃校となった田中小学校ですが、廃校時の校地はこちらでは無く別な場所。
こちらは、昭和57年に新校舎建設で移転する前までの学校跡地となります。




こちらがかつての正門。

     20220915旧・田中小学校01



石造りの古い門柱。

     20220915旧・田中小学校02


正門脇には碑が並ぶ。


苔生した古い石碑。

     20220915旧・田中小学校03

苔で碑文が読めないけれど、学校関係の碑であることは間違いない。



こちらは、創立百周年の記念碑。

     20220915旧・田中小学校04


裏面には沿革が刻まれている。

     20220915旧・田中小学校05



敷地の奥に校舎っぽい建物。
学校移転後、校舎は解体されて新たに建てられてモノのようです。

     20220915旧・田中小学校06


     20220915旧・田中小学校09



     20220915旧・田中小学校07



敷地は現在、『田中農村公園』として活用されているようです。

     20220915旧・田中小学校08


公園の看板に立て掛けられたローラー。  

     20220915旧・田中小学校10

おそらく、現在も愛用されているようですが、往時のモノでしょう。



一画には遊具も設置されているけれど
往時の遊具か不明。

     20220915旧・田中小学校11


敷地の片隅にはお約束の消防倉庫。

     20220915旧・田中小学校12

おまけで、火の見櫓もあったりして..............



かつての校庭。

     20220915旧・田中小学校13



一部はゲートボール場になっているようです。

     20220915旧・田中小学校14



フェンス沿いには桜の木。

     20220915旧・田中小学校15


     20220915旧・田中小学校16


いかにも学校跡って感じですね。

これで、二宮像が有れば、完璧なんですが..............
残念ながら二宮像は無し。


結果的には廃校になってしまったけれど
移転をするって言うことは、校舎が古いとか、校地が狭くなってきたとか
諸般の理由があったと思ううんだけど
結局子供たちが少なくなって廃校になってしまったんでしょうね。


2022/12/05 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《寺子小学校》    (2022年9月14日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須塩原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
旧・寺子小学校跡から向かった先は...............那須塩原市立寺子小学校。



寺子小学校の詳しい沿革は不明ですが
明治6年に道明小学校として開校したようです。
そして、開校してから141年後の平成27年に
鍋掛小学校に統合されて廃校となりました。



こちらが、かつての正門。

     20220915寺子小学校01

門扉は固く閉ざされている。



コンクリート製の門柱には往時の表札が残されていました。

     20220915寺子小学校02



たまたまこの日、那須塩原市からの委託で草刈りに来られた方が居て
グランド側のフェンスの一部が空いていたので、声を掛けて中に入れて頂きました。


こちらが校舎。

     20220915寺子小学校03


     20220915寺子小学校04


別アングルから。

     20220915寺子小学校05


     20220915寺子小学校06


     20220915寺子小学校07


     20220915寺子小学校08



正面玄関がモダンと言うか洒落たデザインの造り。

     20220915寺子小学校09


弧を描いた玄関の庇には寺子小学校の校章。

     20220915寺子小学校10


そして屋上の時計台。

     20220915寺子小学校11



さらに、別なアングルから。

     20220915寺子小学校12


     20220915寺子小学校13


     20220915寺子小学校14


     20220915寺子小学校33



校舎の前には向日葵の花。

     20220915寺子小学校15

えっ、9月の中旬なんだけど、まだ向日葵?

でも、廃校から既に7年。
誰かが向日葵の種を植えているんでしょうか?


こちらは体育館。

     20220915寺子小学校16


校庭。

     20220915寺子小学校17


     20220915寺子小学校18


     20220915寺子小学校19


     20220915寺子小学校20



校庭に残された遊具類。

     20220915寺子小学校21


     20220915寺子小学校22


     20220915寺子小学校23


     20220915寺子小学校24


     20220915寺子小学校25



校庭の百葉箱。

     20220915寺子小学校34




校舎前の国旗掲揚ポール。

     20220915寺子小学校26




校舎前で見つけました!

     20220915寺子小学校27



やっぱり、小学校には二宮像がなくっちゃ!!

     20220915寺子小学校28

でも、この二宮像、ちょっぴり猫背のような気がするんだけど..................(笑)。



単なる石のようにも見えますが、文字が刻まれているから
何かの記念のようですが詳細は不明。

     20220915寺子小学校29


寺子小学校新築落成記念碑。

     20220915寺子小学校30

この碑によれば、現在の校舎は平成4年に落成したようですから
旧校舎(旧校地)からの移転は平成4年になるようですね。

と言うことは、新校地の新校舎になって23年で廃校になってしまったようですね。



アメリカハナミズキの木。

     20220915寺子小学校31


碑文によれば、昭和38年度の卒業生の記念植樹のようですね。

     20220915寺子小学校32




こちらに訪れる前に立ち寄った旧・寺子小学校跡地でも沿革が記された碑などを探しましたが無く、
こちらでも、やはり閉校記念碑など沿革が記された碑などを探しましたが見つかりませんでした。

ネットにも沿革などは掲載されていなくて、
結局、寺子小学校の詳細な沿革は不明のままとなってしまいました。
2022/12/04 Sun. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《旧・寺子小学校跡》    (2022年9月14日)(栃木県那須塩原市) 

9月15日  

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。

黒羽城址から向かった先は...............那須塩原市立 旧・寺子小学校跡


寺子小学校の詳しい沿革は不明ですが
明治6年に道明小学校として開校したようです。
そして、開校してから141年後の平成27年に
鍋掛小学校に統合されて廃校となりました。

平成27年に廃校になった小学校ですが
廃校になった小学校別の場所にあり、
ここは以前、寺子小学校が在った場所になります。

この日、廃校になった寺子小学校にも訪れましたが
残念ながら沿革等が記された記念碑などは確認出来ず、
いつまでこの地に寺子小学校が在ったのか?..............不明のままです。

栃木県の廃校巡りをする際に参考とさせていただいているブログ記事によれば、
校地移転後、跡地には地域の公民館が建てられ、
敷地の一部は寺子一里塚公園として整備されたそうです。

     20220915旧・寺子小学校01


     20220915旧・寺子小学校02


     20220915旧・寺子小学校03


一里塚公園に建つ石碑。

     20220915旧・寺子小学校04

てっきり、寺子小学校関連の石碑かと思っていたら違っていた。


公園の奥に広がる広場が、旧寺子小学校の校庭だったようです。

     20220915旧・寺子小学校05


     20220915旧・寺子小学校06


敷地を分断するように新しいバイパス道路が造られ
道路を挟んで公園と公民館に分かれるようになってしまいました。

公民館側の写真を撮り忘れてしまったので、
公園側のみとなってしまいますが..................


きっとシンボルツリーであったであろうヒマラヤ杉。

     20220915旧・寺子小学校07

見事な木ですね。


別アングルから。

     20220915旧・寺子小学校09



そして、その下に建つ記念碑。

     20220915旧・寺子小学校08

学校関連の記念碑ですが、長い年月の風化により、文字が読みづらい。



こちらは桜の木。

     20220915旧・寺子小学校10


     20220915旧・寺子小学校11


校庭跡だと思われる広場。

     20220915旧・寺子小学校12



最奥まで進んで振り返ってみる。

     20220915旧・寺子小学校13

右側に見える建物が公民館。
公民館のある場所に昔の校舎が建っていたらしい。

こうして見ると.....................
やっぱり、ヒマラヤ杉はシンボルツリーだったんですね。




2022/12/04 Sun. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

黒羽城址   (2022年9月15日)(栃木県大田原市) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
鹿子畑翠桃邸跡から向かった先は...............黒羽城址。


黒羽城は、天正4年(1576年)に大関高増が白旗城から本拠を遷した事から始まりました。
天正18年(1590年)の小田原征伐の際、主家の那須氏の那須資晴は、
小田原へ参陣しなかった為に改易されたものの、大関氏の当主である高増は、
弟である大田原氏の当主・大田原綱清の息子・大田原晴清と共にいち早く参陣して、
所領を安堵(1万3000石)されました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて大関氏は、
東軍に与したので、戦後に徳川家康から加増されて1万9200石の大名となりました。
また、関ヶ原の戦いのとき、徳川家康が会津の上杉景勝に対する備えとして大規模な改修が行われました。
寛文4年(1664年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱からの領知朱印状によって、
大関氏の石高は1万8000石に確定となり、その後、幕末まで続きました。

江戸時代の関東では珍しく外様大名の大関氏の支配が続き
明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となりました。

黒羽城跡は現在、黒羽城址公園となっていて空堀・土塁などが良好な状態で保存されています。
また、元禄2年(1689年)に、松尾芭蕉が奥の細道の旅行中に4月3日から4月16日まで
最長の14日間、城下に滞在しました。
その経緯もあって現在、三の丸には黒羽芭蕉の館があります。



こちらが、黒羽城の縄張り図。

     20220915黒羽城址縄張り図

 ( 余湖さんのHPよりお借りしました )



縄張り図で言うところの『う』エリア。
ここは、黒羽城の会所跡。

     0220915黒羽城址03



そして、現在の黒羽城址公園の駐車場でもある。

     0220915黒羽城址44



駐車場に建つ案内板。

     0220915黒羽城址01


建てられてからかなりの年月が経っているようで
色褪せてよく読めない。

     0220915黒羽城址02


駐車場の奥には土塁も確認出来る。

     0220915黒羽城址46



その土塁の先は水堀。

     0220915黒羽城址43


     

それでは、黒羽城を攻城いたしましょう。



登城路に建つ、小さな城址碑。

     0220915黒羽城址04


城址碑の脇を進みます。

     0220915黒羽城址05



登城路に建つ説明板。

     0220915黒羽城址06


暗くて見にくいけれど、土塁。

     0220915黒羽城址07



こちらは、本丸手前の空堀。

     0220915黒羽城址08


     0220915黒羽城址09



土塁。

     0220915黒羽城址10


元々の登城路なのか?
はたまた、公園整備時に造られた遊歩道なのか?
この先を進めば、本丸となる。

     0220915黒羽城址11



本丸虎口。

     0220915黒羽城址12



こちらが本丸。

     0220915黒羽城址13



本丸に建つ説明板と城址碑。

     0220915黒羽城址14


江戸時代、この本丸には黒羽藩の藩庁となった御本城御住居と呼ばれる居館が建っていたようです。
現在の本丸には、それに模した建物が建てられています。

     0220915黒羽城址15



そして、本丸西側には、疑似櫓台。

     0220915黒羽城址16

江戸時代にこのような櫓台が建てられていたかは不明ですが、
公園整備の際に建てられたのでしょう。
いわゆる、公園施設としての展望台ですね。


せっかくだから、その展望台に上りその眺望を堪能しましょう。

     0220915黒羽城址17


     0220915黒羽城址18


展望台(櫓台)から見下ろす本丸。

     0220915黒羽城址19


木々が茂って見づらいけれど、本丸の櫓台(展望台)裏手の土塁。

     0220915黒羽城址20

西側の土塁は高さが5m近くあり、それなりに見応えがある。


本丸から中丸を通って、二の丸へと移動します。


二の丸虎口。

     0220915黒羽城址21



二の丸には旧・黒羽町の体育館が建てられていて、その隣には城郭を意識した
それっぽい建物も建てられているけれど、現在は閉館中のようです。

     0220915黒羽城址22


     0220915黒羽城址23


     0220915黒羽城址24



二の丸の空堀。

     0220915黒羽城址25


     0220915黒羽城址26


二の丸の土塁。

     0220915黒羽城址27



先ほどの空堀は長く、こんな形で伸びている。

     0220915黒羽城址28


     0220915黒羽城址29


     0220915黒羽城址30



再び本丸に戻り、本丸から馬出し曲輪へ。


その手前の空堀。

     0220915黒羽城址31


     0220915黒羽城址32



馬出し曲輪には、四阿も建つ。

     0220915黒羽城址33

しっかり、公園と化しています。


馬出し曲輪から三の丸へと移動。


馬出しと三の丸を隔てる空堀。

     0220915黒羽城址34


三の丸の土塁。

     0220915黒羽城址36


     0220915黒羽城址37



三の丸には『芭蕉の館』と言う観光施設が建っています。

     0220915黒羽城址35

何せ、この黒羽の地に芭蕉が14日間滞在したから
芭蕉の足跡を残す記念館として建てられたのでしょう。



こちらが『芭蕉の館』。   

     0220915黒羽城址39


     0220915黒羽城址40


     0220915黒羽城址47


三の丸の下には腰曲輪。

     0220915黒羽城址41



遊歩道を進みながら、その腰曲輪に降り立ちます。

     0220915黒羽城址42


この先は、大雄寺。

じっくり時間をかければ、もっともっと見る所はある黒羽城。
事前の下調べ不足で、二重土塁のある稲荷神社も見過ごしてしまった。

でも、この黒羽城は見応えのある城郭でした。


2022/12/03 Sat. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

鹿子畑翠桃邸跡   (2022年9月15日)(栃木県大田原市) 

9月15日  

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
白旗城址から向かった先は...............鹿子畑翠桃邸跡。


鹿子畑翠桃邸跡を語る前に、大田原市についてちょっぴり触れましょう。

大田原市は、平成17年に那須郡湯津上村・黒羽町を編入しました。
この地は、以前は那須郡黒羽町であり、
その黒羽町には江戸時代の俳聖・松尾芭蕉が奥の細道で
黒羽の地に13泊14日しています。
その松尾芭蕉を黒羽の地でもてなしたのが、鹿子畑翠桃(です。

鹿子畑翠桃は、鹿子畑左内の二男で、名を豊明といいます。
翠桃は俳号です。
左内の長男高勝は、母の実家である浄法寺)家を継ぎ、
黒羽藩城代家老となり、図書と称しました。
俳号は、桃雪・秋鴉です。

父・左内は、故あって黒羽を退き、家族と共に江戸に住むこと12年。
その間に高勝・豊明兄弟は、松尾芭蕉のもとで俳諧を学びました。
後に左内は帰藩を許され、兄弟も黒羽に戻り、はばかって岡姓に改めました。

元禄2年(1689年)に江戸を発った俳聖・松尾芭蕉は、
弟子の曾良と共に「奥の細道」行脚の途中に黒羽の地を訪れ、
旅程中最も長い14日間逗留し、知人や多くの史跡を訪ね、
次に向かう「みちのく」の地への準備期間をここで過ごしました。
宿泊先は、江戸において芭蕉の門人であった黒羽藩城代家老・浄法寺図書(桃雪)宅と、
その弟鹿子畑豊明(翠桃)宅でした。

翠桃宅のあった余瀬地区は、律令制により全国に設置された七道のひとつである
「東山道}(平安時代においては関街道又は秀衡街道)が通り、
その宿駅(粟野宿)として栄え、また室町時代から戦国期にかけては、
大関氏(のちの黒羽藩主)の居城(白旗城)があり、交通・軍事の要衝の地でもありました。

芭蕉は翠桃宅に5泊逗留する中で,歌仙の興行を行ったり、
ここを起点に犬追物の跡や、篠原の玉藻の古墳、金丸八幡宮(那須神社)などを訪れ、
多くの句を残しています。
現在でも道路の方向や経路は、芭蕉が訪ねた当時の状況とほぼ変わらない面影を残しながら、
南は大田原、佐久山に通じ、北は次に向かった那須や白河へと通じており、
往時の俳聖が辿った軌跡を訪ねることのできる地でもあります。



白旗城の近くに、道路沿いにこんな標柱が建てられています。

     20220915鹿子畑翠桃邸01

やはり、7月にこの前の道路を車で走っていて(蜂巣小学校へと向かっていた)
この標柱には気づいていたけれど、次の機会にでもと考えていました。

白旗城址の駐車場に車を置いて300mほど歩けば
この標柱に辿り着けます。


標柱のさき、民家の中へ入って行くような感じで未舗装の道を進みます。

     20220915鹿子畑翠桃邸02


やがて現れる標柱。

     20220915鹿子畑翠桃邸03

そこには、『史蹟・鹿子畑翠桃墓地』とある。

あれ?
確か、道路沿いの標柱には『鹿子畑翠桃邸跡』とあった筈。

     20220915鹿子畑翠桃邸04


墓石群。

     20220915鹿子畑翠桃邸05


説明板も建てられている。

     20220915鹿子畑翠桃邸06


     20220915鹿子畑翠桃邸08



どうやら、この辺りに鹿子畑翠桃邸も在ったらしい。

     20220915鹿子畑翠桃邸07


     
かつての邸跡も、今では田圃の一画。

     20220915鹿子畑翠桃邸09

松尾芭蕉が5泊した地がこの場所になるのだろうか?

7月に大田原市に訪れてその時に大田原市(旧・黒羽町)と
松尾芭蕉の深い関係を初めて知った。

芭蕉が何日も掛けて歩いて来た道を、現代の馬車でもある自動車で
あっという間に走り去ってしまっている。

いつか、時間があれば、元禄2年(1689)年に芭蕉が歩いた道を
330年の時を超えて歩いてみるのも面白いかもしれないなぁ.................







2022/12/02 Fri. 15:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

白旗城址   (2022年9月15日)(栃木県大田原市) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
この日は那須塩原市から大田原市→那須町→那須塩原市と
城址と廃校を求めて車で徘徊します。
大田原城址から向かった先は...............白旗城址。


白旗城は、応永年間に大関増清が築いた山城で黒羽城と関係の深い城とされています。
大関家は、那須家に属した武将集団、那須七騎の旗頭で、
近世大名として安定する前の室町期まで、この城を拠点としていました。

白旗城の名は源頼義が阿部頼時を討伐に出かける際、
この山頂に白幡をひるがえし、軍を揃えたことにはじまり、
源義経も奥州の藤原秀衡のもとから、鎌倉の兄頼朝の旗上げに、
はせ参じる時に、祖先の例にならってこの山に立ち寄ったといわれています。

天文11年(1542年)大関増次は同僚の大田原資清と不和になり、
資清軍に急襲され自害しました。
増次には子供がなかったので、小舎の資清が子供の高増に跡目を継がせ、
大関高増となりました。
高増によって天正4年、黒羽城に移城されました。
当時の城郭は、土塁、堀等で原形をしのぶことができますが、
現在は杉林におおわれています。


こちらが白旗城の縄張り図。

     20220915白旗城址縄張り図

  (余湖さんのHPよりお借りしました)


実は、7月に大田原市の廃校巡りをしているときに
この白旗城の前を通り、白旗城の説明板に目が止まり
Uターンして説明板に目を通して、攻略しようか悩んだ末に
先を急ぐからと攻城を断念した城址です。
今回は、攻城目的で訪れました。


道路沿いから見る白旗城址。

     20220915白旗城址01


7月にこの説明板に気付き、Uターンしたんだよなぁ。

     20220915白旗城址02

説明板の近くに駐車場も整備されていて
普通車ならば、2台は楽に停められます。
さすが、大田原市の史跡に指定されているだけはありますね。


駐車場に車を入れて、白旗城への攻城です。


登城路の入口には石仏が並ぶ。

     20220915白旗城址03



石仏の横を通るように登場路が導いてくれる。

     20220915白旗城址26



残念ながら、白旗城は大田原市の史跡に指定されているものの
整備はイマイチ。管理もしっかりされていないようで
攻城は大変でした。


登城路を進み森の中に入ると、左側に削平地。

     20220915白旗城址04


虎口と思われる先は墓石が並び、その先へは進めない。

     20220915白旗城址05



再び、先ほどの登場路に戻り、先へと進むけれど藪状態。

     20220915白旗城址06


おそらく、堀底道と思われる登城路。
右側に三郭を意識しながら進みますが
三郭へのアプローチする進路が見つからない。

     20220915白旗城址07


三郭を右手にしながら進めば、空堀へと突き当たる。

     20220915白旗城址08


空堀を右方向に進み、三郭を右側に意識しながら進みます。

     20220915白旗城址09


     20220915白旗城址10



三郭と主郭を隔てる空堀を発見。
その空堀を進みます。

     20220915白旗城址11


空堀を進んでいるんだけど、あまりにも雑草(下草)が多くて
空堀を進んでいるようには見えない(笑)。

     20220915白旗城址12

余湖さんの縄張り図を見ながら進軍しているんだけれど
本当に主郭に向かっているのか?
少し、不安になって来ます。


しばらくすると、愛宕神社の参道の標柱を見つけ、一安心。

     20220915白旗城址13


白旗城の主郭に鎮座する愛宕神社。

     20220915白旗城址14


     20220915白旗城址15


すなわち、ここが白旗城の主郭になる。

     20220915白旗城址16


杉の木が生い茂り、長い間人に手が入っていないことが分かる。

     20220915白旗城址17


縄張り図を参考に二郭へと足をすづめるけれど
そ雑草や生い茂った木々がその行く手を遮ってくれる。

     20220915白旗城址18


     20220915白旗城址19


昨夜の夜半に降った雨で、多少のぬかるみも有る。

     20220915白旗城址20


これ以上の進軍は無理と判断。

     20220915白旗城址21


まぁ、主郭への攻略出来たのだから、潔く撤退しましょう。


主郭と二郭を隔てる空堀を進みます。

     20220915白旗城址22



愛宕神社への参道ではあるけれど、訪れる人も居ないのか?
雑草の生い茂った荒れた道を進みます。

     20220915白旗城址23



森から抜け出し、振り返れば............

     20220915白旗城址24

画面真ん中の空間が、主郭への登城路であり、
愛宕神社への参道口であるけれど、とてもそんな風には見えない。



田圃の脇の舗装を駐車場の方に歩きます。

     20220915白旗城址25



大田原市の史跡と言うことですが、大田原城が見応えあっただけに
生い茂った木々と雑草だらけの白旗城には
ちょっぴり残念としか言いようがない、 

このまま放置されてしまうのか?
はたまた、いずれしっかりと整備されていくのか?

どうなっていくんでしょうね?





2022/12/02 Fri. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

大田原城址  (2022年9月15日)(栃木県大田原市) 

9月15日 

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

その2日目。
朝9時に『塩原温泉 八汐荘』をチェックアウトし、
那須塩原市から大田原市へと移動。

向かった先は.................大田原城址。


大田原城は、天文14年 (1543年)に大田原資清によって下野国大田原の蛇尾川西岸、
比高約25メートルの龍体山に築かれた平山城です。
明治4年(1871年)の廃藩置県にいたるまでの326年間、大田原氏の居城でした。

江戸時代には奥州への備えとして重視され、
戊辰戦争の際には、大田原藩は新政府軍についたため、
本城は対会津攻めの重要拠点となりました。
城址には本丸の土塁や堀切、空堀、三日月堀などの遺構が残っており、
現在は龍城公園として花見の名所になっています。
また、城の周辺には鍵型に曲がった道など、城下町の面影が残っています。



こちらが、大田原城の縄張り図。

     20220915大田原城址縄張り図_

   ( 余湖さんのHPからお借りしました )


昭和36年に大田原市の史跡に指定されている大田原城址。
県道沿いに大きな看板も建てられている。

     20220915大田原城址01



無料駐車場から眺める大田原城。

     20220915大田原城址45


     20220915大田原城址02



駐車場に車を停めて、いざ! 攻城!!



龍城公園の遊歩道に建つ説明板。

     20220915大田原城址03


ちょうど本丸の城塁になる位置には、この説明板の他にも
標柱や碑が建てられている。

     20220915大田原城址04


     20220915大田原城址05


     20220915大田原城址06



こちらは、二の丸下の千石倉跡(米倉跡)。

     20220915大田原城址07



二の丸の空堀。

     20220915大田原城址08



こちらが、二の丸。

     20220915大田原城址09


     20220915大田原城址10



二の丸の土塁。

     20220915大田原城址11



先ほどの二の丸の空堀に架かる土橋。

     20220915大田原城址12



土橋上からの空堀。

     20220915大田原城址13



土橋を渡れば、本丸虎口。
立派な土塁の虎口。

     20220915大田原城址14


     20220915大田原城址15



その先は、本丸台門跡。

     20220915大田原城址16



この辺りに本丸台門が在ったらしい。

     20220915大田原城址17


大田原城の本丸は、東西80m×南北120mほどの広さ。
諸役所や武器庫、納戸倉が本丸の中に在ったようです。
周囲は高さ3〜4mの分厚い土塁で囲まれている。


     20220915大田原城址18



本丸跡の碑(?)

     20220915大田原城址19

大田原城には、このタイプの碑(?)が説明板や標柱の代わりに
各遺構に建てられているようです。



大田原城は別名が『龍城』
城址は龍城公園として開放されている。

     20220915大田原城址32



本丸。

     20220915大田原城址20



犬の散歩に訪れる人も多いのか?
本丸にはこんな看板が.............

     20220915大田原城址24


芝生でなないけれど、適度に草も生えていて
本丸広場は犬の散歩には良さそう。

     20220915大田原城址26


     20220915大田原城址28



こちらは、諸役所跡。

     20220915大田原城址29


     20220915大田原城址30



こちらは武庫跡。

     20220915大田原城址33


     20220915大田原城址34


     20220915大田原城址35



本丸をぐるっと囲むように設けられた土塁に上がってみましょう。

土塁の高さは3〜5mほど。

     20220915大田原城址27


本丸の土塁はそれなりに見応えがある。

     20220915大田原城址25


     20220915大田原城址31



高さが3〜5mあるのでそれなりに眺望に長ける。

     20220915大田原城址21


     20220915大田原城址23



土塁の上から見下ろす本丸。

     20220915大田原城址22




    
本丸から北の丸へと移動します。


こちらは、北の丸。

     20220915大田原城址36


北の丸にはちょっとした遊具も置かれ、まさに龍城公園。

     20220915大田原城址37


でも城址としての遺構も残る。
そして、説明板(?)の碑も建てられている。

     20220915大田原城址38


その遺構の一つがこの土塁。

     20220915大田原城址39



土塁の上から。

     20220915大田原城址40



北の丸の奥に進めば................

     20220915大田原城址41



こんな窪みがある。

     20220915大田原城址42



その先の麓から進軍してくる敵をこの窪みが待ち受け
一気に敵を矢の標的にして一網打尽にするのだろう。

     20220915大田原城址43



逆方向に進軍する敵は、本丸の城塁が行く手を遮り
二の丸の空堀へと進むしかない。

     20220915大田原城址44

結局、二の丸の空堀上から弓矢の攻撃を受けるのか..............

そんな防御機能を勝手に想像しながら
城址を探索するのも面白い。




7月に道一本隔てた隣の台地に鎮座する大田原神社に来たけれど
その時は、時間が押していたから攻城をパスしちゃったけれど
その時に攻城すればよかった。

小雨上がりのこの日と違って、天気は良かったから
また違った雰囲気を感じたことでしょうね................



2022/12/01 Thu. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

本日の宿  《塩原温泉 八汐荘》 (2022年9月14日)(栃木県那須塩原市) 

9月14日

月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

向かった先は栃木県の那須町。
那須町の城郭と廃校をメインにぐるっと巡ります。

旅行の計画を練っている時、
その初日(9月14日)に何処に泊まろうかと検討していた時、
ネットでこんな案内を見かけました。

     20220914八汐荘47


元々、1泊2食(弁当)付きで定価が6400円。
期間限定のホテル側の好意(?)で1000円引き。
県民割引(ブロック割引)で6000円以上の単価だから3000円引き。

すなわち、2400円で1泊2食付きの宿と言うことになる。
夕食、朝食共に冷凍の弁当を解凍して食べると言う事らしいが
塩原温泉で、源泉掛け流しの宿が1人宿泊でも2400円。
おまけに地域クーポンが2000円分付くから
実質、400円で泊まれることになる。

これは利用しない手は無いでしょう。

と言うことで、ポチッとネットで予約。



この日の宿は、『塩原温泉 八汐荘』。

     20220914八汐荘01


元々は、『おおるりグループ』だった八汐荘。
昨年(2021年)秋にコロナ禍の業績不振により売却され
今年(2022年)春にリ・ブランドされてオープンしたホテル。

     20220914八汐荘02


     20220914八汐荘03


こちらが、フロント。

     20220914八汐荘04


スムーズにチェックイン。
お部屋は6階の603号室。

     20220914八汐荘05


     20220914八汐荘06


     20220914八汐荘07


     20220914八汐荘08


室内は、こんな感じ。

     20220914八汐荘09



和室にベットが2台置かれている。

     20220914八汐荘10


和室だと落ち着くのは何故だろう?
それだけ、歳を取ったと言うことなんだろうか?



元々は『おおるりグループ』のホテルだったから
部屋の造りや設備は、7月に泊まった『塩原温泉ホテル おおるり』とほぼ同じ。

小さな冷蔵庫も付いている。

     20220914八汐荘11



窓から、『塩原温泉ホテル おおるり』も見える。

20220914八汐荘43

距離にしたら200mぐらいしか離れていない。




バス・トイレ付き。

     20220914八汐荘12


     20220914八汐荘13


ルームキー。

     20220914八汐荘14



フロントで渡されたインフォメーション。

     20220914八汐荘15


食券(弁当引換券)。

     20220914八汐荘16

後で知ったのですが、弁当は別売りで購入すると700円らしい。


地域クーポン券 2000円。

     20220914八汐荘17


館内はこんなレイアウト。

     20220914八汐荘18

1階に大浴場と露天風呂がある。


1階ロビー。

     20220914八汐荘19


1階ゲームコーナー。

     20220914八汐荘20


1階卓球コーナー。

     20220914八汐荘21



そして、大浴場。

     20220914八汐荘22



脱衣所。

     20220914八汐荘23


 
大浴場。
    
     20220914八汐荘24


     20220914八汐荘25


     20220914八汐荘26


     20220914八汐荘27


   
そして、露天風呂。

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     20220914八汐荘29


シャンプー、リンス、ボディーソープも準備されている。

     20220914八汐荘30



風呂上がりに、ちょっと散歩(買い出し)。
歩いて数分の所にコンビニ有り。

     20220914八汐荘31


気を付けなければ行けないのは、ここは都会では無い。
コンビニの概念が違う。
24時間営業なんて、とんでもない。
働き方改革をしっかり守って(笑)、閉店は17時。

     20220914八汐荘32

気を付けないと、『本日はもう閉店』なんて事もある。


とりあえず、コンビニでビールとお菓子をゲット。

     20220914八汐荘33


一人旅ではありますが、『乾杯!!』と参りましょう。

     20220914八汐荘34


今日も一日動き回りました。
心地よい疲れと、風呂上がりの爽快感が
ぐっとビールを進ませます。

     20220914八汐荘35


     20220914八汐荘36


デジカメの画像をパソコンに取り込む予定だったけれど
今夜は酔っ払って来ちゃったから無理っぽい。

     20220914八汐荘37



お弁当を取りにフロントへ。
お弁当はフロント脇の保冷ケースに入っている。

     20220914八汐荘38


種類は5種。

     20220914八汐荘39

いずれも冷凍。


その中から今宵の夕食は、『サバの塩焼き弁当』をチョイス。

     20220914八汐荘40



フロント脇に置かれた電子レンジで温めます。

     20220914八汐荘48


さっきまで冷凍だっとは思えない。

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ご飯(お米)もパサパサしていなくて、個人的には問題なし。

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お酒が足りなくなったら、フリント脇の売店にビールも売っている。

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ちょっとしたお土産も売っている。

     20220914八汐荘45


朝飯も冷凍のお弁当をレンジでチンして美味しくいただきました。

     20220914八汐荘46


チェックアウトの際、入湯税150円を払います。

楽天トラベルで予約をしたから、楽天カードで2400円決済
入湯税150円を支払って、合計2550円。
地域クーポンが2000円、実質550円。
日帰り入浴でも下手すれば550円では入れない。
おまけに700円のお弁当が2つ付いてくる。
コレは、もう言うことがない、文句なんか言えません
(文句を言うほどホテルも悪くないし.............)

     
さぁ、那須旅行の2日目は塩原温泉スタートの塩原温泉がゴール。
2日目の宿は違うけど、ここ『塩原温泉 八汐荘』を
超格安で泊まれることが出来たのは、良き経験となりました。





2022/11/30 Wed. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

道の駅に立ち寄ろう  《道の駅 那須友愛の森》  (2022年9月14日)(栃木県那須郡那須町) 

9月14日 

9月14日〜16日。
2泊3日で、県民割引(ブロック割)を利用して
栃木県の那須地区へ出かけました。

向かった先は栃木県の那須町。
那須町及びその周辺の城郭と廃校をメインにぐるっと巡ります。

その那須町には道の駅が2つ有り、
その一つが以前こちらで取り上げた『道の駅 東山道伊王野』。
実は、この日の朝に『道の駅 東山道伊王野』には、
『美野沢小学校』へ訪れる前にトイレ休憩で立ち寄りました。

そして、もう一つの道の駅が『道の駅 那須友愛の森』になります。

こちらの道の駅には、何年か前に
やはりトイレ休憩で立ち寄った記憶があります。
確か、ブログにも書いた記憶がありますが。その記事が見つからない。
この頃は、まだ道の駅にハマっていなくて
道の駅の切符を集めたり、道の駅のスタンプを集めたりと言った
今のような道の駅の楽しみ方ではなくて
単純にトイレの利用を含めた休憩の場でしかありませんでした。


いつものように、道の駅の看板から。

     20220914道の駅那須友愛の森01


     20220914道の駅那須友愛の森02


     20220914道の駅那須友愛の森03



駐車場。

     20220914道の駅那須友愛の森04



観光地に在る道の駅だから、駐車場も広い。

     20220914道の駅那須友愛の森11



道の駅の案内図。

     20220914道の駅那須友愛の森12



こちらが情報館。

     20220914道の駅那須友愛の森05


中にはATMも設置されている。

     20220914道の駅那須友愛の森06


パンフレットも多く、まさに那須の情報が満載。

     20220914道の駅那須友愛の森07


     20220914道の駅那須友愛の森08



道の駅の切符もこちらで販売されています。

     20220914道の駅那須友愛の森09


道の駅のスタンプもこちら。

     20220914道の駅那須友愛の森10




こちらは、ふるさと物産センター。

     20220914道の駅那須友愛の森13


那須地区の特産品が並べられています。

     20220914道の駅那須友愛の森14


     20220914道の駅那須友愛の森15


     20220914道の駅那須友愛の森16



こちらは、レストラン 『なすとらん』。

     20220914道の駅那須友愛の森17




こちらは、ふれあいの郷直売所。

     20220914道の駅那須友愛の森18


時間が遅かったから、産直野菜などは、ほとんど売り切れ状態。

     20220914道の駅那須友愛の森19


     20220914道の駅那須友愛の森20


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敷地内にある長屋門。

     20220914道の駅那須友愛の森24

何処かから移設されたモノでしょう。


こちらは、工芸館。

     20220914道の駅那須友愛の森25



もともと、この地は中学校跡。

     20220914道の駅那須友愛の森26


かつて、この地には那須町立広谷地中学校が在りました。

     20220914道の駅那須友愛の森27



昭和48年に廃校になった那須町立広谷地中学校の跡地
昭和63年に地域の個性と文化を育む場として『那須友愛の森』てして整備され
平成9年に『道の駅 那須高原友愛の森』として登録され、
平成19年に駐車場等の設備が再整備されました。

     20220914道の駅那須友愛の森29


その辺りの経緯が、こちらの碑に刻まれています。

     20220914道の駅那須友愛の森30


     20220914道の駅那須友愛の森31

即ち、こちらは道の駅であるけれど、廃校跡地でもある。
もっとも、道の駅として敷地が整備されているから
学校遺構は殆どありませんが..........



こちらが、道の駅の切符。

     20220914道の駅那須友愛の森32


     20220914道の駅那須友愛の森33



そして、こちらが道の駅のスタンプ

     20220914道の駅那須友愛の森34


これで、那須町の道の駅も制覇です。




2022/11/29 Tue. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit

廃校を訪ねて 《旧・大沢小学校跡》    (2022年9月14日)(栃木県那須郡那須町) 

9月14日  

9月14日〜16日。
県民割引(ブロック割)を利用して栃木県の那須地区へ出かけました。

向かった先は栃木県の那須町。
この日は那須町の城郭と廃校をメインにぐるっと巡ります。


大沢小学校をあとにして、向かった先は...............那須町立 旧・大沢小学校


大沢小学校は、平成26年に池田小学校と統合して
新しい小学校が開校して廃校となりましたが
その廃校跡ではなく、それ以前に校舎が在った旧・校地を
訪ねてみました。

そもそも、大沢小学校は、

明治20年    須郡那須村大深堀に高久小学校の分校が置かれ、
         これをもって大沢小学校の創立となる

明治23年    那須郡那須村大字高久30007番地に
        高久尋常小学校大沢分教室として開校、校舎新築。

明治25年    那須村立迯室尋常小学校大沢分校と改称

明治33年    勅令により独立して那須村立大沢尋常小学校(4年制)となる。
昭和22年   学制改革により那須村立大沢小学校となる。            
        那須村立高津中学校大沢分室を併設

昭和26年   大谷分校が開設される

昭和30年   大沢分室が大沢中学校として独立併設

昭和34年   那須町立大沢中学校現在地に新築移転

昭和36年   那須町立大沢小学校現在地に新築移転し、
       小中学校併設となる大谷分校が廃止される

昭和47年   大沢中学校が那須町立那須中学校に名目統合され、
       那須町立那須中学校大沢分校舎と改称

昭和49年   大沢分校舎が廃校となり、大沢分校舎が小学校へ移管される
平成26年   大沢小学校と池田小学校が統合して那須町立那須高原小学校が開校する。
       大沢小学校は廃校となる。 

と、言うような沿革となっています。

沿革にも記されているように、平成26年に廃校となった大沢小学校は
こちらに訪れる前に訪れています。

こちらは、昭和36年まで校地であった
旧・大沢小学校跡になります。


民家と牧場の間の狭い道。
まるで私有地の中を進んでいくような道を進むと..........

     20220914旧・大沢小学校01


石造りの門が現れます。

     20220914旧・大沢小学校02


     20220914旧・大沢小学校03


その先には学校跡っぽい敷地。

     20220914旧・大沢小学校04


その敷地には、地域の公民館『大沢公民館』が建つ。

     20220914旧・大沢小学校05


校地移転後、校舎は解体され公民館が建てられたようです。


校庭跡はコンクリートで舗装されている。

     20220914旧・大沢小学校06

公民館の駐車場と広場になっている。


片隅には遊具。

     20220914旧・大沢小学校07

と言っても、滑り台のみ。


広場の片隅の小屋には桜の木。

     20220914旧・大沢小学校08


小さな焼却炉。

     20220914旧・大沢小学校09

これは、もしかしたら旧・大沢小学校時代のモノ?
でも60年以上前のモノには見えそうもない。


公民館の建物の背後、即ち以前、校舎が在った場所の背後には
小さな神社が鎮座する。

     20220914旧・大沢小学校10



     20220914旧・大沢小学校14


明治期に、寺院や神社の敷地の一角を仮校舎として
小学校が創立するって言うのが多かったから
小学校に神社が隣接して鎮座しているのも珍しくはない。

     20220914旧・大沢小学校11



残念ながら、門柱と滑り台ぐらいしか学校遺構はない。

公民館の建物の周辺にも碑らしきモノはない。

     20220914旧・大沢小学校12



シンボルツリーと呼べるような立派に木々もない。

     20220914旧・大沢小学校13


学校が移転して、既に60年。
移転先の学校も廃校になった大沢小学校。

この場所にかつて、大沢小学校が在ったなんて
人知れずに忘れられていくんでしょうね。




2022/11/28 Mon. 00:00 | trackback: -- | 本文: -- | edit